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 強くなる。
 私はそれを望んでいました。
 そして、そのカリキュラムを提示された今。
 強くなるというのがどれだけ大変なのか、改めて身に染みました。
 少し安易な決意だったでしょうか?
 いえ。
 貫き通せば、安易な決意も重い決意になります。




「では、これから流派凍姫式の精霊術法について講義する」
 翌日。
 私はファルティアさんと凍姫の訓練所に向かいました。本日から私はいよいよ凍姫で訓練を開始します。昨夜は寝所が変わったというにも関わらず、随分とぐっすり眠れました。昨日の凍姫で起こった一連のいざこざのせいで疲れていたんだと思います。
 今日の訓練内容は、昨日都合により行えなかったミーティングから始まる事になりました。どうして行えなかったと聞かれたら、とりあえず『ロビーが修理中だから』としか私の口からは答える事が出来ません。
 ロビーが修理中という事で、場所は訓練所二階にある書物室で行われました。そこには膨大な数の蔵書があり、その全てが戦闘に関するものなのだそうです。
 席に着く私の前で、コルクボードに図を貼って説明しているのはリーシェイさんです。しかし何故か、その両腕は鉄の腕輪と鎖でしっかりと繋がれています。私の両脇にはそれぞれファルティアさんとラクシェルさんがいます。私とリーシェイさんを二人にしておくのは危険だからという事です。正直な所、私もそれが気がかりだっただけに、非常に助かります。ただ、そんな二人の腕も鉄の腕輪と鎖で繋がれています。三人がしているそれは、昨日の件でミシュアさんが施した苦肉の策なのだそうです。この鎖を切ったら即更迭処分になるそうですが、私の常識で考えたら、腕を繋がれた時点で暴れる事すら出来ないと思うですが。きっと、過去にも同じような事があって、その時は鎖を切ってしまったんだと思います。
 それにしても、見た目からしてかなり重そうな腕輪です。その割には普通に手を動かし、まるで重さを感じていないかのようです。どうしてああも平然と構えていられるのでしょうか。
「リュネス、お前は魔術の仕組みについては知っているか?」
 魔術。
 それは人間には決して不可能な自然現象を任意に引き起こす不思議な力を行使するもの。このぐらいの曖昧な知識しかありませんし、それも風聞で聞いたものなので不確かだと思います。つまり、ほとんど何も知らないに等しいのです。一般人でも、魔術書は数多く存在するため、趣味で勉強のような事をしている人はたまにいます。しかし魔術というのは非常に難解であるため、ちゃんとした能力のある魔術師に教示を受けなければ習得は不可能とされています。事実、趣味で勉強して魔術が使えるようになった人なんてほとんどいません。ましてや実戦に通用するレベルなど、皆無に等しいでしょう。
「いえ、ほとんど分かりません」
「よし。ならば簡単に魔術の仕組みについて説明しよう」
 リーシェイさんが別な図をボードに貼ります。
 それは、まるで医学書の挿絵のような、人間の上半身が横を向いた簡単なイラストと、そこへ入ったり出たりする矢印、そして後は解読不可能の暗号のような文字記号の羅列でした。
「魔術とは、大気中に浮かぶ架空物質『魔素』を取り込んで魔力とし、イメージによって変質させて体現化する。炎の魔術を行使するならば、取り込んだ魔素に炎のイメージを与えればいい。まあ、実際はそれほど単純なものでもないが、大方の仕組みはこんなものだ」
 ……えっと、つまり。体に向かっている矢印がその魔素で、出て行くのが魔術で? 体の中で回っている矢印がイメージングでしょうか?
