BACK
「羅生門、抜けましたね」
北斗総括部と市街区とを結ぶ唯一の接点、羅生門。
そこは総括部内に立ち入る事を許された者のみが通過する事が出来る、北斗で最も閉鎖的な空間への入り口だ。
羅生門の扉を開けるには、頭目が定期的に集められる定例議会を除き、通常幾つもの申請を通さなければならない。それがたとえ頭目であろうとも、総括部の正式な認可が必要となる。仮に、羅生門の強行突破を試みようものならば、羅生門の番人である『前鬼』と『後鬼』によって瞬く間にこの世から消し去られてしまうだろう。二人は羅生門を守護するために総括部が特別に用意した戦士である。幼い頃から既に総括部への忠誠心を埋め込む教育と徹底的な戦闘訓練を施され、総括部にあくまで忠実であるよう作成されたのだ。前鬼、後鬼という名は代々羅生門の番人が受け継いできた名であり、本名は自己主張を奪う意味で捨てさせられている。
羅生門を守るべく戦うためだけの存在として育てられた前鬼と後鬼の実力は、当然北斗十二衆のいずれにも属さないでいながら、頭目すら匹敵するものである。もし、この羅生門を力ずくで通り抜けるならば、十二流派の内、最低でも二、三流派分の戦力が必要となる。しかしそれでも、この門番を倒すまでに至らない。総括部にいるのは基本的に戦う事の出来ない人間ばかりである。そのため、前鬼後鬼のような凄まじい戦闘力を持った存在を飼い慣らさなくてはならなかったのである。
「前鬼と後鬼がおらんな。やはり殺されたか」
「私、あの二人っていつも見てますけど、あんまり知らないんですよね。具体的にはどのぐらい強いんですか?」
「二人もいれば、わしと良い勝負になろう」
「じゃあ相当ですね」
羅生門を抜けてひた走るその一団は、様々な流派の制服が入り混じっていた。エスタシア率いる反逆軍に一度は敗走を喫した、北斗派の残党軍である。
先陣を切るのは、元流派『夜叉』頭目の天豪院空恢。そして、流派『雪乱』頭目のリルフェだった。
リルフェは、空恢には自分を過剰評価する癖がある事に気がついていたのだが、この言葉を仮に半分だけ評価したとしても、前鬼と後鬼の実力は頭目クラス、相当な達人という事になる。そんな門番が二人もいながら羅生門が突破された事実、エスタシアがどれほどの戦力を持っているのか、これだけで十分に伝わってくる。
「相手の戦力や状況について、出来るだけ正確で新しい情報を持ってこれるヤツがいれば、もうちょっとマシじゃったんだがな」
「流派『風無』も無くなっちゃいましたしね。まったく。ヒュ=レイカ君はどこに行ったんでしょうか。地獄耳のあの子だったら要る事要らない事勝手に集めてくれるから便利なのに」
「いない奴をあてにするな。幾ら優れた力を持っていても、散漫でふらふらと定まらぬ奴など戦力なるものか」
「その割に、レジェイドさんは随分フラフラしてますよね。私生活は」
「どうかのう」
その話題については、レジェイドはともかく自分もあまり強く反論出来る立場ではないため、空恢は言葉を濁すように話題の焦点をそらしにかかる。けれど、リルフェはそんな空恢に対し、何も言わずにっこり微笑んでみせる。実に無邪気そうに見える嫌味だ。
「それにしても、これのどこが作戦ですか? ただ真正面から突っ込んでるだけじゃないですか」
「所詮、付け焼刃の部隊だ。複雑な作戦など、かえって空中分解の元になりかねん」
「なるほど。命令系統もしっかりしてませんから、複雑な指示は出来ませんからねえ」
「お前さんもいっぱしの頭目を気取るならば、戦術を勉強するのだ。頭目は仲間の命を預かっているんだからな」
分かってますよ、とリルフェはやや苦い表情を浮べる。
リルフェの率いる流派『雪乱』は、エスタシア派の流派『悲竜』と流派『修羅』の挟撃によってほぼ壊滅に近い状態まで追い込められていた。その責任を決して軽んじてはいない。むしろ身を引き裂かれそうなほど苦しんでいる。だからこそ、リルフェは自分がするべき事を真摯に受け止め、努めて精神状態を普段のものに近く保っている。大勢の部下を死なせてしまった事を悔やむのは、むしろ彼らに対する不実だ。北斗を守るために戦い死んだ彼らがついてきた人間が何もせず立ち止まるなど重大な裏切り行為である。部下を思うからこそ、悔やむよりも前進する事をリルフェは選んだのだ。
