BACK
気持ちは分かる。
そりゃあ誰だってこんな状況になれば、ついそういう行動にも出てしまうだろう。
けどさ。
俺達は如何なる場合も私情を挟んじゃいけないって言ってるだろうに。
ガキだから、しゃあないか……。
「で、現在の状況だが」
それは静かな日曜の深夜の出来事だった。
明日からの訓練に向けて、自室にて一人寂しく、まあ昏々と眠っていた訳だが。そのせっかくの安眠は、一つ甲高い音によって打ち破られた。音の正体は、宿舎中に設置されている非常事態を知らせる半鐘だった。これが鳴らされたら、何を置いても本部に集まらなければならないのである。
眠気を押して俺は本部に誰よりも早く駆けつけ、こうして知らされた非常事態の様相を把握し、その鎮圧への対処の指示を出していた訳だが。
「あ!」
ホールに全ての隊員を集つめて指示を送っていたその時。ホールの入り口に一人の人影が遅れて現れた。
「おい……テメエな」
それを確認した俺は、思わず深い溜息をつかずにはいられなかった。
やってきたそいつは、明るい薄紅色の髪に男だか女だか分からないような優顔、背は歳の割にかなり低く俺の胸ぐらいしかない。そいつは昔、俺が夜叉に拾ってきたガキ、シャルトだ。
「悪い、遅れた」
シャルトはそう悪びれた様子もなく答えた。普段の訓練時間に遅刻してきた時と全く同じだ。
「ったく……。いい、今から説明するところだ」
大方、ぐっすり眠り過ぎて半鐘の音に気がつくまで時間がかかったのだろう。説明に間に合っただけでも幾分かマシか。
俺は落胆しかけた気持ちを持ち直し、通信部に渡された資料を手にする。たった数枚の書類だが、それが現時点で判明している現状の全てだ。
「とりあえず、時間がねえから簡潔に説明していくぞ。敵は風無だ。目的は分からんが、今のところ一般人を攻撃していない所を見ると標的は北斗に絞られているようだ。今から三十分前に羅生門を襲撃したそうだが、これはおそらく陽動だ。現在、風無は本部のある東区を中心に陣を展開している。俺達は凍姫、白鳳の二流派と合同でこの陣を叩く。部隊編成は今渡ってるそれを見ろ」
ホールに集まっている部下達は、最前列に渡した書類を後ろへリレー形式で回している。その書類には俺が現状報告を元に作成したチーム割と交戦区域が記されている。一枚元版があれば、短時間でコピーを作る事が出来るのだ。インクの乾きの遅さが若干気になるものの、活版技術の進歩のおかげで非常に便利になったものである。
チーム割は、単に前から順番に何人ずつ、なんて安易に決めているものではない。隊員それぞれの適性を全て把握した上で最大限の効率効果が得られるように構成する必要がある。たとえば、白兵戦が得意な連中ばかりを集めても、戦闘効率そのものは上がるものの戦略性が皆無となってしまう。反対に戦略性に富んだ人間ばかり集めても、幾ら優れた戦略を練ろうともそれを実効する人間がいなければ話にならない。チームを編成するにはこのバランスが最も重要なのである。この辺りは頭目としての腕の見せ所だろう。
「よし、目ェ通したら早く行け! 白鳳はもう出てんぞ! 遅れを取るんじゃねえ!」
応、と威勢のいい返事を一同は返した。この急事において何とも頼もしいものである。俺が何年も鍛えに鍛え抜いたヤツらもいるので尚更だ。
今現在、風無の目的そのものは判明していない。ただ、何の前触れもなく急に反乱としか思えない行動を起こしたのだ。しかし、目的がどうとかは大して重要ではない。俺達が最も優先させるべきなのは、この事態をどれだけ早く鎮圧出来るのか、という事だ。一分でも遅れたら、死なせなくとも済んだ人間を十人死なせてしまうと言われている。被害者数は一人であろうと百人であろうと大差はない。要はあるかないかだ。一人でも死なせてしまった時点で俺達北斗の失態となる。
