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疎まれる方が無視されるよりも楽だ。
そう人は言う。
けれど、そんなのはただの客観的な論理でしかなく、実際に自分で感じた言葉で語る人はごく僅かだ。存在を認められないのも、否定されるのも、身を切られるような辛さを伴う点では全く同じ。そんな悲壮感を比較する事自体がナンセンスだ。
もし、その二つの内どちらかを選択しなければならないとしたら。僕は心の安息を求める意味で、後者を選んだ。
けれど今となっては、本当に自分で選んだのか、それとも選ばざるを得なかっただけなのか、分からない。
何なんだ、お前は。
僕を見つけた村の人達の第一声は、そんな驚きと恐怖に満ちたものだった。
「え? 何が?」
その言葉の意味する所が分からない僕は、叫びすぎて掠れてしまった聞き取りにくい声で問い返した。
僕の前に並ぶ村の捜索隊の人達。各々が赤々と燃える松明を手にし、顔の高さに掲げている。暗闇の中に居る彼らの顔を赤橙に照らし出している。しかしその表情はやけに固く張り詰めていた。なんと言おうか、とにかく緊張している事が分かった。何に対して緊張しているのかは分からない。けど、みんなの視線は一点、僕に集中している。
そっと、僕は一歩前に踏み出す。その途端、みんなが一斉に一歩、後退った。まるで僕から避けようとしているかのような反応だ。
「どうしたの?」
明らかに普段とは違うみんなの反応に、僕は訳が分からず再び問い返す。しかしまたもやみんなの返事はない。ただじっと警戒しているかのような視線を僕に向けるだけだ。
心なしか、僕とみんなの間に見えない隔たりが出来ているような気がした。どうしてそんなものが出来ているのか、そこまでは僕は分からない。
と。
一人の人が恐る恐る僕に人差し指を向けた。指先は僕の真正面よりもやや右を指している。どうやら僕の右手を指し示しているようだ。右手がどうかしたのだろうか? 僕は首を傾げながら自分の右手に視線を移す。
「……え?」
僕は思わず唖然とした。僕の右手は、肘から先が真っ赤な炎に包まれていたのだ。
早く消さなければ大火傷を負ってしまう!
一瞬、そう慌てたのだが、しかしその炎に包まれている僕の腕はどういう訳か熱さそのものを全くを感じなかった。それだけでなく、炎は僕の腕自体をも焼き焦がしていない。まるで衣服のようにまとわりついているのだ。
「ちょ、な、何だよこれ!?」
熱くないと分かっていても炎を触る度胸はないので、とにかく炎を消そうと右腕をやたら滅多らに振り回した。けれど炎は消えるどころか揺らぎもしない。普通の炎だったら、風に煽られたら風上から風下へ流れるはずだ。
これは普通の炎じゃないのかもしれない。そう僕は思った。物を焼かない時点で普通の炎ではないのだ。となれば、消し方も普通の炎とは違うのかもしれない。
きっとみんなは、この炎に驚いてこんな風に警戒しているのだろう。誰だって人間が燃えているのを見たらこんな風に驚くはずだ。幾らこの炎が熱くは無いと言ってもそんな常識から逸脱した事は当事者しか分からない訳だから、傍目には僕の腕が燃えているようにしか見えない。
「いや、大丈夫なんだよ。ホラ、こう見えても全然熱くないんだ」
みんなを安心させるため、僕は今もまだ燃え盛る右腕をみんなに振りながら笑って見せた。驚くな、というのは無理があるけど心配する必要はない。それを分かってもらえるよう精一杯アピールする。
だが。
「お前……普通じゃないぞ、それ」
ふと、一人の人がそうぽつりと口にした。その瞬間、急激にみんなとの距離が離れたように錯覚した。感覚的だったみんなとの間にあった隔たりが加速度的に広まっている。同じ村に住む人間同士なのに、まるで僕がただの他人のような態度だ。いや、幾ら他人でもここまで冷淡な態度は取らない。そう、これではまるで―――。
「待ってよ! こんなのすぐ消えるって!」
僕は無我夢中でそう必死に訴えた。みんなの危惧するのはこの右腕の炎なのだから、これさえ消えればこんな態度を取るのはやめてくれる。
だからとにかく早い所この炎を消そう。
炎を消すならば水をかけるのがセオリーだけど、あいにく周辺には水は無い。たとえあったとしても今の季節だ、かちかちに凍り付いて使い物にはならない。
次に考えたのが雪を被せる事だ。元は水だった訳だし、被せれば単純に窒息させて消す事だって出来る。けど、これも使えない。僕の周りは雪が地面ごと抉り出されているのだから。
こうなったら、地面に擦りつけてでも消さなきゃ。みんなに不気味がられるだけだ。
僕はその場に座り込んでしきりに右腕を地面に擦りつけた。
