BACK

「この、クソガキャァー!」
 白髪の入り混じった髪が数束、振り下ろした拍子に顔の方へ垂れ下がる。その表情は老いても尚悪鬼羅刹と呼ぶに相応しく険しい表情で、感情も露に本物の殺気が込められた容赦のない剣を、何の躊躇いもなく振り下ろす。
 はっしと閃く白刃を取る、俺の右手と左手の手のひら。ひやりと冷たい剣身の感触とどす黒い殺気に、背筋には嫌な汗がつうっと下へ駆け抜けていった。体温が冗談抜きで二度は下がったように感ずる。気温どうこうの問題ではなく、特殊な状況に瀕したための生理現象だ。肌寒い季節に感ずる寒さとは比べ物にならないほど体には良くない。
「ちょ、ちょっと待てって! 俺の話も聞いてくれってば!」
「じゃかぁしい、このアホンダラ! いいから黙って往生せい!」
 老人はなおも受け止められた剣に力を込める。このまま押し切って俺を豆腐のように両断しようかという構えだ。殺気は言うまでもなく正真正銘の本物で、今現在、俺を殺そうとする意思は揺ぎ無い。濃密な殺気は俺の体の自由を奪おうとまとわりつき、冷たい刃がじりじりと目の前に迫ってくる。
 俺は尻餅をついたまま、なんとか上半身だけは起こして白刃の侵攻を押し留める両腕を支えている。もうこちらとしては体力的にも精神的にも限界な状況だが、そんな俺に老人は容赦を見せず、踏み足を俺の胸の上に置きながら覆い被さるような体勢で剣を押し進めて行く。
「ホント、勘弁してくれって。先代よぉ」
「このワシが魂を込めて打った最高傑作を、こんな無残な姿にしおってからに。四の五の言わず、男らしく死んで詫びろ。ワシの時代では、謝罪の時は腹を切ったものだ」
 俺を両断しようとする先代の傍らには、無残に剣身が折れてしまった大剣の柄が放り捨てられている。俺が先代に打って貰った、完全オーダーメイドの専用剣。そのなれの果てだ。
 先代の打つ剣は皆、全て文句のつけようが無いほどの素晴らしい名剣だ。店の軒先に無差別に並べられるような量産品とは違い、使用者の技量や体格などに合わせて打たれる。当然の事ながら値段も高く完成まで時間もかかるため誰でも気軽に手に入れる事は出来ず、何より先代は自分の気にいった相手にしか打たない。評定基準は明確化されていないが、少なくとも公に認められる指折りの実力者である事、そしてその実力が精霊術法に拠るものではない事の二つは必須事項だ。
 半端な実力しか持っていない人間には打たない、というのはまあよくある事だろう。せっかくの名剣も、使いこなせないのであればただの棒切れと変わりない。そんな程度の実力しかない人間にどんな刀匠が打ちたがるだろうか。刀匠は皆誇り高く、金のために剣を打ちはしない。たとえ幾ら金を積まれても、それで打たれた剣には一切の魂が込められていない。
 とまあ、ここまでは良くある頑固職人の典型例なんだが。
 今、俺を殺そうとしているこの老人。俺の所属する流派『夜叉』の先代頭目であり、俺に頭目を譲ってからはこうして兼ねてから趣味だった刀鍛冶に勤しんで余生を過ごしている。だがそんな先代は、現役当時からやたら精霊術法を毛嫌いしていた。確かに俺もあまり好きじゃないが、先代のそれは少々常軌を逸している。俺が嫌いなのは精霊術法によって安易な力を手に入れ、精神の未熟さを省みぬ奴らだ。それに対し先代は、精霊術法の存在そのものを忌み嫌っている。北斗が常勝の戦闘集団になり、ここまでの大きな街を作り出したのは他ならぬ精霊術法のおかげなんだが。先代はそんな事すらも頑なに認めようとはしない。要するに頑固で頭が固いのだ。とても声に出して言えやしないが。
 そんな頑固ジジイに気に入られた、本当に極一部の限られた人間しか手にすることの出来ない名剣。北斗でも数える程度にしか所有者はいないんだが、運良く俺は縁もあって先代に気に入られ剣を持つ資格を手に入れた。先代は剣を持つ人間には多大な期待をかける。そしてその大半は『精霊術法よりも剣の方が優れている事を証明しろ』という無茶苦茶な理屈に収束している。まあ、それは別にいいんだが、とにかく先代の打った素晴らしい剣を手に入れる見返りに、決して負ける事は許されない誓約を背負う事になる。それは北斗の理念とはまた別の、先代の怨念めいたものだ。もしも期待を裏切ってしまえば、祟りよりも遥かに恐ろしい目に遭う。
