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 ああ、もう……。
 うるさい!
 とにかくうるさい!
 一言多いんだよ、いつも!
 けど。
 うるさく感じるのは、的を射た指摘をされるからで。
 それでもやっぱり、うるさいものはうるさい!




「ほ〜う」
 ニヤニヤと、さも面白いものでも見つけたかのような憎たらしい笑みを浮かべ、レジェイドは俺の顔を見る。
「なんだよ……」
「いや、ちょっと嬉しくてね」
 北斗十二衆の一つ、『夜叉』。その訓練所は、俺の宿舎から歩いて十数分ほどの距離にある。そこで俺は、日々訓練に勤しんでいる。まだ俺は新人の位置付けなので、滅多に仕事が来る事はない。年の大半をこの訓練所で過ごすと言っても過言ではないだろう。北斗の役割の中枢は街の治安維持だが、それだけでは経済が機能しないため、時折傭兵という形で世界中の戦地に送り出されたりする。ヨツンヘイムの国力は皆無に等しいが、北斗の力は戦闘術先進国と呼ばれるほど強大なものだ。そのため北斗の人間を欲しがる国や組織、団体は、世界中に吐いて捨てるほどいる。
 時刻は午前十一時を過ぎた。午前のトレーニングも終わり、これから午後一時まで昼休みとなる。俺は午前のトレーニングが終わるなり急いで汗ばんだトレーニングウェアを着替え、休憩室兼ロビーに半ば強引にレジェイドを連れ出した。その理由は無論、彼女の事についてである。
 俺は全身がカーッと熱くなるような羞恥心に耐えながらも、なんとか身を削るような思いで事の顛末を必要最小限の内容だけに絞って話した。つまり、今気になっている女の子がいるという事、そして仲良くなるためにはどうすればいいのか、それを教えて欲しい、この二つだ。夜叉は総合的な理論戦闘術を特徴とする流派だが、俺はまだ武器の類は一切触らせてもらっておらず、日々レジェイドに総合格闘術を叩き込まれている。強くなるためではなく、勝つための力と技術を養うのだ。俺は強くなるために夜叉に入ったのだから、毎日積極的にトレーニングに励んでいるし、分からない事があればレジェイドにすぐ訊ねる。それが当たり前の事なんだけれど、今回の件ばかりはどうにも質問の内容が具合悪い。聞かずに済めばどれだけ楽だろうか。未だにそんな思いが頭から離れない。
 こっちはかきたくもない汗で額をびっしょり濡らしているのだけれど、コイツは全くその辺の事情というものをまるで汲み取ってはくれない。にやにやと、からかいの種でも見つけたような意地の悪い表情さえ浮かべている。
 テーブルの上では、テュリアスがピスタチオの殻に爪を立てて割り、コリコリとかじっている。俺とレジェイドの会話にはまるで興味がないようだ。いっそ、この無神経男に噛み付いてくれ。
「何が」
「いや。お前、今年で十七になるっけ? にも関わらず、今までまったく女に興味を示さなかったもんなあ。女と遊ばないなんて、男に生まれた喜びの半分を捨てるようなもんだぞ。もっと実践教育してやらなきゃなあ、でもルテラがうるさいしなあ、なんて心配してたんだが。いやいや、そうか。女遊びをしたくなったか」
「そうは言ってない。俺は気になる人がいるって言ったんだ」
 レジェイドは女性関係の話になると、すぐにこういう露骨で下品な表現をする。レジェイドに相談する事を最後まで躊躇ったのは、それも原因の一つである。そして、この事を知るとルテラは決まって良い顔をしない。むしろ、仕事中でも殴りに来るだろう。
「気になる? ほう、気になるねえ。とは言っても、どうせ最終的にやることは一緒だろ?」
 相変わらずニヤニヤと笑いながら、左手の親指と人差し指で輪を作り……右手とで下品なジェスチャーをしてみせる。俺は思わず、手元にあったオレンジエードの入ったグラスをレジェイドに向かって投げつけた。しかし、レジェイドは眉一つ動かさずにそれを受け止めると、一滴もこぼさずテーブルの上に置く。いつも本気で当てるつもりで投げているのだが、まだ一度として命中した事はない。この辺りは、さすがは、と感嘆するしかない。
