一体、彼女は何なのだろう……?
僕はベッドの上で天井を見上げながらボーっと考えていた。
この世界では。
ここはゲームのサーバーだから。
あれはどういう意味なのだ? まるで、他の世界から偶然迷い込んで来たかのようなセリフだ。
それに、その内に遊びに来るって……。
IPを抜かれた?
いや、IPを抜かれても住所の特定はまず出来ない、と聞いた事がある。IPを抜く目的は、マシンに不正なポートを張って遠隔操作する事なのだ。
じゃあ、どうやって僕の家の住所を知ったのだろう? いや、そもそも、どうして僕の家に来るのだ?
と。
「レオ?」
母さんの声。
僕はベッドから起き、部屋のドアを開ける。
「母さん、これから仕事に行くから。何かあったらお店の方に連絡するのよ」
「分かってるよ。行ってらっしゃい」
母さんが仕事に向かう。
僕の母は、いわゆるシングルマザーというヤツだ。僕は自分の父親の事は何一つ知らないし、母も話してくれた事がない。その内、何か言いたくない事情でもあるのだろうと、僕は聞くのはやめた。
うちは母の水商売で生計を立てている。昼間寝て夜に働くという昼夜が逆転した生活をしているため、僕との接点は夕飯の時ぐらいしかない。だからいつも夕飯の時間は大切にしているのだ。
僕は再びベッドの上に寝転がる。
またゲームを続けようか?
いや、そんな気にはなれない。行き当たりばったりで、偶然が三度も続くはずがない。何か法則があるのだ。それを解明しない内は、単なる徒労でしかない。
あの娘は一体……。
目を閉じれば、まぶたの裏にあの娘の目まぐるしく移り変わる表情が浮かぶ。まるで人間のように豊かで、それでいて自然な一挙一動。仮想空間だというのに、彼女だけはその範疇から外れているとさえ錯覚する。
そもそも、あのゲームの世界のキャラなのか?
僕の胸の中に、そんな疑問が浮かび上がってきた。
そんな訳があるのか?
だったら何だというのだ。
すぐさま、その疑問に僕は嘲笑を浴びせた。
馬鹿な疑問だ。そもそもあの世界のキャラでなければ、何だと言うんだ? 仮想世界にあるのは、膨大な数の1と0の羅列のみ。あの世界にあるものは、全てプログラムが生み出す虚像でしかない。実在しないものを、マシンの力で実在するものと錯覚させられているだけなのだ。
バグ?
あんなパターンのバグなんて聞いた事がない。プログラムの不具合で生じるキャラは皆、辻褄の合わないおかしな言動や、線の歪んだグラフィックをしているものだ。
ウィルス?
それこそありえない。そうならば、僕が接触した時点でなんらかの異常が起きるはずだ。しかし、データの異常は何もなかった。潜伏型の時限爆弾方式のウィルスならばありえるのだが……。
と、その時。
部屋の中に電子音のメロディが鳴り響く。僕の机の上にある端末からだ。
「誰だ?」
僕はベッドから起き上がり机の方に向かう。イスに腰掛け、仮起動状態の端末を本起動状態にする。
OSのタスクバーに、ボイスチャット通信が入っているサインが出ている。この時間だと、おそらくタウラスのヤツだろう。
サインをダブルクリックして相手を確認。
が。
通信元の名前の欄を見てみると、そこには『RR』と記載されていた。タウラスじゃない。あいつのハンドルネームはTAURだ。そもそも、RRなんてハンドルネーム、僕の知り合いにはいない。
誰だ……?
チャットで初対面の人間と知り合う事は珍しくない。
僕はネットの中では、LeOというハンドルネームを使っている。それはバーチャルワールドでも同様だ。LOIでは、数少ないマスタークラスの戦士だ。そのため、どこからか噂を聞きつけてチャットを申し込んでくる事もしばしばだ。
その類だろうか?
だが、件名には何も記載されていない。これは明らかに不自然だ。
相手にしないのが最も利口な選択だが、せっかく僕を頼ってか訊ねて来た人を無下に帰すのも悪い。それに、件名は単に入れ忘れただけなのかもしれない。チャットを始めた頃は僕もよくそういうミスをしていたのだし。
僕は、念のため擬似ファイアウォールプログラムを立ち上げた。多少処理は重くなるが、これでウィルスの類は受け付けない。一昨日、最新版に更新したばかりだから、昨日今日生まれたばかりの新種でもない限り大丈夫だ。
そして応答ボタンにカーソルを合わせてダブルクリック。
と―――。
「は?」
突然、フルサイズでウィンドウが開いた。
あ!? ちょ、やっぱりウィルスの類か!?
初期設定では、800×600で開くように設定している。なのに、それが無視された。明らかにおかしな動作だ。
まずい、どうやらその新種にぶち当たってしまったようだ。早くなんとか対処しないと!
