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「このまま一気に総括部へ向かいますよ。狙うは首謀者の首一つです」
 総括部へと続く、左右を切り立った崖に挟まれた一本道を直走る集団。その戦闘を駆るのは、赤茶けた斑模様を浮かべた真っ白な雪乱の制服を身に纏ったリルフェと、やや長い前髪を風に揺らすスファイルの二人だった。
「あと、戦力的にはどれだけ残ってると思います? 年長者の意見を聞かせて下さい」
「年長って、そんなに歳は変わらないと思うんですけどね……」
 そう青年は口を尖らせる。わざと子供じみた態度を取っておどけてみたのだが、当のリルフェはぴくりとも表情を変えない。そんな素っ気無い反応にスファイルは眉を潜める。
「まあ、いいですけど。一先ず、大よそ戦力の半分は先程の戦闘で倒したと考えて良いでしょう。特に浄禍八神格を二人も倒せたのは士気にも良い影響を与えます。ここへ来る途中、白鳳の連木氏に『怠惰』の座も引き受けて頂きましたので、残る八神格は五人。ただ一つ、天豪院氏の事は残念ですが……」
 そう視線をうつむけて、スファイルは余計な事を言ってしまったと心の中で自分へ舌打ちする。けれど、スファイルがそうした一番の理由であるリルフェは、特にこれといった表情の変位を見せなかった。
 残った北斗派の軍団を率いたのはこのリルフェだが、そのきっかけを作ったのは既に前線を退いているはずの、前夜叉頭目である天豪院空恢氏である。当時、北斗の史上に名を連ねる名将と謳われた空恢の持つ統率力やカリスマ性は老いて尚衰えを知らず、辛うじて窮地を脱出したとはいえ絶望の縁に立たされていた北斗派の面々の闘志を、瞬く間に奮い立たせたのである。
 空恢は先程の浄禍八神格の一人である『聖火』の座と相対し、壮絶な剣技を持って見事打ち破ったものの自らが技の反動に耐え切れず、そのまま殉職という形で戦列を離れる事になってしまった。戦力の乏しい北斗派において空恢の死は大きな痛手である。八神格の存在は反乱軍を鎮圧するに当たり最も大きな障害の一つであるため、その一角を落としたという事は重要な意味を持つ。だが、それを踏まえたとしても引き換えにするにはあまりに損害は大きい。
 しかし、一番危惧していた士気の低下は以外にも全く兆しを見せなかった。そればかりか、空恢氏の離脱をきっかけに全体の意識がより強く繋がり引き締まった感すらある。北斗の著名な戦士の殉職に、北斗が迎えている危機の重大さをようやく理解出来たからなのだろうか、疲労こそ蓄積してはいるものの精神的には流派の隔てなく一丸になり非常に充実していた。初めこそぎこちなかった連携も、今ではほとんど不安要素は無い。
「反乱軍にしてみれば、浄禍八神格が敗れるなどという事態など想定していなかったでしょう。それだけに受ける精神的なダメージは甚大です。ですが、これ以上浄禍八神格と事を構えるのは得策ではありませんね。反乱軍の指揮系統を要所要所分断して行き、頭単位で叩いていく方針で行きましょう。こちらの戦力は非常に限られているのですから」
「ああ、戦術指南は結構です。雪乱の方が兵法の研究は進んでますから」
 そうですか、とスファイルは眉を潜めて唇を尖らせ視線を落とす。そんなに冷たい言い方をしなくても、と言わんばかりの拗ねた表情だ。
 北斗軍は一直線に総括部へと向かっていく。
 かつて北斗を象徴する双璧であった十二衆は二つに分断され、もう一つの総括部は全機能を失ってしまった。今ある総括部はただの建物にしか過ぎず、言い方を変えれば反乱軍の拠点である。その拠点に、反乱軍を率いて北斗に反旗の牙を剥いた青年、エスタシアがいる。一同の最終目標は、他ならぬ彼の首だった。首謀者さえ討ち取ればこの騒乱に終止符を打つ事が出来るのである。打った所ですぐさまいつもの日常が帰ってくる訳ではないのだが、少なくともエスタシアの掲げる独裁的な富国強兵主義へ盲進する事態だけは回避出来るのである。
「一つ頼みがあるんですが」
「なんでしょう?」
 互いに視線を前方へ注ぎ走る事を優先させているため、視線を合わさずに言葉を交わす。それもただ耳に届くだけの最低限の声量しか出していない。
「首謀者は僕にやらせて下さい。僕が決着をつけたいのです」
