そして、当日。
本日AM0:00に、俺達は第18エレベーターポイントに潜入する。
開始時刻まで、後、二時間。
俺は自室で仕度を整えていた。
作戦には万全の準備で望まなくてはならない。俺は何度も自分の持ち物をチェックする。用心し過ぎるという事はない。
服を脱ぎ、隠密用の特殊スーツを手に取る。上下二組で構成された、潜入用に適したスーツである。
色は黒だが半光化学迷彩処理が施されており、光の屈折率をある程度まで下げて人の目に映りにくくなる。他にも電波を吸収する機能、至近距離からの45口径の銃撃にも耐えられるだけの衝撃吸収力、体温を漏らさず温感センサーにかかりにくくする能力、など様々な隠密機能があるのだ。
上下のスーツを装着し、胸と尻のオプションポケットの中身を確認する。
特殊ポリカーボネイト製のナイフ、携帯型照明、小型ナイトスコープ。他にも幾つか潜入ツールが入っている。
最後に、得物である銃を手に取る。
長年使った五連装から六連装に変えたが、もう完璧に慣らして自分のものにした。問題はない。
昨晩、一度分解して完全にメンテナンスを行った。リボルバー式は基本的に暴発の可能性が低い。これは一度に六発までしか撃てないが、信頼性が高い。リロード数を取って、肝心な時に暴発させてしまっては元も子もないのだ。
弾倉を開け、弾丸を一発ずつ込めて行く。
ポケットには、予備の弾丸を120発、ダムダム弾を60発入れている。これだけあれば、弾切れはまずないものと考えていい。システムの破壊が終わるまでは、派手に銃撃戦をするつもりはない訳だし。
さて、準備も整った事だし、そろそろ行こうか。
俺は部屋を後にする。
廊下は既に照明は消され、常夜灯の僅かな明かりだけが灯っている。シリウスの人間で、この作戦に直接関わらない人間は帰宅している時刻だ。現在シリウスにいるのは、上層部、後詰部隊、そして俺達ぐらいなものだ。今は、警備員すらいない。
俺は自らの足で第三格納庫へ向かう。
ここには、現地までの移動手段になる偽装車が用意されている。
輸送トラックだ。これならば、深夜に走っていても違和感はない。
「あ、来た来た」
既に格納庫にはアリエスと結城の姿があった。アウリガはまだ来ていない。案の定と言った所だ。
二人は待機スペースのイスに座り出発の時間を待っていた。結城は対になるテーブルの上でモバイルを開き、何やら作業をしている。それほど表情は固くないため、特別重要な作業ではないようだ。
「上層部から通信機が渡されたわ。専用回線で、作戦本部に繋がっているの」
そう言ってアリエスは、黒いリストバンドを手渡した。
リストには小型液晶画面と、音声マイクがついている。マイクは音声通信用、液晶画面は文字通信用だ。
「ふうん。新型か」
俺はそれを射撃の邪魔にならないように左手の手首に装着する。
「一応、仲間同士でも通信出来るって。アウリガが来てから試験をしときましょ」
見ると、アリエスも結城も左手に同じものを装着していた。そしてもう一つ、テーブルの上に置かれている。アウリガの分だろう。
俺も空いていたイスに座る。出発まで、あと一時間は待たなければならないのだ。
「あと二時間か。長いようで短い感じね」
「ああ。でも、民衆にとっては長かっただろうな」
政府の圧政は、既に一世紀以上も続いているそうだ。それまで幾度となく反乱はあっただろうが、全て政府は力ずくで押さえつけてきた。
民衆の人権を一切無視した、完全な独裁政治。いや、政治と言うのもおこがましいだろう。これは単なる支配だ。民衆を民衆と思わず、ただの自分達の生活を維持するための道具としか思っていないのだ。
同じ人間でありながら、自分達以外を人間と認めていない感すらある。人として許されざる姿だ。
力を持って圧政を敷くのならば、それを粛正するのも純然たる力だ。
この改革には、沢山の血が流れる事だろう。だが、腫瘍を体から切除するには大きな痛みが伴うのと同じように、この病んだ世界を変えるには、それ相応の痛みを伴わなくてはならないのだ。痛みを恐れて切り落さなければ、このまま腐敗していく一方で、やがて基盤そのものを失ってしまうのだ。そうなってしまっては手遅れなのである。
『マスター、やっぱり行くんですか?』
と、その時。
結城のモバイルから女の子の声が聞こえてきた。
結城が作り出した人格プログラム、RRである。
「ああ、そうだよ」
『……ふにゅ』
そっとディスプレイを覗きこむと、RRが不安と寂しさが入り混じったような顔をしていた。
