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「お前さんは右をやれ。わしは左だ」
「はい、分かりました」
炎の壁を抜け、二人の目の前に佇む二人の『浄禍』。まるで修道女のような彼女らの楚々とした装いは、こんな血腥い戦場になど到底似つかわしくもなく、しかしそれでも目をそらせない圧倒的な存在感が彼女らを不気味に彩った。
リルフェは自分が受け持つ事になった浄禍の片割れをじっと見据えた。八人が八人とも全く同じ服装をしているため、誰が誰なのかはっきりと判別がつけられない。今、目の前に居るのは、『聖火』の座と誰かもう一人。自分が相手にするのはどちらなのだろうか、と考えると不安の種は尽きなかった。
「死んではいかんぞ」
「そちらこそ。お迎えは私よりも先なんですから」
そんな軽口を叩き、そして表情が刃のように鋭く真剣になる。
正直な所、リルフェは浄禍八神格の一人とやりあうなんて、とても正気の沙汰ではない、と思ってしまっていた。当然の事だが、自分には浄禍八神格と対等に渡り合う実力など持ち合わせてはいないからである。しかし、北斗の理念には『逃げる』という言葉は無い。北斗は何よりも勝利にこだわってきた最強の戦闘集団だ。何かを守りたければ勝ち続けなくてはいけない。頭目とはその理念を体現せねばならない、重い責任を背負った立場なのだ。
まずは、相手の技量を見極めなければいけませんね……。
とにかく、ここはやるしかない。いや、やって勝つしかないのだ。リルフェは、あの浄禍八神格の一人を相手にしているという気後れを捨て、出来る限りの闘志を持って自分を奮い立たせた。
「えっ!?」
咄嗟に口から飛び出せたのは、たったその一言だった。
突然、リルフェは真っ正面から襲いかかってきた衝撃に体を後ろへ吹き飛ばされてしまった。何とか空中で姿勢を取り戻すと、片膝をつくような形で着地した。
まるで馬車に撥ねられでもしたかのような感覚だった。骨は何か大質量のものに弾かれたように軋み、あちこちから打撲傷のような熱い鈍痛が伝わってくる。 攻撃を仕掛けられた……?
リルフェの視線の先には、相変わらず浄禍八神格の二人が悠然と立っているだけだ。やがて片側がゆっくりとリルフェの方へ寄り、もう片方が空恢へ寄る。それぞれが互いの相手として合意したようだ。
今のが意図された攻撃だったとしたら、自分は一体何に跳ね飛ばされたのか。決して気を抜いていた訳ではない。たとえ背後から襲いかかられたとしてもすぐに対応出来るほど、頭の中を集中力で満たしていた。にも関わらず、真っ正面から堂々と跳ね飛ばされてしまった。つまり、その攻撃は自分の注意網をかい潜ってきた訳である。
「天に召します、全能にして慈悲深き父よ。忠実なるあなたの信徒は、神の栄光と愛を持って、罪深き悪霊を拒絶します」
修道女が聖書にあるような句を紡ぐ。
浄禍独特の、アクションの合間に挟まれる神への祈りだ。元々、浄禍八神格は全員Sクラスの到底人間には制御し切れないような巨大なチャネルを持っている。しかし、一度鞘から放たれれば戻ることを知らぬ暴虐な刀のように、どんなきっかけでいつ暴走してもおかしくはないその力を、彼女らは信仰心を持って制御しているのである。そのため、これほど驚異的な力を理性的に操ることが出来た。戦いの合間の祈りは、いわば暴走を抑えるための冷却剤のようなものである。
攻撃が、来るっ!
