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 こう言っちゃ何だが、どうにも俺にはこういう仕事は性に合わない。警護は警護でれっきとした仕事なんだが、いつ敵が襲ってくるか分からない緊張感を断続的に味わいじめじめとするのは、俺の性格とは完全に相反するものだ。俺は基本的に物事はスカッと単純明解にいきたい。守るだけの仕事よりも、生と死の境界線を何度も越えるような、より攻撃的な仕事の方が遥かに楽しく思う。こんな事を言うと俺がまるでバトルホリックみたいな感じになってしまうが、誤解なきよう、俺が言いたいのは単純な勝ち負けだけの仕事の方が性に合うという事である。
 いつまで続くのやら。
 思わずそんな愚痴を溜息と共に吐きたくなる気分を押さえ、俺はさも平然とそこに直立する。正直、退屈だった。辛うじてそれを表に出さないのは、退屈を我慢する事に俺が慣れてしまっているからである。
 俺とシャルトは一昨日から依頼主に四六時中付きっきりで警護をしていた。依頼主はどこぞの戦闘集団に命を狙われてるらしいが、はっきりとは明言しなかった。本来なら依頼内容を曖昧にするヤツなんざお断りする所だが、依頼主はあまりに心当たりがあり過ぎて明確化出来ないときている。それならば仕方がないんだが、そんな事をあえて堂々と口に出来るその神経はどうか。自慢のつもりなんだろうが、はっきり言って玄人からしてみればただの恥自慢にしか聞こえない。もっとも、それを指摘したところで機嫌を損ねてしまうだけだから言わせたいだけ言わせておく。依頼主のご機嫌取りも、悲しいかな、俺達の仕事の範疇だ。
 書斎には俺とシャルト、そして依頼主はデスクに向かい何かの書類を片付けている。本来なら、依頼主は自分と同じ部屋には一人しか人間を入れないのだが、初日に見せたシャルトの実力に痛く関心を覚えたらしく、特別に二人で居る事を許可してもらった。俺にしてもそれは好都合だ。シャルトを一人で置くなんざ、とても恐ろしくて出来ないのだから。
 俺は書斎の入り口、シャルトは窓際に定位置を取っている。丁度依頼主を互いの中央で挟むポジションだ。そうする事で突然の奇襲にも死角を最小限にする事が可能なのである。
 しんと静まり返った部屋の中には、万年筆が書類の上を走る音と壁にかかった大きな飾り時計が時を刻む音だけが響いている。依頼主が書類を片付ける様を見て、この仕事が終われば俺も本部の自室で同じように書類を片付ける事になる事を連想してしまった。気持ちが嫌でも陰鬱になっていく。
 あんまり静かなもので、部屋の中の音よりも廊下や下の階の音の方がはっきりと聞こえてくる。おかげで廊下を歩く足音が聞き取りやすいから警護にはもってこいの環境だが、極端に静かな場所が苦手な俺にはある種の拷問でもある。
 壁によりかかりながら腕を組み、時計の針が刻む音に合わせて指でリズムを取る。すぐ脇には俺の愛用の大剣を立てかけている。そこいらで市販されているような普及品ではなく、仕様を俺だけに合わせた完全なオーダーメイド品だ。俺の体の一部のように馴染んでいる剣だが、実際は持ち運びに若干不便で、尚且つ積荷にしても嵩張ってしまう。おまけに他国に行く時は、必ずと言っていいほど税関の目を引いてしまうため検査の列に並ばされる。手入れも時間がかかり何かと不都合の多い剣だが、やはりこれ無くしては仕事はとても出来ない。
 シャルトは窓の外と部屋とを交互に見やりながら大人しくしている。その体には例の白い子猫、テュリアスがちょろちょろとまとわりついている。シャルトの服の中に入ったかと思えばすぐさま飛び出し、肩や頭の上に乗って終始落ち着きが無い。見ているだけでも鬱陶しいんだが、シャルトは特にうるさそうな素振りも見せない。
 丁度シャルトのバックになっている窓の外は、とっぷりと日が暮れて真っ暗になっていた。季節柄、日が落ちるのも早くなってきている。襲う連中にしてみれば姿を紛れさせやすい都合のいい時期と言える。
