結城は先に立ってスタスタと歩いていく。
俺達は結城を見失わないようにその後に続きながらも、警戒心だけは未だに解いていない。
一体結城は何を考えているのだろう? あんなに俺達シリウスと関わる事を嫌がっていたのに。今頃になって、自分の方から接触してくるなんて。気が変わった、なんて言うにはあまりに唐突過ぎる。嫌でも何か企んでいると考えるのが普通だろう。一度は政府の役人連中まで呼ばれたんだ。今度はそれ以上のものが待ち構えていると考えた方がいいだろう。
今、俺の持つ武器は……。
使い慣れた五連装のリボルバー一丁。弾丸は三十発ほどスペアがある。あとは刃渡り十センチ程度の飛び出しナイフを袖に隠しているだけだ。
アリエスはヒートナイフ一本、高周波ナイフ一本といった所だろう。アウリガは十中八九手ぶらだ。
さて、結城はこれからどこに向かうのだろう? 考えられるのは、人気のない広い所だ。そこで大勢の人間が一斉に発砲する。身の隠し場所のない俺達は速攻で蜂の巣にされてしまうだろう。
ちょっとでもおかしな行動が見受けられれば、即刻目の前の結城を気絶させてシリウスへ強制搬送だ。この距離ならば、二秒もあれば結城を失神させる事が可能だ。
と、その時。
結城がスタスタとコンビニの中に入っていった。思わず俺はそれを呼び止める。
「別にここはついてこなくてもいいよ。ちょっとした買い物だから」
結城は特に変わった事でもないかのように、実に安穏とそう答えた。
ちょっと買い物するから待ってて。
そうは言われたが、念のため二人は店の外に待たせ、俺は結城の後に続いた。
「用心深いな」
そんな俺に苦笑する結城。
「逃げられた前歴がありますから」
店内に入ると、結城はカゴに日用雑貨ばかり放って行く。これといって珍しいものはなく、どれも日常の生活で当たり前に使うようなものばかりだ。
何点かカゴに入れた後、最後にPC関連の雑誌を一冊カゴに入れ、結城はレジの方へ向かった。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こう側の店員は形式的な挨拶と共に、大きなフォークのような形をしたナノ・コードの読み取り装置をレジから掴みあげる。結城はロングコートの袖を捲り上げ、左腕を差し出す。
そこには、政府の支配下にあるという証である、ナノ・コードの黒い刻印の姿。
U−TOPIAには現金というものは存在しない。政府が国民総背番号制度を施行した瞬間から、買い物などの現金のやり取りが行われる場合は全てナノ・コードによる電子マネーを使用する方式に変わったのだ。ナノ・コードの個人データを読取装置で読み取り、各人の口座から相手に振り込まれるという方式だ。よって、ナノ・コードを持たない人間は買い物ひとつ出来ないのである。
買い物を済ませ、結城は買ったものの入った合成樹脂の袋を片手にコンビニを後にする。
入り口で待っていた二人が目で、本当にただの買い物だったのか? と訊ねてくる。俺は結城の行動に訳が分からず、ただ渋い表情をしてうなずくばかりだ。
再び結城は俺達を連れ立って歩き出す。どうやらこの様子だと、結城は俺達を自分の住居に連れて行くのかもしれない。
「あの、少しよろしいですか?」
俺は前を行く結城の横に並びそう訊ねる。
「どうかしたか?」
「あなたにもナノ・コードがあったのですね」
ナノ・コードがあれば、その居場所は政府には手に取るように分かるのだ。ナノ・コードからは常に識別信号が発せられており、それをマザーコンピューターが一元管理している。人を一人探すのに、政府はものの十秒もかからないのだ。にも拘わらず、今まで結城が政府に捕まらなかったのは、ナノ・コードがないからだとばかり思っていた。結城が国家的犯罪者として指名手配されたのは、国民総背番号制度が施行される以前。そのため、表に出なければ一応はナノ・コードの洗礼を受ける必要はない。もちろん、政府調査員は結城を探すだろうけど、物理的に逃げられない訳でもないのだから。
すると、俺の言葉に結城は口元を押さえて苦笑する。
「人の作ったもので真似出来ないものなんてこの世にはないさ」
「シールタトゥー?」
「そんな所かな。ただし、買い物以外には役に立たないけどね。ナノマシン自体は幾らでも手に入る。それにプログラムを書き込んで細工すれば、簡単にフェイクが出来上がる。買い物さえできれば、後は別に困る事はほとんどないからね」
つくづく恐ろしい人間だ。結城という男は俺達とは違って普通の人間の身でありながら、政府の管理化から外れて生きているのだ。どうりでただのテロリストを政府がいつまでも追い続ける訳だ。アンタレスがマザーコンピューターをシステムダウンさせただけの理由ではなかったのだ。
「君にも一つあげようか? 買い物をしても政府国庫から引き落とされるから心配ないぞ」
まるでからかうような視線で俺を見る結城。
まったく、この男、どこまで本気なのだろうか……。
結城はシルキー通りを抜け、マンションが立ち並ぶ住宅街までやってきた。
この住宅街はどの建物も外観が綺麗なものばかりで、比較的新しいもののようだ。
外から見る限り特に変わった所はなく、極普通の住宅街だ。
まさか結城はここに住んでいるのだろうか?
