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ごちゃごちゃと理屈を並べるよりも、まずは見せるものを見せろ。
私はそうしてきた。
貧民街の伝統は守る、なんて、口だけなら幾らでも言える。私はチビ共を餓えさせないように行動する事で示してきた。
けれど、大人はいつも口先だけで人任せだ。責任の擦り合いと見苦しい権利の主張。考えてみれば、そんな大人が作った街と、そこから弾き出された人達の貧民街とで、どちらが本当に幸せな世界なのかは十分に天秤の両端で釣り合う。ある人は右、ある人は左。しかし、決死とどちらも互いを理解する事は出来ないだろう。
行動を続けた私達子供と、詭弁ばかりの大人と。
それでも上に立ったのは大人だ。
理屈じゃない。ただ単純に、子供の方が力が劣っているからだ。
頑張れば、その溝は埋まると思っていた。
しかし、それはあまりにも大きい。
ふつふつと再沸騰を始めた胸の怒り。
それまで感情の行き場となっていた騎士達は、この突然現れた青年によって残らず倒されてしまった。よって、この怒りをぶつけるとしたら、この青年の他に居ない。しかし、それではただの八つ当たりになってしまうんじゃないだろうか? いや、そうとは違う。私の怒りが再沸騰したのにはまた別な理由があるのだ。
「すまない、向こうは間に合わなかった」
そして、青年は私の前に肩膝をつくとそっと手を伸ばしてきた。
私を助けようと、そういう事?
こんな風に手を差し出されたのは生まれて初めてだった。仲間同士でも、元々私はこんな窮地とは縁が無かったし、一度も無かった。
しかし、相手が相手だからだろうか、これほど不快なものだったとは。
「……何のつもり?」
「何って、その怪我じゃ一人でも立てないだろう?」
それは、切り落とされた右腕の事を言っているのか。
確かに未だ血は止まらないし、一生直る事の無い大きな怪我だ。しかし、だから私が自分で立てないと決め付けるその態度が許せない。
「うるさいっ! 立てるわよ!」
私は力いっぱい青年に向かって怒鳴った。しかし、ただでさえ血を流し過ぎているのに大声を出したせいで、頭の中でキーンという甲高い不快な音がしたかと思うと急に激しい頭痛に見舞われ、私の体が大きくぐらりと揺れる。
体が傾いたのは右側だった。咄嗟に手をつこうとしたのだが、今の私に右腕は無い。地面に腕をつけたのは頭の中だけで、実際には地面の上に肩から転んでいた。
「大丈夫かい?」
慌てて彼が私を抱き起こそうとする。だが、
「触るなっ!」
私はその手を払い除けると、足で無理に地面を蹴って青年から離れた。
「何を怒っているんだい? 僕は早く君を医者に診せたいだけなんだ。他に他意はない」
「私は大人を信用しない」
青年はやけに焦ったような口調でそう私を説き伏せようとする。けど私はにべも無くはねつけた。口先だけで甘い言葉をかける大人は何人も見てきた。青年と私は何の縁も所縁も無い、今日この場で初めて顔を合わせただけの他人同士だ。借りも無ければ貸しも無い。わざわざここまでして助けてもらう謂れは無いのだ。私を騙すことでどんなメリットがあるのかは知らないけれど、絶対に嘘に決まってる。
「確かに僕は世間的には大人の部類に入るけど、君の言う信用の出来ない大人じゃないよ」
「誰が信じるか」
もう声を出すのも辛いほど、私は切羽詰っていた。頭は痛いし、吐き気もする。悪寒も出てきた。右腕を切り落とされるというのは、思ったよりもずっと辛い症状を強いるようだ。いつもよりちょっと酷い怪我をして痛さが大きいだけだと思っていたけれど、もういつ意識を失ってもおかしくはないほど、自分の限界がはっきりと感じられる。
このままでは自分は死ぬ。
自分の死をこれほどリアルに感じたのは初めてだった。恐怖感や絶望感よりも、何より悔しさがあった。死にたくない、という単純なものじゃなく、こういう死に方はしたくない、という意味での生への渇望だった。仲間を殺されて、まるで虫ケラのように踏み潰されて。人生は長かろうと短かろうと構わないが、こういう幕引きだけは絶対にしたくない。どう落ちぶれようと、最後まで勝者でいたいのだ。勝者でいたいからこそ、自分が憎んでいた大人に助けなんか請いたくない。もしもここで自分の主張を曲げてしまったら、そこで私は敗者なのだ。最後まで自分は自分でいたい。たとえ、それで死ぬ事になろうとも。
