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 一つ、思い出した。
 スファイルが最後まで私にはぐらかし続けた事。
『どうして守星を続けるの?』
 それに対しての返答は、遂に分からないままとなった。
 あの頃の私は、はっきりと答えを明言しないスファイルに細かく追及する事はしなかった。
 スファイルが思うやりたい事をすればいい。
 お互いの主張を認め合う事が正しいと思っていたから。それに、追求は時に疑いと取られる事もある。スファイルを信じている私はそれほど気には留めなかった。
 でも、今になって思い返してみると。
 ちゃんと聞いておくべきだった。そう思う。
 あの頃は何もかも彼のことは知っていたはずなのに。もう彼の声が聞けないと思うと、どうして聞いておかなかったのか、と疑問に思ってしまうほど次から次へと聞きたい事が浮かび上がってくる。
 そんな数え切れないほどの中で、一際気になって仕方なかったのは守星の事だった。
 あくまで自分が北斗の人間である事にこだわり続け、その最後を守星として終えた。
 それは一体どうしてだったのか。

 少しだけ、今なら分かる気がする。




 突如、脈動を始める私の心臓。それはまるで、火事を知らせる警鐘の音に似ていた。
 今の音は……?
 私はハッと息を飲み、喧騒を打ち破ったその爆音が聞こえてきた方を向く。そこには薄灰色の煙が一条、立ち昇っていた。その煙に私は見覚えがあった。あの独特の色は、精霊術法が周囲の物質と衝突反応を起こし気化する時の煙だ。普通の人間には分からないかもしれないが、精霊術法の心得がある人間には誰でも分かる煙である。
 煙の立ち昇っている場所は、ここからそう遠くはなかった。それはつまり、爆心地が北斗市街に非常に近い、もしくは市街の中だという事になる。そして、通常北斗市街での戦闘は一般市民に被害が及ぶため、原則的に緊急回避以外の理由で行なう事は固く禁じられている。にも関わらず精霊術法の反応があったということは、常日頃からヨツンヘイム中に乱立する北斗以外の戦闘集団が北斗に襲撃をかけたと考えて間違いはない。
 北斗市街内で戦闘が起これば、戦闘能力を持たない一般人に死傷者が出る事は必至である。精霊術法は単体で広域を一度に攻撃出来るため、戦闘能力のない人間をあっという間に駆逐する事が出来る。たった数分で屍の山を築き上げる事など不可能ではないのだ。
 けれど、そういった外部からの襲撃に対して北斗は全く対策を講じていない訳ではない。北斗には常時『守星』という防衛役の人間が遊回しており、そういった何時起こるか分からない襲撃に対して即座に対応する。これにより北斗の防衛体制はより完全性を増し、長年に渡って北斗の治安を強固に維持し続けてきている。これが、北斗がヨツンヘイム最強の戦闘集団と言われる由縁である。
 この襲撃も、すぐに守星達によって鎮圧されるだろう。
 そう、私は思った。守星には北斗でも有数の実力者ばかりが集まっている。通常の兵力百人に匹敵するとすら言われている精霊術法と、それに肩を並べるほどの武芸に秀でた人間ばかりが揃っているのだ。むしろ哀れなのは、そんな彼らに鎮圧される方だ。
 けれど。
 気がつくと私は、そこに向かって駆け出していた。
 自分でも、そんな自分の行動が理解出来なかった。何故、私は駆けているのか。そして何をするつもりなのか。ただ、いち早くその場に向かう事だけしか考えられなくなっていた。
 懐かしい感覚だった。
 一つの事に没頭し、ただひたすら我武者羅に走る事。随分と忘れていた。以前は毎日がこんな風に加速度的に進んでいて、息をつく暇もなかった。そして、心地良い疲れと共に自分が何かを成しているという実感があった。私はずっとその感覚を求めていたのだけれど、それが自分にとって最も心が荒んでいた時期であるなんて、とんだ皮肉である。
 早く行かなければ。そして、戦わなければ。
 走りながら私は、それだけを心の中で繰り返していた。
 外部からの襲撃に対しては、迅速に守星が対応してくれる。けれど、必ずしも被害が出る前に現場へ到着出来るという保障はどこにもない。それならば、自分がいち早く現場に駆けつけて抗戦すれば被害は最小限で済むのではないだろうか? 私は北斗でもなく守星でもない、ただの一般人だ。けれど、戦うための力は持っている。力があるならば、今は戦うべきだと私は思う。
