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『少々、狂いが生じていますね』
 北斗の中心地に聳え立つ大時計台。市街区のどこからでも現在の時刻が分かるほど巨大なその塔の天辺に、彼、エスタシアは佇んでいた。
 今回の事件の首謀者である彼の眼下では、流派『凍姫』と流派『烈火』の一群が大きな円陣を描いている。その中心にはそれぞれの流派の頭目、ファルティア、Gの二人が激しい戦闘を繰り広げている。
 流派『凍姫』は完全にエスタシアの支配下に置かれている。烈火と戦っているのはエスタシアの指示によるものだ。
 エスタシアは今回の件に合わせ、北斗十二衆の各頭目にオファーを持ちかけていた。しかし、流派『烈火』頭目Gには一度たりとも話を持っていってはいない。それは、Gの性格にあった。Gの戦闘能力は非常に高く、彼を味方に付ける事は単純で大幅な戦力の増強に繋がる。しかし、Gは自分にとって快か不快かで物事を決定し、また度を過ぎて好戦的であるため戦闘に関して思慮というものが致命的に欠落していた。いわばGは我が道を行く戦車のようなものである。また、Gという名前も、彼がかつて有名な殺人鬼であったため、本名を隠すための偽名だという噂がまことしやかに囁かれている。真偽の程はともかく、そういったゴシップを背負う人間は味方として到底信用足り得ない。エスタシアが彼を選択肢から外した理由はこれだ。
 戦闘はほぼ五分、双方一歩も引けを取らない好戦である。しかし、これは命の奪い合いである。一瞬でも気を抜いた方が、機械的に若しくは動物的に生命活動を停止させられてしまう。
 エスタシアにとってファルティアは、流派『凍姫』という頭目レベルの人材が多く居る組織を円滑に動かすため、ある意味では重要な人物であった。ならば彼女を何らかのアクシデントで失ってしまうリスクは最小限になるよう立ち回るのが当然である。しかしエスタシアは完全に傍観者を決め込んでいた。それはまるで、ファルティアがこの程度の事でどうにかなるほど脆弱ではない、と物語っているかのようにも見えた。
「彼女には効かなかったのでしょうか。ですが、十分修正誤差範囲内です。どれだけ大きな力を持とうとも、所詮、彼女は水面に浮かぶ羽虫でしかありませんからね」
 エスタシアに浮かぶ表情は侮蔑とも嘲笑とでもなく、ただひたすら深遠な余裕だった。
 自分の計算しつくされたシナリオに絶対的な自信と、それを完遂する覚悟の現れである。事実、エスタシアには凡俗に及ばない飛び抜けた才能、明知があった。そして、その類稀な明知を推進源として膨れ上がる野心にも似た実行力と決断力。更には、一般的には不可能とされる出来事も可能とし得る多くの優れた人材を配下にしている。優れた己の力を、更に優れた人物で固める事でより強固な城と成す。まさに今のエスタシアの体勢は、たとえ相手がヨツンヘイム最強の戦闘集団『北斗』と言えども決して引けを取らないほど完璧なものだった。
 リュネス=ファンロンは、北斗にも数えるほどしか存在しないSランクチャネルの持ち主だった。その力はあまりに圧倒的で、時には頭目クラスの実力者でさえ翻弄するほどである。しかしリュネスはその圧倒的な力を使いこなしてはいない。振り回されるか、抑圧するか。巨大過ぎるがあまり術者を用意に飲み込むその力は、意志力に乏しいリュネスにとって過ぎたものだった。エスタシアにとっての強さの基準とは、実力と意志力とのバランスである。優れた実力を持っていたとしても、それを維持できるだけの意志力が無ければ打ち崩すのは容易な事である。逆に、幾ら鋼鉄のような意志があろうとも適うだけの実力が無ければ、作業的に踏み潰す事が出来る。強さとは肉体と精神のバランスにある。優れている事は言うまでも無く、完璧に調和の取れたバランスは、本来の性能以上の能力を発揮する事が出来るのだ。バランスの皆無なリュネスなど、エスタシアにとっては炉辺の石も同然の存在である。
「とは言え、彼女に効かなかった理由は調査する必要がありますね。神器の仕様的な問題なのか、はたまた何らかの要因があっての事なのか。曖昧なままにしていては、今後、致命的な失策へ繋がる可能性も出てきますから。何か御存知ではありませんか?」
『いいえ。私にとって神器は、宗旨に反する偽印を受けた禁忌そのもの。忌み嫌えど、技術的な観点で深く考察した事はありません』
 そうですか、とエスタシアは微苦笑する。
 考えてみれば、彼女は自分達との価値観に一線を慨する人間だった。
 あまりに近づいた時間が長かったせいだろうか、そんな事すら忘れてしまっていた自分が迂闊だ。始まるきっかけはなんだったのかもう忘れてしまっていたが、少なくとも自分達は目的こそ等しくとも価値観は何一つ交わる要素が無い。それほどまでに違う自分達が仲違いを一度たりとも起こさなかったのは奇跡的ではある。何より共通の目的であるそれが自分達の繋がりを保たせていたのか。考えてみれば、どれだけの幸運と偶然が詰みあがって今の自分があるのだろうか? おおよそ、その確率を数字にたとえれば天文学的数字になるだろう。
