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それは、閃光のような目にも止まらない連撃だった。
左右の腕を駆使し、上下左右、変幻自在に繰り出されるそのブロウは、まるで彼女の腕が何本もあるかのように錯覚させる。フェイントと牽制、そして本命。一撃一撃、全てに明確な役割が与えられているが、決して稚拙な戦術ではないにも関わらず受けるレジェイドはこれだけの攻撃を前に表情には余裕の色が濃く浮かんでいた。
「どうした? そんなもんかよ」
余裕のレジェイドに対し、ラクシェルの表情には明らかな焦りが浮かんでいた。もう、何度決定打となる確信を得た攻撃を難無くかわされたのか分からないからだ。
ラクシェルの両腕には青い輝きがまとわりついている。現在、凍姫の現役で絶対零度を体現化出来る唯一の術者であるラクシェルは、強化された筋肉を最大限に生かした格闘技に術式を組み合わせて使っている。ただでさえ威力のあるブロウが、対象物を術式で凍結させてしまう事でより威力を伝えやすくしている。ラクシェルは、自分はどんなものでも破壊出来ると自負していた。凍結した物質はそれほどまでに衝撃に対する耐久力が落ちるのである。一撃一撃が、必殺の威力を持つラクシェル。しかしレジェイドはそのプレッシャーを感じていないのか平然と攻撃をかわし、大剣の剣身で防いでいた。
ラクシェルのブロウは並の武器など枯枝のように難無く粉砕する威力を持っている。けれど、レジェイドの大剣は並の武器ではなかった。その大剣は流派『夜叉』の前頭目が打った無銘の剣である。剣全体に特殊な法術を施しており、一切の魔術や精霊術法の類は無効化されてしまう。そして剣自体も錬金術で精製された特殊な金属を使っており、耐久力も並ではない。実質、ラクシェルの攻撃は自身の筋力のみの威力しかない。そしてその威力も、常人離れしている事は確かなのだが剣の耐久力には遠く及ばないのだ。
「ちっ……くしょう!」
自らの攻撃が当たらない焦りは、予想だにしない実力差を目の当たりにさせられた事への悔しさに変わっていた。
確かに経験を考えれば、戦歴の長いレジェイドに比べて自分は格段に劣る。だがその差が、まさかこれほどのものとは思ってもみなかったのだ。こんなに実力差が圧倒的であるはずがない。そう言い聞かせてはみるものの、ラクシェルの拳はただ空しく空を切るばかりだ。
「らしくねえな。もっと引き際を知ってるヤツだと俺は思ってたんだがな」
レジェイドはラクシェルのストレートに合わせてわざと一歩身を退く。
絶対零度の術式を纏った右拳が唸りを上げてレジェイドの顔面へと襲い掛かる。けれどレジェイドは難無く頭を反対側へ傾げる最小限の回避動作だけで攻撃をかわし、同時に大剣の柄で向かってきたラクシェルの顎を真上に跳ね上げた。
「くっ!」
ラクシェルは素早く背後へ大跳躍、レジェイドとの間合いを取った。
視界が僅かに揺れる。顎を跳ねられた事で僅かに脳震盪を起こしてしまったようだ。だが、その隙を狙ってくるようなことはなかった。ただレジェイドは悠然と元の位置でたたずんでいる。
悔しげにギリッと奥歯を噛む。
理由は一つ、レジェイドに手加減されている事を知ったからだ。明らかにレジェイドは、自分を殺さず無力化する事を狙っている。本気で殺すつもりならば、今のタイミングで胴を払われていたはずなのだからだ。
私は、レジェイドが片手間であしらうあの坊やと同じレベルという事か。
それが変えようの無い現実。いかに覆そうとも、意気だけではそれほどの力は生まれてこない。
どうすればいい?
どうすればヤツを倒せるのだろう?
