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その晩。
俺は週末の日課の帰り、テュリアスと人気の少ない閑散とした大通りを歩いていた。
がっくりと肩を落とし、ため息。
テュリアスは俺の両肩と頭とをうろちょろ歩き回っている。自分が構って欲しくてわざと俺にちょっかいを出しているのだが、あいにくと俺はそんな気分にはなれなかった。
俺は、爛華飯店で夕食を取るという名目で、実はある一人の女の子と接点を持とうとしていた。その娘の名前はまだ知らず、オーダー等の彼女の仕事に関するもの以外で私的な会話を交わした事もまだ無い。毎回、今日こそは、と行きは張り切って向かっているが、いざとなれば俺は自分から声をかける事も出来ずにただただ遠目から彼女をこそこそ見やるだけだった。
そして今日もまた、結果は同じ、まるで観賞物か何かのようにじっと遠目で眺め続けてしまった。今朝方、俺はその娘に驚くほど饒舌に話しかけ、その娘も好印象を持ってくれて会話が弾んだ夢を見た。きっと今回こそは何か変化がある前兆だ、と俺は思って、いつも以上に張り切っていた。けれど、現実はそう甘くは無い。働かない人間には恵みも無い、とレジェイドが言っていた。やはりあくまで受動的態度を取り続けている俺には、この姿勢を変えない限り望むべく結果など一生やっては来ないのだろう。
実は、この状況を打破するきっかけを手に入れる糸口は掴んでいた。
この手の事はレジェイドが得意としている。だからアドバイスを貰えばいいのだ。恥を忍んで。
しかし、どうしてもそこには踏み切れなかった。レジェイドには馬鹿にされる事が目に見えている。それがあまりにも悔しいから、自分でどうにかしようと当ても無いのにそう決めてしまうのだ。
いつかはどうにかなる。
だけど、このままじゃいけない、と考える事の方が多くなってきた。
自分は変化を求めている。それも、出来る限り早期の変化だ。
やっぱりこうしていても仕方が無いんじゃないか。
それでも何もしないのは、それだけ自分が根性の無い人間だと言う事だ。
てりゃっ! こっち向け!
その時、柔らかい毛の塊のようなものが俺の左耳を打った。退屈に堪りかねたテュリアスの仕業だ。
「なんだよ」
ふーんだ。知らない。
そう言ってテュリアスは俺の懐に潜り込んだ。
自分から振っておいて、突き放すなんて。そういえば、テュリアスはいつも爛華飯店の帰りはこんな風に機嫌が悪い。多分、俺があの娘の事でうじうじしているのに腹が立つのだろう。
それにしても。まったく、機嫌を損ねるとすぐにおかしな行動を取る。俺だけにやるならいいけれど、もしもあの娘にまでしてしまったら一大事だな。
まだまだありもしない空想の範囲の場合だけれど、なんとなく俺はその様を想像して微苦笑した。
その時、ふと目の前に一軒の屋台が目に入った。
北斗は商売に関しては基本的に寛容な方針をとっている。それは街そのものを発展させ、なおかつ外部からやってきた人間にも北斗が住みやすくするためである。イリーガルな部分に関しては問題があるものの、誰でも少ない資金で自由な発想の店を出せるのは、需要側も供給側にとっても非常に都合が良い。
「ほら、テュリアス。揚げジャガ買ってやるから機嫌直せよ」
早速屋台に入った俺は、上着の奥底に潜んでいるテュリアスに向かってそう呼びかけた。揚げジャガはテュリアスの好物なのだけれど、よほど機嫌が悪いらしくそれでもテュリアスは一向に姿を現す気配を見せない。
やれやれ、困ったものだ。
俺は頑ななテュリアスの様子に肩をすくめ苦笑しつつ、後々に有効な交渉材料になりそうなので揚げジャガを自分の分と二つ買った。その内、お腹が空けば自分から折れるだろう。テュリアスは気難しい所があるけれど、その実は意外と単純な作りで構成されているのだ。幾ら突っ張ったって時間が経てば必ず気が変わる。俺は下手に攻め入らずに向こうから岩屋を出てくるのを待てばいいのである。
まあ、少し無下にし過ぎたかな。
じんわりと温かい紙袋を抱えつつ、そう俺は思った。確かに今の俺は、あの娘に今日も発展を開けなくて気持ちが塞ぎ込みかけているけれど。テュリアスにしてみれば全く関係ない問題であって、普段のようにじゃれあいたい訳だから、それを無視されたら機嫌を悪くしても当然だ。
正直、面倒臭い、って気持ちもあるけれど。それでもテュリアスの立場になって考えてやると、少し今の俺の態度は冷た過ぎた。
「にゃあ!」
その時。
突然、引っ込んだばかりのテュリアスが勢い良く懐から飛び出しながらそう鳴いた。下から俺の顎の下辺りをしきりに叩いてくる。正直、テュリアスの毛はくすぐったい。
今度は随分と早い投降だな。
こんなに自分から早く折れるなんて珍しい。そう笑みを浮べた俺だったが、テュリアスはなにやらしきりに前方へ俺の注意を促してくる。
俺はやれやれとため息をつきながら前方を見やった。どうせ何かを見間違うかしたか、気を引くために適当な事を言っているのか。構ってもらえなくなると、いつもテュリアスがよくやる事だ。本当は相手にしないのが一番なのだけど、そうすると後からヘソを曲げてなかなか機嫌を直してもらえなくなる。
俺はテュリアスの行動をその程度にしか思っていなかった。
だが、テュリアスが示していたものは今回ばかりは俺の予想を大きく反し、そんな些末事の類ではなかった。
「あ!」
テュリアスが示した先には数名の群集が出来ていた。一見すれば何の変哲も無い単なる溜りにしか見えないかもしれない。しかしよく注意深く見てみると、その中では一人の人間が一方的にやられているのが分かった。
地面に膝を突き、上からの攻撃をどうにか腕で防いで急所だけは守っている。しかし立つ暇も与えぬ四方八方からの攻撃には、やがて力尽きやられてしまうのは目に見えている。
まずい!
