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 東西南北にそれぞれ伸びる大通り。
 その中の東区を走る通りの一角。そこには一軒の食品全般を扱う大きな店が営まれていた。
 夕刻が近づいている事もあり、夕食の準備のため客足は少しずつ増え賑わいを見せている。
 リュネスは混雑を始めた店内の中で、時折もみくちゃにされながらもしきりに食材を集めていた。じんわりと額に汗を浮べつつも、目的の材料を少しでも早く集め買ってしまおうと奮闘するのは、これから間もなく混雑がピークを迎える時間帯に入る事を知っていたからだった。更に混雑すればするほど、店頭に並ぶ食材は良い物から片っ端に消えていく。
 リュネスが手にしていた買い物カゴには、明らかに他の買い物客とは違う大量の食材が詰まっていた。大人でも十人分近くは作る事が出来る量だ。
 よほど大勢の家族がいるのだろうか。
 たまたま、そんな大荷物を相手に奮闘するリュネスの姿が目に留まった者はそう思った。ある種の奇異の視線すらも向けられたが、リュネスはそんな周囲の視線などまるで気にならなかった。頭の中には、これからの事のみしか無かったからである。
 ようやく会計を済ませて店から出ると、全身がじっとりと汗ばんでいた。自分では綺麗にしてきたつもりだったが、これでは手間をかけた意味が薄れてくる。しかもこの後、その当人と落ち合う約束までしてある。迂闊に接近出来ない、とリュネスは思った。ひとまず、彼の部屋に到着するまでの辛抱だ。しかし、着いていきなりシャワーを借りるのも、何だかがっついているというか露骨に煽るようで不自然だ。
 そんな事で頭を悩ませつつ、リュネスは大きな買い物袋を二つ下げて店を出た。体格は小柄で細く腕力も人並み以下のリュネスには文字通り荷が重かったが、苦しいとも別な輸送方法を考えようとも思わなかった。肘は完全に伸び、肩も荷物によって下へ引っ張られている。しかし足取りは衰えるどころかむしろ早まっている。
「む」
 その時、突然リュネスのすぐ隣から聞き慣れた声が飛び込んできた。
「あ……こんにちは」
 反射的に振り向いたリュネス。そこに立っていたのは、普段のように何を考えているのか分からない無表情をしたリーシェイだった。
「どうしたんですか? こんな所で」
「馴染みの茶葉の店がこの近くにあってな。この店はその帰りに時折寄っているのだ。ところで、お前こそどうしたのだ? こんなに買い込んで。ファルティアもいない事だ、一人で食べるには随分な量だな」
 ニヤリと含み笑うリーシェイ。それは、リュネスがこの店でこれほど買い込んだ理由が推測出来ている表情だ。そんな意図にリュネスはすぐに気づき、苦い表情を浮べる。分かっていてあえて言わせようとしているのだ。リーシェイにそういった精神的な圧力をかけられる事は慣れていた。ただ、慣れている事と何も感じない事は全く別だ。腹の内を掬い取られ、驚き動揺こそしなかったが、どう対応していいのやら、いつものように戸惑った。
 リーシェイは、片方持ってやろうと手を差し伸べてきた。リュネスは一言礼を言って袋を片方預ける。リュネスはそのまま東区へ向かっていった。リーシェイは逆方向だったが、しばらくは一緒に持っていてやるつもりのようだ。
「そうか、シャルトとはうまくいっているのか」
 何かを言い出しかけたリュネスの機先を制し、リーシェイはリュネスがどう話そうか考えていた事のそのものをストレートに言い切った。うっ、と言葉に詰まるリュネス。
 どうせ隠していても仕方が無いし、別に疚しさは一片の要素も無い。
 ひとまずリュネスはリーシェイの言葉を全面的に肯定する意味を込めて、一度だけこくりと頷いた。黙っていればいるほど、ちくちくと攻撃が続く事を知っていた。それよりも出来るだけ早い段階でさっさと認めてしまった方がダメージは少ない。
 リュネスが狼狽する姿を楽しみたかったリーシェイは思ったよりも素直に返答されてしまい、おや、と眉尻を若干吊り上げる。それはつまり、恥ずかしい、照れくさい、などと思う必要がないほど二人の仲が進展している事の証明である。リーシェイは二人の性格をよく知っているだけに、思ったよりも早いその親展ぶりに僅かな笑みを浮べた。
「ふむ、そうかそうか。仲良き事は良い事だ」
「ファルティアさんには黙っていて下さい」
「なんだ、黙って来たのか?」
「ずっと複雑な問題なのです」
 リュネスはファルティアの元へ引き取られた、いわゆる居候といった立場だ。家事一般は全てリュネスが担当しているため、どちらが世帯主なのか不明瞭になって来ているが、基本的にリュネスはファルティアの言う事には従っている。
 ただ、ここに一つの問題がある。
