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「その意気込みは大いに買うが」
俺は震えるシャルトに手を伸ばす。
「あっ……」
そして素早く、俺の脇腹に当てていた飾台を奪い取る。意識が尊士の方に向き過ぎているため、俺の方がまるで見えていないのだ。人質を取るのは俺の流儀じゃないが、最低限、人質の動向にも気を配るのが定石である。
「悪いな。この服は自前なモンで、穴なんか空けられたくないのさ」
驚きと絶望の入り混じった、なんともうっかり苛めたくなるような表情で俺を見上げるシャルト。俺は、心配するな、とその頭をぐしゃぐしゃと撫ぜる。見た目通り、指通りがよく冷たくてつるつるとした感触の良い髪だ。こいつが髪に気を使ってるのかどうかは知らないが、たとえ使っていてもこれだけのものを持っているヤツはそうそう居ない。
「大変失礼いたしました、レジェイドさん。その子供は後ほど十分な教育をさせますから」
俺が飾台を奪うなり、尊士はうやうやしく俺に謝罪する。
だが、
「教育? こいつには、少なくともてめえらの教えは要らねえぜ」
俺はフンと鼻を鳴らして吐き捨てる。
「は?」
よほど俺の返答が意外だったのだろう、尊士は唖然とした表情で目を大きく見開く。人を逐一細かく観察しているくせに、どうやら俺の心情まではまるで見えていなかったようだ。表面ばかりを観察する事に尊んだ者は目に見える部分ばかりに固執し過ぎるため、その内側を見通すことが困難になり、そしてそれを自覚する事が出来なくなるのだ。いや、そんな事よりも。そもそもこいつは状況判断というものがまるで出来ていない。普通に考えてみよう。この現場に何も知らない俺がふらふらと現れたら、一体何を思うのか。選択肢は大別して二つだ。友好か拒絶か。そして俺がどちらの人間かなんて、極普通の洞察力があれば簡単に推測がつきそうなものだ。
「一つ、良い事を教えてやる」
そして俺は、唖然としてどうしたらいいのか分からず立ち尽くしているシャルトの後ろ襟をぐいっと掴んだ。相当なショックを受けているのか、シャルトは完全に為されるがままだ。
「この国で一番強い戦闘集団の名前、知ってるか?」
余裕たっぷりに訊ねる俺とは対照的に、尊士は今までの落ち着き払った威厳さもどこへいったのか、みすぼらしいほどにオロオロと動揺の色を露にしている。何か言葉を放ちたいが舌が回らないらしく、パクパクと金魚のように口を開閉している。そんな尊士に、俺は更に言葉を重ねぶつけた。
「お前の背中は大丈夫か? 死神が忍び寄っているかもしれないぜ。意外と近くにな」
薄笑いを浮かべ、わざと意味深さを持たせるため言葉に強く韻をつける。瞬間、さすがに俺の言わんとする事に気がついたらしく、ただでさえ見開いていた目を更に大きく開き、声にならない悲鳴を上げて俺を指差す。
「おい」
刹那。
俺は左腕を鋭くしならせると、シャルトから奪った飾台を真っ直ぐ正面へ放った。飾台についた鋭い針の先は、そのまま吸い込まれるように鬼気迫った形相の尊士の額へ突き刺さる。
「人を指差すのはエチケット違反だ」
そして、俺は尊士の額から血が噴き出すよりも早くシャルトを小脇に抱えると、くるりと踵を返して来た道を引き返す。
飛び出してから間もなく、背後から猿のような悲鳴が聞こえてきた。あの放った飾台が刺さったのは頭蓋骨の固い部分だ。しかも本気で投げた訳ではないから、さすがに突き抜けてはいない。頭は血管が集まっているだけに血は多少派手に飛ぶだろうが、命に別状はないだろう。ただ、寿命がほんの少し延びただけではあるが。
「なんだ、ちゃんと上げられるじゃねえか。悲鳴」
階段を一足飛びに下りながら、そう見事な悲鳴に含み笑う。やはりこれは性なのだろう、やたら威張り散らしたり余裕に満ちた奴が慌てふためく様を見るのは非常に爽快だ。我ながら趣味が悪い。
