BACK
今度こそ。
今度こそ、果たせなかったそれを成し遂げたい。
そう強く、俺は決心していた。
あの時、果たす事が出来ずに逃げ出したそれ。
好きな人を守り、悲しい思いをさせないという事だ。
まだか……まだか……早く……!
俺は焦燥感に背を押されながら凍姫の本部に向かっていた。
突如として起こった、風無の反乱。かつて北斗に牙を剥いた戦闘集団は数多く存在したが、それが北斗十二衆の一派だったなんて史上初めての事だ。そもそも守星だけでは対応しきれず他の流派に出動要請が、しかも三流派も下るなんて、これも異例の事態だろう。全容はまだはっきりとは掴めてはいないが、これだけでも十分にどれだけ深刻な状況なのかを計る材料としては十分だ。
しかし、今の俺は別な理由で苛烈さを極める深刻な心境を抱いていた。
その、北斗に反旗を翻した風無だが。今、風無の頭目を含んだ本隊が凍姫の本部に向かっているのだ。おそらく凍姫は事態の鎮圧のためにほとんどの隊員が出払っているはず。戦力の乏しいそこを叩かれてしまえばひとたまりもないのだ。俺が籍を置いているのは夜叉であるため、実際は凍姫のことなどどうでもいい訳であるのだが。凍姫にはリュネスがいるのだ。重ねて付け加えれば、この非常事態でリュネスもおそらく俺と同じように本部へ集められただろう。けれどリュネスはまだ入って一ヶ月の新人だから、まず間違いなく本部に待機させられているはず。そこへ風無の本隊が向かっているのだ。俺は急がずにはいられなかった。たとえレジェイドの、頭目としての命令を無視してでもだ。
夜の北斗の歩道が月の光で濃藍に染められている。この不気味な風景を、俺はまるで剣で切り裂くようにひたすら駆け続ける。
俺は正直言って、深夜の街を歩くのはあまり好きじゃない。昼間ははっきりと見える路地裏も、日が落ちれば黒く深い影を落として何が潜んでいるのか分からない、恐ろしい場所になってしまう。そんな場所が無数に点在するのだ。大急ぎで駆け抜けるにしても気分の良いものではない。しかし、今はそんな事に構って前進を躊躇う場合ではないのだ。俺はなるべく周囲に意識は向けず、凍姫本部への道程を進む事だけに集中する。
「にゃあ」
次を右。
と、俺の懐に納まって首だけを出していたテュリアスがそう鳴いた。
俺は足の速さには自信はあるのだが、その分全速力で走っている時は視界が狭まってしまう。余計なものを見なくても済むというメリットこそあるものの、ただでさえ暗く慣れない道を走っているのだから、すぐに道に迷ってしまいそうになる。だから俺はテュリアスに道案内をしてもらいながら走っているのだ。テュリアスは暗闇でも目が利くし、凍姫本部の位置も、もしかすると俺よりも詳しく把握している。今は一刻も早く凍姫の本部に向かわなくてはいけないだけに、下手に意地を張らずテュリアスに助けてもらうのが得策である。
夜叉から凍姫の本部までは随分と距離がある。元々夜叉の本部は西区、凍姫の本部は東区にあるのだ。時々リュネスと一緒に昼食を食べに行くときは、その丁度境界線で待ち合わせをする。そこに辿り着くまでの時間がなんとももどかしくて仕方なかった。だが、今はそれ以上の焦燥感を喉に詰まらせている。これに比べたら、そのもどかしさの方が遥かに気が楽だ。
「にゃ」
ふと、その時。
凍姫に行ってどうするの?
突然、テュリアスが懐からそんな事を問い掛けた。
何を分かりきった事を。目的は一つに決まっている。リュネスを守りたいからだ。
すると、
「にゃあ」
公私混同じゃない? 北斗の安全と一人の人間を天秤にかけるなんて。
テュリアスが、ぐさりと胸に突き刺さるような痛い指摘をしてきた。
テュリアスの言う通りだ。俺達北斗は、北斗に住む全ての人間を守るために戦うのだ。俺の給金だって一般の人達が納めている税金によって賄われている訳だし。でも、俺はどうしても今はリュネスのために戦わずにはいられないのだ。リュネスは俺にとって大切な人だ。それが北斗に反旗を翻した北斗の一流派に狙われているのである。この事態を前に、俺は私情を殺して与えられた任務に従事するなんて事は到底出来やしない。レジェイドの頭目命令を無視し、その後で如何なる処罰が与えられようとも後悔しないぐらいの覚悟はとっくに決めている。私情に走ったって別にいいじゃないか、とは言わない。でも、どんなに自分が愚かしい行動を取っているかを自覚していても、この感情を抑える事は出来ないのだ。
「今更……退けるか!」
走りながらそう怒鳴る俺。すると、
北斗失格だね。
そうテュリアスは俺に言った。
確かに、本来は北斗に住む全ての人間を守るための存在である『戦闘集団北斗』だが、俺はそこに属していながら任務に私情を挟み、全体ではなく一個人を守るためにこうして走っている。北斗にあるまじき行為だ。俺が夜叉で訓練を重ね研き続けた力は北斗のためのものなのだ。公務を放棄してまで私事に使ってはならないのである。だからこそ、テュリアスの言う通り俺は北斗としては失格だ。
でも、それでもいい。
またここで、任務があるから、と理由をつけて逃げたくは無いのだ。あの、南区の事件があった夜のように。俺はリュネスを守りたいのだ。如何なる敵からも、そして悲しみからも。
それに、夜叉は俺一人じゃない。俺がいなくなったって、途端に夜叉そのものの戦力が落ちる事などはない。ただの結果論かもしれないけれど、そう自分に言い聞かせる事で夜叉の命令に背いたことへの罪悪感を紛らわせる。
と、その時。
「にゃあ!」
上!
突然、テュリアスがそう叫んだ。
同時に俺はテュリアスの察知したそれを感じ取る。微妙な空気の流れ、額の奥にスプーンをえぐり込むような感覚が考えるよりも先に俺の体を回避行動へと移らせる。
ピッ。
鋭い音が二つ、俺に襲い掛かってきた。目には見えなくとも、はっきりとその存在は感じられる。俺は一瞬早く後ろへ飛び退いた。
だが、
「ん?」
がしゃっ。
俺が被っていたヘッドギアが、急に支えを失ったかのように路上へ滑り落ちた。思わず視線を落とすと、そこには真っ二つに分かれてしまったヘッドギアの姿があった。
一体いつの間に……。
慌てて額を押さえると、ぬるっとした生温かい嫌な感覚が手のひらについた。額が切られたようだ。しかもかなり深い。元々頭は血が多く出るものだが、どうもかすり傷という訳ではないようだ。
そして。
「にゃあ!」
来た!
叫ぶテュリアス。
反射的に身構えた直後、俺の目の前に二つの影が現れた。
薄闇の中、更に黒い服を着ているため、ぼんやりと輪郭しか見えては来ない。こいつらは風無だ。直感的に俺はそう思った。前に風無は隠密行動が得意だと聞いた事がある。だから、この雰囲気からして間違いはないはずだ。
人が急いでいる時に……。
今は一秒でも早く凍姫の本部へ行きたいというのに。こんな所で、今回の騒動の張本人である風無のやつらと鉢合わせてしまうとは、なんて運が悪いのだろうか。しかし、それでも止まってはいられない。もしも目の前に障害が立ちはだかるならば。俺の取るべき行動はただ一つだ。
「どけぇっ!」
TO BE CONTINUED...