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自分の強さとは一体何なのか。
毎日のように、その漠然とした自問は続く。
誰かを守るための力。
自分の意志を貫くための力。
後世に何かを残すための力。
それらには共通して『努力』の積み重ねというものがある。強大な力とは必ず沢山の努力の上にしか存在し得ないのだ。だからこそ私は、きっかけこそは一時の感情の爆発だったけれど、今までに真摯な努力を重ねてきた自負がある。
私の力は守るための力。北斗を、そして大切な人を守るため、私は沢山の努力を積み重ねてきた。
けれど。
この世には、そんな積み重ねを容易に乗り越えてしまうものがある。
羨ましくもあり、悲しくもある。
あまりに頼りない障壁で『断罪』が体現化した巨大な騎士剣へ果敢に立ち向かうシャルトちゃん。周囲に展開されている封印の呪印紋様が、徐々にチャネルを強制封鎖して障壁の継続に必要な魔力の供給を制限していく。そのためによる障壁の収縮なのだが、シャルトちゃんはそれでも一歩も退く様子がない。それも当然だ。そのシャルトちゃんのすぐ後ろには、ぐったりと力なく倒れているリュネスがいるのだから。
私はその場所に向かってひたすら駆けた。ただわき目も振らず一心に、シャルトちゃんを助ける事だけを考えて。このままではシャルトちゃんもリュネスも死んでしまう。そんな事には絶対にさせたくない。
リュネス=ファンロンは、シャルトちゃんがおそらく初めて女性として好意を抱いた女の子だ。その一方で、密かにシャルトちゃんへ好意を抱いてもいるようである。早い話が相思相愛の一歩手前なのだけれど、いかんせん気持ちは微妙に擦れ違っている。正直見ていてもどかしさはあるものの無理にくっつけようとするのもどうかと思うので、とりあえずは事の成り行きを見守っているのが現状だ。
私の所見としてリュネスの性格は、大人しくて控えめ。自分の主張は人の主張よりも一歩退いておくタイプだ。けれどその反面、自分では決して譲れない事に関しては驚くほど強い意志、言い換えれば頑固な部分がある。意外と大胆で行動力があるのだ。それは、私がシャルトちゃんとじゃれあっていた所を見た時に『どういう関係なのですか?』と率直な疑問をぶつけてきた事に由来する。この時に私はリュネスがシャルトちゃんへ抱いている気持ちに気がついたのだが、初対面はもっとオドオドしていただけに意表を突かれてしまった。とりあえず、それだけ真面目で一直線な性格という事が分かっている。シャルトちゃんは酷く傷つきやすくてガラス細工みたいな子だ。だからシャルトちゃんに好きな女の子が出来たという話を聞いた時は、一体どういう人間なのかという少なからずの不安があったけれど、リュネス本人を実際に目の当たりにした時、その不安感は一瞬で氷解した。こういう真面目でしっかりした性格の娘ならば、どこかボーっとして危なっかしいシャルトちゃんでも安心して任せられると思うからだ。まだそうなるとは決まった訳ではないけれど、でも両思いになるのも時間の問題だ。どちらも気移りしやすい性格ではないのだから。
シャルトちゃんは多感な時期を異常な環境で過ごした。だから私は自分でも過保護と思えるほどにシャルトちゃんを気遣ってしまっている。本当に大丈夫なのか、とか、失敗して悲しい目に遭わないか、とか日常に起こり得るどんな些細な事でもだ。シャルトちゃんは自分の事はあまり口にせず、私も普段は守星という不規則な仕事をしているだけに、一緒の時間を過ごせる時はどうしても過剰に構ってしまう。リュネスとしてはそんな様子を穏やかならぬ心境で見ていたのだと思う。
私はシャルトちゃんが本当に自分の弟のように思えるほどに可愛い。それは多分、どこか抜けている様子が『あの人』と似ているから、ある部分を重ね見ているからかもしれないけれど。シャルトちゃんが不幸な生い立ちをしている分、これから先はどうしても幸せになって欲しいと真剣に思っている。だからこんな所で死なせる訳にはいかない。まだ、シャルトちゃんは幸せになっていないから。
痛っ……。
と、その時。
不意に鋭い衝撃が左肩を駆け抜けた。見るといつの間にか浅くではあるがスッパリと切り裂かれている。現在は雪乱に所属はしていなのでかつて着ていた丈夫な生地の制服ではないものの、それに負けず劣らずの丈夫な素材でオーダーした上着を私は着ている。にもかかわらず、まるでハサミを紙に滑らせたかのように安々と切り裂かれている。
