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「あ。もしかしてキミがシャルトちゃんですね?」
 病院から無事に退院して一夜明け。
 当分の間、僕はレジェイドの部屋に住む事になった。昨夜は昔ルテラが居たという部屋に泊まった。ベッドしかなく何も荷物のない部屋だったが、病院の部屋よりもずっと居心地が良かった。病院の部屋はどこか冷たい感じがするのだけど、ここは人の生活感があるからだろう、温かくて落ち着けるのだ。
 翌朝、僕は用意してもらった服に着替え、レジェイドと朝食を食べた。量は少し足りなかったけれど、作りたてだからだろうか病院に持ってきてもらったものよりもずっとおいしかった。見た目からは想像がつかないほど、レジェイドは料理がうまい。いつか教えてもらおうと思う。
 食事が終わり、レジェイドが食器を洗っている間、僕は淹れて貰ったお茶を飲んでいた。苦かったので砂糖を入れていたら、レジェイドに『お子様め』と馬鹿にされた。でも僕には、どうしてわざわざ苦いまま飲むのか、その理由が分からない。だから僕は子供だと馬鹿にされるんだろうけど。
 そんな時、レジェイドの部屋を誰かが訪ねてきた。僕はリビングでお茶を飲み続け、応対にはレジェイドが向かった。レジェイドの部屋に訪ねてきたんだから、お客さんはレジェイドにと思って間違いない。それにあまり知らない人と話す自信はないから、僕は出ない方がいい。
 少しして、玄関からレジェイドともう一人、別な誰かがこちらにやってむる音が聞こえてきた。話し声からしてどうやら女の人のようだけど、ルテラとも違う。一体誰が来たのだろうか。急に不安になった僕はリビングの出入り口へ背を向け、体を小さくして熱いお茶をすすり続ける。
 そして、その間延びした声は、そんな僕の背中に浴びせ掛けられた。
 恐る恐る振り返ると、そこにはワインレッドの髪を後ろで緩くみつあみにし真っ白な服を着た一人の女性が立っていた。勿論、僕の知らない人だけど、その人はやけに明るくにこにこ笑いながら僕を見ている。変な人だ、とまず思った。
「んじゃ、詳しくはルテラから聞いてるだろ? 後は任せる」
「はいはーい。責任持ってお借りします」
 レジェイドはこの人と面識があるらしく、何だか親しそうな口調だった。けど、今はそれよりも『任せる』とか『借りる』とかいう言葉の方が問題だ。一体僕をどうしようというのだろうか? なんだか不穏な感じがして落ち着かない。
 そうこうしている内に、レジェイドは洗い物の続きがあるためさっさとキッチンへ戻ってしまった。早く訊いておけば良かったと心の中で舌打ちする。リビングに知らない人と二人にされ、僕は嫌な動悸が始まった。
「ホント、女の子みたいですね。可愛い可愛い」
 その人はやたら笑顔を振り撒きながら、無造作に手を僕へ伸ばして頭を撫ぜる。知らない人にそんな事をされ、僕は思わず体をぶるっと震わせてしまう。
「……誰?」
 突然やってきてこの馴れ馴れしい態度。レジェイドとは知り合いかもしれないけれど、僕にとっては全く見ず知らずの他人だ。そんな人に急にこんな事をされて。文句の一つも言いたいけど一体どう言おうか分からず、ようやく喉の奥から搾り出したのはそんなか細い非難の言葉だった。
「あれ? そういえばまだでしたね。私はリルフェっていいます。みんなはリルって呼んでるんで、それでもいいですよ」
 はあ。
 そう僕は気のない返事を返した。正直、リルとかどうでも良かった。一体何者で、これから何をするつもりなのか、そこの方が重要だ。他の事に興味はない。
「これでも雪乱の頭目なんですけど、あまり気にしないで下さいね。ざっくばらんにしてくれた方が性に合うんで」
「雪乱?」
「雪乱ですよ。もしかして、北斗の仕組みとか知らないんですか?」
 知らない。
