民間軍事組織シリウスによりマザーコンピューターを破壊された政府は、これまで支配の要となっていたナノ・コードシステムを失ったため、交戦から僅か五時間で敗北を喫した。
シリウスへ全ての支配権を譲渡する降伏宣言と、その後に続く政府首脳陣の公開処刑は、ありとあらゆるメディアを介してU−TOPIA中に放送された。
そして、これまで長きに渡り圧政を敷き続けて来た政府は解体され、ここに新たな行政組織としてシリウスが発足される。
しかし。
元々は軍事組織であったシリウスの敷く政治体制はあまりに稚拙で、気がつけば、何とか経済状態は往年を維持するものの、犯罪率は倍に跳ね上がり、検挙率はその半分にも満たぬようなありさまだった。
この原因として考えられるのは、まず―――。
PIPIPI!
突然、キーボードの隣から呼び出し音がなる。
「あら!? もしや」
ディスプレイに向かっていたアリエスは表情を綻ばせながら手元に置いていた携帯を手に取る。メールだ。
送信者の名は、“オリオン”と表記されている。
「ああん、待ってたわよ」
嬌声を上げながら携帯に口づけ、届いたメールを開く。すると、表情が見る間に満面の笑みに変わった。
打ちかけのレポートを保存してPCの電源を落とし、勢い良くイスから立ち上がる。
「OK! “すぐに行くから、待っててね♪”と」
片手で返信メールを打ちながら、もう片方の手であらかじめ用意しておいたカバンを引っ掴む。
「さ、今回も特ダネよ!」
「あ、あの……」
「何だ?」
銃を男の額に当てたまま、オリオンはそう問い返す。
男は両手を上げ、完全に降伏体勢である。表情は固く、顔色は真っ青である。
「俺、これからどうなるんスか?」
「知れた事だ。一緒に警察に行って貰う。そこで、俺はお前の身柄を引き渡し、報酬を受け取る」
現在、あまりに犯罪が増え過ぎたため、特に凶悪な犯罪者には政府が賞金をかけているのだ。それを警察機関に連れて、もしくは死体を持って行けば、かけられていた賞金が支払われるのだ。増え続ける犯罪を何とか食い止めようとした、いかにもな苦肉の策といった感じだが、俺のように無芸な人間には賞金稼ぎほどの適職はない。
目の前の男は強盗の常習犯だ。その被害件数は500件にも及ぶという、なんともふてぶてしい男である。無論、かけられた賞金額もかなりのものである。顔や名前も警察のサイトの重要賞金首リストで紹介されている。
「それは分かってるんですが……」
「じゃあ、何だ?」
「いつまでこうしているんですか?」
男の疑問はもっともだ。実はこの体勢のまま、かれこれ三十分は経つのだから。その間、ずっと腕を上げっ放しだったのだから、男もかなり疲れているだろう。
「もう少し待て。これは受け売りだが、女性は身支度一つにも余念がないから時間がかかるんだ」
「はあ……」
オリオンの言葉がいまいち理解出来ずに首をかしげる。だが、自分の命はオリオンに握られているため、仕方なくその言葉に納得したふりをしておとなしくする。
アリエスの住んでいる部屋からここまで、大体三十分ぐらいだ。メールを受け取ってから速攻で飛び出して来るはずだから、もうそろそろ帰って来るはずだ。
と。
「おーい! お待たせ!」
通りの向こうから、大声で駆け寄るアリエス。その背中には、女性が使うには少々大き過ぎるカバンを背負っている。
「やっと来たか」
「なあに? 嫌味? ま、そんな事よりも、どれどれ……わお! 本物!」
男が例の犯人である事を確認すると、アリエスは嬉々とした表情を浮かべた。
「早くしてくれ。いい加減、誰かに見つかってしまうぞ」
「せっかちねえ。少しくらい待ちなさいよ」
そう言ってアリエスはカバンを下ろし、中から物々しいデジタルカメラを取り出す。アリエスが自らカスタマイズしたオリジナルのカメラだ。
「……なんだそれは? 前より凄くなってないか?」
「ちょっと性能アップさせたの。前のより解像度が40%アップしてるわよ」
メモリスティックを差し込み、レンズを覗いてピントを手動で合わせる。
「もっと軽くて使いやすいやつがあるだろうが」
「分かってないわねえ。一流のジャーナリストは、映像一つにもこだわるのよ。いい映像を撮るには、まずは機材から」
「ジャーナリストねえ……」
ジャーナリストって、こういう職業だったけ?
