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 日が落ち、北斗に夜が訪れる。
 眠らない北斗は夜になってもその勢いは衰える事を知らない。むしろ、いよいよ持って本領を発揮するというべきか。
 北斗の中心からおよそ半径十キロメートル。この圏内は暗闇というものと縁が無い。ここには住宅を含め、あらゆる業種の店舗が敷地を争うように詰め込まれている。東西南北へ伸びる四本の大通り。それらを軸に碁盤の目状に並ぶ建物の群れ。
 喧騒と光を求める者は中心へ、静寂と闇を求める者は外へ、自らの住居を構える。北斗には、住居や店舗を建てる場所には基本的に制約は無い。それはあらゆる世界、人種、国の人間を広く受け入れる北斗の器量の大きさを表しているかのようでもあった。
 その一角、流派『凍姫』の訓練所前は俄かに賑やかになっていた。そこには幾つかのグループができ、これからどこへ遊びに行こうかなどと嬉々として話し合っていた。そのグループの中に、ファルティアを初めとする凍姫のトップグループの姿があった。ファルティア、リーシェイ、ラクシェル、そしてリュネス=ファンロン。
 四人は夕食の品目について意見を出し合っていた。しかし三人の意見は三者三様でしかも互いに譲らない性格も影響し、一向に目的地は決まらない。リュネスは逆に意見を出さず、誰に決まっても従う構えだ。元々、リュネスは自己主張が少なく他人に合わせることで調和を得ようとする性格のため、こういった姿勢は珍しくは無かった。もっとも、凍姫でこの三人に意見できるのはミシュアを除いて誰一人存在しないのだが。
 やがて今回はラクシェルの主張が通ったらしく、細切れになった食材を串に刺し油で揚げる料理の店に行く事になった。ファルティアは自らの好みで肉料理の店を、リーシェイは精進料理の店を主張したのだが、不毛な罵倒と『誰の意見が何度通ったか』という論理的な意見を繰り返した末、リュネスがふとこぼした『ラクシェルさんが一番少ないかも』という独り言によって決定したのだった。
 三人は意外にもリュネスの言葉には素直に従った。それはリュネスの言葉に威厳があるからではなく、またリュネスに気を使っているからでもない。ただ単純に、三者三様の意見をぶつけあい続けた所ではいつものように三つ巴の殴り合いに発展するため、リュネスのように冷静な第三者の意見が威光を発揮するのだ。つまり意見されても三人が気を悪くしない人間の意見であれば何でも良いのである。
「ところでミシュアさんは?」
「ああ、なんでもレジェイドんとこ行くそうだよ。晩餐会だとさ」
「ふむ。逢引か」
「うんにゃ。全く読んで字の如く。ルテラやボウヤも来るから、色っぽいのは無しみたい」
「そういやレジェイドと最近仲良いよね。なるほど、だから最近そこはかとなく仕草がしおらしいんだ」
「迂闊な発言は控えろ。万が一、耳に届いたら殺されるぞ」
 四人はいつものように、目的の店までの道程を他愛も無い会話を交えて消化していった。
 ファルティアは思った事をそのまま口にし、リーシェイはニヒリズムに徹し、ラクシェルは安穏と適当な意見を述べ、リュネスは周囲に合わせる無難な言葉を選ぶ。
 四人が全て違った特徴、性質を持っている。共通点に相当するであろうものは何一つありはしないのだが、不思議なほど安定した調和をこれまで保ち続けている。唯一誰にも似ない事こそが、反目を生み出さなかったのか。
 何気ない日常の連続体が作り出す親近感と連帯意識。それが四人を繋げる共通のものだった。北斗という特殊な街だからこそ養われた感覚なのか、身体を器としている意識体が共鳴したからなのか。少なくとも死線を背負う時、二もなく背を預けられるのは他にいないだろう。
 やがて四人が入っていったのは南区に程近い一軒の料理屋だった。
 南区は一度、外敵によって半壊に近い状態まで侵攻されてしまった事があったため、立ち並ぶ建物は比較的真新しいものばかりだった。しかしその料理屋は戦火から難を逃れたのか、歴史を感じさせる外観だった。建物が隣の大きな量販店の影に隠れているため光が当たり辛く、この店を知らない人間ならばまず素通りしてしまうだろう。
「古臭い店ねえ。大丈夫? 当たったりしないの?」
「大丈夫大丈夫。私、よく行ってるし。それに、こういう大衆的な所にこそ旨いものはあるものよ」
 違った表現を用いれば、古臭い、というマイナスの表現も当てはまるだろう。だが、古色に対して味わいを感じるのか、それとも否定的な目を向けるのかは各々の価値観に依る。ラクシェルにとっては目新しいものよりも、逆に落ち着く事が出来たのだ。もっとも、それはほんの一時の気まぐれに過ぎないのかもしれないが。
 店の中に入ると、ラクシェルの事を知っているのか、店主らしき壮齢の男が威勢良く出迎えた。ラクシェルもまた同じような調子で応える。いかにも常連の来店といったやりとりだ。
「奥の席、空いてるよ。今、お通しとおしぼりを持って行こう」
「あ、大将。ぬる燗でヨロシク」
 ラクシェルの手馴れた先導で奥の座席へ四人は向かう。
 店の中には数名ほどの先客が居た。意外にも年齢層は広く、店主と同じ年代の者から四人よりも明らかに年下の者まで居た。温故知新とは言ったもの、優れた価値を持つものは決して時の流れに押し流される事は無く、常にその時代時代の鋭い感性を持った人間に受け入れられる。文化の退廃とは即ち、優れた価値を生み出す存在の滅亡ではなく、その価値を見出す者の滅亡の事だ。
