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痛いぐらい、なんだ!
体の痛みなんて、どうせ次の日になれば忘れるほど些細な事だ。
本当に耐え難い痛みとは何なのか、それはこの右腕が教えてくれる。
私の力の無さの象徴。
過去の悪夢とその傷が塞がる事を許さない小さなナイフ。
いつまでも抉り続ける痛みを、私は耐え抜かなければならない。
しかし、その痛みすらもいつかは忘れてしまうだろう。
忘れなければ、人はいつまでも過去のしがらみに囚われ続けてしまうのだから。
本当にそれでいいのだろうか?
忘れる前に、じっくりと煮詰めなくてはいけない。
裏口から裏通り、そして更に抜け道へ。
「ほら、早く!」
ただでさえ入り組んでいる貧民街の細い路地を、奥へ奥へとひた走る。私は最後尾につき、遅れて足並みを乱すチビ共を小突いて無理にでも走らせる。背後を振り返ると、赤々と燃える炎が夜空を侵蝕せんばかりの勢いで上へと登り詰めている。先ほどよりも私達の方へ向かって来ている気がする。どうやら私達が逃げる速さよりも、炎が広がる速さの方が早いようだ。
「もう走れないよう」
「泣き言なんか言ってる場合じゃないだろうがっ! 死にたくなきゃ走れ!」
正直、こいつらにはかなり辛い距離を走らせているんだが、場合が場合だ。ボヤボヤしていたら国政騎士団の連中にやられてしまう。走り過ぎで死ぬなんて滅多に無い事だが、剣で斬られたら大概は死ぬ。どっちが生き残る確率が高いかなんて、改めて考察するまでもない。
ちくしょう、派手にやりやがって。
炎が照らすオレンジ色の光を目にするたび、今まで私達が暮らしてきた貧民街で騎士団の連中が好き勝手やっているのかと思うと、反吐が出そうなほど悔しさに身を焦がされる。本当なら今すぐにでも引き返して、私達の住処を荒らす連中をぶっ飛ばしてやりたいのだが、相手は国政騎士団の多勢だ、幾ら私達でも手も足も出ない。だからこそ、こうして悔しさに耐えてこそこそと逃げているのだ。
遠慮なしに侵攻される貧民街は、国政騎士団の手によって片っ端から解体されていく。抵抗する人間は元より、目に付いた人間は老若男女関係なく粛清という名目で殺している。連中は上からの命令でやってるんだろうけど、命令だからって平気で人を殺せる人間もまた狂ってると思う。人のものを奪って食い繋いでいる私達が人間性どうこう語るのは滑稽だが、少なくとも私らの方がまだ正常だ。
もう、仲間が三人も殺された。しかしあっちは武装しているためこちらには反撃の手立ては無く、しかもこんな状況だからかたきも取ってやれない。あまりに悔しくて涙すら出てきそうだ。
とにかく、今は死んだ仲間の事を悔やむより生きている仲間を一人でも多く増やす事を考えなければ。
ようやく路地を抜けると、貧民街の出入り口付近を東西に跨って走る通りに出た。そこは案の定、既に国政騎士団の連中が押さえている。貧民街の人間は一歩も外には出さないつもりらしい。やはり今日此処で皆殺しにしてしまうつもりのようだ。建物はみんな焼き尽くして。そうまでして、貧民街という存在を街から消し去りたいのか。こんな街を作ったのは、他ならぬこの街の人間だっていうのに。何から何まで、本当に最後まで自分勝手だ。
「どうするファルティア?」
一旦、見つからないように私達は路地に潜む。このまま出て行っては、普通にやつらに殺されてしまうのがオチだ。連中のぶらさげている剣はただの飾りじゃない。私らが今まで相手にしてたのは、一番手強くともゴロツキ程度だ。こちらの素人戦術が同じように通用するはずはない。
無事脱出するには、これまでとは違う何か良い手段を考える必要がある。
いつもの得意技で、角材でも振り回して頭をかち割ってやろうか?いや、正統な剣術を習得している騎士達を一度に相手にするのはあまりに無謀だ。第一、向こうは馬に乗っている。こっちの攻撃なんか届くはずがない。
ならば、飛礫はどうだろうか?