「おやおや、そんなに乱暴じゃあ嫌われちまうぜ? お姫様」
 く……腹立つ。
 俺は、今度はテーブルでブン殴ってやろうかと思ったが、それではまるでとある知り合い達のようなので、相談内容もまだ解決の糸口を提示してもらってないし何とか思い留まった。
 この飄々とした態度の男はレジェイドといって、この夜叉をまとめる頭目をやっている。背は俺を見下ろすほど高く、体もがっちりとしているが決して肉がつき過ぎている訳ではなく、必要な筋肉だけが鍛え上げられてついている。髪は、妹であるルテラのハニーブロンドとは違ってダーティブロンド。そのシックな色がいかにも大人らしい落ち着いた雰囲気を作り出していて羨ましい。俺の髪の色は明る過ぎて、そういう重さとはまるで無縁なのだ。
「その言い方やめろ! 真面目に話してるんだから茶化すなよ!」
 レジェイドの皮肉は、俺の容姿の事を差してるのだ。自分でもそれは嫌というほど分かる。俺の髪も目も、多国籍多人種の集まる北斗でさえ目立つ薄紅色の色素をしている。今ではもう慣れたけれど、ここに来たばかりの時は集まる視線という視線を避けながら街を歩いていた。帽子をかぶって髪を隠していた事もある。他人の目にどう映るのかは知らないけれど、俺はそういう目で見られるのが心底嫌なのだ。
「悪イ悪イ。つい、うっかりな。あんまり珍しいもんで。で、シャルト君。女の口説き方だったっけ? うむ、お前は幸せ者だな。こんな経験豊富な兄がいるんだから」
 もう、まともに取り合っても仕方がない。重ねて言うが、レジェイドはルテラがあきれるほどの女ったらしだ。多少の食い違いはあるようだけど、その経験量からして十分に参考になる意見が聞けるはず。とにかくその教えを、まるで空気のような心境で吸収するしかない。感情を荒立てては駄目だ。空気のように、空気のように……。
「で、相手についてはどれだけ分かってるんだ?」
「ああ。んと、爛華飯店って店で働いてて……」
 働いてて……。
 そこで口篭もる。
 そういえば、俺はあの娘について何一つ知らない。名前も、年齢も、住所も、趣味も、もしかしたらいるかもしれない彼氏の有無も、本当に何一つ。
 俺、三ヶ月も何してたんだろう……?
「早い話、一目惚れってヤツか?」
 レジェイドはようやく俺の気持ちを汲み取ってくれたらしく、そう助け舟を出した。
「うん……まあ、その……うん」
 ようやく本気になってきたようだ。レジェイドの助け舟に感謝しながら、そう小さな声でぽつりと答える。
「じゃあ質問を変えよう。外見はどんな感じだ? 明るそうとか、おとなしそうとか、あるだろ。そういうの。決定的とは言えないけどさ、少なからず誰しも性格は容姿に出るもんだしな」
 そう言われ、俺は脳裏に彼女の姿を思い浮かべる。
 彼女の姿を思い浮かべるのは、今ではもう習慣化しているせいか、極自然に明確な映像を映し出す事が出来た。彼女の一挙一動、表情、息づかい等々。決して想像による記憶の改竄なしに、ありのままの姿を頭の中には記録している。それを好きな時に取り出して見る。そんな箱庭的な楽しみを俺は日常習慣の一部にしていた。三ヶ月間、それ以上の進展もないまま。
「んと、いつも忙しそうで……」
 途中まで話して、明らかに自分でもそれは意味が違うと思った。しかし、思い浮かべられる彼女の姿のほとんどが、事実忙しく店内を駆け回っているものだったのだ。当然といえば当然だ。俺が爛華飯店に向かう日は、週末の最も混む時間帯。店の従業員は誰一人としてのんびりなどしていない。それは彼女も例外ではない。
 俺の言った事はずれている。それはレジェイドの表情にも困惑としてありありと浮かんでいた。
「お前バカか? 何やってたんだ、今まで」
「うるさい! とにかくそれしか分からないんだ! お前だって、相手の事をどうこう調べないで口説き倒してるじゃないか!」
 逆ギレだ。
