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「もっとゆっくりすればいいのに。せめて怪我が治るまで」
 翌日。
 北斗の市街の周囲をぐるりと囲む高壁の南端、そこにある唯一の出入門の外に七人は居た。
「あれ? 別に止めないんじゃなかったっけ?」
 そうヒュ=レイカは普段の調子でにかっと笑って見せた。右手にトランクケース、左手には大きめの旅行鞄を携えている。ただの旅行にしては多過ぎるが、転居するには少ないように思う荷物量だ。
 頬には一片の貼薬が貼られ、袖から覗く腕は両方とも包帯で包まれている。この荷物を運ぶにはあまりに痛々しく思ういで立ちだ。
「そうじゃなくて、着くまで大変でしょうって言ってるの。そんな体で大荷物抱えるんだもの」
「別にずっと持って歩く訳じゃ無いよ。陸には馬車が、海には船があるんだよ?」
 ヒュ=レイカは港に向かう馬車を待っていた。それを見送るのは、シャルト、リュネス、レジェイド、ルテラ、ミシュア、スファイルの六人。そのほとんどが、今朝方初めてヒュ=レイカの帰省を聞かされて驚く間もなくここへ来ていた。
「おや。馬車が来たようですね」
 そうスファイルが振り向いた先には、少人数乗りの小さな馬車がこちらへ向かって来るのが見えた。彼らの他に馬車を待っている者はいない。実質、ヒュ=レイカの貸し切りのようなものになるのだろう。
「さてと。そろそろ時間だね」
「そうね……それじゃ、またいつでも来てね。みんな待ってるから」
「またそういう深刻な顔する。別に今生の別れじゃないんだから。ほら、」
 とヒュ=レイカはレジェイドの方へ視線を投げかける。
「おう、どこへなりとも行っちまえ。これでしばらくはお前に驚かされず安心して暮らせる」
「ね? このぐらいが丁度良いんだよ」
 馬車が近づく。
 ヒュ=レイカは一旦荷物を置き、端から一人ずつ別れの挨拶代わりに握手を交わして行った。まだ傷が癒えていないせいか、あまり握る手からは力が感じられなかった。それでも表情だけは普段と同じ飄々としたものだった。
 一番最後に、ヒュ=レイカはシャルトに手を差し伸べた。けれどシャルトはそれに応じず、手はぎゅっと握り締めぶらさがったままだった。
 まだ納得していないのだろうか。
 そんな仕草にヒュ=レイカは、いかにも演技がかったように、大袈裟に肩をすくめて困った表情を浮かべて見せる。
 そして一言。視線も合わせないシャルトに言い放った。
「シャルト君、浮気には気をつけるんだよ。女の子の方が鋭いからね」
 ヒュ=レイカは意味深にリュネスにウィンクをして見せる。するとそれを見たシャルトはたちまち顔を真っ赤にさせ、
「ふざけたこと言うな!」
 と大声で怒鳴った。しかし、
「ああ、ゴメンゴメン。さっき紹介した女の子達の事はリュネスに秘密だったね」
「秘密も何も、元々そんなのないだろ!」
 足の怪我も考えず、ヒュ=レイカに向かって飛び出すシャルト。そのよろめきながらの追走を、ヒュ=レイカは笑いながら後ろ向きで後退しながら離して行った。
「おい、待て! お前は最後の最後まで勝手な事ばかり言っ―――」
 その時。
 シャルトは何かにつまづいてしまい体を大きくよろめかせた。今のシャルトに体のバランスを支える事は出来ず、あっさりと前へつんのめってしまう。その様を見た誰かが、シャルトが頭の中に思い浮かべるよりも早く、あ、と声を上げた。
 だが。
「そっちこそ、最後の最後まで危なっかしいんだから」
 転倒する直前、咄嗟に飛び出したヒュ=レイカがシャルトの体を抱き止めた。
 ヒュ=レイカはそのままシャルトの体をぎゅっと抱き締める。だがシャルトはそれに応えて腕を回さず、拳を握り締めたまま下ろしていた。
「シャルト君、これから僕はどんなに困っても君を助けてやれない。だから最後にこれだけ言っておくよ。君は今のままでも十分いいんだけど、あと少し目先よりも先の事も考えるんだ。日頃からね。そうすれば、もうちょっとうまく生きていけるようになるから」
 こくりと頷くシャルト。ようやく見せた素直さにヒュ=レイカは笑みを浮かべ、ぽんぽんと背中を叩いた。
「じゃあ、元気で。リュネスと仲良くね」
「そっちも……元気で」
