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後悔ばかりに頭を占拠されてしまうと、鬱な事しか考えられなくなる。
俺はあの日以来、ずっと毎日のように鬱気に苛まれていた。
あの時、こうしておけば良かった。
もう、何度繰り返したのか分からない。
後悔をしない生き方というのは、夢に浸らずその時の理想論に従う事。
どうして俺はこんな事に気づけなかったのだろうか。これが未だレジェイドに『子供』と呼ばれ続ける由縁なのだろう。
はあ、と溜息が口を突く。
昼休み。普段ならば空腹に身を浸し、今日は何を食べようか、と心を躍らせる時間なのだが。今日もまた、そんな気にはなれなかった。空腹感は確かにある。何か食べたいと当たり前のように思う。しかし、それを満たすための手段をあれこれ思案する事を楽しむ気にはなれないのだ。
ここの所、ずっと気のない食事をしている。いつもなら、あれが食べたい気分だから、とかの何かしら理由があるのだけれど。今では、なんとなく、と空腹に比例した食欲もなく、ただ淡々と作業をこなしていくかのように食べていく。味や嗜好はどうでもいい。気分を更に鬱屈させる空腹感さえ満たされるのであれば。
体がずっとだるい。疲れている訳ではなく、ただ気持ちが底なし沼にはまってしまったかのようにどこまでも沈んでいくのである。取り立てて何かをやりたいと思う訳でもなく、普段の一日に起こる出来事を淡々とこなしていくだけだ。行動意欲が湧かない。幾ら眠っても体に力が入らない。ただ無気力な日々が流れていく。
このままじゃいけない。
自分への危機感はあった。そして、こうなってしまった原因もちゃんと自分で分かっている。
もう五日も前になる。その前日、俺は両親を失ったばかりで傷心していたリュネスを一人残して来てしまった事を後悔し、封鎖中ではあったが何とか目を掻い潜って南区の爛華飯店を訪ねにいった。しかし、不幸にも丁度建物の前で知り合いと出くわしてしまい、そのまま慌てて逃げ出してしまった。翌日、厳戒態勢も解除になったのでもう一度、今度は堂々と爛華飯店を訪ねてみた。しかしそこは『風無』によって後処理がなされてしまったのか、店の床はあれほどおびただしく広がっていたはずの血溜まりが嘘のように消えており跡形もなくなっている。人の気配もまるでなくひっそりと静まり返り、当然だがリュネスの姿もどこにも見当たらなかった。
リュネスがどこかへ行ってしまった。
あの晩、俺がリュネスを助けたのだから死んでいるという事は絶対にない。それに、このヨツンヘイムには北斗ほど安全な場所はないから、危険を承知で北斗を出てしまうという事もまず考えられない。リュネスは間違いなく北斗のどこかにいる。いるのだけれど。どこにいるのか、皆目見当がつかない。
そして、それ以上の後悔が俺を責め苛む。あの時俺は、傷心のリュネスを一人残してしまった。自分には何も出来ないから。いや、力付ける自信がなかったから。たったそれだけの事で、ちっぽけな見栄で、自分の好きな女の子であるはずのリュネスを―――。この罪悪感にも似た思いが鋭いナイフとなって胸をえぐってくる。
俺はリュネスを見つけ出す方法をすぐさま考えた。
人捜しのスキルはまるでないけれど、力技で虱潰しに捜す事は出来る。しかし、北斗は広い。人口だけでも五千近くある、ヨツンヘイム最大の都市だ。戦闘集団北斗が占める割合はおよそ二割程度。それを除外するとしても、残りは四千。はっきり言って、個人レベルでは捜せる数ではない。
風無に頼もうかとも考えた。諜報に優れる風無ならば、人間一人探し出す事ぐらいはあっという間にやってのける。だが、風無は基本的に個人レベルの要請ではまず動いてはくれない。風無の頭目によほど強力なコネクションがあるか、北斗本部に要請してもらわない限りは絶対に無理だ。
どうすればいい?
