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「それがどうかした?」
 ファルティアがお酒を注文しなかった事、いや、そもそも以前からお酒は飲む事を完全にやめていた事を、意外な形で本人の口から直接聞かされるなんて。
 きっと、そんな心積もりがありありと浮かび上がった表情をしていたんだろう。ファルティアはムッっとしたような表情で俺をねめつけてきた。それに対抗するかのように、テュリアスが懐から首を伸ばして牙を剥き威嚇する。すかさず俺はテュリアスを懐の中に押し込んで視線を再度うつむけた。
「ふん」
 そんな俺の態度が気に入らなかったらしく、ファルティアは露骨に鼻を鳴らして不機嫌そうに視線を背ける。
 話がある、って言ったのはそっちの方なんだけどな。
 いささかの理不尽さに苦しむものの、ファルティアへの苦手意識は尚もいっそう強まっていった。気まずさが場の空気を冷たくし、冷たい空気はコミニュケーションを冷え込ませ、不毛な会話は気まずさを加速させる。どうしようもない悪循環だ。
 とにかく、やたら喉が渇いた。出された水をあっという間に飲み干してしまうが、それでもまだ飲み足りない。舌が乾くのは緊張している証拠だ。
 ファルティアは、リュネスの保護者的な立場に当たる人だ。そんな人がわざわざ俺に話があるって来た事を考えると、あまり迂闊に笑えるような軽々しいものではないと思う。
 リュネスに何か悪い事をしただろうか?
 何度も何度も己の行動を振り返ってみるが、どう考えてもそれはありえない。それだけは絶対に起こさないよう、いつも最大限の注意を払ってきたのだから。
 とすると、考えられるのは一つだけだ。
 リュネスが俺の部屋へ泊まりに来るのは、ファルティアが頭目の会議で留守にする時だ。そういうタイミングを狙ってするのは、俺とリュネスが付き合っている事をファルティアがあまり快く思ってないからだそうだ。俺と付き合っているのは自分の意思でも、事が知れたら必ず要らない横槍が入る、と言っていた。それがファルティアの件だ。リュネスとファルティアは、俺の事に関しては意見を同じ方向へ合わせられていないのである。
 もしかすると、俺達の事が知られてしまったのだろうか?
 仮にそうだとすると、もしかすると俺は今、かなりまずい立場に立たされているのではないのだろうか? ファルティアの不機嫌な様子も、案外だからこそなのかもしれない。
 ファルティアは俺とリュネスが付き合う事を快く思っていないけど、既に俺達は深い仲になっている。ファルティアにとってリュネスは家族のように親身な人間なのだから、怒りの矛先は当然俺に向いても自然な事だ。
 まずいかな……やっぱり。
 俺もリュネスも、決して悪い事をしている訳じゃない。遊び半分の気持ちでもないし、極めて真剣なつもりだ。けど、やっぱり謝っておくべきなのだろうか? 前にルテラからファルティアの事は、正しい理屈が通じない人、と聞かされている。だから謝るのが一番無難な選択だ。
 あまり間は開けないほうがいいに違いない。
 そう思った俺は意を決して、あまり開きたくない口を無理やりこじ開けた。自然とこぶしに力が入る。
「あの……すみません」
 腹に力を入れて搾り出したはずの声は、思っていたよりも小さくくぐもっていた。けれど、言葉そのものは決して聞き取りにくい訳ではないだろう。ただでさえ場が静まり返っているのだ。多少の小さな声も必要以上に響き渡る。
 すると、
「何が?」
 ファルティアは不機嫌そうな視線を、一度振りかぶってから叩き落すように非情な目で貫く。自分の額を本当に矢か何かで射抜かれたような、そんな錯覚を覚えた。
「え……いや、その……」
「だから、何がすみませんだっての。ったく、はっきりしないヤツだな」
 ファルティアは苛立だしげにコツコツと指先でテーブルを叩き始める。たったそれだけの仕草でも、俺は酷く焦りを募らされた。
 困った。そういう切り替えし方をされると答えようが無い。
 そもそも、自分で悪いと思わないで謝る事自体が間違っている。確かにそれは正論かもしれないけれど、現にファルティアはおもしろくない腹積もりで俺と何か話し合おうとしてきた訳だし。こっちは別に論破したい、とか、物理的にねじ伏せたい、とかそんなに多くの事は望んでいない。ただ、現状の維持だけをしたいのだ。出来る事なら、ファルティアの認が得られた上でだ。波風立てても落ち着けなくなるだけだ。だったら俺はむしろ、初めからこうやって下手に出る事を選択する。
 会話もろくに弾まぬまま、やがて注文した料理がやって来てテーブルの上に並んだ。
 俺の前に並んだのは、炊き込み御飯とおひたし、素焼きにスライスした炙り焼きだった。上の空で選択したのだけれど、一通りの品が揃っている。自分でも思っているより思考は分散出来るようだ。
 食べるものがあると、空気が和んで少しは会話が出来るのではないだろうか?
