BACK

 何のために強くなった?
 今一度、その疑問が俺の頭を過ぎる。
 北斗に来て二年、俺はまるで別人のように生まれ変わった。
 その一環として始めた、夜叉のトレーニング。それが一人では何も出来なかった心身を強くした。
 あの時、俺は強くなることを望んだ。もう、二度と自分が傷つけられないために。そして、俺は強くなった。少なくとも自分の身を守れるぐらいには。
 ある時、レジェイドは言った。
『北斗の人間は、人を守れなければならない。最低限、自分の大切な人が笑って暮らせるぐらいには』
 俺はその時から強さの目標を変えた。大切な人とか良く分からないけれど、誰かを守るために強くなろうと、ただ純粋にそう決心し、トレーニングに励んだ。
 けれど、結果はどうだろう?

 俺の好きな人。
 大切な人。

 泣いている。




「ここに隠れて待ってるんだ」
 俺はリュネスを廊下の隅に隠れさせると、名残惜しかったがこれまで繋いでいた手を離した。
「すぐに戻る」
 不安げな表情で俺を見上げるリュネス。しかし、俺はそんな無味な言葉しかかけてやることが出来なかった。もっと気の利いた言葉もあるだろうに。言葉を多く知っているのと頭の回りが速いのとは、やはり根本的に違うようだ。
 リュネスに背を向けると、途端に手が震え始めた。
 確かに、先ほどリュネスへ手を差し出した時は正直緊張した。手の震えを抑えるだけで精一杯だった。その直前には、リュネスのあんな姿まで見せられてしまっている。更にその姿でしがみつかれもした。それが好きな女の子だったのだから、意識するなという方が無理な話だ。
 緊張してなんかいられない。今は緊急事態なのだ。どうやったのかは知らないが、敵は守星の目を掻い潜って潜入してきたようだ。ならば夜叉の一員である俺が、援軍が来るまで出来る限りの対処をしなくてはいけない。それが北斗としての役目なのだ。
「テュリアス、リュネスの所に居てやってくれないか?」
 ……シャルトがそう言うなら。
 どうやら不服であるようだが、一応承諾してくれたテュリアスは俺の肩からひょいと飛び降り、リュネスの元へと駆ける。テュリアスは不思議な力を持っている。いざという時、きっとリュネスを助けてくれるはずだ。
 前から気づいていた事だが、テュリアスはどうもリュネスの事が嫌いなようだ。理由を訊ねても、まるで拗ねたように口を閉ざし答えてくれない。そういえばこういう態度はリーシェイにも取っていたっけ。でもあれは、単に俺が苦手だからそうしているだけだろうし。いまいちよく分からない。
 足早に廊下を歩き店の方へ向かう。どれだけ足を速めても、決して足音は出る事はない。隠形術は基礎からみっちりとレジェイドに教え込まれたのだ。まだ一度も誉められてはいないけれど。
 薄暗い廊下の向こうに光が差し込んでいる。そこを黒い影が行ったり来たり。気を向けると、人間の気配が四つ感じた。その内二人がリュネスの両親として、二対一。人質を盾にされる可能性もある。奇襲をかけ、速攻で決めるしかない。靴は履いていないが、逆に板張りの床ならばその方が踏ん張りが利く。足の速さには自信があるのだ。これを最大限に生かして決めてしまおう。
 光の漏れ込む出入り口の傍に静かに近寄り、そっと店側の様子をうかがう。
 ―――と。
「誰だ!」
 突然、店の方から鋭い怒鳴り声が俺に襲い掛かってきた。
 しまった。
 音は消していたつもりだが、肝心の気配までは消し切れていなかったようだ。どうりでいつもレジェイドに叱責される訳である。
 相手に自分の所在を知られてしまっているならば、このまま隠れていても仕方がない。俺はすぐさま店の中へ突入した。
「死ねっ!」
 その刹那、まるで俺が飛び込んでくるのを待ち構えていたかのようなタイミングで一人の男が襲い掛かってきた。男は真正面から、手にしていた幅の広い剣で鋭く弧を描く。咄嗟に俺は宙へ飛び上がった。同時に振り放った剣が空を切り、男の重心が僅かに剣へ振られる。その隙を逃さず、俺は飛び込んだ勢いを乗せ、男の喉を目掛けて蹴りを放った。ぐにゃ、という柔らかい感触が足の裏に伝わる。男の体はまともに威力を受けて吹っ飛んだ。
「誰だテメエは?」