風無そのものが相手となっては、北斗を巡回している守星だけでは対処しきれない。一流派がまるまる反旗を翻したという異常事態もさる事ながら、風無は北斗十二流派の中で最も隠密行動と諜報に優れた流派だ。量よりも質で北斗を防衛している守星では圧倒的に数では不利だ。夜叉も先ほどから偽の情報に撹乱され続けている。ようやく戦力の大半が本部周辺の東区に居る事が分かったほどだ。守星のみならず、これでは夜叉が加わった程度では状況の著しい改善は見込めないだろう。そのため、凍姫と白鳳にも出動要請が下ったのだ。
白鳳は北斗十二流派の一つだ。
夜叉と同様に、精霊術法を用いない戦闘術を使う流派だ。心身を極限まで鍛え神秘的な技を使う格闘術が中心だが、異常なほど規律が厳しい。起床と就寝時刻ばかりだけでなく、食事や対人関係、果てはプライベートまですら大半を規律に縛られている。白鳳の連中はまるで坊さんか隠居した年寄りのような質素そのものの生活を当たり前のように行っている。ヤツらに言わしてみれば、俺が日頃の憂さを晴らしに酒を飲んだり女と遊んだりするのは、体を退廃させる不浄のものなのだそうだ。まあ、これは価値観の違いというヤツだろう。俺ならば、そんな生活をしていたら一週間で何十倍の歳を取ってしまう。
ホール内で渡された資料を元に隊員がチームを編成し、集まったところから次々と出動していく。皆まで言わなくとも、こういう時はどのように動けばいいかを知り尽くしているのだ。一挙一動がモタついていては現着も遅くなってしまう。俺達は出動要請が降りた直後まず優先すべき事は、如何に早く現場に到着するかだ。そのためには迅速な行動は必要不可欠である。
と。
「レジェイド」
シャルトが俺の元へ駆け寄って来る。肩にはいつものように白い子猫ちゃんがくっついている。なんでもこの世で最強と呼ばれている三大種族の内の一つ、神獣だという話だが。こんな犬も殺せないようなちみっちい体の子猫ちゃんがそうだなんてとても信じられない。まあ、大方。たまたま生まれつき毛が白かっただけのようにも思えなくもないが。
「俺はどこのチームだ?」
そうシャルトが渡され書類を広げて訊ねてくる。どうやら自分の名前を見つけられなかったらしい。
「ああ、お前は俺と一緒に来い。まだまだ危なっかしくて、目が届く所にいねえと不安で仕方ないからな」
するとシャルトは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
「なんだよ、その言い方は。チームワークは実戦段階までちゃんとマスターしたじゃないか」
「じゃあよ。先月だったかに戦闘解放区でやったミッション。ありゃ一体なんだ? チームワークどころか、勝手にワンマンプレーしまくって結局は余計な時間をかけさせやがったじゃねえか。あんなんでよくまあ言えるもんだぜ」
まるで連繋行動は完璧に憶えた風な口をきくシャルトだが、その時の行動は全てが全て駄目な見本を絵に描いたようなものだった。俺が徹底的に教え込んだはずの戦略の、せの一字すらも見当たらないようなありさまだ。あのままでは今後とも作戦遂行の大きな障害となるのはほぼ間違いない。ミスを犯した人間だけが死ぬならまだしも、その一人のせいでチームを組む全員が死んでしまう可能性があるのが連繋の恐ろしい点である。だからこそ、シャルトのような未熟者を他のチームに入れる訳には行かない。保護者である俺が責任もって監督するのだ。
「いや、あれはさ、ちょっと事情があって……」
「事情? 仕事に私情を挟むなっていつも言ってんだろうが。あのな、人の命をやり取りしている俺達は結果が全てなんだ。過程を誉めてくれんのは訓練だけだ。たとえどんな事情があろうとも、守れずに人を死なせちまえば、その時点でオシマイなんだよ。お前にはどうもこの意識が欠けるな」
