BacK

 

 

「ねえ、レオ君。なんかおかしいよ?」

 月曜日の朝。

 突然、ミスティは僕の顔を見つめながらそう言った。

「おかしい? 何が?」

「う〜ん、何て言ったらいいのかな……。何て言うか、その、とにかく、どこか遠い感じ」

「遠い?」

「なんか明日、レオ君が学校に来ないような気がするの」

 真剣な表情のミスティ。

 思わず僕は噴出してしまった。

「何を言っているんだ? 明日だろうと明後日だろうと、僕は学校に来るよ? 嫌々だけどさ」

 一体何を馬鹿な事を言っているのだろう? 真剣な顔をして、何をそんな根拠のない事を。

「うん……でもさ、なんとなく。嫌な予感がして」

 これがいわゆる女の勘、というヤツだろうか? 的中率の高さは疑わしい部分だらけだが。

「最近、変な事件起こってるでしょ? レジェンド・オブ・イリュージョナリーで。日曜日のニュースでもそうだったけど、今朝のニュースでも、また何人か変死しちゃってるし。レオ君もそれに巻き込まれちゃうんじゃないかなあって不安なの」

「そこに何か根拠でもあるのか? そんな訳ないだろう。アレは全部、モンスターに食われてショック死した連中だ。大体にして、僕がみすみすモンスターに食われると思うか?」

「それはないと思うけどさ……。やっぱり、不安」

 僕にはミスティの不安がまるで理解出来なかった。どうして想像でそこまで不安になれるのだろう? 何か、物凄い的中率を持つ占い師の占いで僕の死が出たかのような不安がりだ。

 この僕が、ボスクラスならともかく、ザコ級のモンスターにやられるはずがない。僕はキャラのレベルだけでなく、自分自身の操作テクニックにだって自信がある。相手が僕と全く同じ能力を持っていたとしても、捉えどころのないCPUでもない限り絶対に勝つ自信がある。勝てるという事は、負けないという事。負けないのであれば、ショック死する事もない。

 どうせ根拠のない杞憂さ。

 僕はさしてミスティの言葉を気には止めなかった。どうせ大した事ではない。そんな事で殺されてしまってはたまったものではない。また何か出任せでも言っているのだろう。

 やがて授業が終わると、僕は大急ぎで家に帰った。

 土曜日はPTAだか教育機関だかのせいで、僕はネットインが出来なかった。だからこの日を本当に待ちわびていたのだ。

 遂に、RRと間近で対面する事が出来る。

 これまでは、バイザーの視覚素子を越している感覚が強かった。どれだけRRの姿が目前に迫っても、それはあくまでディスプレイにアップで映っているしかなかった。

 けど、今度は違う。僕の全感覚をサーバーに移すのだ。それは僕がバーチャル空間で生を受けるのと全く同じで、RRと同じプログラムの生命体となるのと同義だ。つまり僕はRRと全く同類の存在になる事が出来るのである。

 自宅に着くと、僕はすぐさまマシンルームに入りバーチャルマシンの電源を入れる。

 本起動に入るまでの間、僕は一度部屋に戻ってカバンを置いた。

 端末を見ると、メールが入っていた。ミスティからだ。

 

 レオ君へ。

 今夜はネットインするの? だったら、なるべく20:00に夜叉の街の入り口に来て。私もそこに来るから。なんか、一緒にいないと不安なの。最近、あんな事件ばっかり続いたせいで。二人でいると

 

 ったく……。なんで保護者同伴でやらなきゃなんないんだ。

 それに僕には大事な用事がある。これから全感覚でネットインし、RRに会うんだ。そう、それは今まで以上のリアルなものになるはずだ。僕とRRを隔てていたディスプレイの壁がないんだから。

 僕はミスティに返信もせず、端末の電源を落とした。

 マシンルームに入ると、バーチャルマシンは本起動に入っていた。

 どくん!

 胸が期待と興奮で高鳴る。

 さあ、始めよう。落ち着いていけば大丈夫だ。いつもより感覚が鋭敏になるだけなのだから。

 そう自分に言い聞かせ、マシンに乗り込む。

 バイザーを顔まで降ろし、ナビゲーションを開く。

 マシンとのリンクを開始するか否かの返答を求める文章が、バイザーの視覚素子を通じて視界に流れ込む。

 YESを選択すると、いつものようにNOW LINKINGの文字が浮かぶ。

 と―――。

 ん……? な、なんだ!?

