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 流派『夜叉』の訓練所は、未だ陽も昇らぬ早朝というのに建物には明かりが灯り、大勢の人間が集まっていた。
 夜叉の屋内修練場は広く、夜叉に在籍する人間全てを収納しても十二分に訓練を行う事が出来るほどにある。そこに夜叉の人間が一斉に集まっていた。早朝から自主的に訓練を行う者もいるのだが、この時間に集合する事は極めて稀だ。数少ない前例を挙げると、北斗に規模の大きな戦闘集団が侵攻を進めているという情報が入った時が主だった理由だ。
 召集をかけられる際、隊員には基本的に理由までは通達されない。それは理由を説明する時間を惜しんでいる事、そしてその召集には従わなくてはならない強制力があるからだ。
 修練場に集まった隊員達は綺麗な列になって並んでいる。そしてその真正面に立っているのは、流派『夜叉』を総括する頭目、レジェイドの姿があった。
「よく聞いてくれ。こんな時間に集まってもらったのは他でもない、北斗に対して敵意を向ける連中が現れたからだ」
 大勢の猛者達を前にも、レジェイドは美しさすら感じさせる毅然とした姿勢で威風堂々たる風格を持って説明を始めた。流派『夜叉』は精霊術法を用いず、己の力のみで総合的な戦闘術を持って戦うスタイルを主としている。剣術を得意とする者もいれば、槍術、棒術、果ては格闘術までもいる。不確定要素の多く安定さに欠ける精霊術法とは違い、身体は元より精神までも極限まで鍛え上げた猛者ばかりが夜叉には揃っている。いかなる苦境に追い込められようとも、身体が機能的な停止を迎えない限りは戦い続ける強さを持つ。夜叉の強さとは何よりもその、決して折れる事のない剣のような精神力だ。
 そんな兵達を束ねる頭目、レジェイドもまた、凡庸に数えられるようなありふれた人間ではなかった。レジェイドは実力もさることながら、何よりひしめく猛者達を一つにまとめる統率力とカリスマ性が取り分け特出していた。それは頭目にとって最も重要な能力であると言える。これら二つを持ち合わすレジェイドが頭目足り得たのは、いわば必然である。
 北斗に敵が侵入した。
 ここまでは誰にでも予想がつく言葉だった。緊急招集が行われるのは、基本的に守星を上回るほどの戦力、数を持った敵が北斗を襲撃した時だ。
 そして、これから説明されるのは敵の戦力、特徴、現在の戦況だろう。自分達はこの街を守る人間なのだから。
 そう思っていた彼らだったが、レジェイドの表情には普段とはまるで違う深刻の色を浮かんでいる事に、何かこれまでとは異なる何かが起きているのでは、と誰と無く気がつき始めた。その違和感は一同にこれまでにない緊迫をもたらした。
 レジェイドは毅然と振舞ってはいるものの、分かる者には分かった。
 レジェイドは少なからず動揺しており、頭目としての姿を衆目に晒す事でなんとか平静さを保っている。彼らのような屈強な戦士でさえ、レジェイドの心技体共に優れた実力には感嘆を惜しまない。それほどのレジェイドが動揺し苛立ちを表にするのは極めて稀であり、その敵とはつまり、自分達の予想を大きく上回るという事が推察出来る。
 ならば、今回北斗を襲った敵とは一体どういった者達なのか。
 饒舌に徹するレジェイドは、それ以上の考える時間を彼らに与えなかった。
「残念な事に、敵は俺達と同じ北斗十二衆のヤツだ」
 彼らには『今度の敵は意外性のある相手だ』という前提が与えられていたため、ある程度は如何なる相手と聞かされようとも驚くまいという柔軟な体勢が出来ていた。しかし、このレジェイドの苦々しい言葉には誰しも我が耳を疑い、静粛にせねばならない場でありながらも近隣にレジェイドの言葉を確認して回らずには居られなかった。
 ざわめきが反響し次々と広がっていく。そんな光景を見たレジェイドは、まるで自分の動揺が隊員にも伝染して行ったかのように思えた。もしくは、辛うじて抑え込んでいる自分の腹中の投影図か。
 一同のざわめきが消えるまでは数呼吸を要した。数字で見れば決して長い時間ではない。しかし、堅牢な精神を持つ彼らが自制を失うにはあまりに長い時間だ。
 潮が引いていくように静まり返った場を前に、レジェイドは一度大きく深呼吸をして仕切り直した。それは誰の目にも自らを落ち着けようとしているようにしか見えなかった。
