可能な限り気配をひそめ、アウリガが裏口に立つ警備員に忍び寄る。
周囲の空気と一体化し、自分の存在そのものを虚ろな状態にする暗行の技。アウリガの得意とするそれは、少なくとも人間の感覚では捉えられるものではない。
「ヒュッ!」
間合いに入った瞬間、アウリガはまるで閃光のような動作で飛び出す。
そして、鳩尾を一撃。
警備員は声をあげる間もなく、衝撃のあまり横隔膜が痙攣しているため声が出せず、口から空気を漏らしながら前のめりに崩れ落ちた。
気絶した事を確認し、アウリガが隠れていた俺達に向かって手招きする。
油断なく周囲に警戒網を敷く。不審な物音や気配に細心の注意を払う。もっとも、相手にしてみれば俺達の方が不審な人物なのだが。
さて、邪魔者は消えた。早速中に入ろう。
と、裏口のドアを見ると、そこには電子錠の姿があった。
「アウリガ、そいつはIDカードか何か持っていないか?」
すぐさまアウリガがたった今倒した警備員の懐やポケットを探る。だが、すぐに肩をすくめるジェスチャーを返した。
「いや、ねえぜ。通信機みたいのがあったが、受信専用だ」
「なるほど。どうやら、おそらく内部の管制室からしか開錠できない仕組みになっているようだね」
この通信機は、向こうからの連絡用のものだろう。少なくとも、この警備員に成りすましてドアを開けるように指示する事は出来ないようだ。
「じゃあ、どうするんだ? ブチ破るか?」
物理的にはできなくもない。アリエスのヒートナイフを使って焼き切ればいいのだ。
「それではセキュリティが反応してしまう。ま、ここは僕が何とかしよう」
と、結城は警備員の持っていた受信機を手に取る。それにペンライトを当てながら、念入りに観察する。
「どうする気だ?」
「よし。このタイプの受信機は、常に送信元と同期状態になっているヤツだ。暗号化した信号に即座に対応させるためにね。だから、その同期信号を辿ってセキュリティに侵入する」
結城は通信機を手早く分解し、中の基盤と自分のモバイルをコードで繋ぐ。
「さて、侵入開始だ」
結城の指が滑るようにキーボードの上を走る。薄暗いここでは、俺の目にはほとんど結城の指の動きは捉えられない。
ディスプレイに、無数の記号と数字が流れていく。それらが一体なんなのかは、俺にはまったく見当がつかない。
「設定解除。指揮権を奪取。よし、ロックを解除するよ」
カチャン、と音を立ててロックが外れる。そのあまりのあっけなさに、俺達は唖然と電子錠を見やる。
「え、もう?」
「ざっとこんなものさ。さ、行こうか」
結城はさも当然のような涼しい表情をしている。
今考えてみれば、もし、この場に結城がいなければ、既に俺達はこの時点で躓いていただろう。
俺達はそっとドアを開けて内部に侵入する。
内部には更に大勢の警備員がいる事が考えられる。俺達の進入は知らないとはいえ、気づかれれば即座に政府の方へ連絡が行く。
「監視カメラとかはどうなんだ?」
「同じ映像をループするように設定している。センサーの類は全てオフにし、ダミーデータを返すようにした」
つまり、俺達が警戒するのは人間だけであり、そういった機器類には注意を払う必要はないのだ。
それにしても、あの短時間でそこまでするとは。ここのセキュリティを完全に掌握してしまっている。
頭の中に、資料で見たエレベーターポイント内部の地図を思い描く。まずは、管制室を目指す。そこを占拠し、後詰部隊がアッパーエリアに向かう足がかりを残していくのだ。
現在、この“U−TOPIA”は、四階層に分かれている。
まず、一番上のDエリア。今もなお、地上は放射能汚染が激しく、必然的にこのエリアも生身ではまず入る事はない。主に、地上の状態を観察するのが目的だ。
そして二番目のアッパーエリア。ここは言うまでもなく、政府高官や国会議事堂といった、政府という組織の中核を成すものがあるエリアだ。通常、ここには政府の承認を受けた者しか来る事が出来ない。
三番目のアンダーエリアは、俺達を含む一般人の住むエリアだ。政府の完璧なまでの支配下に置かれており、逆らえば、即、死という拘束された世界だ。
最後に、最下層のZエリア。ここは、鉱石等の発掘、及び新住居区の開発が行われているエリアだ。未開発なアンダーエリアと表現するのが一番近いだろう。
エレベーターポイントとは、アンダーエリアとアッパーエリアを繋ぐ唯一の拠点である。各地に点在しているが、どれもセキュリティは一般に厳しいとされている。だが、それを掻い潜れば、アッパーエリアはすぐ目の前なのだ。
「オリオン、管制室はどこにあんだよ?」
「お前、資料を読んでなかったのか?」
「どうせお前が憶えてくれると思って」
「このアホが……」
とにかく、今はそんな事を論じている場合ではない。少しでも早く管制室を占拠しなければならないのだから。
廊下を音を立てずに駆けて行く。
時折警備員と出くわすが、必ず一人で巡回しているため、黙らせるには数秒もあれば十分である。
「この先だ」
管制室の間近までやってきた。
潜入から六分が経過している。時間的には予定通りだ。だが、まだこの先は何があるのか分からない。気を抜くには早過ぎる。常に考えうる最悪の情況を想定して動け、と俺達は教育されてきた。だからこそ、不測の事態が起こっても、大抵はすぐに対処出来るのだ。この心構え一つでも、大分変わるのである。
「よし、ここだ」
管制室のドアの正面までやってきた。
周囲に警戒網を張り巡らせてみるが、警備員の気配は感じられない。人の気配は、この中から感じられる。
「んじゃ、行きますか」
「1、2の3でね」
アウリガがオプションポケットからスタングレネードを取り出す。
これは手榴弾の一種だが、爆発する代わりに激しい光と音を発する。これを浴びた人間は、少なくとも十秒間はまったく身動きが取れない状態に陥ってしまうのである。
たった十秒、と思うかもしれないが、俺達にとっての十秒とは、もはやこれ以上にない最高の数字なのである。これだけあれば、三人でも30人は戦闘不能に出来る。
「よし、行くぞ」
俺はゆっくりとドアに手をかけた。