すぐさま俺はそこに向かって駆けた。距離は、普通の人間なら即座に縮めるには少々長過ぎる。しかし俺は、足の速さなら誰にも負けない自信がある。この程度の距離、瞬き一つの間に走り抜ける。
一気に距離を狭めて渦中の元に近づく俺。幸いにも、接近する間にこちらの気配には気づかれなかったらしく、連中は依然として、攻撃と呼ぶよりも虐待と呼んだ方が相応しいそれをのうのうと続けている。
蹂躙されているのは、真っ白な髪に深い皺を刻んだ一人の壮年の男だった。見た所、北斗に住むごく普通の人間のようである。しかし、驚くべき事に彼を取り囲んでいるのは北斗の制服を見にまとった人間だった。
戦闘集団『北斗』は、北斗とそこに住む一般人を守るための機関だ。常に抗争が絶えず情勢が危ういヨツンヘイムという国において、戦闘集団は治安を維持するために必要な絶対的力を持つ存在だ。並々ならぬ力を持つ戦闘集団だからこそ、規律は絶対に厳守しなくてはならない。無法の力を打ち破る戦闘集団が暴徒と化してはならないからである。
当然、力の無い一般人に手を出すなんて、戦闘集団の人間にはあってはならない事だ。守るべき立場の人間の行いとして言語道断、同じ戦闘集団の人間として、俺は俄かに激しい怒りを覚えずにはいられなかった。
「やめろ!」
そう叫ぶのが先か後か、次の瞬間には既に俺は取り囲む男達の一人を蹴り飛ばしていた。
俺の突然の乱入に、連中は一斉に視線を俺へと向けた。
怒りで自分を奮い立たせていたのだけれど、思わずぞくりとする嫌なものが背中を駆け抜ける。それは、自分でも不意をついて仕掛けたつもりだったのに、仲間をやられたにも関わらずただの一人として動揺している様を見せなかったからだ。
一応、俺は北斗の制服を着ているから、見た目や歳に関係なく侮った態度を取られる事は無い。北斗には十代の人間なんて幾らでもいるし、外見と実力が伴わない事なんてザラなのだ。決して威厳や重みのある容姿はしていないけれど、たとえ北斗の制服を着ていなかったとしても、この連中は決して俺を侮ったりはしなかっただろう。なんとなくだが、一度でも敵対した存在はどんな人間であろうとも単なる標的として冷静に分析する、そんなハンターにも似た思考体系が伝わってくるのだ。
飲まれるな。
自分は間違った事はしていない。それに、ここで俺が助けなければこの人はきっと殺されてしまうだろう。
俺は震え始めた唇を一度噛み、彼らの向ける冷たい視線を交戦意思有りと受け取って身構える。しかし彼らはただ突っ立ったまま、一様にじっとこちらを冷たく見つめている。いや、むしろ観察しているような感じだ。
事を起こさない事で不自然な間が空く。そのため、こちらも敵の観察をしてみる事にした。
敵の数は五人、皆二十代ほどの男だ。着ている制服は、光沢のある黒い皮をなめした丈の長いもの。確か前に一度見た事があるが、あれは流派『修羅』のものだ。
「一般人に危害を加えるのは違法行為だ」
改めて自分達の立場を再認識させる意味で、出来るだけ通るように重みをつけた声で宣言する。
非はそちらにある。
北斗にとって一般人に手を出すのは最大限のタブーである。絶対にその自覚は無い訳じゃない。なのに彼らは実に堂々と構えている。一体どこにそんな自信があるのだろうか。逆にそれが俺には不可解でならなかった。
一人が動いた。
やる気か……?
俺は反射的に気を張り詰めさせ、全神経をその一人に向けた。
しかし。
「……?」
彼らは次々とゆっくり踵を返すと、そのままこの場を後にしていった。まるで闇の中に溶け込んでいくように彼らの気配も消えていく。
幻とかじゃないよな……?
あまりに不気味だった彼らの雰囲気。俺は身構えたままの体勢を戻す事が出来なかった。
「にゃあっ!」
そんな俺を、テュリアスが鋭く鳴いて頬を叩いてきた。ハッと我に帰る俺。ぎゅっと握り締めた手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
そうだ、あの人は……。
「大丈夫ですか?」
俺はすぐさま片膝をついてうずくまっているその人の下へ駆け寄った。
「うむ……なんとかな」
彼の声は見た目よりもずっと皺のある声で、より年齢を上に感じさせた。皺の増えた顔も苦痛に耐えるために走った皺が更に追い討ちをかけている。
おじいさん、と呼んでもおかしくないだろう。年齢は多分五十代から六十代ぐらいだろうか。
それにしてもこんなお年寄りをよってたかって、一体あいつらは何のつもりなのだろう。北斗じゃなくても、こんな事をされたら簡単に大怪我をしてしまうなんて分かりきってる事じゃないか。
いなくなってからこんな事を言っても仕方が無いのだけれど。改めて間近で見た彼の様子に、俺は改めて怒りを覚えずにはいられなかった。
「立てますか?」
そう言って俺は彼の左手を取って自分の肩に回し、ゆっくりと彼に合わせて立ち上がった。
と。突然、彼が少しバランスを崩して右手を俺に突いた。
それを見た俺は、一瞬体を硬直させてしまった。
彼の右手には、指が親指と人差し指しか無かったのだ。
TO BE CONTINUED...