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 世の中は人間という大小の歯車で動いている。
 歯車と歯車が噛み合って回る事で物事が浮き沈みする訳だが。
 果たしてこいつが出くわした歯車は、本当に良い歯車だったんだろうか?
 半人前とはいえ、男が命を賭けた決断に茶々を入れるつもりは毛頭ないのだが、どうしてもそんな疑問を否めない。
 もっと、他のアレがあったんじゃないのか? そんな具合にだ。
 俺も歳食っちまったもんだ。
 かつて自分もそうだった、向こう見ずな時代。こいつを見ていると、あの青臭くて情熱的だった頃を思い出さす。
 比較してもしゃあないか。
 とにかく、突っ走り始めたヤツを止めるのは無理だ。俺は傍らで取り返しがつかない事にならぬよう、付き合ってやると。




 なんじゃこりゃ……?
 全力疾走するシャルトに離されて早数分、ようやく辿り着いた凍姫本部は燦々たる状況となっていた。
 凍姫本部の正面門付近には、不気味な黒い軍勢がまるで亡霊のようにひしめき、まるで城壁のような黒い壁を作っている。その向こう側には、凍姫の制服を着た連中がぽつりと覇気のない様子で突っ立っている。
 一体どんな戦況なのだろうか。
 ひとまずはそれを把握しなくてはいけない。闇雲に突っ込んだ所で余計混乱してしまうだけなのだ。指導者たるものは、常に戦況を正確かつ冷静に把握しなければいけない。
 俺は黒い壁には近寄らず、傍らの街路樹に足をかけた。
「よっと」
 そして反対の足で軽く道路を蹴ると、そのまま一気に街路樹の天辺まで駆け上がる。俺は身長分の体重はあるが、鍛えた体にはそんなもんは関係ない。脂肪ならただの重りだが、筋肉ってのは重さ以上に生み出すエネルギーの方が大きいのだ。
 高みから見た凍姫本部の周辺は、思ったよりも複雑な状況になっていた。風無の連中は、丁度正面門を円の中心に見立て、周囲に半円状のバリケードを築くような布陣を取っている。数では遥かに上回る風無だ。おそらく殲滅した後、凍姫の本部を壊滅に追い込む腹積もりなのだろう。だがそれにしては状況がいささかおかしいような気がする。見た所、完全に凍姫の連中は戦意を失っているようだが、どうして一気に攻撃を仕掛けないのだろうか?
 ―――と。
 ドォン!
 突然、凄まじい地響きと共に轟音が鳴り響いた。比喩的表現ではなく、実際に俺の上っている街路樹が揺れたのだ。
「な、なんだ!?」
 すぐさま俺は音の出所を求めて周囲に視線を走らせる。すると、
「あれは……」
 風無のバリケードによって区切られたフィールドの中心付近、そこに二人の人間が相対している。
 一人は風無の連中と同じ、真っ黒な風体をした柳のような男。そいつは良く見知ったヤツだった。流派風無の頭目、霧隠才蔵だ。俺達頭目は週一回の定例会議で統括部に出向いているから、互いにも面識がある。顔を隠してはいるが間違いはない。
 そして、ヤツと相対しているもう一人。
 それは驚く事に、まだ年端もいかない少女だった。シャルトのヤツと大して変わらないだろう。凍姫の制服を着ているから、凍姫の一員には変わりないのだが。しかし、どうしてあんなガキが頭目なんかと事を交えているのだろうか? 北斗にはあれぐらいの歳でも頭目を狙えるほど強い奴は何人もいるが、凍姫でそんなヤツはいなかったはずだ。それに、風無は直接戦闘は不得意な流派だが頭目となれば戦闘能力は並大抵のものではなく、とても一隊員の実力でどうにかなるものではない。
 しかし、良く見ればそいつの右手にはとんでもないものが体現化されていた。それは、とてもその小柄な体格には不似合いな氷の大剣だった。刃先を地面に引き摺っているものの、ここからでも十分に分かるとてつもない冷気を発散している。剣身を見ているだけでぞくそく震えが起こりそうな、なんとも威圧感のある剣だ。
