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 まずったぜ……。
 俺は苦々しく奥歯を噛み締めながら、剣の柄を握りその重量を確かめる。
 周囲に注意を向け、見失わぬよう連中の気配を辿り続ける。その数は未だ増え続け、とても俺達を相手にするだけの規模とは思えない。それだけ慎重になっているのか、それとも俺を夜叉の頭目と知っていてか、はたまた只の臆病な連中か。いづれにせよ、圧倒的不利な立場に立たされている事実は変わらない。
 どうしたものか。
 とりあえず考えついた最善策は、この場から一時退散する事だった。敵の数は、俺一人で撤退するには大した数ではない。しかし、今はシャルトがいる。当然の事だが、実戦の経験もないヤツにこんな修羅場を切り抜けさせるのはかなりのリスクがつきまとう。ただ闇雲に突っ走った所で、敵のいい的になるだけだ。ある程度の牽制から始まる戦闘の流れというものを把握しなければならない。撤退と言っても、尻尾を丸めてただ逃げるのは単なる逃走だ。撤退とは安全にその場から退却する技術なのである。
 考えていても仕方がないか。
「シャルト」
 そして俺はシャルトの名を重い口調で呼ぶ。
「ちょっとシャレにならん状況になってるんだが」
 分かる、とシャルトは頷く。だったら話は早い。俺は少しだけ安堵する。
「怖いか?」
 改めてそうシャルトに問う。シャルトは否という意思を込めて首を横に振った。
 よし、行こう。
 俺は剣の重量を弄ぶのを止め、一気に右手を引いて抜き放った。瞬間、周囲に点在する気配達が次々と俺に対する警戒を強めていく。殺気だった視線が幾つも刺さり、じんわりと首筋に嫌な汗が浮かぶ。
 このままこうしていても、何の展開も望めはしない。部下には戦闘解放区に行く事は伝えたが、まさかこんな状況になっているとは思ってもいないはず。だから救援はまずあり得ない。そうなれば、更に状況が悪化する前に、多少強引にでもこの場を切り抜けなければならない。
「いいか、ぴったり俺の後をついて来い。振り向いたり余計な事は一切するなよ」
 こくり、と真剣な表情でシャルトが頷く。その眼差しは、優っぽい細面に似合わぬ強い光を放っている。本当にこいつは驚くほど度胸がいい。生まれ持って精神力が強いのか、はたまた何か信ずるものがあるのか。どちらにせよ、戦士に向いた精神の持ち主だ。
 俺は真っ直ぐ前を見据え、自分達が向かうべきポイントを探す。
 今、俺達は丁度扇状に敵に囲まれている。残ったルートは、その真っ只中を走る今来た道だ。反対方向には建物の残骸が横たわっているため、到底通る事は出来ない。そんな道を駆け抜ける訳だから、当然の事ながら左右からの激しい挟撃に遭う事は間違いない。相手が如何なる武器を持っているのか、どんな戦闘を得意とするのかも分からない以上、とにかく細心の注意を払う必要がある。
「行くぞ!」
 そして。
 俺はシャルトに向かって叫ぶと、前に向かって足を踏み出した。
 右手に大剣を構えたまま、視線は真っ直ぐ前を見やる。しかし神経の注意網は、左右の廃墟に油断なく張り巡らせている。だが、注意しなくてはならない数が多過ぎる。俺とした事が、つい『シャルトを守りきれるだろうか』と弱気な事を考えてしまった。そんな弱気な事なんか考えてるな。俺は自分を叱咤する。
 ―――と。
 俺の頭上から二つの気配が飛び降りて来る。そしてカチンと小さな金属音が聞こえた。目で見てはいないが、ほぼ間違いなくナイフの音だ。
 刺し殺す気か。
 俺は冷静に自分と相手との間隔を把握すると、相手との距離が自分の間合いと等しくなった瞬間、抜き身の大剣で中空に弧を描いた。
「ぐわぁっ!」
 鈍い振動が剣から伝わってくる。刃が骨まで達したためだ。
 撃ち落された二人はそのまま、ドスッと地面に落ちた。颯爽と飛び降りてきたが、ちゃんと着地できなければただの投身自殺だ。しばらくは自分の足で立てまい。
 そんな二人になど目もくれず、俺はただひたすら真っ直ぐ走り続ける。すぐ背後にはシャルトの気配があり、ちゃんと俺の言いつけを守ってついてきているようだ。まだまだどうしようもないほど未熟ではあるが、足だけは俺よりもずっと速い。俺の背中さえ見えていれば、俺からはぐれることはないだろう。
「くっ!」
 その直後、再び頭上から嫌な気配を俺は感じた。すぐさま俺は自分の後頭部やや上の空間を大剣で薙ぎ払う。バシュッと音を立てて衝撃が空を震わせる。何かの術式を行使したようだ。
 これが一番厄介だ。直接攻撃を仕掛けてくるヤツは問題ないのだが、隠れてこそこそ術式を行使されると、こちらは一方的に防戦を強いられてしまう。止めさせようにも止めさせようがないのだ。
