BACK
自分がどれだけ子供だったのかと言うと。
勇気と蛮勇、慎重と臆病の区別がつかないほどだ。
思慮に欠ける、とはよく言われる。けどそれはそれで、何事にも決して恐れない勇気の証明だから、むしろ私は誇らしくさえ思っていた。
それが、まさかこんな形で及ぶなんて。
こんなつもりじゃなかったのに。
私の言葉はまるで木枯らしのように宙を踊る。
「お帰りー。今日は早かったね」
一仕事終えた私達が貧民街にある廃墟に戻ると、早速チビ共が待ち侘びたように飛び出してきた。
「おう。今日は買い物しないで来たからね。どっちみち、またすぐに買い物に出るよ」
私は興味深そうに見上げてくるチビの視線の先にある木箱を軽く持ち上げて見せた。
「それが今日獲って来たもの?」
「そうよ。まだまだあるから、もしかすると今夜は昨日よりもいいもの食べれるかもね」
「ホント!? やったぁっ!」
昨夜に食べた肉はこれまで滅多に食べられないような質の良い肉だ。しかし、仮に今日の稼ぎであるこの木箱一つ一つに紙幣が入っていたとすると、当分の間は昨日の食事に加えてパンとサラダをつけて一ヶ月は食べていける。これまでになく上等な食生活だ。それだけでも胸躍るものがある。
「かも、よ。かも。まだ中に幾ら入ってるか確認してないんだから」
紙幣というヤツは金貨とは違って、価値の割に重みというものに欠けている。担いで逃げるならば軽い方が楽と言えば楽だが、その反面本当に入っているのか疑いたくなってくる。必死こいて運んだのはいいが全部ただの紙切れでした、なんて事態に陥ったら悔やんでも悔やみきれない。でも金貨は、たとえ姿が見えなくとも走っている最中に独特の擦れ合う音が聞こえてくるから、どんなに重くたってやる気が後から後から満ち満ちてくる。最初に中身を確認出来ればいいんだけど、さすがに中身を確認してから逃げるなんて余裕がある訳がないし。要は運次第ってところだ。
チビ共に急かされながら、私達は住み慣れた廃墟の中へ入っていく。そして今日の成果である木箱をみんなで一箇所に集めて並べた。合計して十二個、その一つ一つにぎっしり紙幣が詰まってると思うと、早く蓋を開け今夜の夕食を買いに走りたい。
「んー? 誰か釘抜きとか持ってないかな?」
と。
早速蓋を開けようとしたその時、一番最初に蓋を開けにかかったそいつが蓋のあちこちを見ながらそんな事を言った。
「なに? どうかしたの?」
「いや、これさ。完璧に密封されちゃってるんだ。多分、元から一ヶ所だけ開いた状態の箱に中身を詰めて、それから他と同じように釘で蓋を打ちつけたんだと思う。だから素手じゃ開けようが無いよ」
開けようがない? ここまでわざわざ持ってきて?
思わず私はそこへ駆け寄ると、他にも沢山並んでいるにもかかわらずわざわざそいつの持ってる木箱を取り上げ、頭の上に抱えあげながら木箱の四方を注意深く観察した。確かに言った通り、普通の蓋と違って開けるために指をかける所も、一片の隙間すらも無い。外枠に六枚の板がしっかりと釘で完全に打ち付けられている構造だ。これじゃあ素手で開けるのは不可能だ。無理をすれば逆に爪が剥がれてしまう。
「釘抜きで釘を抜かなきゃ開けられないね、やっぱり。とりあえず、みんなで釘抜き探してきてよ。まずはそれからだ」
確かにその支持は的確で至極当然のものだ。しかし、だ。私は周知の通り、あまり気の長い人間ではない。やりたい事は今すぐにでもやらないと気が済まない性格なのである。
私は木箱を持ち上げ、重心を右肩へ移す。ぐっと大きく曲げた肘で木箱を支え、左手は補助程度に添えておく。目標は壁の角、最も鋭角に突き出した部分だ。私はそこに目掛けて力いっぱい木箱を投げつけた。
「あ」
誰かがそんな声を上げた。その次の瞬間、木箱はぐしゃりと音を立てて角にめり込んだ。角を中心に二つに折れ曲がる木箱。一呼吸置いた後、前へ向かうベクトルを失った木箱はゆっくりと床へ落ちる。
「ほら。釘抜きなんて必要ないわよ」
「もうちょっと穏やかなやり方があるんじゃないかな?」
「激動こそ我が人生」
周囲の呆れ顔を尻目に、私は中破した箱の元へ早速歩み寄って中身を確認する事にした。木箱の角にぶつかった辺が丁度良い具合に折れ曲がっている。私はそこに手をかけて、更に床に叩き付け強引に引き剥がした。べりっと音を立てて木埃が立ち、目の中に入った。手の甲で目を擦って取り除く。
