「んだよ、結城! 今更、何だ!?」
「まあ、落ち着け」
モバイルのディスプレイに視線を落としたまま、結城はそう冷静に言う。
彼の腕にも同じ通信機、いや、準反物質爆弾が取り付けられているというのにも拘わらず、相変わらず落ち着き払った物腰である。正直俺自身も、今すぐにでもアウリガのように叫びたかった。そうしなければ自らの理性が保てそうになかったのである。
「このまま死ぬのは御免だからな! アリエス、ヒートナイフを貸せ! 俺は腕をぶった切ってでも生きてやる!」
アウリガの目は怒りのあまりいつになく殺気立っていた。言っている事はかなり無茶苦茶だが、それでも本当にやりかねない凄みを感じさせている。
無理もない。
何より信頼していたシリウスに裏切られ、そして今、使い捨ての道具同然に捨てられたのだから。
そう、左腕に政府のナノ・コードと同じようなものをつけられて。
と―――。
「やめろ。その覚悟は立派だが、そこまでしなくとも、これは外してやれる」
その一言が、恐慌色に染まりかけたアウリガを瞬時に黙らせる。
「おい……マジか?」
「本当ですか……?」
思わずアウリガと共にそう訊ね、そして顔を見合わせる。
「ああ」
結城は僅かに微笑み、なにやら通信コードのようなものを取り出す。あまり見た事のない規格だ。オリジナル品か、もしくはアンダーグラウンドの品だろう。
それをモバイルに差し込み、そして反対側を左腕の通信機と繋ぎ合わせる。
「RR、もう出来たかい?」
リターンキーを二度打つ。すると、ディスプレイに最大化されたウィンドウが開いた。
『は〜い。コンパイルしました。いつでも使えますよ』
すぐさま、この緊迫した空気には不似合いな明るく朗らかな声が返ってくる。画面上には、可愛らしい少女の姿が映し出されている。
「では始めてくれ」
『了解。プログラムスタート!』
ウィンドウからRRの姿が消え、代わりに膨大な数の数字と記号の羅列が流れる。
カタカタと鳴り響くハードディスクの音を十秒ほど聞いていると、程なくして通信機が音を立てて外れた。
「おお! スゲエ!」
満面の笑みと驚きの入り混じった顔で感嘆の声を上げるアウリガ。
「さあ、早く。爆発まで時間がない」
続いて、アウリガの通信機がコードと繋げられる。同じように十数秒で通信機が外れる。
「ケッ! これで自由の身だ!」
アウリガは通信機をシステムの方へ叩きつける。
「お、おい! 乱暴に扱うな! 爆発したらどうするんだ!」
「こんなもんじゃ爆発しねえって。そんな簡単に爆発するようなモンをつけたままじゃ、戦闘になった時に爆発しちまうだろ?」
確かに理屈は通っているのだが……。
やはり、強力な爆弾を叩きつけるなんて、とても俺には出来ない。
間もなく、アリエス、そして俺と次々に通信機が外される。
ミスター、いや、俺のオリジナル体は、あと十分ほどで爆発すると言っていた。そう時間を限定したという事は、おそらく爆弾は時限式だろう。取り外しにかかった時間を差し引くと、もはや一分足りとも無駄には出来ない事態である。
「よし、急いで逃げるぞ! せっかく命拾いしたのに、爆発に巻き込まれたら元も子もねえ!」
「でも、どこから逃げるの? ここに来る時の通路は、全部隔壁が下ろされちゃってるわよ」
「じゃあ、結城。システムに侵入して隔壁を上げろ」
「いや、それは無理だ。緊急モードに入っているため、システムがロックされている。解除するには、まずアクセス権を得る所から始めなければならないから少々時間がかかる。それに、せっかく上げても、避難の時間がなくては本末転倒だ」
「おいおいどうするんだよ!? 逃げられないんじゃ、せっかく外しても意味ねえぞ!?」
だが、相変わらず落ち着き払った態度で結城は悠然と立ち上がり、部屋の奥を指差す。
「大丈夫だ。向こうに緊急用のエレベーターがある。それに乗り込めば脱出できる。今、RRにロックを外させている。少々複雑だが、そろそろ外れる頃だ」
と。
『マスター、外れたよ! 早く行こう!』
思わず歓声を上げたくなるような衝動に駆られる、RRの声。
「よっしゃ! お前、なんか小生意気でいけ好かなかったが、今ほど可愛らしく見えた事はねえぜ」
