再び墓地に逆戻りする事になってしまった。
墓地の空気はどことなく湿った感じがして、あまり俺は好きにはなれない。
俺はアウリガと共に、いつ結城が現れてもいいように結城の妹の墓の前でひたすら待ち続けていた。
「ったく、またここに来るなんてなあ」
「文句を言うな。これも任務遂行のためだ」
「さすがに俺も、死人ばっかりは口説く気にはなれねえんだよなあ」
「まずは、その性癖自体を治すべきだな」
「けっ。オカタイねえ。お前さんは人生を楽しめない性格だな」
結城の妹の墓石には、昨日が命日だったため花などの供物が並んでいる。彼女は生前それだけ大勢の人に愛されていたという事の現われなのだろう。
「人生ねえ……」
俺達は培養器の中で細胞単位から造り出されてこの世に生まれた。初めから体は成人相当まで成長しており、基本的な知識、人格は脳に書き込まれた。それからはひたすら戦闘員としての訓練を受け、政府機関を相手に危険な任務を幾度となく行ってきた。まさに戦い詰の人生だ。俺達にとっての人生には、まず“政府解体”というものが最優先事項になっている。それが唯一無比の存在意義なのだ。
ふと、俺は考えた。
俺達は作られた存在ではあるが、生命に限りがない訳ではない。幸運にも何らかの外的要因で死ぬ事がなかったとしても、体はいずれ老いて朽ちていく。人を複製して作られた俺達も、辿る道は人間と全く同じなのだ。
そんな俺達が、もし、仮に死んでしまったら。遺された人達は俺達に何をするのだろうか? 俺達の死をこのように悼んでくれる者はいるだろうか?
してくれなかったからどうだって訳でもないのだが、そう俺は考えずにはいられなかった。墓地という人生の終着にいるからそんな事を考えてしまうのだろうか。
墓というものは、死んだ者のために建てるのではなく生きている者のために建てるものだ。故人を寂しがらせないように、故人に生前やってあげられなかった事をするために、そういった理由で自分をなぐさめるためのものなのだ。墓自体は、死にゆく者にとってはどうでもいいものだ。けど、生きている者にとっては、生前の故人と同等に大切なものなのだ。
それを逆手に取った、俺の人質作戦。有効ではあるのだが、そんな思いを踏みにじる最悪の方法でもある。
本当にやって良いものか……。
他に手段がない以上、これは仕方のない事なのだ。これは全て民衆を救う事に繋がっているのだ。
けど、俺はそれを理由にして自分に嘘をついているのではないのだろうか?
俺達は政府と同じ。
あの結城の言葉が、何度も頭を過ぎった。
「さあって、結城のヤツ、アリエスの書き込み見たら、絶対ここに飛んでやってくるぜ」
アリエスは今、あちこちの掲示板に結城を脅迫する内容の書き込みを行っている。
妹の墓を爆破されたくなければ、という事だ。
これを見れば、幾ら結城でも動かざるを得ないはず。
「それにしても、さすがだよな、オリオンせんせーは。まさかあんな作戦を思いつくなんてよお」
「やめろよ……俺がまるで悪人みたいじゃないか」
「素質は十分あると思うぜ。ま、いいんじゃないの? 正しい事に使ってんだし」
正しい事ねえ……。
本当にこれが正しい事なのだろうか?
嫌がる結城を無理やり引きずり出す事が本当に正しい事なのだろうか?