ぐぐ、とシャルトは悔しげに唸る。こいつはボーッとして危なっかしい所はあるが、救いようのないバカという訳でもない。俺の言った事の意味も理解出来るからこそ、それ以上の反論をせずに口を噤んでいるのだ。とは言っても、物覚えの悪いヤツの事もまた『バカ』と呼ぶのに変わりはないのだが。
「さて、準備するぞ。俺らは東区の北だ。羅生門に一番近いから、おそらく風無の連中も仰山待ち構えている危険性もある」
俺はホールの壁に埋め込まれている武具収納スペースの扉を開けた。そこには白兵戦用の重量装備が揃えられている。その中から頭部を守るヘッドギアを取り出した。
「ホレ、お前はこれでも被ってろ。グローブは持ってきているな?」
そのヘッドギアをシャルトに放る。見た目は軽装だが中には頑丈で軽いミスリルが使われており、額と頭頂と側頭部をしっかりと防護する。頭部の負傷率を下げるだけで生存率は格段に高まる。そのためヘッドギアは重要な防具の一つだ。
「なあ。俺も剣を使いたい」
と、シャルトはヘッドギアを被りながらそんな事を口にした。
「ナマ言ってんじゃねえ。お前にはまだ早ェっつーんだ。第一、ろくに触れた事もない武器をいきなり実戦で投入するなんてアホのやる事だぜ」
夜叉はあらゆる武器を使いこなせるように訓練をしているが、実戦においてはその中でも自信のあるものしか使わない。訓練しているからといっても、それは熟練しているという事の同義にはならないからだ。実戦において、武器は己の手足となる重要な部位だ。頭と手足の連繋がうまくいかなければ、自滅するのは自明の理である。
「それはレジェイドがいつまで経っても触らせてくれないからじゃないか」
「転嫁するなっつの。だったらまずは素手で俺を倒してみるんだな。ほら、いつまでも愚痴ってねえで、行くぞ」
俺はぶつくさ文句をたれるシャルトに、被りかけていたヘッドギアをぐいっと押し込んだ。
正味、二年もやっていれば、本来なら武器の一つも持たせるものだ。しかしそれを未だにやらないのは、シャルトが致命的なまでに不器用だからだ。はっきり言って、ここまで手先が不器用な人間を俺は見た事がない。自炊するにしても、シャルトがしているのは食材を焼くか茹でるぐらいのものだし、当然リンゴの皮一つ剥く事が出来ない。包丁すら満足に扱えない人間に剣を扱えるか、と問われたら、その返答は当然、否だ。だから俺は仕方なく、唯一マシな部類に入る格闘技を徹底的に教え込んだ。どうやら生まれつきバネは強い方だったらしく、俺が教えた分だけ強くはなった。ただ、どうしても未だに戦略を練るという事がうまく出来ない。思考が単純過ぎるからだ。実力はそれなりにあるのだが、それだけで勝てるほど甘いものではない。俺に勝つにはまだまだ先は長い。どうせ才能がないからなどと言っても聞くようなヤツじゃない。だから、剣を教えて欲しけりゃ俺に勝ってみろ、と言っているのである。
「ちぇっ。明日見てろよ。絶対にぶっ飛ばしてやる」
「期待してるぜ、お姫様」
じろりと睨みつけるシャルト。だが、圧倒的に迫力に欠ける面構えをしているため、少しも威圧感を感じない。俺はヘラヘラと笑いながら返答する。
と。
「レジェイドさん、大変です!」
突然、ホール内に一人の慌てた叫び声が飛び込んできた。
「なんだ?」
それは夜叉の通信を担当しているヤツだった。重要な情報を集めたり、統括部からの連絡を受け取ったり、俺の頭目としての連絡をやりとりする事を仕事としている。夜叉という組織のフットワークの要ともなる重要な役割だ。
「風無の本隊が掴めました! 東区各地に部隊を展開した後、頭目を含む本隊が凍姫本部に向かってるとのことです!」
「凍姫だと?」
一体どうして凍姫の本部なんかに向かうのだろうか?
