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自分の技はたとえどれだけファルティアを驚愕させようとも、結局はファルティアのよく知るものを模倣しているだけにしか過ぎないため、心を折る事も戦局を優位に塗り替える事も難しいことにリュネスは気づいていた。
意気軒昂、体力も十分、少なくとも気持ちだけは負けていない自負がある。
あと、勝つために必要なのは変化だ。
模倣だけでファルティアに勝つ事は不可能である。対等に渡り合うだけでは駄目なのだ。相手を圧倒し、戦意を全て奪い去らなければならない。
「諦めなさい。私には絶対勝てない」
勝てる。
否、勝たなくてはならないのだ。
「諦めません。私は絶対に諦めません」
ファルティアに言い放つというよりも、むしろ自分に対しての戒めのように叫ぶリュネス。そのあまりに純粋で真っ直ぐな視線は、一回りも小柄なはずのリュネスを自分よりも大きくファルティアに見せた。しかし、その程度で怯むファルティアではない。自分よりも大きい相手には、むしろより一層闘争心を燃やす性格である。その上、ファルティアには絶対に負ける事の出来ない理由もある。
脳裏に描くイメージは、無数の氷の槍が自分の全身から飛び出す様。しかし、ファルティアはリュネスが何かイメージを描いている事を表情で悟ると、体現化するよりも僅かに先に地面を蹴って間合いを離した。リュネスの全身から飛び出した氷の槍はあえなく空を切るものの、更にリュネスはイメージを描き与える。
氷の槍は飛び出した勢いのままリュネスの体から離れると、徐に振り翳した手のひらの元へまるで自らの意思を持っているかのように集まり始める。
再び、脳裏にイメージが描き出される。しかし、そのイメージは通常行われるゼロから描き出すものとは違い、過去の記憶から断片的な映像を呼び出して繋ぎ合わせ、更に自分と置き換える事で作り出された。
視線を目標に定め、呼吸は止めず。全身は出来る限りしなやかに保ちつつ、決して無理の無い姿勢を維持。関節部は特に柔らかく保つのが重要。しかし、この場合の柔らかさとは決して脱力と同義ではない。
そんな射撃時の鉄則を思い浮かべるものの、イメージはそれらを遥かに分かりやすく効率的な形で浸透し、凌駕していった。
まるでイメージの中の自分と現実の自分とが溶け合うような錯覚に陥った。これまでイメージとは、自分が思う自分の理想像を思い描く事で自分を慰めるためのものでしかなかった。しかし、今のリュネスにとってのイメージはまるで性質が異なっていた。今のリュネスが描いているイメージは、次のプロセスに移るに当たっての下準備でしかない。
自分が思い描いたイメージをそのままなぞるように、自らの体をイメージと重ねるリュネス。
小さな弧を描いて前方に投げ出された右手が、集められた幾つもの氷の槍をファルティアに向かって撃ち出した。
「くっ!」
リュネスの撃ち出した氷の槍に対し、ファルティアは明らかな苦い色を浮かべた。それはリュネスの実力がその瞬間だけでもファルティアの予想を大きく上回ったためである。
ファルティアは右腕の手首を握り締め、脳裏に描いた破壊のイメージを体現化して載せる。するとファルティアの鈍青色の右腕はどくんと大きく波打つと、更に一回り自身を膨張させた。そしてそのままぎゅっと小さくすくめさせると、向かってくる氷の槍を真っ向から睨みつけ右腕を引き絞る。無数の氷の槍との距離をしっかり見据えると、自らのリーチを考慮した可能な限りの接近を許し引き付ける。
「おあああああっ!」
砲声一閃。
咆哮を上げると同時に、ファルティアは右の豪腕を向かってくる氷の槍達に真っ直ぐに突き放った。軌道が重なり衝突した氷の槍は繰り出された拳によって次々に砕かれていく。しかし広範囲に放たれた氷の槍達は、ファルティアの右腕だけで全て破壊する事は不可能だった。人並以上に膨れ上がった巨大な拳は一度に幾つもの氷の槍を叩き落すものの、それでも半分近くの氷の槍はファルティアの拳に触れることは無かった。面の攻撃に対し点で対抗した当然の結果である。
ファルティアは体を半身に構えて拳を放ったため、正面に晒す体の面積が狭く直撃を受ける事は無かった。だが、まるで嵐のような槍達に晒されている事に変わりはない。にも関わらず、ファルティアは一歩たりとも怯む様子を見せなかった。氷の槍は容赦なくファルティアの肩や頬を切り刻む。けれど、致命傷は受けないと分かっているかのように、繰り出した拳を迷い無く完全に振り切った。
