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本当は私は戦いたく無いのかも知れません。
ふとそんな事を考えながら、玩具の兵隊のようにみんなと私は静まり返った街を歩いていました。
私が北斗に入ろうと思ったのは、これ以上大切なものは何も失いたくなかったから。そして、何もしない、何も出来ない自分を変えたかったから。そのはずでした。
時刻は午後三時を回りました。今、私はみんなと一緒に北斗の中心へ向かって行進しています。
流派『凍姫』が全体で行動する事は、私が入ってから二回目の事でした。前回はあの、流派『風無』が突然反乱を起こした忌まわしい事件の時です。
凍姫がこれまでに、外敵に対して出撃した事は何度もあると思います。ですが、長い歴史の中で今日のような出来事は間違いなく初めてだと思います。
今日私達が出撃した目的は北斗の外敵を倒すためではなく、北斗そのものを乗っ取ってしまうためだからです。そう、いつもは私達が北斗を守る側だったのですが、逆に北斗を襲う側に回ってしまったのです。
みんなが、まるでどうかしていました。
魂を抜かれてしまったかのように光を失った瞳で真っ直ぐ前を見詰め、見えない糸に引き寄せられているかのように一心不乱に黙々と歩く。
おおよそ、そこに人間らしい感情は感じられません。限りなく外見だけが人間にそっくりな人形と入れ替わったかのようです。
いつからこんな事になってしまったのでしょうか。
私は決して注意力のある人間ではなく、日々自分の事で精一杯なので観察力も乏しいです。ですが、ここまでの変貌に気づけないほどボーっとしている訳でもありません。本当に、ほんの昨日までは、いつものみんなでした。こうなってしまうような兆候だってありません。本当に、誰もどこも変わりが無かったのです。なのに今朝になって、いえ、正確に言うと私があのリアルな夢を見た昨夜からなのでしょうが、急にスイッチを切り替えられたかのように何かがある一線を越えてしまったのです。
リーシェイさんもラクシェルさんも、急に別人の様に当たりが厳しくなりました。そして不思議な事に、これまで呼び捨てていたファルティアさんをきちんと敬称をつけて呼ぶのです。お二人はファルティアさんとは同期で凍姫に入り、普段から良くケンカをしつつも一緒に御飯を食べたりするほど仲が良いのです。なのに、急に態度がよそよそしくなって他人行儀になりました。
それを受けるファルティアさんは、さも当然であるかのように二人の変貌を言葉少なく静観していました。二人の変化を無視しているのか、もしくは、有り得ないと思いますが気がついていないかのようです。
ファルティアさんも変わりました。
普段、ファルティアさんは明朗な方なのですが、仕事の時は頭目らしい落ち着いた厳しい態度に変わります。公私のけじめをつけているから、まず心構えから正すのです。それは責任感のある証拠で良い事なのですが、今日のファルティアさんの態度はこれらとまるで毛色が違います。なんというか、とても冷たい感じがするのです。物事を機械的に判断して、白か黒の合理性で行動する。これまでは自分の感情を良く表に出して人間味豊かなファルティアさんだったのに、性格が全く正反対になってしまったようでした。
ミシュアさんはよく分かりませんでした。今日はまだ一度しか姿を見ていないのですが、普段から表情をあまり見せないミシュアさんの様子はいつもと同じで、ただ仕事を淡々とこなしているようでした。何か隠しているように見えなくもなかったのですが、あっという間の事でしたのではっきりとは分かりませんでした。でもきっと、みんなと同じように操られてしまっているに違いありません。
何にせよ、今の凍姫は異常です。北斗を乗っ取ろうとしている事は言うまでも無く、誰もがみんな自分の意思を失った傀儡と化してしまっています。
全て、あの人の仕業だと思います。
具体的にどんな手段で、という所までは分かりません。ですが、まず間違いないと思います。昨夜見たあの夢が現実ならば。いえ、あれは夢などではありません。紛れも無い現実です。今、私が立っているのは夢の延長線では無く、現実の続きなのです。
まだ日も高いというのに街中は人一人歩いていません。
昨夜の件で北斗全体に厳戒体勢が敷かれ、一般人は残らず安全圏に避難させられたためです。普段は活気に満ち溢れている北斗の商店街も、今ではまるで火が消えてしまったかのように閑散としています。本当の悪夢とは、きっと現実の事を指すのだと思います。現実は夢と違って、目を開けても消える事がないのですから。
どうにかしないと。操られていない私が。
いつも私は、幾ら焦りを募らせても空回りばかりしています。今回もまた同じように、私は何をする訳でもなくただ状況に流されています。北斗に厳戒態勢が敷かれた以上、他諸流派が出撃して暴走する凍姫を止めてくれるでしょう。だから私が無理に動かなくてもいいのです。
それは、何か違う。
一年前よりも遥かに厳格になった理性が、ぴしゃりと睨みつけるように言い放ちました。
北斗の理念を、私は見失っています。誰かがやってくれるから、ではなく、自分がやる、という気持ちこそが大切なのです。自分が戦い、街と人を守る。北斗とはそういう集団なのです。
