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 しん、と戦慄に静まり返る周囲の空気。その中で唯一人静かに闘志を燃やす俺は、気持ち悪いほど思考がクリアになっていた。
 構えた剣の切っ先が辿る軌跡がくっきりとイメージ出来る。自分の一挙手一投足が淀みなく流れ、一瞬で組み立てられる何十手という戦術の先の先を無意識が精密に表現する。体は幾つもの凍傷と打撲で満載だというのに、疲労感もなく驚くほど軽い。かなりバトラーズ・ハイな状態だ。思考も心なしか視野が目の前の事象に狭まっている。
「断て。大いなる神意は天地を別つ」
 凛と響き渡る、静かながら荘厳さのある『断罪』の声。まるで賛美歌を歌うようなメゾソプラノが高々と響き、ここは戦場で舞台劇場ではないというのに、千人単位で観客を収容できそうな大きなオペラ劇場を連想させる。
 なんて歌声を出すのだろうか。
 呆れとかそんなのではなく、うっかり我を忘れて聞き入りそうな、誘惑にも似た感覚が俺をしきりに引き付けようとする。しかし『断罪』の歌声は膨大な魔力を生み出して体現化し、間断なく俺に向けて行使される。荒々しいものだけが戦闘である俺には、優雅としか言いようのない『断罪』の戦闘方法が特別奇異に見えた。
 これが北斗最強の流派、『浄禍』の戦闘スタイル。これまでに知っているものは、大概は剣等の武器や精霊術法を用いた体術だった。しかし浄禍のそれは、そのどちらにも属さない特異なものだ。精霊術法を使っているため比較的後者に部類されるのかもしれないが、しかし術者自信は歌を歌うだけで何もしてはいないのだ。歌声と共に魔力が集中し体現化され、そのまま標的に向けて行使される。どこまでが自分の意志で行なわれているのかは分からないが、少なくともあまりに圧倒的な魔力を行使出来る術者は自分の体を一切動かさず戦う事が出来るのは確かなようだ。
 歌声と共に体現化された無数の騎士剣が『断罪』に意思を与えられ、一斉に俺に向かって放たれる。俺はゆっくりと重心を落として剣を構え、真っ向からその騎士剣と相対する。『断罪』が体現化した騎士剣は、ありとあらゆるものを切り裂く恐ろしい攻撃力を持っている。それは精霊術法にあるような『吹き飛ばす』技ではなく、文字通り本物の剣のように切り裂くのだ。エネルギーを事象化するのではなく物質そのものに昇華しているのだろうが、この時点でもはや普通の術式ではない。おまけに何でも切ってしまえるというから、これはどう考えても人間の範疇には収まらない。
 しかし、それだけの攻撃力を持った無数の刃に身を晒しているというにも関わらず、俺の思考は相変わらずクリアなままだった。
 軽いな。
 意を定めると、間合いを計り、ひゅぅっと鋭く息を吐く。眼前には向かい来る十三本の騎士剣。これが全部突き刺さったら、俺はおそらくタロットの小アルカナ、ソードの一枚に描かれているような凄惨な串刺し死体になるだろう、と軽口混じりに思い浮かべる。
 俺は姿勢を更に低く構え、大剣の柄を適度な硬さに握る。そして騎士剣が間合いに入って来るのを待たず、自ら足を踏み出して前へ向かって行った。
 目前に迫る、あらゆるものを切り裂く断罪の切っ先。俺はそこから身をそらすように、更にもう一度体を低く沈める。丁度俺の姿勢は地面に這いそうなほどになった。
 ここだ。
 そして、俺は踏み込んでいた前足で地面をドンッと踏み込み前方に向かうベクトルを強制的に止めると、慣性を体を捻る事で別な方向へ向ける。それと同時に大剣も同じ方向へ走らせた。向かった先は俺の頭上、もっと正確に言えば、向かい来る騎士剣の懐だ。
「おりゃあっ!」
 俺は掛け声と共に、柄に左手を添え一気に大剣を真上に振り上げる。そのまま頭上の空域にやってきた騎士剣を強引に薙ぎ払う。
