床に仰臥する男の体を、結城は冷ややかに見下ろす。
その胸中は如何なるものなのか。
図り知ることの出来ない、深く混沌とした瞳。
「おい、結城」
ふと、アウリガが前に進み出た。
表情に普段の明朗さがなく、いつにない険しい表情だ。
「一つ訊くけどさ、このままお前を信用してもいいのか?」
訝しい表情でそう訊ねる。その口調には、既に不信感の色が表れている。
訊ねられた結城は銃をホルスターの中に収め、ゆっくりと振り返る。
「信用? するもしないも君の自由さ。僕は強制はしない」
どちらともつかぬその答えに、アウリガはギリッと奥歯を噛む。
「なんだそりゃ? お前は、俺達を信用してないって意味か?」
声が怒りで僅かに半笑いになっている。それを必死で押し殺そうと握り締めたこぶしが小刻みに震える。
「しているさ。だから僕は、僕なりの信用を形にして現している」
二人の間の空気が一層固く張り詰める。
アウリガが一方的に焚き付けているが、それに対する結城はいつもの冷ややかな態度で接している。それが、アウリガにとっては火に油を注ぐ意味になってしまっている。
「やめろ。何もこんな時に」
俺はアウリガの肩を掴んで制止する。
アウリガの言いたい事は分かる。だが、今はそんないざこざを起こしている時ではないのだ。最早、後はメインルームに向かうのみである。だが、それで全ての作戦が終了した訳ではないのだ。本当に安心していいのは、政府首脳陣に降伏宣言をさせてからだ。それまでは俺達は一つの作戦チームであり、チームワークを乱してはいけないのだ。
「うるせえ! オリオン、お前も見ただろう!? こいつは自分の仲間を少しも躊躇わず撃ち殺したんだぞ!? そして今も平気な顔をしていやがる!」
強引に手を振り払われる。その手がビリビリと痛む。
「あれはただの模造品だ。僕の仲間じゃない」
「そういう事じゃねえ! なんか、それって違うだろ!? たとえクローンでもさ、あれは自分の仲間だったんだぞ!? なんで仲間と同じ姿の人間を躊躇いもせずに撃てるんだよ! お前、人間の感情があるのか!?」
「やめろ! 今は任務中だ! 何を優先させるべきか分かっているだろう!?」
つい、語調を荒げ、再度アウリガの肩を掴む。
今のアウリガは、すぐにでも結城に掴みかからんばかりの勢いだ。
「ああ、分かってるよ! お前の命令には従うさ! シリウスのためだからな! でもな、俺はこいつはもう信用しねえ! 考えてみりゃあ、元々こいつはあんまり協力的じゃなかったしな!」
俺の腕を払い、フン、とそっぽを向くアウリガ。
一方結城は、それだけ言われても眉一つ動かさない。アウリガとケンカにならないのは幸いであったが、その静けさがかえって不気味でもあった。
とにかくこの男は、本当に何を考えているのか理解出来ない節が多々ある。
アウリガの言う通り、俺もまた結城を全面的に信頼する事は出来ないでいる。
確かに結城は、俺達に自分なりの信頼を形で現している。ここに来るまでの経緯だって、振り返れば結城の力は必ず必要なものばかりだった。それに、わざわざ彼はこんな危険な任務に参加する事を自ら志願したのだ。そんな彼に対して信頼の念を持てない自分が遺憾の限りである。
何故、自分は全面的に結城を信頼出来ないのか。
それはきっと、結城がまだ自分の胸中を全て曝け出していないように思えるからだ。そう感じているのは、他の二人も同じだろう。
「行くぞ。メインルームは、このすぐ先だ」
再び静寂を取り戻したのを確認すると、結城はくるっと踵を返し、右足を引き摺るようにして歩き始めた。その後には、ポツリポツリと血の跡が点々と続いている。運悪く跳弾を受けた傷からの出血だ。
ここまで来る時はアウリガが肩を貸していたが、この様子では貸してくれそうもない。
俺は無言で結城に肩を貸した。
結城はこちらを一度向き、そして僅かに微笑む。
これまでのやり取りからすれば、彼にはおおよそ似つかわしくない表情だ。
本当に、結城にはアウリガの言う通り人間の感情が欠落しているのだろうか?