今、私に出来る事をする。少しでも早く、より良い結果を生み出すために。私の思考はそうあるべきなのです。
分かっているなら、思考を切り替えて、まずは考えましょう。私に何が出来るかを。
やがて、部隊は三つに分かれて進み始めました。それぞれの先頭にはファルティアさん、リーシェイさん、ラクシェルさんがいます。
北斗を乗っ取るためには、二つ落とさなければならないものがあります。一つは北斗総括部、一つは北斗十二衆です。既に総括部は落とされてしまいました。残るは北斗十二衆となりますが。慎重なあの人の事です。操っているのは凍姫だけではないはず。 凍姫を三つに分けたのは、それぞれが他の操れなかった流派と戦うためでしょう。
もし、三人とも勝ってしまったら、実質北斗側の敗北になってしまうのは間違いないでしょう。三人の実力を考えると、決して有り得ない話ではありません。かと言って、負けてしまう事はそれぞれの死と同じです。それも絶対に避けたいです。みんな、自分の意思でこんな事をしているのではないのですから。
リーシェイさんとラクシェルさんのチームがそれぞれ北と南へ向かって行きました。その先には一体どこの流派が待ち構えているのか。もはや一刻の猶予もありません。北斗の全面戦争の末路なんて一つしかありません。巨大な力を持つ者同士が戦うのです。昔、お父さんに最強の矛と盾の話を聞いた事がありましたが、話の中で商人は答える事が出来ませんでした。それはただ売り文句に虚偽があったからですが、もしも謳い文句そのままの矛と盾がぶつかりあったら。決着は必ずつくでしょう。互いが互いの身を滅ぼす事で。
今、北斗がしている事は、互いの尻尾を食い合う二匹の蛇と同じです。北斗同士が仲違いをしぶつかりあったって何一つ生まれ出るものはありません。ただ、悲しさだけが残るのです。
それから間もなく、北斗の中心にそびえる大時計台の下に、凍姫とは違う一群の姿が見えてきました。着ている制服は、真っ黒な生地に赤のラインを強調したデザインになっています。確かあれは流派『烈火』のものです。
一群から一人の男性が軽快なステップを踏みながら進み出てきます。そこで停止の合図が飛んで私達も足を止め、先頭のファルティアさんだけが同じく前へと進み出ました。これは昔北斗で起こっていた流派同士の内輪揉めの際に生まれた、頭目同士一対一で決着をつけるという作法なのだそうです。どちらかが全滅するまで戦い続けるよりも遥かに流す血の量が少ない、ある意味では画期的な方法です。けれど私は、たとえ頭目同士で決着をつけた所で、それがそのまま流派の雌雄を決した事にはならないと思います。それは、国と国との戦争の際、国王同士が仲良くルールを決めて勝敗を決めるのと同じ事だからです。この作法の最大の欠点はこれ、取り巻き全員が一人残らず心の底から納得している前提がなければならないという事です。たとえ頭目が敗れても、みんなで相手を全滅させればそれで済みます。これが最も分かりやすく、単純で、分け隔ての無い説得力があります。戦争とはそういうものです。
「ハッ! まさか堂々と北斗のド真ん中で暴れられるなんてな! 生きてて良かったぜ!」
男の人は大げさに両腕を大きく広げると、心底嬉しそうに空を仰いで叫びました。あまりに大げさで演技がかっているように思いましたが、どこか病的で一線を踏み外したような喜び方でした。ふと、以前の自分を思い出してしまい、額の奥がちくりと痛みます。
「ファルティア、感謝してるぜ。おかげでじっくり楽しめそうだ。俺はこういうのを待ってたんだよ」
ごう、と音を立てて彼の両腕が赤々と燃え上がります。炎は勢いを増し、あっという間に真っ白な高温の炎に変わります。
流派『烈火』はその名の通り激しい炎の術式を得意としています。その熱は岩をも一瞬で蒸発させ、人間の体ならば炭化する暇も無く消えてなくなります。これを独自の戦闘術と融合させたのが流派『烈火』のスタイルです。
「ゆっくりするつもりはない」
ファルティアさんはにべもなく淡々と吐き捨て、上着を脱ぎ捨てると右腕の戦闘態勢を取りました。精霊術法で編み上げられた義腕が倍以上に膨れ上がり、白い凍気を放ち輝き始めます。急速的に周囲の温度が下がったためです。
「丹念に焼き上げてやるぜ、反乱者」
「私を焼くのに、あんたの炎は涼しいのよ」
瞬間、それを合図に両者は飛び出し、激しくぶつかり合いました。
初めから小手調べも無しで、お互いが全力で繰り出した拳と拳をぶつけます。けれど両者の威力はほぼ互角で、数秒の間隔の後、二人共激しく後方へ弾き飛ばされました。
「いいねえ、いいねえ、この感触。最高の獲物だ。北斗の、それも頭目なら最高のメインディッシュだ!」
狂的な彼の笑い声が異様に響きます。
思わずぞくりと背筋を震わせてしまいそうな笑い声です。そんな様子を、凍姫のみんなはやはり空ろな目で淡々と見つめています。表情に色を覗かせているのは烈火側の人達だけです。
そうだ、この隙に。
ふと私は気がつきました。この騒ぎに乗じれば抜け出せる。
思いついた瞬間、実行するのはあっという間でした。私は自分でも驚くほど大胆に列を抜けると、そのまま一目散に走り出しました。
とにかく、凍姫の状況をみんなに伝えなければ。
私は夜叉本部へと向かって走りました。
背後からはまだ、あの笑い声が聞こえてきます。
耳を塞ぎたい、と思いました。
TO BE CONTINUED...