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「これは骨が折れそうだなあ……」
北斗市街区と総括部を隔てる唯一の出入り口、羅生門。
かつてここには北斗十二衆の頭目に匹敵する実力を持った最強の門番、『前鬼』と『後鬼』の二人が無断通行を試みた幾人もの侵入者を葬り去ってきた。けれど二人は今回の騒動の犠牲となって命を落とし、今はただ無人の羅生門だけが大きく口を開いたままの姿で残っていた。
その天辺に腰掛けるヒュ=レイカは、ぱりぱりと何の具も挟まないプレーンクラッカーをかじりつつ、総括部の方を見やっていた。商業の盛んな北斗は、中でも飲食業はその大半を占める経済の中心となるほど多種多様に発展していたのだが、今はこの戦争の影響で一般人は避難してしまい、市街区に立ち並ぶ飲食店は門戸を閉ざし、歩けば当たるほどあちこちに店を開いている屋台の姿もすっかり消えてしまった。間もなく丑三つ時、程無く冷え込んできたため、ヒュ=レイカは何か温かいスープが欲しかったが、店が無い以上、それも叶わない。体力温存のため食事を抜く訳にもいかず、仕方なくこのような侘しい間食を取る事になってしまっていた。今まで屋台はそこに存在する事が当たり前となっていたのだが、いざこうして無くなってしまうとどれだけありがたいものだったのかが身に染み入る。
夜風は冷たく、容赦なく吹き付けては体温を奪い取っていく。ヒュ=レイカは体を小刻みに震わせながら体温を作り出し、冷たいクラッカーをかじる。微かな塩味も、もはやどうでも良くなってきた。ただ咀嚼する作業だけに専念する。
見やる先には、反乱軍に占拠されてしまった北斗総括部があった。
周囲にはざっと数えただけでも五十近い警備が張り込んでいる。こうなるであろうという粗方の予想はついてはいたが、改めて厳重な警戒態勢を目の当たりにすると、嫌でも背を引かれる思いに駆られてしまう。
五十人を超える大軍を一人で相手にする事自体は、これまでに何度も経験してきたのでそれほど問題ではなかった。本当の問題は二つ。今まで相手にしていたのは北斗よりも格下の戦闘集団である事、そして自らに今も訪れている変化の事だ。
ヒュ=レイカは、ここ半月ばかりの間で急速的に精霊術法を使う事が出来なくなっていた。術式そのものの制御やコントロールはそのままなのだが、出力が大幅に減退してしまっているのである。そのため、これまでと同様の術式を使おうとしても出力が足りずに体現化出来ず、また既に体現化している術式が突然出力を落として不安定になる場合もある。単純に術式の力そのものが弱体化しているのだ。
元々、ヒュ=レイカには常人にはないずば抜けた才能があった。それは、生まれながらに非常に初歩的なものではあるが魔術を使えるというものである。精霊術法は魔術の流れを組む技術である。そのためヒュ=レイカが北斗において『天才』と呼ばれる使い手になるのはそう難しい事ではなかった。
生まれ持った魔の力。ヒュ=レイカの人生まで狂わせたそれが、今になって急に力を潜め始めたのである。本人にも理由は分からなかった。これといって変わった事が起こった訳でも無く、本当に突然何の前触れも無く弱まり始めたのである。北斗に来る前だったなら、手放しで喜んでいたかもしれないのだが。そう苦々しい思いが燻り続ける。
さて、どうやって忍び込もうか。
目的は漠然と幾つかあった。今、目の前の総括部には、ルテラが捕まっている。そこへ更に、レジェイドやシャルトまで加わってしまった。おまけに、リュネスは凍姫の人間だが精神コントロールのようなものを受けていないため心情的には北斗側であり、しかもそのせいで反抗的な態度を取ったらしく捕まったみんなと同様の扱いを受けているらしいのだ。そんな彼らを助けるのもそうだが、出来るだけ敵の内情を知っておきたい。こちらの情報は筒抜けだが、相手に関しては何一つ分からなかった事が今回の敗北の要因の一つでもある。