ありえない。
国家的犯罪者が堂々とこんな所に民間人に紛れて暮らしているなんて。普通犯罪者は、人目につかぬ場所でこっそりと潜伏するものだ。
「ここだ」
しかし、結城はとある何の変哲もない普通のマンションの中に入っていった。
まさか本当に……? いや、きっとどこかに隠し地下室の入り口でもあるのだろう。おそらくそこから―――。
だが、再度そんな俺の予想は裏切られ、結城は普通にエレベーターに乗り込んでいく。
「まさか、本当にここに……?」
「こっそり地下室にでも潜伏していると思った?」
「……」
「どうやらそのようだね。ま、僕もちゃんと自分の身分はわきまえてるさ。幾らなんでも堂々と普通の部屋になんか住みやしないよ」
結城はエレベーターのコントロールパネルの下部に手をかけて引く。すると、そこにはちょっと見ただけでは分からないように細工された蓋があり、結城はそれを剥がした。
蓋の奥からは、4×4に並んだ白いキーが現れた。
そこに指を走らせコードを打ち込む結城。するとエレベーターはゆっくり上昇を開始した。
今のは何の装置だろう? こういうものは生まれて初めて目にする。
やがてエレベーターは目的の階に到着しゆっくりと止まる。階数表示版には、EXと映し出されている。
「ここは……?」
「この建物の本当の最上階。設計図では十二階までしかないけど、実際は一階ごと設計図よりも何メートルかずつ低く作られてるんだ。そして一番上に出来た余裕を十三階とする。すると見た目は十二階建ての建物だけど、本当は十三階まであるって事になるのさ。アンタレスのアジトもこんな感じの隠し部屋だった。裏の世界ではそう珍しい物件でもないよ」
エレベーターから降りると、一面がコンクリートで作られた薄暗い廊下に出た。
廊下の左右に所々一定の間隔で小さいが光度の高い照明が付けられている。その照明は、どうやら各部屋のドアを照らしているようだ。
「ここには訳ありの人間ばかりが住んでいる。もしすれ違っても、視線を送ったり話し掛けたりしないように。お互い一切干渉しないのがここのルールだからね」
これが隠し部屋である十三階か……。
俺はまるでどこか別の世界に来てしまったかのような違和感を憶えずにはいられなかった。
薄暗い照明と陰気な空気のせいもあるだろうが、今まで人間社会の裏側なんて知識の上で浅くしか認識していなかったため、いざ実感してみてショックを受けているのだろう。
結城はすたすたと慣れた感じで歩き出す。やがて突き当たりから二番目のドアの前に立つと、ロングコートのポケットからIDカードを取り出し、ドアにつけられている読取装置を通す。それからキーに解除コードを入力。がちゃっ、と音をたててドアが開いた。
国民総背番号制度が始まる前まで使われていたという旧式のロック装置だ。現在は全てナノ・コードによる識別で行う方式になっている。知識としては知っていたが、実際に見るのもこれが初めてだ。
「入れ。ロック解除時間は十秒しかない。それを過ぎるとセキュリティが作動する」
ドアを開けて結城はそう警告する。
「過ぎたらどうなりますか?」
「少なくとも、君達は無事に帰れなくなるさ」
そう言って微かに微笑む結城。
とにかく俺達は結城の後に続いて部屋の中に入った。同時にドアが閉まり、がちゃん、とロックがかかる。
さて、とうとう結城の部屋に来てしまった訳なんだが……。
