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「ああ、もう! 次から次へとキリがありませんね!」
リルフェの苛立だしい愚痴が周囲を駆け巡る。しかし、針を刺すような高いトーンのそれでさえ、あっという間に流派『修羅』の真っ黒な人垣に飲み込まれてしまう。
流派『雪乱』が交戦しているのは、流派『修羅』と流派『悲竜』の二流派だった。初め、雪乱に入った情報は流派『修羅』が市街を無作為に破壊している、というものだった。偶然にも修羅のいる場所から雪乱の本部は近く、また明朝からの厳戒態勢で臨戦体勢の整っていた雪乱は、すぐさま頭目リルフェの指揮の元、修羅の鎮圧へ向かった。修羅も全部隊が結集していたため、状況はほぼ五分だった。けれど修羅は精霊術法に慣れていないためか、戦況はやや雪乱側にやや有利に運んでいた。
しかし。
戦闘が始まって間も無く、流派『悲竜』が不意討ちを仕掛けてきた。それはこれまで有利に戦闘を進めてきた雪乱の背後を討ち、丁度挟撃する形となった。続いて修羅の猛反撃が始まった。これまで雪乱に押されていたと思われていた修羅だったが、実は初めから雪乱を悲竜との状撃地点へ誘い込むため劣勢を装っていたのである。
戦況は一転した。
雪乱は前後からの激しい攻撃で逃げ場を失い、陣形は完全に総崩れだった。命令系統云々の問題ではなく、もはや目の前の敵を倒し続ける、という反応だけの戦いを強いられている。この戦い方で士気を持続する事が出来るはずも無く、雪乱の隊員は次々と倒れていった。混乱する雪乱を率いるリルフェは、勝つ事ではなく如何にしてこの状況を乗り切るのか、焦燥感に背を押されながらそればかり考えていた。
このままでは雪乱の全滅は必至である。北斗の諸流派が次々と裏切り始めている以上、北斗派の流派がひとつでも欠けてしまうのはあまりに影響が甚大だ。劣勢を確信した瞬間、後は単純な引き算を無視し転がり落ちる勢いで雌雄が決される。そうなってしまっては北斗の壊滅は避けられなくなる。足がかりを作るわけにはなんとしてもいかない。
リルフェは冷静になる事を心がけ、打開策を練り続けた。
しかし、たとえ即席でもこの圧倒的不利な状況を打開する奇策などはとても思いつかなかった。それはリルフェに指揮としての才能が無いから、という訳ではない。リルフェはむしろ、一般的にはキレ者と呼ばれる部類に入る。しかしそんなリルフェにも、今のこの状況はあまりに悪すぎた。
せめて、もう少し集中する事が出来れば。
だがリルフェが頭目である以上、常に数人で構成されているグループに狙われ続ける。
突然、リルフェの正面に立ちはだかっていた三人の黒い男達は、リルフェに飛び掛るような勢いで唐突に飛んできた。それは自らの意思で跳躍したのではない事は、はちきれそうなほど後ろへ屈曲したその姿勢から簡単に見て取れた。男は跳躍したのではなく、弾き飛ばされたのである。
「あ、ルテラじゃないですか! どうしたんですか?」
そして、男達が立っていたその場所に現れた一人の女性に、リルフェは思わず嬌声を上げた。
緩いウェーブのかかったハニーブロンド、突き抜けるような白い肌、南海を思わず曇りの無い碧眼。この粉塵の巻き上がる泥臭い戦場にはあまりに不似合いな様相だったが、その佇まいはあくまで戦士然としており、各人とは一線を画したかのような安易に近づき難い神々しさすらあった。
「もう、御挨拶ね。古巣の危機に、援軍に来たってバチは当たらないでしょ?」
そうにっこりとルテラは微笑んだ。その笑みは非常にリルフェと似通った系等の笑顔である。それには、かつて気持ちが荒んでいた頃のルテラに楽しく生きる事を教えていたのがリルフェだったからである。
「念のために聞いておきますけど、ルテラはどっち派ですか?」