 ん? 誰か来たな。
 ふと俺は、意識を廊下から聞こえてきた足音に向ける。一定の歩調を保ちながら近づいて来るこの足音は、おそらくここの執事だろう。数少ない住人の一人だ。俺達の前任である『風雷』は公約通り今回を持って退いてもらった。どうせシャルトなんかに一撃でやられるような、程度の低い集団だ。頭の何人かはそれなりに実力を持っているのかも知れないだろうが、たった数人が精鋭と、全てが精鋭の俺達とでは選択に議論の必要性は皆無だ。
 そして足音が部屋の前までやってくると、そう丁寧なノックが聞こえてきた。俺は念のため左手に剣を携えながら、右手でゆっくりドアを開ける。
「失礼します。旦那様にお手紙です」
 執事がそっと一枚の封筒を差し出してくる。俺はそれを受け取るなり、すぐさまドアを閉めた。この執事が敵の手先、またはそのすぐ背後に潜んでいないとも限らないからである。もっとも、この位置関係で俺の不意を突き依頼主を殺すとなればよほどの実力者でなければ不可能だろう。警護の開始から今日まで、連中のものと思われる襲撃は二度、開始当日にあった。どちらも数は二十数名、実力自体は特筆することもなく、俺の部下数名がものの十分で片付けてしまった。もちろん被害など皆無に等しい。この程度の実力しかないのであれば、たとえ潜入に成功したとしても、最後の門であるこの俺を突破するなんざ百年経っても不可能だ。
 それから俺は手紙を依頼主の元へ持っていく。彼は受け取るなりペーパーナイフで封を切ると、中の便箋に目を通す。事務仕事は慣れたもので、流れるような視線で書かれた文章をあっという間に読んでしまう。すると彼の表情が見る間ににんまりと綻んでいった。
「荷物は明朝に到着するそうです。思ったより早かった」
 そうか、と俺は答える。
 どうやらこれで、明日から多少は変化のある仕事が出来るようだ。基本はこれまでと一緒だが、いつまでも同じ眺めばかりを見せさせられる事はない。それだけでも随分精神的には違う。
 そして男はデスクの上に並んだ書類を引出しの中へ押し込むように片付けると、なにやら不思議と嬉しさを押さえきれないといった様子で勢い良く立ち上がる。そのまま踊るような軽いステップで部屋の隅にあるベルのスイッチの元へ向かい、リズムをつけてそれを押す。それは使用人を呼ぶためのいわゆる呼び鈴だ。大概は紐か何かで内部で繋がっており、待機室に設置されているベルを鳴らす仕掛けになっている。
 そんなに嬉しかったのだろうか?
 大人とは思えない変わり様に唖然とする俺に、依頼主は嬉々とした様子でこう言った。
「今日の仕事はこれで終わりです。後はゆっくり飲みましょう」
 依頼主はデスクの傍にあったダッシュボードを探ると、中から一本のウィスキーボトルを取り出した。随分と無造作にしまわれていたようだが、見る限りそれはどうもかなり値の張る、ウィスキーの中では高級品の部類に入るものだ。不覚ながら、俺は思わず一瞬、そのボトルに目を奪われてしまう。
 それから依頼主は、呼びつけた執事に酒とグラス、簡単な料理などを用意させると、俺達も交えて飲む事になった。
 仮にも仕事中であるから、まさか心行くまで飲む訳にもいかない。かと言って、せっかく上機嫌になっている依頼主の誘いを無下にして機嫌を損ねさせる訳にもいかない。戦闘には支障のない程度に留めておけば問題はないだろう。俺はこれまでに前後不覚になるほどまで酔った事はほとんどないのだ。どんなに強い酒でも無理な飲み方をしない限りまずシラフに近い状態でいられる。それに、高級な酒ってのはそうそう飲めるものではない。せっかくの機会をわざわざふいにする事も無いだろう。
