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これが、いちかばちか最後の賭け。
確実性のない方法だけれど、うまくいけばきっとシャルトちゃんを助け出せる。
相手にしているのは、あの浄禍八神格の内の五人。このぐらいの危険な橋を渡らないと、私の望む結果は得られない。
でも大丈夫。
信じればきっとうまくいく。
みんなだって信じているんだもの。きっとうまくいくって。
だから、大丈夫。
「こういう時に、そういう冗談はやめろ!」
今まで胸の中に押し込んでいたテュリアスは、開放されるなりそのまま大きく口を開けて息を吸い込み始めた。シャルトちゃんの中と違って、随分と窮屈だったらしい。
お兄ちゃんは急に血相を変えて怒鳴ってきた。本気で怒る時のクセである、右の眉を極端に釣り上げるそれも出ている。けれど私は落ち着いて自分の考えている事を説明する。
「冗談じゃないってば。残るのは『天命』と『怠惰』の二人。そのそれぞれを私達が抑え、その間にテュリアスにはシャルトちゃんを助けてもらうの」
「じゃあ訊くがな。一体、どうやって助けるってんだよ」
「お兄ちゃん、忘れたの? テュリアスは神獣よ。それも四獣の一角、白虎なんだからね」
私の胸元に収まっている、この見た目は可愛い子猫のようなテュリアス。実はこの世で最強と呼ばれる三大種族の一つである神獣、しかも、その神獣の中でも更に最強と名高い四獣なのだ。四獣とは、蛇、亀、孔雀、虎の四種族。元々神獣には普通の動物にはない並外れた身体能力があるのだけれど、この四獣に限っては他にもう一つ、それぞれ特別な力が備わっているそうなのだ。本当の所、私もはっきりとは分からないのだけれど。
「にゃあ」
そうだよ。
私の胸元で頭だけを出したまま、テュリアスはそう私に続く。
「神獣っつってもな。こんなチビ助に何が出来るってんだよ」
お兄ちゃんにチビ助と呼ばれ、テュリアスはムッとした表情で睨みつける。小さいのは事実だけれど、それを指摘されるのはテュリアスのプライドを少なからず傷つける。一応、生まれてから十年以上経っているのだから、私はそれなりの年齢の子供という扱いをしている。反抗期の始まりかけた子供だ。
「大丈夫。テュリアスが『なんとかする』って言ってるんだもの」
正気かよ、とお兄ちゃんは吐き捨てて舌打ちをする。
本当の事を言えば、私もまたお兄ちゃんに近い心境だ。テュリアスが神獣である事は間違いない。けれど、四獣しか持っていないという不思議な力なるものの真偽ははっきりとしていないのだ。最強種族の一つとは呼ばれているけど、テュリアスのようなまだ幼い神獣にそれほどの力があるとは思えない。そもそも本物の神獣を目にしたのは、私はテュリアスが初めてなのだ。世に謳われているほどの力を目の当たりにしたのは、未だかつてないのである。
だがテュリアスははっきりと私に『シャルトは私が助ける』と言った。テュリアスは人間に対して酷く猜疑心が強く、身内以外には口を聞くどころか触らせる事すら許さない。けど、ことシャルトちゃんに関してだけは嘘や根拠のないデタラメを言ったことはないのだ。しかもその大言には、有無を言わさずに信じ込ませる妙な説得力がある。だから私はシャルトちゃんをテュリアスに任せてみようと思い立ったのである。
