BACK
なんかおかしいよなあ。
そんな事を呟きつつ、僕は昼下がりの通りを歩いていた。ふと見つけた屋台で買った生春巻きを片手に、今日も気楽な守星の業務に勤しんでいる。日差しも温かくて緩やかな風が心地良い。頬張った生春巻きは、エビと豚肉と香草が何とも言えない味わいを作り出しており、次々と食が進んでしょうがない。次のオフにはデートの約束も取り付けてる。どこをどう見ても、何一つ憂う要素がない。むしろ、もっと気分は晴れ晴れとしてもよさそうなんだけど。どういう訳か、気分はイマイチだ。
パッとしない理由は分かっている。どうもここの所、体調が優れないみたいなのだ。みたい、というのは、僕自身には自覚がないからである。
最初はちょっと疲れが溜まっているだけだと思った。一日ぐっすり休めば治るだろうと、なけなしの休日を丸一日費やして静養に努めた。けれど、その違和感は消える事無く僕の体に留まり続けた。
自分の意思が細部にまで明確に伝わらない感覚。
いや、体自体は何の違和感もなく僕の思い通りに動く。そうならないのは、生まれてからずっと体の一部に等しいポジションに居座り続けている、北斗では『精霊術法』と呼ばれているものだ。
最初に違和感を感じたのは一ヶ月ほど前だろうか。ふと、描いたイメージと体現化された術式に微かな差異が生じている事に気がついたのだ。
頭の中に描いたイメージを寸分違わずに体現化するには、多くの修練と技量が必要とされる。けれど僕は生まれながらにこの力を自然に使えていたため、物心ついた頃にはイメージをそのまま体化する事がごく当たり前になっていた。それがゆえに世間には天才少年とか呼ばれたり、史上最年少の頭目になったりしたんだけど。
その、呼吸よりも自然な一連の動作に入った小さな小さな亀裂。
術式自体は何の問題も無く行使出来るし、支障と呼ぶに値するほどの差異ではない。けれど、これ以上の進行が無いという保証も無いのだ。
僕は精霊術法が使えなくなってきているのかも知れない。
あくまで憶測でしかないのだけれど、これがもしも兆候だったなら、近い内に僕は北斗を辞めなくてはいけなくなる。術式が使えなくなったら、他に戦闘スキルの無い僕に戦う手段は残されていないのだから。けど、正直な話。僕はそれでもいいと思った。元々、僕はこの力はあまり好きじゃなかった。この力のせいで僕は、一度は社会から追放されてしまったのだ。それが無くなってしまえば、僕は鬼子ではなくただの人間になる事が出来る。
でもどうして今になってなんだろうか。
北斗に来て、この力の使い道が出来、意義を見つけて以来、『こんな力なんて無くなってしまえばいい』なんて考える事がなくなってしまった。精霊術法は精神の微妙な変化にも左右される事がある。でも、その理論は今回の場合には当てはまらないと思う。何故なら、僕は既に精霊術法そのものを特別意識してはいなかったのだから。
元々生まれ持ってしまったこの力、そう簡単には無くなるはずはない。あれこれと憶測するよりも、やはり一番最初に考えた、体調が悪いから、という理由が一番現実味がある。疲労は自覚の無い所に溜まるものなのだ。だったら、今度のオフは予定を大幅に変更し、女の子を僕の部屋に呼んで日長イチャイチャすることにしよう。
「ん? あれって……」
不意に視線の先に止まったのは、一組のカップル。
男の方は、桜を連想させる薄紅色の髪に真っ黒な制服を着込み、肩には白い子猫が乗っかっている。
女の方は、柔らかいブラウンの髪に濃紺の制服を着込んでいる。
シャルト君とリュネスだ。仲良さそうに、寄り添うようにして手も繋いじゃって歩いている。
普段、どういう交際しているのか、幾ら聞いてもシャルト君は教えてくれないし、リュネスはリュネスで無難な言葉ばっかり選んで答える。そもそも、絵に描いたような奥手のシャルト君が一体どんな交際をしているのか、僕は前々から興味があった。客観的検証を行えるまたとないチャンスだ。
これは面白い、と言わんばかりに、残った生春巻きを口の中に全て詰め込みこっそり後をつける。
お互い初めて同士だから、まだまだ照れが残っているんだろう。別に僕は口が軽い訳じゃないんだから、もう少しオープンにしてくれてもいいのに。まるで多感で気難しいローティーンだ。
