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本当に私は強くなったのでしょうか?
その疑問を、私はいつまでも拭う事が出来ませんでした。
せめて、自分にとって大切な人だけでも守れるほど強くなりたい。そして入ったヨツンヘイム最強の戦闘集団『北斗』。
その中で、どれだけ自分の意志に順ずるほど己を高める事が出来たのか。疑問が浮かびます。
本当に自分は駄目な人間なのでしょうか。
いえ。
絶対的判断はともかく、まずは自分の望む結果を出すために頑張らなければ。
行動。
とにかく、行動。
絶望するのは、それからでいいのです。
己の精神を平静に保ち。描いたイメージは、氷の姿を借りた鋭い刃を持つ剣。
私はそのイメージを手の中に体現化しました。チャネルから流れ込んでくる魔力が私の理性によってうまくコントロールされ、思い描いたものよりも若干一回りほど大きいものの、イメージ通りの騎士剣が現れます。それは手のひらから僅かに離れた中空を緩やかに浮かんでいます。
「行けっ!」
その剣を宙に携えたまま私は体いっぱいに振りかぶると、それを叩きつけるように前方へ放ちました。剣は唸りを上げて空を切り裂きながら真っ直ぐ一直線へと飛んでいきます。私の思い描いたイメージそのままです。
剣の向かう先には、風無の黒い影達が一つ、二つ、三つ、ゆらりと陽炎のように闇の中へ浮かんでいました。氷剣の切っ先は、その中の一人を捕らえています。このまま真っ直ぐ突き進めば、確実に急所を貫くでしょう。
しかし。
こんな安易な攻撃を容易に受けるような人間ではない事を私は知っています。今回の敵である彼ら、風無は、最強を誇る北斗十二衆の一派なのです。きっと私の攻撃など止まって見えているため、眼中になどないでしょう。けれど私の狙いはそこにあるのです。眼中に無い、回避など容易というのは、攻撃の性質や軌道があらかじめ予測出来るからです。どう飛んでくるのかが分かれば、後はその軌道から緩やかに体をずらせばいいだけで、目を瞑ってもかわせるという芸当が比喩的表現ではなく文字通りに可能なのです。けれど、もしもその予想を裏切るような軌道を、もしくは行動を氷剣がすればどうでしょうか。当然の事ながら、まったく予想のつかなかった突然の事態には、たとえどんな人間であろうとも少なからず動揺を抱いてしまう訳で。つまり、どれほど卓越した人間でも予想外の咄嗟の行動に移るまでには少なからず無防備な時間が出来るのです。
私は自らの放った氷剣には意識を繋げ続け、更に別なイメージを頭の中に思い描きました。
描いたイメージは、放射状に弾ける氷の飛礫。
「総員構え!」
隣でミシュアさんの凛とした声が響き渡ります。その声とほぼ同時に陣営の最前列が防御態勢を、そして続く二、三列目が攻撃態勢に入ります。
「散ッ!」
すかさず私は描いていたイメージを、前方に向かって突き進んでいる氷剣へ飛ばし体現化します。
すると、これまではたただ直進し続けるだけだった氷剣が激しい音を立てて破裂し四散しました。微細な塵と化した氷剣はその中空に浮遊し、白いもやのようなものを作り出します。
表情には出なかったものの、明らかに動揺から来る体の硬直を幾人かが見せました。その直後、すかさず攻撃態勢を取っていた列からの集中砲火が襲い掛かります。どうにか注意を奪われなかった影が即座にその場を離れます。しかし、確実にその回避動作が遅れた影が幾つかありました。
響き渡る爆発音。それは放たれた全ての精霊術法が何かに命中した証です。
爆煙が晴れると、そこには三つ動かなくなった肉片が転がっていました。うぇっ、と嘔吐感が思わず込み上げてきます。けれど動揺している暇はありません。私は注意をあえてそこから外し、更に続く戦闘へ集中します。
「一度仕留めたら、その倍の反撃が来ると考えなさい。そのため、幾ら相手を仕留めたとしても安易に気を抜いてはいけません」
「はい」
ミシュアさんのアドバイスに従い、私は更に自分の意識を鋭く冷たく研ぎ澄まします。この圧倒的に不利な戦況を制するには、一切の感情を場に交えてはいけないのです。必要なのは、確実な行動と正確な判断力です。
こちらが攻撃を仕掛けた直後、回避した風無の一団が一斉に両腕で空に十字を切りました。それに合わせて、すぐさま最前列が協力して巨大な氷の障壁を展開します。一斉に十字が切られた直後、展開した障壁が一瞬でズタズタに切り裂かれました。それはまるでレンガがまばたきする間に風化してしまったかのようです。
