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 注意深いようで、僕は注意深くないのかもしれない。
 ぬるま湯に浸かり過ぎたんだと思う。
 僕はもっと、自分がどれだけ特異な存在なのかを自覚せねばならない。
 そして更なる自重を。

 でも、もう遅いのかもしれない。




 教会で暮らし始めて、あっという間に半年が経過した。
 相変わらず貧しい生活ではあったが、それなりに充実した日々だった。文字の読み書きはほとんど完璧に憶え、教会にある本の大半を読破してしまった。別に本そのものには興味は無く、ただ自分の語学力を試す意味での読書だ。内容はこの先それなりに役に立ちはするだろうが、それまでは頭の片隅に埋もれ続けたままになるだろう。
 これまでの生活で神父について分かった事と言ったら、まず彼があまり村人とは親交がないことが上げられる。これまでに教会を訪れたのは葬儀で一度だけ、何人かの人がやってきたきりだ。理由ははっきりと分からないが、おそらくは何か過去に諍いのようなものがあったのだろう。商業の栄えた村と、宗教の戒律を貫く神父。理由は考えれば考えるだけ、幾らでも出てくる。でも、あまり深く突っ込む気はなかった。僕もまた、神父以外の人とは出来れば顔を合わせたりしたくはない。この力を見せなければ何て事はないとは思うが、脳裏に焼きついたあの晩の光景がどうしても消えてくれないのだ。僕のことを知らない人だとしても、またあんな風に襲われるんじゃないかと思うと怖くて仕方がないのである。
 若干、コミニュケーションが閉鎖的ではあったが、それ以外では全てにおいて僕は順調だった。件の語学力もさる事ながら、あの不思議な力も最初の頃に比べて遥かに自在に使いこなせるようになった。あまり良い思い出はないけれど、あの色取り取りの普通ではあり得ない炎も、自分の思い通りに灯したり消したりする事が出来る。それも右手に限った事じゃない。左手は勿論の事、両足、その気になれば頭からだって出す事が出来る。視覚的にかなり格好悪いからやらないけど、とにかくそれだけイメージを自在に使いこなす事が出来るようになったのだ。付け加えれば、想像力を磨けば磨くほどより大きく複雑なイメージを体現出来るようになっていった。
 そんなある日の事だった。
 たまたま時間の空いた昼下がり。僕は開いた時間を利用していつものようにイメージの練習をする事にした。ただ、今日はいつものそれとはちょっと違っている。今のところ、僕はそれほど大々規模のイメージを体現化させた事がない。あの頃に比べて随分コントロール力はついたけれど、正直な所、自分の限界がまるで分かっていないのだ。僕は自分の限界を知っておくべきだと思う。もう、僕はどんなイメージを描いてもコントロール出来る力が身についているのだ。そろそろそれを試してみるのもいいはずである。一度自分の限界を知っておけば、今後のイメージ描写の参考にもなる。力の調節は、限界を知っておいてこそ調節として機能する。今後の成長のためにも、僕は自分がどれだけのイメージを体現化出来るのか知っておいた方がいい。
 僕はいつものように薪を割る台に腰掛けて深く息を吸い、吐いた。精神を集中させるのに、深呼吸は地味ながら大きな効力を発揮する。より精細なイメージを描きたければ、まずは落ち着く事が重要なのだ。
 さて、何をイメージしようか。
 僕は頭を抱えるような姿勢を取り、目を閉じて描くイメージを画策し始めた。単にイメージと言っても無数にある。だから僕は最も自分の限界に辿り着きやすいものを選ぶ必要がある。半端に簡単なものを選んだって、いつも通りのそれでしかないのだ。
 しばらくじっと考え込んだ末に、僕はやはり炎のイメージを選択した。僕自身はおろか、周囲一体を覆い尽くさんばかりの高い高い火柱だ。
 それを選択した理由は特にこれといってなかった。ただ、火に対する拘りが僕の中から本当に消え去っているのか、それを確かめてみたい気持ちもあった。もしもこの火柱を思い通りにコントロール出来るとしたら。僕は本当の意味でこの力を自分の物にした事になるし、良い意味での自信もつく。次のステップに上がるための、重要な足がかりだ。
 じっとイメージを作りながら精神を集中し始める。
 このトレーニングを始めてから気がついたのだけど、感情の揺れは一本の波線に似ている。気持ちを鎮めるのは、その線の波をどれだけ平坦に出来るか、という事だ。そして波線は心臓の鼓動に直結しているらしく、気持ちを落ち着けようとすると自然に心拍数と呼吸数が減る。自分が