恥ずかしいってのはしょうがないし、僕もどうしても口を割らせなければ気がすまない訳じゃない。僕はサディストじゃないのだ。だから僕は、その実態を解明すべく観察させてもらう。これは出歯亀という低劣な行為ではない。あくまで真実の解明の過程の中にある必要不可欠な行為だ。
二人は公園の中へ入っていくと、歩道を外れどんどん人気のない植樹林の中へ向かっていく。デートは人目のない所でいちゃつきたいっていう魂胆なのか。そんなに人目が気になるのなら、わざわざ外に出なくてもいいのになあ。そう僕は思ってしまう。
外の喧騒が大分遠くなり、僅かな物音も随分響くようになった。僕は迂闊な足音を立ててしまう事を防ぐため、傍にある植樹の上へ場所を移した。
鬱蒼とした木々の葉枝が日光を遮る。芝生一面を薄っぺらな影が膜のように覆い隠す。そんな中を突き進む二人は、ようやく足を止めて向かい合う形を取った。
こんな所でコソコソと。まあ、あどけないというか初々しいというか。
僕は木の上からにやにやと二人のやりとりを見ていた。まさかこんな所まで来ないとキスの一つも出来ないのか。二人は付き合いだしてから随分経つのに。まだそんな所で足踏みしてるのか。
そんな事を考えつつ、僕はこの先どういった行為に出るのかを胸躍らせながら二人の動向を観察していた。
なんか変だよなあ……。
二人は向かい合ったまま、少しも動きを見せない。
シャルト君はリュネスの様子をじっと窺うように見ている。けれどリュネスは深くうつむき、髪に隠れて表情がちょっと見えない。ただ、やけに深刻そうな雰囲気だけは感じられる。
どうも様子がおかしい。
二人の空気が恋人同士のデートっていう楽しげな感じじゃない。どうにも暗い陰気さが渦巻いている。
その空気を作り出しているのは明らかにリュネスだった。シャルト君はそんなリュネスの様子に動揺しているのか困った表情をしている。
そっと風が吹き、髪に隠れていたリュネスの顔が一瞬覗いた。
深刻を絵に描いたような表情だ。リュネスはハスキーボイス通りのおとなしい娘だけど、決して陰気な訳ではない。コンプレックスが強い性格らしく、何かと日常でつまらない事に思い悩んでいる姿を見る事は多々あった。けれど、今のはそんな比じゃない。今にも死んでしまいそうなほど思い詰めている顔だ。
リュネスが何かをシャルト君に言葉を放った。
ここからでは遠くて言葉が聞き取れなかった。けれど、シャルト君の表情が見る見る硬直していくのが分かった。
リュネスは今にも泣きそうなほど困窮した表情をしている。そんなリュネスを、シャルト君はぎくしゃくしつつもぎゅっと抱きしめる。そしてなにやら語りかけながら優しく背中を撫でる。慰めている、もしくは勇気付けている、といった感じだ。
何かあったのかなあ……?
別れ話、っていう雰囲気でもないし。
もう今月のお米がないの。
ぴったり合いそうではあるけど、二人の生活から考えるに、まだ結婚までは行ってないからあり得ない。
楽しみにしていたチケット取れなかったわ。
泣くまでする事でもないし、そういうのは基本的に男の役目だ。
太っちゃって、買ってもらった服が着れなくなったの。
遠目から見てもリュネスの体の線は細く太っているようには思えない。あれが太っている部類に入るなら、標準体型の持ち主は皆骨と皮だけの人になってしまう。
そんなふざけ半分の想像をしている内に、リュネスが本当に泣き始めてしまったようだ。ぎゅっとシャルト君にしがみつき、声を押し殺しているようである。シャルト君はぎこちなくも精一杯優しくしようと慰めている。さっきまでよりもずっと不穏な空気だ。
後、考え付くのは……。
そこで僕は考えるのをやめた。自分が本当にシャレにならない現場を覗き見してしまっているのでは、という後ろめたさが込み上げてきたからだ。
僕は枝伝いにその場を離れた。世の中には冗談半分で知って良い事といけない事がある。僕はこれでもそこはわきまえているつもりだ。
二人の間に何があったのだろうか?
気になって仕方なかったし、友達としても心配だ。でも、これはどちらからか打ち明けてくれるまで僕は知らない振りをしておこう。
憂いは幾ら拭っても消えない。ただ一つだけ安心したのは、二人が離れていないという事だ。
TO BE CONTINUED...