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 一人で生きる術は持っているけれど、私は決して一人で生きている訳ではない。
 私は難しい事なんて全く分からないけれど、ただ一つ、人は一人で生きる事が出来ないという事を知っている。人は知らぬ間に誰かの保護を受け擁護されているのだ。互いに足を引っ張り合うのではなく、そうする事で互いが向上し、そして自分自身の向上へも繋がっていくのだ。
 私は誰かの恩恵で今の自分を成り立たせ、その代わりに自分の持てる力は最大限に振舞う。仲間のためになるならば、私は一切惜しんだりはしないだろう。私の仲間は、この街からあぶれ出さされた子供達、私と同じ境遇ばかりだ。親に頼れない辛さは身を持って知っている。だから私は、かつて自分が受けた施しを同じように子供達へやっているのだ。
 別に殊勝な心がけがある訳じゃない。仲間を大切にし、後は敵。たったそれだけの単純明解な理屈だ。
 私は一生貫くだろう。仲間を大切にする事と、私達の敵と戦い抜く事を。




 夜の帳が下りる頃。
「あー、一人だけ大きい!」
「そんなことないよー」
「ずるいずるい!」
 今は使われていない、おそらく相当な金持ちが所有していただろう廃墟。そこが私達の根城だった。私達の住むこの区外に位置した貧民街には、かつての繁栄の名残なのか、はたまた単なる時代が流転した残滓なのか、こういった廃墟はそこら中にある。一見すると、日替わりでどこでも好きなところで寝れるように思えるが、実際は廃墟同士の縄張りみたいなものがきちんと決められている。基本的には互いの住処への立ち入りは、縄張り主が許さない限り絶対禁止だ。それを無視したばっかりに殺されたって、ここでは文句など言えない。ここの法律は官憲が決めたものではなく、私達が決めたものだ。ある意味最も野蛮で原始的、ある意味では最も効率的で理に叶った法だ。
 私達は昼間奪ったお金で、いわゆるごった煮をしていた。建物の中で最も広いエントランス、そこで火を焚いて大きな鍋を沸かし、大まかな味付けと適当な材料とでそれなりに煮込む。それだけのいい加減なものだが、味付けさえ誤らなければ、材料は多少粗末でもそれなりに食べられたりする。
「こら、チビ共。そんな事でケンカするな」
「だって、自分だけ大きい肉取ってるんだもん」
「肉なら幾らでもあるでしょうが。いちいち目くじら立てない」
 いつものように、夕食が豪華になるとすぐにチビ共は小競り合いを始める。それを適当に収めては、私も肉を少しでも多く取る事に専念する。ぼやぼやしていると、幾ら十分な量を買ったつもりであるとはいえ食い盛りのチビ共ばかりだ、あっという間に自分の食い分が無くなってしまう。私とて腹が空かない訳じゃない。同じ空腹を満たす行為でも、質は良いに越した事はない。
「だったら僕にお肉頂戴よ」
「それとこれとは話が別」
 私達の食事は、ある意味戦場だった。食事は毎日が毎日、十分に取れるという訳でもない。私らだって安定した稼ぎが得られるほど機会に恵まれている訳でもなく、何日も食事が取れないような事態にこそ陥らないが、毎食満腹になるまで食べられる訳でもない。食える時に食っとかなければ、後は一生満腹になんてなりはしない。弱者淘汰は自然の摂理だが、私達はそれを徹底してはいないものの、食事に関しては完全に自分主義を貫く。私だって空腹は辛い。自分は餓えを忍んで、なんて坊さんのような考え方はとても出来やしない。第一、腹ペコでは明日の稼ぎだってままならないのだから。
 鍋が煮立つまでは十数分かかったが、それが空になるまでは五分も必要としなかった。本当に、あっという間に食べ尽くしてしまうのである。前にどこかで、哺乳動物を十五分そこらで食べ尽くすグンタイアリなんて名前の虫を聞いた事があるが、私達はまさしくそれそのものに限りなく近いだろう。とにかく毎日毎日お腹が空いて仕方が無いのだ。あれだけ食べてもすぐに空いてしまう自分の体がおかしいのか、それとも持ちの悪い食べ物そのものが粗悪なのか。まあ、満腹感さえその都度手に入れられるんだったらどっちだっていい。
 鍋が空になる頃は、みんなでぐったりとその場で横になっていた。どうやら今回の鍋は一同をノックアウトするには十分な量だったようである。私も腹がすっかり張ってしまってしばらくは動きたくない。今動いたら、せっかく食べたものを戻してしまいそうである。そんな勿体無い事はさすがに出来ない。
「あー、食ったなあ。私動けないから、誰か片付けやっといて」
「またかい? ファルティア。いっつも食べる時は人一倍食べてるくせに、一度も片付けなんて手伝った事なんかないじゃないか」
「うっさいわねえ。私は物を手に入れる事が仕事なの。ちゃんと結果は出してるんだから、細々した後始末はやらなくていいの。そう私が決めた」
 自分では声を荒げたつもりだったが、寝そべったままの姿勢である事とお腹が苦しいという事で思ったほど覇気がこもっていなかった。まるで投げやりに呟いた子供の言い訳のようである。