同時に、ファルティアの拳が同じ大きさの仄青い光弾を放った。光弾は真っ直ぐ拳の延長線を流星のように尾を引きながら辿っていく。その先には槍を撃ったばかりの無防備な姿を晒すリュネスがあった。
直撃だけは避けなければならない。
振り抜いた右腕は下を向き、それに引っ張られるように姿勢は前屈みになっている。実質、体術での回避は不可能。ならば、ダメージを最小限に食い止める防御をしなければならない。
リュネスは脳裏にイメージを描いて体現化する。
即座に展開される前方に向けられた多面体の障壁は、直ちに光弾に反応して硬質化する。
光弾が障壁と正面からぶつかり合う。可能な限り密度を高めたはずの障壁を展開しているはずなのだが、障壁から骨格を揺さ振るほどの衝撃が伝わってくる。苦痛に表情を歪めるリュネス。なんとか光弾の衝撃に踏ん張ろうと膝を強く張るものの、ずるずると後ろへと引き摺られる。弾き飛ばす激しさを持った荒々しさよりも、一点に集中し貫こうとする鋭い術式だった。障壁の向きを変えて術式の進行方向を逸らそうにも、少しでも気を抜けばあっという間に障壁を貫かれてしまうため不可能だった。丁度、鋭い刃物先をぴったりと額に当てられた状態に似ていた。この拮抗した微妙なバランスは僅かな動作でも崩れてしまうのである。
一点に込められた圧力を弾き返すには、その圧力を凌駕する硬度が必要となる。しかし、呼吸を一つつく暇も無い今の状況でそれだけの障壁を体現化する事は非常に困難である。
「フンッ!」
そして、氷の槍を全て切り抜けたファルティアは、右腕を大きく振り上げて引き絞ると、そのまま真っ直ぐ地面を打ち付けた。ずしん、と地面が揺れると同時に、ファルティアを中心に鋭く尖った幾つもの氷山が扇状に広がった。氷山の先は一斉にリュネスの方向へ向きを定めると、まるで獲物に襲い掛かる蛇のように次々と自らを伸長して喰らいついた。
これ以上は押さえ切れない……!
まだ、ファルティアが最初に打ち出した光弾を捌き切っていないリュネスは、自分の障壁の能力を鑑みても第二波を受け切れる自信は無かった。だが幸いにも、二波目は数は多いもののその分威力は分散されている。この術式のみならば、自分の障壁でも十分受けきる事が可能である。
ならば、まずはこの術式を何とかしなければ。
押す事は不可能だ。ならば昔からの定説に則り、引いてみるしかない。
リュネスは術式と障壁との境界をじっと見据える。光弾の先端が微かにめり込み障壁を拉げさせている。もう幾分も持たないだろう。しかし、普通に考えて全く無防備な状態でこの術式を撃たれていたならば、到底目が追いつかずに障壁を展開する間も無くまともに受けてしまっていただろう。けれど、今は自分の障壁でクッションを一つ置く事が出来ている。お世辞にも鋭いとは言えない自分の反射神経でも、軌道を読む事は実に容易だ。
再び、リュネスは自らの脳裏にイメージを描く。それは新たな術式だけではなく、術式自体を自分の行動の一つとした一連の動作、イメージの連続体である。術式をイメージする様をイメージする、という本来ならば経験を多く積んだ熟練者にしか不可能なものだ。
イメージを鮮明化し、腹を括る。
そして小さく息を吐くのと同時に展開した障壁を破棄し、体を右側へ打ち出した。
「なっ!?」
ばりんと砕ける障壁は、ファルティアの目には唐突な崩壊に見えて血相を変えさせた。放った術式はリュネスの実力ではギリギリ防ぐ事が出来るほどの威力に調節したものだったからである。リュネスの実力は予想外に高く、術式の威力もそれに伴ったものだった。それは優に人一人を致命傷に至らしめられるものである。
まさか受け止めきれないなんて。
しかし、すぐにファルティアは自分の思考を修正した。今の自分の目的は、噛み付いてくるリュネスを黙らせる事。たとえ作戦通りに事が運ばなくとも、目的は達成されたのだ。あの術式をまともに受けて尚も立っていられる筈が無いからだ。
だが。
障壁が砕け白い噴煙が上がったその場所から、一つの小さな人影が颯爽と飛び出してきた。リュネスである。先程障壁を破棄したのと同時に、水平にファルティアの術式を回避した。そのためファルティアの予想したダメージを負わなかったのである。
まさか!