 突然、僕の体を襲った異様な感覚に、思わず声を上げてしまう。

 いつものリンクの感覚とは違う。これまでに味わった事のない異様な感覚だ。そう、まるで体から魂を引き抜かれるかのような、背筋がぞくっと寒くなる感触だ。

 ……OK。

 ニューロシステムとのリンクが完了する。すると、途端に全身の感覚が希薄になった。というより、体の感覚が消え失せてしまっている。まるで夢を見ている時のような感覚だ。

 いつものようにバイザーにPLEASE SELECTの文字が浮かぶ。だが、それはバイザーに映っているのを見ているというよりも、脳に直接映像が流れ込んでいるような感覚だ。こんな視覚素子の働き方も、今までになかった事だ。

 何も異常がない所から見ると、どうやら成功のようだ。組み込んだパーツも正常に働いているようだ。

 僕はいつもと同じように、レジェンド・オブ・イリュージョナリーを選択する。そしてナビゲーションに従い、パーソナルデータをロードしてバーチャルボディを作成する。

 しげしげと完成した自分のバーチャルボディの見つめる。

 いつもと何ら変わらないテクスチャ。しかし、手を開閉させてみると、いつもよりも遥かに感触がリアルだ。見た目はバーチャルボディなのに、感触はまるで本物の自分の手のようだ。

 よし、ゲームサーバーにシフトしよう。

 ナビに従い、僕はL.O.Iのゲームサーバーへのシフトを選択する。

『ニューロシステムとのプラグイン完了。これよりバーチャル空間にシフトします』

 と。

『サジタリアスを起動させますか?』

 あ、そうだった。今の僕は、通常よりもデータ量が格段に増えているんだったけ。

 迷わずYESを選択する。

『OK……これより転送を開始します』

 そして、視界がいつものシフト時のように前から後ろへ流れていく。

 ……あれ? まだかかるのか?

 かなり転送時間が長い。データ量が増えたせいだろう。

 まあ、そんなに今の時間帯は混み合ってないから、すぐに完了するだろう。

 目を閉じ、感覚に身を任せて転送が終わるのを待つ。

 そして、身体感覚で十数分後。

『ようこそ“レジェンド・オブ・イリュージョナリー”の世界へ!』

 目の前に半透明のメッセージボードが現れる。

 いつもと全く同じ風景が視界に広がる。ゲームサーバーへのシフトは完全に成功したようだ。

 早速RRを探そう。

 僕は体の調子を確かめもせず、すぐに走り出した。RRがどこにいるのかなんて知らないが、この世界の隅から隅まで走り回るくらいの覚悟はある。

 走りながら、なんとなく普段と今との感覚の違いに気づき始める。

 基本的に、全ての感触をリアルに感じる事が出来た。前はどこか足元が浮いているような感覚で、自分が走っているというよりも、自分の体を走らせているという感が強かった。

 しかし、今は自分の一挙一動の全てが自分の意志に左右され、大地を踏みしめる感触や振動、そして息づかいまですら伝わってくるのだ。

 まさに、リアルスペースからそのままバーチャルスペースに移って来たようだ。

 今僕は、まさしくバーチャルスペースに生きているのだ。

 そう、RRのように。

 僕は歓喜に打ち震えた。これで僕はようやくRRと同一の存在になれたのだ。だからこそ、僕はRRと人間のように触れ合う事も出来る。ディスプレイ越しで歯がゆい思いをする日々もこれでオサラバだ。

「あ!?」

 やたら疾走していた僕が、やがてとある街の近くまでやってきたその時。

 ふと荒野の一角に、一つの人影を発見する。

 そう、それは僕が今まさに捜し求めていたあの娘の姿。

 RRだ!

 僕はより速く地を駆け、彼女の元へ向かった。

 遂にRRを見つけた!

 いつもディスプレイ越しで見ていた彼女の遠い姿が、今はこんなにすぐ傍に感じられる。

 それもそうだ。僕とRRは、同一の存在なのだから。

 駆け寄って、まずどうしよう? この喜びから伝えようか?

 僕は興奮のあまり、このまま抱き締めてしまおうか、とすら考えてしまっていた。無論、そこまで親しい仲でもないから、さすがにそれだけは何とか理性がブレーキをかけた。けど、手ぐらいは繋いでみたかった。この世界の住人となったのだから、せめて彼女の感覚をこの体で感じたかったのだ。

「RR!」

 あと数歩の距離で僕は歓喜のあまりそう叫ぶ。

 と。

『どうしてこんな事!』

 突然、RRは凄い剣幕で僕を睨みつけた。

 え……? どうして?

 予想もしなかったRRの言葉に、僕は思わずその場に立ち尽くしてしまった。

『早く戻って! 今、すぐ!』

「え、ちょっと待って。一体それは」

 RRはいつになく険しい表情で僕に向かって怒鳴る。しかし、それを受ける僕は一体何の事なのかさっぱり分からず、ただただ唖然と見つめ返すばかりだ。

 けど、

『早く! 急がないと取り返しがつかなくなるよ!』

 そんな僕など構いもせず、RRはひたすらそう警告を繰り返した。