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今、目の前で何が起こったのか。
この人間は誰なのか。
理解をするよりも早く、彼は疾風の如く飛び出した。
「来たぞっ!」
闇の中を鋭い何かが走るのを、二人は目ではなく肌で感じた。
生身で受けてはならない。
その判断が二人に反射的な連携動作を促した。
ルテラは出来る限りの力を込め、目の前に高密度の白い障壁を展開。闇を駆けるその何かを真正面から迎え撃つ。
どすっ、と鈍い音が障壁から鳴り響く。同時に展開した衝撃が仄かな光を放ちながら空中に飛び散った。ルテラは右腕を押さえながら飛び退いて後ろへ位置を移す。衝撃に撃ち負けたのか、ルテラの右腕は一溜りの血の雨を降らせた。
同時に、追撃を防ぐべくヒュ=レイカはルテラと入れ替わるように交点へ飛び込む。後ろへ大きく退き低く右腕を構えたまま、握り締めた拳に術式を体現化する。描いたイメージは、拳を纏う雷。
思い通りになる力はたかが知れている。出来る限り無駄な放出を押さえ、尚且つ拳に留めた雷をより強く加圧する。
暗闇の中とは言え、彼の位置は手に取るように分かった。暗闇は姿形を隠しても、抑えもせずに垂れ流す濃密な殺気までは覆い隠せないのだ。
ヒュ=レイカは闇に潜む彼に向けて、最大限にまで加圧した雷をまとわせた拳を放った。
しかし、
「……え?」
次の瞬間、ヒュ=レイカの拳ははっきりと分かる人間の手のひらの感触に受け止められた。
そんな事があるはずがない。たとえ素手の拳ならば受け止められもするだろうが、自分の放った拳には雷の術式をまとわせている。普通に受け止めようとしたならば、全身を高圧の雷に焼かれて立っている事すらも出来なくなるはず。
にも拘わらず、何故受け止められる?
ヒュ=レイカは驚きと不安の入り交じった眼差しで受け止められた拳の感覚を辿る。
冷たく、そして皮の硬張った固い手のひらに包み込まれる自らの拳。そこには体現化したはずの術式の感覚が消えていた。
術式が消えている。消されたのではない。自分で維持できなかったのだ。
「愚かな」
闇の中から、恐ろしく冷たい声が聞こえてくる。口調はまるで老獪な達人のそれを思わせるものだったが、声の色は若者のそれだった。それも、まだ自分と大して歳の違わない少年の声だ。
同時にヒュ=レイカの拳がぎゅっと握り込まれる。そのまま握り潰されてしまいそうなほどの恐ろしい力だ。
うっ!?
瞬間、ヒュ=レイカの腕が鮮やかに捩り上げられ、あっけなく背後を許してしまう。手首が軋む感覚すら言葉に出来ないほどの鮮やか過ぎる手並だ。
「死ね」
耳元でそっと囁かれる。その直後、背中に手のひらがぴたりと当てられたかと思うと、脳髄まで響くような衝撃が走り、ヒュ=レイカの体は反対側の壁まで紙のように吹き飛ばされた。
「くっ……」
強かに体を壁に打ち付けられ、受け身も取れず石の床に落下したヒュ=レイカ。しかし、意識を失わずすぐに起き上がろうと出来たのは、衝撃に貫かれる瞬間、障壁を展開してダメージを軽減したからである。まだ一瞬区切りでの術式は維持出来るようだ。
「レイ!」
すかさずヒュ=レイカを庇う位置に場所を移すルテラ。しかしその右腕は真っ赤に染まり、少しずつ血が滴り落ちている。傷こそ浅いようだが、決して戦闘に影響を及ぼさないとは呼べないものだ。
「僕は大丈夫だよ。そっちこそどうなのさ?」
「大した事ないわ。掠り傷よ」
果たして掠り傷でそんなに血が流れるだろうか。
それを口にしかけ、やはり飲み込んだ。そんな事を言い争った所で何の意味も成さない。今、自分がしなくてはいけないのは、まずは立ち上がる事だ。
ヒュ=レイカは跳ねるように飛び起きると、油断無く暗闇の中に立つ彼に向かって構えた。
彼は決して闇にまぎれている訳でもなく、また意図して気配を消しても居なかった。ただ、猛獣のように巨大な殺気を垂れ流し、ごく自然体でそこにいるだけなのである。
何故、この状況をうまく利用しないのか。それは何か特別な意図がある訳ではなく、単にその必要性を彼が感じなかったからだ。つまり、余裕の現れである。
彼は一体何者なのか。
突然現れては、一瞬で『光輝』の座を倒してしまった。だが続けてその殺気は自分達に向けられた。『浄禍八神格』が反乱軍に与しているのは周知の事実である。その一人と争っていた自分達を敵と見なしている以上、少なくとも北斗側の人間ではない。
果たしてこの騒乱に第三勢力などあっただろうか?
