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「ちょっと待て! あれは神獣か!?」
眼下、俺の立つ強化ガラスの床の下にある地下室、そこに突如現れた白い獣。それは俺も生まれて実物を見る神獣だった。この世界で最も強い種族とされる神獣。生まれながらにデタラメなキャパシティを持つ種族が、下の地下室に居る。あまりに唐突な登場の仕方に、柄にも無く声を高上げる。
「いかにも。私のコレクションの一つでして。そろそろ飼育するのも面倒になったのですよ」
飼育するのが面倒だと?
ペットにも愛情を、なんてのは俺の柄じゃないから別に咎めもしないが。ただ、相手が一体何なのか、この男は理解してるのだろうか? 神獣がどれだけ強い種族かは子供でも知っている。強さはピンからキリまであるとはいえ、そんな子供のお使いのような軽々しさでどうにかするような問題でもない。
「何を考えてんだ? あんなモン放したら、地下室だけじゃねえ。この屋敷の住人みんなタダじゃ済まねえぞ」
「問題はありませんよ。そもそも、今までどうやって飼っていたのか、それを可能にしたからこそあの神獣は安全なんです」
本来、神獣は人間の心を読めるため、自分が信頼した人間にしか近づく事は無い。下手な行動に打って出れば、当然デタラメなキャパシティで文字通り消されてしまう。しかし、現にこの男は神獣を飼い慣らしにしている。一体どんな方法を用いたのだろうか?
「で……、あいつはこれから何をするってんだ?」
そして、俺は眼下の話題を神獣から部屋の中央に立つ一人の男に移す。
「ですから、飼育が面倒になった神獣を処分してもらうのですよ。おそらく彼はデモンストレーションも兼ねているのでしょうが」
デモンストレーションだ? 己の力の誇示に神獣を使うなんざ、なんとまあ大したヤツがいたものだが、これは少しまずいかもしれない。
俺は苦渋の念に表情を歪める。カラクリはさておき、神獣のような常識外れの怪物を目の前で安々と殺されてしまったら。誰でも少なからず萎縮するはずだ。あの男が本当に神獣と互角に戦えるかどうかの実力問題はさておき、一番の不安要素はシャルトだ。あいつは持病の障害も付加して、あの中で一番精神のコントロールが出来ない。下手したらいつもの発作を起こして逃げ出してしまうかも。そんな見っとも無い姿を晒せば、他の連中だってさすがに何も感じないはずはない。モチベーションが下がってしまっても無理は無いだろう。
と。
その時、地下室の中央に立つ男が手に何か白いものを持ち、神獣に向かってブラブラと振る。目を凝らして良く見ると、それはどうも猫の子供ような生き物だった。その色合いからもしかすると、あの神獣の子供かもしれない。そう考えると、どうしておとなしく好きでもない人間の言いなりになっていたのか見当がつく。あの神獣は自分の子供を人質にされているのだ。そりゃあ手が出せなくて当然だ。
瞬間、ここにいる俺でも背筋がぞくっとするような殺気が神獣から放たれる。傍らにいた男もさすがにそれは感じたらしく、表情が恐怖に強張る。
……洒落にならねえんじゃないか?
これまで相対してきた相手の中で、これほどの殺気を放ったヤツはいたことがない。単にそれは相手がみな人間だったからという事だ。いや、たとえ魔物でもこのレベルはいない。さすがは神獣と言いたいところだが、これは一歩間違えれば手当たり次第人間を皆殺しにもしかねない激しさだ。
ううう、と唸り声でも上げているのか、神獣は両前足を突っ張りながら全身を震わせている。アルビノ特有の真っ赤な目は凄まじい殺気でギラギラと光り、剥き出した牙は鋭く研ぎ澄まされている。岩だろうと鉄だろうとたやすく咀嚼してしまいそうな鋭さだ。
一触即発、を文字通りそのまま表現すればこんな状況が出来上がるだろう。
神獣は怒りに打ち震え、対して男は平然と、いやむしろふざけた調子で向かっている。しかし決して戦闘を軽んじている訳でもない。それは男の、絶対に勝てる、という余裕の現れだ。
人の戦闘は、しかもこちらにとばっちりが来る可能性もある今回は特に、見ていてとても胃が痛くなってくる。済むのであればさっさと済んで欲しい。でも、悪い方向に事が進んでしまったら。そう考えると背筋が薄ら寒くなる。
そして。
遂に抑え切れなくなった感情に弾き飛ばされたかのように、神獣が後足を蹴って男に飛び掛った。安易だ、と俺は思った。神獣の強さの源は、魔術でもない特殊な能力を行使出来る所にある。それがなければ、ただ運動神経に優れただけでしかない。けど、それもしたくても出来ないのだろう。自分の子供が人質に取られているのだから。