すぐさまリルフェは身構えると、今度は四肢を術式の力で満たした。白い靄がそれぞれの部位を包み込み、うっすらと輝きを持たせる。
修道女はゆっくりとフードに手を掛けて背中側へ落とした。露になった顔は、リルフェと同じ年代の、黒髪の女性だった。どこにでも居そうな、特別変わった容姿ではない。
彼女は伏せていた目をそっとリルフェに向ける。髪の色と同じ黒い瞳がじっとリルフェを見据える。
「くっ!」
再び、リルフェの真っ正面からあの凄まじい衝撃が向かって来た。しかし今度は無様に吹き飛ばされず、あらかじめ強化しておいた両腕を額の前で交差させ、両足は地面をしっかりと踏み締め、何とか撥ね飛ばされそうになった体を支え切った。
びりっと痺れるような余韻が腕に残る。その箇所を撫でながら、リルフェは今の攻撃に至るまでの一連を思案した。
彼女は今、何をしたのだろうか。術式を行使する素振りさえ見せなかった。ただ、視線を向けただけ。それだけでとてつもない衝撃が自分に襲いかかってきたのだ。浄禍八神格とは言え、本当に神業が使える訳ではない。彼女らの起こす『奇跡の体現化』は、必ず精霊術法という種がある。幾ら人間離れした力を持ってはいても、所詮人間の枠から完全に外れる事は出来ないのだ。
ならば、一体どんな術式を使ったというのだ。
考えろ。
考えつかなければ打開策も見つける事が出来ない。
そうだ、これは確か……。
必死で記憶を思い起こすリルフェ。その時、パッと一瞬だけ表情を緩めた。記憶の中に、微かにこんな現象を起こす人物と目の前の修道女を結び付けそうな節があったのだ。
おそらく、彼女は浄禍八神格の『邪眼』の座だ。
浄禍『邪眼』の視線にはとてつもない神力が込められているという話を聞いたことがある。今ひとつ詳しい情報は持っていないため詳細までは分からないが、先程の衝撃波はおそらくそれによるものと見て間違いないだろう。
リルフェはイメージを脳裏に描き、それを右腕に集中させた力へ与え体現化する。与えたイメージは、白い結晶の矢。未だ確信を得るまでには至っていない推論を確証まで至らせるためである。
「行けッ!」
大きく振りかぶり投げ抜いたリルフェの右腕から放たれる白の矢。矢は小鳥の囀りにも似た甲高い音を立て、空気を切り裂きながら修道女に向かって一直線に突進する。リルフェの放った矢は、遠距離戦はあまり得意ではないリルフェではあったが、破壊力そのものは十分実戦レベルだった。矢の威力を分かりやすく視覚化してたとえると、その矢一本で巨大な岩盤に穴を開ける事が出来る。
矢は修道女の頭部目掛けて吸い込まれるように向かっていく。もしその一撃をまともに頭で受けたら、首から上が跡形も無く吹き飛んでしまう事だろう。それほどの威力を秘めている事ぐらい、浄禍八神格の一人であれば容易に想像はついただろう。にも関わらず、彼女の動作は酷く後手回りで緩慢だった。
それが彼女の余裕の現れである事はすぐに分かる事が出来た。放たれた矢が彼女のすぐ目の前まで迫った時、徐に彼女が視線を向けると、ただそれだけで粉々に砕け散ってしまったのである。
仮に、リルフェが今放った矢と同じ術式を受けたとする。もしもその術式をかわすことが出来なければ、リルフェは障壁を展開する事で防御する。通常、障壁の展開には精霊術法で攻撃を仕掛けるのと同じプロセスを踏む事が必要になる。障壁の形、性質等を出来る限り明確にイメージする。そしてそのイメージをチャネルから引き出した力と融合させ体現化する。ここまで一連の動作を一呼吸で出来るようになるには、それなりに修練を積まなくてはいけない。どれだけ高速化が計れるか、そしてどこまで障壁の質を上げられるのか、障壁による防御はそれが前提となっていた。
しかし。
この『邪眼』の座であろう彼女の防御方法は、そういった煩わしい動作をまるで必要としなかった。必要なのは攻撃と同じで、ただ視線を向けるだけで良いのである。
ちょっと反則ですよね……。視線だけで攻撃も防御も出来るなんて。
リルフェは忌々しげに下唇を軽く噛み、思わず沸き起こりそうになった格差への混乱を押し殺す。
防御法というものは、基本的に形状を知る前提があって成り立つものだ。どんな形をし、動き、性質を持つのか。それが分かって初めて、適切な防御方法が考えられるのである。しかし、邪眼の攻撃はそういった定石を根本から覆すものだった。攻撃そのものが目で捉える事が出来ず、また、攻撃の起点も曖昧すぎるため把握する事が難しいのだ。
