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 夜叉の援軍により、これまで一方的だった雪乱の状況は大きく一変した。
 もはや各個師団は壊滅し、隊列も何も再編出来るような状態ではない深刻な被害を受けていた。指揮系統の崩壊は部隊そのものの総崩れを意味している。既にほとんどの雪乱隊員は、討ち死ぬかもしくは戦場から任意で撤退、つまり逃亡してしまっている。
 自軍の劣勢は鉋が木材の上を滑るように士気を削っていく。落ち込んだ士気は思考を戦闘に勝利する事よりも自らの保身へと向けさせる。圧倒的な戦力を持つ敵の大群を目の当たりにした時、保身を最優先とした場合の行動はたった一つに集約される。いかにこの場から迅速かつ安全に逃げ果せるか。北斗の人間としてはあるまじき行動ではあるが、北斗に属してはいえども同じ人間に変わりはない。自らの危機に保身を優先してしまうのは当然の発露である。
 しかし、その折に訪れた流派『夜叉』という援軍は、保身を最優先する隊員達の行動に強い抑制力を働かせた。
 もしもこの圧倒的な戦力差が、絶望を感じない程度にまで埋められる事が出来たならば。
 僅かに見出せた希望的観測は、保身の渦に飲み込まれていた北斗としての自覚を呼び覚ます。それと同時に、自らの行動を深く恥じた。猛省はそのまま次の行動へ強固な意志と大きな推進力をもたらす。反動にも似た、負から転ずる烈火の如き戦意だ。
 流派『夜叉』の面々は皆、精霊術法を使わず徹底的に鍛え上げた己の肉体のみで戦う。そのシンプルな戦闘スタイルは大山のような安定感を持ち、如何なる局面に立たされようとも屈強な肉体と精神は決して陰りを見せる事無く遂行まで戦い続ける。戦闘集団『北斗』がヨツンヘイム最強の戦闘集団に成り得たのは単に精霊術法の功績によるものだが、そんな精霊術法が主流となる現状で全く術式を用いずに同等以上の力を発揮する夜叉の存在は凄まじい脅威だ。
 夜叉が加わったといえども、まだ単純に倍以上の戦力差がある。しかし、個々の意識の差なのだろうか、押しているのは驚く事に夜叉の方だった。倍以上の敵を前に怯みもせず、次から次へと打ち倒していく。その姿に恐れを感じない者は少なくなかった。数は倍あれども、意気の強さに飲み込まれてしまったのである。
 もう一つ、夜叉が優位に立っている理由があった。それは、兵力だ。
 頭数は遥かに上回っているが、夜叉軍には著名な戦士が修羅、悲竜に比べて多くいた。
 頭目であるレジェイドは無論だが、そこには更に、守星のルテラとヒュ=レイカ、雪乱の頭目であるリルフェがいる。更にこの四人は普段から親交があるため実にスムーズな連係動作を取る事が出来た。個々の能力は改めて問うまでも無く優れたものであり、それらが臨機応変に連携を繰り出す事で何十倍もの威力を発揮した。
 彼らの存在は、味方にとっては非常に頼もしいが敵にとってはこれ以上の脅威は無い。絶望的な実力差ではないが、勝とうとした所でどうやっても適う相手ではない。その一方で、逃げる事に従事すればなんとか逃げられなくも無い。これほどの数を相手にするのだから、逃げる者までいちいち相手にはしてられないのだ。
 しかし、たった四人の人間がこれほどの大群を揺るがすという事実は俄かに受け入れ難く、頭目や守星という役職の人間がどれだけの実力を持っているのか、改めて思い知らされた。この場での再認識は、味方にとって実に心強いものである。彼らさえいればなんとかなる、という後ろ盾を得られると、たとえ壊滅しかけた部隊の生き残りといえども再び戦意が湧いてくるのだ。