 ふとその時、そいつはゆっくりと左手を前方の才蔵へ構えた。その瞬間、カッと手のひらが光ったと思うと、そこからおびただしい数の何かが飛び出す。
 手のひらから飛び出したのは、おそらく精霊術法で体現化した何かなのだろうが、その数、威力がとんでもない。女は左手から何かを連続で射出したまま、左から右へ舐めるように腕を振った。寸前に才蔵は姿を消して回避するものの、瞬く間に路面が大きく深くえぐられた。
 スゲエな……。
 思わず俺は感心してしまった。それほど精霊術法に詳しくはないが、一般的に強い術式ほどイメージに時間がかかると言われている。それを、あれだけの威力を短時間で体現化してみせるなんて。しかも右手の大剣の体現化は解いてはいない。ファルティア達以外であれほどの使い手が凍姫にいるなんて初めて知った。
 しかし。
「ん?」
 そいつは右手の大剣を構えると、こんどはやたらめったらに振り回し始めた。まるで剣術のイロハも分かっていない、稚拙な太刀筋だ。だが、剣が振られるたびに剣身から衝撃波のようなものが飛び出し、そこいら中に降り注いでいる。路面があっという間に陥没だらけになってしまった。だが才蔵も苦もなくそれをかわしている。乱雑とは言え、あれだけの攻撃を受けても全く動揺する素振りを見せないのも大したものだ。
 確かに威力は凄まじい訳だし、一瞬で広範囲を攻撃出来るため才蔵もかなり攻め辛そうだ。風無はあまり立ち合いというものを重視はしていない。そのため、接近できない以上、風の精霊術法を離れた間合いからちまちまと使っていくしか他ない。しかし、あの女の攻撃、威力や範囲は圧倒的だがまるで攻撃に規則性、戦略性がない。どうもやたらに術式を繰り返しているだけのようだ。それでもとばっちりは受ける訳だから、風無の連中も迂闊には近づけないんだろうが。
 そういや、精霊術法には副作用があったが。まさかあいつは……。
 と。
「ん?」
 その時、二人が戦うその場所からやや離れた所に、一人の人影がうずくまっているのが見えた。よく目を凝らしてみると、俺の見知ったヤツがぐったりとした姿で倒れている。そいつは、悪名高い凍姫の頭目のファルティアに代わり、円滑業務全般をやっているミシュアだった。
「やべえ!」
 俺はすぐさま街路樹から飛び降りると、剣を構え、風無のバリケードに突っ込んだ。
 風無の連中は集団戦法を得意としている。だから突っ切るのはかなりキツイだろうと思ったのだが、どういう訳か実にあっさりとバリケードを抜けることが出来た。どいつもこいつも妙に浮き足立っており、俺の希望的観測による不意打ちが面白いように決まってしまったのである。さすがに何人かぶっ飛ばすと俺に気づきすぐさま攻撃を仕掛けてきたが、そう狭い場所では迂闊に得意の風をは撃てない以上、やはり俺の敵ではない。それにバリケードを突っ切ると、それ以上の攻撃はしてこなかった。余計なとばっちりを食いたくないのだろうか、もしくは頭目に手を出さぬように命令されているんだろう。
 周囲をぐるりと囲まれたこのフィールドに入り込んだ途端、ひやりとした空気に体が冷やされてぶるっと震えた。その肌を刺すような冷たさに、四年前の凍雪騒乱を思い出す。だからだろうか、どうにも凍姫といい雪乱といい、連中の術式は好きになれん。寒いのはどちらかというと苦手なのだ。
 俺は急いで倒れたまま動かないでいるミシュアの元へと駆けた。こんな状況にも関わらず寝転がったままというのは、おそらく立ち上がれないほどの怪我を負っているからだろう。あのガキがそれに構わずやたらに精霊術法を撃ち放っている。いつ流れ弾に当たるものか分かったもんじゃない。
「おい、生きてるか?」
