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 レジェイドの部屋での夕食には、俺の他にルテラと『凍姫』のミシュアさんがやって来た。
 ルテラは夜勤前の一時休憩という事で来たのだけど、ミシュアさんはどうも様子が違う。なんとなくではあるけど、リュネスが俺の部屋に泊まりに来る様な時の感じに似ていた。そのせいなんだろうか、俺は先にルテラと一緒に帰る事になった。長居をすると申し訳ないらしい。
 レジェイドの部屋の中にレジェイドとミシュアを残して、俺はルテラと廊下へ出た。
 俺の部屋は宿舎の同じ階にある。だからここでルテラとは別れるのだけれど、ルテラは急に俺の手を取って下へ降りていった。俺はされるがままにルテラと一緒に降りて行った。見送れ、という事なのだろう。以前からそうなのだが、俺はどうしてもルテラには逆らえないのである。
 上着の中でテュリアスがもぞもぞと寝返りを打った。レジェイドの買ってきたマグロを色んな形の料理で思う存分食べて満足したのだろう、ぐっすりと眠っている。羨ましいものだ、といつものように俺はあきれ半分で思った。
「昼間はごめんね」
 唐突にルテラが階段を下りながら口を開いた。飛び出した言葉は謝罪の言葉。俺は驚いて目を大きく見開いたままルテラの方を向く。
「ちょっと私も急な事で気が動転しちゃってたの。だからつい、あんな嫌な口調になっちゃって。ごめんね」
 ルテラが言っているのは、昼間に喫茶店でリュネスも交えたあの話し合いの事だ。
 あの時のルテラは正直怖かった。ルテラはいつも明るくて笑顔を浮べているのだけど、この時ばかりは険しい表情で苛立ちを隠せない様子だった。周囲の空気もひんやりとしていて、威圧感に拍車がかけられる。口調も同じように威圧的で、言葉こそこちらに選択肢を残しているようではあったけれど、実際は頭ごなしに従わせようとしているのに等しかった。
 確かにルテラにしてはらしくない言い方だったと思う。けれど今回、俺達がしてしまった過失はとても楽観できるような軽い問題ではないから、誰かがそれを言わなければならない以上、ルテラの態度がそういったものになってしまっても仕方が無いかもしれない。むしろ、自ら悪役を買って出てくれたルテラに感謝するべきだ。
「いや、でも、その……。悪いのは俺だから。それに、これからどうするか、とか考えなきゃいけないのはそのままだし」
「そうね。大変なのはこれから」
 そして、またもや唐突に沈黙が訪れた。
 お互い押し黙ったまま、下へ下へと階段を降り続ける。相手の出方を探り合うような沈黙が堪らなく居心地が悪かった。しかも相手はルテラだ。
 俺の手を握るルテラの手は俺と同じぐらいの大きさで、ほんの少し冷たい。力は俺よりもずっと強いのだけれど、握る力はそっと触れるぐらいでそれほど強くは無い。その気になればこの手なんか振り解いて自分の部屋へ戻る事も出来るのだけど、それは目の前の問題から目を背けるような気がして違うと思った。
 どうして身内同士で腹の内を牽制するような事をしなくちゃならないのか。今はそういう気分周りだから、こういうぎくしゃくした関係も仕方が無いのかもしれない。しばらくの間、距離を取っていれば元に戻るだろう。そうすれば前までのように和気藹々とやれるようになるはず。けれど、それまでに当面の問題が解決出来ていなければ同じ事の繰り返しか。とにかく今は、この圧迫感から開放されたい。
 下に下りればルテラと別れる事が出来る。その気持ちが強過ぎるためか、さして長くも無い階段が酷く長いように思えてならなかった。
 長い窒息感の末、ようやくエントランスに到着した。
 ようやく別れられる。
 ルテラには悪いけど、素直にそう思ってしまった。重苦しい空気を作ってるのは俺でもルテラでもなく、俺とルテラが一緒にいる事で出来てしまうのだ。ルテラとは今まで通りで居たいからこそ、これ以上ぎくしゃくする前に一旦距離を置いた方がいいのだ。
 ルテラはそっと俺の手を離す。すると今度は一歩前に出てくるりと踵を返し、俺の真向かいに立った。
 急に真正面から見据えられ、俺は思わず視線を下へうつむけてしまった。人の目を見られないのは、自分に疚しい事があるからだ。前にルテラからそんな事を言われたのを思い出す。別に疚しい事がある訳じゃない。ただ、ルテラと視線を合わせる事が気まずいのだ。案外それは、昼間のルテラの意見と自分の意見とが対立しているせいだと思う。
「二つだけ、お姉さんから言っておく事があるの。だからちょっとこっち見なさい」
 ルテラは話し終わらない内に俺のうつむいた顔を両手で左右から掴むと、ぐっと強引に上を向かせてきた。目の前にはルテラの碧眼がある。すぐに気まずさが込み上げて視線をそらしたくなかったが、気圧されてしまったからなのか、今度は視線をそらす事が出来なかった。
