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 ……。
 ……。
 ……。
 沈黙と無口は違う。
 ……。
 ……。
 ……。
 違うったら、違う。




「もう、遅いよ二人とも。早く行こう」
 レジェイドと共に夜叉の訓練所を出てから数十秒後。そこに現れたのはルテラだった。やや不機嫌そうな表情をしている。どうやら来るのを待っていたようだ。
「遅いってな、俺はこいつみたいに終わったらホイホイ帰れるような立場じゃねえんだよ」
 そうレジェイドが俺の頭をぽんぽんと軽々しく叩いてくる。
「人を無責任に生きてるように言うな」
「無責任だろ? それとも何か責任でも背負ってるのか?」
 責任。
 レジェイドは夜叉の頭目という立場である。頭目とは各流派の最高責任者であり、流派内の中で絶対の発言権、決定権を持っている。こう並べると頭目とは随分優遇されている立場のように思えるが、それ以上に頭目には課せられている仕事は膨大である。夜叉そのものを運営していく上で、単純な経理、本部から定期的に通達される派遣依頼の整理、果ては人員管理まで。もしも夜叉が正常に機能しなかった場合、その原因は全て頭目にある、と言われてしまうのだ。夜叉の総員はおよそ百数十名。全流派の中では特別多い方ではないのだが、それでもレジェイドの生活はその円滑業務のために著しく制限される。にも関わらず、レジェイドは特に辛そうな素振りも見せずに日常の一片としてこなしている。毎日、とにかく訓練だけに集中し、後は全て自分の時間となる俺に比べたら遥かに自由の無い息苦しい生活だ。
 と、なると。
 俺は何か責任とかあるだろうか? むしろ自分の事だけを考えてしか生きていないのでは……。
「ホレ、分かったか? やーい子供子供」
 黙りこんだ俺に、得意げになってレジェイドが更に頭をポンポン叩く。しかし反論の出来ない俺は、ただじっとうつむいてそれに耐え続ける。
「もう、やめてよお兄ちゃん。いい年して、子供なんだから」
 と、そこにルテラが割って入った。どん、とルテラがレジェイドの胸を両手で押す。途端にレジェイドの体がよろよろと後ろへよろめいた。レジェイドは背も高く、必要な筋肉だけが鍛え上げられた強靭な体をしているのだが、単純な腕力はルテラの方が強い。外見だけを見比べると、どう見てもルテラよりレジェイドの方が強そうに見えるのだが。
 ルテラは精霊術法の副産物として、見た目にそぐわぬ筋力を手に入れた。それが長年夜叉で訓練を積んだレジェイドを凌駕するものである。勿論、実戦においての勝敗は腕力だけで決まるのではないのだが、精霊術法によってあっさりと同格ラインに並ばれた事をレジェイドはぼやいていた。夜叉は精霊術法は使わない流派だ。それだけに、長年かけて手に入れた実力が、精霊術法によって今日明日に手に入れられるものとほぼ同じというのが納得がいかないのだろう。訓練の厳しさを実際に肌で感じているだけに、レジェイドの理不尽に思う気持ちが良く分かる。
 ちなみに、俺もまた精霊術法の開封を受けた事がある。もう二年も前の話だ。流派は『雪乱』。とある事情があって、ルテラの伝手で開封を行った。しかし、今は精霊術法は使えない。これも更にとある事情がありチャネルそのものを『浄禍』に封印されているからだ。開封の際の副作用は筋力の強化だったが、封印してからその恩恵は薄らいで来ている。今の腕力はほとんど自分自身の本来のものだ。色々な意味で。
「ああ、どうせ俺は子供ですよう。バブー」
 ふんとふて腐れるレジェイド。その姿を俺は、シャワールームで無理やり体を洗われて拗ねたテュリアスに似ているな、と思った。言っている事はそれと同レベルだ。
「その変なテンションやめてよね。シャルトちゃんが真似したらどうするの」
 まるで自分が盾になるかのように、ルテラは俺を自分の後ろに引っ張り込み、そうレジェイドにあきれた口調で溜息混じりに言い放つ。
 誰が真似するか。
