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流派『夜叉』本部前に仮設された待機所。そこはいつになくものものしい空気に包まれていた。
頭目レジェイドは、浅くイスに腰掛けたまま腕を組み、額に深い皺を刻みながら目を瞑っている。実に余裕の無い表情だ。
苛立ち、焦り、不安、緊張。
千切れんばかりに張り詰めた胸中を物語るのはレジェイドだけではなかった。場を共にする夜叉の隊員全てがレジェイドと同じ胸中だ。かつて、これほどの危機が北斗を襲った事は無かったのだ。誰にも経験が無いという事は、最善の方向へ導く人間がいないという事。つまり、一体どのように対処するのが最善なのか、自分達が模索しながら事態の収拾を行わなければならないのである。
敵は分かっている。ならば次の行動は、いかに迅速に制圧してしまうかだ。しかしそれが出来ないのは、相手の戦力がはっきりと分からず、ただ判明しているのが、凍姫以外の流派も同じような行動に出た、という情報だけだ。相手の戦力や出方を捉えなければ、下手に動く事が出来ない。猪突猛進は稚拙な計略にすらいともたやすく嵌る。
慎重な行動は、時として待つ事を長く強要する。急を要していれば要しているほど、人は否応無く行動しようとする。しかし、無慮な行動はかえって目的の成功から遠ざけてしまう。成功に向かっているつもりが、気がつかぬ間に失敗へと逆送してしまっているのだ。
今は待つ時なのだ。靄がかかって見えない成功までの道が判明するまで、ひたすら待ち続けるしかない。そしていざ道が開けた時、全力で向かっていけるよう、体力は極力温存しておかなくてはいけない。それに、後ろの事が気になっていては戦いに集中出来ないから、今の内に出来る事や足場固めはやっておくべきだ。
「レジェイド、僕だ」
不意にレジェイドのすぐ脇に、どこからともなくヒュ=レイカが現れた。
こういったマジック的な現れ方はヒュ=レイカが呼吸よりも自然に行うものであるため、意図しているつもりは無いのだが結果的に付き合いの長いレジェイドは一つも驚く仕草を見せず、ただ眼をゆっくりと開いた。
「何か分かったか?」
「うん、大方の戦況がね」
ヒュ=レイカは上着の中から地図を取り出すと、それをレジェイドの目前のテーブルの上に広げた。俄かに他の隊員達も最新の情報を知ろうと集まってくる。そして誰よりも早く駆け寄ったのはシャルトだった。
シャルトはずっとナーバスな状態になっていた。その原因はエスタシアが北斗に対して反乱を起こした事よりも、その一味として凍姫の名が上げられ、実際に伴った行動を起こしている事にあった。流派『凍姫』にはシャルトの恋人であるリュネスが籍を置いている。そのリュネスが北斗に対して反乱を行っている賊軍に加わっているのだ。
リュネスの口からは一度たりともこんな事を聞かされた事は無かった。シャルトはお互いの間には一切の隠し事は無いと信じている。だからこそ、リュネスは自分の意思で参加しているとは考えにくい。きっと周囲が敵ばかりになってしまったから、迂闊に動く事が出来ないでいるのだ。一体どうしてこんな事になっているのかは分からないが、少なくともリュネスが非常に危険な状態である事に変わりはない。
「今、雪乱が修羅と悲竜と戦ってる。状況は、当然だけどあんまり良くない。第一防衛線は総崩れだ。逆宵と雷夢はまだ動かないみたい。だけど、凍姫の分隊、リーシェイとラクシェルだと思うけど、それぞれがどっかに向かって動いてる」
「幻舞はどうした?」
