BACK

 許せないのは自分の境遇ではなく。
 あまりに無責任な大人達でもなく。
 そんなやつら相手に何も出来なかった、私自身だ。
 どうして駄目だった?
 私じゃ駄目なのか?
 こうなるのは、生まれた時からの必然なの?
 だったら、生きる意義なんて何も見出せないじゃない。

 くそっ……!
 何も出来ずに死ぬなんて、嫌だ。




 まずい!
 その声に私は思わず血相を変えて背後を振り返った。だがしかし、そこには仲間の姿なんて見当たらず、未ださっきまでのように暗がりに隠れたままのようだ。
 ……しまった。
 そして、ようやく私は自分が騙された事に気がついた。今のは私が本当に一人なのかどうかを確かめるためのものであり、実際は誰の姿も見えていなかったのだ。この騙りによる十分な成果を、私は示してしまった。向こうは私が仲間を近くに隠れさせているなんて知らない。けれど試しに言ってみた言葉に、これだけの反応を私はしてしまった。一つの可能性が憶測から確信へ移るのに十分だ。
「おい」
 私の反応を見るなり、騎士の一人がにやりと顔を綻ばせると、視線を軽く私の背後へ向ける。それを合図に、騎士の二人が同じように顔をにやつかせると暴れる馬をなだめて乗り込み、視線の方向へ向かっていった。
「みんな、逃げろっ!」
 私は咄嗟に振り返ってそう叫んだ。しかし、その声は聞こえているのかどうか、暗がりからは何の動きも見られない。
 くそっ!
 今から追いかけた所で馬の脚に勝てるはずないが、私は走り出さずにはいられなかった。みんなの危機を目の前にしてじっとしていられるほど悠長な性格ではないのである。
 みんなが殺される。
 生まれてすぐ親に捨てられ、この貧民街で苦楽を共にしながら暮らしてきた仲間達。それが私のあまりにつまらないミスで殺されてしまう。こんな事があってたまるものか。絶対にこれだけは回避しなければ。
「こら、待て!」
 必死になって前方で馬を駆る騎士達へ叫ぶ私。けれど間隔は見る見るうちに開いていき、暗がりの方へ消えていく。
「やめろ!」
 失ってたまるものか。
 だが、その強い意志とは裏腹に、私とやつらとの間隔は見る間に広がっていく。遂に私はたまりかねて手にした鉄棒を投げつけた。けれどそんな闇雲な攻撃が遥か前方へ消えてしまった彼らに当たるはずも無く、鉄棒はそのまま闇の中に飲み込まれていった。ワンテンポ遅れ、地面に転がる音が聞こえる。私自身の、圧倒的な無力さを表しているかのように。
「そら、こっちを忘れてんじゃねえぞ!」
 と。
 不意に私の背後からぞくりとする寒気が走った。時折感ずる事がある、物理的に向けられた殺気だ。
「くっ!」
 咄嗟に私は左に飛んで地面を転がる。その直後、私が先ほどまでいた空間を鋭い剣閃が縦に薙ぐ。続けて振り下ろされた体勢から、避けた私を追って剣が横に走る。体勢を持ち直してはいなかったものの、私は何とか更に体を転がせて切っ先をかわした。
「可哀想にな。お前らがあんなマネをしなけりゃ良かったのに」
「あんなマネ?」
 男の嘲笑に、私は反射的に真っ向から問い返した。男は振り抜いた剣をゆっくり引きながら鼻を鳴らす。
「お前らのようなクズが触れちゃならないものなんだよ、アレは。この国はあれを売りさばく事でどうにか年間の予算を作り出しているんだ。とは言っても、お前には理解できないだろうがな」
 そして男はゆっくり余裕に満ちた仕草で剣を構える。多少油断していても、私なんて余裕で倒せる。そんな腹積もりがひしひしと伝わってくる。そうやって上から見下されるのは一番嫌いなのだが、これは客観的に見ても当然の構図だ。
 くそっ……!
 私が負けるのが当然であると、そんな空気だ。私はずっとそれを払拭するために戦ってきた。どんなに蔑まれようとも、見下されるのだけは、一方的に踏みつけられるのだけは許せない。こっちを侮る奴は優先的にぶちのめしてやった。けれど、今度ばかりは駄目なのかもしれない。苦いほどの悔しさを噛み締めながら、私は現実を認めざるを得なくなった。
 認めてたまるか。
 ここで屈したら、自分勝手な大人達を必要とせず自分達の力だけで生きていた、私達の誇りそのものが失われてしまう。あんな連中に負けるぐらいなら、死んだ方がマシだ。いや、死ぬ事自体が敗北なんだけど、とにかく死ぬ苦しみよりも負ける苦しみの方が私にとっては遥かに上だ。
