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 何者をにも屈する必要のなくなる力を、今、目の前にして。
 既にこの手に掴んだ力は、感動や達成感よりも新たな疑問を抱かせた。
 これが、私の望んでいたものなのだろうか、と。
 確かに力があれば辛い思いはしなくて済む。あんな辛い目に遭って、その思いは一層強まった。
 けれど、何かが違う。
 うまく説明出来ないけれど、力があるだけでは駄目なんだと、そう私の中で私が囁くのだ。
 だが、今はまだ無理に見つけ出す必要はないと思う。
 力を手に入れたと言っても、その力はあくまで過去の自分との相対的なものだ。あの二人の馬鹿はどうでもいいが、少なくともミシュアさんだけにはまだまだかなわないのだから。

 っていうか、勝てるのか? 私……。




「さて、これより訓練を始めます」
 冷やりとする口調のミシュアさんが、床に正座させられた私達三人の前にすっと立つ。
 私は真っ直ぐミシュアさんの顔が見られず、若干頭をうつむけて視線を足元の方へ向けていた。恥ずかしい話、ミシュアさんの一挙手一投足が恐ろしくて、自然と肩に力が入っていた。これほど同じ人間に対して恐怖心を抱きつづけたことは無い。いや、そもそも誰かを怖いと思う事自体がないのだ。今の自分のこんな変化に戸惑いを押し殺せないでいる。
 午前の休憩室でちょっとしたいざこざがあったんだが、そのせいで私達はミシュアさんに散々どつかれた。私は今朝もやられてるから、本日二回目となる。具体的にやられた内容を挙げていくと、延髄を直接素手で締められたり、そのまま背中の骨の出っ張ってる部分や肉付きの薄い部分を集中的にどつかれたり、手首から肩にかけて全ての関節を両手同時に極められて、やっぱり骨の出っ張ってる部分や肉付きの薄い部分を集中的にどつかれたり、そんな感じだ。あの地獄のような苦痛は二度と味わいたくないものだ。しかもその上、これだけの事を表情一つ変えず呼吸と同じぐらい自然にやるんだからたまったものではない。ミシュアさんはきっと悪魔か何かの生まれ変わりだ。
「それにしても、先ほどは派手な初陣でした。今後、私の許可を無くして類似する行為を行った場合は、基本的に生命の保障はいたしませんので各自留意しておくように」
 部屋の温度が二度三度急に下がったような肌寒さを感じ、思わず背中をぶるっと震わせる。
 今度やったら確実に殺されるな。
 私は、いや、その両隣のリーシェイと、そして紫髪のラクシェルもそう感じていた。こいつらも私同様にミシュアさんに散々どつき回されている。私は二回目だが、こいつらはさっきのが初めてだ。それだけにショックも大きく、惨めったらしく小さくなってヘコんでいる。リーシェイの余裕ぶっこいた面構えはすっかり負け犬顔になってるし、私を長椅子で散々ブッ叩いてくれたラクシェルは血の気を失っている。どいつもこいつもとんだ臆病者だ。三人の中で一番余裕があるのは間違いなく私だ。
 自分が一番度胸があるという優越感に浸りつつも、それに酔う事は部屋の空気が許さなかった。ミシュアさんはこれでもかというぐらい部屋の空気を緊張させ、私達に気を緩める事を許さない。ヘビに睨まれたカエルとはまさにこれの事を言うのか、まるで見えない縄にでも縛られているかのように動けない。というか、ただ迂闊に動く事がどんな結果をもたらすのか、それが恐ろしいのだ。
「ではまず、精霊術法の特性について再確認いたします。答えられる者はいますか?」
 そうミシュアさんに問われ、反射的に私は首を横に振ってしまった。まあ実際、渡された書類を読んでいないから分からないのは本当なんだけれど。
 と。
 ミシュアさんがじろりと私を睨みつけてくる。その突き刺すような視線に私はどつかれた時の激痛を思い出し怯んでしまう。しかしミシュアさんは私を掴み上げるような事はせず、ただすっと右の人差し指を伸ばし、私の方を差した。その次の瞬間、
 どすっ。
「だっ!?」
 不意に正座していた私の両太腿に衝撃が起こる。すぐさま目を向けると、それは抱え上げるほど大きな氷のブロックだった。
 一体どこから現れたのだろうか?
