BACK
徹底した現実主義の中で生きてきた俺達は、希望的観測なんざするもんじゃない。神に祈るなんざもっての他。いざという時の判断が鈍り、信念という心の剣が折れちまうからだ。
だが。
正直、今は神に祈ってでも良い気分だ。
音もなく地面へ倒れてしまったファルティアを、俺は唖然としながら見つめていた。
一体、何が起こったってんだ? 怠惰の座の右手が肩にちょっと触れただけじゃないか。しかし、それだけでファルティアは起き上がるどころか義腕を維持する事すら出来なくなってしまった。
柄にもなく、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
北斗十二衆の最高峰とまで言われる、流派『浄禍』。その最高実力者である浄禍八神格の内、実に五人が目の前に立っている。彼女らは膨大な魔力にも理性を失わず、逆に自らの力としてしまった、人間の域を越えた連中だ。この場に現れた時も、やつらは歪めた空間を通ってやってきた。空間を飛び越すなんて、そんな魔術も精霊術法も俺は聞いた事がない。それを可能にしてしまうのは、八神格が御業を揮う事が出来るからに他ならないのだ。神の御力、なんて口に出すと笑い話にしかならないが、目の前で現実に見せ付けられた時は、大概はひたすら絶句するかトリックの類だと頑固に現実逃避するかのどちらかだ。
情けない話だが、神なんてものを生まれてこの方信じた事のない無信心者の俺が、浄禍の連中を見ていると本当に神がいるんじゃないのかって気になってくる。俺も熱心に毎日神へ祈りを捧げたら、あんな力が手に入るんじゃないのか。通り過ぎた畏敬と共に、そんなくだらない発想さえも生まれ出てくる。連中が揮うのは魔術でも精霊術法でもない、神の御業だ。現に、ファルティアが成す術無くやられてしまっている。素行に問題点は多々あるものの、実力は頭目として十分過ぎるだけ持っているヤツだ。それが手も足も出ずに倒されてしまったのである。これが神の力じゃなければ何だと言うのだろうか。
「主よ、この迷える子羊を悔い改めさせられぬ私の非力をお許し下さい」
そして、怠惰の座は右手で十字を描きながら天を仰ぎそっと目を伏せる。まるでその方向に、彼女らが言う所の『神』が鎮座しているかのように。
俺達はあまりにこの場に不似合いなその清楚な姿から目を離す事が出来なかった。普段ならば、信心深い神の使徒という目で見られたかもしれない。だがこの使徒は、人を一人、指一本動かす事の出来ない状態に追い込んだ上で自らの所業を神に悔いている。恐ろしいまでに独善的、かつ偏執的。たとえるならば、弦が一本切れたまま奏でる音楽のような、何かが壊れた狂的な光景。過ぎた神性さが、逆に畏敬から純粋な恐怖の対象へと変貌させる。
と。
突然、ぶぉん、と空気を鳴らす魔力の波動が降り注いできた。
「うわっ!?」
上から下へ、俺のすぐ足元に目掛けて何かが降り落ち突き刺さった。微かに鼻先を掠めたらしく、微妙にヒリヒリと疼痛が張り付く。
降り注いできたのは、騎士剣を象った無数の氷塊だった。剣は特に目標を決めている訳でもなく、ただ俺達がいる場所の上空へ投げ飛ばし、そのまま重力に添って落ちてきたものだ。規模のデカイ局地的な雹と思えばなんてこともないだろうが、当たった時のダメージも降り注ぐ数もシャレにならない。
突然の浄禍の出現やらですっかり茫然自失していた俺達だったが、やはりそこは頭目格の人間ばかりだ、不意の攻撃に対しても冷静に身をかわしたり障壁を展開して防御を行う。俺もまた、鞘に収めていた剣を抜き放つとそのまま丁度脳天に目掛けて降って来た氷の騎士剣を叩き壊す。
いけねえいけねえ……浄禍の事ですっかり忘れちまってたぜ。
俺は気を取り直し、今一度驚くほど失われていた冷静さを取り戻して状況の把握に全力を尽くす。俺達が最も優先させなければいけないのは、この浄禍八神格ではない。精霊術法を暴走させてしまった、リュネス=ファンロンを止める事なのだ。
