「あら、お帰り」
第十三会議室に戻ると、そこではアリエスが端末のディスプレイに向かって黙々と作業を進めていた。
アンダーグラウンドには一筋縄ではいかない人間達がひしめいている。無論、ただ情報提供を求めた所でその大半がガセネタである訳だし、その中から本物の情報を見極めるのは生半可な作業ではない。
「何か分かった?」
「ああ。大きな収穫があった」
「なに、ソレ?」
「結城が掴まえられそうって事さ。あいつが出没しそうな場所を見つけたんだ」
「ふ〜ん」
かなり重大な情報なのに、アリエスはディスプレイに向かったまま、さして驚きもせずそう答える。意識がディスプレイの方に行っているため、俺の言った事をよく理解していないのだ。
と、その時。ポ〜ン、と電子音が鳴った。
「あ! 来た来た来た!」
途端にアリエスの声が色めき立つ。
「何が来たんだ?」
「メールよ、メール!」
アリエスは素早い指さばきでキーを叩きメールボックスを開く。今到着したメールを選択し、送付ファイルを開く。
そしてディスプレイに表示されたのは、一人の青年の写真だった。丁度街の角を曲がる瞬間を隠し撮りで収めたものだ。横顔ではあったが、戸籍データにあった結城の顔写真と顔立ちが似通っている。ほぼ本人と思って間違いないだろう。
だがそれは、単なる見た目だけの問題だ。そっくりな写真だったら幾らだって合成できる。その気になれば、いもしない自分の子供や孫の顔まで、年齢を指定した上で自在に合成できるのだから。
「さてさて、これを解析にかけてっと。今度こそ頼むわよ〜」
アリエスは自作のソフトを立ち上げて写真を調べ始める。これまで何通も送られてきたであろう偽の合成写真を見破ってきた独自の判別ソフトだ。
「こいつ誰だ?」
「よく見ろよ。結城だ。戸籍データの写真が五つほど歳を取ればこんな感じになるだろ」
「おお?! 言われて見りゃあそうだ!」
アリエスは結城の現在の姿の写真を探していたが、この様子だとどうやらニセモノばかり掴まされていたようだ。賞金までかければ、おそらく夥しい数の投稿があっただろう。それを一つ一つ、いちいち解析したのだからかなり大変な作業だっただろう。
「出たわ! よっしOK! 編集加工なし! 100%本物よ、これ! ああ、もう! ようやく巡り会えた!」
大げさにディスプレイを抱きしめるアリエス。
「で、誰だ? 提供者は?」
「ううん、匿名。メールも無料サービスのヤツだし。内容もほら、告知を見ました、と口座番号しか書いてない」
「なんだ。こいつだったら、写真と言わずに潜伏場所まで教えてくれたかもしれなくないか?」
「写真が本物だからって、ちゃんとした情報くれるって限らないわよ。それに、ガセネタとの違いを見つけるのって、こればかりはソフトじゃ無理よ。あなた達が一軒ずつ回ってくれるなら別だけど」
「じゃあ、初めから潜伏場所を募集しても駄目か?」
「駄目駄目。同じよ。最悪、サイト自体をクラックされちゃうもの。たとえば本人とかに」
確かに、政府に追われる身である自分の潜伏場所の情報提供を求めるようなサイトを見つけたら、さすがに結城もクラックせざるを得ないだろう。
「まあ、とにかく。一応の材料は揃ったな。これがあれば顔での判別もできるしな。んじゃ、後は見張るだけか」
「見張る? 何ソレ?」
「だから、結城が来るのを見張るんだ」
「どこで? いつ? 大体、あんた達、今日は何か使える情報拾ってきたワケ?」
「ったく、人の話を何にも聞いちゃいねえなあ……」
まったく、ホントに不気味だよな……。
夜の墓地というものは、あまり居心地のいいものではない。死んでいる人間よりも、実害がある分、生きている人間の方が怖い。しかし、自然の摂理に反して蘇ってくる死者というものも、あまり小気味良いものではない。いやそもそも、俺は幽霊だのそんなもの自体信じていないのだ。けれども、この空気は不気味な事に変わりはないのだ。
俺は闇に紛れて気配を消しながら、警戒網を敷きながらもちらちらと周囲に注意を向ける。特に気配はない。
昨日一日張り込んでみたものの、結城らしき人物は現れなかった。張り込みは続行、そのまま夜を徹し、日付も変わった。だが、依然として結城は現れない。
時計のライトボタンを押し、時刻を見る。
AM2:34。
あとニ、三時間もすれば夜も明ける。
予想はしていたが、張り込みはかなりキツイものだ。まだ一日目。結城が来るまで、後二日、正確に言えば約46時間もここに居なくてはならない。その間は迂闊な動きは取れない。
念のため命日の前後も張る事にしていたが、やはり命日が一番結城の現れる可能性が高い。死者に対して時間を厳守する必要はないのだが、生きている人間というものは、親しい人間が死んでもあたかも生きているように扱うものだ。一日でも遅れれば、故人が寂しがるかもしれない。結城はそう考えるはずだ。それで、命日当日中に現れる可能性が一番高いと俺は踏んでいるのだ。
しかし、まるでこれでは犯人を追っているみたいだ。確かに結城は犯罪者ではあるけど、アンタレスの人間は皆、民衆にとっては英雄的な存在だ。自分達の敵である政府に立ち向かい、しかもあれだけの戦果をあげたからである。とは言っても、自分達の叛意を遠回しに示すために祭り上げられた感は否めないが。
張り込みというものは、とにかくする事がない。相手に感づかれないためにも辺りの風景に自然に溶け込まなくてはいけないのだが、その状態を維持するのは並大抵の精神力ではない。ムガノキョウチとかムイシゼンとか、そんな難しい言葉のあれだ。
と―――。
俺が周囲に張り巡らせていた警戒網に何者かの反応。
来たか?!
