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やっぱり、こうなる運命だったのだろうか?
運命。
僕はそんな言葉は嫌いだ。自分の人生が誰かに決められているなんて考えたくもないからだ。
人生というのは自分で作り出す一本の道。誰かが先に引いたそこを歩く訳じゃないんだから。
でも、昔からそんな予感はあった。
君は―――。
君とは、こうならざるを得ないように誰かが決めていたんだと思う。
君は僕とは考え方があまりに違い過ぎたから。
本当に、もう退けないのだろうか?
悲しいな。
深夜。
秋が終わり、冬が来て。ようやく季節は春に向かい始めてはいるが、夜は依然として凍りつくほど寒い。スファイルは時折手のひらに呼気を吐きながら大通りを一人歩いていた。
現在の時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時、などとたとえられる全ての存在が眠りにつくためひっそりと静まり返ってしまう時間帯だ。昼間、あれほど活気付いていた北斗の街も、一部夜を徹して営む店を除き、まるで凍り付いてしまったかのような静寂に包まれている。人々は床につき、明日も再びそれぞれの仕事に就事するための英気を養っている。
そんな安らぎの時刻ですら、北斗は絶えず外部からの襲撃の危険に晒されている。北斗は無政府国ヨツンヘイム最強の戦闘集団だ。その圧倒的な力を駆使し、体系的な治安維持機構を実現化させた街、北斗。ヨツンヘイムで唯一治安が保たれた街である北斗は、ヨツンヘイムに乱立する他戦闘集団にとって最大の攻撃目標でもあった。仮に北斗を陥落する事が出来れば、これまで北斗が持っていた最強の称号を手にすることが出来る。その安易さに目を眩ませる人間達は後を絶たない。『死神』と呼ばれ畏怖されるが故に、標的とされてしまう宿命にあった。北斗を絶えず遊回していち早く敵の襲撃に対処する守星は、まさにそのための重要な存在である。
夜中の街はあまりに音がなく静かなため、耳の奥にはいつも耳鳴りのような甲高い音が囁いていた。スファイルはその音に絶えられず、わざと靴底で強く路石を踏み鳴らし、下手な口笛を吹く。元々、スファイルは一人で居る事に耐えられない性格だった。食事は一人では食べられないタイプなのである。たとえ見ず知らずの人間であろうとも、強引に一緒に食べざるを得ない状況を作り出す事さえある。その行動力は、彼が自分本位に生きる性格でもあるからなのだが。
ふと、首筋に一陣の冷たい風が吹き付ける。襟とマフラー越しの感触でありながら、スファイルは思わずぶるっと体を震わせる。
そういえば。
風の感触に誘発された悪寒から連鎖的に、スファイルは以前に聞いたとある事を思い出した。
かつてスファイルがまだ凍姫の頭目だった頃。彼がふらりと失踪してから帰ってきた時、一緒に三人の女性を連れて帰った。その中の一人に、ラクシェルという今では凍姫の現役隊員の中で三本の指に入る実力者になっている女性がいた。彼女は生まれつき霊魂のような、遺恨思念が見えるという特異的な能力があった。そんな彼女だからなのだろうか、やけに怪談話が得意だった。よく怪談話を綴った本は売られているが、ラクシェルの話を聞いた後では陳腐過ぎて読む気にもなれなかった。それほどまでにラクシェルの怪談は恐ろしかったのである。
大して目的もなくふらふらと歩いていたスファイルだったが、ふと周囲を見回すといつの間にか自分が北斗の周囲を囲う外壁近くまでやって来ていた事に気がついた。絶対的な防衛力を誇る北斗だったが、さすがに外周周囲には人家のみならず建物施設は存在していない。昼間ですら物静かで寂しい場所なのだ。こんな時間ともなれば、まるで世界には自分しかいないのでは、という錯覚にすら陥りそうになる。
スファイルが思い出したそれとは、件のラクシェルに聞かされた、北斗の外壁にまつわる怪談だった。
