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剣を中段に構え、俺は静かに深く息を吐く。
ゆっくりと静かに呼吸を繰り返す事で、人間は生理的に落ち着く事が出来る。興奮すると多少の痛みを感じなくなり筋力のストッパーが外れるため、戦闘が有利になるかもしれない。しかし、冷静さを失ってしまうというあまりに大きなマイナスがある。殴られても痛く無いのは精神的ダメージが少なくて済むかもしれないが、冷静な思考力があれば殴られる事すら無くなる。どっちがより勝利に近いのかは推して知るべしだ。
真っ白な吹雪を纏わせ俺に猛然と向かってくるのは、俺の妹であるルテラだ。
ルテラの構えた右腕には、金切り声のような吹雪の塊がまとわされている。かつてルテラが流派『雪乱』にいた頃の名残である、雪乱式の精霊術法だ。自由自在に操ることが出来る局地的な吹雪は、剃刀のように鋭利な刃と化す。
「行くよ」
ルテラは吹雪を纏わせた右拳を俺に向かって遠慮なく繰り出してきた。殺気は無くとも真っ向から受けては怪我程度では済まない。
俺は剣の背を構えてルテラの拳を受け止めた。ずん、と腹に響く重い衝撃がびりびりと伝わってくる。さすがに精霊術法の恩恵を受けているだけあり、見た目によらぬ破壊力がある。
「おい、精霊術法使えって言っただろ」
「使ってるわよ。ほら、こうして」
ルテラは自分の右手を掲げて示す。確かに真っ白な吹雪が凄まじい勢いで渦を巻いているが、それは俺が要求したものとは大きくかけ離れた術式だ。
「俺はな、この剣の試し斬りをしたい、って言ったんだぞ」
「あれ? これじゃ駄目だったの?」
と、ルテラはわざとらしく舌を出して笑う。
絶対わざとだ、と俺は思った。最近、続けざまに三回、一緒に夕食を食べに行く約束を土壇場になってキャンセルしている。一応、どうしても外せない仕事が入ったせいだという事はルテラにも伝えてあるし、自分も北斗の人間である以上ルテラもこういう事に物分りの悪いほど子供ではないはずだが。腹の底に蓄積し続けているものまでは致し方ない。けれど、こういう遠まわしなフラストレーションの発散法をするより、不満は直接口で言ってくれた方が助かる。我が妹ながら、奥手な自己主張だ。
「じゃあ、今度はちゃんとするね」
「おう」
ルテラは間合いを離して身構える。とりあえず今の一撃でストレスは解消出来たようだから、今度こそ俺の要求に応えてくれるようだ。
ゆっくり剣を構える。
ルテラに向かって冷たい風が呼び寄せられるように吹き込んでくる。精霊術法は擬似的な自然現象も起こす事が出来る。術式を行使するのに最も重要なものはイメージなのだそうだ。そのため、自分が行使しようとする術式とは関係ないイメージも補助的に重要となってくる。この風は、ルテラなりの集中法の表れといった所だ。
改めて見る剣身は太陽の光を浴びて白い輝きを放っている。一点の曇りもない、芸術的な美しさすら感じさせる出来栄えだ。フェチズムって訳じゃないが、これほどの剣を前にすると惚れ惚れとせずにはいられない。
柄は量産品よりも更にシンプルな造りになっており、機能性以外の何をも考慮していないことは明白だ。さすが、あの人らしい仕事だ。これはこれできちんと一定の理論に基づいて打たれているため、シビアな戦闘においてこれほど頼れる剣はない。まだ一度としてあの人の作品は俺の期待に背いた事はないのもこのためだ。
ルテラは右手をぴっと伸ばして頭上に高々と掲げる。するとそこに向かって無数の白い光が集まっていった。まるで夏の夜に僅かな光源に向かって集まるホタルのようだ。
やがてその光の粒達は大きな白い刃の形を成した。
「行け!」
右腕を振り下ろすのと同時に、その白い刃が俺に向かって放たれる。
地面を削るのではなく、舐めるように滑りながら俺の方へ進む。高さは丁度ルテラの身長と同じぐらい。円月輪にも似た、猛吹雪の塊だ。しかし見るからに刃は鋭く研ぎ澄まされ、俺の体なんて一瞬の内に半分にしてしまうだろう。
俺は剣のグリップを柔らかく握り直すと、そのまま頭上に剣を振り上げ上段に構えた。
「ハァッ!」
そして、向かってくる吹雪の刃との距離を測ると、左足を大きく前へ踏み込むと同時に剣を逆袈裟に振り下ろした。
パァン、と軽い音と同時に思ったよりも軽い手応えが手のひらに伝わった。まるで水を切ったかのような感じだ。
ルテラの放った刃は、一瞬の内に無数の白い粒に変わり空中へ溶け込むように消えてしまった。術式を構成するものを断ち切られたため、これ以上姿を保てなくなったからだ。
「どう? いい感じだった?」
「ん……なんだかなあ」
駆け寄って訊ねるルテラに、俺はいまいち納得がいかず首を傾げた。俺のふるわない反応に、ルテラもまた小首を傾げた。こういうさりげない仕草はここ十年ばかり変わっていない。早い話が子供っぽさがあるのだ。
「どこかおかしいところでもあったの?」
「いや、あんまりあっけなさ過ぎてさ。今のでどのぐらいの力だ?」
「そうねえ。イライラ六割、涙が三割、お兄ちゃんへの愛が一割かな」
「って事は、そこそこ力出したってとこか」
俺はもう一度剣身をじっと見つめる。
たった今、ルテラの術式を切ったばかりなのだが。刃には一点の曇りも無く、白い輝きを放ち続けたままだ。ルテラのような冷気を模す術式を相手にすると、どうしても剣に霜がかかってしまう。酷いものになると刃が霜で鈍ってしまう事すらあるのだ。それは術式の性質上仕方の無いことなんだが、逆にその兆候が無いのも不自然でおかしい。