 そう真剣な眼差しで語るスファイル。だが、
「嫌です」
 と、リルフェはあっさりと一言でその要求を切り捨てた。
「何故です? あなたは人の気持ちが分かる事で有名な頭目と評判じゃないですか。僕の気持ちも分かって下さいよ」
「私、ぶっちゃけあなたの事が嫌いなんですよね」
「どうして? 僕、何か悪い事しました?」
「私の可愛いルテラを無断で取っていきましたから」
 沈黙。
 二人の間に重苦しい空気が漂う。リルフェはそれ以上言葉は口にしない、といった面持ちを浮かべ、そしてスファイルは何と切り出したらいいのか模索するような表情を浮かべている。
「……そうですか。それはすみません」
 そして、ようやく口をついた言葉はそんな有り触れた謝罪の言葉だった。けれど、
「冗談ですよ、もう。相変わらず真剣なのかアホなのか分からない、微妙な人ですね」
 憮然とした表情でリルフェは言い返す。
 その口調には少なからずの苛立ちが感じられた。理由は不明だが、明らかにその対象はスファイルに向けられている。
 またしても、そうですか、と微苦笑を湛えながら、スファイルはしばし沈黙に付す。そして、ようやく総括部の屋根が見え始める頃、スファイルは一方的に口火を切った。
「僕は一度、彼に負けました。それは単純に実力が及ばなかっただけなのか、肉親を斬る覚悟が無かったのかは分かりません。でも、今は違います。僕は覚悟を決めてきました。だからお願いです。彼と一対一でやらせて下さい」
「弟の恥は兄が責任を持って雪ぐと? 殊勝な心がけですね。馬鹿は死ぬと治るのが定説ですけど」
「誰にも見られたくないんですよ。弟を殺す姿なんて。それだけです。他意はありません」
 スファイルは冗談とも本気ともつかぬ声色で微笑んでみせる。それはリルフェに向けたものではなく自分、自らの愚かさを嘲笑うかのような笑みだ。
「五年前、どうしてあなたが死んだ事になって、今ここに生きて姿を現したのか。あえて私は根掘り葉掘り聞きませんけど、これだけははっきりさせて下さい。覚悟を決めただけで本当に勝てるんですか? 五年も行方をくらませ、今更のこのこと出てくるような人間に、北斗の進退を任せて良いんですか? 少なくとも私なら任せません。北斗はただ強いだけの戦闘集団じゃありません。必ず守り通すという責任感があってこそ、初めて最強足り得るんです。私は一体あなたのどんな行動に言葉に、理屈抜きで信頼出来る責任感を見出せば良いのですか?」
「確かに無責任と罵られても仕方の無い立場です。ですが、僕は勝利だけは確実に約束します。他は何一つ役には立たないでしょう。だからこそ、勝利だけは絶対に保障します」
「つまり、必ず勝つから黙って信じて下さい、という事ですか? 虫のいい話ですね」
「情に訴えるのも不本意ですが、そういう事です」
 溜息が一つ。
 リルフェの口から放たれたそれは、熱い熱と苛立ち、そして僅かな呆れを孕んでいた。自らを冷静に保つべく、そういった主観と固定観念を生みかねない感情を吐き捨てたかのような行為である。
「何にしたって、あの人に勝てそうなのはあなたぐらいしかいませんからね。ただ、とても強いですよ。彼はたった一人で羅生門の番人を倒したそうですから。八神格も従えるぐらいですし。どっちみち、私には勝てっこないことも分かってますし。いいです、任せますよ」
「助かります」
 望み通りの返事を得られたスファイルはリルフェに感謝の意味を込めて微笑みかけた。しかし、相変わらずリルフェの視線は前方に注がれたままである。それは自身の行動を最優先の目標に集中させているからと言うよりも、むしろスファイルから意図的に視線を逸らしているように見えた。
「そういえば、反乱軍の残りの戦力には凍姫のがいましたね。あなたとも縁の深い、あの三人」
 こくりと神妙な面持ちで頷くスファイル。
 その反応は無理も無いだろう、とリルフェは思った。どれだけ密な関係だったかまでは分からないが、かつては自分の教え子だった三人が北斗を転覆せんと反乱軍に加わり、そして自分はその反乱軍を鎮圧する北斗派に立場を取っているこの構図は、他にたとえようのない列記とした敵対関係だ。おそらく久方ぶりになるであろう再会が戦場で、しかも敵同士という状況に何の感慨も抱かないはずはない。
