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 今度こそ、私は強くなる。
 自分の意志をどこまでも貫けるほど、絶対な強さ。
 必ずや、それを手に入れてみせる。
 二度と、あんな思いをするのは御免だ。
 踏みつけられるだけの存在に甘んじたくはないから、私は抵抗し続けてきた。けれど、抵抗するにはそれ相応の力がなければ、自分よりも弱い相手にしか抵抗は出来ない。
 弱肉強食。それがこの世の絶対的な掟だ。自分の我を通したかったら、強くなるしか他には無い。
 色々とまあ問題はあるけど、ひとまずそれは置いといて、今は新しい環境に慣れる事から始めるとしよう。
 それから、後はじっくり力を付けていって、自分の思い通りに生きる人生の始まりだ。

 ってプランだったんだけど。
 いきなり出鼻を挫かれた。




 北斗に来て、三日目の朝。
 到着するなりずっと病院に閉じ込められっ放しだった。なんだかんだいって、私の右腕の怪我は結構酷いらしい。傷自体はほとんど塞がっちゃったんで退院出来ると思ってたんだけど、感染症の可能性やら何やらと、まだまだ色々な検査をやったり薬を飲んだりしなくちゃならないそうだ。体の調子はどこも悪くないんだから、私としてはさっさと退院したいんだが。この程度で入院だなんて、幾らなんでも大げさ過ぎる。最も、この期間で傷が塞がってしまった事自体が異常らしいんだけど。
 右腕が無い事を除いて、私の体はいたって健康そのものだ。朝、昼、夕、夜とじっとしていてもお腹は空くし、何にも無い病室には気を紛らわせるものもない。それにだ、あのスファイルのヤツ、一遍も見舞いに来ちゃくれない。別に来て欲しい訳じゃないんだが、来れば何か面白いものでも持ってこさせられるんだけど。
「退屈だ……」
 真っ白い天井を眺めながら、ベッドの上に寝転がって右往左往。もう何度口にしたのか分からないそのセリフも、いい加減考えるのも嫌になってきた。医者は痛みを消してくれるらしいが、退屈は紛らわせてはくれない。
 別に病院から出なければ問題ない訳だから、病院の敷地内を散歩するのもいいんだが、既に患者の行動が許可されている範囲は行き尽くした。なので調子に乗って、スタッフオンリーな場所へも侵入を試みたばっかりに、あっけなく見つかってしまった。それが今日の午前の出来事である。その時は、これにこりて今日一日ぐらいはおとなしくしていよう、と思ったんだけど、やっぱり予定を変更したくなってきた。だって、他に何があるっていうんだ。こっちは退屈で死にそうだっつってるのに、何もしてくんないんだから。
 さて、と。
 私はベッドから降りると、注意をドアの外へ向ける。そこには誰の気配も感じられなかった。これでも勘は鋭い方なのだ。よっぽど気配を消すのがうまいヤツでもない限り、ドア越しでもそこにいることが感じ取れる。それに、まさか病院にそんなヤツがいるはずはない。
 よし、これなら病院の連中に白い目で見られなくて済む。
 私は歩き辛いスリッパは脱ぎ捨てて、ドアノブを捻って外へ押し開けると同時に飛び出す。
 が。
「ぐわっ!?」
 どういう訳かドアは半開きのままで止まり、しかし既に勢いをつけてしまっていた私は思い切り顔をドアにぶつけてしまった。
 誰かがドアが開くのを外から押し止めたようだ。ったく、中の事もよく確かめないで勝手なヤツがいるものだ。
「その様子では、どうやら怪我は問題無いようですね」
 と、ドアが外から開かれ、鼻を押さえて唸っている私にそんな冷ややかな声が投げかけられた。
 見上げると、そこには真っ青な服を着た一人の女性が立っていた。なんだか呆れた表情で私を見ている。
「院内の方から聞きました。午前中、医薬備品室に侵入して備品を数点破損したそうですね。おかげで補填をこちらが負う事になりました。まったく、この忙しい時に」
 彼女は一度溜息をつくと、そしてもう一度私をじろりとねめつける。すぐに私は、なんでアンタにそんな事を言われなきゃならないんだ、と反論しようとした。しかし、何故だか喉が詰まってその言葉が途中で止まってしまった。
「私は流派『凍姫』の戦闘指南役、ミシュアといいます。こちらに頭目は来ていますか?」
 トウキ?
 セントウシナン?
