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「ふざけるな」
 そんな剥き出しの殺気を一人放っているのは、意外にも激情家な部分のある俺。
 とある週末の昼休み。
 いつも通り昼食を取ろうと外に繰り出した俺だが、顔見知りでありながらも珍しい人物と遭遇した。
 そいつに誘われるがまま、俺は近くの喫茶店に入った。
 込み入った話がある。
 久しぶりに顔を合わせたと思ったら、急にそんな事を言い出してきた。普段、それほど顔を合わせる機会も無かったが、そいつは守星をやっているルテラの同僚という事と、ルテラのかつての同棲相手の実弟という事もあり、割とそれなりに親交のある仲だった。そんなのもたまにはいいか。特にこれと言って断る理由の無かった俺は二つ返事で承諾した。
 こんな風に、こいつと一対一で面と向かうのは初めての事だった。
 付き合いと言っても表面的な部分が多かっただけに、今となって急に込み入った話を持ちかけられるとなって、正直俺は戸惑っていた。お互い、それほど親しい間柄でも無い事は分かっているはずだ。なのに、大事な話を持ちかけてきて良いものだろうか。少なくとも俺はしないし、されても正直困る。無下に断る事もやり辛い。とりあえず、聞くだけ聞く事にしよう。
 そもそも、俺はこの男の人柄がよく分からなかった。社会的な評価を総ずると、容姿端麗にして品行方正、史上稀に見る天才剣士でありながら最年少で北斗本部の役人を勤めた経緯のある、まさに文武両道の天才。その一方兄であるスファイルは、一応は流派『凍姫』の頭目を勤めてはいたものの、普段から奇行が激しくて言語も不明瞭、天才の弟の正反対を地で行く変人中の変人だった。それだけに、こいつの高名さは嫌でも際立たせられる。
 正直、ルテラがこいつを選んでいたなら、俺は割と素直に納得出来たと思う。何を血迷ったかルテラは狂った兄の方を選び、しかもそれを理由にして当時勤めていた流派『雪乱』の頭目を辞めた訳だからそれなりに波紋を呼んだ訳だが。今となっては懐かしい出来事だ。
 と、まあ、俺にしてもそいつは本当に絵に描いたように優秀なヤツであるため、普段は滅多にしない感心を惜しめない、兎角完璧すぎるヤツなのだ。実戦の中で才能はそれほど意味を成さない。天才と呼ばれるこいつは、確かに生まれ持った才能は比類し難いものだが、宝石と同じで、どれだけ価値あるものも磨かなければ光らない。それを、周囲の期待や重圧にも負けず己を磨き続けた訳だから、本当の意味での天才の称号を受けるに値する人間だ。それらを考えると、意外と俺は嫌いじゃない人間だ。苦労や努力を重ねながらも決して表に出さないのは、男として当然でありながらなかなか出来ない事だ。
 喫茶店で互いにランチセットを注文し、瑣末的な雑談を一通りこなす。
 初めは当り障りの無い会話から始まり、やがて少しずつ互いのプライベートに撫でる程度の深さで触れる。よくある、初見のヤツと酒を飲むパターンと同じだ。
 兄はあんなだったが、こいつにはこれといっておかしな点は見つからなかった。天才ともてはやされてはいるものの物腰は極めて低く、ただ自分が俺よりも年下という理由でさりげなく立ててくる。そこら辺のヤツよりもずっと人間が出来ている。やはり上層部に食い込めるヤツは、能力だけでなくこういった性格的な要素にも理由があるのだろう。
 だが。
 少しずつ積み上がっていたこいつへの好印象は、それを境に一瞬にして崩れ去った。
 ようやく密やかな声で淡々と切り出してきた、話の本題。一通り話し終えるなり、それはたちの悪い冗談などでは無く、正真正銘腹の底から本気で話している事に気がついた俺は、間髪入れずに答えた。
 叫びたい衝動は堪えた。声量も出来る限り普段のままで保ち続けている。だが、怒りに釣られた殺気とも呼べる冷たい空気だけは押し殺せず、たちまち店内は静まり返り、たまたまこちらを振り向いたウェイターの表情が凍った。俺を中心に見えない津波が広がっていく。
「それは、拒絶と取ってよろしいでしょうか?」
 いけしゃあしゃあと、こちらの怒りを平然と受け止めながら平然とした表情で受け答える。その余裕さがかえって俺の鼻についた。
 こいつに対しての評価が全く正反対のものになる。
 あの柔らかな表情、温和な性格、低い物腰。それらは全て、醜悪な本音を偽るための演技でしかなかったのだ。
