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何度かくじけそうになったけど。
何度、諦めかけたか分からないけど。
私、まだやっていけそうな気がします。
大丈夫。自分の足で歩けます。
「ほう……」
ぽつり、とリーシェイさんが胸の下で腕を組みながら、そんな言葉を漏らしました。普段は決して動揺する事のないその顔に、僅かな驚きが浮かび上がっています。
「ど、どうでしょうか?」
私の手のひらには、精霊術法で体現化した氷の球体がありました。
昼食を食べ終えた後、私は部屋には戻らず再び凍姫の訓練所へやってきました。ファルティアさん達は二階の書庫室にいたのですが、私は中へ入れては貰えず、代わりにリーシェイさんだけが廊下へ出てきてくれました。
そこで、私はもう一度、精霊術法をやって見せました。描いたイメージは、一番最初にファルティアさんに言われたイメージ、氷の球体です。
「そのまま、少し待っていろ」
そう言ってリーシェイさんは書庫室の中へ入ります。間もなく、ファルティアさんとラクシェルさんを連れて戻ってきました。
そして、
「えっ!? これ、リュネスが!?」
まず最初に声を上げたのはファルティアさんでした。
「間違いない。私の目の前でやって見せた」
「へえ、凄いじゃん。重心もブレてないし。完全な球体だね」
ラクシェルさんも感心したように私のそれを見ています。
三人とも、私が作り出したこの氷の球体に驚き感心しています。何しろ、午前中に同じ事をした時は球体どころか手のひら大の塊さえ作る事が出来なかったのです。そんな私が突然、綺麗な球体を作れるようになったのです。それも、研究が途中だった制御トレーニングもしないでです。
「じゃあさ、今度はこれやってみて」
と、ファルティアさんはそっと手のひらを差し出しました。そこにぽつりと小さな光が浮かびます。これが体現化途中の魔力です。そしてそれは破裂するように膨れ上がると、瞬く間に一つの形を作り出します。体現化されたのは四角錐の氷でした。三つの辺の長さが等しい三角形が四つ、正方形が一つ組み合わさって出来たその図形は一点の歪みもありません。
「はい、やってみます」
私は球から意識を切り離すと、早速イメージを作り始めました。ファルティアさんの作った見本をしっかりと目に焼き付けると、今度は目を閉じて頭の中でイメージを作り始めます。四角錐を作るのは初めてでした。でも、やれるだけやろう、という気負いはありませんでした。何故か出来そうな気がするのです。
頭の中にファルティアさんが作り出したものと全く同じ四角錐が出来上がりました。そのイメージを、あの地獄の入り口のようなおどろおどろしい門の向こう側へ投げ込みます。すぐさま門の向こう側から、私が必要とする以上の魔力の奔流がこちらへ向かってきます。しかし私は素早く門を僅かな隙間だけ残して閉め、うまく流れ出てくる魔力を調節しました。全てが驚くほど私の思い通りに動いていきます。しかも、その一連の作業の流れが呼吸と同じように自然に行えます。これまでの私には決してあり得なかった余裕があります。
そして、
「出来ました」
手のひらの上に体現化したのは、ファルティアさんのよりはやや大きいものの、寸分の狂いもない四角錐でした。寸法の比率にも歪みはありません。完全な四角錐です。
「うわ、凄い。完璧じゃん!」
作り出したそれに、ファルティアさんが嬉しそうな表情を浮かべて私の背中をばんばんと叩きました。その衝撃が少し強過ぎて咳き込んでしまい、その拍子に意識が切り離されて四角錐が壊れてしまいました。なんだか久しぶりに見たような表情です。
「ならばこれはどうだ?」
そう言ってリーシェイさんが作り出したのは、有名な宗教書にある十字架に磔刑にされた聖人の、氷の彫像でした。この聖人自体は始めて見る訳ではありませんが、驚くほど細部まで精密に作りこまれ、頭部には棘の冠、両手首には太い杭が打ち込まれ、表情は処刑直後のようにぐったりとしているのが良く分かります。
