BACK
目にも止まらぬ速さで、私の周りが動いていきます。
昨日まで元気だったお父さんとお母さんが死にました。
四年間も働いていた爛華飯店も、もう閉めるしかありません。
私にとって、あるのが当たり前だった日常。それが一瞬で崩れてしまいました。
二度とあの日々には戻れないなんて、信じられません。
でも、立ち向かわなくてはいけないのです。
前を見なければ、前に進む事は出来ません。
慌しく周りが動いて。気がつくと、私は病院のベッドの上でした。
昨夜、私は北斗の人達に保護され、検査入院という形でここへ運び込まれたのです。もう検査は終わりました。内容は簡単な健康診断のようなものだけです。お医者様の話では、明日には退院しても良いそうです。でも、退院したと言って、私はどうすればいいのでしょうか? もう、お父さんもお母さんも居ません。住み慣れた爛華飯店も、私だけでは続ける自信はありません。
まるで、何もない荒野に放り出されたような不安感が私を包み込みます。これから私は一人で生きていかなくてはいけません。誰の庇護も受けず、自分だけの力で。
……無理。
まず初めに、私はそう素直に思いました。
私は今まで、ずっと誰かに頼るような生き方ばかりをしてきました。今になって急にそれやめ、自分一人だけでこの先をどうにかするなんてとても出来そうもありません。そんな自信もありませんし、能力もないのですから。
でも、すぐに私は頭を切り替えます。
これを不幸と思ってはいけないのです。私は死ななかったのですから、運がいいのです。辛いと思うことも、自分が成長するための試練と思えば何の事はありません。
気持ちだけで生きていければ何の世話もないけれど、せめて気持ちだけは明るく強く保っていないと。私は弱い人間ですから、本当に生きていけなくなります。
強くなりたい。
純粋な強さへの憧れ。今まで漠然として、どこか諦観視の強かったそれが、昨夜から急に自分の中で強く込み上げてきている事を実感していました。強くなれば、私はもう二度とこんな思いをしなくて済むのです。大切なものを失う事も、自分が傷つけられる事も、一人で生きていく事に不安を抱くこともありません。強さとは自分自身への揺ぎ無い自信の証明です。私は自分への自信など持っていません。何一つ取り得になるものがないからです。そんな私が全く強さと縁のない弱い人間でも仕方のない事です。
強さの憧れと同時に、私はこれまで目をそらし続けてきた自分の弱さの本質を見つめられるようになりました。どうして私は弱い人間なのか。その理由が見つかったのです。それは―――。
と。
コンコン。
突然、ドアが外からノックされました。
誰でしょうか? まだ回診の時間ではありません。じゃあ仕事場のみんなが来てくれた? でも、まだ私がここにいる事は知らないはず。いえ、第一みんなが住んでいるのは南区だったから……。
とにかく確認しなければ始まりません。
私はベッドから降りると、着ていた病院着の前を直し、ドアを開けました。
「あ、あ……」
ドアの外に居たのは、初めて見る女の人でした。その人は何かを言いかけ、そして口を紡ぐと視線をうつむけます。
エメラルドグリーンの髪を後ろで高く結い、特徴のある濃紺の服を着た、私より一回りほど背の高い女性。その胸元には『凍姫』の二文字が刺繍されています。凍姫といえば、北斗十二衆の一派です。北斗に住んでいる以上、全く関係ないとは言えないのですが。でも、私と接点のある流派は、お店が専属契約を結んでいた『夜叉』です。どうして凍姫の人が、見ず知らずの私の元を訪ねて来たのでしょうか?
「あの……どうぞ」
その人はうつむいたまま、何も話そうとはしませんでした。とにかく私は中へと促します。その人はこっくりとうなずくと、静かに中へ入ります。
どうして黙っているのでしょうか……?
初対面の人間が、しかも目的も告げずに訪ねて来るなんて、これほど怪しい事はありません。でも、どこかその人の表情には深い影がありました。それが悪意のある人間ではないという事を感じさせるのです。
「あの、リュネス=ファンロン……さんですよね?」
そして、その人はそう小さな声で私に訊ねてきました。声の小ささをどうこう言えるほど、私もはっきりと滑舌良く話している訳ではありませんが。顔をうつむけながら、上目遣いでそっとこちらの様子を窺う仕草といい、まるで私に遠慮しているような様子です。別に私は北斗の人に遠慮されるような立派な人間でもなく、名前だって私の方が年下ですから呼び捨てで構わないのですが。そう思ってはいても、はっきりと言葉には出来ません。とても人へ意見する勇気など、私は持ち合わせていないからです。
「はい、そうですけど……」
ただ問いに答えるだけなのに、自然と小さくなっていく私の声。その人の声だって決して大きくないのに。部屋の中は二人の人間が会話しているとは思えないほど物静かです。
「私は流派凍姫の頭目のファルティアといいます」
頭目。
その言葉に、私は思わず息を飲みました。
頭目と言ったら、北斗にある十二流派のそれぞれを束ねている人です。一般人にしてみれば、北斗の関係者というだけで尊敬の対象になるのです。その人達を束ねるという重職の人間を目の前にして、驚くなという方が無理な話です。
唖然とその人、ファルティアさんを見つめる私。
けれど、本当に失礼な話ですが私は目の前のこの人が頭目だなんてとても思えませんでした。あまりに唐突過ぎるし、そんな偉い人が私なんかの所に一人で訪ねてくるはずがないからです。そういう考えもあるのですが、何よりもファルティアさんからは覇気というものが感じられないのです。表情は疲れきって、酷くやつれています。顔色だってあまり良くはありません。まるで病人のように弱々しく見えて仕方がないのです。
「こんなに早くから申し訳ありません。本日は大切な話があって訪ねさせていただきました。どうか、そのままで話を聞いて下さい」