 辛うじて、なんとなく仕組みは理解出来ました。料理に置き換えてみると、材料が魔素で、調理がイメージングという事になります。あの図は全く理解出来ませんが、リーシェイさんの分かりやすい説明でなんとかついていけそうです。
「そしていよいよ精霊術法だが。これも基本的な仕組みは魔術とほぼ同じだ。ただ、魔術とは違って『開封』という儀式を行う必要がある」
「開封?」
「開封とは、術使用者と異相次元に存在する高位精霊体との間を繋ぐ経路、チャネルを開く事だ。本来チャネルは人間が生まれながらに持っている論理的な経路なのだが、文明が発達していく過程で自衛手段として使用される事が減ったためだろう、現在では退化してしまっている。その退化した経路をこの開封の儀によって活性化するのだ」
 むむむ……。
 私は眉を寄せてしまっている自分に気がつきました。また幾つか聞き慣れない単語が飛び出しています。理解する事は出来ませんが、質問するのはもう少し説明を聞いてから出いいと思います。とにかく今は、少しでも理解に努めなければ……。
「精霊術法との違いは、魔素を取り込みイメージによる変質までを、この高位精霊体に代理してもらう点にある。精霊体は人間よりも原始的な自我、及び高度な知能を持っている。人間よりも遥かに高等なイメージを高速に行う事が出来るのだ。そのため、さしてイメージの修行を積まずとも魔術を行使出来るのである。これが精霊術法の驚異的な破壊力、そして即戦力性の由縁だ」
 精霊。
 そう言われ、私がまず思い浮かべたのは。森の中に住み、大木のうろの中で寝泊りする小人でした。いえ、これはノームでした。ならば、蝶々のような羽を持った小さな人間……? いえ、これは妖精です。
 高位精霊体と言われても、私は予備知識に乏し過ぎるためいまいちピンと来ませんでした。とりあえず理解出来たのは、魔術を行使する一歩手前までの行程を代理してもらう、という事です。そしてその精霊というのは、どうやら人間よりもずっと優れた能力を持っている、と。
「実際の流れを説明しよう」
 リーシェイさんは私へ左手を向けました。開いた手のひらは天井へ向けられています。
「良く見ていろ」
 そのリーシェイさんの言葉の直後、一陣の冷たい風がひゅうっと室内を駆け抜けます。
 瞬間、思わず私は目の前の光景に目を見張りました。
 これまで何もなかったリーシェイさんの手のひらの上に、突然光る何かが現れたのです。それは火の光とはまた違う、青く冷たい輝きを放っています。まず普通ではありえない光の色です。
「精霊術法の力の根源は、異相次元とのチャネルを開き、そこから力を現世へ取り出す事にある。この光はイメージングするまえの要素、魔力というものだ」
 リーシェイさんの手に浮かぶその光、魔力を、私は食い入るように見ていました。人間とは、自分の意志通りになる範囲でしか信じる事が出来ません。私も御多分に漏れず、率直な感想としてはそれが何かトリックによるものだと思ってしまいました。しかし、これまでの話の流れから行くと、やっぱりこれは何のトリックでもなく、精霊術法という特殊な力の片鱗の他ないのです。
 人間が本来持ち合わせていない、いえ、かつては持ち合わせていた力の実物を見せられた時。否定の確執が溶けると同時に、私は羨望の思いを抱き始めました。こんなに凄い力を手に入れられたら。私はきっと今とは比べ物にならないほどの強さが手に入れられるのです。単純に体を鍛えて強くなるとしたら、何十年かかるか分かりません。けど、こういった肉体以外の力で強さが発揮出来るのであれば。きっとすぐにでも強くなれそうな気がします。
 しかし、そんなに甘いものでしょうか?
 すぐに興奮していきり立つ気持ちを、生来の心配性という名の慎重で臆病な私がこれ以上の増長を食い止めました。楽に手に入れられる力というものはこの世には存在しないのです。もし手に入れられたとしても、それは仮初の力でしかなく、真の力とは呼べません。本当の力とは、永い努力の末に得られるのですから。
 けれど、少なくとも腕力に関しては、私はどうしても人より劣ると思います。物理的な力はやはり体格に左右されてしまうのですから。私は小柄で腕力もありません。そんな私が物凄い腕力を手に入れるまで鍛えるには何年かかるか分かったものではありません。だから、体格に左右されない精霊術法のような技術は私にはとても魅力的に思えるのです。
「一通りの流れとしては、まず異相次元とチャネルを開き、漠然としたもので構わないからイメージを送る。するとイメージされた力がチャネルを通じて現世へ現れる。まあ、口で説明するよりも実際に体験してみた方が早いだろうな」
 くしゃっ、と光を握り潰すリーシェイさん。光はキラキラと輝く無数の塵となって辺りに飛散し、やがて消えてしまいました。
 習うより慣れろ、ですか……?