とにかく、他に有効的な方法がある訳でもなく、多少無謀に思えてもこれが一番救出率の高い方法なのだ。今更うだうだと方法について論議している時間もない。やはり、いちかばちかではあるけどテュリアスに賭けてみるべきだと思う。それにシャルトちゃんを助け出そうと思っているのはテュリアスも同じだ。なんせ、テュリアスにとってシャルトちゃんはおそらくこの世で一番大切な人なのだから。もしも神獣の中でも四獣しか持っていないという何か特別な力があるのであれば、それを使うことで何とかなる、と私は思う。
「神は良い行いを勧め、尊び、喜ばれます。しかし不善を行う者は、その全能なる御業を持って打ちのめすでしょう」
「悪はすべからく滅ぶべし。これぞ『天命』也」
突然、私達の先に空間の歪みが二つ出現する。そして、そこからゆっくりと祝詞を上げるように現れたのは、『怠惰』と『天命』の二人だ。今回のこの騒ぎ、正確に言えばリュネスが暴走を起こした事が切っ掛けで出臨してきた浄禍八神格である。
あの空間の歪みは、確か前に風聞で聞いた事がある『神の門』と呼ばれる術式だ。空間と空間を捻じ曲げて一時的にリンクさせて移動するという、あくまでも精霊術法の一つである。ただし、当然の事ながら膨大な魔力とイメージを描くだけの意思力が必要となる。暴走状態を保つ事で大量の魔力を自在に使う事が出来る浄禍だけに許された術式と呼べるだろう。
「ルテラ。あの二人は俺が止めるから、お前がシャルトの所に行け」
と、お兄ちゃんはそう真剣な眼差しで私に言った。
「悪ィがな。テュリアスを疑う訳じゃねえが、やっぱり伝説だとか不確かなモンにシャルトは任せられねえ。だからお前が行け」
剣もないのに、二人も相手に出来るの?
私は口から出かかったその言葉を飲み込んだ。そんな事を言った所で、今は他にどうしようもないのだから。
まあ、しょうがないか……。
そう私は微苦笑。
確かにテュリアスの力がどれほどのものかは未知数で、賭けのオッズとしては少々頼りなさ過ぎる大穴なのだから。お兄ちゃんも真剣にシャルトちゃんを助けたいと思っているのだから、やっぱり尚更そんな無謀な賭け事はしたくないのだろう。
「ああ、天に召します我らの父よ。ここに御心をお示したまえ」
と。
不意に『天命』は両腕を天へかざし、なにやら聖句を厳かに述べ始めた。
ゴオオオオ。
するとそんな重厚な音を上げながら、路石が剥がされて剥き出しになった地面がまるで下から突き上げてくるかのように競り上がり小高い山を作った。そして土はそのまま粘土のように意思を持ってうごめくと、徐々に一つの形を作り出す。
「見よ。偉大なる父の御力により、土くれは敬虔なる神僕と成った」
競り上がった土は、巨大な亜人間型へ姿を変えた。それはあまりに巨大な体躯を持っており、その体を持って月明かりを遮って周囲を真っ暗な闇へと包み込んだ。
お兄ちゃんは普通よりも背は高い方だけれど、この土巨人はそれを軽く二倍ほど上回るだけの背丈がある。体の幅や四肢もそれに伴って人間には決してあり得ない、巨人族並の巨大さを誇っている。圧倒的な質量の放つ存在感に思わず圧倒されそうになった。この土巨人にとって私達人間など、ほんの蟻程度のさもない存在にしかならないだろう。
「おいおい……巨人族ってのは神の仇敵じゃなかったか?」
お兄ちゃんが苦い笑いを頬に浮かべ、そして一足先に疾駆する。
「ルテラ、分かったな! さっき言った通りにしろよ!」
そう言い残して、全く躊躇う様子もなく土巨人へ向かって前進。これだけの存在感を示す相手を前にしても怯まない姿は勇ましいけれど、少しだけ不安感も覚えたりする。もっとも、夜叉の頭目を何年もやっているお兄ちゃんにはそんな心配は不要なのだけれど。
