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 さて、夕食にしよう。
 今日も一日の訓練が終わり、俺はシャワーを浴びて服を着替え、街へと繰り出した。
 以前は、方向音痴の俺に北斗は広過ぎるので行動範囲は夜叉の本部、訓練所、宿舎の三箇所周辺だけに限っていた。けど最近は行動範囲を広げている。東区と西区、そして復興が目覚しい南区にもたまに行ってみる事がある。
 何度も何度も同じ所ばかり回っていては、滅多な変化は起こらないから自然と退屈したり同じ店ばかりに通うようになる。けれど、色んな場所を歩き回ってみると、思わず驚いてしまうようなお店がよく見つかる。北斗は商業が盛んな街だから、今まで見た事も食べた事も無い料理屋があるのだ。以前見つけた店は、魚を生のまま出してきた。ショウユと呼ばれる黒くしょっぱい調味料、ワサビという野菜を摩り下ろしたものや大根の千切りと一緒に食べる。食べ方を教えてもらうまで右往左往していたけれど、ご飯と食べるのがよく合っておいしかった。テュリアスは魚をそのまま食べていた。ワサビや大根は辛くて嫌なのだそうだ。けど、さすがに煮干が好きなだけあって魚をおいしそうに食べていた。
 とまあ、こんな風に新しい発見は適度な刺激を受ける。それにもう一つ、リュネスとのデートの事もある。いつも同じ所ばかり回っていたら倦怠期がすぐに来る、とレジェイドに言われたのだ。行動範囲を広げるには、直に自分の足で回って確かめる事が重要である。レジェイドには戦い方を教えてもらっているけど、こういう事にも卓越しているので非常にアドバイスが助かる。ケンカ一つせず今もリュネスと良い関係でいられるのは、ほとんどレジェイドのおかげだと思う。俺はレジェイドのクセの悪さを少し軽蔑してた所があったけど、結局はレジェイドの言う通り、それは俺の視点が子供だっただけの偏見だったのだ。
 ごはん、ごはん。
 俺の頭の上にしがみついているテュリアスは、やけに御機嫌な様子ではしゃいでいる。こっちは俺とは違って単純に食べる事しか考えていないのだ。
 とは言っても。リュネスと付き合いだしてからテュリアスには少し後ろめたさがあるので、テュリアスの楽しみに大してなんだかんだ口を挟むのは躊躇っている。一ヶ月に一、二度、テュリアスが居辛くなる日がある。リュネスが泊まりに来る日だ。俺が何か言った訳じゃないんだけど、そこで気を使ってくれてるんだなあ、と思うと、どうしても後ろめたいものが出来てしまう。その代わり、って訳じゃないけど、テュリアスには好きなものやおいしいものを食べさせてあげなきゃなあ、と思う。
「何か食べたいものとかある?」
 そう俺は頭上のテュリアスに訊ねた。
 あれ! いや、やっぱりこっち! あ、でも、そっちも捨て難いし。
「どれがいいんだよ」
 ちょっと待って。考える。
 テュリアスは視点を前後左右に振り回しながら、あれやこれやと選択に悩んでいる。丁度差し掛かっていたのは、北斗に幾つかある繁華街の一つだった。北斗には大小幾つも料理店があり、そのジャンルも多種多様だ。お腹が空いている時にそんな店々が軒並みを連ねている場所に来れば、誰だってこんな風に迷ってしまうだろう。元々テュリアスは移り気な性格だから、尚更決めるのは難しいだろう。
 ねえ、やっぱりあそこに行きたい。
 そして、ようやく決心のついたテュリアスは、通りの左側にある一軒の茸料理専門店を指した。前に一回入った事があるけど、さすが専門店と名乗るだけあってメニューは全て茸料理だった。付け合せとしてのものから、メインディッシュとしての料理もあって食べ方は幅広い。普段、あまり主として茸を食べる事も無かったから、それだけに印象は強かった。
「その隣は魚料理、もう反対隣は野菜料理だけど、本当にそれでいいんだな?」
 言わないでよ。また迷うから!