 耳慣れない単語を連続して並べ捲くし立てられても、アアナルホド、とすぐには事の詳細は見えては来ない。しかしミシュアと名乗ったその女性の放つ空気はあまりに威圧的で、こちらに安易な質問をする猶予を与えてくれなかった。
「あの……頭目って?」
「スファイルという人間です。奇怪な行動と論理と非論理の合いの子のような、非常識が服を着て歩く人間です。あなたは彼にここへ連れられてきたのでしょう?」
 なんだか散々な言われようだが、どれもスファイルを表現するには的を得ている気がする。本当に、あいつは何を考えているのかまるで分からないヤツだった。どうやら彼女は身内らしいけれど、やや苛立った様子からして随分スファイルには手を焼かされているようだ。そういやアイツは嫌な事から逃げてきたって言ってたけど、もしかするとその皺寄せがこの人に全て行ってるのかもしれない。
「まあ、そうだけど。で? あいつ、なんかしたの?」
 すると、じろりと冷たい目で私は睨まれた。睨まれる事自体は慣れてるのでなんとも感じないはずだったのだが、このミシュアという女性の視線はこれまで受けたものとは比べ物にならなかった。背筋に刃物でも当てられたような、本能的な恐怖さえ感じる。不覚にも立ち竦んでしまった。
「一応、彼は責任ある立場の人間なので、敬意は忘れないように」
 咳払いを一つし、さして乱れていない身形を正す。
 あのアホ面をこいたスファイルをあいつ呼ばわりしただけでこの反応。見た感じからは、スファイルよりも彼女の方がずっと優秀なように思えるんだけれど、話の内容からはどうも彼女はスファイルの下の人間のようだ。あいつ……まさか凄いエライ人間なんだろうか? それはそれでギャップが激し過ぎて、私は想像に困る。
「彼はこのたび、四度目の家出を敢行いたしました。現在、凍姫メンバーによって鋭意捜索中ですが、まあ今回も見つからないでしょう。逃げ足は達者な方ですから」
 人に敬意を忘れるな、と言っておきながら語尾にやや嘲りが感じられるのが気になったが、それよりも私はもっと別な事に驚きを覚えた。
 スファイルが、また、家出した?
 あんにゃろう、偉そうなこと言っといてまた逃げたのか。しかも、帰ってきて何日も経ってないじゃないか。やっぱ、アイツは馬鹿だ。口では何とでも言うけど、結局はそうやって楽な方へ逃げる。そんな事をしても何もならないって、自分で言ってたじゃないか。ホント、これほどの根性なしは見たことが無い。なんでまたそんな根性ナシが人の上に立つ人間になんだろうか。世の中これほど奇怪な事は無い。
 と。
「これより、あなたは凍姫の一員として当分の間は私の管轄下に置かれます。以後、私の命令には服従してもらいますので」
 唐突に、ミシュアがそんな事を言い放った。
「ちょ、なにそれ!? 勝手に決めないで!」
「既に頭目より提出されたあなたの必要書類は本部に受理されているため、抗議その他は受け付けません。それと、あなたの退院日は明日に決まりました。それまでにこれを熟読しておくように」
 まるでこっちの言い分など聞こえていないかのように、ミシュアは淡々を言葉を続けて取り出した山のような書類を突きつけてくる。
 そして、
「これで明日の退院まで退屈しなくて済むでしょう」
 その時、私は目前に鬼を見た。
 恐ろしい、という意味ではない。あまりに底意地が悪いというか、加虐趣味者の倒錯した根性というか、そんなものがひしひしと伝わってきた。明らかに、絶対に無理な要求だと知って私にこの書類を突きつけたのだ。
 やってられっか!
 そう叫んで、この書類をその取り澄ました顔面にぶつけてやろうと私は思った。しかし、どうしてか体がうまく動いてくれない。先ほどから金属のように硬直してしまっているのだ。心と体がうまく連動していない感じである。
「うっ……う」
 何か言おうとしていも、気持ちばかりで実行に移せない。私はただ無様に唸り続けるだけだった。
「現在、取り込んでいるため、これ以上私は面倒事を増やしたくはないのです。他に二名もあなたのように厄介な人間が増え、頭が痛いのです。絶対服従しなさい。いいですね?」
 その凍てついた視線に、私は逆らう事が出来なかった。
 これはもはや本能だ。
 そう思うしかなかった。
 もしも歯向かったら何をされることやら。
 気がつくと、指が細かく震えていた。



TO BE CONTINUED...