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もう、何も考えられません。
ただただ怖くて。
頭が真っ白です。
一体どうしてこんな事になってしまったのだろう……。
きっと、私は不幸な星の下に生まれたのかもしれません。
自分がこれからどうなるのか。
心の底から嫌だったけれど、はっきりと分かっていました。恐ろしい想像。けれどあまりにリアルに頭の中に浮かび上がります。その鮮明さは暴力的です。
「嫌ッ! やめてください!」
私は身をよじりながら、しきりに取られた腕を取り返そうともがきます。しかし、
「せいぜい抵抗するこった。その方が張り合いがある」
にやりと私に向かってほくそ笑む、二人の男の人。
その表情に私は悪寒を憶えました。
二人は私を無理やり廊下の奥へと連れて行きます。何のためかなんて、今更問う必要もありません。丁度廊下の奥には倉庫があります。おそらく二人はそこを見つけるでしょう。そして私共々その中に入り―――。
考えたくもありません。こんな見ず知らずの人間の思うが侭にされてしまうなんて……。
もっと抵抗すれば、逃げ出す機会も作れたかもしれません。けれど、体が動きません。掴まれているのは腕だけです。しかし、全身が恐怖に捕まっています。体はブルブルと小刻みに激しく震え、心臓はあまりの恐怖に高鳴りを打ちます。私はただぐっと奥歯を噛み締め、状況の流れる方へ自らの命運を委ねるしかありません。ただ自分を保つ事だけで精一杯です。
『やめてくれ! 娘だけはどうか―――がっ!』
その時、私の背後、お店の方からお父さんの声が聞こえてきました。しかしその必死の訴えも、おそらく途中で殴られたのでしょう、空気の漏れるような音と共に途切れてしまいました。その事で、より私の中の恐怖が膨れ上がります。完全に理性が恐怖の黒一色に染まり、何も考えることが出来なくなります。
「おうおう、やられちまったかもなあ。それにしてもあっけねえな、こうも簡単に入ってこれるなんてよ。ヨツンヘイム最強とか言ってる割には大した事ねえじゃねえか。とんだ見当違いだったぜ。このままなら、俺達先行部隊だけでも落とせるんじゃねえのか?」
「アホ。そう簡単にいくか。まだ北斗のヤツラは出てきてねえだろうが。第一北斗ってのはな、力もねえ一般人を大勢抱えてんだよ。こんな風にな」
と。
「痛っ!」
私の右腕が強引に捻り上げられました。その苦痛にうめく私の様子を見て、二人はさも愉快そうに笑います。
抵抗しても、すればするほど右腕が悲鳴を上げます。この力を前に、私の抵抗なんてあってないに等しいのです。この瞬間ほど、自分の無力さを苦く噛み締めた事はありませんでした。なんて私は無力なのだろう? と。
正義を掲げるには、それ相応の力がなくてはならないヨツンヘイムだからこそ、それは当然のことだけれど。恐怖の中にほんの少しだけ、悔しさが芽生えました。彼らの理不尽な暴力に、そしてそれへ何の対抗する手段の持たない自分に。
「おら、入れよ」
そして。
廊下の突き当たりにあった倉庫にやってくると、私は中へ突き飛ばされるように入れられました。転んだ痛みを感じる間もなく、倉庫内にバタンという分厚い金属で作られた扉の閉まる重苦しい音が響き渡ります。続いて、ドアをロックする音が聞こえました。その音は、更に奥深く絶望の淵へ私を追いやります。
振り返れば、そこにはあの二人が不気味に微笑みながら私を見ていました。
逃げなきゃ。
ただそれだけが頭の中で渦巻いています。私は這いずるように起き上がり、倉庫の奥へ駆けます。けれど、ここは建物の中の倉庫です。二、三歩も歩けば奥に突き当たってしまいます。そもそも一つしかない出口を押さえられているのに、一体どこに逃げるというのでしょうか。
「じゃあ、俺が先な。この間の借り返せよ」
「またか? ったく、しゃあねえな」
不気味な笑みを貼り付けたまま、二人がゆっくりと私の元へ歩み寄ってきます。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
