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北斗の街並は随所に戦争の大きな爪痕を残していた。街中を巡り歩けば歩くほど、北斗がどれだけ深い傷を負ったのか惨々たる現状を目の当たりにさせられる。その惨状が今の自分達の前に積み上げられた問題を痛烈なまでに繰り返し再認識させ、疲弊した体に容赦なく鞭を打ち付けてくる。
だが、確実に避難していた一般人は少しずつ自分達の住居へ戻りつつあった。そこには必ずしも元の生活がある訳ではなかったが、一人として下を向いている者は居なかった。誰もがかつての生活を取り戻すべく、懸命に復興作業へ自発的に取り組んでいる。
彼らの精力的な姿を見ていると、決して一般人は北斗の保護下に置かれた生活に甘んじていた訳ではないと気づかされた。北斗はあくまで外敵から街を守っているだけにしか過ぎず、生活を築いているのは民衆自身の力なのだ。だからこそ、その生活が失われたとしてももう一度築き上げるのは彼ら自身であり、わざわざ北斗がそれを扇動するまでもないのである。
しかし、依然として状況は不透明で芳しいとは言えなかった。北斗側にどれだけの被害、死傷者があったのか、未だ明確には分かっていないのである。もしも流派『風無』が存続していたのならば、半日もあれば北斗中のあらゆる状況を調べ尽くす事が出来ただろう。風無が消滅してから既に一年以上が経過しているものの、北斗には風無を上回る諜報組織は構成されていない。情報の重要さを改めて痛感させられる時である。
「みんな凄いですねえ。もうやる気になってますよ」
「逞しいのよ、みんな。こんな国だもの、弱気になってたら生きてけないわ」
中央通りを歩くのは、ルテラとリルフェの二人だった。二人は現在の北斗の状況を記録しながら、守星としての役割も兼ねて巡回していた。かつての総括部に代わる機関は建てられておらず、暴動に発展するほどの混乱が起こる可能性が懸念されている。今の所そういった事件は報告されていないが、新しい組織体系が確立するまでは油断は許されない現状である。
「そういえば怪我はいいの? 確か『修羅』の頭目とやり合ったんでしょ?」
「そう。あの若作り頭目。こっちが宗教の理由で殺せない事知ってたんでしょうねえ。えげつないったらありゃしない。もっと余裕があったらボコボコにしてやったんですけどねえ」
リルフェはまるで目の前に件の彼女がいるかのように、口でシュッシュッと音を出しながら左手で頭を掴んで右拳で打ち据える仕草をしてみせた。身振りはふざけてはいるものの、右腕が繰り出されるたびに空気を切り裂く鋭い音が聞こえてきた。たとえ素振りだけとは言えども、その右拳には十分な威力が秘められている事は明らかである。
「それだけ元気なら大丈夫そうね」
「大丈夫じゃありませんよ。お医者さんに見て貰ったら、二の腕の傷、思いっきり引き千切られてるから綺麗には治らないって言われちゃいましたよ。うら若き御肌が傷物になっちゃいました」
「それが嫌なら辞めるしかないわね。戦闘に怪我はつきものですもの。怪我なんていちいち気にしてたら戦えないわ」
「怪我をしてないからそういう事が言えるんですよ。ルテラはいいですよねえ、体中隅から隅までどこを見たって綺麗ですから」
「怪しい表現しないでよ。誰かに聞かれたら変な誤解されちゃうじゃない」
「その気になれば男なんて選り取り見取りのくせに。やっぱりこれか? これが男を惑わすのか?」
「あん、もう。どこ触ってるのよ」
こんな風に戯れの会話を交わすのが、二人には随分久しいように思えた。実際、最後に会ってから一週間も経っていないのだけれど、たった二日間の戦争が濃密な時間を過ごさせられたため、あたかも何年も経過してしまったかのように錯覚してしまうのである。
