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僕は人よりも運が少しだけ悪い。
何時の頃からだろう、僕は自分自身にそう言い聞かせるようになっていた。
少しだけ。
それが最後の境界線であって、この先も決して譲歩する事の無いデッドライン。
決定的に運が悪いとは自分でも思いたくはなかった。もしもそうしたら、すぐに僕はくじけてしまって生きるのが嫌になるからだ。
それでも運が悪いとしか思えないような困った事はいつも身の回りで起こって。だから気のせいだと誤魔化せなくて、少し悪いから、と自分に言い聞かせているのだ。
そして、再びそんな出来事が今日も起こった。本当はまだどちらとも決めかねているのだけれど、おそらくはあまり幸運とは縁深い事ではないと思う。
今日は土曜日だった。
レジェイドは昼少し前に北斗の本部へと出かけていった。北斗には流派が十二あって、レジェイドはその一人である頭目という仕事をしている。その頭目は週に一度本部に集まり、大事な会議をするそうだ。それで出かけていったのである。
僕は朝食を食べた後、今日もレジェイドに言われた通りのトレーニングメニューをこなした。
まずは走り込み。レジェイドは僕が方向音痴である事を知っているため、複雑なランニングコースを作るのではなく、ただひたすら宿舎の前にある東西に伸びた大通りを端から端まで走るという、実に単調なコースを指示した。少し悔しいけれど方向音痴なのは事実だし、仕方の無い事だ。とにかく体力をつけるためと、僕は割り切って勤しんでいる。
その次に行なったのは筋力トレーニングだ。通常なら重い物を振り回すとかそんな事をするそうだけど、僕の体は筋肉が無意識の内に全力を出してしまうため、そういったトレーニングは逆に体に悪い。だから僕に課せられたトレーニングは、じりじりと体を動かすゆっくりした運動だ。壁に伸縮性の高いゴムチューブをつけ、僕は手足にそれをくくりつけて規則的に体を動かす。意外とチューブは元に戻ろうとする力が強くて、しっかりバランスを取っていないとすぐに重心を取られて転倒してしまう。初めの頃はよく転んでいたけれど、今ではもうかなり慣れた。ただ、傍目から見たそれは御世辞にも格好良いものではないのが気になるけれど。
それが終わると丁度正午になった。僕は片付けて部屋に戻ろうとしたその時、ルテラがやってきた。たまたま少し時間が空いたので昼食を一緒に食べに行こうというのだ。僕はすぐに部屋に戻ってシャワーを浴び着替えると、早速ルテラと出かけた。
ルテラと会うのは久しぶりだったからだろうか、何となく並んで歩くのは気恥ずかしかった。それで自然と足取りがルテラのやや後ろへ下がるのだが、ルテラはにっこりと微笑みながら迷子にならぬようにと手を繋いできた。余計僕は恥ずかったが、それ以上に子供扱いされてるのが嫌だった。レジェイドはいつも僕を『子供だ』と馬鹿にするけど、ルテラは一度もそんな事を口には出さなかった。しかしその代わり、こんな露骨な態度で示してくる。二人にとって自分は子供以外の何者でもない事は分かるけれど、もう少し譲歩を、というのがなかなか口に出来ない僕の本音だ。
「今日はね、久しぶりに友達と会って一緒にお昼食べるの。シャルトちゃんも挨拶してね」
何の前触れもなく、ルテラがとんでもない事を口にした。
挨拶ぐらいは多分出来る。いや、そんな事じゃなくて、その友達ってなんだ?
昼食は良いとして、ルテラの友達も一緒だなんて。僕は急に背中がじっとりと汗ばむような緊張感に包まれた。僕は面識のない人と会話するのがとても嫌なのだ。昼食や夕食も出来る限りレジェイドについていって一緒に注文してもらうし、一人の時は極力喋らなくても住むように何か買って食べている。僕は喋るのも下手だし、知らない人と話す時はとても緊張して声が上擦ってしまうのだ。それが悟られたくなくて、僕は出来る限り知らない人と話さなくても済むようにしているのだ。
その友達は何人なのだろうか?
