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「来るなっ!」
きぃぃぃぃ、とまるでガラスを引っ掻いたような甲高い音が周囲を包み込む。同時に刃のような吹雪が波状に広がる。
「チィッ!」
接近を仕掛けていた俺は足を止めて重心を低く落とすと、大剣の腹を前方に構え、切っ先を左手で支えて防御態勢を取る。その直後、一瞬俺の体が浮き上がりそうなほどの衝撃が剣にぶつかってきた。俺は慌てて一歩下がり、前傾姿勢を取って衝撃を受け止める。
衝撃が抜けて晴れた視界の先には、相変わらず怯えた様子のシャルトの姿があった。
シャルトは廃墟の袋小路の片隅で小さくなって体を震わせていた。それはまるで生まれたばかりの子猫が外界の存在全てを敵視し、自分の力が及ばない事を知りながらも必死に威嚇する、そんな姿を連想させた。
まともには近づけねえよな……。
うっかり、はあ、と大きく気弱な溜息を漏らすも、俺はすぐさま息を吸って深呼吸したかのように誤魔化す。まだ諦めてはいない。そう対面だけでも見せておきたかったのだ。というか、表に出す事を甘受してしまえば、そこで意思力はぷっつりと途切れてしまう。
「おい、どうだ?」
そして俺は、近くで同じように息を切らせているルテラに問い掛ける。ルテラは呼吸を整えながら、駄目だ、と首を横に振る。けれどまだその目は諦めているようではなかった。それはこっちも同じだ。まだまだ、諦めるには人事を尽くしていない。
「困ったわ……まるで近づけない」
「強引に近づこうとすると、より強烈なのが来るしな。ったく、世話の焼ける」
初め、俺一人でシャルトとやりあっていたんだが、途中からルテラを初めとする守星の人間が参戦してきた。なんでも総括部の方から勅命を受けたそうだ。どうやら事態は総括部の知る所となってしまったようだ。いよいよもって急がなければならない。焦りは募る。
状況は進退窮まる膠着状態だった。シャルトはその場から動かず、自分からは決して手は出してこなかった。しかし少しでも近づこうとすれば、先ほどのような刃のような吹雪が飛び出してきて周囲一面を嘗め尽くす。強過ぎる訳でもないが、接近するには困難な威力だ。それに近づけば近づくほど威力は強烈になり、うっかりすればこちらの命もヤバイ事になる。十数人の守星の連中もかなりやり辛さを感じているらしく、なかなか近づこうにも近づけないようだった。
ったく、いつまで甘えてんだかなあ……。
シャルトの様子は通常の暴走のそれとはまるで違っていた。通常、暴走した人間は己の欲望のままに術式を行使して破壊し暴れるのだが、シャルトは全く暴れる様子もなくただただこうしていつまでも小さくなっているだけだ。それがシャルトの欲望の形だと解釈するべきなんだろうが、どうにも俺には甘ったれてるようにしか見えない。来るなだとか放っておいてくれだとか、そんな言葉ばかり言っているが、んなモンは周囲にしか変化を求めない軟弱者のセリフだ、と俺は思っている。ただ、状況が状況だけあって口にするつもりはないのだが。
なんにせよ、さっさと黙らせなければ。こっちもそれだけの大口叩くなら、それなりの事を示してやらにゃあなるまい。
「ルテラ、俺が先に切り込んで盾になる。お前は俺の後ろからついて来い」
俺は大剣を構えてシャルトを真っ向から見据える。相変わらず怯えた目で見るシャルトは、逆にこちらの罪悪感をチクチクと意地悪げに突いてくる。まったくもってやり辛いものだ。
「でも、大丈夫なの? お兄ちゃん」
「大丈夫もなにも、やるしかねえだろ」
このままじっとしてたってシャルトは助けられない。それに、早くしなければシャルトの魔力が体の許容量を越えて消滅してしまう。そうなったら一巻の終わりだ。だいたいにして、あんぐらいの相手でこの俺が簡単に音を上げるはずがない。一流派の頭目を背負うってのはそういう事なのだ。
「レジェイド、ちょっと強引過ぎない?」
と、そう訊ねてきたのはヒュ=レイカだった。ガキのクセに守星なんかやってる、ある意味どうしようもない物好きだ。とは言っても、史上最年少の頭目だったヒュ=レイカは文字通りの天才と謳われただけあり、その実力は信頼に値する確かなのだが。その掴み所のない、いい加減だか几帳面だか分からない性格にはどうにも頭を悩ませられる。