 その座席は、部屋の中心に一つ黒塗りの木製テーブルが一つだけあるというシンプルな作りだった。しかしそのテーブルの中心には立方体状にくり貫かれ、五面を金属で覆っている。そこに琥珀色の油が注がれていた。テーブルこそ年季が入ってはいるが、油は真新しくて透き通っている。しかも何種類かの油をブレンドしているらしく、鼻を近づけると香ばしい香りが感じられた。
 席には左右の長辺にファルティアとラクシェル、リーシェイとリュネス、という並びで座った。リーシェイはリュネスを半ば連れさらうような形で席を取った。ファルティアはすかさず奪還しようとしたが、すぐ後ろから店主がお通しを持ってくる音が聞こえたので騒ぐのはやめ、今回は仕方なく諦める事にした。
 注文は勝手を知っているラクシェルに一任された。とはいってもメニューにはそれほど変わったものは無く、出されたものを目の前の油で揚げて食べるだけだ。油を通さないのは、飲み物と口直しの野菜の塩漬けぐらいである。
 まずはラクシェルの注文したぬる燗で乾杯し、開会を宣言する。唯一守られる形式だ。
 火が入り油が温まり始めると、油の香ばしい香りがより強く周囲に漂った。ある程度油が温まったら、一口大程に切られた食材を竹串に差して油を潜らせる。じゅーっと立つ音と香りが実に心地良い。
 酒の飲み方は四者四様だった。ラクシェルはほぼ同比率で酒と食べ物を口にしている。リーシェイはほとんど酒ばかり飲み、傍らのリュネスに時折ちょっかいを出す。ファルティアは例によって酒は一切口にせず、乾杯をした器はそのままにお茶と食べ物を食べている。リュネスは周囲に世話ばかりを焼き、手が空いた時だけぽつぽつと酒や食べ物を口に運ぶ。
 しばらくして、酒を飲む三人は少しずつ崩れを見せ始めた。決して泥酔している訳ではなく、気の合った仲間同士で飲んでいる安心感が理性を僅かに緩ませているのだ。丁度その頃になると最初にまとめて頼んだ十数本のぬる燗も全て空になった。油を潜らせた熱いものばかり食べていたため、額にじんわりと汗を浮べるほど体が火照っていた。そこでラクシェルはすかさず冷酒を注文する。
「これこれ。ぬる燗で温まったら、ヒヤがいいのよ。ほれ、リュネスも飲みなって」
 ラクシェルは一気に一杯目を飲み干すと、すかさずリュネスにも進めてきた。
 杯を受け取ったリュネスは恐る恐る口を付けて一口飲む。しかしさっきまでとは別な酒なのか思ったよりもキツく、眉の間に皺を寄せてしまう。そんなリュネスの顔を見て、ラクシェルはからからと笑った。
「そういえばさあ、リュネスって幾ら飲んでも全然乱れないよね。今まで何度か潰そうとしてたんだけどなあ。何気に強いんじゃない?」
「いえ、そんな事ありませんよ。もうさっきから顔が熱くて、頭がボーっとしてます。そろそろ、お酒は飲まない方がいいかも」
「ほら冷静。駄目だなあ、まだ飲みが足りない」
「それ、もっと飲め」
 隣のリーシェイがリュネスの腰を抱きながら、ようやく空にした杯に酒を注ぐ。リュネスは半笑いで再び注がれてしまった杯と二人とを見比べた。リュネスは性格的に断るという事が出来ない。しかもそれが、仮にも先輩に当たる人の酒ならば尚更だ。
 済し崩し的に杯を開ける。遠慮がちに飲めば勢い良く呑めと煽られ、呑めば呑んだで更に酒を注がれる。リュネスのようにヒエラルキーが低い位置の立場にある人間は、そうやって玩具的に扱われるのは世の常だ。決して人格を軽んじられている訳ではないのだが、わざとからかう事で親愛を表したくなるタイプの人間は世の中に存在する。ただ困り果てたリアクションを見たいだけだったりするのが大筋の理由だ。この場合も比較的この理由に当てはまるだろう。
「よっと」
 ふとファルティアが席を立った。
「ん? トイレ?」
「分かってるなら聞くなっての。恥ずかしい」
 がーっとラクシェルを勢い良く睨みつけた後、ファルティアは一時その場を離れた。
 所用にて席を立ったファルティアだが、しかし洗面所には向かわず、そのままそっと店の外へ出た。店主はその様子を見ていたが、酔い覚ましに風に当たりに行くのだろうとさして気にも留めなかった。
 店の外に出たファルティアは、ふと店の横に伸びる路地の方へ視線を向ける。
 そこには微かに人の気配が漏れ出ていた。隠し切れなかった訳ではなく、初めからファルティアへ自分の居場所を示すためにわざと漏らしたのだ。
「すみません、汚い仕事を押し付けてしまって」
 静かにささやくような声が囁き掛ける。
 暗がりに立っているのはエスタシアだった。
 ファルティアはそこに彼が居る事が必然としっており、驚く事も無く、いえ、と首を振った。
 何もかも覚悟の上だ。そういった表情だ。
「重ねますが、彼女らにはしばらく僕のシナリオに従って頂きます。心を縛ります。その間、あなたも合わせるよう心がけて下さい」
 エスタシアはそっと服の中に手を入れる。そこから取り出したのは、一つの銀で作られたペンダントだった。鎖の先には細い円、その中には十字架が付けられている。
「『虚構は現実に』」
 エスタシアはくるりと十字架を反転させた。



TO BE CONTINUED...