ただそうやって俺は悩み続けるだけだった。いや、こうして悩んでいる暇があれば少しでも行動に移せばいいのに。そうは思うけれど、虱潰しに捜した所で一体どれだけの時間がかかるのだろう? 一週間? 一ヶ月? 一年? 長過ぎる。だが、こうして具体的に時間が定まっているならまだいい。現実はリュネスを見つけ出す時間がどれほどのものになるのか分からないのだ。リュネスと会えないという苦痛の時間がどのぐらい続くのか分からず、ひたすら耐え続けながら捜すなんて俺には出来ない。
きっと他にもっと良い方法があるはず。
そんな絵空事に浸り、自分を慰める事ばかり繰り返していた。初めの何日かは真剣に方法を考えていた。でもその過程の中で見つけたのは、自分の無力さの再認識だけだった。それに打ちのめされた俺は、いつの間にか自分の腕力以外の力の所在ばかり求めるようになった。
やれば出来るんだ。出来ないのは方法を知らないだけだからだ。
それが辛うじて追い縋っている最後の綱。
自分が無力である事を認めたくなかった。認めてしまえば、きっと俺はリュネスの事を諦めてしまう。忘れるのではなくだ。それは自分自身への敗北であって、夜叉に入る前、あれほど固く誓った『強くなる』という意思が折れてしまう。もしも剣が折れてしまったら。鍛冶で直す事も出来るだろうし、それが出来なければ代わりに新しいものを使えばいい。しかし、一度意思が折れてしまったら、それで終わりだ。折れた意思は二度と元には戻らず、また代わりの意思など存在しない。
意思が折れるとは、自分自身への妥協、怠惰という名の譲歩、決意の放棄だ。心の強さは貫徹してこそ磨き上げられ確立するものであって、一度でも揺らいでしまえば、そこでこれまでに積み上げたものが全て崩れ落ちる。積み上げた積木が崩れていくように。継続する事に意味がある。折れない強固な意思こそが心力そのままなのだ。
俺の心力は、今まさに消えようとしている。今まで気づく事のなかった自分の弱さの露呈。それは紙に落としたインクのように広がっていき、俺の頭の中を掻き回す。この嵐を鎮められるのが、辛うじてしがみ付いた『力はあるけれど、使い方を知らないだけ』という自慰的な言い訳だった。
本当に、このままじゃいけないんだ。何か具体的な方法に移さなければ。
レジェイドに助言を仰いでみようか?
いや、駄目だ。またすぐに俺は人に頼って、本来自分でやらなければいけない事をやって貰おうとしている。レジェイドには頼る訳にはいかない。
そうだ。
今、俺に必要なのはリュネスに関する情報だ。この北斗で最も情報を有しているのは流派『風無』。しかし風無はやたらに情報を与える事はしない。たとえ相手が北斗の人間でもだ。だから風無はこの場合の選択から外す他ない。
じゃあ、次に多くの情報を持っているのは?
それは北斗を絶えず巡回している守星だ。幸いにも守星には情報の機密義務はない。しかも俺には守星の知り合いまでもいる。
よし、これでいこう!
思い立つなり、途端に俺は元気を取り戻してきた。
今度は守星を頼っている? いや、違う。これはあくまで守星のから情報を収集しているだけだ。頼ってなんかいない。
ものは言いよう。
ふと嫌な格言が頭の中に浮かび上がったが、すぐに振り払った。とにかく前進しなければ。一週間近くも、目的がわかっているというのに同じ所で足踏みばかりし続けている訳にはいかない。
となれば。まずはルテラかヒュ=レイカを捕まえよう。勤務時間中かどうかは分からないけれど、そんなに事細かく聴取する訳じゃないから付き合ってくれるはずだ。
―――と。
「よっ! シャルト君!」
突然、何の前触れもなしに背後からその声は聞こえてきた。そう、いつものように。
うわっ!?