「当然、北斗派に決まってるわよ。当たり前じゃない。私はこの街が好きなんだから」
何の陰りも無い笑顔を浮かべ、すっと両腕を広げて天を仰いだ。するとルテラの周囲には白い微細な粒子が集まり始め、一本の反布を作り出した。しなやかに手のひらをくぐらせ、一度引き締めるかのように強く白布を引く。その白布は意思を持っているかのようにルテラに操られ、右腕にくるりと半端が巻き付いた。凍気をモチーフにしたイメージで構成する、流派『雪乱』式の精霊術法である。
「じゃあ私も聞くけど、あなたは本物のリルかしら? 状況を見ると雪乱は北斗派のようだけど、今は普通じゃ考えられない事が立て続けに起こってるからね。こっちも慎重にならざるを得ないの」
「ご心配なく。私はルテラの大親友、本物のリルです。なんだったらここで、私しか答えられないような事を言ってみましょうか? たとえば、ルテラの最新スリーサイズとか。一ヶ月前ですけど、体重も知ってますよぉ」
無邪気な笑顔で冗談とも本気ともつかない提案をするリルフェ。そんな彼女の仕草にルテラは、いつものようにただただ微苦笑を浮べると共に小さな溜息をついた。
「そんな事を平気で言えるのは、あなたとお兄ちゃんだけね」
「そういう事です」
互いに一度見つめ合い、そして素早く近づいて背中を合わせ構える。
二人を取り囲んだのは、真っ黒な制服を身につける流派『修羅』と薄青の制服を身につける流派『悲竜』のグループ。修羅はコキコキと両手の指を鳴らし、悲竜はそれぞれ対に携える剣や槍を構えた。
「ちょっとだけ、こういうシチュエーションって良くありません?」
「どうして?」
「ホラ、戦場でも安心して背中を任せられる仲間がどうこうってヤツです」
「もうちょっと読書の趣味は変えた方がいいわね。これからは恋愛小説になさい」
円の中心で背中を合わせていた二人は、突然弾け飛ぶように左右に散開した。
複数の敵に囲まれた場合、予測できる行動の選択肢はそう幾つも無い。済崩しの守りに徹した所をじわじわと攻めて行くか、逆に立ち向かってきた所を狐狩りのように押さえつけるかのどちらかだ。
行動が予測出来れば、最善の行動は容易に弾き出せる。戦術は兵力と同等以上の力、完璧な戦術はアリがゾウを打ち破る事すら可能にする。
しかし。
二人は瞬く間に自らの前方に立ちふさがる三人をまとめて円の外へ弾き飛ばすと、あっという間に包囲網から飛び出してしまった。そしてすぐさま、左右から挟み込むように白い術式が次々と放たれていく。
圧倒的に有利な状況を作り出していたにも関わらず、一呼吸する間に状況が一変してしまった。囲んだつもりが、驚く事にたった二人によって逆に囲まれ、殲滅されてしまった。戦術が作り出した優位性は、彼女らにとってはアリとゾウの実力差以上に些細なものでしかなかった。たとえどのような状況で攻撃されても、ここが戦場である以上、二人にはこの程度の相手に死角は無い。頭目、とはそれほどの実力者にしか与えられない栄号なのだ。
吸った息を吐き切る間に倒しつくした敵を尻目に、二人は更に戦場を駆ける。
一箇所にいつまでも留まるのは不利であるからだ。明確な居場所を知られては、大群でよってたかる物量攻撃であっという間にやられてしまうのだ。
「もう、こっちはどれだけ残ってるのかしら?」
「あんまり考えたくありませんねえ……。頭目の立場って人間をチェスの駒のように使えるけど、それって結構残酷だし、心が痛むんですよ。たとえ本人の同意の上であっても。だから、死んだ人間の数は必ず正確に数えなくちゃならない訳ですよ」
「ぱっと状況を見た感じは……あまり楽観出来ないわね」
「一人でも死んだら、楽観はしていけないんですよ」
