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 バチッ、と弾けるような音と共に、ルテラとエスタシアは間合いを離す。
 エスタシアの得意とする攻撃は、二本の剣を駆使した剣術と、そこから放つ術式だ。よって自分のフィールドは近接戦に絞るしかない。手合いの間合いならば、剣のリーチの分攻撃が遅れ、こちらが有利になる。もちろん、それは相手も意識している事だ。後は如何にしてそこへ飛び込むかが課題となる。
「雪魔女でもない貴女に、何が出来る」
「あなたを止めるぐらい出来るわ」
 油断無く構え、殺気走る。
 どういったプロセスを踏んで接近し、致命打を加えるか。考え得る限りの手を画策し検討する。慎重に、自分に行使出来る術式の力と相手がどういった手に出るのかを、微に入り細を穿って選別していく。僅かでも不安要素のある手は容赦なく切り捨てていく。事は少しでも確実なものにしなければ、即、自らの死に繋がるのだ。エスタシアに、僅かでも同胞のよしみで手心を加える意思でも無い限りは。
 ルテラは目の前のエスタシアを、一個の『敵』として認識するよう努めた。しかし、そういう時に限って頭の中にこれまでの善良なエスタシアとのエピソードが断片的に浮かび上がる。それらの記憶がルテラに抱くべきではない希望的観測を抱かせる。その甘さが、ただでさえ深刻な実力差に追い討ちをかけてしまう。これ以上、勝率を下げてどうするのだ。そうルテラは自分を叱咤する。
 自分がこれほど集中力の無い人間だとは、これまで一度も気がつかなかった。いや、単に気がつけなかっただけで周囲はとっくに知っていたのかもしれない。精霊術法は術者の精神に質が左右される。雑念を払い、思考を一本化しなくては。勝てる相手にも勝てない。
「『深雪は滔々と』」
 ルテラは先制を取るため、エスタシアが動くよりも先にイメージを描いて体現化した。
 描いたイメージは、地を伝う無数の雪の蔦。
 雪乱の定型句が生み出した純白の蔓は一瞬の内にエスタシアの足を捉え、行動の自由を奪う。同時にルテラは前へ猛然と踏み出しながら右腕に術式を展開して構える。
 構えたルテラの右腕からは、まるで女性の悲鳴のような甲高い金切り声が響き始めた。右腕には局地的な吹雪がまとわりついている。しかしその吹雪はどんな刃物よりも鋭利な切断力を持っている。雪乱の特徴的な接近戦用の術式だ。
 狙いはエスタシアの左肺に定める。エスタシアの利き腕は右腕である。ならば、幾ら左右同時に剣を放とうとも、必ず右剣の方が先に動く。そのため遅れる左剣はカウンターを狙いやすいのだ。とは言え、その差は刹那のものである。一瞬たりとも気は抜けない。
 ルテラは、エスタシアを無傷のままどうこうしようなどという甘い考えは微塵も抱いてはいなかった。自分とエスタシアとの力を比較すると、どんな視点から切り出してもエスタシアの方が自分よりも評価が高い。相手は北斗でも指折りの使い手、一方自分は祭り上げられただけの元頭目、しかもそれをドロップアウトまでしている。確かに立場としては同じ守星だったのだけど、実力そのものは歴然としている。
 何度も何度も繰り返しエスタシアの左胸を貫くイメージを描く。出来る限り作業的に、自分の体が第三者に操られている人形であるかのように、正確に精密に動く。所詮は希望的観測の入り混じったものでしかないが、もしもその通りに動く事が出来れば勝機ははっきりと見えてくる。
 右手に纏わせた吹雪の術式を、短刀のように前へ突き出した形に整形する。
 間合いは丁度、エスタシアの間合いとの境界線まで来ていた。ここからが勝負である。自分の術式がエスタシアを捉えるのが先か、それともエスタシアの剣が自分に届くのが先か。
 更に足へ力を込めて前へ踏み出し、再加速。
 エスタシアは抜身の双剣を無造作に下段に構えたままだった。果たしてそれは余裕の表れなのか、それとも術式を受け入れる覚悟が出来た事を表しているのか。その迷いが、またもルテラに雑念をもたらす。
 一体何を考えているのか。
 元々、エスタシアが自分の想像の範疇から逸脱した行動をしているため、これまで考えていたエスタシアの心中はもはや当てにはならない。だからこそ、不可解な行動はより混乱を深めてしまう。
 考えるな。
 一番大事なのは、エスタシアを止める事だ。
 そして止めるには、殺すしかない。
 殺せるのか? 友人で義理の弟である人間を。
 考えるな。
 あれは、ただの敵だ。
 意識すればするほど、目の前の相手が敵ではなくエスタシアとして意識する比重が重くなる。
 出来るのか?
