BACK

 目を閉じていても無数の視線が自分に突き刺さってくるのをリュネスは感じた。
 その上、今の一同は適度な酒が入った事で気分が浮かれ、遠慮というものがまるでない。向けてくる視線はただ一つ、圧倒的な好奇だ。
 そんな注目に晒されている自分を意識すると、リュネスは恥ずかしくてたまらなかった。別段恥じ入る報告をする訳ではないのだが、人前に立つ事が苦手な性分に生まれついたリュネスにとってはあまりに困難な事だった。
「私はシャルトさんと付き合い始めて一年経ったんですけど、その……」
 顔を赤らめてうつむくリュネスは既に顔を上げる事が出来ず、もじもじと胸の前で組んだ指を動かす。ルテラはそんなリュネスに向かって、頑張れ、と心の中で声援を送っていたのだが、他一同は相変わらずそんな姿を面白がって見ている。
 しかし、その次の瞬間、一同は一瞬で酔いの醒めるような言葉を聞かされる事になった。
「私、赤ちゃんが出来たんです。シャルトさんの……」
 顔を真っ赤にしてうつむけるリュネス。
 シャルトもまたどんな表情をすれば良いのか分からず、曖昧な何とも取れぬ表情を浮かべた。
 一同は蒼然としたままその様を見ていた。誰もが皆の表情を窺い自分の出方に対して慎重に構えている。
「そうなんだ……。だからその、何と言うか、俺……」
 視線の集中砲火を浴びるリュネスをかばおうと、シャルトが遠くから言葉を挟もうとする。しかし、肝心の言葉を巧みに操る能の無いシャルトは、口火を切ったはいいがただ唸るだけで言葉らしい言葉は一つたりとも放つ事が出来なかった。
 しばし一同は言葉を失った。
 決して不幸な事ではなく、むしろ喜ばしい事だろう。けれど、そんなに簡単な問題でもない事もまた事実だ。子供を作り養うという行為は、達成するために幾つものハードルを越えなければいけない。にも関わらず、作る事だけは非常に容易なのだ。それをハードルを乗り越える準備も無くしてしまうと、当然だが乗り越えなければいけないハードルは余計に高くなってしまうのである。
 なんと言おうか、さすがに酔ってはいるもののその程度の配慮に苦心した。ここは半分茶化すように明るく盛大に祝えば良いのか、現実的に今後の事を親身になって話し合えば良いのか、どういった方向へ向かえばいいのか場の空気をしきりに読み取る。
 すると。
「あー、いいかな?」
 そんな状況を見かねたのか、急にヒュ=レイカが乗り出して注目を自分の方に集めた。
「まあ、若気の至りで致しちゃったって所のようだけど。それで、これからどうするの?」
「俺はリュネスの思う通りにしてやりたいと……」
「ダメダメ、分かってないなあ。そうやって責任を押し付けない。こういうのは二人の問題なんだからね。ちゃんと二人で今後の身の振りを話し合わないと」
 うん、とシャルトは小さく頷き返し視線を落とした。やはり現実的な問題を考えれば、あまりにその重圧は重苦しいのだ。それを片方に押し付けてはならない、というヒュ=レイカの戒めだった。的を射た意見であると理解出来るだけに、シャルトには耳の痛い言葉だった。
 だが。
「どっちみち、こういう場で話し合うもんじゃないね。今はとりあえずおめでとうって事で、現実的な問題は後日お酒抜きでやろう。っていう事でオシマイ」
 ぽん、とヒュ=レイカは手を打ち鳴らした。その音に誰しもが急に目覚めたかのように我に帰る。
「さて、シャルト君。そっちにばかりいないでさ、一緒にお酒飲もうよ」
「いや、俺はあんまり好きじゃないから」
「何言ってるんですか。シャルト君は足の怪我が治って無いんですよぉ。じゃあ、私がこっちに連れて来ましょう」