 彼女が自分に近づいたのか、それとも自分から彼女に近づいたのか。
 今となってはもうどうでも言い事だ。彼女は自分の目的のために付き従う同志。そして何より信頼できる力の持ち主。言うなれば、彼女が自分に付き従っているこの事実こそが、自分が向かっているこの先に眩しい光が降り注いでいる証明である。
『僭越ですが、一つ。神器とは魔術と錬金術が生み出したもの。そして魔術と精霊術法のルーツは、それぞれ等しいものです。彼女は生まれ持ったルーツの潜在能力が高い。もしかしたらここに何か理由があるのかもしれませんね』
 それも一理ある。
 漠然とした情報と前提とで考察する範囲では、十分有り得る事だ、という結論が導き出せる。次なる考察への前提としては十分に許容範囲内でもある。精霊術法と神器、ルーツが等しいのであれば、その相互作用、因果関係は少なからずあるだろう。偶然と切って捨てるよりも、たとえ漠然とした形でも繋がりを認識しておいた方が良い。
「あなたの目には何が視えますか?」
 そう、エスタシアは訊ねる。
 彼女の目は物事を見通す力に優れている。通名は、先だけを見るような意味を持っているが、本来の彼女の力は若干違っている。彼女の目には時間の概念が無く、先は言うまでも無く、過ぎた事象すらも第三者の目として、ただ見やる事が出来る。もっとも、こちらには先とは違って制約は無いのだが。
『あなたに神器によって植えつけられた情報を、彼女の潜在意識は危険なものと判断して、速やかに隔離するべく夢として扱ったようです』
「夢? 何故わざわざそんなものに転化させたのでしょうか」
『情報は、記憶という形で人間の脳に一度刻まれ、二度と消去する事は出来ません。ですが、必要頻度の低い情報は重要性が低く表層には保管されないため、なかなか思い出す事が出来ないという現象が生じます。彼女の防衛本能はこれを利用したのでしょう。夢は最も頻度の低い情報です』
「支配されないための自己防衛、という事でしょうか。もしかするとこれで正解でしょうね。思い返してみれば、精霊術法を使う流派には一様の効果が現れない場合がありましたから」
 エスタシアは首から下げた銀色のペンダントをそっと手に取る。
 それは、彼が凍雪騒乱が終結してから間もなく単身ニブルヘイムに渡って入手した神器だった。近年、ニブルヘイムの神器の技術力の発展は目覚しく、世界でも有数の品質と規模を誇っている。ヴァナヘイムの侵略戦争の際も、兵士一人一人の実力を考えれば武勇に秀でた国であるヴァナヘイムが圧倒的に有利であった。しかし結果はニブルヘイムの勝利となっている。戦争の途中でヴァナヘイム側に訃報があった事にも原因があるが、その最大の要因はやはり神器だ。神器の力が個々の実力差を埋めるだけでなく覆したのである。
「何にせよ、今日中に烈火、夜叉、雪乱、雷夢、逆宵には消えて頂きます」
『これで、北斗平定ですね』
「ええ。ですが、まだ始まったばかりです。僕にはまだやらなくてはいけない事が沢山ある。ヨツンヘイムを平和な国とするために」
 確信に満ちた強い表情でエスタシアは眼下に広がる北斗の街並を眺めた。
 今は戦争中であり、当然だが一般人の姿はどこにも無い。そのため街そのものが死んでしまったかのように静まり返ってしまっている。けれど、これは今日で終わる事だ。北斗の平定は何よりも速度を重視した。たった一日で北斗を全支配下に置く事が可能になるまで、長い間待ち、力を蓄え続けてきたのである。最大限の戦力、最大限の効率、最大限の状況。この全てが揃った時が今日この日なのである。
 今日を境に北斗は生まれ変わる。これまでの甘んじた体勢は全て一掃し、あくまで戦闘集団としての色彩を強め、その一方で国力増強の一環として経済を活性化する。何より重視するのは戦闘集団としての北斗だ。北斗に必要なのは戦闘能力に優れた人材だ。だが、保守的な考えを持つ人間は踏破されなければならない。それは、隣国ニブルヘイムがヨツンヘイムに侵略して来る事態を考えてのためだ。相手が動いてからでは遅い。もしも兆候だけでも察知できたならば、いつでも先手を打てる体勢が必要なのである。現状維持を望む人間はフットワークが重い。幾ら実力に優れていても、こういった事態にはむしろ足を引っ張るだけの邪魔者でしかないのだ。
「現在の状況はどうなっていますか?」
『雪乱は修羅、悲竜と交戦中。逆宵、雷夢は依然現状維持、夜叉は雪乱へ援軍に向かっている模様です。幻舞は源武との抗争で動ける状態ではありません』
「やはり幻舞は割れましたか。このまま放っておいても不安材料にしかなりませんね。僕はこれから鎮圧に向かいます。後は宜しくお願いいたします」
『分かりました。あなたに限ってとは思いますが、お気をつけて』
 その姿の見えない彼女の言葉と同時に、エスタシアは大時計台から一直線に真下へ飛び降りた。



TO BE CONTINUED...