BacK

 

 

「第十三セキュリティーゾーン突破。メインコンピューターにダブルシフト」

 結城が無表情でキーボードに指を走らせる。その目はじっとディスプレイに注がれている。

 シリウス内の電算室で、結城は黙々と政府のマザーコンピューターにハッキングしていた。政府のマザーコンピューターのシステムを解析する事が目的である。そこから、来るべき決戦に向けて、ナノ・コードを無効化するウィルスプログラムを作り出すのだ。

 もちろん、ハッキングは政府に感づかれてはいけない。不正アクセスが発見された瞬間、おそらく侵入経路を遮断されるだろうし、もし逆探知されたりIPアドレスを取得されたりなどして身元が割り出されたら、すぐさまシリウス関係者全てのナノ・コードを爆破されてしまう。そうなれば、唯一の政府に対抗できる機関であったシリウスが消滅してしまう。

シリウスは民衆にとって最後の砦である。もしシリウスが崩壊してしまったら、民衆はもはや希望を失い、政府の圧政に従属するしかなくなってしまう。そんな真っ暗な未来は、決して許してはいけないのだ。

 結城の他に、研究員が三人アシストについている。結城はその三人に逐次報告しながら、ひたすら指を走らせる。

 その様子を、俺達は見学用のエリアからガラス越しに見ていた。

 俺はそんなにコンピューターの事は知らないが、何となく雰囲気で、研究員が結城についていくだけで精一杯といった感じに見える。結城の無表情さは、ただ冷静に状況を判断しながら頭の中でシステムを分析しているためのものだが、他の研究員三名は、とにかく結城の処理速度についていくだけで精一杯といった、余裕のない表情だ。

「凄い……。最後のファイアウォールもあっさり突破しちゃった。まだ三十分しか経ってないのに」

 アリエスが感嘆の溜息を漏らす。一方俺とアウリガは、いまいちよく分からず、ただ分かった振りをしてうなずく。

「なあ、アリエスよう。お前だったら、どのぐらいかかる?」

「かかるどころか、突破すらできないわ。十三枚もファイアウォールがある時点で、私は諦めるわよ。あれ一枚でも、シリウスのと同程度のセキュリティ力があるもの」

「ほえ〜。そんなのを、アイツはちゃちゃちゃって突破したってのか。やっぱスゲエわ」

 ガラスの向こうで、更にハッキングが続いている。

 俺はディスプレイで展開している事はよく分からなかったが、結城の状況報告の声はスピーカーを通してここにも聞こえるので、なんとなく大体の状況は掴み取れる。

「ポートは23番。強制的にこじ開ける」

 結城はメモリスティックをセットし、何かのプログラムを走らせる。おそらく、今言った作業を行うためのプログラムだろう。当たり前のように行っているが、アリエスや補助オペレーターの目は声にならない驚きに満ちている。きっと俺には想像もつかないような凄まじいプログラムなのだろう。

「マザーコンピューターに侵入成功」

 スピーカーから結城の淡々とした声が響き渡る。

 続いて研究員達の喜びの溜息がぽつぽつと漏れる。しかし、結城の表情には笑顔はない。あの政府のマザーコンピューターに侵入したのも、彼にとっては日常の些末事でしかないのだろうか。

「ニコリともしないのね。嬉しくないのかしら?」

「このくらい、自分には当然って事じゃないのか?」

「ホント、可愛げのない男よね」

 とは言っても、俺は逆に結城が子供のように嬉々と喜ぶ姿など到底想像がつかない。

 そう言えば、アンタレスがあった頃、そこに属していた結城はまだほんの子供だった。

 彼はその当時から、こんな無愛想な男だったのだろうか? それとも、何か別の要素が彼をこうさせてしまったのだろうか?

 昨夜の彼の様子からして、訊ねたところでは答えてくれそうにもない。アンタレスがこの世から消えた時、それだけ忌まわしい出来事があったのだろう。彼はアンタレスの唯一の生存者なのだから。

「これよりデータソース抽出に入る。ミラーリング開始」

 いよいよ最終段階に入った。

 マザーコンピューターのプログラムをコピーし、シリウスで用意したもう一つの大型コンピューターに書き込むのである。今後はこのコピーを利用して作成したウィルスのテストも行うらしい。

「199:244:121:242:12から232:244:121:242:12をランダム経由」

「設定完了」

「抽出を開始します」

 ディスプレイ上に、進行状況を示す青いバーが右に向かってゆっくり伸びていく。

 そのバーを、結城は静かに見つめていた。

 どこか悲しげな瞳に、俺は見えて仕方がなかった。もしかして結城は、かつてアンタレスがアッパーエリアに乗り込んだ時の事を思い出しているのだろうか?

 俺達は、結城についてほとんどの事を知らない。ただ、その能力と大まかな経歴だけを調べただけだ。

 結城には人を避けるような所がある。それは、結城がよく言っている、“生きるため”だからなのだろうか? 人は誰も生きる事には本能的に執着する。だけど結城のそれは、どこか理屈的な意思を感じさせる。

何故、そうまで強く生きる事を望んでいるのだろうか?

まるで、俺達がシリウスから与えられる任務を命に代えても遂行するのに似ている。

存在意義を守るため?

だったら、俺達のように生み出された理由のない結城の存在意義は何だ?

「ミラーリング完了」

「これより、リンクの切断作業に入ります」

 数分後。青いバーは伸び切り、全てのデータを抽出した事を伝える。

 結城はゆっくりと立ち上がり、出口へと向き直る。

これで結城の役目は終わったのだ。データさえあれば、後は結城の提供したウィルスプログラム『アンクウ』をそれに合わせてカスタマイズするだけだ。それならば、何も結城ではなくともここの研究員でも出来る事だ。

部屋を出ようとしている結城に、誰も声をかける者はいない。研究員達は切断作業が終わるなり、早速データを取り憑かれたように解析し始める。その表情には異様な歓喜が浮かび上がり、目はやたらギラギラと光っていた。完全に抽出されたデータの虜になっている。

「さすがはジェミニ=結城ね。データの抽出。シリウスだけでなく、これまで何千というハッカーが挑戦しても成功しなかった事なのに。それをたった一時間たらずでやってしまうなんて……」

「とんでもないヤツだ。あいつが味方で良かったよ」

 これで政府解体の作戦が更に現実的になってきた。大きな障害となっていたナノ・コードによる遠隔爆破システムは、他のシステムもろとも破壊できる。これまで表立った動きは俺達ソルジャーしか出来なかったが、ナノ・コードがなくなってしまえば、普通の人間の破壊工作員を大量に投入できる。

 本来ならば、それこそ大勢の人間に称賛されるべき偉業を成し得たのだが。結城は誰にも声をかけられる事なく、また自分もそんなものは求めていないと言わんばかりに淡々と出口へ向かって歩いていく。

 と、その時。

 ふと結城がこちらに、いや、正確には俺に視線を向けた。

 そして、意味深な微笑を浮かべる。

 何故か俺は、その表情から目が離せなかった。