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虫の知らせというものがある。
自分の知り得ぬ所で身内に不幸があった場合、ふとざわつくような違和感を抱く事がある。その感覚を刺す言葉だ。
とは言え、このような状況に立たされてしまえば、虫の知らせもなにもあったものではない。
災禍が降りかかるという事が容易に想像出来るのだ。
にもかかわらず、何故だろうか。
体がざわつく。
まるで、早く気づけ、と急き立てるように。
「ファルティア! 飛ばし過ぎだ!」
ようやく東区第八区画に差し掛かった頃、私は前方をひた走るファルティアにそう叫んだ。しかし、ファルティアはエメラルドの髪をなびかせながら走り続けるばかりで、一向に足を緩める気配が無い。
「チッ……やはり聞こえてはいないか」
私は溜息をつきながらも引き離されまいと更に加速する。
しんと静まり返った深夜の北斗街路。私達は東区の大通りを南に向かって疾駆していた。目的地は凍姫本部である。
現在この北斗は、東区を中心に緊急警報が発令され厳戒態勢が敷かれている。北斗が襲撃を受けることなど日常茶飯事であるが、今回ばかりは少々事情が普段と異なる。今回の敵は外部の戦闘集団ではなく、北斗十二衆の一派『風無』なのだ。その目的の如何は依然として不明であり、突然何の前触れもなくまずは羅生門を襲撃した。羅生門には二人の守護神、前鬼と後鬼がいる。第一の尖行隊は彼らによって瞬く間に殲滅された。だが、本当の難事はそれからだった。風無は十二衆随一の諜報力を誇っている。独自の情報網によってありとあらゆる情報を即時入手し、それを本部や守星、他十一流派に伝達する。このように風無は守星と北斗十二衆を情報面で後支援し、より迅速な対応を実現させた功績は非常に大きい。しかし、それがひとたび敵に回ればどういう事になるのか。その恐ろしさを私達は身を持って思い知らされる事になった。
風無が得意とするのは、情報の収集と伝達。随時物事の最新情報を風無経由で手に入れていた我々は、直接自分の足で情報を手に入れる必要性がなかった。風無が目をつけたのはその部分だ。風無が正確な情報を手に入れてくるため、情報そのものの正確性を判断する習慣が失われていたのである。案の定、風無によって巧みに情報操作され、たった一流派に守星と三流派が出撃する事になったにも関わらず、未だに鎮圧が出来ないでいる。かく言う我々もまた、風無の情報操作に惑わされ、本部から離れた見当違いの場所へ向かってしまった。その間隙を突いて、ようやく姿を現した風無の本隊が凍姫本部を襲撃したと聞かされたのはつい十分ほど前の事だ。そしてすぐさま引き返し、何班かと合流しながら本部に向かっているのである。
ファルティアは凄まじい速さで前方をひた走っている。それほど脚力に差はなかったはずだが、こちらが幾ら急いでも背中は一向に近づいてこない。
今現在、本部にはミシュアさんを初めとするたった二十余名ほどの戦力しか残っていない。そこへ風無の本部が向かっているのだ。どう考えてもこちら側が不利であるのは明白である。しかも本部の待機組の中には、一ヶ月ほど前に入ったばかりのリュネス=ファンロンがいる。ファルティアがこれほどまで急いでいるのは、ファルティアがリュネスの保護者だからである。あのミシュアさんがいるのだから、そうそう滅多な事にはならないだろうが、敵の戦力数は段違いだ。我々も急ぐに越した事は無い。
確かに急ぐ気持ちは分かる。だがスタミナは無尽蔵にある訳ではない。ペース配分を考えて走らなければあっという間に息が上がってしまう。それに、力任せに走れば足を痛める事にもなりかねない。そんな状態で本部に到着しても、そこには頭目が待ち構えているのだ。他の有象無象はともかく、頭目は体調に不備のある状態でどうにかなるほど簡単な相手ではない。
「しゃあないわよ。それに急いでるのには変わりは無いんだし、いいんじゃないの?」
私と並走するラクシェルがそう苦笑を浮かべた。その僅か後方には顔を真っ赤にして走っているレイジの姿があり、更にその後を途中で合流した隊員が同じく息を切らせて続いている。私らならばともかく、さすがにこの速度で走るのは体力的にかなり辛いだろう。
「それにしても、なんだってこんな事をするのかしらね。風無はさ」
ラクシェルが走りながらそうぼやいた。
「私は凍姫の人間だからな。分からん。まあ、統括部よりも北斗の実状を知ると言われている風無にしては愚かしい行動だな」
