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日が落ちて辺りが真っ暗になった頃。
「あ……」
シャルトは汚い格好でのこのこと帰ってきた。
依頼主の正面門の入り口で待っていた俺は、もう少しで辺りを捜索しにいくところだった。夕方の地下室でのくだりからシャルトがどこかに行ったまま帰ってこないのだ。あいつは筋金入りの方向音痴だ、ましてや土地鑑のないここで迂闊にふらふらと歩いてしまったらほぼ間違いなく迷子になって帰ってこれなくなる。夜になれば気温もぐっと下がり、猛獣やら魔物やらにも出くわす可能性が高くなる。だから夜と夕方との境界線が近づくにつれて苛立ちは一層募るし、かと言って取り乱して探しに行くわけにもいかず、とにかく頭に血の気ばっかり昇らせていた。
そこに何の臆面もなく堂々と帰って来やがったのだ。堪忍袋なるものがあったとしたら、尾どころか袋そのものが破れた勢いで鬱屈させてたものが爆発する。しかし、それでもまだ理性の堤防が強く、辛うじて頭ごなしに怒鳴る事だけは寸出のところで押さえた。
「あ、じゃねえだろ。どこに行ってやがった」
「ちょっと……向こうまで」
話したくないのだろうか、シャルトは言葉を濁すように声をひそめて俺から視線をそらす。あまりに露骨な態度に、俺は思わずその頭を上から鷲掴みにした。
「ちょっと、じゃねえだろ? ああん? 俺達は誰で、今ここに何をしに来ているのか、言ってみろ」
そのままどすの利かせた声で頭を目一杯揺さ振ってやる。
「や、やめろよ!」
シャルトは俺の腕をどけようと両腕をやたらに振り回すが、俺とシャルトではリーチの差が圧倒的に違う。幾ら必死になって手を伸ばそうとも肘より先に届く事はなく、当然の事ながら腕力で勝る俺の腕をシャルトが払い除ける事など不可能だ。
そして、ひとしきり振り回した後、俺は地面に肩膝をついて目線の高さをシャルトに合わせると、顔を背けようの無い位置まで近づける。更に悪足掻きも出来ないように頭を俺の方に向かせて固定する。
「前にも言ったよな? 一度仕事が始まったら、私情を挟む事は一切許されないと。それがどうしてなのか覚えているか?」
「北斗は負けちゃ駄目だから……いつも最善の結果を出すため、みんなが一丸にならなくちゃいけないから」
「最善の結果? 違うな。北斗の出す結果とは常に一つ、完全な勝利だけだ。そのためには、相手に一分の隙をも許す猶予を与えてはならない」
北斗の掲げる最強とは、絶対の勝利を確約する事だ。いかなる状況下に置かれても打破するというのは、単純な力だけでどうにかなるほど単純なものじゃない。戦闘は知略と兵力とのバランスが取れていなければならず、力しか能のない猪突猛進型の軍ならば知略を計ればいとも簡単に打ち崩せる。そのまた逆も然りで、知略だけでは単純な物理介入を迎え撃つ事は出来ない。
よく、戦士は頭が悪い、みたいな言い方をするヤツがいるが、それは全くのデタラメだ。体だけ鍛えれば勝てるほど甘い世界ではない。頭が良くなければ相手の弱点や出方、戦術等を見極める事は出来ないのだ。それが集団となれば、その重要性は飛躍的に増す。もしも仮に、力が全く拮抗している相手と戦う事になったら。勝負の決め手は知略にかかってくる。そして相手に付け入られる隙を見せないためにも、団結力というものは非常に重要なのだ。
「いいか、今ここで最高の責任者は俺だ。俺は完全な勝利を得るため、常に最善の行動を見極め選択し続ける。しかし、それは俺一人でなんとかなるもんじゃない。下の人間がちゃんと指示通りに動いてくれなきゃ何も出来ないんだ。一人よりも全体を重視する、それがチームワークってものだ。お前一人の勝手な行動がな、俺達全員に悪い影響を及ぼすんだ。だから、たとえどんなに些細な事でも、自分勝手な判断で動いちゃならねえ」
