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「失礼します」
 階段を一つ上ってすぐの突き当たりにあった、夜叉本部の頭目の部屋のと同じぐらい大きなドア。それが今回の依頼主の私室への入り口だった。
 俺はマナーに従ってドアをノックし、静かに部屋の中へ足を踏み入れる。
 と。
「待て」
 足が部屋の床を踏もうとした瞬間、突然俺の目の前に何者かが立ちはだかり俺の行く手を阻んだ。
 それは俺とさほど変わらない歳であろう、一人の男だった。体格は極めて特徴を持たない中肉中背だったが、必要な筋肉だけが鍛え上げられている事が服の上からでも見て取れた。持ち合わす空気が刃のように冷たく、また俺に注がれる視線も同じように鋭い。明らかにこの男、同業者だ。
「何の用だ?」
 男は冷たい眼差しのまま警戒を露に俺を睨みつける。俺を物としてしか見ていない目だ。さしずめ、獲物を食事としか見ない肉食動物と言った所か。
「用も何も、ここの主人に呼ばれて来たんだがな」
 俺はわざと張り合うように、より冷たい視線ではなく逆に明るく緩んだ平素の態度でそう返した。さすがに男は一瞬、眉の間に不快の溝を作る。
「北斗のヤツか……フン」
 またもや露骨な不快感の意を示し、男は俺の脇を通り過ぎて部屋を出る。しかしそのまま立ち去るのではなく、部屋のドアの向かいに位置する窓辺に腕を組みながらもたれかかった。振り返る俺に向かって、行け、と顎で指し示す。
 見たところ、警護のために雇われた戦闘集団のようだが。それにしても依頼主は、ヨツンヘイム最強の俺らを呼んでおきながら別の戦闘集団も雇っているのだろうか。いや、それとも、これまではこいつらが警護していたが心細さを感じて俺達に乗り換えたのかもしれない。となれば、男のこの露骨な敵意も納得がいく。これは敵意というより嫉妬なのだろう。ヤツがどれだけの実力を持っているかは知らないが、明らかに名声では劣る現実が気に食わなくてつい苛立ちを露にしてしまったか。そんなところなんだろうが、意外と俺はこういう態度を取られるのも慣れている。何せ、こういった仕事で遠征した際に他の戦闘集団と鉢合わすと、大概は羨望か敵意の両極で相対してくるのだから。そしてそれは、北斗から離れれば離れるほど前者の反応が多くなる傾向にある。
 まあ、そうピリピリすんなよ。
 はっきりと口には出さず、意思だけを表情に浮かべて部屋へ入りドアを閉めた。一瞬、背後で襲いかかられんばかりの殺気が爆発した。少しやり過ぎたか、と口の中で舌を巻く。どうもシャルトをからかうのが日課になってしまっているから、熱しやすい人に対してこういった態度を取ってしまうのが癖になっているようだ。
「よく来てくれました」
 部屋は適度な広さと気にならない程度の丁度品に飾られ、幾つもの高級品が並んでいるにも関わらず不思議とすっきりとした印象を受けた。
 壁と同じ高さのバルコニーへの出入り口となる窓を背負ったそのデスク。座したままそう言ったのは、おそらく今回の依頼主であろう中年の男だった。男の装いもまた部屋の印象そのままに、髪をまとめるようにすっきりと撫で付け、服装もまた礼服ではなかったもののビジネスマン的な感じだった。
 男は人の良さそうな笑顔を向けてくる。しかし心なしか、どうにも俺の一挙手一投足を注意深く観察しているような感が否めなかった。可能性の問題で論ずると、男にとっては俺が必ずしも北斗の人間とは限らないため、それなりの警戒をしていてもおかしくはない。だが男の視線の向け方はどうも素人のそれとは違い、人間が何らかの行動を行う際に各部位の主要となる個所、肩、腰などを重点的に注意している。少なくとも、何らかの戦闘術を知っていなければ意味を持たない観察の仕方だ。
 この男は昔かそれとも今も尚か、何らかの戦闘に携わっているのかもしれない。どちらにせよ、俺達は与えられた仕事を忠実にこなす事だけが役目であり、依頼主のプライベートまでは首を突っ込んでも仕方がないんだが。
「急で申し訳ないが、早速本題に入らせてもらいます」
 挨拶もそこそこに、男はデスクから立ち上がると場所を部屋の右側へ移した。そこには縦横の長さが俺の身長よりもある大きな額入りの地図がかけられていた。ヨツンヘイムの概略地図のようだ。地図の中央よりもやや南には、赤でバツ印がつけられたポイントがあった。俺はそこが現在居る場所かと思ったが、方角的には少し東過ぎる。となると、荷物の輸送先だろうか?
