BACK
夕刻。
日中、天上で優雅な光を燦々と放ちながら煌びやかに構えていた太陽が、ゆっくりと西の果てにその身を沈めていく。
オレンジ色に焦げた光は、もう間もなく暗い夜が来ようとしているにも関わらず依然として賑わいの尽きない北斗の街へ、己を誇示するような激しい光を放っていた昼間とは打って変わり、差し出すような謙虚さを持って柔らかく降り注いでいる。
北斗は決して眠らない街だ。視界を覆い隠し生物から体温を奪う恐ろしい夜の存在も、人類は文明の理を持って退け、その闇すら己のテリトリーに置き演出として楽しむまでに至った。それは北斗も例外ではなく、本来は休眠に入るはずの夜を住処とする昼間とは違う種類の賑わいが、この時間帯は昼間と擦れ違うように徐々に芽吹き始める。
少しずつ夜の賑わいを見せ始める繁華街。
分流が本流に混じり大きさを増すように、通りを行き交う人の姿が見る間に増えていく。
その賑やかさから一線を隔した裏路地。近隣の人間も避けて通りそうなこの薄暗い道を、一人の青年が歩いていた。
守星、エスタシアだった。
腰の背中側にはそれぞれ二振りの黒鞘に収められた剣を携えている。エスタシアは昨晩から守星としての業務である巡回を行っていたのだが、つい先ほど定時を迎えてシフトしたばかりだった。人気の少ない裏路地を歩いているのは、業務外で剣を持つ姿をあまり人目にさらしたくないという本人の意向からだった。剣を携帯する事に関して、正当な理由が認められれば特に禁止はされていない。この場合も、エスタシアが先ほどまで守星の業務に就いていたためという正当な理由がある。だがエスタシアは、一般人の中に武装した人間が溶け込むことをあまり好ましく思わなかった。武力と通常の生活とは、この北斗では密接した関係でありながらも水と油のように区別されるべきものと考えているからだ。守星はそんなエスタシアの考えとは対極に位置する、武装した人間が一般人と交わる業務だ。効率性を考えればこれ以上の確実で現実的な案は無く、エスタシアは北斗を守るためだと割り切って従事してきた。それでも、出来る限り武力を一般人にとって身近なものにはしたくない意向は変わらなかった。せめて、武装した人間を見かける機会だけでも減らせば。今、現実的に彼が実践できるのはたったそれだけだった。
その抑圧はきっかけではなく、ただの推進剤にしか過ぎなかった。彼の展望は、彼の目が国外へ向き始めた頃に広がり、そして成長を始めたのだから。
突然、エスタシアは足を止めるとゆっくり周囲に注意を張り巡らせた。戦闘時の見えない敵の殺気を辿るそれとは違い、周囲に誰も居ない事を確かめる探り入れのようなものだった。
「あなたですか」
そして、静かに中空に向かって語りかける。すると、
『いよいよ始めるのですね』
周囲にはエスタシア本人以外の気配は感じられなかったが、どこからともなく女性の声が聞こえてきた。それは空から降ってくるようにも、はたまた地の底から響いてくるようでもあった。
「ええ。残るは北斗十二衆、これを叩きます」
答えながらエスタシアは再び足を進める。
表情は至極穏やかで普段と何ら変わらず、ただその見えない相手が異質ではなく日常の一部として捉えている素振りだ。
『夜叉の方は如何でしたか?』
「あなたの視た通りです。レジェイドさんは敵に回りました」
困ったものです、と言わんばかりに軽く肩をすくめ微苦笑する。姿も気配も無い彼女もまた、エスタシアと同じ素振りをしたように思えた。
『現在の所は当初の予定範囲内ですね。計画は問題なく期日に実行へ移す事が出来るでしょう。ところで、神器の扱いはいかがですか?』
「問題ありません。風無の一件では期待通りの試験結果を収める事が出来ましたからね。全て予定通りと言えます」
『風無には、こちらの計画を察知される可能性もありましたからね』
邪魔者を消すことと実戦データの獲得を同時に得られる。彼女の言葉はそう暗に仄めかしていた。エスタシアは僅かに口元へ不快感を見せた。それは彼女の言葉にではなく、彼女の言葉通りの行動を自分が行った事に対しての感情だった。即ち、自己嫌悪である。
『それよりも、一つ気になる事があります』
「なんでしょうか?」
『ここ最近の事ですが、北斗に所属不明の術者が現れました。所見では、流れ着いた犯罪者の類と考えておりましたが、調べたところ守星と同等以上の実力を持っており、しかも行動の目的が極めて不明瞭です』
「と、言いますと?」
『守星の先手を回り、外敵を次々と討っています。素性は未だ掴めていません。目的も一切不明です』
正体不明の人間。
本来ならば、慎重を期すエスタシアの計画にとって正体不明という不明確なものは、正体を確認出来れば臨機応変に適切な対処をし、出来なければ予想外の影響を及ぼさぬよう取り除かなければならない。計画そのものが最終段階まで押し迫ったこの時期に、イレギュラーの存在は予定を狂わせかねない深刻なものとなる。にもかかわらず、エスタシアは悠然と構えた表情を崩す事は無かった。
「おそらく、サインでしょう」
『サイン?』
ぽつりと答えるエスタシア。その口調に、姿の見えない女性の声が微かに訝しがる。
「僕に対するサインですよ。自分の存在を知らせるための」
そう、エスタシアは不敵な笑みを浮べた。
大半の人間にとってそれは、やがて忘れてしまう日常の一部、瑣末事でしかない。だがエスタシアだけには、それが単体で意味を持ち必然として起こり得た事象であった。
姿の見えぬ女性は、そう感じ、そして静かに消えた。
TO BE CONTINUED...