「ガタガタうるせえ。お前もルテラの盾になれ」
「えーっ? 人柱になれってこと?」
「男は女の盾になるために生まれてきたんだよ」
俺は文句をたれるヒュ=レイカの襟を掴んでぐいっと持ち上げると、強引に俺の隣に並ばせた。ヒュ=レイカは露骨に不満げな表情を向けてくる。どうやら盾になるつもりはさらさらないようだが、俺の称する作戦は一個人の意見など決して聞き入れたりはしない。俺が盾にするっつったら盾になる事は力ずくで運命付けられる。
「ちぇ、割に合わないや」
やれやれと溜息を見せつけながら位置取りをするヒュ=レイカ。どうやら抵抗した所で無駄だと分かっているらしい。
「お前もな、人の困るような事ばっかしてないで、たまには喜ばれる事をしろ」
「僕はしてるよ? 滅私奉公が生業だもん」
ガキのクセに生意気言いやがって。俺はこういう大人びたガキが一番嫌いだ。ガキはガキらしく大人の言う事を聞いている方が可愛げがあって扱いやすい。やっぱどうにも俺はヒュ=レイカは苦手な部分がある。扱い辛いだけでなく、うかうかしていると足元をすくわれてしまいそうなほど奸智に長けているからだ。
「さて、行くぜ。攻撃は最小限に留めて、出来るだけ防御に専念しとけよ。ルテラは何があっても怯むな。これで決めるつもりでいろ」
「そんなの、言われなくても分かってるんじゃないかな? お兄ちゃん、もしかして緊張してる?」
ニヤニヤとこの期に及んでまだ無駄口の叩けるヒュ=レイカを、俺は、黙れ、と頭を小突いた。それは別に図星を突かれて頭に来たからじゃない。焦り過ぎて精神的な余裕がなくなり、冗談を冗談として受け流せなくなっているからだ。まったく、ガキの言う事にいちいち目くじら立てるなんて。みっともない。
「行くぜっ!」
そして。
その掛け声と共に俺達は一斉に踏み込んだ。
先頭は俺とヒュ=レイカが並び、すぐ後ろに続くルテラを死角に入れる。シャルトの放つ術式を全て俺達が防ぎ軽減し、ルテラに血路を開く。そしてルテラには術式と術式の行使の間隙を突き、シャルトを黙らせてもらう。単純かつ強引な作戦だが、半端な作戦など暴走した術者は力技で捻じ伏せてしまう。ならば作戦はシンプルなほど良い。
「嫌だ……来るな!」
駆け向かってくる俺達に、シャルトは異常なまでの怯え方で表情を引きつらせる。精霊術法が人間の意識を侵蝕すると思考能力が完全に奪われてしまう事は知っていたが、こうも他人を見るような目を向けられるといささかやりきれない気持ちになる。俺もルテラもシャルトには随分尽くしてやったが、それはあいつにとってこれほど軽いものでしかなかったのだろうか。暴走しているから仕方のない事ではあるのだけれど、そんな無念さすら感じる。
きぃぃぃぃ!
すぐさま悲鳴のような甲高い音と共に白い衝撃波が走る。しかし俺達は足を緩めず、本当にぶつかる直前のギリギリまでそれを引き付ける。
「おおおおおっ!」
俺は衝撃がぶつかる寸前、大剣の腹を構えて重心を落とす。それとほぼ同時に、傍らのヒュ=レイカは雷を伸ばした正方形の障壁を展開する。
どんっ、と凄まじい衝撃をまともに感じながら、俺は必死で弾き飛ばされぬよう剣を構え続ける。それでも衝撃波はがりがりと引っ掻くように剣身を舐め、俺の体を少しずつ強制的に後退させる。びりびりと凍てつく冷気が顔に当たる。あっという間に体表の感覚が薄れていった。もう、色々と凍傷っぽい部分が増えているから、今更どうだっていい。それに、顔には一切傷はついてないが体の傷は勲章になる訳だし、いちいち深刻に考えるまでもない。
「行け!」
ようやく第一波の勢いが薄らいだその瞬間、俺がそう叫ぶと同時に俺らの背後に待機していたルテラが前へ飛び出す。ルテラはシャルトと同じ、甲高い悲鳴のような吹雪を両腕に纏わせながら冷気の薄れた空気を一蹴して突き進む。研ぎ澄まされた刃物を思わせるルテラの決意に満ちたその表情。慈愛と決断とをない交ぜにした、酷く不安定な感情に彩られた表情だ。
「やめ……来るなぁっ!」
シャルトはルテラの接近を前に、表情を今更言うまでもないほどの恐怖に歪める。もはやシャルトの平素の表情が、そんな恐怖に歪んだそれのような気にさえなってきた。どうしてこんな顔をしなくてはならないのか、その謂れを考えると、やはりまたもや胸を締め付けられるような気分に苛まれてくる。
