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敵。
いつの間にか、俺はそれを見失っていた。
俺にとっての敵。
北斗を脅かす存在。
けど、もう一つ。長い事規律に縛られていたせいで忘れかけていたものがある。
俺の大切なものを傷つける存在は、須らく敵だ。
「シャルト!」
どうしたらいいのか分からない俺は、とにかくそう叫んだ。
リュネスに向かって落ちる騎士剣。その間に割り込んだシャルトは、封印されて使えなくなったはずの精霊術法を用いて雪乱式の障壁を展開、騎士剣の刃先がリュネスに触れようとするのを阻む。しかし、シャルトの様子は今にも倒れそうなほど弱々しい。全身の至る所に傷を作り赤茶けた血に塗れ、ああして毅然と立っているのが不思議なほどだ。あれでは理性云々ではなく、単純な体力的問題で障壁を破られてしまうのも時間の問題である。
くそっ……!
俺は思わずシャルトに向かって駆け出した。
あのままではシャルトもリュネスも共倒れになってしまう。俺は精霊術法なんて使えないが、あのぐらいの術式ならば受け止められる。いや、受け止めてみせる。その程度、シャルトに出来て俺に出来ないはずがない。精霊術法の心得がなくてもだ。術式を俺が受け止められれば、シャルトとリュネスをあの場から離脱させるだけの時間は十分に作れる。ひとまず今は、シャルトとリュネスの安全を確保する事を最優先するべきだ。救出次第、二人は病院へ直送すりゃあいい。それからの事はどうとでもなる。
しかし。
突然、俺の鼻先を掠めながらすぐ目の前に等身大の騎士剣が一本、天から舞い降りて足元に突き刺さった。見た目は本物とさして変わらないが、よく見れば輪郭が薄っすらと淡い光を放っている。この剣は本物の剣ではなく精霊術法によって体現化された偽物の剣だ。
「テメエ……」
俺はギリッと奥歯を噛み締めながら視線を向ける。その先に微笑むのは浄禍八神格の一人、『断罪』の座。
「神事の邪魔は許しません」
天使の微笑み、ってのはこういうものを言うのだろうか。まるで邪気の感じられない純粋で清らかなその笑み。そんな笑みの持ち主が、俺の行動を制限するために目の前に剣を落としたのだ。屈託の無い穏やかな笑顔に、俺はシャルトやリュネスが暴走した時の偏執的な行動パターンと似ているように思えた。
「ふざけんな! 何が神事だ!? テメエラがやってんのは、単なる虐殺だ!」
「これもまた神の思し召しです」
本来、こいつら浄禍の役目は暴走した術者を止めることだ。ただし、チャネルがAランク以上の大規模な暴走に限られるため、その方法は結果的に消滅させる武力的手段を取っている。それは仕方のない事だと俺も一応の納得はしている。暴走した術者の攻撃力と行動パターンは異常の一言に尽きる。天災のような暴走者が北斗を駆け巡れば、当然の事ながらとんでもない被害が出るのは間違いない。それを防ぐためならば、殺す事も已む無しと言える。
だが。
見ての通り、暴走していたリュネスはとうに意識を失い無力化している。精霊術法はそれほど詳しい訳じゃないが、暴走を止める手段の一つに意識の消失というものがある事を俺は知っている。術法は基本的に意識が根本にあるため、基盤となる意識がなければ術式は成立しないからだ。そのため意識を失ったリュネスの暴走は既に鎮圧化されたと言っても過言ではない。にも関わらず、どういう訳なのか浄禍は攻撃の手をやめない。
浄禍に所属する連中は皆、Aランク以上のベルセルクを宣告された人間ばかりだ。しかも常に暴走に近い状態でありながら信仰心によって平静を保っていると言われてはいる。しかし、それは本当は違う。所詮、暴走は暴走。ただ行動が体系化されただけで、暴走の特徴である偏執的思考は何ら変わっていない。欲望のままに振舞う事を、ただ歪んだ信仰やらと入れ替わっただけなのだ。
こいつらはまともじゃない。
それが最終的な俺の下した結論だった。臨機応変に思考や目的を変える事が出来なければ、宗教の共通項目である『絶対悪の排除』しか行動理念にない。浄禍にとって暴走による被害如何は問題ではないのだ。ただ、暴走を起こした人間を殺したいだけ。暴走を起こした人間は、こいつらにとって『悪』なのだからだ。
涼しげな表情で答える『断罪』の座。しかし俺は、自分の歩を止めた目の前の騎士剣の柄を握り締めると、一気に地面から引き抜いた。そしてその剣身に思い切り拳を叩きつける。すると白い剣身は音を立てずに破砕し、そのまま塵となって消えていく。
術式の解除方法は二つある。一つは術者が意識を切り離して維持を放棄する方法。もう一つは、体現化を構成する魔力同士の繋がりを断つ方法。要するに『ぶっ壊す』という事だ。本来は質量の無い魔力も、体現化した場合は質量を持つ場合がほとんどだ。ただのエネルギーならばともかく、質量があるならば物理的な干渉も十分に可能だ。むしろイメージだけで構成された以上、壊しやすいぐらいだ。
「神? テメエの信じる神ってヤツは相変わらず血生臭いのが好きだな」
二年前まるで変わらない会話。
そう、二年前。シャルトが暴走した時も『断罪』は同じような台詞を口にした。全ては神の意志だ思し召しだ、と自分の行為の責任所在を転嫁する、ヘドの出そうな下劣なこいつらの価値観。