シャルトは大人しく俺の話を聞きながらこくこくと頷いた。申し訳ない、という反省の念はあるらしく、神妙な面持ちで視線をうつむけている。
普段はなかなか反抗的な面をちらほらと見せているのだが、真剣な話をしている時は妙にしんみりとなって聞き入ってくれる。御世辞にも頭の回転は良くないヤツだが、素直なこの性格は吸収力にそのまま反映されるわけだから本当に教え甲斐がある。シャルトは今の時代には珍しいまっさらな性格をしているから、周囲の影響をもろに受けやすい。白い布に染みがつきやすいのと同じ理屈だ。だから俺が保護者として、一人前かつ一流の男に染め上げなくてはいけない。一度色のついた布はそうは簡単には変わることはない。シャルトを綺麗に染めれば、一生そのままの素晴らしい人格者でいられる。元はといえばシャルトを引き取ったのはほんの気まぐれからなのだ。それでも責任感は本当の親のように感じている。将来、半端者やどうしようもない犯罪者にしたくはないからこそ、俺は理不尽な暴力からも守るし、必要とあらば厳しく接する。まあ、どちらかといえば、責任感よりも単にシャルトが可愛いからだったりするんだが。とにかく、叱る時は叱る。これを徹底しなくてはまともな人格形成など出来るはずがない。
「ま、あんまりグチグチと言うのも好きじゃないから、これだけにしとくが。何にせよ、俺の言いたい事はちゃんと分かったな? だったらこれからはちゃんと気をつけろよ」
うん、とシャルトは小さく頷いた。
俺は『元気を出せ』と笑いながらシャルトの頭をがしがしと撫でる。シャルトは迷惑そうな表情をするものの、口の端は少しだけ笑っていた。
「いいか、兄の言葉は神託と同じだ。俺に教えられた事は常に頭の中で意識しておけ。そうすりゃ、数年も経てば一流の戦士になれる」
「うん、分かった」
シャルトはややぎこちなくではあったが、そう俺に微笑んだ。相変わらず、男だか女だか分からない優顔だ。戦闘の血生臭さとはまるで縁のない様相である。もう少し筋肉がつけばな、とは思うが、ルテラはそれが嫌らしい。そんなの知ったことじゃないんだが、体質なのだろうか、シャルトは幾らトレーニングをしても物理的な効果は得られても、体格そのものが大きく逞しくなる気配は全く見られない。
「よし、じゃあ行くぞ。お前は一旦着替えて来い。そんな格好じゃ北斗としての示しがつかねえからな」
一体どこをほっつき歩いてたのかは知らないが、今のシャルトは随分と酷い汚れ方をしている。夜叉の制服は完全な黒地で多少の汚れなど目立たないのだが、はっきりと分かる赤茶色の染みや泥汚れが斑模様を作っている。まあ、大体の見当はついている。さっきの地下室の出来事の後、シャルトは神獣の体を抱え外に出てしまったが、今はもうそれの姿がどこにも無い。つまり、そこいらへんに埋めて墓でも作ってきたのだろう。何もそこまでする義理なんざないだろうに。律儀というかなんというか。こいつらしいと言やあ、こいつらしい。
とにかく、こんな格好で依頼主の屋敷の中を歩かせる訳にもいくまい。外から遊んで帰ってきた子供が手を洗わないよりもたちが悪いのだ。それに北斗そのものの風紀が疑われてしまう。こんな泥だらけの姿を見られ、決していいイメージを持たれる訳が無いのだから。幸いにも上着の代えはもう一着持って来させている。シャルトの事だから何かあるだろうと思ったんだが、やはり案の定だ。