 しかし、頭の上で交わされる二人のやり取りに背伸びして首を突っ込むのは格好悪い。だから俺はあえてそれを聞こえなかった事にした。
 そして一通り悶着し終えた後、俺達は三人で目的の店へと向かった。ただ、俺はどこに行くのか分からなかったので、二人のやや後ろに位置を取って続く。
「で、なんだよ今夜は。まあ大体お前が急に俺を呼ぶ時は分かってるんだけどさ」
「違います。別にたかりに呼んだんじゃないの。なんかね、レイが呼べって」
「あいつがか? あんにゃろう、また何か企んでやがんのか」
 やれやれ、とレジェイドが頭を掻く。その仕草をするのは、本来、他に何か別の目的がある時だ。そしてこういう場合の他の目的も、選択肢は非常に狭く限られる。
 ヒュ=レイカ。
 レジェイドは人を食った事をするだけに、ヒュ=レイカのような、そういう事に関しては天才的なヤツを苦手としている。しかし、俺はそれ以上にヒュ=レイカが苦手だ。あいつは人をおちょくるネタを山のように頭の中に詰め込み、しかもそれに満足する事無く日々新しいネタを模索している。一方俺は、そのネタを試す体のいい実験台になっている。自分が騙されやすい性格である事は否定しない。けど、それを知っていて様々な小賢しい謀を巡らすヒュ=レイカは、どう考えても悪意を持っているのではないかと疑いたくなってくる。俺にしてみればヒュ=レイカは天敵だ。蛙に蛇である。
 ―――と。
「随分な言われようだね」
 突然、俺の背後から何者かの声が聞こえてくる。
 ビクッと体を震わせて振り返ると、案の定そこにはいつの間にかヒュ=レイカの姿が現れていた。
「また妙な現れ方しやがって。相変わらず気配の消し方がうめえな」
「人を驚かせるのは僕の専売特許さ」
「くだらねえポリシー引っ下げてんじゃねえよ」
 俺とは違い、レジェイドもルテラも特に驚いた風もなく、淡々とした様子でヒュ=レイカの登場に語意を落とす。同じ気配を感じられなかった者同士でありながら、この差。これはきっと慣れなのだろう。決して度胸ではない。そう俺は祈る。
「で、よ。おい、お前、なんか俺に用があるってみたいだが?」
「ん? ああ、それね。もうなくなった」
 レジェイドの問いににっこりと微笑んで答えるヒュ=レイカ。この屈託の無い笑みに、俺は何度騙された事か。
「実はさ、レジェイドを呼んだのってシャルト君を連れ出すためだったりするんだな、これが。ほら、最近シャルト君ってなんか暗いでしょ? だから一緒にご飯食べようみたいな事を言っておけば、勝手にシャルト君を誘ってくれると思って。やっぱり予想通りだったね」
 は?
 その単音を、俺と、レジェイドと、ルテラと。顔をしかめながら一斉に放った。
 つまり。詳しくは分からないが、俺がレジェイドにあの事を話すのも、レジェイドが俺を夕食に連れ出したのも、全てヒュ=レイカの計略の内だったと?
 悪い冗談だ。
 しかし、その悪い冗談を実際にやってのけるのがヒュ=レイカだ。人が考えつく限界の一歩先を行く、というのがこいつのポリシーだ。そんな人間にとって、この程度の計略はほんのお遊び半分でしかないのだろう。ヒュ=レイカは史上最年少の頭目だった頃があったが、それは何も実力だけではなく、こういった小賢しさもあったからなのだろう。これだけ思い通りに人を動かせられるのであれば、さぞかし敵対した連中は恐ろしい目に遭わせられたに違いない。
「あのな、だったらそんな回りくどい事しないでこいつだけ呼べばいいだろ。俺はな、今夜は本当は―――っと、とにかく忙しいんだよ」
 レジェイドが途中で半端に言葉を濁す。その不自然な発言に、ルテラがじとっとした視線で横目に睨みつける。何が言いたかったのかは俺にも大体想像がつく。
「だってさ、僕だけだと警戒するし。ルテラに頼んでも良かったんだけどさ、うっかり余計な事まで喋っちゃう可能性もないとは言い切れなかったし」
「喋るって何のコト?」
「いや、今日は凍姫のアレが一緒だってこと」
 は……?
