BACK
な、なんだ、この光は……!
突如現れた、正体不明の眩しい光。まるで予想だにしなかったそれの出現に、まるで無防備だった俺の目は光に灼かれて視界が青の入り混じった黒に暗転する。思わず俺は手のひらで両目を押さえて表情を歪ませた。暗転した視界には、黒のバックにチカチカと光の帯が灯っては消えるを繰り返す。大概、目をつぶればそんな光の造形は誰でも出来るものだが、やけに今回はその起伏が激しい。
やがて、その光群が意思を持ったかのように中央へ向かって集まり始める。やがてその光が形作ったのは……十字架?
そして。
「人を惑わす争禍の闇よ、今ここに主の御名と栄光の元に『断罪』を持って煌々たる灯火を照らしましょう」
凛と響き渡る女性の声。それはどこからか現れたのではなく、本当に突如としてこの空間に出現したかのような登場だった。一体どこからどのようにして現れたのか。その疑問は光に眩んだ目が回復した瞬間に明らかになった。
「嘆くなかれ。主の断罪は唯一にして無二、天上を冠する聖句の理なり」
そこに立っていたのは、埃と廃墟に彩られた戦闘解放区に明らかに似つかわしくない、自分達とは根本から性質の違う存在。楚々として慇懃、厳格さと冷たさを表裏に備えた、質的絶対不可侵をそのまま体現化したかのような純粋さ。迂闊に近づけず、声さえかける事が躊躇われるような、刃に似た空気を漂わせている。思わず俺はその静かな覇気に押され、一歩後退ってしまった。
浄禍だ。
修道女を思わす、その奇異の視線を向けずにはいられない衣服に、俺は背筋に不本意な戦慄を覚えてしまった。この北斗に住む人間で、流派『浄禍』の名を知らぬ人間は皆無に等しい。浄禍は、北斗十二衆の中で最強を誇る至上の流派なのだ。その一見して清楚たる外見だが、実は流派の全てがAランク以上のチャネルを持った術者で構成され、限りなく暴走に近い精神状態を理性ではなく信仰心を持って制御しているのだ。制御出来る爆弾ほど恐ろしい兵器はない。そして、中でも浄禍のトップに立つ八人、浄禍八神格はあまりに強大な力を持っているため人間の範疇を越えたとすら言われている。そんな彼女らを相手にする事は、火の中に裸で飛び込むよりも愚かしい行為なのである。
「な……どうして浄禍が来やがるんだよ」
詰まる喉がようやく搾り出した無骨な言葉。しかし、そんな俺に対して突如現れた彼女はそっと穏やかに微笑を浮かべて見せた。
「たった今、父たる主から神託を授かりました。この罪深き地にて神の子たる人に仇名す禍つが現れると。そして私は神の御意思をこの世に体現化する使徒、浄化『断罪』です」
断罪。
その名を前に、俺は自分が萎縮していくのをはっきりと感じていた。
浄禍八神格にはそれぞれ『聖号』と呼ばれる二つ名が与えられている。それは自らを神意の代行者と称するほどの圧倒的な力を持つに相応しい事を示している。もしも対面した人間が聖号の意味を知るのならば、決して事を交えようとは考えもしないだろう。彼女らと相対するのがどれだけ無謀なのかを知っているからである。浄禍八神格は人でありながら人の範疇を越え、限りなく神の本質そのものに近づいた存在だ。人の範疇に留まったままの人間がかなうはずはないのである。
今、俺の目の前にいるのは、その浄禍八神格の一人である『断罪』の座。限りなく神に近づいた八人の一人だ。そんな俺ら俗人には手も届かない存在が目の前にいる。ただそれだけで、俺は蛇に睨まれた蛙よろしく、金縛りに遭ってしまったかのように動く事が出来なくなる。
そして、ゆっくりと『断罪』は視線を小さく丸まって震えているシャルトへ向ける。その眼差しは麗々としていながらも刃物のように冷たく光っていた。教えを信じる反面、自らの価値観から外れる存在を決して認めない、そんなシビアな恐ろしさを俺は感じた。
そうだ、そもそも北斗内で起こった暴走事故は基本的に浄禍の管轄だ。今回こそ北斗総括部の命令で守星が差し向けられたが、この通りいつまで経ってもシャルトを止める事が出来ないでいる。おそらくそんな俺達を見かねて『断罪』はやってきたのだろうが。これは通常、唯一絶対である北斗総括部の命令に背く行為とみなされるのだが、浄禍八神格の場合は必ずしもそうとは限らない。浄禍八神格にはそれぞれ総括部も干渉出来ない一定の権限を持たされているからだ。俺の記憶が確かならば、聖号『断罪』は軍事力の行使権を与えられているはず。それは、命令と緊急避難の二つの場合のみによってしか許されない北斗の力を、自分自身の判断で自身の範疇に留まらず行使出来る権利だ。
「神は自らの言葉を聞こうとしない愛し子らを哀れみ、心を痛められました。そして父なる主の憂いを取り除く事こそ、我ら信徒に与えられた至高の責務」
