BACK
戦場が近い。
走り続けるルテラは焦燥感に背中を押されるがまま、ひたすら駆けて行く。
頭の中は、白鳳の部隊に一人で向かっていったシャルトの事で一杯だった。ルテラに与えられた情報は、シャルトが一人で凍姫の元へ向かっていったという事、そしてその方角には中立に徹している流派『白鳳』が待機している事、これら二つだ。それがそのまま、シャルトのその無謀な行動に直結するとは必ずしも言い切れないのだが、否定する要素も無い以上は気が動転しているルテラには他の発想をする事が出来なかった。
ルテラは、自分は誰よりもシャルトの考える事を理解出来る、という自負があった。
元々、直情型で明解な考え方のシャルトの行動は少しでも知っている者であれば誰でも容易に推測がつく。しかしルテラの自負する所は別にあり、もしもシャルトがこういう状況に陥ったならばどういう行動に出るのか、本人の立場になって推測出来るほど理解がある、というものだ。自負はあくまで自負でしかなく、実際はそう思い込んでいるだけの部分も少なくは無いのだが、シャルトの親類の中で理解が深い方の人物であるという事は確かだ。
ルテラはこうシャルトの考えている事を推測していた。
凍姫は何者かによって操られている。そんな中にいるリュネスを放っておけない。だから助けに行く。
そして、シャルトはあまり大局を見ない、とも推測した。頭の中がリュネスの事で一杯だから、細かな戦術を立てる事やルートの迂回なんて考えられるはずが無い。直線距離を向かえば必ず白鳳とぶつかる。よって、シャルトは単身白鳳に向かっていったものと推測出来るのだ。
急がなければ。
シャルトは今、精霊術法は封印されているため術式を使うことは出来ない。従って戦闘手段は兄のレジェイドに教えられた格闘技だけだ。
概して格闘技は集団戦には向いていない。一点集中の破壊力は時に武器や術式を遥かに凌駕するものの、二人以上を相手にするにはどうしてもリーチや一度に攻撃出来る範囲に不備が否めない。更に流派『白鳳』は格闘技に特化した流派だ。歴史の長い完成された武術と、彼ら独自の技術である『気』を用いた戦闘術は攻防共に全く死角は存在しない。そんな格闘技集団に、同じく格闘技しか使えないシャルトが一人で立ち向かうなんて、どう考えても正気の沙汰ではない。
レジェイドは何の問題も無い、と自信を持って答えた。それはシャルトの実力が、これらの不利を物ともしないほど優れているというからである。ルテラにはその根拠が信用できなかった。現実的に有り得ないからである。ましてシャルトはまだ北斗として戦い始めて日も浅い。鳥に例えるなら、ようやく巣を一人で立った程度だ。だからこそ、一秒でも早く自分が加勢する事でシャルトを離脱させなければいけない。せっかく拾った命なのだ、それが手遅れになる前に。
規格化された大通りから裏道へと入り、目的地へ限りなく直線距離で向かう。石畳を蹴る力が弱く、まるで思ったほど前に進む事が出来ない。北斗に直接関わってからそれなりの年数が経ち、習得した精霊術法は大概の使い方が出来ると思っていた。しかしこんな時に限って自らの欠点が一つ露呈してしまった。意外にも術式は、腕で体現化するならともかく、足のような繊細な作業の出来ない部位で体現化すると、描いたイメージ通りの術式にならなかった。術式を使えば肉体能力よりも遥かに速く移動する事が可能だが、この不完全な術式ではせいぜいベター止まりである。
もう少し足が速ければ。
普段はそれほど不便に感じない自分の身体能力も、この時ばかりは痛くもどかしく思えてならなかった。もっと普段から足を鍛えておけば。そんな愚にも付かない後悔すら覚えてしまう。
とにかく今は最短ルートで白鳳との衝突地点に向かわなければ。そしてシャルトを力ずくでも退かせる。