駆け巡る二人の視界には、流派『雪乱』の象徴である白い人影は全くと言っていいほど見つからなかった。時折視界の端に入る白は皆、戦場で朽ち果ててしまった亡骸ばかり。一人一人を手厚く葬ってやりたい衝動が込み上げてきたが、今はそれすら無慈に見限らなくてはいけなかった。優先順位、という非情な言葉が脳裏を幾度と無く浮き沈みする。
むせ返るような黒と薄青の人垣を潜り抜け、ようやく戦場から一歩外へと這い出た。
まるで深い霧の中を駆け抜けて、一気に晴れ間の下へ飛び出したかのような開放感。
だが、息をつく間も無く、修羅と悲竜は二人を追いかける。
「ひゃあ、必死ですねえ。ここにいる男性が全て自分に求婚しに来てるとしたらどうします?」
「お断りよ。ケダモノみたいに目が血走ってるじゃない」
緊張感は二人とも少なからずあり、それを紛らわせるかのように軽口を叩き合う。だがそれは、このままやっていけるのか、という判断を相手に求めるサインでもあった。
逃げる事は容易だが、その逃げ方も重要だ。このまま頭目だけおめおめと逃げ遂せたところで、雪乱が壊滅したという事実は変わらないのだ。
せめて、片方の頭目ぐらいは倒さなくては、今後の展開が大きく不利になってくる。しかしその頭目は、この人垣を超えた遥か向こうだ。幾ら頭目と守星といえども、たった二人でどうにかなるような数ではない。
ここで退くのが普通の人間だ。しかし、北斗の人間はこのような状況でも進まなくてはいけない。
進む事しか無い二人に、これ以上考える猶予は無かった。
「あら?」
腹を決め、近づいてくる大軍に身構えたその時。ふと二人の背後から何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
おもむろに振り返ったルテラは、きょとんとした目で小さく声を上げる。釣られてリルフェも同じように後ろを振り返った。
二人の目が見たのは、黒い大群が猛然とこちらに向かってくる光景だった。
流派『修羅』の増援か。
初めこそそう思ったが、すぐにそれは違う事に気がついた。
同じ黒の制服でも、それは修羅ではない。流派『夜叉』の一群だ。
「お兄ちゃん!」
先頭を駆けるのは、身の丈ほどの剣を背負った長身のダーティブロンド。隆々とした肉質では無かったが、必要な筋肉を徹底的に鍛え上げられた事がその仕草から十二分に感じ取れる。
「よう、苦戦してるみてえだな。こっからは俺ら夜叉に任せな」
レジェイドはおもむろに背中の剣の柄を握ると、一気に抜き放って中段に構えた。ぶんっ、と呼称するよりも、ぴっ、と風が鋭く吹き走った音に近い。剣の重量をレジェイドの腕力は悠々凌駕しているのだ。
「あれ? ルテラも疑わしいんじゃなかったっけ?」
すると、その横からひょっこりとヒュ=レイカが現れ、剣を構えたレジェイドにそう意地の悪そうなにやけ顔で問い訊ねる。
「それはそれだ。見てみろ、ルテラには悪者の空気が微塵も感じられない」
「身内の贔屓目だね。レジェイドは結局ルテラの味方なんだよなあ」
「うるせえ。俺が味方っつったら味方なんだよ。ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと敵を片付けるぞ」
ヒュ=レイカの頭を鷲掴みにしたレジェイドは、そのままぐりっと強引に捻り、視線を自分から目前の敵の大群へ向けさせる。
「レジェイドさんが来てくれたら心強いですねえ。これだったらなんとかなりそうです」
緊張感がほぐれて表情に余裕の出来たリルフェが、普段の柔らかい笑みを取り戻す。けれどいつまでも緩んでいる訳にもいかず、改めて気を引き締めて構えを取る。
「お兄ちゃん」
と、ルテラが剣を構えるレジェイドの横にひょいと顔を出す。
「大好き」
「ば、馬鹿、恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ!」
TO BE CONTINUED...