「お家騒動真っ最中。表家と裏家で真っ二つに意見が割れちゃってて収拾がつかない状態だよ。どうやらエスは片方しか懐柔できなかったみたいだね」
流派『幻舞』は、その体制が他の流派と少々異なる。基本的に各流派には頭目と呼ばれる最高責任者が一人居る。頭目は流派の管理等の様々な責務を負うが、その反面、自分の責任で流派を自由に動かす事も出来る。言うなれば大統領制をそのまま箱庭化したようなものだ。しかし、流派『幻舞』には頭目格が二人存在する。元々幻舞には、裏流派に当たる流派『源武』が存在する。それぞれ、表家と裏家とで区別されているが、基本的に裏家はあまり日の目を見る事は無く、裏方に徹している。裏家は表家の目付け役的な立場に当たるが、表家には汚い仕事もさせられたりと損な役回りである。裏家は表家に絶対服従が基本だが、実質的な力はほとんど差が無い。そして裏家には目付け役としての権限があるため、もしも表家に北斗として不適当な動きがあれば、武力交渉を持ってしてでも是正する事が出来る。
今回、表家と裏家は北斗派とエスタシア派に分かれた。内部抗争はこれによるものだ。だが、状況が状況だけに、どちらかが潰れるまで終わる事はないだろう。
「となると、俺達の行動は決まったな」
「どうするのさ?」
「決まってるだろ? 雪乱に援軍に向かう。悲竜はエスタシアが在籍していた流派だ。ヤツ側と考えて問題ないだろう」
エスタシアが守星となる前は、北斗総括部の役員だった。そしてその前は、流派『悲竜』の頭目である。仮にエスタシアが前々から計画をじっくりと練っていたとしたら、既にこの当時から足場固めを行っていたと考えるのが妥当だ。勝手知ったる自分が頭目の流派だ。流派『悲竜』に北斗派の人間は一人としていないだろう。そんな悲竜が攻撃を仕掛ける雪乱は、エスタシア派にとっては邪魔な存在、つまり北斗派という事だ。今は一人でも多くの味方が欲しい。
「待って。もう一つ、分かった事があるんだけど」
「何だ?」
「今、凍姫と烈火が大時計台の下で戦ってるんだけど、そこと雪乱の間に白鳳が待機してる。多分、夜叉を牽制してるんだと思う」
「こっちが動かなければ雪乱が見殺しになる。動けばその隙に烈火をやろうって腹か。気にいらねえな」
「厳密に言うと違うよ。白鳳は今回の件では中立になるそうだ。北斗も含めてね。このまま僕らが同士討ちで疲れきった所を一気に殲滅して、自分がのし上がろうって魂胆さ。だから凍姫と烈火のどちらが勝とうとも、白鳳には関係ないんだ」
「くそっ、どいつもこいつも自分の事しか考えてねえな」
苦々しく吐き捨てるレジェイド。それは、北斗を防衛するための組織であるはずの我々北斗十二衆が、いざという今、一丸となって挑むのはおろか、結束力そのものが薄れ独善的な行動に出ている事への怒りだ。表向きは北斗云々と言っておきながら、結局露呈させた本音は理想とあまりに大きくかけ離れ過ぎていた。レジェイドは本音も建前も無く、ただ北斗の事だけを考えてこれまで頭目を勤めてきた。しかし、他流派の頭目がまさかこんな事を考えていたとは。孤立する感覚よりも、怒り、もしくはあきれにも似た感情だけが頭を席巻する。
白鳳の狙いは、烈火と凍姫の戦闘で勝利した流派を叩く、もしくは雪乱と戦う事で疲弊した悲竜と修羅を背後から叩く、といった所だろう。同盟も結ばず北斗十二衆を抑えるには、やはり各個撃破が一番妥当な作戦だ。しかし、そのやり方がいやらしい。白鳳は厳しい縦社会と質素堅実な生活が特徴的で、文化性や伝統を何よりも重んじる敬虔な流派だったはず。ならばこれは、白鳳の総意ではなく頭目の独断と考えるのが一番可能性が高いか。
