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組織とは集合した単体の生き物だ。
幹部が手となり足となり。そして組織をまとめる人間が頭となって全てを司る。
組織の頭は、自分の判断は全ての手足の命運をも左右する事を念頭に置かなければならない。
自分の判断ミスで自分が命を落とすのはまだいい。問題は、それにつき従ってきた手足までもが道連れになるという事だ。
組織の頭に判断ミスは許されない。だからこそ、全ての人間性は排除されなくてはいけない。人間性とは非効率的、感情至上主義の塊なのだから。
けれど、果たしてそれでいいのだろうか?
出来の悪い教え子が、一丁前にそれに対する疑問を実践している。
困ったものですね……。
その真新しい一枚の書面を前に、私は思わず深い溜息をついた。
それは、凍姫に入ったばかりの新人リュネス=ファンロンが、昨日の開封の儀において開いたチャネルの状態の報告書である。これはおそらくどこの流派でも同じなのだろうが、開封の儀を受けた人間は開いたチャネルの状態を検査し報告書が作成される。その際、チャネルの回線容量は大まかに五段階で評価される。標準がC、Dでは狭い事になり、逆にAは極端に広い事になる。
そしてリュネスの結果だが。
総合判定はSだった。つまりAよりも更にワンランク上、その容量は未知数という意味である。
かつてこの凍姫にこれだけの容量を誇る人間は存在しなかった。いや、そもそもSランクの人間など北斗には数えるほどしかいないだろう。大概の人間はCからD、大きくともBまでの間に収まるのだ。私が教育し損ねたあの三人でも、一番容量が大きいのはラクシェルだ。しかしそのラクシェルでさえBランク。凍姫ではトップクラスだった容量だ。
チャネルの大きさは生まれつきに決まっているため、大きければ大きいほど攻撃力の限界値も大きくなる。しかし、それに比例して暴走状態に陥る危険性も格段に高くなる。理想的な戦士とは、何よりも安定した強さを持っている事だ。ランクがAを超えた人間は攻撃と理性との比重が攻撃に傾き過ぎ、暴走という危険状態が日常的に起こりうる危険な存在となる。
私は棚から隊員の履歴等が記された名簿を取り出した。その中にある、まだ挟んだばかりで真新しいリュネスのページを開く。そこに『S』の文字の赤い判をついた。そして確認日時と私の名前のサイン。これが、私がリュネスのランクがSである事を確認した証明となるのだ。
北斗ではAランク以上の人間は全て厳重な観察下に置かれる。何故ならば、過去に暴走事故を起こした人間は例外なくAランク以上の人間だったからだ。保護監察官は暴走事故に対する早期対応によって被害を最小限に食い止めるためにつけられるのである。
暴走を起こした人間は、これまで当たり前に持っていた道徳心、社会ルール、規律などの一切の人間性から隔絶され、本能だけで行動する獣よりも野蛮な存在に変貌する。全ての行動指標が自分の欲望のみで決定されるのだ。人間は獣よりも高度な知性を持つだけに、獣よりも遥かに性質が悪い。
これだけならば、治安維持機関が確保した後にしかるべき処罰を与えればそれでいい。しかし、精霊術法の暴走にはそれだけでは済まされない。魔力によって理性が侵蝕され尽くした後も、チャネルからの魔力の供給は続けられるのだ。術者は己の欲望のみを行動指標とし、その実行を際限なく供給される魔力によって行う。圧倒的な物量を持って行使され続ける魔力は、洗練された制御下に置かれた魔力を遥かに凌駕する。ただ己の欲望を満たすためだけに圧倒的な魔力を行使し続ける暴走。そういった性質から、暴走事故を起こしやすいAランク以上の人間は『ベルセルク』と呼ばれている。それは仇名などの類ではなく、本部から先刻される区別名だ。
