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 テュリアスが叫んだ刹那。
「あっ!」
 テュリアスが示した方向から俺の目の前を、幾つかの人影が凄まじい速さで通り過ぎていった。
 真っ黒な影が六つ。まるで睨み合うように、五対一の構図で走り去った。
 その中に、おぼろげながらも俺ははっきりと見た。鬼気迫った表情をしたゾラスの姿を。尋常じゃない様子だった。たとえるならば、そう、まるで死ぬ事を覚悟したかのような。
「くそっ!」
 考えるよりも先に、俺は六人の後を追ってベンチから飛び出した。待って、と咄嗟にテュリアスが背中にしがみつく。けれどそのテュリアスが上着の中に入るのも待たず、俺は全力で走り始めた。
 まだ全部食べてないのに……。
 なんとか俺の体にしがみ付きながら這うようにして懐に入ったテュリアスは、名残惜しそうにそう呟いた。俺には食い意地が張ってるなんて言ったクセに、自分だってたった半分残ったハンペンにそこまで執着してるじゃないか。どっちが食い意地張ってるんだか分からない。
 とにかく俺は全力で六人が向かった方向へ走った。
 ゾラスといたあの五人に見覚えがある。そう、あの日に出くわした『修羅』の五人だ。そして何故かゾラスも、同じ『修羅』の制服を着ていた。俺にはそれが、まるで死装束を思わす重い覚悟の表れに見えた。
 とにかく俺は六人に追いつこうと走った。
 嫌な胸騒ぎがする。
 俺の脳裏を、あの日のゾラスの切なげな表情が過ぎった。それが俺の不安を加速させる。
 追わなくては。
 今、考えられるのはそれだけだった。
 薄闇を駆ける六人の姿は不気味なほど気配が薄く、はっきり目には見えているのに人間とそうでないものと区別して認識するのが酷く困難だった。時折通り過ぎる一般人も、俺には気づくのだけれど、先を走る六人の姿には誰も気がついていない様子だ。前にレジェイドから、『たとえ目の前に立っていても、それが人間だと認識出来なければ人の目には映らないものだ』と聞いた事がある。つまり六人はそれだけ自らの気配を殺して自らの存在感を希薄にして走っているため、彼らを人と認識出来ない一般人にしてみればただの通り風のようにしか感じないのだ。多分俺も、テュリアスに言われなかったら気づきもせず、みんなと同じようにただの風としか思わなかっただろう。
 凄い技量だ。
 後を追いかけながら、そう俺は感心せずにはいられなかった。
 重心の移動、息遣いどころか一挙動すらも正確には掴めない。存在そのものが希薄で、何とか後を追うだけで精一杯だ。
 俺も気配を立つ訓練はしているし、人並みには出来ているつもりだ。けれど彼らから比べてみれば、俺なんて気配を駄々漏れにした随分とお粗末なものと言わざるを得ない。本当の意味で気配を断つという事は、ただ単にじっと息を殺して潜む事ではなく、自分の存在を相手に認識されないようにする事なのだ。言葉で言うのは簡単だけれど、俺にはその感覚すら掴む事が出来ない。実際にそれを実現している人を目の当たりにしてみると、そこから何かを掴もうなんて考えるよりも、ただただ純粋な驚きが先行した。一体どうやったらこんな事が出来るのか。穏やかならぬ事態に打ち消せない不安を抱きつつも、頭の隅ではそんな気持ちを抱いていた。
 六人が真っ直ぐ向かう先は北斗の市街地。方角は北だ。
 北には北斗の中で唯一私的理由で戦う事を許された治外エリア、戦闘解放区がある。ここへ向かっているという事はつまり、六人がこれから本気で殺し合う可能性が高い。
 どう考えても、事態が不穏な方向に向かっているとしか思えなかった。
 事を交える前に止めなければ。
 しかしそんな俺の焦りを嘲笑うかのように、六人の気配は人気が減っていくに連れて一層希薄さを増して行く。神経を鋭く研ぎ澄ませていなければ、見えているのに見失ってしまいそうだった。それに気を取られているせいか、急いでいるのに足を速める事が出来ない。
 追いつけない。
 遂には弱気な事まで考え始めてしまった。既に六人の姿は完全に薄闇の中へ溶け込んでしまい、辛うじて気配のようなものを捉えているだけだ。しかしその気配も何か他のものを勘違いしているだけかもしれない。
 徐々に自分は見失ってしまったのではないかという不安感に捕らわれ始めた。
 いや、大丈夫だ。まだついて行けてる。
 けど結局は。気がつけば六人を完全に見失っていた。いや、本当はもっと前に気がついていて、それを焦りで認めなかっただけだ。きっとこっちの方だ。そんな推測を繰り返した当然の結果だ。
 どうする……? 早くしなければ!
 戦力構図は一対五。一人が五人分の力を持っていれば何とかなる、なんて単純な計算ではどうにもならない戦力差だ。
 ゾラスを死なせたくなかった。何とかして助けないと。けど、幾ら強く気持ちを抱いてもそれは空しく空回る。
「テュリアス、どっちだ!?]