 そんな訳で俺は依頼主と共に酒を飲む事になった訳だが。シャルトは俺達に参加しなかった。それは、前に何度かシャルトに酒を飲ませた事はあるんだが、これ以上にないほどシャルトは酒に弱かった。ほんの一杯ぐらいで意識が朦朧として、訳の分からない支離滅裂な事を言い出すのである。プライベートなら許さないんだが、今は仕事である訳だから飲ませる訳にはいかない。本当はシャルトなどいなくても十分に警護は成り立つんだが、今後の事も考え甘えが出るようになってはいけない。
 書斎の奥まった所にある、接客用らしき応接スペースに俺達は座らされた。そこにどんどん料理が用意されていったが、執事には簡単なものを、と言いつけた割にかなり本格的なものだ。やはり金持ちと一般庶民との金銭感覚はそうとう格差があるようだ。
 俺と依頼主は酒を、シャルトは果汁を飲み始める。依頼主は終始機嫌が良く、普段に輪をかけて饒舌だった。俺は時折言葉を一つ二つ交わし、シャルトは専ら聞き役に回っている。元々、親しい俺達とも自分から進んで会話する事の無い無口なヤツなのだ。おまけに少々人見知りもする。コミュニケーションが不器用な人間はいるが、こういう仕事をしているのだから少しは業務的にも学ばなければならない。ここはこれからじっくりと教育していかんと。第一、誰とも話せないならば、この先どうやって女を口説こうというのか。話ベタの男っていうのは、それだけで魅力が半減してしまうのだ。
 よく飲むよな……。
 依頼主は上機嫌のまま、休むどころかより力を込めて話を続ける。話の内容は、これまでにあった仕事上での印象的な話やら、商売における自論だとか、はっきり言ってそれほど興味の湧かないものばかりだ。ただ、一つ。どうやら依頼主は、かつては戦闘集団の人間だったようだ。それも下っ端の人間ではなく、それなりに責任ある上のポジションのだ。それが一体どういう経過で今に至ったのかは分からないが、まあ戦闘集団が解散したのか自分から辞めたのか、そのどちらかだろう。
 こくこくとシャルトは相槌を打っているが、それもいい加減疲れてきたようだ。お子様は寝る時間だ、とまではいかないが、こんなに頭を振り続けていたら頭痛を催しても無理は無い。
 ふわ、とシャルトの服の中に入って首だけを出していたテュリアスがあくびをする。こちらは退屈どころか疲れ果ててしまったのだろう、そのまま首を中に引っ込めてしまった。どうやらこれから眠るらしい。おうおう、自由気ままなペットの身分は羨ましいものだ。
 不意に、再びテュリアスが首を出してこちらをじろりと批難めいた目で睨んでくる。そういえば、神獣は人間の心が読めるんだった。これじゃ迂闊な事を口にするどころか考える事もできない。
 ゆっくりとしたペースを保ち続けている俺に対し、まるで水を飲むような勢いで飲んでいる依頼主は目に見えた泥酔を始めた。時折呂律が回らなくなり、訳の分からない事を口にする。
 そろそろお開きだな。そう俺は思った。これ以上飲んでしまったら、明日の出発に依頼主が差し支える。二日酔いの憂鬱そうな顔を見せられながらの警護なんて、誰が好き好んでやりたいものか。
「一度酔いを覚ました方がいい」
 俺は自分のグラスを置き、依頼主のそれも置かせる。なんだ、と不機嫌そうに絡んできたが所詮は泥酔状態の人間だ、そう力が入るはずもなく俺は簡単にいなしてしまう。
「おい、シャルト。誰か呼んで来い。御主人はお休みの時間だ」
 分かった、とシャルトは立ち上がって部屋のドアへと駆けていく。
 人を呼ぶなら、さっきも依頼主が使った呼び鈴を使えばいいのに、あの馬鹿。
 すぐさま俺はシャルトを呼び止めようと口を開いた。
 だが。
 俺が声を出すよりも早く、肩を借りてふらふらと立っている依頼主が口を開いた。
「君を見ているとあの女を思い出すな。そう、確か名前は―――」
 は? 誰の事だか。
 酔っ払いは何を言うか分からない。俺は思わず微苦笑を浮かべたが。
 シャルトの表情は疑問の戸惑いを覗かせつつも見る間に険しくなっていった。



TO BE CONTINUED...