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結構、うまくいくものだ。
世の中は圧倒的に自分の思い通りにならない事の方が多い。
どれだけ努力しても、手に入れられないものは手に入れられない。
でもそれは絶対不可能という意味ではなく、手に入るようになっているか否かというだけの問題なのだ。
そして、俺は。一つだけ、思い通りになりつつあるものがある。
これも努力の賜物なのだろうか?
いや、大した努力はしてないか。自然の流れでそうなった部分が多いから……。
でも、成功は成功だ。
土曜の昼休み。
以前は土曜日といったら、前々日からその日の夜の事ばかりを俺は考えてそわそわしていた。トレーニングが終わったら、すぐに着替えて爛華飯店へ。そして、今夜こそは何かさりげない事でいいからあの娘に話し掛けてみよう。頭の中がその事だけで一杯になり、他の事が全て手付かずになった。しかし、いざその時となっても俺は話し掛けるどころか直視する事すら出来ず、結局は自己嫌悪と落胆に塗れて店を後にしていた。
だが。
今はもう、そんな暗澹たる時は過ぎ去った。
「シャルトさんは何にしますか?」
俺の向かいの席に座るリュネスが、そう笑顔を向けてくる。
ここは北区の最南端の通りに建つ、とある一軒のレストラン。そこの一席だ。今、この場にいるのは、俺とテュリアス、そしてリュネス。
そう、俺はリュネスと一緒に昼食を食べているのだ。きっかけは、もう一ヶ月ぐらい前になるだろうか。午前のトレーニングが終わった時、レジェイドが俺に東区まで行って何だったかを買って来いと言いつけた。仕方なしに東区に行くと、そこで幸か不幸かヒュ=レイカに会った。この時、ヒュ=レイカはどこから嗅ぎつけたかは知らないが、リュネスが一人で昼食を食べに行き、そしてその店の場所を教えてもらったのだ。半分疑いながらも、俺は教えられた通りの店にすぐさま向かった。するとそこには、確かに一人でいるリュネスの姿があったのだ。
ここから先は、まさに冒険の一言につきる。俺は今まで見せた事もない勇気を振り絞ると、まずはリュネスの向かい席に座っていいかどうかを訊ねた。許しが出なければそれっきり。そんな薄氷を踏むような思いでの問いかけを、リュネスはすぐに快諾してくれた。
しかし、まだ気を抜いてはいけない。ここからが勝負なのだ。
俺はぎくしゃくしながらも、なんとか会話を繋げようと努めたが、結局の所、慣れない事をうまくやろうと無理をし過ぎたせいで全くうまく出来なかった。だが、ここで挫けてしまっては今までの繰り返しだ。俺は更に勇気を振り絞って、これからも時々一緒に食事をする事を誘った。
そして、その結果がこれである。
俺の一大決心は、見事に華々しい成功を収めたのだ。今まで、ろくに言葉も交わせなかった俺にしてみれば驚くほどの進歩である。とにかく、まずは一つの山場を越えた。だが、いつまでもこのままの関係でいる訳にはいかない。そろそろ次の山場を越えることを目指さないと……。
「じゃあ、俺はいつものように。ランチメニューをAからDまで」
次の山場。
つまり、友人の次の段階、より親しい関係だ。親友ではない。無論、恋人だ。友人に男女は関係ない。だからお互いに男性と女性を意識させなければならない、とはレジェイドの談である。
俺はテーブルに広げたメニューを、リュネスと頭を突き合わせながら眺め、選んでいく。ただ、途中でテュリアスがごろごろとその上をわざとらしく転がって邪魔をしてきた。どうも最近テュリアスのこういう行動が日に日に目立ってきた。理由を聞いても口を閉ざすばかりだし。一体何が不満なのか、さっぱり俺は分からない。
「あ、シャルトさん。何か、落ちそうですよ」