もう、何度も同じ目に遭っているせいか、どうにか驚きの声を咄嗟に飲み込む事が出来た。そう、こいつと関わっていると、普段はまずお目にかかれない不意を突かれる驚きには事欠かないのだ。
「お、お前か……」
驚きでドクドクと高鳴る心臓を押さえ、そう背後を振り向く。そこにはやはりヒュ=レイカの小憎らしい笑顔があった。
普段なら、嫌なヤツに会ってしまった、と顔をしかめてしまうところだが。今回だけはそんな気持ちにはならなかった。俺ははっきり言ってヒュ=レイカは苦手なので出来るだけ普段は会わないようにしているのだけれど、今回ばかりは違う。俺は今、守星の情報を収集しようと決めた所なのだが、このヒュ=レイカはこれでも守星なのだ。まさに渡りに船である。
「ねえねえ、シャルト君。知ってるかい?」
早速、ヒュ=レイカは話したくて話したくて仕方がないと言ったむず痒そうな表情で話し始めた。ヒュ=レイカは基本的に噂好き、そして話したがりなのだ。こっちが何も聞かなくとも、先に言ってくれる事だってある。とにかく喋ってなければ生きられないような人間なのだ。
ヒュ=レイカの好物は、とにかく出回っている噂、流言飛語の類だ。俺はその手の事には全く興味がなく、いつもならば適当に聞き流すか黙らせるかのどちらかなのだが。今回は好きに喋らせ、その内容にじっと耳を傾ける事にした。こいつはどこからか北斗中の噂話を集めてくる。その中に何かリュネスの手がかりとなるような情報があってもおかしくはない。噂話はありもしない尾ひれやらがくっついて来るけれど、全くの出任せとは限らない。噂話には必ず発端となるものがあるのだから。
「実は、あの凍姫にさ。なんと新人が入ったんだってよ。しかもとんでもなく可愛いらしくてさ。早速リーシェイに狙われちゃってるそうだよ」
リーシェイ。
とにかく好みの少年少女を食い荒らす、生きた凍姫名物の一人……。
「で?」
「あれ? 興味ない? おっかしいなあ。女の子の話題、お嫌いでしたっけ?」
何を今更。俺が今まで一度でも食いついた事が―――。
待て!?
「な、なあ! それってどんな娘だ!?」
突然、俺の頭にある仮定が稲妻のように閃いた。
もしもこの仮定が本当にそうだったのなら。いや、もしも、じゃない。時期的にも違和感はないし、とても考えられない事じゃない。
「お、食いついた食いついた」
「茶化すな。いいから答えろ」
「分かったって。でもさ、僕。別に顔合わせた訳じゃないから。ただ、風の噂でね。だからどこまで本当かは分からないからね」
「分かったから、早く」
「んとさ、なんだかこの間の襲撃、知ってるでしょ? その時の南区の生き残りの人らしいよ」
やっぱり……!
ヒュ=レイカのその言葉に、俺は自分の仮説がやはり正しかった事を確信した。
五日前、あの南区に壊滅的とも言える被害を与えた襲撃が起こった晩、俺は爛華飯店にいつものようにやってきていた。襲撃時刻はまだ眠っていたので具体的には分からなかったものの、その死傷者は短時間で何百にも上ったという。そんな中、俺はリュネスだけしか助けられなかった。いや、助けるなんて言うには程遠いかもしれないけれど、少なくとも身の安全だけは確保してやれた。それだけ大勢の死傷者があった中、リュネスは確実に生き残っているのである。
そしてヒュ=レイカの言葉。
女の子。少なくとも年代が違うほど歳が上という訳ではないだろう。かと言って、遥かに年下であるとも考えにくい。そんな幼い子供が北斗に入るはずはないのだから。だったら俺やヒュ=レイカとほぼ同じぐらいの年齢ではないのだろうか? あの南区から生き残って、同年代の女の子。それはどうしてもリュネスとしか考えられない。
しかし、全て俺の飛躍しすぎた推論じゃないのだろうか。ただでさえ今の精神状態なら、自分に都合よく解釈してしまいそうだというのに。いや、幾らなんでもまるで見当外れとは自分でも思えない。あのリュネスが凍姫に入ったなんて俄かには信じられないけれど、その他の点についてはリュネスとピッタリ合致するのだから。
「本当なんだなっ!?」
興奮するあまり、俺はヒュ=レイカの襟元を掴み上げた。まさか俺がそこまで興奮するとは思ってもなかったのだろう。ヒュ=レイカはらしくなく、あっさりと締め上げられる。
「く、苦しいってば! だからね、噂だって噂! そんなに気になるんだったら、自分で凍姫に行って確かめればいいじゃんか!」
確かに。
俺はゆっくりとヒュ=レイカを降ろした。
噂は所詮噂だ。俺がどれだけ的を射た推理をした所で、その情報の出所自体が間違っていれば正しい結論が出るはずがない。だが、そんな面倒な事をするよりも直接自分の目で確かめた方が遥かに早く、そして確実だ。あくまで噂として不確定的な情報を楽しんでいるだけであるヒュ=レイカの主張は正しい。
だけど。
「……嫌だ。リーシェイとラクシェルがいる」
TO BE CONTINUED...