悲鳴と同時に、シャルトは無軌道な精霊術法を行使する。間髪入れぬ第二波だが、先ほどよりも術式単体としての安定性がなく形が不完全。ただ膨大な質量にものを言わせる強引な術式だ。
周囲を一様に薙ぎ払うような、巨大な剣を思わせる圧倒的としか言い様のない白い吹雪が衝撃を伴って地面を走る。それは鋭い音を立てながら空気を切り裂き、触れ行くもの全てを切り裂く勢いで周囲を覆いながら拡大し走る。いわば、巨大な白い化物のようだった。オーガやらサイクロプスやら、それら巨躯が特徴な魔物などとは比べ物にならないほどの。
だが、ルテラはその不安定な術式を前にも一歩も退かず、尚も足を強く前へ踏み込む。
「ハァッ!」
それはあまりに強烈な衝撃を伴った術式だったが、ルテラはその吹雪を伴った右腕で刃にも似た白の衝撃を真っ向から打ち砕き退ける。生身の体で剣術以上の威力を体現するルテラの技量は、剣技を極めつくしたと自負する俺自身にとっても称賛に値する凄まじいものだ。才能があったのか、そこに辿り着くまでの凄まじい努力を惜しまなかったのか。どちらにせよ、今の状況ではルテラほど総合的信頼を置ける存在はいないだろう。ルテラの圧倒的実力と限りなく冷徹に等しい判断能力は、常に最善の行動パターンを即座に組み立て、俺が最善とする作戦とオーバーライドする。おおよそ戦闘に必要な要素を持ち合わすルテラは、少なくとも有事の件に関しては頭目に求められる要素を全て持ち合わせている。自分の背中を任せるのにはこれほど優れた存在はいない。
「シャルトちゃん! いい加減にしなさい!」
と。
ルテラは冷徹な表情とは裏腹に、烈火の如く激しい叱責をシャルトに浴びせ掛けた。しかしそれはシャルトの心を揺さ振るにはあまりに効果は薄いようだ。シャルトはその砲声を前にもただただ怯え続け、袋小路の隅で体を小さく丸める。干渉という干渉の一切をそこで遮断しようかという姿勢だ。
いつまでもそうしたって仕方がないだろうが。
それは自分に対する正論なのだけれど。何かするどころか、攻めないシャルトへの苛立ちや焦りは重ねるだけ続き、あっという間に理性の論理限界を突破する。その妥協点を超過した要素については話し合う余地もなく、ただただ怠惰なそれに俺の目には映る。
尚も続く白の衝撃に、ルテラは全身の出せる限りの力で真っ向からぶつかっていく。今の所は互いの力関係は拮抗しているが、傍目にも余力が残っているように見えるのは泣き喚いているシャルトの方だ。鋭い眼差しで前進するルテラの表情は徐々に歪みを見せているが、シャルトはより一層激しく感情を発露している。衝撃の波も徐々に感覚が狭まっていく。だがそれでもルテラは一歩も退かない。シャルトをおとなしくさせるという目的を果たすまではひたすら前進し続ける構えだ。我が妹ながら、見た目の繊細さによらず勇猛果敢だ。
「よし、もう少し!」
ヒュ=レイカが嬌声を上げる。俺も何か声援の一つでも送りたかったが、どうしてか体に力が入らない。どうやらいよいよ本格的に凍傷がヤバくなってきたようだ。微妙に体表の感覚も薄い。
ぎりぎりと軋む音が聞こえてきそうなほど強く奥歯を噛み、ルテラは更に足を踏み出す。それは、一歩、二歩と歩を進めていく内に幅が徐々に狭まっていく。加速していくルテラに呼応するかのように、ルテラの右腕がまとう吹雪は勢いを増し、膨れ上がった悲鳴のような音がシャルトの術式が発するそれを飲み込んでいく。
そして。
「ハァッ!」
幾重にも襲い掛かるシャルトの術式を強引に振り抜き、ルテラの拳がようやく内部層へ入り込む。瞬間、ルテラの指がシャルトの肩を捉える。そしてそのまま強引にシャルトを自分の方へ振り向かせた。
「もうやめなさい!」
シャルトとルテラの視線が真っ向からぶつかる。恐怖と放心との入り混じった表情と、決死と慈愛との入り混じった表情と。それらを包む術式の放冷気が、まるで時間が止まってしまったかのようにその流れを一時止める。
「大丈夫だから落ち着きなさい! ここにはもう怖い人はいないから!」
声を張るルテラの表情を前に、シャルトは呼吸も忘れて全ての動作を止める。そしてただ、何かに取り憑かれたかのようにひたすらルテラの顔を見上げていた。
どうだ……おさまるか?
