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私は間違っていない。
これが自分の信念だった。
決して誉められるような事は何一つとしてやっていないけれど、自分の良心に恥じ入る事もまた何一つやってはいない。それが私の誇りでもある。
何事もそれが正しいと思って全力で取り組んでいるつもりだ。
だけど、なかなかそれは理解してもらえない。
「さて……」
しん、と水を打ったように静まり返ったその部屋。冷たい床の上に正座させられた私達三人の前をあからさまに苛立った様子で左右に往復していたミシュアさんは、よりによって私の目の前で足を止めた。私は思わず体に力が入り、肩を硬く強張らせてしまう。
「今回の処分についてですが―――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
瞬間、私は慌てて右手を上げて申し開きする。
じろっ、とねめつけるような眼差しで見下ろしてくるミシュアさん。その威圧的な眼差しに、思わず心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖に背筋を凍らせる。本能がこの人に逆らってはいけないと警告している。遅れて理性が、今更ながら自らの果敢な申し開きに後悔する。しかし、ここで退く訳にも行かない。私はなけなしの勇気を絞って自分を奮い立たせる。
「何かありますか?」
「ありますよ! どうしていきなり処分なんですか!? まだ何も事情とか聞いてないじゃないですか!」
途中で間を空けたら、きっと口篭もってしまう。だから私は多少無理をしながらも一息で叫ぶように答えた。しかし、私のそんな必死の訴えにも、ミシュアさんはそっと目を伏せ、深く疲れた溜息をついた。
「聞くだけ無駄です。どうせ原因はいつもの事ですから」
そして、意味深な視線で私達を見回す。それはまるで期待というものがない、なんとも冷めた視線だ。
と。
「ちょっと待って下さい! 今回の原因はファルティアですって! 私は止めに入っただけです!」
そう叫んだのは、右隣に正座するラクシェル。
褐色の肌に深紫のショートボブが特徴で、私とは同期だ。実力はあるもののキレやすく、その上キレると最悪の破壊魔に変わるクセに、決まって後からイイ子ちゃんぶる生き汚いヤツなのだ。今回もまた、そうやって言い訳をして自分だけ処分を免れようという腹積もりなのである。
「はあ!? おい、テメ、こんにゃろう! 私一人のせいにする気!?」
「するもなにも、事実そうだろう?」
そしてラクシェルの意見を支持するかのように相槌を打ったのは、左隣に座る大女、リーシェイ。私もラクシェルも背丈は高い方だが、こいつはそれよりも更に一回り大きく百八十は優に超えている。それでいて女っぽいから不思議だ。肌は黄色人種のそれ、髪は真っ黒で腰下ほどまで伸ばしている。こいつもまた、私とは同期である。いつも冷静沈着で悪知恵が回り、凍姫では参謀的な位置付けだ。しかしその口出る言葉という言葉が嫌味ったらしい理屈家で、しかも変態的な性癖を持っている。今回だって、そもそもの原因を作ったのはこいつなのだ。
「大体、元はといえばあんたが悪いんでしょうが! 初めにケンカ売ってきたじゃん!」
「心外だな。私はただ、客観的真実を述べただけだ。だからお前は生娘のままなのだ、と。そうしたらお前が仕掛けてくるものだから、私はやむを得ず自らの身を守るため戦ったまでの事。正当防衛権を行使したのだ」
まるで大した事でもないように平然と答えるリーシェイ。憎たらしいほどまでに表情も変えず、平然と佇んでいる。
この場でブッ殺してやろうか?
そう、私は右腕に力を込めたが、すぐさまミシュアさんの存在を思い出し慌てて引っ込めた。ここで一戦交えてしまったら、それこそ決定打だ。私の濡れ衣を晴らすチャンスも失われてしまう。
「そうそう。最初に手ェ出したのはファルティアじゃん。今回の件に関して、私は本当に二人を止めに入っただけだし。だから私は関係ありません」
「ああ? その割にアンタ、私の頭カチ割ってくれたよね」
依然と生々しい、自らの額に巻かれた包帯を指し示す。けれどラクシェルは知らないと言わんばかりに視線をそらす。本気でしらばっくれるつもりだ。
「二人も論点がずれている。今、最も論じなければならない点は、誰が凍姫訓練所の七層結界で防護された壁を破壊したのか、という事だ。これは言うまでもなく、ファルティア。お前だ。そこに至るまでのプロセスはさして重要ではない。きっかけなんて論外だ」
再び長々と理屈っぽく話すリーシェイ。その淡々とした口調は、カーッと私を沸騰させた。
「私一人のせいにする気!? そうなるまで結界を弱らせたのはあんたらでしょうが!」
「知らない」
「聞こえない」
フン、と揃って顔をそらす二人。あくまで私一人に責任を押し付ける構えのようだ。
して。
私は完全にキレた。
「よーし。テメエら、そこを動くな! 今すぐここでブッ殺してやる!」
やめよう、やめよう、と言い聞かせていたが、もう我慢の限界だ。こうも露骨に私へ責任を転嫁されて、これ以上黙っていられない。
私は遂に右腕に力を込めた。私の右腕は普通の右腕ではない。昔、ちょっとした事でなくしてしまったので、精霊術法で生成した義腕で補っているのだ。外見も機能も普通の腕となんら変わりはないのだが、ひとたび私が魔力を注ぎ込めば本来の姿である氷の魔力の塊に戻り、私の意思通りに形を変え自在に動かす事が出来るのだ。
バンッ!
