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私はいつも余裕がありません。
ただ、生きていくだけで精一杯。まるで張り詰めたロープです。
そうなる原因は一つ。私にそれだけの余力がないからです。
もっと力が欲しい。少しでもいいから余裕のある生活をしたい。
切にそう思います。
「ストップ!」
その鋭い声に、私は心象世界から引き戻されました。
目を開けると、そこには私が思い描いたイメージには程遠い、無秩序に膨張した氷塊がありました。表面には太い氷柱がまるで木の枝のように幾つも枝分かれしながら伸び、奇妙な形を作っています。全体的な形は平面と曲面が不規則に混じった、なんとも形容し難い姿になっています。私が描いたイメージは、手のひらに乗るほどの小さな氷塊だったのに。出来上がったのは似ても似つかぬ、このような残骸でした。
「ああ、もう。全然ッ、駄目。もっと小さくって言ってるじゃない」
「すみません……」
ファルティアさんはやや苛立ったように頭を掻きました。私はただ項垂れ、この目の前にある失敗作から意識を切り離します。その途端、あんなに大きな塊が一瞬で砕け消えました。精霊術法の特徴です。
一夜明け、私は昨日に引き続き、凍姫の訓練所で精霊術法の制御訓練をしていました。私のチャネルはあまりに大きく、膨大な量の魔力を送り込んできます。魔力には理性を磨耗させていく副作用があるため、魔力の量をうまく調整出来なければ、理性を失って無作為に魔力を放出する暴走状態に陥ってしまうのです。だからこそ私は魔力の制御を一日でも早く習得しなくてはいけないのですが。結果は見ての通り、まるで進歩がありません。
「もっと魔力を絞って。そのまんまじゃすぐに暴走しちゃうわよ」
「はい……」
ファルティアさんの叱責が耳に痛いです。
私は凍姫に、自分を強くするために入りました。そしてそのための第一歩が、精霊術法と呼ばれる戦闘集団北斗が世界で唯一実用化した戦闘技術の習得です。しかし、私はいきなりそこでつまづいてしまっています。チャネルが開いたため、私は魔力を扱う事は出来るようになりました。けれどそれは自分ですら制御が出来ず、更に暴走事故を引き起こす危険と紙一重という恐ろしいものです。
私が求めていた力とは、あくまで自分とその周囲を守るためのものであって。こんな無差別に何もかもを壊してしまうような恐ろしいものではありません。それは、今はただ制御が出来ないだけであって、本当はもっと素晴らしい力なのかもしれませんが、今の時点では私の思うような所へは少しも作用したりはしません。単なる抜身の刀。そして、それを収める鞘はまだあまりに小さいのです。
私は大きく息を吸って、吐き。目を閉じてイメージを描き始めました。小さな小さな氷塊。手のひらに乗りそうなほど小さく、落としてしまったらあっという間に砕けてしまいそうなほど脆く、乗せている手のひらが痺れるほど冷たく、まるで汗をかいているかのようにその滑らかな表面に水滴を浮かべ。
その鮮明になったイメージを持ち、私は暗い道をチャネルの入り口に向かって歩いていきます。その間もイメージをより鮮明化するのは忘れません。氷塊の輝きや、映り込む像の投影具合までを、実物を見てイメージを作った時のように。
やがて、私の目の前にそれはそびえ立ちました。赤錆色の鉄で作られた、私の身長の何倍もある大きな観音開きの門。その左右にはいつものようにおどろおどろしい獣が二匹、番をするように張り込んでいます。それは首が三つもある犬のような生き物です。よく見れば首には赤錆びた鉄の首輪をつけ、それと門の端とが私の体ほどもある太い鎖で繋げられています。
二匹、十二の視線を振り切るように、私はゆっくりと門に手をかけました。そして手にしたイメージをもう一度確かめます。
ごごご、と悲鳴のような金属同士の摩擦音と立てて門が開いていきました。私はすかさず門を押し留めると、僅かに開いたその隙間へイメージを投じました。
これで門の向こう側にいる異相に住むという精霊が、私の送ったイメージを元に魔力を精練して送り込んできます。後はその魔力を私自身が手のひらの上に浮かべるだけで―――。
と。
突然、私の背をぞくりと走る恐ろしい感覚を感じ取りました。
駄目……!