情報網を持つのはどの流派も同じだが、それはせいぜい自分の本部がある区域だけだ。しかし風無は北斗全域はもちろんの事、ヨツンヘイムの各地まで勢力を伸ばしているそうだ。徹底した現実主義の中、物事を正確に捉え評価する力を持っている風無。にもかかわらず、何故このような愚かな行動に出たのだろうか。風無が無断で他の戦闘集団に攻撃を仕掛けるならばまだしも、北斗に牙を剥くのがどれだけ無謀な事か分からないはずはない。他十一流派を全て敵に回す事になるのだ。この戦力差は、情報操作のみで補えるほどのものではない絶望的なもの。そうと知っていながらも反逆を起こしたのは、一体どういう経緯から来るのだろうか。
「風無は絶対的な封建主義で成り立っているため、下の者は一つでも上の者に逆らう事は許されないそうだ。そうなれば、全ては頭目の判断なのだろうな。部下達はとんだ災難だ」
「でもさ、本当に風無の頭目がそんな事するかしらね?」
ふとラクシェルがそんな疑問を口にした。まるで風無の頭目を庇うような口振りだ。
「風無の頭目って、穏健派で有名な人よ。封建主義を守りこそすれ、目下の人間へも礼節を尽くす事は怠らず性格はいたって温厚そのもの。流派内は元より周辺の一般人からも親交が厚かったってさ。そんな人間が北斗に反逆なんてすると思う? きっと何らかの事情があると思うわ」
私もまた風無の頭目の高名はかねがね聞いている。自分には厳しく、周囲には最大限の礼節を尽くす温厚な性格。直接顔を合わせた事は一度も無いのだが、これほど感心させられる人間は滅多にいないだろう。まさに北斗のために生まれてきたような人間だ。確かにラクシェルが言う通り、彼が反逆などを犯すとは考えにくい。しかし事実、反乱はこうして起きているのだ。反乱に至るまでの経緯はさほど重要ではない。要は鎮圧出来るか否かだ。
今、最も優先すべき事は。数少ない戦力で風無と相対しているであろう本部の待機組の元へ一刻も早く駆けつけて加勢する事だ。いまや反逆者である風無に本部を落とされるような事態だけは避けたい。それに何よりも、リュネスはまだ実戦自体が未経験だ。一番不安なのはこのリュネスの安否である。
「私は事情に興味などない。敵は須らく敵だ」
「あんたって、そういう所はクールよね」
「敵に情を挟む神経の方が甚だ疑問だな」
北斗に牙を剥けば、その時点で敵と見なされる。攻撃する条件はそれだけでいいのだ。敵となった瞬間、そこには一切の感情の介入は存在しなくなる。敵はあくまで敵、誰であろうとその評価は揺ぎ無い。敵を倒す事を躊躇ってはならない。同じ人間ではなく、ただの物体と認識する冷徹さが求められるのだ。敵は必ずしも力だけを武器とする訳ではない。時には情に訴え掛けてくるような姑息な手段を用いる場合もあるのだ。どれだけ肉体的に優れていたとしても、情にほだされてやられてしまうのでは話にならない。北斗は守り手、守り手に求められるのはただ一つ、完全な勝利だ。そのためには、流れ作業のように目前の敵を抹殺する機械的神経が必要なのである。
と。
「むっ!?」
突然、耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
ハッと私達は足を止めた。前方をひた走るファルティアも同じく路面を僅かに滑って足を止めた。
「あれは……」
丁度私達が向かっていた先に巨大な青い光の柱が立っている。何とも神々しさを感じさせる幻想的な光景だった。だが、そんな感傷的な気分に浸るよりも早く危機感を伴った疑問が頭を掠めてくる。
「何よあれ? 精霊術法……にしては景気いいわね」
「そのようだが」
しかし、魔力の量が凄まじい。あれほどの量を制御する人間なんて浄禍以外にはあり得ない。だが今回は浄禍には出動要請は出ていないはず。にも関わらず、この圧倒的量の魔力の放出。複数人による精霊術法の同時行使も考えたが、その割には波長にばらつきがない。第一、今の凍姫の本部にある戦力数だけではあれほどの術式は行使できない。
いや、例外が一つある。
限りなく絶望的な結論ではあるが、前者の考えよりは遥かに現実的な結論だ。
「ちっくしょう!」
ファルティアが自棄に近い声を上げ、再び走り出した。
おそらく私と同じ事を考えたのだろう。いち早く現場に駆けつけようというのだ。しかし辿り着いた所でどうなる。いや、それでも向かわずにはいられないか。この私もまた同じ心境であるから。
「もしかしてさ、あれって……」
ラクシェルの確信を持ちかけた言葉に私は首を振った。そして、
「行くぞ」
私もまたファルティアの後を追って駆け出した。
今は立ち止まっていても仕方がない。まずは現場に向かわなくては。
TO BE CONTINUED...