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ちくしょう。
一体どうしたものやら。
俺は割と女心ってヤツを分かってるつもりなんだが、こればっかりはサッパリだ。
大事な妹のルテラ。その考えている事がまるで分からない。
もしかすると、俺は分かっていると思い込んでいたのかもしれない。
どうにかしてやりたい。
今はそれで一杯だった。
好きな男に死なれ、ルテラは自分も後を追いそうな勢いで落ち込んでいる。
落ち込んだ女を慰める事は出来る。けれど、もう一度生きる気力を取り戻させる事は出来ない。
どうすりゃいいのだろうか。
初めての事態に浮き足立ち、手探り状態のまま突き進んだ結果。
得られたのは釈然としない戦果と、途方もない自己嫌悪だった。
昼休み。
溜まっていたデスクワークは昨夜の内に終わらせ、ようやく週末まで落ち着いた生活を確保していた。俺は午前中、久しぶりに朝から思い切り体を動かして部下のトレーニングに励んだ。戦闘技術とは生き物のようなものだ。何年も休まず鍛え続けたとしても、たった一日二日離れてしまっただけであっという間に錆び付いてしまう。頭目という立場になった途端、これまで見た事もないような業務の数々が目の前に積み上げられる。そのため、自分がやりたいだけのトレーニングが行なえる日は極端に限られてしまっている。ようやく今日は思い切りやれるかと思えば、勘を取り戻すだけで午前中一杯かかってしまった。これでようやくゼロラインに立ったのだ。午後から再びトレーニングを行なって、そこから何歩か前に進めるのだろうが、またすぐに業務に追われる日々がやってくる。前に進んだかと思えばすぐに後退を余儀なくされてしまうのだ。いつまでもいつまでも同じレベルで足踏みしている自分に、正直歯がゆさと焦燥感を覚えずにはいられない。
俺は珍しく一人物思いに耽りながら昼食を取り、ぶらぶらと東区を歩き回っていた。大時計台を見てみれば、午後のトレーニングまで時間が中途半端に長く残っている。
やがて歩き続ける事に飽きた俺は、たまたま見つけた広場の中に入った。広場の中には人影が数人ほどあった。そして、ドリンクの屋台があったので、俺はライムソーダを一つ買った。無人のベンチに座りながら、ソーダの冷たく弾ける感触を喉で味わう。
随分とぼんやりしている。
いまいち活力に足りない。ちまちまと細かい事を考えるよりも、体を動かしている方が好きだった。考えるよりもまずは行動し、そして経験を積み重ねる事の方が遥かに有意義だ。そういった信念を俺は持っているからだ。考えても仕方がない事を考える事ほどエネルギーの無駄使いはない。けれど、いつもならば自然に頭の中から追い出す事が出来たはずのそれを、俺はいつまでも後生大事に抱え込んでいた。どうせ無駄だから、と追い出す事が出来なかったのである。
と。
「レッジェイドさん。こんにちわぁ」
不意に向こうからやけに陽気な声が飛んできた。見るとそれは、流派『雪乱』の頭目であるリルフェだった。自分と同じように、片手にはドリンクの紙コップを持っている。
「よう、お前か」
俺は陰鬱な気持ちを押さえつつ、出来る限り明るく笑って応えた。リルフェはいつものようにちょこちょことした足取りで駆け寄ると、どんっ、と隣に飛び込むような勢いで腰掛けた。相変わらず、良くも悪くもマイペースな女だ。一緒に居れば退屈はしなさそうだが、心休まる事もなさそうだ。
「お休みですか?」
「いや、昼休みにちょっとぶらついていただけだ。そういうお前さんも、頭目がこんな所で遊んでていいのか?」
「私もお昼休みですもん。頭目にだって休む権利はあるでしょう? 超人じゃあないんですから」
にっこりと微笑んで、ずずずとドリンクを音を立てて飲むリルフェ。確かにそうだな、と俺もまた軽く口元を緩ませた。
「ところで、ルテラはどうです?」
「さあなあ。こっちに戻ってきて以来、引きこもりはやめたけどさ。相変わらず目は虚ろだし、何考えてんだかさっぱりだ」
