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千里の道も一歩から。
思い立ったら、想像するよりも行動を起こす事の方が重要だ。そしてシャルトは、その目的についての正しい行動を知らないから、少なくとも俺が最低限の道しるべぐらいにはやってやらなくてはいけない。
「よし、ちゃんとつけたか?」
俺は傍らで勇ましげに立つシャルトの頭を叩く。するとムッとした面構えで俺の方を見上げ睨む。その頭には一回りサイズの大きなヘッドギアを被っている。体にも同じく一回り大きなプロテクト、ナックル、フッターをつけている。やはりどうしても違和感があるらしく、頻繁にむず痒そうに体を揺らせている。
周囲はまるで絵に描いたような、ものの見事に人気の無い廃墟が続いている。落ち崩れ、今にも倒壊しそうな建物、中ほどから折れ曲がった街頭、秋もまだだというのに葉の一つもつけていない枯木。吹き抜けてくる風も埃が混じり黴臭い。
ここは北斗の北部にある、戦闘解放区と呼ばれる特殊地帯だ。北斗は基本的に厳重な規則があり、特別な例外状況でもない限りは自分の意志で自分の力を揮う事が許されない。それは超常的な力を持つ北斗の人間が、内部分裂、犯罪行為の加担や助長やなどを起こさぬようにするためである。しかし本部は、あまりに厳重に戦闘行為を取り締まる事で北斗の質が落ちてしまう事を危惧し、その打開策として当時過疎化の進んでいた北区の一部に、唯一自らの裁量で戦う事を許可した地区を設置した。それがこの戦闘解放区である。
「なんでこんなに着けるんだよ」
シャルトは俺に頭を叩かれた事で位置のずれたヘッドギアを直しながら、そう不満たらたらに俺に問い訊ねる。
「言ったろ? ここは戦闘開放区。今まで居た所とはまるで訳が違うんだぜ」
「危険なのは分かったけど……どうして僕だけ」
「俺のように経験豊富な先達と初心者のボクちゃんを比較するんじゃねえよ」
「つけた方が安全なら、レジェイドだってつけるべきじゃないか」
「悪ィね。俺は如何なる状況下でもセクシーに身嗜みを整えたいの」
さながら年端もいかぬ子供のように唇を尖らせ不満を続けるシャルトに、俺はもう一度頭を叩いてヘッドギアを深く被せさせ歩き出した。視界が遮られ、シャルトは慌ててヘッドギアを直し後を追ってくる。
今日、シャルトをこんな場所に連れてきたのは、そろそろ実戦経験を積ませても良いかと思ったからだ。あれからみっちり三ヶ月、シャルトには基礎トレーニングを積ませた。必要な体力も十分ついたし、基本的な格闘技術も習得させた。このままもうしばらく基礎トレーニングをやってもいいが、それよりも実戦を一度でも体験させた方が遥かに上達する。机上のお勉強はもう終わりだ。次の段階へ登る時期が来た。
「さてシャルト。本日のお題は理解しているな?」
早足に駆けて俺の隣に並んだシャルトに、俺は今一度本日の目的をおさらいさせるべく、そう問うた。
「ターゲットは三人……北斗ではなく外部の人間が潜伏してるので……それを捕まえる」
シャルトはやや額に皺を寄せながら、思い出すようにそう俺に言われた項目を並べていく。なんだかどっと疲れが湧いてきそうなほどおぼろげな記憶力だ。なんとか思い出せたようだけれど、今からこんな調子では先が思いやられる。俺はやれやれと肩をすくめた。
「ま、どうせお前一人じゃ無理だろうしな。お前はちゃんと俺の援護に回れよ」
どうして自分は前衛じゃないのだろう、と、予想通り不満げな表情を隠せないシャルト。しかし、今日ここに来ているのは俺とシャルトとの二人だけだ。部下は一人も連れてきていない。まあ、シャルトの子守りをさせるのも忍びないから、わざとそうした訳なんだが。とにかくこの組み合わせでは俺が前衛に立つのが極めて自然な陣形だ。
今回の相手は、シャルトが初陣だからという事もあって相手のレベルは落とせる所まで落としている。どんなに迂闊なマネをしても負けようの無い連中だ。シャルトのような初心者にはもってこいである。
「どうだ? 緊張とかしてるか?」
「してない」
