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 熱狂は覚めず。
 戦いは続く。
 ほんの些細なもつれ合いが殺し合いへと発展した。
 元は同じ大儀の元へ集った同志。
 熱狂とは、大衆の中に潜む静かな狂気。
 自滅を加速させ、自滅は更なる加速を生む。
 死の相乗効果。
 死だけを生み出すその循環は、現世に死神を呼ぶ一種の儀式にも似ていた。
 彼らは、各々の誇りのために戦っていた。
 目に見えぬ誇りが、彼らにとっては生命と同義だった。
 しかし。
 それは、進む事しか知らない蟻の戦争と同じだ。




「ったく、何を考えてんだかねえ」
 凍姫本部。
 その廊下を三人は、普段はあまり使われる事のないメインホールに向かって歩いていた。
 ラクシェルが紙コップに突き刺したストローをくわえつつ、そうつまらなさそうに唇を尖らす。三者三様、戦闘時とはまるで別人のように気の抜けた様相を浮かべている。時刻は午前九時半。本来ならばトレーニングのウォームアップを行っている時間だ。
 本日、凍姫には緊急召集がかかっていた。通常、隊員達は本部ではなく訓練所に集まるのだが、今日ばかりはそのため、午前中から本部の方へ集まっていた。三人は普段同様、訓練所へトレーニングという名目で暴れに行くつもりだっただけに、召集に対して明らかな不満の色を浮かべている。
「さあ? ようやく帰ってきたと思えば、また訳の分からん事を始めるつもりらしいし。どうせまたいつもの気まぐれでしょ?」
 その隣を歩くファルティアは、真っ赤に色づいた新鮮なリンゴをバリバリと噛み砕き食べている。周囲にはリンゴの甘酸っぱい香りが広がっている。
「いや、おそらくは。いい加減、本腰を入れるのだろう」
 そう言ったのは、二人のすぐ後ろを歩くリーシェイだった。その手には串焼きの串が何本か飛び出した紙袋を携え、その内の一本を口にしている。ただし、紙袋から飛び出しているのは串だけでなく、何か哺乳類ではない生物の足のようなものも覗いてはいた。
「何? 本腰って」
「これまで、頭目は一切雪乱との戦闘には参加しなかった。何か考える所があったのではあろうが。しかし、もはや避け続ける事を終わりにしようと思い立ったのか」
 串に残る最後のそれをすっと唇で抜き取り、口の中で噛み砕いてゆっくり嚥下する。そして空になった串を縦に握り親指を当てると、そのままぽきりと半分に折る。
「もしくは、それ自体が不可能になったのか」
 凍姫と雪乱の抗争は既に一年越しで続いている。だがその間、凍姫の頭目は一度たりとも抗争に直接関わろうとはしなかった。全盛期は日に数度行なわれていた大小の戦闘はおろか、戦闘解放区にて行なわれる本隊同士の大規模なものにすら、指揮と戦略会議の両方を放棄同然の状態で欠席している。それは子供の言い訳のような陳腐なものであったり、もしくは何も告げずにふらりと消息を絶つものであったり。しかしその割に、どこから資料を集めたのだろうか頭目の業務として処理せねばならないものは定期的に行なわれていた。
 頭目の一連の行動は、まるで両流派の抗争に自分は一切関わらない、という態度を示しているように思われた。それが初めこそ打倒雪乱に奮起する凍姫の隊員達には不満に思われていたが、やがて戦況が優勢に傾くに連れ、頭目が参加せずとも雪乱に勝てるという確信を抱く事が出来たため、ふらふらと存在感のない頭目に頼る必要性は皆無に等しいレベルまでに失われた。そのため、これまで何の戦功も功績も上げていない頭目が召集をかける事に、凍姫内部では少なからずの不満感が漏れていた。だが、不満だからといって召集命令を無視する訳にはいかない。頭目とは流派の最高権限者だ。その命令を何の理由もなく無視するのは、厳重な懲罰の対象とされてしまう。
「なんにせよ、頭目が戦闘に参加するかもしれないって事でしょ? でもねえ、なんか今更って思わない?」
「そうそう。今更のこのこ出てきたってさ、だからなんだっての。とっくにこっちは勝ちムードだからね。後、凍姫の戦力の半分も投入すれば余裕で勝てるでしょ?」
