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誰にでも初めてはある。
それは私のとって一つの通過点だ。
ただの通過点じゃない。私が自分のため以外に初めて戦った、今後北斗の人間としてどう生きていくのか、それを定義付ける通過点だ。
自分の損得、関連性はほとんどない。けれど周囲が、私が戦わなくてはいけないように物事を進めていく。ふと私の意志はなんであったのかを疑問視させる、そんな理不尽さもまた覗かせている。
何のために戦っているのか、ふと分からなくなる時がある。
勝者と敗者。たったその二つを決定するだけの儀式だというのに、その場には実に多くの価値観が集い、ある独特な世界観を構成している。結果は至極単純、しかしその前後には複雑なやり取りが時として成される。
私は、戦いに勝つ事は強い人間だけに許された事だと、ずっとそう思っていた。けれど、勝つ事と負ける事は、本当はもっと奥が深くて一概には決められない、そんな舌戦にも似た複雑な構図がガラスに入ったヒビのように無限にも近い数で描き続けられている。とても私一人の考えを押し通して通例と出来るほど、浅い世界じゃないのだ。
私はどうしてこんな事をしているのか。
結局は周囲に流されているだけであって、生涯自由意思を貫く事はどれだけ難しいのかを、まざまざと見せ付けられ、私を落胆させた。
戦う事と抗う事の違いなのかもしれない。
私は戦う事に持っていた自発的な理由なんて、『少しでも生活水準を上げたいから』以外に持っていなかったから。
戦いに崇高な姿勢は無い。
でも、今までの小競り合いと何かが違う。そう私は戸惑いを覚えた。
「では、各自武運を祈ります」
凍姫の人間が一堂に会したこのホール。
ミシュアさんはどうしようもない頭目の代わりに、本来なら頭目がやるべき立場で場を総括し、淡々とした最後の言葉で会を締めくくった。同時にホールの入り口から順番に凍姫の隊員が順番に並んで出て行く。今のミシュアさんの話を聞いていたのかどうか疑いたくなるほどの、なんとも覇気の感じられない気の抜けた様子だ。こんなんで本当に雪乱に勝てるんだろうか? 私のその疑問は結構前からずっと消えずに続いている。
ずっと続いていた、凍姫と雪乱の抗争。その戦いに、遂に私達も投入される事になった。私達三人の初陣という事なんだけれど、不思議と私は気が進まなかった。別に怖いとか、そういうんじゃない。荒っぽい事は子供の頃からやっているから慣れたものだし、私個人としても気分がスカッとするので、どっちかというと好きな方だ。
多分、その雪乱と戦う理由が私にはないから、こんな気分なんだと思う。これまで戦った相手は、政府関係の憎ったらしいヤツらとかこっちに危害を加えてくるヤツとか、そういうのに限られていた。けれど、雪乱のやつらに私は恨みつらみもなければ、この北斗を守る集団の一つという事しか知らないから、自分達と同業か、ぐらいの感慨しか抱けない。
ずっと感情が伴った戦いだけをしてきていたから、伴わない相手にどこまでやれるか自信が無い。リーシェイやラクシェルといつもやってるのは、私は本気で殺すつもりでやってるから何とも思わない。だが同じように雪乱の連中とやりあえるかどうか。けれど連中はこっちを殺す気でやってくるだろう。立ち向かわなければやられてしまう。術式どうこうより、問題はその精神面の方にある。
気がつくと、私は雪乱を倒す事だけで頭がいっぱいになっていた。別に私個人としてはほとんど知らない雪乱なんてどうでもいいんだけど。あまりに凍姫として雪乱を倒すことに集中させられていると、いつのまにか個人の主義主張よりも全体としての流れに飲み込まれていってしまう。誰よりも意思は強いはずの自分が流されてしまっているのだ。これほど恐ろしいものはない。
「なんだ、怖いのか?」
と、その時。
不意に隣のリーシェイが、こっちを見下ろしながらそうせせら笑った。
「誰が。違うっつの。ただ、気が進まないだけだって」
「気が進まない? なるほど、恨みの無い人間を手にかけるのは、さすがにお前でも良心が咎めるか」
「そういうアンタはどうなのさ? 別になんとも思ってないワケ?」
「そこまで非情に徹する事が出来ればいいがな」
アンタも同じじゃんか。私は自分を棚に上げながら笑ったリーシェイにムッと顔を歪める。
「自分の意思ではなく、第三者。そうだな、凍姫総員の意思で手を出す、と割り切ればいい。良心が痛まなくて済む」
「自分でした事を人にせいにしろってか? 大した外道がいたもんだわ」
「なら、せいぜい良心の呵責に苛まれるがいいさ。これ以上は私の与り知る所ではない」
初めっから、アンタにどうこうしてもらうつもりなんか無いっての。
言いたい事だけを言うだけ言って去っていくリーシェイの背中を睨み付けながら、そう私は思った。
まあ、やる気が出なくても戦わなければならない必然がある以上、戦わずしてやられる訳にはいかない。まあ、なんとかなるんじゃないかな。そう安易に構えられはしなかったけれど、少なくとも張り合えるやつらもいることだし、何か別な方向へ気分を転化すればどうにかやれるだろう。
でも、それってリーシェイが言ってるのと同じじゃないのかな?