と、リュネスが俺のトレーニングジャケットの外ポケットを指差した。そこからは白く小さな紙袋が半分以上飛び出して、今にも零れ落ちそうになっている。どこかで落としてしまっては取り返しがつかない。俺はすぐにポケットの奥へ押し込み直す。
「それは何ですか?」
「ああ、薬だ。ここに来る途中に病院へ寄ったから」
「病院ですか? どこか具合でも?」
「まあ、ちょっと。長く飲んでる薬があって。最近はやや軽い薬に変わったんだけどさ」
そう俺は気まずげに言葉を濁す。
リュネスもまた何かを察したのだろう、そうですか、と答えたきりでそれ以上は詮索してこなかった。
そういえば、俺はまだ、自分のこの事を話せずにいる。今はまだ気持ちの整理もついていないし、情けない事に話す勇気もない。もう一つの山場を越えたいと思ってはいるけれど、この問題を今のまま腐らせておく訳にもいかない。
決着はつけなくては。
とは思う。でも、今はまだ前には踏み出せない。このぬるま湯のような関係は居心地がいいから。もしも告白した時、リュネスは一体どう思うのかが怖いのだ。別に恥ずかしい訳じゃない。ただ、人とは違うそれを理解してくれるかどうか、その結果が怖いのだ。もしも理解して貰えなかったら。それは、少なからず通常の生活に支障を来たしている。つまり俺は健常者の部類から外れている事になるのだ。元々、極端に人見知りをする性格している事もある。人とうまくコミュニケーションが取れなくて、しかも面倒なものを抱えていて。それをリュネスが理解してくれるのか。全ての不安と鬱屈がそこに集中している。
やがてメニューが運ばれて、引き続き食事をしながらの会話になる。
俺とリュネスの会話の内容は、最近はお互いの事については大方出尽くしたので、日常のさもない話題に移っている。俺はこの一ヶ月で随分とリュネスについて知る事が出来た。食事の好みや趣味、そして南区以前の重い内容の事も断片的にだがリュネスは話してくれた。北斗では互いの過去を詮索するのはタブーになっている。けれどリュネスは自分から話した。それはきっと、俺に少しでも自分の事を知ってもらいたいという意図があったからだと思う。聞かされた時、俺は酷く胸が締め付けられるかのような悲しい気持ちになった。両親を殺されたのが二度目だなんて。いや、それよりも胸を打ったのは。そんな悲しい経験を打ち明けてくれるほど俺の事を信頼しているという事だ。にもかかわらず、俺の方は自分の全てを告白出来ていない。俺は最悪だ。フェアじゃない。そして臆病だ。
「そういえば、最近。ヒュ=レイカさんを見かけませんね。以前は一日に何度も顔を合わせたんですけど」
ヒュ=レイカは行動範囲の束縛が極端に軽い守星という立場を利用し、しょっちゅう俺の前にも姿を現す。まあ、大体その目的は一緒だ。俺をダシにして笑い者にしたいんだろう。あいつは妙に洞察力が鋭く手先が器用だから、人をおちょくる事が得意中の得意だ。そして、それに引っかかりやすい俺は絶好のカモなのである。
「会わないに越した事はない。会ったって、どうせろくな事にならない」
俺はそう憮然と言い捨てた。そうですか、とリュネスは微苦笑する。俺に返事を合わせた風な表情だ。
あいつは女には良い顔をするから、リュネスには俺がこういう態度を取る理由が分からないのだろう。それよりも、リュネスとも頻繁に顔を合わせていたという事は初耳だ。そして由々しき事態である。俺とリュネスの事は知ってるはずだから、ふざけた真似はしないとは思うが。かき回して楽しもうとするぐらいはやりかねない。そういうヤツなのだ。相変わらずヒュ=レイカの動向からは目が離せない。
「なんだか忙しいみたいでしたよ? ヒュ=レイカさん。早急に調べを付けたい事があるからって」
「調べ? またどうせ下世話な事でも調べているんだろう」
「この事をシャルトさんに言ったらそう答えるだろう、とも言ってました」
ちっ……あいつは。本当にムカツクくらい頭が回る。