 そして、俺はやってしまった。
 先日、不幸にも先代が精魂込めて打ったその剣を、浄禍とのやり取りでこのような無残な姿にしてしまったのである。それを報告した所、このように有無を言わさず殺されかけている訳で。先代は冗談すらも通じない頑固を絵に描いたような人間だがやたら気が短く、こんな風に有無を言わさず『死ね』だの『殺す』だのという不穏な言葉を口にし、それだけでなく実行に移す訳だから始末に置けない。剣は言わば先代の分身だ。それを俺の過失で破壊するなんて、先代の顔に泥を塗るに等しい事になってしまう。それでこのザマだ。
「剣が折れたのは貴様がヘボだからじゃ。ヘボはヘボらしく、黙って錆となれ」
「だってしょうがねえだろ。相手はあの浄禍だったんだぜ? よく剣の断面を見てみろって。普通、そんな綺麗には折れないだろ?」
「浄禍だと?」
 俺の必死の訴えに先代は眉を潜めると、剣を俺に向けて押し切ろうとするのを止め、大人しく剣を引き鞘に収めた。ようやく命拾い出来た俺は安堵の溜息をつき、額に浮いた冷や汗を手の甲で拭う。毎度の事ながら洒落は一切無いクセに行動は全て突拍子もない。こんな上司の下でよく俺はやっていたと思う。きっとそのせいで強くなれたのかもしれない。毎日毎日死ぬ思いをしていりゃ、嫌でも生き延びるために順応しようと強く逞しくなる。
「ふん……なら仕方がないわい。連中は自分達を神か何かのように言ってるが、かつてワシも何度か奴らの戦い振りを目にした事がある。楚々としていながら、とても同じ人間とは思えぬ所業。神の使いと言うよりは悪魔のしもべとでも呼んだ方が相応しそうではあったが。まあ、そんな事はさておきだ。貴様、まさか負けてはおらんだろうな?」
「試合には負けたが勝負には勝ったさ」
 一体どっちなんじゃい。
 そう言いたげに先代は苦虫を潰したような表情を浮かべ、舌打ちをしながらもたった今俺を斬ろうとした剣を無造作に部屋の隅に放り捨てた。その剣もまた、俺にしてみれば是非とも手元に置いておきたいほどの名剣なのだが、先代にしてみればとても世には出せぬ駄剣であって、そんな扱いが分相応の剣でしかない。
 しかし、浄禍相手に『勝て』なんて言葉を当たり前のように放つなんざ、ほとんどたちの悪い冗談にしか聞こえない。だが先代は至って真面目で、もしもここで『負けた』なんて言ってしまえば、あの時に浄禍の放った精霊術法で跡形もなく消されてしまうのがどれだけ幸せか、と嘆いてしまうほどの地獄を見せられる。平たく言っちまえば殺されるんだが、結果は同じでも過程に天国と地獄ほどの差がある。
「三日三晩、寝ずに打った最高傑作の剣なんじゃがな。浄禍の連中にしてみれば、ほんの一瞬きの手間にしかならぬ程度だったとは。まだまだワシも精進が足りぬようじゃ」
 そう先代は珍しく謙虚な態度で剣身の折れた柄を手に取り、軽く断面を眺め隅へ放り捨てる。そして大きく深く溜息をついた。自分の剣がこうもあっさりと折られてしまった事がさぞや悔しかったのだろう。
「しゃあないんじゃねえの? だってあの浄禍だぜ? 俺は善戦したと思うんだがな」
「自分の戦いを善戦などと自画自賛するな、見苦しい。だから貴様はいつまでもうだつが上がらないんじゃ」
 手厳しい先代の言葉。その通りで、と俺は一切弁解の言葉を並べず、先代の評価を受け入れ肩をすくめる。決して讃辞の言葉を吐かない所は現役当時のままだ。
「まあ、貴様ほど打ち甲斐のあるヤツはおらなんだからな。新しい剣は今週中に打ってやる。前にくれてやったヤツよりも遥かにイイヤツをだ。本来ならば貴様のような未熟者になんざ勿体無いぐらいのな」
 そいつはありがたいことです。
 普段、滅多に卑屈な態度は取らない俺だったが、どうにもこの先代だけには勝てず、機嫌を損ねぬよう出来る限り下手下手へと態度を徹する。少しでも機嫌を損ねたりもしたら、かつて北斗において『死神』と謳われたほどの怪物的な剣術を持って襲い掛かかられる。無論、その太刀筋には一遍たりとも冗談はなく、いつでも本気だ。先代には『この程度で死ぬヤツなど実戦では使えぬ』というパラノイアな信条があり、相手の技量や状況に関係なく全力で剣を揮う悪い癖がある。辛うじて死人は出なかったらしいが殺されかけたヤツは数知れず、気を病んでしまったヤツまで居るらしいから洒落にならない。かく言う俺も、初対面の時に『浮ついた奴は生理的に気に入らん』という無茶苦茶な理由で、いきなり奥伝技の一つを食らいそうになったほどだ。先代が引退する時、どれだけ影で喜ばれた事か。知らないのは本人ぐらいなものである。