 答えたシャルトの声は涙ぐんで掠れていた。今までずっと堪えていたのは、こういう気持ちだったのか。ようやくシャルトの真意に触れられたヒュ=レイカは、気恥ずかしそうに微笑を浮かべるもすぐに普段の飄々とした顔を取り戻し、おもむろにシャルトの顔に手を伸ばすと、ぎゅっと頬を左右に引っ張った。
「やだなあ、こんな事で泣くなよ。またその内、ひょっこり顔出しに行くからさ」
「別にどうでもいいよ、そんなのは……!」
「分かったから。でも、今はここでお別れだよ」
 やがてヒュ=レイカは、すぐ傍に止まった馬車と同時にやってきたリュネスにシャルトを預け、自分は荷物を持ち上げた。だが荷物を開けた馬車のドアの中へ放り込むと、別れを惜しむ間も無くあっさりと乗り込んでしまった。あまりに唐突な行動に一同が慌てて追いかけようとする。けれど、ヒュ=レイカはすぐさま体を半分乗り出し、一同に向かって手を振った。
「じゃあみんな、またね!」
 馬車が過ぎ去っていくのはあっという間の事だった。むしろ、馬車が止まっていた時間の方が、一同が見送っていた時間よりも短かった。
 一人として口にはしなかったが、今、一人の馴染みの人間と別離した事へ俄に実感がわいて来なかったのだ。しかもいなくなったのは、自ら神出鬼没を謳い文句にするようなヒュ=レイカである。本当はこれはただの見せかけで、実は後から誰もが驚くか呆れて物が言えなくなるような仕掛けで飛び出して来るのではないのか、そう思えてならなかった。
 訪れた静寂は驚くほど耳煩く心の中に入り込んでくる。そして誰しもに、黙し続ける事への違和感を覚えさせる。
 やがて。
 ゆっくりとレジェイドは踵を返し、市街へと向かい歩き始めた。そのすぐ後ろを、同じく振り返ったミシュアが続く。
「そういやお前、俺が死ぬかもって時に何も言ってくれなかったなあ」
「目の前で妹さんにああされては、私の入る場所はありませんでしょう」
「じゃあ、あれがなかったら素直に心配してくれたか?」
「あなたは私に、子供のように泣きじゃくれ、と?」
「バチは当たらないだろう?」
「私にも、体裁とイメージがありますから」
 レジェイドはミシュアが人前で子供のように泣きじゃくる様を想像し、やはりこれは無いな、と苦笑を浮かべた。あまりにそれは不格好で、しかもあまりに普段とのイメージが掛け離れているため、逆に想像力が追いついて行かないのだ。
 ミシュアとて人の子であるから泣かないはずはない。だが、表に出せない人間なのだ。感情を表に出す事は、心の弱さを露呈する事でもある。一般人ならばそれもいいが、あいにくミシュアは北斗の人間、戦士である。戦士は常に、刃のように鋭く研ぎ澄まされてなくてはいけない。
「爺様も死んじまったし、ったく次から次へとどうしようもねえなあ」
「これから北斗は忙しくなりますね」
「なんとかなるだろ。まだ、俺達が居る」
「確かに、北斗は手負いとなりましたが、首は繋がっていますからね」
「そういう事だ。四肢をもがれても、首だけで相手の喉に食らいつく。それが北斗だ」
 現状には何一つ明るい要素は無い。強いて言えば、北斗の名だたる実力者が全滅こそしなかったこと、一般人に死傷者は出なかったこと、そして彼らが北斗に留まってくれることだろう。かつての栄華を取り戻すには、一朝一夕の努力では叶わない。その上、手負いの北斗に狙いを定める戦闘集団にも警戒を怠る事が出来ない。そんな中で、再び一から秩序を形成していかなければならないのだ。考えるだけでも気の遠くなる話。けれど、絶望する人間は、少なくともただ沈み行くだけの人間は北斗に存在しない。誰もが皆、平和とは自らが作り出し実現するものであると知っているからだ。それに向け、自分は自分の役割を、提示された可能性に賭けてひたすら打ち込む。料理人が料理を作り、鍛冶師が鉄を打ち、商人が品物を集めるように、北斗は彼らを守るために戦い、寝ても醒めても北斗の事を考え続けるのだ。
「ところでこれは暫定情報なのですが。今後、北斗の新体制を発足するに当たり、総括役としてあなたの名が有力候補として浮上しています」
「マジかよ……。そういうのはガラじゃねえんだがなあ」
「ですから、今の内に身辺整理をしておいた方が良いかと」