四人も捕まっている計算になるのだが、全員を一度に救い出すのはかなり不可能に近い。こっちは一人一人の居場所どころか、総括部の間取りさえ分からないのだ。それに、下手に見つかるような真似をしてしまえば、一気に四人の命の危険性が高まってしまう。
どうにか出来ないものだろうか。
とにかく今は、慎重に一人ずつ助けるしかないだろう。エスタシアの事も考えると、そうそう長くは閉じ込めておいたままにはしないだろう。よってこの夜が勝負の境目だ。
「さて、と。そろそろ行こうかな」
ヒュ=レイカは服を払いながらゆっくりと立ち上がる。
不意にヒュ=レイカの背後の暗闇から人間の腕が伸びてきたかと思うと、手にした短剣でヒュ=レイカの喉元を切り裂きにかかった。いつの間にかヒュ=レイカの背後には一人の男が忍び寄っていたのである。
「ッ!?」
しかし、その短剣はヒュ=レイカに触れることは出来なかった。驚くことに、刃が触れる寸前、ヒュ=レイカの姿が忽然と消えてしまったのである。
そして、
「駄目だなあ。気配を消してるつもりだろうけど、殺気が丸分かりだよ」
ヒュ=レイカは普段ののらりくらりとした口調で、男の更に背後から姿を表す。そこからにゅっと伸びた右腕が、驚愕のためその場に硬直してしまった男の後ろ襟を難なく掴む。
「という訳で、お疲れさん」
そのまま掴んだ襟をぐるりと引っ張り回すと、十分な勢いをつけてこの羅生門の天辺から外側へ大きく放り捨てた。
手足をばたつかせながら宙をもがく男。しかし重力に逆らう機能を持ち合わせていない人間である以上、彼も漏れなく重力の鎖に絡め取られ、自らの自重を持って地面に向かった加速を続け、そして衝突した。
「やれやれ、もう見つかっちゃったか。ちょっと気を抜き過ぎたね」
眼下を見下ろすと、既にヒュ=レイカの立つ羅生門は幾名もの警備の人間に周囲をぐるりと取り囲まれている事が分かった。ここまでくまなく包囲されてしまったら、もはや隠密行動も何もあったものではない。その上、どう転んでも穏やかに事が収まる訳がない。負けたら負けたで命を失ってしまうが、勝てば勝ったでその情報が総括部に届き、更に厳重な警護体勢が敷かれてしまう。
こんなつまらない事で事態を悪化させてしまうなんて、少々自分らしくない。
最近は心配事が多過ぎてどうもうっかりしてしまう事が増えてしまった。自分はもっと器用に幾つもの事を平行してこなせるものだと思っていたけれど、根の深い嫌な思い出に関係するものはどうやらその限りではないようである。
人の、それも自分にとっては大切な人達の命がかかっているのだ。もう少し慎重に立ち回らなければ。
ヒュ=レイカは大きく息を吸って吐き、自らの気の緩みを厳しく正す。同時に普段の浮ついた気持ちを外へ追いやり、これから先は自らの命以上に大切なものを賭けなくてはいけない真摯な戦いを行う覚悟を決める。
よし、行こう。覚悟を決めれば、いつまでもこうやってぐずぐずしている必要は無いのだ。
ヒュ=レイカは今一度眼下を見下ろして敵の様子を確認する。
そこにはただじっと射抜くような鋭い視線をこちらにぶつけてくる無数の北斗の姿があった。どれもが同じ無表情で一言も声を放つ者がおらず、ただ殺気だけがひしひしと伝わってくる。まるで怪談の一幕にあるような、実に非現実的でおどろおどろしい光景である。
「こっちは力を温存しておきたいんだけどね」
そして、ヒュ=レイカはふと足を踏み出すと、羅生門の天辺から両手を広げて宙に体を投げ出した。
すぐさま重力の鎖がヒュ=レイカの体を地面へ繋ぎ止める。そのまま一直線にヒュ=レイカの体は地面に向かって引き寄せられていく。
北斗達は一斉に身構えて、ある者は己の得物を、またある者は精霊術法の行使体勢に入った。酷く機械的な反応と反射だけの行動だった。
しかし。
突然、ヒュ=レイカの姿がまたもや消えた。
落下しながら、まるで闇の中に溶け込むかのように消え失せてしまったのである。