 テュリアスが上から小突いてきた。分かったよ、と手を伸ばして背中をポンポンと叩く。
 実を言うと、この店は今度リュネスを連れて行こうと思っていた店でもあったりする。リュネスは俺みたいに量を食べないし、女の子だから体重とかも気にすると思う。だからそれほどカロリーも気にしなくて良さそうな料理ばかりなこの店は丁度良いんだけど。何度も通うと店員に顔を覚えられて変な風に思われるかもしれないし、そんなに俺は目立ちたくはないのだ。
 でも、そんなに食べたいっていうんなら仕方ないか。
 俺はテュリアスを引っ掴んで懐へ移すと、店のある反対側へ足を向けた。テュリアスはぴょこんと上着の合わせ目の間から顔を出す。
 テュリアスを頭の上から懐へ移したのは、頭の上にテュリアスを頂いたままでは変な意味で目立ってしまうからだ。俺はただでさえ目立つ容姿をしているから、そこへわざわざ拍車をかける必要も無い。
 それにしても、茸を食べたがる虎というのもおかしな話だ。
 本来、虎は肉食の動物だ。主食として食べるのは基本的に生肉である。けれどテュリアスは、生肉どころか火を通した肉も食べない。せいぜい、だしを取ったスープぐらいだ。逆に好んで食べるのは煮干や干物、魚の類で余計猫っぽく見えてしまう。
 でもテュリアスは、肉を食べないのではなく、本当は食べられないのだ。多分だけど、母親の件の事なんだと思う。それがずっと尾を引いていて、今も心に深い傷として残り続けているんだろう。俺自身にも言える事なんだけど、そういう傷はなかなか塞ぐ事は出来ない。ある程度期間をおいて治ったように思っても、実はそう錯覚していただけであったりもする。ある時、ふとした拍子にまた再発する事だってあるのだ。
「今日は体調がいいから、少し飲んでみようかな」
 ふと、俺は独り言のようにそんな事を呟いた。飲む、とは当然お酒の事だ。
 やめた方がいいよ。お店で眠っちゃったら、誰が連れて帰るの?
「少しだけだって。それに、飲まなかったらいつまでも弱いままだろ」
 見栄張っちゃってまあ。
 テュリアスは何気なく放ったつもりかもしれないが。俺にとっては痛烈極まりない言葉として突き刺さる。
 自分では認めないようにしてたけれど、テュリアスの言う通り、これは見栄だ。別に飲めない事は俺にとってどうでも良かった。特別お酒が好きって訳でもない。これまで通りの人生を送っていれば、多分一生このままでもいい、と思っていただろう。でも、俺に転機が訪れた。それはリュネスの存在だ。リュネスも俺みたいに自分から進んで飲む事は無いんだけど、何故か異様に強い。周囲のやつらがみんな強いからそれに慣らされたのか、それとも生まれつきなのか。どっちにしても、これは由々しき問題だ。リュネスとたまに飲む事はあるけど、俺が弱いままではいつまでも最後まで付き合えない。俺は途中で飲むのをやめるか、それとも眠り込んでしまうかのどちらかしか出来ないのだ。
 この事はレジェイドだけでなく、ルテラにも『情けない』と言われた。二人は飲める体質だからそんな事が言えるんだ、と思っていたけど、今はそんな事は言ってられない。飲めないのは事実なのだ。何とか打開しなくてはならない。
 と、その時。
 不意に俺のすぐ脇に人の気配を感じた俺は、何の気もなしに振り向いた。
「あ……」
 そして、俺は思わず口をつぐみ驚きを何とか飲み込んだ。
 そこに立っていたのは、俺よりも一回り高い上背とエメラルドグリーンの長い髪を後ろで高く束ねた女性、流派『凍姫』の頭目であるファルティアが立っていた。
 ファルティアもまた、こんな所で俺と会うとは思っていなかったんだろう、気まずいというかバツが悪いというか、そんな困ったような表情を浮べている。
「これから夕飯?」
 そう、ファルティアが訊ねてくる。どことなく突っかかるような言い方だったけれど、照れ隠しというか感情を押し殺すあまりそうなってしまったというのが俺にも分かった。ファルティアが俺に対してそんな態度を取る理由は知っていた。ストレートな言い方をすると、ファルティアは俺とリュネスが付き合ってる事をあまり快く思っていないのだ。そして、そう思っているという事を俺に知られてしまったから、こうして直接目の前にして気まずい思いをしているのだ。
「そうだけど……」
 俺は自然と視点を落として答えた。
 正直なところ、俺はリュネスとの事を別にしてもファルティアが苦手だった。凍姫にはリーシェイ、ラクシェルといった、苦手な人がいる。リーシェイは筆舌し難い行為を自然に迫ってくるし、ラクシェルは俺が怖がりなのを知っていて怪談話の類を聞かせてくる。けどファルティアを苦手とする理由は、この二人とは全く別方向の理由だ。
 俺はファルティアの事をあまり知らなかった。ファルティア自身もあまり俺には興味が無いからこれまで接点がほとんど無く、互いの事を知り合う機会が全くと言っていいほど無かった。だからこそ、ファルティアが俺の事をどんな風に思っているのか分からなくて、けれど決まって一線を引くような視線を向けてくるから、俺はファルティアが苦手だった。今もこうしてこんなに近くで顔を合わせるのも初めての事だと思う。
「少し、話があるんだ。一緒にさせてもらうよ」
 と言ってファルティアはずかずかと俺達が入ろうとしていた店の中へ入っていった。
 話?