これも無理だ。ここから狙うにはあまりに距離が遠過ぎる。それに、一人に当てたとしてもその一投でこちらの居場所を知られてしまう。私らはともかく、今はチビ共もいるのだ。連中にそれを気づかれる事だけは避けたい。
こちらの被害を最小限度に抑えてやつらの封鎖を突破する方法。それが見つからなければ、このままここに隠れていてもいずれはやつらの仲間に見つかって殺されてしまう。考えろ。そして見つけ出せ。手は全く無い訳じゃないんだ。きっと何か良い方法が―――。
そうこうしている内に、貧民街を覆う火の手は全てを嘗め尽くそうとせんばかりの勢いで尚も広がりを続ける。一秒立ち止まれば、数歩火が広がる。人も死ぬ。自分の街が一方的に壊される事を甘受出来るほど私は大人しくはないけれど、今はそれよりも残ったこの仲間達を一人でも生かす事を考える方が重要だ。というよりも、それだけの余裕しかないのだ。
形振り構わず、決死の覚悟で望めば。
そうだ、まだ方法はある。
「よし、私がやる」
私は依然やつらに封鎖されたままのそこを睨みつけたまま、そう答えた。
「やるって……何を?」
「道を開いてやるっつってんのよ。アンタらはチビ共を連れて行け」
私の返答に動揺したのか、やけに上擦った声で何か言葉にならない言葉を続けてくるが、私は握り潰すように無理やり顔を掴んで口を塞いでやる。
「ボヤボヤすんなよ。合図なんか出してる暇なんかないからね」
それだけ言って、私は路地の暗がりから飛び出した。背後から制止やら驚愕やらの声が聞こえてくるが、私は聞こえないものとして振り切った。目指すはやつらが封鎖している、外街への出入り口。私は迷わずそこへ向かって走る。
作戦はいたって単純。私がやつらを引っ掻き回し、陣形を乱して隙を作る。そこからみんなが街へ逃げていけばいい。街の中に紛れ込んでしまえば、いくら国政騎士団でも捜しようが無い。つまり、ここから出てしまえば私らの勝ちなのだ。
敵の数は五人。多いとも少ないとも言い切れない微妙な数だ。かといって臆する訳にもいかない。私がやらなければ誰がやるというのだ。これまでもこんな風に私が一番危険な役目を難なくこなしてきたじゃないか。今回も今までのそれを同じなのだ。私ならきっと出来る。だから気を強く持とう。
やられたら、そこで終わり。奪われるだけ、踏みつけられるだけの人生は嫌だから、私は戦ってきたのだ。ここで負けるような中途半端な事をしてたまるものか。絶対に切り抜けてみせる。何が何でもだ。死ぬような思いなんか何度もしてきたじゃないか。これだって同じだ。
「おい、誰か来たぞ!」
「ん? あれは……」
私の足音に、封鎖している五人が一斉に気がつき視線を向けてくる。一気に五対一というプレッシャーが襲い掛かり、私の背中を後ろへ引っ張ってくる。しかし私は意地でそれを振り切り、たまたま視界に入った錆びついた鉄棒を手に掴んで構え、尚も突進する。
経験上、相手が自分達の頭数を圧倒的に下回ると、一斉に襲い掛かってくる事はまずない。大概が一人ないし二人で様子見をしてくるのだ。ここが狙いどころである。まずは盛大に出鼻を挫いてやる。
私は向こうまでの距離を目測で計り、射程範囲に入った瞬間、一気に加速した。足の裏から伝わってくる圧力が一気に倍化し、まるで一歩ごとに爆発でも起こっているかのような衝撃が続け様に襲う。
突然の加速に騎士達は対応しきれず、剣を抜かれる前に私は目前まで接近した。剣を振り下ろされれば一瞬で殺される間合いだ。破裂しそうなほど高鳴る心臓をこらえつつ、私は走った勢いをつけて鉄棒を馬の前足に叩きつけた。
「うわっ!?」
足を叩かれた馬は急に暴れ出し、立ち上がられたせいで乗っていた騎士はそのまま後ろへ転倒する。
隙が出来た。
私はそこから更に間合いを詰め、あえて騎士達の並ぶ真ん中へ突っ込んでいった。敵の真っ只中に乗り込むなんて危険なように思えるが、実は互いの距離が近すぎると迂闊に剣を抜けないという利点があるのだ。だから、これはむしろ安全な選択肢なのである。
私は次々と馬の足を打って暴れさせた。暴れ出した馬に囲まれるのは冷や冷やしたが、騎士達は次々と馬から降りたり落とされたりした。
よし、一旦ここは離れて……。
私は騎士達が起き上がる前に暴れる馬の中から飛び出すと、ついでに騎士の一人を踏みつけて間合いを取った。
さて、今のは挨拶代わりだけど、こっからがいよいよ正念場だ。どうやって切り抜けたものか。ひとまず、こいつらをうまく私に引きつけてここから離さないと。チビ共を連れた仲間が通れない。私は次の行動を模索しながら鉄棒を構え直した。
と。
「こいつ、あの時のガキだ!」
その時、不意に誰かがそう叫んだ。
ハッと私は声の上がった方を見やる。すると、馬から叩き落されてゆったりと体を起こしたその騎士の顔、それはどこかで見覚えのあるものだった。
こいつ……コカの時の……。
よく見ると、あの時にいたもう一人の騎士の顔もあった。
自分の不始末を自分でつけさせられた、と考えれば納得のいく人選なんだろうが。しかしこの広い貧民街、この封鎖ポイントで鉢合わせる確率はどれほどのものだろうか? 偶然かどうかは知らないけど、どうやら最悪の形で再会してしまったようだ。あの時は遠慮なしにやっていただけに、こっちへの恨みつらみは相当積もりに積もっている事だろう。
「あの時は世話になったな、このガキめ。おかげでこっちは、アレの穴埋めで瀬戸際に立たされちまったぜ。おまけに額は五針も縫うハメになった。この礼はたっぷりさせてもらわねえとな」
にやりと心底嬉しそうな表情を浮かべて、よろけながらも剣を抜き放つ。思わぬ顔を前にうっかり立ち尽くしてしまった私は、彼に続いて次々と剣を抜き放ち構える隙を与えてしまった。
あっちゃあ……マズったな。
頬を冷たい汗が伝い落ちるのを感じた。状況が最悪の方向へ流れている。どうにかして修正しようと良案を模索するも、すっかり焦ってしまった頭ではまるで浮かびはしない。剣を抜いた騎士五人に構えられ、こっちはたった一人だ。大した武器も無く、戦闘技術も習得していない。何をどうすれば、こちらの目的が達成できるだろうか? 奇跡でも起こらなきゃどうしようもない。
そんな弱気な事を言っている場合じゃないが、他に打つ手が無い以上、私は奇跡を期待する他なかった。けれど、受動的な奇跡なんてものはこの世にありはしない。今私がするべき事はただ一つ、文字通り死ぬ覚悟で飛び込む他無い。
が。
そんな時、追い詰められた私へ更に追い討ちをかけるような言葉が響き渡った。
「おい、あっちにいるのはこいつの仲間じゃないのか?」
TO BE CONTINUED...