これまであんなに苦労したせいか、こんなにあっさりと結城の牙城内部に入る事が出来たので、いまいち“来たぞ”という実感が湧かない。何より、ここまで案内したのが結城自身だ。それが一番信憑性を疑う点と言える。
とにかく、一瞬たりとも気を抜いてはならない。何か企んでいるかもしれないのだから。
俺はいつでも銃を抜けるように心構えを整えておいた。
「ん? おい、オリオン」
その時、背後からアウリガが俺を呼ぶ。
「どうした?」
「こんな所にディスプレイがあるぜ。一体、何に使うんだ?」
見ると、玄関の壁に小さなディスプレイが取り付けられていた。来客者の姿をカメラで確かめるモニターホンにも見えるが、よく見ればそれとは明らかに違う事が分かる。
と――。
『マスタ〜、お帰りなさい』
突然、ディスプレイに電源が入り、同時に元気の良い声が飛び出した。
「うわっ?!」
俺達は予想もしなかったこれに驚き、揃って声を上げてしまう。
「ただいま、RR」
だが、慌てふためく俺達とは対照的に、結城はディスプレイに向かってそう話し掛けた。
『あれ? お客様? マスターがここに連れてくるなんて珍しいですね』
ディスプレイに映し出されたのは、歳は十二、三ほどの女の子だった。髪は黒く、大きく可愛らしい瞳の色も同じく黒だ。あまり見慣れない色素構成の人間だ。
「おい、結城。なんだこれ? ゲームかなんか?」
「いや、違うよ」
不思議そうに訊ねるアウリガに、結城はそう答えた。
『あ! マスター、この人達に金属反応があります! それに微かだけど硝煙反応も!』
ディスプレイの中の少女は急に表情を険しくし、そう結城に告げた。
俺は銃を、アリエスはナイフを持っている訳だから金属反応は出るだろう。それに、硝煙反応も俺が日常的に銃を撃っている訳だから、反応が出てもおかしくはない。
しかし、一体この子は何なのだろう? まるで人間そっくりのように見えるが、よく見ればCGで作られている。
まさか人格プログラム?!
いや、人格プログラムは現在の技術でもこれほどリアルに人間を再現する事は出来ない。人格プログラムは一部のサポート用のアンドロイドに用いられているぐらいだ。感情を再現するプログラムを開発できない事が、完全な人間型アンドロイドを実現するための障害の一つになっている。そして何より、現在のCG技術で、ここまでリアルに人間の表情や動作を、しかも自律的に再現する事なんて不可能なはずだ。
これは、どこか別の部屋にインターフェースを身につけた別の人間が操作しているに決まっている。それならば、このぐらいのものはあってもおかしくはない。
ん……? いや。そうだ、こいつはあの結城=ジェミニだ。こいつならば、ひょっとしたら―――。
「大丈夫だよ。この人達はシリウスの戦闘員なんだ。だから武器を携帯しているけど、何も僕に向ける訳じゃないから」
結城はそうディスプレイの少女に向かって優しく言い聞かせる。
すると、
『シリウス?! どうしてシリウスなんか連れてきたんですか、マスター!』
少女は今度は怒鳴り始めた。
「大事な話があるんだよ。だから、しばらくいい子にしているんだ、RR」
『フン!』
そう言って、プツンとディスプレイの電源が消えた。
「すまない。この子はシリウスの事が嫌いなんだ。許してやってくれ」
結城は俺達を向いて苦笑混じりにそう説明する。
「は、はあ……」
俺達は呆気に取られて、二人……と定義してよいものかどうか分からないが、結城とRRと呼ばれた少女のやり取りを見ていた。
一体あの子は何だったのだろう?