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「つまり、タクランしたい訳?」
 翌日。
 都合よく休みだったルテラを俺は朝一で捕まえ、有無を言わさず病院へと連れて行った。事情は二の次三の次、その辺りの複雑な部分は道すがら説明する事にして、とにかく病院へ向かう事を半ば誘拐的に優先させたのである。
 そして俺は道中これまでの経緯を簡単に説明した。先日の任務でシャルトという子供を連れ帰ってきた事、そしてそのシャルトは麻薬漬けにされた治療のため病院に入れている事、更にその症状は酷く、人とのコミュニケーションなどとても取れる状態ではない事。
 このどうしようもない状況を打破するため、俺はルテラを連れてきたのだ。理由は至極単純である。男の俺が駄目なら女のルテラならどうか。たったそれだけだ。古今東西今昔、ガキの扱いは男よりも女の方が得意だっていう俗説もある訳だし。
「なんだよ、タクランって」
 ルテラの言葉に首を傾げる俺。するとルテラはニッコリと微笑みながら答えた。
「カッコウって鳥はね、他の鳥の巣に卵を産んで自分の子供を育てさせるの。それを托卵っていうの」
 ルテラの意図する所に気づいた俺は、思わず眉を潜めて渋い表情を浮かべる。
「あのな、俺の子供じゃねえっての。なに笑顔でサラッととんでもないことを言ってやがる」
 俺がそういう人間だと、たった一人の家族の口から聞かされるのは、たとえ冗談だったとしてもなかなかどうしてショックなものである。自分自身を客観的に見て世間一般的な評価がどんなものか分からない訳ではなく、言い訳も正当化もするつもりはないのだが。どこかルテラの口調には俺に対する皮肉めいた非難が入り混じっているだけに、気持ちがずんと重くならざるを得ない。
「そうなの? 私、てっきりお兄ちゃんの子供でも育てさせられるのかと思ってたわ」
「だから違うっての。俺の説明、ちゃんと分かったのか?」
「分かるには分かったけど。でも、どうして私なのかってのが分からないわ。女の人なら病院にもいるじゃない」
「看護婦ってのは忙しいんだよ。ただでさえ手のかかる患者に、終始つきっきりって訳にはいかないだろ?」
「なら、それこそお兄ちゃんがたぶらかしてる―――」
「だから、その話はもういい」
 そんな、ここ数年ほど変わり映えのしない会話をしながら、俺達は病院へと向かう。
 ルテラは協力的なのか違うのか、どうもいまいち分からない口調で暗に俺を皮肉り翻弄する。ルテラのやっている守星という仕事は勤務時間が不規則であるため、情勢によっては非常にストレスが溜まるそうだ。ルテラも本当は疲れているためゆっくり休みたいのだろうが、そこに俺がこうしてやってきた訳だ。その苛立ちをぶつけられても仕方がないとは思う。ただ俺としては、不自然に遠回しな口撃をされるよりも、真正面から罵られる方がまだ気分が楽だ。こういう精神的拷問のようないびられ方をされるのは、どうにも昔から苦手である。
「で、そのシャルトちゃん? そんなに酷い訳?」
「ああ。こっちに来てから食事も取っていないらしい。部屋に入ってくる人間という人間を拒絶するそうだ。抗麻薬剤一つ打つにも、大人数人がかりの重労働。このまんまじゃ、いつまで経っても治るはずもないだろ?」
 昨日、関係者から集めて総じたシャルトの病状は、凄惨と言おうかとにかく酷いの一言に尽きる有様だった。食事を持って来れば、部屋の中にあるものをやたら投げつけて追い返し。医師が回診に来れば、ベッドを引っ繰り返してバリケードを作り。外界とのコミュニケーションを一切取りたがらず、近づくものには徹底的に抵抗の構えを見せている。シャルトはその特殊な病状のため、毎日必ず一定量の抗麻薬剤と精神安定剤を投与しなくてはならない。しかしこんな有様では当然スムーズに投薬が行なえるはずもなく、いつも数人がかりで強引にシャルトを押さえつけてしているそうだ。