があっと咆哮を上げそうなほど大きく口を開き、目標を男の喉元へ定める。ここにいる俺にもそうと分かるほど、神獣の動作はあまりに露骨過ぎた。これならば、間近で相対している人間には神獣の攻撃など一目瞭然だ。
鈍い音が聞こえてくるような気がした。
男は飛び掛ってきた神獣の牙に喉を食い千切られるよりも早く、神獣に目掛けて右腕を抱え上げるように突き出した。男の腕は真っ直ぐ神獣の体を突き破り、背中から手首から先が飛び出した。
ほぼ即死だった。男の手首より先には、心臓と思える痙攣を繰り返す肉の塊の姿があったからである。ドラゴンやヴァンパイアには、限りなく不死に近い生命力がある。人間ならばまず死んだとしても間違いないダメージを負っても尚、自己再生し生き長らえることが出来るのだ。けれど神獣には彼らのような不死性はなく、力そのものは強大でも生命力は普通の獣並なのだ。普通の生き物の中で心臓を抉られても生きられるものなど存在はしない。だからこそ、恐れるべきはその人知を超えた力であり、それの使えない神獣なんか幾ら殺したって何の自慢にもならない。そんな事を誇らしげにするなんざ実力も知れたものだが、しかし俺は別な意味で背筋を冷たくした。うまく表現出来ないが、何と言うか『そこまでなれるのか』という侮蔑に似たものだ。
男はゴミでも捨てるかのように神獣の体を床へ投げ捨てる。そして同時にもう片方の手にしていた子猫も投げ捨てる。子猫は空中でうまくバランスを取り直すと親の元へ駆けていく。だがその親はとうに事切れており、子猫はそのまま呆然と見下ろすだけだった。
悠然と不敵な笑みを浮かべる男。正直、あまり仕事に個人的な感情を持ち込みたくないないのだが、今回ばかりは今すぐにでも殴り倒したい気分だ。とにもかくにも表情が気に入らないのだ。無益な殺生、と言うと宗教じみてくるのであえて避けるが、食べるためでもなく自分の身を守るためでもなく、ただの戯れのために生き物を殺す人間は、同じ命のやりとりを生業とする俺としては許し難いものだ。だから不思議と普段から自分だけでなく自分の周囲の者に対してもそういった配慮を怠らぬよう、部下には説教臭く注意してしまっている。その対極に、何一つ恥じ入る様子も無くあえて居座れられる人間が俺には許せないのだろう。これは本能的な怒りだ。
その時。
突然、意気揚々とふんぞり返る男の元に、一人の影が静かに近づく。
あ……!
それは意外にも、一番小さなサイズでありながらそれでもやや大きい夜叉の制服を着た、ここからでも明らかにそうと分かる薄紅色の髪をしたシャルトだった。
あの馬鹿! 何をする気だ!?
シャルトは右の拳を低く腰の横に構える。そして男がシャルトの接近に気がつき振り返った次の瞬間、俺が教えた通りの綺麗なフォームで、やや斜め上に突き上げるような横拳を有無を言わさず放った。その一撃をまともに腹に受けた男の体は、まるで紙のように宙を舞った。男はろくな受身も取れず床へ叩き付けられる形で落ちた。うつぶせに大の字のまま男は動かなくなった。
俺のすぐ傍らから驚きに息を飲む音が聞こえる。シャルトは、俺が徹底的に鍛えてやっているから実力はそこそこあるものの、まだ子供で見た目もあんなに弱々しい。そんなシャルトが、たった今神獣を殺した男をあっけなく倒してしまったのだ。素人ならば驚きを隠せなくて仕方がないだろう。
一瞬ハラハラさせられたとは言え、シャルトが誇らしく思えた。俺が手塩にかけて育てただけはある。あの程度の相手、このぐらい安々と倒してくれて当然だ。
床に叩き付けられた男はぴくりとも動かない。立ち上がろうとする素振りも見られない事から察するに、意識も残っていないのだろう。きっとヤツは目が覚めた時、ガキに一撃でやられた、というあまりに大きい屈辱を覚えるだろう。神獣を倒した自分に酔う間もなく、地獄のような恥の底へ突き落とされるのだ。単純に殴るよりも遥かにダメージは大きいだろう。
やはり、あいつは我慢がならなかったのだろう。そういう所はまだまだガキだが、しかしガキらしいその行動も筋が通っていれば大人に負けず劣らず立派なものだ。
ったくよう……考えなしも大概にしとけよな。心労で老け込みそうだ。
瞬間の連続の中に生きる人間にとって、むやみやたらに敵に近づくのは自殺行為だとあれほど言ったのに。しかし、正直心の中では誉めてやりたい気分だった。
TO BE CONTINUED...