 ぐったりとしたまま動かないミシュアの体を、俺はゆっくりと抱き起こした。濃紺の生地で仕立てた凍姫の制服を着ているが、肩口から脇腹までばっさりとやられている。傷口の鋭利さからして、風無お得意の風の刃を食らったのだろう。命に関わるような出血はまだしてはいないが、このままでは危ない事は確かである。
「ゲホッ!」
 途端に、抱き起こした事でミシュアが咽返った。口元が微かに血で濡れている。気管に血が入っているのだろう。
「あなたは……夜叉が来ているのですか?」
「いんや。俺は連れを追ってきただけなんだが、知らねえか?」
 するとミシュアは再び口元を抑えて咳き込みながら、すっと向こうを指差した。見やると、そこには相変わらず黒山の風無のバリケードがそびえている。だが、その一角。やけに人の動きが激しい。
「なんだ……?」
 更に目を凝らして見ると、そこには微かに薄紅色の影が見えた。
 どうやらシャルトはあんな所にいたようだ。俺よりずっと先に行ったくせに、まんまと連中に捕まってやがる。まったく、俺の方が先に突破出来てりゃ世話ねえぜ。
「私はいいですから……ゲホッ!」
「なんだ、血が詰まってるなら吸い出してやろうか?」
「結構です」
 毅然とした態度でそう答え、口元の血を拭った。こちらは冗談のつもりだったが、いや、別にこれは適切な処置には変わりないのだが、何とも手痛い拒絶である。
「とりあえず」
 その時。
 俺は左手でミシュアの体を抱き抱え直すと、右手で剣を構える。
 そして、衝撃。
「おっ! 結構来るな、コリャ」
 直後、頭上に掲げた剣身からビリビリと衝撃が伝わってきた。たまたま流れてこっちに飛んできた術を受け止めたのだが、とんでもない衝撃である。こんなものの直撃を受けたら、幾ら俺でもひとたまりもないだろう。
「さて、ひとまずアンタを安全な場所へ。その後は、悪いが誰か他のヤツに病院へ運んでもらうぜ」
「私の事は放っておいて結構ですから、今はそれよりも……ゲホッ、ゴホッ!」
「ああ、シャルトの事なら大丈夫だ。ヤワな鍛え方はしてねえ。あんたを運ぶ方が先決だ」
 俺はミシュアの体を抱き抱えたまま、その場から離れた。あんな術式がガンガン飛んでくるのであれば、幾ら俺でも体が幾つあろうと足りない。とりあえず、あっちで茫然としてやがる連中の下へ運ぶ事にしよう。後は裏口からでも病院に運べばいい。
 と。
「私が言いたいのは彼の事ではありません」
 あまり揺らさぬよう、慎重に足を急がせていたその時。そうミシュアが苦しげに口を開いた。
「は?」
「あの風無の頭目、サイゾウ氏と戦っているあの子。リュネス=ファンロンといいます。どうかあの子を止めてやって下さい」
「止めるっつったってな」
 視線を向けると、そいつは次々と無尽蔵に精霊術法を放っていた。それが無秩序に辺りを破壊していく。まるで一人軍隊といった様相だ。
「あいつ、暴走してんじゃねえのか……?」
「まだ間に合います」
 だから止めろだって? 第一、相手にしてるのは風無の頭目だぞ。実質一対二じゃねえか。
「簡単に言ってくれるな」
「ファルティア達がいない以上、あなたに頼む他ありません。今、この場で一番頼れるのはあなたですから」
「ほう、そう言われると弱いな。まあ俺は基本的にフェミニストで通ってるんでね。無下には断らないさ。その代わり、一晩付き合ってもらおうかな」
「分かりました」
「冗談だっつの」
 まあ、絵に描いたように真面目な女だってのは知っていたが。ギブアンドテイクじゃあこっちとしても楽しむも何もあったもんじゃない。弱みに付け込むのは俺の柄ではない。
 そういえば。
「リュネス=ファンロンって、ちょっと聞き覚えがあるんだが。もしかして、あの新人か?」
「ええ、そうです。よくご存知ですね」
「なに、ちょっとしたつてがあってな」
