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 黒い波動が迸る。
 悪夢を体現化すればきっとこんな光景になるのだろう。リュネスは震えながらそう思った。
 目の前で死闘を繰り広げているのは、二人の獣。若しくは、人の心を忘れ修羅道に己が身を窶した亡者か。
 エスタシアと、彼が『兄』と呼んだ青年は、鬼のような形相でしきりに相手に向かって食いついていく。そのため、既に二人の体は無数の怪我で血にまみれ、赤く染まった顔からはらんらんと輝く二つの目だけが覗いていた。
 自分はどうするべきなのか。リュネスはようやくその答えに辿り着いていた。それは、少なくとも今は何もしない、という事だ。
 二人は何らかの遺恨が元で戦っているのだから、それを晴らすのにわざわざ自分が割って入るような余地は無い。そして、争い以外で遺恨を晴らす、という上辺だけの人道的な理屈を語るつもりはない。そもそも自分が、戦いによって全ての決着を着けようとしていたからだ。しかも、自分の目的はエスタシアの死だ。仮に青年がエスタシアを倒せばそれでよし、そうならなくとも自分は疲弊したエスタシアを相手にする事になるのでかなりの優勢となるのだ。
 リュネスはこの青年について考え始めた。
 エスタシアが兄と呼ぶ人物。それに当てはまる人間を、以前に耳にした事があった。聞いた相手はルテラだ。ルテラが、エスタシアも自分にとっては弟だ、と話した下りである。その時、現れたのが『スファイル』という、元ルテラの婚約者だった男性だ。
 しかし、スファイルは五年前に死んでしまったと聞いている。ならば一体目の前の人間は誰なのだろうか? それとも、実は彼は生きていたのか? すると最初に彼を見て言い放ったエスタシアのセリフも意味が通ってくる。生きていたか、死に損ない。五年前、スファイルという人物は殉職したのではなく、エスタシア自身か若しくは彼が何らかの形で関与し、殺したという事だ。
 実の兄弟で殺し合いを演じている。
 二人の関係に気がついても、リュネスは改めて事実に感慨を受ける事は無かった。これほど殺意を露に出来る人間ならば、たとえ親兄弟相手にも躊躇わず刃を振り下ろせて当然だろうと思ったからである。
「『唸れ、黄泉より居出し三つ首の盲目竜』」
 エスタシアの双剣が眩い光を放ち、左右から水平に放たれ正面で交差する。同時に輝く剣身は巨大な術式を体現化させ、目前のスファイルに向けて繰り出された。
 体現化されたのは、真っ白に煌々と輝く和竜だった。胸元から三つに分かれた首をそれぞれもたげ、縦に縫われた六つの瞼を震わせながら巨大な口を大きく開きスファイルに襲い掛かる。
 上方から急降下してくる三つ首竜。スファイルは着地点を見極めると、大きく後方へ飛び退いた。スファイルを飲み込もうと襲いかかった三つ首竜は寸出の所で逃げられ、ドォン、という轟音を鳴り響かせ床を揺らす。しかし、すぐさま三つ首竜の左右の首が床と平行に走りスファイルへ追撃を仕掛けた。右の首はやや上方から覆い被さるように、左の首は下方から持ち上げるように己の大顎を繰り出して来る。
「『我が手に微笑むは、冷酷なる氷の美姫』」
 スファイルの右腕を無数の青白い粒子が包み込む。粒子が体現化したのは、肘から先をすっぽりと覆う厚い氷塊と、それに固定された身の丈もある巨大な広刃の大剣だった。
 まずは上から襲いかかる和竜の牙を、身を翻してかわす。同時に右腕を垂直に下へ向けて構える。すかさず下から襲いかかって来る和竜の牙を引き付けて回避。直後、右腕の大剣を繰り出し竜の上顎と下顎を重ねて貫き、そのまま床へ叩きつけて串刺しにする。
 的を外した上の和竜が再び方向転換しスファイルへ襲い掛かってくる。しかし、スファイルは眉一つ動かさず冷たい眼差しでそれを見上げた。
「『彼岸に咲く氷の花よ』」
 カッと剥いた巨大な牙に向け、無造作に右腕を振り上げるスファイル。その拳に青い粒子が集まり高速でイメージを体現化する。
 ぱしゅ、と微かに空気が漏れるような音が響くと同時に、スファイルの頭上をまるで傘のように巨大な氷の花が咲き覆った。和竜は口から氷の花の中心へ突っ込んでいくと、そのまま刃のように鋭利な花びらに膾の如く切り刻まれ、一瞬で宙空に塵と消え去った。
 その隙を狙い、エスタシアは左右の持ち手を逆にした剣を下段に構えて一気に突進する。