ようやく訪れた静寂は、未だ元の活気を取り戻してはいない殺風景なものだった。けれど、確実に開花する華やかさを予感させていた。何よりもそれを示すのは人々の前向きな姿勢だ。その姿を見ているだけでも、まるで元の北斗の街に立っているかのような気持ちになる。
「ところで、スファイルさんの件。どうしたんです? あれ以来、とんと姿を見てませんけど」
「さあ? 知らないわ。私には関係ない事だもの。必ず帰ってくるとか言って、顔も見せないんだから」
「それだけ気にしていれば、関係ない事もないですよ?」
天守閣にてエスタシアとの一件があった後。スファイルはリュネスに何も告げず、一人姿を消してしまった。エスタシア達のように忽然と消えてしまったのではなく、目の前でどこかへ走り去ってしまったのだった。目で捉えられる範囲にいるのであれば追いかける事も出来るのだが、その時のリュネスは悲嘆に暮れ掛けていたため追いかける事が出来ず、行方知れずとなってしまったのである。やがてリュネスと医務室に待機していたレジェイド達、裏庭にいたリーシェイやラクシェルは合流したのだが、誰一人としてスファイルの行方を知る者はいなかった。
だが、誰一人その行方を訊ねる者もいなかった。ルテラを初めとしたスファイルの背中を見た者達は皆、同じ事を予感していた。もしかすると戻っては来ないのかもしれない、と。誰も騒がないのは、そのためなのである。
「私、余計なお節介しちゃいましたかねえ」
不意にリルフェは空を見上げながらぽつりとそんな事を口にした。
「どういう事かしら?」
「言ってやったんですよ、本人に直で。ルテラに拒絶されたら、もう二度と北斗には来ないでって。だからもしかすると、本当に戻ってこないのかもしれませんね」
リルフェがスファイルにそれを宣告したのは、同じ場にルテラがいない時の事だった。そして、必ず戻って来るようにと約束させたのはルテラ自身である。
ルテラは素直にスファイルの心情を知るのが恐ろしかった。確かにあの時、自分はスファイルを拒絶した。それは死んだものとして、本当に少しずつ受け入れ始め気持ちに整理がついて来たというのに、スファイルが突然何の前触れも無く現れ、整頓した気持ちをぐちゃぐちゃに掻き回したからである。あの時、拒絶しなければ、この五年間が砂になってしまい自分が自分で無くなってしまいそうな恐怖に駆られ、我を失った。黒でもない混沌とした恐怖に追いかけられる日々を、血の滲むような思いで振り切り今の自分を形成した。だがその自分は、スファイルという存在に致命的な脆さを持ち合わせている。だからこそ、死んだ人間であるはずの彼がルテラにもたらす衝撃とは、単なる驚きとはまるで意味合いが違うのだ。
ルテラとスファイルの問題は、おおよそ考え付く複雑さの全てを孕む非常に危うげなものだ。第三者の入れ知恵だけで解決するような単純なものではない。解決には当人同士の歩み寄りと譲歩、そして時間が必要となる。その上、必ずしも快方に向かう保障は無い。
「その内、ひょっこり出てくるわよ。あの人、あれでいて自分から約束した時は律儀に守るから」
「どっちの約束をですか?」
「自分に都合の良い約束が、都合良く解釈出来る方よ」
「あら? まるで戻ってきて欲しそうな言い方ですねえ。関係なかったのではないんでしたか?」
「意地悪ね、あなたって。分かっても黙ってるのが大人の礼儀よ」
「そのくらいのマナーは知ってますよ? でも、ルテラには敢えて口に出した方がいいんです。痛い所を突かれないと、本音を言わないじゃないですか」
「まるで尋問ね」
