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 あれ買って!
 夕刻。
 今日一日の訓練を終え、家路についていた俺は、未だまとまりの無い頭で試行錯誤を繰り返しながら、とぼとぼと歩いていた。
 どことなく覇気が湧かない。
 そのせいか普段ほどの食欲も無く、気がつくとうつむき加減でため息ばかりをついていた。
 気分は憂鬱だった。
 あいつは犯罪者だから関わるな。
 昼間、そうレジェイドに言われた言葉が頭の中から離れない。信じられない、という衝撃ではなかった。何故、あんなに優しい人が世間から後ろ指を指される立場に追いやられなくてはならないのか、その納得のいかなさ、理不尽さに頭の中に点在する思考が飛び散らされてしまっているのだ。
 そんな最悪の気分の中、テュリアスはいつも通りお気楽そのものだった。たまたま帰り道にあった、おでんの屋台。それを早速嗅ぎ付けるなり、すぐさま上着の中から飛び出してきて俺の頬を叩いて催促してきた。
 もうちょっとこっちの事を考えて欲しいものだ。
 いちいちテュリアスの屋台好きに付き合っていられるほど、今の俺には精神的余裕など無かったのだが。無視すればしたらで、何が何でも俺の気を引こうと更に過激な手段に打って出る。それはそれで困る訳だから、仕方なく俺は好きなのを買ってやる事にした。
 鼻をひくつかせて選んだのは、大根とはんぺん、そして玉子。テュリアスは猫舌のクセに、何故か冷めにくいものばかりを選ぶ。しかも食べるのは冷めておいしくなくなってからだ。基本的にテュリアスはその場その場の思いつきで行動する。俺ももっとこんな風に単純な考え方が出来たら。本当に羨ましく思う。
 おでんを買ってやると、案の定テュリアスはおとなしくなってしまった。これでようやく落ち着いて物思いに耽られる。
 少し冷たかったが、通りの脇に並ぶベンチに腰掛けてテュリアスにおでんを食べさせる。
 つい先ほどまで熱いだし汁の中に使っていたおでんが、テュリアスが食べられるようになるまでには随分と時間がかかる。けれどそれは丁度良かった。冷たい空気に浸りながらだったら、少しは散り散りになっている頭の中をまとめる事が出来るかもしれない。
 俺のすぐ横では、テュリアスが恐る恐る大きな紙のどんぶりの中へ首を伸ばして覗き込んでいる。もうもうと熱い湯気を立てるおでんはとても香ばしい香りを放っており、熱過ぎて食べる事の出来ないテュリアスの食欲をいっそう掻き立てる。
 俺もまだ夕食前だった。こんなにおいしそうなものを目の前にされたら、思わず手を伸ばさずに入られないのが普通だ。けれど、確かに空腹はあったが今は食べる気にはなれなかった。空腹よりも先に満たしておきたいものがあるのだ。優先順位はそちらの方が上だ。
 自分は一体どうすればいいのだろうか。
 まずはそこから考える事にした。
 今後、俺は機会があればゾラスと個人的な付き合いをしたい、と思っていた。『修羅』とかそういう問題は全く別にしてだ。けれど、それでもレジェイドは全面的に関わり合いを禁止する。これまでにない強い口調でだ。いつも言葉の端々に余裕を見せるレジェイドだけに、どれほど本気なのかは十分に感じ取れる。
 従えばいいのか、それとも拒絶するべきか。
 俺は悩んだ。
 答えが見えてこなかった。レジェイドと自分の意思との両方を同時に都合良く守る事の出来る方法が。
 レジェイドの言っている事は分かっているつもりだ。
 たとえ事実の無い犯罪者だとしても、社会的にはあくまで犯罪者は犯罪者だ。そんな人間と付き合う事が俺に何らかの不利的なものを及ぼす事は間違いない。その結果、俺はこれまでの生活を維持できなくなる事だってある。もしもそんな事になってしまったら、レジェイドやルテラを悲しませてしまうだろう。二人は俺を、元の人間らしい生活をさせるために、これまであれこれと世話をしてくれたのだ。レジェイドはようやく出来た俺の生活を壊したくないからあんな事を言ったんだろうし、きっとルテラも同じ事を言うだろう。
 一応、二人の気持ちは理解する事が出来るだろう。
 けれど。
 その上で、俺の気持ちをどういった方向へ向ければいいのか。そこが一番の問題だ。
 逆らうだけなら誰だって出来るし簡単だ。けれど、それは最も短絡的な判断で稚拙な行動だという事を俺は知っている。考えず、ただ自分にとっての快不快だけで反射的に反発するのは、思慮の浅い子供のする事だ。そして、子供のする事は必ず面倒な事態を引き起こし、大人がその尻拭いをしなくてはいけなくなる。
 だから俺は、考える必要があった。
 自己責任を謳い文句にするには、俺はまだまだ力が無さ過ぎる。自分で責任を果たせない以上、誰にも迷惑をかけない方法を考えなくてはならない。それが出来ないのならば、過ぎた事に自分の意見を主張する資格はないのだ。
 さて、どうする?
