BACK
最初の一撃は、それだけで雌雄を決するかのような激しい上段からの袈裟斬りだった。
大剣と術式で作られた吹雪の剣の軌道がぴったりと重なり合う。本来なら、交錯した二つの剣は激しくぶつかり合い、そこから火花の散るような鍔迫り合いに移行する。しかし、二本の剣はぶつかり合う事無くそのまま互いをすり抜け、与えられた自らの軌道を走り続けた。
刃が互いの相手の肩を寸分の狂い無く狙って襲い掛かる。だが、同時に二人はそれぞれ相手の剣から体を半身ずらして回避した。攻撃と回避を同時に行う、実に器用な体捌きである。
やはりやり辛いな……。
それは相手が懇意の人間だからではなく、凍姫の戦闘指南役であるあのミシュアだからである。
凍雪騒乱の際に負った怪我さえなければ、本来は流派『凍姫』の頭目に就任していた器だ。しかも最近では、かつての体力を取り戻しつつある。突っ込むだけが取り柄のファルティアとは違い、力、技能、知略、全てにおいて完成されている戦士だ。過小評価したとしても、自分と互角だと思わなくてはいけない。
すかさず、武器の重量では遥かに軽いミシュアが横薙ぎにかかった。咄嗟にレジェイドは大剣を縦に構えて防ごうとする。しかし、すぐさまそれが無駄な行為である事を思い出し、逆に踏み込むと剣を振り切る寸前の所でミシュアを体当たりで弾き飛ばした。だがミシュアもまた咄嗟に後方へステップし、ダメージを最小限に抑えた。
ミシュアの体現化した吹雪の剣は、レジェイドにとって実に厄介な代物だった。通常剣の攻撃力は剣そのものの重量によって決まる。レジェイドの剣は、レジェイドが無駄なく奮える限界までの重量に調整されている。だが、人間一人を仕留めるにはあまりに過ぎた威力だ。元々大剣は集団戦用の毛色が強いものだから当然なのだが、逆に一対一の勝負では相手との実力差が拮抗していればするほど重量の不利は大きくなる。
ミシュアの剣が完全に一対一を想定して体現化されている事は明白だった。攻撃力は人一人を倒すに十分な程度に抑えられ、重量は軽く手数をより多く繰り出せるようにしている。その上、金属ではなく実体の無い精霊術法の刃であるため剣同士を接触させる事は出来ず、攻撃を撥ね除ける事すら出来ない。そうなると、当然重量の軽い方が小回りが利くため有利となる。
敵は小銃、自分は大砲。確かに攻撃力とリーチでは勝っているが、そもそも当たらなければ役には立たない。
さて、どうやって攻略していこうか。
今にも冷や汗が伝い落ちてきそうな硬い表情で、レジェイドは苦し紛れに口元を歪めた。
とにかく、まずは相手のペースを崩す所から始めるとしよう。そこから何らかの攻略の糸口が見つかるはずだ。
動作の大きい払いから、コンパクトに繰り出せる突きへ構えを変える。しかし、突きは速度と突進力が無ければ武器としての有用性が薄い。払いとは違って攻撃範囲が酷く限定されてしまうため、回避動作は最小限で済むのである。ミシュアほどの実力者を相手に、急ごしらえの突き技がどれだけ通用するのか。不安は尽きない。
接近戦は、軽量な武器を持つミシュアの間合いである。そこへ飛び込む事は自殺行為であるとは百も承知だが、このままセオリー通り自分の間合いを保とうとした所で、いづれはミシュアに踏破されてしまうのが落ちだ。ならばあえてセオリーに無い行動を取るしか道は開けない。
剣を構えたまま、猛然と突進するレジェイド。その行動にミシュアは一瞬、動作を止めた。案の定、レジェイドほどの人間がそう安易に突っ込んでくるとは考えていなかったのである。
しかし、そこで動揺を続けるほど脆い精神構造をしているミシュアではなかった。
