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水を打ったような静寂。
極東の古文化における独特の建造様式をそのまま再現した、家屋、そして庭。
建物は土壁と木材、そして井草を編んだものを組み合わせて作られ、数ある建築方式の中でも格段の異彩を放っている。この特異な文化は『和』と呼ばれているが、今現在、その意味する所を理解している人間はいない。ただ古文にそう記されているのみだ。
その縁側、テラスと廊下を兼用する板張りの空間に一人の男が鎮座している。年齢は不惑を過ぎたほどだろうか。しかし真っ白に色を失った髪が、男を一回りほど老いて見せる。顎には微かに髭を蓄え、頬は肉がこそげ落ちている。男の体もまた、まるで枯木のような細く存在感のないものだ。骨と皮と、そしてその間を僅かに隔てる程度の薄肉しかない。
男は無言のまま、風を、木々のざわめきを、水の流れを聞いていた。ただじっと緩やかに時が流れていく事を楽しみ、そして自らの存在を自然と同一視する。初めは精神修養が目的で始めた事だが、今ではそれが男にとって一つの嗜みとなっていた。心を落ち着けるだけでなく、視野を広げ、自己回帰を彫り深め、自身を高めていく心地良さが感じられる。
風に揺られる柳のように、水面に浮かぶ枯葉のように、抗う事の出来ない自然の流れに身を任せる。人とはその程度の存在でしかなく、その流れに自らを委ねる事が精神の高み。これが、男が見つけ出した一つの答えだった。
諸行無常。
この世には常なるものはなく、いづれは朽ちて消える。その絶対の摂理に人は逆らう事は出来ず、ただ翻弄されるだけ。それを無常と受け入れる精神の境地こそが彼の求める高みである。
ただ、風のように捕らわれず。
ただ、水のように穏やかに。
自然と一体化し、人としての業と性を捨て、摂理に逆らわず。
男は無心の中でその抽象画を描き続ける。
―――と。
「……何奴」
男はそっと目を開け、己の目前に鋭い視線を送る。
「失礼いたします」
すると、男の視線を受けてか、そこに一人の影が風のように現れて降り立った。
「流派『風無』頭目、サイゾウ殿とお見受けいたしますが」
影は庭石の前に立ち膝の姿勢のまま、頭だけはうつむけて表情を隠しつつ男に訊ねる。
「いかにも。今時分、かのような場所に如何な用件だ?」
男は油断なくその影の一手一足に注意を注ぐ。
「一つ、働いて戴きたいと思いまして」
「働くだと?」
男の表情が微かにいぶかしむ。
しかし、影のうつむいたその顔は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
TO BE CONTINUED...