BACK
暗く湿った地下道を、二人は背中を突付かれるようにしてひたすら歩かされていた。前に三人、後ろに五人と、たった二人を連行するにはやけに物々しい警備である。
そこは北斗総括部の地下深くにある、かつては囚人を幽閉する目的で使われた場所だ。しかし、単なる強盗や殺人を犯しただけの犯罪者のための牢ではなかった。ここに幽閉されるのは、北斗の治安を乱しかねない危険思想の持ち主や政治犯だけである。もっとも、幽閉される期間はそれほど長くはなく、せいぜい仮住まい程度にしか過ぎなかった。北斗には、それ以上長く生かす理由が無いからである。
薄汚れた蝋が灯す明かりに照らし出され、その二人の姿がおぼろげに浮かび上がる。それは流派『夜叉』のレジェイドとシャルトであった。
二人は先の凍姫戦において、リュネスを人質に取られたシャルトが敗北し、そのシャルトを人質に取られてレジェイドは自ら敗北を選ぶ事になってしまった。卑怯な手を使わなければ、という評価は否めなかったが、北斗において全ては結果のみに集約される。たとえどんな事情があろうとも、結果を出せなければ評価を受ける事はあり得ないのである。そういう意味で、二人の評価はまさに底辺にも等しかった。
二人の腕には鋼で作られた重厚な手械がはめられていた。その上、足にもそれぞれ鎖のついた鉛の塊がつけられている。これでは満足に戦う所か単純に歩くことすら困難である。二人の前を歩く中の一人の男は、鉄鞘に収められたレジェイドの剣を無造作に肩に担いでいた。レジェイドが拘束された時、手にしていたものである。当然だが捕虜に武器を与える理由は無く、こうして奪われてしまっていた。
その鞘の先を、男は不意に傍らの石壁に擦り付けてしまう。通常の武器の規格を大きく上回るその剣に慣れていないため、本当に他意はなくぶつけてしまったのだ。
「おいおい、もうちょっと丁寧に扱ってくれねえかな。そこら辺で売ってるものとは訳が違うんだぜ?」
すかさず、レジェイドは男に向かって苦笑いした。その口調は意図しているのかいないのか、若干の嘲りが交じっていた。それに不快感を感じたのだろう、男はすかさずくるりと振り向くと、レジェイドの腹に目掛けて膝を見舞った。
「ぐ……っ」
一瞬、レジェイドの表情が苦痛に歪む。
普段ならばどうという事はない、ただの膝蹴り。ダメージを最小限に抑える呼吸法と衝撃の受け止め方を知っているレジェイドには何の効果もないはずなのだが、今のレジェイドは先の戦いでミシュアと死闘を演じ、その際に肋骨を折られていた。さすがに肋骨を折られている時の受け方までは会得しておらす、与えられた衝撃は直接内蔵を打ち、折れた骨に響く事でその苦しみを何倍にも膨れ上がらせた。
捕虜は黙って歩けって事かよ。
そう、うっかり口から飛び出しかけた言葉を寸出の所で飲み込む。やられっ放しというのも気分が悪いが、好き好んで痛い目を見る趣味も持ち合わせてはいない。しばらくは無駄口を控える事にする。
どこか余裕の窺えるレジェイドを、彼らは特に警戒していた。難なく捕まえはしたものの、レジェイドは流派『夜叉』の頭目に間違いなく自らの実力でのし上がった男である。本来なら、たとえ十人だろうと二十人だろうと束になってかかっても到底適わないほどの強さを持っているのだ。今はおとなしくしているかもしれないが、必ずしも脱走を計らないとは言い切れない。この余裕が単なる開き直りならば良いのだが、もしも何か当てがあっての余裕ならば尚更警戒しなければならない。
一方シャルトの方は、よほど気落ちしているのか終始顔をうつむけて沈黙したままだった。どうぞんざいに扱われても、レジェイドのように口を開いて不満を言い放つ事はなかった。まるで何もかも諦めてしまったかのように、全てを柳の如く受け入れるのである。
正直、レジェイドはそんなシャルトの態度が気に入らなかった。まるで世界が終わったかのような落ち込み方。まだ命があるだけでなく、自分とは違って五体満足のくせに。道はまだ閉ざされたと決まった訳じゃない。それなのに、何故僅かな可能性に賭けないのだ。これではまたあの頃に逆戻りだ。
お前は北斗で逆境から這い上がる術を学んだんじゃなかったのか?
