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あなたは私の障害。
立ち塞がる壁。
横たわり広がる大河。
侵入を拒む密林。
乗り越える事ばかり、私は考えていた。
でも、本当は。
あなたはきっと、果てしなく広がる青空。
「随分と余裕ね」
悠然とした表情で構えるスファイルに対し、異様に殺気立った碧眼で術式に移るルテラ。俄かにルテラの周囲には白い無数の粒子がふつふつと浮かび始めた。ルテラの得意とする術式は、主に雪乱の伝統的な術式である雪に関係するものだ。実在し得ない特質を持つ雪の結晶を模したもの、もしくは雪そのもので何らかの偶像を作り出す事に長けている。
白い雪の粒子は少しずつ幾何学的な形をした結晶を作り出した。その大きさは肉眼でもはっきりと分かり、丁度手のひら大ほどの大きさを持っている。それらがルテラの周囲に無数にふわふわと重量が存在していないかのように浮かんでいる。
ルテラはこれらを自在に操るほどの技量を持っていた。並大抵の人間ならば、たった一つを操るだけでも最低半年以上を要するのだが、それをルテラは二ヶ月ほどでこれだけの数を操れるまでになった。それはルテラに天性の素質があったからなのかまでは分からないが、雪魔女という異称を広めるには決定的となった要因の一つと言える。
これだけの術式を一斉に行使すれば、大概の人間は一瞬で切り刻んでしまう事がルテラには可能だった。それ故に、この周囲に浮遊させた待機状態でも十分な威嚇効果があり、これまでほとんど単独で戦闘を繰り広げていたルテラの負傷頻度が極端に低かったのはそのためである。
視線を配られただけで恐怖に怯えてしまう雪魔女の姿。
しかし、その視線を集中的に浴びているスファイルには一向に怯える様子もなく、ただ悠然と構えるばかりだった。
「そう見えますか?」
既に臨戦体勢であるルテラに対し、ただ直立したままのスファイル。だがその返答は、そんな実にちぐはぐな自信に満ちたものだった。
「僕は戦う事が嫌なんです。だから、もう戦う必要がないようにするため北斗に入りました。けれど、幾ら戦えども一向に戦いはなくならない。それどころか、今こうして本来は味方同士であるはずの僕達が争っています。おかしな事とは思いませんか?」
「戦わなくてもいいように? 理想論ね」
今にも溜息が聞こえてきそうな口調のスファイル。しかしルテラは突き放すような鋭さでそれを撥ね付ける。
「でも、理想は極論じゃない」
ふとスファイルはゆったりと顔を上げ、悠然とルテラに微笑む。
「これでも、割と小心者なんです」
と。
不意にルテラの顔を冷たい風が吹き付けてきた。周囲には空気そのものを凍りつかせそうなほどの冷気を放出しているにも関わらず、それよりも更に冷たい風が吹き付けられてきたのだ。ルテラの眉がぴくりと動く。
「だから手加減はしません」
突如、周囲にけたたましいガラスの破片を掻き集めたかのような音が断続的に鳴り出す。その音はルテラに正体を確認させる間も与えず、滑るような迅速さで二人の周囲をぐるりと大きく取り囲む。
ハッと息を飲むルテラ。そして目にしたのは、まるでこの場を海であるかのように走る二つの氷の波だった。波は氷の澪を残しながら同時に反対回りに走ると、やがてルテラの背後方向で衝突し細かく砕け散る。
二人をぐるりと大きく取り囲む氷の轍。それはまるで、ルテラをこの場一帯に閉じ込めておこうとしているかのように思われた。だが行動を制限されるのはスファイルも同じである。そう思えないのは、この術式を行使したのはスファイル本人であるからだ。
「ここが、僕にとっても正念場ですから」
瞬間。
青年の表情からあの悠然とした笑みが消えると同時に、氷の轍は一斉に爆発的な勢いで膨張し空へ向かって伸び始めた。ルテラが見上げた空が、見る間に薄青い氷の天幕に覆われていく。その氷はまるで空を飲み干そうとせんばかりの勢いだ。
あっという間に出来上がる、半球状の氷のドーム。壁の密度はかなり高いらしく、吹き付ける風も外部からの物音も聞こえなくなった。氷が空気自体を遮断してしまっているようである。
本当に閉じ込められた。
そうルテラは緊張感に包まれる。逃げられないのは向こうも同じだと思う事が出来ない。むしろ今の自分は相手の土俵に引きずり込まれてしまった格好の的だ。
これが凍姫頭目の力なのか……。
自身が雪魔女となっているにもかかわらず、見せ付けられた術式の高度さに思わず戦慄を覚えてしまう。
そして笑みの消えたスファイルはゆっくりと身構え、右手を軽やかに宙を躍らせる。するとまるでそれに釣られたかのように、無数の青い粒子がどこからともなく集まり始める。
「もう、逃げません」
強い言葉ではっきりと宣言したスファイルの右手に体現化されたものは、フィクションを連ねた書物の挿絵に描かれる死神の持つそれのような、あまりに巨大な大鎌だった。
TO BE CONTINUED...