私の頑なな態度に、青年は少しも諦める様子がなかった。どうしても私を自分の思うようにしたいようだ。こっちはただでさえ余裕が無いというのに、鬱陶しいことこの上ない。もしもこんな状態じゃなかったら、真っ先にぶっ飛ばしている。
「僕は、この街に来たばかりだけど、大体の事情は分かっているつもりだ」
災難だったね。
そんな哀れむような視線を私に送る。振り払えるものなら振り払いたい、不快な視線だ。
正直、しつこい。
だが、その言葉すら口にするのも今は煩わしい。感情が特に強く働かないと、口がまともに動いてくれないのだ。
「君達が大人を信用出来ない気持ちは分かる。けど、それじゃ駄目なんだよ」
「大人に子供の気持ちが分かってたまるか!」
「分かるさ。大人はみんな、元は子供だったんだから」
「だからって、一緒って意味じゃないでしょう!?」
そこまで感情を露にし、ありったけの不快感を言葉に変えてぶつけても、青年は踵を返そうとはしなかった。どうしてそこまで私に執着するのだろうか。とっくに気を悪くして見切りをつけてもおかしくはない。第一、私は嫌われ者の貧民街の人間だ。とても釣り合うだけのメリットがあるようには到底思えない。
疑問を膨らませる私を他所に、青年は一層必死の表情で何とか私を説得しようとする。真っ直ぐな眼差しは私だけに注がれている。今は私を助ける事だけしか頭に無い。彼の気持ちが少しだけ伝わってきたように錯覚した。
そんな時だろうか。
ふと、私は心が揺れ動いた気がした。
「大人を否定しても、いずれは君も大人として扱われる日が来る。君は子供のままでいいのかい? それよりも、君が嫌いな大人を、君自身がより立派な大人となる事で見返してやった方が、何よりも最高の皮肉になるんじゃないのかな?」
私が大人になる?
思い返してみれば、これまで自分が、最も憎む『大人』と呼ばれる存在に将来必ずなるという事を真剣に考えた事が無かった。いつまでも子供でいるとか、いづれは大人になるとか、そういう区分分けを自分に当てはめた事がなかったのだ。ただ、今の自分は大人が憎いと、そう思うだけで帰結している。その事実さえあれば満足であって、ある種の仲間意識を繋ぐ要素の一つでもあった。
私はどうして大人を憎むのだろうか。
冷静に考えてみると決定的な理由が見つけられず、思わず愕然としてしまった。生まれて間もない自分を捨てた両親を心底憎んだ記憶は無い。親という概念や実感を元々持っていなかったためだ。それに、大人に何か酷い事をされたかと思えば特にそう感じた事は無い。むしろ、略奪という形でこっちの日銭を一方的に提供させてもらっている訳だから、憎まれこそすれ憎む事はあり得ない。
自分を改めて振り返ると、どれだけ自分が周囲の既製した価値観に流され染まっていたのかを実感する事が出来た。その事に気がついた瞬間、自分の価値観が急激に崩壊を始め、何を基準にして物事を判断すればいいのか分からなくなってしまった。何を決めるにしても、人間は基準となる何かが無ければ決める事が出来ない。その基準そのものについて普段から意識を向けた事が無かっただけに、私の混乱は螺旋状に増大の一方を来たす。
「さあ、早く僕と行こう。こんな事で死ぬのは、君だって不本意だろう?」
そんな半ば混乱しかけた私に、彼は優しく声をかけてくれた。
心が動く。
そんな表現がしっくりくる心境だった。自分の意見よりも、ただただ盲目的に彼の言葉に従いたいと感じた。それは生まれて初めての感覚だったけれど、物事を判断する基準を見失った自分には当然の帰結だと思った。
気がつくと、私は彼への嫌悪感が消え去ってしまっていた、あまつさえ、自分のこの先を任せても良いような気さえしてきた。こんな、今日初めて顔を合わせただけの人間に、そこまで自分を任せる気になれるなんて。我ながら、驚く依然に呆れるしかない。
「あんたは……一体誰なの?」
「僕? 子供から大人になり損ねた、自称『大人』だよ」
本当にふざけたヤツだ。
そう、私は思った。
TO BE CONTINUED...