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 まあ、とにかく。要らぬお節介だとは分かってるんだが。
 正直、見ていてじれったい。
 俺だったらもっとうまくやる。しかも時間をかけずにだ。
 あいつは俺じゃないし、俺もあいつじゃない。出来不出来があっても当然の事だ。
 だからこそ、ついつい余計な手出しをしたくなってしまう。
 とりあえずは。あいつは勘が悪いから、多少露骨な手を使っても気づかれにくいのが唯一の救いか?

 なんだ、救い、って。




「さて、これで臨時支出は終わりか」
 午前の訓練が終わると、俺はいつものように本部の私室で書類処理に従事した。食事は部下に命令して買ってこさせたものを、仕事をしながら食べる。そのゴミがテーブルの隅で小さく重なっている。ゴミ箱に投げ捨てる暇もないほど俺は忙しかったのだ。
 頭目になってから早数年。体が資本の北斗でありながら、どうにもデスクワークの比率の方が高くなっている感が否めない。
 頭目は流派の最高責任者であるから、その総合管理は一元的に本人がやらなければいけないのだが。いい加減に一人で処理し続けるには無理のある書類の量にはウンザリしている。そろそろ本気でアシスタントを雇う事を考えなくてはいけない。特に経理だ。元々数字の計算なんかろくにやった事もないのに、この仕事のおかげで簡単な四則計算なら暗算で出来るまでになってしまった。だがその代償として、数字を目にするたびに条件反射で吐き気を催すようになった。やはりこれだけでも、どっかから得意なヤツを雇えば随分俺の負担が減るだろう。
 そもそも、北斗本部の連中が掲げている運営方針そのものに問題があるのだ。どうして事務処理を頭目がやらなくちゃいけないんだ。このシステムからしておかしい。大方、人件費の節約なんだろうが。テメエラの給金を削れば幾らでも捻出なんて出来るはずだ。ケチりやがって。
「かーっ、やってらんねえ、チクショウ。やめだやめだ」
 残りの書類はどうせ二枚か三枚だ。午後のトレーニングが終わった後で、三十分も集中してやればすぐに終わる。それよりも、今の俺の体、そして精神状態の方がヤバイ。これらを癒してくれるものはこの世に二つある。火酒のように燃えるようなイイ女と単純な睡眠だ。
 少し悩んだ末、俺は睡眠を選択した。いや、考えるまでもないだろう。今からイイ女を捕まえたところで、しけこむにはまだまだ時間が早過ぎる。大人の時間は日が沈んでから、というのが相場と決まっている。だったら、残りの昼休みを全て睡眠に費やすしか、俺のこの憂鬱を晴らす手立てはない。ぐっすり眠った所で、訓練の時間になりゃあ誰かが起こしに来るはずだ。
 俺はデスクから立つと、一度体をぐっと伸ばした。ぱきぱきと小枝の折れたような音が聞こえる。随分と体がこっているようだ。そしてそのままソファーにうつ伏せに倒れ込む。すぐに睡魔はやってきて、意識を見る見るうちに現実から引き離していく。
 と。
 こんこん。
 ……んん?
 ふと意識の外から何かを叩く音が聞こえる。
 こんこん。
 また同じ音が聞こえてきた。どうやら聞き間違いの類ではないようだ。
 体を起こし、誰か来たのだろうかとドアの外へ意識を向ける。しかしそこには誰もいない。それに聞こえてきた音もドアのノックではない。
 こんこん。
 三度、同じ音。今度はこれまでよりも音が強い。
「こっちか?」
 ソファーから立ち上がると、俺はゆっくり窓の方へ向かった。その窓の向こうは、当然の事だが空中だ。この窓をノックするんだったら、空中に浮かんでなければいけないのだが。まずそれはあり得ない。幽霊じゃねえんだ。
「おかしいな……俺もとうとうノイローゼが始まったのか?」
 たとえそうであっても無理はないだろう。連日のようにやらなくてはいけない仕事が山積みにされているのだ。満足に休日も取れないし、今日までまともだった事自体が驚くべき事だ。
 窓のカギを開けて外を見回してみる。眼下に広がるのは、見慣れた街の風景だけだ。これといっておかしな所は一つもない。
 やっぱ疲れてるんだな、俺。
 特に変わった点が見当たらないあたり、どうやら俺の思い過ごしか何かのようである。無理もないだろう。連日連夜馬車馬のように動き回って、最近はろくに休みなんかとっていない。それで柄にもなく神経質になっていたのだ。今の物音にしたって、きっと何かの物音を聞き違えただけだろう。にも関わらずあたふたとした自分に苦笑する。