 そう言ってリルフェはひょこひょこと小走りでシャルトの後ろ側に回った。まさか抱き抱えるつもりか。そう思ったシャルトは慌てて止めさせようとしたのだが、次の瞬間、全く別の感覚に見舞われた。それは空を飛ぶような浮遊感である。
「うわっ!?」
「さあ、こっちこっち」
 視点が明らかに高くなった。そして座っているベンチが酷く不安定にふらふらと揺れている。背もたれに掴まっていなければずれ落ちてしまいそうだ。
 リルフェの声はベンチの下から聞こえて来た。つまりリルフェはシャルトの体をベンチごと持ち上げたのである。リルフェは決して大柄な体格の持ち主でもなく、手足の筋肉も極普通の一般的な女性のそれと同じである。しかし、彼女は精霊術法を習得した際の副作用で常人離れした筋力を手に入れている。その筋力を持ってすれば、この程度のことは造作も無いのである。誰しもに起こる事ではないのだが、筋力が強化されるのは割と一般的な現象である。北斗の人間が一般人にさながら超人のように見られるのも、こういった副作用により得られた能力も理由の一つとなっている。
「ちょっと、リル。飲み過ぎよ。いったんそこに下ろして!」
「大丈夫ですよぉ。まだまだ全然、飲んだ内に入りませんし」
 と言うリルフェの足元は蛇行気味であった。だが、フォローしようにもリルフェがふらふらと定まらないため、手を出すにしても危険で出しようがないのである。迂闊に手を出せば、かえってリルフェがバランスを崩しかねないのだ。
 しかし。
「あらら」
 突然、リルフェは何も無い所でつまづくと、そのまま前のめりになって転んだ。びたん、とろくに手もつけずリルフェは顔から地面にぶつかり、その上に持ち上げていたベンチが落ちてきた。その拍子にシャルトの体が転んだ方向へ投げ出される。
「おっと、危ないな」
 投げ出された先にあるのは地面、足が思うように動かない以上受身もろくに取れないため、その固い衝撃を覚悟した。けれど、実際に味わったのは遥かに柔らかい感触だった。
 投げ出されたシャルトの体を受け止めたのは地面ではなく、咄嗟に飛び出したリーシェイだった。
 リーシェイはそのままにっこりと微笑むと、ぎゅっと自分の胸の中にシャルトを抱き締めて離そうとしなかった。片手での抱擁だったが逃げ出そうにも足の踏ん張りが利かないため振りほどけず、ただ手をじたばたを振るだけだった。
「何するんですか、リーシェイさん! 駄目です! 返して下さい!」
 すると、すかさずリュネスが珍しく血相を変えて勢い良く歩み寄ると、そのまま勢いに任せてリーシェイからシャルトを強引に引き離した。キッと真っ向から見据えてくるリュネスの表情にリーシェイは思わず苦笑いを浮かべるも、脹れたリュネスの表情の愛らしさに、わざと唇を接近させる素振りをして見せた。過去の事例もあったためリュネスは敏感に反応して後退りしたがリーシェイはそこまで追って来ず、そんな仕草を面白そうにただ見つめていた。
「いたーい、いたい! 骨が折れました!」
「まったくもう。怪我人じゃなくても、そういう事をしてはいけないわよ」
 シャルトをリーシェイの胸に飛び込ませる原因を作り出したリルフェは、ベンチに下敷きにされながらじたばたと両手足を動かして助けを求めていた。自力でも脱出出来そうなものを、あえてやらないのは理知的な思考が出来なくなっているからである。ルテラはやれやれと肩をすくめながらベンチを起こし、尚もじたばたと暴れるリルフェを立ち上がらせた。ベンチは釜の炎が熱くない程の位置に置き、そこへリュネスが肩を貸しながらシャルトを座らせた。
