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勝算。
それは、ある複数の選択肢が提示された場合、どれか一つを選ぶ時に参考とするデータだ。だから決して、逃げる理由としてはならない。
それが出来ないのであれば、北斗なんか辞めちまえ。
だってそうだろ?
北斗ってのは民衆の剣であり盾だ。それが誰よりも先に逃げちまっては世話はない。
俺も腹を括らないとな。
地獄の淵まで踏み込む覚悟がなけりゃあ、大切なモンは何一つ守れやしねえ。
「無知は罪なり。ここにあなた達に咎人の烙印を与えます」
「フン。神を信じない人間は印を欲しがっていたそうだな」
挑発的な言動の続くリーシェイ。それにつられ、『断罪』の雰囲気が張り詰めていく。
ドン。
と、不意に鈍い音が響くと、リーシェイの足元に三メートルほどの窪みが出来上がった。しかしリーシェイの表情は揺るがない。それどころかいっそうの嘲笑を浮かべる。その様子に、普段のリーシェイだ、と俺は思った。
「ここはいいぞ。行け」
そしてリーシェイはチラリと横目でこちらを向くと、顎で向こう側を指し示す。その先にあるのは、巨大な騎士剣を前に拙い障壁で応戦しているシャルトの姿。
む?
更によく見れば、既にシャルトの元へルテラとヒュ=レイカが一直線に向かって走っている。
どうやら俺達の意見と意思は統一されたようだ。浄禍八神格という化物を相手に徹底抗戦する。とても正気の沙汰では出来ない、闘争心が恐怖を凌駕したからこその功罪だ。
「おし、任せた」
俺は『断罪』をリーシェイに任せると、その横をラクシェルと共にすり抜けた。
ルテラの時のように見えない力で弾き飛ばされるかと思ったが、今度は何も無くすんなりと通る事が出来た。『断罪』の目の前に居るリーシェイが邪魔をしているからなのか、もしくは―――。
先頭を走るのは、俺達の中で一番足の速いヒュ=レイカ。そしてルテラが僅かに遅れて続く。更にその後を追うのが俺とラクシェルだ。
俺達が向かう先に視線を向ける。そこではシャルトが、『断罪』が体現化した巨大な白い騎士剣を相手に奮闘している。なんとか受け止め続けているが、おそらく後数分と持たないだろう。その前になんとか俺達がやらなければ。
浄禍に対して真っ向から対決姿勢を向けた俺達。一応、浄禍に対して背反的な行動を取る事だけは、一概に不当な行為とは言えない。流派同士の抗争は部外者に影響を及ぼさない事を絶対条件に、互いの主義主張を尊重するのが目的で北斗総括部に認められている。しかし、こういった場合は非常にグレーゾーンだ。俺達と浄禍とどちらが正しいのかで、俺達による北斗の背反行為なのか、それとも浄禍のやり方に対する批判なのか、大きく分かれてしまうからだ。
浄禍八神格を相手にする危険性は非常に大きい。それだけでなく、一つ間違えば背反行為の罪状を問われる可能性もある。シャルトとリュネスを助けるには、その二つの覚悟を俺達は決める必要がある訳なのだが。正直、そんなものは今更改めて問い直すほどのものではない。とっくに決めるモンはみんな決めている。いちいち時間をかけなければ決められないほどヤワな精神構造をしてるヤツはいない。何の事はないのだ。自分の良心に反するか否か。これだけを考慮して選択を決めればいいのだ。
「よし! 今加勢するからね!」
先頭をひた走るヒュ=レイカがシャルトの元へ辿り着きかける。
しかし。
「聖なる、聖なる、聖なる父よ。今ここに神の栄光をお示したまえ」
結界を構成していた四人の一人である『光輝』の座が、高々と頭上に右腕を掲げた。すると微細な光の粒子が無数に集まり始め、あっという間に巨大な光の球体を体現化した。周囲が突然昼間のように明るくなり、真夏のような熱がじりじりと空気を焦がす。『光輝』の座が体現化したそれは、まるで小型の太陽である。
「神は言われました。悪しき者よ、去れ」
浄禍独特の朗読口調の攻撃宣言の後、『光輝』はゆっくりと右腕をヒュ=レイカに向ける。すると右手の平に体現化された小型の太陽が、ヒュ=レイカに向かって射出された。
と。
「うわあっ!?」
勢い良く放たれた小型の太陽にヒュ=レイカの姿が飲み込まれる。常軌を逸した高熱にさらされたヒュ=レイカの体は一瞬にして消え失せてしまう。俺はヒュ=レイカを飲み込んでも勢いの留まらないそれを、走っていた直線軸をずらしてかわす。擦れ違い様、肩先に火が燃え移ったかのような錯覚を覚えた。擦れ違っただけだというのに凄まじい熱だ。
「なーんちゃって」
直後、ヒュ=レイカは何事もなかったかのように『光輝』の背後から姿を現した。
やっぱりな、と俺は微苦笑を浮かべる。あいつは人を驚かせる事に関しては天才的、そしてクレバーだ。こんな切迫した状況に、と思うのだが、だからこそ挑戦するのがヒュ=レイカだ。