肩をすくめて困った表情を浮かべるルテラに、リルフェはからかうような笑顔でじゃれ付いた。ルテラが一先ず思いついた反撃は、その頭を軽く鷲掴みにして左右に揺らしてやる事だった。けれど、すぐにそれにも飽きて、ほんの数度揺さ振っただけでやめ、後はリルフェのやりたいようにさせておいた。
「や、お二人さん」
不意に前方の角から現れた人影。それは二人に向けて手を振って来た。
二人の元へ小走りで歩み寄る人影は、どこか仕草にぎこちなさが感じられた。まるで力を加減しながら歩いているような様子である。
「レイ? あなた、まだ寝てなくちゃいけないんじゃないの?」
「ただのベッドに、いつまでも僕を縛り付ける魅力はないんだなコレが」
そう、ヒュ=レイカは得意げにしたり顔で目を細めにやりと笑む。
ヒュ=レイカは浄禍八神格の一人『断罪』の座と交戦し、辛くも勝利を収めたものの全身至る所を切り刻まれた。その後、更に同じく『光輝』の座、そして十三番目の流派『北斗』とも交戦している。短時間ではないにしろ大量の失血は著しく体を衰弱させ、傷口も決して浅くは無く本来は歩くだけでもかなりの苦痛を伴うはずだ。にも関わらず、平然と普段通りの人を食ったような飄々とした表情を浮かべるヒュ=レイカ、しかもそう構えている理由が単なる退屈凌ぎということに、二人は呆れずにはいられなかった。
「で、どうしたの? それとも、ただの散歩?」
「いや、ね。実はついさっきの事なんだけど、シャルト君、目を覚ましたってよ」
すると。
ヒュ=レイカの言葉に、一瞬、場に重く沈黙が圧し掛かった。そして、すぐさまこの空気を良く通る独特のアルトが突き破る。
「ホントに!? それで大丈夫なの!?」
驚くほど声を荒げたルテラに、さすがのヒュ=レイカも首をすくめて目を見開いた。驚くとは思っていたものの、まさかこれほどの反応とは予想していなかったのである。
「大丈夫、大丈夫。まだうまく歩けないけど後はどこにも異常無いらしいよ。でも一応、これから病院で検査してもらうんだって」
「そういえば、確か病院はもう再開してましたっけねえ。大分混むんじゃないでしょうか」
「そうだね。とりあえず、もうリュネスと一緒に行ってると思うよ」
「そう……良かった、本当に」
ルテラは熱い安堵の溜息をつきながら、心の底から嬉しそうに微笑んだ。が、その目から不意に涙が零れ落ちる。それを慌てて拭ったのだが、涙は溢れる勢いが止まらず次から次へと流れ落ちた。
「あ、あれ……? どうしたのかしら、私……」
「嬉しかったんですよ。ほら」
リルフェはそんなルテラの頭をそっと抱き締めた。
案外、感動屋なんだ。
ルテラの姿を見たヒュ=レイカはそんな事を思い浮かべ、そして振り払った。ルテラはレジェイドと同じように、シャルトの事をいつも心配していた。それこそ本当の弟のようにである。だが当のシャルトは、人よりも抜けた性格云々は元より、安定剤を常備しなければならない後遺症を持っており、それがルテラにとって最も悩みの種だった。そう簡単に治るものではないと知っていたルテラは、現実的にシャルトが幸せになるようにと願っていた。やがてシャルトはリュネスと付き合い初め、きっと笑顔が増えるとかそんな変化があったのだろう、ルテラは自分の願いが叶いかけているように思ったのだ。今回の事件はそんな矢先の出来事だ。たとえ怪我をしていたとしても、こうして無事に生き残る事が出来て純粋に嬉しいのだ。生きていれば、幸せの続きを歩む事が出来るからである。それを涙を流して喜ぶ事は決しておかしな行為ではない。
そして、ひとしきり涙を流し余韻に浸って落ち着きを取り戻したルテラは、ややばつの悪そうな表情で顔を上げた。リルフェはわざとふざけた態度でルテラの頭を、よしよし、と子供をあやすように撫でた。ルテラは普通の反応をされるよりも茶化されたほうが楽だ、と笑ったまま肩をすくめる。
