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「さて……と」
俺はそそくさと机の上を片付けると、勢い良く制服の上着を脱ぎ捨てる。そのまま軽い足取りで、部屋の隅にあるクローゼットを開ける。中には俺の私物であるジャケットやらが数点、綺麗に並んでいる。俺は今日の気分で赤いカッターシャツと黒のジャケットの組み合わせにする事にした。
服を着替え、今度は洗面台の方へ向かう。鏡の前で僅かに目立ち始めた髭を剃り、髪型を直す。ジャケットとシャツの襟を整え、最後に軽く笑顔を浮かべて印象を確認する。採点結果は極めて良好だ。久しぶりに定時に帰れるのだ。しかも今日は週末。誰もが気分踊る最高の夜が始まろうとしている。そう、何人も俺を止める事は出来ない。そんな古いセリフも、何の恥ずかしげも無く頭の中に自然と浮かんでくる。こう羽目を外す機会もここのところ恵まれていなかった。風無の件が原因の大半なんだが、今となってはその怒りをぶつける対象が消息不明だから仕方ない。人間、適度に外していかないと必ずどこかで不整合が起きる。たまにならば浮かれるのも健康にはいい。
身支度を整えると、自然とスキップを踏んでしまいそうな足を押さえつつ、部屋を出て下へ降りる。窓から見える外の景色は、丁度宵の口に入り始めていた。北斗の街並みも降りてきた夜の帳に合わせ、ぽつりぽつりと様々な色の灯かりを灯している。星空ともまた違う、人工的な光の散布図がより俺の胸を躍らせた。
「あ、お帰りですか?」
一階のロビーへ降りてきたその時、たまたま歩いていた事務役の男と鉢合わせた。
「帰り? まさか。夜はこれからだぜ」
そう俺は意気揚々と、そいつの背中をばんばんと叩く。しかし俺とは違ってそいつの表情は浮かなかった。手には依然仕事中で、尚且つ当分はかかりそうな事を示す量の資料が携えられている。どうやらこれから休み無しで残業のようだ。
哀れなもんだな、とは思ったが、普段は俺の方がずっとこういった細かい仕事に恵まれている、否、苛まれているのだ。定時に帰れる事自体が稀なもんだから、今日を犠牲にし次の日に賭ける、といった打算的なやり方をしないと、とてもまともに自由な時間が作れない。仕事中の部下を尻目に俺が今夜早く帰れるのは、そういった日々の努力の賜物なのだ。
「それはそれは、お元気で何よりです。ところで、先ほどレジェイドさんを訪ねてきた方がいらっしゃいましたけど」
「俺を?」
「はい。呼んで来ましょうか、と言ったんですが、急ぎの用でもないというので。それでロビーの談話スペースの所で待っていますよ」
つまり、急ぎの用でもないのに多忙極まりない俺を訪ねてきたと、そういう事か。だが、せっかく来てくれたのに申し分けないが、俺は仕事とプライベートは出来る限り両立する主義の人間だ。今日はもう業務は終わらせて夜の街へ繰り出すところだ。仕事の話など、耳を潰してでも聞きたいとは思わない。既にスイッチが切り替わっているのだ。仕事からプライベートには簡単に切り替わるが、その逆は困難を極めるのである。
「悪いが今夜の俺は立ち止まってる暇はなくてね。俺はこっそり出て行くから、適当に誤魔化しとけ」
仕事の話ならば来週へ後回しにしてもらおう。それは俺の希望ではなく決定事項だ。どれだけ重要な話であろうとも、急ぎではないと明言している所を見ると、少なくとも人命に関わるほど切迫している訳ではないようだ。だったら後回しにしても別段問題はないはずだ。今すぐに解決しなくてはならないのでなければ、俺は自分の都合を最優先する。特に野暮な類の用件なんざ、面と向かって無視するぐらい露骨な態度を取れる。それだけ今日という時間は貴重なのだ。
せっかくの、週末に取れた休みだというのに。そんなくだらん事で無駄な時間を使えるものか。そう思って俺はそそくさと玄関の方へ向かおうとした。だが、
「いいんですか? 女性の方でしたけど」
