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人は仮面を被って生きている。周囲とうまく共存していくため、都合の良い人格を演じるためだ。
人間の本音というものは、容易に人を傷つけ不快にさせてしまうから。私も仮面をつけている。
嬉しくもない事、したくもない事をさも何でもないかのように振舞う顔。
そして、雪乱の頭目『雪魔女』としての顔。
二つの仮面を使い分け、私は戦場とを駆け巡った。
でも、それに疑問を抱かなかった訳じゃない。
どうして私はこんな事をしているのだろう? いつもそう思っている。
周囲との摩擦を作らないための仮面は分かるけど、私にとって『雪魔女』の仮面はなんなのだろう?
戦う事しか頭にない、ひたすら走り続けるだけの孤高の存在、雪魔女。
自分が『彼女』になる事が苦痛なのは知っている。それでも、私は雪魔女の仮面をつけ続けなければいけなかった。
雪魔女とは、スタート地点から逃げ続けるために走る私の妄執が生み出した亡霊なのだ。
もしかすると、私は雪魔女から逃げ続けるために走っていたのかもしれない。
でも。
あなたは、そんな私の仮面を剥ぎ取ってくれたね。
「初めまして、にしておきましょう」
ルテラはスファイルの意図に乗り、静かに目を伏せながら息をつき、そう答える。
本当は初対面ではない二人が、そんな嘘をついたのは。それぞれの背中を取り巻く周囲の存在があったからだ。二人は互いに一流派を背負う頭目。流派そのものの存在意義を問うこの決闘上で、抗争以外に接点のないはずの二人が面識を持っている、という事実は周囲への不安や決闘そのものへの疑念を与えるだけでしかないのである。
二人はゆっくり中央へ歩み寄り、互いの体に手を伸ばせば触れられるほどの距離まで近づく。同時に、互いの取り巻きは更に数十歩二人から距離を取る。それにより、二人の決闘場が出来上がった。
スファイルは無表情ながら愁いを帯びた眼差しをルテラに向けている。だがルテラはそんな様相に気がつかず、まるで人形のように動きのない無表情でスファイルと対峙する。
「初めは冴えないナンパ男、次は無謀なお節介」
感情がないかのように抑揚のない声でルテラはスファイルに淡々と喋る。スファイルはやや視線を伏せたまま、じっと直立し続けている。
「そして、今度は凍姫の頭目。何? あなたは一体何のつもりなの?」
互いの取り巻きは離れた場所にいるため、普通に話す声も決して聞こえる事はない。今のルテラの声は、静かで落ち着いていながらも内側からひしひしと殺気のような激しい感情を感じさせた。
ぴしっ、ぴしっ、と周囲の空気が小さくはじけるような音を立て始める。ルテラが空気を凍り尽くさんばかりの冷気を放つ。俄かに空気が質量を帯び始めた。凍てつく空気が渦を巻き始め、刃のように鋭くスファイルの頬を打つ。けれど、それでもスファイルは表情をうつむけたままだ。
「そう、答える気はないのね」
そしてルテラはじろりとスファイルを睨みつけると、おもむろに上着の襟元を開いて首を楽にする。その途端、更に周囲の温度が下がった。
ルテラの表情は既に、凍姫内外に留まらず味方にまでにすら『雪魔女』と呼ばれ畏怖されたそれになっていた。
冷たく乾いた碧眼が異様なほどぎらぎらと輝きながら前方を見やる。大きく見開き獲物を捕らえる様は、とても同じ人間のそれとは思えぬほどの戦慄を、遠く離れた双方の取り巻きへ深く刻み込むように与えた。
「馬鹿にして」
と。
突然、ルテラの後ろ足元が小さく破裂音を鳴らす。瞬間、ルテラの体は勢い良く前方へ弾き出される。同時に右腕をそのまま前へ突き出した。
ルテラの右手が、スファイルの喉を虎が食いつくかのように捕らえる。そしてそのままスファイルの体は地面へ叩きつけられ、それをルテラが上から押さえつける。だが、
「僕は、そんなつもりはありません……」
スファイルは平素に近い様子で、ただそう重苦しく答える。スファイルの印象からは愁いが拭えなかったが、ルテラにはその姿が自分への侮蔑以外の何物にも思えなかった。
「知らないわ」
ルテラは左手を振りかざすと、そこへ術式を体現化する。ルテラが描いたイメージは、腕の周囲を纏い刃のように荒れ狂う猛吹雪。
そのまま左腕を、まるで杭を打つかのように何の躊躇いもなくスファイルの顔へ振り下ろす。しかし、
「くっ」
刹那、スファイルはルテラの右手を取ると瞬時に捻り、上にいるルテラの体勢を崩す。手首から伝わった強制的な螺旋運動に腕を捻られ、体のバランスを崩しつつ注意がスファイルからそれる。その隙を見逃さず、素早くスファイルはルテラを振り切って間合いを開ける。
ほんの一瞬の間に起こった出来事。
この戦いの勝者の流派が残る事が出来る。それだけに、瞬きする間もないほどの激しい攻防など日常的に見慣れているはずの彼らでありながら、今の二人の一連のやり取りを息告ぐ暇も惜しんで食い入るように見ていた。
ルテラは手合いから離れたスファイルとの距離関係を確かめると、ゆっくりぎらぎらとした目を向ける。その視線の前には、空気までもが道を開けそうなほどに凍てついている。
スファイルは服についた埃を払う事もせず、ただじっとその視線に自身をさらしていた。
いつの間にか、スファイルの表情から愁いの色が消えていた。一変したその表情からは胸中を窺い知る事は出来ないものの、ルテラとはまた違う意味で表情らしい表情が認められなかった。無表情と評するよりも、氷のように堅牢な冷静さを例える方が近い。
一体どういった心境の変化なのか。
なんにせよ、何らかの決心をつけて意気の武装をまとったのは確かだ。これまでのような腑抜けた相手ではなく、いよいよ流派『凍姫』の頭目を相手にする事となる。ルテラは一度熱く滾ってしまった己の理性を再び冷たく凍らせ、冷静にスファイルへ注意を注ぐ。
と。
「せっかくですから、条件を一つ増やしませんか?」
唐突にスファイルはそんな提案を持ち出してきた。
こんな時に一体何を言い出すのだろう? そんな意味を込め、ルテラは僅かに眉を潜める。
「敗者は勝者の提示する条件を一つ飲む、というのはどうですか?」
その時、スファイルが僅かに口元を綻ばせる。スファイルの不気味な笑みに、ルテラは一瞬目を奪われる。が、すぐさまそれは怒りに似た闘志に摩り替わる。
「あの時は連れなくされましたが、今度は逃がさない」
「あなたも俗ね。別になんでもいいわ」
「ありがとうございます」
律儀にも敵へ礼を述べるスファイル。しかしルテラにはそれが不快感をもたらす以外の何物にもならない。
と、丁度それに続いて北斗中央にそびえる大時計台が時を知らせる。スファイルは上着の襟を緩め、ゆっくり視線をルテラに向けた。
「そろそろ時間です。始めましょう」
TO BE CONTINUED...