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週の半ば。
その夜、俺はミシュアと馴染みのバーで酒を飲んでいた。
週の半ばは大抵忙殺されるものだが、最近はこれといって主だった事も無いせいか久しぶりに落ち着けている。やはりうまい酒はゆっくり飲むに限る。
ショットグラスで互いに酌をしながら飲むスコッチ。つまみにはハギスと塩漬け野菜。日々、訓練に実務にと忙殺され疲れた体を優しく癒してくれる時間だ。
「最近は平和ですね」
そう、ミシュアは静かにグラスを傾ける。俺と付き合って飲める以上、世間一般ではかなり飲める部類に入るだろう。この間は無茶な飲み方をしたせいで随分酔ってしまったが、今夜はやや顔色に赤みが差したぐらいで口調も普段通りの落ち着いたものだ。
「いい事さ。北斗に無謀なケンカを吹っかけてくるヤツらがいなくなってくれるだけで、こっちの負担も減ってくれる」
確かに何も無いままの方が良いですね。
だろ?
微笑むミシュアに、俺は軽く瞼を動かして答えた。
こうして付き合う前は割と冷たいイメージばかり持っていたのだが、こうしてみると意外にも表情は豊かでどこにでもいる普通の女だ。ただ、生まれ持った責任感の強さ故だろうか、どうしても厳しい印象が拭えない。だが、それも業務の間までだ。
「平和って言っても、相変わらず守星は変わらないらしいな」
「今は平和でも、いつ外敵が現れるか分かりませんからね」
守星は北斗を遊回し、いつ起こるか分からない北斗への襲撃へ真っ先に鎮圧に向かう組織だ。基本的に外敵の襲来には予測を立てる事が出来ない。今はこれだけ平和かもしれないが、いつ如何なる時に北斗の名声を狙って襲い掛かる戦闘集団は現れるのか分からない。そのため、常に守星には同じ業務を遂行する義務が発生し続ける。俺達はこうして一時的とは言えぬくぬくとしているが、守星は今日もまたいつものように抜かり無く遊回警備を続けている。
「ルテラさんはお元気ですか?」
「相変わらずのらりくらりやってるさ。俺としては、さっさと守星なんか辞めて、イイ男とくっついて落ち着いてもらいたいんだがな」
「兄として妹の意思を尊重するのは大変なようですね」
「ああ。気苦労が絶えない」
ショットグラスの最後を煽る。すぐにミシュアが次を酌してくれる。ボトルは丁度半分ほどが無くなっていた。額の奥に心地よい微かな麻痺があった。そろそろほろ酔い加減だ。
「そういや、凍姫には奉仕活動を趣味にしているヤツはいるか?」
「出し抜けですね。何かありましたか?」
「いや、ルテラに聞いたんだがな。ここの所、守星の仕事を先回りして片付けてしまうヤツがいるんだと。正体不明で大した目撃例も無いそうなんだが、若い男である事と、精霊術法の使い手だって事は確かだそうだ」
先日、たまたま昼休みに道端でルテラと逢い、昼食を奢らされた時の事だ。ルテラが珍しく真面目な表情でそんな事を言っていた。生来、ルテラは基本的に楽天家の気質なのだが、締めるべき所はきちんと締め、決していい加減な性格ではない。ルテラが真剣な表情をする時は、決まって深刻な事態が起こった時だ。まだ憶測の段階なのかもしれないが、事は揺ぎ無い事実として起こっている。因果関係そのものが見えてこないから危惧しているのだろう。
「何故、術式の使い手だと?」
「現場には必ず痕跡が残ってるそうだ。敷石が凍っていたりな。それで凍姫のヤツかな、と思ったんだが」
「そうですね。凍姫には元々男性は少ないので一通り把握していますが、そういった趣味がある者はいませんね」
「だったら、一体何者なんだろうなあ、そいつ」
奉仕活動を行う人間は、個人組織問わず、様々な名称と意義を提唱して存在する。活動形態は様々だが、全ての行動をガラス張りにして内容を世間へオープンにする部分だけは共通している。それは即ち、自分達はこういう形で社会に関わっているというアピールだ。だが、その謎の人物は自らの素性を明らかにする事も無く、ただ行動だけを結果的な事実として残している。聞かされた現場状況から考えても、ただ意図的に自分という個人が存在したという情報を残さぬようにしているとしか思えない。
たとえは悪いが、犯行声明を出さない連続殺人事件のようなものだ。殺人という違法行為を、官憲の目をかいくぐって繰り返す人間は必ず自我が肥大して、世間へ自分の存在を何らかの形で示そうとする。自分を区別するための偽名を名乗ったり、官憲を挑発したり、報道関係へ声明を流したり。だがこの男は、執拗に守星の先回りをしながらも、全く自己顕示をする事が無い。一体何のためにこんな事をするのか、心理がまるで見えてこないのだ。一つだけ分かるのは、そいつが北斗でも指折りの実力者ばかりが集まる守星にも匹敵する力を持っている、という事だけだ。だったら、もっと正体を絞れそうなものなのだが。どうにも辿り着く事は未だに出来ない。
