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私はあなたにとって子供だったのかしら?
それとも、背伸びをした少女?
どちらにしても、一人の女性と見てもらっていたようには思えなかったわ。
だってあなたときたら、いつも人を上から見下ろしているんだもの。
大丈夫、僕に任せろって。
そんな事、あなたに言われたくはないわ。
だって、あなたの方こそ危なっかしくて見てられないんだもの。
朝、部屋を出ていく時だっていつも未練たらしくむずかるし。
本当に子供なのはあなたの方よ。
だから、子供扱いされるのは心外なの。
刹那。
右手に大鎌を構えたスファイルは大きく前足を投げ出すと、ルテラに向かって猛然と踏み込む。振り上げた大鎌の切っ先が、ビィッと鋭い音を立てる。その後を僅かに遅れて青い粒子が尾を引いていく。
速い……。
ルテラは淡々と相手と自分との速度差を見定めると、回避ではなく防御を選択する。頭の中にイメージを描き、体現化。既に呼吸と同じほど自然に行なえる連続動作が作り出したものは、ルテラの前方に広がる白い粒子が作り出した高密度の障壁だった。
スファイルの大鎌とルテラの障壁が衝突する。硬質同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。大鎌の切っ先がずぶりと障壁を僅かにえぐる。だがしかし、すぐに両者の維持限界が訪れて魔力の繋がりが断絶する。二つの術式が崩壊したのはほぼ同時だった。
「『深雪は淘々と』」
ルテラは静かな声で韻を踏みながらイメージを描く。周囲を浮遊する白い結晶が次々と形を変質させていく。それを、攻撃の反動に体勢を支配されているスファイルに向けて一斉に放った。打ち出されたのは、無数の刃の花弁を持った架空の花だった。無数の刃の花が空気を切り裂きつつスファイルへ襲い掛かっていく。
「『零の領域には踏み込めず』」
スファイルは体重を奪われつつも、一瞬の内にイメージを描き体現化する。描いたイメージは、ピンポイントで確実に防御する、無数の細かな氷の障壁。ルテラの放った刃の花が障壁にぶつかり、次々とその生を終えて散っていく。一点に集中させるリーシェイの射撃とは違い、障壁を破壊するほどの破壊力は備わっていなかったのだ。だがスファイルへの牽制効果は非常に高く、一粒の冷たい汗がスファイルの額に浮かぶ。
「『白雪は全てを覆う』」
そして、ルテラは更に術式を行使する。描いたイメージは、空より降り注ぐ白い刃の結晶。
何もなかったドーム天井付近の空間に、次々と白い結晶が体現化されていく。そしてそれらは見る間に刃を持った雪の結晶へ姿を変える。刃を与えられた結晶は、そのまま等加速度を遥かに上回る速さで降り注ぎ始めた。
「『零の領域は絶対』」
スファイルはバランスを取り戻すと、前足で強く地面を蹴り背後へ大跳躍。そして再び右手に巨大な鎌を体現化する。
「『拘束し、断て』」
ぶん、と鎌を振るスファイル。すると空間に刹那の時間、青い粒子が寄り集まった奇妙な空間が出来上がった。降り注ぐ雪の結晶がその空間と衝突すると、まるで時間が止まってしまったかのようにその場で制止してしまった。その一テンポ後、結晶は実物同様音もなく砕け散り白い粒子に戻っていく。
ルテラは空かさず後足を蹴り、前進。
右手に術式を行使し、纏わせる。すると肘から先が薄白い光に覆われた。ルテラの精霊術法によって体現化された局地的な吹雪だ。だが本来の吹雪とは違い、触れたものを内側まで侵蝕し分解するように切り刻む。
「『冷たく、凍れ』」
淡々とした口調で韻を踏むと、ルテラは右手を大きく振りかぶりスファイルへ繰り出す。スファイルはルテラの一撃に向かって大鎌の柄の先端を突き出す。ずん、と重低音が二人を飲み込む氷のドーム内へ広がる。続いて、冷たい突風が二人の顔を吹き付けた。
互いの一撃が手合いの最前線で膠着する。が、その拮抗は間もなく破れる。