 久しぶりの全力疾走は著しく私の体力を消耗させた。すぐに息が上がり、かーっと体が熱くなる。酷く苦しかったが、立ち止まろうという気は起こらなかった。まるで何かに取り憑かれたように、背中を誰かに後押しされているかのように、ただひたすら前進を続ける。
 そして。
 三つ目の角を痙攣の始まった足で曲がった私は、ようやく煙の立ち昇るその現場へ抜けた。そこには数名の、明らかに一般人でも北斗でもない者達の姿があった。
 あれだ。
 私は目標を現場到着から彼らに切り替えると、疲労のあまり悲鳴を上げている足を奮い立たせ再度加速する。悲鳴を無視すれば、まだ足は動く。肉体的限界と精神的限界の差異など、雪乱で嫌と言うほど学んだ。この程度では、私の足を止めるほどの抑止力はない。倫理的、論理的抑止力もまた皆無である。
 真っ直ぐ視線の先に敵の姿を見定めると、走りながら右手を横に振りかざすように構え、イメージを作る。描いたイメージは、吹き荒ぶ吹雪の刃。
 まるで間欠泉が噴出すような激しい音と共に、私の右腕は吹雪の刃に包まれる。空気をチリチリと凍てつかせながら、触れる存在全ての時間を止め破砕していく。吹雪の唸る音は、さながら亡者の悲鳴を彷彿とさせる。
 ハッと彼らが真っ直ぐ向かってくる私の存在に気づく。同時に、私が行使する術式により私を北斗の人間であると判断したためか、俄かに殺気立って相対する構えを取る。一、二、三、四、五。改めて数えると、敵の人数は五人。集団戦闘の法則により、一方的に叩きのめされるには十分な人数差だ。しかし、それでも私は恐れずにひたすら前進だけを続ける。決して自暴自棄になっている訳でもない。迷わず突進する事だけしか考えていなくとも、頭の中は如何なる事態が起こりようとも冷静に対処できるほどクリアなままだ。
 私は右腕を包む術式に意識を伸ばすと、彼らと自分との距離を測った。自らの手合いに入るまで、残り約二十メートル。時間にして一呼吸。その刹那の時間が勝敗を分けるというのに、まるで氷のように冷静で居られる自分にやや驚きを覚える。ただ進む事だけしか考えられない自棄的なそれでもなく、雪魔女のように相手を壊す事だけしか考えられないそれでもない。これまでの自分には明らかになかった、新たな感覚と感情。突き動かされる事に不安はあるものの、それ以上の好奇心が凌駕していく。
 ……今だっ!
「ハァッ!」
 私は振りかざした右腕に意識を向けると、そのまま横に吹雪の刃を薙ぐ。
 同時に相対した彼らは障壁を展開すると、繰り出された吹雪の刃が我が身に触れようとする事を防ぐ。刃と障壁は接触すると激しい衝突を起こし、雷鳴のようなスパークを放った。
 と。
 吹雪の刃を放った勢いを持たせたまま、私は返す刃でもう一度五人の障壁へ横薙ぎにする一撃を繰り出した。再びスパークするような衝突音が鳴り響き、眩しい光と術式独特の衝突煙が立ち込める。続け様に受けたその衝撃により。五人の表情には苦いものが走り、数歩ほどバックする。
 返した腕から意識を離すと、展開していた術式を解除し、私は大きく前へ踏み込んで加速する。返した右腕は緩く屈曲させた形で大きく引き、目標として一番近い一人の男を定める。
 男はこちらの攻撃を防ごうと、依然として障壁を展開中だった。おそらく私が障壁に弾かれた瞬間を皆が狙っているのだろう。けれど、あいにく『弾かれる』という現象はこちらの攻撃力よりも相手も防御力が上回った場合に起こるものだ。
 男の展開する強固な障壁。私はそこに向かって、構えた腕からの全力の一撃を繰り出す。どぉん、という鋭い音と共に、初打にして私の右腕手首が彼の展開した障壁の内部へとめり込んだ。予想通り脆い。反撃も様子が見られない。ならば単純に力で捻じ伏せるのが最も単純且つ効率の良い戦法だ。
 緻密且つ大胆な戦術構成。これがかつての自分にも雪魔女にも考えつかなかった戦術の一端だ。そう主張したくなるようなほど、見事に場の主導権を掌握している。私はそのまま右腕をゆっくりと伸ばしながら力を込め、障壁の中へと侵入していく。
 すると。
 遂に限界を迎えた障壁が音もなく砕け散る。同時に遮蔽物を失った右腕は本来の速さで加速する。右拳は回避の猶予も与えず相手を捕らえた。瞬間、どんっ、と激しい勢いで男の体が真後ろへ吹き飛んでいった。そのまましばらく地面をのた打ち回りながら滑っていき、やがて人体の中でも一際重いパーツである頭部が錨の役目を果たすかのように、頭部から体が路面に引き止められるように止まった。
「まずは一人」