「一つ。俺が悪いから、なんて言い方はしないの。それじゃまるで、悪い事したみたいでしょう? リュネスも気にするわよ」
 ぎゅっと俺の顔を押さえて覗き込むように話すルテラの口調は、確かに普段の朗らかさは無かった。けれど威圧感や苛立ちのようなものはなく、ただ熱心さというか力強さというか、そんな心底俺達の事を真剣に考えているという感じがひしひしと感じられた。
「二つ。大変なのは二人だけじゃないわ。私もお兄ちゃんも、家族なんだから。二人だけの問題じゃないはずよ」
 ふと俺は、昔、母親に怒られた時の事を思い出した。確かあの時も俺は目を見る事が出来なくて、こんな風に怒られていた。それを考えると、ルテラはお姉さんと言うよりもお母さんという感じが強い。
「いいこと? 分かったなら返事なさい」
「うん……あ、いや、はい」
 俺の返事を聞くなり、ルテラはにっこり微笑むと、よろしい、と満足そうに俺の頭を解放した。
「さあ、まずは男の子のあなたが頑張らなくちゃいけないわ。これからどうするの? どうするべきだと思う?」
 そう問われ、俺は言葉に詰まって息を飲んだ。
 俺の正直な気持ち。
 それを一番正確に表現する言葉を慎重に捜して、ゆっくりと落ち着いて文章を組み立てる。
「本当はまだ……よく分からない。でも、リュネスが辛い思いをしなくて済む方法を考えてるし、絶対それが必要になると思う。漠然としてるけど、やっぱりなんとかしなきゃいけないんだ。他でもない、俺自身が」
「頑張れば何とかなるほど、現実は甘くはないわ。多少の事なら私も助けてあげられるけど、出来ない事の方が多いのが現実よ。後に退く事も出来ないのに、シャルトちゃんはどうするの?」
「尚更、進むしかないと思う。リュネスの事をこれ以上泣かせたくないし、それに自分自身が許せなくなると思う」
 言い切った。
 自分でも驚くほど、自分の気持ちを短時間で饒舌に話す事が出来た。達成感さえ覚える。
 内容自体は大したものではない。その計画性の無さ、稚拙は百も承知だ。しかし、たとえ精神論でも俺は自分の意見は譲りたくなかった。少なくとも俺ならリュネスに悲しい思いをさせなくて済むはずだ。だから相手がルテラでも、気迫だけでも一歩も退きたくは無い。
 ルテラはじっと俺の顔を見ている。唖然としているようだった。ここまで饒舌に話すとは思わなかった。そんな胸の内がありありと浮かんでいる。
 全く関係ないけれど、勝った、と俺は思った。これほど言い包めたのは多分初めてだろう。いつもは言いたい放題言われて、振り回され放題振り回され、ほとんど玩具扱いだ。ルテラにしてみれば、思いもよらず足元をすくわれた気分だろう。
 すると。
「やっぱり、こういう所はシャルトちゃん、男の子ね」
 突然、ルテラが強引に抱きしめてきた。
 丁度自分の胸で俺の顔を圧迫するような抱擁だ。ルテラがじゃれついてきたり、酒を呑んで酔っ払った時によくやられる。普通、俺ぐらいの歳の人にはやるものじゃない。ルテラが俺を子供扱いしているから出来る事だ。
「な、何するんだ! やめろってば!」
 なんとか振り払い、二歩ほど距離を取る。
 照れちゃって、とルテラは面白そうに笑う。絶対わざとだ。とにかく俺は力いっぱい睨み付けた。けれど柳に風とばかりに、ルテラは変わらずにこにこと微笑んだままだ。ついさっきまで勝利した優越感に浸っていたのに、これで綺麗さっぱり消えてしまい、普段通りの構図に逆戻りした。
「正直、シャルトちゃんは頼りないわ。でも、その意気があれば大丈夫。諦めないで頑張る事が大切なの」
「俺は一度も諦めてなんかない」
「ふふっ、そうだったわね」
 ふわりと跳ねるようなステップを踏むのと同時に、ルテラが俺が離れた分近づいて頭を撫でる。レジェイドの掻き回すようなそれとは違って優しいタッチなのだけど、やはりこれはこれで馬鹿にされているようであまり面白くはない。
「こういう苦境を味わうのも良い経験ね。これを二人で乗り越える事が出来たら、今よりもずっとお似合いになるわよ」
「ああ。頑張る」
 苦境を二人で乗り越える、か。
 俺は一人でどうにかする事にこだわり過ぎているのだ。いや、俺が頑張らなくちゃいけないのは確かにその通りだけど、俺一人の問題じゃないという事をもう一度考え直さなくてはいけないのかもしれない。焦ると視界が狭くなるのは俺の悪いクセだ。
 リュネスの事を考えているつもりで考えていない部分もあるだろう。もし本当にリュネスの事を第一に考えるのであれば、一度、冷静になる必要がある。
「でも、今度までにはちゃんと具体的な事を考えるのよ。姿勢だけじゃ何も変わらないんだから」
「うん、ありがとう」



TO BE CONTINUED...