「現在の所、公にはしていないが流派『凍姫』を確認している。情報源は俺とシャルト、実際に戦った。間違いなく凍姫の制服を着たやつらに襲われた。実力は大した事はなかったが、戦闘スタイルが少し気になったな。確証を持てるほど戦った訳じゃないが、一部、凍姫以外の人間が凍姫を騙って、もしくは凍姫に従順して制服を着ていたようだ」
 同じくこの場に整列しているシャルトに、一瞬周囲の視線が注がれる。
 シャルトには特に傷ついた様子は無く、どうやら相手にした敵のレベルはそれほど高くはない事が窺い知れた。シャルトは夜叉の中でも比較的新参者で、経験も浅い。そんなシャルトが苦戦しなかったのであれば、それは一つの安心感を得るまでに繋がる。
「公式情報で、賊は羅生門を突破し総括部を占拠したそうだ。流派『凍姫』の姿も確認されている。よって今回の敵の中核は凍姫と考えて問題はないだろう。羅生門の守護役は殉職、北斗総括部はもはや完全に機能を失った。守星も命令系統が混乱していてまともに機能していない。連中の目的は北斗の占拠だ。ここまでは順調に進んでいるようだが、俺達が動いた以上、絶対にそれは阻止せねばならない。俺達十二衆が最後の砦だ。各々それを肝に銘じておいて欲しい」
 戦闘のシミュレートは幾度と無く繰り返してきた。考えうる最悪の事態、というパターンに今と同じ状況設定もあり、こういう時はどう対処すれば良いのか完璧に頭の中へ叩き込んではいた。しかし、最悪の事態というものはそう何度も頻繁に続発するものではない以上、気構えの緩みと言うものなのか、誰しもが少なからずショックを受け、そして事態の咀嚼に労を要した。
 戦いに身を置く以上、どんな非情な決断を迫られようとも、最良の結果を弾き出せる選択を迅速に行う事が出来るよう、常人以上の合理性を自らに埋め込んでいる。それがたとえ味方であろうとも、北斗に対して牙を剥く者は須らく敵として速やかに排除する。だが、味方を攻撃する事に躊躇いは無くとも、北斗がこれほどまで深刻なダメージを受けた事への衝撃は決して小さくは無かった。敗北を知らない王者が誇りを叩き潰されたようなものである。北斗を支える双翼の一つが落とされ、士気に影響を及ぼさないはずがない。
 さすがにこれだけの事態を今すぐに飲み込めというのは無理な話か。
 それでも北斗としての責任を見失わない以上、すぐにでも己の使命を見直して立ち上がるだろう。未だ自分も浮き足立つ部分が否めなかったが、そうレジェイドは思った。レジェイドは自分達の部下を自分自身の力と同様に信用しているからである。
「一通りの説明は以上だ。ここからは非公式筋の話になる。確認の取れていない情報だから、その辺は留意しておいてくれ」
 レジェイドは咳払いを一つ挟むと、再度自らを落ち着けるような素振りを見せて話し始めた。
 こんなに動揺したのは随分久しぶりだ、とレジェイドは自虐的に思った。シャルトにあんな事を聞かされた時でさえ、なんとか平静は保てていたのだが。何よりもその原因は、まさかこれほどまでに早く、総括部を落としてしまった手際の良さだ。北斗十二衆を一度に相手にする事は危険だが、総括部を落とす事で指揮系統を混乱させ士気を低下させる事が出来る。そこに攻撃を仕掛けていけば少数の戦力でも、いや、『奴』は自分が保有する戦力は北斗の半分と言った、ならば十分に北斗十二衆を落とす事は可能だ。
 敵ながらなんともうまい作戦だ。同等の戦力を保有しただけでは消耗戦となり、互いに受ける被害は甚大である。しかし、そこへ精神的な揺さぶりをかける事で戦況を遥かに有利にする事が出来る。集団戦において、士気は実力よりも遥かに重要な要素である。過去、たった三千の兵力に対し三万の兵力で迎え撃つも、三千の兵が誰一人死者を出す事無く見事に打ち破ってしまった史実がある。彼らはその時の天候と少数の利便性をうまく利用し、日に何度も突付くだけの奇襲を繰り返す事で相手を疲労させ、士気が低下し切った所に総攻撃を仕掛けた。数が一桁違えども、すっかり戦う意欲を失っていた三万の兵はたった三千の兵を相手に剣を捨てて逃げ出したそうだ。この史実からも、戦場において最も重要なのが士気であると推察する事が出来る。
 実力がほぼ同等ならば、後は士気の要素が戦局を左右する。
 そして、相手の片翼を奪う事に成功した賊と、守る間も無く半身を落とされた北斗とでは、一体どちらの士気が高いのかは明白だ。
「本人の名前で声明文等は出していないが、今回の首謀者は守星のエスタシアだ。無論、根拠もある。隠すつもりは無かったが、俺は以前、本人にこの件で誘いを受けている。無論、断ったがな」
 気まずいものがあるのか、レジェイドの視線が一瞬うつむいた。