今から遥か昔、まだ北斗が造られたばかりで小さかった頃。今のような守星というシステムがなかった北斗は、防衛力の要として外壁を重要視していた。北斗が最も恐れていたのは、単体でも広範囲に渡る大規模攻撃を可能とする魔術だった。魔術に対抗する手段として外壁に直接法術結界を書き込む手法が一般的に取られていたが、劣化が激しく信頼性にも乏しかったそうだ。そのため、ほとんどが抗戦までの時間稼ぎに使い捨て的に使われていた。
そしてこの話は、そんな背景から始まった。
ある時。北斗総括部の誰かが、『いずれ外壁の結界を物ともしない実力を持つ敵が出てくれば、北斗は甚大な被害を被る』と警鐘を鳴らした。そのためには、初めは結界を張り直すサイクルを早めるという手法が応急的に取られたものの、結界そのものの防衛力には変わりがなく、未知なる強敵に対してはあまりに心許なかった。
やがて。
またある時。総括部のもう誰かが、この現状を打破出来る画期的な手段を提案した。それは、北斗が抱える優秀な法術師を人柱として外壁に埋め込み、結界を飛躍的に強化すると共に半永久的に効力を持続させる、というものだった。当時はまだ民間信仰が強かった時代であり、その事実は公然と発表され、そして何隠匿する事無く『作業』は行われたという。中には殺される事を恐れて逃げ出した法術師もいたそうだがただちに取り押さえられ、泣き叫びながら命乞いをする中、壁に埋め込まれたそうだ。
それからだった。ある時、一人の守星が深夜の警邏中にふとすすり泣く声を耳にした。辺りを見ても自分以外に人の気配はない。おかしい、と訝しみながら聞こえてくる声を辿ると、彼の視線は北斗を囲うその外壁に止まった。その瞬間、彼は驚きのあまり絶句した。外壁には、一面に血糊で法術の紋様が描かれていたのである。他にも、壁から顔だけを出して血の涙を流す女や、ヒステリックに叫びながら壁を叩く白い影を目撃した者が後を絶たなかったという。
スファイルはそこまで思い出し、恐る恐る外壁に視線を向ける。そこには月明かりに照らされた、やや苔の目立つ濃灰色の外壁が何ら変わらずそびえ立っていた。スファイルは特別怪談が苦手という訳でもなかったが、さすがに一度ラクシェルの巧みな語り口調で聞かされた怪談の現場に来るのは良い気分ではない。
さほど気に止めない事にしたスファイルは、また再び音程の外れた口笛を吹きながら歩き始めた。だが、意識して気に止めないようにしている自分に、スファイルは心なしか口元に苦い色を浮かべる。
冷静に考えれば、事実と辻褄の合わない所は無数に出てくる。まず、法術師を人柱にした所で結界は強化されないという事。仮にそれが迷信だったとしても、徹底的な現実主義である北斗総括部にとってその決断はあり得ない。そして、北斗の外壁はスファイルが知る限りで街の発展に伴う改築が五度も行なわれている。資料にも人骨が出てきたという記録は残っていない。話に出てくる守星が本当に血の方陣を目にしたのが事実だとしても、それは誰かが悪戯で赤い塗料で描いたものかもしれない。泣声だって、風の音をそう聞き間違える事もあるのだから。
そしてスファイルは足を外壁に向かって進める。
周囲は音という音がこの世から消えてしまったかのように静まり返っている。普段、どれだけ騒がしい事が苦手な人間でも、さすがにこの静寂には耐え難い苦痛を感じるはずだろう。聞こえてくるのは自分の呼気と足音、そして衣擦れだけ。思わず独り言を口走っても、理由には十分に相当する。
と。
「そろそろいいんじゃないかな?」
突然、路石の上に立ち止まったスファイルは、誰もいない闇夜に向かってそう話し掛けた。それは独り言ではなく、明らかに誰かに向けて放たれた言葉だった。スファイルはたった一人で遊回を続けていたにも関わらずだ。
「ここなら誰もいないよ。みんな出てくればいい」
スファイルはゆっくり視線を背後に向ける。その表情は温和な性格である普段の彼からは想像も出来ない、まるで別人のような冷たさと刃のような鋭さを混在させた恐々たるものだった。