冷静になるのと同時に、どうしてあんな状態のリュネスを忘れてしまっていたのか、思わず苦笑が込み上げて来る。それは同じ尋常ならざる力でも、未知の恐怖と既知の恐怖の格差なのだろうか。
俺達が足を置いているのは、かつては専用に削り出された路石を敷き詰め舗装されていたが、先ほどのリュネスが起こした大爆発で残らず石を剥がされて地面が露出した元舗装道路。そこで場を同じにしているのは、俺とルテラ、リーシェイ、ラクシェル、ヒュ=レイカ。そして、浄禍八神格の内の五人だ。ファルティアは怠惰の座にやられて昏倒したままピクリとも動かない。呼吸だけは一応しているが、半分死んでしまったかのようだ。
そして、視線をちらりと後ろへ向ける。
この場から僅かに離れた後方、路石が剥がされていないそこに、相変わらず黙してうつむいたまま突っ立っているそいつの姿はあった。髪は闇にも映える特徴的な薄紅色、対照的に肌は白く、顔立ちは中性的でユニセックス。体格は男にしては小柄で、顔立ちにも増して俺には頼りなくて危なっかしく見える。俺が二年前に拾ってきた義理の弟、シャルトだ。
本当はメンバーの中にこのシャルトも含まれていたはずだが、今は一旦退いてもらっている。ルテラ達が到着した時、半ば無理やりに外されたのだが、はっきり言って俺は安心した。とても本人の前では言えないが、暴走したリュネスが相手ではかえって足手まといになるからだ。
初めこそ、俺はシャルトの意思は最大限尊重してやりたいと考えていた。まだガキではあるが、あいつも男だ。自分の惚れた女ぐらいは命張ってでも助けたいって気持ちも持っている。けれど、暴走したリュネスの力は俺が考えていた以上にとんでもないものだった。一応、シャルトにはそれなりの覚悟はさせたが、いざとなったら俺が助けてやればいい。そんな、俺の箱庭の中で命を張らせるようなことをさせていた。
だが、すぐにそのままの認識ではシャルトの安全が守れない事を俺は自覚させられた。
リュネスの力は、俺自身が何とかするだけで精一杯だったのだ。とてもシャルトの身の安全まで手が回らない。しかも、シャルトはリュネスを助けたいと一心に願うあまり、対極的な冷静さを失っているのだ。一つ一つの冷静さは問題なくある。だが、もっと根本的な冷静さが欠けているのだ。それに気づいていないシャルトを見ているのは心臓が縮まる思いの連続だった。だから俺は、ルテラに無理やり戦線を外された事を安堵したのだ。
惚れた女の危機に何もさせてもらえないのは悔しいだろう。けれど、俺はシャルトをこんな所で死なせるつもりもない。あいつにはちゃんと幸せってもんを手にして人生を謳歌した後で、ベッドの上で死んでもらいたいのだ。
そういうくだりもあって、俺達は初め五人でリュネスと対峙していた訳だが、結果は見事に惨敗。なんとかあの強固な障壁を破ったはものの、肝心の攻撃が届かなかったのだ。あの破壊魔と恐れられたファルティアの全力の一撃でさえ手玉に取られてしまったのである。恐るべきは精霊術法のダークサイドか。俺達が予想していた最悪のレベルの更に上を、リュネスは行っていたのである。
そして、俺達に鎮圧は無理だと判断されたのだろう、こうして浄禍が出張るハメに陥った。近年、特に北斗内では暴走事故が頻繁に起きているが、大抵はこの浄禍によって大事故になる前に鎮圧されている。いや、鎮圧というよりも消滅、やつらの表現を用いれば『浄化』か。早い話、暴走した術者を処刑するって事だ。幾ら暴走した術者がとんでもない魔力を行使してきても、肉体そのものを失ってしまったら後は死ぬしかない。