そう、事務役の男は俺の態度を見透かしたかのように付け加えた。
「どんな?」
まさかルテラがたかりに来たのではないだろうか? いや、ルテラの事はこいつも知っている訳だから、来てればルテラが来たと言うはずだ。仕事で来たのならば、基本的に所属名で伝えるはず。となれば、それ以外で俺を訪ねてくる女とは、一体誰だろう? 心当たりがあり過ぎて見当がつけられない。
「見覚えはありませんが、頭目の知り合いじゃないんですか?」
俺は玄関へ向かい始めた足を止め、素早く頭の中にある俺なりの損得勘定を行う計算式を走らせる。俺を足止めするのは、くだらん仕事ではなく、あくまで私的事情で来た女性。それならば、いちいち街へ繰り出して引っ掛ける必要もない。何も落とす自信がない訳ではないが、せっかくの休みだ、せめて女と話せる時間は出来る限り長く取りたい。そういった観念から考えると、せっかく訪ねてきてくれたのに反故にするのは少々もったいない。
「よく考えてみたら、少しばかりの回り道も悪くない」
俺は急遽予定に若干の変更を加えると、行き先を玄関からロビーへ変更した。背後から溜息交じりで、いってらっしゃい、と声をかけられる。まあ、俺と違って限りなく女とは縁の無さそうなヤツだ。羨望の一つもあるだろう。
頭の中で訪ねてきた女性の姿をあれこれ想像しながら、ロビーの談話スペースへと足を急ぐ。丁度二十人ほどは収容できる談話スペースには、ぽつりぽつりと人の姿が見かけられた。やはり週末という事もあって俺と同じように遊びに繰り出す約束をしている者は多いようだ。仕事を疎かにするのは問題だが、全く遊ばないヤツも問題だ。楽しむ事を知らないヤツは長生きしないし大切なコミニュケーション能力も失われていく。
さて、俺を訪ねて来たのは誰だろうか?
そう俺は周囲を見回す。と、その時、
あ、あれは……。
俺の気配に気づいた一人の女性が、ゆっくりとイスから立ち上がってこちらを振り返った。
「こんばんわ。お久しぶりです、レジェイドさん」
静かな声で微笑みかける。その姿に俺はしばし目を奪われた。
女性は、凍姫の事務をやっているミシュアだった。最後の記憶では、ミシュアは凍姫の制服で血まみれの姿だったから、ナイトドレスで着飾った今の姿は一瞬見紛うほど美しい。
「ミシュアじゃないか。なんだ、退院したんなら連絡ぐらいよこせよ。もう体の方はいいのか?」
「ええ、おかげさまで。ただ、入院のせいで少々体が弛んでしまいまして。本当はすぐにでもご報告に上がらなくてはいけないのですが、こちらの都合を優先させて頂きました」
にっこり微笑んで答えるミシュア。
なるほど、体は治っても体型の締まりが戻るまでは人前に、いや俺には姿を見せたくなかったと、そういう訳か。今着ているナイトドレスだって、割と体の線が出やすいものだ。無論、ミシュアのラインは一片たりとも崩れてはおらず、なかなかつい視線を向けてしまう。一体どれだけ崩れたのかは分からんが、随分時期が空いたところを見るとかなりの努力を費やしたようである。
そういえばミシュアは、現役当時はスファイルのヤツに続く実力者で、俺も顔より先に名前の方を覚えたほどだ。性格も真面目で品行も良く、事務能力にも長けている。スファイルがいなければミシュアが頭目になっていたとか言われているらしいが、俺にしてみればミシュアの方がよっぽど頭目に相応しいと思う。今の頭目のファルティアなんざ悪名の方が高い訳だから、ミシュアに代わるべきだ。なんて事を言っても仕方ないし、そんな事よりもだ。
氷の精霊術法で作り出した大剣で、群がる敵を次から次へと斬って捨てる戦闘スタイルと同じように、ミシュア自身も刃のように鋭い印象が否めない女だった。冷徹とか非情とかいうマイナスイメージではなく、俺とは違って決して人前で羽目を外さない、そんな真面目過ぎるタイプのイメージがあったのだ。
こいつ、こんなに笑うヤツだったかな……?