その感覚は、この門の向こうからやってきます。まるで猛獣の群れが向かってきているかのような、そんな荒々しさがビリビリと背を打ってきます。
それをこちらに出してはいけない。私はすぐさま僅かに開いた門を閉じてそのまま開かぬように押さえました。けれど、その直後に向こう側から門をこじ開けようとする力が打ってきます。その力の勢いは凄まじく、あっという間に押し留めようとする私は弾き飛ばされました。
「ストップ!」
再び、ファルティアさんの鋭い声が私を現実へと引き戻します。そして、目の前には案の定、先ほどと何ら変わりのないイメージとは程遠い氷塊がありました。いえ、一回りほど大きくなっているようにも見えます。
「駄目駄目ッ! さっきより酷いわよ! もっと集中して!」
「はい……」
ファルティアさんの苛立ちは先ほどよりも大きくなっています。無理もありません。私はずっと同じ失敗ばかりを繰り返しているのですから。
「もっとしゃきっとする! いい!? リュネスはチャネルが大きいから、普通の人よりも暴走しやすいし、その規模も大きいの! あんまり言いたくはないけど、Sランクよ!? Sランク! もしも暴走しちゃったら、東区どころか北斗そのものが危ないんだからね! そこも考えて、もっと真剣にやりなさい!」
轟と降りかかるファルティアさんの叱責。私はただ黙ったまま項垂れて、それを聞いていました。
私のチャネルは普通の人よりも遥かに大きいのですが、その結果、制御が極めて難しくなるほどの大量の魔力が供給される事になります。魔力には理性を侵蝕する副作用があります。その侵蝕がある一定限界を超えれば暴走が始まり、私は自分自身すらも制御が出来なくなって魔力を撃ち放つようになってしまいます。そうなってしまえば、私は北斗に害をもたらすものとして排除されるだけです。自分とその周囲を守るための力が、人々を傷つける力になってしまうのです。もちろん、私はそうなりたいとは微塵も思っていません。自分が死ぬよりも、関係のない人達を傷つけてしまう事の方がずっと恐ろしく思います。もしもそうなってしまえば、きっと私は自分を許す事が出来ないでしょう。だからそうならないためにも、一日でも早く魔力の制御が出来るようにならなくてはいけないのです。
けれど、私は制御どころか初歩中の初歩すら思うように出来ていません。このままでは近い将来、私が魔力を暴走させてしまう事は目に見えています。そうなれば私だけの問題では済みません。私が所属する凍姫の頭目であるファルティアさんに責任問題が行くだけでなく、北斗そのものの存在の危機となる大問題にすら発展しかねないのです。にも関わらず、私は一向に進歩を見せないのです。ファルティアさんでなくとも焦りを募らせるのは当然の事です。
「ちょっと、ファルティア。いい加減にしたら?」
と、そこへ割って入って来たのはラクシェルさんでした。
「うっさいわね、邪魔しないでよ。リュネスにはね、少しでも早く最低限の制御ぐらいは身に付けてもらわないと困るのよ。アンタだって分かるでしょうが。Sランクのチャネルがどれだけ危険なのかって事ぐらい」
「分かるけどね、急いでやろうとしたって出来るもんじゃないでしょう? 早くやれだの、もっと集中しろだの、そんな矢継早に言われて。リュネスだって頑張ってついて行こうとしてるんだから、指導するにしてももう少しその辺りを汲み取るような指導をしなさいよ」
「甘やかしたってしょうがないでしょうが。そのせいで暴走事故を起こしたら、どうするつもりなの?」
「少なくとも今のままじゃ、そうなってもやむなしでしょうに。こんな効果のない指導なんか続けてさ。リュネス、ちょっと外でも歩いてきて気分転換しておいで」
二人の間の空気が酷くピリピリしています。ラクシェルさんも口調こそ柔らかいのですが、その口調から胸の奥にファルティアさんと同様の苛立ちを募らせているのが手に取るように分かります。私は気の利かない人間ですけど、こういう事だけには鋭く反応するのです。