かつての自分の仲間を、たとえクローンで、しかもあんな状況だったとしても、普通の神経では平然と撃ち抜き事無きの表情を浮かべるなんて出来るはずがない。
だが、これが感情のない人間の表情だろうか?
彼は自分の言葉通り、あれらを単なる模造品と割り切っているのだろうか……?
血の匂いが充満したこのホールを抜けると、その先には細長い真っ白な廊下が真っ直ぐに伸びていた。
こんな所で警備員に遭遇してしまったら、文字通り一網打尽にされてしまう。
そんな危惧を抱きながら、前に進みながらも周囲には油断なく警戒網を張り巡らせる。だが、結局は何の異常もなくメインルームの入り口に辿り着いてしまった。
鈍い銀色の重苦しいドアの前に辿り着く。その上には、“MAINROOM”の文字の彫られた白いプレートが貼り付けられている。
ドアにはやはり電子錠が取り付けられていた。コード、IDカード、網膜スキャンの三段構えのロックだ。
「ここまで来れば、慎重になる必要もない。破壊してくれ」
「分かりました」
俺はアリエスに無言で視線を送る。俺の意図を察知したアリエスは無言でうなずき、ドアの前に歩み寄る。
「行けるかな?」
ヒートナイフを抜いてドライブ状態にセットしながらそう訊ねる。
「ああ。硬度だけで、耐熱性はそれほどない金属だ」
程なくしてヒートナイフが最大温度に達すると、アリエスはその刃先をドアの上端に突き立てる。
「ふん!」
掛け声と共に、ヒートナイフを突き刺す。すると、初めは僅かに抵抗があったものの、すぐにナイフは刃元まで突き刺さった。
「あら。本当に意外と軽いわね」
ドアの上端をなぞるように右から左へ横に切断し、そして次は同じように下端をなぞるように切断する。
「よし。これで開くはず」
ヒートナイフを冷却モードにし、ドアに手をかけて横に引く。すると、ドアはあっさりと開いた。
「ありがとう」
と、結城はそう呟いて俺の肩から手を離す。そのまま、右足を引き摺ってメインルームの中へ。
その後に俺達も続き、メインルーム内に入る。
ここがメインルームか……。
その部屋は、やはり床、壁、天井一面が真っ白な空間だった。
部屋の中心には大型のコントロールシステムがあり、その真正面に大きなガラス張りの覗き窓がある。そこを覗き込むと、ガラスの向こうは縦に伸びたトンネルのような吹き抜けの空間があった。そこに、まるで巨大な塔のように白いマシンがそびえ立っていた。これがおそらく、全てのネットワークシステムを統括するメインコンピューターなのだろう。
結城はコントロールシステムに座りパネルを操作する。
オプションポケットからケースを取り出し、その中からメモリスティックを摘み上げてスロットに差し込む。
あのメモリスティックには、シリウスでカスタマイズされたアンクウのデ−タが入っている。これをメインシステムに感染させる事により、マザーコンピューターを構成する全てのコンピューターをシステム的に破壊し、ナノ・コードの支配を無力化するのである。
が。
程なくして、パネルを操作していた結城は深く溜息をついた。
「どうしたんですか?」
「やはり駄目だ。制御システム自体にアンクウが通用しない」
やはり?
その言葉が引っかかった俺はすぐさま問い返す。
「やはり、とは?」
「政府は、かつて僕が作ったアンクウのプログラムを解析し、耐性をつけたのだろう。予想通りだ」
予想通り?
まただ。
結城の言葉は、まるでこの事態をあらかじめ予測していたかのようである。
と。
「予想通り? まるで知っていたような口振りだな」
アウリガが結城への不信感を露にきつい口調でそう言う。
「ああ、知っていた。そして、シリウスのトップもこの事を知っている」
は―――?