アリエスと顔を合わせるたび、そんな疑問が頭を過ぎる。
「はいはい。じゃ、早速始めようか」
そうして撮影が始まった。
「じゃあ、あなた。ちょっと向こうに走ってみてくれる? で、オリオンは後から撃つ」
「撃つ!?」
男の表情が青ざめる。
これまで散々と大胆な強盗を繰り返してきたにも拘わらず、いざ自分の身が危なくなると卑屈になってしまう、なんとも気弱なヤツだ。
「威嚇よ、威嚇。こいつ腕はいいから信じなさい。あなたも、こんな突っ立った状態で捕まっても格好悪いだけでしょう? 私の言う通りにしていれば、ドラマチックに演出してあげるから。おっと、少し服は汚れていた方が雰囲気出るわね」
そう言って、アリエスは路面の埃を掬い取って男の服に擦りつける。
「お前さ、映画監督の方が向いてないか……?」
やれやれ、と仕方なく俺は銃を離し、メイクの終わった男に向かって“走れ”と銃で追い払う仕草をする。
撮影を終えるなり、アリエスはとっとと自宅に戻ってしまった。目的のものが手に入れば、なんとも素っ気無いものである。感謝の言葉だって、大抵はメールだ。電話も貰ったためしがない。忙しいのは分かるが、もう少し協力者の俺に感謝の意を見せて欲しいものである。
俺は撮影の終えた犯人を適当に黙らせ、警察の換金所に引き渡して賞金を受け取った。
通常、賞金を受け取るには犯人の生死は問わず、犯人を確かに仕留めた証拠さえ持っていけばいいのだ。
とは言っても、俺は基本的には殺しはしない。無駄に殺すよりも、檻の中で自らの過ちを悔いてもらった方がいい。
だが、俺のような賞金稼ぎは、実の所あんまり推奨されない。何故なら、現在あまりに犯罪者が多くて刑務所が足りないのだ。警察にとっては、撃ち殺してもらった方が助かるという訳である。無論、そんなのは知った事ではない。
賞金を受け取り、俺は屋台街へ。ここにはアウリガの出している屋台があるのだ。
あれから一年。随分と色々な事があったが、アリエスもアウリガも自分のやりたかった事を実現させている。俺はまだ、何となく日々を過ごしている宙ぶらりんな生活だ。特に打ち込めるものもなく、また、夢がどうこうというのもいまいちピンとこない。強いて言えば、打ち込めるものを探す事に打ち込んでいるような感じだ。
屋台街の一角に、アウリガの屋台はあった。
初めは八人ほどしか座れない小さな屋台だったが、今では屋台の周りにもテーブルを並べ、ラッシュ時にはそこも埋め尽くされるほどまでに発展している。そろそろ、またテーブルを増やさなくてはならないような事を言っていた。
俺は並んでいるテーブルの中心にある屋台の暖簾をくぐった。
屋台の中には、何やら準備をしているアウリガの姿があった。夕暮れのラッシュに備えているのだろう。
「よう、オリオンじゃねえ。久しぶりだな」
「景気はどうだ? 入りはまあまあらしいが」
そう言って席に腰を降ろす。
「トントンってとこさ。ま、地道にやってくさ。今日は仕事か?」
「ああ。例の如く、アリエスに引き回されてな」
「へえ。ご苦労なこった。何か飲むか?」
「温かいものがいい。そうそう、アリエスは一時間ほど前に部屋に戻ったから、そろそろ配信される頃だ」
と、その時。
アウリガの後の棚の上に設置されていた大型ディスプレイから、一際ビートの早い音楽が流れる。
「ほら、始まった」
そのままお馴染みの派手なエフェクトと共に“ARIES.net”のテロップ。
これが、アリエスが運営するサイトが定期的に配信するニュース番組だ。初めはサイトとメールマガジンでニュースを配信するだけだったが、サイトのある“売り”が非常にウケたため、サイトの知名度と人気は瞬く間に上り調子になり、遂にはスポンサーが何社かつき、今のような中堅どころの規模の映像配信サイトに発展してしまった。