「さすが兄さんですね」
そして。
スファイルの呼びかけに答えるためか、まるで闇から分離してきたかのようにヌッと人影が一つ、どこからともなく現れた。
「ずっと隙を覗っていたのですが。そう安々とは隙を見せてはくれませんね」
そう、青年―――エスタシアは含み笑った。
「買い被りですよ。正直、先ほどまで気がつきませんでしたから。それに、君と分かってからは警戒もしませんでした」
「何故です?」
「君は正直者ですから。背後から不意を打つなんて絶対にしませんよ」
スファイルの柔らかな棘のある言葉にエスタシアは少なからず不快感を示し、表情を保ちつつも奥歯を軽く鳴らした。
「さて。今夜もまた同じ用件ですか? 何度も言うように、僕は加担する気は一切ありませんよ」
「でしょうね。兄さんは頑固者ですから。だから、今回は方法を変えさせていただきました」
そう言ってエスタシアは、スッと夜空に向かって左手を掲げる。すると次の瞬間、暗闇の中で静まっていた別の気配が次々と現れた。
「な……まさか」
愕然と表情を崩すスファイル。その驚愕は、現れた面々の顔を見たためだった。何故、彼らがここにいるのか。その理解に苦しむ表情だ。スファイルは後をつけている人間がエスタシアだけではない事に気がついてはいた。しかし、彼が連れる人物達があまりに意外であったため、これまでの氷のような表情には打って変わった同様の色が濃く浮かび上がってしまう。
「これまでこの大陸は、ヴァナヘイム、ニブルヘイム、そしてヨツンヘイムの三国で成り立っていました。しかし、今ではもうこの力関係は崩れてしまっています。ご存知の通り、一昨年ヴァナヘイムはニブルヘイムに侵略をかけ敗北しました。ニブルヘイムはヴァナヘイムの肥沃な土地を手に入れたため、近年の国力増加は目まぐるしいものがあります。脅威を感じませんか? ニブルヘイムに。巨大に成長した国に対し、我がヨツンヘイムはあまりにまとまりがない。このまま戦争に突入すれば、結果は火を見るよりも明らかです」
淡々と落ち着いた口調で、現在のヨツンヘイムが置かれている状況を自らの目的を踏まえながら語るエスタシア。
ヴァナヘイムとニブルヘイムの戦争に関する一連事項はスファイルも知ってはいた。極寒の土地で暮らしていたニブルヘイムにとって、常春の気候と肥沃な土地を持つヴァナヘイム領はうってつけの戦果だったと呼べる。これにより、更なるニブルヘイムの発展が見込めるのは明らかだった。そして、勢いづいたニブルヘイムが向けるであろう次の矛先。それもまた、考えるまでもない事だ。
「これが最後です。協力していただけますか?」
刃物を喉元へ押し当てるかのような、冷たく威圧感に満ちたエスタシアの声。
だが、スファイルは密やかに目をつぶり、そして軽く口元を綻ばせる。
「しなければ、知り過ぎた僕を消す? 君にしては随分と大胆な判断ですね」
スファイルは右手をエスタシアに向けて広げる。するとその周囲には無数の青い粒子が集まり出したかと思うと、見る間に氷の大鎌が体現化された。スファイルはその大鎌を一度ぶんと振り、静かに戦闘態勢に入る。
「君が間違っているとは言わない。けれど、君は犠牲になる人の事を考えた事があるのかい? 僕にも納得のいく案が提示されない限り、僕は絶対に従わない。そして、北斗を脅かす『敵』として相対する」
「やはりそうですか」
軽い諦めの入り混じった溜息をつくエスタシア。
スファイルが応じない事はあらかじめ見当はついていた。それでも彼がこういったアプローチを取ったのは、後の不穏分子の排除と僅かな可能性を捨てきれなかったからである。
結論は出た。
そう言わんばかりに、エスタシアもスファイルに続いて腰に差した二刀を抜き放った。
「決着をつけましょうか。どちらの意思が正しいのかではなく、どちらの意思がより強いのかを」
TO BE CONTINUED...