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 どうして子供は可愛いかと言うと。
 自分にとっては他愛の無い事にも一生懸命に向かっていくからだ。
 その必死な姿が何とも愛らしく思う。
 かつて、自分にもそんな時代があった。
 あの頃は、いつも『早く大人になりたい』と背伸びばかりしていたっけ。
 もしかすると、子供時代の自分を重ね見ているのかもしれない。




 丁度、朝と正午の間時。
 私は東区の巡回を割り当てられていたため、明朝からいつものように大通りを回遊しながら歩いていた。守星の役目は、絶えず北斗中を巡回し、いつ何時敵集団に襲撃を仕掛けられても迅速に対応して被害を最小限に抑えることだ。私は年中北斗にある道路という道路を何度も何度も歩き回っている。そのため、まるで人体の血管のように複雑に張り巡らせた道路も、私はほぼ全てを網羅している。北斗は広い街だ。しかし私にしてみれば自分の庭も同然なのである。
 東区の巡回も、もう何度目になるのか憶えてはいない。どこに何があるのか、たとえそれが非常に些細な事だとしてもすぐに気づける。つまり正直な所。守星の巡回とは非常に退屈なのだ。この時間帯、東区だったら知り合いの居る『凍姫』の本部があるため、時折ファルティア達に会う事もある。かと言って、顔を合わせてもお互い忙しい訳であり、一言二言交わすだけで終わりなのだが。
 そんな日常ばかりを送っていた私だったが、今日は少し違った。
 リュネス=ファンロン。
 その娘は凍姫に入ったばかりの新人だった。リーシェイの話によると、リュネスは南区の事件の生き残りであり、その責任を感じたファルティアが本人の希望もあって引き取ったらしいのだ。とは言っても、自分から凍姫に入りたいなんてどんな変わり者かと思ったら。実際、昨夜の宴会の席で顔を合わせてみると、意外にもおとなしくて可愛らしい娘だった。控えめで儚い感じがとても興味をそそられる。
 そして一夜明けた今日。件のリュネス=ファンロンと私はばったりと会ってしまった。普通ならばリュネスは凍姫の訓練所でトレーニングの真っ最中であろう時間なのだが、何でも気分転換という事で外に出ているらしい。きっと、魔力の制御がうまくいかないのだと思う。これもリーシェイからの情報だが、リュネスのチャネルはSランクという計り知れないほど大きなものなのだそうだ。そのため制御も難航しそうだと苦い表情を浮かべていた。私も身内にAランクがいるだけに、その気持ちが良く分かる。本人も辛いのだが、それを見ている周囲の人間もまた辛いのだ。
 私はリュネスをお茶に誘った。
 実はこのリュネスなのだが。私の弟分であるシャルトちゃんの意中の人らしいのだ。だから昨夜の宴会では、口下手なシャルトちゃんのために色々と情報を引き出してあげようと思ったのだけど。自分でも気がつかなかったほど疲労が溜まっていたのだろう、普段ならば何でもない量であっという間に酔ってしまってそれどころではなくなってしまったのだ。だからリュネスの事も実際ほとんど分からない。だからこのお誘いは、リュネスという人間の観察とシャルトちゃんのための情報収集の二つの目的があるのである。
 しかし、案の定。
 なんとなく分かっていたのだが、どうにもこの娘は何事にも遠慮がちで、自分は常に一歩退くきらいがある。私がお茶に誘っても、奢る、という表現が良くなかったのだろう、すぐに遠慮してきた。けれど、今のリュネスはしばらくは精霊術法の制御から始まる訓練に忙殺される身だ。二人きりで話が出来る機会なんてそうはないはず。だから私は半ば強引に押し切って、一番近くにあった喫茶店に引っ張ってきた。
 きっと注文も私に遠慮して出来ないはず。喫茶店に入ってからも、私は席も注文も何から何まで決めてあげた。遠慮するのと決断力がないのとは根本的に違うのだけれど、結果はさして変わりはない。どちらかと言えば私は自分で決定するタイプだけれど、こうも素直にハイハイと返事されてしまうと逆に申し訳なさを感じてしまう。聞き分けが良過ぎるのだ。良くも悪くも。
 注文したのは、どこにでもあるクセの少ないハーブティーだ。注文して間もなくそれは運ばれてきたのだが、その間もリュネスは今一つ会話に入ってこようとしない。初対面に等しいから、やっぱり警戒されているのだろうか?