私はこくりとうなずき、そっと立ち上がるとホールを後にしました。
「どうした?」
廊下に出ると、丁度リーシェイさんと鉢合わせました。
「いえ、その……気分転換に」
「そうか」
リーシェイさんは意外にもあっさりとうなずいただけで終わりました。そして、
「落ち込むにはまだ早過ぎる。しかし、気持ちの整理はいつでも必要だ」
そっと私の肩に手を置いて優しげな声でそう囁くと、そのまま私と入れ替わりにホールへ入っていきました。いつもだったら、もっと他に色々としてくるのですが。もしかすると私を気遣ってくれているのかもしれません。
そしてそのまま訓練所を後にします。
外の空気に触れた瞬間、私は重い溜息をつきました。
どうして自分はこう何をやってもうまくいかないのでしょうか? そして、どうして自分は意志がこんなに弱いのでしょうか。北斗に入る事を決めた時からこれぐらいの辛さを味わうなんて覚悟していたのに。立ちはだかった最初の壁を前にして、もう私はうつむいてしまっています。
とにかく、今は気持ちを切り替えなければ。ファルティアさんだって、私の事を思ってああ言っているんです。実際、私は自分の意思を抜きにしてでも魔力の制御をいち早く習得しなければならないのです。私が暴走してしまったら、私だけでなく数え切れないほど沢山の人が多大な被害を受けてしまうのですから。
今の気持ちは酷く塞いでいます。精霊術法の事もありますけど、もう一つ気にかかっている事があります。
それは、昨夜の夕食会での事です。シャルトさんと久しぶりに会えたにも関わらず、一言も言葉を交わせなかったのです。本当はもっと沢山話をしたかったし、借りたままになっているシャルトさんの上着の事も何か言っておきたかったし。それに出来れば、もっと別な事も……。
けれど、それは全て私の空想で終わってしまいました。みんながお酒が入ってしまってシャルトさんが絡まれ、結局はまともなチャンスが作れなかったのです。そもそも、私自身にも『押しが弱い』という欠点があります。チャンスが来るのを受身になって待っているのではなく、自分から積極的に作りにいくべきなのです。そもそも、シャルトさんと場を一緒にするあの機会自体が思わぬ幸運だったのです。でも、私はそれを生かす事が出来ませんでした。やっぱり私はいつもこうです。チャンスがあってもそれを生かす事が出来ず、うじうじとしてしまっている。とどのつまり、私はいつまでも『私』であって、どうやっても成長する事が出来ないのです。
そこで私は思考するのをやめました。いつまでも同じ事を何度も掘り返すのは私の悪いクセです。ひとまず考える事はやめにしましょう。この辺りを軽く散歩でもすれば、少しは気分が切り替えられるはずです。凍姫のある東区はまだあまりよく知らないのです。何か新しい発見があるかもしれません。
―――と。
「あ!」
その第一歩目を踏みしめたその時、突然横から誰かの声が飛んできました。
振り向くと、そこに立っていたのは。輝くようなハニーブロンドと雪のように白い肌。そしてすらりと伸びた四肢とスタイルの持ち主。昨夜、会った、ルテラさんでした。
「どうしたの? まだ訓練じゃない?」
「……その、小休憩です」
「ふうん、そっか。じゃあ、さ。これから一緒にお茶飲みに行かない? お近づきの印にオゴってあげるよ」
「い、いえ、そんな。結構です」
突然そんな誘いをされても、私は困ってしまいます。ルテラさんとは昨夜に初めて会って、一言二言言葉を交わしただけの間柄なのですから。
しかし、
「まーた、遠慮なんかしないの。実はね、ちょっとお話したい事とかもあるしさ。本当は昨夜のでしときたかったんだけど、途中で分かんなくなっちゃったからねえ。だから、改めて」
「そ、そうですか……」
これ以上断り続ける訳にもいきません。私はこっくりとうなずきました。
「よし、じゃあ行きましょう」
ルテラさんはそうニッコリと微笑みました。
TO BE CONTINUED...