その時、無言でやりとりを見ていたミシュアさんが机を激しく叩いた。
私はビクッと体を震わせ、立ち上がりかけた足を戻す。他の二人も私同様ピタッと押し黙り、背筋を伸ばして姿勢を正す。視線は三人ともうつむけ、決して上げない。ミシュアさんから放たれるピリピリとした空気に恐れているからだ。
「あなた達、今年で幾つになります?」
「二十一歳……」
と、私は小さく答える。
「二十三だ」
表情は平然としながらも、声の末尾が震えているリーシェイ。
「二十一歳です」
これ以上機嫌を損ねさせたくない、という腹積もりが見え見えのラクシェル。
そんな私達に、ミシュアさんは前よりもいっそう深く疲れた溜息をついた。
「まったく……もう子供ではないんだから、いい加減に落ち着きなさい。体だけ大きくなっても、頭の中身が子供のままでどうするのです。なまじ力があるだけに、余計に性質が悪いです。とにかく、今後からあなた達三人は、私の許可なくして訓練所に出入りする事は一切禁じます。もしも破れば、血も凍るような恐ろしい折檻法を計画していますので、覚悟しておくように」
ビシリと、まるで斬り捨てるかのように命令するミシュアさん。本当だったら今の凍姫の頭目は私ではなくミシュアさんがやっているはずだったのだ。今でこそ経理なんて地味な仕事をやっているが、現役時代はそれこそ凍姫では有数の実力者だった。前頭目が存命だった頃は私達の教育係をしていてその時にかなりエグいトレーニングをさせられたせいか、私達は未だに頭が上がらず逆らえない。
ミシュアさんは四年前、まだ『雪乱』との仲が悪かった頃、命が危ぶまれるほどではなかったもののかなりの大怪我をした。それがきっかけで現役を引退し、今の仕事をしているのである。大怪我をしたとは言っても、その実力は多分あまり衰えていないと思う。この脅しだって、決して単なるハッタリではない。役職こそ経理だけど、実質凍姫の支配者はミシュアさんだ。
普段ならばここで『ハイ』とうなづいてそれまでだけれど、今日ばかりはそうもいかない。訓練所は、戦闘解放区以外で手軽に魔術や精霊術法を行使出来る場所なのだ。体を動かせる場所を奪われるという事は、日々トレーニングに勤しむ私にとってはこの上ない苦痛である。
その苦痛が恐怖を凌駕した瞬間、私はなおも食い下がった。
「ちょ、今の聞いていました!? 私は被害者なんですってば!」
とにかく私には非がない事を我武者羅に訴える。理屈や状況証拠やら以前に、とにかくそれだけを理解して欲しかった。
が。
「やかましい! これで訓練所を破壊したのは何度目なのか答えてみなさい!」
ミシュアさんが声を荒げたことに恐怖が何倍にも膨れ上がり、途端に体を動かせないという苦痛など、どうでもよくなってしまう。それでもなんとかあちこちに散らばった理性の断片をかき集めて、苦しい釈明を続ける。
「えーと……今月は二回目、かな?」
記憶を絞れるだけ絞って出てきた答えはそれだった。うん、間違いはないと思う。この間のは結界処理が五層ほどしかされてなかったから、簡単に壊れてしまったんだった。
しかし。そんな私の確信とは裏腹に、ミシュアさんの表情は見る見る内に険しくなる。
「四回目です! 総計など、考えただけでも頭痛がします! 特にかかった補修費用総計などは特に! 補修のたびに結界層を厚くしているというのに、どうして毎月のように破壊しては三人揃ってぐだぐだぐだぐだ聞き苦しい言い訳を繰り返すのです! 修理費も結界処理費用も馬鹿にはならないのです! あなた達の給与は元より、補修費用も全て市民の税金で賄われているのですよ! それを考えなさい! トレーニングは大事ですが、何度も高い費用を払ってまでする必要はありません!」
ひいっ、と悲鳴を漏らしそうなほど体を小さく小さくすくめる私。ミシュアさんの怒鳴り声は、まるで雷が落ちたかのようだ。いや、落雷の方が避雷針だけに落ちる分、ずっと楽だ。ラクシェルもまた頭をうつむけてひたすら耐えているし、リーシェイは怯えてこそいないものの、何か言い訳を言おうとしているが口をただパクパクと動かしている。私達はどうあがこうともミシュアさんにはかなわないのだ。
「……さて、あなた達の処分ですが。今日から一週間、守星において無償奉仕をしてもらいます。既に手続きは取ってありますので。事件を起こされる事がどれだけ迷惑なのか、身を持って知ってもらいます。なお、サボッたら。分かっていますね?」
ニッコリと冷笑。見ているだけで冷や汗がたれてくる。
守星。
それは、この北斗で最も物好きが集まる異常集団。安給料で敵襲に真っ先に応戦するのが仕事という、まるで刑罰のような役職である。どうしてか歴代北斗の実力者はそこに行きたがるそうだが、少なくとも私にとっては絶対にかかわりたくないものだ。敵が怖い訳ではない。平均十時間シフトという異常な拘束時間が嫌なのだ。
「い、一週間ですか!?」
普段は計算など始めただけで頭が痛くなるのだが、この時ばかりは一瞬でやらなくてはいけない仕事の総計時間が計算できた。そしてその数の大きさに背筋が震え上がる。
「不満ですか? 他にも一年間給料半額、九十六時間耐久強制労働という選択肢もありますが」
じろり、と見つめるミシュアさん。その表情はまぎれもなく本気のそれだ。
「いえ……文句はありません」
四日間不眠で仕事させられるよりは、遥かにマシか……。
私は、そう自分に言い聞かせる事で自分自身を慰めた。
TO BE CONTINUED...