そう自分の記憶に問いかけると、すぐさま澄み良い答えが返って来た。第三勢力と呼ぶに相応しいかどうかは分からないが、最後まで反乱軍にも付かず北斗軍にも協力しなかった流派がある。もしも北斗軍と反乱軍の共倒れを狙っていたのとすれば、第三と呼称しても差し支えはないだろう。
「今の技……知ってる。流派『白鳳』のものだ」
「え? それじゃあ……」
ルテラはその言葉を最後まで出さずに飲み込んだ。
言わんとする事は分かる。けれどヒュ=レイカは、どうだろう、と要領を得ない態度で首を軽く振った。
今の技だけでは確証にはまだ及ばない。そもそも『白鳳』には、あからさまに殺人を目的とした武芸は存在しないからだ。にも拘らず、彼はあの『光輝』の首を一瞬の内に刎ねてしまった。徒手を中核とする『白鳳』の技で、あれほど鋭く刎ねる事など可能なのだろうか? むしろ精霊術法の持つ造形力の恩恵に肖ったとする方が現実的である。
白鳳の技を習得していながら、術式も使う事が出来るというのだろうか。異なる二つの流派の技術の習得。そんな人間、北斗にはそう例の無い本当に例外中の例外だ。少なくとも自分の知る範囲での人間は既に過去の人間か、もしくは今は封印されているシャルトぐらいなものだ。
一体何者なのだろうか……?
ぽつり、とヒュ=レイカは無意識にその疑問符を口にした。すると、それが誰何の耳に届いたのだろうか、暗闇の中からどんよりとした声が返って来た。
「ならば、これはどうだ?」
それとほぼ同時に、暗闇の中で微かに浮かぶ眩しい光の凝点を見た。
来たっ!
咄嗟に二人は左右それぞれに飛び退き、こちらに向かってきた『何か』から回避する。
一呼吸遅れ、轟音と共に壁に光り輝くものが突き刺さった。深々と難無く石壁を抉り込んでいる。生身の体などものともしないだろう。
「これは……」
二人は息を飲んだ。
それは矢の形を模した光の術式だった。
この術式に二人は見覚えがあった。流派『逆宵』の術式である。
「他に誰かいるの!?」
「いや、違う。これは……あいつだ」
驚きの声を上げたルテラとは対照的に、ヒュ=レイカは苦々しく口元を歪めながらもそう淡々と答えた。
そう、それは普通と呼ばれる概念の上では決して有り得ない事だ。北斗十二衆は総括部の指揮の下で与えられた任務をこなす、戦闘集団の中核である。しかし横の繋がりは無に等しく、特に流派ごとの個性とも呼べる戦闘技術は外部への流出を固く禁じ厳重な管理がなされている。つまりはよほどの例外が無い限り、複数の流派の戦闘術を学び習得する事は出来ないのだ。シャルトの例をとっても、流派『雪乱』式の戦闘術を習得しているとは言え、それはごく基本的なものだけである。身内の繋がりがある者でさえもこの程度に限定されてしまうのだ。私的な興味などでは決して跨る事など不可能だ。
何がどうなっているのか。
しかし、二人はそれを考えるよりも先に踵を蹴っていた。一呼吸遅れて、術式が雨のように二人が居た場所へ降り注ぐ。それを確認した二人は更に驚愕した。自分達を狙うも外してしまい石壁を抉ったのは、炎と氷、そして雷だったのである。
「『烈火』に『凍姫』に『雷夢』まで!? 本当にどうなってるのよ!」
