BACK
まるで人気の無い山中のそこに不似合いな、なだらかに舗装されたその道を、俺はひたすら馬車に揺られていた。
車中には、信頼が置ける俺の部下が二人と向こうからの使いが一人。それでもゆったりと座っていられるほど、馬車は広く窮屈感を感じさせない作りになっていた。俺は馬車職人ではないので分からないが、とりあえず高そうな事は高そうだ。
「到着にはまだ時間はあります。お一つ如何ですか?」
と、白を基調とした簡素な服を着込んだ使いの男が、そっと俺にグラスを差し出してきた。彼の目の前のテーブルには、たった今保冷箱から取り出されたシャンパンの瓶がダラダラと汗をかいて立っていた。銘柄を見ると、金だけでは手に入らない貴重なものである。これ一本の値段で、ヨツンヘイムなら二ヶ月は暮らす事が出来る額になる。そんな貴重なものをあっさりと差し出してくる辺り、どうやら本部からの調査書に間違いはないようだ。なんでも、随分と金を溜め込んでいるらしい。
それは二日前、俺がいつものように夜叉の訓練所で隊員をしごいていた時だ。
ふと本部からのメッセンジャーが特命状を持ってやってきた。封筒は赤、最も急を要する非常に重大な内容である事を示すものだ。俺はすぐさま封を破り内容を確認する。そこに書かれていたのは、先日の定例会議で議題として上った、とある宗教団体の調査命令だった。
会議では、その宗教団体は戦闘集団を四つも抱え不穏な動きを見せている、といった内容の報告がなされた。防衛目的に戦闘集団を抱える宗教団体はヨツンヘイムにごまんと居る。クレリックが護身用にナイフを持つ時代だ。連中とて神の教えを忠実に守っていながらも、いざという時には何も助けてくれない事ぐらい知っている。そのための戦闘集団なのだ。
しかし、今回の場合はいささか勝手が違う。四つも戦闘集団を抱えたその宗教団体の実質的戦力は、間違いなく俺達北斗にとっても油断のならないレベルだ。北斗には警戒する程度だが、他の戦闘集団にしてみれば突如として巨人が現れたような心境だろう。それだけの戦力を防衛目的とするのはあまりに苦しい。連中が侵略目的で集めたと解釈するのがより自然と言えるだろう。
この宗教団体の内部調査、そして危険であると判断した場合の武力行使。これが俺に与えられた本部からの命令だった。まずは内部調査から始めなければならないのだが、当然の事ながら『北斗』の名前を出した所で向こうがそう安々と懐に招き入れてくれるはずがない。こっそり侵入するのもいいのだが、流派『風無』の連中とは違ってそういったスキルは俺にはない。そのため、俺は自分が入信希望者となる事で接触するという手段を取った。しかも、本部の方から必要経費として布施代は貰っている。高額の布施を収めれば歓迎はしてくれるだろう。そう短絡的に考えていたのだが、それは見事に大当たりだったようだ。
現在、俺はヴァナヘイムからマーケットをヨツンヘイムに作るためにやってきている青年実業家という肩書きを名乗っている。そして二人の部下は俺の助手という設定だ。幾らなんでも怪しまれるのではないかという不安感はあったが、そこは素人連中だ、こっちの細かな仕草の不自然さなどものの見事に気がついていない。かなり大規模な組織というらしいが、どうやら思っていたほど難しい任務でもないようだ。
俺はグラスを受け取って男に向ける。男はにっこりと微笑みながらシャンパンを開けてグラスに注ぎ始めた。その名に違わぬ綺麗な泡を浮かべるシャンパンだったが、それを注いでいるのが卑しく媚を売る中年の男だと思うと、何を飲もうと味が感じられない。一口、軽く含んでみる。杞憂だとは思っていたが、毒が混ぜられている気配はないようだ。もっとも、大概の毒には耐性が出来ているから、多少飲んだ所で致死量には遠く及ばないのだが。
ぷつぷつとしたシャンパンの感触を味わいながら、俺は馬車の窓越しに変わり映えのしない景色を見ながら今後の事について考えた。
やる事自体は至ってシンプルである。このまま高額寄付者として教団内部へ入り込み、その実態を詳しく調査する。そして例の、四つのお抱え戦闘集団が本当に防衛目的なのか否かを判別し、本当にそうであればそれで良し、もしも侵略目的の物証が断片的にも見つかれば、ただちに北斗へ連絡し総攻撃を行なう。とりあえず、あまり無理をしないで慎重に調査を続けよう。俺達は戦闘のプロではあるが、さすがにキレた盲信者が束になって来られれば、幾ら俺でもまともにやりあうのは少々危険だ。剣がなくとも戦闘手段は幾らでもあるが、一人倒すのに一秒でも、五人同時にかかってこられたら単純に五秒。そして素人が相手に一撃食らわせるのには三秒を要する。つまり俺が三人倒した時点で二人から攻撃を受けてしまう。当たり所が悪ければそれだけで終わりだ。そういった事態は最大限、回避出来るように努めておかなくてはならない。
「そういえば。我が尊士は、レジェイドさんに一度お目にかかりたいと申しておりました。長旅でお疲れでしょうが、到着したならばまず我が尊士にお会いして下さい」
我が尊士、ねえ……。
自分が相手にしているのは宗教団体だという、リアルに実感させられる言葉が男の口から飛び出す。普段は笑い事の部類に入る単語だが、それを日常的にしている人間の口から聞かされると、シュールさを通り越して恐怖に似た憂鬱さが込み上げてくる。自分は徹底して無神論者であるだけに、存在も不確かな神などという存在に心血を注げる人間は自分の理解を圧倒的に超越して恐怖すら感じる。価値観は十人十色とは言え、ここまで自分と正反対であるともはや同じ人間とは思えない。
きっと、連中は神様でも見たんだろう。自分の目ではなくて、錯覚か幻覚だ。それを都合よく頭の中で書き換えて理屈づけてしまえば、あっという間に熱心な信者の出来上がりだ。そんな連中が集団でやってこられると、ちょっとした怪奇現象である。幽霊なんかよりもずっと恐ろしい。
ま、今の所は歓迎ムードだが。帰りも同じようにシャンパンを飲ませてくれるかどうか。ある意味、ギャンブルだ。
TO BE CONTINUED...