BacK

 

 

 結城の言葉に、場の空気が凍りつくのが分かった。

 俺の背筋に戦慄が走り、体の自由を奪う。気がつけば息苦しささえ覚えていた。

『ククククク……』

 と、男の不気味な笑い声が辺りにこだまする。

『やれやれ、まさかそう来るとはね。まいったよ。私の負けだ』

 男はあまりにもあっさりと自らの敗北を宣言する。

 手応えがなさ過ぎる。

 かつての仲間のクローン体を用いる事で躊躇いを生じさせ、そして結城が、俺達が攻撃しようとするのを妨害するだろう、と見込んでの作戦。

倫理観念はともかくとして、作戦自体は非常に計算されたもののように思える。

だが、何故、武器が高周波ナイフなのだ? 銃火器を用いれば、もっと楽に倒せるだろうと考えなかったのだろうか?

 やはり、これらの過程は先ほど男が言った通り、単なるゲームにしか過ぎないからなのか?

 では、この後は一体どうするというのだろう。

 俺達はまっすぐこのすぐ先のメインルームを目指す。今、ここで俺達を止められなければ、政府解体が現実のものとなる。それは男を含めた政府首脳陣にとっては望まぬ事態ではないのか? それとも、まだ何か手を隠しているというのだろうか……。

『しかし、せっかく作ったオモチャをこのまま黙って壊されるのも面白くないな。コードワード“QX−223W”行け』

 次の瞬間、今まで人形のように動かなかったクローン達が、突然弾けるように飛び出した。

「結城!」

「手を出すな」

 だが結城は、向かってくる三人を前にして少しも慌てる素振りを見せず、手にした短銃をホルスターに収め、代わりにサブマシンガンを取り出して構える。

「……」

 そのまま、襲い掛かってきた三人に向かって引き金を引く。

 一分間に180発の弾丸を撃ちこむサブマシンガンの掃射にさらされた三人は、数秒ほどまるで踊るように仰け反りを繰り返す。

 そして断続的に続く発砲音がやむと、同時に三人はぷっつりと床に崩れ落ちた。

「……」

 撃ち尽くしたサブマシンガンを用がなくなったかのように床に投げ捨てる。

 一瞬にして血の海と化す辺り。

 だが、結城はまるで感情を失っているかのように、ただ冷然と無言のまま立っていた。

 その光景に、俺はただの身動き一つ取れずに魅入っていた。

「ジェ……ジェミニ君」

 と、その時。

 倒れた三人の内、若い女性が苦しげに声を上げた。

 当たり所が良かったのか悪かったのか、致命傷にならなかったらしい。

 結城はゆっくりと傍に歩み寄り、しゃがみ込む。

「ジェミニく?」

 ニヤッと笑い、高周波ナイフを振り上げる。

 が―――。

 バアン!

 ナイフが下ろされるよりも早く、まるであらかじめ予測していたかのように銃声が鳴り響く。

 頬に返り血がはね、僅かに顔をしかめる結城。

 女性は背後に突き飛ばされるように、後頭部から床に倒れる。

 右手には、硝煙の立ち昇る短銃の姿。

 彼女の死を確認すると、結城はゆっくりと立ち上がる。

『君は変わったね。あんなに心優しかったのに。人を、それもかつての仲間を殺す事にためらいはないのかい?』

「重ねて言うが、これはアンタレスの仲間じゃない。ただの模造品だ」

『それは結果論だろう? たとえ理屈では分かっていても、感情は納得させてないじゃないのか?』

「……」

 結城は無言で銃口を振り上げる。

 そして、構える。

 その先には何もない空間。

「出て来て下さい……。今、ここにいるのでしょう?」

 ここに?

 だが、周囲を見渡してもそれらしきものは見当たらない。第一、ここには身を隠すもの自体がないのだから。

 と、その時。

不意に何もない空間からあの男が現れる。その手には、真っ白く大きな布が握られている。

「光化学迷彩……?」

「その通りだ」

 光化学迷彩とは、光の屈折率を変える事で、人間の目に映らなくする特殊な迷彩の事である。人間の視覚とは、物体に光が当たり、その光を目が感知する事で初めて機能する。だから光を反射しない空気などの物体は目に見えないのだ。