 戦局は、ほとんど夜叉の気迫の飲み込まれていると言っても過言ではない状態だった。鋼のような肉体と精神を持つ夜叉の面々は、倍以上の数を目の当たりにしても臆するどころか勇猛果敢に立ち向かっていく。しかも個々の実力は頭目レジェイドに引けを取らぬ完成されたものであるため、飾り程度の術式ではまるで歯が立たない。術式同士ならばある程度駆け引きがあるので慣れているのだが、直接攻撃は同じ攻撃でもまるで勝手が違う。精霊術法に比べれば原始的な戦闘方法であるため、時には軽視される事もある直接攻撃。他三人はともかく、レジェイドを初めとする夜叉の原始的な戦闘方法に、何故これほどまで押されるのか。理解しようとする暇も無く攻撃の波は次々と襲い掛かる。
 部隊の最前線で突き進むのは頭目レジェイド。通常、戦闘の際には役職の高い者ほど後ろに陣取るものなのだが、夜叉の場合は一対一の果し合いは元より、基本的に強い者から順に並ぶ傾向にあった。そして何より、レジェイドには『頭目が示さなければ誰も付いて来ない』という信念がある。そのため戦闘の時も自分から率先して先陣を切る。彼の勇猛さは味方の士気を大きく高める。
「ねえ、そういえばシャルトちゃんはどうしたの?」
 ようやく勢いに衰えを見せてきた修羅と悲竜の合同軍。尚も戦意の喪失は無く立ち向かっては来るものの、勢いには明らかに違ってきている。そのため夜叉側も数では負けているものの、戦い始めよりは随分余裕が出来てきていた。
 最前線に立つ四人にもまた、随分と表情には余裕が見え隠れしている。
「ああ、あいつならリュネスを助けに凍姫の所へ向かったぜ。一人でもいいからどうしても、って聞かなくってさ」
 ルテラに訊ねられ、レジェイドは剣を奮いながら背中でそう答える。表情には苦笑いが浮かんでいた。
「ちょっと待った。夜叉から凍姫の方角には流派『白鳳』がいる。まさか本当に一人で行かせたんじゃないだろうね?」
 二人の会話にヒュ=レイカが割り込んできた。珍しく血相を変えており、驚きを露にしている。
「行かせたというか、行っちまった。行かせてくれなきゃ辞める、ってまで言い出すんだぜ? こっちはこっちで忙しいんだし、あいつ一人に構ってなんかいられねえさ」
「どうして行かせたりなんかしたの! バカッ!」
 レジェイドの飄々とした返答に、ルテラもこれまた珍しく声を荒げて怒鳴った。まさか怒鳴られるとは思ってもみなかったレジェイドは、驚きにびくっと背中を震わす。
「そう怒鳴るなよ。大丈夫だって。いつまでも子供じゃねえんだ。ならなんとかなる」
「なんとかって、そういう問題じゃないでしょう! 白鳳の本隊がいるのよ!? シャルトちゃんが捕まったらどうするの!」「ならねえよ。シャルトの方がずっと強い」
 答えるレジェイドの顔には、薄っすら笑みが浮かんではいるものの、決して冗談を言っている表情ではなかった。
 レジェイドは冗談の良し悪しをわきまえない性格ではない。この発言は心の底からそう確信しているからこそ言えるものだ。
 しかし、それだけでルテラは納得がいかなかった。レジェイドと違ってシャルトが日常どのような訓練をし、どのぐらいの強さなのかまで明確に把握していないルテラには、レジェイドの言う単純な強弱の理論よりも、シャルト一人に対する白鳳本隊という常識と現実を押さえた観点でしか見、考える事が出来なかった。
「バカッ! もう知らない!」
 レジェイドと言い合ってもなんの解決にもならないと判断したルテラは、最後にもう一度だけ激しい罵声を浴びせると、くるりと踵を返して走り出した。向かった先は今更確かめるまでも無く、シャルトの後だ。
「あーあ、怒らせちゃいましたねえ。幾ら女泣かせでも妹まで泣かせるのは如何なものかと思います」
 ぽかんとした表情でリルフェがレジェイドの背中をつつくような言葉を放つ。しかしそうしている間もリルフェは手を動かすのは止めず、次々と目の前の敵が飛んでいく。
「ったく、女ってのは心配性だよな。過保護でイカン」
 バツの悪さを誤魔化すかのように、レジェイドはわざとらしくふんぞり返った態度を取る。けれど、
「僕はルテラの言う通りだと思うな。この状況で立場も分かるけど、ちょっとレジェイドらしくないね」
 ヒュ=レイカがいつもの冗談めかせたものではない、淡々とした口調で返す。軽蔑にも似た眼差しだ。