相変わらずブスッとした表情で、俺の方には目もくれず答えるシャルト。小憎らしいとは思わないが、やっぱりガキだな、と俺は苦笑する。ガキというものは図星を指されると、決してそれを認めず頑なに拒む。ちょっとしたパラノイアだ。そこを偏執的にほじくる趣味も無いし、ガキを相手に大人がムキなってはみっともない。こういう状況では余裕たっぷりに構え、大人としての度量の大きさを見せつけるのが格好良いのだ。
初めての戦闘解放区という事もあり、シャルトは随分と緊張している様子だった。戦闘解放区は北斗の法律が届かない無法地帯。それは真剣勝負を通じて実践的な実力の伴った人間を育てる意図があるが、その反面、無法制を利用し罪を犯した人間や脛に傷を持った人間やらが多くたむろい根城にしてしまっている。連中にとってこれほど理想的な潜伏場所はないからだろう。そのため、時々俺ら北斗に、そいつらの捕縛命令が本部から降りるのである。
本当は、こんなに緊張していては戦いも何もあったものじゃないんだが。初めは大体こんなもんだ。それにこいつもまだまだ子供だし。ビビッて泣き出したりしないだけでも上出来と言えるだろう。
「何事も経験だからな。誰にだって初めてはある。そういうのには経験豊富な先達の言う事にきちんと従うんだぞ」
するとシャルトは、何訳の分からない事を言ってやがる、と言わんばかりの怪訝な表情で俺を見返してきた。
そんなシャルトの表情を見ていると、初めの頃に比べて随分と無防備に感情をぶつけてくるようになったと感慨深いものを感じる。つまり、それだけ赤の他人だった俺に心を開いてくれているという事だ。俺は何の見返りもなく、ただ純粋にシャルトが哀れだったから引き取って面倒を見てやっている。けど、こうして信頼を寄せてくれるというのはなかなかどうして嬉しいものだ。もっと守ってやろう、もっと強くしてやろう、そんな気持ちに胸が満たされてくる。まあ、こんな事はとても大声では気恥ずかしくて言えないのだが。
「レジェイド。で、まずはどうするんだ?」
二人、てくてくとひたすら廃墟街を歩き続ける。なんとも味気ないというか情緒もなにもあったものではないその風景。正直、俺は戦闘解放区など仕事以外では足なんざ踏み入れたくも無い。強さに貪欲になる姿勢は大切だろうが、ここだけの話、戦闘解放区に居る人間は所謂戦闘狂と形容される中毒者ばっかりなのだ。精霊術法を暴走させバトルホリックなんて呼ばれてるヤツもいるが、ここに居る連中は真性の戦闘狂いだ。そんなヤツらと凌ぎを削るなんて、ほとんど自殺行為に等しい。俺は自分も生き残ってかつ勝利する事がモットーであるが、やつらは自分がどうなろうと勝てば良いといった自己破壊的な思考回路をしている。言うなれば価値観の相違だ。俺は同じしのぎの削り合いなら、俺と同じ思考をしたヤツがいい。
「そうだなぁ。とりあえず、歩くか?」
「歩いてるじゃないか。それからどうするんだよ」
「どうするったって、ターゲットは小物過ぎて情報がねえんだよ。歩いて捜すっきゃないだろ?」
肩をすくめながら、おそらくは自分の緊張を誤魔化すためだろう、やたら色めき立つシャルトにそう半笑いで答える。するとシャルトは、わざとらしい呆れたような溜息をついた。
「レジェイドって、時々いい加減だよな」
「余裕に満ちている、と言え」
実際、今回の標的はランク的には本当にどん底のヤツらだ。こういうヤツらはセコい事しかやらないため、現場に情報も残しにくく本部もそれほど重要視しない。小物にしては頭がいいから、己が程をわきまえ慎重になっているから、決して本部が本腰を上げるような派手な事件は起こさないのだ。いずれにせよ、こういう連中はとにかくこうして地道に歩き回ってどうこうするしかないのだ。
と、建物の反対側から何やら凄まじい振動音が聞こえてくる。おそらく、どこぞの馬鹿が精霊術法でも遠慮なく使って戦っているのだろう。シャルトと顔を見合わせ、とばっちりを食らわない内にそそくさとそこを通り過ぎる。精霊術法っていうのは、本人の熟達が未熟でも広範囲に渡るとんでもない破壊を可能とする。開封をした時点で、ある一定量の攻撃力が漠然と与えられるのだ。それからの修練とは、全てその莫大な攻撃力の制御に注がれる。まあ早い話、精霊術法ってのはそれだけ危険な代物なのだ。制御出来ない爆弾のような力。迷惑被るのは当然周囲にいる人間だ。都市制圧力にすら匹敵する力なのだ、無事で済むはずがない。
