BACK
私は今まで信じてはいませんでした。それが本当にあるなんて。
けど、私は今、はっきりとその片鱗を目の当たりにさせられました。
やっぱり、本当にあるのだと思います。
私は信じてみようと思います。
運命というものを。
願わくば、またいつもの勝手に思い込んだ甘い幻想ではありませんように。
まずは気持ちを落ち着けて。
私は大きく深呼吸をすると、そっと返した両の手のひらに意識を向けました。
頭の中に大きな門のイメージを浮かべます。それは昨日、開封を行った時に思い浮かべたものと同じ、まるで地獄の入り口のようなおどろおどろしい門です。
描くイメージは、小さな氷の球体。それを手に取れそうなほど、出来る限りはっきりと思い描きます。そして私は目の前にそびえる重厚な門をゆっくり開けました。
駄目……!
途端に門は恐ろしい勢いで自ら開こうとします。私は慌てて門を閉めようとしました。門の向こう側からはびりびりと肌を刺すような冷たいものが伝わってきます。それをこのままこちらに通してはいけない。けれどその冷たいものは強引に扉の間から流れ出てしまいます。そして―――。
小さな破裂音と共に、私はハッと目を開けました。
「う〜ん、まだ駄目か」
口をへの字に曲げながら唸るファルティアさん。眉の間に皺を寄せ、難しそうな表情をしています。
私の目の前には、不規則な形に膨れた氷の塊がありました。チャネルは閉じてしまったのでこれ以上の膨張する事はありませんが、私がイメージした氷の球体からは遥かにかけ離れています。意識を離すと、氷塊はぱりっと小さな破裂音を立てて消えました。体現化された魔力は、基本的に意識を切り離すと消えてしまうのです。
「当たり前だ。一朝一夕でどうにかなるものでもあるまい。第一、お前の教え方は『どーん』や『ずばっと』、挙句の果てには『じゃっくり』などと稚拙な擬音語ばかりで分かりづらい。これで制御できるようになる事自体が奇跡に等しい」
リーシェイさんが淡々とした表情でファルティアさんに痛烈な批判を浴びせます。そして、二人はまたいつものケンカを始めました。初めの頃はすぐにおろおろしてしまっていたのですが、今ではさほど慌てはしません。人間の適応能力は凄いと思います。
「まあ、確かにファルティアの教え方も悪いっちゃ悪いね。よし、もう一回やってみよう。今度は無理に球体をイメージするんじゃなくて、小さい塊でいいから。初めは漠然として、そっから徐々に鮮明にするの」
ラクシェルさんが二人にあきれの溜息をつきつつアドバイスしてくれます。私はまたの失敗に落胆する気持ちを建て直し、はい、とうなづきました。まだ全くと言っていいほど思い通りに出来ないけれど、私は訓練を始めたばかりなのですから。三人とももっと長い間沢山の訓練を積んできた訳なのですから、今日始めたばかりの私がそう簡単に使えるようになるはずはありません。
もう一度呼吸を落ち着けて、頭の中を空っぽに。
描くイメージは、先ほど体現化しようとした球体と同じぐらいの氷塊。それを手を伸ばせば本当に持ち上げられそうなほどまで、表面の輝き、冷たい触感、時間と共に小さく溶けていく様、それらを細部に渡って鮮明に。
と―――。
ごーん。
突然、建物の中からでもはっきりと聞こえる大きな鐘の音。北斗の中心にある大時計台の鐘の音です。
「っと、お昼だ。根詰めてやっても意味ないから一息入れよう。ハイハイ、あんた達もいい加減にする」
ラクシェルさんはパンパンと手を叩きながらケンカしている二人を鎮まらせます。
そして私は三人の後をついて訓練所を後にしました。
ファルティアさん達は昼食はいつも凍姫本部周辺の通りにあるお店で食べていました。夕食は、それぞれの予定が噛み合うとは限らないので、それぞれで取るそうです。ただ、リーシェイさんもラクシェルさんも疲れている時以外は自分で作るという点がファルティアさんとは違います。リーシェイさんが、『ファルティアは消費行動しか出来ない人間だ』と言っていました。それはさすがに言い過ぎとは思いますが、初めてファルティアさんの部屋の惨状を目の当たりにした時、少しずぼらな性格な人とは確かに思いました。
「肉と魚、どっちにする?」
「動物性タンパクしか考えられないのか?」
「折角の栄養も、頭には回ってないよねえ」
みんな楽しそうに談笑しています。けど、私はうまく会話に参加出来ませんでした。元々私はあまり話し上手ではなく、下手に話すとかえって場の空気を興醒めさせてしまうのです。かえって喋らない方が場の空気を汚さないで済むので、あえて黙っているのです。
だから、みんなが談笑している時も黙っている事に慣れてしまったのでしょう。私は会話に入れないという事がそれほど苦痛ではありませんでした。
