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 幸福と不幸の絶対量は決まっている。
 どこかで聞いたその言葉を、俺は今までずっと否定し続けてきた。
 生まれ持った幸運の多少は個人差があるかもしれない。けど、目的に向かって地道に突き進んでいけば、必ずや誰もが幸せになる事が出来る。それが、俺の自論だった。
 神様なんて信じている訳じゃないけど、地道な努力は必ず誰かが見ていて。そしてそれを評価し良い方向へ作用してくれる。そうやって段階を経ていけば、人は幸せを手に入れられるのだ。
 絶対。
 しかし。
 これを、幸福に至るまでの過程の一つだと、たった一言で片付けられるだろうか?
 俺には、出来ない。




「にゃあ! にゃあ! にゃあ!」
 起きろ! 起きろ! 起きろ!
 ぼんやりとした深い霧の中を、俺の意識が泳いでいる。その意識の外から、盛んに俺を急き立てる声と間断のない速いリズムを持った衝撃が顔を打つ。今、俺が居る所は、現実と夢の境界線。意識が半覚醒した、非常に心地良い空間だ。だがその忙しないそれは、その居心地のいい場所から俺を何としてでも引き摺り出そうとしている。
 なんだよ、うるさいな……。テュリアスか? 俺は眠いっていうのに……。
 一度表層まで昇りかけた意識が、再び重さを増して奥深い底へ沈んでいく。その意識が沈んでいく感覚が非常に心地いい。
 しかし、
「にゃあっ!」
 いい加減起きろ! 大変な事になってるんだから!
 大……変?
 はて、一体何があったのだろう? でも、いいや……今は眠い……。
 テュリアスによって再び引き上げられた意識が、またもや重く沈んでいく。幾らテュリアスが引き上げようとも、意識そのものの重量が軽くならない限り何度でも沈んでいってしまう。そのためには俺自身が意識に気力を注ぎ込まなければならないのだが、あいにくその意欲が俺にはない。ただ眠くて眠くて仕方がないのだ。
 顔を埋める枕の感触が気持ちいい。寝るには慣れていない枕なのでどうにも違和感があるのだが、意識があまりの重量を持っているので大した気にはならない。その内、テュリアスの叩く感触も気にならなくなってきた。白い意識が更に沈み込み、ゆっくりと暗転を始める。
 ―――しかし。
『嫌ッ! やめてください!』
 ハッ!?
 それはベッドと更にその床越しに聞こえた、まるで振り絞るかのような必死の悲鳴だった。
 ……リュネス?
 次の瞬間、俺の意識は一瞬で重さを失った。
 まるで弾け飛ぶかのような勢いでベッドから起き上がった。あんなにねっとりと起きる事を拒んでいた意識が嘘のように鮮明化している。
「俺は……」
 けれど、意識が鮮明化しているのに状況がまるで掴めない。記憶だけがすっぽりと抜け落ち、自分が何故ここにいるのかが分からない。そのもどかしい感覚に、加速度的に焦燥感が込み上げてくる。
「にゃあ!」
 と、俺の肩にテュリアスが飛び乗ってきた。
 下! 早く! リュネス!
 断片的に流れ込んでくるテュリアスの意思を具現化した言葉。それがぼやけていた俺の状況把握を瞬く間に組み上げる。
「リュネスが!?」
 一体どういう事なのか、それだけでは詳細は分からない。けれど、リュネスが危険な状況に置かれているという事だけは理解出来た。行動を起こすには十分過ぎる理由である。
 ぴょん、と俺の肩からテュリアスが床へ飛び降りる。俺は靴も履かず、すぐさまベッドから降りて部屋のドアを開けた。
 こっち!
 先を走るテュリアス。どうやらテュリアスにはリュネスの居場所が分かるようである。
 足をつけたのは丁度真ん中の一段だけで、ほとんど飛び降りたに近い勢いで階段を下り、一階へ。そこは足元がいまいちおぼつかない薄暗い廊下だった。表側の方には店の明かりらしき光が漏れ込んでいる。しかしテュリアスは、逆に奥の暗がりへ駆けて行った。テュリアスは神獣で、人間の俺よりも遥かに感覚が鋭い。一刻も早くリュネスの元へ向かいたかった俺は、素直にテュリアスに従う。
 一体何があったのだろう……?
 あまりの不安感と焦燥に押し潰されそうだった。だが、今はとにかく走るしかない。一刻も早く、リュネスの元へ―――。



TO BE CONTINUED...