「討て。神の僕は神の代行者となりて、その山の如き拳を揮った」
土巨人は『天命』の刻む聖句に呼応するかのように、ずしんずしんと地面を揺らしながらお兄ちゃんの方へ向かって歩いて行く。そして土で出来た偽者の目でお兄ちゃんの姿を捉えると、大きく右腕を振りかぶり鉄槌のように振り下ろした。
「おっと」
しかしお兄ちゃんはあっさりとその攻撃をかわすと、そのまま土巨人の足元へと飛び込んでいく。
「邪魔だ、デカブツ!」
お兄ちゃんは体をやや捻りながら軽く飛び上がると、鋭い視線で攻撃目標を定めた。その視線が狙うのは、土巨人の左膝。体の大きな敵を相手にする場合は、まずは支えを崩すのが定石だ。
中空で体の捻りを戻しながら勢い良く右足を前方へ突き出す。それと同時に右足には別軸の回転運動を付加させた。総合戦闘術を主流とする夜叉の体術奥伝の一つだ。突く、払う、下ろすしか攻撃方法のない蹴り技は、基本的にほとんどの威力が脚力そのものに帰依してしまう。しかしそこへ更に右回りの螺旋運動を与える事で、爆発的に威力を高める事が出来るそうだ。
明らかに人間へ放ったのとは違う破裂音を放ち、土巨人の左膝が文字通り破裂してしまう。途端に左の支えを失った土巨人はあっけなく地面へ突っ伏してしまった。
しかし。
「神は、罪の誘惑に負け御心に背いた哀れな子を偉大なる鎖で縛り、コキュートスへと堕した」
土巨人の左膝を粉砕したのも束の間、すかさず『怠惰』がまだ体勢の整わないお兄ちゃんへ右手のひらをかざした。その手のひらから、閃光のような衝撃が走る。
「ぐあっ!?」
直後、お兄ちゃんの体が沈んだ。すぐさま膝を立てて立ち上がろうとするも、すぐに膝が砕けてまた倒れてしまう。それは先ほどのファルティアと全く同じパターンだ。『怠惰』の手が触れた瞬間に右義腕の体現化を保てなくなり、まるで全身の骨が砕けてしまったかのように立ち上がれなくなってしまったのだ。
「お兄ちゃん!」
「行け、ルテラ! もう幾らも持たねえぞ!」
慌てて駆け寄ろうとした私を、お兄ちゃんは喉から振り絞るような声で一喝する。
視線をシャルトちゃんの方へ向けると、ただでさえ小さかった障壁がかなり小さくなり、『断罪』の体現化した巨大な騎士剣の刃先との距離が狭まってきている。よく見れば、シャルトちゃんの全身の至る所にぼんやりと幾何学模様のような術印が浮かび上がっている。一度は破られてしまったらしいチャネルの封印が、再び発動してチャネルを塞ぎかかっているのだ。当然だが、チャネルを塞がれてしまったら障壁を行使し続ける事が出来なくなる。あの騎士剣は、あらゆるものを切り裂く『断罪』の術式だ。物理的障害を苦もなく切り捨てる事は目に見えている。
大丈夫……お兄ちゃんだもん。
私は意を決してお兄ちゃんから視線を外し、『天命』と『怠惰』の先にいるシャルトちゃんへと向ける。今はとにかくシャルトちゃんの事だけを考えなければいけない。わき目を振れば、その分だけシャルトちゃんの救出が遅れてしまうのだから。
「神の御力により、土くれは仮初の魂を得て従順なる守護者と成った」
正面から突破しようとする私に向かい、『天命』が聖句を紡いだ。そして先ほどと同じように地面が競り上がると、今度現れたのは重装甲を身にまとった騎士だった。騎士は私を間合い内に捉えると、構えていたランスを鋭く突き出した。
「退いて!」
私は頭の中にイメージを描き、それを右腕に乗せて体現化する。そして向かってくるランスの先端を見切ってかわすと、カウンターを合わせ右腕を騎士の胴体へ繰り出した。
ドスッ!
