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 私は、新しい道を歩き始めました。
 それは私が始めて自分で選んだ道です。
 選ばされた、選ばざるを得なかった訳ではありません。私が、自分の意志で決めた、自分の道です。
 だからこそ、もう言い訳は出来ません。
 自分が自分へ自信を持てなくとも、それは他でもなく私自身に原因がある訳ですから。
 いい緊張感です。




 翌日。
「こんにちは」
 検査も終わり、無事に退院出来る事になった私。病院が用意した服に着替え、すっかり病室を出る準備が整った頃。私の部屋にファルティアさんがやってきました。
「んっとさ、凍姫の件なんだけど。OK出た、っていうか私が頭目だからね。手続きとか今日中に終わるから、明日からでも本部の方に来て貰うことになるから」
 そうファルティアさんに報告を受けた私は、思わず笑みを浮かべてしまいました。
 昨日、突然訪ねてきたファルティアさん。実はファルティアさんは北斗十二衆の一派である『凍姫』の最高責任者である頭目なのです。そんな偉い人に訪ねてこられ色々とやりとりをした私は正直戸惑ったのですが。その際、私はある大胆な行動に出ました。
 私を北斗に入れて下さい。
 私はそうファルティアさんに嘆願しました。
 断られるのは承知の上でした。私は何一つ取り得もなく、パッとしない人間です。そんな私がこの街を防衛する北斗に入ろうだなんて、これほど大それた話はないかもしれません。
 けど。
 私は真剣に北斗に入る事を考えていました。確かに今は何の取り得もなく、北斗のような重要な任務を帯びた機関にとっては足手まといにしかならないでしょう。しかし今のままで、このままの自分でこの先を生きていくのは苦痛なだけでしかないのです。今の自分は、大切なものを自分で守る事が出来ず、ただ奪われていくだけ、北斗の庇護下でびくびくとしているだけの存在でしかありません。そんな自分を見るたびに、きっとあの晩の事をいつまでもくよくよと思い出してしまうでしょう。それでは、これ以上の前進はありえないのです。
 今の自分からの脱却、そして前進。全てはそのためなのです。
 奇跡的にも、その第一歩目、道のスタートに私は立つ資格が与えられました。いえ、資格なんてものは誰にでも与えられるもの。それを今後どう生かしていくのか、全てはそこに集約されているのです。資格を手に入れたにも関わらず生き腐れにしてしまうか、それとも人間的な脱皮を遂げて自己を高められるか。その是非は私自身の努力と動向にかかっています。
 大変なのはこれから。
 嬉しさの直後、身の引き締まる思いになりました。これから私は庇護を受ける側から与える側になるのです。まさか今日明日にという訳ではありませんが、与える側になるための訓練は過酷さを極める事など想像するまでもありません。人に与えられる人間になるというのは、まず自分の器を広げなくてはいけません。今の私の器。それは自分さえ守りきれない小さなもの。そんな私が、人を助けられる人間になろうというのです。並大抵の努力では無理でしょう。本当に頑張らなければ……。
「はい、ありがとうございます。これから御迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「いやね、ほら。迷惑は私も人のこと言えないからね……」
 そうばつの悪そうな笑みを浮かべるファルティアさん。
 余計な事を言ってしまった……。
 後になって私は後悔してしまいます。
「っと、そんでさ。実は凍姫の宿舎って空きがないんだよね。っていうか、元々入居者が少なくてそれ自体がポシャッたとかいって。縮小どうとか、まあしみったれた話なんだけど。そんで、当分の間、目処がつくまで私のとこに来てもらう事になるんだけど、それでもいいかな?」
「え? いえ、私は自宅の方から通わせてもらいますから大丈夫です」
「でも、凍姫の宿舎って東区の北よりだけど。南区からだと、結構距離あるよ? それなら私んとこ来た方が絶対楽だって。ね?」
「は、はあ……。その、ご迷惑でなければ」
 なんとなく、押し切られた感がなくもないのですが。
 人の好意を無下に断るのは、逆にその人へ失礼な事になるそうですから。とりあえず私はそうする事にします。
「よし、じゃあ早速行こうっか。っと、リュネス、でもいいかな? 私、堅苦しいの苦手でさ」
「はい、私もその方が楽ですから」
 やっぱりそう呼ばれる方が私は気楽です。初めての時なんて、フルネームで、しかもさん付けでした。こんな呼ばれ方をされてしまうと、分不相応で落ち着きません。
「あ、そうだ。ファルティアさん、私、一旦家に戻って荷物を取って来ないと」
 私はあの晩、本当に着の身着のままでここに連れて来られました。入院中は必要なものは全て病院で用意してくれましたが、いざ日常生活に戻るとなればそうはいきません。私の私物はあの全て残したままです。ここは一旦、取りに行かなくては着替えすらもままなりません。
「んにゃ。実はさ、今、南区って一般人は入れないんだわ。ほら、昨日の今日で。ちょっと警戒が厳しくて。一応、許可を申請すれば入れなくもないけど、でも放っておけば今日の夕方にも解除されるだろうし。それから荷物取りに行けばいいよ。私も付き合うから。だから先に私の部屋へ行こう」
「分かりました」
 そして、私はファルティアさんの部屋へ向かう事になりました。