風無の事はあまり知らなかったので、この攻撃には初め驚き目を見張りました。これは、先ほど空を切った手から放たれた風が刃のように襲い掛かって障壁を削ったのです。どうやら風無は、こういった風を武器として操る技を得意としているようです。その切れ味は言うまでもなく、あの強固な障壁を、一つ一つは小さな傷ではありますが、容易に切り裂いてしまうほどです。私が普段使っている包丁のような刃とは比べ物になりません。風無の刃は、私の体ぐらいあっさりと半分に両断してしまうぐらいの威力があるのですから。
障壁が形を保てないほど切り刻まれてしまったため、意識を切り離す前に粉々に砕け散ってしまいました。襲い掛かってきた風の刃の数、威力が段々と増しています。こちらは決して障壁の生成の手は抜いていませんが、今の攻撃はやっとの思いで防いだ感があります。もしも後少し攻撃が強ければ、障壁は防ぎきる事が出来なかったかもしれません。
「弾幕は!?」
「間に合いません!」
そして、続け様に切迫した口調で早口の会話が行われました。この焦りは、今の攻撃を防御した際に余裕というものが全く無かったための焦りです。防御というものは、予測した相手の攻撃よりも幾分かの余裕を持って行うのがセオリーです。それは相手の攻撃力を多く見積もってしまうのはまだしも、少なく見積もってしまった場合、折角の防御を打ち破られてしまう危険性があるからです。そしてもう一つ、相手の攻撃を余裕を持って防ぐ事により『少なくとも致命傷を負う事はない』という安心感を得る事で、平常心を保ち続けるという目的があります。いつ防御を破られるのか分からないという状況は精神を追い詰め、徒に理性を萎縮させてしまうのです。
これまで私達は、相手の攻撃を最前列が防ぎ、二列目以降が攻撃を仕掛ける事で接近させない戦術を取り続けてきました。時折、相手の戦力を少しでも削って防御の負担を軽減させようと先ほどのような攻撃を仕掛けていましたが、敵の攻撃は弱まるどころか一層激しさを増しています。元々、数では劣っている私達です。既に体力的にも精神的にも限界が見えてきており、士気が少しずつ下がっています。このままでは風無に物量を持って押し切られてしまうのが目に見えています。そう考えているのは私だけではありません。ただ、考えていても口には出さないだけなのです。
「くっ!」
ミシュアさんが苦々しい表情を浮かべると、足を大きく開いて重心を深く取りました。そして右腕を前方へ構えると、それを左腕で支えます。
ぽつっ、と手のひらに小さな光が浮かびました。しかしそれは爆発的に膨れ上がり、あっという間にミシュアさんよりも大きな氷の塊を成します。氷塊はそれだけでは止まりませんでした。ミシュアさんを飲み込みそうなほどまでに成長した氷塊は、やがて形を変えて一つの巨大な剣を成しました。
傍らで見ていた私は、思わず唖然としてしまいました。こんなに巨大な剣など普通では有り得ない武器です。それを可能にするのが精霊術法なのでしょうが、これほどの大量の魔力を一瞬で制御してしまうなんて。未熟な私にしてみれば、とても考えられない神技です。
「伏せなさい!」
その言葉と同時に、私を含む二十数名が一斉に地面に伏せました。
ミシュアさんは途端に開けた前方に向かって、右手に生成した巨大なその剣を振りかぶり、そして真横に薙ぎ払いました。瞬間、ぶわっと強烈な風が吹き上げると共に青く冷たい閃光が弧を描きつつ放たれました。
そして青い閃光は、まさに障壁を破壊した瞬間を狙って更なる攻撃を仕掛けようとした数十名の体をまとめて上下に切り裂きました。今度はすり抜けたりはしませんでした。回避動作よりも閃光が捉える方が遥かに速いのです。
味方であるはずのミシュアさんに、私は恐怖すら憶えました。かつては凍姫で有数の実力者だったミシュアさん。精霊術法を極めるとは、こういう人並はずれた事を可能にする力を自分のものにするという事です。それは時として一瞬に大勢の命を簡単に奪い取る事が出来ます。幾ら使う使わないの判断が本人の手に委ねられているとは言え、その安易性が恐ろしくて仕方ありません。一体ミシュアさんは、それほどの力を持つ事をどう思っているのでしょうか? いずれ、私もそれだけの実力者になる事があるかもしれません。でもその時に私は、躊躇いなく自分の力を揮えるでしょうか? たとえ正当な理由があったとしても、何故だかそんな疑問を拭う事が出来ません。
と。
