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レジェイドは足元を感慨耽ったようにしばし見つめていた。
石畳が捲れ返り、下地になっていた地面がむき出しになっている。その大きさは丁度大人が一人、すっぽりと納まるほどの陥没である。
つい先ほどまで、そこには一人の人間、流派『悲竜』の頭目が立っていた。今はもう、すっかり跡形も無い。自らの放った技によって塵も残らないほど消し飛んでしまったのである。
じっと何も無い地面を見つめるレジェイドの表情は複雑なものだった。静かな喧騒が表情のいたる所から滲み出ている。少なくとも、昨日までは志を共にした同志だったのだ。それを手にかける事に、何の感情も抱かないはずはない。
だが、やがて何か整理がついたのか、くるりとレジェイドはあっさり踵を返す。今は過ぎた事よりも先の事を考えなければならない時だ。一人、感傷に耽っている暇は無い。
「よう、そっちはどうだ?」
「終わりましたよ。まったく、手間のかかる子ですね」
そう溜息交じり答えるリルフェは、両手を軽く握ってそれぞれの腰に当て、さも誇らしげに胸を張っていた。
リルフェの隣には、白い岩のような塊に全身を埋め込まれて身動きが取れなくなった、流派『修羅』頭目の姿があった。これまで機械然としていた彼女の視線は、リルフェに対する露骨な殺気に満ち満ちている。敗北の屈辱を味わわされているせいか、表情が随分と人間らしく見える。
その一方、リルフェの制服はいたるところが赤く染まっていた。何箇所か、修羅頭目に肉ごと引きちぎられたようである。辛勝といった様子だが、修羅頭目は逆に大した負傷を負っていないようだ。むしろまだ戦える状態でありながら勝敗を付けられた事が悔しいのだろう。
「なんだ、随分とボロボロだな」
「思ったよりキカンボウだったんですよ」
そう言ってリルフェは、修羅頭目の額に右手をかざす。次の瞬間、勢い良く弾かれた指が、ゴスンッ、と鈍い音を立てて修羅頭目の額を撃ち抜いた。修羅頭目はぐるりと白目をむくと、そのままガクリと首を落とした。同時に拘束していた術式を解除する。修羅頭目は石畳の上に力無く崩れ落ちた。
子供の遊びの技ではあるが、リルフェは術式を取得した際の副産物として人並み外れた筋力を持っている。術式使いとしては一般的な副産物ではあるが、ただそれだけでも戦闘では大きなイニシアチブとなる。指先一つですら、その気になれば拳大ほどの岩すらも粉々に砕く事が出来るのだ。最も、それだけの衝撃に指そのものが耐えられる事が前提だが。
「ほう、無傷で生け捕ったのか。子供には優しいな」
「あらあら、失言ですねえ。私は宗教上の理由で人は極力殺さないだけです。それにこの人は、こう見えてレジェイドさんよりも年上なんですよ?」
リルフェは相変わらずにこにこしながら、石畳の上で転がる修羅頭目を仰向けに起こしてやる。気を失っている間に胸を圧迫して呼吸が止まるのを防ぐためである。
「は? マジか?」
「レディキラーを気取るには、まだまだ修行が足りませんね」
「そんな恥ずかしい名乗りを上げた覚えはねえよ」
舌打ちしながらレジェイドは肩をすくめる。
考えてみれば、自分がここまで言い包められるのは今の所、夜叉前頭目とリルフェぐらいなものだ。しかも、リルフェは先代とは違って暴力行為や威嚇動作を一つも用いず自らの論理だけで言い負かされる。さりげなくルテラの後釜に座っているし、もしかすると案外とんでもない大物なのかもしれない。
周囲をぐるりと見回すと、それぞれの頭目が倒されてしまった事で戦意を喪失してしまったらしく、流派『悲竜』及び流派『修羅』の面々は一様に気の抜けた表情をしていた。もはやこれ以上の戦闘が無意味である事は火を見るよりも明らかである。そのため夜叉の人間は倒す戦い方から制圧する戦い方へ切り替えていた。
この調子ならばもう間も無くかたがつくだろう。レジェイドは自らの大剣の剣身をゆっくり眺めて血糊がついていない事を確認すると、軽く一振りした後拾い上げた鞘の中へ収めた。
通常、生物を斬れば刃には必ず血糊がつく。血糊の除去を怠れば刃の切れ味は落ちて寿命も縮まり、そして鞘に収めてしまうと次に抜く時には剣身と鞘の中がくっついて抜けにくくなるのだ。
「ひとまず、こいつらは片付いたな。一度本部に戻って隊列を立て直し、そっちのが目覚めたら詳しい事情を聴取するとしよう」
「何か分かるといいですね。とても協力的になってくれるとは思いませんけど」
「だよな。拷問ってのもスマートじゃないし。お前ならどうするよ?」
「一週間、三食必要最低限の食事だけにします。お酒もお菓子も一切抜き。デザートなんて言語道断。これにつきます」
「お前にしか効かない、ってオチだろ?」