 それから、まるでこちらの意図を読み取ったかのように術式が次々と放たれてきた。俺達はそれを何とか左右に振ってかわし、無理なものは俺が剣で切り払った。術式一つ一つは大した威力ではないのだが、数が数だけありとても気が抜けるような状況ではない。
 予想してたとは言え……シャレになってねえなあ。
 文字通り、術式の雨だ。こんな中を掻い潜るのは初めてじゃないが、子供連れってのは初めてだ。誰かを守りながら逃げるのが困難である事は知らない訳じゃないし、そういった仕事は何度も経験している。しかしどうしてか、これまで以上に俺は焦りを感じていた。未熟とはいえ、シャルトが訓練を受けた人間であるにも関わらずだ。
 絶え間なく降り注ぐ術式と、その間隙を縫って襲い掛かる奇襲攻撃。それらを最速かつ最効率で払っていく。一片たりとも気を許す瞬間のない緊迫した状況。駆け抜ける一歩一歩が重く、時間の流れがやけに遅く感じる。焦りにあっけなく理性を崩壊させてしまうほど俺は軟弱ではないが、根拠のある楽観の入り込む余地の無さにはさすがに神経がまいってくる。軟弱ではなくとも、時間がかかればかかるほど磨耗はしていくのだから。磨耗はそのまま俺へのストレスとして返って来る。
 上方からの一方的な攻撃。これが奇襲でなくて良かったとつくづく思う。もしも何の前準備もなしに襲い掛かられていたら、俺はともかくシャルトはあっという間にパニックを起こすだろう。パニック状態は、戦闘中は決して陥ってはならない心理状態だ。冷静な判断力を失うばかりか、そのパニックは周囲の味方に感染してしまう。今は俺しかいないが、そんな状況でさすがに自分とシャルトを守る自信はない。
 もう少しだ……!
 俺の前方に、廃墟通りの途切れ目が開けている。今の歩幅にしておよそ三十歩、時間なら数秒といった所だ。しかし、一瞬の油断も許されない今の状況においてそれはあまりに長い。でもそこまで辿り着ければ勝機は幾らでもある。対等な条件で真っ向から戦えば、数は多いもののそんなに苦戦する相手じゃない。シャルトには少々きついかもしれないが、限界まで自分を引き出さなければいけないような状況下においてこそ実戦の勘と実力は養われるのだ。
 後少し。
 辿り着ければ、この最悪の状況から抜け出せる。大剣の柄を握り締める俺の手のひらが、焦りと期待感とが入り混じった感情のせいでじっとりと汗ばんでいる。
 ―――と。
 ッ!?
 その時、俺は予想外の殺気を一つ、背後から感じた。
「チィッ!」
 急激に足を止め、強引に背後へ踏ん張る。無理な方向に踏ん張ったせいで強い負荷が足首から膝にかけて走る。奥歯が砕けそうなほど歯を食いしばりながら、慣性の法則に従い続ける大剣の柄をより強く握り締め力任せに抗力をゼロにする。
 振り向いた先には、姿勢を沈めた前傾姿勢で走るも俺の突然の動作に驚くシャルトの顔があった。そしてそのすぐ上には、剣を振りかぶって飛び掛る黒い影が。
 この野郎ッ!
 俺はそいつに狙いを定めると、構えもままならない大剣を強引に横薙に振り抜いた。剣の真っ芯が綺麗に相手を捉え、どすっという小気味良い音と共に襲い掛かったそいつが吹き飛んでいく。
「うわっ!?」
 そして、シャルトが急に立ち止まり振り返った俺を避けようとするも出来ず、そのまま俺に向かって体当たりするような形で突っ込んできた。
 もつれ合うように転倒する俺達。特に腹の辺りに強烈にぶつかってこられたため、凄まじい衝撃が抜けていった。これがもう少し下だったりするとエライ目に遭っていたが。
「いつつ……おい、シャルト。大丈夫か?」
 体中がぎりぎり痛む。それでもなんとか俺は体を起こし、俺の体の上に折り重なっているシャルトを確認する。シャルトは衝撃に頭がくらくら揺れているのか、やや苦しそうに唸っている。シャルトは痛みを感じられないが、脳震盪は痛みとは関係なく起きる。もしも脳震盪なんか起こしたら立ち上がれもなくなるが、とりあえずその心配はなさそうだ。
「あ、ああ……」
 頭を押さえ振りながら立ち上がるシャルト。ずれたヘッドギアの位置を直しつつ、何とか元の調子を取り戻す。外傷もなく、ただ着ているものが汚れただけだ。
「よし、早く行くぞ。ボヤボヤしてっと敵の的にされちま―――」
 が、その時。
 あっ!
 不意にシャルトの後方に精霊術法の光が見える。それも一つ二つではない。無数の術式が一度にシャルト目掛けて集中的に行使されたのだ。
 まずい。
 シャルトは既に立ち上がっているが、俺はまだ腰をついたままだ。剣で術式を払うにしても立ち上がらなければこの大剣は振れず、また立ち上がるまでの時間で術式はシャルトに到達する。しかもシャルトは術式の存在に気づいてはいない。
 ちくしょう。やるしかないのか。
 そして。
 俺は考えるよりも先に、その低姿勢のままシャルトに向かってぶつかった。
 姿勢を崩し後ろへ転倒するシャルト。その上に俺は覆い被さった。
 奥歯を噛み、衝撃に備える。



TO BE CONTINUED...