今夜のミシュアは、どういう訳か自然に笑みをこぼしている。しかもその表情は驚くほど魅力的だ。訪ねてきたのがミシュアという事、そして彼女の様子が明らかに変わっている事とで二度も意表を突かれたせいか、やや俺はうろたえかけている。もっとも、本格的にうろたえても顔に出るほど俺は気が弱くは無いのだが。
しばし動揺を楽しんだ後、俺はミシュアの用件に触れる事にした。
「今夜はどうしたんだ?」
するとミシュアは薄いピンクの唇へそっと笑みを含ませた。
「いえ、先日の約束を果たそうと思いまして」
約束。
確か二ヶ月ぐらい前になるだろうか。流派『風無』が突然反乱を起こし、その際に凍姫の本部が風無の本隊に襲撃された。その時凍姫は主力を欠いており、引退したはずのミシュアが出撃するような切羽詰った状態だったが。とある事情で俺はその現場にやってきていた。その時はまた状況が変わっており、凍姫の新人で最近はシャルトと仲良くやってるリュネスが暴走を始めていた。ミシュアはリュネスを止めるよう俺に請願したんだが、俺は冗談で『俺と一晩過ごすか?』などと条件を出した。ミシュアは即答したのだが、俺はちゃんとジョークだと明言している。にも関わらず、まさかそれを本気にしていたとは。ミシュアが固真面目な性格であるのは知っていたが、さすがに驚きを否めない。
「ああ、あれか? だから冗談だっての。俺は人の足元を見て体を取引させるほど落ちぶれちゃいないぜ。これでも自分なりにポリシーがあってな、望まぬ事を強制するのは絶対にやらないのさ」
「そうですか」
と、ミシュアが頷く。よく見れば、なかなか形の良い唇だ。
考えてみると、ここでそれを一晩自由に出来る権利を放棄するのは少しばかり惜しい。だが、今更駄々を捏ねるのもみっともないし、欲しいのであれば、やはり男なら正攻法で手に入れるべきだ。そして俺は、それに関しては人より長けていると自負している。
自ら無効と断言した取引を持ちかける気はないが、このまま何もせず帰すのも勿体無い。アプローチを仕掛けるなら速攻だな。
そう思った、その時だった。
「では、お誘い、というのではどうでしょうか?」
俺の出鼻を挫くようなタイミングで、ミシュアがそう俺に提案してきた。思わぬ奇襲のため状況の理解に手間取った俺は、たっぷり三呼吸分の間を取ってからようやく落ち着いて答える。
「なるほど。美人の誘いなら断る理由がないな」
こちらの出鼻を挫いたお返しと言わんばかりに、わざと少々ストレート過ぎる表現を用いて返答してやる。するとミシュアは一瞬照れた表情を浮かべ、顔をうつむけて薄い笑みを浮かべた表情を隠す。物静かに佇んで攻め辛いかと思えば、割と初々しい所もあるようだ。可愛いものである。
「じゃあ、早速行こうか。いつまでも立ち話をさせる訳にはいかないからな」
「それでは、エスコートをよろしくお願いします」
するとミシュアはそっと俺の左隣へ並んで、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
意外と積極的だな、と思いきや。その絡めた腕が微かに震えている。どうやら緊張があるらしい。ミシュアは、自分では余裕を持って振舞っているようではあるが落ち着きの無さが否めない。案外、こういう経験に乏しいのかもしれない。そのくせ無理して慣れない事をしているのは、それほどまで俺を誘いたかったのか。とりあえず、気づかない振りをしておくか。それがデリカシーというものである。それに、ミシュアのような落ち着きを持った女はなかなか貴重だ。じっくりと攻略していくのも、たまのサバスだ、勝ち目も見えてるしなかなか悪くは無い。
そういう訳で、俺はミシュアを連れながら夜の街へと繰り出していった。
街を行き交う人々の中には、俺のように女連れの男も随分居る。みんなこの週末を自分達なりに楽しんでいるようだ。俺も早い所、駆け引きを楽しみたいものである。