 あれがリュネス=ファンロンか。
 これまでずっと女ッ気のない生活を送ってきた弟分のシャルトだったが、ここ何ヶ月かになって急にどこの誰かを意識しているような素振りを見せ始めた。案の定好きな女が出来ていたらしく、前に一度俺に相談を持ちかけてきた事もある。実際目にするのは初めてだが、何とも難儀な女に惚れちまったものだ。まさかベルセルクだなんてな。シャルトと同じ。
「おい、お前ら!」
 やがて茫然と突っ立っている凍姫の連中の元へ到着すると、俺は正気に戻すためにもガンッと怒鳴った。
「……あ? え?」
「え、じゃねえ。しゃきっとしろ! ったく。ほら、ケガした女をほったらかしにするなんざどういう了見だ。丁重に病院に連れて行け!」
 いささか気のない返事に不安を覚えるも、何名かが傍に駆け寄ってきてミシュアを受け取る。しかしどいつもこいつも視線が泳いでいて、今自分が何をするべきなのかまるで判断できない様子である。
「レジェイドさん、どうかリュネスを止めてやってください」
 なおもミシュアはそう懇願する。
 何か訳でもあるのだろうか? やけに必死だ。まあ、上司ってのは部下を大切にするもんだが。
 そうもしている間に、後ろの方ではとんでもない爆風と轟音が鳴り響いてきた。細かく砕けた石片が背中にビシビシと当たってくる。俺は夜叉には長い事いるのだが、あれほどの破壊力はさすがに肉体のみでは出せない。破壊力の質が違う訳だから当然なのだが、あれとまともにやりあうってのは、特別な事情がない限りは遠慮したいものだ。攻撃を掻い潜るのは問題ないのだが、暴走に巻き込まれるのは御免である。あれは攻撃なんてもんじゃない。ただの天災なのだ。幾ら俺でも、竜巻や雷相手に真っ向から立ち向かうような馬鹿な真似はしない。
 しかし、それはそれ、これはこれだ。
 基本的に俺は女の頼みは断らない主義だ。くだらないポリシーに思われるだろうが、出来もしないで批判するヤツなどの言葉など耳には通らない。それに、その暴走しかけているのがシャルトの惚れた女だったら尚更だ。自分の周囲で悲しい思いをするヤツは、基本的に少ない方に限る。
「ああ、何とかしてやる。本当ならシャルトのヤツにやらしてやりたいんだが、あいつじゃちょっと荷が重いしな」
 そのシャルトは依然として風無の連中を相手に奮闘している。
 あいつは武器のセンスはまるでゼロだが、その分、比較的マシだった格闘術は徹底的に俺のノウハウを叩き込んでいる。戦略面でいささか不安は残るものの、風無の集団戦法であっさりやられるほど弱くはない。もう少しもつだろう。その前に俺がリュネスを確保しつつ、才蔵を反逆者としてぶちのめす、と。
「ケガ人はとっとと行け。俺に任せておけって」
「すみません……私が至らないばかりに」
 ミシュアがそう悲しげな表情を浮かべる。
 なんとも、俺はこういうのには弱い。どうしてか悲しそうな表情をする女にはホイホイと要らぬ手を差し伸べてしまうのだ。その結果、たまに手痛く騙されてしまうんだが。いつまで経っても治らないのは俺の悪い癖だ。
 俺は肩を軽くいからせて踵を返すと、手にしていた剣を構えた。
 愛用しているこの剣は、北斗でも有数の鍛冶職人にオーダーメイドで俺用に打って貰ったものだ。その職人ってのがなかなか頑固で気難しいヤツなんだが、たまたま主流となりつつある精霊術法があまり好きではない、という事で気が合い、こうしてこっちが出した注文を全て満たした最高のものを打ってもらっているのである。北斗ではこれほどの名剣を持っているヤツは、そうはいないだろう。
 さて、んじゃ行くとするかな。不肖の弟のためにも。
 と、その時。
「ん?」
 突然、目の前が真っ白になるほどの目映い光に周囲が包まれた。



TO BE CONTINUED...