早く消えろ、早く消えろ。
何度も何度も炎に向かって言い聞かせながら右腕を擦りつけ、左腕では地面を掘って土をかける。けれど右腕の炎はちっとも消える気配がない。それどころか必死になればなるほど炎はより勢いを増し、終いには普通ではあり得ない青や緑の光まで放ち始めた。
「どうなってるんだよ……くそっ!」
さっきは何もかもが、常識を逸脱してまで自分の思い通りになったというのに。今度は同じ常識の逸脱でも、まるで自分の思うようにならない。
一向に炎を消せない僕の様子に、みんなが一斉に、より後ろへ引いていくのが分かった。絶望的なまでに広がっていくみんなとの溝に僕の焦りは一層募り、けれどどうすればいいのか分からなくて頭を抱え叫び出しそうになった。
「違うんだ! これは、ただ!」
離れていくみんなを手放すまいと、僕は必死にまとまりのない言葉で自分を弁護しようとする。当然だが一貫性も何もない有象無象だけで構成された言葉に何の説得力も無く、僕をより窮地に追い込んでいく。まるでガラスのように、これまで僕が当たり前としてきた日常が音を立てて崩れ去っていく気がした。家族同然だった村の人達が皆、僕を冷たい目で見ている。
とても信じられなかった。もう十年も一緒に暮らしてきたというのに、たったこれだけの事で僕を仲間だとは認めなくなってしまっている。十年の月日の重みとは、これだけの事よりもずっと軽いというのか。僕の存在はそれほど簡単に切り捨てられるものだったというのか。あり得ない。心同士の繋がりとはもっと強固なものの。小さくて貧しい村だからこそ、人と人の信頼関係を大切にしてきたはずだ。なのに、僕の目の前に突きつけられたこの現実。そんな僕の価値観を根底から覆す、あまりに残酷なものだ。
「どうして無事なんだ……。あれだけの雪崩で、みんな助からなかったのに」
遠い遠い、遥か対岸から聞こえてくるような、距離感の否めないその声。
みんな助からなかった?
そうだ、僕はいつものみんなとで狩りに来た最中にあの雪崩に巻き込まれたんだ。でも僕は雪崩の中でも何かに守られていて無事で。それでたった今、閉じ込められてしまっていた雪の中から脱出出来たんだ。それは何故か僕のイメージした事が実際に起こる現象が偶発したからであって。おそらくその恩恵に預かれなかったであろうみんなは……。
ずっと仲の良かったみんなが一度に死んでしまった。本当なら悲しむ事なのだけれど、今の僕にはそんな余裕が無かった。みんなの目が、唯一生き残ったらしき僕に向けるものとは思えないほど冷ややかだったのだ。どうして喜んでくれないんだろうか? 僕が生きている事が、そんなに嫌なのだろうか?
みんなの意外なほど冷淡な態度に立ち尽くす僕。するとそこへ、
「もう三日も経ってるんだぞ。幾ら助かったとしても、普通なら凍死してる……」
「み、三日?」
僕は愕然とした。あの雪崩から三日も経過しているだなんて、とても俄かには信じられなかった。雪崩は今日の夕方の事だと思っていたのに。じゃあ僕は丸三日も雪の中に居た事になる。それだったら当然、言う通り普通だったら凍死している。
「で、でも。みんはここへ僕を助けに来たんでしょう?」
「違う。お前の死体だけ見つからなかったから……それを捜していたんだ。せめて早く見つけてやろうと、夜を徹してな」
そんな……。
みんなの考えている事、遂にその全てを悟った僕は頭の中が真っ白になってこれ以上の行動意欲を失った。
悪意にも似た冷ややかな視線が突き刺さってくるのがひしひしと感じられる。僕が生きていた事ががっかりした訳ではなく、僕が生きていた理由があまりに普通から逸脱していた事への防衛本能的な反応だ。自分達とは違う。たったそれだけの事が、この深く広い溝を僕との間に作り出したのだ。
嫌な沈黙が場に立ち込める。互いに互いの出方を牽制し合う、そんな穏やかならぬ空気だ。
僕はもはや炎を消す事なんか止め、ただ必死でみんなに自分が再び受け入れてもらえるようになるにはどうすればいいのか、それだけを考えていた。
あるはずもない。
幾ら必死になってもその結論が頭から離れてくれない。一度離れた人の心は二度と取り戻せないから、信頼とは何物にも変えがたい。けど、みんなが僕から離れていくのに、僕には何の責任も無いのだ。ただ、僕がちょっとだけ普通ではありえないことをしてしまっただけであって。僕の意思は関係ないのに。どうして誰も分かってくれないのだろうか。
沈黙は長引けば長引くほど気まずさを増してくる。僕は体が意味も無く震え出した。本当にどうすればいいのか。今にも泣き出したい気分だ。
そして、その時。誰かがぽつりと呟いた。
「化物……ッ」
TO BE CONTINUED...