俺は内ポケットの中の銃を確認し、注意をその何者かに向ける。
こんな時間に墓地に来る人間なんて限られているが、かと言って必ずしも結城であるとは限らない。昨夜、丁度今から四時間ほど事だが、裏業界の闇取引が行われたりした。墓地には必ずしも故人との会合を求めて来る訳ではないのだ。
足音は一定の間隔を保たずにこちらに近づいてくる。その足取りは極めて普通のものだ。どうやら、何か特殊なスキルを身に付けているような人種ではないようだ。アリエスは普通にしていても足音は全く立たず、アウリガは常に一定の間隔を保って歩いている。
やがて足音がゆっくりと止まる。
結城の妹の墓石の前だ。
今度こそビンゴだな……。
こんな時間にこっそりとこの場所にやってくるという事は。どうやら結城本人のようだ。
いや、決定するにはまだ早い。まずは顔を確かめなければ。
俺はゆっくりその気配の元へ近づく。
と。
気配が俺に感づき、素早く振り返る。
そのまま一挙動でコートの中から銃を取り出して俺に構える。暗闇ではあったが、音だけでも俺は十分に分かる。
流れるような一連の動作。訓練されているとは言えなかったが、一般人にしては手馴れた動作だ。ただの一般人ではない事は明白だ。
「驚かせてすみません。私は政府の関係者ではありませんので御安心下さい」
俺は暗闇の中の人物に向かって、刺激しないようにそう穏やかに話し掛けた。
だがしかし、暗闇の中の人物は銃を構えたまま降ろさない。
「失礼ですが、ジェミニ=結城さんでしょうか?」
「人にものを訊ねる時は、まずは自分から名乗るものだ」
敵意を丸出しにした口調。俺は命日という大切な時間に無粋にも入り込んだのだ。無理もないだろう。
「私は訳あって名乗る事が出来ません。ですが、私はシリウスの人間です」
俺達人工生命体の存在は、シリウスの最高機密なのだ。たとえ名前であろうとも俺個人の判断で話す事は出来ない。それは即情報漏洩に繋がるのだから。
「……君は、僕に何の用だ?」
その返事は、自分がジェミニ=結城である事を認める事と同じだ。
この人物がアンタレスの凄腕のハッカー、ジェミニ=結城本人なのか。
ようやく掴まった。ホッと胸を撫で下ろす。
が、まだ安心するには早い。まだ俺は本題を切り出していない。まずはそれについての交渉を始めなければ。
「シリウスの事はご存知でしょう。今もなお圧政を敷き、ナノ・コードのような非人道的な政策を執り行う政府。それを解体するために発足された民間軍事団体です。今回は、我がシリウスに結城氏のお力添えを是非戴きたくて、真に不躾ですがこうして参上しました」
「シリウス……。ふん、熱に浮かされた盲信の集団か」
まるで汚いものを吐くかのような、不快感を露にした口調。
「突然の事で御気を悪くされたでしょうが、我々はどうしても政府を解体し、住みよい真の意味でのU−TOPIAを築き上げたいのです。それは結城氏も同じではないのですか? あなたはかつてアンタレスにおいて多大な功績を残すも、今は志半ばでかのような不本意な境遇に甘んじています。今一度、我々と共に戦ってはいただけませんか? 我々にはあなたの力が必要なのです」
「真のU−TOPIA、か……。確かに、今の世の中は腐ってる。DEATH−TOPIAと皮肉られるほどだからね。それを住みよく改革するのは、国民にとっても喜ばしい事かもしれない。だけど僕は、五年前、そんな大層な目的のためにアンタレスに入り、戦った訳じゃない。それに、今となっては戦う理由も失ってしまった」
暗闇の中で結城は溜息をつくかのように一呼吸置く。そして、
「悪いが断る」