驚きに目を見開くファルティアにリュネスは、まるで無傷なように映った。たとえ無傷ではなくとも、ほぼ完全に近い状態で動作出来る以上、軽微な負傷を問う意味は無い。重要なのはリュネスが今の術式を受けてもまるでダメージを負っていない事実だ。
リュネスは再び多面体の障壁を展開しながらファルティアに向かって突進する。すかさずそこにファルティアの放った第二波が襲い掛かるものの、先程に比べて遥かに威力の劣るため障壁によって次々と弾き返され砕け散っていった。
「そっちから来てくれるなら好都合ね」
ファルティアは深く息を吐いて右腕をだらりと下へ垂らす。表情は一変して水を打ったように静まり返り、空ろとさえ呼称出来る穏やかな目でそっと右手首を左手で掴んだ。
「『我が右腕に宿りし破壊の女神よ』」
ファルティアが言葉を紡いだ瞬間、ファルティアの右腕が眩しく輝き始めた。青い閃光に包まれた右腕は、今度は膨張させるのではなく、逆に小さく収縮を始めた。しかしそれは単に削り落としていくのではなく、膨張していた力を一気に内側へ凝縮するものであった。それによって力の伝達効率を高め、無駄な発散を最小限に押さえるのである。
対するリュネスもまた、ファルティアの術式に応じるかのように自らの右腕を同じように鈍青色の豪腕に姿を変える。しかし、この術式では完全に力負けしている事を悟ってしまった。身体能力の劣る自分が、ファルティアよりもレベルの低い術式を真似た所では負ける事は目に見えているからである。
こんな術式じゃ勝てない。
「勝つためには、変化を」
呪文のように自分に言い聞かせるリュネス。その表情に迷いは無く、ただ信じられないほどの力を右腕に集中させるファルティアの姿をじっと見据えていた。
「『その暴雨の如き力を、暫し我に従えさせよ』」
ファルティアの右腕が鈍青から鮮やかな青に、威圧感に満ちた豪腕が体格相応の大きさだが背筋が凍りつきそうなほど禍々しい姿に変貌していく。リュネスにはその右腕が持つ破壊力の天井がまるで想像出来なかった。ただ、まともに受けてはいけない、と漠然と理解出来るだけだった。
変化を!
もっと、変化を!
リュネスは凄まじい速さで右腕の体現化と破棄を繰り返していく。それは進化の過程で劣等種が滅び行く構図に似ていた。
更に術式は左腕にも及ぶ。一瞬、同じ鈍青色の豪腕と化したかと思うと、途端に両腕が密度を高めて収縮していく。だがそれはファルティアとは違い、鈍青から濃紺、そして黒へと変色していく凝縮だった。
「さあ、来い!」
「通らせてもらいます!」
意気の競り合い。それと同時に二人の輪郭はぶれ、四つの分身と一つの実体に変わった。
流派『凍姫』頭目継承技。自らの分身を作り出し動作を追走させる事で、単純に威力を倍化するものである。だが、二人の術式は全く同じもの、つまり勝敗を決定付けるのは本人の実力である。
負けるはずは無い。
一見実力が伯仲する中で、ファルティアはそう確信していた。得意の根拠の無い精神論ではなく、列記とした理由があっての確信だ。
この世には完璧な技など存在しない。如何なる技でも必ず一つは弱点というものを持ち合わす。無論、この技もその例外ではない。
次で決着を決めよう。勿論、勝つのは自分だ。
ファルティアは右腕をリュネスに合わせて引き絞る。そして背後に続くファルティアの分身もまたそれに倣った。
リュネスはせっかくの才能に恵まれていながら不運だ。何故ならばここで負けるからである。
何故、自分が勝つのか。それは自分がこの技の弱点を知っているからである。
不意に湧き上がってきた感情を、ファルティアはぐっと堪えて嚥下した。今の自分にとってその感情は最も必要の無いものばかりか、逆に自らの目的を達成するための障害となるものだからである。
TO BE CONTINUED...