唐突な結城のその言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
シリウスが、この不測の事態をあらかじめ知っていた? だが、そんな事は一言も聞いていない。これはどういう事なのだろう?
「え? それは一体ど―――」
と、その時。電子音の呼び出しが鳴る。
すぐさま結城はモバイルを開き呼び出しに応じる。
「シリウスからだ」
作戦本部からの通信が入ったようだ。俺達はモバイルの前に集まる。
『私だ』
ディスプレイにスクランブル処理された見慣れた映像が映し出される。
ミスターだ。
『やはりアンクウは通用しなかったようだな』
やはり。
今度はミスターまでもが結城と同じセリフを言う。
これは一体なんなのだ?
まるで初めから作戦が失敗するかのようなセリフだ……。
「どういう事ですか!? アンクウが通用しない事を知っていながら、黙っていたなんて! 一体どうやってシステムを破壊するんです!?」
『物理的にだ』
「物理的?」
『その腕の通信機には準反物質爆弾が仕込まれている』
準反物質爆弾とは、早い話が高性能な爆弾だ。反物質爆弾ならば、1グラムもあれば太陽系全て破壊できるほどの威力がある。準反物質はそれに比べたら威力は遥かに劣るが、それでもこの程度の施設ならば十分に破壊する事が出来る。
「これが……。え? ちょっ、オリオン!? これ、外れないわよ!」
なんだって!?
アリエスのその言葉に、俺はすぐさま自分の腕に装着した携帯通信機を確かめる。
確かにアリエスの言う通り、どうやっても接合部が外れない。装着する時はあっさりとくっついたジョイント部は、幾ら外そうとしても一向に外れない。
『当然だ。それは一度装着すればロックがかかるように設計されている』
「そんな!? 一体、何故ですか!?」
ミスターは、俺達もろともシステムを破壊しようというのか!? そんなバカな! 一体どうして!
『理由か? 教えてやろう』
その時、映像のスクランブル処理が外れる。
初めて見る、ミスターの素顔。
だが。
「その顔は……」
ディスプレイに現れたその顔。
それは……。
そう、俺自身だ。
『そして』
続いてディスプレイがズームアウトし、新たに二つの人影が現れる。
「おい……」
「嘘……」
それは、アリエスとアウリガに瓜二つの人物だった。
いや、正確に言えば、向こうの方が幾らか年齢的には上だろう。だが、顔の作りが何から何まで、俺の時と同じようにそっくりだ。
『本当にお前達は、自分が無から作られた生命体だと思うか?』
俺達は培養液の中で生まれた人工生命体だ。
このU−TOPIAでは、この世に生を受けた人間は全て左腕にナノ・コードと呼ばれる刻印を押される。そして、一生政府によってナノ・コードを介してあらゆる自由を束縛されるのだ。
そんな事態を打破するために、ナノ・コードを持たない存在である俺達が生み出されたのだ。ナノ・コードがなければ、政府に行動を監視される事もなく、また、何をしようともナノ・コードによる爆破処理をされる事がない。つまり政府解体への直接的な行動を起こす事ができるのだ。
だが、ミスターのその言葉は、俺達が培養液の中で生まれた生命体であるという事を暗に否定する発言に思えた。
いや、何よりも、ディスプレイの中にいる三人が俺達とそっくりな容姿を持つという時点で、俺の頭の中におそらく真実であろう推測が浮かび上がっている。
つまり俺達は―――。
『お前達は私達のクローンなのだよ』
そう、行き着く答えはそれになる。
つまり、初めから無から知的生命体を作り出す事は技術的に不可能だったのだ。
俺達という存在を生み出すためには、一つの媒介が必要だったのだ。
その媒介の主が、それぞれこの三人だったのだ。
「クローンだと!? 一体どういう事なんだよ!?」
激昂するアウリガ。
だが、相対するミスター、いや、俺のオリジナルは、平然とした表情を浮かべている。
『これを見ろ』