俺は唾を吐き捨てながら、なおも『断罪』を睨みつける。その視線に本物の殺気を込めてしまう事を抑えられなかった。本音を言えば、俺は今、こいつらを殺してでもシャルトを助けるつもりでいる。浄禍は北斗十二衆の中で言わずと知れた最強の流派だ。更にその中で指折りの八強、浄禍八神格。俺の実力で勝てるかどうかなんて分からない。しかし、あまりの怒りで恐怖心がすっかり消えてしまっていた。代わりにあったのは、とめどなく溢れ出てくる燃えるような闘争心だ。闘争心があれば戦える。戦えるならば負けはない。それが流派『夜叉』だ。
すると、
「背信の徒は誰であろうと、神に成り代わり天罰を下します」
笑顔を浮かべながらも、瞳がじろりと大きく見開いて俺に視線を注ぐ。俺の背筋にぞくっと寒気が一瞬走った。『断罪』の座が放った殺気は、俺のそれを遥かに飲み込むほどの凄まじいものだった。しかし表情は相変わらず笑顔を浮かべたままである。なんて凄惨な表情なのだろうか。
しかし、闘争心に溢れた俺は怯まない。それどころか、逆にいきり立つだけだ。
「上等じゃねえか! 今からお前らは俺の敵だ。夜叉の隊員を虐殺しようとする、な!」
俺は大きく右足を踏み込むと、前傾姿勢から一気に『断罪』との距離を盗んだ。
消えろ。
そう呪うように強く念じながら踏み込んだ右足を軸にすると、そのまま独楽のように体を一回転させる。十分に遠心力で加速をつけると、左足を『断罪』へ叩き込んだ。狙うは『断罪』の首側部。人体の急所の一つだ。
流派『夜叉』が主とするのは、総合的な戦闘術だ。単純な戦闘のみならず、大局的な戦略や戦術、戦闘に関わるあらゆる知識の培養も含まれている。戦闘手段にしても、主流となる武器は基本的に全て網羅している。俺が得意とするのは剣術だが、それは剣がなければ戦えないという訳ではない。槍があれば槍術、棍があれば棍術、武器が無ければ体術がある。
だが。
ドォン!
重苦しい衝撃音と共に、俺の左足が『断罪』の目の前で止まった。何か見えない壁に阻まれると言うよりも、見えない手が足を掴んでいるといった感触だ。『断罪』は相変わらず落ち着いた様子で俺に視線を向けている。先ほどよりも何倍も色を濃くした殺意と共に。正直あまり気分のいいものではなかったが、それでも俺は苦笑いを浮かべるぐらいの余裕がある。闘争心が豊富であれば恐怖に慄く事は無い。
「神は言われました。目には目を、歯には歯を」
そして、
「ぐっ!」
まるで蹴り飛ばされたような衝撃が俺の脇腹を襲った。思わず俺はその場にうずくまるものの、すぐさま足に力を込めて後ろへ飛び退く。なかなかイイやつを貰ったが、まだまだ。俺を動けないようにさせるには、この程度ではまったく足りない。
「あくまで神の御意志に背きますか。悔いを改めるならば今ですよ?」
「ふざけろ。俺はな、そういう思い上がった存在が一番ムカつくんだよ」
すると『断罪』は、やれやれと言いたそうなあきれた表情で右手を俺にかざす。するとそこから一本の騎士剣が現れた。その剣身は薄っすらと白い光を放ち、どことなく神々しさを感じさせる雰囲気を纏っている。先ほど俺の足を止めたものとほぼ同じものだ。
「主よ、どうか罪深きこの子をお許し下さい。彼の罪は私が御心に従って断ちます故」
体現化した騎士剣を振り上げると、そのまま俺に向かって振り下ろす。俺はすぐさま回避体勢に入った。
と。
突然、鋭い音と共に一本の青い閃光が『断罪』に向かって来た。しかしそれは俺が蹴りを放った時と同じく、触れる寸前で見えない何かに止められる。
「ハアッ!」
続いて一つの影が『断罪』の元へ飛び込むと、顎を跳ね上げようと下から突き上げるような拳撃を放つ。しかしこれもまた触れる寸前の所で止められた。そして反撃を受ける前に影は後ろへ離脱し距離を取る。
「フン、防御も完璧という訳か」
そう憮然に言い放ったのは、普段の鋭い眼差しをたたえたまま歩み寄ってくるリーシェイだった。精霊術法のせいだろうか、近づいて来るたびにただでさえ冷たい夜の空気が一層冷えていく。
「伊達に聖号貰ってる訳じゃないのね」
挑戦的とも見て取れる苦笑いを浮かべたその影は、同じ凍姫に所属するラクシェル。その両腕には白い凍気を纏わせている。ラクシェルが最も得意とする、格闘技と絶対零度の体現化を組み合わせた戦闘術だ。
「あなた達も神の御意志に背こうというのですか」
笑顔の中に呼吸すら禁じてしまうほどの強い殺気を込め、『断罪』は二人に視線を送る。しかし二人は全くたじろぎもせずその視線を真っ向から受ける。どうやら二人とも、俺と同様にキレてしまったみたいだ。闘争心が恐怖を凌駕した状態だ。
「神の意志だと? 悪いが、私は目に見えるものしか信じない」
「私は元信者みたいなヤツだったんだけどね。同じ理由で信じるのはやめたわ」
二人の挑戦的なその言葉に、微かに『断罪』の表情が怒りに歪んだ。
「愚かな……」
「見えないものを盲目的に信じる貴様らに言われるとは心外だな。私は自分の生きる道は自分で決める。己の指標を決定するのは自分だ。責任の所在を転嫁する生き方のほうがよほど愚かしい」
更に追い打ちをかけるリーシェイ。この化物を相手に平然とこんな事を言う度胸はともかく、人の主張や意見の穴を突くことに関してリーシェイは天才的だ。さすがに最強の一角を担う浄禍八神格の『断罪』も、弁舌だけはリーシェイにかなわないようだ。
TO BE CONTINUED...