「言われるほど乱れちゃいねえよ。知ってんだろ。ま、大将やるのも悪くないかもな。もしもそうなったら、お前にもきっちり働いてもらうからな」
「僭越ながら。事務作業に関しては、私はあなたよりも格上であると自負しておりますが」
「そいつは失礼した」
 やがて、ルテラとスファイルが踵を返し歩き始めた。だが依然としてシャルトはその場を後にしようとはせず、既に見えなくなった馬車を未だに見据えているかのように立ち尽くしていた。そんなシャルトに寄り添うリュネスは、何も言わずにただじっとシャルトと共に立っていた。シャルトは涙を流していたのかもしれない。それをリュネスは努めて見ないように構えた。涙を見られる事を喜ぶ人間はまずいないからである。
「そろそろ、戻りましょう。まだ早いですから、外は冷えます」
 シャルトは黙ったままこくりと頷き、目元を拭った。
 シャルトにとってヒュ=レイカは数少ない友人でもあった。いつも自分をからかい、話の種にしようとするのだが、視界が狭く物事を短絡的にしか考えられない自分が立往生していると必ずさりげなく手を差し伸べては助けてくれる。表にこそ出さなかったものの、内心ではいつも感謝の念で一杯だった。だから、最後ぐらいはきちんと言葉で気持ちを表したかった。けれど、感情と生来の口下手さにそれを阻まれた。本当に気持ちは伝わったのだろうか。シャルトはそればかりが気がかりで仕方なかった。
 リュネスは二人の関係を傍から見て、素直に羨ましく思った。かつての自分とシャルトの関係に似て、気持ちは同じ方向を向いていながらも互いがそれを知る事がない。ヒュ=レイカがおどけて振舞いながら本心をいつも隠すように、言葉で表現する事が苦手だから押し黙り続けるシャルトのように。だが自分とは違い、それだけで信頼に足る相手として互いを認識出来るのだ。表に出さなくとも通ずる間柄もある。その位置だけはヒュ=レイカに取られてしまった。そう小さく思った。
「本当に、シャルトは救われない奴なんだよな。生まれた時から父親がいなくて、母親も失い、心にも体にも深い傷を負って。なのに、唯一持ち合わせていた足の才能もこれで無くなってしまった。なんであいつは次々と奪われるんだろうな。誰かに嫌われるような奴じゃないのに、神様には嫌われちまったのか」
「ですが、彼には彼女がいますよ。私にはそれだけで十分と思えます。たとえ地獄の奥底の泥濘に足を取られていたとしても、這い上がるだけの気力を得るには」
「また、あいつは地獄からやり直しか?」
「少なくとも、本人がそう思うのであればそうなのでしょう。地獄とは、主観的な物の考え方です」
「要するに、回りが変に心配過ぎているという事か」
「いいえ。周囲ではなく、あなたが、です」
 なるほど。俺は過保護か。
 そうレジェイドはわざとらしく拗ねた表情を浮かべ肩をすくめる。そんな仕草を前に、ミシュアはそっと目を伏せて僅かに口元を綻ばせた。
「今のこの街も同じようなもんだな。俺ら北斗が保護者気取ってはいるが、実際は自分自身で立ち直ろうとしてる」
「私達は戦う事だけで何も作り上げる事が出来ませんから。だからせめて、勝利にこだわるのです。勝利の先には選択肢があり、その中から共存を選んできたのが北斗なのです」
「支配ではなく共存にこだわる、か。戦闘集団としてはらしくねえが、俺はそういうらしくないのが好きなんだよな」
「だから、最強、なのでしょう」
 六人の姿は次々と出入り門の中へ吸い込まれていった。これ以上、感慨に耽る時間の無い彼らは、どこか忙しない足取りだった。それぞれが、それぞれに与えられた役目を果たさなければならないからである。
 北斗には多くの課題が積み上げられている。彼らはそれを、可及的迅速に解決しなくてはならない。少なくとも、目先の秩序すら形成出来ないからである。
 何故、北斗は共存の道を選んだのか。
 今となっては北斗が結成された理由は誰にも分からない。しかし、その信念は今でも脈々と伝えられ生きている。そして、それは更に後世まで伝えられるだろう。
 貫かれる信念こそが北斗。
 無秩序の中に秩序を創り上げたその力。
 この国で最強の戦闘集団である。



TO BE CONTINUED THE "Party Is Over"