『ふーんだ』
にやりと笑うアウリガに対し、RRはディスプレイの中でフンとそっぽを向く。
「よし、みんな行くぜ!」
アウリガは結城に肩を貸し、部屋の奥の袋小路へ向かう。俺達も遅れずにその後を追う。
そこには“E,D”と書かれたプレートがかけられたドアがあった。
「今、開ける」
結城はドアに近づき、ドアに付けられた認証パネルに指を走らせる。すると、難なくドアは左へスライドして開いた。
開かれたドアの向こう側には、細い白の廊下が伸びている。その先にはエレベーターの搭乗口がある。緊急脱出用のエレベーターだ。おそらくこの建物の一階、もしくは外のどこかに続いているものだろう。
「あれね。さ、急ぎましょう」
「ああ」
あまり時間も残されていない。エレベーターに乗れたとしても、到着前に爆発しシステムがダウンすれば、エレベーターはセーフティモードに入って緊急停止し、逆に閉じ込められて危機的状況に陥ってしまう。
すぐさま搭乗口に向かう。
と、その時。
「オリオン」
俺は結城に呼び止められる。
どうしたんだ、こんな時に?
焦る気持ちを押さえつつ、俺は振り返る。
「悪いが、一つ頼まれてくれないだろうか?」
「え? なんですか? こんな時に―――」
すると突然、結城は無言で俺を突き飛ばしながら自らのモバイルを押し付けた。
あまりに不意の事だったので、モバイルを落とさぬようにしっかりと持ったまま、よたよたと後退しながらもなんとかバランスを取り直す。
だがその直後、目の前でドアが閉まった。
ドアをくぐったのは、アウリガとアリエスと俺。閉まったドアの向こう側にはまだ結城がいる。
「な、ちょっと待って下さい! どういう事ですか!?」
『マスター!? どうしたんですか!?』
モバイルからRRの声が聞こえる。この事態に気づいたのだろう。
するとその時、襟元にかすかに振動が起こる。襟元に付けられている小型通信機に通信が入った合図だ。
すぐさま襟元を押して通信を開く。
『聞こえるかい?』
通信機から聞こえたその声は、結城だった。
「これはどういう事なんですか!? 早く脱出しなければいけませんのに!」
『悪いが、脱出は君達だけでやってくれ。僕はもう駄目だ』
「駄目って……?」
ドアの向こう側に残った結城の言葉に俺は愕然とする。
駄目。
それは諦めの言葉だ。
『足が動かないんだ。もう冷たくなってる。エレベーターの先もアッパーエリア内だ。まだ安心出来る場所じゃない。おそらくすぐに政府とシリウスとの戦場になる。このままじゃ、必ず君達の足手まといになる』
「ふざけんなよ! テメエを残して行けるか! 俺が背負ってでも連れてってやる! だからドアを開けろ!」
ガン、とドアを蹴るアウリガ。しかし、特殊合金で作られたドアはその程度では破れない。
『その気持ちだけで十分さ。それにね、僕はもう、生きる事に疲れてしまったんだよ。何の目的もなく、感慨もなく、ただ日々を消化する事にね』
淡々と話し始める結城。
俺はぎゅっと唇を結ぶ。アリエスは目を伏せ、アウリガはぎりぎりと奥歯を噛み締めている。
かつてアンタレスの一員として政府に抵抗した結城。今ではまるで英雄のような扱いを受けている彼らだが、それはあくまで表面的なものだ。その実には、俺達も知らない内面的な苦労があっても不思議ではない。特に、生き残りである結城のそれは、俺達には想像もつかないものであるだろう。
『君達はこれで自由だ。シリウスの呪縛にも囚われる事はない。これからは思い思いの人生を歩む事が出来る』
「まさか、あなたは初めからこれを……?」
『そういう事だ。言っただろ? 君達を助けたいって。前にシリウスのデータベースを見た時には、既にこうなる事は予定されていたのさ。君達が単なるシリウスの道具ならば、僕も見向きもしなかった。けど、君達は違った。生まれた場所こそ培養液の中だが、立派な人間だよ』
人間。
俺達は生まれながらにして戦う事を義務付けられ、そして使い捨てられる運命だった生命体だ。
人からではなく培養液から生まれた存在。
そんな俺達を、あなたは人間と言ってくれるのですか……?