人間が消えるなど、そんな非常識な事が起こるはずがない。誰しもが自らの常識と突き合わせてそう判断した。けれど、それがヒュ=レイカにとっての思う壺だった。広く一般的に普及している常識とは、非常に死角が多い。そして、その死角を軽く突付いてやるだけで、ただの常識的な出来事が酷く現実離れした突飛な出来事に早変わりする。これらを一つの技術分野として集約したものを、一般には奇術と呼ばれた。精霊術法の申し子とまで謳われたヒュ=レイカが得意とするもう一つの術だ。
「操られてるとは言っても、甘いね」
そして。
再び忽然と姿を現したヒュ=レイカは、敵陣の真っ只中に立っていた。
「都合により手加減無しの速攻だ」
ヒュ=レイカは両手に軽く握り拳を作り腰の脇で重ねると、右手だけを大きく振り抜いてかざした。そこから生まれ出たのは、青白い雷光で作り出された一振りの剣であった。ヒュ=レイカの得意とする術式、通称『雷神剣』だ。
まずヒュ=レイカは、右足を軸にしてくるりと一回転し、同時に自分の周囲を術式で綺麗に薙ぎ払った。体を切り裂かれる痛みと高圧の電気が体内を流れる痛みを同時に体感した彼らは、立ったまま意識を失ってしまい、へたり込むようにその場へ次々と崩れ落ちていった。
先制攻撃。
ヒュ=レイカはそこで間を取る事もなく、空かさず次の行動へと移った。
ヒュ=レイカは剣を奮いながら次々と彼らを打ちのめして行った。突然懐に飛び込まれてしまった北斗達は同士討ちを恐れてまともな反撃が出来ない。かといって迂闊に散開すると、その隙を狙われ瞬く間に打ちのめされてしまう。
ヒュ=レイカは敵陣の中を縦横無尽に駆け巡り、次々と敵を大地にひれ伏させていった。雷神剣の威力は凄まじく、体を掠めただけでも意識を保つことは非常に困難だった。しかも、ヒュ=レイカは剣の死角から入り込まれたとしても、同じく雷撃を纏わせた体術で対応していった。
しかし、所詮は多勢に無勢。ヒュ=レイカの奇襲攻撃の余韻が覚める頃には誰もが冷静さを取り戻し、徐々にヒュ=レイカの攻撃は外れる回数を増していった。
だがこれも、ヒュ=レイカの予想の範疇だった。
初めから虱潰しでこの数を倒そうとは考えてはいない。本命となる攻撃はもっと別な所にある。
一見すると闇雲に立ち回っているように見えたヒュ=レイカの攻撃だったが、よく見るとそれは何度も方向転換を繰り返した直線的な移動をしていた。
彼らは、奇襲攻撃の余韻から覚めた自分達が冷静さを取り戻した、その余韻に浸り過ぎるあまり大きな油断をしていた。ヒュ=レイカの狙いまでは分からなくとも、立ち回りの不自然さは気をつけていればすぐに分かるようなものだ。それに気づけなかったのは、やはり多勢に無勢という圧倒的戦力差に対する余裕から来るものだろう。特にこの北斗においては、数の優劣など勝敗を決める何の要素にもならない事を、彼らは忘れてしまっていたのだ。
「よし、これでラスト!」
そう言ってヒュ=レイカは地面に雷神剣を突き立てた。
一体何のつもりなのか。
彼らがそんな疑問を思い浮かべたのは、ほんの一瞬の出来事だった。
ヒュ=レイカが剣を突き立てた地点から一筋の雷光が走った。雷光はまるで自分の意思を持っているかのように、そこから四方八方へと幾つもの束に分かれて地面の上を駆け巡る。
ハッと息を飲んだその時には、周囲一帯に幾本もの雷によって巨大な幾何学グラフが描かれていた。
そのグラフが一体如何なる機能を持ち、動作するのかを知る必要は無かった。彼らにとって重要なのはこの術式の効用ではなく、これを身に受けた時、果たして自分は立っていられるのかどうか、という点だからである。
反射的に誰かが一人、ヒュ=レイカに向かって飛び出した。
如何に強力な術式と言えども、発動する前に相手を倒してしまえば恐れるに足らない。そう考えたからだ。
間違いなく、それは正しい判断だった。しかし、全ては遅過ぎたのだ。彼がヒュ=レイカの心臓を貫くまでに三呼吸の間を必要とするならば、ヒュ=レイカは術式を発動させるためには心の中の引き金を一つ引くだけで良いのである。
「遅いよ」
短いその言葉を合図に、周囲が眩い光に包まれる。
射抜かれるように鋭く荒々しい閃光だった。
TO BE CONTINUED...