「そうだ、お前がいない内に役割分担が決まったぜ。お前は俺と依頼主の身辺警護だ。当分は私室、食堂、仕事部屋に張り付きだな」
「レジェイドと?」
「なんだ、不満か?」
「僕一人でもいい」
ぬかせ、と俺は笑いながらシャルトの頭をぽんぽんと叩く。シャルトはすぐに不快感を露にして振り払おうとしてくるが、いつもの通り俺優位の状況は何一つ変わらない。
それにしても、シャルトの頭は本当に丁度いい高さにある。そんな気がなくともなんとなしに小突いてしまうのだ。そしてシャルトもまた面白い反応をしてくれるものだからやめられない。いわば、飼う気はなくとも構いたがる子猫のようなものだ。
「相変わらず細い髪だな。まさか気ィ使って手入れとかしてるのか?」
「いいから放せってば!」
シャルトがやたら必死になって俺の手を払いたがる。しかし俺は面白がって手の角度を変えながら、シャルトの頭をぐちゃぐちゃと掻き回し続ける。
と、その時。
突然、ぴょこんとシャルトの肩の影から白いものが飛び出した。
「いつっ!」
そしてすぐさま俺の腕に飛びつき、がぶりと遠慮なく噛み付いてきた。
それは地下室で殺されたあの神獣の子供らしき子猫だった。真っ白な毛並みはそっくりだが他は何一つ似て居る所は無く、虎というよりもむしろ猫と思う方が普通だろう。だがそれでも闘争心だけは虎らしく、まだ牙でがぶがぶと俺の腕の肉を噛む。子供の虎なんかに噛まれた所で腕が食い千切られる事などないが、それでもあまり気分のいいものではないし、痛いのに代わりはない。俺は子猫の首を引っ掴むと、無理やり腕から引き剥がした。当然力は俺の方が強いためあっさり引き剥がせたのだが、たたでは離れんとばかりに子猫は離れる直前まで爪を思い切り立てて傷を残していきやがった。シャルトに比べ、傷を作る分こいつの方が可愛くない。
「ったく。なんだ、このニャンニャンは? 懐かれたのか?」
「そうじゃないんだ。こいつ、行く所がないから」
シャルトは俺の手からそっと子猫を取ると自分の肩に乗せた。シャルトの細い撫肩は足場になるようなスペースに乏しいが、さすがに体の柔らかさとバランス感覚には優れているらしく、子猫は器用にシャルトの肩に乗って自らの立ち位置を陣取る。
確かにこいつは親を殺され、しかもここの主人には不要と捨てられてしまっている。野性動物とは言ってもこの幼さで厳しい自然界を一人で生きていくのは、幾ら神獣とはでも相当な困難であるだろう。それが摂理なのだから仕方がないが、シャルトはそうと割り切れるほど大人でもない。可哀想だから、と手を差し伸べたんだろう。もっとも、俺も似たような成り行きでシャルトを引き取った訳だから、あまり大きな口は利けないのだが。
「ま、ちゃんと世話はしてやれよ。ペットとは言っても立派な命だからな」
分かってるよ、とシャルトが唇を尖らせ、分かりきった事をわざわざ言われる不快感に抗議する。
子猫もまた、俺の方をじろっと睨み付けて来た。こちらは大方、シャルトを苛めるな、といった所だろうか。いい番犬……いや、番猫だ。
「ほれほれ。俺はシャルトちゃんのお兄様だぞう」
俺はそっとそいつの頭を撫でようと右手を伸ばした。しかし、
「ガァッ!」
子猫は殺気を漲らせると、力いっぱい俺の指を噛んだ。どうやら俺には触られて欲しくないらしい。
「がっ、な、何しやがんだよ……ったく。おー、痛ェ」
俺を拒んだ女なんざかつて一人もいなかったというのに。所詮はケダモノか。
「ところで、このニャン子は何ていうんだ?」
「テュリアス、って名前つけたんだ」
「ほう、カッコイイ名前じゃねえか。そうか、雄なのか」
「さあ?」
さあって……。
TO BE CONTINUED...