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 向かってくる敵は五人。
 俺は一息静かに呼吸をすると、じっくりと状況を見定めた上で攻撃目標を一人に絞る。
 体をリラックスさせて力が無駄に分散しないようコントロールする。体から力を抜くのは、総量が限られている力を効率よく体の一点に集中させるためだ。攻撃も防御も、まずは体から力を抜く事から始まると言っても過言ではない。体から力を抜く事が出来れば自然と呼吸が鎮まって思考が落ち着く。しかも体が頭でイメージした通りに、スムーズに動作させる事が出来る。戦闘においてこれらは重要なファクターだ。
 前足を強く踏み出し、一歩だけステップを踏んで前進。しかしその一歩は普段俺が踏む一歩よりも遥かに広く、結果的に一瞬にして目標との間合いを盗んだ。レジェイドに教えてもらった、特殊なステップだ。全身の筋肉を螺旋に運動させる事で予備動作を用いずに大きな力を生み出す事が出来る。どこかの拳法の基本技なのだそうだけど、あまりに難しくて完璧に習得するのに一年近くかかった。このステップは反動を利用して突きを放つためのものだけど、こんな風に短距離を一瞬で移動する奇襲にも応用出来る。
 俺の矢のような急接近を目の当たりにして動揺する男。その僅かな隙を逃さず、俺は筋肉のつきにくい人体の構造上の急所である鳩尾へ縦拳を叩き込んだ。男は防御どころか身をそらす暇も無くまともに食らい、派手に後方へ吹き飛んでいった。
 よし、大した事ない。
 初打で相手の実力の程を悟った俺は、このまま一人でも一気に畳み掛けられるという確信を得た。敵を鎮圧するのは早ければ早いほどいい。それだけ北斗に住む一般人への被害が減る。
 俺が所属しているのは、流派『夜叉』。その中でも位は最下位の二等兵に位置している。簡単に言ってしまうと下っ端だ。本来、北斗の治安維持を担うのは『守星』の仕事だけれど、北斗に所属する人間には皆、緊急時には最大限の力を持ってして北斗の治安を維持する義務がある。自分の裁量で片付ける、もしくは守星が駆けつけるまでの間に時間稼ぎをしろ、という意味だ。
「うにゃっ!」
 少し離れた、通りの隅に置かれたベンチの上。そこには先ほど俺が買ってきた焼き芋の紙袋を置かれているのだけれど、その袋の中にテュリアスが首を突っ込み、慌てて引っ込めた。俺に内緒でこっそり食べようとしたが、表面よりも中身が遥かに熱くなっている事に気がつかず、舌を火傷しかけたといった様子だ。
 ったく……こんな時でも気楽だよな。
 テュリアスの、この緊迫した戦闘の空気をまるで意に介し無い気の抜けた態度に、俺は苦笑いを隠せなかった。確かに相手の実力を考えれば、それほど目くじらを立てて挑まなくてはならないほどの相手じゃない。しかしこっちは一応命がけで戦っている訳だから、幾らなんでももう少し緊張感を持ってもらってもいいのではないのか。そう俺は思った。言葉にしないのは今が戦闘中だからではなく、既に同様の内容を過去に何度か言いつけているからだ。テュリアスには何を言おうと自分に都合の悪い事はまるで聞こえちゃいないのだ。
 続けて左右から挟み込むように蹴りが放たれた。
 俺は咄嗟に身を沈めると、地面を滑るような低い回し蹴りを用いて二人一遍に軸足を狩った。二人は自分の放った蹴りの勢いで派手に自らの体を中空に投げ出してしまった。すかさず無防備な二人の背中に、俺は連続で突きを放つ。
 そして間髪入れず、残った二人がまたも同じように左右から襲い掛かってくる。
 一度失敗した手は二度と使うな。
 そんなレジェイドの格言じみた言葉が脳裏に浮かんだ。戦闘にまぐれというものは存在せず、結果とは全て技量と読みを総じて算出した値なのだそうだ。戦闘は算術と同様に答えが常に決まっている。そのため、予め予測しようと思えば出来るものなのだ。実際は高度な計算が必要とされるけれど、逆に考えると、失敗した戦法には論理的な欠陥があるという意味にもなる。そのため、一度でも失敗した戦法は二度と使ってはならない。
