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 守られるのは、もうやめようと思います。
 自分の身は自分で守らなくてはいけないのですから。
 あえて欲を言うなら。
 私は守る側になりたい。そう思います。
 だから、しばらくの間は決して振り返りません。
 寂しいでしょうけど、分かって下さい。




 とても人の住む所とは思えない―――もとい、私にはとても落ち着いて住めそうにないファルティアさんの部屋の徹底的な大掃除は、結局夕方近くまでかかってしまいました。
 ファルティアさんには私がまとめたゴミをゴミ収集所へ運んでもらう事を繰り返ししてもらいました。まずはこのゴミの山から片付けなければ、掃除どころか足の踏み場すらままならないのです。せめてもの救いは、ファルティアさんが料理をしないことで生ゴミの類が一切なかった事です。もしも生ゴミが長期間放置されていたのなら。考えたくもありません。
 そして足の踏み場、本来当たり前に見えるべきはずの床が見えてくるようになると、全ての部屋の窓を開放し、塵や埃を掃き集めて捨てます。ただその前に。ファルティアさんの部屋には掃除用具が一つもなく、それをわざわざ買い揃えなくてはいけない必要がありましたが。
 掃き掃除が終われば、次は拭き掃除です。床は一度も研かれた事がないらしく、色が完全にくすんでしまっていました。そこを、まずは洗剤で拭き、そして水拭き、最後に乾拭きするという三段階のやり方を用いて掃除します。それだけでも随分見違えるように輝きが取り戻ります。近い内にワックスもかけておいた方がいいかもしれません。取り返しのつきやすい内に。
 当然と言えば当然ですが、ファルティアさんにも掃除は手伝ってもらいました。というよりも、手伝わせたに近いかもしれません。とても私一人ではすぐには終わるような量でもありませんし、何よりもここはファルティアさんの部屋ですから。自分の部屋と思って使ってくれていい、と言うのであれば、私は如何なる清掃作業も辞しません。
 ファルティアさんは、一つ一つ私が教えなければならないほど、非常にやり方がぎこちありませんでした。おそらく、これまで掃除というものをした事がないんだと思います。住んでいる所が汚れていると病気にもなりやすくなります。にも関わらず、当然のように住んでいたファルティアさんはある意味凄いと思います。
 全ての清掃作業が終わり、動かした家具の位置を戻して。それでようやく私達は落ち着きました。あれほど燦々たる光景だったファルティアさんの部屋は見違えるように綺麗になりました。私はこの部屋に来て初めて深呼吸が出来ました。
 それから私は買ってきた材料で、粗末ながらも昼食を作って出しました。しかし時刻は夕方を回っており、昼食というよりも少し早めの夕食になってしまいました。食事をしている最中に、ファルティアさんが注文したという私用のベッドが届きました。埋め込みのクローゼット以外に何もなかった私の部屋にようやく家具が一つ入る事になります。そういえば、爛華飯店の方の私の部屋にはローテーブルが一つあります。荷物を取りに行く時に、それも持ってこないといけません。
 食事を終えて片付けが終わる頃。外はすっかり暗くなっていました。北斗には一定間隔で街灯があるので歩く分には困らないのですが、私の家の近くにはあまり街灯はなかったと思います。あまり遅くなってもいけないので、ファルティアさんとやや急いで爛華飯店へ向かいます。
 厳戒態勢の解けた南区は、しんと静まり返っています。いつもならばこの時間は沢山の人達があちこちの料理屋を賑わせているのですが。見覚えのある店々は軒並み真っ暗なまま閉められています。あの晩の事件の爪痕は、当分消えそうもありません。
 額にじんわりと汗が浮かぶほどの速さで、家には一時間ほどで到着しました。初め、凍姫には実家から通うつもりでいたのですが、これでは凍姫に到着した頃には疲れてしまいます。とても訓練になりません。やっぱり当分の間はファルティアさんの元へ身を寄せなくてはいけません。
 四年以上も住んでいた爛華飯店は、私の知っている姿のまま何一つ変わっていませんでした。けれど、私は本当にここがそうなのかと、現実を無視しかけた疑問を抱いてしまいます。やっぱりまだ、心のどこかでは両親の死が信じられなかったのだと思います。ここに来る時も、実はいつものように賑やいでいて、私はお母さん……チーフに早く着替えてきなさいと怒鳴られるのでは、なんて甘い想像を膨らませていました。やっぱり、もう両親はこの世にいないのです。この静まり返った爛華飯店がそれを証明しているのです……。
 ファルティアさんと一緒に二階へ上がりました。私の部屋は丁度廊下の突き当たりの所です。
 私の部屋もまた、あの時のまま何一つ変わってはいません。ただ、どこかくすんで見えて仕方ありませんでした。ここに住んでいたのは過去の自分だと、気持ちの整理をつけてしまったからだと思います。
 前に住んでいた村から移るときに持ってきたカバンを引っ張り出し、そこに着替えや荷物を入れていきました。けれど、すぐに入りきれなくなります。元々あまり物を持っていない私でしたが、服のサイズが変わったせいだと思います。仕方なく私は向かいの両親の部屋へ向かいました。同様にそこには誰の気配もありません。ふと込み上げてくる寂しさを押し殺し、お母さんのカバンを探します。前にお母さんが新しく買ったという大きなカバンを思い出したのです。カバンはクローゼットの下に置いてありました。お母さんの形見代わりに持っていこうと思います。それからテーブルの上には、タバコをやめて以来使わなくなったお父さんの灰皿と、三人で取った写真が入った写真立てがありました。その二つも持っていこうと思います。
 やがて荷物もまとめ終え、ファルティアさんの部屋に戻る……いえ、もう今日から私の帰る場所ですから、帰る、と言うのが正しいのだと思います。
 ファルティアさんに、私の部屋にあったローテーブルを持ってもらいました。部屋の事といい、私はファルティアさんにはお世話になりっ放しです。やっぱり私は一人では何も出来ない人間なのです。もっと頑張らないといけない。改めてそんな身の引き締まる思いにさせられました。
 もう、私はあの爛華飯店には戻らないと思います。今日はファルティアさんがいたので我慢出来たけれど、きっと一人で来たら―――。
 と。
「泣かないんだね」
 ファルティアさんが口を開きました。
 泣かないのは、強いという事ではないのです。
 ただ、泣いてしまうと。私はまたそこから歩き出すのに時間がかかってしまうから。だから、泣いている暇なんてないのです。私は一日でも早く、より前へ前へと進まなくてはいけないのですから。



TO BE CONTINUED...