シャルトは死んではならない。今、シャルトにもしもの事があれば悲しむ人間が一人増えたから。
だが、そう気負う傍らで冷静な判断部分が、自分の実力と白鳳の戦力との差を明確に提示している。とても明るい要素が見当たらない絶望的な内容だ。これをどこまで精神力でカバー出来るかが勝負の分かれ目になる。精霊術法の威力は術者の精神力で決まる。抜け殻のようになるほど力を出し切れば、現実の暗い闇にも少しは明るい光が見えてくるはずだ。
「ッ!?」
一秒一呼吸すら惜しんで走っていたルテラだったが、その前方に突然、一人の影が立ち塞がった。
すぐさま足を止め、前方に立ちはだかったその影をじっくりと凝視する。
丁度、年齢は自分よりも僅かに下だろう。すらりと伸びた背丈は無駄な肉付きがなく、ほっそりとしていながらも決して弱々しい訳ではない。腰には二振りの剣を差している。見た目にも飾り気も無い鉄鞘だが、彼の持つ雰囲気が地味さを感じさせない。
「エス……」
ぽつりと、溜息混じりにつぶやくルテラ。
目の前に立つ青年は普段と何ら変わりのない、穏やかで温厚そうな微笑を浮べていた。しかし、この異常な状況がそうさせるのか、それとも作り出したのが他ならぬ彼であるからなのか、かえってその変わりない表情の中にこそ異常性、狂気が見え隠れした。 ルテラの表情が徐々に複雑なものになる。
かつてルテラはこの青年を目的を等しくしていた同志だった。守星という北斗で最も危険でありながら見合った対価の与えられない役職に進んで就き、日々群がる他戦闘集団から真っ先に戦った。戦闘中、背中を預けたのも一度や二度ではない。戦場では本当に信頼できる人間にしかそんな事は出来ない。従って彼は自身の信用の範疇に居るものだと信じていたのだが。それが突然、一夜を挟んで一変し、北斗にとって最も重大な罪である裏切り行為を、北斗の半分を引き連れて行ってしまった。
彼が生み出したのは、昨日まで信用で繋がっていた北斗同士が戦い合う悪夢のような戦場だ。自分の身内である人間がこれほど凄惨な戦場を作り出したにも関わらずまるで平然としている姿を見て、怒るべきか悲しむべきか、感情の判断に困ったためである。
「残念です。あなたは僕の味方をしてくれないのですね」
エスタシアは息を吐いたのかどうかも分からないほど小さな溜息をついた。
その仕草が、ルテラの判断を決定付ける。今は怒るべきだ、と。
「ふざけないで! こんな事をして一体何になるの!? あなたのせいでどれだけの人が死んだと思ってるの!」
苛立だしげに、走った事で乱れた前髪をかきあげながら、そうルテラは叫ぶように答えた。
語気を荒げるのはルテラにしては非常に珍しい仕草だ。そのためだろうか、僅かにエスタシアの眉尻が驚いたように持ち上がった。
何にせよ、エスタシアの表情は酷く感情の起伏を感じさせなかった。水面に浮かぶ羽毛のように、ただ微笑みを浮べ続けるだけである。
エスタシアの笑顔に、ふとルテラは故人の顔を思い出してしまった。彼もまたいつも何を考えているのか分からない笑顔を浮べていた。しかしエスタシアのそれは彼とは全く性質が異なる。
「今、北斗を変えなければもっと多くの人間が死ぬ事になるのです。だからこそ、新しい北斗が必要なのです。彼らの尊い犠牲は、新しい基盤となってくれるでしょう。僅かな犠牲で大衆を救うのですよ」
「人が死ぬ事に抵抗はないの? あなたの知っている人だって何人死んだのか分からないのよ? あなたは革命を起こしているつもりかもしれないけれど、あなたを信じて死んでいった人もみんな一様に犠牲という言葉だけで片付けるの?」