 遅い。
 先ほどと全く同じ戦法。それは俺に、次の対応を考える時間を必要とさせなかった。
 俺は二人が攻撃を放つよりも先に、それぞれの急所をピンポイントに放った蹴りで打ち抜いた。自分でも精確な攻撃だったと自負できる綺麗な一撃だった。描いたイメージを完璧に再現できた俺の蹴りに打ち抜かれた二人は、あっさり地面の上に失神した。
 急に周辺が静かになる。
 戦闘中は自分の呼吸や衣擦れの音、相手とのぶつかり合いのせいで酷く周囲が喧しいように感じる。そのため戦闘の終了を境に、水を打ったように静かになってしまったと錯覚してしまうのだ。
「これで終わりだな」
 地面に累々と体を横たわらせる五人を確認し、俺はようやく思考を戦闘から通常のものに切り替えた。
 北斗は治安がいい街ではあるけれど、それは決して犯罪行為やそれに類似する外部からの侵略が起こらないという訳ではない。むしろ、普通よりも早いサイクルで起きるそういった危険に大して迅速に対応出来るからこそ治安は保たれているのだ。
 一段落着いて落ち着けた俺は、ふとベンチの上にいるテュリアスへ視線を向けた。
 テュリアスは焼き芋の内一本を半分ほど切り出し、それをベンチの上まで転がしてきてふうふうと息を吹きかけ冷ましている。あくまで食べるつもりでいるようだ。ここまでの熱意を見せられると、怒る以前に呆れて笑いすら込み上げてくる。ただ、戦闘時のそれとは違う意味での脱力感があるけれど。
「ったく。お前は食う寝る遊ぶ以外に何か行動する事はないのかよ」
 俺はベンチに歩み寄ると、湯気を立てている焼き芋に対してしきりに息を吹きかけるテュリアスの頭を指先でぐっと押した。するとテュリアスはムッとした表情で俺の顔を見上げる。
 半分ぐらいいいじゃない。シャルトはいっつも食い意地張ってるんだから。
 まるで俺がいつもテュリアスには食べさせず自分だけ独占しているかのような言い方だ。
 はっきり言うが、俺は一度たりともそんなさもしい真似をした事は無い。むしろ食い意地が張ってるのはテュリアスの方だ、といつも思う。北斗には沢山屋台があるから、それを目にするたびに鼻をひくつかせて首を伸ばし俺にねだる。これがテュリアスのいつもの行動パターンだ。俺は仕方なくテュリアスに買ってやり、自分も幾らかは食べる。どっちもどっち、という見方もあるかもしれないけれど、俺はどっちかというとテュリアスの方が酷いと思うのだが。でも、それをいちいちはっきりさせるのは限りなく不毛な論争かもしれない。いや、何よりも大人げないか。
 誰も焼き芋をよこせなんて言ってない。
 そう反論したい所だが、これまでに聞き入れてくれた試しは無い。仕方なく、再び俺は微苦笑を浮べた。
「危ないっ!」
 不意に、どこからともなくそう誰かが叫んだ。
 はっと気がついた時、すぐ真後ろから背中を冷たい殺気に舐められた。それは既にどうにもならないほどの近い距離だ。俺が振り返るより、いや、呼吸を一つするよりも先に後ろから貫かれる。
 一気に混乱した頭の中が真っ白になった。
 頭の中に叩き込んだ、マニュアル化された戦闘の展開に従って戦ってきたのだけれど。こういった事態に陥った場合の対処方法はその中に載っていない。そもそも、こうならないようにするためのマニュアルなのだから当然だ。
 シャルトッ!
 テュリアスが叫んだ。思考は状況についていっているのに、体は鉛のように重くて動けない。いや、この状況を何とかしようとして思考だけが加速しているのだ。一般的にそれを、慌てる、と呼ぶ。
 まずい。
 やられる。
 身構える。
 ようやく出来たのは、吐きかけた息を飲み込む事だけだった。
 一体どんな衝撃が来るのだろう?
