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これでようやくゴール地点に辿り着いた。
いや、厳密に言えば少し違うのだけれど、もう到着したも同然。
ずっと私はそう思っていた。
多分、幸せ過ぎて頭が麻痺していたのだろう。
思い出すだけでも恥ずかしい、あまりに夢中になっていた時期。
でも、幸せを噛み締めていたのは本当のコト。
あの頃の私達。幸せだったよね?
「ちゃんと話したら分かってもらえたよ」
夕刻。
ルテラはスファイルに肩を貸しながら西区の歩道を歩いていた。今の時刻は、買い物や仕事帰りの人でごった返す。当然、二人のそんな姿に視線を向けない者は少なくなかったが、すぐに興味を失い己の目的に従う者が大多数だった。
「なに言ってるの。足腰立たなくされてるじゃない」
「これがきっとお兄さんの信頼の証なのでしょう。女性に男の世界は分かりません」
しかし、ルテラの知る限りでレジェイドが親しい人間にそういった形で信頼の意を表現した事は一度もない。むしろ、こういった暴力沙汰にはあまり積極的ではない人だ。きっと、自分が本当にいなくなるから寂しくて、それでスファイルに八つ当たりをしたのだろう。あの人はそういう人だ。
スファイルは一人で歩けないほど、ぼろぼろにやられていた。しかし、食らった攻撃は目立たない腹周辺に集中している。顔には傷一つついていないため表面上は何の負傷も見られないが、実際スファイルの体は痣だらけになっている。こうして自分の足で歩いているのも不思議なくらいだ。
「ごめんね。うちのお兄ちゃん、過保護な上に子供っぽくって」
いえいえ、と首を振るスファイル。しかしその笑顔も随分と弱々しい。兄は相当手加減なく殴ったのだろう。何もここまでやる必要はないというのに。全く、困ったものだ。
「でも、これでようやく肩の荷が降りたね。後はもう何も問題はないよ」
「あら? あなたの方は片付いたのかしら?」
するとスファイルは少し驚いたような表情で問い返して来た。
「だから、凍姫の方よ。辞める手続きはしたの?」
「ああ、それならいつでもいいから。だって辞表をエライ人に出すだけでしょ?」
ルテラが雪乱を辞めたのは、スファイルと話し合っての事だった。
同棲する際に、もっと落ち着いた生活をするため二人の時間を出来るだけ多く確保しておきたい。それは二人とも全く同じ意見だった。しかし現状の役職である頭目は、毎日のようにあらゆる仕事が積み重ねられるため、自由な時間というものは非常に少ない。そのため、二人は頭目を辞める事にした。それに一般人を巻き込みこそしなかったが、雪乱と凍姫の抗争が多大な被害を及ぼした事は弁解のしようがない事実だ。その責任を取る、という意味を添えれば世間にも突然の辞職の言い訳が立つ。
何も折角の頭目という地位を捨ててまで、時間を作らなくても。同じ場所に住んでいれば嫌でも顔を合わせる事になるのだから。けれど、二人は我慢が出来なかった。今は一分一秒でも長く居たい。それだけしか考えられなかったのだ。
「凍姫には頭目よりも偉い人がいるのかしら?」
「……あ」
しまった、と顔を凍らせるスファイル。
どうもこの人は抜けている。ルテラは小さく吹き出した。
「だったら早くしなさいね。辞表の提出は北斗統括部。必ず後任候補のリストも添えるのよ」
「それと、守星のもあったなあ」
スファイルとルテラはそれぞれの流派の頭目を辞めるが、スファイルだけは新たに守星の役職につく事にしていた。守星とは、北斗市街の各区を遊回して外部からの襲撃へ真っ先に抗戦する事が仕事だ。勤務時間は非常に不規則で危険性も高いのだが、それに見合った賃金も支給されていない。守星とは北斗の防衛体制で最も重要性の高い役職だ。もしも高い賃金を与えれば、それを見返りとする人間が必ずしも現れないとは言えない。危険性に見合った報酬が用意されてなくとも勤めようとする、心から北斗を防衛しようとする人間でなくてはいけないのだ。危険性につりあわない給金がなければ誰も勤めようとする人間がいないと思われがちだが、実際は北斗歴代の実力者の大多数が守星に在籍している。そのため、いつしか守星は北斗の名誉職と呼ばれている。
わざわざそんな割に合わない役職にスファイルが就こうとしているのは、守星の唯一にして最大の利点である自由度だ。守星は外部からの襲撃がなければ、基本的に何をしていても許される。有事の際に迅速かつ的確に対処出来れば、それ以上の事は求められないのである。
「何だか夢みたいだ。何もかもが上手く行き過ぎて怖いぐらいだよ」
「また。実はそんな事なんかこれっぽっちも思ってないくせに」
「そんな事ないよ? 僕は本当にルテラとこうなれるなんて思ってもみなかったから」
冗談ばっかり。
ルテラは微笑みながらスファイルを小突く。あの自信満々な態度はどこにいったのだろうか。
でも考えてみれば。雪乱に入ったばかりの頃はまさか自分もこんな辞め方をするなんて思ってもみなかった。そして、それを決心させたのがこの人になるという事も。しかも、さもない日常の一片にしか過ぎないだけの存在だった彼が、自分にとって掛け替えのない大切な存在になるなんて。何もかもが信じられないものばかり。けど、人生というのはそういったものを寄せ集めて出来ていくのだろう。だから先の事は誰にもわからないのだ。
「明日からは一緒だね」
そうだね、とスファイルは微笑んだ。
その温かな笑みはいつも心を優しく包み慈しんでくれる。
ここがずっと捜し求めていた私の場所。
ルテラは傍らにあるスファイルの体温を感じながら、何度も何度もそれを心の中で反芻した。
いつまでもこの時間が続けばいい。
ずっと、いつまでも。
TO BE CONTINUED...