 意外なファルティアの言葉に驚くものの、俺はとりあえずファルティアの後を追った。
 別に俺は付き合う必要もないんだけど。ただ、ファルティアとはリュネスの繋がりで遠縁の人という訳でもない。だから出来る限りコミニュケーションは取っていくようにしないと。

 俺も続いて店の中に入り、ファルティアの後を追う。ファルティアは自分のペースで勝手に席を選んでどかっと座った。そのあまりの勢いに、店員さんが目を丸くしている。
 何か機嫌悪そうだ。
 そう俺は密かに眉を潜めた。ただでさえ苦手なのに、機嫌を損ねている時を相手にするのはあまりに難儀だ。
 俺は対照的に静かにしながらファルティアの向かいに座った。テュリアスは懐から出ようとはせず、首だけを出したままだ。テュリアスもファルティアの刺々しい空気が気になっているようだ。
 おもむろにファルティアはテーブルの端に立てかけてあったメニューに手を伸ばすと、開いてざっと目を通し、すぐに俺に述べてきた。俺は軽く会釈をしてメニューを受け取る。我ながらぎこちない動作だ。
 メニューには様々な品目が並んでいる。俺でも知っているスタンダードな茸を使ったものから、聞いた事も無い名前の変わった茸まで。名前だけでも目移りしそうなほど魅力的だし、酷く腹も空いている。だけど、ほとんど気持ちがメニュー選びに向けられなかった。どうしても目の前のファルティアの動向が気になって仕方がないのだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 そうこうしている内に、店員がオーダーを取りに来た。
 ファルティアは淡々とメニュー名を述べて注文してしまう。軽くしか目を通していなかったように思ったんだけど。あれだけでちゃんと品目をはっきり読んでいたようだ。
 俺もそれに続き、メニューを述べて注文した。本当に食べたいと思った品目を注文したのではなく、適当にとりあえず言っただけだ。実際、ちゃんと考えられた時間なんてほとんどない。
「以上でよろしいですか?」
 店員の最終確認に頷き返す。そして店員は奥へと戻っていった。
 途端に場が鎮まりかえってしまう。あまりに気まずい空気だ。
 何か会話をして少しでも空気を温めないと。
 ふとその時、俺は自分でも驚くほど意外な事に気がついてしまった。普段は観察力が無いってレジェイドによく馬鹿にされるんだけど。よく気がつけたものだ、と本当に不思議に思う。
「そういえば、お酒は飲まないんですか?」
 と、俺はファルティアに訊ねてみた。
 ファルティアについて知っている事の中に、とにかく酒好きだ、という情報があった。けど、今の注文内容を思い返してみると、頼んだのは普通の料理とアイスティーだけでアルコールは一品も無い。夕食時なのだから、酒好きなら一杯ぐらい頼んでもおかしくはない。俺が気がついたのはその事だった。
 すると。
「ああ、もう随分前にやめたの。もう二度と飲まないと思うわ」
 ファルティアは溜息交じりそう答えた。どこか憂鬱そうに思えたのは俺の気のせいなのだろうか? ファルティアの返答に俺は、そうですか、としか答えられなかった。
 二度と飲まない?
 それは禁酒というよりも、自分の生活から酒を一切断ち切ってしまったという重いものに聞こえた。
 人間、自分が大好きなものをやめるのは極めて難しい。やめなくてはならない理由なんて、そう幾つもありはしない。たとえあったとしても、普通はまずやめなくて済む逃げ道となるような理由を探すものだ。
 やめてしまったのは、何か並々ならぬ大きな理由があったのだろうか?
 そこから会話を続けようと思ったのだが、ファルティアはあまり聞かれたくなさそうな表情をしていたので、俺はそれ以上訊ねるのはやめておくことにした。執拗に詮索するのは、この北斗では一番嫌われる行為だ。



TO BE CONTINUED...