俺のオリジナルはゆっくりディスプレイに歩み寄り、自らの眼球がはっきりと見えるようにまぶたを指で上に押し上げる。
これは……。
その男の眼球は、自然のそれではない。
人工の産物。
つまり、義眼だった。
『かつて私は、政府解体を志す一介の戦士だった。だが、戦いの最中、私は視力を失ってしまった。それは、スナイパーだった私にとっては致命的だった』
続いて、アリエスに似た顔立ちを持つ女がディスプレイに現れる。
こちらに右の袖を指し示す。だが、袖の中には何もない。
『私は右腕を失ったわ。八年前、政府との戦いの際にね』
更に現れたのはアウリガのオリジナル体だ。
彼は義眼もしておらず、両腕も健在だ。
だが、ただ一つ違うのは。
彼が車椅子に乗っているという事だった。
『私も同じく、政府との戦いで両足を失った』
シリウスのトップに立つ三人は皆、それぞれ体の一部を失い、二度と戦う事の出来ない体になっていた。
眼の見えないスナイパーが、銃を持った所で限りなく無意味だ。
利き手のないナイフ使いは、牙のない獣。
両足を失った体術使いは、翼をもがれた鳥も同然だ。
『我々は、自分達をこんな姿にした政府を深く恨んだ。なんとしてもこの手で雪辱を晴らしたい。だが、この体では戦う事は出来ない。それで、代わりにお前達を造った。そう、お前達は我々の代用品だ』
代用品。
自分らの人格を根本から否定するその言葉。
だが、幾ら俺達が自らの人格を主張しようとも、三人にとって俺達は自身の模造品にしか過ぎないのだ……。
「ならば、何故、我々を消す必要があるのですか……? 私達があなた方に逆らうとでも思っているのですか?」
『新しい世界で君達の存在は邪魔になるのさ。自らのアイデンティティーを守るためにも、この世に私は二人もいらない』
にべもなく、そう打ち捨てられる。
『君達は今まで素晴らしい働きをしてくれた。これまでに何度かセカンドは作り出したが、どれも使えない駄作ばかりだった。君達ほど使える手駒を失うのは残念だが、これでお別れだ』
「私達がここから逃げる可能性は考えていないのですか……?」
『それはないさ。君達にとって一番大切な事は政府の解体である、と脳に書き込んだからね。それに考えてもみたまえ。今、ここで君達が死ぬ事で、大勢の民衆が政府の敷く圧政から解放されるのだよ? まさか民衆を裏切るような真似は出来ないだろう?』
確かにその通りだ。
俺達は、これまで政府の圧政から民衆を解放するためだけに戦い続けてきた。それが自分らのアイデンティティーそのものであり、生きている意味でもあった。
そんな俺達に、政府を解体できるこのチャンスを布衣に出来るはずがない。
実にたくみに俺達の心理をついた言葉であったが、生まれてくるのは悔しさだけであった。
『後詰部隊がエレベーターポイントに到着するまで、後十分。君達の爆発も後十分後だ。それまでゆっくり休むといい』
そして通信が途絶える。
それと共に、俺達とシリウスとの関係そのものまでが断ち切られてしまったような錯覚を覚えた。
いや、本当に錯覚だろうか?
実際、もうシリウスに俺達の居場所はない。
俺達に残された道は、最早この場でシステムと共に爆死するしかない。
「ふざけんな! 俺は道具じゃねえ! 俺は人間だ!」
がん、と壁を殴りつけるアウリガ。
アリエスは茫然と床に座り尽くしている。
そして俺もまた、再び立ち上がれないほど手痛く打ちのめされていた。
受け入れ難い現実。
だが、それでも俺達は、この現実に立ち向かうだけの力は持ち合わせていない。
ここから逃げる事は、確かに俺達には出来なかった。
これで政府の圧政から民衆は解放される。
今までそれだけを目的に、命がけの戦いを繰り返してきた。
それが今、こうして報われる時が来たのだ。
それなのに。
なのに、どうしてだ? このやりきれない気持ちは……。
「三人ともこちらに来い」
その時、一人冷静に結城は俺達に向かってそう言い放った
「……なんですか?」
「僕がここについてきた理由を教えるからさ」
結城はモバイルのキーボードに指を走らせた。