 退院手続きを済ませ病院を出てから間もなく、大時計台が正午の鐘を鳴らします。着の身着のままで入院した割に、以外にも整理等に時間がかかったようです。退院の手続きもあった訳ですし。病院とはそういった手続きが複雑な所ですから。
「あ、お昼だ。どうりでお腹空いたと思った。リュネス、どっかで食べてく?」
「あの、せっかくだから私が作りましょうか?」
「リュネスって料理出来るんだ?」
「はい。家で、まかない料理ぐらいは作ってましたから」
「じゃあ、そうしよう。っと、その前に買い物しなくちゃね。私ってさ料理とかしないから、うちに材料ないんだ」
 そういえば、前にこんな話を聞いた事があります。
 北斗に住んでいる人達は、料理を頻繁にする派と全くしない派に大きく分かれているそうです。北斗には料理店が多くあり、個人経営の屋台もそこかしこで見られます。持ち帰り用の配慮もされていますから、たとえ料理をしなくても食事には全く困りません。ただその一方で、やはり自分で作った方がいい、という考えの人もおり、その結果このように二極分割してしまったのです。
「ファルティアさん、明日は私は何をすればいいのでしょうか?」
「そうだねえ。まずは凍姫のみんなに挨拶して、制服の寸法測って、後は軽くミーティングかな? そんで歓迎会でもやらかしましょう。パーッとね。まあいきなりトレーニングって事はないし、始めの内は軽いのからやってくから。安心して」
「なんか……緊張してきました」
「大丈夫大丈夫。みんな頭足りないけど、根はいいヤツばっかりだから」
 カラカラと笑ってみせるファルティアさん。
 実の所、私は人見知りをする性格なのです。料理屋の給仕をやっていながらおかしな話ですが、相対する人に正当な理由、いわゆる仕事目的だったら不思議と平気なのです。でも、私的な理由で顔を合わせるのは凄く恥ずかしいのです。非社交的な性格の原因は、やっぱり自分に自信がないからだと思います。こころのどこかで『馬鹿にされるのでは』と恐れているのでしょう。
 東区には今まであまり来た事がなかったのですが、南区同様にどこも活気に満ち溢れています。私とファルティアさんは、途中で差し掛かった市場通りを歩きながら昼食の材料を買いました。丁度その通りが凍姫の宿舎に続いているので丁度良かったです。
 お金を出すのはファルティアさん、選ぶのは私。なんだか変な関係です。一応、私はかかった金額を憶えておきました。凍姫から給料を貰えるようになったら。ちゃんとファルティアさんに返すのです。
「お。見えた見えた。あれが凍姫の宿舎」
 その通りを抜けて数分ほど歩いた頃、ファルティアさんがすっと向こうを指差しました。その先には真新しい三階建ての建物が建っています。比較的目新しい、外観が石材ベースの近代的な建物です。さすが北斗の人が住むだけあり、外観からして重みが違って見えます。
 早速ファルティアさんの案内で建物に足を踏み入れます。確か南区にも北斗の建物があったのですが、私は遠目から眺めるだけで中へは入った事はありません。けど、私はこれから北斗の人間になるのです。少なくともここだけは当たり前のように入れるのです。
「あ、そうだ。私の部屋さ、ちょっとばっかり散らかってるから」
 と、ファルティアさんが気恥ずかしそうにそう言いました。
 でも、そういう事はほとんどの人が言います。やっぱり、初めての人を自分の部屋へ入れるのは恥ずかしいものですから。謙遜の意味でそういう表現をするものです。さすがに、自分の部屋は片付いているから、なんて言われたら上がりづらいですし。
 ファルティアさんの部屋は建物の三階にありました。今まで二階以上に昇った事のない私には、外の景色が新鮮に見えました。一つ階を昇るだけで、こんなにも景色が変わるものだなんて。
「ほい、ここが私の部屋」
 そして。
 到着したファルティアさんの部屋は、三階通路の一番奥にありました。
 ファルティアさんは上着の内ポケットに手を突っ込むと、そこからカギを取り出して部屋のドアを開けました。
「さあ、どうぞどうぞ。遠慮しなくていいよ。自分の部屋だと思って使っていいから」
「失礼します」
 部屋の中へ入っていくファルティアさんに続き、私も部屋の中へ入ります。
 ―――が。
 ファルティアさんの部屋に足を踏み入れた時、私は思わず茫然としました。
「部屋が一つ余っててさ。こっち。今まで全然使ってなかったから綺麗なもんよ。凍姫の方にベッド発注したからさ。今日の夜までには届くから」
 まず、目の前に入ったのは。玄関を足の踏み場のないほど占領する、ゴミの山。しかしファルティアさんは、そこをまるで何でもないかのようにのしのしと蹴散らしながら歩いていきます。
 ……ここ。本当に人が住んでいるのでしょうか? とても信じられません。
「んで、ここがリビング。キッチンはあっち。とは言っても、あんまり使ってなかったからなあ。ちょっとヤバイ状態かも」
 恐る恐る廊下中にあるゴミを押し退けながらついていったその先は。一応リビングではあるようなのですが、中心地を囲むように同じく無数のゴミの山が。そして、この状況をまるでものともしないファルティアさんが『ヤバイ』と言うキッチン……。
 考えたくもありません。
 私はひとまず、買ってきた昼食の材料を、ゴミの海に浮かぶ孤島のような真ん中のテーブルに置きました。そして、意を決してファルティアさんに向き直ります。
「ご飯の前に、掃除をしましょう。大掃除」



TO BE CONTINUED...