 まず順手に構えた剣を肩口目がけて振り下ろす。スファイルは冷静にその軌道を見切るも体捌きでかわす事は出来ないと判断し、障壁を展開して受け止める体勢を作る。しかし、一呼吸置いて放たれた逆手の剣が倍の剣速で胴を薙ぎにかかった。それでもスファイルは冷静さを失ってはいなかった。放たれた剣の軌道を途中で阻むような位置に障壁を展開する。双剣がそれぞれ捉えた障壁にみしりと食い込む。そのまま切断するまでの僅かな時間を突き、スファイルは後ろへ己の体を蹴り出した。
「『歌いて進め、恐れを知らぬ氷の鬼子よ』」
 回避動作とほぼ同時に、スファイルは脳裏にイメージを描いて体現化する。描いたイメージは、幾つもの手の平大ほどの氷の飛礫。
 速射砲さながらに、閃光のような速さで飛礫が撃ち出される。点ではなく、面を攻撃する扇状の射程だ。
 放たれる氷の飛礫は一つ一つが貫通力に乏しく不揃いの形をしていた。命中した際、不規則な形状の飛礫を体に残し、傷をより深く広げるためである。
 周囲をスファイルの術式に覆われた瞬間、双剣を納める体勢になっていたエスタシアは、無数の氷の飛礫を見、瞳孔が窄まった。そして、続けて放たれた双剣が中空を走り始める。高速で幾つもの直線的な軌跡を描く双剣は、最短距離を辿って氷の飛礫を次々と打ち落としていく。エスタシアの常人離れした集中力は、閃光のような速さで撃たれた術式すらも剣筋に捉えた。窄まった瞳孔はその集中力によるものである。
「小細工は無駄だ!」
 怒号。
 そして、エスタシアは双剣を下段に構えて再度突進する。
 互いに少しでも隙を見せれば、空かさず相手に向かって突進していった。自らの身の安全よりも何より、相手を殺す事を最も優先している姿勢の現れである。 エスタシアに呼応し、スファイルもまた脳裏に描いたイメージを体現化しながら突進する。描いたイメージはスファイルの両拳を二回りも膨張した氷の手に形作った。
 上下から描かれる斜め十字。スファイルは術式を体現化した両手のひらで受け止めた。速さだけでなく軌道も不規則なそれを受け止めたスファイルは、既にエスタシアの剣筋を見極めたと言っても過言では無かった。それとも元々、勝手知ったる弟の剣術だけに、見極める事自体はさほど難しくも無かったのか。
「いつまでそんなものにしがみ付いている! お前はもう終わりだ!」
「妄執でも、力は力だ! 今の北斗に必要なものは、絶対的な力だ!」
「北斗には薄汚い力など必要無い!」
 そして、互いの気迫に弾き飛ばされるように、二人は不本意な後退をし数歩の間合いを取る。すかさず次の攻撃へ移行、術式の体現化を始める。スファイルの手には巨大な氷の大剣が体現化される。続いてエスタシアの双剣の剣身が青白い輝きを放ち始めた。
「お前の理想など、所詮は単なる自己満足だ! それに周囲を巻き込むな!」
「それでも、北斗はかくあらなければならない! 最強だからこそ、北斗は北斗足り得る!」
「そのために、どれだけ犠牲にすれば気が済む!? 人の心を散々玩んできたお前を生かしておけるものか!」
 エスタシアの順手に構えた剣がスファイルの肩口に襲いかかる。しかし、瞬時に体現化された六角形の障壁が鯉口を阻み、剣の軌道をそらす。同時に障壁が次の体現化を始める。スファイルの障壁は中心に向かって寄り集まっていくと、一本の鋭く長い針と化した。
 針は自分の意志を持ったかのように、すかさずエスタシアの喉元目がけて中空を駆けた。それに合わせ、スファイルは体現化した氷の大剣で首を払いにかかる。
 エスタシアは体をくるりと半回転させ針をかわすと、同時に自らの後頭部へ逆手の剣を縦に構える。スファイルの繰り出す大剣が僅かに遅れてその剣により受け止められた。
 直後、受け止められた大剣の質量が急激に刃先の方へ移動していった。次の瞬間、大剣は大鎌に姿を変えると、すかさずスファイルは大鎌の柄を引いた。しかしそれよりも先に、エスタシアの順手の剣が刃と首の間に割って入り防いだ。
「恥を知れッ! 彼女の気持ちまでをもいいようにして、何から何まで利用するつもりなのか! 心を偽らせる神器など、下らないもので!」
 スファイルは氷の大鎌を戻しくるりと天地を逆転させると、内から外へ振り抜く引き手で刃を繰り出した。
「北斗に手段を選んでいる時間は無い! たとえ蛇蝎の如く忌み嫌われようとも、僕は最後まで北斗の将来を見据え考え続ける!」
 エスタシアは軸足で床を蹴り己の体を真上に撃ち出す。そして、そのまま足元にあるスファイルが繰り出した大鎌の刃の上に、自重を感じさせぬ身軽な動作でふわりと降り立った。
「そう、誰の屍を踏み越えてもだ!」



TO BE CONTINUED...