「うまいこと言うよな。本当は面倒だからやりたくないだけのくせに」
 当たらずとも遠からず。
 普段だったら何か有無を言わさず膝の一つもくれてやるところだけれど、あいにく今は膝を上げるどころか立ち上がる気にすらならない。今はひとまずこの怒りだけを点数でつけておき、後々の機会に清算する事にしよう。
 こうして満腹感に浸っている時が私は一番幸せだった。体を動かせない代わりに、普段は滅多にする事のない『考える』ということをしながら動けるようになるのを待つ。ただし、考えるのは常に明日の事だ。ここにいるみんなを含め、私も過去の事を考えても辛いエピソードばかりだからかえって気分が暗くなる。
 この貧民街には二通りの人間が存在する。人の目から身を隠すために逃げ込んできた者と、私達のような両親から見捨てられた孤児だ。社会の波に乗れなくなり、生まれながら社会の不適合者としての烙印を押されてしまった私達は、社会の流れとは別な流れを自ら組んで生きるしかなかった。貧民街へ流れてきた孤児は大勢居るが、そのほとんどは一年もしない内に死んでいく。
 歩き始めたばかりの子供が一人で生きていくというのは、それほどの過酷さを強いられるのである。この境遇を自らの力と多少の運とで乗り越え、今の私はいる。親の顔なんて覚えておらず、自分をこんな境遇に陥れた事を恨んだこともない。ただ、今日を生きる事で精一杯だったから、そんな事を考える余裕もなかったんだと思う。
 今は、少なくとも自分が持つ最も古い記憶の頃に比べれば遥かに余裕がある。街のどこに金持ちが住んでいるとか、やりやすいのはどこの家か、警備が甘いのはどこの区域だとか、手に取るように把握している。効率が良くて確実性のある方法が何なのかも分かっているから、滅多な事では食いっぱぐれる事は無い。その分の余力を他の事に回せるのだが、それでも私は両親の事を考えてもあまり気に留める事もなかった。両親というものを知識的にしか知らないため、考えると言っても実感がほとんど湧かないのだ。そんなどうでもいい事を考えるより、もっと他の事へ時間を費やした方がより有用的だ。
 ぐだぐだ難しい事を考えるよりも、今が楽しかったらそれでいいじゃない。そう私は思っている。社会から虐げられるような生活だけれど、それはどうしようもない訳だから辛いだの何だのと言ったって仕方がない。辛いなら辛いなりに現状を楽しむ方法を考えるのが一番正しい。楽しいと思えるようになったら自分に余裕が出来る。余裕が出来れば、自分の選択の幅が広がる。これが幸せって事じゃないだろうか? まだまだ今はそれほど選択肢なんて無いし、蓄えどころか宵越しの金も持ち合わせていないから、毎日どこからか調達しなければいけない。これがやりたい、あれがやりたい、なんて確固とした願望がある訳じゃないけれど、『いつかは』というものはある。そうなった時のため今の内からやれる事をやっておこうと思うが。しかし、それは別に今日やらなくてもいい事だ。まあ、何か機会があれば。それが現在の結論である。
「ファルティア姉ちゃん、片付けるの手伝ってよ」
 十数分ほどみんなでごろごろしていたのだが、ようやくお腹の張りが楽になってきたみんなは食い散らかした後片付けを本格的に始めた。私ももう大分お腹が楽になったけれど、今度は眠くなってきていた。睡魔のもたらす倦怠感は恐ろしいもので、今はとても立ち上がれそうにはない。丁度、頭を床に鎖に繋げられたように持ち上がらないのだ。
「んー、後でやる」
「後じゃないよう。今、片付けてるんだから」
「明日やる、明日」
「また、それぇ」
 私はチビ共の不満げな声から逃れようと寝返って背を向けた。そしてそのまま、あたかも寝に入ったような素振りを見せる。実際眠いのは本当だが、みんな眠い時の私が機嫌の悪い事を知っている。こうしておけば、迂闊に話し掛けたりされないのだ。
 さあて、明日はどこを襲ってやろうか。
 銀行のような大手の企業を襲うなんてもっての外だ。やるならば、小中規模の金融業者がいい。割と現金の運搬に関しては無防備な事が多く、警備も甘いから狙いやすいのだ。しかし、最近はちょっとやり過ぎているから幾らか向こうも馬鹿じゃないし何らかの対策を練ってきているだろう。それだったらしばしの間、冷却期間を取って連中が安心するのを待った方がいい。その間は別な標的を狙う事としようか。
 そんな事を考えている内に、いよいよ私の意識はおぼろげになってきた。明日はどこを狙おうか。あまり一つの所を短期間の内に襲ったって得られるものは少ない。それなりに肥えさせておいてから定期的に徴収するのが効率のいいやり方だ。生かさず殺さず。そんな事を大昔の国王は考えてたらしいが、なるほど理に叶った方法だ。
 頭の中にカモのリストを並べている内に、意識が遠退いていった。好きなだけ食べて思い切り寝る。これが出来れば他には何も要らないとさえ思える。
 明日も今日ぐらいの稼ぎを取って来ないと。私もチビ共も、毎日毎日腹を空かせているのだ。 頑張ろう。
 そう思った次の瞬間、私は床に寝転んだまま眠ってしまった。



TO BE CONTINUED...