恐怖で思考が空転します。ただ恐怖だけに支配され、目の前の二人から少しでも遠ざかろうと背中を壁に押し付けます。しかし、二人は私に近づいて来る一方です。距離は広がらず縮まるばかり。心臓が口から飛び出しそうなほど速い脈を打っています。
「こっち来いよ」
にゅっと野太い腕を伸ばすと、私を無理やり引き寄せます。そして、そのまま無理やり床に押し倒されました。
もう、怖くて声も出ません。ただ、少しでも遠くへ逃げようともがくだけです。
「どうせ逃げられやしねえぜ。助けを呼んだって、北斗様も来やしねえ。あんだけ派手に合図したんだがな。それともヨツンヘイム最強なんてハッタリだったのか?」
くくく、と油の切れた機械のような笑い声。
一人が床に倒されている私の頭側に回り、両腕を万歳の形で押さえ込みます。私は足をばたつかせて抵抗します。しかし、すぐにもう一人の男にその足も押さえつけられます。もはや自由に動くのは首から上のみです。それで何が出来ると言えば、声も出せない私に何も出来ることはありません。
「ほれ、泣けよ。俺はな、悲鳴を上げさせてながら無理やりヤるのが好きなんだよ」
悲鳴なんて出るはずもありません。とっくに私の喉は恐怖で塞がっているのですから。
「チッ……いいから泣けってんだよ!」
と。
男は私の襟元を掴むと、そのまま無理やり服を引き裂きました。
……あっ。
二人の前に下着姿の自分の体が露になります。誰にも見せたことのない自分の姿。それを力ずくで晒された事への屈辱も恥ずかしさもなく、ただただ怖いだけでした。今すぐにここから逃げ出したい。でも、それが不可能な事も分かります。
「つまんねえな。うんともすんとも言いやがらねえ。まあ、いいさ。やる分には一緒だ」
二人は私をただの物としか見ていません。自らの欲望を満たすだけの物。それが私の恐怖を最も掻き立てるものです。
こんなの、絶対に嫌だ。
逃げ出したい。
でも逃げられない。私には力がないから。
力がない人は、強い人に守られるだけでしか生きていけません。
その庇護を失うと……末路はこうなのです。
―――と、その時。
ドンドンドン!
「ああ?」
倉庫の扉が激しく外から叩かれました。同時にガチャガチャとノブが動きます。それはまるで倉庫の中に私達がいることを知っていて、自分も中に入ろうとしているみたいです。
「なんだ、仲間に入れて欲しいのか?」
「放っておけ。順番待ちが長くなる」
しかし二人は扉に見向きもしません。どうせ扉にはカギがかけられているのです。幾ら入ろうとしても、カギを外さない限り鋼鉄の扉は決して開く事はありません。
もう……駄目なんでしょうか?
どうしてこんな……。
ようやく、私は恐怖と悔しさ以外の感情が込み上げてきました。それは悲しみでした。どうしようもないほど泣きたい気持ちです。どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。ただそれだけの悲しみでした。
と。
ドォン!
突然、倉庫内に凄まじい音が鳴り響きました。
「な、なんだ!?」
尋常じゃない。慌てて私の足を押さえていた男が振り返ります。するとその先では、倉庫の扉が外側から内側へ御椀状に膨らんでいました。こんな事、普通では決してあり得ません。倉庫の扉は凄まじく頑丈な金属製なのです。それがああも簡単にへこむなんて……。
ドォン!
ドォン!
轟音は何度も繰り返し響きました。そのたびに扉が内側へ大きく軋んでいきます。扉は決して柔らかいものではないのに。まるでパイ生地か何かのように、見る見るうちに変形していきます。本当に鋼鉄製だったのか疑いたくさえなってしまうような光景です。
「お、おい……何だよこれ」
「知るかよ……。おい! 誰だ! 悪ふざけはやめろ!」
二人の表情に焦りの色が浮かび上がります。上擦った声で扉の向こうへ呼びかけますが返事は全くありません。そのため二人の焦りの色はより色濃くなっていきます。そんな様子からすると、扉の二人の仲間ではないようですが……。
しばらくして、急にピタッと音が鳴り止みました。まるで嵐が過ぎ去ったかのような静寂が戻ります。
「な、なんだ……諦めやがったのか」
そう安堵の溜息をついた、刹那。
ガシャン!