突然、これまでこちらの布陣に相対して半円状の陣を組んでいた風無の黒い集団が、何の前触れもなしに中央から左右に開けていきます。そしてその間から現れたのは、彼らと同じ全身を黒い衣服で覆った一人の人間でした。けれど、彼の放つ雰囲気は明らかに周囲と異質です。たとえるなら、周囲の人間が影だとしたら彼はそれを更に覆う大きな闇です。
「そろそろ、向こうも本気で来るようですね」
ミシュアさんが厳しい視線を黒い海を割って近づいてきた彼に注ぎました。
私は直感的に彼が風無の頭目であると思いました。姿形だけは周囲と何ら変わりがないのですが、明らかにまとっている空気が違います。そして取り囲む周囲も、これまでは仲間が死のうともまるで動揺を見せなかったにもかかわらず、彼の登場によって心なしか萎縮してしまっている感があります。
彼はゆっくりと音も立てず滑るように両軍の中央まで歩み寄りました。そして挑発的に腕を組みます。顔を覆う黒い布から唯一露出している目許からは、まるで矢で射るような鋭い視線が向けられています。その視線の先は……私? いえ、その隣のミシュアさんです。
「手は出さないで下さい。丁度いい時間稼ぎが出来ますから」
ミシュアさんは右手に巨大な剣を携えたまま、その挑発に応じて中央へと向かいました。立ち上がったみんなは思わずそれを止めようとしますが、素振りだけで道を次々と開けていきます。みんな分かっているのです。この劣勢の状況で更に時間を稼ぐには、これが一番の最善策である事を。
かつては有数の実力者であったミシュアさんですが、現在は現役を引退している身です。対する相手は、今回の騒動を起こした風無の最高責任者である頭目。あまり考えたくはありませんでしたが、私はどうしてもミシュアさんの方が分が悪いと思えて仕方がありません。現役を退いてからのブランクというものは想像以上に大きいものである、とリーシェイさんが前に言っていた事があります。しかも相手は現役の頭目です。
そして、更に付け加えると。
「来ない……のですか?」
ゆっくりと、まるで何かを押し殺しているかのような口調のミシュアさん。
先ほど私は見てしまったのです。ほんの一瞬、ミシュアさんが大きく息を切らせている所を。つまりミシュアさんは、もう体力的には限界が近いのです。それは単に現役から離れていたブランクによるものだけではなく、詳細は分かりませんが四年前に負ったという大怪我の影響が重なっているからかもしれません。
どちらにせよ、やる前から結果は分かりきっているようなもの。それを知っていながらもみんながミシュアさんを止めなかったのは、今、最も大切なのは一人の命ではなく、全体の命を守る事、その最善策がファルティアさん達が到着するまで時間を稼ぐ事です。同じ消耗戦ならば、全対全よりも個対個の方が遥かに長く時間が稼げます。ミシュアさんは自ら望んで時間のための贄になったのです。
その時。
……駄目。
私の中にぽつりとその言葉が浮かびました。
この状況を組織の観点から考察したら。一対一の戦闘でより長く時間を稼ぐ有利性は既知のものとして。ならば、その相手は何もミシュアさんではなくとも良いのではないでしょうか? ミシュアさんの存在は、このチームにとって大将格であり頼みの綱。そんなミシュアさんがいなくなってしまったら全体の士気は大きく傾いてしまい、あっという間にやられてしまうのが明白です。
だったら、たとえやられてしまっても最も全体の士気に影響を及ぼさない人間が戦うべきではないのでしょうか? まともにやりあえば、当然相手は一流派の頭目です、勝てるはずがありません。しかし時間稼ぎぐらいは誰でも出来るはずです。ひたすら障壁を張り続けるだけでも随分と持つはずですから。
では、一体誰が出るべきでしょう?
それは、最もチームに影響を及ぼしていない人。
居ても居なくても、それほど差のない人。
そう、私です。
私はゆっくりと頭の中にイメージを描きました。描いたイメージは、たった今、ミシュアさんが体現化した巨大な氷の剣です。けれど、それだけでは相手に与える威圧感は薄いです。少なくとも、上辺だけでもミシュアさんよりも強そうに見えなければ。
更にイメージを練っていきます。剣身を一回り大きく描き直しました。鍔を硬く堅牢に、グリップは完全に腕と同化させます。そして刃に凍てつくような凍気を封じ込め、振れば氷の刃が飛び出し、斬りつければ凍りつかせるようイメージを吹き込みます。
自分でも驚くほどイメージが軽快に出来上がっていきました。人間、追い詰められた時に発揮する集中力というものは、普段以上の能力を発揮するのだと思います。
よし……出来た!
