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 いつもと何ら変わらぬ寝覚め。
 今日も一日が始まる。
 そんな期待感を募らせながら始まる朝。
 しかし、今日は違っていた。
 予感が全くない訳ではなかった。ただ、確信するには至らず、不安程度に留めておく予感。それがまさか現実になるなんて、思ってもみなかったのだ。
 あの子は見た目よりもずっと大人びているから、私を自分なりに気づかっての選択だったのだろう。
 悪魔と呼ばれたあの子を庇う事がどれだけ危険なのか。
 私は戦う決意を決めていた。あの子は持たされた力が大き過ぎて翻弄されている。誰かが鞘となってあげなければ、必ず不和を生じてあの子の将来のためにならない。
 私はあの子の盾になってやるつもりだった。あの子を守ってやる事こそが私に与えられた神意だと、そして何よりも大人としての義務だと、そう思ったのだ。きっと神があの子に何らかの救いを与えてくれる。それまで、私は命に代えても守り通してやりたかった。
 しかし。
 伸ばした指の間を滑り抜けていくように、あの子は行ってしまった。
 それほど私は頼りなかったのだろうか?
 いやそれは、単に私に力がないから。
 半生を神に捧げた、その末路なのかもしれない。




「なんて事だ……」
 絶望のあまり、私は思わずその場に膝から崩れ落ちた。
 いつもと変わらない目覚めから、いつもと同じように部屋を出て朝の農作業に出かけようとした私。その前に、と礼拝堂へ日課となっている祈りを捧げに向かったその時。私はそれを見つけてしまった。
 小さく折り畳まれた古い羊皮紙。昨日までは確かになかったものだ。
 見つけたその瞬間に、私は嫌な胸騒ぎを覚えた。すぐさま掴むような勢いでその羊皮紙を手に取って広げる。そこには見覚えのある丁寧な字が綴られていた。
 今までありがとうございました。
 たった一行、宛名や署名すらない手紙。けれど私は、この手紙が誰から誰に宛てたものかだけでなく、昨夜私が知らぬ間に起こってしまった事までも即座に理解した。しかし、それでも現実を認めたくなかった私は、すぐさまあの子の部屋へと駆けて行った。
 これはきっと何かの間違いだ。
 そう祈りながらノックもせずにドアを開け飛び込んだその部屋は、いつの間にか生活感を根こそぎ拭い去られてしまい閑然としていた。あの子の荷物も、どこを捜しても見つからない。時間をあの子がここへ来る前まで巻き戻してしまったかのように、元と全く同じ閑散とした光景が広がっていた。
 ようやく、私はあの子がここから出て行ってしまった現実を理解し受け止めた。きっと昨夜の内に私に知られぬよう密かに出て行ってしまったのだろう。私に見つかれば必ず引き止められると思って。
 ここを出て行った理由なんて一つしか考えられない。
 昨日、たまたま教会へ葬式の事で相談しに来た村の男に、あの子は運悪く力を使っていた所を見られてしまった。そのせいであの子は『悪魔の子供』だと言われ、教会へ大勢の人間があの子を私刑にすべく引き渡すよう求めて来た。当然、そんな事に首を縦に振る訳にはいかず、私はがんとして拒み続けた。押し問答は憲兵が来るまで続いた。だがそれで終わりではなく、今日、もう一度詳しい事情を聞きに官憲がやって来る。その結果、あの子は、自分が居ては私に迷惑がかかるだろうと、自ら教会から出て行ったのだ。
 空っぽになった部屋にへたり込み、私は自分の至らなさを呪った。自分があの子を守るつもりが、これでは逆に自分があの子に守られているではないか。本来子供を守るべき立場の大人が、子供に損な役回りをさせ自らの安全を保つなんて。ただただ情けないとしか他に言いようがない。そうなってしまったのも、自分がそれほど頼りなかったからだ。
 あの子は神の存在を信じていなかった。
 目に見えない不確かなものよりも確実なものだけを信じていた、ある意味私よりも強い生き方の出来るあの子。自分の観念や視点を全て教典に則らせている私など、あの子から見ればただの現実逃避した弱い人間でしかない。強い人間が弱い人間に、たとえ大人と子供という力関係があったとしても、頼るはずがない。穿った見方をすれば、私はあの子に見限られたにも等しいのだ。
 意気消沈した私は、その重い足取りを引き摺りながら、再び礼拝堂までやってきた。
 聖像は今朝も変わらず、ただただ首を項垂れている。しかし私もまた同じように項垂れていた。