ヒュ=レイカの意外な登場に、『光輝』の表情が大きく驚きに歪む。神の使徒だの代現者だのと自称しているが、やはりそこは同じ人間だったようだ。俺達はヒュ=レイカのこんな行動なんざ慣れてしまったものだが、そうではない人間にとってはまるで何が起こったのか分からず驚愕してしまうものだ。少なくとも、そいつが人間であれば。
「とりあえず、ちょっとおとなしくしててもらうよ」
ヒュ=レイカが両手を一度合わせると、そこから大きく広げた。するとそれぞれの指先との間に無数の電流の束が体現化され、バチバチと紫色のスパークを散らし始めた。ヒュ=レイカがかつて籍を置いていたのは、雷を体現化する術式を用いる流派『雷夢』だ。そこでこいつは最年少の頭目をやった事もある。天才的なのは人の意表を突く事だけではないのだ。
「神の台は―――」
「遅いよ」
すぐさま何かの一文を読み上げようとした『光輝』を、ヒュ=レイカはそれより先に体現化した雷の束で包み込む。一瞬で雷の束が『光輝』の四肢と胴体へとロープのように巻きついた。そしてそのまま強く締め付け始める。
「この雷は筋肉を流れる電気の特定パターンに反応するんだ。迂闊に動こうとすると痛覚神経をダイレクトに刺激してかなり苦しい思いをするからね。おとなしくじっとしている方が無難だよ」
ぐぐ、と悔しげに奥歯を噛む『光輝』の座。どうやら本当に体の自由を奪われてしまっているようだ。さすがに天才と呼ばれていただけあるヒュ=レイカだ。実に鮮やかな手並みで『光輝』を封じ込める。
「汝、弱き者よ。正しき道を覆い隠す闇を切り裂く聖なる炎を掲げるべし」
続いて『聖火』の座が白と赤の入り混じる炎の波を体現化する。
炎はうねりを上げ、まずは『聖火』の周辺を渦巻いた。同時に焦げ臭さが微かに漂う。よく見ると炎が渦巻いている地面が燃え、黒い塵と化していっている。炎が地面を焼いているのだ。
「灼け、背信の闇を」
その言葉を合図に、炎はまるで意思を持っているかのように襲い掛かってきた。まるで炎が蛇のようなうねりを見せる。
と。
「ハアッ!」
俺の後ろから数歩前に飛び出したラクシェルは凍気を纏った右腕を構えると、そのまま襲い掛かってくる蛇のような炎へ叩きつけた。すると炎はビシリと軋んだ音を立てるとそのまま一瞬で凍りつき、そして張力を失って粉々に砕ける。
「なんでも焼き尽くす神の炎ってヤツも、さすがに絶対零度にはかなわないみたいね。ほら、行って!」
おう、と一言残し、俺はラクシェルに『聖火』を任せて尚も駆ける。
リーシェイもラクシェルも、全く面識がない訳ではなかったが、少なくとも以心伝心出来るほどに親しい仲という訳ではなかった。俺は夜叉の頭目、しかし二人は凍姫の人間だ。にも関わらず、この言葉に出さずとも出来る意思の疎通。共通する目的さえあれば、親密性やら理解度やらはあまり関係がない事を事実が証明している。
ルテラもファルティアもリーシェイもラクシェルもヒュ=レイカも、みんな一つの目的のために命を賭けて凌ぎを削っている。いや、賭けているのは命だけでなく自らの誇りもだ。決して自分の意志に反しない戦いをする、という北斗の根本にある源流思想。俺もまた同じだ。全ての人間までは不可能だとしても、自分の大切な人間だけは絶対に守る。これが出来ないくらいならば、ましてや自分の保身のために放棄するのであれば、自分で腹を掻っ捌いた方がずっとマシってものだ。
「おい、ルテラ!」
そして、俺は前方を駆けるルテラに追いつき並走する。
リーシェイが『断罪』、ヒュ=レイカが『光輝』、ラクシェルが『聖火』を抑えた。残るは『怠惰』と『天命』だが。俺達が一人ずつ抑えるとしても、それでは肝心のシャルトを助ける役目のヤツがいない。俺達の目的はあくまでシャルトとリュネスの救出であって、浄禍をぶちのめす事が目的ではないのだ。
「で、どうするつもりなんだ!? こっからさ!」
俺は今更ながら考え無しに行動を起こした自分を転嫁するようにルテラに問い掛けた。元はと言えば、真っ先に駆け出したのはルテラなのだ。この数の計算だって考えになかった訳じゃないはずだから、何か手を講じていると考えても当然である。やけに無責任な言い様だが、そうでもなければ行動は起こさなかったはずだ。単なる体当たりだけじゃ当たって砕けるだけである今の状況を、ルテラが理解していない訳ではないのだから。
と。
「大丈夫! 私にちょっと考えがあるの!」
「考え?」
自信満面に答えるルテラに、俺はそれは何だと問い掛ける。そしてルテラはそれに答えるかのように、走りながらおもむろに服の胸元を開けた。すると、
「にゃあ!」
ああもう苦しかった!
ぴょこんと飛び出した白い影。それは、シャルトにいつもくっついている子猫ちゃんのテュリアスだ。
「……はあ?」
マジで?
不覚にも俺は、マヌケにポッカリと口を開けた。
TO BE CONTINUED...