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 ある日。
 少年はとある所縁近い貴族が主催した晩餐会へ招待された。
 少年を名指しで招待する事。それは、周囲が少年を次期後継者として見ている事実を証明するものだった。普段、こういった事があると蔑ろにされた兄達三人は少なからず物理的な手段で自らの敵意を示していたが、その日はどういう訳か招待されなかった兄三人は珍しくこれといってちょっかいを出すことも無いままおとなしく少年を送り出した。少年は普段と違う彼らの態度に訝しさを覚えたが、元々身内で争い事を起こすのは本意ではない。何事も無ければそれでいい、と胸を撫で下ろした。
 少年は一緒に招待されたルテラと共に迎えの馬車で招待先へと出かけていった。
 ルテラはあまり気が進まない様子で、終始表情は優れなかった。元々内気で自分から人前に出ようとする事はなかったルテラにとって、たとえ華やかな場とは言えども見知らぬ人間が大勢一堂に会するような所は出来る限り近づきたくは無かったのだ。どちらかといえば、住み慣れた所でいつも通りの顔を並べていつも通りの夕食を取るような、そんな傍目から見れば出不精にすら思えるような方が好みだったのである。
 ルテラは今年で十三になりる。年齢こそまだ子供の部類に入るのだが、しかしルテラの容姿は将来どれほどの美しい女性になるのか、思わず誰もが目を留めてしまうほどその頭角を見せていた。そして少年は、同年代を優に見下ろせるほどの長身と日々の訓練により鍛え上げられた引き締まった体にクラシックな礼服を着こなしている。その歳に似つかわない落ち着いた雰囲気は、少年を会場に集まった貴族達に引けを取らぬ貫禄を感じさせていた。
 二人は招待された貴族の中でも最も歳が若く、必然的に注目を集める事となった。
 少年は終始落ち着いた物腰で受け答え、これならいつでも後を継げるだろうと賛辞を浴びた。
 一方、ルテラは自発的に喋る事は無く、少年の傍を片時も離れようとはしなかった。しかし彼女の容姿は若い男性の興味を惹きつけるには十分過ぎており、注意を引こうと声をかける者は後を絶たなかった。時にはダンスパートナーを求められる事もあった。ルテラは見ず知らずの人間へ近づく事は気が進まなかったが、このまま無下に断り続けていては家名に傷がついてしまう。そのため本音を殺して笑顔を取り繕い、何度かそれに応える事もあった。
 晩餐会自体は特に何事も無く、一通りの食事を兼ねた懇親とダンス、そしてお決まりの余興と続いた。少年は何度かこういった催しには呼ばれていたため慣れたものだったが、ルテラは今回が初めてであったため、終始落ち着かない様子だった。晩餐会が架橋にさしかかる頃には元々少ない口数も更に減り、疲労の色が目に見えて濃くなってきた。
 少年はルテラの具合も考慮し、今回は早めに席を立たせてもらう事にした。
 来た時と同じ送迎馬車に乗り込み、帰路につく。
 数分も経たずに、ルテラは少年の肩で眠り始めた。昔から内気で人前に出たがらない性格だったのだ、今日はかなり無理を続けて気を張ったから疲れたのだろう。そう少年は静かに寝息を立てるルテラの頭をそっと抱いた。
 自分にはどうやら社交界でもうまくやっていくだけの才がある。
 これまでの催しを思い返し、少年はそう思った。
 この先、周りの期待通りに自分が家督を継ぐのも悪くは無い。更に、自分には父親譲りの戦闘術もある。コネクションにより軍上層部に入れば、すぐにでも戦功を上げられるだろう。
 しかし、何かが違う。
 今の自分の日常に欠けているもの。
 そう、それは自分の意思だ。
 圧倒的に環境が悪いのだ。自分の意思を持つ自由はあっても、意思を主張する自由はない。生まれてからは父親に否応無く戦闘術を叩き込まれ、その父親からようやく開放されたかと思えば、今度は周囲の人間が自分に家督を継ぐことを強く期待する。
 そうする事が幸せなのだ。
 前に誰かがそんな事を少年に言った。よほど周囲の期待が不満そうな顔をしていたからのだろうか、まるで大局が見えていない若者に年長者が説いてやっているかのような、そんな言葉だった。
 少年は改めてその言葉に疑問を持った。これのどこに幸せがあるのか、と。
 自分のやりたい事をするどころか、やりたい事そのものを見つける自由も無い、貴族という限定的な世界へ縛りつけようとする閉鎖的な日々。檻の中で餌の心配も無く暮らすだけのライオンに、果たして幸せはあるだろうか? 食べる行為そのものが幸せならば問題はないのかもしれない。しかし自分は違う。未だ、どういったものを継続的に日々へ浸透させていく事が幸せなのか、見出してすらいないのだ。
 このまま、流されてはいけない。