ルテラに連れられながら不安感に背筋を凍えさせる。一人ないし二人ぐらいならなんとか落ち着いていられるかもしれないけど、それ以上いたとしたら。考えただけでも動揺してきそうだ。挨拶ぐらい出来る、とは思っていたけれど、もしかすると出来ないでずっと黙り込んでしまうかもしれない。そう、僕は小さく溜息をついた。
僕はきっと度胸がないんだと思う。度胸さえあれば、知らない人が相手でももっと普通に話せる訳だし。話し慣れているレジェイドやルテラを相手にしても言葉に困って話詰まる事は無いのだから。
「あ、来た」
そして。
「お待たせ。待った?」
ルテラに連れられたその先には。北斗の中心に立つ、気が遠くなるほど大きな時計台。石畳の上に時計台が描いた大きな影のそこに、ルテラと同じぐらいの歳の女性が三人、立っていた。辛うじて黙り込まずにいられる限界数だろうか、と思った。
既に気後れしている。
そんなんじゃ駄目だ、と自分に言い聞かせるけれど、自然と自分の立ち位置をルテラの背中の影にずらし、黙り込んだままじっと頭をうつむける。
「久しぶり。もしかして最近暇だったりすんの?」
まずルテラに話し掛けてきたその人を、僕は一瞬視線だけを向けて覗き込むように見る。その人は褐色の肌に深紫の髪をしていた。そして挨拶代わりなのか、ルテラと軽くこぶしをぶつけ合わせる。変な挨拶だ、と思った。
「多少はね。まあ、私達がずっと暇なのが理想的なんだけど、またその内無粋なのに追われる日々が来るでしょう」
その人の右には、エメラルドグリーンの長い髪をした人が腕組みをしながら立っている。なんだか酷く不機嫌そうで、空気がとてもピリピリしている。何か嫌だな、と思った。
「なにぶすっとしてるの? ファルティア」
ルテラはその人をファルティアと呼び、苦笑いしながら話し掛けた。その人がそういう態度でいる事に慣れているようだ。
すると、
「分かってて言ってるんだろ? 知ってるクセにさ。もう少し気ィ使えっての」
ファルティアと呼ばれたその人は、唇を尖らせて釣り目がちな目元を更に険立たせ、じろっとルテラを見据える。それは怒っていると言うよりもどこか拗ねているように見えた。
「エスの事? だから、エスは暇じゃないって言ってるでしょ。私だって週に一回会えるか会えないかなんだし。連絡なんかしたくても出来ないわよ」
「そこを何とかしなさいよ」
「あら、駄目よ? 人に頼ってばかりじゃ」
くすくすと笑うルテラに、そのファルティアと呼ばれた人は露骨に眉を潜めて舌打ちをする。
何か話の見えてこない会話を二人は交わしている。一体何の事を言ってるのか分からないけど、なんとなくファルティアが無茶苦茶な要求をしている事は分かった。そういう人なんだな、と思った。
と。
「いつまで待たせるつもりだ。約束の時間を、もう五分は超過しているぞ」
未だ不満を露にしたままのファルティアを押し退けるように、二人の間に一回り大きな影が割り込んで来る。その口調はどこか威圧的というか何となく珍しい特徴のあるものだった。
そういえば、この口調には聞き覚えがある。
「いつもより早いじゃない。どうかしたの、リーシェイ? いつもより何か張り切っていない?」
ルテラの背中の死角で考えていた僕だが、それよりも早くルテラが答えを提示した。
……リーシェイ?
その言葉に、僕はそっとルテラの背からうつむけていた頭を覗かせる。
が、その刹那。
「うわっ?」
突然僕の腕が掴まれ、そのまま凄い力で引き寄せられた。予期せぬそれに僕は思わずバランスを崩し、前につんのめる。そして落ち着いた先は、なんだか柔らかい所だった。
な、なんだ?
僕は慌ててもがき、何かに押さえつけられて視界を遮られてしまった頭を上に出す。するとそこには案の定、僕の見知った顔が。
「ふふふ。久しいな」
唇の端を舌で舐め怪しげな表情を浮かべる、リーシェイ。僕はその腕の中に捕まえられていた。思わず数日前の事を思い出してしまい、咄嗟にどんな顔をすればいいのか分からなくて変に強張った表情をしてしまう。とにかくここから離れようと、僕は体をくねらせながら暴れる。
「ちょっと! シャルトちゃんに変な事しないで!」
その直後、ルテラが珍しく語気を荒げると僕の後ろ襟を掴み、そのまま強引に引っ張った。僕の体はリーシェイの束縛から離れ、足が一瞬地面を離れて飛んだ。急激な力がかかったため喉が思い切り締まり、かっ、と声にならない悲鳴を上げる。次に地面に足がついた時、僕は猛烈な勢いでむせた。
「何を言う。私は先日、列記とした約束をシャルトと交わしたのだ。続きはまた後日に、と」
リーシェイは僕を庇うように立ったルテラに、そう自信たっぷりに言い放った。でもそれはとんでもない嘘だ。あの時、僕はリーシェイとは何も話とか約束なんかしていない。ただリーシェイが一方的にしていっただけなのだから。
本当、とルテラが怪訝な表情で僕を振り向き問う。そんな事は無い、と僕は力の限り首を左右に振って否定した。ルテラは僕が予想通りの反応をしたらしく、やれやれと苦笑いを浮かべながら溜息をつく。
「まったく、油断も隙もないんだから。いい、シャルトちゃん。この人は危ないから、一人で迂闊に近づいちゃ駄目よ」
ルテラがまるで母親が子供に大切な事を教えるかのような口調で僕にそう言う。僕は素直にうなづいた。それは僕とルテラの意見が全く同じだったからだ。悪い人ではないけれど、世間一般にある常識というものが通用しなさそうな人でもある。それを判断するには先日の件だけで十分だ。
「リーシェイにしたら、もう最高の獲物よね。こういうのが好きなんだから」
くくく、と奥歯を噛んだまま、僕を見て愉快そうに笑う深紫の髪の人。けれど、その人はまだ冗談めかせた軽い口調だからいい。
「脳まで腐ってるヤツには何言っても無駄無駄」
と。
その時、傍のファルティアという人が、そう露骨な嘲笑をリーシェイにぶつけた。とても冗談だと取れるような口調ではない。明らかに敵意というか悪意のようなものを感じる。
すると、
「腐るものが無い人間に言われるとは心外だな」
リーシェイはそんなファルティアを鼻で笑った。
途端に周囲の空気が冷たく凍りついた。互いにじろりと睨み合い、体を付き合わせるほどの距離まで歩み寄って鋭い視線を相手にぶつける。少なくとも相手より先には後退はしない。そんな雰囲気だ。
二人とも、今にも殴り合いを始めてしまいそうな勢いだった。辛うじて実行動に出ないのは、それが二人の最後の理性なのか。それとも、まだ実行動に移していないだけなのか。とりあえず、僕は再びルテラの後ろに避難した。このままでは巻き添えを被りかねないからだ。
「もう……まだシャルトちゃんの紹介もしてないのに」
そうルテラが溜息をつく。
僕もまた、同じように溜息をついた。
疲れる人達だ。
TO BE CONTINUED...