 私は、絶対に認めない。
 今、目の前でへらへらしているコイツをぶちのめし、それから大急ぎで戻ってみんなを助ける。たったそれだけの事じゃないか。普段やってる食い扶持稼ぎよりずっと楽だ。
「おおおおっ!」
 私は唸り声を上げて自らを奮い立たせると、猛然と目の前の騎士に向かって突進した。そのまま本能が赴くままに右腕を振り上げ、全身全霊の力を持って繰り出す。これまで幾度の修羅場もこの腕で切り抜けてきた。いざという時、頼りになるのは己自身の力だ。守ってくれる大人の居なかった私達の、当然の常識だ。
 舐められたままでたまるか。
 ただその強い意志だけを私は右腕に込める。
 だが、
「馬鹿め」
 そう男は一笑に付した瞬間、構えていた剣を閃かせた。
 バツンッ、と何か張り詰めていた束になっていたものが一気に断ち切られるような、そんな鈍い音が聞こえた。いや聞こえたと言うよりも、伝わってきた、と表現した方が正しい。
 ……え?
 私は目の前で起こった光景が俄かに受け入れられなかった。
 力の限り繰り出した私の右腕は、軽く半身をそらした最小限の回避動作の前にあえなく空を切った。だがそれだけでなく、男は続けて上段に構えた剣を真っ直ぐ振り下ろした。その先には、空を切り伸びきった私の右腕。
 たった一瞬の出来事。その時、私の右腕から一切の感覚が失われた。
「う、うわああああっ!?」
 滴り落ちる自分の血を前に、思い出したように現実を把握した私は、その衝撃に耐えかねて頭の中が真っ白になった。その耐え難い苦痛から逃れるべくした事は、ただ叫ぶ事だった。
 私の腕が無い。
 今までずっと頼りにしてきた私の右腕が、肘より上から綺麗に無くなっている。そしてその断面からは、今何が起こったのかを雄弁に説明するように、とめどなく赤黒い血液が流れ落ちていく。
「ふん、すぐには殺さない。お前のおかげで散々な目に遭わせられたんだからな。その分の苦しみは味わってもらおうか」
 ぶん、と剣を振って剣身についた私の血糊を払い、またもあの憎たらしいほど人を見下した笑みをこぼす。
 その時、私は急にどうしようもないほどの恐怖に駆られた。
 今までこんな事は一度も無かった。恐怖はいつも相手が感じるもので、この私には無縁だと思っていた。それは私の方が強いから。子供を守るべき大人がいなくたって私の方がずっと強い。そう思っていたから、こんな恐怖なんて一度も感じた事がなかったのだ。
 それなのに。
 私の自信は音を立てて崩れていく。
 負けてたまるか。
 それでも、私は無理に恐怖を押し殺し、ただ目前の敵を倒す事だけに思考を絞った。
 腕の一本が何だ。私はまだ死んでない。生きているという事は、まだ決着はついていないという事だ。ここで諦めたりしたら、最後の可能性を自ら放棄する事になる。戦い続け、そして絶対に勝ってやる。私は負けた事がないのだ。
 恐怖を殺し、闘志を燃やす。けれど、右腕の痛みはひしひしと強くなって私の心に暗い影を差す。このまま血が流れ続けたら、死んでしまうんじゃないだろうか? でも、今はそんな危惧はどうでもいい事だ。一番重要なのは、目の前のコイツを倒す事。
「ほう、意外と根性あるな。まだやる気か」
 腕を切られて逃げ出すと思ったのだろう、まだ向かって来ようとする私に男は愉快そうな表情を浮かべる。
 ふざんけんな、こっちはそんな腰抜けじゃないんだ。
 だが私はそれだけの意気をぶつける気迫を作り出す事が出来ない。どれだけ気を張っても、普段とは違って自分の余裕が明らかに乏しいせいだ。体も意思も思い通りにならない事が悔しくてたまらない。
 と。
「お、片付いたか」
 その時、男の視線が私の背後に向けられる。気配に私はハッと振り向いた。
「あんまり気分のいいもんじゃないがな」
「お前もさっさと諦めるんだな。こうなっちまうのは、もはや必然なんだよ」
 振り向いた先に立っていたのは、先ほど向かって行ったあの二人の騎士だった。そして、片方が手にした何かを私の元へ投げ捨てる。
 丁度、両手で持ち上げられるぐらいの丸いもの。
 それは―――!



TO BE CONTINUED...