BacK

 

 

 その日。

 久しぶりにRRが僕の端末に現れた。

 最後に会ってから二日しか経ってないのだけど、久しぶりというニュアンスが十分使えるほど、僕にとってそれは長い時間だ。

「ねえ、ネットワークの中ってどんな感じなの?」

『どんな感じって言われてもねえ。難しいよ。レオ君はリアルスペースで生まれたけど、私はこっちで生まれたでしょ? そこに初めからいるのが当然なんだもん。当然の事って、何かと比較しなきゃ説明できないけど、その肝心の比較するものをお互い知らないじゃない』

 なるほど。ごもっともな意見だ。

「でも、少なくともこっちよりは住みやすそうだなあ」

『そうでもないと思うよ? いつもウィルスとかセキュリティとかの脅威にさらされてるんだもん』

「もし、ウィルスにかかったらどうするの?」

『何度かあったよ。すごく気分悪くて思うように動けなくなるの。けど、ちょっとじっとしてたらすぐに回復したよ。なんかそういう風に作られてるみたい』

 ハッキング能力だけでなく、どうやらそういったウィルスに対する耐性もあるようだ。ますます一個の独立した生命体のようである。RRにとってウィルスに感染するのは、人間が風邪を引くのと同じ感覚なのだろう。

 やがて、RRは再び電脳の海へ飛び出して行った。

 彼女には自分の出生の秘密を調べるという大事な目的がある。一分一秒を争うほどのものでもないそうだけど、やはり知るからには少しでも早く知りたいそうだ。

 ほんの一時間程度の雑談。

 だけど僕にとっては、交わした内容よりも一緒に時間を共有する事の方が大事だった。

 どれだけ有意義だったか、どれだけ濃密だったか。それが何よりも大事なのだ。

 何をもってそう定義するのか、具体的な形はないけど。 

 自分にしては珍しく、随分と曖昧な定義だ。自分を、何事も0か1かはっきりさせる性格だと思っていたのに。

 RRがいなくなったディスプレイは、電源がついてもいなくても同じに思えるほど寂しくて静かだった。

 彼女が一度ネットワークに飛び出したら、僕にはどこにいるのかも把握できないし、いつ来てくれるのかも予測がつかない。

 何時、如何なる時も自分と彼女を繋いでいてくれる、確かなものが欲しかった。

 人間だったら、メールアドレスなりを聞き出せばいつでも連絡が取り合える。けど、RRにそういうものはない。彼女は一箇所には留まっていられないのだ。だから、毎度所定の場所へ辿り着くメールなんて意味が無い。

「ん?」

 RRが帰ったので端末の電源を落とそうとしたその時、丁度メールが届いた事を知らせるサインが現れた。開いたウィンドウには、タウラスから、と表記されている。

 早速メールボックスを開き、その内容を確認する。

 

 お前が言ってた隠れキャラだけどさ、全然見つからねえ。でも、見かけたってヤツが他に何人かいたぜ。そっちの方はどうだ? なんか分かったか?

 

 RRの事をまだ探しているのか……。

 タウラスからのメールの内容は、月曜日に僕が言ったRRの事についての調査レポートのようなものだった。月曜日の時点では、僕はRRをただの隠れキャラとしか認識していなかったため、それを聞かされたタウラスも隠れキャラとして捜査していたようだ。

 どうやら、RRを少なくとも一目でも見かけた者は随分といるようだ。こんな時に、何か決定的な騒動でも起こってしまったら……。

 僕は早速返信メールを打ち始める。

 

 タウラス、あのキャラの件だが、どうもウィルスの一種のようだ。どこかのクラッカーが遊び心で製作したもので、下手に関わるとIPを抜かれてネット中に流出させられてしまうらしい。まだ被害件数自体は少ないのでお上も動いていないらしいが、関わらないに越した事は無い。

 

