結城は強い口調でそうきっぱりと言い切り、くるっと背を向けた。
「僕はもう、争い事には関わらないと決めたんだ。シリウスにも協力する気はない」
ゆっくりと墓標の前にひざまずく。そっと手でかかっている砂埃を払う。そして左手に携えていた花束を捧げる。
俺のような無粋な客がいなければ、これから周囲の掃除をしながら故人へ思いを馳せていただろう。
「御協力はいただけませんか……。では、不本意ですが力ずくという事になりますが?」
俺は仕方なく、そう脅迫めいた口調で結城の背に言葉をかける。
「君達は政府と何ら変わりないな。僕は“秩序のために”という名目で、平気で人を殺す人間を嫌というほど見てきた。目的のためには、暴力に出ることも侍さない。君達シリウスのやり方は、政府となんら変わりない」
「政府が武力をかざしながら圧政を敷くのなら、それに対抗しうるのは同じ武力でしかないでしょう? 圧倒的な力の前に、正しい道義が通らない時代です。ならば我々も、どんな手段を使ってでも戦力を整えなければなりません」
正義なんて言葉、とっくに使われなくなってしまった時代だ。何が正しいのか、ではなく、だれが 強いのか。たったそれだけが全ての善悪を作り出す弱肉強食の時代。理性的な動物であるはずの人間の社会とは思えない、退廃的で堕落した姿。これを正しく改善するためには、綺麗事だけではどうしようもないのだ。新しい法則、正義を作り出すためには、現支配者より強い力で現状を破壊しなくてはならないのだ。そのために、いちいち手段を選んでいるような余裕はない。
「なら、君達は自らの正当性をどうやって示す? 民衆が支持してくれれば、それは本当に正義として足りうるのか? 僕にはレミングスの集団自殺にしか見えない。大義、正義、道義。そんなもので自らを装飾し、力ずくで思い通りに変えようとする、『革命』という名の愚かな熱病。そんな熱にうなされた君達が、たとえ政府を解体できた所で結局は同じ所に帰結する。同じ過ちの繰り返しだ。無意味と言うより、喜劇としか言いようがない」
彼は一体何を言っているのだろう?
我々の正当性?
そんなもの、言うまでもないじゃないか。現に民衆が政府の圧政に苦しんでいる。この現状を打破しようというのがどうして咎められなくてはならないのだ? 我々の正義は揺らぎようのない事実だ。
「結城さん。我々と御一緒していただけぬのなら、多少手荒い手段を取らせていただきます。よろしいですね?」
「やってみればいい」
と、その時。
不意に結城は、羽織っていたロングコートの裾を翻し走り出した。
逃がすか!
俺はすぐさまその後を追う。
ようやく掴まえた、唯一政府のマザーコンピューターをシステムダウンさせた技術を持つ天才的ハッカー、ジェミニ=結城。そんな人材をシリウスに引き込めれば、任務云々ではなくどれだけの戦力増強に繋がる事か。政府を解体するという悲願の達成のためにも、ここで彼を逃がすわけにはいかない。
闇夜をロングコートの裾を翻しながら疾走する結城。
足の速さには、俺はそれほど自信がある訳ではない。特別鍛えている訳ではないが、何にも訓練のようなものをしていない一般人よりは速いつもりだ。
結城の走る速さもかなりのものだった。俺と比べればさすがに俺の方が速いだろうが、先行した分、結城がリードを取っている。
だが、それも見る見るうちに縮まっていく。結城と俺の足の速さの差は歴然としているのだ。
あと、数秒で結城の背に手が届く。もう少し、あとちょっと―――。
「しつこいな……」
と、その時。
結城は突然走りながらこちらに銃口を向けた。
む?!