パリッ、と乾いた音を立ててスファイルの大鎌が一度に崩壊する。通常の物質が起こす崩壊は、致命打になった力を受けた部分から徐々に起こる。しかしこの氷の大鎌は精霊術法で生成されたものであるため、魔力の繋がりがあればその姿形は確実に保守されるが、一度断たれてしまえば衝撃を受けた箇所に関係なく一気に崩壊してしまうのである。
障害物を打ち抜いた事で、ルテラは更に右腕を加速させてスファイルへ繰り出す。狙うは、一番的の大きい胸部。胸部には大きなダメージを与えられる箇所が複数存在する。心臓は言うまでもなく生命維持そのものに関わる重要な器官であるし、他大部分は肺が占めている。肺は衝撃に弱く、片側でも潰れればそれで致命打になり、たとえそこまで至らなくとも内部に血液が溜まれば呼吸が困難になり著しくスタミナを奪い取る。
スファイルは大きく目を見開きルテラの一撃を傍観していた。ありありと浮かぶ動揺の色で凍り付いている。自らの大鎌がルテラの一撃を受け止め切れなかった事が予想外だったようだ。ルテラの一撃は止まらない。留まる事無く悲鳴のような唸りを上げて加速する。
だが。
ぱりん。
「ッ!?」
ルテラの表情が凍りつく。
繰り出した一撃はスファイルの胸の中心を確実に貫いた。にも関わらず手応えがまるでなく、その上打ち抜いた部分を中心にガラスのような亀裂が放射状に走っている。人間の体は肉の塊。幾ら強い衝撃を与えたとしても質そのものが柔軟であるため、亀裂が走る事は絶対にあり得ない。それがルテラを初めとする世間一般の常識だったが、目の前のスファイルはその常識を逸して確かに亀裂が走っている。
直後、ルテラが打ち抜いたスファイルの体が音も立てず静かに無数の破片と化して砕け散っていく。常識ではあり得ない現象を起こしたスファイルの体は、そのまま跡形もなく消え去った。
スファイルが消えてしまった。
ルテラは、スファイルが砕け散った、とではなく、意図して消えた、と判断し自らの動揺を押し殺す。これは精霊術法を用いた移し身であると、自分でも驚くほど瞬時に理解出来た。自分もまた同じ術式を得意としているからこそ、自分を見失うほどの動揺は避けられたのだ。
一体いつの間に入れ替わったのだろうか?
全くその瞬間を気づかせなかった事に驚くも、すぐに頭の中から取り払う。この術式は相手に入れ替わった瞬間を気づかせない事に集約されている。そもそも見抜く事自体が不可能なものは、考えるだけ無駄だ。
「『淘々と降り行く雪よ』」
すぐさまスファイルの気配を感じ取ったルテラは、すかさず反撃に転じるため術式を行使する。一挙動で描いたイメージは、地面を這うように走る吹雪の波。
ルテラは振り向かず、左手を前方に振り上げ、そのまま背中側へ勢い良く振り抜く。瞬間、局地的な吹雪が鋭角を作りながら地面を這い走る。その先に立つのはスファイルの姿だった。
「『凍れ』」
自分の行動がいとも簡単に読まれてしまったにも関わらず、スファイルは極めて冷静な表情で障壁を展開する。ルテラの放った術式はスファイルの展開した氷の障壁に衝突し、粉々に砕け散った。
ルテラは振り向くと、自分とスファイルとの距離が非常に攻めあぐねる難しい間合いになっている事に気がついた。互いの立ち位置は互いの手合いの一歩外。先に接近した方が、相手に迎撃するチャンスを与えてしまう。かと言ってここから術式を放つにしても、効果的なダメージを与えるには間合いが遠過ぎる。精霊術法は無限に使えるものではない。無駄弾は出来る限り最小限に留めるのが術者の定石だ。
さて、どうする……?
ルテラは冷静に次の行動について思考を巡らせる。雪魔女は退く事を知らず、最大限の冷徹さを持って相手を駆逐する存在である。如何なる状況でも自分を見失わず、また相手を倒す事以外の何をも考えはしない。ただ目の前の現実を客観的に見つめ、重要な情報だけを引き出すだけだ。
と。
「『凍れ、凍れ、冷たく凍れ』」
スファイルは一時も思慮を巡らせずに韻を踏み始める。スファイルはゆっくりと両手を左右に広げる。直後、それぞれの手にあの大きな鎌が体現化される。
この距離からでは有効打にはならないというのに。何も考えていないの?