リュネスは文句なしのベルセルクだ。正直、S判定が出る人間が凍姫に現れるなんて予想だにしていない事態だ。S判定の人間など、私の知る限りではおそらく『浄禍』ぐらいしかいないだろう。あそこは元々S判定の人間ばかりを選出して集めた隔離的な流派だ。浄禍ではSランクの魔力を制御するために信仰心を制御の楔としている。場合によっては、リュネスの制御能力のため浄禍に技術の提供を請う……いや、それよりもいっそ籍を移したほうが確実かもしれない。
―――と。
コンコン。
ドアをノックする音。
「どうぞ」
「失礼します」
入って来たのはファルティアだった。私が本日の朝八時半に来るように連絡したのである。しかし時計を見ると、まだ八時半から十分も早かった。今まで時間厳守という言葉に無縁な私生活だったファルティアには極めて珍しいことだ。
「呼びましたか?」
「ええ、幾つか話しておきたい事がありますので」
「それはリュネスの事ですね」
「その通りです」
やけに落ち着いたファルティアの態度。この、時折見せる別人のような落ち着き。あの事件からファルティアは急速的に頭目としての自覚に芽生えつつある。それを実感せずにはいられなかった。
「率直に言いますと、リュネス=ファンロンをこのまま凍姫で預かるのは非常に危険です。Sランクの人間などとても管理し続ける自信もなく、組織全体の安全保障も出来ません。これは頭目であるあなたへの忠言です。リュネス=ファンロンは『浄禍』に移すべきです。そこならば大きすぎる魔力を制御する方法も学べるでしょう」
それが、私が判断したリュネス=ファンロンにとって最善の処遇だ。このまま無理に凍姫の基準にリュネスを合わせるよりも、元々Sランクの人間ばかりが集まっている浄禍に移籍させた方が、北斗にしてもリュネス個人にしても安全性が遥かに高い。
しかし、
「いえ、それは出来ません」
ファルティアはすぐさまきっぱりとそう言い放った。
「何か理由でも?」
「私が、リュネスに強くしてやると約束しましたから。それを破る訳にはいきません」
「その程度の口約束で、凍姫そのものを危険に晒すつもりですか?」
「そんなつもりもありません。ただ、私にとってはリュネスも他の隊員と同じ存在なんです。隊員を守るのは頭目の役目です。私は凍姫も、リュネスも守ります」
じっと真摯な眼差しが私を見つめる。
やはり、意見は曲げませんか。
私は僅かに口元を歪め、小さく溜息をつく。
「頭目がそう決断したのであれば、私は逆らわない事にいたしましょう。それにしても、あなたは随分とリュネス=ファンロンに肩入れをするのですね。それは南区の件での負い目を感じているからですか?」
今の質問が痛かったのだろう。ファルティアが初めて表情を微かに歪めた。
「……それもあります。けど、あれから私は考えたのです。どうすれば私は罪を償えるのか、って。でも、それはもう考える事はやめました。どうせ何をやっても自分の過ちの正当化にしかならないから。だから悩んだり自己満足の償いをするよりも、生き残ったリュネスがこの先どうやって生きればいいのか、そっちに力を向けようと思います」
「あなたよりも浄禍の方がより確かな支えになりますよ」
「負ける気はありません。私にしてやれる事を全てリュネスに注ぎ込む。私は自分の判断は間違ってはいないと思っています。自分でそれが正しいと思っているんです。たとえミシュアさんに反対されても、考えを曲げるつもりは毛頭ありません」
そうですか、と私は苦笑する。
忘れていた。ファルティアは一度決めた事は決して途中で投げ出さない性格である事を。
ファルティアの反対を更に押し切り、リュネスを浄禍に移籍させる事も出来る。けれど、私は全てをファルティアに任せる事にした。幾ら落ち着きが出てきたとしても、能力が向上した訳ではない。まだまだ課題点も数多く残されている。だがそれ以上にファルティアの熱意は心を打つ。その熱意が理由なく私をそうと納得させるのだ。
もう、ファルティアは一人でも大丈夫だろう。まだ頼りないけれど、自分で凍姫を動かしていける。
以前よりも遥かに精悍な表情になったファルティアを見て、私はそう肯いた。
TO BE CONTINUED...