 たかが子供一人に、と思うかもしれないが、シャルトは投与された麻薬の後遺症で力の加減が生理的に出来なくなっているそうだ。筋肉には、普段は全力を出さぬようにある程度のストッパーがかかっている。筋肉が自分の全力に耐え切れないからである。そのストッパーは生命の危機など緊急事態に限って一時的に外れるのだが、シャルトはそれが常に外れたままになっている。そのため見た目によらぬ凄まじい力を発揮するばかりか、筋肉自体が耐え切れず常に大掛かりな筋繊維の断裂を繰り返している。これらから、シャルトを興奮させるような行為は本来慎むべきなのだが、シャルトの体からは麻薬が抜けきっておらず禁断症状を緩和させるためにも投薬が必要なのだ。だがシャルトは徹底的に自らに干渉する事を許さない。そして抵抗する事で更に筋繊維が切れ症状も悪化していく。要するに、人間不信と麻薬とが自滅的な悪循環を作り出しているのだ。
「あら、それじゃあ大変じゃない。急いで行きましょ」
 平日とは言え、病院の中は相変わらず混雑している。日用品などは一日なくてもさして不便ではないが、疾病や怪我ばかりはそうもいかない。それにこれらは誰でも等しくそうなる可能性を持っている訳だし、日常のどこにそれが潜んでいるか分からない。人間が生きていく過程で決して回避する事の出来ないものだからこそ、病院から人の姿が消えることは永劫にないのだろう。
 何の怪我も病気もない、見舞いという立場の俺達は最も病院内で重要度の低い存在だ。そのため、他の患者や医師達の邪魔にならぬよう周囲に気を配りながらシャルトの居る特別病棟を目指す。
「ねえ。そう言えば特別病室って、外カギだって本当?」
「この目で見るまでは噂話だと思ってたんだがな。実際、昨日見てみたらマジだった。でも、今はカギはかかってないから大丈夫だ」
「あら。どうして?」
「そういう風にさせたからさ。アイツ、どうもカギをかけられるのを嫌がるんだ。大方、捕まってた頃を思い出すからだろ」
 昨日、医師から病状の説明を受けた後、カギをかけられたドアの内側からシャルトのすすり泣く声が聞こえてきた。それですぐさま自分の持っていたカギでドアを開けてやると、シャルトはまた先ほどのようにすぐ部屋の隅に跳んでうずくまった。ただ、ドアを閉めようとした時に酷く悲しく辛そうな顔でこちらを見てきた。俺に『カギをかけるな』っていう意思表示なのだろう。その顔がなんとも哀れで、つい病院の方へカギをかけぬように働きかけたのである。考えてみれば、ずっと言うことも聞かず男だか女だか分からないような面構えをしているクセに生意気だったシャルトが、俺に何らかの意思表示を見せたのは初めてだったと思う。縁も所縁もない野良猫でも、三日も飼えばそれなりに情が湧いてくる。特にそういう可愛らしい面を見せられれば尚更というものである。
 そしてようやく辿り着いた、シャルトが収容されている特別病室。相変わらず、昼間だというのに周囲は閑散として不気味なほど物静かだ。こんな環境に一人で閉じ込められたりすれば、たとえまともなヤツでも頭がどうかしてしまいそうだ。精神医学は未だに発展途上だというのが世界共通らしいが、どうやらそれは俗説ではないようだ。病院は大勢の患者を収容するため、治療行為にも必然的に効率化を求めてしまう。効率化は悪い事ではないのだが、精神という微妙な媒体を扱う分野に関しては、慎重を喫する意味でどうしても非効率的にならざるを得ない。それならば、という事でぞんざいになってしまう。シャルトもこのままではおそらく厄介ものとして片付けられてしまうだろう。幾らなんでもそれは哀れだ。一体何のために生まれて来たのだろうか、などと思春期の青臭い理屈を本気で考えてしまうのである。
「ほら、ここだ」
「随分と寂しい所に入れられてるのね。可哀想」
 そうルテラは小さく溜息をつくと、ドアをこんこんとノックする。相変わらず耳喧しい高音が反響してくる。明らかに病室にはあり得ないドアの音だ。
「こんにちは」
 どうせ中からの返答は期待できないため、俺とルテラは返事が来る前に部屋の中へ入った。
「……!」