スファイルの迷いない行動にルテラは思わず眉を潜める。しかしそうしている間にも大鎌は出来上がり、そしてスファイルは両腕を振りかぶる。
「ハッ!」
そして、スファイルは生成した大鎌を右、一呼吸置いて左と連続して投げつけてきた。
ルテラは一瞬考え、回避を選択する。スファイルの氷の大鎌は最初の接触で僅かなりとも障壁に侵入してきた。あの威力では、自分の障壁で二つ続け様に受けるのはかなり危険だ。運悪く防ぎ切れなかったとしたら、鎌の刃身が間違いなく体を貫く。
ひゅんひゅんと鋭い音を立て、激しく回転しながら二つの大鎌が飛んで来る。しかし軌道はあまりに単調で特別速度がある訳でもない。回避は極めて容易だ。
改めて軌道を見定めると、数歩ほど横に体をずらして最初の鎌を回避する。ひゅんひゅんという鋭い音が耳元を後ろへ通過していった。
……もう一つ。
続けてスファイルが左手で投じた鎌を見据える。先ほどと同じく鋭い音を立てて回転しながらこちらに向かって近づいて来る。若干、速度は速かった。おそらく緩急をつけることでこちらのタイミングを狂わせようというのだろう。
ルテラは極めて作業的に軌道を見定める所から回避までの一連動作を取る。今回の回避はやや長く移動をした。こちらから反撃に転ずるための位置取りを兼ねているためである。
先ほどと同じくタイミングで大鎌の軌道から体を横へずらす。続いてあの鋭い音が耳元を後ろへ通過し―――。
と、その時。
「え?」
大鎌が空気を切る音が、耳元を通り抜けて行かない。
ルテラがハッと表情を変えて振り向くのと障壁を張るのは、ほぼ同じ動作だった。
ほんのすぐ目の前で、障壁と大鎌の切っ先がぶつかり合う。そのあまりの距離の近さに、ルテラはぞわっと悪寒が全身を駆け巡るのを感じた。
衝突を起こした互いは共に崩壊するものの、回避を確信していたルテラには僅かな動揺が出来ていた。その刹那の間、スファイルは更に氷の大鎌を体現化する。
「ハッ!」
再び投じられる、二つの大鎌。今度は一呼吸を置かず続け様に、そして右は縦回転、左は横回転で繰り出した。今度の鎌はどちらも不規則な軌道をしていた。縦回転の鎌は緩急のある上下変化、横回転は同じく緩急をつけて左右にぶれる。おそらく先ほど回避出来なかったのも、この鎌のように微妙な変化をしたからだろう。一投目の軌道が単調だっただけに思い込みがあったようだ。
回避がやり辛い事を判断したルテラは、今度こそ障壁による防御を考えるものの、やはり回避を選択する。
ルテラは多少予想外の軌道変化が起こっても問題がないように、必要最小限ではなくある程度余計に軌道上から横へ回避する。それでも鎌は意思があるかのようにルテラを追って来ようとする。
一つかわせば、また一つ。次から次へと放たれる鎌の波状攻撃にルテラは反撃の糸口がつかめず防戦を一方的に強いられ始めた。鎌がある以上、スファイルに接近戦を挑む事は不可能に近い。飛んで来る大鎌を撃ち落す事も考えたが、ルテラは両腕にあの術式を展開する事は出来なかった。一度に二つの鎌を撃ち落すのは、微妙にタイミングを狂わせてくるので不可能に近い。かと言って素手で挑むのも無謀過ぎる。
さて、次の攻撃の手はどうしようか。
圧倒的不利とも言える状況下に置かれても、ルテラの思考は冷静だった。雪魔女は決して取り乱さない戦闘中毒者だ。たとえ劣勢に立たされようとも、むしろその危機を楽しみさえする異常な嗜好の持ち主。その異様に光る目の奥で、淡々と目の前の障害を捻じ伏せる事だけを考える。
我ながら悪趣味だ。そうルテラは苦い笑いを口元へ浮かべる。
雪魔女とは随分と都合のいい解釈なのかもしれない、とルテラは思った。自分のそういった冷徹さを孕んだ部分を理性から切り離し、別人のように仕立て上げ、まるで本来の自分はこんな野蛮で冷血ではないと周囲へ暗にアピールしているかのようだ。今はどうでもいい事だけど、ただ雪魔女という存在を第三者の目で見ている自分へそんな嘲笑を浴びせたかった。
と、その時。
「……ん?」
突然、目の前がぐらりと揺れる。続いて重く鋭い痛みが額の奥に走り、思わずルテラは痛みの表面を強く押さえた。強く、心臓の鼓動と同じぐらいのペースを保って頭痛が頭を蝕む。まるで頭の中で鐘を鳴らされているかのような錯覚にルテラは陥った。
これは一体どうしたのだろうか?
別段、体調に問題はない。そういった健康管理は常に気を配っているため、そう簡単に崩す事はない。いや、たとえそうだとしても症状の現れ方があまりに唐突過ぎる。頭痛が起こる場合は、もっと徐々に痛みが起こるものだ。
襲い掛かる頭痛が、ルテラにはまるで何かの危険を知らせる警鐘のように聞こえた。確かに体の調子が急におかしくなってきた。頭痛に眩暈、心なしか倦怠感のような疲労も感じる。一体どうしてこんな事が起こり始めているのだろうか? 原因をまるで究明できないルテラは、ただその眩暈にじっと耐えるだけだった。
するとルテラは、ふと思い出したようにある一つの変化に気がついた。
呼吸が、苦しい。
TO BE CONTINUED...