全員で一斉に畳み掛けるか? いや、この中途半端な人数では逆にレジェイドに一掃されてしまう。それに人数が多ければいいものではない。増えれば増えるほど同士討ちの危険性が高まるからだ。味方を気遣っていては思うように力は出せない。
普段の自分ならば、そこから最も有意義な選択肢を探して方向転換するはず。なのに、何故こうもレジェイドを倒す事に固執しているのだろうか。
ふと、ラクシェルの頭の中にそんな疑問が浮かんだ。
何を馬鹿な。
夜叉と雪乱の掃討、特に夜叉頭目のレジェイドは危険人物に指定されているため必ず殺すように、とファルティアさんから命令を受けてここに来ている。凍姫頭目であるファルティアさんの命令は絶対だ。いや、自分はそんな命令指揮系統とは関係なく動いている。唯一つ、ファルティアさんへの揺ぎ無い信頼、そして忠誠心。それが自分をこの戦場へ駆り立てたのだ。
一体、今の疑問は何なのだろうか? まるで違う価値観を持った自分がもう一人、自分の中に居るかのような感覚だ
大丈夫、落ち着け。ただ予想外の事態に混乱しているだけだ。
ラクシェルは深く息を吸い、ゆっくりと静かに吐いた。
その時。
「不安か?」
レジェイドの声が集中しようとするラクシェルの思考にするりと割り込んでくる。
「今、ここで戦う事に疑問でもあるんだろう? 人より慎重なお前の事だ、無いとは言わせない」
「黙れッ、戯言を!」
「何故戦うのか、よく考えるんだ。そこにお前の意思はあるのか? それは本当にお前の意思か?」
「うるさい! 私の意志に決まっている! 私は自分の意思でファルティアさんに従っているんだ!」
真っ向から猛然と断言するラクシェル。しかしレジェイドは胸の内を見透かしたかのような微笑をたたえ続ける。
「本当にそうか? 自分の意思だって思い込む。日常の生活でもよくある事だぜ」
「それほど私は愚かではない!」
ラクシェルが唐突に踏み込む。
猛然と繰り出される右腕。だがレジェイドはその腕を、横から掴んで受け止めた。タイミング、速度、間合い、全てを見切ったからこそ出来る芸当だ。
レジェイドは掴んだ腕を強引に引っ張ってラクシェルを引き寄せる。突然のことにラクシェルは抵抗することを忘れ、成すがままに間合いを詰めさせられる。
「思い出せ。お前とファルティアは、そういう関係だったか?」
互いの息遣いが聞こえてきそうなほどの至近距離。
終始、相手を小馬鹿にするような嘲笑に満ちていたレジェイドの口調が、突然、囁きかけるような静かで優しいものに変わる。
聴覚を思考でブロックしようと待ち構えていたラクシェルはまたも意表を突かれ、レジェイドの言葉を、体の芯までの侵入を許してしまったかのように、体がぞくりと奇妙な悪寒を覚えて震えた。
スプーンで果物の果肉を掬い取るように、自分の中の要を抜き取られてしまったような感覚。
しかしそれは同時に、ふとした拍子に爪の間に入り込んでいた小さな刺が抜け去った感覚にも似ている。
自分にとって大事なものを奪い取られたのか、それとも不要なものを取り去ってもらったのか。
ただ純粋に、判断に苦しんだ。
無視し難い、自分の中にあるもう一つの感覚。表面に出ている自分と対を成すそれは、果たして吹き込まれた世迷いごとの具現にしか過ぎないのか、それとも自分にとって真実の片鱗なのか。何を基準にして判断すればいいのか分からなかった。
その迷いはそのままダイレクトに苦悶となって自らを苦しめる。
やがてラクシェルはこの苦しみから逃れるため、一つの判断を下した。
苦しむ前の、今の感覚を信じる。
レジェイドの言葉に触発され思い出すように主張を始めたその感覚を、一様に否定したのである。
「やめろ! これ以上、掻き乱すな……!」
ラクシェルは掴まれていない左拳をレジェイドの顔面へ向けて繰り出す。
咄嗟に顔の位置をずらしてかわすレジェイド。その隙を突き、ラクシェルは右足の裏をレジェイドの腹に押し当て強く蹴り、レジェイドを後退らせるのと同時に、キックの反動を利用して大きく後ろへ飛んで間合いを離した。
このまま戦いを長引かせては、何よりこちらの気が持たない。たらたらと続けず、一気に決めてしまわねば。
何故、こんな言葉にこれほど自分のペースを狂わされるのか、疑問を抱かない訳ではなかった。ただラクシェルは、素直表層の感覚が訴えるレジェイドとのこれ以上の接触の危険性に従っただけなのである。それこそがレジェイドに指摘されるもラクシェルは否定した、ラクシェルの用心深さの現れなのだが。
ラクシェルは目の前に右拳を構えると、そこに全ての力を集中させる。これまでは両腕に術式を展開していたが、その威力を全て一点に集中させて攻撃力の上昇を図ったのである。
たった一度でも当てる事が出来れば、それだけで決着を決める事が出来る。いや、そもそもラクシェルにはそう何度も攻撃を繰り出すだけの余裕がなかった。
ラクシェルの展開する術式は、僅かにブレが見られた。明らかに精神の動揺が反映されている。しきりに鎮めようとするものの、意識すればするほどブレは大きくなり術式が不安定になっていく。
レジェイドの言葉が追い討ちをかけるように意識の中枢で波紋を描く。今の自分に対する疑問を深める、さながら呪詛のような言葉だ。
意識を、強制的に反復するその言葉を押し殺す方へと注ぐ。しかし、幾ら叩こうとも雑草のようにそれは立ち上がってはラクシェルを惑わせる。