 そのままヒュ=レイカは無言でルテラの後を追った。それが自分の抗議の言葉であると言わんばかりの様子だった。
「今の時代は男の子も心配性みたいですね」
 リルフェは何の気なしに放った言葉だったが、レジェイドにはそれが嫌味に聞こえて仕方が無かった。
 ヒュ=レイカはルテラ以上にシャルトの実力を知らないのだから、自分の言葉が俄かに信じられなくとも仕方が無いか。
 そうレジェイドは自分に言い聞かせ、ちくりちくりと痛めつけられた胸をさするように癒す。
「とにかくだ。早いとこ終わらせんぞ!」
 不自然なまでに大きな声で叫ぶと、レジェイドは猛然と敵の中へ飛び込んでいった。
 逃げた。
 そうリルフェは思った。別に自分には苛める意図は無かったのだが。そんな風に思われているのは心外だし、何よりもそんな事で逃げ出すレジェイドが軟弱である。やはり男性はいまいち芯が弱い。リルフェは改めてそう確信した。
 しかし、レジェイドが飛び込むよりも早く、突然敵の群れがさーっと二つに分かれた。
 その間からゆっくりと歩み出てくるのは二人の人間。
 一人は、薄青の制服を着たほっそりとした体格の青年。けれど決して痩せ過ぎて弱々しいイメージはなく、むしろ豹のような肉食動物の俊敏さを思わせる。その腰にはエスタシアと同じように二本の剣を携えている。デザインも意図して似せているようだ。
 もう一人は、真っ黒な制服を着たツインテールの少女だった。実年齢は分からないが、リルフェよりも幼く見える。顔立ちは愛くるしいと呼べそうなのだがまるで表情というものが無く、ただ機械的に目が左右するだけである。
 流派『悲竜』の頭目と、流派『修羅』の頭目だ。レジェイド達の猛進撃にこのままでは埒が明かないと踏んだのか、いよいよ頭目が直々に相手をするようである。頭目の相手は、頭目、もしくはそれに順ずるほどの実力者でなくては務まらないのだ。
 青年は目にも止まらぬ速さで双剣を抜くと、それぞれを下段に構えて静かに佇んだ。何から何までエスタシアと同じ仕草である。おそらくエスタシアに剣術のいろはを習ったのだろうか。
 彼の視線は終始、レジェイドの方に向けられている。露骨な殺気がレジェイドを取り巻いた。レジェイドは彼と面識はあったものの、定例会議で顔を合わせるぐらいでそれほど係わり合いがある訳ではなかった。にも関わらず、何故自分は親の敵のようにこれほど睨まれているのか。ただただ、はて、と首を傾げる他無い。
 ツインテールの少女は長過ぎる袖をまくり、その手を露にした。あどけない外見通りの小さくほっそりとした白魚のように弱々しい手だが、それを軽く眼前に構えると二人を威嚇するかのようにゴキゴキッと鈍い音を鳴らした。機械的な視線は一切の人間らしい温かみが排除されて冷え切り、体のどこから取り掛かれば効率良く解体出来るのか、という修羅独特の戦闘術の思考をしている。
「さて、第二ラウンドの始まりだな」
 ようやく現れた真打にレジェイドは不敵に微笑むと、大剣をゆっくり正眼に構えた。呼吸を整え、脈拍を下げる。呼吸が落ち着くと感覚が鋭くなり、自然と集中力が増した。剣術にとって集中力は重要であり、気持ち一つでこれまで切れなかったものが切れるようになったりもする。
 集中力が高まると、手にしている剣までもが自分の体の一部のように感じ始めた。まるで自分自身の神経が通ったかのようである。この状態を作り出せるか否かで、自分がイメージした通りに戦えるかどうかが決まる。今日は実に良いイメージを作る事が出来た。これなら最高の状態で戦う事が出来るだろう。
 だが。
「最近思うんですけど、レジェイドさんって何を言ってもヤラしく聞こえるんですよね。どうしてでしょう?」
 そんなリルフェの安穏とした声が聞こえてきた。せっかく鎮まった自分の血流が、俄かに速まっていくのをレジェイドは感じた。
「少しは緊張しろ!」



TO BE CONTINUED...