周囲と同化する錯覚もあった。落ち着くというのは周囲と溶け込む事に似ている。
 よし、いい感じだ。
 僕は脳裏に描いたイメージに満足して深く頷くと、最後に大きく息を吸って吐いた。頭の中は大掃除をした後の部屋のように整然としている。早朝の冷たい空気が流れているかのようだ。
 しているのかしていないのか分からないほど微かな呼吸をゆったりと繰り返しながら、頭の中に描いたイメージを掌に移す。そして長く細く息を吐きながらイメージを鮮明な実物へと近づけていく。
 と。
 前方にかざした掌に、熱い抵抗感のようなものがじんわりと伝わってくる。僕の目の前には凄まじい勢いで燃え滾る火柱が点に向かって伸びていた。あまりの高温のため、炎は薄いオレンジから白に近い色をしている。火柱の幅は丁度僕の肩幅ぐらい、高さは視覚的には相当数の高度で先端が薄くぼけている。何から何まで僕がイメージした通りの炎だ。
 いい手応えだ。
 初めて全力で力を使ってみたけれど、ただ規模が大きいだけで今までと全く変わらない。
 続けて僕は火柱に何か視覚的な変化を付けて見る事にした。描いたイメージは、火柱の背丈がぐっと縮まる光景。そのイメージを静かな呼吸と共に実体化する。その途端、見る見る内に火柱の背丈が小さく縮んでいった。そして遂には僕の背丈を下回り、イメージした高さまでくるとピタリと止まった。
 どうやらちゃんとコントロールが出来ているようだ。だったらこの際だ、もっと何か別のイメージも試してみよう。
 僕は俄かにわくわくした気持ちになった。自分の力がどれだけのものなのか、試すのが楽しくて楽しくて仕方がなかったのだ。そういえば、この力のコントロールを訓練していると、ふとした拍子に訳も無く気持ちが昂ぶる事がよくあった。うまくいっていればそれが嬉しくて昂ぶるのならばまだ分かる。どうしてか失敗が続いている時でもそんな事があったのだ。この力には良い思い出はないのだけれど、気持ちは踊り狂うかのように盛り上がっていく。楽しいと思う定義はきっと別な所にあるからだろう。
 そして僕は目の前にあるずんぐりとした火柱から意識を切り離し消去すると、また新たに別なイメージを画策し始めた。
 さっきは火柱だったから、今度は反対に氷柱なんていいかもしれない。
 さして迷わず題材が固まった僕は再び精神を集中させ、イメージを作り出す作業に入った。まだ、例の興奮みたいな楽しさはやって来なかった。あれが来ると正直集中するどころじゃなくなるんで、いつもそれが来たらトレーニングは止めていた。大体来る時期は煮詰まったり一山越えたぐらいの時にやってくるから、まだ一つ目のイメージを終えた段階だからやってはこないだろう。
 意識を肉の器から開放する感覚。思考を周囲に溶け込みさせ、限りなく無と同一化する。この世の一切のしがらみからの忘却に達した、ある種の心地良ささえあった。
 描いたイメージは、丁度人一人が入れそうなほどの大きな氷の球体。
 体の内側から湧き上がるような自然な動作で描いたイメージを掌に移動させ、静かな呼吸と共に体現化させる。氷は炎よりも日常に密接しておらずイメージは描きにくかったが、イメージに求められるのは正確性ではなく精密性だ。たとえ実際のそれと多少異なってはいても、イメージ自体がはっきりとしたものであれば何ら問題は無い。
 そして、僕の目の前に現れたのは、肌を刺すような冷気を漂わせた一本の氷柱だった。これもまた先ほど同じく描いたイメージと比べて何ら遜色の無いものだった。触れてみると本物のような冷たさが伝わってきた。更に触れた部分は僕の体温によって薄く溶かされ掌がしっとりと濡れる。氷を作るには同量の水が必要となる。しかしこの周囲にはこれほど大量の水場はない。氷柱は錯覚などではなく、明らかに存在している。一体どこから水は供給されたのだろうか? こういった、ある程度の常識や理屈を無視してしまうのは僕の力の特徴でもある。力の事は何も分からないのだ、考えたってどうしようもないか。
 満足のいく結果の得られた僕は、イメージを切り離して氷柱を消去する。
 今のはちょっと題材が安易過ぎた。もうちょっと複雑なものにしないと、自分の限界は確かめられない。
 僕は三度目の集中に入った。細部までの再現が困難を要するような題材を求め、あれこれ思案を巡らせる。ハードルは高ければ高いほどいい。出来れば、超えそうで超えられないぐらいの具体的な次の目標が定めやすい高さが理想的だ。あまり非現実的にならない範囲での突飛な題材。
 そうだ、雷はどうだろう?
