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 人々の追及はまず、彼女が身篭ったという子供の父親へ向けられた。
 しかし、彼女は答えなかった。と言うよりも、答える事が出来なかった。誰が父親かなど、彼女自身も知らなかったのだ。つまり、そうなる事態が初めから供物の役割だったのである。
 そして次に、人々は彼女へ堕胎する事を勧めた。父親も分からない子供を産むのは、どの道彼女のためにはならない。そういった配慮からだった。幸いにも村には医者がおり、兄妹とも親交が厚かった。後は手遅れになる前に処置をするだけである。
 だが、彼女は人々の予想を大きく裏切り、堕胎を良しとはしなかった。それどころか、一人で産んで育てるとまで皆の前で公言した。周囲は当然反対したが、彼女は頑なにそれを拒んだ。この子に罪は無い。ありきたりとも言えるセリフだが、その信念は本物だった。
 兄は彼女の妊娠に痛くショックを受けたが、それが彼女の選んだ道ならば、と苦渋を舐める気分でうなづいた。どちらにせよ、幾ら確固たる強い意志があろうとも彼女一人ではどうにもならない問題である。今こそ何もしてやれなかった自分が支えてやらなければ。彼は彼女に続いてそう決心を固めた。
 再び元の生活に戻った彼女だったが、取り巻く周囲は少しだけ彼女を見る目が変わっていた。それは、露骨な哀れみと僅かな蔑みだった。そんな周囲に彼女は気づかない訳ではなかったが、あえて気がつかない振りをした。自分の選択は決して間違いではなく、またその程度の事で揺らぐほど意思が弱い訳でもない。それに、無闇に不安を抱え込んでは子供に悪い影響が及ぶ。だからこそ、常日頃から笑って楽しく過ごそうと彼女は努めた。
 そして、彼女が村に戻ってきてから八ヵ月後。
 妊娠から九ヶ月目という早産という事でいささか体が小さかったが、一人の男の子が無事に生まれた。彼女と同じ薄紅色の髪と瞳を持っており、肌も色白だった。赤子にしては珍しくあまり泣かず、ただ昏々と眠り続けるか、おとなしく視線を配らせるばかりだった。
 彼女はこの男の子に『シャルト』という女の名前をつけた。それは、この近辺にある言い伝えに由縁した。一番最初に生まれた子供が男だった場合、その子供には家族がこの先に被るはずの災いが全て集まる、という迷信があった。そしてそれを防ぐためにあったのが、この『忌名』という風習だった。男子にわざと女の名前をつける事で厄災が子供を女だと勘違いし他へ行ってしまう、と言われている。だが、今ではこの風習に従う人間などほとんどおらず、大昔の廃れた習慣と憶えている人間すら多くはなかった。にも関わらず、彼女がわざわざそんな迷信まで持ち出してきたのは、それだけシャルトの事を大切にしていたからに他ならない。男のくせに女の名前だ、と将来馬鹿にされるかもしれないという危惧はあったが、シャルトに被る災いが少しでも減るのであれば親としてやっておける事は全てやっておきたい。彼女はそう考えていた。
 シャルトは幼少期こそ体調を崩しやすく病気がちだったが、少年期になると少しずつ食が増えていき外に出て同年代の子供とよく遊び走り回るほどの体力をつけていった。その頃の村人達は、シャルトの出生の秘密を知ってはいたものの、母親に厳しく躾られて子供なりに礼儀のあるシャルトには少々ぎこちなくではあったが他の子供と同じように接していた。無論、シャルトには一切余計な事は喋らなかった。けれど、さすがに分別のある大人とは違い、子供は自分達とシャルトとの違いを無邪気に本人の目の前で指摘した。
 名前の事は、その由来が古い風習に添ったものだとして、すぐに子供達は納得した。確固たる理由があれば珍しい名前の持ち主という認識に収まり、やがては興味を失う。少なくともシャルトは、名前の事で囃し立てられるような事はなかった。
