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 いつものように何の前触れもなく現れ、俺が食らいそうになった攻撃に対して障壁を展開し防いでくれた。歳は俺とほとんど変わらないのに考え方や性格は俺とまるで正反対。人とうまく話すのが苦手な俺にとっては、数少ない自然と話せる友達で、しかし天敵。
「おや、シャルト君じゃない。こんばんわ」
 飄々としたまるで緊張感のない表情の、ヒュ=レイカ。その手には障壁を展開した残滓の電撃が、ぱちぱちと音を立てて弾けている。
「とりあえず訊いとくけど。まさか君は悪者になってないよね?」
「敵はこいつら五人だ!」
 来たばかりのヒュ=レイカは、こっちの事情なんて何も知らないから状況が飲み込めなくても仕方が無い。説明すれば分かってくれるだろうけど、少々複雑過ぎてそんな暇も無い。とにかくこの五人、正確には俺が一人倒したから四人を倒せばいい。俺は思いつく限りの簡潔な指示を投げた。
 が。
「ふむ。この場には『修羅』の人間が六人。けど、明らかに一人が孤立してるね。ってことは内輪揉めか何かで、シャルト君はそこの人を助けてるって訳か」
 ヒュ=レイカは軽く状況を眺めた後、うんうんと頷きながらそう事態を推測した。
 ほとんどその通りだ。見ただけでこれだけ分かるんなら、何も慌てて言う事も無かった。そう俺は眉をひそめる。
「んじゃ、僕は二人相手にするよ」
 そう緊張感の無い口調で言って、ヒュ=レイカは両手をぐっと握り込み腰の左側へ重ねるように構える。すると縦に重ねた拳の間から紫色の稲妻が幾本も飛び出した。不規則に弾ける響音と空気を焦がす独特の匂いが辺りに広がる。ヒュ=レイカはそのまま右手だけをゆっくり高々と振りかざす。まるで腰に差した剣を抜き放つように紫色の雷の剣を体現化された。
 ヒュ=レイカが得意とする術式は雷を模したものだ。これでも北斗では指折りの実力者で、かつては史上最年少の頭目だった事がある。もう二年も北斗にいるのに、未だ新兵扱いの俺とはまるで格が違うのだ。
 こいつの悪い所は、人の神経を自然に逆撫でてしまう事と屈折し肥大した好奇心だ。
 けれど逆に良い所は、自分の経歴を鼻にかけたりしないでこちらと同じ視点で物事を考えてくれる事だ。
「頼む」
 俺は心から感謝し、ゾラスの元へ向かった。
 こういう時のヒュ=レイカは本当に心強い。俺なんかよりもずっと強く、戦闘技術や実戦経験も豊富にある。こっちは元から数で劣っているのだ。『守星』の参戦は正に文字通りの救いである。
 ヒュ=レイカの事は心配する必要はない。俺でも何とかなりそうなんだから、あいつなら余裕で倒せる相手だ。『守星』なんて、この程度の危機でぐらつくような人間に勤まるほど生易しいものではない。
 これで後二人。
 俺とゾラスで一人ずつ、何とかなりそうだ。
「ぐっ……!」
 ゾラスは二人を同時に相手にして戦っている。五人を相手にするよりはずっとましだが、それでも苦戦に間違いは無い。
 二人は本気を出していないのか、決定的なチャンスがあっても勝負を決めにかかろうとしない。
 嫌なやり方だ。
 復讐のためとは言え、ゾラスの表情は覚悟を決めた真剣なものだ。死すらも厭わないだろう気構えの人間に対し、まるで嘲笑うかのような攻撃のやり口。一方、ゾラスは体力に余裕が無くなってきたらしく動きが明らかに精彩を欠いている。傍目から見れば、三人の実力はほぼ横一線だろう。若干、ゾラスが経験で勝りスタミナで劣っているかもしれない。だが数においての不利はそう簡単に覆せるものではない。
