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不穏な空気。
天性の感覚なのだろう。僕は物心ついた時から誰よりもそれを感じ取る事が出来た。
気がつけば、周囲からは『神童』なるあだ名で呼ばれるようになってしまった。
ヨツンヘイムには日常的に危険が潜んでいる。それを次々と見つけ出す僕は、知らぬ間に目を見張るような活躍をしていたのである。
でも、僕は本当は大した事をやっていない。人より勘が鋭いだけ。後は全くの人並なのだ。
単純な能力だけだったら、僕よりも兄さんの方が遥かに上だった。ただ兄さんは、どうしてかあまり自分の力を誇示する事はしなかった。そのため、兄さんの活躍を知る人間はほとんどいない。兄さんは当時の北斗でも有数の力を持っていながら、いつも自分は目立たないように行動していたのだ。
僕よりも遥かにずっと力を持った兄さん。
その存在は、いつまでも呪縛のように僕を縛り続ける。
それは、たとえるならば熱帯夜の蒸し暑い空気に紛れ込んだ一条の冷気。
冬の寒空のそれとは違う、肌ではなく背骨に差し込むような冷たさ。その冷たさの度合いが、僕が感じ取った危険の度合いと比例する。
「来た……!」
突然の感覚にふと足を止めた僕は、俄かに全身が緊張していくのが分かった。
仕事を明け、丁度食事を終えてとある料理屋から外へ出た時にそれは起こった。ヨツンヘイム最強を誇る戦闘集団北斗。それだけに敵視する集団もまた無数に存在する。北斗以外の集団は全て敵とみなしても相違ないほどだ。だから北斗が敵襲を受けるのは日時をまるで選ばない。
僕はすぐさま神経を研ぎ澄まし、冷たいそれが流れ込む方角を探る。危険の抽象体として感じる冷たいそれは、まるで川を遡る水魚の如く力強さで北斗中に流れ込んでいる。それは人の気配ではなく、あくまで人の放つ殺気を集団化したようなものなのだが、その激しさは同時に敵の数と士気の高さにも比例する。この激しさ、規模、決して軽視できるものではない。
……捉えた。
その冷気は、丁度北斗の真南から流れ込んでいた。自分の現在位置は、北斗の東区の北側寄り。全力で向かったとしても、実際に攻撃に移るまでに間に合うかどうか微妙な距離だ。
ぐずぐずしても仕方がない。
僕はすぐさま、その冷気の渦中に向かって駆け出した。僕の守星としての勤務時間は既に終了している。このまま黙って気がつかない振りをしても、その責任を問われることはない。だがそれは、社会的な責任の上での問題だ。僕は北斗を守るために守星という役職に就いたのだ。たとえ勤務時間外だとしても、目の前にある危険を黙認する訳にはいかない。
守星という役目柄、他の誰よりも危険に遭遇する機会は多い。北斗が外敵から攻撃を受けた時、真っ先に抗戦するのが守星である。そこに求められるのは、最大限の戦力、そして即効性だ。しかし、最も危険性の高い役職でありながら、その待遇はそれほど恵まれたものではない。それは守星としての信頼性を高めるためなのだ。もしも危険に相応の恵まれた待遇が用意してあれば、守星に加わりたいと志願する人間は大勢いるだろう。だがそのほとんどは給金を目的としているため、結果的に守星としての信頼性が大きく損なわれる。つまり守星の待遇が割に合わないのは、それでも守星をやりたいという、真に北斗を守る意思を持つ人材を集めるためなのだ。いざという時に守星としての防衛意識を失うような人間に、北斗の治安の最前線を任せる訳にはいかないのである。
そのせいだろうか、いつしか守星は北斗の名誉職と呼ばれるようになった。決して恵まれたものではない待遇であるにも関わらず、あえて自ら危険に身を投じるからだろう。そして不思議な事に、歴代の北斗の実力者達は守星に集まる傾向にあった。その理由如何はどうあれ、少なからず守星という役職に魅力を感じたからだろう。
僕もまた、守星という名誉職に求めるものがあった。それは―――。
僕はこれまで、人々の称賛の中で生きてきた。神童。天才児。人々はそう僕を呼び、褒め称える。だが、それは決して僕自身にとっては心地良いものではなかった。人々の称賛は僕への重圧として圧し掛かる。それに耐えるには、何らかの結果を出し続けなくてはいけない。そして称賛に値する自らの社会的価値を維持し続ければ、僕という人間の偶像化が進んでいく。人々の心の中で、エスタシアという人間はあらゆる事を可能とす万能の能力を持った人間として焼き付けられるのだ。客観的事実の、主観的事実の凌駕。これは精神的な拷問にも近い。僕という人間性を否定するだけでなく、人々の理想像に塗り替えられてしまうのだ。僕の思うエスタシア象と、人々の思うエスタシア象には大きな溝が広がっている。その溝の深さが僕の精神的苦痛の度合いだ。
兄さんは、今の僕と全く正反対だった。
周囲からの評価を全く気にせず、常に自然体で振る舞い、自分に出来る事だけを着実にこなしていた。だが兄さんの力は並外れていたから、単純な功績を上げていけばキリがない。しかし兄さんはそれを誇る事無く、あえて自分の存在を目立たぬように日陰へ押し込める。自分は誉められる人間じゃないから。それが兄の言い分だった。
誰の称賛も受けなくとも、兄さんは自分の仕事に満足していた。何一つ自分の良心に反するものがなく、ただ出来る事だけを無理なく、かといって妥協のないその姿。それは僕にとっての理想型の一つだった。
僕はそんな兄さんを心の底から尊敬していた。
そして。
同時に、心の底から憎んでいた。
TO BE CONTINUED...