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 気がつくと、少年はベッドの上だった。
 ベッドのすぐ脇には、ルテラがベッドに突っ伏しながら眠っていた。
 窓の外は未だ日が明けてはいないものの、そろそろ夜が明けようかという時間だ。少年は風邪を引かぬようにと、ルテラへ手を伸ばし起こしにかかった。しかしその瞬間、少年の背中に言語を絶する激痛が走り、少年は顔を強張らせたまま全ての動作を硬直させる。
 やがて痛みの波が引いた時、恐る恐る自分の背へ手を伸ばしてみる。するとそこには何かしらの手当てが施された感触があった。それを合図に、ゆっくりと少年はここに至るまでの経緯を思い出す。
 昨夜、招待された晩餐会の帰り道。少年とルテラは『何者か』の策略によって馬車を計画的に襲われた。少年は父親に仕込まれた剣術を持って賊と相対した。賊の数は五人、たった一人で立ち向かう少年には圧倒的に不利な戦いではあった。しかし、実力の差は圧倒的だった。少年が受けた感触としては、いわゆる町道場で教える普及させるための簡易化がされたレベルでの剣術を修めた程度の相手だった。日常的に死線を右往左往させられるような訓練を受けていた少年にとっては、ほとんど遊びに等しい相手だった。
 そのせいで、気を抜いてしまっていたのかもしれない。
 少年が五人目を斬り伏せた時、突然背後から六人目によって斬りかかられた。初め視界にあった相手は五人だったが、実際は念のために六人目が潜んでいたのである。少年は伏兵の存在を可能性として考えていない訳ではなかった。しかし初めて合間見える実戦の中、次第に増していく歓喜を前に少年の未熟な心は冷静さを保つ事は出来なかった。その結果、五人目を最後の一人と誤認してしまい、本当の最後の一人に背後から不意打ちを食らってしまったのである。
 少年は咄嗟に急所だけは外し、致命傷だけは免れた。次の瞬間にはその六人目を斬り捨てたのだが、そのまま少年は意識を失ってしまった。
 その後、少年を家まで運んだのはルテラだった。距離にして数キロメートル、体格に恵まれた少年の体をルテラの細腕で運ぶのは過酷さを極めたのだが、それでもルテラは少年を死なすまいと必死で背負い歩き続けた。深夜になりようやく辿り着いた二人は、すぐさま主治医の手によって治療が施された。意識こそ失ってはいたものの、少年には人並み以上の体力があったため、怪我の具合は深いにも関わらず命に別状は無いものと診断された。その証拠に、少年はこうしてその晩の内に目を覚ましたのである。
 数キロの道のりを、自分の倍近い少年の体を背負ってきたルテラはすっかり疲弊しきっていた。それでも少年の傍に寄り添おうとしたのは、それだけ少年の容態を心配しての事だった。ただ、少年が目を覚ますまで自分が置き続ける事は出来なかったようで、こうしてぐったりと眠りこけてしまっていた。
 それにしても、背中を斬られるとは。
 敵に背を斬られるのは恥だ。
 そんな父親の言葉を思い出した。最近は事あるごとに父親の言葉が脳裏を過ぎる。それは、あれだけ憎んでいた父親が、実は理に叶った小言を自分にかけていたからなのだろうか?
 とんだ初陣になってしまった。しかし、これは油断した自分への丁度いい訓戒になる。むしろ、命を落とさなかっただけでも良しとしよう。
 次からは絶対に最後まで油断はしない。
 自分はツイているのだ。こうして油断する事の危険性を、最も安全な形で知る事が出来たのだから。
 少年は背中の怪我に注意しながら、再度ルテラに手を伸ばして起こす。朝方は一日の内で最も気温が下がる時間帯だ。こんな所で眠っていたら風邪を引いてしまう。それに、特に女の子は体を冷やしては良くない。
 ルテラの柔らかな曲線を描いた肩にそっと手を置き、軽く体を揺さぶる。初め、ルテラは小うるさそうに唸ってもぞもぞと姿勢を変えようとした。しかし、不自然な姿勢で眠っていたため眠りそのものが浅かったせいか、すぐに目が覚めて勢い良く体を起こした。
「お兄ちゃん!?」
 弾けるような激しい挙動の後、ルテラは驚きに見開いた目を少年へと向ける。その過剰とも取れるルテラの大げさな反応に、思わず少年は微苦笑をしてしまう。
「こんな所で寝ていると風邪を引くぞ。自分の部屋に戻って寝とけ」
「それよりお兄ちゃん、怪我の方は平気なの?」
「ああ、これか? もう治ったさ」
 そう言って少年は背中の焼け付くような痛みをこらえつつ、平然と振舞い笑顔を浮かべてみせる。ルテラはそんな少年に騙され、良かった、と安堵のため息をついた。
「なんだか世話になっちゃったな。本当にありがとう」
「いいの。私、お兄ちゃんの味方だもん」