 よく嵐の晩になると空で閃いたり轟音を鳴らしたりする自然現象だ。あれだけは人の力ではどうやっても制御する事の出来ないものだ。せいぜい避雷針を立てる事で家屋への直撃を避けるぐらいである。落雷の力の凄まじさは比類するものがなく、人間は元より大木を一撃の下に両断し家屋を紙のように貫通する。そのため雷は神の力の象徴とされたぐらいだ。
 人類に御し切れない力を僕なんかに操る事は出来ないけれど、イメージを具現するという方法で似たような事が出来る。それに雷は遠くから見るぐらいしか接点がなく、炎や氷と違って実際に間近で目の当たりにした事が無いため、イメージは遥かに作り辛い。これこそ僕の力を試すには最適の題材だ。
 早速僕は雷の様相を頭の中にイメージし始める。
 さすがにこればかりはそう安々と描けるものではなく、何度も何度も描いては塗り潰したりを繰り返した。色は黄色だったり青だったり統一性がないため、どうせ架空を作り出すのだからといっそのこと青紫に統一、雷が弾ける様は全て僕の想像で適当に散りつかせる。雷の束一つ一つの太さも適当に統一性を排除した。そんな試行錯誤を繰り返しながらようやく出来上がったイメージを、僕は大切に掌へ移し体現化する。
 向かい合わせるように構えた掌の間には、青紫の色をした幾つもの雷の束がばちばちと音を立ててうごめいている。随分といい加減なイメージを描いたのだったが、元から雷そのものの認識が薄いため、かえって本物らしく見えた。不揃いな雷の動き方も、雷の破壊力をうまく表現できているような気がする。けれどこれは僕のイメージした架空の雷だ。当然、僕の掌はなんともない。
 よし、もっと大きな雷を作ってみよう。
 うまく出来た事に調子付いた僕は、雷を消去しないまま更にイメージを描き始めた。なんなら、さっきのように雷の柱でも作ってみようか? 掌に収まる大きさでも随分苦戦はしたけれど、もうちょっと頑張ってみればきっと可能かもしれない。
 自分がやけに興奮している事に気がついた。雷をうまく表現出来たのが嬉しくて嬉しくて仕方なかったのだろう。けどその割に、頭の中には驚くほど鮮明に雷の柱の姿が描かれていく。今日は随分と調子が良い。たまにはこんな事もあるだろうけど、新しい事をやろうとしたのがこんな日でよかった。もしも調子が悪い時と重なって失敗ばかりしたら、きっとかなり気落ちしただろう。
 やがてイメージが固まり、僕はゆっくりと掌に集中させる。
 これを具現化したら、一体どれだけ気持ちがいいのだろうか。
 そんな期待感に胸を躍らせながら、僕は最後のステップを踏もうとする。
 ―――と、その時。
「な、何だ!?」
 突然、悲鳴のような男の声が聞こえてきた。
 ハッと顔を上げると、僕の前には知らない顔の男が驚愕の表情でこちらを見ていた。



TO BE CONTINUED...