 たとえ最も神に近い人類の術式だとしても、あくまで精霊術法は精霊術法。その術式には通常の術式と全く同じ特性が備わっているため、性質さえ知っていれば破壊は十分に可能だ。たとえば、体現化された術式に大きな負荷をかけて構成する魔力同士の繋がりを断てば、一瞬にして形状と性質を保てなくなり霧散してしまうように。
 俺の一撃によってまとめて魔力同士の繋がりを断たれた騎士剣が、一斉に乾いた音を立てて次々に霧散する。俺の大剣から放たれた衝撃が騎士剣の抗力を振り切り、最深部の軸まで貫通する。抗力はそのまま俺の手のひらに返り、手首を支える二の腕と肘に心地良い振動となって響いた。
 幾ら凄まじい攻撃力を持っていたとしても、破壊そのものは不可能ではない。つまりは、自分が圧倒的に不利な立場に立たされている、というのは『浄禍は神に近い実力者だからかなうはずがない』という単なる先入観なのだ。相手が北斗最強の一端であろうとも、手の届かない存在ではない。
 攻撃を薙ぎ払った俺を見る『断罪』の目が、おそらく驚きからだろう、一回り大きく見開かれる。今の一撃に、俺を仕留めるほどの自信があったのか、それともこうもあっさりと捌かれるとは思ってもいなかったのか。どちらにせよ、俺はすぐさま反撃に転ずる。
 薙ぎ払った大剣を下段に構えると同時に、後足を強く蹴って体を前方へ弾くと重心を前傾に移す。
「おお、いと高き聖座に君する父なる主よ。大いなる天幕を此の地に示し賜え」
 俺の突進を見るや否や、『断罪』があの優雅な歌声を高々と響かせて術式を行使する。そして体現化したのは、自身の周囲を隈なく覆う巨大なドーム状の障壁だった。
 ヤツめ、守りに入ったか。
 同時に俺の思考は一層クリアになり、より精神状態が落ち着いていく。あの圧倒的な力を揮ってきた浄禍とは思えない消極的な姿勢だ。神に近い存在と言われていながら、それほど溝が開いている訳でも無し。行ける。そう俺は確信する。
「行くぜっ!」
 障壁を展開し完全な防御態勢となった『断罪』を自分の間合いに捉えると、俺は下段に構えていた大剣を振り上げて大上段に構え直した。そして後足に最後の蹴力を与えると、それを重心と共に前足へ伝え力強く地面を踏む。俺は背筋の力を上へと伸ばし腕も同じく垂直に、大剣の柄を握る両手首を傾けて剣身を自分の体と並行にする。そしてそのまま、伸ばした力を爆発的に収縮させるかの如く大剣を一気に振り下ろした。
 俺の大剣と『断罪』の障壁とが衝突した瞬間、空気が唸ったような音と共にまるで高圧の水でも相手にしているかのような柔らかくも斬り進める事の出来ない得も知れぬ感覚が剣身を通して跳ね返ってくる。柔らかい大きな何か、それこそ巨大な手のひらにでも斬撃を受け止められたかのようだ。
 まだだ。
 俺は更に四肢に力を込め、強引に斬撃を中へと進めていく。
 俺の渾身の斬撃は障壁を部分的にひしゃげさせるものの、障壁そのものはまるでびくともしていない。しかし俺の腕に返ってきた衝撃の少なさから察するに、衝撃のほとんどは障壁に浸透した事になる。単に吸収されただけならば、障壁自体の抗力で剣が跳ね返される。斬撃の威力自体は無効化されておらず、まだ決着の如何はついていない。
 慣性の勢いを再び付与する事は一旦距離を取らないと出来ないため、全身の力だけで生み出す反動だけで斬撃を押し進めて行く。刃がほんの僅かだが徐々に障壁の中へめり込む。同時に抵抗も激しさを増していき剣を押し返す力も強くなる。負けじと奮い立たせた筋肉は軋み、一瞬でも気を抜けば体ごと弾き飛ばされそうだ。それでも俺は更に前進し剣へ力を込める。
 と。
 その時、ふと視界の隅に小さく丸まって震えているシャルトの姿が目に入った。
 あいつは何がそんなに恐ろしいのだろうか。