む。アイツの言う通りにするのは癪だな。
やがてホールに集まった人のほとんどが出て行って閑散とし始めた頃、私はまだホール内に残っていたミシュアさんの元へ駆けた。
「どうかしましたか?」
近づいてきた私にそう訊ねるミシュアさんの表情は、幾分か疲れが見え隠れしている。頭目不在の皺寄せは、ミシュアさん達の上位クラスの人達に来ている。この間とっ捕まえられた頭目は座敷牢に監禁されているらしいが、どうやら社会復帰まではもう少しかかるらしい。ミシュアさん曰く、『二度と脱走する気になれなくなるまで意思を削ぐ』らしいが、そのせいで仕事の負担が高まっているそうだ。まあ、私が考えても仕方の無い事だけど。
「私、雪乱の誰とやるの? まだそれ知らなくて」
「あなたの配置から考えれば、第五分隊と交戦する事になるでしょう。誰とは特定する事は出来ません」
こっちとしては、ある程度誰とやるのか分かってた方が何かと好都合なんだけど。やっぱ、幾ら身内争いとは言っても完全な実戦なのだから、格式の無い実戦的な戦況となるのは必至のようだ。
「教えられた通りに、周囲との連携を忠実に守っていれば問題はありません。私も同じ所へ配属されます。不測の事態に陥ったとしても、最悪の事態だけは回避しますので」
「それは大丈夫です。自分の身ぐらいは守れますって。いつもあの馬鹿達と本気でやりあってますから」
「その件ですが、多少控えて戴きたいものですね」
そう言ってミシュアさんがくいっと自分の背後の壁に顔を向ける。そこには天井まで伸びるほどの大きな亀裂が蜘蛛の巣のように伸びていた。これは確か……あ、私が作ったヤツだ。
「いや、これは私のせいじゃないですって」
「今後からは関わっている時点で三者同様の制裁を加えますので留意しなさい」
ははは、と私は乾いた笑い声を返す。なんとも力の無い声だった。ミシュアさんが留意という単語を使う時は、大抵守れなかった場合の処罰、血反吐を吐くような目に遭わされるのとセットになっている。だから言葉自体の意味は弱くても、守れなかったら殺されてしまうという強迫観念に駆られてしまう。
と。
「普段にも増して落ち着きがありませんね。さすがに緊張していますか」
不意にミシュアさんがそんな事を私に言ってきた。
「いや、別にそうじゃないんだけど……」
出し抜けに何を言うんだろうか。
不意をつかれた私は、咄嗟にうまく返そうとするも失敗してしまい、みっともなくどもってしまう。
けれど、これはいいチャンスだと思った。訊ねる機会がないと出来ない質問は、機会を逃してしまうと一生出来なくなってしまう。私は思い切って訊ねてみる事にした。
「凍姫と雪乱って、同じ事してるんですよね? なのに、どうしてこんな事してるんですか?」
すると、ミシュアさんは少し驚いたように目を見開いた。私がこんな質問を、いや多分、こんな事を考える人間とは思っていなかったようだ。
「存在意義、と言って分かりますか? 自分は何故存在するのか、それを明確化した一意の定義が揺るがされると、人は自分と似たものに激しく敵意を抱くのです」
「偽者を倒せって事ですか?」
「大方そのようなものです。ただ、凍姫と雪乱の存在意義は共に一意であって、決して互いに侵食し合うものではありません。しかし曲解に曲解を重ねた人間が双方に多数存在するのも事実です。そこから生まれる軋轢の一番分かりやすい形が、この抗争です」
「だから戦わなきゃいけないって事ですか? でも、そういうのってお互いどっかで譲歩すればいいんじゃないですか」
「それが出来ないのが、個人と組織の決定的な違いです。あなたとて、自分の意見を相手のために譲る事はしないでしょう?」
それは確かにそうだ。
