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 自宅療養という事に相成ったが。それは事実上の、医学の限界に達し治療不可能な状態に陥った事の宣告である。
 正直、シャルトの症状は重い。長年に渡って常用させられてきた麻薬は、体から抜け禁断症状こそ起こらなくなったものの、その後遺症のため時折精神が不安定になる。筋力は相変わらずセーブ出来ず、また痛覚も欠落したままである。
 しかし、こいつは生きているし、強い。
 そんな絶望的な状態であるにも関わらず俺にそう思わせたのは、丁度シャルトが退院となり俺の案内で夜叉の宿舎に向かっている時だった。
「うわ……」
 企画的に四方へ伸び走る石畳。その左右を街路樹が慎ましく彩り、自然色に近い素材で立てられた建物が溶け込むように連なっている。そんな風景を歩く、人、人、人。日中という事もあり、前後左右どこを向いても両手の指では数え切れないほどの群集で溢れ返っている。
 シャルトは驚きに満ちた表情で唖然としながらその光景を見詰めている。これほど大勢の人間が歩いている所を見た事がないのか、それともこれだけ栄えた街を見たのは初めてなのか。反応からして、おそらくその両方だろう。田舎者が都会に出てきた場合、概して驚くのが人の多さと営みの大きさだ。
「ほら、ボーっとしてんなよ」
 キョロキョロと周囲を見回しているシャルトの頭をポンッと叩くと、俺は苦笑しながら目的地に向かって歩き始めた。俺が数歩ほど歩いた時、ようやく背後からシャルトが小走りで追いかけてきた。だがよほど珍しいのだろう、視線は相変わらず周囲を落ち着きなく泳いでいる。
「街は初めてか?」
 そう訊ねると、シャルトはこくこくと何度も首を縦に振った。まるで張子のオモチャである。不自然なほど表情に乏しいシャルトではあるが、こういう仕草がまだ大人になりきれていない未成熟さが感じられる。むしろ、十五歳という年齢よりもいささか下に見える。
 周囲を物珍しそうに落ち着きなく見回しているが、シャルトもかなり珍しい外見をしている。薄紅色の髪に瞳、その髪は背中を覆うほど長く、今は首の後ろでルテラが悪ふざけで用意した白いリボンで束ねている。本人が気に入っているかどうかはともかく、ルテラは気にいっているらしい。そんなシャルトの姿を、道行く人々は僅かなりとも目を留め振り返る。思わずそうしてしまう気持ちは良く分かる。北斗には様々な人種が住んでいるが、シャルトほど珍しい色素を持った人間はいないだろう。それにしても、注目されている事にまるで気づいていないシャルトも、意外と間が抜けている。
「そういや、まだちゃんと挨拶もしてなかったな。俺はレジェイドってんだ」
「僕は……シャルト」
 俺の溌剌とした声とは対照的に、シャルトは遠慮がちというか怯えてというか、この喧騒の中では聞き取るのがやっとというほどの小さな声で名前を端的に名乗った。まあ、まだこんなもんだろう。俺は短く息をつく。
 人間不信はコミュニケーションにとって最大の障害だ。一遍の信頼も置けない相手と係わり合いを持ちたい酔狂な人間などこの世に存在はしないだろう。シャルトにとっては大半の人間がそれに当てはまる。そのため口から放つ言葉は相手の問いに対する返答ぐらいの、必要最小限のものだ。出来る限り誰とも関わりたくないのだろう。どんなに強い人間でも、自分一人で生きていく事など不可能だ。どれだけ自分という存在が大勢の人間に支えられているのか、それを自覚するか否かで人間性と視野が大人と子供のそれに大別される。シャルトは明らかに後者のそれだ。しかし、たた単純な意地だけで突っ張ってる訳ではなく、そうなるまでの凄惨な過程があった。本来なら同情すべきなんだろうが、あいにく俺はそんな生温い感情は持ち合わせていない。辛い過去を経験しているからといって、今後も甘ったれ続けて良い理由にはならないからだ。こいつも十五歳なんだから、いい加減そろそろ大人になるための気構えを作るべきである。
 少しずつ、シャルトの心から拒絶の壁を取り除く事から始めよう。まずは手懐ける、という表現はいささか不適切だが、とにかくシャルトの信用を得なければたとえ何を言おうとも聞いてくれはしない。失敗や過ちを重ねる事で人間は学習し成長するが、その失策が致命的なものだったら洒落にならない。やはりきちんとした教えを与える人間という者は今も昔も必要不可欠な存在である。
「レジェイドは何をやってる人?」
 またもや小さく聞き取り辛い声だったが、そうシャルトは問い掛けてきた。
 お、と俺は肩眉を上げた。今までシャルトとは、こちらが質問する事で会話を一方的に成立させていたのだが、今回はシャルトの方から俺に話し掛けてきた。どうやら俺は圧倒的に拒絶されるその他大勢ではないようである。声が小さいのはただの恥ずかしがり屋だからか?