攻撃範囲は、彼女の視界と等しい。目に写った瞬間、驚異的な衝撃を幾らでも無尽蔵に放つ事が出来る。そして更に、彼女は防御にも隙がない。攻撃と同じように、ただ守りたい方向を見るだけで良いからである。
これまで実に様々な武器や術式を見てきたリルフェだったが、これほど規格外で常識を外れた攻撃手段は見たことが無かった。目から術式を放つ者も居るには居たが、その性質は邪眼とまるで異なる。一言で表してしまえば、単に意外性を突いた色物でしかない。威力よりも奇襲性を重視した術式だ。
指先一つ動かすよりも隙の無い攻撃の、一体どこに漬け込めばいいのだろうか。
ここで自棄になってはいけない。
リルフェは再び自分を冷静であるよう叱咤する。
隙が無ければ、冷静に立ち回って漬け込む隙を探し、誘い出すしかない。何にしても、勝敗が決する前に自ら投げ出してしまう事ほど愚かな行為は無いのだ。泣きたいほど体のあちこちが痛むが、まだこうして動けるし、考えられる。それだけで十分だ。
これが、北斗最強の浄禍八神格の実力。
そんな恐れも強い気力があれば少しも苦にはならなかった。勝算などまるで無いのだけれど、不思議と高揚してくるものがあった。戦う事に興奮しているのだろうか。恐怖こそ無くなりはするが、精神的には非常に危うい。
邪眼の死角を見つける事から考えよう。
邪眼の攻撃範囲は、彼女の視界に等しい。視界に入っているならば、即座にあの衝撃波を繰り出す事が出来る。先ほど二度も貰った衝撃は、致命傷に及ぶような強烈なものでは無かった。しかし、あの程度の威力で本気のはずがない。その気になれば、自分などそれこそ一瞬で消し飛ばされてしまうだろう。
だからこそ、小手先の力しか見せない今がチャンスなのだ。相手が全力を出すのをわざわざ待ってやる道理はない。
視界が間合い。それならば。
リルフェは大きく息を吸い、自身の体を術式の力で満たす。そして力の流れを両腕に集中させながら、頭の中にイメージを描き、力とゆっくり掻き混ぜる。
描いたイメージは、質量を持つほど高密度の盾を模した障壁。
リルフェは両腕の盾で頭から胸にかけてを覆うように構えると、そのまま邪眼に向かって真っすぐ突進した。
「おお、いと高き天上に召します我が主、その血、その御名を、今ここに白露の如き魂を持って称えましょう」
柔らかでいて美しく通る邪眼のソプラノが、神々しくも周囲に響き渡る。そして、彼女の万物を拒絶する双瞳の放つ視線が、大地を震わせるほどの奔流を乗せて走り出す。
視線が伝える衝撃は、光と同じ速さを持っている。到底人間の域ではどうする事も出来ない御業は、大きな盾を構え向かってくるリルフェをやすやすと飲み込んだ。
あまりに荒々しい奔流の中、リルフェは優しく溶かされていくかのように形を少しずつ崩していった。人間であるための原型は、あまりに細密過ぎたのだろうか、瞬く間にそれとは分からぬように崩れてしまった。
「ハレルヤ」
そして、姿形を失ったリルフェを目前にも、まるで何事も無かったかのように邪眼は、そう一言、静かに告げた。
まるで水を打ったかのような静けさが、周囲を重苦しく包む。
あまりに強大な力を見せつけられ、世界そのものが恐怖するあまり音を失ってしまったかのようだった。
静かに楚々と佇む邪眼。その仕草は、自分の信ずる教え、神の存在へ一片の疑問も抱いていない、恐ろしいほど澄み切った信仰が形作っていた。人間ほど恐ろしい生物はいない。そんな再認識をさせられる光景である。
だが。
「なっ!?」
その時。突然、邪眼の背後から一本の腕が伸びたかと思うと、そのまま邪眼の首へ回し、続いて現れたもう一本の腕が縦に添えられて邪眼の頭を抱きしめるように押さえ付ける。反射的に邪眼は手をかけて引き剥がそうとするものの、
「こういう目眩ましって、雪乱の御家芸なんですよね」
そこには、にっこりと微笑むリルフェの顔があった。
リルフェは邪眼の視界の外へ回り込んでいた。つまり、邪眼の力が及ばない死角である。何とか振り解こうと試みる邪眼だったが、精霊術法の恩恵による人並み外れた腕力で首と頭を締め付けられる邪眼はぴくりとも首から上を動かす事が出来ず、ただ必死で絡み付くリルフェの腕にしがみつきながら苦悶の表情を浮かべるだけだった。
TO BE CONTINUED...