 そして先代は徐に俺の体をぽんぽんと確かめるように触り始めた。先代は使い手にとって最も適した剣を打つことが最良の剣を生み出す秘訣だとしている。そのためにいつもこうやって筋肉の付き具合や骨格を細部に渡って確かめるのだ。そこから打ち上がった剣は当然の事ながら誰にでも扱えるものではなく、合わせた本人以外にはとても手におえないような代物となる。どれだけ使い続けても、完全に自分の手足と同じようになるような武具とは極めて限られている。戦闘では同じ技量を持った同士が遇すれば、武器は決して軽視など出来ない大きな勝敗の要因となる。そういった重要性も踏まえ、決して負ける事の許されぬ俺達にとってこういった優れた武具は必要不可欠なものだ。
「ふむ、相変わらずトレーニングは欠かしていないようじゃな。てっきり酒と女に持ち崩していると思っていたが」
「当然。頭目が弱くちゃ話にならない」
 抜かせ、と先代は肩をすくめて微苦笑を浮かべる。俺はわざとらしい悠然とした表情でそれを返した。
「そのくせ、いつまでもチャラチャラとしておるようじゃの。いい加減、少しは落ち着かんかい。貴様の武勇伝は、昼間よりも夜の方が有名じゃぞ」
「そいつは頭目としての有名税ですって。いつでも人の上に立つ人間は、そういった有る事無い事の誹謗中傷受ける。昔からあるでしょう? 先代だって、愛人やら隠し子やら散々騒がれたじゃないですか」
「貴様ほど盛んではないわい」
 そして先代は汚い机の上に黄ばんだ紙を広げると、そこにコンテを使って剣の設計図を書き始めた。剣には特別なからくりなんざ必要ないのだが、先代は重量や機能性の他に、やたら外見にこだわる所がある。強いだけの剣だったら魔術処理でもしろ、というのが口癖だ。剣としての機能性の他に美しさも伴っていなければ気が済まないのだ。俺としてもあまり無骨なものを持ち歩きたくはないから、そこだけは先代に共感できる。
「ワシはな、精霊術法が嫌いなんじゃ」
 と、その時。
 先代は一心不乱に図面を描きながらふと愚痴っぽく口を開いた。俺は背中側に座っているのをいい事に、やれやれと小さく溜息をつく。
 あーあ、また始まりやがった。長いぞぉ……。
 先代が毎度毎度、呪いの文句のように繰り返す精霊術法への恨み言だ。内容は変わり映えしていないが、怨念の深さは聞くたびに増している気がする。
「魔術とて、修練なくしてはまともに扱えん。にもかかわらず、なんじゃ? 精霊だか何だか知らぬが、あんなあぶく銭のような力に頼ってしまうから、くだらん事件が多過ぎるんじゃ」
 左様で、と俺は二もなくただただ肯く。早く終わらせるには素直に聞いているのが一番なのだ。
 先代の言うくだらない事件とは、精霊術法の暴走だ。そう何度も起こっている訳ではないが、確かに毎年暴走事故の件数は少しずつ増えてきている。紛れも無く、精霊術法の持つ業を払い切れない術者が増え続けているためだ。精神的に弱い術者が増えているのは、それだけ戦士としての修練が足りず密度が減った事を証明している。精神修養が不足している理由の大半は意識の問題。嘆くべきは、その年々薄弱化の一途を辿る次世代の北斗の戦士だ。
「ワシはお前に期待しておる。剣が精霊術法より劣るなど、とんでもない思い上がりも甚だしい。お前はこの老いぼれに代わってそれを証明するんじゃ」
 鋭い眼光が俺に有無を言わせる猶予を奪い、その場に杭で打ち付けられたような錯覚を覚える。相変わらず、半端な猛獣なら一睨みで黙らせてしまいそうな威圧感だ。
「してますって。でも、先代の打った剣じゃなきゃ無理ですけど」
「抜かせ。今度折ってみろ、次は引退以来封印していた奥義を炸裂させるぞ」
 そう言われ、俺は初対面の時の惨劇を思い出す。あの頃とは違い、たとえ冗談で言っているとしても背筋が冷たくなりそうな言葉だ。
「先代もいい歳なんだから、あんまり無理すんなって」
「若造がでかい口を叩くな」
「俺ももうそろそろ三十っすけどね」
「ワシの半分も生きておらんではないか」
「ごもっともで」



TO BE CONTINUED...