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「くそっ、一体どうなってやがる!」
碁盤の目状に切り分けされた北斗の区画内で丁度西南に位置する、流派『逆宵』の本部。
そこで、常人には怪異以外の何物でもない、宗旨の無い者には異常な、あるものには奇跡と呼べる出来事が次々と起こっていた。
「撃て! これ以上、一歩も近づけるな!」
三段に連なる防衛線を築く、流派『逆宵』の隊員達。白地に黒のラインが入ったデザイン制服が企画的に並ぶ様は実に壮観である。
本来、北斗はヨツンヘイム最強という雷名を持ち、それに違わぬ威厳と実力を持って度重なる襲撃を退けてきた。しかし、栄えある北斗の十二衆が一流派でありながら、逆宵は酷く浮き足立っていた。
世界は広い、とよく自尊を戒める意味を込めて言われる通り、北斗十二衆を揺るがすほどの実力者は必ずしも存在しない訳ではない。それほどの実力を持った戦闘集団であれば、彼らの動揺も理解出来るだろう。
しかし、逆宵の前に立ちはだかるのはたった二人の女性だった。
修道女のような装いに深く被ったフードで顔の半分を隠す二人。意図して似せた服装をしているのだが、人間が生来持つ特色とでも言うべき雰囲気までもが全く同じで、その酷似性が戦場に立つ修道女という不似合いさ以上の異様さを醸し出している。
その空気をたとえるなら、限りなく純粋な光だ。純粋な光はあらゆるものを飲み込み、淘汰していく。全ての存在を受け入れる一方で自分以外を認めない、そんな静かな暴虐性を秘めた光。神々しい、と呼ぶには禍々しく、悪魔的と形容するにはあまりに純粋過ぎた。
明らかに彼女らの本質が、その敬虔な容姿には似つかわしくない事が窺い知れた。何故、ただの女性二人に北斗の一流派が震え上がるのか。それを理解するには既に遅過ぎ、引き返す事の出来ない境界へ足を踏み入れてしまっていた。
「第一陣、構え!」
指揮官の叫び声と共に、最前列の隊員は左手を前方に構えた。するとその手の平からは淡白い光が弧を描きながら上下に伸びる。続いて右手を左手に添え、一気に後ろへ引き絞る。すると、左手の光と交差するようにもう一本、淡白い光の矢が現れた。
流派『逆宵』の術式は、弓矢を模した射撃スタイルである。実際の弓矢のように弦を引き絞る反動で矢に推進力を与える訳ではないのだが、より本物の弓矢に近づけることでイメージを明確化し、明確になればなるほど術式の完成度も高まり威力もそれに比例するのである。
「撃て!」
掠れかかった叫び声を合図に、一斉に無数の光の矢は撃ち手の引き手から放たれた。
まるで吸い込まれるように、その矢は片方の女性へ集まっていく。確実に一人ずつ仕留めようという、最も基本に忠実な戦術だ。
逆宵の術式によって作り出された矢は、夜空に輝く星を砕かんばかりの威力を持っている。膨大な量の力を細く小さな一本の矢に全て凝縮し、ターゲットを捉えた瞬間、矢を構成していた力は突如として奔流となり一気に爆発する。無論、普通の人間が生身で受ければ肉片すら残らず跡形も無く吹き飛んでしまう。術式で対抗するとしても、生半可な障壁ではもろとも吹き飛ばされるのが落ちだ。
逆宵の矢は一射必殺、それを公に誇示するほどの威力を矢は持っているのだ。しかし、それほどの力を持った矢達が前方から逃げる隙間も無いほど無数に襲い掛かっているにも関わらず、女性はまるでたじろぐ様子が無かった。
やがてゆっくりと顔を上げるとフードを上げ鼻から上の目元を衆目の元へさらす。そして落ち着いていながらも凛と響く声で聖句を紡ぐ。
「背信の刃は、大いなる神の祝福に守られし信徒たる我に届かじ」
次の瞬間、光の矢は彼女に届き切る直前で次々と砕け散っていった。
精霊術法は精霊術法でしか防ぐ事は出来ない。逆宵の矢は強力な攻撃力を持ってはいるものの、それを上回る防御力を持った障壁を展開すれば、理論上は防ぐ事は可能である。しかし彼女は、無数の矢を前にしても障壁を張る所か身じろぎひとつしなかった。した事と言えば、まるで宗教書にある一文を唱えるように読み上げた事と、前方に視線を向けた事だけだ。
大空を覆う大天幕のような無数の光の矢は、尚も彼女に目掛けて滝の如く勢いで間断なく注ぎ込まれた。けれどその矢はたとえ一本たりとも彼女に届くことは無かった。彼女の目前まで近づいた矢は、見えない何かに絡め取られ水に溶け込むインクのように消えてしまうのである。