その報告に俺は首を傾げた。現在、凍姫は風無の鎮圧、もしくは殲滅のどちらかに総員のほとんどが出払っている。落とすならば絶好の機会ではある。しかし、凍姫を落とした所でどんなメリットが得られるというのだろうか? たとえ凍姫の本部を占拠した所で隊員が軍門に下る訳でもない。凍姫は本部を警備する僅かな人員を失うだけだ。むしろ他の流派が出動して余計に自らの首を締める可能性すら出てくる。そんな事になるぐらいならば、統括部を狙った方が遥かに高いリターンが望めると思うのだが。それとも他に何か狙いがあるとでも―――。
その時。
「シャルト!?」
突然、シャルトが血相を変えると踵を返し外に向かって駆け出した。
「どこへ行く気だ!」
「凍姫の本部だ!」
俺は傍らに置いていた愛用の剣を引っ掴むと、すぐさまシャルトの後を追った。
「お前らはこのまま持ち場につけ! 俺抜きでもやれるな!?」
チッ、そういやすっかり忘れてたぜ。
シャルトが今の報告を受けて突然走り出したのは、凍姫にはあれがいるからだ。
リュネス=ファンロン。
人づてに聞いただけでまだ顔は見た事はないが、シャルトが惚れているという話だ。これまでシャルトは、まるでその生活に女の影が出てこなかった。日々トレーニングに励み、暇になれば子猫ちゃんと食べ歩いてるような、おおよそ若者らしからぬ枯れた生活をしていたシャルト。正直言って不安さえ覚えたのだが。リュネス=ファンロンの登場は俺の不安を残らず一掃してくれた。
シャルトが女を好きになったのは初めてだろう。しかも、そのことで俺に相談すら持ちかけた事もある。どれだけ真剣なのかは俺にも十分に分かる。だからこそ、凍姫本部が襲撃されると聞き、居ても立ってもいられなくなったのだ。リュネス=ファンロンはまだ新人だ。おそらく今回は居残り組になっている可能性が高い。シャルトが焦っているのはこれに気づいたからだろう。普段は頭の回転が悪いクセに、こういう時にはやたら早くなる。
シャルトを追ってホールを出ると、既にシャルトは玄関から外に飛び出していた。目的地は分かっているものの、あいつは極度の方向音痴だ。見失わぬように全力で後を追いかける。
俺が唯一シャルトに負けるものがある。それはこの脚力だ。シャルトの脚力は夜叉でも一、二を争うほどのものだ。チャネルは封印されて恩恵が得られなくはなったものの、天性のバネまでは失われていない。しかも、シャルトの体は普通の人間とは少しばかり勝手が違っている。通常、人間は自分の筋力を100%使う事が出来ない。それは100%の力に筋肉自身が耐えられないため、無意識の内にリミッターがかかっているからだ。しかし、シャルトにはそのリミッターがかからない。つまり、いつでも100%の筋力が出せるのだ。だがそれは、素晴らしいパワーを得られる見返りに自分の体を滅ぼしかねない諸刃の剣でもある。シャルトを鍛えたのにはその理由もある。パワーコントロールが出来れば、無茶苦茶な筋肉の使い方をして身を滅ぼす事がなくなるからだ。
天性の脚力を100%の力で使うのだ。俺が追いつけるはずがない。まるで風のような速さだ。どうにか気配を辿っていくだけで精一杯だ。
しかし、ここで見失ってはならない。あいつでは風無のような連中に、ましてや頭目など相手になるはずがない。けれど死ぬまで立ち向かうだろう事も分かる。あいつはそういう直情的なヤツだし、体もまたそれを可能にする悪条件が揃っている。
実のところ、俺はシャルトを戦わせたくないとも少なからず思っていた。それは、シャルトの持つ後遺症の一つが深く関係している。あいつは人よりも無茶が出来る条件が全て揃っているのだ。だからこそ、俺が守ってやらなくてはならない。
シャルトの体はボロボロと言っても過言ではないかもしれない。一時期は今と違って、体だけでなく心までも酷く蝕まれていた。今では心の病はほとんど影を潜めた。時折起こる発作も精神安定剤だけで何とか収まるし、後はカギのかかった部屋には居られない強迫観念ぐらいだ。しかし、体の後遺症は今もなお続いている。それらは普通の人間よりも遥かに死へ近い場所へ連れて行こうとする恐ろしいものだ。
俺はシャルトが死ぬ事など微塵も望んでいない。片足を棺桶の中に突っ込んでいながらも必死で這い出そうとしているシャルトの姿を見て北斗に連れて来たのだ。死なせるために連れて来たのではない。だから俺はシャルトを守るのだ。
血は繋がってはいない。髪の色も違う。けれど、俺にとっては可愛い弟だ。
出来の悪い弟を守るのは、兄の役目だ。
TO BE CONTINUED...