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な、なんだ……?
俺は、シャルトのとても尋常ではない苦しみ方に思わず戦闘中である事を忘れ、唖然としながらその姿を眺める。
シャルトはまるで獣のような声を上げながら頭を押さえ、長い薄紅色の髪を振り乱しながら屈み込む。やがてその態勢を維持する余裕もなくなったのか、シャルトは崩れるように砂利の上に倒れ、その上を転がりながら更にもがき苦しんだ。
「お、おい……どうしたんだよ?」
自分でも突然の事で相当驚いていたのだろう、声がやけに情けなく上擦っていた。
段々と加速するようなどうにも煮え切らない足取りでシャルトに近づく。幾ら声をかけようとも、シャルトにはまるで俺の声が聞こえていないようだった。ただただ、悲鳴とも咆声とも決めかねる異様な叫びを上げ、のた打ち回り続ける。
と。
「チッ」
不意に、俺の背後へ三つの気配が飛び掛ってきた。
このクソ忙しい時に!
俺はシャルトの奇行に狼狽していたが、察知した気配を冷静に感じ取ると頭の中で一連の対応動作を思い浮かべるよりも早く行動に移していた。戦闘時の反応速度とは、どれだけ無意識の内に行なえる動作パターンが豊富なのかを表す。背後からの奇襲にも慣れている俺には、それへの応戦もまた無意識で行なう事が可能だ。
まず目の前に迫ってきたのは、接近戦用に改良された刀身が短く真っ直ぐな片手剣を構えた小柄な男だった。その体は無駄のない痩躯で、いかにも素早い身のこなしを可能にするため鍛え上げられたようだった。
ひやりと冷たい殺気が俺の目を打つ。どうやらヤツの狙いは俺の目を潰す事のようだ。
真っ直ぐ突き出される直刀の切っ先。塵一つですら真っ二つにしそうなほど精密かつ鋭い一撃だ。一朝一夕で習得出来るようなモノではない。
しかし俺は冷静にその軌道を読むと、刃が触れる直前の所で体を半歩後ろにそらす。鼻先スレスレの所を冷たい刃が通り過ぎる。この一瞬背中がひやりとする感覚がたまらなく心地良い。
相手の攻撃と無事交差すると、今度はこちらの番だ。
反対方向にかかる力は、そのまま双方の破壊力に上乗せされる。今の場合、力をかけていたのは相手だけで俺は前進はしていないが、相手の攻撃は回避した。すると状況は、一方的に俺が突進しているに等しい事になる。
後は腕を突き出すだけだった。向こうから勝手に突っ込んできてくれる。
俺は相手の軌道上に右の肘を置いた。直後、ごすっ、という鈍い音と共に心地良い衝撃が肘を駆け抜ける。痩躯は自分が突っ込んだ勢いをまともに鼻下に受け、足から滑り込むように砂利の上に背中を叩きつけた。
続いて、刃が埋め込まれた武装手甲をつけた二人組が同時に左右の拳撃を放ってくる。威力はまあまあだろうが、まともに受け止めるのはあまりに無謀だ。骨は折れなくとも、肉が徹底的に大きく抉られてしまうからだ。
俺は体を低く沈めると、攻撃の狙いを片方の膝に絞る。そして相手の動きに合わせ鋭く奥へ押すように蹴りを放った。ごきっ、と鈍い音が辺りに響く。男は前につんのめるような形にバランスを崩した。すかさず俺は男の脇に移動し、もう一人への死角を作る。そのまま男の体を思い切り突き飛ばした。俺への間に障害物が出来たため、もう一人の男は一瞬攻撃を躊躇った。その隙を逃さず、俺は左足を軸に右足を後ろから旋廻させ、目の前の二人の首付近目掛け繰り放ち、まとめて薙ぎ払った。二人は人形のように軽々と宙を舞うと、そのまま不自然な体勢から着地し動かなくなる。
「甘ェな」
軽々と三人片付けた俺は、ひゅうっと一呼吸つき改めて周囲を見回す。連中は今の俺の一連の動作に気圧されたらしく、再び間合いを広く取る。
そして、
「う……あぁぁぁ」
シャルトは相変わらず悶え苦しんでいた。
大きく口と目を開き、何かに取り憑かれたように叫び続ける。酷く苦しげに喉を掻き毟っている。蚯蚓腫れの浮かんだ喉の辺りを、口からこぼれた唾液が濡らしている。目は真っ赤に充血し、今にも赤い血の涙が流れてきそうだ。
