BACK
きっと、また帰ってくる。
私はそう信じて疑わなかった。
一体何があったのか。
誰がこんな事をしたのか。
興味はなかった。
私にとって大切なのは彼自身であって。
だから、彼さえいてくれれば他はどうでも良かった。
彼さえいてくれたら……。
どうして?
どうしてなの?
誰? どうしてこんな事をするの?
私達の幸せを壊して、何の意味があるの?
あなただって、ちゃんと私に約束したじゃない。
どうして勝手にいなくなるの?
嘘つき。
「ルテラぁ」
朝。
時刻は既にスファイルが巡回に出なければならない時間が迫り来ていた。にも関わらず、スファイルは焦るどころか酷く緩慢な声を玄関から飛ばし、ルテラを呼ぶ。
「なあに? もう行かなきゃ駄目でしょう?」
朝食の片づけをしていたルテラは、窓から大時計台の示す時刻を見つつ、スファイルの元へ向かった。スファイルは既に靴を履き終え紐も結び、コートもしっかりと着込んでいた。しかし、何故かマフラーだけが首元でぶらりとぶら下がっている。
「分かってるよ。でも、やっぱりうまく結べないんだ」
そうスファイルは首もとのマフラーをぷらぷらと揺らして示す。
「また? どうせわざとでしょう」
ルテラはそっと笑みを浮かべながら、スファイルの前に立ってマフラーを結ぶ。スファイルはかつて凍姫に在籍していながら人よりも寒がりだった。ルテラはマフラーをしっかりと、尚且つ首が絞まらない程度に結んでやると、コートの襟元を上まで閉じた。冬も半ばを過ぎたからと言って、まだ安心出来るほど温かい訳ではない。むしろこの終わり際の寒さが一番注意しなくてはならない。寒がりなスファイルならば尚更だ。
「この角度から見るルテラの顔が好きなんだよね」
「もう、馬鹿なんだから」
何の臆面もなく言うスファイルにルテラは照れながら含むように微苦笑する。そして、そっとスファイルが顔を近づけてきた。ルテラも目を閉じて自分から顔を近づける。そのままゆっくり唇を合わせた。どちらからともなく腕を伸ばし、互いに抱き合う。それは少しでも強く相手を感じようとしているかに見えた。
やがて漣が引くように二人は離れたが、互いの体に回した腕は離さなかった。
「ねえ、どうして守星なんか続けてるの? また今日も帰って来れないんでしょ?」
ふと、スファイルの腕の中でルテラはそう問うた。
初めルテラは、スファイルが凍姫を辞めて守星になるのは、組織に縛られ過ぎて二人の時間が制限されてしまう事を避けるためだと思っていた。けれど、実際守星になったスファイルの生活時間帯は非常に不規則で、ある程度互いに時間を合わせようと意識しなければ顔も合わせないような事が何度もあった。互いに守星の勤務時間が不規則である事は分かっていたが、これほどとまでは思っていなかった。そのため幾度かルテラは守星を続ける事に対する若干の不満を漏らしていた。よく考えてみれば、生計を成り立たせるためには必ずしも北斗に属していなければならない訳ではない。北斗は経済が活発であるから、働き口は幾らでも選択出来る。守星を辞めてそういった普通の仕事をやれば、しかも二人で同じ所に勤めれば、今よりもずっと一緒にいられるのでは。ルテラはずっとそう考えていたのだが、スファイルは一度として守星を辞める事に対して首を縦に振った事はなかった。こんな無理のある生活を続けてでも、守星としてやっていきたい。それがスファイルの主張だった。
「おや、またその質問かい?」
スファイルはにっこり微笑むと、三度、ルテラの額に口付けた。ルテラの緩くウェーブのかかったハニーブロンドにすっと指を通す。冷たく細くてつるっとした指ざわりの髪がスファイルの指の間を流れる。
「僕はね、戦う事が嫌いなんだ。だからだよ」
「守星だって戦うじゃない」
「自分が嫌な事は、他の人にもして欲しくないでしょ? そういう事なの」
まるで少年のようににっこりと微笑むスファイル。
またすぐに誤魔化して。
スファイルは明らかに他の理由を隠している。なんとなく、ルテラはそう感じた。隠すと言っても、それは後ろ暗い意味ではなく、ただ口に出す事が恥ずかしいという程度のものだろう。元々周囲を気に留める神経の欠落しているスファイルにとっては意外な事ではあるけれど。
ルテラは微苦笑を浮かべると、やや背伸びをしてもう一度スファイルに軽くキスをする。
「ほら、遅れるわよ。北斗の守護神様」
「おっと、しまった」
スファイルの腕から離れたルテラは、ぽんっとスファイルの尻を叩く。途端にスファイルはハッと表情を焦らせると、最後にもう一度だけルテラにキスをし、ドアを開けて飛び出した。
と、
「そうそう。帰って来るの、明日の昼なんだけどさ。一緒にどこかへランチを食べに行こうよ」
ドアを飛び出した寸前の所で立ち止まると、しつこく食い下がるかのようにスファイルは早口でそう告げた。
「あら、一緒にどこかへ行くのって久しぶりね。じゃあ、どこで待ち合わせしようか?」
「そうだなあ……。あ、そうだ。あの店なんかいいんじゃない? 大時計台の近くのあの店」
具体的な店名が出されなかったため、ルテラは大時計台の周囲にある店の中でスファイルが言わんとしているのを頭の中で模索する。そして、すぐにそれらしき店が思い浮かんだ。
「意地悪ね」
やや眉をしかめて見せたルテラにスファイルはくすりとはにかんだ。
その店とは、ルテラが初めてスファイルと会った店だった。あの時はまだ互いに面識どころか、ルテラはスファイルが凍姫の頭目である事すら知らなかった。まだ、今ほどの熱い感情を抱いていなかったルテラは、突然話し掛けてきたスファイルを終始冷たく突き放した。今となっては、どうしてあんなに苛立っていたのかが恥ずかしくなるような思い出だ。
「今度は優しくしてよ? あの時は結構落ち込んだんだから」
「分かってるわよ。ほら、もうそろそろ」
「うん。じゃあ行ってきます」
そして、ようやくスファイルは手を振りながら意気揚々と出かけていった。その後姿を、ルテラは見えなくなるまで見送るような事はしなかった。どうせこれはしばしの別れだから。明日の昼になればまた会える。そして、思う存分好きな事が出来る。だから、何もそんなにまで別れを惜しむ必要はない。
また会える。
彼と自分は一心同体だから。
ルテラは信じていた。この幸福な時間がいつまでも続く事を。
だから寂しがる必要もない。
寂しくなる前に、彼は再び自分の元へ帰ってくる。
「さて、早く片付けなくちゃね」
TO BE CONTINUED...