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 友達。
 僕はその言葉が大嫌いだった。
 だってそれは、何よりも固い絆のようでありながら、何よりも簡単に裏返せる脆い繋がりだからだ。
 昨日は友達と思っていた人が、次の日には目も合わせようとしない。
 一緒に笑い合い、あんなに楽しかった日々。それが全て幻の如く消え去ってしまう。
 僕はただ中空に手を伸ばし、失ったものを再び取り戻そうと掴む。
 空を切る感触が辛い。
 友達ってなんだろう?
 信じていたものを否定された僕は、二度とそんなものにはすがりつくまいと、一切の情を切り捨てた。
 これ以上抱え込んでいると、潰れてしまいそうだったから。




 物心ついた頃、僕は村の働き手の一人として毎日朝から夜までくたくたになるまで働いていた。
 僕の生まれた村は貧しく、僕よりも幼い子供までもが当たり前のように働いていた。ほとんど満足に遊んだ事も無く、また食事も満足には程足りないものだった。それでも食べていけるだけまだマシだった。風の噂から、あまりの餓死者でどうしようもなくなった村の話が途絶える事はなかったからだ。
 僕には両親はいなかった。村はかつて戦災に遭い、大勢の人達が死んだ。僕のような孤児もそうは珍しくない。そんな僕達を村の大人達は親代わりとなって育ててくれた。仕事を与え食事を世話し寝泊りする所を提供し。大人達はみんな優しかった。長老の『子供は掛け替えの無い財産』という考え方に賛同しているからだ。
 貧しい生活だったけれど、不思議と辛いと思った事は無かった。逆に毎日が楽しかった。僕には優しい大人達と沢山の友達がいたからだ。貧しくとも心は満たされていた。体の物足りなさを心の満足感が補っていたんだと思う。
 僕の仕事は大人達と一緒に狩りを手伝う事だった。手伝いと言っても、前線に向かう大人達の後方支援で重要不可欠な役割を与えられている。獲物の居場所を迅速に伝えたり、罠を補足したり、時には飛礫や弓で直接狙う事もある。子供といえど責任を背負わされている。自分だけでなく、村で待つ大勢の人達の食い扶持を維持しなくてはならないのだ。狩りは一瞬も油断が出来ない。村は土地が痩せ気味で作物があまり育たないため、食べ物を栽培するのは難しかった。だからこそ狩りや山菜摘みが食料確保のため重要な位置付けになっている。当たりがあればともかく、外れた時はまるで成果が得られない。安定した収穫が得られない、ある意味ではギャンブルみたいなものだ。負けが込めば、そのまま死に繋がってしまうのだけれど。
 なんとか僕達はその日その日食べるものだけは確保してきた。それでも明日は食べられるのか、という不安感は無い訳じゃなかったけど、明日の事を心配しても仕方がないと誰もがあまり深く考えないでいた。多分、せめて子供だけにはそんな不安を感じさせたくない、という大人達の配慮があったんだと思う。けど、実際に瀬戸際まで追い詰められるような事は無かった。その日に獲れたものをその日に食べる。そんな毎日の繰り返しだった。
 けれど、そんなサイクルがずれてしまう時期がある。それは冬だ。冬になると動物がめっきり姿を減らしてしまい、収穫量が目に見えて減る。食べるものは狩りだけで補っている訳ではないから、食事が全く出来ないような事態に陥る事は無い。それでもメニューの極端な偏りはどうしてもあり、そのせいで見飽きた食事にウンザリする事も少なからずある。でも、村にはそれほど蓄えは無いのだし、ひもじいのはみんな同じだから、僕だけが我侭を言う訳にはいかない。とにかく獲物が取れれば満足に食べられるのだ。ひもじいならば、狩りを頑張ればいい。
 冬になるとそういった理由から、狩りの時間はずっと長くなる。いつもは日が暮れる前には村へ帰るけれど、冬は最低ラインの収穫が取れるまでは深夜までかかっても続ける事が多い。冬は日が落ちるのが早いせいもあるけれど、何よりも村で待つ人達にはひもじい思いはさせられない。僕よりもずっと幼い子供までもがお腹を空かせているのだから。
 この季節になると、狩りの時に僕はよく獲物を見つける役割を任せられた。