 ルテラはにっこりと笑顔を浮かべる。薄暗い中でも母親譲りのハニーブロンドはきらめくような美しさを放ち、ゆらゆらと金糸のように揺れている。さすがに疲労の色は隠せないルテラの姿だったが、それでも笑っている時のルテラは十分に綺麗だ、と少年は思った。直後、兄の贔屓目があるな、と自分の評価を諌めてみる。同じ事を周囲の人間が言うのは正常だが、兄がぺらぺらと口にするのは少し変な事かもしれない。
 まあ、とにかく。ルテラも自分も無事で良かった。
 少年は自分のミスが致命的な事態を引き起こさなくて良かったと、自分の幸運に感謝した。最も、幸運なんて次も必ず自分を助けてくれるとは限らないものだ。次からは自分の実力でどうにか出来るようにしなければ。そのためには、実力を磨くことは元より、気持ちの問題、精神的な部分も磨かなくてはいけない。
 まだまだ自分には課題が山と積まれているな。
 少年は客観的な自分の評価に、初めこそうんざりはしたものの、すぐに気分は傷を治してから行う訓練の方へ向かった。そう簡単には落ち込まない自分の性格を、楽天家というよりも前向きなのだろう、と自分の中でそう評価した。
 と。
「ねえ、お兄ちゃん。これって、あまり大声じゃ言いたくないけど……」
 不意にルテラは神妙な口調で少年に問い訊ねた。
 あの人達の仕業だよね?
 ルテラの表情は、そう何かしらの確信を持って物語っている。本来は跡目争いと全く無縁の立場に立っているはずなのだが、そんなルテラにもただの推論だけでなく、ある程度の根拠に基づいた考えがあった上での結論のようだ。
「どうかな。とりあえず、あまり迂闊な発言はするなよ。お前だって、あっちは俺サイドだって思ってるんだからな」
「別にいいもん。だから言ったでしょ? 私はお兄ちゃんの味方だって」
 今回のことは、俺と一緒にいたせいで、と言っても過言ではないのだが。
 正直、こんな恐ろしい目に遭わせてしまったルテラには申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、そんなものをまるで感じさせないルテラの明るい表情は、とにかく自分は少年の味方だと自らの立場を明示してくれた。それは少年にとって嬉しい以外の何物でもなかった。こんな事になっていても自分の傍に居てくれる、これ以上付き合いきれないと離れていっても文句は言えないというのにだ。別段、飛び跳ねてまで表現するほどの大きな嬉しさでもないのだけれど、一時的に少年の胸の中はルテラの言葉へ対する嬉しさで溢れそうになった。
 それにしても、あいつらめ。
 前から自分をどうにかして亡き者にしようと動いている事は知っていた。しかしそれが、まさかルテラもいる状況でこんな手段を用いてくるなんて。仮に首尾よく俺を殺せたとしても、連中が下世話な人間だったらどうするつもりだったのだろうか。それとも、初めからルテラなんてどうなろうと知った事でもないのだろうか? 状況判断から察するに、そう考えて相違はないだろう。
 連中め、そこまでして家督を手に入れる事に御執心か。
 身内で何て事をやらかしているんだか。頭のネジが何本か飛んでなければ出来ないような所業だ。
 これからは俺一人の所を狙ってもらいたいものだが。きっとそれはまずあり得ないだろう。ルテラが一緒にいる時の方が、俺も戦い辛くなり連中もやりやすくなる。既に今回の事でルテラはどうでも良い存在だと切り捨ててしまった事が分かったのだ。今後はこういった点からのアプローチに関しては特に警戒を怠らないようにしなければ。
「ルテラ、俺の方はもういいからさ。お前は部屋に戻って寝ろ。せっかくの美人が台無しだぞ?」
 そして、少年は重苦しくなった空気を少しでも軽くしようと、そうおどけた言葉をルテラに放った。
 ルテラは少年の冗談じみた言葉に、また、と口元を押さえながらくすくすと笑った。
「じゃあ、私。部屋に戻るね。また明日、お見舞いに来るから」
「ああ。おやすみ」
「おやすみ」
 不意にルテラは少年の傍へ顔を近づけると、軽く頬に口付ける。そのままルテラはにこにこと笑みを浮かべたまま、最後に一度ドアの所で軽く手を振り、部屋を後にしていった。
 ルテラは本当にいい子だ。
 だから、それだけにこんなドロドロした争いには巻き込みたくない。
 少年はそう密かにため息をついた。
 巻き込みたくはなくとも、向こうは否が応にもルテラを巻き込んでくる。
 ならば、自分がルテラを守り続けるしかない。そのためにもまずは怪我を治さなくては。
 少年はすっかり冴えてしまった目を閉じ、眠る事で少しでも早く傷を治そうと試みた。しかし、一向に眠気はやってこなかった。



TO BE CONTINUED...