 この二人が、これほど真剣なゾラスと同じかそれ以上の実力がある事が、俺は悔しくてならなかった。邪念のある人間には限界がある、とレジェイドが前に言っていた。邪念は必ず自分自身に疑問を生じさせ、疑問は戦闘の時に相手との僅かだが決定的な格差として現れる。そして邪念が消えない以上、この小さな格差は一生消えることは無い。
 どうして邪念を持ったままここまで強くなれたのだろう? 邪念を一つの揺ぎ無い意思に昇華させたからなのだろうか? もしもそうだとすると、きっと俺とは根本的な部分が違うのだ。正しい、と思う事の基準と価値観が。
 そんなに力があるのに、何故歪んだ方向にしか使えないのか。その歪みが自分と同じ拳を磨く過程で生まれたと思うと、酷く嫌悪感を感じずにはいられなかった。人間の道を踏み外した。そんな、低俗な存在に向ける蔑みの気持ちすら湧き上がってくる。
「こっちだ!」
 俺はわざとオーバーアクションを用いて一人にハイキックを放った。その大振りな攻撃を男は難なくかわしてしまう。けれど俺はあえて、更に体を独楽のようにもう一回転させてもう一度ハイキックを放つ。すると今度は上段に構えた腕でガードされる。そこから間を空けず反対側の足で地面を蹴り体を浮かせる。ガードされている足を基点に体を捻り、飛び上がった方の足で同じポイントを水平に蹴る。その勢いを利用して俺は大きく後ろへ跳んで間合いを離した。
 反応と切り替えしが早い。
 ひとまず、簡単に片付く相手ではない事が感じ取れた。
 するとこちらの思惑通り、男はゾラスから俺へ攻撃目標を移してきた。すぐさま構え直し、俺は戦闘態勢を取り直す。
 引き水としてはこれほど有効な攻撃は無い。ハイキックなんて実戦での実用性はゼロに近い。確かにクリーンヒットした時の威力は凄まじいが、それ以上に攻撃に要するモーションが大き過ぎるため、前後に膨大な隙が出来る。ハイキックはほとんど視覚的なインパクトを重視しただけのハイリターンな技なのだ。実戦を重視する人間ほど、この技を使う率は低くなる。
 向こうにしてみれば、俺の事はかなり侮って見ているだろう。確かに俺は二年そこらの凡人だが、だからこそあえてこういう技を使うことで、相手には『逆に自分は侮られている』と思わせる事も出来る。本当にそう思っているのか、それとも小うるさいから片手間に片付けてしまおうと思っているのかは分からないけれど、とにかくゾラスから一時的に引き離す事は出来た。
今の目的は、ゾラスが負担する二人の相手の内一人を俺が引き受ける事なのだ。どっちだっていい。
 すぐさま繰り出されてきた、流派『修羅』の変形握拳。その指一本一本には、人間の肉をやすやすと抉り取る破壊力がある。当然、その指に捕まってしまえばただでは済まない。
 掠っただけでも致命傷だ。
 普通の拳を相手にするのとは比べ物にならない緊張感があった。けれど、初めよりもその拳撃ははっきりと見る事が出来た。気持ちが戦闘に集中し落ち着き始めたためだ。
 決して遅いと呼べるほど緩慢な拳ではない。いや、むしろ極めて自然体から放たれるその攻撃は隙も無く、型通りに放つよりも遥かに速い。しかし、追いつけぬ速さでもない。冷静になって見てみれば、これならレジェイドの攻撃の方がずっとかわし辛い。男の攻撃は速いだけで、しかも露骨に急所を狙っているから軌道がすぐに分かる。レジェイドの攻撃は相手に意図を悟らせず、その上こっちのリズムまで狂わせてくる。毎日そんなレジェイドと相対しているのだから、この程度の攻撃を苦に思うはずはない。
