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 それは、本当にあっという間の出来事。
 私にもすぐには理解し難い事が次々と起こって。
 どうして男の子って無理をしちゃうのかな……?
 私の手の中から抜け出されたみたいで、少し寂しかったりもする。




 聖歌が終わりに近づいた時。それは起こった。
『見よ! 主の御力は、全ての罪を断つ聖なる剣をお示しになられた!』
 その歌詞が響くのとほぼ同時に、上空へ無数の光の粒子が集まっていく。粒子は互いに引き付けあい、形を形成し始める。それは一本の騎士剣だった。ただし普通の騎士剣ではない。まるで山脈すら両断出来そうなほど、あまりに巨大な剣身を持っている。
 これが個人で行使される術式なのだろうか? 目の前に体現化された、あまりに圧倒的な精霊術法に私は震撼していた。しかしその時、不意に一つの影が私の横を風のようにすり抜けていった。
 あ。
 声を上げた時は、既に結界の一辺に向かっていた。
 駆け抜けた影は、浄禍八神格が暴走した高レベルのチャネルを持つ術者を捕縛するために展開した結界の一辺に無謀にも突っ込んでいった。結界とは、ある一定の空間を絶対的な強さで区切るものだ。それは壁や仕切りなんてレベルではない。抽象的なたとえ方をすると、空間にもう一つ別な世界を作るようなものだ。生身の力だけで破る事なんて不可能に近い。そんな事を試みれば、結界を破るどころか逆に猛烈な反発を食らって、自分の方がただでは済まなくなる。
 バチィッ!
 結界に触れた瞬間、すぐさま火花が散るような反発が起こった。結界に侵入を拒絶され、激しく手を弾かれたのは、
「馬鹿、やめろ! シャルト!」
 私が声を上げるよりも早く、お兄ちゃんが叫んだ。しかしシャルトちゃんはそれに構わず、一層力を込めて体ごと強引に腕を結界の中へ押し込んでいく。
「くっ……おおおおお!」
 強引に押し進めば進むほど、シャルトちゃんは結界の激しい抵抗に襲われる。けれど、幾ら反発力に晒されようともシャルトちゃんは一歩も退かず、ある限りのエネルギーを振り絞って結界の中へ突き進もうとする。
 シャルトちゃんの体はゆっくりだが、少しずつ結界の中へめり込んでいく。確かに反発力よりも大きな力で前に進んでいけば、結界そのものを破る事は可能なのかもしれない。けれど、進んだ分だけ反発力は強まっていき、より激しい抵抗に遭う事になる。空間を断絶するほどの強さがある結界だ。反発力に体が耐えられるはずがない。ましてや、シャルトちゃんは痛みを感じられない体だ。それこそ本当に死ぬまで結界に挑み続けてしまう。痛みが感じない体とはそういう危険性を孕んでいる。自分がどれだけ大きなケガをしたのか分からないのだ。
『弱き者よ。聖なる裁きをその身に受け、悔い改めなさい』
 更に紡がれた聖歌により、体現化されていた巨大な騎士剣がより鮮明化していく。その刃先には結界に捕らわれて身動きの取れないリュネスがいる。
 と。
 あ……?
 十字架状の結界の交錯地点、そこに囚われているリュネスはがっくりと首を項垂れさせていた。よく見れば、リュネスは意識を失っている。ただ結界の拘束力によって立った姿勢を取らされ続けているのだ。
「待って! 意識を失ってるわ! もうこれ以上続けなくてもいいでしょう!?」
 思わず私は『断罪』の座に向かってそう叫んだ。しかし『断罪』は表情一つ変えず聖歌を歌い続ける。一心不乱に歌い続けるその姿は、まるで何かに取り憑かれてしまったかのようだ。おそらく『断罪』は聖歌を歌う事によって一時的なトランス状態に陥り、術式に必要なイメージの鮮明化を図っているのだろう。何かの行動を精神集中の手段に用いるのはさして珍しい事ではない。ただ、外界からの刺激情報が表層意識に一切届かなくなるほどの集中力はさすがと驚嘆を覚える。集中を超えた一種の自己催眠だ。戦闘中にこれほど深い催眠状態を作れる人間は北斗にそうはいないだろう。
『全ては御心のままに』
 シャルトちゃんの両腕が先から赤い飛沫を上げて弾ける。腕の毛細血管が連鎖的に破裂したのだ。けれど、シャルトちゃんは前進する事をやめない。血に塗れた腕を構わず、より結界の中へ潜らせていき引き裂きにかかる。腕だけではない。ただでさえ体中のあちこちに風無につけられた傷があるというのに、それが結界の反発力を受けてより大きく開いている。当然、止まりかけた血が再び流れ出、それが体表に留まる前に結界の反発力に弾き飛ばされていく。あの小さな体から、まだあんなに血が流れるなんて。私は胸が引き裂かれそうな思いに駆られる。
 そこまでしてリュネスを助けたいの……?