「あまり関係ありませんが、最近少し変わった事があります」
「なんだ?」
ミシュアもショットグラスを開け、そう口を開いた。俺はスコッチを注いでやりながら問い返す。
「凍姫のレイジという人間を知っていますか?」
「ああ、ファルティア達のオモチャだろ」
「ええ。その彼が、最近妙に無断欠勤を繰り返し、先週とうとう行方をくらませてしまいました」
「いい加減、命の危機を悟ったんじゃないのか?」
「それならそれで構いませんが。以前、流派『風無』に所属していた友人に調査を依頼したのですが、足取りがまるで掴めないのです。それで少々気になりまして」
「個人レベルの捜査じゃ限界があるからな。風無が顕在なら見つかったかもしれんが……。ってか、そこまで徹底して痕跡を消したってのも少し気になるな」
流派『風無』は、独自の隠行術を軸にした情報収集力に長けた流派だ。だが風無は現在も機能していない状態である。一年ほど前に起こった、突然のクーデターを期に本部の管理化に置かれ、一切の権限を失ってしまい、行動にも大きな制限がかけられてしまったからだ。頭目だったサイゾウ氏は行方不明、全ての行動を指示したのも彼であり、目的そのものは今現在も分からず仕舞だ。事実上、風無は存在していないものと考えて相違ない。そのため北斗十二衆も、今では十一衆だ。
「私は、一般に大事とされる深刻な事件は、事前に幾つもの複石を残しているものと考えています。もし、これから北斗に重大な事件が起こるとしたら。これらは何かの前兆かもしれません」
「とは言っても、何が起こるのか分からない以上、今はまだどうしようもないだろ?」
「ピースはあるのですから、予測ぐらいは出来ると思います」
「お前、何か予測つくか?」
「いいえ。私は神様ではないので」
結局、今はまだ何も出来ないのか。
そんな意味を込め、俺達は微苦笑を浮べた顔を見合わせる。
少なくとも当分の間は警戒態勢を怠らないようにするしかないか。前持った予測が出来ればベストだが、それが出来ない以上は、いつ何が起ころうとも速やかに対応できる体勢を整えておく意外他ない。後手に回るのは戦術的にも不利なのだが、基本的に防衛は後手である事が前提だ。それだけに、流派を治める頭目には常に最善の判断が求められる。総合的な実力が伴わなければ、頭目の位に辿り着く事は出来ない
「けど、差し当たっての問題はアレかな……」
「何かあったのですか?」
ミシュアが知りたそうな表情で訊ねてくる。ミシュアも酔いが程よく回り気分が良いらしく、表情が普段よりもずっと柔らかく無防備だ。こういうお互い気分の良い場でこんな話をするのも、今になって憚られる気がしてきた。けど、一度口にしたものを戻すのも俺の趣味じゃない。まあ、隠した所でいづれは少なからず表に出る問題であるし、それにミシュアから何か良い方法がもらえるかもしれない。
「ちょっとばかりキツいのがな。俺の手に負えない、って訳じゃないんだが、どちらにしろ後味悪そうで困っている」
「やけに抽象的な表現をしますね。それほど深刻な問題なのですか?」
「まあな。で、多分、俺もこればっかりはうまいアドバイスが出来ない」
「それは……つまりシャルト君の事ですね」
ミシュアの問いに、俺は返答の代わりにショットグラスを煽った。
「あなたがアドバイス出来ない問題というのも珍しいですね」
「俺だってなんでもかんでも経験してる訳じゃないさ。神様じゃあないんだから」
「兄ならば神にならなくてはいけないのでは? あの子も頼れるのはあなたかルテラさんぐらいしかいませんでしょうに」
確かにシャルトは自分一人では何も出来ないヤツだ。それは自立性に欠けているという意味ではなく、一人で生きていくにはあまりにも危なっかしいという意味だ。
俺は兄としてそんなシャルトを影ながら支えてやらなければならない。今までもルテラとして何かと世話を焼いてきた。本人がどこまで気づき、どこまで感謝しているのかは知らんが、少なくとも俺がいなかったら今の生活は絶対に無かったろう。
今回の件でもまた、俺はシャルトの事を助けてやらなければならんが。正直、これだけは半分お手上げだ。なにせ、これに関しては打開するよりも回避する方が一般的だからだ。具体的な回避方法を教えてやらなかった俺にも問題はあるのだが、かと言って今更どうにも出来るものではない。
「とりあえず、しばらくはルテラに任せる事にしている。俺よりもなんとかしてくれそうだからな」
「面倒事を押し付けるのですか?」
「そうじゃないさ。単に神様のポジションを奪い取られただけだ」
TO BE CONTINUED...