政府を解体するためには、結城の力はどうしても必要だ。
だけど幾ら民衆のためでも、こんな手段は……。
大勢を救うために一人を犠牲にする考え方は、俺はおかしいと思う。それは人柱と同じ考え方なのだから。
しかし、現実にはそうせざるを得ないのだ。
政府を解体するのに必要なのは、理想論ではなく物理的な力なのだから。
そう、正義とは道理に適っているか否かではなく、ある主義を力ずくでも貫き通せるかどうかなのだ。だからこそ俺達が、道理に適った主義主張を本当の正義として現状の正義に取って代えなくてはならないのだ。
「おーっす。ちゃんと見張ってる?」
と、そこにアリエスがやってきた。墓地には不似合いな明るい口調だ。いや、そうでないのは俺だけか。
「書き込みは終わったか?」
「もちろん。有名どころから無名どころ。大規模小規模アンダーグラウンドまで、結城の目につきそうな掲示板に全部書いといたわよ」
「おしおし。じゃあ、すぐにでもヤツはくるだろうな」
「どうかなあ。まだ二時間チョイよ? 目に付きそうな所には書いたけどさ、必ずしも見つけるって訳じゃないからねえ」
アリエスはベンチに腰を下ろし、モバイルを開く。
「さあて、反応はどうかなあ」
「なんか反応はあったか?」
「ちょっと待つ。あら? もうこんなにメールが来てるわ。意外と早いわねえ」
ディスプレイに映し出されたメールボックスの中身には、何件ものメールのタイトルが映っていた。いかにもそれらしいものもあれば、無記名や、露骨に嫌がらせ目的のようなものもある。
「随分な数だな。ま、チェックの方、頑張ってくれ」
「別に。これ全部見る必要はないわよ」
そう言ってアリエスはメールを一括して削除した。
「おい、なんで全部消すんだよ?!」
「あの結城が、こういう挑戦的な事されて素直にメールなんて送って来ると思う? あいつならねえ―――」
その時。
突然、ディスプレイにウィンドウが開いた。チャットプログラムが立ち上がったのである。アリエスが操作して開いたものではない。どうやら、外部からの侵入によるもののようだ。つまり、アリエスのモバイルがどこかの誰かにハッキングされたのである。
「お? 何だ何だ」
するとウィンドウには、文字列が映し出された。発言者名はただ一文字、“G”とだけ記されている。
またお前達か、シリウス?
と、明らかに俺達に向けられた発言。どうやら、もうあいつは書き込みを見つけてきたようだ。
「やっぱりねえ。ハックしてきたわ」
「結城か?」
「あの書き込みで、シリウスって分かるヤツなんて一人しかいないじゃない。それに、一応これだってそれなりにセキュリティ対策してるもん。なのに難なく侵入してきたって事は」
「結城って事か」
結城は天才的なハッカーだ。アリエスもそれなりの技術はあるのだが、さすがに結城にはかなわなかったようだ。そもそも、本職ではないアリエスにかなわない程度の人物ならば、初めからスカウトしようとしたりはしないはずだ。
「よし、アリエス。交渉を始めるぞ」
「了解」
「『結城=ジェミニ氏ですか?』」
俺の言った言葉をそのままアリエスがキーボードに指を走らせて入力する。
『そうまでして僕を引っ張り出したいのか?』
「『どうしても私達は政府を解体したいのです。そのためには貴方に協力して戴かなければなりませんので』」
『みんなのために、僕に犠牲になれというのか?』
それは俺も感じていた事だ。みんなのために、という名目で、結城に望まぬ事を強いるのだから。
しかし、俺は怯まず自分達の主張を続ける事にした。結城には結城の事情があるだろうが、俺達にも俺達の事情がある。多数決的な考え方が民主的かどうかは知らないが、今は結城一人の我侭のために大勢の民衆を犠牲には出来ない。
「『貴方には、政府のマザーコンピューターをシステムダウンまで追い込んでいただければそれでいいのです。直接的な戦闘は、我々の役目ですから』」
『直接的にせよ間接的にせよ、僕は争い事には関わりたくない』
『貴方は何も思わないのですか? 政府の理不尽なやり方に対して』」
『僕には関係のない事だ』
争い事には関わりたくない。
あの時から結城が主張し続ける言葉だ。
しかし、双方の主張の間を取る事は出来ない。それに、民衆の悲願を一個人の意見で潰すわけには行かないのだ。そのためにミスターは、こちらの申し出に従わない場合は手段を選ばなくてもいいと言ったのだ。
つまり、もはや政府の解体には形振り構っていられないのだ。
「『では、掲示板の内容通りに動かせて戴きますが』」
俺は出来るだけ態度を毅然とさせて、そう言い放った。別に口調を変えようがチャットでは伝わらないのだけど、それでも俺は、自らの心を刃のように冷たく尖らせた。素の自分のままでは、心が揺らいでしまいそうだったのだ。
『好きにすればいい』
が、しかし。
俺の発言の次に映し出された結城の発言は驚くべきものだった。
「えっ?! ちょっと、オリオン!」
「ああ、分かってる」
好きにすればいい?
