BACK
私は自分が嫌いです。
見映えはパッとしません。
取り得も何一つあるません。
自分の意見もほとんど言えず、ただ他の人に乗っかって生きているだけ。
そんな自分を変えようと、これまで全く思わなかった訳ではありませんでした。少しぐらい理想とする自分像に近づくための努力をした事はあります。けど、それは更に厳しく私に現実を突きつける結果しかもたらせてはくれませんでした。
私はずっと努力する事は諦めていました。
人間は幾ら努力してもあらかじめ決められた範囲までしか成長が出来ないのです。そして、中には私のように、生まれつき全てにおいてパッとしない人間もいるのです。
結局、私は迷惑ばかりをかける存在でしかないのです。
私は自分がこの世にいる理由が分かりません。
別にいなくても、何の変わりはないと思います。
私はここに居るのではありません。居ない訳ではない、だけなのです。
きっとこれからも、私は自分を好きになる事はないでしょう。
そっと目を閉じ、イメージを研ぎ澄まします。
心には静まり返った水の溜まりを作り、波風を立てないようにどっしりと落ち着けます。こうすると精神の動揺が最小限に留められ、なおかつ最大限までに研ぎ澄まされるのです。
描いたイメージは、氷の球体。私の手のひらに乗るほどの小さな球です。そのイメージを、私の中にあるチャネルに投げかけます。
けれど。
「……駄目です」
私はそれ以上の一連動作をやめると、目を開きながら重苦しい溜息をつきます。
「う〜ん、駄目かあ」
私の目の前には、あぐらをかいて難しそうな表情を浮かべるラクシェルさんがいました。眉を潜め、唇を尖らせて空気を漏らすように低く唸ります。
「やっぱ『遠見』のヤツ、法術封印でもかけやがったか」
ラクシェルさんの隣には不機嫌な表情のファルティアさんがいました。先ほどからイライラと同じ所を何度もぐるぐる歩き回っています。元々やや釣り目がちだったその目許も、今はいっそう険しさを増しています。
「いや、かけてはいないと思うけど。第一、無理に行使しようとしたらさ、強制終了を促す紋様が浮き出てくるはずだもん」
「かけてないんだったら、どうして出来ないのよ」
再びファルティアさんとラクシェルさんの論戦が始まりました。私はただうつむいたまま、じっとそれが終わるのを待ち続けます。
あの晩の出来事から、一昼夜が経過しました。
事件の全容の公式見解が今朝、北斗統括部から発表されました。流派『風無』の反逆行為により、東区を中心とする建物家屋の一部損壊。統括部に続く羅生門の襲撃が行われたため、諸流派と守星及び浄禍八神格による連合部隊で殲滅。これが事件の全貌として諸流派を含む一般人には報道されたのですが、そこに私の暴走の件は完全に隠蔽されていました。真実も歪められています。多分、『遠見』の方が隠してくれたのだと思います。理由は分からないけれど、とにかく私が暴走事故を起こしたという事実はこういった情報操作によって表沙汰にはなりませんでした。だからあれだけの事をしたにも関わらず、私には何の咎めもありません。
私が大勢の人に迷惑をかけたのは揺らぎようの無い事実です。たとえ暴走をしていたせいだとしても、それは言い訳にはなりません。暴走してしまったのは私が悪いのです。そもそも精霊術法を使う人間は常に暴走の危険性を意識して未然に防ぐよう努めなくてはいけません。けれど私はそれを怠ったがために暴走をしてしまい、数多くの人に迷惑をかけました。これは立派な罪であり、罪は罪として償わなければいけません。なのに私は罪を咎められず、またその状況を甘受してうやむやにしようとしています。
自分がこれほど嫌な人間だったとは。自分が自分にこれほど幻滅したのは生まれて初めてです。
一夜明け、またいつもの日常が始まります。朝、部屋の掃除をしてから朝食の準備をし、ファルティアさんと凍姫の訓練所に向かって。精霊術法の制御訓練を行った後、昼食を食べて、また午後の訓練。それが終わったら夕食の材料を買って部屋に戻り、夕食を作って食べ、お風呂に入って寝る。そんな何の変哲も無い日常です。けど、私とは違ってそれぞれの平凡な日常を送る事が出来なくなった人は沢山います。
