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 たとえ誰が相手でも絶対に退かない事。
 それが私のポリシーってヤツだ。
 ところが、この北斗に来ていきなりそれを引っ繰り返された。ミシュア……いやいや、ミシュアさんという天敵が出来てしまったと、そういう訳で。
 なんにせよ、これは例外中の例外という事にして。
 自分はもう二度と退く気はない。
 そのためには、まずは気持ちを真っ直ぐ貫き通す。




 ぐえ、気持ちわる……。
 ふらふらと私は長い廊下を壁に左手をつけて歩く。体の中は、何かにかき回されているかのような不快感が渦巻いている。とても平気でいられるものじゃない。今すぐにでも寝転んで休みたいぐらいだ。
 退院した後、すぐに私は『凍姫』と呼ばれる建物の中に連れて行かれた。昨日ミシュアさんに渡された書類にはこの北斗という街や、そこの仕組みについて事細かに記されていたそうだが、私は結局その一割も読み終わらない内に投げ捨ててしまっていた。なので、何か説明されてもまるで理解が出来なくてきょとんとしていた。その事で今朝、ミシュアさんには散々どつかれた訳なんだけど。
 とにかく、ミシュアさんからの書類を読まなかったせいで北斗の事は何一つ分からないままだ。ただ、雰囲気はとてもいい感じの街だった。街は良い熱気で溢れて、人々がみんな活気付いている。環境自体もしっかりと整備されていて綺麗だし、何よりも息苦しさがない。地理が分からなくとも、思わずふらりと出かけたくなる衝動に駆られた。
 で、その凍姫の中で。
 私は精霊なんたらを使うための開封というものを受けさせられた。ただ座ってるだけでいいらしいんでそうやっていたんだけど、これがなかなかのクセモノだった。今のこの気分の悪さは、この開封を受けている最中から始まってずっと続いているものなのである。精霊なんたらを使えるようになると、今までとは比べ物にならないほど強くなるらしいんで素直に従いはしたが、これで一体どう強くなるというのか甚だ疑問である。ここの部分だけでも、ちゃんと書類を読んでおくんだった。
 と。
「おい」
 その時、背後から朴訥な口調で呼び止められた。
 振り返ると、そこには馬鹿みたいに背の高い女が、もう一人の褐色の肌をした女に肩を貸しながら歩いていた。ただ、そいつがあんまり背が高いので肩の位置が合わず、いささか歩き辛そうだ。
「そこのお前、手伝え。どうやら一人では歩けないようだ」
 真っ黒で長い髪は癖一つなく腰の辺りまで伸びている。しかし表情は口調に見合って人間味そのものが薄いように思えるほど無く、まるで仮面か何かの造形物みたいだ。その一方で肩に寄りかかるような格好で何とか立っているヤツは、褐色の肌に深紫の短めの髪をしている。どちらも初めて見る色素だ。二人ともそれぞれ別々の国の人間だろう。
 手伝えだって?
 こっちは歩くもやっとで、その上、片腕だぞ。そんな私を前に、よくも平然としてそんな事が言えるものだ。
 ふざけんな、このボケッ。
 初め、私はそう言い返してやろうと思ったんだけど、肩を借りてどうにか立っているそいつの方は今にも倒れてしまいそうなほど本当に辛そうな様子だった。それで仕方なく私は肩を貸してやる事にした。肩を取られてもバランスを保てるように、そいつの左側に回って左手を右肩から左へ通し、自分の左手で掴んで支える。
 肩を貸した私に何か言おうとしたが、よほど苦しいらしくほとんど言葉になってなかった。まあ、少なくとも薄情な人間ではないらしい。今言いたかった事は後で聞いてやろう。
「こいつ、どうかしたの?」
「精霊術法の開封の反動が思ったよりも大きくてな。少し休ませねばならん」
 二人がかりで引き摺るように歩きながら、私達はのそりのそりと歩く。
 なるほど、そういう訳か。私も確かにそれのせいであまりいい気分ではないけれど、どうやらこいつのは私と比べ物にならないようだ。しかも一人で歩けなくなるほど酷いとは。何が原因でなったのかまでは知らないけど、運の無いヤツだ。
 その一方で。
「ところで、あんたは平気なの?」
「私の事はリーシェイと呼べ」
 私の問いかけに、そいつは無表情でじろりと見下ろして淡々と答えた。考えてみれば、私も割と背は高い方だが、そんな私を軽々と一回り以上もこいつの上背は上まっている。こうしてただ並んでいるだけで鋭角に見下ろされる事などそうはない。
 むかつくヤツだ、と私はリーシェイの態度に苛立ちを覚えた。