 着地した俺に、六つの目からなる視線が突き刺さった。
 一人。見るからに力に物を言わせていそうな体格をした大柄な男。
 一人。顎鬚を生やし、腰に剣を帯びた男。
 一人。おそらくはリーダー格。黒い革の眼帯を当て、テーブルの上に腰掛けて瓶から酒を飲んでいる男。
 いない。
 俺は、残る敵は二人と思っていた。そして、今その内の一人を倒した訳だから、残りは一人。にもかかわらず、目の前にいる敵は三人。二人多い。
「お前、もしかすると北斗か?」
 リーダー格らしき男がそう訊ねる。
 しかし、俺はそんな言葉に耳を貸してはいられなかった。しきりに店中へ視線を走らせる。リュネスの両親がここにはいるのだ。
「あ……」
 そして、見つけた。
 それは三人からやや離れた床の上。見覚えのある二人がそこに寄り添うように倒れている。
 大きな血溜まりを作りながら。
「……殺したのか?」
「こいつらの事か。なんだ、知り合いだったのか?」
 男はまるでつまらない事のように軽々しく二人を顎で指し示す。
「殺したのかと訊いている……!」
「殺したも何も、見れば分かるだろ? こいつら最後まで『娘はどうか娘はどうか』って言ってたっけな。ああ、殺しはしねえよ。だが、俺の部隊にはあんぐらいの年頃のが好きなヤツがいてな。それだけはどうにもならなかったぜ」
 嘲笑、一つ、二つ、三つ。
 瞬間、自分の中で何かが弾けた。
 抑えろ。感情を走らせてはいけない。
 いつもなら、すぐにまるで呪文のように唱えるそれも、今はまるで浮かんでこなかった。頭の中が殺意一色に染められる。俺はこれほど人を殺したいと思ったのは初めてだった。北斗という立場上、今まで結果的に人を死に追いやったことはあった。でも、決してそれは俺の望む死ではなかった。殺さなくてはいけない。けど、一度足りとも自分で望んだ事はなかったのだ。
 しかし、今は違う。目の前のこいつらを殺してやりたい。心から連中の死を望んでいた。いや、こいつらは人間じゃない。人間じゃない。人間じゃない……。
「ん? おい、見ろよ。震えてるぜ」
 ふと、嘲笑の的が俺に向けられる。
 その言葉に、俺は初めて自分が震えている事に気がついた。震えは先ほど止めたはずなのに。震えの原因は考えるまでもなかった。それは怒りを通り越した吐き気がするほどの殺意を、体の外へ出て行こうとしているのを抑え込んでいるからだ。
 俺にはもう躊躇いはなかった。
 殺意が加速する。
 俺は冷たい殺意を抱えたまま、疾と踏み込んだ。
「!?」
 向かった先は、あの大柄な男。
 俺は軽く飛び上がると、男の狼狽した顔に目掛けて蹴りを放った。ごん、と骨と骨のぶつかり合う鈍い音が辺りに響く。男の体が背後にぐらっとよろめいた。重心が散漫になった事を確認した俺は、着地と同時に体を半回転させ、みぞおちに目掛けて更に蹴りを放つ。
 幾ら鍛えても決して筋肉の鎧がつくことのない人体の急所。そこへまるで加減のない全力の蹴りを放った。力には二種類あり、俺はそれらを、遅力、速力、と呼んでいる。遅力とはゆっくりとした持久的な力。速力とは一瞬の加速的な力だ。基本的に格闘技の打撃技は、全力で放った場合は後者の速力がかかる。放たれた運動エネルギーは、真っ直ぐ加速的に伸びていく。つまり俺の回し蹴りもまた同じように、衝撃が男の体を打ち抜く。基本的にガードは無意味だ。俺の蹴りの衝撃はカードを貫通するのだから。
 衝撃に体を打ち抜かれた大男は、白目を向いたままずしんと膝をつき、そして床に突っ伏した。そのまま固まり動かなくなる。もう目を覚ますこともない。今の一撃で、内臓の幾つかを破裂させたのだから。
「な……?」
 一瞬の出来事に狼狽する二人。
 しかし、俺は何の躊躇いもなく次の標的目指して駆けた。思考が完全に凍り付いていた。あまりに強過ぎる殺意に塗り潰されてしまったせいだ。
「くっ!」
 次の標的は剣を持った男。
 男は咄嗟に剣の柄に手をかけた。
 遅い。
 それよりも早く。俺の拳が放たれた。拳は正確に男の心臓を打ち抜く。男は声にならない悲鳴を漏らしながら打たれた胸を押さえる。無駄だ。どうせ助からない。衝撃を受けた心臓は間もなく止まる。第一、折れた肋骨は既に肺を貫いている。あがくだけ無駄だ。