 俺は思わずあんぐりと口を開けてしまった。そしてすぐさま悪夢のような悪寒が背筋を駆ける。
 凍姫。
 今までだったら絶対に関わりたくない流派だ。別に凍姫そのものには恨みつらみがある訳ではない。そこに在籍する、あの二人と関わりたくないのだ。危険人物のリーシェイ、怪談マニアのラクシェル。どちらも俺にとってはヒュ=レイカと同等の苦手な人物だ。
「なんだ、お前だけじゃなかったのか?」
「あれ? お兄ちゃん知らなかったっけ?」
「聞いてないぞ。ってか、正直あの連中苦手なんだよな。おしゃべりな女は趣味じゃねえし」
 顎に手を当てて、むう、と考え込むように唸るレジェイド。だがその仕草には多分な余裕があり、本当に悩んでいるそれにはまるで遠い。
 それだけの理由ならまだいい。じっと黙って耐えてればいいのだから。
 でも、俺の場合はまるで勝手が違う。リーシェイはすぐにおかしな行為に及ぶし、ラクシェルは下らない……けどなんだか危険で後を引きそうな話をして脅かすし。そこに今夜は更にヒュ=レイカがつく? 冗談じゃない。これじゃあ俺はまるで蛇に囲まれた蛙だ。
「帰る」
 くるっと踵を返し、その場を後にしようとする。
 が、
「うわっ!?」
 突然、俺は足がもつれて前へつんのめるように転んだ。
「こんな事もあろうかと、靴紐を結ばせてもらったよ。っていうか、今さっきね」
 ニコニコと微笑むヒュ=レイカ。だがその顔が、俺には悪魔に見えた。
 靴を見ると確かに靴紐が左右酷く複雑に絡まって結ばれていた。一体いつの間に、しかも俺に気がつかれずやってのけたのだろう。いや、手品やらマジックやらを挨拶代わりに行うこいつにしてみれば、さして難しい事ではないのかも。
「そういう訳で、ルテラ。シャルト君を搬送して」
 ぽんぽんとルテラの肩を叩くヒュ=レイカ。しかし、ルテラは訝しげな視線で見つめ返した。
「なあに? もしかしてレイさ、シャルトちゃんをイジメるために集めた訳?」
 だったら怒るわよ。そう言いたげな表情だった。
 こうなっては、今の味方はルテラだけだ。俺は祈るような気持ちでルテラのやり取りを見守る。
「いや、違うよ。むしろその逆。う〜ん、これはあまり言いたくないんだけどなあ」
 と、ヒュ=レイカがチラチラと俺に視線を送る。
 何のつもりだ? とにかく、何か良からぬ事を考えている事だけは分かる。
「何よ。言ってごらん」
「ほら、この間さ、凍姫に新しく入った娘のこと知ってるでしょ?」
 ……あ。
 その瞬間、俺は自分でも驚くほどの頭の回転でヒュ=レイカが何を言わんとしているのかを察した。慌てて制止を叫ぼうとするが、慌て過ぎたため声が喉から出ない。まるで声の出し方を突発的に忘れてしまったかのようだ。
「噂ぐらいしか聞いた事無いけど。それがどうかしたの?」
「実はその娘さ、なんだかシャルト君と只ならぬ関係だとからしいんだよねえ」
 にやにやと再び視線を俺に向けるヒュ=レイカ。その後をルテラの視線が続く。
「バッ、な、何言ってんだ! そうじゃない!」
 しかし、俺の言葉など無視して二人の話は進む。いや、そこに聴衆としてレジェイドが加わった。完全に興味本位の傍聴者を決め込む腹積もりのようだ。
「そして今夜、その娘が来るんだよ。ほら、興味深いと思いません?」
「思う思う! もう、そういうことだったら早く言ってくれれば良かったのに。さ、ほらシャルトちゃん。早く行くわよ。まったく、彼女が出来たんだったらお姉さんに紹介しなさいね」
 急にルテラは嬉々とした表情を浮かべる。
 なんだってヒュ=レイカの言葉をそうもあっさりと信じ込むんだ? それとも、信じ込むように策を弄しているからなのか……。