私は手に触った感触までをも感じられるほどイメージを明確化しました。チャネルをゆっくりと開き、そこへイメージを投げ込みます。
そして。
私の右手から、空気の破裂するような、そんな音が聞こえてきました。視線を向けると、そこには先ほど描いたイメージそのものの剣が体現化されています。いえ、イメージよりも若干大きいかもしれません。しかし大きい分には問題はありません。これならば視覚的威圧感は十分発揮出来るでしょうから。
「待って下さい!」
どこにこれだけの勇気があったのでしょうか? 私は自分でも驚くほど、堂々とした声を張り上げました。
一斉に私へ視線が集められます。これまではずっと人の視線を浴びる事を避け続けていた私でしたが、今だけは不思議な高揚感が得られました。それはきっと、自分の思い描いたイメージ通りの体現化に成功したからだと思います。失敗ばかり続ける自分を見られるのは苦痛ですが、成功した時に見られる事は逆に快感なのです。
「リュネス……?!」
私を見たミシュアさんの表情が驚きに満ちています。けど、すぐに苦い表情へと変わりました。
どうしてでしょう? 私はこんなにうまく精霊術法が使えたのは初めてなのに。理解が出来ません。
それでも私は言葉を続けました。いつもよりも揚々とした気持ちで。
「私が代わります」
微かにどよめきが湧き起こりました。それも当然です。ミシュアさんほどの実力者ですら劣勢が目に見えるほどの相手なのに、私のような未熟者が危険な役目を買って出ようとしているのですから。ミシュアさんでさえ決死の覚悟を決めているのです。私ではみすみす死ににいくようなものでしょう。
けれど、時間を稼ぐ事は出来ます。たとえ死んだとしても、ミシュアさんほどに士気への影響は与えません。ミシュアさんはチームに必要な存在であるため、まだ死んではいけません。戦うのは私などでいいのです。私がこの剣で風無の頭目を倒します。いえ、それではつまらないので、もっと時間をかけてじっくりと。
……あれ?
ふと私は自分の思考に違和感を憶えました。風無の頭目を私が倒すだなんて。一体何を考えているのでしょうか。そんな大それた事が出来るはずがありません。それに今は、あくまで防御に徹して少しでも長く時間を稼ぎ、ファルティアさん達が到着するまでの間を繋ぐ事を最優先とすべきなのです。
自分が風無の頭目を相手にする。
その言葉には不思議と恐怖も緊張もありませんでした。それどころか逆に精神の高揚さえも感じられます。きっと私はまともにやりあっても死なないだろう、という根拠のない確信さえも生まれてきました。この状況で慎重に事を運ばないのは大変危険な事ではあるのですが、やはりすぐさま『どうにかなるだろう』という結論に辿り着きます。
私だったら丁度いい捨石になります。
私はそういった意味を込めてミシュアさんに呼びかけました。きっと、私が考えている士気の問題などはミシュアさんにも伝わっているはずです。だから私の考えにも賛同してくれる。そう信じてやみませんでした。
しかし、
「あなたはそこに待機していなさい」
ミシュアさんの返答は私の予想を大きく裏切る、そんな冷淡なものでした。私は思わず唖然としてその視線を真っ向から受けます。
どうして分かってくれないのでしょうか? この場はミシュアさんではなく、私が出るのが最善の策なのです。一体、自分が死んでしまったらどれだけ士気が下がってしまうのか理解しているのでしょうか? だからせっかく私が自分から言い出してスケープゴートになろうとしているのに。断る理由なんてどこにもないではありませんか。ミシュアさんが一体何を考えているのかさっぱり分かりません。
「で、でも」
私が時間を稼いだ方が、周囲への影響が少ないのです。
けれどその言葉が口を突くよりも早く、その言葉は鉄槌のように私を打ちました。
「これは命令です」
じろり、と冷たい視線が私を射抜きます。
どうして?
私の考え方は間違っているのでしょうか。いえ、そんな事はありません。ちゃんと計画的に考えれば、この場はミシュアさんではなく私が戦った方が効率的なのです。
私は間違っていません。おかしいのはミシュアさんです。
私は、正しい。
TO BE CONTINUED...