すぐにレジェイドの目的を察知すると、まっすぐレジェイドの喉に目掛けて同じく突きを放った。踏み込んだ手前、石畳から片足が離れているため前進する力がある以上はそう簡単には体を横へステップさせる事が出来ない。
このままでは、突き出された吹雪の剣に自分で自分の喉を貫いてしまう。
だがレジェイドも、相手のこの程度の反応は予め予測していた。まるで慌てる素振りも見せない。
レジェイドは突きの型に構えていた大剣の腹を喉を守るように目の前へ寝かせた。直後、大剣と接触した吹雪の剣は、まるで剣の腹に飲み込まれるように音も立てず切っ先から次々と無効化し、分解されていった。
吹雪の剣は分解しても即座に再生する。しかし、払いでは無く突きの型に対してならば、剣身を縦に押し潰すようにして剣そのものを一時的に分解し尽くす事が出来るのである。
あっと言う間に大剣の腹が柄まで到達する。瞬間、レジェイドは左手で吹雪の剣を繰り出すミシュアの腕に鋭く手刀を叩き込んだ。突きを放っているため完全に伸び切っていたミシュアの腕から、まるで若枝を折るような鈍い音が響く。ミシュアは手にしていた柄を取り落としてしまった。
貰った。
レジェイドは躊躇い無く、返す刀で首を払いにかかる。
しかし、同時にミシュアは前へ踏み込んだ。折れた右手とは逆の手の中に圧縮した吹雪の塊を体現化する。襲いかかるレジェイドの払いの下へ潜り込み、手にした吹雪をレジェイドの踏み込む勢いも乗せて鳩尾を中心とする付近へ叩き付けた。
レジェイドの体は驚くほど大きく後ろへ吹き飛ばされる。止まるには石畳の上に背中を数度打ち付けなければならなかった。
レジェイドの体格は常人に比べ大柄であるが、決して隆々とした筋肉ではない。とは言えその体重は少々の押しで揺らぐほど軽くはない。無論、平均よりもやや上程度の腕力しか無いミシュアではよろめかせる事すら出来ない。つまりは体現化した術式の威力がそれほどまでに凄まじいのである。
インパクトの瞬間、めきめきっ、と体が軋むような音を聞いた。どうやら何本か肋骨を折られたようだ。
出来る限りダメージなど無い素振りで、平然と立ち上がる事に努めるレジェイド。しかし、不意に喉の奥から一溜りの血が逆流し、それを嘔吐してしまった。レジェイドは苦笑いを浮べながら唇に残った赤い残滓を甲で拭う。
実に綺麗な術式だった。咄嗟に引き出せたエネルギーが一片の無駄も無く凝縮されていた。これほどの術式の使い手は、北斗にはそうはいないだろう。
ミシュアの表情には骨折の痛みは見られなかった。おそらく戦闘の興奮で、ヒビ程度では痛みも感じないのだろう。もっとも、感じていた所で表情に出すようにも思えないが。
しかし、こちらははっきりと分かるほどの痛みが脳まで突き刺さってくる。痛みを我慢するのは慣れているが、それは感じない事とは別の問題であり、この先全ての行動が痛みの伴って余分な体力を消耗させる。
肋骨数本で、ようやく腕一本。これではとても割に合わない。しかし、幾らミシュアでも付け入る隙は残されている事は証明出来た。どうにかして意表を突くことが出来れば、これまでと同じ戦い方で勝つ事は十分に可能だ。
考えろ。どうすれば相手の予想の範疇を逸脱出来るのかを。
そして、レジェイドはおもむろに大剣を下段に構え直した。
意表を突く自信はあった。術式の剣士であるほど、必ずかかる自信が。
ミシュアは上着の袖を破り折られた腕をきつく縛ると、取り落とした柄を拾い直して再び吹雪の剣を体現化する。そして今度は自らレジェイドに向かってきた。
ぎゅっと大剣の柄を握り締め、筋肉を張り詰めさせる。意識の全てを右肩から剣の切っ先まで集中させる。肋骨の痛みがその集中を妨げてくる。呼吸はいつもより若干深く吸う。
「うらあああっ!」