 自分を傷つける存在? そんなもの、この世には腐るほど転がっている。それも自分本位で訳の分からない理由でだ。それらが怖いのは分かる。誰だって自分から痛い目を見たいはずがない。だから俺の場合は抵抗し戦う事で守るが、それは誰にでも出来るものではなくやはりある程度の資質とか個人差が存在する。
 まだ子供であるシャルトにはそんな力はない。だから俺が守ってやればいい。そう俺は思っていたが、シャルトは自ら強くなる事を望み、あえて北斗に入った。シャルトは自分が守る側に立てるほど強くなりたかったのだ。二度とあんな思いをしなくていいように、といった意図もあったのかもしれない。
 俺は自分の持つもの全てを注ぎ込むつもりで徹底的に鍛え、その結果シャルトは順調に実力をつけていった。少なくとも、あそこに閉じ込められていた時のような辛い思いは二度としなくて済むほどには強くなった。けれど今のシャルトは元の一人では何も出来ない姿に戻ってしまってる。実力云々ではなく、完全に意志の強さが欠落しているのだ。戦うという事は単純な力同士のぶつかりあいではなく、どちらが相手の意思を凌駕するかだ。戦う前から意思が折れていては勝負にもならない。
 でも大丈夫、今はちょっと躓いただけだ。またすぐに歩き出せる。まあ、トレーニングはもっときついものにするが。とにかく今は、俺に任せておきゃあいい。俺は後押し以外は何もしないが、それだけで十分だ。シャルトはそれほど弱くはないのだから。
 俺は焦点を『断罪』に戻し、再び障壁を破断しにかかる。
 障壁は精霊術法の中でも最も基礎的なものだが、最も実力が反映されやすいものでもあるそうだ。つまりはだ、この障壁は精霊術法であるから先ほどの騎士剣と同様に破壊が可能であり、また破壊出来れば俺の方が実力が上という事になる。いや、『断罪』どうこうには正直あまり興味はないんだが、少なくとも今は形だけでも勝利を収めて黙らせなければシャルトを助ける事が出来ない。『断罪』はシャルトを殺そうとしている、俺にとっては悪の存在だ。それを前にして、退く事はおろか負ける事なんざもっての外だ。
 さあ、そろそろ決めさせてもらうぜ。
 余裕なのか確信か、今になって急に笑いが込み上げてきた。大笑いとか嘲笑うとかそういう類ではなく、最も近い表現は不敵だろうか。俺が戦闘の時によくする表情だ。
 やや柄を体の方へ引き腕を絞ると、重心を前足から障壁に触れる剣身にかけ、自分の全体重を剣で支えるような姿勢を取る。尚且つ両腕には出せる限りの力で大剣を障壁に押し付けさせ、同時に両足も強引に前方へ体を押しやらす。
 反発力は激しさを増していき、ぱちぱちと破裂音を立てながら白く輝く無数の粒子を放ち始めた。その粒子はまるで水泡のように割れやすく、しかも俺に触れた瞬間に小さな爆発を伴った。だがそれは皮膚下までを軽く焼く程度なので、ただでさえ凍傷があちこちにあるのだ、今更痛みなんかどうだっていい。
 障壁が音も立てずひしゃげていく。明らかに俺の斬撃が障壁の張力を超えている。
 よし、もう少しだ。
 俺の胸が高鳴る。もう全身はヘトヘトに疲れているはずなのだが、これまで以上の精力が漲り、自分でも驚くほどの更に激しい力を発揮する。口元は弛みっ放しだ。それとは対照的に、『断罪』の表情が幾分か薄れている。余裕に満ちた微笑はとっくに消えており、どこか深刻味のある鋭い眼差しを湛えている。それを見た俺は、より一層力が湧き上がってくるのを感じた。
 そして。
「終わりだっ!」
 障壁の激しい張力を踏破出来る目処のついた俺は、いよいよ最後の力を振り絞り大剣を押し切りにかかる。斬撃の負荷がかかった部分の障壁は限界まで伸び切り、魔力の繋がりの断裂が寸前まで来ている。崩壊は目前だ。
 戦闘は、気迫と気迫のぶつかり合い。一歩でも後に引いた方が負ける。
 筋肉を奮わせ剣を押し込む。その次の瞬間、これまでのぐにゃぐにゃした間隔ではない硬質のものを破砕する感触が伝わってきた。
 行った!
