BacK

 

 

「隠れキャラ?」

 授業前の騒がしい朝の教室で、友人タウラスは如何にも興味津々と言った様子で食いついてきた。

「ああ。土曜日にさ、マップ南東の19A3:22DD地点辺りにある“月夜の密林”の回復ポイントに行ったんだ。そこで泉に腕をつけて回復したんだけどさ、気がつくと泉の向こう側に女の子が座って涼んでた」

「おいおい、マジか? すげえぜ、それ。色んな攻略サイト回ったけどさ、そんな情報初めて聞いたぜ。で、どうだった?」

「どうもなにも。“あなたも涼みに来たの?”って。それで終わり」

「はあ? そんだけ? お前、びっくりしてあたふたしている内に逃げられたんじゃねえのか?」

 僅かに嘲笑の色を浮かべる。このマヌケ、という心の声が聞こえる。

 それは違う。

 正確には、俺がボーッとしてしまっていたのだ。すると彼女は“変なの”と言って笑い、スッと消えてしまったのだ。

「ま、まあ、そんな所さ……。だってさ、あんまり突然だったんだぞ? 驚くなって方が無理だ」

「お前の感知レベルは、確か50オーバーぐらいだったけ。それで全く引っかからなかったんだったら、まあ普通は驚くだろうな。で、そいつの特徴とかは?」

「目と髪は黒かった。長さは肩よりもちょっと下。白いワンピース姿」

「ふうん。なんか、あんまりあの世界観には合ってないなあ。まさかそれ、嘘じゃねえだろうな?」

「何言ってんだよ。お前、今までのゲームでも、一体誰に隠しアイテムとか裏ダンジョンの情報を貰ったと思ってるんだ」

「冗談だって。確かにお前の情報は信憑性があるからな。よし、じゃあ俺も探してみるかな。見つかったらメール送る」

「頼む。それと、まだこの情報は流したくない。先に僕達で詳細を突き止めたいから。言い触らすなよ」

「OK。それで行こう」

 やがて始業のチャイムが鳴り、タウラスは自分のクラスにあたふたと戻っていった。

 今日の授業科目はなんだったけ?

 机に備え付けてあるパーソナルディスプレイを開き、電源を入れて立ち上げる。

 普段はちゃんとテキストプログラムを開いて、それなりに真面目に授業を受けている格好だけはするのだが、今日はそんな気になれず、ボーッとしながら授業を聞き流していた。

 教壇の教師は、数式の解説ばかりで生徒には目もくれない。傍から見れば、大声で独り言を言っているようだ。

 僕のディスプレイに、将来何の役に立つのか知れたものではない、無意味な数式が流れている。壇上の教師がマスターサーバーを介して垂れ流す、教師たる自らの自己主張だ。しかしそれは、大半の生徒には退屈と睡魔しかもたらさない。まだ今ほどコンピューターが発達していなかった旧世界の学生達も、こんな思いをしていたのだろうか? 道理で体裁だけの教育概念が、今日に至っても何の進歩も結果も出せない訳だ。

 取り敢えず、テストで痛い目を見て追試になっては困るので、後で見るために頬杖をついたままもう片方の手でマウスを操ってデータを保存。

 と、

『ドライブAにアクセス出来ません』

 ディスプレイに警告メッセージ。

 あ、メモリスティックを入れるの忘れてた。

 カバンの中からスティックケースを取り出し、メモリスティックを差し込んで再試行。すると今度は正常に保存される。

 頭の中は、不自然なほどに土曜日の彼女の事でいっぱいだった。

 意図不明の、そう、まるで戯れるかのような言葉を残して消えてしまった彼女。

 あの娘は一体なんなのだろう……?

 ん?

ちょっと待て。“あの娘”ってなんだ? “あのキャラ”だろ。ったく……。

 そう慌てて訂正するものの、僕は不思議とあのキャラが、これまで見つけてきた隠れキャラと同じようには思えなかった。そんな自分に、正直驚いている。ゲームのキャラに愛着が湧く事はあっても、それは一過性の熱病と同じだ。大抵、次のゲームが出る頃には熱から覚めている。

僕はそれよりも更に淡白な性格で、これまでキャラに愛着を抱き、愛情を注いだ事など一度もない。だからバーチャルボディも自分をモデルにして設定したのだ。どうせ飽きたら消してしまうデータだ。一番手っ取り早く周囲との区別化を計るなら、これほど適したモデルはない。