それは、北斗という組織単位で見れば最も簡単で迅速、かつ再犯性の低い対処方法だ。しかし、俺達の目的はリュネスを生きて暴走状態から戻す事だ。術者を殺す以外の目的を持たない浄禍との対立は至極当然と言える。ただ、そんな浄禍にも一応の例外はある。それは二年前、シャルトが暴走事故を引き起こした時の事だ。シャルトのチャネルはAランク、並の連中が束になってもかなうはずがなく、例によって浄禍が出て来る事になった。しかし、術者を殺すだけの流派である浄禍は、どういう訳かチャネルを二度と使えないように封印しただけで事を治めた。浄禍八神格筆頭である『遠見』の座の配慮によるものだ。どういう意図があってかは知らないが、『遠見』はある程度の未来を視る事が出来る。そうせざるを得ない何かを遠見は視たのだろうが、こんな事、過去に全く前例のない異例中の異例な事態だ。浄禍が出臨して命が助かった術者は、後にも先にもおそらくシャルトだけだ。
しかし、今回もまたそうなるとは限らないし、そんな希望的観測を抱いてもいけない。あくまでシャルトの件は特別な例外なのだ。このまま浄禍がしたいようにさせていれば、暴走したリュネスが殺されてしまうのは予測ではなく現実となる。
と。
夜の闇に響き渡る、リュネスの異様な嬌声。一体、何がそんなに楽しいのか。笑い続けるリュネスの目には異様な明かりが灯っているだけだ。
一人で笑うその姿が、俺にはやけに寂しそうに見えた。暴走とは魔力に理性を侵蝕された状態であるため、暴走すると普段は心の中に押し込められていた感情がもろに表に出てくる。今のリュネスはまさにその抑圧された欲望が表に出た状態だ。きっと、あんな風に楽しく笑いたかったのかもしれない。
そういえば。
俺はふと二年前のシャルトの暴走を思い出した。あの時のあいつは、暴走していながらも酷く怯えて泣いていたっけ。もう誰も構わないでくれって、ただでさえ小さな体を更に小さくさせて震えて。その時のイメージが強過ぎたのだろう。今でも俺は、なんとなくシャルトを一人にさせたくないと思っている。あの怯えは、多感な時期に非人間的な扱いを受け続けて形成されてしまった一つの価値観だ。誰も周りにいなければ、自分が傷つけられる事がないという、そんな。しかし、そんな寂しい生き方は決して幸せになれない。『幸せってなんだ?』と問われると小難しくなるが、とにかく健全な生き方とは俺は思っていない。人は他の誰かと繋がってなけりゃ生きられないのだから。
そして。
「おお、穢れの闇に捕らわれし哀れな子羊よ」
その時、『怠惰』の座がそんな一節を読み上げると、自分の目の前に先ほど現れた時と同じ空間の歪みを生成した。どういった原理で行っているのかは分からないが、とにかく空間から空間へ跳躍する技術だ。
怠惰の座は歪みの中へ静かに足を踏み入れていく。すると、まるで水の中へ溶け込んでいくかのように彼女の体が風景に溶け込んで消える。
「今、此処に主の名において祝福を授けましょう」
「聖なる、聖なる、聖なる父よ」
「どうか御許へ向かうこの哀れな迷い子をお受け下さい」
「我らは神の使徒にて御心の代現者。アーメン」
怠惰に続き、更に他の三人が目の前に同じような空間の歪みを作り出すと、そこへ溶け込むように入っていく。そして俺達の目の前に、八神格の一人が残った。
と、遥か先に立つリュネスがゆっくりとこちらへ左手の平を向けた。
まずい!
俺達は一斉に回避態勢を取った。ルテラは動けないファルティアを担ぎ上げ、既にこの場からの退避に移っている。リュネスが手のひらをかざすと、そこからは目にも止まらぬ速さで光の帯が放たれる。直撃を食らえば余裕で跡形もなく消え失せてしまうような術式だ。特に俺は、この中では唯一精霊術法の使い手ではない。障壁で防ぐ事は出来るかもしれないが、俺の剣一本では守りきれる範囲が限定されている。あの術式は、とにかく僅かでも触れた所があればそこを根こそぎ毟り取っていくのだ。
カッ、と手のひらが煌いた瞬間、音速を超過して青い光の帯がこちらに向かって飛んできた。
俺達はすぐに帯の直線状から退避する。しかし、どういう訳か一人場を移動しなかった八神格が、またもやピクリとも動かず帯の真正面に立っている。
馬鹿な……死ぬ気か?!
その直後、
バシュッ!