 現在、両流派の力関係は、再び凍姫側の優勢となっていた。これまで、初めこそは凍姫の優勢だったが、雪乱に『雪魔女』と呼ばれた現在の頭目であるルテラが投入されると同時に力関係は元の膠着状態に戻った。だが、先日に行なわれた戦闘解放区での戦闘において、ルテラは全治一週間ほどの大きな怪我を負った。そのため雪乱の士気は大きく低下、逆に凍姫の士気は大きく高揚し勝利ムードが高まっている。このまま総力戦に持ち込めば、どちらが勝利するのかは火を見るより明らかだ。おそらく雪乱側も、これ以上の頭目に頼った戦いで勝利する事は出来ないと判断は下しているはず。ならば、より一層凍姫側は総力戦に向けた各自の調整が必要となる。
 全て、凍姫頭目の意思とは無関係な場所で進んでいた。しかしそれは当然の結果であり、彼もまたこうなる事を予測して自らは退く事を選択した。どうのような意図があってその選択肢を選んだのかは明示されていなかったが、凡そ彼にとって抗争自体がそれほど意味のあるものではなかったと、周囲は推論をはべらせていた。
「そうではあるんだがな」
 そして、三人は本部奥のメインホールへ。
 普段は滅多に使われないそこは、薄暗い室内を明るくするために全てのカーテンが開かれていた。アーチ状の天井が曇った銀色の輝きを放っている。思わず見上げていたファルティアは、よりげんなりと意気が消沈していった。特に三人は長話が日常的であるため、人よりも激しいアレルギー反応のようなものがあった。興味のない話がある一定時間以上続くと、ただでさえ稀薄な忍耐力が急速的に失われていくのである。
 だらだらと歩きながら、既に何十名か集まっていた群集の後ろへ並ぶ。表情は”退屈”の一色に染まっている。やる気の微塵すらも感じさせない。
 召集時刻は午前十時。それから時刻が近づくに連れて、続々と青い凍姫の制服を着た人間が集まってくる。その数はほぼ凍姫に所属する人間とほぼ同数だった。メインホールは全隊員を収容する目的に対応するために作られたため、そういった機会は年に何度もなく必然的に使用が限られていた。三人に至っては、ここへやってきたのは今日が初めてである。
 やがて時刻が十時になる。
 これまで頭目が時間を厳守する事が少なかっただけに、ホール内の各地で頭目が遅刻する事を囁く声が聞こえてきた。しかし彼らの予想を反して大時計台が定刻を刻んだその数秒後、ホールステージの上に一人の青年が静かに現れた。
 その青年が、この流派『凍姫』の頭目だった。それも、基本的に女性上位体制の敷かれている凍姫史上で数少ない男性の頭目である。しかし彼はそれ以外の性癖で有名だった。彼はその言動が他者にとって理解に苦しく、自他共に認める『変人』だったのである。
 彼の早過ぎる登場にぴたりとざわめきが止まる。
 普段は変人だと揶揄する声も少なくはないのだが、彼は類稀なる実力だけで頭目に上り詰めた訳ではない。神童と謳われ北斗統括部に勤める実弟同様、人心を掌握する術や様々な智謀戦略も心得ている。更に、それらを頭目という高位の証明として圧倒的な存在感を放っている。如何に日頃の行動が嘲笑の対象になっているとはいえ、彼がこの凍姫の頭目である事が揺らぎようのない事実であると改めて焼き付けられる。
 青年はステージの中央に立ち、ホールにいる全ての隊員を真っ向から見つめる。一度、ゆっくりと視線を場の全てに走らせて自分へと戻す。その様を一同はただ静かに見ていた。周囲の空気は息づく音にすら気を使うほど緊張に張り詰めている。
 そして、青年はゆっくりと息を吸い、吐く。視線を伏せ、もう一度彼らを真っ向から見つめる。
「僕はこれまで、雪乱との戦闘は避け続けてきました。理由は一つ、戦闘そのものに意味がないからです」
 静かに、場内へ隈なく響き渡る青年の声。その声色は、まるで冬の朝の冷たく冷えた水を思わせた。