現在、凍姫はとても落ち着かない状況になっていました。これまで凍姫の業務の大半を処理していたミシュアさんは大怪我を負ってしまったため、現在は病院に入院中です。命に別状は無く、再来週には戻ってくるそうですが、今はまだ昨日の今日なので絶対安静が必要となっています。ファルティアさん達もまた、昨日は病院に行って簡単な検査と治療を受けました。これも私のせいによるものです。
こんなにも周囲では日常というものが壊されているというのに、私だけが普通の生活を送っています。これが果たして許されていいのでしょうか? あの事件の一番の当事者が、まるで何事も無かったかのように振舞っているのです。それは決してあってはならない異常な事だと思います。罪を犯した者はしかるべき罰を受けるのが当たり前なのです。それが法治というもので、無政府状態であるヨツンヘイムに最も必要とされているものです。
そんな国だから、北斗は秩序を作り出すために戦っています。秩序も法律も、それを厳守させるための『武力』がなくては機能しません。ただ、ヨツンヘイムには北斗以外にも武装集団や戦闘集団は数え切れないほど存在します。北斗の法律に束縛されない存在だからこそ、北斗は絶対行使を可能にする強力無比な武力が必要になるのです。それがどれだけ困難の多い事なのか、私は北斗に入る前から多少は分かっていました。だから凍姫に入る時も、見合うだけの強く硬く決心をしたのです。にも関わらず、私は北斗の秩序に対して反逆行為を行った訳ですから、もっと厳重な処罰があってもいいはずなのに。周囲では、私に罰を与える話どころか暴走の件すら話題に上りません。まるで、あの夜に起こった出来事そのものをみんなが隠そうとしているようです。
私が神経質になっているだけなのかもしれませんが、みんなが私に接する時の態度が少しだけぎくしゃくしているように思います。どこか言葉の一つ一つが遠回しで、真綿で包むような芯の無いコミュニケーション。私が暴走した事について触れないように気を使ってくれているのかもしれないけれど、それが酷く苦痛です。あの人は暴走事故を起こしたから、繰り返させないためにも気を使わないと。そんなみんなの心の声が聞こえてきそうです。
そのせいでしょうか、気がつくと私は精霊術法が使えなくなっていました。
イメージを描く事は出来ます。あのおどろおどろしくて巨大なチャネルの入り口も思い浮かべる事が出来るのですが、扉は開こうとしません。いえ、開かないのではなくて開けないのです。この扉、開く事はとても簡単です。ほんの少し力を入れて開けば、後は勝手に自分から開いてくれるのですから。けど、もしも開けて精霊術法を使ってしまったら。術式のイメージを描いた瞬間、暴走の恐怖が込み上げてきて術法の行使に必要な一連の動作を放棄してしまうのです。
私は精霊術法が使えなくなりました。あの日、あの夜。大好きなお父さんとお母さんが殺されても何も出来なかった弱い自分を変えるために求め身に付けたはずの力。けどその力は、私の大切なものを守るどころか逆に関係のない大勢の人を傷つけてしまいました。私はそこまでして自分を守りたいとは思いません。大勢の人が酷い目に遭うよりも、私一人がいなくなってしまった方がいいのですから……。
「ま、精神的なものだから。その内にまた安定するわよ」
と。
突然、ラクシェルさんに頭をポンポンと叩かれて私はビクッと体を震わせました。そんな私の反応に驚いたラクシェルさんは思わず『ゴメンゴメン』と謝りました。でも、それは単に私がボーっとしていただけですから謝る事ではありません。そう説明すればいいのですけれど、私はそんな言葉すらも口にする事を億劫がっていました。
まるで魂が抜け落ちたように、私は全てにおいての行動意欲が欠落していました。いつもやっている仕事は、今朝もちゃんと全てこなしてきました。でもそれは流れ作業のように淡々としていて、自分でこれをやるという意識が全くありません。ただ事務的にこなす。そんな感じです。