羅生門を抜けると、左右を断崖で挟まれた一本道へと抜ける。断崖の上へ登る道は総括部まで無く、もしも賊徒が羅生門を突破したとしても、断崖の上から有利に攻撃を仕掛ける事が出来るのだ。
無論、定例議会で何度もこの道を通っている二人は断崖の事を知っており、まず最初に攻撃を仕掛けられるならばここからであろう、とそれぞれが左右片側を請け負って警戒の目を光らせる。しかし、絶好の位置取りであるにも関わらず、反乱軍の姿は一人として見かける事が出来なかった。こちらが定石を知っているため、その裏をかいてくるだろうと逆に警戒しているのかもしれない。そう考えると、この先どんな戦術を展開してくるのか予測をつけるのが非常に困難になってくる。それに、敵の総大将はあのエスタシアである。すんなりと事を運べるような生易しい相手ではない。
やがて。
羅生門から北斗総括部に至るまでの道程を半分ほど駆け抜けただろうか。
「む……つけられておるな」
突然、空恢は鷹のように鋭い目で部隊の後方を見やる。そうですか、とリルフェは訝しげに空恢へ問い返すが、空恢は急に険しい表情になったまま押し黙って答える事は無かった。リルフェの問いにはその様子だけで十分答えとして足りた。
リルフェも含め、部隊の誰もが後方から近づく敵の存在に気づいていなかった。にも関わらず、最前列をひた走る空恢が最後尾の人間が気がつかないほどの隠行に長けた敵を察知出来たのは、彼の感覚自体が異常だからなのである。生まれ持った才能ではなく、長年培ってきた経験と研ぎ澄まされた勘に寄るものだ。百戦錬磨の猛者にしか持つ事の許されない、いわゆるギフトである。
「ひい、ふう、みい……ざっと三百という所じゃな」
「三百も!? でも、幾らなんでもそんなに大勢で移動したら、私だって普通気がつきますよ。第一、後ろから来たって事は羅生門の近くで待ち伏せしてたって事ですよね? その時は感じなかったんですか?」
「いまいち良く分からんのだ。どうもうまく気配が掴めぬ。何か膜のようなものが気配の伝わりを遮っているようじゃ」
「それって何かの術式でしょうかね? でも聞いた事ありませんねえ。空気を遮断してしまえば確かに音とかも遮れますから気配も掴みにくくなりますけどあくまで個人での術式の場合ですし、術式も高度なものですから使い手も限定されます」
「まあ、こんな事が出来るのもあやつらだけじゃろう。下らん真似をしおって」
チッと空恢は舌打ちし、再び厳しい表情のまま黙りこくった。余裕が無くなると途端に無愛想になる所はレジェイドと正反対である、とリルフェは思った。しかし、実力的には空恢の方が上なのかもしれないが、レジェイドのように口数を減らさない人間の方が不安感を与えないためどこか心強く思える。黙ったまま自分の頭の中だけで考え事をされると、何をどう思っているのかこちらに伝わってこない。それだけ真剣になって状況に集中しているのだろうけど、周囲にはこんな風に状況が悪ければ悪いほどマイナスの影響を及ぼす。
「どうします? 迎え撃ちますか?」
「そうじゃな。わざわざご丁寧に後ろへ回り込んだという事は、不意を付いて挟撃するつもりなのだろう。その前に相手の裏をかいて叩く」
リルフェは右手を背中へ回すと、指を大きく動かしてすぐ後ろにサインを送った。するとすかさずその隊員は同じように右手を背中へ回して自分の後ろへサインを送る。そうしてリルフェの出したサインが次々と連鎖的に部隊に伝達されていった。言葉を使った指示は相手に悟られやすく、語彙によっては誤解も生ずるため非常に高いリスクを伴う。だが指を使うサインでは命令内容の誤解は生じにくく、音を立てないため敵にも察知されにくい。更に、たとえ敵に知られたとしても具体的にどんな指示が下ったのか知る事が出来ない利点もあるのだ。