それが何を意味するのか分かっているのか?
人は皆、墓というものには特別の思い入れを持っている。そんな大切な場所を、俺達は踏み躙ろうとしているのに。
何故、こうも簡単に容認するのだ? そこまでして、自分の主張を通したいのか? 妹が大切じゃないのか?
「あ!」
そうアリエスが声を上げる。見ると、“G”が退出してしまっていた。
「おい、マジか? 好きにしろって。あいつの妹なんだろ?」
信じられない、といったアウリガの表情。
「困ったな……」
実際に結城の妹の墓を爆破するような事はするつもりはない。あれはほんの脅しだ。ただ、シリウスは政府機関を相手にそういった破壊工作を日常的に行ってきているから、本当にやりかねないと思わせたかったのだ。
結城がああ言ったのは、そんなこちらの思惑を見抜いていたからなのだろうか? それとも、考えにくい事ではあるが、本当に妹の墓などどうなってもいい、と思っているのだろうか?
さて、こうなったら本当に手詰まりになってしまった。元々手段なんか選べるほどなかったのだ。こんな非人道的な手段を選んだのも、他似良い手段がなかったので仕方なくというかなし崩し的にせざるを得なかったのだ。
と、その時。
「大丈夫よ。今ので逆探知してあっちのPCのデータを色々と取ったから」
アリエスがキーを打ちながらそう言った。
「本当か?」
「ええ、モチロン。そうねえ、あと一日もあれば結城の使ったPCを割り出せるわ」
いつの間にそんな事をしていたんだろうか。
とにかく、アリエスのおかげで結城の尻尾は辛うじて握り続ける事が出来たようだ。
「でもよう、本人の持ち物じゃなかったらどうすんだ?」
「ネットカフェとかだったら、って事でしょう? でも、少なくとも目撃証言は得られるじゃない。あとはそこから地道に聞き出すだけ」
「うまくいくかねえ……」
また地道な作業になりそうだ。だが、本来人探しとはこういった地道な作業の繰り返しなのだ。
「取り敢えず、一度本部に戻るか。具体的な対策はそれからだ」
「だな」
「ええ」
と―――。
「ん?」
その時、向こう側から人の足音が聞こえてきた。それも複数だ。
「なんだ? 葬式でもあるってか?」
「それにしては、随分足取りが慌し―――?! まさか!」
足音に混じって、俺は聞きなれた音が聞こえてきた。アリエスやアウリガには分からないほど小さな音だが、聞きなれた俺には馴染みの深い音だ。
「どうかしたの?」
「激鉄を起こす音だ。もしかすると……」
直後、
「動くな!」
突然、俺達の目の前に数人の男達が飛び出してきた。
それぞれの手の中には銃が握り締められ、銃口が全てこちらを向いている。
「貴様ら、シリウスの者だな。匿名で通報があった。職務質問させてもらう。抵抗は考えない方が身のためだ」
男達が身にまとっているのは、政府関係者である事を示す、公職の制服であった。
「おい、どういう事だ?」
「結城のヤツよ……政府にタレこんだんだわ」
どうやら結城も本気でこちらを排除にかかったようだ。
しかし、俺達はソルジャーだ。こんな程度の修羅場なら数え切れないほど踏んできた。今更こんな事でわたわたするような俺達ではない。
「さって、久々にいい運動になるかねえ?」
ポキポキと不敵な笑みで指を鳴らすアウリガ。
「そうかなあ? なあんか人とか撃った事ないように見えるけど?」
アリエスがニッコリ微笑んでヒートナイフを構える。
「ま、素人には手加減しとけよ」
俺も愛用の銃を取り出し、ゆっくりと激鉄を起こした。