BACK
日常の変化。
現状の打破。
循環の脱出。
それは、全ての加速の始まり。
私の立ったスタート地点は、誰もいない閑散とした場所。
けれど、私は走った。
とにかく走った。
闇雲に走った。
何のために?
分かる事は一つ。
ゴールに辿り着くためではなく、スタートから少しでも早く遠く離れるため。
二十回目の誕生日を迎える頃。ルテラは、未だにレジェイドと同じ部屋に住んでいた。
レジェイドは既に所属していた流派『夜叉』の頭目までに上り詰めていた。その分、業務の多忙さからルテラと顔を合わせる事が少なくなっていたが、かといって駄々をこねるほど子供という訳でもなかった。
ルテラはよく物思いにふける事が多くなっていた。それは、自分が何のために生きているのか。そんな誰もが一度は考える、自己の存在意義を定義づける通過儀礼のようなものである。
しかし、ルテラの場合はやや質が違った。人よりも根が深く内向的だったのである。考え始めてからというもの、一度もそれらしい答えが見つかった試しがないのだ。程好い所で切り上げるないし妥協する事が出来ず、唯一の答えを見つけるまで気が済まない性格であったのが原因である。
毎日の生活は、ただ一日というノルマをこなすだけの作業でしかなかった。
レジェイドばかりに働かせるのも気が引けるため、一応は働いて生活費を出来るだけ入れるようにしていた。しかし、一定の職業に長く就いた事は一度も無かった。どの仕事も、自分が求めるフィーリングと一致しなかったのである。そして、とある一つの結論を導き出すに至った。パンを売るのも花を売るのも料理を運ぶのも、大した差はない。そういう事だった。
このままの日常を繰り返していても、特にこれといって不自由することなく暮らしていく事は出来る。けれど、それではあまりに生き甲斐というものがない。自分がこの世に唯一の存在として生まれた以上、何かしら自己満足でいいから自己証明になるような事をしたい。だがそれとなりうる情熱を注がせるものが、自分の周囲にはなかったのだ。そして行き場の無い情熱が、怠惰な生活を余儀なくさせているのである。
ルテラはそんな不甲斐無い自分の姿に、兄であるレジェイドへ負い目を感じていた。
二人が北斗にやってきたのは七年前の事だった。
当時のルテラはあまり体が強くない事もあり、身の回りの事や経済的な面は全てレジェイドが担っていた。そのためルテラは、自分は兄にとって負担となる存在でしかない、と思い悩む事が多々あった。いつかは自分も兄に負担をかけぬようにしなければ。しかしそんな思いとは裏腹に、何の目的も持たずだらだらと徒に時間ばかりが過ぎていく。それがルテラに焦燥感を抱かせる要因だった。
ある日、ルテラはいつものように兄を送り出すと、一通り部屋を片付け、自分もまた仕事に向かった。当時は雑貨店に勤めていた。それが幾つ目の職なのかは憶えていなかった。何故それを選んだのかも、ルテラにとってはどうでも良い事だった。
ルテラは店主に言われて店の玄関前を掃除していた。いつも掃除にかける時間は十分と決めていた。その根拠や理由は特にない。ただ、それ以上の時間をかけるとだれてくるため、体裁上はしっかりと仕事をしているように見せるためにも、あらかじめ時間を決めておいてその時間内で終わらせるように努めればしっかりやっているように見えるのである。ふと思いついた、効率の良い手の抜き方である。
その日もルテラはチラチラと時計の針を見ながら表口を掃除していた。季節は春も半ばまで過ぎた頃だったが気温は日中も上がらず、正午を迎えても肌寒さが続いていた。寒さの原因は、現在北斗で起こっている流派同士の抗争にあった。それは、『雪乱』と『凍姫』という北斗十二衆の中でも特に冷気を用いた戦闘術を駆使する流派だ。彼らは『冷気を操る流派は北斗に二つも必要ない』という理由で半年以上に渡って抗争を繰り広げている。その戦いは時と場所を選ばず、顔を合わせただけで引き金となり戦闘を開始するほど緊迫した状態だった。日に何度も繰り返され、その結果、北斗中に戦闘の余韻である冷気が散漫し気温が上がらないように感じられるのである。
