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ゆっくりと息を深く吸い込み、ぐっとお腹に力を入れ腹筋を締めます。同時に自分自身の気持ちも引き締まる気がしました。
目の前ではリーシェイさんとラクシェルさんが立っています。共に真剣な表情で戦闘態勢を取っています。
リーシェイさんの両腕は、指と指の間からそれぞれ長く鋭い氷の針が飛び出しています。隣のラクシェルさんの両腕からは白いもやのようなものが立ち上っています。二人が得意とする術式の型です。
「んじゃ、行くよ」
そう言ったラクシェルさんは、言葉こそ普段の軽いものですが、どことなく冷やりとする真剣さをはらんでいます。幾ら訓練とは言っても、実戦形式の訓練ではちょっとでも気を抜いたら大怪我では済まないような事にもなってしまう危険性があります。しかも、リーシェイさんとラクシェルさんは流派『凍姫』の実質トップスリーの内二人です。一瞬でも気を抜く事は出来ません。
私の返事を待たず、ラクシェルさんは突進してきました。両腕を胸のやや下に並んで構えた攻防一体の型です。
ラクシェルさんが得意とするのは接近戦、それも手合いの間合いにて圧倒的な手数で押し切るのが特徴です。術式の破壊力に格闘技の技術を考えると、とても真っ向から対抗できそうなものを私は持ち合わせていません。
ここは自分の間合いを維持するのが得策です。
私はラクシェルさんの動きに集中します。と、それを察知したラクシェルさんが左右に不規則なステップを踏んできました。そう簡単には意図を読ませないようにするためです。
人間の動作の基となっているのは主に腰。
以前にそう教えられた事を思い出した私は素直に従い、ラクシェルさんの腰の動きに注意しました。幾らラクシェルさんでも、左右同時に動く事は出来ません。
……右っ!
ラクシェルさんの重心移動を見切った私は、ラクシェルさんに間合いへ入り込まれる前に左へ跳びました。それと同時に頭の中にイメージを描き体現化します。
「おっと!」
描いたイメージは、地面から上へと伸びる鋭い氷柱。擦れ違い様に、丁度足を止めたラクシェルさんの足元を狙ったのですが、ラクシェルさんは見てからの反応で楽々と私の術式を破壊してしまいました。けど、元々これは移動中の無防備な所への追撃を防ぐためのものなので、これで一応の役目は果たしています。
そして、気をつけなければいけないのはここです。
そう警戒を強めた瞬間、冷たい気配のようなものが向かってくるのを感じました。
ほとんど無意識の動作でイメージを作り、捉えた気配を中心に障壁を展開します。直後、ガラスの割れるような音が聞こえてきました。案の定、リーシェイさんの放った氷の針が数本、障壁を半分ほど突き破っています。私の注意がラクシェルさんに向いている所を狙ったのです。
リーシェイさんの射撃は針の穴を穿つようなほど正確で隙がありません。ラクシェルさんとやり合うと、接近していようが離れていようが常に正確なリーシェイさんの射撃に狙われてしまいます。そうなると戦術的にはまずリーシェイさんから叩かなくてはいけません。
目標をラクシェルさんからリーシェイさんへ変更。回避中心だったステップを一転させ、リーシェイさんに向かう体勢を取ります。強く床を足の裏の前半分で踏み込み、前方へ跳躍するように加速。障壁は、私の額の延長線上を中心に玉子の殻を半分にしたような形をイメージして展開します。
「ふむ、いい判断だ」
リーシェイさんはいつもと変わらない冷静な表情で右手を顔の高さに構え、一度大きく開くと一気に握り込みました。するとそれぞれの指の間からまたもやあの氷の鋭い長針が出現します。
右手を、手首のスナップを利かせながら小さな動作で振り下ろし、私に向かって針を放ちました。