 神を敬愛する事に大半を捧げて来た私の人生。けれど、その長い年月の間に一体どれだけの事を成し得たのだろうか。その答えは言うまでも無く、今の自分の生活に現れている。人との関わりを失い、それでも信仰へ身を捧げ続け、行き着いた果ては一人寂しく生き長らえるような自給自足の生活だった。自分のために生き、形式的な信仰の態度を自己満足のために毎日欠かさず続け。そんな変化のない日々を送り続けた、これは言わば報いなのだ。
 私は頭を持ち上げると、キッと力強く正面の聖像を睨みつけた。
 昔と何ら変わらぬ、苦悶とも安らぎとも取れない表情を浮かべている聖像。神という概念を敬いやすいようにするため作り出された、偶像信仰を禁じる教典に対して矛盾した存在。
 何故私は、こんなものに心血を注いでいたのだろうか。ふと、そんな疑問が頭を過ぎった。
 そして、
「神よ! 信仰は人に救いをもたらすのではないのですか!?」
 そう、あらん限りの声で叫んだ。
 叫ぶと、心の重圧が軽くなるような気がした。それをきっかけに、押し殺していた感情は巨大な奔流となって一気に堰を切る。
「一体、どれだけ祈れば人を救えるのです! 所詮、信仰とは人の心を集めるためだけの気休めでしかないのですか!? 人が己が道を切り開く過程に干渉しないのであれば、神よ、あなたは一体何のために人の子へ祈りを捧げさせ信仰という枷をお与えになるのです! それとも、あなたの存在そのものが人の作り出した幻想にしか過ぎないのですか!?」
 目の前にあるのはただの彫像であり、自分の問いに答えてくれるはずがない。けれど、私は問わずにはいられなかった。あの子はあまりに理不尽な運命を受けている。それに対して何の手も差し伸べない神に苛立ちを覚えて仕方がなかった。
 けれど、
「私は……あんな幼子一人、救う事が出来ない……!」
 本当に許せないのは、子供一人救う事の出来ない自分の力の無さだった。
 神に頼らなくては何も出来ない自分。
 神が助けてくれると信じていた自分。
 そんな自分を疑いながらも、変える事の出来なかった自分。
 引き返せるものならば、引き返したかった。過去に戻って、今一度自分の人生を補正したかった。しかし、一度こぼれた水が元に戻らないように、私の過ちもまた元に戻す事は出来ない。
 今の私に許されているのは、これからの事だけだった。相対的には残り僅かな私の人生。その限られた時間を、私は一体どのように使えばいいのか。考えられるのは一つ、変化を恐れない事。自分の根底を覆す事になろうとも、それを乗り越えるだけの強さが私には必要なのだ。
「神に身を捧げ、教えを忠実に守り、人々へ和を説き続けた私は、一体何を手に入れたのですか!? それでも私をまだ不信心者と、あなたは蔑むのですか!? 神よ、どうかこの私に教えて示して下さい! 私はどうすれば、今日まで続けてきたあなたへ尽くした忠誠を無駄ではなかったと後悔せず済むのです!?」
 私が強さを手に入れるには、まず捨てなければいけないものがある。
 それは、
「信仰の先に、永久に救いが望めないのであれば、私は―――!」
 信仰。
 いや、違う。
 単に自分の弱さの理由を信仰に押し着せているだけだ。
 捨てるべきなのは、転嫁するその弱さだ。
 神の教えに逃げず、自らの良心を説き、その両方を踏まえた上で本当の意味での救いを目指す事。私は信仰の根本を誤ったのだ。信仰とは人生の指標ではなく、善悪を判断させる見本の一つでしかない。正しい事と誤った事は常なるものではないが、それだけに正しい事を定めさせる良心が重要なのだ。宗教の指標は正しいものではなく、ただの判断基準。それを見誤った私に、神の祝福などあるはずがない。
 自分すら救えない人間に人を救う事など出来はしない。私は信徒として人を光に導く以上、御心に適わなければならない。御心に適うには信仰に忠実であるのではなく、神の良心に近づく事。安らぎを与えたいのならば、自分が安らぎとは何かを理解する。優しさを与えたいのならば、その根本を理解する。では、誰かを救いたいと思ったのなら、救う事の理念を見出さなければならない。
 何を持って『救い』とするのか、まだ分からないが。私は今を境に、本当に自分が取るべきだった道を、その正しい姿に近づく事を目指そうと思う。
 残り僅かな人生をかけても、少しでも近づけるように。
 その日まで。
 願わくば、あの子の道に光が多く降り注がん事を。



TO BE CONTINUED...