 途端、すぐさまシャルトがベッドから飛び上がり部屋の隅へと逃げ込む。そしてそのまま小さくうずくまり震え始めた。明らかな拒絶。昨日と何一つ変わりない、自分以外の全ての人間を敵としか見なさない様相だ。
「あなたがシャルトちゃん? 男の子って聞いたけど、女の子みたいに可愛いわね」
 そんなシャルトに、ルテラはにっこりと微笑みかけた。それは意固地な子供をあやすというよりも、手の届かない狭い場所へ逃げ込んだ子猫を呼んでいるかのようだ。
「私はこの人の妹でルテラっていうの。よろしくね」
 だが案の定、シャルトはにこりともするどころか、相変わらず敵意の眼差しを向けたままである。ここ数日ろくに食事も取っていないため、頬はすっかり痩せこけて見るも無残にやつれてしまった。しかしそれでも、振り乱した長い薄紅色の髪の間から覗く視線は、まるでナイフのように鋭く更なる凄みを増している。人間、自分の命の危機を感じた時はこれほどまでの闘争心を持つ事ができるのか、と俺はしみじみ思う。
「ほら、こっちに来てよ」
 ルテラは笑顔のまま手を差し伸べる。しかしシャルトはそれに応じようとしない。
 やっぱり駄目か……。
 優しく語り掛けるルテラに対しても何ら反応を見せないシャルト。このまま続けた所で何か進展がありそうな気配は全く感じられない。一体どうすればシャルトの心を開く事が出来るのだろうか? 自分の殻に閉じ篭ってしまったシャルトが許しそうなのは、大方こいつの家族ぐらいなものだろう。とは言え、こいつの家族が今どこでどうしているのか、そもそも生きているかどうかも分からないのだ。もはや残された手段など存在しない。
「大丈夫、怖くないから。ね?」
 それでもやはり語りかけ続けるルテラ。よほどシャルトが気に入ったのか、それとも放っておけないのか。なんにせよ、今の調子ではシャルトはいずれ最悪の事態を迎えてしまう。ろくに食事も取らず満足な治療も受けずに閉じ篭り続けるのは、はっきり言って自虐性を超えたただの自殺行為だ。自分でも気がついているはずだが、心の中にはっきりと刻み付けられた恐怖がそれを凌駕してしまったのだろう。誰も信じられず、誰とも交わらず。傷つけられ続けたせいか、一人で居る事だけが唯一の安全となってしまったのだ。そしてこの抵抗は、自分の身を守るためのものだ。
 じっと部屋の隅からシャルトが視線を注いでくる。それは警戒の色に満ち、異常なほどぎらついている。夜もほとんど眠っていないのだろう、薄っすらと眼球にも充血が見られる。そんなになるまで、あの連中はシャルトを追い詰めたのかと思うと、自分も修羅や幻舞に混じって攻撃に参加していれば多少は憂さが晴れたかも知れない。
 周囲には、ルテラの優しげな言葉と息づかいの荒いシャルトの呼気だけが反響する。まるで野生動物でも手懐けているかのようにも見える。本当に、今のシャルトにはこちらの言葉など届いていないかのようだ。
 ―――と。
 お?
 その時、ふとシャルトがルテラに対して少しだけ近づこうとした素振りを見せた。気のせいだろうか、心なしかあの鋭い視線が若干緩くなっている。
「ほら、大丈夫だから」
 ルテラも少しずつ、ゆっくりと距離を縮めていく。初めこそシャルトは逃げ場のない背後の壁に向かって後退るように背をぴったりとつけたが、ルテラの優しい言葉にようやく警戒心を解き始めたのか近づいて来るルテラにほんの少しだけ歩み寄る。
 よし、もう少しだ。
 俺はそんな二人のやり取りを見ながら、心の中でそう声援を送っていた。
 確かに、恐怖に怯えている子供は俺のような背の高い男に上から覗き込まれるのはかなり精神的にきついだろう。しかしそれが優しげな女だったら、多少は警戒心を解いてもおかしくはない。少なくとも俺は、男の誘いにはまず乗りはしない。いや、これは関係ないか。
 牛歩の如く、ゆっくりと狭まっていく二人の距離。それはまるで氷がゆっくり溶けていくように、シャルトの心の殻も割れ始めているかのように思えた
 そして。
「……ん」
 互いの手が届く距離まで来た時、シャルトはそっとルテラへ手を伸ばした。



TO BE CONTINUED...