 冷静に軌道を見定めると、素早く体を半身にして一歩背後へ下がって攻撃をかわす。
 空気の流れが俺の頬を軽く打った。
 大丈夫、ペースはこっちが握っている。
 すぐさま俺は前へと踏み込み、同時に握り締めた右の拳を縦に構えて繰り出した。肘を直角よりやや緩く曲げた形で固定し、腕ではなく肩から放つ突き。北斗に来てから二年間、毎日のように繰り返し訓練した技だ。技としては基本的なものだが、それだけに一番力を込めやすく威力も高い。男は、俺が前進する力と自分の放った攻撃の勢いとの相乗をまともに腹に受け、体をくの字に折り曲げた姿勢で両足が地面から離れた。俺の攻撃が綺麗に決まった証拠だ。
 放った腕を戻すと、そのまま重力に従って男は再び地面の上に立つ。しかし自分の足で体を支える事が出来ず、そのまま前のめりに崩れ落ちていった。
 しばらくは動けないはずだ。確かな手応えを感じつつ、俺はひゅうっと息を吐く。
 これで残るは一人だ。
 二対五だった構図が、二対一にまで好転した。もはや負ける要素は何一つ無い。
 勝てる。
 そう思うと、戦闘中だというのに不覚にも口元を綻ばせてしまった。
 戦闘中に一番やってはいけないのは、勝てる、と安心してしまう事だ。ふと、レジェイドの言葉が脳裏に浮かんだ。勝利を主観的に確信してしまうと気が緩み隙が生じてしまう。相手にしてみれば、又とない攻撃のチャンスだ。戦闘のプロフェッショナルである北斗は、戦闘が終わるまでは一瞬たりとも隙を見せてはいけない。北斗は勝つ事と守る事が存在意義なのだ。
 早くゾラスを援護しよう。
 俺はゾラスの元へ向かおうと後ろ足を蹴った。今の戦闘にはほとんど時間はかかっていない。まだ間に合う。
 丁度その時、ゾラスと相対している五人目の男は位置取りを誤ったのか、俺の方向に対して背中を見せていた。
 チャンスだ。
 この好機を逃す手は無い。確実に、一撃で仕留めるための攻撃目標を俺は画策した。
 背中側からの攻撃は必然的に不意打ちとなるため、基本的にはどこを狙っても急所相当のダメージが与えられる。しかし、それは相手が素人の話だ。確実に倒すのであれば急所を狙うのは必定だ。ただ布石を張る必要が無い分、急所は自由に選ぶことが出来る。
 後頭部。
 首側部。
 肺。
 腰。
 いずれか一箇所を全力で蹴れば、男は確実に動く事が出来なくなる。いや、当たり所が『良ければ』殺してしまうかもしれない。
 立件出来ていないだけとはいえ、何の罪も犯していない同じ北斗の人間を殺してしまう事がどれだけの重罪に当たるのか。俺はまるで考えていなかった。ただ感情の赴くままに、しかし体は叩き込まれた流派『夜叉』の戦闘理論に忠実に従って突き進んでいた。
 しかし、
「来るな!」
 突然、標的越しにゾラスが怒鳴った。そのあまりの迫力に、俺は思わず全力で踏み出した足を止めた。
 その一瞬の隙を突き、男はゾラスに対して鋭い前蹴りを差し込んだ。ゾラスは咄嗟に背後に飛んで威力を軽減するも、まともに受けて大きく後ろへ吹き飛ばされた。咄嗟に俺は男に再び攻撃を仕掛けようとする。しかし、ゾラスは大きく手のひらを俺に向けて強く制止した。
 一体、何故?
 ゾラスの行動が理解できず、俺はその場に困惑したまま立ち尽くした。するとそんな俺に、更にゾラスが唸るような低い声で叫んだ。
「こいつだけは、私が始末する……!」
 その表情は、これまでとは打って変わって、まるで鬼のような恐ろしい形相だった。
 この五人目の男に、ゾラスが他の四人とは明らかに違う感情を抱いている事の証明だ。



TO BE CONTINUED...