BacK

 

 

「は?」

 初めから協力するつもりだった。

 結城の言い放った予想だにしなかった言葉に、俺達は思わず口をあんぐりと開けた。

『だめ―っ!』

 突然、ディスプレイの中のRRが結城に向かって叫んだ。

『どうしてなの、マスター?! あんなにシリウスが嫌いって言ってたじゃない!』

「嫌い、と言ったのはRRの方だよ」

『でも! 駄目なものは駄目! シリウスなんて信用しちゃ駄目です!』

「シリウスは信用しないさ。僕はただ、この三人に協力するだけだよ」

『同じじゃない!』

 本当に、結城は一体どういうつもりなんだ……? ますます訳が分からなくなってきた。

「っと。取り敢えず、君達の上司に会わせて貰えるかな。協力するといっても、こちらもそれなりに条件は出させてもらうからね」

「あ、あの……どういう事ですか?」

「だから言っただろう? 気が変わった、と。僕もアンタレスが五年前に成し遂げられなかった事も、そろそろ決着をつけておきたいしね」

 そう言って結城は微笑する。

 この男はどこまでが本気なのだろうか……?

その言葉の裏は、果たして如何なるものなのか? まるで雲を掴むようで見当がつかない。

先ほどまでの一連の言動は、一体何が目的だったのだろうか? あんな命がけのゲームに、どんな意味が隠されていたのだろうか? 黒と言えば白、白といえば赤。結城の言葉には不可解な点が実に多過ぎる……。

「さてと。RR、君も来るかい?」

『絶対に嫌』

「やれやれ、しょうがないな。取り敢えず、僕のモバイルとの回線は開いておくからね」

 ふん、とそっぽを向くRR。だが結城は、困った風に苦笑するだけだ。

「ねえ、結城さん。この子の性格設定失敗なんじゃない? 明らかにあなたに逆らっているもの」

 アリエスの言う通り、人間の言う事を、ましてや製作者の命令を聞かないシステムなんて欠陥品としか言いようがない。プログラムやシステムは人間のために作った道具であるため、使用者の意図する通りに必ず動作しなくてはいけないのだ。

「いいんだよ、これで。元々この子は、セキュリティシステムにするために作ったんじゃないから」

 結城は謎の残る表情を浮かべる。

「では、出かける準備をしてくる。すぐに済むから少し待っていてくれ」

 そう言って結城はリビングを後にする。

 セキュリティシステムのためじゃないって……。

これだけものを開発していながら、さも当然のような口調だ。普通、これだけのものを作ったら、誰でも第三者に自慢げに語るものなのだが。

『……』

 じーっ、とディスプレイの中のRRがこちらを見ている。

「どうかした? RRちゃん」

 アリエスが優しく話し掛ける。

『フンだ』

 しかし、すぐにディスプレイからRRの姿は消えてしまった。

 まったく、随分と嫌われたものである。よほどシリウスには良い印象を持っていないようだ。まあ、これまでの俺達の行動を考えれば仕方のない事ではあるのだけれど。

「いけ好かないガキだな」

「でもあの子、とてもプログラムとは思えないわ。凄く感情の流れがリアルだし。まるで人間ね」

「なあ、アリエスよう。ちょっと思ったんだけどさ、あれってシステムのために作ったんじゃないんだろ? だったら何のために作ったんだ? 人格プログラムって難しいし、そのクセ用途の範囲は狭いんだろ?」

 人格プログラムは、主に人間とデータ間のやりとりをスムーズに行うためのインターフェースとして作られたものだ。データを曖昧検索する時、いちいちキーを自分で打ち込まなくとも、言葉で大体の命令を伝え、そこから人格プログラムが判断してデータを検索するのである。

 その他の例をあげれば、まだ実用化はされていないが、何らかの機関や会社の受付窓口業務も将来的にはそれに取って代わる可能性もある。

 そして、もう一つ。アンドロイドに搭載する人格プログラムだ。この場合は日常の雑務を手伝わせるための機能といえる。現在のものはある程度のコミュニケーション能力も持ってはいるが、やはりまだまだ言葉や反応にロボットらしさがある。代表的な例としては、電脳の負荷を減らすためにデータの冗長性を排除したため、固有名詞はそれぞれ一つずつしか登録できないという事だ。つまり、本名は呼べてもあだ名は理解すらできず、マンションもビルもコンビニも、基本的に建物としか称する事が出来ないのだ。

