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全ての原動力は空腹から始まる。
餓えは途方も無い苦痛であり、人間として当然の生理現象である。
私の発露は、その苦痛からの脱却に起因する。お腹を空かせるのは辛いから、それを満たすために行動を起こす。餓えが満たされれば、別の行動欲求が湧き上がる。その欲求に従えば、再び空腹がやってくる。そしてもう一度空腹を満たすための行動を起こし。これらの循環が人間として最も原始的な生活だ。
幾つもの嗜みを持てるような余裕は無い私は、そのほとんどが空腹を満たす行動で占められる。そのため、自然と食への楽しみが比重を大きくした。
少しでも良いものを、と欲望は成長を続ける。回を重ねるごとに、積み上げられた経験が自信を肥大させる。過ぎた自信は私を徐々に大胆な行動へ踏み切らせる、勇気と無謀は紙一重。蛮勇を尊ぶほど原始的ではないが、自分では自分の力量を慎重に見計らったつもりでいた。
思い上がってたつもりはない。
けど、本当は頭に乗っていたのだ。
自分の力量をわきまえられない者の末路。
それが、目の前のこれだ。
今日の獲物は、一ヶ月ほど前に襲ったとある金融業者だ。建物自体は小さくてちゃちだが仕事の内容がえげつなく、時には違法な取立て手段も辞さない連中である。そのため意外と金を溜め込んでいるのだ。けど、仕事は荒っぽいクセに自分達の防犯意識は驚くほど低い。やりやすい割にリターンが大きい。今回は楽な仕事になる。そう私達は気楽に考えていた。
連中の金を運ぶルートはたったの三箇所しかパターンがない。しかも変化に乏しい三つだ。護衛は常に二人。如何にもとってつけたような杜撰な防犯体制だ。私達にとってこれほどやりやすい獲物は無い。肥えた豚ほど動作が鈍いが、連中はまさにそれだ。
ルートは確認した。相手の状況もバッチリ把握している。そのための用意は万全。後は獲物が何も知らずにのこのことやってくるのを待つだけ。罠にかかれば一気に畳み掛ければいいのだ。しかし、何度も使い古した手ではあるけれど、この待ち遠しい時間はどうにも落ち着きがなくなってしまう。胸躍る、と言おうか、心弾む、と言おうか。じっとりと汗ばんだ掌は震えている訳ではなく、早く活躍したいと訴え叫んで仕方がない。そう、私は待っている事が出来ない少々せっかちな性格なのだ。そんな私がこんな手を常套手段としているのも矛盾しているが、以前、真っ向から向かっていって酷い目に遭った事があり、こういった回りくどい仕掛けも重要な事だと痛感させられた。それからというもの、こういった待ち伏せをするようになったのだけど、よく考えてみたら罠にかかろうとかかるまいと、罠自体に動揺すればすぐさま私は突っ込んでいって暴れまくっている。どっちにしろ、実際はあまり大差ないのかもしれない。
作戦の内容は単純明解、罠にかかったら畳み掛けて金を奪う。後は速攻でオサラバするという寸法だ。罠もまたごくありふれたもの。玩具屋で掠め取ってきた爆竹で馬車を引く馬を驚かせ、御者が慌てた所に石をぶつける。そして馬を切り離し馬車を動けなくした後、警備している人間へ更に不意打ちを食らわせる。
こう羅列すると案外大した事がないように思えるが、実際に食らった大人達は皆、面白いように慌てふためいてこちらの為すがままになる。単純な力だけで考えると、私達子供の方が遥かに劣っているからこそ、こういった知略もまた必要であり立派な武器だ。一応、これを考えたのは実は私ではなかったりする。恥ずかしい話、この案をみんなが立てるまで爆竹というものの存在すら知らなかったのだから。
路地に身を隠しつつ、落ち着かない手を慰めるために爆竹を宙に放ったりを繰り返していた。見張りからはまだ連絡は来ない。予定では後十分ほどかかるらしいが、私にとってこの状況での十分はあまりに長い。空腹で死にそうな時、目の前に豪華な食事があったとしたら。それの匂いまで嗅げる距離に居ながら触れる事が許されない。それが今の私が置かれた状況だ。
連中をああやって、こうやって、そうやってフィニッシュ。
頭の中で襲撃のイメージを何パターンも思い描き続ける。イメージはいつも綺麗に走るのだけれど、いざとなるとどうしてもその場その場での行き当たりばったりなものになってしまう。私は考えるよりもまずは行動してみるタイプなのだから、あまり無意味な考える行動はやらなくてもいいのかもしれない。
「ファルティア」
路地の反対側からスッと現れた仲間の一人が、極力潜めた声で私を呼んで向こうへ軽く目配せをする。私はこくりとうなづくと、汗ばんだ掌を服に擦りつけて拭い、そっと路地から半身だけを覗かせて様子を覗った。遠目からのこのこと何も知らずに標的の馬車がこちらへやってくる姿が見える。私は軽く口元を綻ばせ、そして引き締めた。
通りを挟んだ反対側の路地には、私と同じように爆竹を構えた仲間の姿が見える。私が馬車の方へ目配せすると、了解の意思表示として頷き返してきた。
いよいよだ。
耳を澄ませると、普段通りの街の喧騒に紛れて馬車の進む音が聞こえてくる。近づくにつれて音は大きくなり、私達が待ち構えている此処との距離がどんどん狭まっていくのが分かる。この距離では迂闊に様子見すると気づかれてしまう危険性がある。私は馬車の音に耳を澄ませながら距離感を取り、飛び出すタイミングを計る。早過ぎてもいけないし、遅過ぎるなんてもっての外だ。ここが奇襲をかける際、最も重要なポイントかもしれない。
よし、今だ!