 そしてもうひとつ、父親の件があった。
 初め子供達は、兄をシャルトの父親だと思った。しかしシャルトは、母親が『お兄ちゃん』と呼ぶため、いつの間にか母と同じように、本来ならば伯父に当たるはずの彼をそう呼ぶようになっていた。さすがに子供達は彼をシャルトの兄とは思わなかったが、少なくともシャルトには父親がいないという事には気づいていた。村ではシャルトの父親の事を話すのは禁止となっていた。そのため、大人は子供に『シャルトの父親はとうの昔に流行り病で死んだ』と言い聞かせていた。シャルト自身も、自分に父親がいない不自然さに疑問を抱かなかった。それは、まるで父親のように慈しんでくれた兄の存在が最も大きな要因となっていた。
 母と、その兄から一身に愛情を注がれたため、シャルトは兄妹と同じように優しく素直な子供に育っていった。人を疑う事を知らない純粋培養されたその性格は、ある意味では大人にとって最も都合の良いものだった。都合の悪い事実は全て伝える必要がなく、教えた事は全て信じてしかも決して逆らわない。何から何まで意のままになったシャルトは、大人達が作り上げた箱庭の世界で生きているような状況だった。
 母である彼女もまた、少なくとも今はシャルトに父親の件を打ち明けようとはしなかった。ただでさえ素直なシャルトが、その事実を受け入れ耐え切れるのかが怖くて仕方がなかったのである。まだ打ち明けるには早い。毎年、そう思いながら先延ばしを続けてきた。そしていつしか、知らないままでいた方が良い、と考えるようになった。過去の事は知ろうが知るまいが、シャルトの将来には何ら影響はない。しかし、知ってしまえば現在のシャルトは酷く落ち込むかもしれない。ならば教える必要はないかもしれない。遂に彼女は先延ばしにし続けてきた告白を自己消化し、選択肢の中から取り去ってしまった。
 ―――そして。
 それはシャルトが十二歳になった時に起こった。
 村を守る約束になっていたはずの戦闘集団『毒竜』が、契約不履行を犯したのである。
 ある晩、村は野盗に襲撃された。何名かの毒竜の人間が駐在していたが、相手の頭数が自分達よりも多いと見るなり、何の負い目も無く村から逃げ出してしまったのである。
 毒竜によってどうにか守られていた村だったが、庇護を失ってしまっては出来るのは逃げる事だけだった。次々に村には火が放たれ、逃げ惑う村人達は次々と殺されていった。野盗達は奪う事よりも、むしろ村人を殺す事に重点を置いていた。元々、村には大した金品も無く、日々やっと暮らすだけのものしかなかった。無論、野盗はそれを知っていて襲撃をかけていた。何故なら野盗の目的は金品ではなく、女性や子供だったからである。そのために金にはなりそうもない人間を殺して整理する事が効率の良い方法だった。ただしその行為自体は、彼らの満たされない破壊欲求の充足でもある。
 殺さずに生け捕った女性や子供達は、あらかじめ確保してある売買ルートを通じて貨幣に換金していた。彼らは人身売買によって糧を得ていた。それが単純に奪い尽くすよりも効率の良い稼ぎ方だったからである。本来、人身売買は国際法で厳しく取り締まられていたのだが、無政府国であるヨツンヘイムには国際法など効力は及ぼさなかった。そもそも政府機関もなしに道理的思考が影響を力を持つ訳がなく、ヨツンヘイムには法という言葉すら存在しない。ただ一つのルールがあるとするならば、それは弱肉強食という最も原始的な掟のみだ。
 戦闘集団の庇護があってようやく暮らせていた村には抵抗するだけの力などあるはずもなく、あえなく一夜にして廃墟と化してしまった。残ったのは、焼け残った村の残骸と、おびただしい数の死体だった。



TO BE CONTINUED...