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 圧し掛かるような静寂に、ただ狂喜だけが響き渡る戦場。
 その石畳は夥しい量の血で染まる事は無く、ただ白々と凍りつき、まるで眠りについているかのようだった。冷たく冷えた空気は日の暖かみを拒絶し、ただ半可視の白い靄となって奔流に添い周囲を漂っている。
 寒空の早朝を思わすその風景に、騒然と響き渡る狂喜と対になるもう一つ、異様なものがそびえている。
 それは氷の塊だった。
 この狂喜はここから響き渡っていた。理由は至極単純で、その氷塊の中には一人の男が埋め込まれ出来損ないのオブジェの一端を担っていたからだ。
 男はただひたすら笑い続けていた。とうに正常な情緒の崩壊した男の精神は如何なる興奮も快感と誤認し、四肢が凍てつき臓器が活動を停止しようとしている危機感をも快感の一種として笑い続けた。
 男にとって死は恐怖ではなかった。本当の恐怖は、常人には理解し得ない倒錯に拠る。
「ははあ? なんだこりゃ? なんで俺様の炎で溶けねえんだ? これじゃあお前を焼いてやれねえなあ!」
 笑顔、とは決して言い難い屈折を刻んでいるから、狂喜。男の常軌を逸した笑い声は、酷く尾を引く不快感がある。
 些細な疑問を受け止めるかのような男の笑い声を、ファルティアは淡々とした表情で眺めていた。その目は氷塊以上に冷たく冷え切っている。
「簡単な事よ。私の方が強かった。ただそれだけ」
 ファルティアはゆっくりと右腕を大上段に構える。魔素の張り詰めたファルティアの右腕はいっそうの存在感を増し、そこに普通では考えられないほどの力が凝縮されつつある事を本能的に周囲の人間へ悟らせる。
 確勝の溜息と、落胆の溜息が交錯する。その瞬間、結末は、彼を除いたその場に居た全ての人間の脳裏に加速度的に描かれた。
「ハァッ! 悪い冗談だぜ! この俺が負けるだ? 負ける? 有り得ない! 有り得ないな! ヒャァッハ!」
 尚も愉快そうに笑う男。彼の状態は、精神的な盲目、と呼ぶに相応しかった。自らに強要された必須が見えていない。もしくは情緒が傾かないのである。
 ファルティアはすっと静かに息を吐く。すると男を侵食していた氷が顔までも覆ってしまった。だが、氷の中でも男の顔は笑っていた。その狂喜の笑みは、現世との境界線をまたがる人間の表情とは到底思えぬ、恐怖とまるで無縁なものに見える。だが見るものによっては、これこそが最も相応しい様相であると受け止めるかもしれない。
 そして、快音一閃。
 次の瞬間には、彼と彼を飲み込んでいた巨大な氷塊は粉々に砕け散ってしまった。
 男はGと呼ばれ、そしてあの笑い声がこの世に残した最後の言葉となった。
 今際の際まで自らの死を認識出来なかった、ある意味では幸せな最後である。ファルティアの作り出した氷塊は磔刑にも似た姿勢で収める棺桶のようだった。跡形も残さない壮絶な埋葬は、見る者へ爽快感すら感じさせた。
 一息の間隙の後、ファルティアはゆっくりと自らの右腕を天に向かって真っ直ぐ掲げ上げた。周囲の人間の視線がそこへ集まりきるのをゆっくりと待ち、ファルティアは声を張る。
「私達の勝ちよ」
 毅然とした勝利宣言。
 静寂が走り、その後を圧倒的な勝ち鬨と落胆が追う。
「各人、己の裁量で残党狩りを始めなさい! そして、もっと勝ち鬨を!」
 ファルティアの声を合図に、凍姫の隊員は一斉に烈火に向かって雪崩れ込んだ。
 凍姫は部隊を三つに分けているため、烈火に比べると頭数は遥かに少ない。しかし、頭目を倒された事で浮き足立った烈火には凍姫の勢いを止める事が出来なかった。
 逃げ惑い、退け腰で立ち向かう烈火の隊員達は抵抗らしい抵抗をする間も無く次々と打ち倒されていく。それはまるでドミノ倒しを思わせるかのような軽快な光景だった。本来、両者の実力は同じ北斗であるため、それほど圧倒的な格差は無い。この一方的な虐殺とも言い表せる状況は、実力が拮抗しているがためだった。肉体的なレベルが同じ以上、一掃されるのは精神で負けた側。その僅かな差は、ある程度の高度な域に達した者達の戦いにおいては死と同義である。定義的には僅かでも、実質は十分圧倒するに足る。この光景は、その最も顕著な例だ。
 瞬く間に石畳が真っ赤な血で染まっていく。激しい嵐から一夜明けた朝のような湿気が漂う。しかし独特の臭気は決して拭いきれるものではなく、底の無い沼が無言で誘い込むようなおどろおどろしい存在感が眩暈を呼び起こす。免疫の無い人間が目の当たりにしたならば、それだけで卒倒するに十分な凄惨な光景である。
 規格外の出来事だった。
 頭目同士の一対一の対決は、双方に流させる血を少しでも減らすためである。内部紛争の非生産性を示唆する、歴史的には古い作法だ。しかしファルティアは、頭目を倒した上で烈火の殲滅を指示した。これは、あくまで北斗同士の内部抗争ではなく、敵と敵との戦争、文字通りの戦場に立っている事実を認識させるためである。同時に、自分達が北斗から逸脱した存在を誇示する意味もある。
 同朋の血で染まり行く北斗の市街を、ファルティアは表情一つ変えずに眺めている。しかしその手は、ぎゅっと強く握り締められていた。
 ゆっくり空を仰ぐファルティア。
 空はどんよりと曇り始めている。
 一雨、訪れそうだ。



TO BE CONTINUED...