「それで本題なんだけど。今夜、ちょっとした晩餐会するってよ」
タイミングを見計らい、ヒュ=レイカはそう二人に切り出してきた。大分本格的に涙を流してしまったのか、ルテラの目元は赤くなっていた。普段は明るさと淡泊さを使い分けるめりはりのある振る舞いをしているが、涙腺は意外と緩いようである。再び笑顔を繕って見せるルテラの姿に、ヒュ=レイカはそんな事を考えた。
「晩餐会?」
「そう。場所は夜叉の中庭。大きな鉄板用意してるから、みんなで食べ物持ち寄って騒ごうって事さ。色々あってまだ混乱してるけど、まずは身内だけでも無事を確かめ合って結束を固めるとかそういうヤツだね。顔見知りはみんな集めるから、遅れないように」
「要するに、お酒を飲むための理由付けですね」
「リルさんはそういうのお嫌いでしたかな?」
「いーえ、むしろ望む所です」
にっこりと満面の笑みを浮かべるリルフェに、ヒュ=レイカも同じような笑みを浮かべ返し軽く拳をぶつけ合う。そんな二人のやり取りをルテラは、まるで子供が悪巧みをしているようだ、と思って口元を綻ばせた。
と。
不意に二人の顔から笑みがスッと消えると、同時にルテラの方へ向き直った。だが、二人の視線はルテラにではなく、飛び越えた更に向こう側へ注がれていた。何かを見つけてしまったかのような、そんな表情である。
一体何を見つけたというのか。
自分もまた振り返ってそれを確かめようとした時、一息早くリルフェが声を掛けてきた。
「お客さんですよ、ルテラ」
神妙な面持ちの二人。その仕草が振り返るよりも早く、ルテラの脳裏に二人が気づいた誰何の主の顔を浮かび上がらせた。
ゆっくり、綱の上を歩むかのようにルテラは振り返る。
心臓がトクトクと鼓動を早め、口の中が乾きねばつく。
自分には緊張する理由など何一つ無いというのに。
振り返ろうとする気持ちと踏み止まろうとする気持ちは最後までせめぎ合い続けた。
「あ、あのさ、ルテラ……」
そして。
たっぷりと三度の呼吸をする時間をかけて振り向いた先には、やはり彼の姿があった。
スファイルはうつむきながら伺うような目付きでこちらを見ていた。その仕草に、ルテラは昔の光景を思い出した。まだ付き合い始める前、スファイルはルテラの前でこんな仕草をしていた。拒絶される事を恐れている表情だ。
ルテラはちらちらとスファイルと二人とを交互に見やった。それは二人に対しての無言のサインである。
「私達なら邪魔しませんよお? ゆっくり話し合ってくださいな」
「ただし、遅刻はしないように」
幸いにも意図する所が通じたのか、それとも下手な勘繰りで必要の無い気を使われたのかは分からない。けれどルテラは足早にこの場を去って行く二人の姿に安堵を覚えずにはいられなかった。
「ごめん、その……なんというか心の整理がつかなくて、自分を落ち着かせてて。その……」
スファイルはろくにルテラの顔も見ず、おどおどと小さな声で早口に弁解する。あの異様なまでに殺気だった怪物然とした姿が嘘のようである。もしもスファイルという人物をよく知らない者であれば、きっと同一人物であるとは思えないだろう。
間違いない、私の知っているあの人だ。
ルテラは確信した。
スファイルという人間は、温厚で偏屈、自分勝手で我儘、素直で回りくどく、そして誰よりも孤独を恐れる。まさに今、目の前でおどおどと震えている人間だ。
すぐ目の前まで歩み寄ったルテラは、ぎゅっと力強く抱き締めた。不意を突いたルテラの行動に、スファイルは一瞬、驚きに目を大きく見開く。けれどすぐにルテラの体温により触れようと素直に身を任せた。
ぎゅっと肩から首にかけて腕を回し、頬と頬を触れ合うように頭を抱き寄せる。そして耳元に向かって優しくささやいた。
「おかえり」
TO BE CONTINUED...