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北斗は殺戮集団じゃない。
どうしてか、こんな時になってその言葉が頭を過ぎった。
前にヒュ=レイカから言われた言葉だ。俺が怒りに任せて襲撃をかけてきた敵を片っ端から討っていたのを諌めるために。
北斗は力のない人間のための守り手。その圧倒的な戦闘力は、戦うためではなく守るための力だ。けれど、俺はあまりそういった自覚はない。ただ強くなる事だけで頭がいっぱいだったからだ。
今、この瞬間。こんなにも誰かを守りたい気持ちでいっぱいになったのは初めてだ。
命に代えても守りたい。
それが北斗として最も重要な心構えなのかどうかは分からないけれど。
自分の気持ちに偽りは無い。
世界が酷くゆっくりと動いている。俺の思考は加速し続けているのに、時間の流れはじれったいほど緩慢だ。
頭が鉛のように重い。走れば走るほど足の感覚が薄れてくる。夜の暗闇を『断罪』の座が体現化した騎士剣が放つ神々しい光が切り裂いているにも関わらず、俺の視界はどんどん暗く沈んでいく。それでも周囲の気配と音、微かに見える輪郭を頼りに俺は突進する。
光が強まっていくのが分かった。それは『断罪』が体現化した巨大な騎士剣が上空から真っ直ぐ下へ向かって落ちているからである。剣が落ちるその場所と俺の向かう先は全く同じなのだ。
近づけば近づくほど、騎士剣が放つ威圧的な空気の流れが強く俺の体にぶつかってくる。びりびりと肌に魔力の波動が伝わってくるものの、感じられるのはその流れだけで衝撃も何もない。肌触りから何となく皮膚を薄く切り裂いているような感じだけれど、痛みは感じない。皮一枚切られる程度、どうってことはない。
俺は痛みが感じない自分の体に、いつも不安と恐怖の入り混じった気持ちを抱いていた。人とは違う体質、そして痛みを感じない事によるリスク、何よりも本当に治るのかどうか、日常の何気ない瞬間にそれらが一斉に恐怖の高波となって押し寄せてくる事がある。けれど、今は痛みを感じられなくて都合が良い。何となく自分でも分かるのだが、今の俺の体は普通の人間ならとっくに痛みに耐え切れず、とても動けるような状態ではない。それでも俺には動かなければいけない理由があるのだから、この根深い無痛症に感謝したのはおそらく初めてだろう。
「うっ……ゲホッ!」
と、不意に喉の奥に粘る感触が張り付き、思わず咽る。どこかに深い傷がついたせいだろう。けれど俺は構わず前進する。今はどんな傷を負おうとも、全く止まるつもりはない。たとえ足が一本なくなったとしても、腕を使って這いずって行く。首と胴体を切り離されでもしない限り、俺は絶対に進む事はやめない。
口の中に逆流してきた喉の血を吐き捨てる。そして尚も前進。
俺の向かう先には、剥き出しの地面に横たわるリュネスの姿がある。浄禍が展開した結界の力を受け続けたせいだろう、ついさっきまでは暴走しながら盛んに術式を行使していたのだけれど、今はぐったりとしたまま動かない。浄禍の結界に囚われ過ぎたせいで気を失っているのだ。あまりに一方的に事を進めていく浄禍に怒りを覚えるものの、今はその怒りの矛先を向けて憤慨する場合ではない。
そのリュネスに向かって、巨大な騎士剣の刃先が光を放ちながら向かっていく。刃先は真っ直ぐリュネスを捉え、今まさにリュネスの命を奪い取ろうとしている。
させるものか。絶対に。
痛みは感じないが、体はあまり長く持ちはしない。気迫だけでも強く持っていないと、あっという間に倒れて動けなくなってしまいそうだ。だから意識して強く自分とその目的を持ち続ける。気力が充実している内は、まだ体は動いていられるのだ。
俺はずたずたになった足を更に酷使して加速する。あの剣よりも先にリュネスの元に辿り着けるなら、もう一生歩けなくなっても良いと思った。リュネスを目の前で死なせてしまった事を引き摺るよりは、不自由になった足を引き摺った方がずっといい。
あと、残り五歩。
俺は遂にリュネスとの距離をそこまで縮めた。しかし、それに伴って騎士剣もまたリュネスへ残り三メートルほどの位置へ迫ってきている。
死なせるものか。
絶対に俺が助けてみせる。
あの時のような思いをするのは、もう沢山なのだ。後悔しながら生きるより、満足して死にたい。いや、別に死にたがっている訳ではないけれど、ただ後悔する選択肢だけは選びたくない。それが死ぬよりも嫌なのである。
好きな女の子を守る。
それは、自分の命と引き換えにする価値のある高尚な思いなのだろうか?
知った事か。
守りたいから守るんだ。命を賭けてでも。
―――そして。
「リュネス!」
最後の一歩を、俺はリュネスの名前を叫びながら最後の力を込めて地面を蹴ると、倒れているリュネスと迫り来る騎士剣の巨大な刃先の間に自分の体を滑り込ませた。騎士剣の刃先は、残り二メートルを切る位置まで迫っている。俺が刃先に向かって立てるギリギリの高さだ。
間に合った。
その安堵も束の間、俺は目の前に迫り来る騎士剣の刃先を眼前に見据えた。
リュネスを抱き抱えて逃げる時間はない。このままではせっかく間に合ったというのに、俺共々リュネスが串刺しにされてしまう。それじゃあ意味はない。心中するためにここまで来たんじゃない。
「うおおおおおっ!」
俺は姿勢を低く構えたまま、迫り来る刃先へ自らの両手をぶつけてリュネスを守る盾とした。あちこちが切り裂け、未だに動かせる事が不思議なほど血に塗れた俺の両腕。このあまりに巨大な敵からリュネスを守るにはあまりに頼りなく見えたのだが、
鼓膜が破れそうなほど甲高い音が響き渡る。
突き出した俺の手のひらが、迫り来る騎士剣の刃先を受け止めた。向かってくるその騎士剣は『断罪』が体現化した精霊術法だ。当然、素手で受け止められるはずはない。しかし、俺の手のひらに触れる寸前で刃先は確かに止まり、力が拮抗している事を示す魔力の火花を散らせている。
よく見ると、俺の手の周りに白い靄が纏わりついている。これは一体なんなのだろうか? けど、どうやらこれが刃先を受け止めているようだ。
そうだ。
俺は頭の隅に微かに残るそれを実行してみる。脳裏に手が触れそうなほど明確なイメージを細部に渡って描く。描いたイメージは、何をも通さない頑丈な白い板。すると、俺の腕の周囲に漂っていた靄が集まり膨れ、描いたイメージ通りの白い板を体現化させた。
これはまるで精霊術法のようだ。でも俺はチャネルを封じられているから使えないはずなんだけれど。いや、とにかく何だっていい。リュネスを助けられるのであれば。
だが。
「くっ……」
刃先がずしりとこちらへ進んできた。俺はとにかく無我夢中でそれを押し戻そうとするも、向かってくるのを押し留めるだけで精一杯だ。
このままじゃ駄目だ。
俺は自分の状態が分からない訳ではない。こんな消耗戦を続けていたって、先に力尽きてしまうのは俺の方だ。
なんとかしないと……。
視線を後ろに倒れているリュネスに向けた。そして、もう一度目の前の騎士剣を見据える。弱気になりかけた気持ちが再び奮い立つ。
負けてたまるか。ここまで来て。
俺は絶対に守り通す!
TO BE CONTINUED...