BACK

 競い合う相手がいるのはいいものだ。
 自分より強いやつの存在はどうにも認めたくないが、常に自分のすぐ背後にいて私を抜き去ろうとする存在は、私を前へ前へと進み続けることを急かさせてくる。
 こいつらがいるから、私は現状に満足しないで更なるステップを踏み続けようとする気になれる。
 それは決して、焦りを伴う苦痛ではない。
 こんな事も出来るのか。これでも倒せないのか。毎日がそんな驚きの連続で、とにかく強くなろうとしている私にとっては非常に充実していて嬉しくさえ思う。
 まあ、同じ事を繰り返す馬鹿ばっかりなんだけど。実力だけは確かにある。
 なんだかんだ言ってこいつらに付き合う私も馬鹿の仲間になるのかな?
 いや、私の方が賢い。

 絶対に!




「うらぁっ!」
 右腕に力を込め、全力で上から下へ叩き落す。
 術式を調整し通常よりも質量を多く生成した私の右腕は、重心が右側へ大きく引き摺られそうなほどのバランスの悪い姿をしている。しかしこれは普段の生活を補うための腕ではなく、戦闘においての使いやすさだけを追求した結果の腕だ。日常用にはちゃんと見た目を考慮した腕があるし、今は戦闘だから大事なのは機能性であって、見た目なんてどうでもいいのである。
「おっとと」
 だが、ラクシェルは何事も無かったように身をそらしてその攻撃をかわす。私の右腕は轟音と共にホールの床を打ち抜き、クレーター状に小さなくぼみを作る。
 左腕より二回り以上大きい右腕を力任せに振り落とした反動で、私の体が強く下へ引っ張られる。だが私は抵抗せず逆に下へ体を引っ張らせると、丁度空中で頭と足の位置が逆転した瞬間に身をそらして半回転し着地する。
「逃げてばっかいるな!」
「当たったら痛いじゃん」
 ラクシェルは油断無く半身に構えつつ、軽く握った拳と拳の間から私の出方を観察している。膝は軽く曲げて重心を低く保っている。無駄な動きを一切排除してスタミナ配分に余裕を持たせ、必要に応じて素早く動くための理想的な構えだ。
 つい、二、三日前からラクシェルはこのスタイルに落ち着いてきていた。ちょろちょろとすばしっこく動き回り、ちょっとでも隙を見せるとやたら肝臓を打って来る。ミシュアさんに人間の弱点の一つだと肌に直接教えられたかららしいが、だからといってそればかり狙ってくるのも馬鹿の一つ覚えかと思いきや、これがなかなかどうしてかなりきつい。一発でも綺麗に貰えば悶絶は必至だ。ラクシェルは表向きはイイ子ちゃんぶっているクセに、すぐにやたら物を持ち上げ投げ飛ばして壊してしまう暴力女だ。そのパワーで殴られるんだから、痛いのは当然のことである。
「感じるよりも先に、そのスカスカの頭を吹っ飛ばしてやる」
 私は一呼吸間を置き右腕に力を溜めると、弓のように体をしならせて猛然とラクシェルに向かって突進する。ラクシェルはうまくこちらの攻撃を防いで決定打を貰わないように立ち回っているが、私のこの右腕、ようやく形になってきたこれの放つ一撃ならば防いだ腕が逆に潰れてしまう。顔面に貰えば、潰れたトマトのようになること受け合いだ。
 踏み出した足の勢いを腰へ。その勢いを背中で十分に増幅し、肩で真っ直ぐ固定した右腕を槍のように真っ直ぐ前方へ放つ。それと並行作業で、手首から先に魔力を集中させひたすら強固なイメージを注ぎ続ける。これによって硬質化された拳が繰り出す一撃は、ちょっとした岩ぐらいならば簡単に壊せる。単純にして抜群の威力を持つお気に入りの技だ。
 いっつも同じところばかり狙いやがって。おかげで一週間前に作られた右脇腹の青痣が未だに消えやしないのだ。痣の上に痣が斑に重なる、まるでヘビの皮みたいな姿になってる。この機会にお前も同じ目に遭いやがれ。もっとも、作るのは私と違って顔面の方だけどな。