「ああ。お前、北斗って知ってるか?」
「確か……この国で一番強い戦闘集団」
 その通り、と俺は笑みを浮かべる。さすがにどんな田舎者でも、この『北斗』という名前ぐらいは聞いた事があるようだ。
 北斗はヨツンヘイム最強の戦闘集団。その数と規模もさることながら、一人一人の戦闘能力も群を抜いている。この北斗を相手にする事は、それこそ死神を自ら迎えに行くようなものだ。北斗に喧嘩を売って無事だった戦闘集団など、未だかつて歴史上存在していない。それほどの強さを持っているからこそ、これだけの規模を持った街を作り維持していく事が可能なのである。
「俺はその北斗にある十二流派の一つ、『夜叉』の頭目なのさ。早い話、北斗でも最低十二本の指に数えられる実力者ってことよ」
 ふうん、とシャルトは分かっているのかいないのか曖昧な相槌を打った。しかしその目は称賛と尊敬の色に満ちている。レジェイドの地位というものがどれほどのものなのか理解はしていないが、とにかく凄い人間である事だけは伝わったようだ。
「主な仕事としては。まあ、この街も『北斗』っていうんだが、北斗の防衛とか総括部に命令された任務をこなすとか、そんなとこだな」
 うんうん、と無言でうなづきながら熱心に聞き入るシャルト。しかし、ほとんど言ってる事は理解していないだろう。まあ、その辺りは追々教えていくことにしよう。俺も最初は分からない事だらけだったんだし。
 それからしばらく、俺達は特にこれといって言葉も交わさず歩き続けた。元々男同士ってのはそれほどかしましく話すものではないが。それ以前に、子供にも通じるような話題のレパートリーを俺は持ち合わせていない。どうやって話を切り出せば会話が成り立つのか、子供と関わる機会がこれまでなかっただけに皆目見当もつかない。
 病院が並立する大通りから東区の通りに抜ける。俺の所属する流派『夜叉』の本部や宿舎がある地区だ。
 さて、今後のこいつについてだが。
 先日は根拠のない自信を持って、シャルトを治す、などと公言してはみたものの。正直、その方法は具体的にどうすればいいのかなんてまるで分からない。愛情を注ぐだの、そんな精神論だけで何とかなるような状況ではない事は重々承知している。シャルトの容態は恐ろしく深刻なのだ。こいつを初めて見た時は、このまま引き取って夜叉でシゴいてやればかなりのモノになるな、ぐらいにしか考えていなかった。しかし思っていたよりシャルトの症状はずっと重い。このままでは夜叉の一員として鍛えてやるどころか、家の中に軟禁しなくてはいけないような事になるかもしれない。
 それじゃあ、本末転倒じゃねえか。
 麻薬漬けになった体も、ベッドの上でうだうだやってるよりも思い切り体を動かせばすぐに治る。しかし、今のシャルトは体を動かす事自体が危険なのだ。セーブの利かない筋肉は容易に体を破壊する。おまけに痛覚が欠落しているから、自分の体の状態が分からないと来ている。最低限、それらが治らなければ鍛え上げる事は難しい。いや、むしろ自殺行為だ。
 それでもやるのか?
 その自問に、俺は首を横に振る事は出来なかった。体を動かすのが危険だとは言ったが、まるで手がない訳でもない。しかも鍛え方次第ではそんな体のコントロールがつけられるようにする事だって出来るはずなのだ。
 シャルトを北斗に関わらせるのは、容態を考えればあまり好ましくはないが。せめて日常に復帰できるぐらいまでにはしてやらなければ。と、なれば。後は本人の意思次第なんだが……。そこが一番の問題だ。鍛える事で可能性は開かれるが、本人の意思とそぐわなければ僅かな可能性もゼロになってしまう。ただ作業的に体を動かすだけでは、徒に疲れるだけで少しも身につかない。意思は何よりも重要な要素だが、自閉症になりかけているシャルトにそれはとても望めそうもない。一体どうしたものやら。まだルテラと相談を重ねなければならないようである。
 ―――と。
「僕も……いいかな?」
 ふとその時、シャルトが急に口を開いた。
「ん? 何がだ?」
「僕も、強くなりたい」
 相変わらずのハスキーボイスではあったけれど、意志の強さが表に出ているのかはっきりと胸に響いてくる口調だ。
 僕も強くなりたい。それはつまり、自分も俺のように強くなりたいという事なのだろうか? 俺はうっと飛び出した声を飲み込み思慮を巡らす。
 こいつは強くなろうとしているのか? それは何のため? 二度とあんな思いをしないためか? 自分を守るため? 自分で自分の道を切り開くため? 何にせよ、今の言葉が本当に自分の意思から来るものであったのなら、シャルトには行動する意欲があるという事になる。
 たったその一言で、俺は自分の迷いが両断されたのを自覚した。そうだ、俺がうだうだ考えても仕方がない。要はシャルトの意思が大切なのだ。どんな確率論も、意思の力というものは容易に覆してしまう。たとえ医者が無理だと言っても、本人の意思が奇跡を生み出す事なんてざらにあるのだ。
「分かった。じゃあお前を北斗に入れてやるかな」
 そう俺は冗談っぽく笑いながらシャルトの頭をぽんぽんと叩いた。するとシャルトはややムッとしながら上目遣いに睨みつけてきた。
 シャルトは俺が思っていたよりもヤワじゃないのかもしれない。いつまでも自分の殻に閉じ篭っていると思っていたのは、俺達大人の勝手な解釈だったのだ。こんな辛い目に遭ったのだから、もう二度と立ち直れないほど傷ついてしまっている。けれど本当は想像もつかない力強さで立ち直り、これから先の事をシャルトは自分なりに考えているのだ。
 子供だからと決め付けるのは良くない。子供は大人達が思った以上に強く、そして成長していく存在だったのだ。それにこいつは丁度大人と子供の境目辺りに来ている。それをちゃんと理解し、いつまでも子供の部類に押し込めておくのは良くない。これからは、やや、大人の男として見てやるべきだな。まあその前に、この男だか女だか分からない頭の方をなんとかしなくてはならないが。
「僕でも強くなれるかな?」
「なれるさ。二番目ぐらいには」
 するとシャルトは、あれ、と首を傾げた。
「どうして二番目?」
 不思議そうに問い返すシャルトに、俺は胸を張って答えた。
「一番は俺の定位置だからさ」



TO BE CONTINUED...