どう考えても普通の苦しみ方ではない。恐怖のあまりに取った奇行にしては、あまりに様子が違う。痛みに耐えかねるそれでもない。訊ねても、とてもまともに答えられそうな様子ではない。辛うじて見て取れるのは、シャルトが何か凄まじい苦痛に見舞われている、という何とも曖昧な推測だけだ。
そういえば。
その時、惚けた頭の中にふと稲妻のようにある考えが飛び込んできた。
以前、こういった感じの症状を一度だけ見たような気がする。いや、見たのではなく文献で読んだのかもしれないが、とにかく俺は僅かながらこれを知っている。そう、これは……。
と。
不意に二つの騒音が左右から響く。ハッと振り向くと、そこには別れたままになっていた俺の部下達が立っていた。先ほどの照明弾からここの位置を割り出したのだろう。
「レジェイドさん、どうしたんですか?」
「早く退却しましょう」
俺がボーっとしている間に一仕事してしまったらしく、俺達を取り囲んでいたはずの連中が数人、それぞれの周囲に倒れている。どうやら残ったヤツらは逃げ出してしまったようだ。
「いや、な」
少なくとも任務中は部下に対して毅然な態度を取り続けることを意識していたのだが、どうにも自分を引き締めようとも妙なボロが出てしまう。なんだか俺らしくない、とは思ったが、やはり慣れない任務でどこか気が臆している部分があるからだろう。そう、自らを納得させる。
「ちょっと待ってろ。アレを連れて行く」
そう、俺は二人に伝えた。すると案の定、
「あれって……あの子供をですか?」
二人は露骨に訝しんだ表情を返してきた。
依然としてシャルトは頭を抱えながら砂利の上で悶え苦しんでいる。二人が訝しむ理由は、教団の服を着ているシャルトをどうして連れて行かなければならないのか、という事にあった。確かにシャルトをどうこうするのは今回の任務に何ら関係がない。かと言って倫理性どうこう討論するような場合でもなく、とどのつまりは俺の発言は全面的に認められなくて当然のものなのだ。そして、そんな発言を頭目たる俺が口にした事が信じられなかったのだろう。
まあ、自分でもかなり無茶苦茶言ってるのは分かっている。ただ、それでも放っておけないのだ。教団に囲われた愛玩用の奴隷達。シャルトはその中の一人にしか過ぎないのだが。これは直感なのだが、どうもこいつだけは周りにいたやつらと違う気がするのだ。それはこいつが何か才能を持っていると俺が直感的に判断したのか、それとも単に容姿が特別群を抜いていたからなのか、自分の事でありながらはっきりとは分からない。とりあえず勘で、などというさもない理由で独断の行動を取るのは基本的にタブーではあるが、任務はちゃんと果たしたのだ。総括部も子供一人にそれほど咎めたりはしないだろう。
議論はここまでだ。
俺は自分の思考を自制すると、頭にかかった靄を追い払い、シャルトの元へ駆けた。教団が囲っている戦闘集団は三つもある。当然だが先ほどで全部ではない。一度は退却したものの、またすぐに今以上の実力者達が集められないとも限らない。早い所この場から退散する必要がある。そのためにも、さっさとシャルトを回収しなければ。
「おい、とにかくここから逃げ―――」
と、その時。
「がああっ!」
突然、今まで悶え苦しんでいたシャルトが四つん這いの態勢からまるで獣のように飛び出した。
「うおっ!?」
シャルトはそのまま矢のような勢いで俺にぶつかってきた。不意を突かれた俺は不覚にもその場に尻餅をついてしまう。
「レジェイドさん!?」
すぐさま飛び出して来る部下達。だが俺は、構わない、と手をかざし制止する。
なんだよ急に……。
俺はシャルトがぶつかってきた腹を撫でながらゆっくり立ち上がる。シャルトは再び俺の足元で頭を抱えながらうめいていた。
それにしても、なんて力なのだろう。俺は腹にいつまでも残る鈍痛に苦笑いを浮かべる。とりあえず、とんでもないタックルだった。通常、体ごと相手にぶつかるタックルはそれなりの体格を持っていなければ相当数の威力を作り出せない。衝撃は質量と加速度に依存する。加速度を短い距離で十分に得られない以上、攻撃力は質量、すなわち体格で補わなくてはならない。
シャルトの体格は今更言うまでもなく華奢で小柄だ。にもかかわらずこれだけの攻撃力を生み出したのは、つまりは相当数の加速度があったからだ。しかもこの距離で。