 リュネスはシャルトと深く付き合っているが、ファルティアはシャルトの事をあまり快く思っていなかった。以前、感情を荒げてしまった時に直接的な言葉で関係を断てと言われた事もある。
 大概の事には従っていたリュネスだったが、シャルトの事に関してだけは別だった。ただ真っ向から逆らう度胸も無く、表面的には従っているように見せ、その裏ではこうして隠れるように交際を進めていた。リーシェイやラクシェルはその辺りの事情も知っており心情的にリュネスの味方であるため、わざわざファルティアに告げる事などせず、逆にリュネスをさりげなく支援していた。
「しかし、お前の処女が戴けないのは残念だな。手取り足取り女の喜びを教えてやりたかった」
 唐突に、わざと冗談めかせた言葉を放つリーシェイ。
 リュネスは、たとえ冗談とは分かっていてもやや顔を赤らめて視線をうつむけた。それはリュネスなりの抗議、もしくは怒りの自己主張だ。リーシェイの表情から本気か冗談かを判断するのはほぼ不可能だったが、内容から概ねを推察する事は出来た。
「そういえば、お前には私が北斗に来た理由を話していなかったな」
 と、またもや唐突にリーシェイはそんな事を口にした。
 北斗において、他人の過去を詮索する事はタブーとされている。
 これまでに、リーシェイの過去に限らず皆が北斗に来た経緯を知りたいと思った事は幾度もあった。しかし、聞かれたくはない過去を誰もが抱えているのがこの北斗だ。自分から訊ねようとした事も無く、当然リーシェイにもそんな質問をした事は無い。
 自分から過去を打ち明けようと、しかもこんな前後の繋がりが無い状況で言われ、リュネスは困惑せずには居られなかった。だが自分でも恥ずかしい事に、リーシェイの過去に対する興味を否めなかった。自ら打ち明けてくれるのならば問題はないのではないだろうか? そう気持ちを切り替え、リュネスはリーシェイの話に耳を傾ける。
「北斗に来たのは前の頭目に連れられて来たからだが。その時の私には生きる目的が無くてな。彼の事について流言蜚語は絶えないが、私は今でも感謝している」
 以前の凍姫の頭目について、リュネスは少しだけ話を聞いた事があった。名前はスファイルといい、守星エスタシアの実兄で同じ守星ルテラの婚約者。北斗でも指折りの実力者ではあったが、日頃から奇行が絶えなかったという。
 リーシェイの口ぶりからすると、随分とそのスファイルには恩を感じているようだった。あまり他人を頼りにせずとも何でも自分のペースで器用にこなしてしまうリーシェイには意外な一面だ。
「昔、私にもお前のように思い人がいてな。将来、一緒になる約束もした。そう、あの頃の私は今のお前によく似ている。一日中、寝ても覚めても頭の中からあの人の姿が離れなかった」
「あの……その方は?」
「戦争に行った。そして、帰って来なかった」
 リーシェイはそっと目を伏せた。表情は普段の無表情に近かった。だがリュネスには、どこか悲しそうに見えて仕方が無かった。
「だからこそ、お前にも幸せになって貰いたいと思う。私にとって身内の幸せは自分の幸せでもあるからな」
 はい、とリュネスは小さく頷いた。
 自分達の交際が周囲にそんな影響を与える事もあるなんて、リュネスは考えた事も無かった。
 普段とはまた違った意味で、どう受け答えればいいのか分からなくなった。怒るのも叫ぶのも方向性が違う。慰めや同情もリーシェイは喜びはしないだろうし、何よりも過ぎた事に対して他人が思い入れを語るのはおかしい。
 ただただリュネスは笑顔とも同情とも取れぬ曖昧な表情しか返すことが出来なかった。そんなリュネスを見るリーシェイは、何も要らぬ、とそっと微笑んで見せた。
「では、そろそろ私は行くとする。若さに任せるのも良いが、度を過ぎて体調を崩さぬようにな」
 リーシェイは思わせぶりな笑顔を見せてリュネスに買い物袋をそっと手渡した。
 そこまで知られているのだろうか。
 はあ、とリュネスは気の抜けた返事をする。
 足が長いため歩幅の大きいリーシェイの背中はあっという間に人ごみの中へ紛れ込み見えなくなった。
 出来ればもう少し話をしたかった。
 ふとリュネスはそう思った。
 そして、リュネスは目的の方向に向かって踵を返す。
 落ち合う約束をした場所はここである。時間的にもそろそろ彼がやってくる頃だ。
 が。
 振り返ったその先には、もう既にその姿があった。
 薄紅色の髪に真っ黒な制服。背は自分よりも半回りほど大きいが、基本的には細身。そして、肩には気だるそうに丸まっている白い子猫の姿。
 こちらに向かって、少し照れ臭そうに小さく手を振っていた。
 表情が少し硬い気がする。
 自分も同じだった。



TO BE CONTINUED...