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「まあ、総括部の命令だから仕方がないけどさ」
 その日。
 いつもなら特定の区内をぶらぶらと遊回している僕は、今日に限ってわざわざ北区の戦闘解放区に来ていた。最強の戦闘集団である北斗によって完全に防衛されているこの街で、唯一、世間一般の常識や総括部の権力が届かない無法地帯。それがその戦闘解放区だ。そこにはバトルホリックの宣告を受けた人間や生と死の間に身を置くことを至上の喜びとする戦闘狂ばかりが跋扈し、たとえ実力のある北斗の人間であろうとも、正常な思考の持ち主はまず近づく事のない場所だ。僕は圧倒的大半を占める後者であるから、仕事で命令でもされなければ決して行ったりはしないのだけど、今回はあいにくその命令が下ったため仕方無しに向かっていた。北斗の中でも権力の頂点に立つ最も発言力を持った北斗の長、総括部直々の命令だ。たとえ冗談でも無視なんてする気にはなれない。
 今日の天気は雲一つない青空、爽やかな日差しと涼しい風が吹く最高の日和だ。こんな日はつい心が弾み、可愛い娘と遊びにでも行きたい所だけれど、何が悲しくてこんな切ない仕事が今日に限って来るんだか。
 総括部から下った命令とは、戦闘解放区にて精霊術法を暴走させた人間がいるらしいので善処せよ、というものだった。何を持って善処とするのはさておき、その術式を暴走させた人間はどうやらチャネルのランクがAもあるらしい、かなり危険な人物である情報だけ貰っている。Aといったら、北斗規模の街でも半日で壊滅させてしまうほどの術式が使えるレベルだ。そんな人間の暴走を僕一人で何とかしろだなんて、総括部もかなり無茶苦茶な命令をする。やっぱ天才は辛いものだ。
 とりあえず、言われた通りに善処する事にする。で、駄目な時は駄目で、さっさと浄禍の出臨要請でも出せばいい。これなら命令に背いた事にはならないし、大前提である暴走した術者の制止も果たせる。
 楽しそうに行き交う人達をわき目に、大通りを北に向かってひた走る。守星は頭目に比べて随分と規制が緩いから良いんだけど、さすがに一回一回の仕事の濃度は比べ物にならない。まあ、僕はそれ自体が嫌という訳じゃないし、辞めるという選択肢だって元からあったんだけど。何だかんだ言って、意外とこの仕事が性に会っているのかもしれない。
「あ、レイ君! どうしたの、そんなに急いで!」
 と。
 僕の前方に一人の女の子が立ってこちらに手を振っているのが見えた。確かあの娘は、この間ナンパしたんだったっけか?
「ごめん! 今ちょっと急ぎなんでまた今度!」
 そう僕は擦れ違い様に手を上げて謝る。その娘は面白く無さそうに唇を尖らせて僕を見送っていた。
 やれやれ。考えてみれば、なんて因果な仕事なんだか。自由なのはいいんだけれど、決まった休みなんて取れないから特定の誰かと付き合おうとしてもなかなか出来ない。いつまでも一人身っていうのも寂しいものだ。そういえば確か、守星の中で恋人がいる人なんていたっけか? 僕の記憶だと、一番最後の人は四年前に一時期務めた元凍姫の頭目だけだったと思う。となると、いよいよもって危機だ。花の十六歳を無為に枯渇させるのか? それはまさに悲劇というもの。
 戦闘解放区で暴走があったという割には、街はまるで嘘のように平和そのもの。人々から笑顔が途切れる様子はまるでない。けど、それはそれだけ戦闘解放区が日常から隔離された存在であるという事と、北斗の情報の扱い方が優れているに他ならない。解決出来る事件をわざわざ解決前に公表し、徒に人心を煽るのはあまり好ましくない。
「あら、レイじゃない」
 と、またもや僕に話し掛けてくる女性の声。それはおっとりとした落ち着きのあるアルトで、僕よりも歳がやや上の声だ。しかし今度は遠目から見送るのではなく、僕と同じ方向に向かって並走を始めた。
「どうかしたの?」
「仕事だよ、仕事。戦闘解放区に行けって、おじいちゃん方に言われたんだ。ルテラの方は?」
 その声の主は、真っ白な肌に対照的なハニーブロンド、そして透き通るような碧眼を持った女性、僕と同じ守星を務める同僚のルテラだった。外見はおしとやかそうに見えて、実はオーガも真っ青の怪力の持ち主でもある。一応、精霊術法の副作用なのだけれど。本人もそれほど自覚しないで揮うもんだから始末に終えない。