 リルフェはこう見えても軽率な行動を取る事は滅多にない。幾ら酔っているとは言っても、自制心までそう簡単に無くしはしない。案外、場の空気を考えてわざとこんな行動の出たとも考え得る。リルフェとはそういう計算高い所も持ち合わせているのだ。
「フッ、意外とやるようだな。しかしそろそろ限界だろう」
「はあ? ようやく体が温まってきた所だ。お前こそ、いい加減痩せ我慢は体に良くないぜ」
 そんな騒ぎなど余所目に、レジェイドと連木は例の酒で飲み比べを続けていた。同じ御猪口に相手に注がせては飲み干し、次は少なくとも注がれた分と同じ量を相手に注ぐといった行動を繰り返している。二人は酒に酔っても顔に出るタイプではなかったが、目つきが座り明らかに酔っている事が見て取れた。たったこれだけの短時間でこんな状態になってしまう所から、単に根気比べでの飲み方が原因ではなく、単純に連木の酒は相当強いものであると窺えた。だが二人は意地になって一歩も引く様子は見せなかった。相手よりも先に倒れなければいい、といった心構えでぶつかり合っているのである。
 さすがに危険な飲み方を続ける二人を見兼ねて、ミシュアは遂に止めに入った。けれど、レジェイドは元より、口数が少なく物静かな印象の強かった連木からすら抗議を受け、止む無く勝負を預かる事は断念した。しかしこのまま見過ごす訳にも行かず、ミシュアは術式で氷の刃を体現化させると、御猪口を中程から輪切りにした。底を浅くする事で一杯で飲む量を減らすためである。もっとも、減った分ペースを速めればそれほど大差は無くなるのだが。
 鉄板で炒める役割は暗黙の内に抹消され、個々が食べたいものを自分で焼く形に変わっていった。しかし中には面倒臭がる者も少なくなく、人が焼いた分を横から掠め取り、諍いに発展する光景も珍しくなかった。
 シャルトには自然と誰かが配るようになっていた。立ち上がれない者への当然の配慮である。テュリアスはその中から自分の好きなものだけを、こそこそと掠めるのではなく堂々と皿に手を伸ばし、時にはシャルトに口へ運ばせたりしていた。
「ところでさ、実は僕も発表があるんだけど」
 ひとしきり食べ終え、じっくりと酒を飲み始めるようになった頃。不意にヒュ=レイカがそんな事を口走った。しかしその声は自ら積極的に聞かせようというものではなく、誰かに聞こえればそれで良い、といった普段の調子の声量だった。
「どうかしたの、レイ?」
 ルテラは最後の海老をリルフェと箸で引っ張り合いながらヒュ=レイカに問い返す。だが一瞬目を離れたその隙に、リルフェがテーブルナイフを持ち出して素早くルテラの箸が掴むすぐ傍を切り離し、一息で自分の口の中に放り込みながら逃げ出す。最後に、ルテラは栄養足りてるじゃないですか、と捨て台詞を残した。
「うん、実は僕、北斗を出て行こうと思うんだ」
 そう言ってヒュ=レイカはグラスの葡萄酒を飲み干した。ルテラは卑怯な手段で海老を奪っていったリルフェを追いかけようとしたがヒュ=レイカの言葉に踏み出そうとした足を止め、代わりに手近にあった新しい葡萄酒の瓶を手に取ると蓋を開けてヒュ=レイカのグラスに注いだ。
「どうしたの急に?」
「まあ、所謂ホームシックっていうヤツかな」
 ヒュ=レイカは軽くグラスを傾けながら何とも判断の難しい笑みを浮かべ、質問をはぐらかす。