そして。
「全体、反転ッ!」
唐突にリルフェが驚くほど通る大声でそう叫んだ。ほぼ同時に部隊の全体がぴったりと息を合わせて足を止めると、片足を軸にしてくるりと向きを百八十度反転させる。
振り返ったその先には、先ほど空恢が指摘した通り概算で三百ほどの大部隊が軒並みを連ねていた。
突然、何の前触れも無く反転した残党軍に、後ろをつけていた彼ら反逆軍は明らかな動揺を露にした。そしてリルフェはその隙を見逃さず、一気に畳み掛けにかかる。
「突撃!」
予め心構えが出来ているのと出来ていないのでは初動動作が大きく変わる。
動揺で浮き足立った反逆軍に対し、残党軍は自分達の後ろから忍び寄っていた反逆軍の存在を把握しいつでも戦闘態勢に移れるよう構えを作っておいた。ただそれだけの差が、片方がもう片方を圧倒する構図を作り出してしまう。
一気に雪崩れ込んで行く残党軍。相対する反逆軍は隊列も乱れたまま修正する事が出来ず、不完全な形で応戦するしかなかった。しかしそれは、グリップを締めていない剣で相手の斬撃を受け止めようとするようなものである。最初のインパクトの刹那だけがまともな勝負と呼べる瞬間だった。後は氷細工のように隊列が脆くも真ん中から左右に両断されると、臓物を掻き回すように次々と部隊を分断させて行き、そのまま断崖へ押しつけるような形で潰しながら掃討していく。時間に計算すれば、僅か十分足らずの出来事だ。そんな短い時間で三百もの部隊が消滅させられてしまうなんて、敵にしてみれば悪夢のような光景である。
「さて、こうなると慌てるのが前から襲撃するはずだった部隊じゃな。そろそろ戦力をこちらにも分けるべきじゃ」
「はい、分かりました。伝令ッ! 前五列までこちらに引いて下さい。残りは随時一列ずつ合流する事。これより前方からの挟撃を警戒します」
リルフェは一般的に、マイペース、もしくはのんびり屋などといった、非常に緩慢な性格であるとカテゴラライズされる。しかし、今のリルフェはまるで別人のように、矢のように鋭く響き渡る指令の声と真剣な眼差しは普段のイメージを十分に払拭するものだ。
単に普段は緩く構え、必要な時だけ今のように豹変して指揮を執るだけの事かもしれない。しかし、流派『雪乱』が壊滅に等しい状態まで追い込められた事実は、少なからずリルフェに頭目としての重い責任の再確認と、内に秘める挫けぬ心の強さと精悍さを僅かなりにも与えていた。リルフェは以前よりもほんの少しだけ、空恢のような史上に残る名将に近付いた。
リルフェの指示に従い、即座にリルフェ側から見た陣形の五列が切りをつけてこちらへ引き返して来た。列のそれぞれが全く違う流派の人間で混成されているにも関わらず、驚くほど息の合った行動である。目的を一つとして立ち向かって行った事で、短期間の内に彼らを朋友とさせるほど相互理解を加速させたのかもしれない。
既に背後から奇襲をかけるつもりだった反逆軍三百名の部隊は、初動で中心線を分かたれた事が大きく影響し、数える程度の戦力にまで落ち込んでいた。当然、戦意を失っていない者はおらず、皆戦いを放棄していた。
しかし、幾ら今は敵と言っても、元は同志だった人間を手に掛けるのはあまり気分の良いものではなかった。
自分の指揮は仲間を生かし、勝利を手にするためのものだ。しかしその反面、戦術を練るという事は、元の同志を殺すための算段を立てているのと同じことでもある。
北斗は徹底した現実主義。たとえ相手が誰であろうと、今、敵であるならば迷わず討たなければいけないのだ。こんな時、すぐに割り切って考える事の出来ない自分を、リルフェは叱咤するべきなのか否か判断に苦しんだ。頭目としては、自らの甘い考えで仲間を窮地に追いやらぬようにするためにも叱咤するべきである。しかし、それをしてしまうと自分の中の何かが壊れてしまいそうで怖かった。自分を分けてしまったら、どっちが本当の自分なのか分からなくなるからである。
とにかく、今は先に進まなければ。