そして俺は、北区の入り口にある馴染みの店の一つにミシュアを連れて行った。パッと見ただけでは看板も掲げていないため入り口も分からない店だが、内装は落ち着いていて流す曲の選曲も良い。いわゆる、知る人ぞ知る穴場、というヤツだ。この店はあまり知られたくないから、連れて行く人間は極力選んでいる。当然だが、ミシュアは十分にそれに値する人間だ。
落とす時の大事な点は、その大半が状況と雰囲気に集約される。多少トークが下手でも、十分にそれだけで補える。後はさりげない気使いとか、そんな細かい点でも気を抜かないでいる事だ。割とこういった所を重視している女は多い。要はどれだけこちらに気を許せるような状況を作れるかどうかだ。ここからは才能よりも経験が物を言う。
早速店の中へミシュアと共に入ると、奥まった所にある、仕切られたやや狭いカウンター席へついた。狭い所では息苦しくて落ち着けないと思われがちだが、その実は互いの距離が必然的に近くなる事で親近感が増すという効果もあったりする。それに、周囲の視線が届きにくいとなれば色々な意味で相手を意識してしまう。ここが狙い目という訳だ。
席についた俺達はそれぞれバーテンダーに注文をする。ミシュアは店内が珍しいらしく、軽く周囲を見回した。ここへ初めて来た人間は大体こんな反応を示す。良い店というのは、自然に客の目を惹き付けるものなのだ。
「ひとまず、乾杯だ」
やがて注文が届くと、互いのグラスを軽くぶつけて鳴らす、お決まりの儀式を執り行う。同時に勝負開始の合図の鐘が俺の頭の中で鳴らされる。
「ところで、凍姫の方はどうしたんだ? ファルティアのヤツが仕事しない分、お前がやってるんだろ?」
「いえ、最近はそうでもないのです」
そう言ってミシュアは、軽くグラスを煽った。どうやらかなり飲めるクチのようである。
「と、言うと?」
「まだまだ雑ではありますが、頭目の庶務等、少しずつ覚えているのです。おかげで私の負担も前に比べるとかなり減りました」
「それでようやく、人並みに週末を謳歌出来るようになったって訳か」
「ええ」
そしてまたもグラスを煽るミシュア。
元々グラスはあまり大きくはなかったのだが、その二口で中身は空になってしまった。飲むペースがやけに速い。体に擦りつけるような、無茶な飲み方だ。まさか久しぶりの酒で飲むペースを忘れてしまったとか言うんじゃないだろうな? 中には元からペースが速い人もいるんだが、思わずそんな心配してしまう。
すぐさまミシュアは二杯目を注文する。そして空かさず一口目で大きく煽った。酒に依存するような破綻した人間ではなかったはずだが。それとも、元々こういう飲み方をするヤツだったのか。
「なんか荒れてるな。どうかしたのか?」
「仕事が減りましたから。そのせいです」
「減ったから? 別にそれは良い事なんじゃないのか?」
「そうですけどね。でも、一概にはそう言いきれないものなのです」
憮然とした表情で二杯目を飲み干す。やはり多少無理をしているせいか、見る見るうちに頬が赤くなり始めた。けれどミシュアは飲むことを止めず、すかさず三杯目を注文する。止めようと思ったが、それよりも早くミシュアはどんどん飲んでいく。そのペースにはさすがにあきれてしまいそうだ。
「よく分からないが?」
「辛い、きつい、なんて文句を言いながらやっていた仕事ですが、いざ無くなると、酷く物足りない気持ちになるのです。何かこう、たとえば長年大切に伸ばし続けていた髪を切り落としたような」
「それは普通の感覚に慣れてないからそう思うだけさ。すぐに慣れる」
「いえ、本当はそれが原因でもないのです」
やや溜息混じり、ミシュアはグラスをバーテンダーから受け取る。バーテンダーも表情がやや怪訝だ。こういう仕事をしているからこそ、その人が適量を守った無理の無い飲み方をしているのかどうかが分かるためだ。つまり、ミシュアは専門家から見ても無理な飲み方をしているのである。