光の帯が彼女に触れる寸前、まるで見えない壁に阻まれているかのように形を歪めた。それはまるで、ホースから勢い良く飛び出す水が壁に阻まれたかのような姿に似ていた。リュネスの手から放たれた光は八神格の目の前でそれ以上の前進を阻止され、行き場を失った光が見えない壁に衝突した衝撃で飛散し消えていく。
「お前は不幸だ。善と悪、神と神に仇名す者の見分けがつかず、そればかりか自らの目を閉じてしまっているからである」
やがて光が収まると、彼女はそう聖句でも読み上げるかのようにリュネスへ言葉を投げた。だが当のリュネスは相変わらず異様な笑みを浮かべたままだ。
次元が違う。
そう思わずにはいられなかった。チャネルから流れ込む魔力を体現化して戦う精霊術法。事実上の攻撃速度が、術者の反応とイメージ力とに等しくなるため、短期間の間に即戦力を大量に作ることが出来る技術だ。この技術を極めた果てに辿り着く次元がこれだ。もはや俺の入り込む余地が微塵も感じられない。幾らまともに体を鍛えやしたって、たった一ヶ月の精霊術法がこれほどの強さを引き出すのだ。自分がこれまで一体何のために訓練を重ねてきたのか分からなくなってくる。
「全能にして唯一の主を称えたまえ。神の名は誉むべきかな、誉むべきかな」
と、その時。
先ほど空間の中に溶け込んでいった四人の姿が唐突に現れる。現れたその場所は、それぞれリュネスの前後左右だ。しかし、何故かリュネスの前方に現れた者の位置だけが他三人よりも不自然に離れている。
『聖なる、聖なる、聖なる』
『昔居まし、今居まし』
『後の世に降りたもう』
『聖なる全能の神』
そして。
四人はこれまで口にしていた句と同じような言葉を、今度はまるで歌の歌詞のように歌いながら口にし始めた。声は高いメゾソプラノ。聖歌隊、なんてものが宗教団体にはあるそうだが、前にチラッと聞いたその声に非常によく似ている。
彼女達が聖歌を歌い始めると同時に、彼女達の立ち位置を結ぶかのように淡白い光が天へと向かって上り始めた。前と後ろを結ぶ長方形の光、そして右と左を結ぶ長方形の光、それが交差する場所にリュネスが立っている。光はまるで結界のようだった。ただ、これほどまでに強大なものは見たことはないが。
リュネスは何事かと悠然とした仕草で周囲を見渡す。が、不意にリュネスの表情が引きつり、もがき苦しみ始めた。しかしこの光の結界は胸を押さえる自由すら与えず、リュネスを光の交錯地点に直立姿勢で居ることを強要する。
その光の結界が交わる様は、十字架の形に良く似ていた。そういえば、十字架とは人類の罪を背負って殺された、ある聖人がかけられた処刑道具の一つだった。ふとそんな事が頭に浮かぶ。
『おお、いと高き者よ。今ここに、闇の穢れを断ち切らんとする我らに御力を示したまへ』
光の十字から外れている最後の八神格までもが聖歌を歌い始める。
ようやく俺は彼女らがやらんとする事を理解した。あの四人がリュネスの自由を完全に拘束した上で、この最後のヤツが確実に息の根を止めようとしているのだろう。確かに、俺達が幾ら攻撃を仕掛けようともそれは全て強固な障壁に阻まれてしまった。暴走した人間は際限なく術式を行使してくる。消耗戦になればどちらが有利になるかは瞭然である。ならばどうすればいいのか。要は術式を使わせない事だ。今、まさに目の前でそうあるように。
精霊術法の心得のない俺にも、目の前の彼女にどれほどの魔力が集中しているのかが直に感じられた。ビリビリと震えていた空気の流れがぱったりと止んでいる。まるで嵐の前のような静けさだ。
その術式でリュネスを殺すというのだろうか。
一体どんな術式かは知らないが、少なくとも一瞬で消してしまうほどの威力が備わっている事だけは、集められた魔力によって容易に感じ取れる。そして、俺に取るべき行動を取らせるには十分過ぎる理由ときっかけとなった。
「やめろ」
次の瞬間、俺は一挙動で剣を抜いて近づくと、剣の刃先を彼女の背へ向けた。俺が女の背に剣を突きつけるなんて、そう滅多にある事じゃないが、今はそんな事などどうでも良かった。リュネスが目の前で殺されようとしているのに、ボーッと指をくわえて見ているほど俺は間が抜けてはいない。やり方はスマートじゃないが、他に方法が思いつかなかった咄嗟の判断だ。これからどうしようかは考えていないが、とにかく今ここでこいつを止めなければ、リュネスが殺されてしまう。ただそれだけだ。
「駄目だレジェイド! 浄禍には手を出すな!」
飛んできたのはリーシェイの声だ。しかし俺は剣を引かず、逆にリーシェイの言葉を聞き流した。浄禍がどれほど危険な集団なのかは分かっている事だ。かと言って、このままやりたいようにさせる訳にはいかない。リュネスが死んでしまったら、シャルトは悲しむ。そして、自分が何もしなかった事を酷く悔やむはずだ。だからこそ、俺はリュネスを殺させる訳にはいかない。