先週、俺は退院許可の下りたルテラをあの部屋には戻さず、半ば強引に俺の所へ連れ帰った。いや、連れ帰ると言うよりも、俺が他に行き場所を無くさせたのだ。ルテラが入院している間に、スファイルと住んでいたあの部屋は勝手に解約し、荷物は全て俺の所へ運び込ませた。一度、連れ出そうとした時に常軌を逸した様子で抵抗された事を考えると、俺の勝手な行動にどれだけルテラが腹を立てるのかいささかでなく不安だった。しかし、いざその事をルテラに伝えると、意外とあっさりした口調で一言、『そう』と答えただけだった。退院の時でさえ、あの抵抗がまるで嘘のように不気味なほど大人しくついて来てくれた。素直に言う事を聞いてくれるのはそれで嬉しいのだが、ただ、一体どんな心境の変化があったのかを一言も話してくれないため、不安もまた未だに拭い去れない。
「まるで思春期ですねえ」
「そんな可愛いもんじゃないさ」
苦笑しつつ、一口ソーダーを飲む。
ルテラは部屋を出て行く前のように、毎日決まった時間に起きて普通の生活サイクルを歩み始めた。何もしようとしない無欲な時と比べたら遥かに前進したとは思うが、ただ、以前にも増して話さなくなっていた。もっとさもない事で談笑を交わす事が常となっていたはずなのだが、まるで言葉そのものを忘れてしまったかのように口を閉ざし続けている。それは暗に勝手な事をした自分へのささやかな抵抗の意を表しているのだろうかと気になって仕方がない。もしかすると、ルテラはまだ生きる意欲そのものを取り戻していないかもしれない。それは憶測ではなく、明らかに覇気のない目の色から感じられる正直な印象だ。
俺はルテラのためになるならば何でもするつもりだった。これまで、とにかく思いつく限りの事を独断で尽くしてきた。こうする事がルテラのためになるのだと。事実、ルテラはちゃんと人間らしい生活をするようになったし、身だしなみにもしっかり気をつけているためか以前の美しさを取り戻している。だが、どうしても歯気のない表情だけは変わる事はなかった。一体、何が足りないのだろうか? 俺はそればかりを考え、頭の中に鉛のような憂鬱を抱き続けている。
「そういえば元気がありませんね? 普段の野獣のような勢いはどうしましたか?」
「誰が野獣だ。俺ほどの紳士は滅多にいないぜ? まあとにかく、最高の気分とまでにはいかないな。少し自己嫌悪に陥っててな」
「あら、珍しいですね。何かあったんです?」
話してくれるまで訊ね続ける。そんな表情でリルフェはしげしげと見つめながら問うてきた。とても断れそうもない。そう思った俺は一度苦笑の混じった溜息をつくと、やや気の乗らない声色で話し始めた。
「この間、病院に行った時の事なんだが……。ついさ、ルテラをぶっちまった。あんまり馬鹿な事をするからよ……。俺は今まで女に手を上げた事はなかったのに、それを破ってまでした意味があったのか分からなくてさ。これじゃあ、ただの一方的な暴力だ。今もまるで死人みてえな顔してるしさ。ホント、どうしたらいいのか分からねえ。兄貴として情けなくて仕方がない」
話している内に自分でも自分の口調が陰鬱になっていく事が分かった。はっきり言ってしまえば、これは単なる愚痴だ。自分の努力が報われないとか、そんな聞き苦しい膿のような物である。
だが、しかし。
「いいんです、いいんです。ああいう言っても分からない馬鹿は、そうでもしなきゃ駄目なんです」
俺とは裏腹に、至極明るい口調で答えるリルフェ。これほどまでルテラの事で深刻になっていた自分が馬鹿らしくなってくる、ある意味爽快な態度である。
「それに、お兄ちゃんって言っても、所詮は男ですもの。女の事なんか分かりませんよ」
「とは言うけどさ、あれはどう考えたって異常だろ?」
「異常と言う事で、自分の至らなさに言い訳をしているんでしょう?」
にこりと微笑むリルフェ。同時にレジェイドは、まるで短刀に刺されたかのような錯覚に陥った。
「……お前、時々きついこと言うよな。それさえなきゃ可愛いのに」
「過去の彼氏にもみんなそう言われました。まったく、男ってのは普段威張ってるくせに意外と打たれ弱いんですから、情けないですねぇ」
「知ってて言ってんじゃねえか」
TO BE CONTINUED...