やがて、あまりに気を取られすぎたせいか、ラクシェルの術式が静かに解除されてしまった。術式が方向性を見失って定まらず、定着し続ける事が出来なくなったためだ。
それが致命傷だった。
使い慣れているはずの術式を、行使する前に失敗してしまった事実はラクシェルの自信を大きく減退させてしまう。同時に、闘志の炎も消えかけてしまった。
「おとなしく投降しろ。悪いようにはしない」
術式を失敗した事に絶望した所へ、すかさずかけられるレジェイドの言葉。
ラクシェルはその時、自分の心情が大きく揺れ動いた事を感じた。レジェイドの言葉が真実を射ているとは限らないが、少なくとも嘘偽りは感じられなかった。そして驚く事に、敵であるはずのレジェイドの言葉にはどこか共感出来るものがあった。本当はレジェイドの言っている事が真実なのではないだろうか、と真実の断片を見たような気分にさせられる。
すると。
突然、スッとラクシェルの前に一人の女性が進み出てレジェイドと対峙する。これまでラクシェルが引き連れていた隊列の後尾の目立たない場所で隠れるように立っていた人物だった。
思わず見上げたその背中に、ラクシェルは咄嗟にうめき声のような言葉にならない声を放った。どうして出てくるの、という訴えに一番近い。
「下がりなさい。ここは私が持ちます」
ラクシェルの前に立ったのは、流派『凍姫』の戦闘指南役であるミシュアだった。
その毅然とした揺ぎ無い立ち居振る舞いは、まるで名工の打った刀を思わせる。しかしその内には嵐よりも激しい闘争を秘めているのは、佇む雰囲気だけで如実に感じ取れた。
「ミシュアさん……でも」
確かに自分はもうまともに戦える状態ではない。ここは自分以上の使い手に代わってもらうのが当然だろう。しかし、幾ら理に適っているとは言ってもミシュアに持ってもらう事だけには少なからず抵抗があった。
ミシュアとレジェイドには、顔見知りでは収まらない親密な交際がある。本人の口から直接聞いたことはないが、何度か一緒に歩いている場所を見た事があり、どの程度の親密さかはそこからくみ取れた。
普通なら、絶対にこんな状況では進み出ないだろう。だが、互いに仕事へ私情を挟むような性格ではない、という悲劇があった。そのためミシュアは、組織として最善の選択を躊躇うことなく選んだのだ。
きっと二人は本気で戦い合える。まるで昨日までのあった出来事を忘れ、赤の他人であるかのように斬って捨てる。だからこそ、戦場でこの二人を引き合わせてはいけないのだ
と、ラクシェルは再び疑問を抱いた。
レジェイドはあくまで敵。何故、ミシュアならまだしもレジェイドの肩まで持つような事を考えるのか、と。一体、この不安は誰に対するどこの立場からの不安なのだろうか。尚一層、ラクシェルは自らへの疑問を強める。
「いいから下がりなさい。私の命令は聞けませんか?」
やむなくラクシェルは静かに一度首を縦に振って承諾の意思を見せる。
それを確認するなり、ミシュアはつかつかとレジェイドの方へ向かって歩いていく。そして、およそ二十歩ほどの間合いで足を止めた。
「お前は……まともらしいな」
レジェイドは希薄な笑みを浮べていた。他にどんな表情を浮べたらいいのか分からず、苦し紛れで作った表情だ。
「一つ言っておく。俺の剣は精霊術法を無効化する。術式で戦う凍姫では勝ち目は無いぞ。だからおとなしく投降しろ」
「それは術式の型にもよるでしょう」
ミシュアは内ポケットから何かを取り出す。
それは、剣身の無い剣の柄だった。わざわざ剣の剣身を外して用意したもののようである。
目を閉じて力を込めるミシュア。すると柄から真っ直ぐ吹雪のように吹き荒ぶ凍姫が剣のように吹き出した。
「断続的に体現化すれば、剣に触れて無効化されたとしても、接触が終わった瞬間、即座に体現化された刃があなたに届きます。単に競り合いだけが無くなっただけにしか過ぎません」
「なるほど、考えたな」
つまり、今のミシュアの剣は、潰したホースの先から勢いよく飛び出す水のようなもの。手で押さえている間は防ぐことも出来ようが、一度手を離せば瞬く間にこちらに襲いかかってくる。
互いの剣が接触する事が出来ないのだ。受け止める事も、ましてや捌くことも出来ない。水が掴めないのと同じ理屈だ。しかし、剣の接触が出来ないのは相手もまた同じ事。これはつまり、決死の覚悟と受け取っても差し支えない。
改めて、レジェイドはミシュアの戦士としての有能さを痛感させられる。この術式、口で言うには容易いだろうが、実際に体現化するにはどれだけの労力を必要とするか。こんな状況で平然と構えられる辺り、やはり凍姫で最も優れた実力者は彼女をおいていないだろう。実に驚嘆すべき胆力だ。
「……本気なのか?」
今更、何を訊ねているんだ。
レジェイドは自嘲に満ちた心中を押さえながらもあえてそう問うた。否定して欲しい、と少なからず希望を込めて。だが案の定、ミシュアはそっと目を伏せたまま、一度だけ小さく頷いた。
「申し訳ありません。私は、こういう生き方しか出来ない女なのです」
「気にするな。俺はそういう責任感の強い所に惹かれたんだ」
やがて機が熟した事を悟ったかのように、どちらからともなく無言で双方がゆっくり剣を構える。
既にそこには一切の表情は無く、ただ視線が機械的に相手の出方を見据えている。日常を離れ、勝敗だけが支配する戦場に繰り出した戦士の顔だ。
「愛してる」
「私もです」
そして、二人はほぼ同時に踏み込んだ。
TO BE CONTINUED...