「な……ちょっ―――」
 最後の一人。革眼帯の男は恐怖の色をありありと浮かべていた。
 それでも躊躇わなかった。
 俺は男の首に手を伸ばした。そして、そのまま出せる限りの力を込める。鈍い音と感触が伝わってきた。革眼帯の男は一度全身をピンと強張らせると、糸の切れたマリオネットのように力を失った。窒息する間もない。頚椎も、声帯も、動脈も、骨ごと潰した。
「くっ……」
 動かなくなったその下らない残骸を放り捨てると、再びむせ返るような不快感が俺を襲った。思わず耐え兼ねて額を押さえる。しかしそれは一向に引く気配がない。当然だ。それを止めるには薬を飲む以外、他ないのだ。
 手探りで、ベルトに取り付けてある薬の入った小さなポシェットを開け、中から錠剤を幾つかまとめて掴み出した。そのまま貪るように口の中へ放り込み、力の限り噛み砕く。薬特有の苦味が舌を刺すが、この不快感の前にはどうでもいいことだ。
 嚥下した薬の冷たい感触が、俺を苛む不快感を鎮めていく。その効果は強く、まるで今までのそれが嘘のような火急さだ。
 ―――と。
「シャルト……さん?」
 背後から、そうぽつりと聞こえてくる一つの声。
「リュネス!? 駄目だ、まだ―――」
 ここに来てはいけない。
 思わず俺はそう叫びかけた。しかし、俺は口にはしなかった。いや、出来なかった。それよりも早くリュネスの表情が豹変したからだ。それの意味する所―――。たった一つしかない。
「お父さん?……お母さん?」
 ふらふらと、まるで熱病に浮かされているかのような足取りで、奥に横たわる二人の元へ向かうリュネス。
 俺に歩み寄り、そして脇をすり抜け通り過ぎていくリュネスの体を後ろから抱き締めそうになった。抱き締めてでもあの元へ行かせたくなかった。きっと、もっと傷つくだろうと思ったからだ。
「嘘……嘘でしょう?」
 リュネスは二人の元へ辿り着く前に力を失い、床へ崩れ落ちるように膝をついた。
「すまない。もう既に……」
 手遅れだった。
 そんな事、言えるはずがない。それに、そんな言い訳をしたとしてもリュネスの気持ちが癒される訳ではないのだから。
 もう少し早く目が覚めていれば。あの時、見栄を張って無理に飲んだりしなければ。
 今の俺に出来ること。それは―――。
 俺は一度、先ほどまで自分が眠っていた部屋に戻り靴を履いた。再び店に下りてくると、リュネスは未だへたり込んだまま動いていなかった。それがリュネスの受けたショックの大きさを現している。
 俺はベルトの後ろに吊っていたグローブを取り出した。それは一見すると普通の手袋なのだが、甲とナックル部分がミスリル金属で補強されているのである。
 グローブをはめ、俺は店の外へ歩いて行く。手になじんだグローブの感触を確かめながら、一度両拳をぶつけてがちんと鳴らす。
 と。
「シャルトさん! どこに……行くんですか?」
 まるで追い縋るような、悲しげなリュネスの声が背中から浴びせられる。
 泣いている。
「行かないと……敵はまだいる」
 嗚咽を押し殺したようなその声に背を掴まれる。けれど、俺はそれを振り切った。情に流されてはいけない。街の防衛を役目とする北斗の鉄の規律が、俺の頭に強く響く。今、ここでリュネスの傍にいてやれば、少しは悲しみを和らげてやる事が出来るかもしれない。しかしそれでは、守星がうまく機能していないらしいこの事態で、第二第三の被害が起こるのも時間の問題だ。だから俺は、行かなければならない。
「テュリアス、もう少しリュネスの傍にいてやってくれ」
 分かった。
 俺のすぐ後ろにいたテュリアスはうなづき、そしてリュネスの元へ駆けた。今度はあまり不満げな様子がなかった。テュリアスもリュネスの事を案じてくれているのかもしれない。
 北斗は、誰か一人を守るための集団じゃない。大勢の力のない人達を守るための集団だ。その根本には数の大小を取るという残酷な決断が迫られている。俺はいかなければならない。一人の人間のために、大勢の人間を危険に晒してはならないのだ。それがどんなに大切な人だとしてもだ。
 俺は、北斗だから。



TO BE CONTINUED...