リーシェイさんの放つ針は、一見すると派手さはなく攻撃力も乏しいように思えます。けれど、貫通力は凄まじく、中途半端な障壁を展開した所でその前進をとめる事は出来ず、まるで紙のように突き破られてしまいます。リーシェイさんは非常に術式をコントロールするのがうまく、力を一気に凝縮して放つためこれほどの貫通力が得られるのです。
前進と前進。互いが向かい合うように前進しているため、実速度よりも速く針が向かってくるように見えます。もう回避は不可能なタイミングです。私は脳裏にイメージを描きました。そして展開している障壁へ向けて、イメージを再描写します。
描いたイメージは、これまで展開していた障壁とは全く逆の、極端に柔らかい軟質の障壁。
障壁へ針が次々と突き刺さりました。私は障壁を動かし、周囲から包み込むようにして針を押さえ込みます。単純に障壁の頑丈さだけに固執してもリーシェイさんの針を止める事は出来ません。なので、貫通力を抑えるのではなく、単純に推進力を奪う事で止めにかかったのです。
見事に私の読みは当たり、針は障壁の中ほどで進むのをやめました。その間にも私は前進をやめていなかったので、リーシェイさんとの距離はもう手合いの一歩外ぐらいまで狭まっています。
私は思考を精霊術法から接近戦の組み手に切り替えました。まずは相手の襟を取って自由を奪う事。そこから攻撃に入ります。
私が右手を伸ばすよりも一瞬早く、リーシェイさんの腕がにゅっと伸びてきて反対に後ろ襟を取られてしまいました。咄嗟に踏み止まろうとしましたが圧倒的に前進する力の方が強く、そのまま私は自分の勢いにつんのめる様にしてリーシェイさんに引き寄せられてしまいました。
「ふふふ、捕まえた」
そして、ぎゅっと抱きしめられます。
うまく両腕が肘を押さえ、私が抵抗出来ないように締めていました。私は振りほどこうとしましたがリーシェイさんの力にはかないません。
「ありゃりゃ、捕まっちゃったか。惜しい。結構今のは良かったんだけど」
そう、後ろからラクシェルさんが緊張を解いた普段の口調で言ってくれました。
これが実戦だったなら、今頃私は死んでいてもおかしくはありません。普通に攻撃を仕掛けるよりも、こうやって拿捕する方が遥かに難しいのです。それがこう易々と出来たという事は、それだけ私の実力は及んでいないという事の現われになります。
「確かに。よく私の針を止めたな。なかなか新しい発想だったぞ」
「はあ」
にっこりと目の前で微笑むリーシェイさん。でも、私はそう気のそれた返事を返しました。
居心地が悪いのです。その理由は、リーシェイさんの腕が露骨に背中からお尻にかけてのラインを絡みつくように何度も撫でているからです。
リーシェイさんには少々特殊な性癖があります。自分が気に入った人間には所構わずこういった行為をするのです。初めの内、私はこれまでに出会った事の無いタイプの人だったので戸惑いっ放しでした。初対面でいきなりあんな事もされているので、正直リーシェイさんが苦手でした。今でこそ、ああこういう人なんだ、と諦めているのですが、やはりどうしてもこういう事をされるのは慣れません。
「あの……」
「しかし、詰めを誤ったな。接近戦を挑む時は、相手との体格差も考えなくてはいけないぞ。今のようにリーチの差で逆にイニシアチブを取られてしまう」
今度は頬を摺り寄せてきました。
私は助けを求めてラクシェルさんに視線を述べます。ラクシェルさんは微苦笑していました。何もしてくれなさそうです。
このままでは、本気で気が済むまでやめてはくれなさそうです。私は一度息を吐いて気持ちを落ち着けると、脳裏に剣をイメージして自分を奮い立たせました。
「あの、本当にそろそろ辞めて下さい」
きっぱりと毅然とした態度で再度進言します。ここで引くとますますつけ込まれてしまいます。だから拒絶の意思をはっきりと示さなくてはいけません。
が。
「ひゃっ!?」
耳を軽く噛まれました。
そのくすぐったいやらなにやら奇妙な感覚に、思わず上ずった声をあげてしまいました。でも、それでどうやら満足してくれたらしく、ゆっくりとリーシェイさんは離してくれました。リーシェイさんはいつもこうです。事あるごとに、こうやって私をおもちゃにするのだから困っています。