再び、今度は金属のそれではない音が倉庫内に響き渡りました。見ると、扉の横の壁を突き破って人間の手が飛び出していました。これも普通ではありえないことです。壁はさすがに金属製ではありませんが、決して人の指が通るような柔らかいものではありません。扉のそれ同様、普通ではありえない異常な現象です。
その人間の手は壁を崩しながら扉を横からがっちり掴みます。壁を豆腐のように崩しながら扉に向かって突き進むその様は私の常識を遥かに逸し、もうただただ呆気に取られるだけです。
「なんだよ一体! 誰なんだよ!?」
遂に二人は悲鳴のような声さえ上げてしまいました。私は以前と腕を押さえられているので動けませんが、体をばたつかせることすら忘れてしまい、その光景に目を奪われています。
壁を安々と崩していったその手は、掴んだ扉を強引に内側へ引っ張り始めました。まるで金属であるはずのそれを引き千切ろうとするような勢いです。常識で考えれば、そんなことはありうるはずがないのですが。不思議とそんな普通ではない事も成し遂げてしまいそうな勢いと力強さがあります。
その手は決して普通の人より一回りも二回りも大きい訳ではありません。指も細く、薄がりながら肌の色も色白に見えます。そんな繊細そうな手が、これほどまでの豪放な破壊行為をするなんて。夢でも見ているのではないのでしょうか?
そして、遂に鋼鉄の扉は、ずしん、と重厚な音を立てて倉庫の中へ倒れます。同時に粉塵が立ち込め、入り口付近をもうもうとぼやけさせます。
薄っすらと人のシルエットが見えました。それは決して大きくはなく、むしろ小柄とも呼べる小さな影。
私はその影の主を知っていました。
だからでしょうか。
急に胸の中に嬉しさと開放感が込み上げてきました。
そしてシルエットは粉塵の中からゆっくりと歩み出―――。
「貴様ら……!」
シャルトさんは、ぎりぎりと歯を鳴らしながらこちらを睨みつけています。恐ろしいほどの殺気。戦い方とかあまりよく分からない私でさえ、それが見えない空気の渦を作り出しているのをはっきりと感じ取れました。倉庫内の温度が、シャルトさんの出現によってぐっと下がったような感さえあります。
ふと。
シャルトさんは唸るような声を漏らすと、急に右手で額を押さえてその場に屈み込みました。右手でギリギリと額を押さえながらも、左手が体をまさぐって何かを探します。やがてポケットから何かを取り出すと、それを口に運び、バリバリと噛み砕く音が聞こえてきました。よく見えなかったのですが、シャルトさんが持っていた何かを取り出し、口の中に入れた事だけは分かります。
シャルトさんはどうしたのでしょうか? 一見するとまるで具合が悪そうに見えますが、倉庫内に充満する殺気の渦はより一層濃く激しさを増しています。
「な、なんだよこいつは……」
怯えと恐怖。それが二人の顔にはっきりと表れています。と、私は押さえつけられていた自分の腕が介抱されている事に気がつきました。すぐに私は起き上がり、部屋の隅へと逃げます。二人はもう私には見向きもしませんでした。ただ、目の前に居るシャルトさんだけしか見られなくなっています。
間もなく、ゆっくりとシャルトさんは顔を上げます。そして、
「殺してやる」
ひやりとするほど冷たい、一言。
シャルトさんの目は、呼吸すらも忘れてしまうほど、真っ黒にうねっていました。不気味なほど落ち着いた表情。それは私の知るシャルトさんではなく、『夜叉』のシャルトさんです。
TO BE CONTINUED...