「ええ、その通りよ。データも重くなるし、ロジックの複雑さが増すだけでいいことなんかないわ」

 確かに、考えてみればおかしな話だ。

 初めからシステムとして作るのならば、人格プログラムはともかく、あそこまで人間の感情を精密に表現する必要はないはずだ。感情とは不確定要素が大きく、データ自体の強度がもろくエラーの原因になりやすい。一応、感情をプログラムで表現する研究はなされているが、元々感情自体が不安定なため、業務についての実用化という面の見通しは立っていない。そんなリスクを背負ったプログラムをわざわざセキュリティシステムに搭載するとは考えられない。

 と、なると……。

「ちょっと思ったんだけどさ、あれ、もしかして誰かを作ろうとしたんじゃないのか?」

 ふと頭に浮かんだ言葉を、俺は口にした。

「誰って?」

「いや、特に誰って訳でもないけどさ。ただ、話し相手みたいなのが欲しかった、と」

「なるほどねえ。つまり、一人で生きていくのはやっぱり辛いので、と」

「案外そうかもな。けど、実際に作ってしまう辺り、あいつの技術は驚くばかりだ……」

 現在の感情プログラムは依然として研究段階であり、喜怒哀楽の喜すら表現できていない。喜ばせる事は出来ても、そこに行くまでのアルゴリズムの経路が未だにうまくいっていないのだ。それに、たとえ喜怒哀楽が表現できたとしても、人間の感情とはその四つのみで構成されている訳ではなくてもっと複雑に入り組んだものだ。つまり、それだけ感情プログラムを完成させる事は困難なのである。

 だが、このRRという名のプログラムは、人間と比べてまったく遜色がないほど感情をリアルに表している。初めて見た時は、本物の人間と見間違えてしまったぐらいだ。

 やがて結城は小さなトランクケースを手にして戻ってきた。

「さて行こうか。ところで、本部には連絡しなくてもいいのかい?」

「ああ……いや、それは行きすがらで。では、行きましょうか」

 未だに訳が分からず、俺達は困惑ばかりしていた。

 結城は、その水面下では一体何を企んでいるのだろうか。ひとまず今はこちらに協力的な態度を取っているが、実際何をしでかすか分かったものではない。当分は警戒が必要だ。

 そして俺達は結城を連れ立ち、車でシリウスに戻った。

 結城は終始平然とした表情をしている。あんなに執拗に拒絶していたシリウスの本部に向かっているとは思えないほど、その表情は穏やかだった。

 とにかく。まだまだ不安要素はあるが、一応は任務達成だ……。

 そう自分に言い聞かせたが、やはりどこか胸に引っかかるものがあるのは否めない。

 と、その時。

「ん?」

 突然、車内に電子音が鳴り響いた。

「おっと、失礼」

 そう言って結城は、膝の上にトランクケースを乗せて開ける。そして中からモバイルを取り出し、更にその上に置いて開いた。

 俺はハンドルを握っているので直接は見ていないが、聞こえてくる音からすればそんな所だろう。

「どうした?」

 と、結城はモバイルに向かってそう話し掛ける。どうやら音声通信のようだ。

『マスター……』

 返ってきたその声は、あのRRのものだった。

『今夜は何時に帰ってくるんですか……?』

「いや、当分は帰って来れないかもな」

『……』

「そんな顔するなって。回線は開いておくから。寂しくなったら来ればいい」

『……はあい』

 寂しそうな声。これがプログラムとは、未だに信じられない。声に抑揚をつけられるなんて凄い機能だ。

 と、どうやらそこで通信が切れたらしく、結城はモバイルをケースの中に戻した。

「あの子、もしかして通信機能も持っているの?」

「ああ。基本的にどのサーバーや回線にも入っていけるようになっている。まあ、今はブロックをかけて、僕が許可した所にしか入れないようにしているけどね」

「それって、ハッキング機能って事?」

「そういう事だ」

 無茶苦茶だな……。まるで、ネットワークの中に人間が住んでいるみたいだ。

「何のためにそんな機能を?」

「至極私的な事さ。説明する必要はない」

 と、それだけは何故か感情を表して答えたような気がした。