 私は一口、口に含んでみた。案の定、いまいちの味だ。いや、別にこの店が悪いのではなく、これは私の個人的な嗜好の問題だ。私はどちらかと言うと、もっとクセの強い方が好きなのだ。それがお茶の個性であり、それを楽しみながら飲む事が好きなのである。
 そしてリュネスは、黙ってじっとカップに視線を注いでいた。別にさして珍しくも無いものだというのに。やっぱり他の事を考えている。
「どうかした?」
 と、私は声をかける。すると、
「あ! い、いえ、何でもありません。いただきます」
 几帳面にそう言って、リュネスはそっと一口、お茶を口にした。
「あんまりそう固くならなくていいよ。別に話があるっていっても大した堅苦しい話じゃないしね」
「は、はあ……」
 と、気のない返事。どうにもこういう退くタイプの人間は、普段あまり接する機会がないだけに扱いが難しい。
「まあ、改まって言うほどの事でもないんだけどさ。なんていうか、ホラ。腹の中をぶちまけるってヤツ? いや、ちょっと違うか。とにかくさ、色々な事を話してもっとね仲良くなりたいって思うの、私」
 そして、またもや『は、はあ……』と気のない返事が返ってくる。やっぱり、まだまだ打ち解けられずにいる。とりあえず、今のペースを崩さないで明るく努めていよう。その方がリュネスも打ち解けやすいだろう。
「リュネスちゃんはファルティアのとこに住んでるんですって?」
「はい。部屋を一つ間借させてもらってます」
「けど、人が住む所じゃなかったでしょう? あそこはまるで人外魔境だもん」
「でも、部屋に移った日はまだ昼間でしたから、徹底的にお掃除はしたんで大丈夫です。夕方までかかりましたけど」
「人外魔境、ってのは否定しないんだね?」
 私にそう指摘され、リュネスの表情がハッと固まり、見る見るうちに真っ赤になって小さくなる。その仕草がなんだか可愛らしくて思わず笑みを漏らしてしまう。
「大丈夫大丈夫。そんなのみんなが思ってる事なんだから。今度ズバッと言ってやんなさい。自分で散らかしたものは自分で片付けなさい、って」
「い、いえ、そんなことは……ちょっと」
「真に受けないの。冗談だってば」
 くすくすと私が笑うと、リュネスはまた赤くした顔をうつむけて小さくなる。
 なるほどねえ。
 私は、どうしてシャルトがこの娘が好きになったのか、何となく分かった。知り合った経緯はどうあれ、考えてみればこのタイプの女の子は周囲に一人もいなかった。実際、あんまり女の子に興味とか見せなかったから、まだそれほど恋愛には関心がないのかなあ、と思っていたけれど。何の事はない、単に好みのタイプがいなかっただけの話だ。そして何よりも、この娘自身が非常に可愛い。やかましい連中に普段は囲まれているだけに、おとなしい性格が余計にそう思えてくる。
「ねえ、ところで。今、好きな人っている?」
 リュネスのような性格の人にこういう突っ込んだ質問をすると、普通ならばきっと『誰もいません』と無難な返答をするだろう。でも、ファルティアの人外魔境で丁度空気がなごんで調子に乗ってきている。うまくいけばポロッと喋ってくれるかもしれない。
 しかし、
「い、いえ、その……」
 うっかり漏らしてくれればいい。くれなきゃくれなくても構わない。その程度の気持ちで投じた質問だったのだが。
 ……あれ?
 リュネスの反応は、更に顔を赤くして体を小さく硬直させている。どこかもじもじと、何かを言おうとしているのかしていないのか、その判断に悩み悶えているかのような様子だ。
 はっきりとした否定の無い、この態度。
 もしかして―――。
「あ、ああ。無理に答えなくていいから」
 とある嫌な予感が胸に突き刺さった私は、すぐにでもこの話題を終わらせようと思った。思わず漏らした、ははは、という不自然な笑いが虚しく響く。
 これはまずい。シャルトちゃんのために良かれと思ってしたことだったんだけど……。まずいものを踏んでしまった。いや、どうせいずれは目の当たりにさせられる現実だ。深入りする前だったら、怪我も小さくて済むし……。うん、こればっかりは人の気持ちだからしょうがないさ。
 と、正当化。
 それがきっかけで、ふと会話が途切れてしまった。その沈黙は、元々リュネスはほとんど喋っていなかっただけに、そのまま喋りっ放しだった私の唐突な沈黙に繋がる。あまりに不自然な沈黙だ。
 気まずい。
 非常に気まずい。
 場を繋げるためにお茶を飲むものの、それもやがて底をつく。もう他にする事が無く、間が持たない。
 困った。
 リュネスという人間についてある程度は分かった。だったら今度はシャルトちゃんのために、どういうのが好きだとか嫌いとかを聞くんだけれど、それがどうも。あまり必要性が? うん……。
 と、その時。
「あの、ルテラさん。一つ聞いてもいいでしょうか?」
 突然、小さくなっていたリュネスが頭を上げて、そう小さな声で訊ねてきた。
「ん? なんでも聞いていいわよ」
 丁度、次の会話が出てこなくて困っていた所だ。私の方はもう何と続けたらいいのか分からない以上、リュネスから話題を提供してくれるのは実にありがたい。これで半端に空いた間も持つというものだ。
「その、少し失礼な質問かもしれないんですけど……」
 失礼な質問?