 理解が少々乏しいだけに、それは少し恐ろしくも思えます。チャネルを開くという行為そのものが完全に理解しきっていない訳です。やはり未知の領域へ踏み出すことは、人間にとってはとても恐ろしい事なのです。
「そして。開封の儀を終えると、まあ大半の人間がそうなのだが、どういう訳か肉体の一部が極端に活性化する。私は視力、というよりも視覚そのものの機能が向上したな。そこにおわす二人だが、ファルティアは反応速度、ラクシェルは筋力だ。法則性や要因は判明していないが、元々退化していたチャネルを開く事で肉体本来の資質が急速的に目覚めるという事なのだろう。それから注意点を幾つか述べておく。ここは重要な点だ、しっかりと留意しておくように。精霊術法は当然の事ながら無制限には使えない。この場合の制限とは物量的な限界ではなく、制御限界の事を指す。チャネルから送られてくる魔力は著しく理性を削る。更に、チャネルから流れてくる魔力の量制限が極めて困難である事も挙げられる」
「あの……よく分からないのですが」
「よしよし。ではもっと簡単な例をあげながら教えてやろう」
 笑顔のリーシェイさん。それはまるで私を困らせて楽しんでいるかのような表情です。
「チャネルは滝のようなものだと考えればいい。チャネルを開けばこちらの都合は構わず魔力が流れ込んでくる。それを制御するのが自制心だが、厄介な事に魔力はこの自制心というものを少しずつだが削っていく。術法を継続して使用すれば、当然理性というものが失われてしまう。こうなると危険だ。際限なく流れ込んでくる魔力に体を浸され、己が欲望のままに術法を行使し続ける。暴走、という事だな。一説によれば、チャネルの先に繋がっている精霊に体を乗り移られるらしいが、まあそんな所だろう」
「もしも暴走したらどうなってしまうのですか?」
「そうだな。大概は『浄禍』によって被害が深刻化する前に消滅させられるのが近年の常だが、放っておけば魔力が体内の許容量を越え、局地的な爆発と共に消滅するだろうな」
 どちらにしても……消滅なんですね。
 急に私は精霊術法が恐ろしくなりました。ファルティアさん達は何気なしに使っていますが、実はこれほど恐ろしいリスクを背負っていたなんて。私は何をするにしても、まずは必ずと言っていいほど失敗してしまった時の事を考えてしまいます。私は基本的に後ろ向きな考え方しか出来ないのです。こんな臆病な私に、精霊術法という高度な事が使えるようになるのでしょうか? 自信が根元から削がれます。
「そう不安がる事もない。確かにリスクが恐ろしいものの、基本を忠実に守っていれば何ら問題はない。そもそも精霊術法とは、即戦力を短期間に育成するための技術だ。基本から実戦まで、万人がほぼある程度の水準まで辿り着けるように完成されたカリキュラムが作られている。だから安心しろ。この私が、手取り足取り夜通し、隅々まで責任を持って仕込んでやる」
「は、はあ……」
 リーシェイさんのそれが冗談か否かの判別はさておき。
 私は、そう気のない返事を返すしか出来ませんでした。大多数の人間が一定水準まで辿り着けるように訓練メニューが作られているのは分かりましたが、もしも私がその少数派だったのなら。結局私は強くなる事が出来ず、より深く『私はいつまでも弱い人間だ』と刻み込まれてしまいます。そのショックを考えると、今はまだ引き返せる時期ではないのでしょうか? いえ、それこそ自分への敗北、弱いままの人間である事を自主的に証明してしまう事になります。ここで引き返してはいけません。何が何でも強くならなければ。立ちはだかる壁が人より多いのは知っているけど、怯んでいては駄目なのです。壁は突き破らなければ。
「さて。これで一通りの講義は終了だ。何か質問はあるか?」
「いえ、今の所はありません」
 と言うよりも、質問が出来るほど理解していないだけなのですが。
 けど、とにかく。これで一つ、『強くなる』という目標を達成するための、具体的な最初の目標が見つかった事になります。まずは精霊術法をマスターし、その一定水準に達しなければいけません。私だから、きっと大した強さではないと思いますけど、少なくとも自分の身は自分で守れるようになったと思います。
 ただ、これまでの説明で分かったように、私一人が云々と頑張った所で到底たかが知れているのです。本当の強さを手に入れるには、誰かに協力して貰わなくてはいけないのです。少なくとも、私のような自分一人で何も出来ない人間は。
 こんな私に協力してくれる、ファルティアさん、リーシェイさん、ラクシェルさん。私は感謝しなくてはいけません。一生懸命、私が強くなろうとしている私へ協力を全く惜しまないでいてくれる事に。三人とも私の先生という事になります。だから最大限の敬意を払い、全ての教えを真摯に受け止めなくてはいけません。それが教えを貰う側の姿勢だと私は思います。
「では今度は私が質問する番だ」
 ふと、図面を片付けたリーシェイさんが私の元へ歩み寄ってきました。
「お前、処女だろう? 昨日の味見では明らかにその味がしたぞ」
 ……。
 ただ、私はきっとリーシェイさんの感覚だけにはついていけないと思います。
 そして。
 ガタガタッと左右の二人が席を立ちました。それを合図に私は、机の下へ―――。



TO BE CONTINUED...