と、その時。『断罪』はおもむろに自らの中空をその指で指し示す。指が中空を踊る。指が描いた軌跡を光の帯が辿りなぞって行く。瞬く間に彼女の頭上には光で描かれた幾何学模様が完成した。描かれた奇妙な紋様からは、精霊術法の心得のない俺にすらはっきりと分かるほどの膨大な魔力が集まり始めるのを感じた。いったいどんな言葉を用いて例えれば良いのかすらも検討がつかず、ただただ俺は唖然と行く末を傍観していた。
「聖なる、聖なる、聖なる父よ。今ここに断罪を奉じ更なる神意の体現を示しましょう」
集められた魔力が徐々に形を成していく。そのあまりの迫力に俺は呼吸すらも忘れてしまっていたが、その魔力はそんな俺達俗人の意思とはまるで関係なく自らの示された姿を形成して生まれ出る。あまりに次元の違うその力の一端を目の当たりにさせられた俺は、神という存在を生まれてきて初めて身近な所に存在するとリアルに錯覚してしまった。
俺はこれまで、浄禍八神格の事は風聞を通してしか知らなかった。人類で最も神に近い存在、人間の範疇を超えた新人類などといった風評は嫌と言うほど耳にしていたが、その力を実際に自分の目で目の当たりにしたこの衝撃は筆舌にし難かった。こんな事が人間技で出来るのか、いやそもそもこれが人間に可能な技なのか。驚きが恐怖に変わるまでさほど時間は必要としなかった。味方に当たるはずの彼女でありながら、存在が酷く恐ろしかった。あまりに自分から根本的な部分がかけ離れ過ぎているせいだろう。
「断て。神意の剣は如何なる闇も切り裂く至上の祝福」
そして、『断罪』の頭上に体現化されたのは巨大な両刃の剣だった。
見た目にも、とても人間に扱えるようなサイズではなく、むしろ彼女の言葉通り神自身がこの地に降り立って断罪の名の元に不浄な人間を裁こうとしているかのように見えた。こんな巨大な剣、人間に扱えるはずがない。扱えるのは、本当の神以外に他ならないだろう。
これで同じ人間だというのか……?
想像の世界をそのまま現実の世界に再現したかのような、現実の悪夢。
そう、それは悪夢でしかなかった。『断罪』が北斗にとって有害な存在を排除しようとしているのであれば、まだ称賛の言葉が考えつくもの。今、俺の目の前で展開されている光景は、小さくなって怯えているシャルトを殺そうとしている『断罪』の凶行に他ならない。
ビビッてる場合じゃねえ。
俺は萎縮した自分を気合で奮い立たせると、力の限り声を張って『断罪』へ叩きつけた。
「ふざけんな! やめろ、『断罪』!」
その乱暴極まりない俺の言葉に、『断罪』は術式をそのままにゆっくりと静かに俺の方へ顔を向ける。空気が硬く張り詰める。どんなに恐ろしい表情をしているのだろう、と俺は刃でも向けられているかのような心境で構えていたが、俺の予想を大きく裏切り、振り向いた『断罪』の表情は極めて物静かな微笑だった。
「汝、流派『夜叉』頭目、レジェイドよ。何故、神意の体現を咎め立てるのでしょうか?」
敵意でもなく不快感でもなく、ただ聞き分けのない幼子を見るかのように優しげな眼差し。それはつまり『断罪』にとって俺の存在は子供に等しいという事であり、幾ら俺が吠え立て噛み付こうとも気に留めるほどでもないことの現れだ。
それでもだ。もう退いちゃならねえ。
震える拳を握り締め、俺は猛然と『断罪』に立ちはだかる。
「神意だかなんだか知らねえが。横からしゃしゃり出て茶々を入れられちゃあ困る。早急に退け」
驚くほど普段の饒舌さで言葉を放った俺。これだけ冷静に徹していられた自分が予想外だった。けど、未だに手の震えは止まらない。
「我が『断罪』には、大いなる神の意志が御降りになられました。この神意を果たす事は如何なる存在にも妨げられる事があってはなりません。あなたは人の上に立つ人間として、自ら率先し災禍を引き起こすような行動はおやめなさい。さもなくば因果応報の神罰が下るでしょう」
「お前には自分の意志でどうこうできる権限があったよな。しかし残念だ。ここがどこか分かってるだろう? 戦闘解放区において、てめえらの指図を受ける筋合いはねえ」
彼女の持つ権限とは、あくまで北斗の規律上の超法規的な力だ。たとえ任務の途中でも、場合によっては浄禍の独断でその内容や結果を左右され、そして総括部すら一切逆らえぬようになっている。しかし、それは北斗の法律が届かない戦闘解放区では効力は発揮されない。ここは完全無政府の自律型自治区。北斗であって、北斗ではないのだ。
「人の子よ。神意に逆らう事、これあたわず」
と。
きぃん、と大きな耳鳴りが頭の中を支配する。ふと思った次の瞬間、俺は体の自由がまるできかなくなっていた。
な、なんだよ、こりゃ?!