 俺は頭を悩ませた。一体どうすればゾラスとの関係を無難に続ける事が出来るのだろうか? 幾ら考えても、その手段は見つからなかった。どうやったって、俺の独り善がりな選択にしかならない。ゾラスは犯罪者なのだ。俺がそう思わなくたって社会的にはそう見られている。ならば、犯罪者に関わる俺は共犯者となっても無理は無い。どう転んだって、犯罪者と親しくする者はそういう評価になってしまうのだ。
 八方塞がりなのではないだろうか?
 俺は最後までその判断には目を背けていたけれど、考えを重ねれば重ねるほど、芽を背ける事が出来ない所へ自分が追い詰められているのが分かった。
 そう、もはや俺はリスクを覚悟しなくてはゾラスとの関係を続けることが出来ないのだ。
 何かそうするだけの見返りはあるのだろうか? いや、見返りなど無い。そもそも、見返りどうこうという関係じゃないのだ。俺はただ、純粋にあのゾラスという人が好きだから、また会って色々と話をしたい。それだけなのに。
 人一人の意思は、世間からして見れば黒も白も変わらない。たった一人の差異など、多勢の前には十分補填可能な異分子。俺がどう叫ぼうが北斗の常識や法律は少しも揺るぐ事無く今のままであり続ける。
 問題の解決は、その普遍のものを変えなければ望みは無いのだ。
 俺に出来るのか?
 これは悩む必要も無く簡単に答えが出た。
 絶対に不可能だ。
「にゃあ」
 やっぱり悩む?
 突然、テュリアスがそう俺に話しかけてきた。
 湯気に顔を突っ込んでいたから、薄っすらと顔の毛が湿っぽくなっている。未だに熱くて食べられないでいるようで、容器の中のおでんは手付かずのままだ。
「どうしたらいいと思う? あの人、絶対に悪い人じゃないんだ。それに、俺、なんだか放っておけないんだよ」
 俺がゾラスとの関わりを断てない理由がもう一つある。それは、彼の余命が幾許も無い事だ。
 彼は自分が死ぬ前に復讐を果たそうとしている。さすがにこれを手伝う事は許されない。彼が復讐を果たそうとしている相手は北斗の人間なのだ。けれどそれよりも、俺は彼の病気の方が心配だった。今の医学では治す事の出来ない病気。長年、優秀な医者達が頭を悩ませても有効な解決手段が見つからないのだから、俺があれこれ危惧したって治るはずはない。でも、俺は彼には生きて欲しいと思った。いや、それだけじゃなくて。なんというか、もっと楽しく毎日を過ごせたら。そんな風に思うのだ。
「にゃあ」
 知らない。聞かないでよ。
 テュリアスは右手をひらひらと振って困った顔をする。
 だろうな、と俺は肩をすくめてため息をついた。テュリアスはそんな難しい問題なんて自分から考える事はしないのだ。とりあえず、毎日退屈しないでご飯さえ食べられればいい。本当に単純且つ気楽な性格をしている。
「ほら、早く食べろよ」
 俺は添えつきの箸を伸ばして容器の蓋に大根を取ってやる。そんなに熱くて食べられないのなら、少しこうやって夜風で冷ました方がいいからだ。
 食べないの?
 テュリアスが訊ねてくる。
「いや、今はいいよ。後にする」
 変なの。いつもは私よりも自分の分ばっかり優先するクセに。
 いつ俺がそんなにがっついたんだよ。
 そう俺はテュリアスの額を人差し指でぐりぐりと押した。
「今はあまり大胆な行動には出ない事にするさ。慎重にしておく」
 大胆な行動に出る予定でもあるような口調だね。
「そうする事もあるさ。多分ね」
 最も、その時はどれだけレジェイドやルテラに怒られるのか分かったものではないけれど。いや、怒られるだけで済めばいいのかもしれない。
 ようやく食べられる温度になり、テュリアスは大根にかぶりつき始めた。はぐはぐと実に幸せそうだ。
 食べる事で幸せを得られるのは、それだけである意味幸せだ。人によって幸せの基準や定義は大きく異なる。食べるのは簡単な条件だ。特に北斗にはおいしい食べ物なんて幾らでもある。
 その一方で彼の幸せはどこにあるんだろう?
 少なくとも、復讐を果たす事ではないと思う。綺麗事に聞こえるけど、その先には何もないはずだから。何も作り出さない戦いなんて、やってもしょうがない。俺達北斗は、守るために戦うのだ。守ることで新しい何かが作り出せる。そしてそれが後世へと続いていく。
 けど。
 復讐という感情は、直接的に手を下さなければ抑えきれないものなのだろうか?
 あんなに優しい人ですら、それに取り付かれてしまった事を考えると、俺の考えている事はまだずっと甘いものなのかもしれない。
「にゃっ」
 ふとテュリアスが食べるのを止め、耳をピクリと動かしながら頭を上げた。
「どうかしたのか?」
 そう訊ねる俺に、テュリアスは返事もせずただ真剣な表情で周囲を窺っている。
 何があったと言うのだろうか?
 そうしている内にテュリアスは叫んだ。
 あっちの方!



TO BE CONTINUED...