俺の体温でぬるく温まった拳銃のグリップ。
肩の力を抜き、適度な握力でそれを握り締める。
視線は、15メートル先の人形のボードの中心を見つめる。
トリガーにあてがった指に力を込め、腕の位置を固定したまま一気に引く。
快音。
五発の快音と同数の僅かな反動の直後、人形ボードの額、心臓、喉、右肩、左肩のそれぞれに小さな穴が空く。
周囲に漂う硝煙の匂い。嗅ぎ慣れたこの匂いが、俺にはとても心地良い。
俺は耳当てを外し手元のスイッチを押す。ゆっくり的が俺の方へ近づいてくる。
目の前まで来た的を見つめ、弾丸のヒットポイントを確認する。
と、その時。
「調子いいじゃない? オリオン」
自分だけしかいないと思っていたこの射撃場に、予告も無く女性の声が響く。
ぎくっと視線を声のした方へ向けると、こちらに歩み寄ってくる一人の女性の姿があった。
「なんだ、アリエスか。驚かせるな」
見慣れた人の姿に、俺は小さく安堵する。彼女は俺と同業、つまりソルジャーだ。
「なんだ、とはご挨拶ね。気配で気がつかないの?」
「お前が気配を消してなきゃ気がつくさ」
俺は微苦笑を浮かべ、視線を打ち抜いた的へ戻す。
「あら、見事に狙い通りじゃない」
ひょい、と俺の肩越しにアリエスが打ち抜いた的を覗き込む。
「いや、そうでもない。額、狙いより2センチほどずれた」
この辺りに当たれば何センチずれようが間違いなく致命傷になる。が、そうは言っても思い通りの結果が出せなかった事に悔恨の念を感じずにはいられない。
「ふうん、そうなの? 銃ってムツカシイのねえ。ナイフだったら、狙った所を一刀両断なのに」
アリエスはナイフの使い手だ。そのナイフを駆使した無音暗殺術の達人で、たとえ銃を持った人間数名に囲まれようとも、数秒もあれば全員を血の海に沈める事が出来るのである。
「適材適所。俺に出来てお前に出来ない事、またその逆のケースもあるんだ。今のままでいいのさ。ところで、何か用か?」
「召集よ。Mr.ファウストが呼んでいるわ」
「ミスターが? なんだろう?」
軍事組織シリウス。これが俺達の属しているこの組織の名称だ。
今から五年前、アンタレスというテログループが政府に対しテロ活動を行うという事件が起こった。当時はまだテログループは数多く存在し、ほぼ毎日のように政府関係の建物が襲撃されていたものの、瞬く間に鎮圧されていたのがお決まりのパターンだった。そのため、この言葉だけでは別段珍しくもない事件のように思えても無理はない。
しかし、アンタレスは違った。難攻不落と謳われた、政府組織の本部、国会議事堂の建つアッパーエリアと俺達の住むアンダーエリアを繋ぐエレベーターポイントの突破に成功し、その上、国会議事堂内部まで侵入したのである。
この事件は民衆に多大な影響を及ぼした。これまで自分達を支配する側だった政府。その圧倒的な力の前に自分達は成す術がないと諦めかけていたのだが、この事件が自分達の力は全く政府に通用しない訳ではない事を証明したのである。
その結果、民衆の間では反政府意識が明確に高まっていった。自分達を食い物にする政府を倒す、という事が夢物語ではない事を知ったため、政府解体という悲願を達成するべく具体的な行動に乗り出した。
それが、このシリウスなのである。
民間団体による軍事組織。その設立意図は言うまでもなく、政府の解体である。
ただ、ここに一つの問題が発生した。
こうも露骨に叛意を示されて、ただ黙っている政府ではない。
政府は自らの支配体制を強化するべく、新しい制度を打ち出し施行した。
国民総背番号制。
それは、戸籍データに存在する全ての人間に『ナノ・コード』と呼ばれる特殊な刻印を刻むものである。
ナノ・コードとは、ナノマシンで作られた一種の刺青のようなものだ。全てのナノマシンは政府のマザーコンピューターと常時リンクしており、国民一人一人の生活を監視しているのである。
ナノ・コードには、三つの機能が搭載されている。
まずは、個人データの照合機能だ。現在、このU−TOPIAではナノ・コードが唯一の身分証明にされているため、ナノ・コードのない人間はまともに生活すら出来ないシステムになっている。
そして、先ほども述べた監視システム。全ての国民をリアルタイムで監視し、不正にナノ・コードを取り除こうとするのを防ぐのである。
最後に、爆破機能。これは、前項の行為が発覚した場合、予告もなしにナノ・コードを即座に爆破させる機能である。もちろん、任意に爆破する事も可能だ。
これら三つの機能により、全ての国民は実質上、自らの生命を政府に握られたも同然なのである。
そのため、国民は表立った反逆行為は出来なくなってしまった。政府役人に銃口を向けた瞬間、自分は爆破処理されてしまうのである。
しかし、民衆はあきらめなかった。
そして考案に考案を重ねた末、遂にこのシツテムを破るための画期的な手段が考案された。
それが、俺達ソルジャーなのである。
俺達の左腕にはナノ・コードは刻まれていない。無論、戸籍データの中にも俺達の名はない。つまり、俺達はこの世に存在していない事になっているのである。そのため、政府の目を気にする事なく自由に動けるのだ。
何故、俺達のような存在がいるのか。
それは、俺達が培養カプセルの中で細胞レベルから育成された、人工生命体だからである。
政府の管理下に置かれていない存在を人工的に作り出し、それに政府解体作業を継続させるのである。
俺達は、全ての国民の希望を背負っているのだ。
だからこそ、その日が来るまで自らを磨き、与えられた下準備のための任務を命に代えても遂行しているのである。
全ては国民のため、そしてシリウスのためだ。
それこそが、俺達の存在意義なのだ。