「それは分かりません。必ずしも私と価値観が同じではないと言いきれませんから」
結局は同じ事じゃねえか。
レジェイドは苦笑いを浮べて溜息をつく。だが随分と張り詰めたものが抜けた、柔らかい溜息だ。
リルフェはじんわりと額に汗を浮べている。表情こそいつものものではあったが、受けたダメージが相当辛いらしく会話を呼吸に邪魔される事がしばしあった。喋るだけでもかなりの負担があるようである。
こいつには治療と休息が必要だな、とレジェイドは思った。本人は治療はともかく休息など決して受け入れはしないだろう。北斗の危機に、頭目でもある自分一人だけが安穏と寝ている事は責任感が許さない。しかも流派『雪乱』はほとんど壊滅に近い状態だ。それに対する責任感だってあるはず。その気持ちも同じ頭目として痛いほどよく分かるのだが、しかし怪我人はどうしても気遣う必要があるし、戦闘能力も普段より落ち込んでしまう。死を覚悟して、という話ならば別だが、北斗はそんな精神論に頼る非効率的な戦い方は決してしない。徹底した現実主義に則ってきたからこそ、これまで北斗が存在し続けてきたのだ。
これこそ、多少強引な手を使ってでも休ませなくてはならないか。自分の性に合わない事をしなくてはならない事に気分が重く沈みかける。
「あら?」
不意にリルフェが途切れがちな弱々しい声を上げた。
「あ! あれは凍姫ですよ!」
遅れて振り向くレジェイド。
通りの向こう側からは濃紺色の上着を着た数名の集団がこちらに向かってくるのが見える。本隊にしては数があまりに少ない。おそらく一個小隊程度の規模だろう。だが、激戦区となっているはずのここへあえて送り込まれて来たという事は、皆が選ばれた精鋭揃いと考えて間違いない。諸流派において上位クラスの実力者は皆、たった一人でも千騎に相当する実力を有しているのだ。だがその基準とはあえて分かりやすく数字に置き換えただけの表現で、実際に千騎の戦力と対決させたとしても勝つのは北斗の一人だ。優れた戦闘能力を持つ北斗の中で達人と呼ばれる人間とは、それほどまでの超越した力を持っているのである。
僅か数人の援軍だが、実質は何千という大軍に匹敵するだろう。
ようやく一息つけると思ったのだが。収めたばかりの大剣が休まる暇も無い。そうレジェイドは苦笑いする。
勝敗の決した戦場に数名の人間を率いてやってきたのは、流派『凍姫』において三本の指に数えられる実力者のラクシェルだった。深紫の髪と褐色の肌が特徴で、その戦闘スタイルは主に手技が中心の打撃と組み合わせた術式だ。あらゆる物質を凍結させる絶対零度の術式と、術式の副産物で強化された筋力から放たれる一撃はあらゆるものを破壊する嵐のように荒々しいものだ。しかし、ファルティアとは違ってただ闇雲に力押しするのではなく、緩急をつけて的確に相手を攻め立てる。どちらかと言えば集団戦よりも一対一の戦闘を得意とするタイプだ。つまり、ある程度状況が片付いた今、最も現れて欲しくは無いタイプである。
「よう、ラクシェル。とうとう走狗に成り下がったか」
レジェイドは多少見知っている相手という事もあってか、開口一番、そうたっぷりと嘲笑を込めて冗談めいた言葉を放った。
しかしラクシェルは無言のまま拳を構える。その目は冷たく凍りつき、鈍い光を放っている。とてもレジェイドの記憶にある本人とは人物像が一致しない。別人と呼んでも差し支えないだろう。
人間が本質から変わってしまうのは非常に長い年月か、強い衝撃を受ける体験が必要だ。だが少なくともレジェイドの知る限りではそんな事件はここ最近起こっていない。そもそも、ラクシェルの変貌ぶりは少々常軌を逸している。自分の意思というものがまるで感じられないのだ。外見はそのままで、中身だけが入れ替わってしまったのかのように。そう、まるで何かに取り憑かれたのか。
「問答無用ってか。いよいよ使いッ走りだな」
やれやれとわざとらしく肩をすくめ、レジェイドは大剣を肩に担ぎ上げる。
「リルフェ、ここは俺に任せてお前は少し休んでろ」
「すみません、お願いします。若いのが楽させて貰っちゃって」
そう言ってリルフェはその場にへたり込むように腰を下ろした。両足を投げ出し、上半身を何とか石畳に両腕を突く事で支えている。だが首から上はがっくりと垂れ下がっている。休むにしてももう少し方法があるのだろうが、そんな余裕すらもう残っていないのだろう。
「さてと。いっちょ目ェ覚まさせてやるとすっかな」
レジェイドは大剣の鞘を左手に持ち、ゆっくりと抜き放った。
曇り一つ無い剣身が露になり、太陽の光を浴びて眩しく輝く。その煌きはレジェイドの内なる自信を表しているかのようだった。
「来い。稽古つけてやるぜ」
TO BE CONTINUED...