 瞬間、俺は長時間に渡り無酸素運動を続けたために起こった微かな立ちくらみも忘れ、言い知れない感激が込み上げてくる。
 巨大なドーム状の障壁が自らの形状を保てなくなり、一瞬にして崩壊し無数の粒子となって中空に霧散する。これで俺と『断罪』の間を隔てるものはなくなった。
 さて、少し痛い目見てもらうぜ。
 俺は剣を中段に構え直し、再び一直線に疾駆する。女に手を上げるのはポリシーに反するが、状況が状況だ。俺はポリシーよりも身内の方が大切だ。
「麗々と、歌いて描くは終末の神託」
 と、『断罪』は両腕を空に抱え上げ、再び高らかな聖歌を響かせた。するとそこにはまたもやあの白く輝く幾何学模様が浮かび上がった。だが先ほどのそれよりも二周り以上も大きく、また紋様が複雑だ。
 また何かを体現化する気だろうか。
 しかし俺は足を止めず、少々無謀過ぎるほどの勢いで突進する。ここまで来たらば、後は突き進むのみだ。『断罪』が何を体現化しようが、それよりも先にぶっ叩けばいい。時間的な余裕なんてないのだ、無駄に判断を考えてロスするよりも行動した方が早い。
 俺の間合いまで、後七歩。
「見よ!」
 高らかな歌声と共に『断罪』が頭上を指差す。しかし俺は構わず更に加速を続ける。
 俺の間合いまで、後五歩。中段に構えた大剣をやや高めに構え直す。
 四歩。
 三歩。
 近づきつつある『断罪』の姿。柄を持つ手にも自然と力がこもり、意識して硬くなり過ぎぬようやや弛緩させる。
 自分の間合いに入れば、後は一瞬で剣を対象に向けて放つ事が出来る。精霊術法の行使そのものよりも遥かに速く揮う自信があるのだ。この位置関係でこの事態、俺の勝利は目前だ。
 だが。
 ふと目に入った『断罪』の表情。それは元の余裕に満ちた微笑だった。
 何故、そんな表情が出来るのだろうか? 俺の優勢が分からないはずはないのに。それとも、これを覆すだけの自信があると? いや、ここで迷っては駄目だ。ただのブラフかもしれん。
 そして。
「主の御力は災禍を払う断魔の剣をお示しになられた」
 その瞬間、『断罪』の頭上に浮かぶ紋様から、巨大な剣の切っ先が姿を現した。真っ白な剣身に何らかの青い文字が掘り込まれている。思わず俺は足を止めそうになった。このまま突進すれば、俺はその剣に自ら体を串刺す事になるからだ。
 いや、それはない。切っ先が伸びるよりも速く、俺が走ればいいだけの話だ。
 俺は大剣を構えたまま更に加速する。それに伴い、紋様から現れた剣もまた俺に向かって切っ先を真っ直ぐ伸ばす。
 後二歩。
 一歩。
 剣の切っ先がほんの目の前まで迫り来る。しかし構わず俺は自らの剣も振り上げ、力の限り振り下ろした。
 と、その時。
『お待ちなさい』
 突然、俺の目の前が眩しく光り輝いた。そして『断罪』のものでもない別な女性の声が響く。



TO BE CONTINUED...