空気を震わせる音が遠ざかり、ようやく俺は安堵の溜息をついた。別に戦う事が怖い訳じゃないが、正気じゃない精霊術者を相手にするのは危険極まりない。何のメリットも義務も発生しない戦いで命を賭けるなんざ、俺の性ではない。
「とにかく、サクサクッと終わらせよう。そうだな、今夜はお前の初陣祝いをしてやろう。どんな娘がいいんだ?」
「……どんな祝いだよ」
間近で術式の行使を聞いたシャルトはそろそろ怖気づいてるんじゃないかと思ったが、意外と平気なようである。見た目の女々しさに寄らず、案外肝が座っているようだ。そういやこいつは俺を脅そうなんてした事もあったし。こういう度胸の良さも俺は割と気に入っている所だ。
そのままシャルトを引き連れ歩きつづける事小一時間。
予想通りというか案の定、ターゲットがわざわざのこのこと出てくるはずもなく、まるで何も変化のない時間だけが過ぎていった。いや、変化自体はそれなりにある。そこいら中でひっきりなしに殺気が漂い爆音が鳴り響く。とても、これだけ平和な北斗内と同じ場所とは思えない殺伐とした空間だ。
とにかくそこいら中にうろつくヤツらをふん捕まえ、搾り出せるだけの情報を搾り出す。不穏な雰囲気のヤツらには決して近づかない。いい加減、嫌になってくる単調な作業だ。フラストレーションも否応なく溜まってくる。こんな事ならば、もっと名の知れた大物を部下達と一緒に相手にした方がまだ楽だっただろう。
「あー、なんか今日は駄目っぽいなあ」
そして、更に小一時間が過ぎ、昼食と夕食の間ほどの時刻になった頃。まるで進展の無い事態に飽き飽きしてきた俺は、思わずそう愚痴っぽくつぶやいた。すると案の定、シャルトが批難がましい目で俺を見上げてくる。
「やっぱりいい加減じゃないか。何がセンスだよ」
「大人の揚足を取るなっての。お前もな、人のやり方を見てばっかりいないで少しは考えろよ。考えねえヤツは成長しねえぞ」
もういい、とシャルトが視線をぷいと前に戻す。どうやら何時まで経っても結果の出せない俺に愛想をつかしたようだ。とは言っても、俺は人探しが専門な訳じゃない。早く見つけろと言われても、素人なんだからどだい無理な話だ。
それでも俺達はひたすら戦闘解放区の廃墟を歩き続ける。
随分と奥の方にやってきた。廃墟は依然と続いているが、やはり奥の方まで来ると戦闘の回数が比較的少ないためだろうか背の高い建物が多く、周囲が薄っすらと暗がりに包まれる。まだ夕方には時間があるのだが、どうにも場所が場所という事もあって不気味で仕方がない。俺は幽霊などの類はそれほど信じてはいないのだが、戦闘解放区にはその幽霊より遥かに恐ろしい連中がひしめいている。そういう意味で暗がりは嫌いだ。
「お、行き止まりだ」
ふと、俺達が歩いていた道の先に、根元から崩れた建物が横たわっているのが見えた。これはおそらく精霊術法じゃなくて何かしら物理的な力で倒壊されたものだろう。精霊術法なら建物はまるで水のように蒸発してしまうのだから。
「やっぱ大通りに沿った方が良かったか?」
「僕に聞くなよ。知らない」
だろうな、と俺は肩をすくめて笑う。するとシャルトは、何がおかしいんだ、と俺を小突いてきた。その仕草に、俺は更に吹き出し笑う。
さて、あまり馬鹿ばかりもやってられないか。そろそろ、マジでやつらを見つけなければな。
ここからは本当に本気になろう。
そう気持ちを引き締め直し、俺は踵を返す。
と。
「ん? 何?」
第一歩目を踏み出そうとするも踏み止まった俺に、シャルトがそう不思議そうな口調で問い掛ける。
「いや」
俺は周囲に研ぎ澄ませた神経を張り巡らす。
一つ、二つ、三つ。
数えていくその間にも次々とその気配が増えていく。
「下がっていろ」
俺は左手でシャルトを制し、右手を腰に下げた剣の柄に伸ばす。そのただならぬ雰囲気にシャルトも何か察知したのだろう、黙って俺の後ろについた。少し派手に歩き回り過ぎた、と俺は後悔した。戦闘解放区を根城にする人間の中には、縄張り意識が強く俺達北斗が入ってくる事をよしとしないヤツもいる。俺達の存在はそいつらを迂闊に刺激してしまったようだ。
敵の数は、およそ数十。気配を悟られる時点で大したやつはいないだろうが、いかんせん数が多過ぎる。
まずい、と俺は顔をしかめた。
俺一人ならば何ら問題はない。しかしシャルト連れでは、あまりに分が悪過ぎる。
TO BE CONTINUED...