現在、サイト自体の管理は管理会社に任せているが、メインだけは相変わらず一人で編集している。なんでも、自分のサイトのメインコンテンツである“売り”だけは、自分がやらなければ気が済まないそうだ。
「“被害件数500件! 凶悪強盗犯、遂に捕まる!”か。これ、お前か?」
「ああ。ついさっき、警察に引き渡して賞金も貰った」
そして、いよいよメインとなるシーンだ。
『こんなところで捕まってたまるかよぉ!』
あの男が引きつった表情をしながらも、まるで何かに追われるように背を向けて走り出す。
『待て! 止まらなきゃ撃つぞ!』
そして登場したのは、不自然なほど徹底的にモザイクがかけられている俺の姿。声も変調され男か女か分からない。
俺が協力の条件としたのは、俺の姿が絶対に分からないように編集してもらう事だった。俺はあまり目立つ事は好きではない。これを見た視聴者に、街中で指を差されるのも嫌なのだ。
『う、撃ってみろい!』
震えた声で強気な言葉を叫ぶ。完全に喋らされているセリフだ。心の中では逆の事を思っている事だろう。
そして、銃声。
銃は男の履いている革靴の踵に命中する。男はバランスを失って転倒。そこへモザイクの俺がすかさず駆け寄り―――。
はあ……。
これが、このサイトの“売り”だ。毎回、凶悪犯を捕獲する瞬間の映像を配信するのである。そして、犯人を捕獲するのは、そのほとんどが俺だ。アリエスが選んだターゲットの情報を元に、俺が犯人を探し出す。いよいよ追い詰めると、今度はアリエスに連絡し、ああやって確保の瞬間を撮影するのだ。
「このシナリオに演出、やっぱアリエスの趣味か?」
「ああ……」
溜息混じりに答えて、微苦笑。
視聴者を意識して、ある程度魅せる映像を製作するのはメディアとして当然の事だ。しかし、事の真相を知っている俺にしては、気恥ずかしくて正視し難いのである。
「さてと」
しばらくアウリガと雑談した後、俺はゆっくり席を立った。
「ん? もう行くのか?」
「ああ、ちょっと用事があるからな」
すると、アウリガは意味有り気な笑みを向ける。
「女か?」
「いや、そうじゃない。今日は約束の日だからな」
「約束?」
はて、と首をかしげて、しばし熟考。
やがてそれが何の事なのか気づいたアウリガは、ハッと表情を変える。
「いけね、忘れてた! だったら俺も」
「でも、お前は店が忙しいだろ? 暇な時でもいいさ。それに、約束したのは俺だからな」
そうか、とすまなそうな表情を浮かべるアウリガ。
「じゃあ頼むわ。そうそう、あんまケチらないで沢山持っていってやれよ。女のために使う金にはな、躊躇してはいかんのだ」
「分かってるさ」
苦笑しながら屋台を後にする。
屋台街を抜け、足を商店街の方へ運ぶ。
さて。
ようやく二つ目の約束を果たす日が来た。
あれから、もう一年が経過しようとしているのか。
あの時俺は、アリエスとアウリガと共に、シリウスのセカンドから一個の人間であるオリオンとなった。
結城のくれた自由は楽しくもあり、過酷でもあった。
しかし、一日足りとも退屈な日はなかった。毎日が新しい発見の連続で、自由な生活というものに恐る恐るではあったが、ぶつかり、そして見えるもの見えないもの、実に沢山のものを手に入れた。
けど、この幸せは、全て結城のおかげなのだ。だから俺達三人は、一生彼に感謝の気持ちを忘れはしないだろう。
やがて、俺は一軒の小さなフラワーショップに入った。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
愛想良く朗らかに俺を出迎える店員。
そして俺は、すかさずこう答えた。
「アネモネという花が欲しいのですが」
END