 意外な言葉に私は首を傾げる。この手のタイプは、相手に失礼となるような言葉は、たとえ相手にやれと言われても絶対に口にはしないはずなのだが。それを押してでも聞きたい事があるのだろうか?
「断り入れなくたって大概の事には動じないわ。身内に非常識人が多いから慣れてるしね」
 さて、リュネスが言うところの失礼な質問とは一体何なのだろうか? ファルティアの例があるだけに、私はちょっとやそっとのことでは失礼とも思わない。こんなに控えめなリュネスの言うことだ。きっとそれほど大した事でもないとは思うが。
 リュネスはやけに自分の言葉に躊躇いを持っていた。しかし、私がニコニコと悠然とした余裕に溢れた笑みを浮かべていると、ようやく踏ん切りがついたのか、またうつむき加減になっていた頭をしっかりともたげて私の方を向く。
 大きく息を吸い込むと仰々しく決心の表情を浮かべる。そして、
「それじゃあ……その。ルテラさんは、シャルトさんとはどういった関係なのでしょうか?」
 ……は?
 改まって何を訊ねるかと思ったら。私とシャルトちゃんの関係?
 意外にもそれは実にあっけないものだった。あんなに真剣な顔をするくらいだから、よほどの事と思ったのだが。一体この質問のどこにこれほどの覚悟が必要なのか疑問に思うほど実にあっけなかった。どこか拍子抜けした感すらある。
「あ、知らなかった? シャルトちゃんはね、私の弟分なのよ。つまり、私が保護者って訳なの」
「お姉さん……ですか?」
 改めて確認するように訊ねるリュネス。
「そゆこと。でも、それがどうかした?」
「い、いえ! ちょっと気になっただけですから」
 やけに慌ててリュネスは首を振ると、そのまま会話から逃げるようにお茶に口をつける。
 しかし。
 今まで凝り固まっていたリュネスの表情。それが微かにほころんでいるのを私は見逃さなかった。
 これは―――。
 そう、安堵の色だ。
 その時。ふと、私の脳裏にある予感が閃いた。リュネスの今の言動と、これまでとを比較して。不自然さの裏を推測してみると。とある推論が実に自然に浮かぶ。これはもしかすると―――。
「ねえ、何かお茶請けに注文するけど、どれにする?」
 私はテーブルにあったメニュー表を引っ掴んで互いの間に広げる。
 え? と訊ねるリュネス。しかし、私はいとまの言葉を許さず、強引にリュネスの分まで注文する。正直、幾つかメニューにはあるけどどれでも良かった。もう少しだけ、ここに足止めておきたい。それだけのための追加注文なのだ。そしてリュネスを食い止めている間に出来うる限りの情報を引き出さないと。しかもそれはリュネス個人の情報だけでなく、シャルトを第三者的に引き合いに出した相性を問うような質問も織り交ぜて引き出す。
 全ては可愛いシャルトちゃんのためだ。しかし、私は自分が最終的に下した結論を伝える気は毛頭ない。勝ち戦ほど恐ろしいものはないのだ。たとえその時は良くても、後から出てくる不具合やすれ違いの規模や確率がいっそう高くなるからだ。だから二人にはちゃんと相互の理解を自分達自身で深めておいて欲しいのである。私の役目は、その切っ掛けを作って背中を押すだけの裏方にしか過ぎない
 ふふっ。これは面白くなってきた……!
 私はそう密やかに笑みをこぼさずにいられなかった。



TO BE CONTINUED...