「離せ!」
ようやく我に帰ったのか、小脇に抱えていたシャルトが思い出したようにそう怒鳴った。
「っと、今は喋らない方がいい」
そして俺は、ふと見つけた階段脇にある換気用の小窓の枠に身を屈めながら足をかける。そしてそのまま中空へ身を踊り出した。
「うわああああ!」
絶叫するシャルト。
夜の闇に飛び出した眼下には、まるで無限に続いているかのように続く黒、黒、黒。足場どころか、僅かな時間だが上昇しているのか落下しているのか迷ってしまうほど方向感覚が失われる。まるで深い穴の中へ落ちていく悪夢にも似た光景だ。
「わめくなって。たった四階じゃねえか」
下から上へ向かって吹き付ける風を顔面に受けながら、そう俺はぎゅっと目を閉じているシャルトに言う。しかし恐怖のあまりか俺の声は届いていないようだ。
数呼吸後、微かな衝撃が足を通り抜けて地面の感触が戻ってくる。その感触をじっくり味わう間もなく、空かさず俺は前へ走った。暗闇にも随分目が慣れてきた。足元が薄っすらと月明かりに照らされ確認出来る。これだけ見えれば問題はない。夜間移動の訓練など、昼間の太陽がまぶしく感じるほど繰り返し行なってきている。日中だろうと暗闇だろうと、全て俺のフィールドだ。
「離せ!」
着地するなり足場が目に見える位置に来た事で安心したのか、シャルトは再び猛然と抗議してきた。子供というのはころころ表情が変わるというが、確かに秋空よりも変わりやすいようだ。
「さっきよりも威勢がいいな」
手荷物のように俺の小脇に抱えられたままじたばたと暴れるシャルトを笑いつつ、俺は空いた手でズボンのポケットを探り小さな手のひら大の輝石を取り出す。それは魔術処理が施された一種の照明弾だ。あらかじめ幾つかのキーワードに反応するよう設定されており、そのキーワードが言われた途端、見合った色の光を放ちながら上昇する設計だ。
「メーデー、メーデーっと」
使えもしない精霊術法を行使している気分に浸りながら、俺は輝石にキーワードを聞かせてそのまま宙に放り投げる。すると輝石は赤い光を放ちながら夜空に向かって上昇し、一定の高度に達するとそのまま小さな太陽のように輝きを放ったまま停滞する。赤い光は『武力行使』を意味する。これから間もなく、北斗の一戦力がこの教団へ徹底交戦を仕掛ける。幾ら巨大な組織と言えど、所詮は烏合の寄せ集めだ。ただ強いだけでヨツンヘイム最強を名乗ってはいない北斗の敵には遠く及ばない。
「さて、早いとこ脱出しましょうかね」
自分の役目を終えた俺は、更に強く足を踏み出して闇夜を疾駆する。
照明弾も打ち上げた事だ、部下もすぐに行動に移るだろう。まずはそれと合流する事を先決にしよう。
そして、
「いい加減に離せ! 僕をどうする気だ?!」
相変わらず抗議を続けるシャルト。大きく上下に揺さ振られ、長い髪がばさばさと乱れている。おとなしくしている分には何とも趣のある綺麗な髪だが、動き回るには少々長過ぎて邪魔になる。先ほどの状況からして、こいつもあそこに閉じ込められるか何かされ、きっと髪が邪魔になるほどの行動は厳しく制限されていたのだろう。
「どうってなあ。俺はそっちの趣味はないから安心してろ」
そう、俺はヘラヘラと笑いながら受け流す。しかし当然の事ながら、それでシャルトが納得するはずがない。
じたばたと暴れる手足が、激しく俺の背中や腹を打つ。俺の属する夜叉は精霊術法には一切頼らず、自らの肉体のみを駆使して戦うのが主流だ。当然の事ながら体は徹底的に鍛えられており、見た目は常人と大差ないかもしれないが、人並外れた筋力、瞬発力、持久力等を兼ね備えた理想的なコンディションを作り出している。ちょっとやそっとの攻撃ではびくともしない耐久力を俺は持っているため、その程度では怯みもしない。
しかし。
……なんだ?