胸の中に、なんともいえない深い感慨が満ち渡る。
『マスター! 嫌! 嫌! ちゃんと帰ってくるって約束したじゃない!』
モバイルからRRの悲痛な叫びが聞こえる。
俺は思わずモバイルを開いた。開いた所で結城の姿が見える訳ではないのだけれど。
RRは、ディスプレイの中で泣いていた。
そう、まるで人間のように。
『最後に、二つほどお願いがあるんだが、聞いてくれないか?』
「何です?」
『そのモバイルに、“R”というプログラムがあるだろう? それを立ち上げてくれないか?』
言われた通り、デスクトップの中からそれらしいアイコンを探し出す。
あった。
ダブルクリックしてスタート。
と―――。
『え!? 何!?』
突然、RRは何か異変に気づき狼狽し始めた。
『きゃあっ!?』
画面がぶれたかと思うと、ウィンドウが閉じRRの姿が消えた。
「こ、これは!?」
『驚かなくていい。単なるパラメーターを初期化するプログラムさ。RRも、いい加減僕の呪縛から解き放たれなくちゃいけないからね。次に目覚めた時は、これまでの出来事は何もかも忘れて、自分で決めた自分の人生を歩んでくれる。運が良ければ、また逢えると思うよ』
あまりに優しい結城の口調。
それにつられたせいか、俺は自らの目頭が熱くなるような気がした。
結城を失いたくない。
俺はそう強く思った。
けれど、
『もう時間がない。早くエレベーターへ』
そう宣告する結城。
そうだ。それは無理なのだ。結城はもうここに残る決心を固めてしまったのだから。
「駄目だ! やっぱりお前も連れて行く! お前が出てくるまで、俺はここを動かねえ!」
アウリガは扉の前に座り込んだ。
意地でもその場から離れないつもりだ。
『まいったな……そうなると、僕がこれまでやってきた事が無駄足になってしまう』
「だったら出て来いよ! ほら! 時間がねえんだろ!?」
『僕を連れてでは無理さ。それに、そのエレベーターは小型でね。定員は三人なんだ』
三人……?
そうなれば、必然的に俺達の中で一人が残らなくてはならなくなる。その一人に、結城は自ら望んだと言うのだろうか?
定員、という言葉が重く絶望的に頭に圧し掛かる。
「行くぞ……」
俺はアウリガの肩を掴んだ。
その刹那、アウリガは頭をもたれたままゆっくりと立ち上がり。
「ちくしょう!」
そして、俺の腕を振り払って搭乗口へ駆けて行った。
「オリオン、私達も」
「ああ……」
アリエスと連れ立って、俺達も搭乗口へ向かう。
『それと、もう一つのお願いだ』
「なんでしょう? 出来る限りの事はします」
走りながら、襟元の通信機に向かってそう答える。
『僕の妹の墓は憶えているよね? 出来れば命日の日にアネモネを供えてもらいたいんだ。あいつが好きだったんだ』
アネモネの花、か。
俺はあまり花の事は知らないが、それは花屋の店員に聞けばすぐ分かる事だ。
結城には確か、かつて病床の妹がいたんだったけ。
もしかして結城はそのために?
いや、これは要らぬ詮索だ……。
「分かりました。必ず」
『ありがとう。じゃあ、さよならだ。元気で』
「あなたも」
そして、ブツッと音を立てて通信が途絶えた。おそらく通信機を結城が握り潰したのだろう。
俺達は必ずここから生きて脱出してみせる。
それが、結城に対する最大の感謝だ。
目元を僅かに濡らす水滴。
けれど、今はそれを拭っている暇もない。