 それは自分でも分かっていたし、人を非難したって自分を正当化出来ない事も分かる。でも、そうでもしなければレジェイドに言い返す事が出来ないのだ。言い返す必要もない事も分かってはいるけれど……。
 と。
「あのな、あれは双方が暗黙に同意した上での遊びなんだよ。子供には早い大人の遊びだ。だからお互いの素性云々てのはどうでもいい訳で、根掘り葉掘り聞くのはかえって失礼なんだよ。でもな、お前はあれだろ? そいつと末永くねんごろになりたいって思ってるんだろ? だったら、少しでも相手の事を知っておくべきなんだよ。こちらの気持ちが一方通行にならないためにもな。遊びのつもりだったら、たとえフラれちまっても、今回は失敗だったなあ、で済むけどさ、本気なんだったらそうもいかないだろ。お前なんか神経細いから、当分は立ち直れなくなるぞ」
 ふざけてばかりいると思えば、突然まともな事を言い出す……。
 レジェイドに真っ向からの正論で論破され、俺はただただ言葉を失って聞き入っていた。普段は飄々として、ルテラ共々俺の事を子供扱いして苛つかせるけど、こうして真面目に話す時は思わず心を奪われレジェイドという人間そのものに深い感銘を受けてしまう。やたらと兄気取りされるのは癪だけど、こういう時は密かに大きな感謝を否めない。決して口にはしないけれど。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「とりあえず。そうだな、まず最初は打診してみろ。さりげなく、少しでいいから会話を交わす切っ掛けを作れ。内容は何でも構わないが、出来るだけ印象に残る方がいいな。それで駄目なようなら、悪い事は言わない。深入りして手痛い傷を負う前に諦めるこった」
「いきなり、直接名前を聞き出せって事?」
「それじゃ露骨だろう。目的は、相手の記憶に自分という人間が存在する事を留めさせる事なんだ。ほら、街中で突然呼び止められるにしても、全く見ず知らずの人間と多少は見知った人間では警戒心の度合いが違ってくるだろ?」
「まあ……確かに」
「とにかく、お前のような奥手クンはだ。一枚ずつ、丁寧に慎重に相手の警戒の殻を剥がしていくしかない。それで、相手の警戒心がある程度解けてくれば、こちらから何の気なしに話し掛けても訝しがられる事はない。そうやって段々と親睦を深めた後、アレソウ言エバ的に名前を訊ねると。そういう事だ。名前が聞き出せたら、第一段階クリアだ。晴れて”知人”になれる」
「はあ……分かった……多分」
 それほどのプロセスを経て、ようやく知人レベルだなんて……。いつもは一足飛びに親睦を深めているレジェイドにとっては何の事もないのかもしれないけれど、俺にとってはかなりの大問題だ。俺はレジェイドに相談すれば、この難解な問題も簡単に解決出来る方法を提示してもらえると思っていた。しかし実際、結局のところは会話のきっかけを作らなければどうにもならない、という事実にぶち当たる。俺は話下手で人見知りも強いから、出来れば最も回避したかった壁だ。やはり楽をして仲良くなろうなんて魂胆は甘いようである
「ま、焦り過ぎは禁物だぞ。こういうのは釣りと同じだ。じっくり構えて攻め、食いついてもすぐには釣り上げない。しっかり飲み込んでからだ」
 けっけっけ、と笑いながら、テーブルの上でテュリアスが食べていたピスタチオの山から一つ取りつまみ、殻を指でパチッと割って実を口の中へ放る。
 さすがに経験豊富と自負するだけあり、なかなか説得力のある意見だ。何にも分からない俺でも、この通りにやっていけばちゃんとうまくやれるかもしれない、という気になってきた。
 しかし。
 肝心の、第一段階目。少しでいいからって、どうやって会話なんか交わす切っ掛けを作ったらいいんだろう? それが出来るなら、俺はとっくにやっていたと思うんだけれど。
 とにかく、待つしかない。その内、何か良い切っ掛け、言い換えればハプニングや事件が起きるはずだ。それに便乗出来れば。こんな俺でも、会話を切り出せる。
 ……と、思う。



TO BE CONTINUED...