「ホント? 私もそれなのよ。急に行けって言われて」
 どうやらルテラも総括部に命令を受けたようだ。となると、もしかすると他にも何人か守星が向かっているのかもしれない。通常、高ランクチャネルの術者が暴走事故を起こした場合は、北斗十二衆の中でも最強を誇る浄禍が対処するのだが、今回はそこまでの必要はないと判断されたのだろう。とは言っても、浄禍一個小隊よりも守星の方が下に思われているのはいささか気に食わないけど。
 ルテラと並び戦闘解放区に向けて走る。その最中、他の守星らしき人達と次々合流していった。らしき、というのは僕自身も守星には誰が何人いるのか知らないからだ。守星は自由な気風と人員の出入りが激しいせいでいつもメンツが変わるし、元々組織性は薄いから一堂に会する機会もない。そのため、覚えようにも覚えようがないのだ。
 合計すると十数人も守星が終結した。幾ら総括部の命令とはいえ、北斗防衛の要である守星がこんなに大勢持ち場を離れて大丈夫なのだろうか。少し疑問に思う。
「なんか随分と集められたみたいだね。結構ヤバイんじゃないかな?」
「そうね」
 と。
 何気なく話し掛けた僕への返答が妙に素っ気なく、僕はふと首を傾げる。いつもマイペースで明るいルテラには珍しい事だからだ。普段の軽いノリがなく、語彙がやけに重苦しい。普段明るい人が急におとなしくなると、思わずこちらもシリアスに構えてしまう。
「どうかした? 元気ないみたいだけど」
「ん……ちょっとね」
 本当にどうしたのだろう? 落ち込んでいる、もしくは苛立っているようにも見える。ルテラらしからぬ仕草だ。
「前にさ言ってた男の子の事、知ってるわよね?」
「ああ、シャルトっていう子でしょ。レジェイドが連れてきたっていう」
 確か随分前にルテラの口から聞いた覚えがある。なんでもレジェイドが連れてきたが、かなり酷い状態で一月ほど入院していたそうだ。その時ルテラは一時仕事を休んで介護したんだけど。正直、まだ顔も見た事がないからどんな人なのかは分からない。やけに『可愛い』という単語を連発していたけれど、そんなに可愛いんならば一遍見てみたいとは思う。一応だけど、話の種にだ。
「うん、覚えてるけど。それが?」
「実は今日、お兄ちゃんと行ってるらしいの。戦闘開放区」
 そのシャルト君は、退院した後はルテラの兄であるレジェイドが頭目をやってる流派『夜叉』に入ったそうだ。そこで随分とレジェイドにしごかれてるらしいけど、確かその前にルテラの伝手で雪乱で精霊術法も覚えてる。精霊術法が使える夜叉の人間なんて前例がないからレジェイドも苦労してるんだろうと思ってたけど、もう戦闘解放区に連れて行くぐらいにまで仕上げたのは凄い。さすが僕と違って面倒臭がらず頭目職を続けているだけある。
 けど、この場合。話の焦点が向けられるのはこの部分じゃない。シャルト君が戦闘解放区に行いけるぐらい強くなった事よりも、そんな時に僕達守星が戦闘解放区に集められる事件が起こったのは偶然なのか必然なのか、という事だ。そして今現在の状況証拠だけで推測すると、それは限りなく必然の方へ傾く。
「え? それってまさか……」
「かも、って事。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。とにかく行ってみないと分からないわ」
 そしてルテラは唇をぎゅっと閉じると、それから一言も口を聞かなくなった。
 珍しくナーバスになっているな。
 僕は肩をすくめて無駄口を叩くのを止める。僕に考えつく事はルテラも把握してるだろうし、それが何を意味するのかを考えればルテラの心情も察してやれる。ルテラはシャルト君の事を本当の弟のように思ってるそうだ。そんな人がこんな事件の原因を作り出したかもしれないなんて知ったら、そりゃ僕だって冷静でいられる自信なんかない。
 もしも仮に、僕達が向かっている戦闘解放区で暴走を起こした術者がシャルト君だったらと仮定してみよう。どの程度の規模の術式を行使するかによって状況は随分と変わるんだけど、少なくとも戦闘そのものを回避するのは難しいだろう。それに、基本的に北斗の方針としては暴走を起こした術者への対処は生死不問だ。最悪の場合、シャルト君が命を落とす事もあるだろう。僕やルテラが手を出さなくたって、他の守星が攻撃する。そしてそれらを制止する正当な理由が僕らにはない。