ニッコリと微笑むリュネスは、やはりヒュ=レイカの本性を知らない様子だ。知っていたら、絶対にこんな表情は出来ないのだから。いつか一遍、ヒュ=レイカの本性をリュネスの前で暴いてやりたいものだ。けれど、それにはこちらがあいつを上回る策略を練らなくてはいけない。俺は今までに一度もヒュ=レイカには勝った事がないから、その現実性は、悔しいが皆無とせざるを得ない。
「にゃあにゃあ」
揚げじゃがちょうだい。
と、テュリアスが俺の左手を両前足でぱたぱたと叩きながら鳴いた。
「そういや、お前はこれが好きだったっけ」
じっと視線を、俺の皿の上に盛られている揚げじゃがに注ぐテュリアスの懸命な姿に微苦笑しながら、俺はフォークをそれに刺して左手に取ると、テュリアスにも食べやすいようにその上で二つに割った。揚げじゃがとは、じゃがいもの皮を剥いて油で揚げ、塩胡椒、バター、ソイソース等で味をつけて食べる付け合せ的な料理の一つである。非常にシンプルで簡単な料理なので、俺もたまに作る事がある。特に新じゃがが出荷される時期は必ず作っている。テュリアスはあまり濃い味は好きではなく、こういう薄味のものを好むのだが、特にそういう嗜好のない俺も揚げじゃがは好きだ。
テュリアスは特に味付けはしないで食べる。単に、前に一度胡椒で酷い目にあったからだけなのかもしれないが。まあ、その方がじゃがいも本来の味が楽しめるのでいいのかもしれない。
そっと爪を立てて、二つに割れた内の片方の揚げじゃがを引き寄せる。そして大きく口を開け、がぶっと噛み付く。が、
「ふにゃっ!」
熱ッ!
直後、テュリアスは弾けるように飛び出して揚げじゃがから離れた。舌を出してハアハアと息をついている。どうやら揚げじゃがは食べるには熱過ぎたようだ。
「あ、大丈夫?」
すぐさまリュネスは小皿にコップの水を注いでテュリアスに差し出す。そこにテュリアスは身を乗り出し、顔を突っ込むようにして水で舌を冷やした。
「猫舌なんだからさ、いつも気をつけろって言ってるだろ?」
小皿に身を乗り出しているテュリアスの背中を見ながら、そう俺は笑った。実はテュリアスがこういう行動をするのは初めてではない。というよりもしょちゅうだ。揚げじゃがもそうだし、焼き芋やおでんでもそうだった。基本的に注意力よりも食欲が勝ってしまっているのである。
「にゃあ!」
うるさい!
そして、舌を冷やし終えたテュリアスが俺の元へ駆け寄ると、がぶっと左手に噛み付いてきた。牙は皮膚を突き抜けていないからある程度加減はしているようだけれど、多分歯型の痣ぐらいは出来るかもしれない。
「ほら、やめろって。俺に八つ当たりしても仕方ないだろ? 自分が悪いんだからさ」
俺は左手に噛み付いているテュリアスの首根っこを掴むと、ぐいっと持ち上げる。
ふーんだ。
そして、宙吊りになっているテュリアスは拗ねたように顔を背ける。相変わらずの子供っぽい仕草だ。まあ、揚げじゃがが冷めてお腹一杯食べたら機嫌も直るだろう。テュリアスはすぐにヘソを曲げる分、立ち直るのも早いのだ。
「シャルトさん、血が出てますよ」
ふとリュネスが俺の左手に視線を送ってきた。見ると、おそらく首を掴まれて反射的に食いしばってしまった時に出来たのだろう、二つの小さな赤い点がじわりと浮かんでいる。テュリアスの牙の痕だ。
「このぐらい大丈夫だ。大して大きな傷じゃないさ」
俺は滲み上がるその血をテーブルナプキンでそっと拭った。するともう止血が始まったらしく、それ以上血が滲み上がる事はなかった。
「でも、なんかペットって良いですね。私、シャルトさんとテュリアスを見てるといつもそう思うんです」
宙吊りになっているテュリアスを、リュネスはそう微笑ましそうに見ていた。しかし、一方のテュリアスは見る見るうちに表情が険しくなる。そして、強引に振り向いてリュネスを睨みつけた。
「にゃあ!」
私はペットじゃない!
TO BE CONTINUED...