 私は驚きのあまり大きく目を見開いたまま、足の上に乗った氷とミシュアさんとを見比べる。
「要約すれば、このような事も可能、ということです」
 なるほど、とリーシェイとラクシェルが私を見ながら肯く。
 つまりこの氷は、ミシュアさんの言う精霊術法というもので作り出されたものだという事か。って、感心している場合じゃない。この氷、冷たいのはさる事ながら足の上に乗っけ続けるにはあまりに重過ぎる。このままじゃ、私の足がどうにかなってしまいそうだ。腕なら一本無くてもなんとかなるけど、足の一本は洒落にならない。足がなくなったら体の動作は制限されてしまうし、蹴りだって使えなくなってしまう。
 そんな事になってしまったら一大事だ。私は氷の固まりをどかせようと手をかけた。だがしかし、氷は私の足にぴったりと張り付いてがんとして動こうとしない。それどころか、一層重くなったような気がする。
「精霊術法にとって最も重要なのはイメージです。イメージがそのまま体現化する精霊術法にとって、より鮮明なイメージを、そして迅速に作り出す事は戦局を左右する最も重要なファクターです。己が精神力を鍛える事が、そのまま精霊術法の技量となります。この先、生半可な心力ではかえって邪魔になるという事を知りなさい」
 イメージが精霊術法の力、なのか。
 正座する足を尚も苛み続ける氷塊の感触に耐えながら、私はミシュアさんの難解な語句で構成された今の説明をゆっくり咀嚼した。
 自分が思い描いた通りの事が現実になる。それが精霊術法っていう技術だ。で、ミシュアさんは私の足の上にイメージを描いてこの氷塊を作り出したと。
 その仕組みはまだサッパリ理解してないけど、とにかく凄い事だというのは分かった。何でも思った事が現実になるなんて、普通に聞いたらあまりに突飛だから胡散臭く聞こえて仕方がない。しかし、現にこうしてその力の一端を目の当たりにしてるだけじゃなくて実際に肌で感じている訳だから嘘偽りではない。
 そして何より凄いのは、もう今の私にはこれが使えてしまう事だ。イメージを実体にするなんて如何にも高等そうなものに思えるが、実は午前の具合悪くなったあれだけで誰でも使えてしまうのだ。これまではどうも信じきれなくてほとんど期待はしてなかったんだけど、その実体を知るや否や燻ってた懐疑的なものが一気に好奇心の塊に変化した。早くこの画期的な力を思い通りに奮いたい。お腹を空かせながら御飯が出来るのを待つ心境に似ている。
「本日の訓練は、イメージを描き、それを体現化するまでの一連の流れを習得してもらいます。体現化するものに関しては優劣は問いません。ひとまず流れだけを把握してもらえば結構です」
「それ、どうやってやるんですか?」
 早く知りたい!
 今にも爆発しそうだった私の好奇心に火を点けるその言葉。
 反射的に私は飛び出さんばかりの勢いでミシュアさんに問い返した。しかし返って来たのは、黙れ、とただ一言、口の中に捻り込まれそうなほど威圧的な視線だった。うっかり話の腰を折ってしまった事に気がついた私は、慌てて口を閉じて大人しく縮こまる。ふっ、と一息、疲労に満ち満ちた溜息が頭の上から聞こえてくる。同時に、耳には聞こえない嘲笑が左右から聞こえた。くそっ、馬鹿のクセにむかつくやつらだ。
「訓練を始める前に。二、三、注意点を。決して大規模なものをイメージしないように。制御に失敗した場合、大事故に繋がる危険性があります。短時間に連続してイメージするのも禁止です。理由は先日渡した資料に記載された通りです。残念ながらこの中には、文字を読む事に大変な苦痛を伴う者がいるので理由の詳細な理解までは強要しませんが、制御が未熟な内は連続した術式の使用は事故を誘発する危険性がある事だけは留意して下さい。何か質問は?」
 危険性、という単語に、何か重要なことを言っているんだな、と私は咄嗟に思った。とりあえず理解したのは、派手なモノはイメージするな、適度にやれ、の二つだ。まあ、なんにせよ。ヤバそうだったら雰囲気で分かるだろう。その時は速攻でやめればいい。
 とりあえず、もしもしくじったらどうなるんだろう?
 ミシュアさんは質問はないかどうか聞いてるし、今度こそ喋っても怒られないだろう。私は一つだけ浮かんだ疑問を問うてみる事にした。
「事故ってどんな事故なんですか?」
「消えます」
 こっちはかなり軽い気持ちで投げかけた問いだったのだけれど、返って来たのはあまりに簡潔で重い言葉だった。このあまりの温度差に、私は表情を強張らせてしまう。
 死ぬ、とかじゃなくて、消えるんですか……。それって事故レベルじゃないような気がするんだけど。でも、ミシュアさんが言うんだからなあ。この人は絶対に冗談なんて言わないし通じなさそうなタイプだし。
「ふむ。ならばファルティア、どんどん術式を行使してくれ」
 と、リーシェイが唐突にそんな事を私に言った。
「は? なんで?」
「たとえるならば、自動ドブさらい、という事だ」
 そして、私達は各自トレーニングに入った。
 ミシュアさんから教えられたのは、頭の中にイメージを描く事と、それを体のどこか一部に集中させる事の二つだった。術式は集中させた部分から体現化されるのだそうである。
 私はさっきから早くやりたくてやりたくて仕方なかったので、そのやり方を教えてもらうなりすぐさまイメージングに取り掛かったんだけど。
「うぬぬぬ……」
 イメージは出来る。しかも、まるでそこにあるように思えてしまうほど精細なものだ。にもかかわらず、なかなかうまく体現化出来ない。左の手のひらと睨めっこを続けて随分経つが、じんわりと汗が滲むだけで何も出てはこない。
 そうこうしている内に、
「出来たぞ」
 声を上げたのはリーシェイだった。
 そんな馬鹿な!? こっちはまだ出来てないっていうのに!