手に伝わってきた感触は鎧の冷たく硬いそれではなく、ふんわりとした本物の土の感触だった。続けて、私は僅かにめり込んだ右の拳にイメージを与えて体現化する。与えたイメージは、広がる雪の結晶。瞬間、ばりん、と音を立てて私の腕を中心に巨大な雪の結晶が独特の細やかな結晶を描いた。その結晶は騎士を切り裂きながら重厚な姿を包み込んでいく。私が最も得意とする『雪乱』の術式だ。この結晶は刃の塊のようなもの。それをあらゆるタイミングで体現化する事により、攻撃の際にどうしても生じてしまう死角を無くしてしまうのである。
ズタズタに切り裂かれた騎士を弾き飛ばし、私はなおも前進する。
向かう先にあるシャルトちゃんの苦痛に歪んだ顔が、より私の焦燥感を掻き立てる。けれどそれを必死に抑え、なんとか冷静さを保ち続ける。最後まで油断をしてはいけない。一瞬気を抜いたがために、一生後悔がつきまとうような事態に陥るのは、シビアで徹底的な現実主義が根本にある実戦闘にはザラにあるのだ。
「汝は不幸である。神がお嘆きになる理由に気がつかないからだ」
そして『怠惰』が私に向かって右手のひらを向ける。
まずい。
頭の中で警鐘が鳴らされる。『怠惰』のあの術式、原理などはよく分からないけれど、一度でも受けてしまうとお兄ちゃんやファルティアのように全身の自由が効かなくなるものだ。単なる束縛の類ならば、二人ともそう簡単に受けるはずがない。たとえ術式を行使したのが浄禍だったとしてもだ。しかし受けた二人の様子を見る限り、『怠惰』の術式は束縛するというよりも動くための力そのものを奪うような効果があるように思う。束縛ならば力ずくで突破する事も出来るだろうけれど、その力そのものを奪われてしまったら突破も何もあったものではない。
シャルトちゃんの元へ向かう事と『怠惰』を倒す事と、どちらを優先させるべきだろうか。
強行突破を試みれば、必然的に『怠惰』はあの術式を私へ行使するだろう。それならば、先に『怠惰』を倒してはどうだろう? いや、それでも駄目だ。そんなに簡単に倒せる相手ならば、みんなはこんなに苦戦を強いられる事はないのだから。
が、そんなジレンマを抱えた直後、
「うるぁっ!」
突然、横から一つの影が飛び込んできた。影はそのまま『怠惰』に目掛けて鋭い蹴りを放つ。しかし寸前で『怠惰』は障壁を張ったらしく、難なく影を弾き飛ばした。弾かれた影はそのまま体勢を整えて着地する。
「あなたは……」
そして、『怠惰』の表情が微かに動いた。視線の先には、たった今飛び込んできた影、ファルティアが立っていた。先ほど『怠惰』が術式を行使して体の自由を奪ったはずだが。『怠惰』の驚きはそれによるものである。
「よくも人をそっちのけにして、やりたい放題やってくれたわね! 凍姫を敵に回しといて、ただで済むと思うな!」
轟と叫ぶファルティア。しかし不自然に呼吸は乱れ、右腕はすっぽりと抜け落ちてしまったかのように何もなくなっているため弱々しい外見になってしまっているものの、その迫力は普段以上に凄まじく鬼気迫っている。『怠惰』の持つ神々しいまでのそれに全く引けはとっていない。
「汝、神の子よ。強きその精神を、何故御心に尽くせぬのでしょう?」
「ああ!? 気に入らないからに決まってんじゃん!」
するとファルティアの腕に無数の青い光が集まっていく。その光はやがてファルティアの体躯には不釣り合いなほど逞しい青い氷の腕となった。ファルティアは昔に何かで右腕を失ったそうだ。それで普段は精霊術法で義腕を体現化しているのである。ただこの腕は、いつもならば本物の腕とは全く遜色がないのだけれど、戦闘時には腕が倍以上に膨れ上がって攻撃力もそれに比例したものになる。
「あんたらはブチのめす! そんだけよ!」
と、ファルティアの視線がチラリと私の方へ向けられた。それが何を意図するのか、汲み取った私は小さくうなづいた後、『天命』と『怠惰』を振り切ってシャルトちゃんの元へ向かって駆けた。
もう残された余裕は幾許もない。
私はとにかく全力で走った。一刻も早くシャルトちゃんの元へ向かうために。
待っててね……!
TO BE CONTINUED...