「ねえ、何がしたかったの? 私、なんにも説明貰ってないんだけど」
「あ、そうだったな」
俺は剣を鞘に収めると、ルテラを傍にあったベンチへと促した。
「先代の事、覚えてるか? 夜叉の俺の前の頭目」
「うん、覚えてる。お兄ちゃん、よく朝帰りしてた事がバレて半殺しにされてたよね」
そういう事は実に良く覚えている。それとも、わざとそういう事を出してチクチクと突っついてきてるのか。あっさりしているように見せてるが、なかなか執念深い。
「で、その先代なんだけどさ。俺の剣って先代に打ってもらってるんだ。前の一件で壊されただろ? これはその次に打ってもらった最新作って訳なのさ」
以前使っていた剣は、今から一年も前に起こったリュネスの一件の際、流派『浄禍』の『断罪』の座に寸断されてしまった。おかげでこっちは久しぶりに死ぬかと思うような目に遭わされた。けれど、それでもなんとか先代に取り繕って打ってもらったのがこの剣だ。なんだかんだで先代は俺の事を目にかけてるし、本気で剣を打つのは俺に対してしかやらない。鍛冶も道楽でやってる訳じゃないのだ。いつだって真剣勝負なのがあの人の特徴である。
やけに完成まで時間がかかっているが、それは今までとは全く違うコンセプトでこの剣が打たれたからである。先代は頑固一徹で自分の考えは絶対に曲げない人間だが、意外にも鍛冶に関しては考え方が柔軟だったりする。それは徹底した実戦主義の流派『夜叉』の頭目らしい姿勢だ。
「ふうん。随分かかったんだね。でも、なんで試し切りが精霊術法なの?」
「なんでも、この剣には精霊術法を無効化する効果があるんだと」
無効化?
訝しそうにルテラは表情を変える。確かに聞き慣れない言葉だ。それを真剣に話すもんだから、そんな顔をしても当然だろう。
「詳しい理屈は分からんが、最近ニブルヘイムからやけに法術や錬金術の門外不出なノウハウが流出しているらしくてな。で、北斗中から詳しいやつらを集めて一つの理論を作ったんだと。ゼノン理論って言ってたな」
「じゃあ、ゼノン理論っていうのがその剣に使われてるんだ。でも、それってどんなものなの?」
「早い話が矛盾の事さ。百メートルのハンデがある亀を等倍速で追っかけるウサギは、永久に亀に追いつく事が出来ない。それを応用して、精霊術法が剣自体に影響を及ぼせなくしたそうだ。俺もはっきりいって全部は理解してないから、適当に頷いて聞き流してたんだけどな」
この剣が完成した時、先代はさも得意げな表情で俺に熱の篭った口調で延々と説明した。先代は歳も歳なので、言ってる事がかなり主観的で自分だけの理解に傾倒している。そんな言葉で説明されたって、元々難解な理論なのだから俺には尚更理解する事が出来ない。素直に分からないって言ってやりたかったけど、もしもそんな事を口にしてしまったら、この剣が早速俺の血で刃を汚す事になる。従って最も労力を必要としないのは、ただひたすら真剣な表情で聞き流す事だ。
「ふうん、哲学的な剣なのね。それだけ手間隙かかってるんだもの、さぞかしお高かったんでしょう?」
「そうだな。金の代わりに、『二度と負けるな』って言われたからな」
無論、俺は負けるつもりなんかさらさらないから、今更言われるまでも無い事だ。ただ本当に高いと思うのは、この先、負けずともうっかり泥をつけてしまっただけでも今度こそ先代には殺されてしまう。つまり、この剣を受け取った時点で俺の命を謙譲したようなものなのだ。自分の命ほど高いものはない。とまあ、そういう意味だ。
「でもさ、普通わざわざ一から理論を構築してまで剣なんか打つものかしら? ちょっと考えられないわね」
「先代は精霊術法が大ッ嫌いだからな。仇敵を打ち滅ぼすために最大限の労力を注ぎ込むのは当然だろ? いわゆるパラノイアなのさ。あの歳になると、自分の価値観なんて曲げられねえからな。だがそれが逆に意思の強さでもある」
そう俺は微苦笑する。先代を世間一般と照らし合わせてみると決して理解されやすい部類に入るとは思っていない。そんな先代を弁護しようとする自分が少し滑稽に思えた。
俺は頑固な人間ってのは基本的に嫌いじゃない。俺自身の性格も頑固な部類だと思っている。人や周囲の変化に合わせてころころ自分の意見を変えるヤツなんざ、到底信用には値しない。自分と同じ波長を持っている、という意味も合わせて、俺は先代の事は人間的に好きだったりする。ただ、その過激な感情の表現法や盲目的な周到振りには、あの老体のどこにそんなエネルギーがあるんだと驚かずにはいられない。今現在は反動で酒を飲んでは寝るような休眠期に入っちまったが、そこまで自分を追い詰められるというのも一つの能力かもしれない。
「けど、先代ってそこまで精霊術法が嫌いなの? 何か嫌な事でもあったのかしら」
「苦労人だからね。楽して強くなる連中は生理的に受け付けないのさ。だから使い手とは話すらしたがらない。問答無用で斬りつけられても文句言えないぞ」
「それじゃあ私なんか危ないわねえ」
「しかしな、それ以上に女好きなんだ。だから違う意味で危ない」
だから、決してお前は関わるんじゃないぞ。
そう俺は冗談めかせてルテラに言いつけた。するとルテラはにっこり微笑んでこう答えた。
「さすが先代。お兄ちゃんソックリ」
TO BE CONTINUED...