 ふとルテラは、ヒュ=レイカほど口数の多い人間は他に知らなかったが、自分の事についてはこれほど口数の少ない人間も他に知らない事に気がついた。北斗では、相手の素性を訊ねる行為を暗黙の内にタブーとされている。当然、ヒュ=レイカが一体どういった経緯で北斗に来たのかは本人を除いて誰も知らないのだが、それに加えてヒュ=レイカは自分の心境すらはぐらかす事が多かった。だがそれは、自らを偽ると言うより周囲から己を一線引いていると言った方が正しい。意図しているのかいないのか、まるで機械で測ったかのように正確に人との距離を一定に保ち続けようとするのだ。今まで気がつかなかったが、今の言葉にもその傾向が顕著に現れている。何かしら心境の変化があったのは事実なのだろうが、わざと冗談めかせて本心を語らぬようにしているのである。
「ホームシックねえ……。それで、どこか行く当てでもあるの?」
「かれこれ六年も会ってないんだけど、一人だけ恩人がいてね。もう僕は精霊術法使えないから戦う事も出来ないし、そこに行こうかなあって思ったんだ。こんな大変な時期にってのもなんだけどね」
「そう……寂しくなるわね」
「あれ? 止めてくれないんだ?」
「別に戦えないからって出て行く事もないけど、どうせ止めたって同じでしょう? あなたってそういう人だもの。良くも悪くも、何物にも縛られない奔放で」
 まあ、一生会えない訳じゃ無いから。
 そう言ってヒュ=レイカはルテラのグラスに自分のグラスをこつんとぶつけた。グラスの縁が細かく震えて澄んだ高い音を響かせる。だが、それはどこか物悲しくも聞こえた。
「シャルト君も寂しい?」
 たまたま今の会話を聞いていたシャルトは思わずじっと視線をヒュ=レイカの背に注いでしまい、それに感づいたヒュ=レイカがくるりと振り返る。シャルトはすぐに首ごと視線をそらし、ヒュ=レイカの姿を視界から消した。
「別に。鬱陶しいヤツが一人いなくなってせいせいする」
「あら。薄情だねえ」
 笑いながらヒュ=レイカはシャルトの背中を叩く。けれどそんなヒュ=レイカを見るシャルトの眼差しには幾分かの険しさがあった。ヒュ=レイカがあきれるほどにこやかな表情を浮かべているのが理解出来なかったのである。それがシャルトに、絶対に寂しがる素振りなどするものか、と態度を硬質化させる。
 するとそこへ、不意にヒュ=レイカはシャルトに耳打ちをしてきた。
「最後に女の子、二、三人紹介してあげようか?」
「ば、馬鹿言うな!」
「余計なお世話でしたかな? エッヘッヘ」
 カッとなったシャルトは反射的にヒュ=レイカの胸倉を掴みにかかった。しかしその程度の行動を予想出来ない訳でもなく、難無くヒュ=レイカはくるりと身を翻してかわした。
「シャルトさん? どうかしました?」
 その音を聞き付けたリュネスが不思議そうな顔で振り返る。すぐにシャルトは、なんでもない、と慌てて頭を横に振る。そんなリュネスの元へテュリアスが駆け寄った。シャルトは一瞬ぎくりと息を飲んだが、リュネスはテュリアスを肩に乗せて鉄板の方へ向かって行った。どうやらテュリアスに食べ物を催促されたようだ。
 そのまま、一同の集いは夜半過ぎまで続いた。その頃には誰しもが心地よい疲れに満ちて、今夜はぐっすりと眠ることが出来るだろうと思っていた。だが、その眠りの先には北斗の復興というあまりに大きな問題が立ち塞がっている。かつての栄華を取り戻す事は決して容易ではないだろう。けれど誰もが栄光の街並を遠くない現実のものとして信じて疑わなかった。北斗にはまだ自分達が、最強の戦闘集団『北斗』がいるからである。
 これほど楽しく思える時間は何時以来だろうか。
 願わくば、今この時がずっと続けば。
 誰しもが笑顔の裏側でそんな事を思っていた。
 しかし時は平等に刻まれ過ぎていく。
 出来る事は唯一つ、一秒一秒を惜しみながら過ごす事だけだった。



TO BE CONTINUED...