私は基本的に自分の意見主張は最後まで押し通すタイプだ。それは、相手に譲ったせいで後から自分が後悔するのが嫌だからである。物事が自分の思い通りにならない事ほど、世の中嫌なものはない。普通なら思い通りにならない事をあえて通してやるからこそ気持ちがいいのだ。それをどれだけ繰り返させられるのかが、人生の質そのものを大きく左右する。当然だが、私は質のいい人生を送る方がいい。だからこそ、人に譲るなんて事は決してあり得ない。
ただ、少しだけ分かったのは、凍姫と雪乱が喧嘩してるのって、丁度私が二人でいがみ合ってるのと同じだって事だ。私みたいな人間が真っ向からぶつかったら、どっちかがぶっ倒れるまで絶対に退かないだろうから。
「互いの確執を超えるのは、絶対的に優位な立場に立つ以外他ありません。これはそのための戦いなのです」
「アイツ……いやいや、頭目は、雪乱よりも自分達が上だって示したいんですか?」
「いいえ。それは断じてありません。もしも彼が本気でそう考えるならば、あのような醜態を晒してまで北斗に連れ帰られる事はないでしょう」
「じゃあ、なんでうちらは戦ってるんですか? 逆に雪乱がこっちの上に立ちたいから?」
「一言で説明できるような単純な事態ではありません。一つ言えるのは、そこに戦わなければならない必然があるという事です。そして我々は、必然に疑問を持ってはなりません」
疑問を抱くな。
それじゃあ、まるで私達は戦うための道具じゃない?
本当の戦士っていうのは、そんな疑問すら持たないんだろうか。じゃあ先人達は皆、ほとんど自分の意思は持ってないんだろうか。それじゃあますます機械じみてくる。なんかそういうのは嫌だ。私はもうちょっと自分の自由意思を通せるような生き方をしたい。やり過ぎるとミシュアさんにどつかれるけど、そうならないギリギリの所を私は生きたい。っていうか、むしろそういう生き方を私はしてみせる。こう考える事だって私の自由のはずだ。
「さて、あなたには少々難解な話をしてしまいましたが。なんにせよ、真実とは人それぞれの受け止め方にあります。判断するものを目の当たりにもせず悩むのは尚早でしょう。まずは己の目で見極めると良いでしょう。もっとも、そんな余裕があればの話ですけどね」
「はあ……」
と、私は気の無い返事を返した。
ミシュアさんに言われ、ますます私は自分の疑問が膨れ上がって頭の中がこんがらかってきた。戦うだけの事にどうしてこうも難解な理由があるんだろうか。ただ欲しいから戦う。それだけの単純な事じゃないのか。私にはさっぱり何が何だか分からない。私とはとても合わない、変な世界だ。でも、私はこれからこの変だと思う世界で暮らしていくのだ。理解は出来なくとも、ある程度の理解は必要だと思う。とりあえず、これからどういった姿勢であればいいのだけは分かった。今はそれに従ってどうこうする所から始めよう。
「なんか正直言うと、嫌いでもないやつとやらかすのって気が進まないんですよね」
「好き嫌いを言っているようでは、この先、自らの命を落とす事になりますよ」
これもいわゆる、疑問を持たないヤツって事なんだろうか。まだまだ、ここに馴染むには時間がかかりそうだ。そう私は思った。何よりもまず、価値観が違い過ぎる。価値観ってものは人それぞれあるクセになかなか変える事が出来ないものだ。それを無理にある程度の修正をしようというんだから、一朝一夕にはいかないだろう。
なんだかんだと小難しい課題が積み重なり、頭を悩ませながら唸る私。
するとその時、ふとミシュアさんが口を開いた。
「難しい事を言ってしまうと、あなたのモチベーションを下げてしまうようですね。では、一番首級を上げた暁には焼肉でも奢りましょう。どうです? あなたの事です、少しはやる気が出たでしょう」
え、奢り?
私は急に態度が一変した。重苦しい気分が一気に眩しく開ける。
「あの、飲み放題もつけて下さい」
「ったく……仕方ありませんね。その代わり、しっかりと戦いなさい」
「はいっ!!」
私はこれでもかってぐらいの元気な返事を返した。
TO BE CONTINUED...