 ほら見てみろ。その証拠に、窓の外には何も変わった所は―――。
 が、
「ばあっ!」
 突然、俺の目の前に逆さまになったヒュ=レイカが現れた。
「うわっ!? な、なんだテメエ!」
 不意をつかれた俺は、思わずその場から二歩三歩驚きで後退ってしまう。
「びっくりした?」
「アホかテメエは! 平然とする方が異常だろうが!」
 ぶらん、と逆さまになったままヒュ=レイカはさも愉快そうに笑う。ここは建物の三階、最上階だ。にもかかわらずこいつは、どこかに足でも引っ掛けるかしてぶらさがっているのだろう。その度胸よりも、俺に気配を勘付かれずにここまで無意味な事をしたヒュ=レイカの労力と努力が、ある意味大したものである。
 ヒュ=レイカは窓枠に手を掛けると、ひょいっと体を揺らして部屋の中に飛び込んできた。俺も長いこと夜叉の頭目をやっているが、窓から入って来た来客なんておそらくこいつが最初で最後だろう。
「ところでさ。シャルト君の事なんだけど。レジェイドがちゃんと東区に向かわせたおかげでうまくいったよ」
「おう、そうか。そいつは良かった。こんな露骨な手段でバレないか正直心配だったんだが」
 それは、ヒュ=レイカから言い出した事だった。
 シャルトが凍姫に最近入ったというリュネス=ファンロンなる人物に好意を抱いている事を知ったのは、このヒュ=レイカからの口利きだった。しかし、シャルトは俺の知る限りでは女にはまるで縁のないヤツだ。男だか女だか分からないような細面だが、容姿は決して悪くはない。だが致命的に会話というものが下手で、コミュニケーション能力に欠けている。そのせいだろうか、こいつの周りには女の影が出てくる事は全くなかった。もしかすると女に興味がないのではないかとさえ思ったぐらいだ。毎日毎日、宿舎と訓練所を往復して、暇があればぶらぶらと歩いてはうまい料理屋や屋台を捜したり、旬の食べ物を買って来ては部屋で子猫ちゃんと食べていたり。ほとんど修道僧みたいな質素極まる生活だ。
 ところが、そんなシャルトから急に女ッ気が浮上したのだ。俺とてまるで他人顔をしている訳にはいかない。ヒュ=レイカも俺と同じだったらしく、どこからか情報を仕入れてきたのだろう、俺に、シャルトを昼休みに東区へ向かわせるように行ってきた。なんでもリュネス=ファンロンが一人になるチャンスがあるからなのだそうだ。ならば協力しない訳にはいかない。普段はあの凍姫の名物破壊魔が付き添っているのだ。まずシャルトでは、相手のペースに飲まれてそれどころではないだろう。だからこそ、このチャンスは有効に生かさない手はない。具体的な指導は出来ないものの、シャルトとリュネス=ファンロンが一対一になる状況を作ってやるのは、兄として、そして保護者としての務めだ。年頃のあいつにしては不安になってしまうほど女ッ気がないのだ。いい加減、そろそろ女の一人や二人はいなければ、健全な男とは言えないだろうし。
「大丈夫大丈夫。シャルト君だもん、気づきゃしないって。大方、運命の出会いだとか思ってるはずだよ」
「お子様らしい発想だな」
 正直、シャルトの精神年齢はかなりお子様だと俺は思っている。シャルトは思春期という精神状態が多感になる時期を普通の環境で過ごさなかったせいもあるし、少なからず男女関係については危機感に似たそれを抱いていた。だが、リュネス=ファンロンという人物の登場はその危機感を粉々に打ち砕いてくれた。つまりは、シャルトがそのリュネス=ファンロンに恋愛感情を抱いたという事だ。男として実に正常な感情である。その事実を聞かされ、ようやく俺は最後の荷が降りた安心感さえ抱いたものだ。これで俺はシャルトを安心して見ていられるというものである。
「で、実はもう一つ話があるんだけどさ。っていうか、こっちが本題なんだけどね」
「なんだ?」
 ヒュ=レイカが突然そんな事を言い出した。
「夜叉は変な事を企んでない?」
 シャルトの件の他に本題があるというから、何かと思えば。その問いはあまりに馬鹿馬鹿しいものだった。
「はあ? 企むかよ。うちには真っ当なヤツしかいねえんだよ。テメエとは違ってな」