遅れて滲み出してきた血が生地を赤黒く染め始めた。私は咄嗟に切り裂かれた肩をぐっと強く掴む。するとビリッとした鋭い痛みが走った。痛みの度合いからして大した深さではないようだけれど、幻覚などではなく現実に私の肩は切られている。
「来た!?」
再び同じような衝撃が、一つ、二つ、三つと次々襲い掛かって来る。私はその空気を切り裂くような音に向けてすぐさま障壁を展開する。直後、ビシッという鞭で打つような音が障壁から聞こえてきた。ぶつかってきたそれは目には映らなかったが、確かに何かが私の元へ向かって来ている。
いや、違う。
よく耳を澄ませると、同じような鋭い音と空気の流れが至る所から聞こえてくる。それはまるで雪深い吹雪のようだ。無数の見えない刃が空気を切りながら吹き付けてくるのである。
私は展開していた障壁を細かく分断した。そして飛んでくる刃の一つにつき障壁を一つ展開する体勢を取る。刃は見えないけれど、これほど鋭い音を立てて気配を発散しているのであれば防御はさして困難ではない。それに切れ味は相当のもののようだけれど、威力自体は大した事はない。喉や目などの危険な部位に当たりさえしなければ大事には至らない。
吹き付けてくる見えない刃の吹雪を、周囲に細かく展開した障壁で防御しながら前進していく。視界を占める光が徐々にきつくなり、私は心持ち目を細めて走る。シャルトちゃんの所まではもうすぐだ。この眩しい光は、『断罪』が体現化した巨大な騎士剣から放たれているものである。そしてもう一つ、この見えない刃の吹雪もまたこの騎士剣から放たれているものだ。ただし、初めから攻撃を意図して組み込まれたもののようではない。あくまで副産物的な、体現化した事で自然に現れてしまう呼吸のようなものだ。私も雪の結晶を体現化した時、たとえ意図しなくてもひんやりとした冷たい冷気が放たれる。本来の結晶というものは氷のように強烈な冷気は放たないものなのだ。これが自然の造形物とイメージの現実化との格差である。
これほどまでに強烈な術式が存在するなんて。
私は『断罪』が体現化した騎士剣に近づけば近づくほど恐怖が込み上げてきた。本能がこれには近づいてはならないと警告を発している。あれはとても人間の手に負えるものではない。いち早くこの場からは逃げるのが最善だと。
けれど私はその恐怖を押し殺し、向かい来る刃を掻い潜って、尚も前進を続ける。シャルトちゃんを早く助けなくてはいけないのだ。シャルトちゃんは私にとって大事な大事な弟。恐怖に負けて見捨てられるはずがない。第一、シャルトちゃんはこの恐怖の真っ只中で一人戦っているのだ。背を向けるのは、姉としても北斗の一員としても『恥』でしかない。
よし……いける!
やがて、私はシャルトちゃんとの距離を自分の持つ間合いと同じ所まで辿り着いた。散々たる障害を幾つも乗り越えて、ようやく辿り着いたその場所。感無量の心境が込み上げてくるが、私はそれをグッとこらえて気持ちを引き締める。まだ目的は果たされた訳ではない。達成に近づいただけで喜んでしまっていては、せっかく近づいた達成が遠ざかってしまう。
まずは、シャルトちゃんを足止めするこの術式を破壊しなければ。
私は頭の中に、早急かつ冷静さと緻密さを添えたイメージを描き始める。
精霊術法の体現化を解除する方法は概して二つ存在する。一つは術者が意図的に術式から意識を切り離した通常解除、そしてもう一つは外部からの力によって術式を保つ魔力の繋がりを断ち切る、要約すれば単純に術式を破壊する事で行う強制解除だ。
当然の事ながら、シャルトちゃんもリュネスもまとめて殺そうとしている『断罪』が術式を解除するはずがない。それならば、後残された方法は単純な破壊による強制解除しかない。
「行け!」
そして描いたイメージを右手に移し、一気に目の前で小山のようにそびえている巨大な騎士剣に向けて放った。描いたイメージは、白い局地的な吹雪。それを圧縮して彩光のような形で撃つ。この術式は、私に出来る術式の中でも攻撃力の即効性が極めて高いものだ。多少の使い手の障壁をも、この術式は容易く貫いて有効打を奪う事が出来る。
しかし。
「えっ!?」
私の放ったその術式は、何故か騎士剣の剣身に触れた瞬間、まるで塵のように砕けて消えてしまった。術式が繋がりを断ち切られてしまったため、体現化が強制的に解除されてしまったのである。
やはり、一筋縄ではいかない……。
