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 まるで閃光のような二本の太刀筋が、息つく暇も無く次々と浴びせかけられる。
「よっ、おっと」
 変幻自在に襲い掛かるその太刀を、レジェイドはその大剣で危なげなく受け流している。武器の性質のためか、先ほどからレジェイドの防戦一方だったのだが表情には余裕があり、むしろ烈火の如く攻めたてている青年の方が非常に厳しい様子だ。しかし、ぎりっと奥歯を噛んで終始レジェイドを睨みつけるその尋常ではない敵意に満ちた表情は、一向に和らぐ気配が見当たらない。いかにも温厚そうな好青年然とした容姿とは裏腹に、実に激しい感情を持ち合わせているようである。
「なあ、よう。俺、なんかしたか?」
 襲い掛かる双剣を捌きながら、レジェイドは半ば呆れたような口調でそう訊ねる。
 何の接点も無い人間にこれほどの恨まれた経験は、これまでのレジェイドの人生の中には一度もなかった。北斗という仕事柄、人から恨まれることは数知れなかった。そこにはあくまで接点という一つの法則性がある。大概はかつて自分が職務の中で手をかけた人間の身内や親類といったところだ。しかし、今レジェイドが敵意を向けられているのは、流派『悲竜』の頭目、ファーシアス。彼とは定例議会で顔を会わせるぐらいの間柄で、特に私情などを持ち込んだ事は無かった。無論、ファーシアスの身内と過去に何らかの接点を持った訳でもない。なのに何故、これほど露骨な敵意をぶつけられなければならないのか。お互いの立場を考えれば、むしろ北斗を裏切った彼ではなく裏切られたレジェイドの方が敵意をぶつける側だ。
 身に覚えがないのならば仕方が無いとしても、一言ぐらい説明があっても良さそうなものを。
 だが、ひとたびレジェイドが問い訊ねようとすると、
「何をのんきな事を言っている!」
 ファーシアスの双剣がすぐさま雷鳴のように襲い掛かる。交差して襲い掛かる二つの剣閃は、レジェイドの喉元目掛けて正確に放たれていた。だがレジェイドは冷静にその交差点を見切ると、大剣を縦に構えて受け止めた。ファーシアスの怒りに燃えた視線がひしひしと伝わってくる距離ではあったが、どこか緊張感よりも溜息が先行しそうだった。
 これほどまで温度差のある戦いも、今まで一度も経験した事が無い。
 本気で戦うには何かしらの理由が必要である。無論、ファーシアスは北斗に反逆を行った人間であるため、十分戦うに値する相手である。だが今は、それとは別の何か個人的な理由を持って相対しているように窺える。それをはっきりさせなくては、どうにも晴れやかな気分にはなれないのである。
「元々、貴様のように思慮の足らない人間は、あの方の下には相応しくなかったのだ!」
 ファーシアスは剣を引くとすかさずレジェイドの剣を踏み台にして自らの体を後方へ大きく蹴り上げた。くるっと一度宙返りして姿勢を正し着地すると、すぐさま手にした二刀を頭上に抱え上げ中程の位置で交差させた。すると太陽の光を反射した剣身の輝きが、淡いオレンジから青白い光に変わっていく。
 あの方。
 今、確かにファーシアスはそう口にした。
 もしもファーシアスが差す人物があいつであるならば。何故、ファーシアスが自分をこれほど憎んでいるのか大方の理由が推測出来る。
 なるほどな、とレジェイドは溜息混じりにつぶやいた。
 確かあいつの後釜に座ったヤツは、頭目を勤めていた当時から随分と崇拝していたと聞いていた。自分の戦闘スタイルをわざわざ同じ双剣にしてしまうぐらいだ。あいつからの誘いを一方的に御破算にしてしまった俺を毛嫌いするのは、とても考えられないという程の事じゃない。もっとも、それでも十分異常だと呼ぶに足りるのだが。
「消えろッ!」
 憎悪に満ちた叫び声と共に、構えられた二本の剣が鋭く前方に振り下ろされた。剣の間合いからは遥かに離れた両者の距離。しかしファーシアスの剣からは同時に青白くもやついたエネルギーが放たれ、そのまままっすぐレジェイドに向かっていった。