そのままと言われても……。
今、気づいたのですが、私とファルティアさんは、このあまり広いとは呼べない病室の真ん中でお互い突っ立ったまま相手と対しています。それだけでも、話をするには結構おかしな体勢なのですが。
すると―――。
突然、ファルティアさんはその場に膝をついて座り込みました。頭はなおも深く項垂れたままです。
「本当にすみませんでした……」
驚く私へ更に追い打ちをかける一言。
ファルティアさんの口から飛び出したのは謝罪の言葉でした。北斗の一流派の頭目が、私の前で床に膝をつき謝罪の言葉を発している―――。俄かには受け入れ難い、驚愕の光景です。
「え!? あ、いや、その―――」
私は酷く慌てました。仮にも人の上に立つ人間が、誰かに謝罪をするなんてよほどの事がなければやりません。しかもその相手が、ただの一般人である私なのです。日頃、外敵から守ってもらっている北斗に感謝こそすれ、謝罪されるいわれは何一つないのですから。
「そんな、やめて下さい! 一体どうしてこんな事を……」
とにかく私はファルティアさんに立ってもらおうと、思わず私も座り込みました。しかし、ファルティアさんは頭をうつむけたまま一向に立ち上がる気配がありません。
そしてファルティアさんは言葉を続けます。
「昨夜、南区を担当していた守星は私だったのです」
「……え?」
でも、今、自分は凍姫と頭目だって……。
けれど私は口を挟みませんでした。まだ話は最後まで聞いていないのですから。
「実は、とある事情で私は一時凍姫を離れ、守星に臨時で就いていたのです。そして丁度昨夜が最後の日でした。そのせいで気が緩み、私は……」
と、そこでファルティアさんは言葉を飲みます。
話すにつれて、ファルティアさんの声が涙混じりになっていくのが分かりました。深い深い後悔の念が強く絡み付いています。
「私は勤務時間中に深酒をしました。その結果、南区を襲った敵への対応が遅れ、結果的に大勢の犠牲者を出してしまいました」
私はごくりと生唾を飲み込みます。
昨夜の敵襲。それは確かに普通とは違っていました。普段なら真っ先に対応してくれるはずの守星が、まるで何もしてくれなかったようだったのです。
つまり。
話を総ずると、私のお父さんとお母さんが死んだのは、ファルティアさんのせい?
すぐさま私はその考えを頭から捨て去りました。
正直言って、ファルティアさんに怒りを感じなかったと言えば嘘になります。けど、それ以上に過去の出来事を振り返るのが嫌でした。ようやく両親の死について、気持ちに整理がつき始めたのです。今更誰が原因で、と落ち着いた気持ちに再び波風を立てたくないのです。
それに、ファルティアさんは責任ある立場でありながら、こうしてわざわざ私の元へ、これ以上ない謝罪をしに来てくれました。もうそれだけでいいのです。あとはこれ以上、言及する必要はないのです。
「自分がどれだけ許されない事を犯してしまったのか、重々承知はしているつもりです。でも、どう償えばいいのか。私は自分がしてしまった事が大き過ぎて、どうしようもなくて、分からないんです。だから、私へ何でも気の済むように言いつけてください。私はどうやって償えばいいのか分からないんです」
償い……だなんて。
私は、償うという事は自己満足と紙一重の難しいものだと思います。何故なら、人は罪を犯した時、罪を憎むのではなく、罪を犯した自分を憎む事が多いからです。そんな自分を許すための行為が償いであって。罪そのものへの補填的なアプローチは何もないのです。
でも、私はファルティアさんにそんなものは求めていませんでした。頭目という偉い役職に就いている人のこんな姿を見せられたせいで気後れしてしまっているのかもしれません。ここまでひた謝られ、更に何かを要求するなんて冷たい事が出来る訳がありません。そうやって自分の感情とか欲求を押し殺して。我ながら損な性格だと思います。
そうだ。
その時、ふとある考えが頭に浮かびました。私はファルティアさんには何も求めてはいません。逆にそんな事を言われても困ってしまうだけなのですから。けど、もしも私がファルティアさんへの要求が許されるのであれば―――。
「あの……ファルティアさん?」
私はそっとうつむいたまま涙をこぼすファルティアさんに話し掛けました。
「一つだけお願いしてもいいでしょうか?」
するとファルティアさんは一度目元を拭うと、僅かに頭を上げてこちらを向きました。
「はい。それで私のした事が許されるなら、何でも」
酷く追い詰められ、自虐的になった表情。
そこを利用するなんて、酷い事ではないのでしょうか?
頭を過ぎったその考えを、私は目を瞑りました。でも、そうでもしなければ、私は一生変われないんです。経緯はどうあれ、こんなに良い機会を手に入れたのです。感情云々で反故にするよりも、多少心苦しくても図々しくならなければ。私は何かを失わされてしまうのを傍観し続けるしかないのです。
「では……私を、北斗に入れてくれませんか?」
「―――え?」
予想通り、ファルティアさんの表情が驚きに変わりました。まさかこんな事を要求されるとは思ってもみなかったのでしょう。私みたいな人間が、戦う事を生業とする北斗に入りたいなんて言い出すのですから。
「私、精一杯頑張りますから。お願いします」
「で、でも……どうして?」
「強くなりたいんです。ですから、どうかお願いします」
もう押し切るしかない。私はその思いだけでファルティアさんを拝み倒します。
私がいつまでも弱い人間である理由。一晩考えて、私はそれを見つけました。
私には牙がないのです。
何を犠牲にしても、大切なもののために戦おうとする牙が。
だから、牙を手に入れる必要があるのです。
二度と悲しい思いをしないためにも。
TO BE CONTINUED...