「多分、あいつはどの流派の技も使える。今は武器を持ってないけど、その気になったら『夜叉』や『悲竜』も」
半ば自棄気味に放ったルテラの言葉。そんな事などあるはずがない、と自身でも自覚していた。しかし、何らかの形で否定されるだろうと予測のあった暴論を肯定され、ルテラは戸惑わずにはいられなかった。
二つの流派どころか、北斗に存在する十二の流派全ての戦闘技術を扱える人間がいるなど、それは『浄禍八神格』の存在以上に現実離れした事だからである。たとえ北斗の最高権力者でさえも十二流派に情報の開示を強制する事は出来ないのだ。だが彼は事実、こうして少なくとも五流派の戦闘術を使いこなしているのだ。その絵空事のような存在が実際に居る事を証明しかけているのである。
「それは正確な答えではないな」
暗闇から響くどす黒い声。
あまりに殺気が濃密過ぎて、どこに居るのかさえ分からなかった。辛うじて飛んでくる術式をかわすだけで精一杯である。
「十二衆とは、長い北斗の歴史の中で分かれた主義思想が最終的に十二だったから生まれただけの事だ」
脳に響くような鋭い単音。
またしても二人は転がるような回避を試みなくてはならなかった。飛んできた術式は目に見えず、ただ石壁に真っ直ぐ亀裂を走らせる。如何な業物であろうとも、ここまで鋭利な傷を果たしてつけられるものか。
しかし、記憶の中にはこれを可能とする方法がある。武具ではなく、精霊術法を用いた技、今は存在しない流派『風無』の術式だ。
「戦闘集団『北斗』の戦闘術は発足時に既に完成されていたのだ。今では十二の分派で独自の研究がされているようだが、所詮源流の前では子供騙しにしか過ぎない」
「源流だって……? じゃあ、十二衆のルーツは同じだったって事か?」
「違う。単なる模倣にしか過ぎない、という事だ。源流の前ではな」
そして、暗闇を切り裂きながら凄まじい数の光が降り注いでくる。二人にとってどれもが一度は見覚えのある術式だったが、それらが全てないまぜになっているせいか、真新しさを感じさせた。
これが本来の北斗の力。かつて戦乱の境地にあったヨツンヘイムに一つの治安都市を切り開いた最強の力。だが、そんな感慨も感じる間もなく、二人はただ防戦を強いられた。近づこうにも近づけず、また近づいた所で為す術はない。もしも彼の言葉の通り、自分達の力が彼の力の模倣でしかないのならば、到底かなうはずはない。既に完成されたものに手を加えたとしても綻んで行くだけだからである。
「北斗が乱れる時、速やかに原因を全て排除する。それが自分の役目だ。北斗は最強の力を持つ人間が一人居れば良い。無駄な塵芥は捨て去り、もう一度再生し直せば済むだけの事だ」
突如、暗闇が眩いばかりの輝きに照らし出される。
男は中空に光り輝く十字架を切っていた。輝きはこの十字架より放たれているものだった。
この技は……!
ルテラとヒュ=レイカは互いの血の気が引いて行くのが分かった。この出鱈目なほどの圧倒的なエネルギーの奔流と、裏腹に神々しささえ感じる眩い光。そんな術式を使うのはこの北斗においてたった一つしかない。
「北斗の最終防衛線。それが、あえて十三番目を冠する流派『北斗』だ」
TO BE CONTINUED...