 私はラクシェルが派手に吹っ飛ぶ様をイメージし、右腕から伝わってくるであろう心地良い衝撃を想像して胸を躍らせていた。最近はちょっとこいつらにしてやられる事が多いだけに、そろそろ一番分かりやすい形でスカッとしておきたいところだ。
 しかし、
「おっと」
 ラクシェルはギリギリ紙一重の所で上体だけ後ろにそらすと、私の渾身の一撃を見事にかわしてしまった。拳圧がラクシェルの前髪を軽くはねる。ラクシェルはまるで涼風を受けるような涼しげな表情で、本来は私がするはずだった『にやり』とした笑みを口元に浮かべる。
「はい、また私の勝ち」
 憎ったらしい笑みを浮かべたまま、構えた右腕を閃光のように鋭く繰り出してくる。その瞬間、せっかく痛みが消えかかっていた脇腹の箇所を再びあの衝撃が襲いかかった。
「ぎゃっ!」
 爪先から頭の天辺まで、雷が走ったかのような衝撃。咄嗟に私が出来たのは、目を馬鹿みたいに大きく見開く事と、本来我慢する時は握り込むはずの手をピンと力いっぱい広げて伸ばした事だ。
 意地でも負けたくなかった私は、この程度で動じてたまるものかと歯を食いしばり、真っ向から痛みに立ち向かった。しかし痛みの奔流は私が本能との間に立てた理性の防壁を安々と破り、人間として極自然な反応へ私を走らせた。
 気がつくと、私はその場に膝からへたりこんでしまっていた。
「ちっくしょう……卑怯だぞ、逃げてばっかりいるなんて!」
「ファルティアは無駄な動きが多すぎるのよ。それに攻撃も単調だし。確かに一撃は魅力的だけどさ、当たんなきゃ意味ないっしょ? 正直、直線的過ぎてかわすの楽勝だよ」
 楽勝。
 まさか自分の評価がそんなものだなんて。
 正直、ショックは隠せなかったが、私はすぐに喧喧諤諤と反論した。ラクシェルの一方的なその評価がとても受け入れられなかったのである。
「うっさい! 私はセコい戦い方するやつとは相性悪いんだ!」
「そうやってすぐに相性の問題に逃げる。良くないよ? そういうの」
 怒鳴るたびに打たれたところがシクシク痛む。それでもやられっ放しは性に合わず、こうなったら少しでも負けの汚名を軽くしようと、見苦しいと分かっていながらも言い訳をせずにはいられなかった。
 実力でかなわないから、口で理屈を述べなんとかしようとしている自分が惨めったらしくてしょうがない。
 ったく、最近はなんかこんな事ばっか続いている。絶対に、自分がこいつらよりも劣っているとは思っていない。けれど、どうしてか勝ちに繋げることの出来ない現実。一体何が私に欠けているのだろうか。それさえ分かれば、こんなやつらにデカイ顔されたりはしないんだけど。とにかく、今は戦い続けるしかない。頭で考えても分かりそうな問題じゃないから、体で直接覚えないと。
「どうする? 少し休んでもっかいやる?」
「やる! 今すぐ!」
 私は打たれたばかりの脇腹を押さえながら、あるだけの力を膝へ注ぎこんで立ち上がる。少し屈んで休んでいる内に、どうやら立ち上がれるぐらいには回復したようだ。立ち上がれれば、まだまだ続きはやれる。
 意識を脳裏に向け、もう一度右手のイメージを作り出す。
 もっと強く。
 もっと強く。
 二度と負けないくらいほど強く。
 私はとにかく自分が強くありたかった。周囲から自分という存在を確立するため。まだ見ぬ敵にすら勝つため。自分の自由な意志を貫くため。そのいずれにも必要なのはとにかく絶対的な強さだ。もしも人間が人間という範疇でしか強くなれないのであれば、私はそこから更にはみ出た強さを手に入れたい。だから現状に満足する暇なんてないし、一歩でも先に、一秒でも早く、前へ進みたい。そう、強くなるというのはとにかく前進する事なのだ。
 と、その時。
「おい、二人とも」
 ふとホールの出入り口から私らを呼ぶ声が聞こえてくる。思わず足を止めてしまった私は声がした方へ目を向けると、そこにはリーシェイのやつが立っていた。
「なんかした?」
「ああ、頭目が捕まったそうだ。今、こちらに輸送されてくる。面白いぞ」
 面白い?