ワクチンソフトを配布しているサイトへのショートカットは用意している。HDにも一応落としているが、
ランチメニューを開こうと慌てたその時。
『やっほーっ!』
フルサイズのウィンドウいっぱいに、女の子の顔が映し出された。
「……え?」
呆気に取られる僕。強制終了コマンドを入力しかけていた指が硬直する。
『あ、ファイアウォールなんか張ってる。邪魔だから終了させるよ?』
すると、タスクトレイからファイアウォールのアイコンが消える。終了してしまったのだ。
僕は終了なんかさせてはいない。ならば、その言葉通り彼女が終了させてしまったのか? 僕の端末なのに?
『どうしたの? なんかキミって、ボーっとしてる事多いよね。それとも、私の事、忘れた?』
「い、いや、そういう訳じゃないけどさ……ど、どうしてここに?」
『どうしてって。言ったじゃない。遊びに行くって』
なるほど……そういう意味だったのか。
「でも、どうやって僕の事を知ったんだ?」
『ほら、あの時にキミのIPを貰ったの。で、そこからこっちの端末に回線を辿って来たの』
下のバーチャルマシンとこの端末は確かに回線で繋がっている。だが、データ転送用のため、専用回線で繋げている。だから回線を使うには、設定した僕しか知らないパスが必要なのに。
「あの時って?」
『背中叩いた時』
そう言って彼女は微笑む。
あれでIPが抜ける? 一体どうなっているんだ? そんなツールでもあるのだろうか?
「下のマシンからこの端末は専用線で繋がってる。君はどうやってそれを辿ったんだ?」
『パスの解析なら得意だもん』
平然と言ってのける彼女。
だが、僕のパスは半角英数字を用いて32進数を模した16桁の乱数で作られている。仕様書によれば、辞典アタックも効かないようになっているらしいのに。どうやってパスを特定したのだろう?
「君は一体誰なんだ? 名うてのハッカーなのか?」
『私? 私はRRっていうの』
「RR……」
そういえば、先ほどウィンドウにそう記載されていたっけ……。
「いや、そうじゃなくて。君は何者なんだ? 君の事が知りたい」
『私の事? それは無理。だって、私も自分の事をよく知っている訳じゃないもん』
「知らないって……じゃあ、えっと、その」
言葉が詰まる。
慌てるあまり、言葉がうまくまとまらない。
『何?』
「その、さ、君はあのゲームのプレイヤーなのか?」
『ゲーム? あ、そういえばあのサーバーでキミと逢ったんだっけ』
そうだ。そこが引っかかるのだ。普通の人間は、サーバーで会ったという言い方はしない。サイトで知り合った、ゲームならば、ゲームタイトルとその地名で表現する。
『う〜ん、あのゲームねえ。あんまり好きでもないかな? だって、怖い生き物とか出てくるから』
とてもあの世界にいた人の言葉とは思えない。ゲームソフトだってタダじゃない。モンスターが苦手な人は、初めからソフト自体を買ったりしない。
「今、どこに住んでいるんだ?」
『どこに? う〜ん、ドコって言われてもねえ。私、人間みたいに寝泊りする所は必要ないから』
「人間みたいに? それって……」
と、その時。
僕は閃いた。
彼女はプログラムなのではないのだろうか? そう考えれば、全て辻褄が合うような気がする。
そんな馬鹿な。
けど、今度は僕の中に嘲笑は聞こえてこなかった。
訊いてみるか……? そうすれば、この疑問も全て晴れる。
「君は……もしかして人格プログラムの類なのか?」
人格プログラムとは、その名の通り、プログラムによって人間の思考パターンやアルゴリズムを再現し、人間の精神の部分を作り出したものだ。
人格プログラムはゲームでもよく使われている。モンスターが徒党を組んで攻撃を仕掛けてきたり、また、重要なキーを握るキャラなどは、プレイヤーと対話するために組み込まれている。
『人格プログラム? う〜ん、そうなのかなあ。そんな風に見える?』
「あ、ああ……」
『じゃあ、多分そうなんだね』
にっこりと微笑むRR。
彼女は自分の事に対しては無頓着と言うか、理解がないみたいだ。
そう、まるでバーチャル世界で生まれたのかのように。
人格プログラムは、人間型アンドロイドの製作と同時に研究がなされている。目標は完全な感情を持った人間を生み出す事。だが、確かに年々進歩はしているようだが、お世辞にも人間とそっくりとは呼べない。少し対話しただけで、人工物らしい不自然さが浮き彫りになってくるのだから。
そんな意味で、目の前の彼女、RRは、未だに人格プログラムとは思えなかった。
あまりに人間らしかったのだ。
グラフィックだけでなく、言葉のやりとりや感情の現れも、全て。
こんな人格プログラム、見たことがない……。
実は人間なんじゃないのか?
これが、プログラムのはずがない。