戦闘集団『北斗』は、無政府国ヨツンヘイム内に乱立する戦闘集団の中でも最強を誇る実力を持っている。そこに属する十二流派の内二流派が衝突すれば、戦闘の余波もそれなりのものになるのは当然だが。しかし実際、北斗に住む一般人からは苦情はほとんど寄せられなかった。それは、彼らは日時や場所を問わず戦闘を繰り広げるものの、決して一般人の迷惑となる事はしなかったからだ。
やがて、時刻はルテラの決めた終了時間に差しかかろうとしていた。ルテラは最後の仕上げを行い、そろそろ店の中に戻る準備を始める。
と。
一陣の凍てつく疾風が、店の前を通り過ぎた。ハッとルテラは振り向き、一体何が起こったのか状況を見定める。
すると、
「またですか。いい加減、しつこいですね」
そこに立っていたのは、濃紺の制服に身を包んだ一人の女性と、そして真っ白な制服に身を包んだ数人の男女だった。
雪乱と凍姫の抗争だ。
そうルテラは思った。噂には聞いてはいたが、その現場を実際に生で見るのは初めてだった。しかし、かと言ってルテラは慌てふためき店の中へ逃げ込むような事はしなかった。むしろ強く興味を抱き、事の始終を傍から眺め始めた。彼らは場所を選ばず戦闘を繰り広げるものの、決して一般人には被害を及ぼさないという事を知っていたからである。一般人にとっては半ばお祭り騒ぎのようなものだ。
濃紺の制服の女性が凍姫、そして白の制服を着た一群が雪乱の人間だろう。北斗の守護神とも言うべき戦闘集団『北斗』の情報は基本的にそのほとんどが一般にも公開されている。更に街中を一般人と同じように歩いているため、ルテラに限らず北斗に住む人間ならば制服で流派を見分けるぐらいは出来た。
俄かに構える雪乱の一団。しかし、周囲を逃げ場もないほどに取り囲まれているにも関わらず、凍姫の女性は涼しげな表情を一つも変えなかった。そして雪乱の一団は、たった一人の女性にじりじりと間合いを詰め始める。その様にふとルテラは、彼らは、この女性よりも実力が格下なのではないだろうかと思った。そうでもなければ、この人数差で凍姫の女性がああも冷静に構えていられるはずもなく、また数で圧倒的に勝っているはずの雪乱の一団がこれほどまでに緊張し慎重に事を進めようとする必要もないのだ。そう、ルテラは無意識の内に凍姫の女性が持つ威圧感を感じ取っていたのである。
その時、
「手加減はいたしませんよ」
取り囲まれたその女性は、ふと自分の右手を高々と掲げ上げた。次の瞬間、何もなかったはずのその手には一振りの巨大な剣が現れる。
精霊術法だ。
ルテラの表情にようやく変化の色が覗えた。
戦闘集団『北斗』が、このヨツンヘイム内で最強を長い間誇り続けているのは、この術法の貢献によるものである。精霊術法は短期間で即戦力を大量に作り出す画期的な技術だ。しかしその扱いは非常に難しいため、実用化にまで至らせたのは世界でも北斗ぐらいなものなのである。
そして。
凍姫の女性が術式を体現化した次の瞬間、周囲を取り囲んでいた雪乱の一団は一斉に彼女に向かって襲い掛かった。
殺される。
普通ならば、常識で考えてもそうなるのが当たり前だった。だが事態は、ルテラがそう思うよりも先に全く正反対の方向へ進んでいった。
不意に吹き込んだ冷たい風が、ルテラの頬を優しく打った。同時に、真ん中へ引き付けられるように向かっていったはずの彼らは、突如としてその動きをぴたりと止め、そのまま崩れるように次々と倒れていった。
その体には皆、一様に一つの斬痕が走っていた。凍姫の女性はそれをさして確認しようともせず、ひゅっと右手に体現化していた氷の大剣を払い、そして解除した。小気味良い音を立て、剣は無数の塵となって消えていく。一つ一つの塵が太陽の光を浴びてキラキラと美しく輝く。そして凍姫の女性は、相変わらずの憮然とした表情のまま、静かに場を後にした。
その時ルテラは、ただ純粋に「凄い」と思った。
今の女性は自分よりも僅かに年上なのだろうが、同じ女性にも関わらずあれだけの人間を一瞬で倒してしまうなんて。殺しはしないものの、如何なる敵をも歯牙にかけぬあの圧倒的な存在感。憧れを抱く訳ではなかったが、ただひたすらルテラの感嘆の念は膨れ上がっていった。
何の気なしに、今のあの力が欲しい、と思った。が、疑問もすぐに生まれた。
その力を手に入れて、自分は何をするのだろう、と。
たとえ力があったとしても。自分にはやりたい事はないのだ。それならば、あってもなくても変わらない。
TO BE CONTINUED...