 アドレス帳からタウラスのアドレスを選択し、送信。

 よし、これでいい。

 ウィルスだなんて勝手な事を言ってRRには悪いけど、これ以上色んな人間に騒ぎ立てられ、その存在をあまり表沙汰にはしたくないのだ。

 今は小さな騒ぎでも、その内に絶対に大きく発展する。そう、水面を走る円状の波紋のように。だから僕は、少しでも騒ぎの拡大を防がなくてはいけない。

 RRと出逢った人が皆、僕のようにおとなしくしているとは限らない。最悪の場合、誰かに強制サルベージされ、見世物になったりもしくはどこぞの研究機関に渡されプログラムを解析されるかもしれない。

 そんな目に遭わせてたまるか。

 大切な僕のRRを……。

 用を終えた端末の電源を落とし、ベッドに寝転がる。

 時計を見ると、11時を過ぎていた。

 ミスティのレベル上げを手伝い、ゲームサーバーから帰ってきてからすぐにRRとチャットしたのだから無理も無い。

 もう寝る事にしよう。風呂は明日の朝でいいや。

 服を脱ぎ捨て、照明を消す。

 今日も色々と不愉快な事もあったけど、こうして最後にRRに会えたからそれでいい。どんなに機嫌が悪くても、そんな憂鬱さはRRが全て吹き飛ばしてくれる。

 さ、眠ろう。明日もまた学校でつまらない授業が待っている。

 暗闇の中で目を瞑ると、すぐにRRの姿が浮かんできた。

 次はいつ会えるだろう? 明日? 明後日? 少なくと今夜で終わりじゃないよね?

 僕はもっとRRと同じ時間を過ごしたかった。

 いや、それだけでは収まらず、もっと彼女の傍に行きたかった。

 だけど僕とRRの間には、ディスプレイという深く大きな溝がある。

 僕はリアルスペースの住人であり、彼女はバーチャルスペースの人間。

 ゲームサーバーでは仮想的に会う事は出来ても、存在自体を肌に実感したりする事は出来ない。たとえ手を繋いでもゼロほどの体温も感じられず、ただ、テクスチャが押し合うだけの無意味な感触にリアルの僕が唇を噛むだけだ。

 せめて、彼女がこちら側の住人だったら……。

 どうしてRRはこちらの世界に生まれてこなかったのだろう?

 この運命を、僕は憎む。

 

 翌日。

 僕はいつも以上に陰鬱な気分で学校に向かった。

 このテンションの低さはどうしてだろう? 昨夜はRRと話せたというのに。

 やはり、僕と彼女が違う世界に住む同士である事が、そんなに気がかりなのだろうか? 触れたくても触れられないもどかしさが、僕をこうも追い込んでいるのか?

「おっはよ、レオ君。また昨日も助けてもらってありがとネ」

 席につくと、早速ミスティが嬉々と話し掛けてきた。僕とは正反対に、朝からとても元気だ。

「ああ……いや、別にいいさ」

 苦笑混じりにそう答える。なんか僕は、彼女の前ではこんな顔ばかりしている。

 と、ミスティが訝しげな表情で僕の顔をしげしげと見つめる。

「もしかして、迷惑? 初心者の世話するの」

「いや、そんなんじゃないよ。ただ、なんか最近、体がだるくて。体調崩しているのかも」

「そうなんだ? 良かった〜。あ、良い訳ないわね。あんまり無理しない方がいいよ。今夜ぐらい、早く寝たら?」

「うん、そうする」

 早目に寝たぐらいで治るなら、初めから苦労はないさ。

 僕を悩ませているのは、寝たぐらいで治る安易な病気ではなく、もっと人の手の及ばないような難しい所の問題なのだから。

 やがてチャイムと共に朝のホームルームが始まる。

 担任がやってきて、いつものように点呼を取る。普段と変わりない朝だ。

 と。

「今日はみんなに見てもらいたいものがある。もう、中には知っている者もいるとは思うが、ディスプレイを見なさい」

 担任は教卓の端末を操作する。

 僕は取り敢えずディスプレイを起こし、送られてきた内容を見てみる。

 ん? なんだ、これ?

 それはニュース系サイトの記事と、それについてのコラムのようなものだった。下の方に『ALIES.netより転載』と記されている。この名前ぐらいは知っている。ただ、僕はまずニュースなどは読まないけど。

 なになに……? 中学生変死。原因はネットワークゲーム?