 テュリアスに負けず劣らずの、緊張感の無い焦りが脳裏に浮かんだ。混乱し過ぎて普通の言葉が思い浮かばなかったのだ。
 が。
 瞬間、俺を貫く衝撃の代わりに、ガラスを引っ掻いたような耳障りな音が聞こえた。
 振り返るとそこには、俺に向けて低い軌道からナイフを放つ姿勢を取っている男と、そのナイフに対して横から腕を伸ばし俺に届く寸前の所で止めているもう一人の男の姿があった。
 男は驚く事にナイフを素手のまま掴んでいた。今の耳障りな音からして、最初俺は男が金属で出来た何かを手に持っているんだと思った。けれど男の手にそんなものの姿はなく、正真正銘素手のままだ。
 ナイフを構える男は唖然としてナイフとその男を交互に見ていた。それは不意打ちに放ったナイフを止められた事、それが素手による手掴みである事、そして突如現れた目の前の男に対しての三重の驚きだ。ナイフを素手で受け止める事は出来なくも無い。前にレジェイドが飛んでくるナイフを指の間で挟んで止めて見せた事もある。でも彼は刃を避けているのではなく、そのまま握り込んでいる。普通、そんな事をしたら手のひらがぱっくりと裂けてしまう。
 そして、ナイフを掴んだ男はにっこり微笑むと、反対の腕を閃かせた。その次の瞬間にはナイフを構えていた男はぷっつりとそのままの姿勢で意識を失い、地面に顔から突っ伏してしまった。一瞬、俺は何をしたのか理解できずに唖然としてしまった。男が何かをしたのは分かったのだけど、繰り出した腕が早過ぎてまるで追えなかったのだ。地面に突っ伏している男は眠るように意識を失っている。もしかすると首の辺りを一撃されたのかもしれない。
「やあ、怪我は無かったかな?」
 と、男は手にしてナイフを地面に放り投げながらにっこりと俺に向かって微笑んだ。
 年齢はレジェイドよりは多分下だと思う。中肉中背でこれといった特徴の無い体格だけど、どうしてか妙に強烈な印象が拭えない。特徴と言えば、前髪が少し長くて右目にかかっている。特徴が無いのに存在感はひしひしと伝わる。なんだか良く分からないギャップのある人だ。
「なかなか動きは完成されてるけど、最後まで気を抜いちゃいけないよ。人は勝利を確信した瞬間が一番油断してしまいがちだからねえ」
 彼とは初対面であるはずなのに、彼はやたら得意げに話しかけてきた。
 この人は何者なのだろうか?
 俺は心底訝しい気持ちで彼を見返した。けれどまるで俺の様子に気づく事は無く、ただただ長ったらしいうんちくを得意げに語っている。こっちが見えていないみたいだ。
 少なくとも、素手でナイフを掴んでしまう事を考えてただの一般人ではない。着ている服は北斗の制服ではないけれど、今日はたまたまオフだった北斗の人間と考えるのが一番理由付けがしやすい。きっとこの考えで間違いはないと思う。じゃあ、どこの流派なんだろうか? 素手で刃物を掴めるのは、精霊術法を使える流派か、もしくは気功使いの流派『白鳳』か。
「あ、ありがとうございます」
 とにかく、俺は彼に命を救われたのだから礼儀として礼を述べた。けれど、思い切り彼のうんちくが最高潮に達する瞬間に割り込んでしまった。すると彼は、一瞬残念そうな表情を浮べるものの、実に嬉しそうに僕の頭を撫でてきた。
 僕は頭を撫でられるのはレジェイドみたいに馬鹿にされているような気がするので、基本的にはムッとしてしまう。けれど、不思議とこの彼にはそれほど怒りは湧いてこなかった。なんだか憎めない、不思議な人柄だ。
「じゃあ、僕はこの辺りで失礼するよ。もう、戦闘中は気を抜くんじゃないよ」
 そう言って彼はくるりと踵を返すと、そのまま大通りを外れた裏路地の方へ向かっていった。が、数歩歩いた所で石畳の小さな出っ張りに躓いた。気を抜いている、と思った。
 変な人だな。
 最終的にはそんな印象が残った。ナイフを素手で掴んだのは凄いけど、その驚きをかき消してしまうほどの不調律加減。もしも誰かに彼の事を話すとしたら、変な人、としか説明のしようがない。
 大丈夫?
 俺の肩にテュリアスが飛び乗って心配そうに訊ねてきた。俺は問題ないとテュリアスを撫でる。
 それにしても変な人だったね。
「強そうではあるんだけど」
 どこの流派の人なのか、後でレジェイドに訊いてみよう。何か分かるかもしれない。
「にゃっ」
 テュリアスが地面を指した。何かを見つけたようだ。
「これは……」
 テュリアスが指したのは、あの変な人が先ほど投げ捨てたナイフだった。
 よく見てみると、ナイフの刀身が真っ白に凍り付いている。



TO BE CONTINUED...