 その言葉に、私はすぐさま外へ飛び出した。
 ここ凍姫の頭目であるスファイルは、私ら三人を北斗に連れて来た、まあいわゆる世話になった人だ。結構な責任のある立場なのだけれど、どういう訳か放浪癖があって頻繁に行方をくらませている。原因は、凍姫と雪乱という流派とのいざこざが面倒だから。気持ちは分からなくも無いが、仮にも責任ある立場の人間がいとも簡単にそれを放棄するのはどうだろう。しかも、そんな事をしたって何の解決にもならない事を自覚していると来ている。一言で言ってしまえば『馬鹿』だからなんだろうけど、頭目になれるほどの実力は確かにあったりするから世の中分からない。
「で、ダンナ。無理やり連れて来られるんだ?」
「ああ。まったく、やる気のない人間に来られても迷惑なんだがな」
「恩人にそれはないっしょ? 同感だけど」
「そう思うなら、堂々と本人の目の前で言ってやれ。ファルティアのように」
「やだよ。ミシュアさんに逆さ吊りにされるもん」
 私達はホールを出てから訓練所の屋上へ一気に上っていった。リーシェイの話だと、丁度この訓練所に面した中通の一つ向こう側、大通りを通って本部の方へ移送されるそうだ。もうすぐそこまで来ているから今から走っても間に合わないんで、それよりも見晴らしのいい上から見た方がいいらしい。
 屋上に出ると、ぱっと開放的な風景が広がった。周囲には凍姫の訓練所よりも高い建物がないので、一つ向こうの大通りもよく見える。
「む、来たようだ」
 と、リーシェイが指差してそう言った。しかしその先には何か人の群集の塊のようなものしか見えない。リーシェイは鳥か何かみたいにやたらと目がいいのだ。単純な視力だけだったら、動物よりもあるんじゃないかと思う。そんなリーシェイがやっと見つけた距離にあるものなんて、私には見えるはずがない。
「あれだったら、直接行った方が良かったじゃん」
「私は無駄な汗を流すのが嫌いなのだ」
「お前の都合かよ」
 相変わらず自分勝手な奴だ。そうやって周囲を巻き込んで自分のペースにしてしまうところ、もはや災害の域に達している。
 やがて私の目にもはっきりと見える距離まで、その群集が近づいてきた。
「ほうほう」
 それは、これでもかってぐらい体を荒縄でぐるぐるに縛られたまま馬に乗せられ、そこから更に馬上に固定されて運ばれるスファイルの姿だった。その周囲を何人も、凍姫の精鋭達が取り囲んで油断なく周囲に警戒している。サーカスというより、軍の一個師団の行列のような光景だ。スファイルはすっかり観念してしまったのか、がっくりと項垂れている。その姿を見て、たまたま近くにいた子供達が指を差して笑って母親に怒られていた。母親の表情を見る限り、あまりスファイルの事は子供に見せたくないらしい。確かに教育上良くはないだろう。自分の子供が将来、あんなヘタレになったら誰だって困る。
 これが、うちらの一番上に立つ人間の姿か。
 正直、誰が責任者だろうがあんまし興味はない。私はやりたいようにやるだけだ。いや、そこには『ミシュアさんにどつかれないように』という条件がつくけれど、とにかくこの流派凍姫を代表する人間が誰でどんな人間であろうとどうでもいい話だ。そう思っていたんだけれど、これ以上彼を衆目に晒すのは見るに耐えない。
 しっかし、なんて見っとも無い姿なんだろうか。もしも私が同じ事をされたら、速攻で舌を噛んで死ぬ。恥を晒してまで生きられるほど、神経は図太くないのだ。
「頭目だけあり、威風堂々たる姿だな」
「媚びてない所がいいね」
「でも、アホ面だ」
 口々に、私らはそんな感想をこぼした。
 ふと、その時。馬を率いていたミシュアさんが、思わず悲鳴をあげてしまいそうなほど恐ろしい目で睨み付けてきた。まさか、今のがこんなところから聞こえたのだろうか? 反射的に私はびくっと体を震わせる。リーシェイもラクシェルもほぼ同時だった。
 ミシュアさんも、身内の恥は辛いようだ。



TO BE CONTINUED...