 多分……あっち。
 テュリアスは首を傾げながら自信無さげに答える。人間よりも遥かに鋭い感覚を持つ神獣のテュリアスでさえはっきりと感じ取れないほど離れてしまったのか。
 方角は明らかに戦闘解放区とは違う方向だった。北斗の中で思い切り戦えるのはこの場所しかないはず。なら、こっちの方向は違うんじゃないだろうか? でも、今はテュリアスを信じるしかない。テュリアスの方が俺よりもずっと鋭い感覚をしているのだから。
 考える間も惜しみ、俺はその方へ走った。
 頼む、間に合ってくれ……!
 ただ一心に願い、走る。
 自分でも驚いたのだが、ついさっきまで抱えていた迷いはすっかり消えてしまっていた。レジェイドにはあれほど強くゾラスと関わらないよう言いつけられ、自分の意思とをどちらを選択すればいいのか悩んでいたのに、ゾラスを助ける事だけに集中している。後先の事なんてまるで考えてはいない。もう、ここまで来たらどうでもいい。なるようになる。
 そして。
 あれだっ!
 前方に薄っすらと、まるで蜃気楼のように浮かぶ六つの人影。五人が一人を囲んで仕掛けるのはあの時と全く同じ戦法だ。しかし、中心にいる人間……ゾラスは、今日は一方的にやられる事無く五人が次々繰り出す攻撃をいなしながら積極的に応戦している。
 よし、間に合った!
「どけぇっ!」
 俄かに活気付いた俺は、走った勢いで目の前の一人に蹴りを放った。
 ッ!?
 しかし、男はまるで背中に目でもついているかのように、難なく俺の攻撃をかわした。
 俺は自分の蹴りの勢いで五人の中心に転げ込んだ。奇襲攻撃で頭数を一人減らす作戦は失敗に終わってしまったが、何とかゾラスと合流出来た。それはそれで良しとしよう。
「き、君は……?」
「後で!」
 突然の俺の乱入に、ゾラスは驚きに満ちた表情を浮べる。しかし、すぐさま優先しなくてはいけない方を理解するなり、周囲を取り囲む五人に対してお互い背中合わせに構えた。
 とは言え、引き続き不利な状況は続く。
 戦法には定石というものがあって、一対五も二対五もあまり大差がないのだ。定石は絶対という訳ではないけれど、定石を引っ繰り返すにはそれ相応の力がなければならない。俺には見合うだけの力はあるのか。だが、今はそんな事を考える時ではない。
 来る……っ!
 幾分も間を開けず、一人が俺に仕掛けてきた。
 繰り出された男の手は握り拳ではなく、中途半端に開かれ指先を立てた奇妙な型だった。変形握拳とでも呼ぶのだろうか。確か流派『修羅』の得意とするのは、指先を攻撃の道具として用いる指拳だ。指先だけで人間を解体する事が出来るほどの威力があるらしい。この奇妙な型も、指拳を最大限に生かすためのものなのだろう。
 俺は深く身を沈めて、出来るだけ余裕を持って攻撃をかわす。この視界の悪さに加え、指先一つで相手を倒せる『修羅』の攻撃に対し、紙一重でかわすのは少々危険が大き過ぎるのだ。一度繰り出した腕は真っ直ぐしか
 男の攻撃は予想していたよりもはっきりと軌道を見ることが出来た。
 いける。決して絶望的な格差はない。
 その確信が、より俺の体に力を漲らせる。
 踏み込んだ勢いを前足に乗せ、震脚。その反作用を足から腰、そして背中へと伝えていく。何度も練習したその動作は淀みなく力を流していき、拳の一点に収束させる。
「ハッ!」
 気合と共に、俺は男の体を斜め上に突き上げた。
 まずは一人。
 確かな手応えがあった。一寸一分の狂いもなく、急所を打ち抜いた。これで当分は起き上がれない。
 残りは四人。
 俺は次の相手に狙いを定めようと、くるりと踵を返した。
 と、その次の瞬間。
「危ない!」
 ゾラスの声が飛んでくる。
 ハッと、俺は自分の背後に忍び寄る気配に気づく。同時に、両方の首側面にじわりと嫌なものを感じた。指先を突き立てようとしている。そんなイメージが脳裏に閃いた。
 まずい。
 この体勢からではかわし切れない。かと言って、人間を解体出来る『修羅』の攻撃を俺の首が受け止めきれるとは思えない。
 やられる。
 言葉よりも本能でそれを悟った。
 やがて来る衝撃に備え、俺は気持ちだけでも構える。
 が。
「ッ!?」
 バチィッ、と何かが弾けるような音が響く。
 衝撃が来ない。
 何が起こったのだろうか、と俺は背後を振り返る。するとそこには、闇を切り裂く眩しい雷壁があった。
 精霊術法の、しかも最も習得が困難とされる流派『雷夢』の術式だ。
 そして、その向こう側には見慣れた顔が。
「コラコラ。街中で暴れるのは犯罪行為だよ?」



TO BE CONTINUED...