「こ、これですか……」
思わず見とれてしまうような見事な氷の彫像。たとえ自分の手で普通に作るとしても、これほどのものはとても作れる訳がありません。
とにかく私は懸命にイメージを描いてみます。
そしてなんとか体現化したそれは、ラインが非常にあやふやなまるで子供の粘土細工のようなものでした。
「あの……やっぱり駄目でした」
しゅん、と私は謝ります。すると、
「冗談だ、リュネス。これはファルティア、ラクシェルでも出来ん。これが出来てしまったら、この二人は存在意義を失ってしまうからな」
リーシェイさんはおかしそうに微笑みながらそう言いました。どうやらリーシェイさんの見本は、初めから私には出来ないと思って出したもののようです。ファルティアさんやラクシェルさんすら出来ないものですから、それを駆け出しの私が体現出来るはずがありません。
「まあ、とにかく。随分と安定したんじゃない? 一皮むけた、ってカンジね。これだったら、もう研究とかしなくていいんじゃないの? どうせ進んでなかったけど」
「そうだな。このレベルだったら問題はないだろう」
午前中はあれほど厳しい表情をしていた三人が、今はこんなにも明るく柔らかい表情を浮かべています。全ては私が精霊術法の制御が、初歩的な部分に関しては出来るようになったから、転じて、僅かだけれど顕著な成長を見せたからです。
自分でも少し驚いている部分はあります。ただ私は、もっと気を抜いてやってみようと思っただけで、実際にそうしてやってみたらうまくいってしまったのです。それは偶然やまぐれでなく、ちゃんと自分の実力で意思通りに出来ました。なんとなく制御するコツのようなものを掴む事が出来たのです。
「でもどうしたの? 急に出来るようになっちゃって」
と、ファルティアさんが不思議そうな顔で訊ねてきました。
てんで何も出来なかった私が、突然まるで別人のように困難な魔力の制御をしてみせたのですから、それは当然の疑問です。けど私もまた、ファルティアさん達と同じぐらい自分の変化には驚いているのです。力をあまり入れないで、なるべく自然体のまま一連の行動をやってみたらうまく出来るようになっただけで。うまく言葉で表現する事が出来ません。
「えっと……」
私はどうやって表現しようかと頭を悩ませました。元々語彙も貧困な私ですから、表現を出来る限り分かりやすくしなければいけません。でも、どういう言葉や表現をすればいいのか自分では分かりません。
適切な言葉を探して、私は悩みました。悩みに悩みました。そして悩み抜いた果てに、ふと私はある事に気がつきました。
こう、何事も完璧にやろうと力を入れ過ぎるのは私の悪い癖です。人間は常に緊張状態でいられるほど頑丈ではないのです。だから、全てにおいて完璧であろうと努める必要はないのです。私は自分の能力が人より劣っているから、それを補おうとするあまりいつも躍起になっていました。でもそれはうまくやろうとする見栄でしかなくて、そんな事をしても私自身の能力は少しも変わらないのです。
私は私で出来る範囲で頑張ればいいのです。その出来る範囲を少しずつ広げていき、無理のない確実な実力としていけば。
そして、
「多分、お腹が一杯になったからだと思います」
私は冗談めかせてそう答えてみました。
三人は、私の冗談がよほど意外だったのでしょう、唖然とした顔で互いに顔を見合わせます。
「なるほど」
そう言って、三人は笑いました。
私も笑いました。
なんだか肩が軽くなったような気がしました。これまであくせくと背伸びをしながら乏しい余力を振り絞っていた自分の姿が滑稽に思えてなりません。
けど、気を抜いてばかりもいられません。うまくいったとは言え、まだまだ初歩中の初歩、長い長い道のりのようやく二歩目ぐらいを踏み出したばかりなのです。頑張らなくてはいけないのは、むしろこれからなのです。
TO BE CONTINUED...