 ゲームという事場が見出しに出ていたためか、ほとんど社会の動きに興味の無い僕も、さすがに思わずその記事に食いついた。

「君達と同じ年頃の子供が、ゲームに夢中になるあまり死んでいる。原因は、今なんたらと呼ばれて流行っているネットワークゲームだ」

 いささか皮肉の込められた口調だ。どうせいつもの実のない説教なので、聞かずに無視する。

 死因は、ゲームをプレイ中、モンスターに襲われた事によるショック死。バーチャルボディが著しく破損した事に精神が耐えられなかったものと見解を発表している。

 仮想空間に第二の体、バーチャルボディを作り出し、プレイヤーの思いのままに動かすニューロシステム。このシステムに神経感覚はなく、当然何をされようと痛みを伴う事はありえない。しかし、近年のバーチャルリアリティの技術の進歩は凄まじく、仮想現実の世界があまりにリアルになり現実に近づき過ぎたため、このように死を錯覚し、そのまま本当に死亡してしまうケースが増えてきた。

 同システムはゲーム業界において既に当然の技術となっており、安価な家庭用機器でも現実さながらの世界を体験し、楽しめる事が出来るようになっている。これまでにも何度か心臓発作を起こしたケースはあったが、直接の死因になったのは今回が初めてであり、今後もゲームの普及率の増加と共に同じケースが―――。

「学生の本分でもある勉学を忘れ、ゲームなどという低俗なものにうつつを抜かした当然の報いだ。皆もこれを教訓に今後も勉強に励むように」

 そう言い捨て、担任がクラスを後にした。

「相変わらず嫌味なヤツよね。ムカツク〜」

 担任がいなくなるなり、すぐにミスティが振り返り、そう怒りの長を話す。

「まったくだ」

 死んだ人間に向かって、当然の報い、だなんて。無礼にもほどがある。

 僕も同意の意味を込めて大きくうなずく。

「でも、これってレジェンド・オブ・イリュージョナリーの事よね?」

「間違いないだろう。こういう事件があると、大人は活気付くよな。批判するネタが出来たってさ」

 今やレジェンド・オブ・イリュージョナリーは、ゲーム業界では知らぬ者などいない超有名ソフトである。十代の子供達のほとんどがそのタイトルを知っているくらいだ。

 だが、その人気の影で、教育関係機関などを中心に快く思っていない人達もいる。この事件が起きて一番喜んでいるのも彼らだ。ゲームそのものを誹謗中傷する正当な理由が出来たからである。

「だからってやめないもんね。こんな事でゲームを誰もやらなくなったら、とっくにゲーム会社なんて潰れてるわよ」

「こんなの、あくまで特異な例さ。死んだってヤツも運が悪かっただけだな」

 当然の事だが、そんな連中に何を言われようとゲームをやめるつもりはない。やめる時も自分の意志で行う。それは誰だって同じはずだ。

 しかし当分、レジェンド・オブ・イリュージョナリーへの風当たりは悪くなるだろうな……。

 

 

 その晩。

 僕はベッドに寝転がりながら、ボーっと暗闇を見つめていた。

 今夜はRRは来てくれなかった。そのせいか、気持ちがやけに空虚だ。

 こっちの世界は退屈だ。

 目的の見えない明日。

 目標の無い人生。

 あまりに味気ない毎日に、自分の感情は虚無感を増すばかりだ。

 今、唯一自分に潤いを与えられるもの。

 それは、RRの存在だった。

 触れる事の出来ない、近くても遠い存在。

 僕は何よりも彼女の傍に行きたかった。

 でも、それは叶わない。

 何故なら、彼女とは住む世界が違うのだから……。

「あ」

 その時、ある一つの考えが浮かんだ。

 それはまるで暗闇を照らす一つの明かりのように、陰鬱な僕の頭に一条の光明をもたらしてくれた。

 そうだ、何もこんな世界に執着する必要はない。

 RRがこちらの世界に来れないのであれば、僕が彼女の世界に行けばいいのだ。