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 北斗市街と総括部を区切る唯一の関所、羅生門。
 険しい断崖で囲まれた天然の要塞にそびえる北斗総括部。ここではヨツンヘイム最強の戦闘集団『北斗』を取り仕切る最高幹部達が、日夜、北斗と周辺地域の情勢に目を光らせ、あらゆる分野の政策の不備を調整している。総括部は主に、かつて北斗十二衆内で目覚しい功績を収めた者、力は劣るものの政治学に優れた者、多大な人望を持ち柔軟な発想を持つ者等の人間で構成されている。皆が行政に貢献するに足りうる者ばかりだ。人間にたとえるなら、北斗十二衆が北斗の体、総括部は北斗の頭に当たる。
 北斗が最強たるためのもう一つの要、総括部。彼らは北斗に属しておりながらほとんど戦闘能力を持っていないため、普段は総括部に篭ったまま表には出てくる事が無かった。総括部は法術による超多重結界が施された特殊なミスリル合金で建設され、物理的な攻撃に対する防衛力は世界で最高峰に達していた。しかし、どれだけ強固な建造物と言えども入り口がある以上、外部から悪意を持った人間が侵入する可能性はゼロではない。そのため、建物の周囲を防護する人間が必要だった。
 前鬼と後鬼。
 彼らは総括部を警備する役目を持った守護役である。その実力は浄禍八神格にすら匹敵すると言われている。しかし二人は守星とは比べ物にならないほど行動の自由を制限されており、より防護に従事させるという意味で本名すら捨てさせられた。前鬼、後鬼という名は、代々守護役に与えられる名前だ。
 その晩、二人は普段と同じように羅生門の両脇に並んで立っていた。
 前鬼は呼吸も静かに存在感そのものを稀薄にさせながら佇んでいる。一方の後鬼は腕組みをしながら柱にもたれかかり、退屈そうな表情で時折あくびをしている。
 つい、一年ほど前に起こった流派『風無』の反乱事件を最後に、彼らが直接手を下す必要のある事件は起こっていなかった。もっとも、北斗内で反乱を謀りでもしない限り、外部の人間がここ羅生門に辿り着く事はあり得ない。何故ならば、たとえ北斗に外部の戦闘集団が襲撃を仕掛けたとしても瞬く間に守星、及び北斗十二衆に殲滅されるからである。つまり羅生門に辿り着かれたという事は、北斗そのものの存在が危険であるのと同じなのである。
「よお、知ってるか? ちょっと小耳に挟んだんだけどさあ」
 ふと、退屈さのあまり痺れを切らした後鬼は、やや間延びした口調で気だるそうに反対側の前鬼に向かって話しかけた。
「『知ってるか』などと主語の抜けた言葉で問い立たされても答えようがある訳なかろう。たわけめ」
「お決まり文句ってヤツだ。で、とにかくだ。ちょっと聞けって」
「なんじゃ。わらわに聞いて欲しいのであれば、初めからそう言わぬか」
 前鬼は後鬼に視線を一度も向ける事は無く、淡々と跳ねつける様な厳しい態度で相対した。
 それは、前鬼が後鬼に対して不快感を覚えているからではなく、あくまで彼女の生まれ持った性格の厳しさが内面だけでなく外面にも滲み出ているからである。後鬼がそれを理解するまで、意外にもそれほどの時間は要しなかった。面倒な事を嫌う性格の後鬼ではあったが、洞察力は人一倍優れていた。だが彼のそれは一定の論理に基づいたものではなく、いわゆる野生の勘に近い不明瞭なものであるため、第三者に対し雄弁に説明する事もしない以上、洞察力として認識される事は無かった。
「チッ……まあ、いいさ。俺も噂で聞いただけだからな。真偽どうこうは考えるなよ」
 後鬼は何かを返して欲しそうな素振りと口調ではあったが、前鬼はほとんど意に介そうとはせず、ただ物静かに佇んだままその噂の内容が後鬼の口から聞かされるのを待った。これは彼女が後鬼とは逆に洞察力に乏しいため、単に気がついていないだけである。
「前に流派『風無』が反乱を起こしたよな。実はこれが引き水らしいんだな」
「風無は走狗に成り下がっていたということかえ?」
「そういう事だ。だから、まだ北斗の何流派かが同じように誰かに掌握されてるんだと」
「あり得なくもない話ではあるのう。で、その何者かというのは噂にはなっておらんのか?」
「ああ、あるぜえ。流派『烈火』頭目、G。流派『白鳳』頭目、老師。流派『凍姫』頭目、ファルティアも怪しいらしいな。俺としては一番怪しいのは、守星のエスタシアだな。おっと、醜男の僻みとかじゃねえからな。これは結構その筋では有名な話なんだぜ」
 流派『烈火』頭目、G。彼はAランクのチャネルを持っていながら、自在に使いこなす著名な使い手だ。しかし戦闘時の度を過ぎた残虐性が先行しており、本当に術式を使いこなせているのかどうか疑問視する声も少なくはない。
