BacK

 

 

「ちょっと! こんな事して、一体何になるっていうの?!」

 と、結城の不可解な注文にアリエスが声を荒げた。

「そうだぞ、オリオン。ここまで来たんだ。もうこいつに付き合う必要はねえ。こうなったら力ずくで―――」

 アウリガが苛立ちながら立ち上がる。散々結城に翻弄され、我慢の限界が来ている顔だ。

 だが。

「これでも?」

 結城は内ポケットからもう一丁の銃を取り出し、銃口を自らのこめかみに当てる。

「君がどれだけ鍛えられているかは知らないが、僕が引き金を引くより早く銃を奪える自信があるなら好きにするといい」

 アウリガが結城まで踏み込むのに0.5秒、結城が反応から引き金を引くまでに0.3秒かかったとしても、銃を奪う前に脳漿を散らしてしまう。アリエスの場合も、何かを投げつけて銃を叩き落すのは同様の理由で不可能だ。

「本気なのか……」

「自分の意に介さない事をさせられるよりは、死んだ方がずっとマシだからね」

 結城は微笑さえ浮かべ、そう言い放つ。その表情からは、嘘による心の動揺は微塵も感じられない。

 今、結城に死なれてしまったら、俺達は任務を永久に達成できなくなる。残された選択肢は、おとなしく退散するか、もしくはこのゲームを受けるかしかない。

「分かった」

 俺はゆっくり立ち上がった。

「オリオン?!」

「お、おい?!」

 焦りの表情を浮かべた二人を、俺は無言で制す。俺達は決して“退く”という選択をしてはいけないのだ。

 さて、随分な事になってしまった……。

 目の前にいる結城は、銃をこめかみに当てたままじっと俺を静観している。

 俺の出方を観戦して楽しむかのような、そんな目だ。

 結城がシリウスへの協力の条件として提示したのが、この命がけのゲーム。

 このゲームの結果の如何に関わらず、結城はシリウスへ協力してくれる。

 ゲームを無視して押さえつける事は不可能。

 そんな動きを見せれば、ただちに結城が自らの頭を打ち抜いてしまう。そんな事になってしまったら、政府解体の悲願達成が遠いものになってしまう。

 弾倉は五つ。

実弾は一つ。

単純な確率計算では、最悪の事態が起きるのは五分の一、たった20%だ。

「どうした? やるんじゃなかったのかい?」

「ああ……」

 俺はゆっくりとテーブルの上の銃を手に取った。

 そして、それを自らのこめかみへ。

 同じ格好をしている結城の表情は、何故か楽しげだ。

 だが俺は、自分でも分かるほど表情が強張っている。

 どうした? 早く引き金を引こう。

 俺がどうなるにせよ、このゲームさえ行えば、結城はシリウスに協力してくれるのだから。

 俺達に与えられた任務は、それで達成だ。

 任務とは、シリウスが目指す政府解体のために踏まなければいけない段階。

 俺達は、任務を遂行するために創り出された存在。

 故、与えられた任務には命がけで遂行しなければならない。

 否、命がけで遂行するのは、俺達がこの世界の在り様を正したいからだ。

 そう、民衆のためならば、命を賭ける事だって惜しくはない。

 だから、今ここで俺が死のうとも、任務が達成されれば、それだけ政府解体に近づく訳であり……。

「先ほど君は言ったね」

微苦笑の入り混じった溜息。

「この世界を変えるためなら、自らの命を賭ける事も惜しまない、と。だったら、何故これが出来ない?」

そうだ、どうして出来ないんだ?

 まさか俺は、死ぬのが怖いのか……?

 馬鹿な。そんなはずがない。

 俺達は、任務を達成する事が存在意義なのだ。

 存在意義を守るために命を賭けるのを、どうして俺は恐れる……?

 そんな自問自答を、俺はひたすら繰り返し続けたまま硬直する。

 引き金に当てた指は完全に固まって動かない。

「命を賭ける。口にするのは簡単だけど、いざ自分が実行するとなると、それはなかなか難しいものだ」

 結城はそんな俺に向かって微かに嘲笑を浮かべてゆっくり立ち上がる。

 そして突然、自らのこめかみに当てた銃の引き金を引く。

「あ!」

 三人が一斉に声をあげる。

 カチン。

 しかし、撃鉄は虚しい音を立てるだけだった。

「こちらは初めから弾丸なんて入ってないさ。ただの威嚇用だ」

 ニッ、と笑い、銃をテーブルの上へ置く。

 同時に、凍りついた俺達の表情が融解していく。

 驚かせやがって……。

「少しは安心したよ」

 と、結城はニッコリと微笑んで見せた。

「……は?」

「君達には自分の意志がある、って事さ」

 そう言って結城は、俺に手を差し伸べる。

 銃をよこせ、という意味だ。俺は情けない気持ちになりながらも銃を結城に渡した。

「政府という存在は大きい。これは揺らぎようのない事実だ。これを解体するならば、関わる全ての人間に相当の覚悟が必要だ。強い意思で、かつ完全に統一されていなければ、政府には触れられただけで崩されてしまう」