 これまでの間、素顔を誰にも気がつかせなかったこいつの徹底した演技力には恐ろしいものがある。これだけ印象が良ければ、周囲の信頼を得るのもさほど苦労は無かっただろう。これらが今話した本題のための下準備だとすれば、この男、とんだクセ者だ。仮面を被りながら長い時間をかけ、圧倒的な防衛力を誇る北斗を切り崩すために少しずつ信頼という形で自分を浸透させていく。そして北斗を掌握する事の可能な位置を手に入れる訳だ。
 北斗では、殺人よりも重い位置付けの罪がある。それは裏切りだ。
 一度でも北斗を裏切った人間は、二度と北斗で普通の生活をする事が許されない。閉鎖的な世界で絶え間なく循環を行う事で繁栄している北斗は、いうなれば一つの生命体だ。体内で異物が発生すれば、当然正常な状態を保つために排除を行う。倫理的には裏切りと生死を同机上で考える事自体がおかしいかもしれないが、北斗では現実として裏切りを最も粛清すべき重罪として位置付けている。それをどう問おうとも、現にこのやり方で今日の北斗があるのは変えようも無い事実だ。
 そして、北斗を守るべき立場にあるはずの人間が持ち出した、北斗の転覆。
 言いたい理屈は大体理解出来ている。こいつがどれだけ北斗を掌握しているのかは、とりあえず洒落にならない程度ぐらいには推察出来る。だがそれ以上に、俺は怒りと後悔を同時に感じていた。
 守星の人間が、本来ならば自分達が制圧すべき害を成す側に成り下がった事への怒り。そして、これほど危険な人間をどうして今まで野放しにしてしまっていたのか。
「改めて言うまでも無い。俺は北斗の人間だ。北斗を戦場にする気か? そんな申し出、受けられるか」
「そうでしょうね。もしかしたら、とは思っていましたが、やはり交渉は不成立ですね」
 平然と柔らかな笑みを浮かべる。
 何故、これほど恵まれた人間が今となって北斗に牙を向けるのか。
 俺は、北斗はこれ以上無い自治街として完成されているものと思っている。おおよそヨツンヘイムで人間らしい暮らしをするならば、北斗以外に適した街はない。誰だって北斗ほど住みやすい街は無いと思っているはずだ。それをわざわざ壊そうとするなんて、到底俺には理解が出来ない。
 その一方で、こいつには何一つ生産的な考えが無い訳でも無かった。
 非生産的な事に日々尽力する小悪党とは違い、確固たる主張と理想がある。その実現に向けて、こいつは忠実に従っているのだ。問題は、現状の体制を踏破し、自分が挿げ替えた次の頭になろうとするそのやり方だ。秩序の破壊と同義である事は言うまでも無く、よってこいつは北斗にとって排除すべき敵だ。
「北斗は今のままじゃいけない。ご存知でしょう? 隣国のヴァナヘイムがニブルヘイムに敗戦したために吸収された事を。ニブルヘイムは比較的痩せた国土でしたが、これによって肥沃な土地を手に入れました。これにより、ニブルヘイムが一層国力を増す事は言うまでもありません。元々魔術と法術が進み、武芸にも精通したニブルヘイムは兵力も桁違いになるでしょう。一方で、政府機関すら存在しないヨツンヘイムが侵略戦争を仕掛けられる可能性を捨て切れますか? それでなくとも北斗を攻撃する戦闘集団は年々跳ね上がり続けています。だから今こそ北斗によるヨツンヘイムの統一が早急に必要なんです。圧倒的な軍事力を持った軍国主義を掲げて」
「つまり、お前は北斗を使って逆にニブルヘイムへ侵略したい訳か?」
「それは違いますよ。あくまでヨツンヘイム中の国力を北斗に集約するのです。ニブルヘイムを牽制する意味でも」
「確かに北斗の力なら可能かもしれないな。だが、その分街の警備は手薄になり、一般市民を外敵からの危険に晒す事になるぞ」
「多少の犠牲は覚悟の上です。これはそれ以上に意味のある事ですから。そうでもなければ、北斗を崩す覚悟なんて決められません」
「犠牲の上にしか何も築けないヤツに、ヨツンヘイム統一なんて所詮無理な話だ」
 こいつの理屈など、俺はまともに聞き入れる気にはなれなかった。どんな理由があろうとも、北斗に戦火を起こす事に違いは無いのだ。大儀があれば何もかも許されると考えるのは、高慢で視野の狭い人間の考え方だ。法と事実を直結させる短絡的な考え方しか出来ない人間は犯罪との境界線が認識出来ない。しかし、こいつはそんな事も分からないほど頭の悪い人間ではないはずだ。北斗を思う気持ちは分かるが、どうしてここに行き着いたのか。俺は理解出来なかった。