最高のタイミングに達した事を計った私は、向こう側に待機している仲間へ合図を出すと同時に、勢い良く通りの真ん中へ飛び出した。
すぐ先にはこちらへ向かって走る馬の姿、その後ろには馬が引く馬車があった。御者は突然飛び出してきた私達に驚いた表情を浮かべ、馬を止めようと手綱を引っ張りかけている。その瞬間、私は流れるような動作で爆竹と一緒に握り込んでいる二つの小さな火打石を鳴らして導火線へ火を点すと、そのまま馬の足元目掛けて叩きつけた。
耳を劈くような激しい破裂音が断続的に響き渡る。私に僅かに遅れて、仲間達が更に爆竹を馬の足元へ投げつける。この音に驚いた馬は大きく体を持ち上げて後足だけで立ち上がった。御者は血相を変えて馬を鎮めようとするが、しかしまだ爆竹の爆発は続いている。
「やれっ!」
私はにんまりとしながら声高らかに叫んだ。それを合図に、周囲に隠れていた仲間達が一斉に飛び出してきた。
まず、私は馬を鎮めるのに慌てている御者を無理やり引き摺り下ろすと、その背中を力いっぱい蹴り倒してやる。ぐー、と妙な唸り声を上げながら、御者はその場に前のめりに倒れた。そして御する人間の居なくなった暴れ馬はかえって危険でもあるため、いつものように馬車から切り離して街中へ放ってやった。
「中、行くよ!」
馬車を動けないようにした私は、すかさず次の指示を出した。みんなが中へ雪崩れ込もうとするのと同時に、馬車の中から人影が二つ、飛び出してきた。
ん……?
馬車の中に警備員が常駐しているのはいつもの事、飛び出してきた事自体には驚きは感じない。私が気を留めたのはもっと別の事に対してだ。
飛び出してきた二人は、共に青地の服に白の装飾が施された、一見すると礼装のような井出達をしていた。今回狙ったのはチンケな街金業者だ。その護衛や警備をやってる連中はどれもこれも、キナ臭そうな共通点が必ずある。しかし今回の二人は、これまでと違ってそんな臭さが一片も感じられない。合法と違法の境界線を生きる人間ではない、明らかに合法側の、それもかなり極端な場所で生きている空気の人間だ。
こいつら、まさか政府の役人じゃないだろうか?
一瞬、そんな予感が頭を過ぎった。けれど、それはおかしな話だ。政府の人間が、どうして街金業者の馬車に乗っているのだろうか。しかも腰に下げた剣を見る限り、乗った目的は護衛以外の何物でもないだろう。政府にしてみれば、街金業者は治安を乱す厄介な要素でしかないはずなのに、それを保護する理由はどこにある? 少なくとも私だったら、さっさとぶっ飛ばして不安を取り除いている。
みんなも意外な人物の登場に驚きを露にしている。その間隙を縫って男二人は下げた剣を抜き放って構えた。どうやらこっちの事は生きて帰すつもりはないようだ。
ヤバイな……。
政府の騎士クラスだったら、かなりの戦闘訓練を受けているはず。言うならば合法的な殺人集団ってところだ。そんな二人が躊躇い無く剣を抜き放ったということは、私達を殺す事を容認されている可能性が高い。いや、そもそも私らには戸籍や人権なんて元々認められていないから、それ以前の問題であるけれど。
幾ら奇襲は有利だと言っても、相手に拠る場合がある。今の状況なんかまさにそれだ。
空気に飲まれてはいけない。そう思った私は、御者が座っているところにあった鞭を手に取り、それを男の内の片方の顔に目掛けて投げつけた。突然の私の行動に、男は構えていた剣を上から下へ振り下ろし、投げつけた鞭を両断する。それと同時に前へ飛び出すと、距離を測って地面を蹴った。目の前に飛び上がった私を見て、男はぎょっとした表情を浮かべる。私は既に男の顔面を蹴り飛ばす体勢が出来ている。それよりも先に切り払いたいだろうが、剣は迂闊にも振り下ろしたばかりだ。勢いが下に向かっている以上、その上にいる私を簡単には落とす事は出来ない。
ぐしゃっ、と鼻が潰れる感触が足の裏から伝わってくる。着地する頃に男はうめき声を上げながら顔を押さえ、その場にうずくまった。
仲間があっさりやられた事に動揺するもう一人の男。すると仲間はその隙を逃さず、一斉に襲い掛かった。あっという間に剣を奪われると、男は四方から滅多打ちにされて遂には倒れ込む。どうやら子供と思って油断していたようだ。まあ、すぐに油断するぐらいの実力しかないヤツってことなんだろう。
「よし、持っていくよ!」
二人が動けなくなった事を確認すると、私達は回復される前に馬車の中へ乗り込んだ。
馬車の中には丁度抱え込むぐらいの大きさの木箱が幾つも並べられていた。思わず口笛の一つも吹いてしまいそうな、壮観な光景である。
「ほう。噂通り、随分溜め込んでいるようだな」
「お金ってのはね、悪い所に溜まるような仕組みに世の中出来てるのよ」
こちらの頭数を考えると、これらを全部持っていくのはどうも不可能だ。こういう場合はスパッと持てない分の事は諦めるのが利口だ。無理をして逃げるのが遅れてしまうのは馬鹿のやることである。
箱の大きさから、一人一つが走って逃げられる限界量だ。
私達は早速箱を人数分馬車の中から持ち出すと、そのまま一目散にその場を後にした。箱は思ったよりも軽い。紙幣の束でも入っているんだろう。走りながら私はそう考えていた。
TO BE CONTINUED...