落雷のような大声で吠えるレジェイド。同時に繰り出された大剣は、何も無いレジェイドの目の前の空間を下から上へと薙いだ。
無意味な素振り。一見そう思われても仕方ないレジェイドの行動だったが、驚くべき事に大剣の通り過ぎた先の石畳が、まるで何かがそこを通過しているかのように真っすぐミシュアに目がけて剥がれ落ち、巻き上げられたまま空中で砕け散って行った。
「なっ!?」
ほんの一瞬、ミシュアの表情が驚愕に変わる。
咄嗟の判断でミシュアは踏み込みを止めると同時に障壁を展開した。
それはずしっと圧しかかるような、ごく単純な衝撃だった。レジェイドの剣が気流を作り出し、それを弾丸のように撃ち出したのである。
驚愕の理由は、『術式を使えない剣士は離れた所から攻撃は出来ない』という固定観念のせいだった。そのためレジェイドが術式も無しに遠距離からの攻撃を仕掛けてくる事は、剣そのものを投げでもしない限りあり得ないと考えていたのである。
踏み込みながら受け身に回る、という格好の的をレジェイドは逃さなかった。 障壁で未知の攻撃を受ける最中のミシュアの元へ一気に飛び込む。そして、上段から大剣を真っすぐ打ち落とした。
衝撃波と斬撃を立て続けに受け切られるほど、咄嗟の障壁は頑丈では無かった。
切り下ろしの衝撃に耐え切れず崩壊する障壁。受け止め切れなかった衝撃はダイレクトにミシュアへ伝わっていった。強烈な重力のような衝撃はみしみしとミシュアの体に食い込む。足を開いて重心を落とし、両腕で骨格を支えても全身の骨が軋み続けた。
「終わらせて貰うぜ」
レジェイドは吹雪の剣を持つミシュアの右手首を掴むと、それを捩り、剣の切っ先を下へ向ける。そして容赦なく、ミシュアの右足を石畳へ縫い付けるかのように、足の甲を突き刺した。足の自由を奪い、逃げられないようにするためである。更に左手で突き上げるような掌打を放ち、ミシュアの顎を撥ねた。鍛え様の無い構造的な人間の弱点を打たれ、脳を激しく揺さぶられ記憶が刹那に飛ぶ。
レジェイドは大剣を水平に構え一歩下がると、ミシュアの首に目がけて繰り出した。もはや、単に首と胴体を分かつと言うよりも、首から上を叩き潰さんばかりの勢いである。
右足を貫かれ、僅かに口元が苦痛に歪むミシュア。しかし、それでもじっと佇んでおとなしく首を差し出す訳にはいかなかった。
斬撃が振り切られる直前、ミシュアはあえて右足で踏み込んだ。まさか接近されるとは思わなかったレジェイドが、今度は思考を止める番だった。
ミシュアはくるりと一回転してレジェイドの胸に自らの背中を押し付けると、肩越しに振り抜いている最中の右腕を掴む。そして腕を前へ引くのと同時に自らの体は小さく折り曲げ、左足でレジェイドの軸足を刈った。
レジェイドの体は自ら振り抜いた勢いも相俟って、大きく宙を舞い、頭から石畳へ落下した。
さすがにレジェイドも、頭よりも遅れて体が着地するまでの間、意識を喪失してしまっていた。石畳に四肢を放り出すように仰臥するレジェイドの額が血に染まり始める。だが辛うじて大剣だけは手放してはいなかった。
再び攻守が逆転する。
間髪入れず、ミシュアは握り締めた拳へ先程よりもより大きく、密度の高い吹雪を纏わせる。そして、未だ立ち上がっていないレジェイドに目がけて、天から打ちすえるように繰り出した。
衝撃が抉ったのは、先ほどと寸分違わぬ地点。ただでさえ激痛の走るそこへより強いインパクト、そして石畳を背負っているため衝撃は抜けにくくより効率よく伝わる。
一呼吸置き、レジェイドは吐けるだけの息を吐き出さされた。もはや自分が声に出して叫んでいるのかどうかも判別はつかなかった。
TO BE CONTINUED...