続け様に、快音が三発。
俺は咄嗟に横に転がり、銃弾から身をかわす。
銃というものは案外精度が悪い。有効射程距離というものは、その形式にもよるが、短銃では大体10m前後。しかし、何の訓練もされていない人間の射撃では、ほぼ思った通りの所に命中させられる距離は3mが限界だ。
今、俺と結城の距離は目測でおよそ5mだった。決して軽視できる距離ではなかった。
俺が転がった隙を突き、結城は出入り口を目指し道なりに角を曲がっていく。
まずい。見失ってしまう。
すかさず俺は立ち上がり、その後を追って角を曲がる。
よし、そっちに曲がったのならば、その先は行き止まりだ。何故ならそこには―――。
突然、パッと辺りに眩しい光が照らし出された。
あらかじめ俺達が入り口付近にしかけておいた照明器具だ。かなりの光量を誇るため、三つもあれば局所的に昼間のように明るくなるのだ。
「?! これは……」
急に光の下に置かれ、さすがに結城は驚きを隠せない表情だ。
「おっと、こっから先は行き止まりだ」
と、物影からゆっくり姿を現すアウリガ。
「うまくはめられたようだな……」
そう言って微苦笑する結城。
この状況下に置かれても、驚くほど結城は冷静だった。やはり、一般人とは違った度胸の良さがこういうところから感じさせる。
「袋のネズミって所ね」
そこに、いつの間にか現れたアリエスが笑みをこぼす。彼女は反対側の出入り口に張っていたはず。
「ん? よく分かったな」
「あんだけ派手に銃声鳴らされりゃあね」
なるほど。銃声はよく響くしな。そこを目指して行ったら、この状況に遭遇した。まあ、そんな所だろう。
「さて。結城さん、今一度考え直していただけませんか?」
三人に囲まれ、逃げ場を失った結城。
しかし、それでも結城は表情を強張らせる事はない。
「力ずくでも僕を従えさせたいのか?」
「協力してもらいたいだけです。民衆のためにも」
「やはり君達は政府と同じだ。本質と体裁の違いを大義で覆っているだけにしか過ぎない」
俺達の言動を嘲るような冷笑。
「るっせーな。おい! 民衆が政府に困ってんのが分かんねえのかよ! テメエには人に評価されるだけの力があんだろうが! なんでそれを使おうとしねえんだよ!」
「僕の作ったウィルスが欲しければ幾らでも進呈しよう。だから僕の事は放っておいてくれ」
「貴方の作った『アンクウ』だけど、あれじゃ駄目なの。政府のサイバーセキュリティも当時よりも格段に上がっているもの。現状のシステムを突破するためにも、貴方にはシリウスの本部で研究チームに加わってもらいたいの。お願い、民衆のためにも私達に協力して」
「断る」
結城はあくまで頑なに俺達の申し出を拒絶し続ける。
確かに俺達のやり方は無粋で礼儀のないものだったから、機嫌を損ねてしまってもおかしくはない。しかし、この状況でこうも頑なな態度を取れるものだろうか? 単に意地を張っているだけにしては、話口調は理路整然としている。
何故、拒否し続けるのだ?
戦いたくない、とはどういう意味なのだ?
結城は、もう民衆の事などどうでもいいのだろうか?
五年前は戦えて、今は戦えないのか?
「とにかく。あなたのお力があれば、この世界を変えられるんです」
「無理だな。君は何も分かっていない。体制を変えたところで世界は変わらない。結局はまた元に戻るだけだ」
結城の鋭い視線が俺を射抜く。
思わずたじろぐ俺。
結城の目には、何か言い知れぬ迫力があった。はっきりとは分からないが、目に見えないプレッシャーのようなものが俺の心臓を鷲掴みにするのだ。
「時間の無駄だな。僕はこれで失礼させてもらうよ」
はあ? 何を言い出すかと思ったら。一体この状況からどうやって脱出するというんだ?
結城の意図が読めず、俺ははてと首をかしげる。他の二人も、結城の不可解な言動に困惑気味だ。
と、その時。
「あ!」
突然、アウリガが声をあげた。
結城の姿に、まるでテレビの映像のようにノイズが走ったのである。
「しまった! 立体映像か!」
結城の足元を良く見ると、小型の立体映像機が転がっている。おそらく、俺が先ほど見失ったほんの一瞬の内に入れ替わったのだろう。まんまとはめられたのは、俺達の方だったようだ。今、結城はどこかで小型マイクから声をこちらに送っているに違いない。
現在の立体映像は解像度が高く、かなりリアルな映像を再現する。しかし、それはあくまで実体のない映像であり、つまりは光の産物だ。だから、暗闇の中だったのならばすぐに気づいたはずだ。意表をついたつもりの照明が、かえって仇となってしまった。
『僕は君達には一切干渉しない。だから僕には干渉しないでくれ』
そう言い残し、映像は途切れてしまった。
すぐに後を追う事も考えたが、おそらくもう手遅れだろう。闇夜に完全に紛れてしまえば、幾ら俺達でも発見は不可能に近い。
失敗した……。
一同の間に重苦しい空気が漂う。
この一件で、結城はおそらくここには当分現れないだろう。つまり、俺達の捜索はまた振り出しに戻ってしまったのである。
「ちくしょう! あの、すねぼうが! 臆病風に吹かれやがって!」