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ある日の昼休み、シャルトさんの病室を訪れてみると。
「……あれ?」
そこは空っぽでした。
私はすぐさま通りかかった看護婦さんを呼び止め、シャルトさんの事を聴きました。すると、丁度今日の午前、シャルトさんは退院して自宅に戻ったそうでした。
しまった。
私は慌てて病院を飛び出しました。向かう先はシャルトさんの部屋です。
今日が退院だったなんて。最後にお見舞いに来たのは五日も前です。その時はまだ退院が決まったという事は聞いていませんから、おそらくそれからでしょう。五日も空けなければ、こんな大事な日に遅刻するという失態をしなくて済んだはず。シャルトさんが入院したのは私に原因があるのですから、その退院にはトレーニングを休んででも迎えに行ってあげるのが筋というものなのに。本当に、私は気が利かないばかりか肝心な事をいつも見落とします。
シャルトさんは夜叉の宿舎に住んでいて、そこの何号室かも私は知っていました。けれど、訪ねた事は一度もありません。というよりも、そもそも私は男の人の部屋というものは入った事がないので、訪れる機会にもどこか二の足を踏み勝ちです。男の人が住む場所はどういうものなのかは知りませんが、なんとなくイメージはあります。ただ、そこにはどうしてもシャルトさんの姿があって、いつも部屋とはまるで関係のない方向に暴走してしまうので途中で止めています。どうしようもありません。いつも想像だけで満足しないで、行動し手に入れるように自分には言い聞かせています。それが自分の殻に閉じ篭らないで、可能性そのものを最大限に引き出す最善の方法だと思うからです。これについてはそこまで意気込む必要はありませんが、かといって今までと同様に保守的になる必要もありません。
「あった……」
遂に辿り着いたシャルトさんの部屋のドア。
夜叉の宿舎にはまるで人の気配が感じられませんでした。きっと、今頃みんなはトレーニングをしている最中だからだと思います。本当は宿舎には部外者は勝手に入ってはいけないのが普通ですが、とりあえず誰もいないので見つからなければいいという事にしておきます。
私は高鳴る心臓を抑え、右手で軽くこぶしを作りノックの構えをします。何も緊張する必要はありません。ただ、退院の挨拶をするだけなのです。それに……今はシャルトさんとは以前よりもずっと深い仲である訳で―――。別にそこまで遠慮はしなくてもいいのですけど、どうしても部屋を訪ねるというのは初めてという事もあってか緊張がなかなか消えてくれません。
意を決してノックしてみます。
けれど、
「……あれ?」
一分ほど、私はドアの前で立ち尽くしていましたが、一向に中の様子が変わる気配がありません。
もう一度、今度はやや強めにノックしてみます。そしてそのまま私はドアの向こうから聞こえるであろう足音に耳を澄まします。
「間違って……ないですよね?」
一向に変化のないドアの向こう側に私は不安を覚え、改めてドアを確認します。やはり間違いはありません。
留守なのでしょうか?
そう考えてみましたが、退院直後で外出するとも考えられませんし。シャルトさんの怪我は決して軽くはなかったのです。幸いにも命に別上はありませんでしたが、搬送直後は昏睡状態だったのです。あれからまだ一ヶ月しか経過していないのですから、おそらく普段の生活をするだけでも辛いと思います。
ふと何気なく、私はドアノブを握ってみました。すると手応えが緩く、簡単に左右に捻る事が出来ました。どうやらカギがかかっていないようです。
そういえば以前、ファルティアさんと口論した時に聞いた事があります。シャルトさんはドアにカギをかけない性格らしいのです。さすがに出かける時はかけるそうですが、家に居る時は絶対にかけないそうです。理由までは聞いてませんが、とりあえずカギがかかっていないという事はもしかすると部屋にいるのかもしれません。
「こんにちは……あのリュネスです」
私は静かにドアを開けると、そうあらかじめ自分の存在を示しながら中に入りました。一応、悪意を持って侵入する訳ではないのです。
ふと、手をついたドアの内側に奇妙な板がついているのを見つけました。これは一体何なのでしょうか? そう疑問に思いましたが、あまりベタベタと触って余計な事をするのもどうかと思います。
玄関から中に入りドアを閉めると、私は廊下をゆっくりと進んでいきます。
ここがシャルトさんが住んでいる所……。
そう考えると、変に呼吸が荒くなります。これではまるでおかしな人です。初めての人の部屋に入った時、まずはその独特の匂いというものにわくわくするような新鮮さを感じます。しかもそれが、私の好きな男の人であるシャルトさんなので、より一層胸の高まりは大きいです。
とにかく、こんな事をしに来たのではありません。ちゃんとシャルトさんに退院の挨拶をしなくては……。
「こら、待てテュリアス!」
突然、廊下の向こう側からシャルトさんの大声が響き渡りました。続いてドタドタと駆け回る音が聞こえてきます。
何でしょうか?
そう思っている内に、ぴょこんと白い影が私の前に現れました。
「にゃあ!」
絶対嫌!
それは、濡れた体をぶるるっと震わせたテュリアスでした。テュリアスは一度私の方へ視線を向けると、そのまま奥の方へちょこちょこと走り去っていきました。
「お前、病院にいた時は一度も風呂に入ってないだろう! 今日は逃がさないぞ!」
どたどたと走る足音が近づいてきます。声も段々と大きくなってきました。シャルトさんがテュリアスを追ってきている、と私は思いました。どうやらテュリアスはシャルトさんから逃げているようです。
そして。
「逃げたって無駄だか……ら?」
テュリアスに続いて、私の目の前にシャルトさんが現れました。シャルトさんの髪は濡れてしんなりと下に向かって垂れ下がっています。シャルトさんの髪は細くて柔らかいからです。
シャルトさんの驚きに満ちた目と、私は視線が合いました。そして、私も息が止まって声が出せなくなっていました。体が石になってしまったかのように硬直しています。
視線を一度下に下げ……シャルトさんの顔を見ます。そして再び視線を下に下げ……。
はっきりと確認出来て急に背中と顔が熱くなりました。
目の前のシャルトさんは、裸でした。
「あ、リュ、リュネス……なんで?」
「す、すみません! お風呂だったなんて知らなくて……私、出直して来ます!」
私は何かを言いかけていたシャルトさんの言葉にも構わず、急いで踵を返して一目散に部屋から出て行きました。
なんて私はタイミングが悪いのでしょうか? いえ、逆にタイミングが良かったのか……。でも、これってただの犯罪だと思います。勝手に人の家に上がり込んで、あまつさえあんな姿まで……。
一気に階段を駆け下りると、熱くなっていた頬と背中が更に熱くなりました。それにつられて、たった今、目にしたばかりの光景がくっきりと頭の中に浮かび上がってきます。
ようやく宿舎が見えない所まで来ると、私は足を止めてその場に立ち尽くしました。あの映像が頭の中で何度も繰り返し流れます。私の体温は留まる所を知らず上がり続けます。そして同時に、あの映像はより鮮明さを増します。
……見ちゃった。
TO BE CONTINUED...