これでようやく待ち望んだ本日の成果であるこの木箱の中身を拝見できるというものだ。私は木箱の中からは皺の無い紙幣がぞろぞろ出てくる様を想像し、気の早い思考がその使い道を画策し始めている。だが、しかし。
「ん? なんだ?」
箱の中から覗いたそれは、小さな手のひら大の麻袋だった。小さなその袋が幾つも箱の中に詰まっているのである。私は箱を引っ繰り返して残らず床の上に並べてみたが、それ以外には他に何も入っていない。麻袋は触った感触が柔らかく、弾力性がほとんど無い。指に力を入れればその分だけめりこみ、ゴムのように決して押し返しては来ない。
「砂金かな?」
「それでもいいんじゃない。価値がありゃ、ちゃんと品物ととっかえてくれるわよ」
金は物価に関係なく一定の価値がある。砂金だとグラム単位で計る必要があるけれど、この界隈ではそこまできっちりした商売をする真っ当な店はまずない。それなりに量があれば、十分好きなものと取り替えさせてくれるだろう。砂金は延べ棒のように誤魔化しがやりにくいから信頼性もあるのだ。
私は麻袋の端を歯で噛み切り、手のひらの上に切り口を傾け中身を出してみた。しかし、袋の中からこぼれ出してきたのは煌く砂金ではなく、ただの真っ白な粉だった。
「なによ、これ。小麦?」
あれだけ仰々しい搬送をやっておきながら、その中身が実はただの粉。それなりの危険を覚悟して奪ってきたというのに、成果がこの程度ではあまりに報われない。それに今夜の御飯をこんな粉だけでどうしろというのだ。パンでも焼けという思し召しだろうか? これがもしも誰かの仕組んだ冗談だったとしたら、かなりタチの悪い冗談だ。
まるで崖から突き落とされたような落胆を覚える私。そろそろ始まった空腹感が苛立ちを煽り、何の価値も見出せないその粉を床へ叩きつけさせる。白い粉はパッと私の周囲に舞い散った。そのせいで自分も咽てしまい、更に粉へ怒りをぶつける。
だが、
「ちょっと待って」
と、その時。
疑問を拭えなさそうな表情をした仲間の一人が、私の周囲に散らばった粉の元へしゃがみ込み、そっと粉を人差し指でなぞり取る。そして恐る恐る、舌先に乗せるように少しだけ指先についた粉を舐めてみた。
「これ……コカだ。それも、かなり純度の高い」
しばし口の中で粉の味を確かめた後、何かの確信を得た表情で重苦しく答える。
コカとは、コカの葉から生成する粉の俗称だ。強い幻覚効果があって、よく犯罪を助長する原因になっている。どこの国でもコカは所有するだけ重罪に相当するほどの厳しい法律を設けて、厳重に禁止しているような違法物である。けれどこの貧民街では、実はそれほど珍しいものでもなかったりする。どこの国にもこういった法の目を掻い潜りやすい所はあるもので、そこに行って金を積めば誰でも買えたりするのが現状だ。
「純度って、なんでそんな事知ってるの?」
「前にちょっとさばいた事があって。それより、これ。ちょっとまずいんじゃない?」
「どうして?」
「警護してた人。あれ、どう見ても政府の人間じゃなかった? 政府の人間がどうして違法な物の搬送を警備すると思う? 理由はそれほど多くはないと思うよ」
そう言われてみれば確かにそうだ。取り締まる側と取り締まられる側が、どうして同じ馬車の中に乗っているのだろうか。一見するとただの現金の護送にしか見えないように、わざわざ手の込んだ用意までしておいて。その理由は簡単だ。違法なそれと自分達が関わり合いになっている事を世間一般に知られたくないからだ。
ならば、知られたくないにも関わらずやっていたその理由とは。
政府の国家騎士団と麻薬。
どう考えても、まるで洒落にならないような事態しか浮かんで来ない。決して一般人に知れてはならないような、恐ろしい影の内側だ。
私達は禁断の蓋を開けてしまった。なんとなく走った寒気と共に、私はそう思った。
「どうしよう?」
「とりあえず、下手に表には出さない方がいいよ。しばらくの間は出方を伺った方がいい」
今はそれしかないか。
空腹も忘れてしまうほど深刻な空気に、私は心なしか息苦しさすら覚えていた。どうしてこんなものを嬉々としながら持ってきてしまったのだろうか。結果論の後悔でしかないのだけれど、それ以外に他、気持ちのやり場が無かった。
コカってなに?
そんなチビ共の無邪気な声だけが耳を通り抜けていった。
TO BE CONTINUED...