BACK
「止まりやがれェッ!」
それは、一度は静寂を取り戻しかけた闇夜に響き渡った。
まるで猛獣の咆哮のような男の蛮声が有無を言わさぬ迫力と音の質量とを連れ立って駆け抜ける。
「おっと」
暗がりから驚きの声と共に慌てて足を止めた一つの影。それはこの、北斗市街と北斗総括本部を区切る唯一の場所、羅生門へと向かって駆けていたその最中の出来事だった。
「今夜は誰の通行許可も下りてねえぜ! テメエ、何の用だ? まさかさっきの連中の仲間じゃあるまいな!?」
そう、この羅生門の守護神の双璧の一人である男、後鬼は現れた影に向かって捲くし立てる。
「待って下さい。僕は風無とは関係がありません」
「ケッ、つまらねえ嘘をついてんじゃねえよ。どうせならばもっとましな―――」
と。
「退けい」
もう一人の守護神である女、前鬼は口調を荒げる後鬼を背後から不意を突いてドンッと突き倒した。不意を突かれた後鬼は勇ましい態度とは裏腹に、あっけなく態勢を崩して頭からのめりながら転んだ。
「そなた、氏名と所属、そして用件を述べてもらおうかの」
すぐさま後鬼のけたたましい講義の雄叫びが聞こえてきたが、前鬼はまるで聞こえていないかのように平静の様子で現れた影の主に訊ねる。
「はい。僕はエスタシア、所属は守星です。先刻、市街を巡回中に不審な集団を発見し、それが羅生門の方角へ向かっていたため追いかけたのですが足が追いつかず、たった今到着した次第です」
影はそう慇懃に返答した。
重要な警戒区域である羅生門に突如現れたその影は、かつては神童との異名まで馳せた守星のエスタシアだった。表情は普段の柔らかなそれだったが、先ほど後鬼に恫喝されたためかいささかの動揺が浮かんでいる。
「エスタシアか。そなたの名声は妾もかねがね耳にしておる。そうか、守星の業務中という事ならばいたし方あるまい。大義である。賊は先刻我々が抹消したゆえ、それよりも市街区の異変の方に向かうがよろしかろう」
つい先刻の事、羅生門には数十の賊が現れた。本日は羅生門の通行許可は一つも降りてはおらず、なおかつこの区域に来た目的を明らかにしない事から、二人は彼らを侵入者として抹消したのである。賊は数十名に対し、守護神はたった二人。圧倒的な戦力差ではあったが、それはまるで勝負にはならないほど一瞬で決した。守護神である彼ら二人のそれぞれ放った一撃ずつで、賊は刹那の間に存在そのものがこの世から消え失せてしまったのである。
守護神の実力とは、それほど圧倒的なものであった。羅生門は北斗総括部に続く唯一のルート、そこを防護するのだから相応の実力が要求されるのは当然である。彼らの実力は諸流派の頭目を凌駕するものとも言われている。実際の程は、守護神は羅生門を防衛する以外では決して戦わないため、不明確だが。つまりそれほどの力量を備えている事は確かなのである。
「そうでしたか。どうやら僕は必要なかったようですね。それでは」
エスタシアは優雅な仕草で一礼すると、踵を返してそのまま北斗市街区へ走り去って行った。
「フン、いけすかねえな」
エスタシアの姿が闇に溶けて見えなくなった頃、先ほど前鬼に突き飛ばされて以来そのまま拗ねたように憮然とした表情で地面に座っていた後鬼が、尻の埃を叩きながらゆっくりと立ち上がる。
「醜男の僻みか?」
「違うっつーの。なんつうかさ、あの野郎。一片の隙も見せやがらねえんだ。顔では笑ってるくせに、まるで俺達を観察しているような態度だぜ」
後鬼は苦虫を噛み潰したかのような表情で苦々しく吐き捨てる。
「それは貴様の精神が弛んでいるからだ。達した人間という者は、たとえ眠っている時でも周囲への警戒は見せる事はない」
前鬼は逆に後鬼の言葉を批難するかのような言葉を冷水のように浴びせ掛けた。それは貴様自身が未熟だからだ。そう言わんばかりに。
「テメエは顔さえ良けりゃあなんでもいいってか? とんだアバズレもいたもんだな」
「たわけめ。お主は実と戯言の区別がつかぬのか。妾とて、この目は節穴ではないぞえ」
そうかあ? 後鬼は前鬼の返答を間に受けずに軽く聞き流した。だが前鬼はそんな様子にも毅然とした表情を変えない。
「貴様の言わんとする事も分からなくもない。あの、まるで雲を掴ませるような気積り。確かに達人の持つそれとは異質なものじゃ。しかし、かといって疑いをかけるにはあまりに弱過ぎる。人心を納得させるには、極めて明確で視覚的効果のある物証が必要だからの」
「尻尾を掴めってか? フン、そりゃあ俺達の仕事じゃねえだろ。俺達はテメエのタマ張って羅生門守ってりゃあいいんだよ」
「然り」
後鬼の言葉に前鬼は苦い笑みを浮かべた。
TO BE CONTINUED...