 僕はどういう訳か生まれつき勘が鋭く、たとえ何の根拠も無い当てずっぽだったとしても、何か直感を煽るものを感じた方へ向かうと、必ずと言っていいほど動物の足跡や何らかの痕跡を見つけられるのだ。普通、勘が鋭いなんて曖昧な理由で大事な狩りの人選を決めたりはしない。けれど僕がそれでも任せられたのは、理由は分からなくとも偶然と呼ぶよりも遥かに高い確率で獲物を見つけ、その力が誰よりも優れている紛れもない事実があるからだ。
 この時、まだ僕は気がついていなかった。自分の勘の鋭さは生まれつきのものだから、と何一つ疑問に思っていなかったけれど、ただ気が付いていないだけで、本当はそうあるための理由というものがあったのだ。勘、とはあくまで曖昧な要素を含んでいるからこそ勘であって、人間の範疇に当たり前にある能力だ。勘を飛躍したそれは、人間の持ちものではない。
 気が付かないまま、僕はその日もみんなと朝から狩りに出かけていった。
 酷く寒い朝だった。外に一歩踏み出せば、刺すような凍える空気が肌を苛んでくる。風が吹いてなくとも手足の先や耳は真っ赤になるほど冷え切り、体を動かし続けて熱を作らなければ彫像のように凍り付いてしまいそうだ。元々寒冷な地域ではあるけれど、ここまで冷え込む事はかなり珍しい。
 いつものように自分の弓を担ぎながら山の奥に向かって歩くその道程。ほんの子供の頃から歩き回っていた慣れた道なのだけど、今日に限って何故かそれが憂鬱だった。狩りなんてやめて遊びたい、と思っている訳じゃない。この寒さも辛い事は辛いけれど、耐えられないほどでもない。
 ならば一体何が狩りに向けて高揚する気分を削いでいるのだろうか? それはたった一言、『嫌な予感がする』としか言いようがなかった。体調は悪くない。嫌な事があって消沈している訳でもない。ただ、何か黒いものが頭の隅にこびりついて離れないのだ。
 いつもの、僕の鋭い勘か何かと初めは思った。けれど、こんなにもはっきりと違和感を覚えるほど何かを感じ取った事は生まれて初めてだった。まる化物が背後で大きな口を開けて構えているような、そんな気分だ。
 それでも大事な狩りを休む訳にはいかない。僕は朝から続くその憂鬱を押し殺し、普段と変わらない様子で周囲に振舞った。
 獲物を求めて、凍える寒さの山中で奔走は続いた。
 心なしか、今日はいまいち勘が悪かった。多分、もっと大きなものに気を取られていたせいだと思う。普段なら決して間違えないような分岐道でさえ、五分五分の確率だというのに何度もしくじった。あえて反対の方を選択しているのではないか、と自分を疑ってしまうほどだった。かと言ってわざと自分の勘とは逆を選択すれば、最初の選択が正しかったりする。本当にその日の僕は絵に描いたような不調だった。こんな事もある、とみんなは気遣ってくれたけれど、食料に乏しい村の事を考えると、逆にその気づかいが僕には重かった。僕一人の狩りじゃないけれど、僕一人で目茶目茶にしている後ろめたさがあった。早く払拭したいと焦るけれど、逆にそれが僕を一層空回せる。
 と。
 漠然とした不安感は時間と共に恐怖へ変わっていった。
 僕はいつしか、狩りなんて投げ出して今すぐにでも山を降りて村へ帰りたいと思うようになっていた。しかし、まだ今日は一匹の獲物も取れていないため必死になって捜し続けているみんなを前にして、とてもそんな事は言えない。獲物が取れればそれだけ早く帰る事が出来る。自分にとってもベストな選択肢はそれだけだった。
 意味もなく背筋が震えて止まらなくなる。自分でもはっきりと分かるほどに肌の血の気が引いていく。ここまでリアルで色濃い恐怖を感じたのは生まれて初めてだった。
 何かが身に迫っている。
 僕の勘がしきりに訴え掛けてくる。けれど、それでも狩りを優先させたい僕は、克明になったこの恐怖ですら勘違いだと自分に言い聞かせ、ただひたすら獲物探しに専念する。けれど、こんなに動揺しきった精神状態では取れるものも取れはしない。結局僕は恐怖を無視しようとすればするほど意識してしまい、余計震えが激しさを増す。足取りも重く、これ以上奥へ進みたくなかった。
 ―――そして。
 日が中天から傾き始めた頃、唐突にそれは起こった。
 急に激しい耳鳴りが僕らを襲った。直後、地震を伴う激しい地鳴りが辺りから響き始める。
 雪崩だ。
 そう思った次の瞬間には、僕達の目の前には白い塊が圧倒的な質量を持って荒々しく襲い掛かってきた。



TO BE CONTINUED...