 出来るのか?
 出来るのか?
 次第に単純化した思考は、疑問と不安を収束したその言葉ばかりを反復するようになる。何度も何度も、稚拙な表現での無意味な再確認。下したくない、後回しにしたい決断を避けるための時間稼ぎだ。
 迷うな。戦え。ただ機能的に。役目だけを果たせばいいのだ。
 けれど、そんな最後の力を振り絞った叱咤でさえも、容易に迷いの波が悠々飲み込んでいく。
「ッ!?」
 その時、ルテラは自らの右腕に違和感を感じ、敵に向かって突っ込んでいる状況でありながらも自らの右腕へ視線を向けた。
 ルテラは吹雪の刃をそこに体現化していたはずなのだが、いつの間にかその術式は解除されてしまっていた。エスタシアに向かって構えていたのは、ただの無防備な腕にしか過ぎないのである。
 そんな……どうして!?
 自分は術式を解除した覚えは無い。にも関わらず、こんな事態が起こってしまったのは。そう、精霊術法を行使するに当たり最も重要で基本的な要素、集中力を極端に乱してしまったせいだ。
「今、躊躇いましたね」
 そして。
 狼狽するルテラに向かって、穏やかだがひやりとするような声を放つエスタシア。ぎくりと前方へ向き直ったルテラは、今、最も感じてはいけないものを感じてしまった。敵に対する恐怖だ。
 反射的にルテラは加速を止め、その場に踏み止まろうとした。しかし、既に十分な加速がついているルテラの体がそうあっさり止まる事は無く、そのままルテラはエスタシアに向かって石畳の上を滑り続ける。
 まるで、エスタシアに吸い込まれていくような錯覚を覚えた。
 巨大な魚が小魚をゆっくりと捕食するように、今、自分は敵に向かって無防備な様をさらしている。
「貴女の弱点は、その精神的な脆さだ」
 エスタシアは表情一つ変えず、双剣をゆっくりと頭上に構えた。左の剣は右の剣に対して平行に添えられている。十字を描く普段の構えとは全く異なる構えだ。
 やられる!
 ルテラは本能的にそれを察知し、すぐさま目の前に障壁を展開し始める。だが、展開された障壁はとても普段のものからはかけ離れた稚拙なものだった。
 自分が今、どれだけ焦っているのかを強く思い知らされた。なんて事は無い、自分よりも強い相手には強く出る事は出来るかもしれないが、身内や顔見知りには北斗の法律に従って冷徹になる事は出来なかったというだけのことだ。
「もう一度言います。雪魔女でもない貴女には何も出来ません」
 そう、エスタシアは振り上げた双剣を一気に振り下ろした。
 同時に、カッと目も眩むような閃光が周囲を包む。繰り出されたエスタシアの双剣からは、体現化された青白く輝く双頭の竜が放たれ、まっすぐルテラに向かって襲い掛かった。
 牙の一本すら、容易にルテラの身の丈を越すほどの巨大な竜。その大きく開かれた口は、ルテラの体を易々と飲み込みにかかる。
 術式の衝撃を受け、ルテラの体が大きく背後へ吹き飛ばされた。激しく背中を石畳に打ちつけるものの、それでも術式の威力は消えない。そのままルテラの体は数十メートルもの距離を背中で滑走し、最後に建物の壁に激しく衝突した。爆音と同時に砂煙が巻き起こる。そこでようやくルテラの体は止まった。
 エスタシアは双剣を下段に構えたまま、つかつかとルテラが吹き飛ばされた方へと歩いていく。その表情は仮面的で何の感情も窺い知る事が出来ない。あえて抑える事でそう装っているのか、それとも本当に何も感じていないのか。答えを知るのは彼自身だけだった。
 やがて砂煙が落ち着くと、建物の残骸の中に埋もれるように倒れるルテラの姿を見る事が出来るようになった。