 俺達が着用しているこのスーツにも同じような技術が施されている。だが、これほど性能は良くない。あくまで人の目に捉えにくくなるだけのものだ。

 生身の彼、政府首脳を構成する一人が目の前に立つ。

 どこかしら威厳に満ちた立ち居振舞いは、窮地と呼べるこの状況にも拘わらず、不気味なほど落ち着いていた。

 その彼の姿を、結城は無言でじっと見据えている。

 結城の視線を真っ向から受け止める男。

 数十秒間に渡り、二人の睨み合いが続く。

 まるで空気が凍りつきそうな圧迫感。

 やがてその沈黙を破ったのは、結城だった。

「一つ教えて下さい。あなたは、いえ、政府首脳陣は、何故、死に急ぐんですか?」

 結城の指摘は、俺もこれまでに抱いていた疑問をまさに凝縮した良い質問だ。

 その気になればもっと有利に事を運べたはずなのだ。手を抜く必要がない所で手を抜き、自ら墓穴を掘っているような部分が多々見られるのである。

「君はレミングスを知っているかね?」

「レミングス?」

 突然出された意図の測れないその言葉に、怪訝そうな表情を浮かべる結城。

「旧時代の生き物だ。そのレミングスは、ある一定以上の数まで繁殖すると、自ら海に飛び込んで自殺する習性がある」

「それが……?」

「繁栄し過ぎた人類も、もはや種としての終わりを迎えている。政府も長く生き過ぎた。レミングスと同様に、死の衝動に取り憑かれているのさ」

「人間とレミングスは違います。それに、もし人類に種の終わりが近づいているとしたら、その原因を作ったのは他でもない、あなた方政府だ。この社会を精神的に荒廃させたのは政府。それが真実です」

「君達は、政府を解体する事が本当に平和に繋がると思っているのかい? 自由と奔放は全く別のものだ。だが、その基準は人それぞれによって違っている。だからこそ、唯一の巨大意思によって統率される必要があるのだ。統率力が強ければ、それはそのまま秩序の強さに繋がる。秩序は平和。平和な世界には、巨大な力を持つ存在が必要不可欠なのだ」

「それは詭弁です。人の自由意志を尊重してこその平和でしょう。政府のやっている事は、単なる抑圧と自らの思想の強要にしか過ぎない」

「受け止め方はそれぞれだ。少なくとも我々は、このU−TOPIAの平和を願っていた」

 そんな事が……?

 俺は男の言葉に我が耳を疑った。

 政府が社会の平和を願っていただって?

 そんなもの、信じられるか。

 今の社会が平和ならば、どうして俺達のような反政府組織がある?

 政府への不満だって、取り上げていけばきりがないじゃないか。

 こんな社会の、一体どこが平和だというのだ?

「だが、強者であり続けるがゆえに、我々は退屈だった。代々の後継者は自分の二世三世が選ばれる、閉鎖的な社会のアッパーエリア。生まれながらに最高の力を与えられている我々は努力する必要性がなく、そしてまた、立ち向かうもの、存在を脅かすものもなかった。気がつけば、我々の一族からは危機感というものが抜け落ちていた。これは人間の防衛本能の欠落と同義なのだよ」

 そして、微かに男は口元を綻ばせる。

 心なしか、俺にはその笑顔が自嘲じみて見えた。

「秩序を保ち続ければ続けるほど、我々は自らの人生に意義を見失っていった。目標のない人生は、永久に続く苦痛。それから逃れるための刺激を求めた末、辿り着いたのがこういった命がけのゲームさ」

 親指と人差し指を立てて銃を模し、自らのこめかみに当てる。

 ばぁん、とおどけた様子で撃ちぬく仕草。

「君はどう思う? 私達は狂ってると思うかい? 生きる事への執着を失い、死への衝動に魅せられた私達が」

「どちらにせよ、僕は興味がない。なんであろうと、政府は解体されるのだから」

 なるほど、と男は微苦笑。

「政府が解体されれば、これまでの力の均衡が一気に崩れ、ほどなく混乱の時代を迎えるだろう。法も秩序もない、荒廃した社会になるかもしれない。我々の時代よりもより良い社会になるかもしれない。だが、この変革期は、間違いなく多くの血が流れるはずだろう」

 男はくるっと踵を返して背を向ける。

 そして、両腕を大きく広げた。

「人類は、今再び混沌の中に身を置くべきなかも知れないな。水も、いつまでも同じ所に留まれば、やがては腐り果てる。今、人類には、旧体制が踏破された事による激動が必要だ。その中で、もがき、苦しみ、あがき。そして自らの人生に真の意味での意義を見出す。これが種としての進歩だ。そうは思わないかな?」

 結城は、構えた銃口を男の頭に狙いを定める。

 僅かな逡巡の後、ゆっくり口を開く。

「僕には、分からない」

 そして、銃声。