 一同がそんなレジェイドの仕草に気がつかないはずはなかったが、あえて見ないものとした。それは後ろめたさから来るものだと気づきつつも、レジェイドは決してそういった甘言には乗らない人間である事を誰しもが知っているからだ。
「エスタシアの戦力は、およそ北斗の半分だ。この先待つのは、仲間同士の血で血を洗うような鎬の削り合いだ。中には自分の顔見知りも居るだろう。だから俺には『覚悟をしておけ』としか言いようが無い」
 おそらく、誰しもが考える事が出来る限界の、最悪の状況だ。
 敵が昨日までの味方である事。
 味方の中から大規模な裏切りが起こってしまったため、敵、味方の境界線がはっきりせず、疑心の嵐が起きてしまう事。
 これまで最強を誇った北斗の体制に塞ぎようの無い亀裂が生じてしまった事。
 かつて北斗を襲った戦闘集団は千差万別、一人二人で片付ける事が出来る程度の集団もあれば、守星だけでなく十二衆が直接乗り出さねばならない集団もあった。しかし北斗史上を何度見返せども、ほぼ間違いなく最強の敵だ。北斗の最強を支える、自分達と同じ北斗十二衆。言うなれば自分の分身を相手にしているようなものだ。違いと言えば、自分達は守るための戦いを強いられているが、相手には守るものなどなくひたすら勝つ事に対して貪欲に突き進む事が出来るという点だ。たったこれだけでも自分達の立場は相当な不利となってしまう。
 果たして自分達は北斗を守りきれるのだろうか。
 その悲観的な事を全く考えない者はいなかった。いや、考えずにはいられなかったのだ。今度の戦いには、自分達の実力が圧倒的に相手を上回っている確信は一片たりとも無いからである。
 自分よりも弱い相手としか戦う事が出来ない。
 それは長く続いた北斗の、堕落した醜い一面だった。誰一人としてその現実に目を向けなかった訳ではない。ただ、案ずる必要性そのものが無かったのだ。それほどまでに北斗の最強としての誇りは、常に最強であると信じて止まない思い上がりへ傾倒しかけていたのである。
「簡潔に反復する。敵はエスタシア、そしてその一味だ。他流派ははっきりと味方と分かるまで決して信用するな。守星にも同じ事が言える。特に、エスタシアと近しい人間は信用するな。まず間違いなく、奴等側の人間になっている」
 それはつまり、レジェイドは自分の妹すらも疑っているものと捉えて構わないのだろうか。
 何人かがぽつりと呟くように頭の中に思い浮べた。
 レジェイドの妹であるルテラは、エスタシアと同じ守星に属している。そればかりか、今は無きエスタシアの実兄であるスファイルの婚約者だった。そのため公私の付き合いがあり、よって最もエスタシアに近い一人とも取れる。
 ルテラを疑うのは頭目として当然の判断だが、あれほど溺愛している妹を疑うレジェイドの心中は酌み切れるものではない。兄としては疑いたくはないだろうが、状況が状況だけに疑わない訳にはいかないのだ。その反目する感情は怒りとして集約され、目標をエスタシアに定める。そもそも、あの時、喫茶店で誘いを受けた瞬間に殺しておけば良かったのだ。今となっては後悔した所で遅いのだが。
「まずは一般市民の安全確保を最優先にする。それまでは、向こうから仕掛けてこない限りこちらから手は出すな。凍姫討伐戦は明朝だ。各自仮眠は取っておけ」
 そこでレジェイドは避難経路を担当した者に場を譲った。ここからは淡々と作業的に行われる、一般市民の避難誘導経路の説明が始まる。戦闘の緊張感に比べれば軽視されがちなものではあるが、北斗が最優先すべき事は敵に打ち勝つ事ではなく市民を守り切る事だ。だからこそ、こういった細かい作業も微に入って行わなければならない。
 ふと、陣を離れる最中、レジェイドは唐突に思い浮かべた。
 スファイルは驚くべき迅速さでこちらの出足をことごとく躓かせた。総括部を潰され、味方の中に疑心暗鬼をばら撒かれ、とてもベストとは言い難い状態だ。
 しかし、幾らなんでもエスタシアはうまく行き過ぎてはいないだろうか? 総括部とて、そう簡単には落とせるようなものではない。それこそ、総括部の陥落と一斉反旗のタイミングを合わせるなんて神業のようだ。
 考えられる手段は二つ。
 エスタシアがそれほどの戦力を有している。もしくは、既に総括部は機能を失っており、長年俺達は総括部の傀儡に踊らされていた。
 どちらも有り得ない話ではない。それだけに恐ろしさもある。
 有り得なくはない、という事は、理由がそのどちらでもある可能性もあるからだ。



TO BE CONTINUED...