こんな自分が、あのゲームキャラに愛着のようなものを感じているなんて。

信じられなかった。しかし、幾ら否定しようともかえって深みにはまるばかりで、この異質な感情の存在の肯定をより強めてしまう。

そう、今でも僕は、彼女が本物の人間なのではないかと錯覚してしまいそうなのだ。

 ヤバイな……。僕はそういうゲームオタクではないのに。

 しかし、彼女に惹かれている自分が否定出来なかった。

 まぶたに焼きついた、あの表情が消えない。

 これは、紛れもない事実なのだ。

 あの輝くような笑顔も、忘れようとして忘れられるものではない。

 CGキャラの笑顔なんて、どのゲームにでもあるありふれたものだ。エモーショナリティの表現技術はゲーム業界がトップクラスだが、まだ人間の目から見れば、どこか違和感のようなものを感じる。時折、“あのキャラは生きている”などと血迷うヤツもいるが、あれは単にゲームの世界観にのめり込み過ぎ、自分の希望が現実であると思い込んでしまったに過ぎない。早い話、仮想と現実の境界線が危うくなっているのだ。

 けど、彼女は違う。

 これまでのゲームに登場していたキャラとはまるで違っていた。

 表情も、仕草も、声も。

 その全てがリアル過ぎる人間味があり、あまりに自然なのだ。

 僕は自称ゲーム通だ。そう自負する以上、かなりの数のゲームをプレイしてきた。けど、これまでに見てきたどのゲームキャラよりも、彼女はあまりにリアル過ぎる。あれだけの完成されたキャラを作り出した、あのゲームの開発陣の技術力は凄まじいものであり、称賛に称賛を重ねるべきものであって―――。

 ……ん?

いや、ちょっと待て。

おかしいぞ。

どうして、あの品質水準のキャラは彼女だけなのだ?

もし、ここに限りなく人間に近いキャラを作り出したとする。ならば、製作側はそれを隠れキャラではなく、ストーリーに深く関わる重要な配役にあてがうはずだ。そうする事でゲームの話題性も増し、売りとして宣伝すれば効果も絶大だ。

 あえて隠れキャラにしたメリットなんてあるだろうか? それとも、単なる開発者の遊び心なのか?

 答えが見つからず、悶々と自問しながらあっという間に時間だけが過ぎて行く。

 やがて午前の授業が終わって昼休みになると、僕は昼食も食べず真っ先にネットワークルームに向かった。一般生徒のために、自由に端末を解放している部屋だ。

 授業終了直後という事もあり、生徒の姿はほとんど見当たらなかった。

 僕は窓際の席に座り、端末を立ち上げてネットイン。

 まずは、ゲーム関連の検索エンジンに繋ぐ。

 単語は、レジェンド・オブ・イリュージョナリー。

 ヒット件数は300を越えていた。更に絞込み検索。隠れキャラ、裏技、秘密情報、月夜の森、女の子。

「ちっ……駄目か」

 しかし、どれも見当外れの内容ばかりで、思うような情報は得られない。

 それでもめげずに検索エンジンを変えて、再トライ。だが、幾ら変えても結果は同じだ。

 そうこうしている内に、昼休みの終了時刻が迫った。

 これだけ探して見つからないんだ。きっとこれを見つけたのは僕が最初なのだろう。こうなったら、また実際に自分の手で見つけ出してはっきりさせるしかないか……。

 クラスに戻る途中でパンとドリンクを買う。それを授業が始まるギリギリで無理やり詰め込んだ。

 はあ……早く終われ……。

 事の真相を調べたくとも調べられない事にイライラしながら、またもつまらない午後の授業を受ける。

 授業なんてサボりたかったが、その事が親にバレてゲームを禁止されてしまっては元も子もない。学校では、教師に目立たなければ優等生の称号が得られる。それさえ維持し続ければゲームを取り上げられる事もない。

 授業が終わるのが待ち遠しかった。すぐにでも家に帰り、ゲームを再開したかった。そして、もう一度彼女を見つけ出すのだ。

 ようやく最後の授業が終わった。僕はカバンを片手に教室の外へ向かう。

 と。

「レオ君、君も今週の掃除当番だよ」

 僕を呼び止めたのは、僕の前の席の女子だった。

 そうだった……。ちくしょう、なんてツイてないんだ……。

 掃除なんて業者を雇ってやらせればいいのに。ムカツク……。

 渋々、僕は一度持ち上げたカバンを再び机の上に戻した。