 なんにせよ修羅場だな。
 僕は胃が痛くなるような思いで溜息がつきたくなった。どう考えても、誰もが納得する形に解決する方法が思いつかない。一度暴走してしまえば、北斗が全て敵に回る事になるのだ。暴走した人間を擁護する正当な理由がない以上、露骨に攻撃を阻止する事なんて出来やしない。とにかく考え付く実現可能な最善処は、取り合えずシャルト君が死なずに済む、という事ぐらいだ。
 重苦しい空気を漂わせたまま、ようやく僕達は戦闘解放区前に辿り着いた。
 とうとう何も良い手段が思いつかなかったなあ。
 がっくりと僕は小さく溜息をつく。
 ―――と。
 突然、解放区の中から凄まじい轟音が鳴り響いた。ビリビリと空気の振動が僕の肌にまで伝わってくる。それも若干冷気を帯びた振動だ。シャルト君が精霊術法を覚えたのは雪乱式のだ。となると、やはり。僕は恐る恐るルテラの表情を覗いて見る。その直後、ルテラは轟音が聞こえてきた方をじっと見つめながらギリッと奥歯を噛んだ。
「まずい、もうかなりキちゃってるよ」
「急ぐわ」
 ひやりとするほど冷たい口調のルテラ。既に頭の中が戦闘モードに入っている。かなり状況は深刻なようだし。
 誰よりも先にルテラは戦闘解放区の中へ向かって行った。一歩踏み入れば、そこは北斗の法律が意味を成さなくなる完全な自治区域、または無法地帯だ。普通の人ならば絶対に最初は入る事を考えるはずのなのに、ルテラはまるで躊躇いがない。目的がはっきりしてそれを成し遂げようとする強さのある人は、無駄に迷ったり立往生する事がないのだろう。
 華やかな北斗の市街とは一変して、寂しげな廃墟が続く戦闘解放区。そこを僕達守星はルテラを先頭にひた駆けた。というよりも、単にルテラが一人独走しているから僕達がその後を追っているんだけど。
 気持ちは分かるんだけど、少し逸り過ぎじゃないかな?
 そう僕は苦笑いしながら後を追う。決してそれを口にはしなかった。どうせ言ったってこの状況だ、聞いてくれはしないだろう。
 と。
 突然、突風のような冷たい風が目の前からこちらに向かって吹き付けてくる。それと同時に、一人の大きな人影が転がり出てきた。
「お兄ちゃん!?」
 それを見て、思わずそう叫ぶルテラ。見ると転がり出たその人影は確かにレジェイドだったが、しかし全身には酷い凍傷を負っている。息も絶え絶えで、全身あちこちが生傷だらけだ。それでもなんとか大剣を持って立ち上がる。こんなに余裕のないレジェイドの姿は、僕は初めて見た。レジェイドは精霊術法無しでも、精霊術法の達人と互角以上に戦えるほどの戦士だ。そんなレジェイドがこんな姿を晒してるなんて。僕は状況の深刻さに頭痛がしそうな気分にさせられる。
「よう……なんだお前ら」
 随分と遅れた返事をして振り向くレジェイド。その笑顔も随分と弱々しい。
「お兄ちゃん、もしかして……」
「ああ。最悪だぜ」
 苦々しく奥歯を噛むレジェイド。どうやら案の定らしい。
 やっぱ、相手はシャルト君か。ルテラが弟のように可愛がってるから少し興味があったんだけど、まさかこういう初対面になるとは。嫌なメモリアルになりそう。
「とにかくさっさと終わらせようぜ。浄禍の連中に出張ってこられたらシャレにならねえ」
 うん、とルテラは肯く。
 そう、北斗十二衆最強の浄禍が出てきたら、問答無用でシャルト君は殺されてしまう。それはもう、一片の肉も残らないぐらいにだ。浄禍が出てきた時点で、シャルト君の生死は決定的な死となってしまう。それだけは何が何でも優先的に回避したい。そのためにも、とにかく今はそのシャルト君をこれ以上大変な事態になる前に押さえなければ。
 ぴし。
 ぴし。
 そして、遠目から静かに小さな破裂音を幾つも立てながら一つの気配がこちらに近づいて来る。それは、近づいて来る塵の一つ一つを全て凍りつかせながら歩み寄ってきた。
 薄紅色の髪と瞳、背丈は男にしては随分と小柄で色も白い。
 けれどそんな仕草とは対照的に、酷く怯えたその表情がやけに印象に残った。



TO BE CONTINUED...