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北斗総括部の丁度裏手に建てられているこじんまりとした離れの廃屋。
その中に、リュネス=ファンロンは謹慎という名目で監禁されていた。謹慎となった理由は命令違反である。
命令違反とされたのは、リュネスが無断で隊を離れ夜叉に向かおうとした造反未遂によるものだった。リュネスは途中、白鳳と交戦中だった夜叉のシャルトとの合流を図るものの、追送してきたリーシェイに確保され、シャルトは反乱軍の捕虜となってしまった。
本来、敵前逃亡や造反は北斗では最も重い罪の一つとされ、即刻処刑となってもおかしくはないほどである。しかし、今は反乱軍によって北斗の旧体制は崩され、かつての法規は力を失っていた。リュネスを確保したのはリーシェイだったが、処分を決定したのはファルティアだった。凍姫の最高責任者としての判断は言うまでもなく死罪だったが、リュネス=ファンロンの身内としての判断がそれを酌量し、無期での監禁という形に軽減した。
減刑は旧体制において許されない行為だが、エスタシアを筆頭とする彼らの唱える新体制では十分に容認される事だった。優秀な人材ならば、過ちは償わせる機会を与える。何よりも軍事力の質を優先させる新体制ならではの発想である。 リュネスのいるその部屋は特別に改装したものらしく、老朽化した外観からは想像も付かないほど小奇麗で頑丈だった。窓のような外部との接点は扉以外に無く、ただぽっかりと正方形に穿たれた立方体の空間に、生活に必要な最低限のものだけを詰め込んだだけのものだ。本来、罪人が投じられる牢獄に比べれば幾分かましな内装だったが、これほどまで人の手が念入りに加えられていると、逆に自分がそれだけの大罪人として警戒されていると思え、一生出られないのではないかという恐ろしい強迫観念に見舞われた。唯一の光源である一本の蝋燭の炎が薄く部屋の中を彩る。その心細さがよりリュネスを暗がりへ追い詰める。
その部屋は壁も天井も全てが白い壁材で作られていた。そしてその表面にはうっすらと七色に輝く呪印が点滅を緩やかに繰り返している。この部屋には耐久性に優れているミスリル合金を惜し気もなく使われていたが、そこへ更に七層にも及ぶ多重結界が施されていた。そのためこの部屋の単純な耐久能力は、この世界の物理的限界に限りなく達していると言えるだろう。
無論、これほどまで手の込んだ牢を用意するには理由があった。それは、リュネスが北斗でも数える程しかいないSランクのチャネルを持つ危険人物であるからだ。
精霊術法の威力は、術者が生まれ持つキャパシティとそれをコントロールする力で決まる。幾らキャパシティに恵まれていても、垂れ流すだけではそれほどの威力は発揮されないのだ。しかし、リュネスのようにSランクのチャネルを持つ者では話が変わってくる。ホースの先を自在に潰して水圧を調整するように、微細なコントロールが出来なければ術式の威力も大きくならないのが通例だが、Sランクのキャパシティとはそういったコントロールをまるで必要としないほど規格を外れた大きさなのだ。
精霊術法は、そのコントロールが特に困難とされている。そのため技術的、精神的に未熟なSランクの人間は、生まれ持った力を使いこなすどころか振り回されてしまう危険性を孕んでいる。それも単なる危険ではない。Sランクの暴走は一都市を一瞬で消滅させてしまうほどの破壊力だ。危機管理という観点から鑑みれば、Sランクの人間を凡人同様の扱い方をする事はまず有り得ない。基本的な人権を無視するような対応を取る十分な理由にもなる。一個の人間の人格と、何千何万という人間の生命を同じ天秤にかける事ほど愚かな行為はない。むしろ、これまでのリュネスの待遇が恵まれ過ぎていると言えた。
リュネスは部屋の中心で呆然としながらうつむき、座り込んでいた。
目元は真っ赤に腫れていた。つい先ほどまでひたすら涙を流していたのだが、枯れ果ててしまったのか、もはや涙が流れてくるような感情がわきあがってくる事は無かった。
今のリュネスを取り巻いているのは強い自責の念だった。それは己を殺してしまいたいとさえ思うほど、自分自身へ向けられたあまりに強い憎悪である。
元々リュネスは、自分には何の取り得も無い、と思い込むほど自分を過小評価する内向的な性格だった。自分への自信の無さが、口数の少なさ、主張の弱さといった点に反映されている。けれど、リュネスは精霊術法を少しずつ使いこなせるようになり、シャルトと付き合い始めてからというもの、少しずつ自分に対する自信をつけてきた。普段は相変わらずおとなしく一歩引きがちだったが、どうしても自分が譲れないものに関しては誰が相手であろうとも決して退く事がなかった。今まで何もかも相手に合わせて譲歩してきていたのが、少しずつ自分の領域を確保し守ろうという自己主張を始めたのである。その要因はやはり自分自身に自信がついたからに他無い。
だが。
自分のせいで、こんな事になってしまうなんて。
悔やむ事を辞めたリュネスは、ひたすら責任の追及を自らに向けていた。
あの時、自分さえ怖さに負けて声を出さなければ。シャルトは自分を知らないまま通り過ぎていっただろうし、リーシェイと戦う事も無かった。挙句、自分はシャルトがリーシェイに負ける原因を作ってしまった。自分はシャルトにとって、文字通り致命的な足手まといとなってしまったのである。
自分と関わった人は次々と不幸になっていく。そうリュネスは思った。
生みの両親は野盗に襲われて殺された。