ふと俺は走りながら眉を潜めた。
暴れるシャルトの力が、先ほどから徐々に強くなってきているような気がする。それに伴い、打ち付けてくる手足が与える衝撃も、随分と内臓へ響いてくる。決して問題視するほどの程度ではないのだが、無視の出来るレベルの不快感でもない。
俺も体が鈍ってきているのだろうか? どうしてこんな子供の駄々がこれほど気になるのだろうか。もしも本当に鈍っているのであれば、明日から少しトレーニングをきつくする必要がある。俺は夜叉の頭目なのだ。いわば流派の顔である訳だから、そんな不甲斐無い姿を見せるのは絶対にあってはいけない。もしもそんな醜態を晒したりすれば、先代に何をされたものか分かったものではない。スマートに生きる事を信条としている俺とは正反対の、度を過ぎた熱血漢だ。気に入らない事があれば、口よりも先に手が飛んでくる。素手ならばまだいいが、これが剣やら坤やらになると、文字通り生死に関わる。しかも北斗にいる以上それが当然だと考えているから始末におけない。
「とりあえず、悪いようにはしねえって。今は任せておけよ」
俺は努めて優しい声で諭すように言い聞かせたが、シャルトは一向に収まろうとする気配がない。むしろ叫び声はますます獣染み、半狂乱になって喚き散らすその姿は先ほどよりも様子が明らかに悪化している。まったく、俺はよほど信頼の抱けない容姿をしているらしい。心外というよりもいささかショックだ。いきなり現れた俺に『命を預けろ』っていうのはさすがに難がある。けれど、そこまで必死になって逃げようとする事もないだろう。第一、俺は子供に、しかも男に手を出すほど餓えてはいないというのに。人間不信がここまで来ると、いささか将来が不安視される。
―――と。
「御出でなすったか」
ふと、まるで波間に浮かび上がった泡のように現れたその気配に、俺は加速させていた足を前方に踏ん張って止める。ザーッと砂利を掻き分けながら俺の体は後ろのめりに滑り、そして止まる。
「さて、ちょっと下ろすぜ」
俺は小脇に抱えていたシャルトをそっと下ろし、俺はゆっくり周囲の気配を数え始める。
「……何?」
怪訝な表情で、一歩ずつ後退りながら問うシャルト。表情は少し見ない間にすっかり疲弊し、ばらばらに乱れた髪の間から覗く目は血走り、荒い呼吸を繰り返しながら肩を上下させている。あれだけ暴れたから無理もないだろう、汗をびっしょりかいている。最初に見たときの面影はすっかり薄れている。
「いいから、その辺に居ろ」
現状をそのまま伝えて不安にさせても仕方ないので、俺は軽い口調でそうニヤリと笑みを浮かべて見せる。
意外と早かったな。
俺はやれやれと微苦笑を浮かべながら自分との位置関係、更に常人には聞き取りにくい微かな音から相手の特徴等を割り出し始める。が、それよりも先に闇の中から数人の男達が現れた。彼らは僧衣を身にはまとっていなかった。やはりこいつらは、教団が複数所有しているという戦闘集団のようだ。
ほう、俺一人に十五人、か。
ぞろぞろと数は揃っているようだが、実力は徒党を組んで初めて発揮されるような三下という訳でもないようである。俺一人にこれだけの人数を揃えたのは、大方あの尊士の命令でか、もしくは集団間の何らかの利権問題のためか。
とにかく。
「手っ取り早く終わらせるとするか」
俺は一呼吸置き、身構える。
一流の戦闘集団に、単身囲まれたこの状況。些細な動作一つでも不用意に行なえば、即座に殺されてしまいそうな緊張感。普通に考えればこれほど絶望的な状況はないだろうが、俺には慌てふためく要因は何一つとしてない。何故ならば、俺は超一流だからだ。たかが一流如きに囲まれた所で、所要時間が秒単位で変わるだけ。この程度、死線の内にも入らない。
突然。
何の前触れもなく、空気を切り裂く鋭い音が俺に向かって急接近する。しかし俺は落ち着いてその軌道を読むと、そっと軌道上に手を構える。瞬間、手のひら大ほどのナイフが飛び込み、その刃を指の間に挟んで止めた。
「不意打ちのつもりか? ご挨拶だな」
ナイフの飛んできた方向に向かってにやりと笑みを浮かべると、指に挟んだそのナイフを地面へ放り捨てる。基本的に俺にはこういった類の攻撃は通用しない。少なくとも、逃げ場もないほどの大量のナイフを一気に投げつけるか、もしくは全く音を立てずに投げつけなければ必ず無駄に終わる。夜叉には暗闇の中で目をつぶり、周囲からバラバラのタイミングで石を投げつけるという訓練がある。俺はそれを全てかわす事ができるほど、自らの感覚は鋭く研ぎ澄ませているのだ。本当の意味で不意をつかなければ、飛び道具が俺の体に触れる事はない。
「急いでるんでな。悪いが速攻で終わらさせてもらうぜ」
そして俺は薄闇の中に移る気配の一つに的を絞ると、そのまま強く前足を踏み出し、猛然と前進する。シャルトの傍を離れるのは得策ではないように思えたが、かといってあまり気にし過ぎても自分の行動範囲を狭めてしまう結果に陥る。やはりここは攻めるのが良策だろう。
一人当たり十秒。数人もブッ倒せばすぐに逃げるだろうが、どちらにせよ時間はあまりかけてはいられない。さすがの俺でも、何十何百と来られてしまったら、それら全てをシャルトを守りながら相手になんてしてられないのだから。
が。
「う……うわああああっ!」
不意に背後から響き渡ったその悲鳴のような声。
なんだっ!?
俺はすぐさま踏み出したばかりの足を止めて背後を振り返る。
振り向くとそこでは、その場に屈み込み頭を掻き毟りながら悶え苦しむシャルトの姿があった。
TO BE CONTINUED...