「ファルティア、リーシェイ、ラクシェル。この三人は凍姫に入った時から面倒を見続けてきましたが、何時まで経っても手のかかる問題児でした。ですが、ふと彼女らがそれぞれ人間的にも成長し私の庇護を必要としなくなると、どこか生き甲斐を奪われたような気分になるのです。私は彼女らを正しい人間に是正するために生きている訳ではありませんが、少なくとも私の他に同じ役目を持ち得る人間はいないと自負しています。そのせいか、彼女らを私は自分の所有物のように考えていました。私がいなければ何も出来ない、だから厳しく教育する。けど、今の彼女らには北斗としての自意識と自覚が現れているため、私の教育を必要としなくなりました。私は彼女らにとって居ても居なくても変わりません。これから先は、何が正しいのか、何をするべきなのか、自分の道は自分で考え実行していくのですから」
本音を語れば、ミシュアの言っている事は愚痴以外の何物にも聞こえなかった。ミシュアは頭のいい女だから、自分が愚痴を語っている事も自覚しているだろう。それでも吐きたかったから、無茶な酒の飲み方をしているのかもしれない。
「まあ、俺にも一人、手のかかるのが居るんだが。正直、確かにお前と同じように、自分の所有物のように考えているな。こうしなきゃ駄目だ、とか、自然と自分の主義主張まで押し付けちまってる。でも、意外と手をかける必要はなかったりするんだよな。気づかない内にずっと前の方へ進んでたりしてさ。そしてある時、おやっ、って思わされる。お前の場合、それがあまりに遅くて一気に来ただけさ。それでお前は戸惑ってるんだよ」
「私は動揺しているだけなのですか?」
「そんなもんだ。手がかからなくなった事は、寂しがるよりも喜んでおけ。そして手が空いた分、自分のやりたい事をすればいい」
「やりたい事ですか……」
「無いのか?」
「無い事もありません」
ミシュアは酒の勢いもあってか、そのまま一人で次から次へと喋り続けていた。俺は珍しく専ら聞き役に回る事となった。ミシュアは視線が座り、大分酔いが回っている。人間、酔うとややパラノイア的になるものだ。自分では冷静だと思っていても、傍から見れば酔っているのは明らかである。我を忘れて全く正常な思考が出来なくなった訳ではないようだが、普段の刃のような鋭さと理性の厚い壁に亀裂を生じさせるぐらいには十分の酒の量だ。
なんだか、単なる愚痴聞きしているだけになってきた。まあ仕方がないと言えば仕方がないが、なんだか口説くような空気でもない。ミシュアは同じ凍姫の人間には愚痴をこぼせなかったから、俺の元にやってきたのかもしれない。光栄な人選だが、週末を艶っぽい楽しみ方をするつもりだった俺には若干の物足りなさも否めない。ま、別にいいさ。俺は基本的に女性の立場中心で物事を考えるのだ。俺の都合は次点で構わない。
「ところで、時間の方は大丈夫ですか?」
「ん? ああ、そういえば明日は会議だったな」
そこを突いてくるって事は、暗に『帰る』事をアピールしているのだろうか? いきなり痛い所を突かれた。まあ、ミシュアももう今夜はそんな気分ではないだろう。せっかく愚痴を吐いて気持ちが良くなったんだ。そのまま帰ってもらえればそれでいいか。
「すみません。私、あまり話す事は得意ではないんです。盛り上げる事は出来ませんでしたね」
「人間、人の中で暮らしていれば愚痴の一つも出るだろうさ。いい毒抜きになったら、俺は構わんさ」
ミシュアはくすりと笑い、そっと立ち上がる。が、突然バランスを崩してぐらりと傾いた。
「おっと」
咄嗟に俺は腕を伸ばしてミシュアを抱えた。覗き込んだミシュアの表情は、自分がどうしたのか理解していないようだ。
「大丈夫か?」
「……とは言い難いですね。少し飲み過ぎたようです」
「うちまで送ろう。どこに住んでるんだ?」
と、
「ここからは少し遠いので……」
言葉を濁し、視線を露骨にそらすミシュア。その割に、抱き抱えられたまま自分の足で立とうとしない。
む、好機か?
「じゃあ、俺の部屋にでも来るか?」
今夜も冗談が生み出した機会だ。また冗談から、もう一段階上の機会を作り出せるかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつ、ほんの試しにそう訊ねてみる。すると、
「……ええ」
意外なほどあっさり、こくり、とミシュアは小さく頷いた。
頬の赤さは、どうも酔いによるものだけではないようだ。
TO BE CONTINUED...