彼女がしたのは、ただ視線を向ける事だけ。たったそれだけの事で、光の矢は強制的に解術されてしまうのである。
「第二陣、第三陣、撃て! 撃って、撃ちまくれ!」
果たしてその号令が先だったか。瞬く間に周囲は、第一陣を遥かに上回る光の矢によって埋め尽くされた。命令も無視し、ただ闇雲に矢が放たれる。あまりの出来事に、俄かに彼らは恐怖に支配され突き動かされてしまったのだ。
彼らの背を押す恐怖は、この場で全てを形成した訳ではない。そこにはある一つの前提が初めからあり、それを自らの術式の末路を持って再確認させられた事で一気にここまで膨れ上がってしまったのだ。そう、彼らは彼女らを知っていた。それ以上に、彼女らがそれぞれ持つ二つ名は、死神の類名までにヨツンヘイム中から恐れられる北斗を魂まで凍りつかせる深い恐怖で支配する。
「届かじ」
寄り集まった無数の矢はオーロラのような一体感と共に彼女へと注ぎ込む。常識では到底計りし得ない膨大なエネルギーと熱量。これにさらされたものは人間のみならず、この世に形ある存在のほとんどは一瞬にしてディテールを失ってしまうだろう。だが、それすらも彼女の視線の前には、ただの一本すらも到達し目的を遂げる事が出来なかった。
それは一種の伝染病のように、初めは一人の呟きが、瞬く間にその場の全員を侵食する。
呟いたのは、今自分達が対峙している彼女の二つ名。この地上で最も神々しい者に与えられる聖号であり、同時に最も恐ろしい存在へ与えられた畏怖の具体化だ。
鎖で地面に繋がれたように、北斗に籍を置く者は誰一人この恐怖からは逃れる事は出来なかった。
与えるものは、絶対的な是正。たとえどれだけ僅かな曖昧や不正も、公正の名の下に一意に修正する。その基準は極めて明確かつ不透明である。一言で言い表せば、神の御名において、という事だ。
神性と魔性を併せ持つ彼女らは、彼らと同じ北斗の一員だった。味方サイドだとしても、彼女らほど恐ろしいと感ずる存在はいなかっただろう。そもそも彼女らが何故自分達と同一の地位にいるのか、自分達の同胞なのか、それ自体が大きな疑問だ。これだけの力を持つ彼女らが、弱肉強食のヨツンヘイムならば瞬く間に頂点に上り詰めるのではないのだろうか? 彼女らが北斗に付き従ってきたのは、彼女らの言う御心に背くからなのか。
もし、調和こそが彼女らの目指すものならば。一体何故、同胞に牙を剥く、いや、蹂躙するような真似をするのか。
だが今はそんな事を考えている場合ではない。如何にしてこの場を切り抜ければ良いのか。それに集中しなくてはならないのだ。
「悪しき魂へ命ずる」
一通りの攻撃が止んだ事を確認すると、彼女は彼らに向けてゆるりと視線を走らせた。
彼女の視線は穏やかでありながら、体をどこまでも深く貫いていく残虐性があった。彼女の視線の前には理性の盾など紙ほどの役にも立たず、決定的な実力差、存在の格差を思い知らされるばかりか、二度と拭うことの出来ないであろう圧倒的な恐怖を植えつけた。
誰の顔にもある、何の変哲も無い二つの目。しかし、そこから放たれる視線は山のように迫り来る威圧感を持ち、本能に従って背を向け逃げるものの、とても逃げ切れるものではないと本能が悟ってしまった。
時間の流れが少しずつ鈍化していく。ねっとりとした粘着の液体の中に我が身を浸しているかのように、思考ばかりが加速して熱を帯びる。呼吸をする暇も惜しいほど、ただただ遠くに、一歩でも先に、自分の足を進ませようと死に物狂いになる。だが、彼女は鉄槌とでも言うべき決断を、非情に、放った。
「去れ」
ただ、その一言。
全ての存在が息を止めた静寂が訪れる。
そして、これまで滞積していた時間の流れが一気に噴出したかのように、加速度的な訪れが始まった。
彼らの目の前を包み込む、どこまでも先の見えない純粋な白。
それはあまりに深い白の光だった。その光はありとあらゆるものを引き付け取り込み、自らの中へと葬り去る。
終末の炎と呼ぶが相応しい偉大な光は、彼らの断末魔の叫びすら飲み込んでいった。
何故、これほどの力を持ちながら、これほどの敬虔さを持ち得ながら、北斗を倒そうというのか。
どれだけ、彼女らの不可解な行動へ対する疑問を抱き続ける余裕があったのかは分からない。ただ一つ、はっきりとしている事実は、この瞬間、北斗十二衆を構成する一流派『逆宵』は、完全にこの世から消え去ってしまったという事実だ。
TO BE CONTINUED...