 放たれたエネルギーは、あいまいなシルエットから徐々に形を変えてはっきりとした姿に形成されていく。やがてエネルギーが形取ったのは一匹の和竜だった。
 流派『悲竜』の戦闘スタイル特徴は二つ、一つは様々な武器をつがいで用いること、一つはその武術に精霊術法を組み合わせている事だ。
 二振りの武器を自在に扱うのは非常に高度な技術を要し、武術だけでも習得には困難を極めた。更に術式を組み合わせる独自のスタイルは、極めるには単純に武術と精霊術法を別々に習得するよりも時間と労力が必要である。二つのファクターが完全に混ざり合うことで全く新しい分野を開拓したのだ。そもそも一概に、組み合わせ、という言葉で表現する事自体が不適切なのである。
「おっと」
 咄嗟にレジェイドは構えを防御から回避に切り替えると、十分に余裕を持って体を半身ずらし、和竜の牙をかわす。
 目標を失った和竜はそのまま石畳の上に牙を突きたてた。激しい爆風が四方に飛び、砕け散った細かな石畳の破片を撒き散らす。
 素直にレジェイドは、流派『悲竜』の戦闘スタイルは夜叉以上に完成されている、と感じた。夜叉の戦闘スタイルは白兵戦の近接戦のみに集約されている。精霊術法を使わない以上、それは必然となる流れなのだが。しかし悲竜は近接戦は元より、距離を取っても同等以上の戦闘力を発揮する。さらには術式を駆使する事で、通常ならば有り得ない戦術のパターンもあるだろう。分岐幅の多さは戦術を組み立てる上で一番の強みだ。
 しかし、それはあくまで自分と同レベルの相手に対する机上の考察。戦闘の勝敗はそれだけで決まるほど安直な性質である訳はない。
「逃がさん!」
 ファーシアスは続けて双剣を十文字に振るった。すると剣の通過した中空に、白い光の十字架がくっきりと浮かび上がった。まるでファーシアスの双剣が空間を切り裂いたかのような光景である。
「彼の地より這い出て食らえ、屠竜!」
 そしてファーシアスは術式のイメージを作るための定型句を詠むと、双剣を胸の前で十字に構え、その切っ先を同時に浮かんだ十字架の中心へ突き入れた。
『ガアアアアアッ!』
 すると、光の十字架は中心から僅かに外へ広がったかと思うと、その間からまるで稲妻のような凄まじい咆哮を上げて一体の白い光の竜が十字架を押し広げるように飛び出してきた。
 見た目こそはどこか異空間の類から異形の生物を召還したかのように見えたが、実際は全て精霊術法によって作り出されたイメージの体現化である。精霊術法は何よりイメージを最も重視しており、明確さや具体化の水準で威力が決定する。そのため精霊術法は魔術以上に形式というものに縛られる結果となった。ある一定の、本来ならば何の必要性もない儀式を行わなければイメージに感情レベルの不安が起こり、期待した威力を発揮させる事が出来ないのである。ファーシアスの術式もまた、そのご多分に漏れる事は無かった。
 白い光の竜は、その色素の無い体をいかにも獰猛そうに屈伸させ、何度も石畳を震わすような激しい咆哮を上げる。仮初とは言え人間ではない種族の持つ独特の威圧感は、普段人間ばかりを相手にしているレジェイドにとっては俄かに受け入れ難いものだった。
「『彼の者を討ち滅ぼせ』!」
 ファーシアスの命令を受け、光の竜はじろりとレジェイドの方を睨みつけた。全てファーシアスの作り出したイメージの産物である事は理解しているのだが、レジェイドはまるで本物の生物を相手にしているような気持ちにさせられた。あれほど生き生きとした姿を目の当たりにさせられては、この光の竜はファーシアスの命を受けて自らの意思で動いているものとついつい思ってしまう。さすがは同じ頭目クラスの術式、そうレジェイドは感嘆せずにはいられなかった。
 光の竜はそのまま真っ直ぐ天を目指して昇っていった。そこで十分な高度を得られた事を確認すると、眼下のレジェイドの位置をもう一度じろりと睨みつけて捕捉し、そのまま一直線に急降下していった。同時にファーシアスが双剣を下段に構えて突進してくる。