そうシャルトを叱咤してやりたかったが、状況がこれでは致し方ない。なんにせよ、今大事なのはこの状況を如何にして打破するかだ。それが出来なければシャルトの再教育もあったものではない。
やがて二人が連れられたのは、柵が錆付いた古めかしい牢屋だった。
これならば、たとえ剣が無くとも素手でこじ開けられそうだ。頃合いを見計らって脱獄も十分現実的だ。そうレジェイドは密かに思った。
レジェイドとシャルト、それぞれに牢の扉が開かれる。牢の中で脱獄の算段を立てたり、力を合わせて行動する事を防ぐために別々の牢へ入れるのだ。当然の事だが、手枷足枷が外される事は無かった。それどころか二人には、更に親指の自由を奪う指錠までもが架せられてしまう。レジェイドはいざとなったら手首の関節を外して手枷から抜けようと考えていたが、これで不可能になってしまった。指錠は指の関節を外した程度で外れるような簡単な代物ではない。指先が鬱血してしまいそうなほどきつく指を締め付けているため、外すには指錠そのものを破壊するか、もしくはカギを開けなければいけないのである。普通の鎖ならば力ずくで引きちぎれるが、見たところ特殊な法術処理が施されているようで、素手での破壊は困難だろう。
「待て」
二人がそれぞれ牢へ入れられようとしたその時、不意に誰かの声が制止をかけた。
振り向いた先に居たのはリーシェイだった。シャルトの蹴りでずたずたにされてしまった左腕は手当が施されたようで、肘で分かれた二つのギブスによって肩までを覆っている。指も折られているらしく、五本とも包帯が巻かれていた。
「走狗が何か用事か? それともおとなしく解放してくれるってか?」
レジェイドが皮肉たっぷりにそう吐き捨てる。けれどリーシェイはさして気に留める様子もなく、淡々とした表情を崩さない。
「これを飲め。ファルティアさんからの指示だ」
そう言って突きつけてきたのは、見るからに不穏な雰囲気の漂う二つの白い錠剤だった。
「栄養剤って訳ではなさそうだな」
「神経毒だ。じわじわともがき苦しみながら死ねる」
やれやれ、まいったな……。
思わずレジェイドは溜め息をつきそうになった。どうやら自分達はよほど厄介に思われているようだ。敵に嫌われるのはそれだけ脅威に思っているという訳だから実に誇らしいのだが、それもあまり度が過ぎるのも少々困り者だ。
もしも俺が逆の立場だったら、自分のような危険人物は絶対に生かしておきはしない。最も確実な手段で確実に殺す。そして連中が選んだ手段は、どうやら毒だったようだ。確かに毒は一度飲ませてしまえば、解毒剤で中和しない限り確実に死を迎える。気合でどうこうなるものではないのだ。毒とは、言わば内側から体を突き破る刃のようなものである。外側からの刃なら幾らでも対処の方法があるが、内側からは基本的に無防備だ。
しかし、何故神経毒などとこんな回りくどい方法を取るのか。
何にせよ、逆らえばこの場で即刻殺されるのは目に見えている。ここは自分の毒の耐性を信じるしかないか。
レジェイドはその二つの錠剤を手に取った。そして口の中に放り込もうとする。だが、突然リーシェイが右手を伸ばして飲もうとしたレジェイドの手を止めた。
「一つずつだ。もう一つは、シャルト、お前の分だ」
鷹の様に鋭い視線。その目は冗談を言っているそれでは無い。
「待てよ。殺したいのは俺だけだろ? なんでシャルトまで関わらせるんだよ」
「ファルティアさんは特にシャルトを殺したがっている。お前以上にな」
俺よりもシャルトを殺したがっている?
レジェイドはさすがに驚きを隠せなかった。
確かにシャルトの実力は並の北斗など歯牙にもかけないほどだ。現にリーシェイはシャルトと戦って左腕がこのざまだ。まともに戦えばリーシェイほどの実力者でもシャルトには敵わない。だが、所詮シャルトは夜叉の隊員の一人にしか過ぎない。頭目である自分と比較すれば、その存在の重要度はゼロにも等しいぐらいだ。
ファルティアが自分よりもシャルトに拘る理由が分からなかった。シャルトなど、殺した所で一体何の得になるのか。生かすデメリットもあって無いようなものだ。
それに、ファルティアはシャルトとリュネスの関係を知っているはずだ。あの深い問題までは知らないかもしれないだろうが、何にせよ、シャルトを殺す事が何を意味するのか分からない訳がない。やる事は自分勝手で無茶苦茶でも、人の気持ちを踏みにじるような真似は絶対にやらない人間だ。どうしてファルティアがリーシェイにそんな命令をするのか、まるで理由が分からない。まさか、これもまた操られているせいなのか。
「何故だ? その理由は? どうしてこいつが頭目より優先されんだよ」
「シャルトはリュネスに手をつけた」
「それだけか?」
「それだけだ」
答えるリーシェイの表情は微動だにしなかった。その感情を徹底的に凍りつかせたような表情が、レジェイドはとても同じ人間とは思えず不気味でならなかった。けれど、不気味さをあっという間に踏襲してしまうほど激しいものが急激に沸き上がって来た。今まで無意識の内に抑圧され続けてきた、激情だ。
「てめえっ!」
気がつくとレジェイドは噛み付かんばかりの勢いで立ち向かって行った。しかしリーシェイは、あらかじめそうなる事が分かっていたかのようにあっさりと掌打をレジェイドの口元に見舞い吹き飛ばしてしまう。
レジェイドは背中から汚れた石畳の上に叩きつけられた。すかさず残りの北斗達がレジェイドを取り囲み戦闘態勢を取る。だがリーシェイは黙ったまま右手で彼らを制止し下がらせる。
ハッと自ら口を閉ざしリーシェイを見上げるレジェイド。すると、
「すまない。理解してくれ」
そう呟き、リーシェイは目を伏せた。
そこには実に人間らしい表情があった。
TO BE CONTINUED...