「一つ疑問なんですけど。どうして急に彼の元に人が集まったんでしょうね。少なくとも凍姫なんて、あれでも信念は持ってるからそう簡単になびいたりしないと思うんですよ。そりゃあファルティアは元々首ったけで、そういう恋愛感情でやっちゃったと言っても不自然じゃないですよ。でも、リーシェイやラクシェルなんかは、そういうファルティアの行動を黙って見過ごすはずがないし、ましてや自分達まで寝返るなんてちょっとおかしいと思うんです」
「それは仕方無いんです。これは全て、彼が所有している神器の力のせいですから」
「神器っていうと、ニブルヘイムなんかで作られてるあの?」
「ええ。彼が持っているのは神器『シビュラの託宣』、ニブルヘイム国内では製造を禁止されている違法な神器です」
「一応、遅刻してきたなりに調べてるんですね。それで、どうしてその神器は違法になったんですか?」
「シビュラの託宣は、人間の表層意識に自分へ対する絶対的な忠誠心を埋め込みます。所謂、精神のコントロールですね。それで人道的な観点からそういった精神を操作する神器はニブルヘイムに限らず世界的に禁止されてるんですよ」
「なるほど。入手ルートも、とても真っ当なものじゃなさそうですね。けど、それだけで寝返るものでしょうか? 忠誠心って理由が無ければ生まれないと思います」
「人間の記憶なんて曖昧なものなんですよ。忠誠心という結果が出来ている以上、自分で自分の記憶を納得の行くように無意識で改竄してしまう事だってありますから。それよりも僕は、そんな下らないものを使ってファルティアまでを弄んだ事が許せない。彼女の気持ちも考えず、そんなものを使って操るなんて」
 リルフェは、普段はしまらない表情で緩く構えるスファイルの中に、烈火の如き激しさで燃え滾る怒りを見たような気がした。だが、それに対する戦力的な期待感は皆無に等しかった。北斗に反旗を翻した存在に対する怒りを抱く自分に対し、スファイルは明らかに肉親へ対する至極私的な怒りを燃やしている。私的感情を交えると主観が強くなり視野が狭くなる。大局の見えない戦士は統率を乱し部隊へ要らぬ混乱も招きかけないのだ。
 だが、そんな自分の精神状態を把握していたからこそ、スファイルは単独行動を望んだのかもしれない。何の根拠も無い推論だが、そうリルフェは考えそのあま胸の奥へ仕舞い込んだ。
「でも、いつまでも続く訳じゃありません。夜明けと共に神器の全ての効果は途絶えます。その時が彼の最後です」
「四面楚歌、という訳ですか」
「ええ。だからお願いがあります。出来るだけ誰も殺さないで下さい。彼らはみんな操られているだけなんです。夜明けになれば自然と目が覚めますから。現実的に犠牲をゼロにする事は難しいと思います。ですが、どうか善処して下さい」
「お願いするばっかりですね。人をアテにするばかりで自分は好きな事をする男性を、一般的にヒモと呼びます」
「それでも構いません。僕のプライドは別な所にありますから」
「厚顔とも言いますよ、それは。そうだ、せっかくですから私からも条件を出しましょう」
 なんでしょう、と小首を傾げるスファイル。するとリルフェは、恐らく初めてであろう、スファイルの目を真っ向から睨み付けた。
「ルテラにはちゃんと顔を合わせて下さい。そして、拒絶されたら二度と北斗には来ないで下さい」
 肌寒さすら感じるほど、リルフェの眼差しは冷たい殺気を帯びていた。スファイルは表情を正し息を飲んだ。
「ルテラはあなたのせいで辛い思いをしてきたんですから。私はいい加減、ルテラがあなたの呪縛から解放されて欲しいんです。あなたの存在がある限り、ルテラはずっとあなたの影ばかり引き摺って一生幸せにはなれません。もしも約束が守れなかったら、私が直接手を下しますからね。憶えておいて下さい」
 スファイルはすぐには答えず視線を落とした。
 決して無表情という訳ではなかったが、何を考えているのか窺え難い、起伏の乏しい表情だった。だが僅かながら本心の片鱗が瞳からは漏れ出ているように見えた。それに対し憐憫を感じたリルフェだったが、あえて目をそらした。
 そして、
「分かりました。約束します」
 そう真摯な表情でスファイルははっきりと答えた。



TO BE CONTINUED...