 結城は弾倉を開け、手のひらで撫でて回す。弾倉が勢いよく回転する。

「命を賭ける、という事は、もはや自分には後がないのと同じ事だ。それだけ大切なもののためならば、命を賭ける価値は十分にあるだろう。けど、君達にとって、その任務とやらは本当に命をかけるだけの価値があるのだろうか?」

 弾倉を開けたまま、引き金を引く。本来弾倉があるべき所に向かって、撃鉄が激しい勢いで起き上がる。

「もう一度自問してみるだけの余地はある。それを証明したのが、今の君の迷いだ」

 かちん、と音を立てて弾倉を戻す。

「やっているのとやらされているのでは、その意思の強さは何倍も違う。ましてや、やらされているだけの人間に、命を賭ける事などは到底できやしない」

 と、結城は銃口をおもむろに自分のこめかみに当てた。

「な、何を?!」

「五年前、僕はある人とこの先も必ず生き抜く事を約束した。だからこそ僕は、今日まで争い事から身を遠ざけ、裏社会でひっそりと生きてきた。表立った行動を取らなければ、誰も僕に気をかける人はいないはずだからね」

 結城の表情が再び仮面のような冷たいものに変わる。

「ゲームを続けよう。もし、このゲームを僕がやったなら、君達は手を引いてくれないか?」

「え……?」

 ちょっと待て。ゲームって、まさか―――。

「始めよう」

 俺達の返答も待たず、結城は引き金を引く。

「?!」

 カチン。

 一瞬の緊張の後、部屋に響いたのは金属同士の衝突音。

 五分の四を結城は引いたのだ。

 安堵の念と共に緊張が解れていく。脳裏を過ぎった最悪の光景も同時に雲散する。

 が。

 再び、結城の指が動く。

「ちょっ―――?!」

 俺達が動くどころか、それ以上の言葉を出す前にダブルアクションの引き金が引かれた。

 カチン。

 カチン。

 続け様に、二発目三発目の引き金が引かれていく。

 俺達は、結城の予想だにしなかった行動に、驚きと緊張で呼吸どころか心臓さえ止まったと錯覚した。止める、という選択肢が頭に浮かばず、まるで痴呆のようにその場に立ち尽くす。

「ま、待て!」

 弾倉は五発。その内、空弾は四発。しかし、既に三発も出ているのだから、次の確率は―――!

 ようやく俺は、その一言だけを搾り出した。

 だが、結城の指は止まる事無く、二分の一の確率の引き金を引く。

 カチン。

 四回目の衝突音が響く。

「これが、命を賭けるって事さ」

 そう言って結城は銃口をこめかみから離し、壁に向ける。

 そして、引き金を引く。

 ズドン!

 快音の後、壁に小さな穴が開いた。

 俺達はただただ茫然とするしかなかった。

 結城は五分の四の確率どころか、全ての空弾を引き当ててしまったのだ。実力ではなく、本当に純粋な運に自らの命を賭けてしまったのである。しかも当人は、まるで何でもない事のように平然としている。

 俺は五分の一の引き金すら恐怖で引けなかったのに。結城は平然と二分の一の引き金を引いてしまったのだ。

『マスター?!』

 突然、壁の大型ディスプレイに先ほどの少女が現れた。

「なんでもないよ、RR。驚かせてごめん」

『またシリウスのせいですね? いい加減帰っちゃって下さい! もうマスターに構わないで!』

 ディスプレイの中のRRがそう怒鳴りつける。しかし、今の俺の耳にその言葉は届かない。

 俺達の負け、か……。

 結城の意思の強さは俺達とは比べ物にならないほど上だ。四発目の引き金を引く時の結城は、表情一つ変える事がなかった。それは、次の弾倉に装填された弾丸が空弾と確信していたからではなく、空弾であると信じていたからだ。自分の目的をそのまま生死に置き換えられるだけの強さ。それだけの意志力がなければ、政府解体なんて出来るはずがないのだ。そうでなければ、結城もかつてのようにアンタレスに属して政府の解体をやろうとなんてしなかっただろう。

 命を賭ける、なんて言葉を、俺達は軽々しく口にしていたのだ。その言葉の本当の重みが今、こうして痛いほど実感できた。

 結城にしてみれば、俺達の言っている事やっている事は子供のゴッコ遊びでしかないのだ。命を賭ける、を決まり文句にし、そう自分に言い聞かせて任務に真剣に取り組んでいるつもりになっていたのだ。だからこそ、実際に自分の命をやりとりするような事態に陥った時、俺は恐怖に慄いて何も出来なかったのだ。

「オリオン……」

 俺はゆっくり首を振った。

 任務失敗だ。

 いや、今なら結城を拘束する事は出来る。しかし、ヤツのあれだけの意思力を見せ付けられた後で、果たして俺達はどこまで自分の意志を任務に徹する事が出来るだろうか? とっくに俺の意思は、結城に打ち砕かれてしまっている。

 そんな俺の心境を知ってか、二人は“仕方がない”と目を伏せる。いや、二人とも俺と同じ心境なのだろう。

 ゆっくり立ち上がり、出口に向かおうと足を踏み出す。

 が、しかし。

「なんてな」

 突然、結城がガラにもなくおどけて言ってみせた。

「実は初めから、僕は君達に協力するつもりで来てもらったんだ。だから、そう悲嘆しなくていい」