 その言葉を認めるのは酷く自尊心が傷つくけど、本当に知らないため何とも反論出来ない。とりあえず、僕は肯定とも否定とも取れない沈黙を持って答える。ただはっきりと『知らない』という言葉を口にするのが嫌なのだ。
「じゃあ、それは道すがら教えてあげましょう」
 リルフェはにっこりと微笑んだ。僕は何も言ってないのに、勝手に肯定したと解釈された。間違ってる訳じゃないけど、逆にそれがなんだか悔しい。
「今日はやる事がいっぱいあります。そろそろ出かけましょうね」
 と。
 その時、リルフェはそんな事を言いながら僕の手を取ると強引に席から立たせた。急の事で咄嗟に反論できなかった僕は、そのまま為すがままに引っ張られていく。
「ちょ……出かけるって?」
「ルテラから聞いてませんでした?」
 質問に対する質問。僕の問いに答えていないとは思ったけど、リルフェの口からルテラの名前が飛び出したことで一瞬僕は、は、と息を飲んだ。リルフェはルテラとも知り合いなのだろうか? でも、だったらどうしてルテラは来てくれないのだろうか。こんな見ず知らずの人に連れて行かれるのは嫌だ。レジェイドもレジェイドだ。どうして簡単に僕を任せるのだろう。そんなにこの人は信用のある人なのだろうか? もしそうならば、ちゃんと保障はあるのだろうか?
「シャルトちゃんはね、これから雪乱で精霊術法を覚えてもらうんです」
 精霊術法?
 また耳慣れない言葉が飛び出してきた。一体、何がどうなっているのだろう? 分からない、という不安が僕を苛む。誰も説明してくれない。その疎外感は、僕が一人子供だからという現実を否応なく叩きつける。僕だけが蚊帳の外で、大人の言う通りにするしかない。それが酷く不愉快でならなかった。
「体の不備をカバーするためです。ま、これも詳しくは道すがらって事で」
 だから行きましょう、とリルフェは再度手を引っ張る。僕は抵抗するべきなのか否か迷い、ただただ引っ張られていくだけだった。
 レジェイドの部屋を出て、階段を下り、建物の外へ出る。ここは夜叉の宿舎とかいう場所だ。レジェイドが夜叉という所に所属しているかららしい。僕はまだあまりよく分からないけれど。
 リルフェは僕を連れて北の方へ向かった。僕はまるで母親に連れられている子供のように手を引かれながら歩いていく。母親にしては歳若いリルフェだけれど、それが逆に気恥ずかしくて手を振り解きたい衝動に駆られる。けど、見た目によらずリルフェは力があって振り解こうにも振り解けない。その内、僕は抵抗するだけ無駄だと諦めて大人しくしている事にした。本当に何者なのか、いささか不安はあるけれど、ルテラと繋がっているなら大丈夫だろう。
「さて、雪乱に行く前に。髪をカットしてもらうようにルテラから言われてるんですよね。これはこれで可愛くていいと思うんですけど、やっぱ男の子らしい方がいいです?」
 そう言われても困る。相変わらずのマイペースなリルフェの笑みに、僕は眉を潜めて応える。それに、僕は好きで伸ばしてる訳じゃないし、自分の外見どうこうも訊かれても分からない。普通だったらそれでいい。あまり目立たないようにしてくれれば。
「どんな風に切ってもらいましょうか。後ろ髪バッサリいっちゃいましょうか? 思い切って。もったいないけど男の子らしくですから。髪が細いからシャギーは駄目ですね。メッシュとかも却下方向で」
 人の髪の事なのに。リルフェはまるで自分にそうするかのような口調で嬉しそうに次から次へとプランを並べていく。僕はもうついていく気がしなくなった。適当に喋らせておけばその内疲れて黙るだろう。しかし、しばらく話させてみたもののリルフェは一向に黙る様子がなかった。一体いつまで喋り続けるのか、そもそもどこにそれほどの話題があるのか。ただ強制的に聞かされているだけの僕でも、いい加減耳が疲れてきた。もしかすると、そろそろ本気で何か黙らせる方法を考えなくてはいけないのかもしれない。けど、何か名案はあるだろうか?