 疑う気満々でリーシェイの方を睨みつけると、確かにリーシェイの手のひらには氷の塊みたいなものが出来上がっていた。
「おい! それ、隠し持ってたんだろ!?」
「お前は物理学を勉強した方が良いな。人並みに至るまで」
 リーシェイは勝ち誇ったような嘲笑を浮かべ、フンと鼻を鳴らしながら私を一別する。その態度、腹が立つよりも何より、馬鹿に先を越された事が悔しくてたまらなかった。
 くそっ、私だってなあ!
 私はせめて間を空けずにリーシェイに続こうと、すぐさまイメージングに取り掛かった。術式の体現化が出来た順番は、実力のある順と見ても間違いはない。今、この瞬間。私はリーシェイよりも実力が劣ると、周囲の人間はそう評価した事になる。こんなもの、黙って受け入れられるはずが無い。
 だが、
「あ、出来た」
 直後、そのマヌケな声を上げたのはラクシェルだった。
 またもや振り返ってラクシェルを睨みつけると、やつの手のひらには不細工な氷の塊が浮かんでいやがった。あんなもの、出来たからなんだってんだ。そう私は思ったけど、そんな事を言う自分はそれすらも出来ない。どう罵ろうと、出来ない人間が出来る人間を罵った所で、惨めったらしい嫉妬以外の何物にもならない。
 これで出来ないのは私だけか……。
 もはや悔しさの涙なんかも出やしない。私ってこんな馬鹿にも負けるぐらい弱かったっけ? しきりにその事実を否定したがる自分があまりに情けない。
 もう、恥も外聞も構ってられない。
 そう思った私は、ミシュアさんに懇願した。
「あの、何かコツとか無いですか?」
 ミシュアさんも私の気持ちを汲んでくれたのか、それほど渋い表情はせず、相変わらず凍ったような静かな口調で答えた。
「強いて言うなれば、自分に馴染みの深いものをイメージの対象になさい。それならば詳細なイメージを描くのも簡単でしょう」
 私に馴染み深いもの……。
 とにかく、どんじりが確定してしまった私が汚名を挽回……いや、返上するには、馬鹿共よりもっと派手でレベルの高いものを体現化するしか他無い。たとえ上達が遅くとも、技術が格段に上まってれば文句なんてつけようがないだろう。いや、そもそも、技術が上まった時点で私の方が上達が上という事になるのだ。
 さて、何をイメージしたものやら。私に馴染みが深くて、尚且つ私の方が実力が上であることを証明するのに十分な逸材。何かなかっただろうか>
 あ、そうだ。
 ふと私は閃いたそれを早速頭の中に描き始めた。
 精霊術法は、思い描いたものをそのまま体現出来る。だったら、無くしてしまった右腕も再生出来るかもしれない。しかも、元々私の体の一部だったものなのだ。詳細なイメージが描けないはずがない。
 よし、いける。
 脳裏にはこの間なくしてしまった右腕のイメージが、まるで本物のように浮かび上がっていた。小さな黒子の位置や爪の形まで。新しく生え変わったかのような、我ながら生々しい出来栄えだ。
 私は出来上がったイメージを、右腕の断面に向ける。途端に、その断面が疼くような妙な感覚に見舞われた。これはいける。私は改めてその確かな手応えを噛み締める。
 イメージが、肩から無いはずの指先に向かって走る。一つの閃光が走るたび、失われたはずの私の右腕が再び構築され始める。二度と戻る事の無いと思われた、肌で何かを感じる感覚がおぼろげに思い出される。まだはっきりと感じ取っているのか、錯覚の域を出ている自信はなかったが、確実に自分の右腕が戻りつつ自覚があった。
 いける。必ずいける。
 私の興奮は更に高まり、際限なく加速していく。
 そして。
「出来た!」
 イメージの体現化が終わるなり、私は蘇ったばかりの右腕を振り上げながら嬉々としてそう叫んだ。どうだ、てめえら馬鹿共には出来ないだろう。そんな優越感に浸りながら。
「なんですか、それは?」
「右手!」
「奇抜な腕を持っていたのですね」
 ミシュアさんに冷たくそう言い捨てられ、ハッと興奮に水をかけられた私は自分の構築した右腕を見直してみた。私の肩から生えていたのは、イメージとして描いていたはずの右腕ではなく、まるで……そう、カブトムシの前足のような物体だ。
 馬鹿共の馬鹿にした笑い声が聞こえる。私はうぬぬとうなりながら唇を噛んだ。
 どうやら、幾ら馴染みが深いものとは言ってもすぐにはできないようである。



TO BE CONTINUED...