「ハイハイ。では、一段落したとこでお昼にしましょうか」
ぱんぱんと手を叩き、ラクシェルさんは壁掛け時計を指差します。十二時五分前でした。まだ何セットもしていないように思うのだけど、いつの間にかこんなにも時間が経っていたようです。体の方も心地よく疲れています。考えてみればお腹も空きました。
「その前に、一応ファルティアにも声をかけていくか」
「そういや月末だもんね。散々事務整理が溜まっててしんどいんだろうなあ」
ファルティアさんは、以前よりもあまり訓練所に顔を出さなくなりました。それは訓練をサボっているからではなく、頭目としての本来の業務をミシュアさんから全て引き継いだため、沢山の事務処理に追われているからです。ミシュアさんは凍姫を引退した身でもあるため、現在では監査という名目で凍姫に居ます。けれど最近のファルティアさんはその必要も無いほど手がかからなくなったそうです。
今日も事務処理で朝早くから本部にこもりっきりです。私は自分でも早起きな方だと思っていますが、その私よりも早く起きて朝食を食べ、早々と出かけていってしまいました。以前は眠りたいだけ眠ろうとし、私が起こさなければ決して起きようとはしない人だったのですが。ここ半年ぐらいでしょうか、特に変化が目覚しく思います。
私達は連れ立って訓練所を出ると、凍姫本部へと向かいました。
今日は天気も良く、空は雲ひとつありません。洗濯物の乾きも良いし、実に気分の良い日和です。
変わったといえば、私も凍姫に入って一年が経ちました。
本当に色んな事がありました。楽しい事、悲しい事、辛い事、一つ一つあげていったらキリがありません。けど、今の自分に私は何一つ後悔はしていません。何故なら、私は確かな自分の成長を実感出来るからです。
あの頃の私は自分が嫌いで、いつもうじうじとしていました。コンプレックスがあっても、何一つ自分で変えようとせず、ただひたすら頭の中で思い悩むだけで。どうすれば目立たないのか、そればかりを考えていました。
けれど今は違います。少なくともあの頃のように自分を過剰に卑下して何もせず、周囲にばかり期待をしたりはしません。たとえ無理だと思っても前向きに立ち向かえる、ほんの少しだけど強さがあります。その強さの源は、自分に対する自信です。世間的に見れば大した事はないかもしれないけれど、自分はここまでの事をした、と胸を張ってはっきりと答えられるものを持っている事が、何一つ自分に自信を持てなかった自分を変えたんだと思います。
それと、髪型はずっと変えなかったのだけど、三ヶ月ほど前から少しだけ髪を伸ばしました。肩先ぐらいだった髪は、今は背中を少し覆うぐらいまであります。思い切って長く伸ばす度胸は無かっただけなのですが、こういうのも積極的に自分を良く変えようとしている具体的な行動の現われだと私は思います。
人は、変わろうと思えば必ず変われます。
ただ、頭から可能性を否定していてはいつまでも変わる事は出来ません。その証拠を、私は身を持って実感しました。何事も意思次第なのです。そして、体格と違って生まれながらの優劣は存在しません。意思の強さは人間誰もが平等で、同じスタートラインに立っているのです。それからどうするかは、各々の選択次第なのです。
「今日は何食べる?」
「ふむ、そうだな。ここの所、濃い目の味のものばかり続いたからな。そろそろ薄味、もしくはさっぱりしたものが食べてみたいな」
そう、リーシェイさんとラクシェルさんは歩きながら今日の昼食に関して話し合っていました。
でも私は、今日はなんだかやけにお腹が空いていたので、少しお腹に溜まるものが食べたいと思っていました。
「じゃあ、そうしよっか。ね?」
「はい。そうですね」
急に話を振られた私は、咄嗟にそ肯いてしまいました。
まだ、完全には自分の意見をはっきりと言う事は出来ていないようです。
TO BE CONTINUED...