 浄禍の登場で半ば事態を投げ出して諦観していた自分が急に情けなくなった。初め、私は何と自分に誓って戦いに望んだ? そう、シャルトちゃんのためにリュネスを助けてあげると誓ったはず。相手が自分よりも強過ぎるからどうしようもない。これはどういうこと? 確かに守星として今までやってきた中、圧倒的に自分より強い敵なんていなかった。けれど、『守る』という行為は相手の実力で行うか否かを決めるものじゃない。勝敗よりも大切なのは、守りたい人を守れるかどうか。相手が強いから、と言って逃げる事は許されない。
 でも、私は逃げた。自分の実力ではかなわない事を理由に。
 駄目……このままじゃ。
 その言葉は、死ぬ事を恐れず結界に囚われるリュネスを助けようと無駄なあがきを繰り返すシャルトちゃんと、何もせず諦観し続けてきた自分へ向けた叱咤だ。
「がああっ……ゲホッ!」
 と、シャルトちゃんが血を喉に詰まらせて咳き込んだ。一瞬、体の動きが止まるものの、やはりすぐさま結界へ立ち向かっていく。
 鋭い視線は少しも恐れの色がない。ただ一心に、結界の中に囚われるリュネスに注がれ続けている。まるで『今、助ける』と声をかけているかのように。
 空を見上げると、リュネスの頭上に体現化された巨大な騎士剣は細部に至る模様までもが明確に再現されている。あれがリュネスに落とされるのも時間の問題だ。
 私は駆けた。向かう先は、血まみれになって結界に立ち向かうシャルトちゃんの元。
 体術だけで結界を破る事は決して出来ない。けれど、精霊術法の魔力を使えば少しは突破する可能性が出てくるかもしれないのだ。シャルトちゃんはチャネルを封印されているため、魔力を使う事が出来ない。私が代わりに魔力を行使してやれば。きっと結界は破れる。
 しかし。
「キャッ!?」
 突然、私は何かに弾き飛ばされ、地面へ強かに背を打ちつけた。
 ハッと顔を上げると、そこには『断罪』の笑顔を浮かべた横顔があった。邪魔をするな。まるでそう言いたげに。
『ハレルヤ』
 そして。
 聖歌が終わった。辺りの空気はしんと静まり返ったまま、不気味な鼓動を打ち鳴らしている。そして上空には、まるで後光のように光り輝く巨大な騎士剣。まるで神の鉄槌を体現化したかのような神々しさと荘厳さ、そして威圧感を放っている。
 息をするのも苦しい。まるで地面へ杭で打ち付けられたかのように私は動けない。
 もう駄目なの……?
 込み上げてきたのは、行き場のない悲しさと悔恨の念。人事を尽くせなかった自分への後悔だ。
 が、その時。
「うああああっ!」
 体現化された巨大な騎士剣の存在感を凌駕するほどの砲声が響き渡る。
 そんな……まさか!?
 私は思わず目にしたその光景に唖然とした。物理的な力だけでは絶対に突破する事など不可能な結界の壁に、シャルトちゃんが人間大ほどの穴をこじ開けたのである。
「お、おい……あれってどういう事だ?」
 お兄ちゃんが息を飲みながらその光景を唖然と見詰めている。
「力技だけでこじ開けられるほど容易い結界ではない。ある程度の反発するエネルギーがなくては破壊する事は不可能なはずだ」
「でも、シャルト君はチャネルを封印されてるんじゃ……」
 同じく唖然とした表情のリーシェイとレイ。
 二人の言う通り、最低限魔力が使えなくてはあの結界は突破する事が不可能だ。それも、膨大な量の魔力だ。しかしシャルトちゃんのチャネルはAランクという大きなものだが、今は封印されてしまっている。魔力を扱う事は出来ないはずなのに。
 そうしている内に、結界に開いた穴から中へシャルトちゃんが入った。同時に、結界のパワーバランスが崩れて結界が崩壊消滅する。
 チャネルが封印されているというのに、こうしてシャルトちゃんは事実結界を破壊してしまった。偶然破壊出来たなんて事はあり得ない。戦闘は徹底した現実主義。何か破壊出来た要因があったからこそ、結界を突破出来たのだから。
 ならばそれは何なのか。ふと、私の頭の中にある考えが浮かんだ。
「まさか……封印を破った?」
 よく目をこらせば、シャルトちゃんの両腕が薄っすらと白い凍気を纏わせている。それは二年前、私がかつて在籍していた雪乱に頼んで覚えさせた流派『雪乱』式の術式だ。セーブの利かない筋力を保護するために覚えさせたはずだが、結果的に『バトルホリック』を宣告される原因となってしまった、今は封印されて使えるはずがない精霊術法。それがこうして体現化されているなんて、やはり本当に封印を破ってしまったのだろうか?
 行く手を阻むものが無くなったシャルトちゃんは、まるで風のように真っ直ぐ疾駆していった。その先には、結界の拘束力から逃れて地面に倒れたリュネスの姿がある。
「主は言われました。罪を正さぬ者には罪人と等しく裁きを与ふと」
 結界が破られた事で『断罪』の座の表情には微かに驚きの色が浮かんだ。しかしすぐさま元の涼しげな風貌に戻すと、『断罪』は視線をリュネスの元へ向ける。『断罪』は既に完成された術式を解除しなかった。シャルトよりも剣の方が速いと判断したのだろう、そのままリュネスの元へ剣を落とした。
 闇夜を切り裂きながらリュネスに目掛けて落ちていく巨大な騎士剣。それと同時に、シャルトちゃんもまたリュネスに向かってより速く疾駆する。
 一体どちらが先に辿り着けるのか。私の目にはどちらもほぼ同等に見えた。
 けれど、私はシャルトちゃんが先に辿り着くように必死で願った。これで私達が諦めかけたリュネスの救出を果たす事が出来ると。
 なんて都合のいい責任転嫁かしら。
 何もしない自分に、そんな自嘲が胸を刺した。



TO BE CONTINUED...