「本当は、犠牲という表現は正しくない。たとえ死ぬ事になろうとも北斗を守るためならば。皆、その一念で僕についてきてくれているのですよ。ルテラさんの思い描く北斗の体制と何か相違ありますか? あなたが僕のしている事を徒に人を死なせる行為というならば、北斗の存在そのものが人の命を貪る怪物だ。北斗というヨツンヘイム最強の怪物は、人の血なくしては生きていけないのです」
北斗が一個体の生物である、という比喩表現はあながち遠くはない。
システムの完成された組織というものは、まるで人間のように如何なる事態にも適切に対応する事が出来る。異物の混入に対する反応、環境の変化に対する適応、より良い性能を求める自己改善等等。上から末端にまでスムーズに流れる命令系統と、的確な命令を出す首脳、それを速やかに実行する力を持つ十二衆。これら三要素を持ち合わせていたからこそ、北斗の繁栄は今日まで続いたと言っても過言ではない。
北斗ほどの戦闘能力を持つ戦闘集団は他にも存在はする。しかし命令系統や指揮系統の不備により、実戦ではほとんど実力を発揮することが出来ず、また組織的な維持もままならずに内部崩壊してしまっている。北斗の最強は、単純な戦闘能力によって謳われたものではない。最強とは持続する力の事だ。
「今からでも遅くありません。考えを改め、僕と来て頂けませんか? 貴女の力を反故にするのは実に惜しいのです。僕と共に新しい北斗を生み出しましょう」
エスタシアはゆっくりとルテラに近づくと、そっと右手を差し伸べる。
軍門に下る事を強要しているのではなく、あくまで同等の存在、同志としての誘いだ。
しかし、
「もう沢山よ。聞きたくは無いわ。私はあなたをただの反乱者として排除するだけよ。北斗の人間として」
犠牲と生産性の理屈は聞きたくは無い。
ルテラはこれ以上無い拒絶の言葉を言い放つと、その手を乱暴に払って後ろへ後退った。
怒りの感情を極力抑えて思考を刃のように冷たく研ぎ澄ます。体を半身に構え、頭の中にこんこんと降り積もる白雪のイメージを描く。それが降り積もるに連れて、思考が日常から戦闘のものへと切り替わっていくのを強く感じた。
北斗が無政府国で長い繁栄を続けてきたのは、徹底した現実主義で何事も判断を下して来たからだ。考慮するのは要因と結果のみ。不穏分子は徹底的に排除する。更生の見込み等はまるで考慮したりはしない。たとえ更生したとしても、人一人の貢献などたかが知れている。ならば再犯の不安を消してしまった方が遥かに基盤は揺るがない。反乱者の排除はその理論から成り立っている。
「あなたも……兄さんと同じか」
溜息。
今度の溜息は先ほどとは打って変わって非常に重苦しいものだった。同時にエスタシアの表情からは微笑みは消え失せ、同時に憎悪にも似た苦味が深く走った。
不意にエスタシアの姿がルテラの目の前から消える。
次の瞬間、ほんの目の前から凄まじい殺気が襲い掛かった。
「くっ!」
すかさず障壁を展開するルテラ。そこに、左右から挟むようにエスタシアの双剣が襲い掛かった。
剣の刃はぎりぎりと音を立てて障壁に食い込む。後少し反応が遅れていたならば、おそらく未完成なままの障壁ごと双剣に首を落とされていただろう。
速い……!
ルテラの額から汗が一筋、頬を伝い流れ落ちる。
かつては文武に天才的な才知を発揮し神童と謳われたエスタシア。味方ではこれほど頼もしい存在はなかったかもしれない。しかし、今の彼はただの反逆者にしか過ぎない。それにここでエスタシアを落とせば、首謀者を失った反乱軍は自然と消滅し鎮圧する事が出来る。
シャルトの事も気になるが、どちらにせよエスタシアとの戦いは避けられない。
迅速に倒す。
そう覚悟を決めると、同時に思考の目先が決まった。
「貴女は僕の敵だ。ならば北斗のために、ここで消えていただく」
「……やってみなさい!」
TO BE CONTINUED...