こいつはなかなかいい足を持っている。
かなりきついのを貰ったが、どうしてかそれほど悔しいとも思わなかった。むしろわくわくするようないい気分だ。もしかすると何か才能でもあるのだろうか、と思っていたが。どうやらそれはビンゴのようだ。
「く……ううう」
依然として苦しがるシャルト。このまま放置しても、これはおそらく良くはならないだろう。早い所病院に連れて行かないと。せっかくの逸材だからな。
俺は服の埃を払うと、おもむろにシャルトの体を上から持ち上げにかかった。
その刹那。
俺の腕が痛烈に振り払われる。その痛みを感じる間もなく、シャルトは未だ痛みのひかない俺の腹へ殴りかかった。咄嗟に腹筋を締め、衝撃を弾く態勢を取る。
どすっ、と鈍い音が鳴り響く。
まるで基本のなっていない、闇雲な突きではあったが、衝撃はかなりのものだった。しかし、不意打ちならばともかく来るのが分かっている攻撃などまるで恐ろしいとは思わない。幾らパンチ力があろうとも、そう簡単にダメージを許すほどヤワな鍛え方はしていないのだ。
「うわあああああっ!」
続けてシャルトは、何かに取り憑かれたかのように俺を殴り続ける。表情は苦悶の色と汗と、そして恐怖が浮かんでいた。
感情が不安定になっている?
シャルトの異様な様子に俺はそう思った。明らかに冷静な思考力はなく、ただ本能に突き動かされるがまま闇雲に腕を振るっている。このぐらいならば幾ら貰おうとも別に問題はないのだが、ただ我を失っているシャルトが気になる。ここまで酷く錯乱する、しかも唐突に苦しみ出した後での事だ。ある程度の想像はついてはいるものの、具体的な応急処置手段を俺は知らない。
さて、どうしたものか……。
俺は渋い表情を浮かべて首を捻る。こんな状態のシャルトを連れて行っては、敵に自分達の居場所を宣伝しながら逃げるようなもの。それでなくとも、子供を連れて行く時点で足手まといになる事は確実だ。俺が連れて行くと決めた訳だから文句を言う立場ではないが。とにかくどうにかしなくては、今後の行動にも大きく影響を及ぼしてしまう。
「ん?」
その時、ふと俺はある事に気がついた。
やたらめったらに繰り出される、男にしては随分と細く白い腕。その腕の肘から先の辺りがはっきりと見て取れるほど腫れ上がっている。それは明らかな骨折の兆候だった。しかしシャルトは構わず腕を揮い続けている。
まずい!
一体全体どうなっているのか分からないが、とにかくシャルトは折れた腕で俺をやたら殴っている。骨折は綺麗であれば治癒も早いが、それは正しい処置をしたらの話だ。折れた後で傷を悪化させるようなマネをすれば当然治癒は遅くなるし、場合によっては完治すら出来なくなる。骨の接合部分が複雑に欠けたりしてしまえば、最悪の場合は腕が一生使い物にならなくなる事もある。それにこいつは子供のくせにやたら力が強い。腕にかかる反動もかなりのものになるだろう。
俺はすぐさま右腕を振り上げると、そのままシャルトの首へ手刀を叩き込む。てこの原理を利用した、相手に脳震盪を起こさせる技だ。素人には難しいだろうが、慣れてくればほとんど力を入れずに相手をおとなしくさせる事が出来る。
直後、ばたん、という擬似音がまさにぴったり合いそうなほどの勢いでシャルトは俺の方へ倒れ込んで来た。すぐさま俺はその体を受け止める。
シャルトは完全に意識を失っていた。しかし、その表情は未だ苦悶に満ちている。目を閉じていても、まるで何か恐ろしいものから逃げ出すように苦しげな声を漏らす。
ようやくおとなしくなった事で俺はホッと一息ついたが、シャルトについては思った以上に疑問や問題点が山積みになっている事を思い知らされ気分が滅入る。気に入ったから連れて行く。どうせここに残した所で、この先ろくな人生を送れない事は明白である。それならば、と実に安易な気持ちで決めたのだったが、まさかこれほど厄介な事になろうとは思っても見なかった。
しかし、かと言って今更自分の意志を曲げるつもりもなかった。
厄介と分かってから放り出すのは、三流のやる事だ。
TO BE CONTINUED...