 俄かにざわめき出す場内。今、青年が言った事は、これまではほんの憶測程度に噂されていた事にそれ以上の言葉を負荷して認めた発言だったのだ。凍姫の総意と相反する主張を頭目である彼が公然と言い放ったのである。無論、黙っている人間の方が極めて少ない。
 疑心に満ちたざわめきがとめどなく走り続け、大きく膨れ上がったそれは視線となって青年に注ぎ込む。しかし、それでも青年は表情を一つも変えない。
「本日明朝、雪乱頭目から凍姫頭目宛てに一通の書状が届きました。内容を要約すると、頭目同士の対決で勝敗を決しよう。そういう事です」
 青年は一つの白い便箋を取り出し、それを全員の前へ掲げる。差出人の名前としてルテラの名前が小さく記入されていた。その文字を場に居る全員が見る事は出来ないものの、差出人が確かに雪乱の人間である事は白い便箋から容易に推測がついた。
 雪乱の頭目から挑戦状が届いた。
 それの意味する所は、場に居たほぼ全員が容易に推測出来た。ようやく拮抗状態まで持ち直した戦況が再び凍姫側の優勢に戻され、更なる持ち直しが絶望的な状況となった現在、雪乱が勝利するには凍姫の頭目を一騎打ちで倒す他ない。そしてそれを可能とする状況を作り出すため、あえてプライドを刺激するような文章を挑戦状として送りつけたのだ。流派の象徴である頭目を戦場へ引っ張り出すために。頭目を倒す事が出来れば、その時点で事実上の勝利が確定する。反面、敗北すればそのまま流派の敗北もまた確定してしまう諸刃の剣でもある。だが追い詰められた雪乱にしてみれば、これほど割のいい賭けもない。
 続いて、そう一同は考えた。この挑戦にわざわざ乗る必要はない。無視して総力戦に持ち込めばいいのだ。凍姫の優勢は元から変わらないのだから。
 しかし、
「そして、僕はこれを受ける事にしました」
 青年の口から飛び出したのは、彼らの考えとはまるで正反対の言葉だった。
 ざわめきがはっきりとした不満の言葉に変わる。それは間もなく激しい非難となって青年にぶつけられた。けれど、
「皆さんの不満もあるでしょうが、これは決定事項です」
 言葉の全てをかき消すほど、更に強い語気で青年は言い放った。頭目としての絶対発言権に関係なく、単に迫力に気圧されてしまった総勢が一度に黙る。けれど、それで不満が消えた訳ではなかった。
 組織の統括者には、下の人間の不満は必ず排除しなければならない義務がある。良き統括者は精密部品を扱うように細を穿った管理体制が求められる。優秀な統括者とは、部下を効率良く動かすだけの力を持った人間の事だ。そして、青年はそれに当てはまる。
「僕は、これ以上無意味な犠牲者を出したくはないのです」
 極めて簡潔に、青年は口を開いて答えた。
 あ、と短い声を放ち一斉に静まる。それは、青年の表情に僅かに浮かんだ激情の色に起因するものだった。
 青年がこれほどの苦渋の色を浮かべた表情を見るのは、誰もが初めての事だった。青年の決断が納得いかないとはいえ、その理由がいかんともしがたいものであったことを十分に強く印象付ける。
「そのため、頭目同士で決着をつけるというのが最も犠牲が少なくて済みます」
 元から、自分の発言があまりに自分本意だと非難を受ける事は覚悟の上だった。しかし、自分の選択に間違いはないと青年は心から信じている。それを皆に俄かに受け入れてもらえないのは、自らの不徳が成すものと痛感する。
 嫌なものは嫌だ。そう固執していた自分へ後悔の念を募らせると共に、もはや凍姫頭目としての権威も威厳も失墜してしまった。そう青年は、全てがあまりに遅過ぎた事を悔やむ。本当はもっと早く対峙しなくてはいけなかったのだ。嫌な事は鎮まるまで待つ。そんな都合のいい事が本当に起こるとは思っていなかったが、先延ばしする事でより困難な道を選択せざるを得なくなる事になってしまうことまでには気づけなかった。
 もう逃げない。いや、逃げられないから対峙する決心をつけた。
 依然として後ろ向きな決意しか決められなかったが。青年はただじっと真っ直ぐ前を見据える。
「流す血は、少ない方がいいのですから」



TO BE CONTINUED...