と。
「おいっす」
ふと聞こえたのは、男の人の声でした。
「よっ。何? またサボってんの?」
「またって何だよう。僕はちゃんと真面目にやってるよ。全力二割引で」
「真面目じゃないじゃん。手抜き手抜き」
「分かってないねえ、オネエさん。いっつも本気出してたら、体壊れちゃうよ」
「そういうこまっしゃくれた所が気に食わん」
その人はファルティアさん達と親しそうに会話をしています。どうやら知り合いの人のようです。
「あれ? もしかしてこの娘ってさ、ウワサの?」
ふと、その人がひょいっと顔を私の方に向けてきました。
突然の事に私はどくんと心臓が高鳴り、乾いた唾を飲み込みます。やはり初対面の人はどうしても苦手です。
その男の人は、私よりも一つか二つぐらい年上の同年代の人でした。髪の色は黒に近い深緑、後ろの髪を細く伸ばして束ねています。
「ああ、そうだ。私の愛人だ」
「違います!」
さも当たり前のように答えるリーシェイさんに、私は思わず普段は出さないような声を張り上げました。私の事が噂になっているらしいというのに、更におかしな事まで吹聴されてはたまりません。
「リュネス=ファンロンです。初めまして」
「僕はヒュ=レイカ。これは、お近づきの印」
するとヒュ=レイカと名乗ったその人は私の元へ近づくと、右の手をひらひらとかざします。そしてくるりと中空で一回転させると、次の瞬間、今まで何もなかったそこから一輪の造花が現れました。
「え? あれ?」
驚く私に、ヒュ=レイカさんはその花をそっと握らせます。
本物の花ではないとは言え、明らかにそれは私の手の中にありました。幻覚、錯覚ではありません。確かにヒュ=レイカさんの手には何もなかったはずなのですが……。
「おう、出た出た。いっつもその手口だ」
けれどラクシェルさんは、まるで見慣れたもののようにそう冷やかします。ファルティアさんもリーシェイさんもまるで驚いた様子がありません。何かタネがある事を知っているからでしょうか? 知らない私はただ驚くしかありません。
「あ、そうだ。キミさ、シャルト君のこと知ってる?」
シャルト。
その言葉に、再び心臓がどくんと高鳴ります。
「シャ、シャルト君って……もしかして夜叉の?」
「そう。ボーッとしてて、子猫が引っ付いてる」
間違いありません。その子猫は実は子虎のテュリアスです。シャルト、という名前で子猫と間違えられるような動物を連れている。これ以上の似た人はいるはずがありません。
「やっぱりそうか。なんかキミのこと捜してるみたいだったよ」
シャルトさんが……私を?
そういえば、ここのところ私はシャルトさんの事が頭から離れていました。あまりに環境の移り変わりが目まぐるし過ぎて、目の前の出来事についていくだけで精一杯だったのです。シャルトさんは私にとって命の恩人である大切な人です。にも関わらず忘れてしまっていたなんて。あまりに薄情です。
「まあ、どうでもいっか。それよりさ、今度デートしない?」
え……? デ、デート?
その時、ヒュ=レイカさんの頭を背後から、上から押さえつけるようにぐわしっとリーシェイさんが掴みました。
「リュネスは私のものだ」
「誰かのものだって、そんなの今時流行らないと思うけど?」
じろりと睨みつけるリーシェイさんの視線は、私には普段決して向けない冷たく鋭いものでした。向けられるだけで震えてしまいそうなほどの迫力があるのですが、ヒュ=レイカさんは平然としていて自分のリズムを全く崩していません。
「救い難き馬鹿は放っておいて、行こ行こ」
ラクシェルさんが私の手を取って行きました。はあ、と気のない返事をして私は連れられていきます。
シャルトさんが私を……。一体どうしてなのだろう? どうして……。
シャルトさんは私に会いたがっているという事なのでしょうか? いえ、まさか。もしかすると何か別の理由があるだけなのかも……。でも、私はシャルトさんに会いたいと思います。考えてみれば、もう私にはシャルトさんとの接点はありません。これまで唯一場を等しくする場所だった爛華飯店はもうありません。だから今の私がシャルトさんに会うには私的理由や用件がなくてはいけないのです。
たとえば?
……デートしようとか。
絶望的、とは決して言いません。でも厳しい事は確かなのです。何らかの偶然性が働かない限り。
でも、その偶然性がありました。
シャルトさんが私を捜している。
これを理由にしてシャルトさんに会いに行く事も可能なのです。無論、これまでに発揮した事もない度胸が必要になりますけど……。
「あいつらも成長ないわね」
「人のことは言えないっしょ?」
TO BE CONTINUED...