相手は浄禍八神格の一人、『断罪』の座が体現化した精霊術法だ。幾ら自分の中では絶対の威力があると自負している術式だとしても、そう簡単に強制解除を行う事は出来ないようである。
ならば、砕けるまで続けるだけだ。シャルトちゃんに残された時間はない。
私は再度同じイメージを頭の中に描き、体現化する。
一発。
二発。
三発。
全く手加減はしていないし、その必要もない。相手が人間ならば自然に出来る限り殺さぬよう無意識のリミッターがかかるのだが、今の標的は意志も感情もない体現化された精霊術法の術式だ。本気で殺すつもりにもなれる。けれど、幾ら手加減のない術式を受けても巨大な騎士剣はびくともしない。傷がつくどころか、かすることすら許してもらえないのだ。
強制解除できないならば。
私は騎士剣の破壊を諦めると、今度はリュネスの元へと駆けた。
シャルトちゃんがこの巨大な騎士剣に立ち向かっているのは、動けないリュネスをかばっているためだ。ならば、私がリュネスを安全な所へ避難させれば。シャルトちゃんも騎士剣との一騎打ちを中断する事が出来る。
「ッ!?」
私が踏み込んだ瞬間、騎士剣から一つの気配が私に向かって放たれた。それは見えないあの刃だ。いや、放たれたのは私に向かってではなく、単に円形状に放たれただけだ。
私は咄嗟に障壁を展開しながら後ろへ飛び退く。だがその障壁は、まるで紙のように真横に分断されてしまった。防ぎきれなかった衝撃が、私の服をも薄く真横に切り裂く。
「そんな……」
切れたのは服だけで、体には一切傷はついていない。だがそれは障壁を展開できたからこそだ。直撃を受けてしまったら軽く両断されてしまう。
再び近づこうと思ったが、すぐさまあの円状の刃が放たれてきた。私は今度は障壁を展開せず、低く地面に伏せて刃をやり過ごした。だが刃は次から次へと飛んでくる。なんとか跳んだり伏せたりを繰り返してかわし続けるものの、攻撃があまりに激し過ぎて全く前進する事が出来ない。
嵐のような刃をかわしながら、その間を縫って盗むように視線を前方のシャルトちゃんへ向ける。
巨大な騎士剣の刃先は、既にシャルトちゃんの障壁を突き抜けて体を貫こうとしている。心なしか騎士剣が放つ光が激しさを増している。先ほどまで放っていた刃の吹雪も変質し、環状になって不規則な角度から次々と放っている。威力も比べ物にならない。いよいよ騎士剣が本領を発揮し、一気にカタをつけようとしているようだ。
早く何とかしないといけないのだけれど、騎士剣は予想以上の強大な術式で私程度の力ではどうにもならない。溢れ出る環状の刃の威力は私の障壁をあっさりと両断するだけの威力があり、それが目にも止まらぬ勢いで放たれるため全く近づく事が出来ない。刃は距離に比例して威力が減じていくようではあるが、リュネスを避難させるには近づかなければいけないのだ。近づけば近づくほど障壁の意味はなくなり、回避に移るための余裕時間も減っていく。しかも一歩間違えば、即死に繋がってしまう。いや、死が怖い訳じゃない。ただ失敗出来ないのが怖いのだ。
ここまで助けられないなんて。
まだそうと決まった訳ではないのに、不覚にも私はそんな後悔をしてしまう。自分自身の無力さを呪った。もっと自分を強く鍛えておけば良かった、と遅すぎる後悔。もしくは愚か者の遠吠え。
「あ」
その時、私の胸の中に収まって顔だけを出していたテュリアスが、突然服の中から這い出して地面に飛び降りた。
こんな時に一体何を。
私は慌てて抱き上げようと屈みかけた。
―――と。
「ガアオオオオオオオッ!」
突然、テュリアスはぶるっと身を震わせたかと思うと、その小さな体からは想像出来ないほどの凄まじい咆哮を上げた。それからまるで踏みつけるような勇ましく鋭い眼差しでじろりと目前を見据えると、ゆっくり右前足を振り上げた。
小さな小さな、ちょっと掴めばあっさりと折れてしまいそうなテュリアスの足。私は息を飲んだまま、テュリアスのその様を思わず食い入るように見つめていた。
そして、右前足が振り下ろされる。
刹那。
グラスを打ち鳴らしたかのような澄んだ音が辺りに響き渡った。同時に、シャルトちゃんが押し留めている巨大な騎士剣に三本の白い斬撃が走った。騎士剣を更に上回る、あまりに大きな三本の爪痕。
私は唖然としながらその光景を見つめていた。だが爪痕は事態を飲み込めない私の事など構わず、一呼吸を置いた後、一瞬にして巨大な騎士剣を粉砕してしまった。
TO BE CONTINUED...