二人の様子を見ながら必死で事態の好転を願う。正直、あまり剣を握り続けるだけの力が残っていないのだ。氷のように冷えきった指は感覚に乏しく、俺の意思を無視して小刻みに震えている。意図的に動かそうとしても、まるで腱が切れたかのようにぎこちなくしか動いてくれない。
と。
その時、俺は急に日差しが差してきたかのように周囲の空気が暖かく緩んでくるのを感じた。膨大なキャパシティに任せて無軌道に行使されていた術式が嘘のようにぴたりと収まった。俺は酷い嵐から一夜あけたような、そんな錯覚を覚える。
「そう……もう大丈夫だから。ね?」
徐々に落ち着きを取り戻し始めたシャルトに、ルテラは鋭く緊張した表情を緩めて普段通りの明るい笑顔を向ける。遠目からもシャルトが落ち着いていく様がはっきりと見て取れた。
「やれやれ……手間かけさせやがるぜ」
ようやく俺も体の緊張を解き、ふう、と疲労感の漂う息を吐いた。なんだか酷く気疲れした。このぐらい派手な戦闘はよくやっているが、ここまで神経を磨り減らすのはそう何度も経験する事はない。やはり身内が関わっていると、どうしても感情問題が入り組んでくる。俺を焦らせ精神的に追い詰めようとしているのはそれのせいだ。出来る事ならば、金輪際こういった問題には関わりたくないものである。冗談抜きでそう俺は密かに願った。
「いやあ、危なかったね。死ぬかと思ったよ」
そしてヒュ=レイカは、まるで何事もなかったかのように平然とヘラヘラ笑っている。まあ、それも当然だ。こいつは俺みたいにあの術式に何度も体を焼かれた訳でもなく、ただの一回、障壁で防ぎながら突貫をかけただけなのだから。
「よく言うぜ。それよりも、今度は俺の方が死にそうだぜ」
「頑張ってね」
冗談のつもりで言ったのだが。ヒュ=レイカは冗談にしては随分と冷たい言葉をぶつけてきた。しかも虫も殺さないような笑顔でだ。どことなく、こいつという人間の本質を垣間見させられた気がする。俺は肩眉を上げて苦笑した。
―――と。
「ッ!?」
突然、おとなしくなっていたシャルトが再び表情を青褪めさせ、ルテラの傍から離れる。まるで弾けるかのような激しい勢いだ。ルテラは突き飛ばされたようにバランスを崩す。
「シャルトちゃん? どうし……キャッ!」
ルテラの言葉も最後まで聞かず、再びあの白い衝撃が走り周囲を舐める。まさにその爆心地にいたルテラは直撃を受け、大きく後ろへ吹き飛ばされた。しかし、咄嗟に障壁を展開したのだろう、空中でバランスを取り直し綺麗に着地する。
「嫌だ……嫌だ!」
シャルトは壁の隅で体を小さく丸め、がたがたと真っ青な顔で震え出す。
また始まったのか……。
そう溜息をつかずにはいられなかった。ようやくおとなしくなったというのに。やはり、多少痛い目を見させるぐらいの勢いで黙らせなければ無理なのだろうか?
「……ねえ、どうする?」
ヒュ=レイカがトーンを落とした口調で訊ねる。それに対し俺は、
「やるしかねえだろ……?」
としか答える事が出来なかった。ルテラもまた頷き同意を見せるものの、俺は一体何をどうすればいいのか、見当がつかなくなってきていた。今と同じように、強引に切り込んで強制的に落としてしまおうか? あまり乱暴な手段をガキには使いたくはないんだが。もうこれ以上、譲歩ばっかりを考慮して入られないか。
が、その時。
「うっ!?」
不意に目も眩みそうなほどの圧倒的な光が俺の視界に広がる。訳も分からず、とにかく俺はただ目を瞑り光にやられた目を慣らした。
TO BE CONTINUED...