「予定では明日にも出発する予定でしたが、実はトラブルが起きまして」
「トラブル?」
「ええ、ここです」
 そう言って男は地図のバツ印を指差した。
「ここは丁度、この屋敷から二日ほどの距離の地点ですが、昨夜使いの者から連絡が入り、この付近で消息が途絶えたそうです」
「つまり、誰かに襲われた。そういうことか?」
 はい、と男は表情一つ変えずに頷く。俺はその無表情さが逆に無気味に思った。
「で、予定を変更して消えたそいつらの行方を捜索するのか?」
「いえ、違います。昨夜の内に、また新たに荷物の手配をしました。あと五日ほどで到着するでしょう。それまでの間、この屋敷の警備をして戴きます」
 消えた連中よりも仕事、ねぇ……。
 仕事柄、何よりも利益を優先させる人間はごまんと見てきた。それに俺自身、そうでもしなければ利益を上げるのが極めて難しい事は知っている。一概に非難できるものでもなく、俺も人道主義を掲げるほど心構えが徹底している訳でもないんだが。とにかく、当分はここに滞在する事になるようだ。後で総括部にメッセンジャーをやらなくては。
「ところで、今のヤツ。あれは何だ?」
 そして。
 話の区切りがついたその時、俺は部屋の入り口で顔を合わせたあの男について訊ねてみた。
「彼は戦闘集団『風雷』の代表です。これまで私の身辺警護をしてもらっています」
 やはり戦闘集団の人間だったか。しかも代表となれば、かなりの実力を持っていると考えて間違いないだろう。俺、というか北斗にもあまり良い感情を持っては居ないようだし。出来ればあまり一緒には仕事をやりたくはない。この際、完全に入れ替えて貰った方が後々面倒も起こらなくて済むだろう。
「それと、一つ言っておきますが。北斗とはまだ、正式には契約すると決めていません」
 その時、男は突然そんな何の脈絡もない言葉を口にした。
「ヨツンヘイム最強は名ばかりかも知れない、って言いたいのか?」
「有体に言えばそうです。商売柄、風聞には振り回されない性格でして、この目で見たものしか信じられないのです。最低限、彼ら『風雷』よりも強いという事を証明して戴く必要がある」
 ヨツンヘイムには大小無数の戦闘集団が乱立している。その実力はピンからキリまであるが、世間の風評が必ずしも的を得ているとは限らない。それは噂よりも遥かに実力を持っている事があるという意味ではなく、噂が先行した名前倒れの戦闘集団が居る、ということだ。北斗は名実共にヨツンヘイム最強の戦闘集団ではあるが、本当に誰もが最強に相応しい実力を持っているのかどうか、それが疑わしいと男は言っているのだ。過去に騙されたことでもあるのだろう、まあ慎重になる事に越した事は無い。依頼主が慎重であればあるほど、こちらとしても仕事に支障を来たしにくい。
「なるほどね。それはごもっともだ。で、一体どうやって証明すりゃいいんだ?」
 そうは言うものの、手段なんて一つしかないんだが。とりあえず相手が今の男なのであれば、かなり派手な事になりそうだから、広い場所さえ確保してくれりゃあいい。出来れば、多少何かが壊れても構わない所だ。
「来たまえ」
、男は部屋の中央へ歩み寄り俺も招く。そしておもむろにしゃがみ込むと、敷き詰められているカーペットのブロック一角を剥がした。そこに現れたのは、ガラス張りの床だった。相当な厚さと強度を持った特殊なガラスのようだったが、その割には驚くほど透き通っており、下の様子がはっきりと見える。
 そこは天井を除いた一面が石造りになった地下室だった。何者かの人影が一つ、見える。そして、
「彼とあなたの部下のどなたかと、一つ戦ってもらいましょうか」
 男は静かな声でそう俺に告げた。
 は? なんだと?
 俺はてっきり俺とさっきのあいつとがやりあうものだと思っていたのだが、男が欲しているのはそうではなく両者の部下同士の戦いだと、そういう事なのだろうか?
 そしてそこに現れたのは―――。



TO BE CONTINUED...