「そんな顔をするな。大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」
『やっぱり、私も一緒に行く! マスターだけじゃ心配だもん!』
「おいおい。俺達もいるだろう?」
RRの言葉に、俺は苦笑しながらそう反論した。まるで結城が一人で政府に乗り込むような言い方だ。
『フンだ。シリウスの人間なんか信用できないもん!』
露骨に嫌悪の表情を浮かべ、そっぽを向くRR。
まだ俺達は嫌われたまんまか……。
そして、俺は更に苦笑する。
「まあ、RRには役立つ機能があるしね。ついてきてもいいけど、でも、おとなしくしているんだよ」
『は〜い』
RRはとびっきりの笑顔でそう答えた。
結城の言う事だけは素直に聞くんだよな……。製作者だから当然だけどさ。
「お? なんだお前ら、もう来てたのか」
と、そこにアウリガが到着した。
「張り切ってんなあ」
「当然じゃない。今張り切らないで、いつ張り切るのよ」
「まあ、もっとも。彼は別な時の方が張り切っているようだがね」
結城は意味深に微笑んで見せる。
「おい、こら、結城。そういう俺の人格を汚すような事を言うなよ」
結城はいつの間にかこんなにも俺達と馴染んでいた。いや、作戦を共にするのにコミュニケーションの一つも取れなかったらかなり問題なのだけど。
「あの、結城さん」
「結城でいいよ」
「はい。結城は、怖くはありませんか? これからの事が」
「そりゃあ、多少はね。でも、それよりも今はこの世界を変える事の方が重要だよ」
「アンタレスにいた頃も、そうだったんですか?」
「そうでもないさ」
と、結城は微笑む。
「アンタレスは政府に反逆したテロ組織。だけど民衆にしては救世主や英雄みたいな存在だ。たとえ結果的に失敗したとしても、政府が無敵ではないという事を知らしめたからね。だから、そこで活動していた僕も、高潔な精神の持ち主でこの世界を憂いていたからテロ活動に参加した。そんな風に思ってないかい?」
「違うのですか?」
「僕は、君達が思っているほど立派な志を持った人間じゃないのさ。アンタレスに参加したのも、とても私的な理由からなんだよ」
私的な理由?
意外と言えば意外だった。
結城はまさに英雄的な存在だ。そんな彼がアンタレスで戦ったのは、この世界を憂いていたからではなく、単に私的な理由からだったなんて。
「では、今は?」
「前にも言ったように、君達を助けたいからさ」
これまで頑なにシリウスと関わる事を避けていた結城が、突然その態度を一変させた時に言った言葉だ。
いまいち、俺にその真意は分からない。それに、アリエスとアウリガは知らないが、セカンドという言葉の意味も。
俺はあえて聞かない事にしたのだけど、やはりその意味するものが、結城の行動を決定づけたのだろうか?
「よう、結城。でもさ、俺ら、そんなにお前さんの助けは要らないと思うぜ?」
「そうかな? 僕は民間人で唯一アッパーエリアに入った生き残りだよ? まさか、ナビもブレインもなしで片付くような簡単な問題と思ってないだろうね? 単純な力だけで片付くなら、シリウスなんて大掛かりな組織を作らなくとも、その前にどこか別のテロ組織がやってしまってるさ」
結城は、政府の実力というものを目の当たりにしているのだ。その経験からくるアドバイスは、俺達の任務の成功を確かなものにするはずである。
「あの、どうして私達を助けたいと? 民衆のためですか?」
「民衆のためなら、僕は“シリウスを”と答えるさ」
「では?」
「この五年間、ずっと考えてた事がある」
「何を?」
「政府を解体したら、どうなるのかって事さ」
「世界が平和になるじゃない」
「そうかな? 必要悪って言葉を知っているかい?」
「早い話、法の目が届かない裏社会の秩序を守るのは、悪人の大将って事でしょ?」
「大雑把に言えばね」
アリエスの表現に苦笑を浮かべる。
「僕はね、政府がなくなれば、かえって世界が駄目になるような気がするのさ。人間ってのは、やはり大きな何かに管理されてないと迷走する生き物だからね。まあ、管理者によりけりだけど」
「あなたは政府を憎んでいたのでは?」
若干十六歳にして、結城はアンタレスに参加し政府と対立した。
生まれながらにして戦う事が身近にあったのならともかく、結城は本当にどこにでもいる極普通の少年だったのだ。そんな少年が銃を持って戦ったのは、それだけ強い衝動に突き動かされたからだ。
結城はそっと目を伏せて沈黙する。
その表情には、僅かに笑みが浮かんでいた。
「そんな頃もあったさ。でも今は、憎むべき理由は失った」
自嘲めいた呟きが、やけに大きく静寂の中に響いた。