自分が精霊術法で傷つけてしまった人達の事。そして、シャルトさんの事。その二つが私の頭の中を支配しています。
シャルトさんは今、病院に入院しています。あの晩、シャルトさんは私を浄禍八神格の一人、『断罪』の術式から守ろうとして大怪我を負ってしまいました。無理に結界をこじ開けたり、その前は一人で大勢の『風無』を相手にしたそうです。
病院に搬送されてからというもの、ずっと意識が戻らない状態だと私は聞かされました。命に別状はないそうですが、最後に会ったシャルトさんの弱々しくて今にもどうにかなってしまいそうな姿があまりに強く、私はどうしても悪いイメージしか思い浮かべられません。
自分が情けない。
他にたとえようがありませんでした。弱い自分を変えるつもりでいたのに、精霊術法が少し使えるようになったからといって安心していれば、余計辛辣な形で自分の弱さを見せ付けられます。やはり私は依然として弱い人間なのです。自分では何一つ出来ない、誰かにぶらさがってなければどうしようもない人間。
自己嫌悪が度を過ぎると、自分自身へ憎しみすら抱いてしまいます。私さえいなければ、こんな事にはならなかった。そればかりが頭を過ぎります。事実そうなのです。あの晩の一連の事件は、この私さえいなければ起こらなかった事なのですから。
怒りの矛先を自分に向け、刺す。
そんな自傷的な事ばかり私は繰り返していました。誰も私の罪を咎めないのならば、そうやって自分を苦しめなければ気が済まないのです。
本当に、死んでしまいたい……。
たとえ自分自身でも命を粗末にする事は絶対にしてはいけない事なのですが。どうしてもリアルな身の振り方の一つとして考えてしまいます。
と。
「リュネス、いるか?」
ホールの入り口が開き、そこからすらりと綺麗に伸びた長身が現れました。この凍姫の実力者の一人であるリーシェイさんです。
「はい、ここです」
私は手を上げて立ち上がると、リーシェイさんの元へ駆け寄りました。
リーシェイさんは手に一つの真っ赤な封筒を持っていました。よく見ると、その宛名には私の名前が書かれています。
「たった今、病院から連絡があった。今朝方、シャルトが一度目を覚ましたようだ」
えっ……?
私は思わず出かかった驚きの声を喉元で押し留めました。
シャルトさんが目を覚ました。
本来ならばとても喜ぶべき事なのですが。私はあまりそんな気持ちにはなれませんでした。シャルトさんがそうなってしまう原因を作ってしまったのは他ならぬ私なのです。それを考えるととても喜ぶ気にはなれず、ただ申し訳なさだけが込み上げてきます。
私は好きな人を傷つけてしまったのです。それをどうやって償えばいいのか、そもそも償って許されるものなのか。その疑問が大きな楔となって私の胸に深々と突き刺さります。突き刺さる苦しさはとても大きくて呼吸の自由すらも奪うほどです。何をすれば楔は抜けるのか。私はそれを考えませんでした。そうやって苦しんでいれば、多少は罪悪感が紛れるからです。
「今はまた眠りについたそうだが、容態は随分安定しているそうだ。面会謝絶も解けたことだから、見舞いにでも行ってこい。私達はこれから書類整理をせねばならん。ミシュアさんはいないからな」
「お見舞い、ですか……?」
「そうだ」
リーシェイさんはそのまま私の返事も聞かずに、『これで何か買え』と一方的にお金を渡しました。
「でも、私……」
シャルトさんと、今は顔を合わせたくない。
その言葉が喉を出かかっています。顔を合わせたくないから、代わりに行って下さい。けどリーシェイさんの眼差しは私の胸中を見透かしたかのようで、その言葉を口にさせない迫力がありました。何があってもお前が行け。私は酷く追い詰められた気持ちになります。
「リュネス。シャルトはな、目を覚ますなりお前の心配をしていたそうだぞ。お前が無事な姿を見せなければ、安心して養生も出来ん。いいからつべこべ言わずに行くのだ」
そうリーシェイさんは私の手を引いてホールの入り口へ向かわせます。私は足を引き摺るようにして引っ張られます。
シャルトさんが私の心配をしていた?