と。
「あなたは二年前もこうして私に剣を向けましたね」
不意に、彼女はそんな言葉を俺に浴びせかけた。同時に、あの二年前の記憶が急速的に蘇る。シャルトが暴走した時、俺はその場にいたのだ。そして、同じようにシャルトを殺そうとした八神格の一人に剣を突きつけた……。
そうか。
また俺達はこういう場で顔を合わせる羽目になっちまったってか。少しも嬉しくない巡り合わせだ。
「お前か……『断罪』」
俺は苦々しい口調でそう吐き捨てた。まるであの時の悪夢がもう一度目の前で起こったような不快感が込み上げてきたからだ。
「二年前の彼は、あなたの義理の弟でしたね。しかし、今回はあなたとは何の関係もない人間のはず。何故、あなたは私に刃を向けますか?」
背に刃先をぴったりと当てられているにも関わらず、『断罪』は相変わらずの落ち着いた声色で問い掛けてくる。あと、ほんの少し力を込めれば心臓を貫く事だって出来る。幾ら人間を超えた連中と言っても、心臓をやられて生きていられるはずがない。それに、死ぬ事が怖くないはずはない。
すると、
「いいえ。死して後、神は私に大いなる祝福を授けるでしょう。死を恐れて神事を怠っては御心に背いてしまいます。私は死を恐れません」
そう、俺の心の疑問に対する答えを返してきた。
こいつらは心が読めるんだったな……。
今更それを思い出す。同時に、何が神事だ、と侮蔑の言葉を思い浮かべた。無論、読まれるのを承知の上でだ。口にするのには若干勇気のいる言葉でも、思い浮かべるだけならば簡単に出来る。俺は浄禍のこういう所が嫌いだ。何事も全て神の意志だのなんだのと正当化し、自分らは清く正しく生きています、ような面構えをする。虫も殺さないような表情で、理由があれば平気で人を殺せるのがこいつらなのだ。精霊術法云々を関係なしで、俺は浄禍の体質が好きにはなれない。人を殺したならばそれを正当化するのではなく、罪悪感を抱くまではいかないにしても客観的な事実として胸の中に刻むべきだ。それを、まるで神に頼まれたから、なんて自分の意志の感じられない態度と発言。俺の価値観とはまるで正反対を行っている。
「答えなさい。あなたは何故、御心に背こうとするのですか?」
「あいつはな、その弟が惚れた女なんでな。てめえらなんぞに殺させる訳にはいかねえんだよ」
「そうですか」
短い返答。
そうですか、なんて返事を返しはしたものの、だからと言ってあっさり引き下がるはずがない。そこまで物分かりが良い連中ならば、俺達もここまで過剰な反応はしなかっただろう。殺すか否か、連中の言う所の『神の教えに背く者』は一様にこの世から排除されるべきだ、と考えているのだ。一元体であるはずの北斗において、どうしてこんな危険な思想を持った集団を統括部は野放しにしておくのか。それは思想以上に彼女らの持つ人間離れした力を手駒にしておきたいからなのだろうが。
「主は言われました。大いなる光を灯すには、如何なる障害があろうとも決して足を止めてはならない。恐れてはならない。神を信じるのだ。主を疑ってはいけない。主はいつもあなたと共にある」
宗教書に載っているらしい一文が厳かに読み上げられる。その言葉そのものの意味はともかく、この状況でどうしてこんな言葉が出てくるのか。まず、それが疑問に思った。
いや、惑わされるな。どうせこんなものは何の意味もない。重要なのは、リュネスを助けられるかどうかだ。今、明らかにリュネスへの攻撃意思があるのはこいつだけ。ならば、まずはこいつを動けない程度にやってしまえば……。無論、その後で俺自身もシャレにならない進退問題になるだろうが、別に未練はない。女一人助けられないで何が北斗か。俺が守るのは自分の地位ではなく、力のない人間なのだ。
突き立てた剣のグリップを強く握り締める。刃先は断罪の背中に真っ直ぐ前に捕らえている。後は、ほんの少し力を入れるだけ。断罪には致命傷にならないが動く事は出来ない程度の傷を負わせられる。
……よし。
俺は迷わなかった。どう考えても、自分の立場よりシャルトの方がずっと存在が重い。一体いつからそんなに大事なヤツになったのかは分からないが、そいつのためならば別に俺はどうなろうが構わん。
そして、俺は最後の力を剣に込めた。
が、次の瞬間。
キィン。
突然、俺の剣の剣身が先から順に十二個の片に分解した。結合力のない剣は剣としての姿を保てなくなり、そのままばらばらと地面の上に崩れ落ちていく。
「な……馬鹿な」
その信じがたい光景を前に、俺は驚きうろたえた。暴走したリュネスの術式の威力にさえ耐えたこの剣が、こういとも簡単にバラバラにされてしまうなんて。しかも『断罪』は指一本触れていない。まさかこいつらには、本当に神の加護でもあるというのだろうか?
「我は断罪。全てを断つ御心の代現者」
断罪は、微かにこちらへ横顔を覗かせ。
微笑んだ。
TO BE CONTINUED...