「だから、まだそういうんじゃないっての!」
「そうなんだよ。実はまだステディじゃないんだ。だからシャルト君の片想いってヤツ?」
 すぐに俺の反論にしゃしゃり出て、俺の言葉を自分の都合の言いように聞こえるフィルターをかけるヒュ=レイカ。そんな事だけには天才的に頭が回る。北斗史上の天才少年ってのは、詐欺師って意味じゃないのかと考えたくなる。
「あら、不憫ねえ。シャルトちゃんは奥手だから。よし、ここは一つお姉さんが手伝ってあげるから安心してね。たまにはお姉さんらしい所を見せないと」
 そしてルテラが俺の襟首をぐいっと掴んで引き摺り始める。俺は立ち上がろうにも靴紐が念入りに結ばれていたのでどうする事も出来ない。
「なるほど、事情は分かった。つまり俺は抜けても変わらないって事だな?」
 と、レジェイドが思いついたように言った。
「あ、駄目! お兄ちゃん、またそうやって逃げる! いいじゃない、たまにはさ」
「そう言うな。たまにはゆっくり羽を伸ばさせてくれよ。んじゃな、皆の衆!」
 まるで背中の荷物が降りたような軽快な足取りでその場から去っていくレジェイド。その行く先は、ルテラに『行っちゃ駄目』ときつく言われている一際華やかな繁華街。
「シャルトー、男になれよー」
 最後にそう言い残し、レジェイドは去っていった。
 ……底なしの馬鹿め。
 そう声に出して毒づく元気も、もはや残っていなかった。
「しょうがないんだから……。さて、みんなを待たせちゃ駄目ね。急ごう急ごう」
 そしてずるずると引き摺られていく俺。
 ルテラは機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。いい気なものだ。
「良かったねシャルト君。これでリュネスちゃんとの関係が前進するよ」
「……お前、リュネスと会ったのか?」
「昼間ね。いや、マジ可愛かった。シャルト君が関わってなかったら、ちょっと本気になってたかも」
 いつもそうだ。こいつは本気本気って、いつ本当に本気になったのかまるで分からない。
「それよりも。なんで初めからリュネスが来る事を教えてくれないんだよ。それだったら……なんとか行ったのに」
「一人でかい? う〜ん、正直言ってさ、キミ一人じゃ無理だと思うなあ。あの二人のペースに飲み込まれて、愛の告白どころじゃないんじゃない? 僕はね、その点も考慮してルテラを動員したんだよ。少しは感謝してもらいたいよねえ」
「だったら、初めからそういう事なんだけどってルテラに言えばいいだろうが……っ! なんでこんな回りくどい事をする……!」
「ん? だって楽しいから」
 ちくしょう。やっぱりこれだ。
「あ、ゴメンゴメン。うそうそ。レジェイドも使った本当の理由は、レジェイドに必殺のオトシテクニックを教えてもらう機会を与えてあげる、って配慮なんだ」
 絶対嘘だ。目が笑ってやがる。本当は、実は僕が仕組んだ、くんだりの辺りで俺達を驚かせたかっただけだ。
 こいつはそういうヤツなんだ。人のために何かをすると思えば、本当はそうじゃなくて必ず自分の興味の充足やら自己満足やらが根本に根付いている。基本的に自分が楽しめればそれでいいと思っているのだ。
 でも、とにかく。リュネスに久しぶりに会えるんだから……。
 ひょこっと上着の中からテュリアスが顔を出した。
「まあ、いいよな?」
 知らない。
 あきれたようにそう答え、大きな欠伸をして再び服の中に閉じこもった。
 ……大丈夫さ。いけるって。



TO BE CONTINUED...