 流派『白鳳』頭目、老師。北斗では主流となっている精霊術法とは違い、『気』という解明不可能なエネルギーを用いた武術を駆使する流派だ。流派内には封建的な縦社会が築かれ、頂点に立つ老師の言葉は白鳳の人間にとっては総括部よりも影響力を持っている。そして老師は普段から覆面で顔を覆っており、その素顔はしわがれた老人とも幼い少年とも言われている。
 流派『凍姫』頭目、ファルティア。前任の頭目から委任される形で頭目に就任した彼女は、あまりに早過ぎると誰もが口を揃えて言った。実力は他頭目に見劣りはしないのだが、精神面の未熟さから南区半壊の原因を作り出しており、甘言にかかるとしたらまずは彼女からだろう、というのが世間の評価である。
 これらの事実と風聞が重なり、この三人が北斗への反逆を企てているのではと噂される原因になっていた。これらはあくまで噂にしか過ぎず、誰もが知っていながらも、また誰もが真に受けていない信頼性の低い情報だ。次から次から湧いては捨て去られる、消費するだけの情報。しかし、エスタシアの件に関してはそれらの程度の低い情報とはまるで質が違っていた。
「その筋とはなんじゃ、その筋とは。分からぬわ」
「蛇の道は蛇、ってな。元風無のヤツらに聞いたんだ。なんでも頭目だった才蔵はエスタシアと繋がっていたらしいぜ。ある時期を境に言動が不明瞭になり、結果あの事件にまで至った。おかしいと思うだろう? そのエスタシアだが、ヨツンヘイムの方へ身を寄せていた事もあるらしいぜ。非公式の記録だっていうから、何か疚しい事でもあるんだろ」
「ほう、初耳じゃな。思うに、エスタシアは売国奴と成り果てたかえ」
「あくまで噂だがな。胡散臭え事に変わりはない。だから前に言ったろ? あいつは怪しいってさ」
 得意げに語る後鬼ではあったが、前鬼の態度は対照的に冷めており、さほど興味を抱いている様子を感じさせなかった。前鬼は基本的に徹底した現実主義者であり、彼女にとって知り合いの知り合いから得られた情報は噂と同質の信憑性しか無く、さして気に留めておく必要性を感じなかったのだ。
 エスタシアの行動には説明しにくい不明瞭な部分が多々認められるのは知っていた。だがそれはあくまで一つの事実としてのみの把握で、そこから複雑に枝分かれしていく無数の風聞に関しては明確な事実確認がされておらず、根元よりも一人歩きする枝を熱心に語る後鬼はむしろ滑稽にすら見えた。けれど、放置し続けるのはあまりに忍びなく、また自分も退屈を覚えている事は事実だ。そのため、ほんの情け程度、不意に視線を向けてきた野良犬へと同じように付かず離れずで構い続ける。
 不意に風が変わった。
 常人ならば、風の向きが変わった程度にしか思わない微細な変化。しかし目や耳だけでなく、全身の肌ですら気配を手に取るように察知する事が出来るほど磨き抜かれた感覚を持つ二人には、今ここで起こり得ようとしている出来事を明確に感じ取っていた。
 それは、ぽつりぽつりと降り始めたばかりの小雨のように、少しずつ露骨さを増やしていった。
 むせ返るような殺気の群れ。二人の表情は徐々に険しさを増していく。
 張り詰めるような緊張感と、ねっとりと絡みつくような探り合い。戦闘独特の濃厚な空気が周囲をあっという間に包み込んだ。こういった場に身をさらす経験の少ない者ならば心臓を掴まれたかのような錯覚に苛まれ、呼吸すらままならなくなるだろう。
「さて。その噂の真相を知る事が出来そうじゃな」
「そうだな」
 ニヤリと後鬼は不敵に微笑むと、上着を脱ぎ夜空へ放り投げた。
 がちん、と両の拳を胸の前でぶつけ、大きく深く吸った息を吐く。ついさっきまではしゃいでいた様子が嘘のように落ち着き始め、後鬼の身体がそれを表しているかのように筋肉が引き締まっていく。だが存在感は逆に何倍にも膨れ上がった。威圧的な彼の闘志は、たった一人でも何百何千騎もの相手を怯ませるほど圧倒的だ。
 前鬼は変わらず楚々としながら悠然と構えている。だが。まとわせる空気はまるで刃のように鋭く、一切の存在を否定するかのような振る舞いだ。たとえ直に触れなくとも彼女に近寄るだけで幾つもの肉片に切り刻まれてしまいそうなほどである。
 闇夜に潜むその一群は、ゆっくりと間合いを測るように二人の元へ姿を現していった。
 光源となるのはほんの僅かな月明かりのみ。闇と薄闇の二色に彩られた視界では色彩の判別すらままならない。だが少なくともその一群の着ているものが、北斗の属する人間が着ている制服と同じ形状である事だけは分かった。重ねて言えば、その制服の種類は三つある。
 先頭に立ち、一番最初に前鬼と後鬼に近づいていったのは二人だった。
 一人は二刀を背中の腰に構える青年、エスタシア。そして、後鬼と同じように上着を脱ぎ捨ててインナー姿になったファルティア。