 夜叉に在籍する連中は、全てが北斗の存在理念である『一般人を守りつつ、北斗を発展させニブルヘイムを統一する』という意思の元で、日々俺が課しているシゴキ……もとい、厳しい修行をこなしている。その中には一人として、ヒュ=レイカ言うような変な事、つまりは邪念を抱いている人間はいない。そんな煩悩は、俺の作ったトレーニングメニューによってとっくに消え去っている。夜叉は数少ない精霊術法を用いない流派だ。心身の鍛練方法に関しては、他の追随を許さぬほど厳しいものだと自負している。無論、実力云々もそうだ。
「それならいいんだけどさ。ちょっと、実しやかな噂……にしては色々とそれっぽい部分があるんだけど、とにかくきな臭い話を聞いてさ」
「きな臭い?」
「うん。今、どうも北斗十二衆の中で、反乱を考えている流派があるんだってさ」
 反乱。
 いわゆる背任行為という事だが、それは組織というものが不特定多数の人間が集合する事によって出来ている以上、決して避けられないものである。組織を作るにはまず、背任行為を出来ないシステムを作る必要がある。北斗は各流派の頭目が一元的に管理しているため、そのシステムそのものは頭目ごとによって違う。ただ共通しているのは、システムそのものには穴はないということだ。その証拠に、北斗が始まって以来、大規模な背任行為は一度たりとも起きていない。まず、背任行為そのもののリスクと愚かさを考えれば、正常な判断力を持っているヤツだったら考えもしないはずなのだ。
「反乱ねえ。まさかそれはねえだろ? 残り十一流派と守星を一度に相手にする事になるんだぞ? 勝算がなさ過ぎらあ」
「って考えるのが普通だよね。でも。ほら、それだけの戦力差をものともしない方法があるでしょう?」
「……精霊術法か」
 精霊術法。
 それは、北斗の大半の流派が用いている戦闘技術だ。原理云々は省略して、とにかく短期間である一定レベルの即戦力を大量に作り出す事が出来るのが、精霊術法の特徴だ。しかしその扱いはかなり難しく、制御能力を失う暴走事故も近年多発化している。更には、チャネルの大きさの平均も増加傾向にあるそうだ。つまり、決して万能とは呼べない技術なのである。
「つまりお前が言いたいのは、そのある流派ってのは『浄禍』って事かよ?」
 浄禍は、現在、北斗十二衆の中で最強と言われている流派だ。その要因は、浄禍の人間は全て最大クラスのチャネルを持っている事にある。中でもトップクラスである浄禍八神格にいたっては、常に暴走状態に等しい魔力が流れ込んでいるとか。それでも暴走しないのは、理性の代わりに信仰心で抑えているからだそうだ。どこまで本当かは分からないが、とにかく連中は人間の枠から外れかけているやつばかりだ。もしも北斗にケンカを吹っ掛けようというのであれば、こいつらぐらいでなければ勝算はゼロに等しいだろう。
「いや、浄禍はないと思う。あそこは信仰心の固まりだから、絶対に教えに背くような真似はしないよ。反乱は裏切りの罪悪に相当するでしょ」
「宗教書の教えなんてもん、解釈の仕方次第だぜ?」
「それもそうだけどね。でも、浄禍には反乱を起こす力はあってもメリットも理由もないから。他に可能性がないのは、夜叉と凍姫、雪乱に雷夢に悲竜ってとこかな。とりあえず、用心だけはしておいた方がいいよ」
 用心ねえ……。
 流派こそ違えど、俺はどの流派も同じ目的で日々の鍛錬を行っていると思っている。全ては北斗を守るためだ。だからこそ、そんな疑心暗鬼になって疑うような目で見ることはしたくないのだ。とは言え、本当に反乱なんて大それたことを考えている流派があるのであれば、やはりそうならざるを得ないかもしれない。優先すべき事は、何よりも北斗の安全なのだ。
「なあ、よう。お前、実の所は見当ついてんじゃねえのか?」
「どうしてさ? 僕は確信のある事しか口にしないよ」
「だからだよ。分かってるからこそ、今言った流派は除外したんだろ?」
 すると、ヒュ=レイカは少し考えるような素振りを見せる。そしてまた普段の表情に戻ると、
「やっぱレジェイドは鋭いね。そ、実は少なからず見当はついてるんだ」
 と、微苦笑。
 案の定だ。もしも噂程度の認識だったら、わざわざ流派の具体名なんか上げたりはしない。それは可能性があるかないかの調査を一通り終えて、何らかの結論が出ていなければ言えない事だ。そもそも、特定にまで至らずとも見当がついていなければ、こんな話自体を俺の所に持ってくるはずがない。
「俺をシャルトと一緒にすんじゃねえっての。で、どこなんだ?」
「うん、それはね―――」



TO BE CONTINUED...