 ルテラは自ら立ち上がろうとするどころか、僅かにうめくだけで目を開く事も出来ず、半ば意識は喪失していた。しかし辛うじて生きている。そのせいか、微かにエスタシアは顔をうつむける。しかし、それがどういった感情の発露かは分からなかった。
 エスタシアは再びルテラに向かって双剣を上段に構えた。が、何を思ったのかすぐさま下ろしてしまう。まるで何かに迷っているかのようだった。
「あなたが手心を加えるとは。やはり何か特別な感情でも?」
 不意に誰も居ない周囲から、一人の女性の声が響いた。だがエスタシアはさして驚く事もなく、それが当たり前であるかのようにごく当たり前の佇まいを続ける。
「いえ……。他意はありません」
 そう歯切れ悪く答えると、エスタシアは双剣を鞘に収めた。ばつの悪さを覆い隠す仕草のようにも見えた。
「彼女は本部の地下へお願いします。くれぐれも抗術陣を忘れずに」
「分かりました」
 それだけ言い残すと、エスタシアはくるりと踵を返しどこかへと立ち去ってしまった。
「『見よ。父たる主は、光差す祝福の道をお示しになられた。これぞ奇跡の御業である』」
 続いて、姿の無い気配だけの彼女が、まるで宗教書の一文を朗読するかのように言葉を紡ぐ。すると見る間にルテラの体が光に包まれたかと思うと、そのままどこかへ溶け込んでいくかのように消えてしまった。同時に、薄っすらと感じ取る事が出来た彼女の気配もどこかへ消えてしまった。
 後に残されたのは、壁の崩壊した建物と、そこへ一直線に伸びる石畳の亀裂。そして嘘のような静寂だった。戦場からはまだ離れているせいだろうか、戦いの喧騒は聞こえてこない。
「ちょっと……シャレになんなくなってきたなあ」
 その時、建物の反対側の片隅で溜息交じりの声を漏らす影があった。
 それは、たった今この場に辿り着いたヒュ=レイカだった。
「本部の地下か……絶対ヤバイよな」
 ごくりと生唾を飲みつつ、手のひらをそっと目の前で握って集中する。するとそこには小さな雷の球体が出来上がった。精霊術法を使う流派の中で、最も習得が困難とされている流派『雷夢』の術式である。
 ヒュ=レイカは、そこでたった数年で頭目まで上り詰めてしまったいわゆる天才だった。だが、今彼が体現化した術式は思い描いたものよりも遥かに小さく弱い。
 敵の巣窟へ単身で乗り込むのか。
 それがあまりに無謀な行為である事に気づけないほど、ヒュ=レイカは愚かではなかった。それに、今はシャルトを助ける方を優先すべきではないのか。そういう意見もある。しかし、ルテラの命の保障もまた無い。二人を同時に助けられる都合の良い手段は無い以上、今、どちらかに決めなくてはいけない。一体どちらを選択するべきなのか、ヒュ=レイカは悩んだ。
 あえて。
 ここはレジェイドの判断を信じるとしようか? シャルトの実力は、白鳳など歯牙にもかけないという突拍子も無いレジェイドの判断を。
 悩んでいても仕方が無い。今は何よりも時間を惜しまねばならないのだ。まずは行動だ。
 乗り込もう。敵の本丸へ。いや、正確には忍び込むだ。
 手にした武器はあまりに頼りないけれど、失いたくないものがあるから戦わなくてはいけない。それが北斗の理念であるし、何よりも極自然な人間性の発露だ。
「仕方ないか。僕がいないと、みんな何も出来ないからね」
 そうわざとらしく強がり、覚悟を決めて術式を握り込む。
 握り締めた衝撃、手のひらに感じる鼓動はやはり弱々しかった。
 再度込み上げる不安。
 しかし、ヒュ=レイカはそれを振り払うように勢い良く踵を返して走り出した。



TO BE CONTINUED...