リルフェは仲間の骸を思い返す事で自らの心に楔を打ち込むと、頭目に徹するための気構えを今一度立て直す。
「さあ、行きましょう」
若干、強さを帯びた表情のリルフェに、空恢はどこか満足げに頷き返した。
突然、振り返ったリルフェの目の前に、常識ではとても考えられない光景が広がった。
リルフェの目の前には、白と薄橙に燃える巨大な炎の壁が立ち塞がっていた。つい先程まで、それは確かに存在していなかったものだ。たった今、爆発的な勢いで地面から炎が伸び天を衝いたのである。
「こ、これは!?」
さすがにこの予想だにしていなかった事態に、リルフェは驚愕せずにはいられなかった。このあまりに巨大な炎の壁が何であるのか、理解して落ち着こうとすればするほど、余計に深みへと嵌まって行く。
そうしている内に、炎の壁は驚くほどの速さで左右の丈を広げ、リルフェと空恢を包み込みにかかった。この辺りにあるのは岩ばかりで、油のような可燃性のものは一つとしてない。本来なら焚き火程度の火も起こすことは出来ないのだが、現に炎の壁は高々と白い肢体をくねらせながら激しく燃え広がっている。
「慌てるな! 浄禍だ!」
と、不意に放たれた空恢の一括がリルフェの頭を急激に冷却して冷静さを取り戻させた。
火種も無しに燃える炎など、作る方法は幾らでもある。僅かなものであれば自分でも作り出す事が出来るのだ。これはただ、そんな仮想の炎が規模を変えただけにしか過ぎないのだ。ほんのちょっとだけ、炎の規模が自分の知る範疇から外れただけにしか過ぎないのだ。
この北斗には、精霊術法を用いて通常ではあり得ない夢空事のようなことを体現化する事に長けた集団がいる。たった今、空恢の口から飛び出した流派『浄禍』の浄禍八神格だ。 白く輝くように燃え盛る炎の壁は、あっと言う間にリルフェと空恢を取り囲んでしまった。しかし驚くことに、これほどの炎に囲まれていながら、少しも熱さや息苦しさを感じ得なかった。この炎が通常の炎とは明らかに異なる性質を持っている事の証明である。
そして。
「来たぞ」
前方の炎の壁の一部が、まるで意志を持ったかのようにぐにゃりとうごめくと、丁度人間が二人ほど通れそうなほどの大きさの穴を開いた。その向こう側から二つの人影がゆっくりとこちらへ近付いてくる。濃紺の修道着を纏い、フードを表情が見えなくなるほど目深に被っている。その姿はまるで、神に仕える修道女だ。
「見よ、父なる神は新たな御心をお示しになられた」
「即ち、信徒に与えられし試練と祝福、そして奇跡である」
現れたのはやはり、案の定浄禍八神格の二人だった。
一体どれとどの座かは、姿形からだけでは伺い知れない。しかし、確か八神格の中にはこういった炎の御業を司る人間が一人居た。その名は『聖火』の座だ。二人の内片方は、この『聖火』の座と考えて間違いないだろう。
「どうやら逃げらんなくなりましたね」
リルフェは口調だけ普段のように間延びさせたまま、ゆっくりと戦闘態勢に入る。
この炎の壁、『聖火』の座が作ったものであれば普通の炎とは全く別物であると考えて良いだろう。これだけの炎に囲まれても息が出来るのは、炎が燃えるには酸素を必要としていないからだ。当然、水をかけて温度を下げ炎を消すような事も不可能と考えて間違いないだろう。強引に飛び込んで突破するにも、果たしてこの炎はどれだけの威力を秘めているのか分からない以上は、迂闊に触る勇気も湧いてこない。この場から安全に逃げるには、この二人の浄禍八神格を倒す他無いのだ。
「ふん、北斗を堕落させた根源め」
空恢はゆっくりと差した刀を抜き放つ。すると、まるで地獄の釜の蓋を開けてしまったかのように、急激に辺り一面には刃で刺すような威圧感のある殺気が爆発的に広がった。その勢いに気圧されたのか、僅かに炎の壁の背丈が沈む。傍らのリルフェは、それは自分へ向けられたものではないと分かっていながらも恐怖を覚えずにはいられないほどの殺気だった。
「北斗をあるべき姿に戻してやろう。ただし、そこにお前達の姿は無い」
TO BE CONTINUED...