 そう、初め俺は思った。しかし状況は一転するどころか、お互い口に運ぶ作業だけに集約されてしまい、余計会話が切り出しにくくなった。食事を誰かと食べる時は決まって楽しげな空気になるものだったんだけど。恐ろしいほどに殺伐としている。ブラックコメディに近い。
 この重苦しい空気、どうにかならないものか。
 懐から飛び出したテュリアスは、時折ファルティアに鋭い視線を送りつつも素焼きをおいしそうにかじっている。
 ふと、テュリアスを何とかだしに使えないだろうか? そんな考えが頭を過ぎった。しかし、ファルティアのキャラクターからそれはあり得ない。それにテュリアスだって、こんな露骨に敵意を剥き出しにする人間の気を引こうとするほど割り切った考え方は出来やしない。
 本当に、ファルティアはどんな話があって俺と接触してきたのだろうか?
 ルテラの評する通りの人物なら、話よりも先に俺は殴られている。それが無い所を見ると、感情だけでどうにかなる問題でもないように思える。けれど、それは一体なんだろう?
 いつまでも話を切り出してこないのは、ファルティアが口にする事を躊躇っているからではないだろうか。
 不意にそんな事を考えた。けれどすぐに俺は自分の中でそれを否定した。躊躇う、っていう行動は後先を考える思慮深い人がする事だからだ。
 なんにせよ、いつまでもこの状況は辛い。
 早く切り出してくれないだろうか。こっちから催促するのは、下手に刺激してしまうので出来ればやりたくないのだ。
 会話の無いまま、ファルティアが全てを食べ終えてお茶を飲み干した。お腹が満たされて少しは機嫌を直したようで、表情が幾分和らいでいた。
 そろそろかなあ。
 緊張の持続しない俺は随分気を緩めてしまっており、普通に食事を味わう余裕が出来ていた。もう一杯、炊き込みご飯を頼みたいなあ。頭の中ではそんな事を考え始めていた。
「アンタ、最近体の方はどうなのよ?」
 突然、ファルティアがそんな事を訊ねてきた。
 それが俺の持ってる後遺症に対する質問だと、すぐに俺は理解する事が出来た。多分それが、ファルティアがリュネスとつき合わせたくない一番の理由だと思うからだ。
「良好です。鎮静剤はしばらく飲んでないし、感覚も随分戻ってきました」
「ふうん、そ」
 思ったより素っ気無い返事だった。いかにも興味があったからではなく、ただの場繋ぎ的に投げかけた質問だ。
 俺のこれが嫌だったんじゃないのか。
 ファルティアの視点がどこに向けられているのか分からないと、こちらとしても最大限の慎重を要するだけに切り出し方が見えてこない。結局、黙ってしまうしかないのだ。俺が元々話し下手という性格を除いても。
 ファルティアは店員を呼んでもう一杯お茶を貰い、それを一時に飲んだ。そんな何の変哲も無い仕草でも、どこか苛立ちをぶつけているそれのように見えてきて仕方が無い。いい加減、ファルティアも俺のこういう顔色をうかがうような態度にも嫌気が差してきてもおかしくはなさそうだ。
 そして飲み干した器をテーブルの上に、どんっ、と勢い良く置くと、突然ファルティアは真っ向から俺の顔を見据えてきた。
「リュネス泣かせたら殺すからね」
 低く重い声色ではあったが、冗談にも聞き取れなくも無い微妙なニュアンスの口調。
「え、あ、いや……」
 すぐに返答をしようと試みるものの、慌てるあまり舌がもつれて喋ることが出来ない。そんな俺の頭を、ファルティアは席から立ち上がり、がしっと一度強く握り、そのまま店を後にした。後姿を、俺はただただ唖然として見送るだけだった。
 取り残されてしまい、まず首を傾げた。
 ファルティアが話があるって言ってたのは、何を言いたかった事なのだろう? 会話らしい会話も無かったし。終始、緊張した重い空気が張り詰めていただけだ。
 最後の別れ際の一言。あれがそうなのだろうか? でも、それならどうしてこんなもったいぶった言い方をするのだろうか。結局、ファルティアに関しては何も分からず仕舞だ。
 でもこれは、少しは俺の事を認めてくれたという事なのだろうか?
 そう考えると、別れ際の言葉はそんな意味にも取れなくも無い。単にあれだけ突っぱねてたから今更引っ込みが付かなくてああいう言い方をしたのかも。だったらもうこちらから詮索したりする必要は無い。
「もう少し食べて行こうかな」
 自分の中で事を消化出来ると、急にお腹が空いてきた。元々、お腹が空いていたからこの辺りに来たのだけれど、今までのファルティアとのやり取りのせいですっかり忘れてしまっていた。
 次に注文したのは、また別な炊き込み御飯とお吸い物、蒸して香味野菜と混ぜたもの、それから炒め物だ。
 テーブルに新しく皿が並べられたが、テュリアスはそれほど興味を示さなかった。なんて事はない、料理を一皿、一人で平らげてしまったからもう満腹なのだ。
 気だるそうにテュリアスはテーブルの隅で丸まった。もう眠いらしい。
 食べるだけ食べて後は寝ちゃうのか。相変わらず、お気楽で羨ましい。
「ごゆっくりどうぞ」
 料理を並べ終わり、離れ際に店員がテーブルの横に差してある伝票へ新しく品目と値段を書き込んでいく。
 ふとその時、俺はある事に気がついた。
 初めから伝票は一枚しかなく、頼んだものは全てそこに書き込まれている。だったら、ファルティアの分はどこにあるのだろうか?
 しばし熟考。けれど答えはあっけなく導き出された。
「あ、置いていかれた……」



TO BE CONTINUED...