方便だ。
私はそう思いました。シャルトさんが大怪我をする原因を作った私を心配するはずがありません。みんなだってそれは分かっているはずです。なのに私を行かせようとするのは、きっとシャルトさんが私に何か言いたい事があるからだと思います。それは決して聞きやすいものではないと思います。むしろ身を切り裂かれるような罵詈雑言かもしれません。たとえどれだけ蔑まれ貶されても、私はそうなって当然の事をした訳なのですから、黙って聞き受け入れるしかありません。
でも、聞きたくない、というのが本音でした。
自分の好きな人にそんな事を言われるのは辛いだけです。もしかすると泣いてしまうかもしれません。そうなるくらいなら。何もかも嫌なことからは逃げ出したい気持ちに駆られます。何の解決にもならないけれど、私自身だけは悲しみから守る事が出来ますから……。
「お前の気持ちも分かる。だがな、お前は自分の気持ちしか分かっていない。自分の中に篭るな。その行為は、時に人を傷つける事もある」
しかし。
リーシェイさんの言葉は、そんな思慮の中から私を無理やり引き上げました。辛い事から目をそらさず、何もかもを受け入れた上で前に進む。言葉にするだけならば至極単純で簡単なそれを、リーシェイさんは私に強要します。それが全てにおいての最善策であると。まるで私の価値観そのものを書き換えてしまうかのように、私の考える他の選択肢全てを許しません。
「行ってこい。シャルトはお前に会いたがっているぞ」
渋々と私はうなづきます。
でも、やはりあまりその気にはなれません。シャルトさんに会うのが怖いのです。一体どんな事を言われてしまうのか。考えただけでも逃げ出したくなります。けれど、リーシェイさんは許してくれないでしょう。だから私はシャルトさんの元に向かうしか他ありません。
と。
「ふむ、立派な安産型だな」
むにゅ、とお尻をリーシェイさんに掴まれました。リーシェイさんの手はまるで遠慮する事無く、満遍なく手を這わせると形から弾力までを念入りに確かめてきます。
「ちょ、や、やめてください!」
私は慌てて手を振り解き、リーシェイさんから離れました。
「なんだ、そういう顔も出来るじゃないか」
リーシェイさんは口元に薄っすら笑みを浮かべます。私はどうしたらいいのか分からなくて、ただ狼狽した表情を返すだけです。
「総括部からお前宛に文が来たが。これは読まなくても分かるな?」
そしてリーシェイさんはあの赤い封筒を私に示しました。
多分、それは。暴走した後、浄禍に消されなくて正常化した人間に通告されるもの。そう私は直感的に思いました。バトルホリック、戦闘中毒者という意味です。
こくり、と私はうなづきます。するとリーシェイさんは封筒をびりびりと破いてしまいました。
「今は辛いかもしれないが、笑え。下手に落ち込めばかえって出口を見失うぞ。それに、悲観的になり過ぎると幸運を見逃す」
リーシェイさんが珍しく、にっこりと私に微笑みかけました。
でも、それは強い人だから言える理屈ではないのでしょうか……?
私は笑う事が出来ず、ただ重い足を引き摺ってホールを後にしました。
もう、どうでもいいのです。どうなろうと……。
ただ、起こる全ての事象を淡々と受け入れていく。それだけです。
TO BE CONTINUED...