 そう呟くと、私は続け様に真っ直ぐ抉るような前蹴を隣で茫然としていた一人の脇腹に突き立てた。う、と唸り声を上げると共に苦い表情を浮かべる男。そして私は振り向き様に彼の後頭部へ掌打を見舞うと、そのまま男の頭をスタンプを押すように体ごと路面へ叩きつける。
「二人目」
 考える時間を与えてはならない。
 私は残る三人が恐怖心を抱く猶予を与えないためにも、間髪入れずに次の行動へ移る。恐怖に駆られた人間は逃げる事だけしか考えられなくなる。捕まえる事が出来れば問題はないが、実際の所は必ずしもそうとは限らない。
 続いて脳裏にイメージを描き、それを乗せた両の手を左右に開くと同時に、その先に居る残り三人の内の二人へ叩きつける。
 描いたイメージは、手のひら大に凝縮された吹雪。
 ひぃぃぃ、と悲鳴のような甲高い音を立てながら、手のひらから吹雪が走る。そのまま吹雪きはそれぞれ二人の体を打ち抜き、彼らはがくりと膝から崩れ落ちた。
 あと一人。
 私は最後の敵に向き直りながら、呼吸を整えつつ更なる術式行使の態勢を取る。
 が。
「くそっ!」
 意外にも素早く状況を判断したためか、彼は既にこの場から退却するために背を向けて走り出していた。
 まずい。急がなければ。
 襲撃を仕掛けてきた敵は、北斗の外へ追いやるか、もしくは完全に戦闘能力を奪うまではあくまで敵として認識せねばならない。戦意の喪失、軽微な負傷は戦闘能力を奪った事にはならないのだ。一般人に被害が及ぶ可能性は最小限に留めるのではなく、必ずゼロにしなければならない。これは北斗としての常識である。
 ルテラはすぐさま男の後を追って駆け出した。男の向かう方角は北斗の中心街。それは慌てるあまり方角を見誤ったのか、もしくは道連れを作るなどという不穏な考えを思いついたからなのか。どちらにせよ、民間人の所に敵が向かう事態を安穏と見過ごす訳にはいかない。
 早く倒さなければ、民間人に死傷者を出しかねない。
 ルテラは既に北斗の関係者ではないにも関わらず、思考は北斗のそれだった。つい数分前まではまるで人形のようだった自分が、一つの目的のために全精力を傾けている。ルテラはその事実にすら気がつけないほど、現状の目標達成に集中していた。とにかく北斗の治安維持だけしか考えられなかった。見失った自分の指標など、少なくとも今は思慮に値しない問題だ。
 ―――と。
「えっ?」
 突然、ルテラは前にのめりながら転倒した。走った勢いでずざざっと路面を滑り、強かに打った胸の痛みに薄く涙を浮かべる。
 すぐさまルテラは手を突き、立ち上がって男の後を追いにかかった。しかし、突いた腕の勢いとは裏腹にルテラの足は立ち上がる事を拒み崩れた。
 立てない。
 咄嗟に、そう自分の足の絶望的な状態を察した。
 たったこれだけの距離を走っただけなのに。もう、足が限界を迎えてしまっている。考えてみれば、雪乱での訓練はもう随分長い間やっていない。それどころか、精霊術法をまともに使えた事自体が奇跡のようなものだ。現役時代の勘が鈍っていなかったとしても、体がそれについていく事が出来ない。少し考えればすぐに分かる、至極当然の事だ。
 北斗の中心街に向かってひた駆ける男の姿を、ルテラは砂を噛むような気持ちで見つめていた。が。その視界から見えなくなる寸前で、数名の人間に男は囲まれる。その人間達は北斗の制服を着ていなかったが、守星だとすぐに気がついた。
 自分は詰めを誤ってしまったけれど。何とか被害を出さずに済んだ。
 死傷者が出なかった事を喜ぶべきはずなのに。心のどこかにぽっかりと穴が空いた、中途半端な自分を嘲笑う気持ちが消えなかった。
 と。
「大丈夫かい?」
 ふと、頭の上から声がかけられる。振り向くとそこには一人の中年の女性が手を差し伸べていた。私はその手を取ってゆっくりと立ち上がる。膝が細かく震えていたが、何とか立ち上がる事が出来た。
「やっぱり北斗の人はみんな強いんだねえ。おかげでいつも安心して暮らせるよ」
 彼女はそう笑いながら私の服についた埃を払ってくれた。
 私を北斗の人間だと勘違いしている。そう思うと申し訳なかったが、不思議と気分は悪くもなかった。守ってやるとか、そういうのじゃなくて。ただ、みんながこうして暮らしていくために守るという事実が、自分の気持ちを温かにしている。
 そっか……。
 私は大きくうなづいた。
 スファイルが守星に最後までこだわり続けていたのは、この感覚があったからなのね。
 きゅっ、と胸の奥が締め付けられるような感覚と共に、温かなものに満たされた感情を私はそっと噛み締めた。



TO BE CONTINUED...