 二人の後ろには、流派『凍姫』のトップクラスとされている人間が臨戦態勢を整えていた。
 元戦闘指南役で、術式の技量と経験は北斗でも有数の実力者、ミシュア。
 正確無比の射撃系術式を駆使するスナイパー、リーシェイ。
 現在、北斗で唯一絶対零度を体現化する事が出来るインファイター、ラクシェル。
 そして、バトルホリックの卑称を与えられた、凍姫でただ一人のSランクチャネルの持ち主、リュネス=ファンロン。
 彼女らの更に後ろにもまた、同じようにして諸流派の実力者が臨戦態勢を整えている事が感じ取れる。風聞程度にしか予測はしていなかったにせよ、相対した前鬼と後鬼の二人は驚きを抑え切れなかった。これほどの実力者達を相手にしなければならない事ではなく、どうしてたった一人の人間に抱き込まれたのか、それに対する驚きだ。
「やっぱりてめえが黒幕か。北斗の神童がどんな御乱心だ?」
「あなた方には元から興味はありませんが、その実力はいささか放っておけませんので。あなた方を排除するのと同時に、開戦の宣言の代わりとさせていただきますよ」
 エスタシアは柔らかい口調こそ普段のままだが、まるで別人のような鋭い視線を二人に向けると、差していた二刀を颯爽と抜き放った。
「一つ、面白い事をお聞かせいたしましょう。北斗総括部は、とうの昔に機能を失っています。その意味が分かりますか? あなた方はずっと無人の社を守っていたのですよ」
 エスタシアの双剣の切っ先がゆっくりと沈む。低く剣を伏せ腰をやや落とすその構えは、かつてエスタシアが属していた流派『悲竜』のそれともやや異なるものだった。悲竜の型を更に独自の理論で発展させていった結果、この型に落ち着いたのである。
「はあ? 馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。んな訳があるか」
「そうでしょうとも。人は長く拘り続けた物事をそう簡単には否定する事が出来ませんから」
 エスタシアはそっと傍らのファルティアに首を傾ける。ファルティアは構えを解くとそのまま後ろへ下がっていった。
 それは、エスタシアが一人で前鬼と後鬼の二人を相手にするという意思表示だった。北斗の要である総括部を警護する二人の実力は、諸流派の頭目以上に匹敵する。対等に渡り合えるのは人類の枠を外れたとさえ言われている浄禍八神格ぐらいなものとされている。にも関わらず、これだけの戦力を擁していながら投入しないのは愚の極みに見えた。エスタシアの聡明さに違いは無く、自己顕示欲に溺れて大局を見誤ってしまうような事はまずあり得ない。ならば、何故そんな行動に出るのか。
 前鬼と後鬼は安易に辿り着いた理由に、背筋が震え上がりそうな恐怖を覚えた。
 もう何年も忘れていたその感覚に驚く暇も無く、エスタシアは更に言葉を畳み掛ける。
「ここで議論するつもりはありません。僕が本当に恐れているのは総括部ではありませんからね。僕にとって最大の敵は、これまで北斗の最強の称号を実質支えてきた、北斗十三流派です。あなた方の存在は僕の計画にとってただの通過点でしかない」
 その時、二人の間に明らかな動揺が走った。
 北斗十三流派。
 十二ではなく十三。
 それはただの言い間違えではなく、はっきりと確信を持って放った言葉だ。一般的には北斗の流派は十二で通っている。にも関わらずエスタシアが十三と言い放った事が、その十三番目を知る二人にとってはあまりに衝撃的だった。
「お主が十三番目の流派まで知っておるとはのう……どこまでも底の知れぬ奴じゃな」
「既に我々は半分の流派を掌握しています。勝算がどちらにあるのか、あなた方はお分かりになるはずです。僕達の軍門に下りますか? それとも、勝てない戦いをあえて挑みますか?」
「勝てない戦いだ? 俺達を誰だと思ってやがる」
「もちろん、理解した上での選択肢を差し上げたまでですよ」
「ふざけんじゃねえっ!」
 後鬼はぎゅっと右手を握り込むと、それを前へ突き出すと同時にぱっと開いた。突き出された手のひらからは、その何倍もの大きさを持つ、青白く光る巨大な手のひらが打ち出された。
 ごうごうと嵐のような音を立てて地面を削りながらエスタシアに向かってくる後鬼の術式。だがエスタシアは平然と構えたまま術式との間合いを取る。剣の柄を力み過ぎぬ程度に握り締め腕のしなやかさをそのままに、意識を膝と踵に向ける。
 そして、
「フッ!」
 エスタシアの剣が十字に閃く。後鬼が放ったその術式は四つの片に分断し、そして蛍のように闇夜へ溶け込んでいった。
「あなた方に勝ち目はありませんよ。あなた方は、もはや戦う意義を失っているのですから。大儀ある我々には届きもしません」



TO BE CONTINUED...