何か恐ろしいほどの力に体が押さえつけられている。そういった感じだった。ただ自分の体を見ても何かの正体が見えるはずもなく、また幾ら力を振り絞っても俺の体を押さえているらしい存在は一向に振り払えない。
一体どうなってやがるのだろうか? 『断罪』に視線をくれられただけで、突然体が動かなくなってしまった。何かの魔術を行使した素振りもなく、周囲には俺と守星達だけで浄禍の人間はいない。それとも、これが人間の範疇を超えた力だというのだろうか?
「汝は不幸だ。神の大いなる意志に耳を塞ぎ、なおも聞こうとはしないからだ」
体の自由を奪った優越感を見せる事無く、ただただ『断罪』は静かな微笑を湛えている。
まるで聖書の一節を読むかのような『断罪』の言葉。連中にしてみれば自分達は敬虔な信者で正しき道を歩む模範的人間であり、俺のような反抗的なヤツは教えに背き悪徳に走る存在といった抽象がある。しかし俺は何よりも先に、馬鹿馬鹿しい、と思った。
何故なら、
「うぜぇっ!」
気合と共に、俺は両腕を同時に横へ突っ張る。瞬間、まるで嘘のように金縛りが解けた。
馬鹿馬鹿しいのは、幾ら人智にない技と言えども、こうも簡単に破る事が出来るからだ。神だかなんだか知らないが、少なくとも俺にはこの程度の子供騙しなど通用しない。このぐらいの事で神はともかく、自らと周囲との善悪まで裁定されたくはないし付き合いきれない。思想は勝手だが、こっちに迷惑をかけるものは遠慮してもらいたいものだ。
俺は気合をそのまま乗せ、手にした大剣を大きく振りかざし『断罪』へその切っ先を向ける。
ハッと息を飲むルテラの息づかいが聞こえてきた。ヒュ=レイカもさすがに普段の余裕が見られない。しかし俺は、不思議と薄ら笑いすら浮かべられるほどの余裕があった。キレた訳でもなく、現実逃避した訳でもない。ただ、少なくともやたらに畏敬を向けるには値しない相手だという事だけが分かったのだ。
「信徒たる我に刃を向けるとは。汝にはその覚悟があると見てよろしいのですか?」
「今更聞き返すな。俺はな、身内に手ェ出すヤツは等しく敵だと思ってんだよ」
かつてこれほど背筋の冷たくなる笑顔を見たことがあっただろうか。一瞬でも気を抜けば飲み込まれてしまう。姿形は俺よりも一回り小柄なのだが、何倍もの巨大な化物に感ずる。この世で最も恐ろしいものはドラゴンでもヴァンパイアでもなく人間だ、という言葉を聞いた事があるが、なんとなく今はそれが肯ける。人間の採り得る選択肢の中には、こんな化物のような道があるのだから。
さあ、もう引き返せない。俺は今、はっきりと浄禍八神格の『断罪』の座に敵意を示した。抜いた刃は退けない。後は戦うしかないのだ。いや、戦うだけでなく、戦って勝たなければ。誰かを守るとはそういう事なのだ。
「俺は敵に向ける剣しか持っちゃいねえ」
TO BE CONTINUED...