「とにかく、雪乱に援軍に行くのは変わらねえ。こうしている間にも仲間がやられていくんだ、ぼやぼやしてる暇はない。下手に考え込むよりもきっぱりと行動に出た方がいい。どうせ被るリスクは一緒だ」
烈火も雪乱も、北斗派の仲間である。どちらも助けるのが理想だが、現実的に考えてそれは不可能だ。ならば、より劣勢に立たされている雪乱から援護する。ただそれだけの判断基準だった。
しかし、
「レジェイド、俺は凍姫の方に行きたい」
そう口を開いたのは、いつの間にかすぐ傍まで詰め寄っていたシャルトだった。
「頭目の決定に意見するな。俺達は雪乱に援軍に向かう。それだけだ」
「頼む。俺一人でもいいから」
突き放そうと意識して無機な口調をぶつけてみるも、シャルトは一向に退く気配が無かった。しかし、それはいつもの反抗的な態度とは明らかに異なっていた。シャルトからはどことなく落ち着いたもの、腹の内に決めた強い意思のようなものが感じられるのだ。
「あのな、俺はそういう自分勝手な行動は立場的に許さない。俺が雪乱っつったら、それに従うのが夜叉の人間だ」
「だったら、俺は夜叉を辞める」
そう言ってシャルトは、何の躊躇いも無く上着を脱ぎ捨てるとレジェイドの目の前に叩きつけて見せた。
明らかな夜叉との決別の意思表示。
思わず周囲からはどよめきが走った。冗談にしてはあまりにたちが悪く、即断するにしてはあまりに重い問題だからだ。
「お前の事だ、大方リュネスの事なんだろ? それはそれで構わんし、お前一人抜けた所でこっちには何の影響も無い。だが、規則が守られてこそ秩序ってのは保てるんだ。確かに例外はあるが、それは本当にそこまでする価値はあるのか? 考えてみろ。お前が凍姫に近づけば、まず間違いなく白鳳がたちはだかるだろう。砂糖に群がる蟻みたいなもんだ。一人で相手にするなんざ、はっきり言って正気の沙汰じゃねえ。それは分かるよな?」
「分かっていても、俺は行く。後悔するのは死ぬより嫌だ」
きっと見据えるシャルトの目に迷いは無い。
自分は凍姫に向かってリュネスを助ける。
言葉にはせずとも、そんな強い思いがひしひしと伝わってくる輝きに満ちた目だ。
これを打ち崩すのはどれだけ困難か。何よりも精神を鍛える事に重点を置いていた夜叉の人間には、覚悟を決めた人間の強さが推し量れないはずはなかった。むしろ、それほどまでの覚悟を持って戦えるシャルトに、若輩に対する侮蔑よりも戦士として賞賛の念を惜しまなかった。年端も満たない少年が、俄かにレジェイドと肩を並べるほど大きな存在に誰もが錯覚した。シャルトの吐露は単なる感情論でしかなく、組織に属する人間としては不適切だ。しかし、子供の駄々と片付けるにはあまりにもその感情は重く気高い。
「分かった分かった。ったく、お前も自分の事しか考えてねえな」
レジェイドは急に態度を緩めて苦笑いを浮べると、大きく溜息をつく。お前には負けた。そんな意味のこもった、自らが根負けしたという意思表示だ。
「好きにすりゃいいさ。それもまた、男ってもんだからな。後でちゃんと合流して来いよ」
「分かった! ありがとう!」
わざとらしく素っ気無い態度でひらひらと手を振るレジェイド。
しかし、本音では嬉しさを押さえ切れずにいた。あのシャルトがここまで強い自らの意志を表現し、行動に表そうとする力と覚悟の大きさが、これまで気がつかなかったシャルトの目覚しい成長を顕著に示しているからだ。
そんなレジェイドの思惑などまるで気がつかず、表面ばかりしか見て取れないシャルトは、ただ子供のように喜びの声を上げた。
「真顔で言うな、そういう恥ずかしいセリフは」
TO BE CONTINUED...