 何をどうしようと、侵略には大勢の命が必要だ。だが、それと等価に引換出来るものが果たしてこの世に存在するだろうか? 少なくとも、俺はこのヨツンヘイムには存在しないと思っている。だからこそこいつの誘いには乗らないし、真っ向から対峙する。俺は攻め入る事よりも守り抜く事に意義を見出す人種だ。自ら望んで秩序を破壊する行為に手を貸す事なんて誇りにかけて絶対にする事は無い。
「僕個人として、レジェイドさんの能力は非常に高く評価しています。精霊術法が最も効率的な戦闘術と評される昨今、己が身一つで術式の達人すら圧倒するその実力、そして類稀なカリスマ性、人望、指揮力。是非とも新しい北斗の中核に加わって欲しかったのですが。主張が相容れないのであれば致し方ありませんね」
「俺だって敵に回したくは無かったさ。なんせ北斗の天才剣士様、しかも一時は俺の義理の弟になったかもしれないヤツの弟だからな」
 皮肉たっぷりにそう吐き捨てる。
 我ながらみっともない。すぐさま自己嫌悪にかられた。こいつの土俵で言い争ったって何の意味もないだろうに。
 力をつけたニブルヘイムに対抗するため、ヨツンヘイムを統一する。
 しかし、その目的のためには穏健派に傾倒する北斗本部の役員達が邪魔だ。
 よって、障害となる存在を全て排除し新体制を築く。
 即ち、改革という名を騙った北斗の破壊だ。
 北斗のためヨツンヘイムのためと幾ら大義名分を主張しても、大衆にしてみればただの裏切りしか見えてこない。自分達の大儀のため、進む道の途中で犠牲になる人間を数の多少でしか考えない。そんな人間を、英雄か奸雄かは後世の人間が判断する事だろうが、どちらにしても歩む道は血生臭い。そもそも、余計な血を流さなくても済むように北斗の街は作られたのだ。こいつの考え方は北斗の存在意義を否定している。北斗の理念に協調している俺にとっては、それに対する否定を体現化しようとする人間は須らく敵だ。
「俺が北斗の敵には容赦しない事を知らないはずはないだろう」
「僕は北斗の事をこれ以上なく考え、そして憂いているのです。いつまでもこの北斗で暮らしていたいですからね。北斗の繁栄を永久にするためには、今のままでは絶対に不可能なのです。だから僕は、あえて自ら泥を被るつもりです。それでもいけませんか? 北斗を守るために、たとえ人には理解されなくとも、やらなくてはいけない事だってあるはずです。レジェイドさんも北斗が好きでここにいるのでしょう? ですからきっと協力して頂けると思っていたのですが」
「目的のためには、思い通りにならないヤツを排除する。知ってるか? そういうのを世間一般では独善って呼び、独裁で長続きした国や組織なんか古今東西一つもありゃしないんだぜ」
「だからこそ、僕は信頼を得られるよう尽力したのです。純然たる善意で束ねられた組織ほど強固なものはありませんから」
「信頼と善意で支配する、か……まるで洗脳だ。今までとんだ羊の皮被ってやがったな。これなら道化気取りの兄の方が遥かにマシだ」
「僕は兄と何から何まで正反対のように取られていますが、たった一つだけ同じものがあるんです。それは、僕もまた昼行灯に徹していたという事です」
「超タカ派の素顔を隠すため、対極位置の守星になってた訳か? なるほど、これなら誰も夢にすら思わんだろうな」
 これ以上は無理だ。
 俺はぎゅっとこぶしを握り締め、今すぐにでもこの場で殺しておきたい衝動を辛うじて堪えていた。
 計画だけでは犯罪を立証する事は出来ない。ここで殺したとしても、俺はただの犯罪者に落ちぶれてしまう。だが、たとえそんな汚名を着せられたとしても、北斗のためにこいつを殺しておくのが最善の選択ではないだろうか?
 葛藤している内に、すっと向こうから先に席を立った。まるで俺に選択の猶予を与えないよう先手を打ったかのようだ。
「僕はそろそろお暇させて頂きます。次、お会いする時は戦場で」
 離れ際、いつもの人の良さそうな笑みを俺に向ける。年頃の女なら一発でどうにかなってしまいそうだろうが、俺はお返しに出来る限りの殺気をぶつけてやった。わずかに表情が強張ったように見えたが、それも一瞬の事だった。
「ああ。今後から、俺達は敵同士だ」



TO BE CONTINUED...