 少年は自らを諌めた。一度何かに妥協すれば、また次も妥協してしまうだろう。妥協は連鎖を作り出す。妥協を続けた中には何一つ輝くものは無い。これも父親の受け売りだったが、少年はこの言葉は的を射ていると身をもって知っている。
 ルテラの寝息と馬車の僅かな振動音だけが車内に響く。
 軽く酒の入っていた少年は、普段ならば軽い眠気ぐらいは覚えても良かったのだが、今は自身について振り返る事で頭がいっぱいでそれどころではなかった。とは言っても、決して袋小路に迷い込み堂々巡りを繰り返している訳でもなかった。出口は確実に見えてきている。どちらかと言うと今頭を悩ませているものは、心地よいものだった。悩む事は自分が今の域に満足せず、更に次の段階へ上がろうとしている事の現われだからである。
 と。
 そしてそれは、依然出口が見えないまま少年が頭を悩ましているその時に起こった。
 突然、何の前触れも無く馬車が止まった。
「どうした?」
 少年はそう御者に訊ねた。だがしかし、その直後御者は慌てて馬車から走り去っていった。明らかに普通とは違う、まるで命の危機でも迫ったかのような慌てぶりだ。
 到着したにはまだ早過ぎる。
 ふと少年は窓から外の風景を覗い見た。すると馬車が止まっていたのは来る時には通らなかった場所だった。重ねて言えばそれだけでなく、馬車が夜間走る際、本来ならば絶対に避けるような見通しの悪く月明かりも差さない入り組んだ場所だ。御者が道を間違えるはずはない。あえてそこへ入ろうとしない限りは。
「ルテラ」
 少年はすやすやと眠っているルテラを揺り起こした。ルテラは寝ぼけた表情で目を擦りながら、起こされた事がやや不満そうに目を覚ます。しかし少年はすぐさまその口を人差し指で閉じさせ、自分は周囲の気配に神経を集中させる。そんな少年の切迫した様子に、ルテラは何か良くない状況下に置かれている事を察知すると即座に頭を切り替え自分も身構えた。だがすぐに緊迫した空気に耐えられなくなり少年にしがみついた。少年はルテラを優しく撫で、少しでも安心させようとする。
 馬車の外には気配が五つ。
 微かな衣擦れの音、金属の摩擦音から、鎧の類は身につけていない事と持っている武器はシンプルな剣であると推察する。
 車内を見渡すと、念のため忍ばせておいた自分の剣が足元に転がっていた。すぐさま少年はそれを手に取り、その重量感に幾分かの安堵を覚える。
 これなら、何とかなるかもしれない。
 そう少年は思った。だが、決して楽観出来る状況でもない。勝つとか負けるとか、そういった単純な状況ではない。大前提となるのは、最大限の安全を持って状況を脱出する事だ。そのためには少なくともルテラを守らなくてはいけない。
 戦闘では常に最悪の事態を考えて行動しろ。
 不意に父親のそんな言葉が鉄槌のように頭の中に響いた。
 分かってる、そんな事は。
 記憶の中の父親に、そう少年は吐き捨てた。
「いいか、俺が出たらすぐにドアを閉めて鍵をかけるんだ」
 剣を手に、少年はドア口に乗り出す。しかし、すぐさま少年を出て行かすまいとルテラが服の袖を握り締めた。今にも泣き出しそうな碧眼がじっと少年を見つめる。だがそれでもこのまま車内でじっとしている訳にはいかない少年は一瞬だけ微笑み、そっと袖を握る手を解いた。
 よし、行くぞ。
 意を決した少年は素早く馬車から飛び出した。直後、背後からドアの閉まる音が聞こえる。もう後退することは出来ない。その意思が少年の闘志を更にたぎらせる。
 これまで随分剣で手合わせた事はあったが、本当に命をやり取りする実戦はこれが初めてだった。だが、思っていたよりも緊張感は無い。体はカーッと燃え滾るように熱いのだが、頭の中は凍りついたかのように冷静だ。
 飛び出してきた少年に反応し、車内を取り囲んでいたその気配達はいっせいに少年へ集まってきた。
 案の定、か。
 思った通りの反応。少年は自分の予測が間違っていなかった事に安堵した。
 彼らの目的は、初めから自分だけだったのだ。それならばルテラに危害が及ぶことは無いだろう。念には念を入れるに越した事は無いのだが、状況はそれほど深刻じゃない。
 そろそろ来るとは思っていたが。自分はともかくルテラまで巻き込もうとするこのやり方。そんなにもあの家を我が物にしたいのか。
 血を分けたはずの兄三人、そしてそのそれぞれの母親達。
 脳裏に六人の姿を思い浮かべるも、すぐに振り払う。
 少年はゆっくりと剣を抜き、鞘を放り捨てる。ほぼ同期的に彼らも各々の武器を構えた。五つの殺気が自分へ注がれる。それは喉元に刃物を突きつけられる感覚に似ていた。
 肌で感じる敵の強さは、この人数でも自分一人でなんとかなりそうな印象だった。とは言っても油断は禁物。他に伏兵が潜んでいないとも限らないのだ。一度のミスだけで命を落としてしまう。
 やられる前にやれ。
 そう自分に言い聞かせ、少年は剣を手に自分から仕掛けていった。



TO BE CONTINUED...