 むかつくヤツはぶん殴るに限るが、今は病人がいるし、何より右腕無しでまだケンカをした事がないから不安があり、やりあうのは気が進まないのだ。背が高いヤツを相手にする場合は足を狙うのがセオリーだから、あんまり右腕が無い事は関係ないように思う。けれど、実はもっと別に決定的な要因がある。それは、右腕が無くなった事で体のバランスがうまく取れなくなってしまった事だ。右腕の分が軽くなったことで、どうしても比重が左に傾いてしまう。慣れればなんともないんだろうけど、少なくとも今の状態ではあまり激しい運動は出来ない。あまつさえ、うっかり転んでしまったらそのままやられてしまう事は間違いない。転倒は、実践では死を意味するほどなのだから。
「で、なんで平気な訳?」
「さてな。私にも分からん。おそらく反動は個人差があるのだろう」
 自分も知らないじゃんか。何を偉そうに。
 私は露骨に舌打ちして睨んだが、リーシェイはその視線に気がついているくせに全く反応を示さない。極めてマイペースに、これまでの無表情を保ち続ける。
 その取り澄ました顔を見て、ヒイヒイ言ってるのがこいつだったらどれだけ良かったか、と溜息をつきたくなった。こんな居丈高なヤツ、間違いなく助けてやる気にはならない。にっこり笑って踏みつけるだろう。よし、決めた。体の本調子を取り戻したら、こいつに思う存分地べたを這い回らせる事を真っ先にやろう。
「ひとまず、彼女を休ませよう。向こうに休憩室がある。そこまで運ぶぞ」
「指図すんなっての」
 そう反論する私を、やはりリーシェイは無視してただ肩を貸さないと歩けないこいつを反対側から支え進み続ける。私には別に他の考えなんてないんだが、一応、逆らっておく。素直に言われるがままにしていると、おそらくこいつらもこの凍姫の人間だ、この先ずっと扱いやすいヤツだと軽く見られ続ける。人に命令されるのが何より嫌いな私にとって、これはいただけない。
 やがて、普通なら二分程度で歩き切る距離をその倍以上かけ、私らはようやく休憩室に辿り着いた。その頃にはほとんど意識を失っていた紫髪は、完全に床に足を引き摺っている。その体重のほとんどは私の方にかかっている。リーシェイとは肩の高さが違うため、重さは低い私の方へかかるのだ。
「さあ、しっかりしろ。ここに横になるといい」
 リーシェイは休憩室の長椅子に紫髪を寝かせる。こいつを運んできたのはほとんど私だと言うのに、まるで自分一人が助けてやっているかのような口調だ。素直にむかついたが、右腕が無いせいでのバランスを取る事と紫髪を運ぶ事で疲れていたため、これはツケにしておく事にした。
「何か飲むか?」
 愛想の無い面構えの割に、やけに甲斐甲斐しいリーシェイの態度。これほど見た目と行動とがそぐわない人間は珍しい。というか、はっきり言って気持ち悪い。
 やれやれ、と疲労感たっぷりの溜息をつき、私は紫髪が寝てる長椅子とは対角線にある長椅子に座った。ふと目の前を見ると、丁度長椅子に囲まれた中央にあるテーブルの上には、お茶と簡単なお菓子の用意がしてあった。私は手を伸ばし、飴玉の包みを一つ取った。
 と。
「お前は病人よりも、まずは自分の充足か?」
 リーシェイが非難めいた視線をこちらへ飛ばしてきた。
「私の名前はファルティア」
 咄嗟に、先ほどのやり取りをそのまま反復させる形で私はそう自分の名前を、アクセントをつけて特に強調し答えた。
 だが、
「どうやらお前は、自己中心的な考え方しか出来ないようだな」
 私の名など一言も口にせず、ふんと小馬鹿にしたような態度を見せた。これにはさすがに我慢がならなかった。この場は我慢してツケだけにしておき、本調子が戻ってからヤツをヘコます。どうしてこれほど回りくどいことがする必要があるというのだ。むかついたらやる。そうやって感情に素直に従えば、これほどのストレスなんて感じなくて済むじゃないか。
 私は自分の口の中に入れようと包装を解いた飴玉を、握り拳を作って構えた親指の上に乗せる。そしてそのまま思い切りリーシェイに向かって弾き飛ばした。
 親指から打ち出された飴玉は真っ直ぐリーシェイに向かって突き進む。狙い通り、その延長線の先にはクソ生意気なヤツの顔面が。
 しかし、
「なんだ?」
 リーシェイは眉一つ動かさず、私が飛ばしたその飴玉を受け止めてしまった。私は、物事が思い通りにいかない事が何より嫌いだ。絶対に命中すると思っていた攻撃が失敗した事もそうだが、リーシェイのこうなって当然だと言いたげなその表情。今すぐにぶち込んでやりたいが、肝心の右腕が無い。この二重の怒りが、疲れていたはずの私を奮い立たせる。
 私は感情の赴くがままに立ち上がると、猛然とリーシェイの目前に詰め寄った。
「なんだ、と聞いている」
 目前のリーシェイが張り詰めた空気を放ちながら、私をじっと見下ろす。私はその視線に対して真っ向から立ち向かった。こんなヤツに、死んでも退くものか。正直、この身長差に威圧感を感じずにはいられなかったが、この怒りに比べたらそんなものは大した問題ではなかった。
「今の内にはっきりさせとこうじゃない。どっちが上かをさ」
「いいだろう。愚者に大きな顔をされるのは、こちらとしても不快だからな」



TO BE CONTINUED...