 遥か上空から人間の構造的な死角を狙う攻撃と、真正面から仕掛ける直線的な攻撃。丁度、その交点に立たされたレジェイドは自分が迂闊に動く事が出来ない状況に置かれた事を理解する。上を迎え撃てば前から斬られ、前を迎え撃てば上から喰われる。同時に迎え撃つ事は、相手の技量的に不可能である。
 さて、どうしたものか。
 正眼に構えた剣を見つめながら、レジェイドは思考を巡らせた。
 とてもそんな悠長にしていられるような状況では無いのだが。死線を何度も剣と渡り歩いてきたレジェイドにとっては、こういった状況はそれほど珍しくはなかった。つまり、表面上は焦りつつも実際は自らの危機を楽しんでいるのである。
 恐れを無くしたければ、まずは楽しむ事だ。
 かつてレジェイドが流派『夜叉』に入ったばかりの頃、先代頭目から一番最初に教えられた言葉が嫌というほど体に染み付いている。今一度それを反復し、視線を剣身から前方へ。
「なっ……っ!?」
 レジェイドに向かって突進していたファーシアスの表情が驚愕に凍りつく。
 これまで一度たりとも破られた事の無い完璧な戦術に陥っているにもかかわらず、レジェイドは口元を軽く綻ばせて笑っていたのである。
 自分は彼を追い詰めているのではないのか。
 ふと、そんな疑問が生じ、これ以上の接近を躊躇わせる。
 まさか、あるはずがない。
 ファーシアスは己の不安を意志の力で断ち切り、より強く足を前へ踏み出した。自分の技は完璧だ。自分の力はあの人の力。あの人が彼に劣るはずが無い。
 ファーシアスの自信は、自分の剣と術式が自らで定めた限界に達したからではなく、彼が心酔する人間に水準を認められた事にあった。視野は自分よりもその人の方が広い。そんなその人に認められたのだから、自己満足の水準とは比べ物にならないほど高い。これがファーシアスの自信を作り出している事実である。
 唸り声を上げて光の竜がレジェイドのすぐ頭上まで迫り来た。しかしレジェイドは相変わらず剣を構えたままで、ぴくりとも動こうとしない。表情もまた依然として不敵な笑みを浮べたままだ。
 双剣に斬り捨てられるのか、竜の餌食となるのか、好きな方を選択すればいい。
 もはや、多少じたばたした程度でどうこうできる状況ではない。そう、彼は受け入れたのだ。あの笑いは最後の見栄なのだろう。
 ファーシアスは自らの勝利を確信しながら双剣を頭上に振り上げて十字に構えた。
 どうせなら、自ら直接手を下したい。その思いがファーシアスを加速させた。
 そして、それは次の刹那に起こった。
 双剣を振り上げた瞬間、ファーシアスの視界からレジェイドが忽然と姿を消した。後に残っているのは、石畳に入った蜘蛛の巣状の亀裂だけ。
 あ、とファーシアスが短く詰まった声を出したか否か。その時既にレジェイドの姿は残身の構えでファーシアスの背後にあった。
 すかさずファーシアスは足を止めてレジェイドに向き直ろうとする。しかし、予想外に足に力が入らず、体が酷くよろめいた。
「く……おのれ……っ!」
「ちょっと考えればすぐ分かる選択だぜ? 犬死にと同士討ちと、どちらがより北斗らしいかなんて」
 にやりと笑うレジェイドをファーシアスは力を振り絞るようにして睨みつける。だが体はよろめき、もはや直立すらままならないほど弱りきっている。しかしそれでも双剣を離さず、下段に構える。
「自分の意思で物事を判断し、決められないようなヤツが俺に勝てるかよ。お前はうちの坊やにも劣るぜ」
 遥か上空から急降下してくる光の竜が、先ほどまでレジェイドが立っていた地点のすぐそばまで迫って来た。竜の放つ光が二人の足元を淡く照らし出す。
「じゃあな。悪いが、この北斗からは反逆者は消えてもらう決まりだ」
 おもむろに近づいたレジェイドは、どんっ、とファーシアスの体を突き飛ばした。
 立っているだけでもやっとのファーシアスは思わず後ろへ一歩二歩とよろめく。
 そこへ、ようやく着地の瞬間を迎えた光の竜が牙を剥く。



TO BE CONTINUED...