「あら? シャルトちゃんって無口なんですね」
 無い、と思う。
 何を今更言ってるのだろうか。ずっと一人で喋り続けていたくせに。自分勝手な人だ、と思った。変で自分勝手で。本当にルテラの知り合いなのだろうか? なんだか物凄く不安になってきた。
 そして。
「あの……ルテラに言われたって、どういう事?」
 これもまた随分と今更だけれど、僕はようやく自分が連れ出された理由をリルフェに問うた。本当はもっと早くに訊ねるべきだったのだけれど、ずっとリルフェが喋り続けたので質問する暇がなかったのだ。
 僕の問いにリルフェは、あ、と思い出したかのように声を上げた。そして自分が喋り過ぎていた事にでも気づいたらしく、ばつの悪そうに微苦笑を浮かべた。
「う〜ん、あんまりこういうこと言いたくないけど。分かりやすく説明するため、直球投げてもいいですか?」
 構わない、と僕は首を縦に振る。正直な所、あまり僕は変な風に気遣って欲しくないのだ。そういう言葉のオブラードを必要としないのが大人であるし、僕は今更何を言われてもちゃんと自分で受け止め消化出来る。現に、今の最悪な体の状態を知っても僕は無闇に絶望していない。辛うじて、自分に嘘をつきながらではあるけれど。
「シャルトちゃんの体は、今、痛いとか感じられないんですね。で、筋肉もストッパー外れてフル稼働状態。こんなんじゃ長生きできる訳ありませんよね。それで、精霊術法を使うんです」
 大丈夫。
 傷口を抉るような言葉が飛び出したけど、僕はそう自分に言い聞かせて平常心を保つ。
「その、精霊術法って?」
「精霊術法とは、魔術の進化系みたいなものです。誰でもお手軽に使えるような魔術ですね。それを使って、体をちょっとやそっとじゃビクともしないように強化するんです。根本的な解決にはなりませんけど、やらないよりはずっとマシですね」
「そんな事が出来るの?」
「出来ますよ。達しちゃった人は、窓ガラスを丸々一枚食べても傷一つつかないそうですし」
 僕には俄かには信じられなかった。百歩譲ってそんな技術があったとしても、それを一朝一夕に習得なんて出来るのだろうか? なんだか随分と話の内容から信憑性が薄れてきた。本当は僕の事を騙そうとしているのではないだろうか? とりあえず表面上は分かった振りをして、決して迂闊には信じない気構えを作っておこう。
「本当は、今日はルテラが自分でやりたかったそうですけど。あいにくお仕事が忙しくて私が代理ですの」
「そういえば、ルテラとはどういう関係?」
「あら、独占欲ですか? おませさんですね」
 つん、とリルフェが僕の額を突く。そんなんじゃない。そう口に出そうと思ったが、相手がこの人ではきっと聞き入れないだろう。何を言っても都合よく解釈されてしまいそうだ。
「ルテラは昔、雪乱の頭目だったんですよ。で、私がその後任なんです。その頃からの付き合いなんですよ。そう、アレです。同じ釜のメシを食べて、ハダカの付き合いもした仲?」
 つまりルテラの友達なのか。
 どこか安心した反面、人選ミスでは、という疑いも反面。どうしてよりによってこの人なのか、もっと他にまともな友達はいなかったのか。この場にルテラが居れば、そう問い訊ねたい気分だ。
「精霊術法の開封をしたら、しばらくは研修受けてもらいますからね。出来るだけ私が受け持ちますけど、何分忙しい身なので代理の方が多くなるかもしれません。ま、雪乱は割と女性が多いんで、女の子に当たる確率も高いですよ。ほら、なんかトキめいてきたでしょ? お年頃ですもの」
 下らない事には耳を貸さない。
 僕はリルフェの言葉を黙殺した。



TO BE CONTINUED...