育ての両親もまた、北斗にいたにも関わらず野盗に殺された。
そして、シャルトは自分のせいで捕虜となってしまっている。
自分に背負う宿星があるのならば、きっとラゴウに違いない。自分は周囲をゆっくり飲み込むように関わってきた人間を次々と不幸に陥れて行くのだ。
自分さえいなければ良かったのに。
これほど自分を憎んだのは、一年前の風無の反逆の時に起こした暴走後以来だ。
あの時、自分は周囲に支えられてなんとか立ち直る事が出来た。けれど、今は誰も周りにはいない。
ファルティアさんも、リーシェイさんも、ラクシェルさんも、みんな別人のようになってしまった。シャルトさんもここにはいない。私は一人だ……。
「にゃあ」
リュネス……。
不意にテュリアスはそっとリュネスの手の甲に体を摺り寄せた。シャルトに洗われたばかりだからなのだろうか、柔らかい体毛が荒んだ気分に心地良かった。
「あ……ごめんね。一人じゃなかった」
そう、リュネスは弱々しく微笑んで見せるも、やはりすぐに気持ちは落ち込み、表情に暗い影が差した。
「シャルトさん……」
リュネスはテュリアスをそっと抱きながら恋人に思いを馳せる。
以前は、シャルトの姿を思い浮かべるのは容易な事だった。けれど、今は幾ら馳せども涙に濡れたかのようにぼやけては消えてしまう。まるで自分の手の届かない所へ行ってしまったかのようだ。
一体如何なる造りになっているのか、小さく開いている換気口を除いてこの部屋は外界からは完全に遮断される造りになっていた。換気口が必要という事は建物がそれだけ高気密である事である。物理的な強度に関しては最高峰を誇るミスリルを空気の通り道もないほど綿密に敷き詰め、更に多重結界を施したその部屋。空気の流れを遮断されているため、外部からの音が伝わってくる事は無かった。そのためリュネスは外界から完全に隔離された状態となっていた。今、北斗の情勢が如何なるものになっているのか、知る手段は何一つ無かった。けれど、何一つ希望的観測を持てる要素は無かった。リュネスの知る限り、ここに監禁される前には既に北斗派はほぼ壊滅状態に等しかったのだから。
これからどうなってしまうのだろう。
ひたすらリュネスは絶望した。
これまでの幸せだった生活は全て壊され、大切な人は皆自分を離れていった。
二度と戻らない幸せ。
形のあるもの、形の無いもの、一概に奪われる現実が受け入れ難かった。これも、あのリアルな悪夢であって欲しい。けれど意識も感覚も嫌になるほどリアルではっきりとしている。むしろ受け入れられない理性の方が空ろで霞がかっている。このまま壊れてしまうのではないか、という自身への危惧があったが、まだはっきりと自分の目で本当に絶望的な状況なのかどうかは確かめていない、という微かな希望が冷たい現実に繋ぎ止めていた。
外の様子も見えず時計も無いため、夜明けまであとどれぐらいなのか分からなかった。眠気が無い事を考えると宵の口かもしれないが、意識はずっと覚醒状態を保っている。それだけで正確な時間は計れない。
朝が来れば、きっと良い方向に向かっているはず。
ただそれだけを信じ、リュネスはじっと身を小さく強張らせる。
が、その時。
「ッ!?」
突然、蝋燭以外の光源の無いこの部屋に、目も眩むような激しい光が差し込んできた。
思わず顔を上げたリュネスの目の前には、まるで姿見のような楕円の輝く何かがぽっかりと薄闇に浮かび上がっていた。明らかに部屋の外から差し込んだ光では無い。光そのものが部屋の中に突如として現れたかのようだ。
「な、何……?」
リュネスはテュリアスを抱いたまま、慌てて後ろへ這うように離れる。自分の常識の範囲にこんなものは存在しえず、反射的に恐怖を感じたからだ。
不意にその光の中からにゅっと何かが飛び出し、おぼろげな境界線を内側から掴む。
それは人間の手だった。自分の持つ手と比べ、何一つ変わっている点は無い。ただ、どうしてこんな所から人の手が現れるのかリュネスには理解できなかった。この部屋には入り口のドアを開けなければ入る事が出来ないのだ。けれどドアにはカギがかかっている。鍵もドアも開けずに入ってくるなど、物理的に不可能なはずだ。
まるでこの世のものならざるものを見るかのような怯えた目でリュネスは震えていた。なんとか自分を奮い立たせ、少なくとも自分の身だけでも守ろうとするも、恐怖に支配された体は理性の命令を無視し強張り続ける。
光の中から現れた手は、腕、肩、そして体と徐々に人間を構成する箇所を露にしていく。心底恐ろしいはずだったリュネスは、その常識を逸脱した光景から目が離せなくなっていた。視線が、意識が、目に見えない何かに縛られてしまっているようである。
そして、光の中から現れた手の主がその全貌を露にする。
それは一人の修道女だった。
フードを目深に被る彼女の姿は、まるで自らの表情を相手に見られまいとしているかのようである。
「あなたは……!」
一転し、リュネスは自分の意思ではっきりと彼女の姿を見据える。
リュネスは彼女を知っていた。そう、忘れもしない一年前。あの忌まわしい事件の中でリュネスは、彼女とたった一度だけ対面しているのである。
自分の意思を無視して思い起こされる一年前の記憶。その中に、はっきりとリュネスは彼女の姿を見つけた。
彼女はリュネスを救った、あの『遠見』だった。
「お久しぶりですね」
そう、『遠見』は僅かに覗く口元を微笑ませる。それにつられ、恐怖に緊張していたリュネスはゆっくりとぎこちなく微笑み返した。
TO BE CONTINUED...