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『シヴァ! NINJYAを迎撃なさい! エリカ、ワクチンは!?』
『言われなくてもやってるっつーの! もうちょいで解析終わる!』
システム汚染。危険度A+。
感染拡大を防ぐため、全システムをセーフモードに移行。
私の全システムが次々と休止状態に移り、そのままロックがかかる。背後から私の頭を押さえつけていたNINJYAが腕を離す。途端に私はその場にずるずると崩れ落ちた。
オートバランサー……応答ナシ。
脚部稼動休止。
現在、全てのハードウェアはシステム保全に最小限の機能しか使用する事が出来ません。
動かない。
それは私にとって初めての感覚だった。メンテナンス中やシステムを休める最中も同じように体が動かなくなる事がある。けれどそれは、私がシステムをそのように操作したためである。だが今は、私が意図してシステムを操作した訳ではない。緊急事態に自動的に実行されるエマージェンシーセキュリティプログラムにより、自動的に私のシステムが保全体勢に書き換えられたのである。
自らのボディを動かそうにも全く言う事を聞いてくれない。
そして、ふと浮かび上がった数値。それは半稼動状態である私のCPUに多大な心理的負荷を与えてくる。
その正体とは……。
「マイ・マスター、目標ロスト」
『逃げられましたわね。けれど、時間は稼げますわ。そのままラムダを防衛しなさい』
私の意識の外で次と次と時間と情報が流れていく。まるで私だけがみんなの輪から締め出されてしまったかのようだ。
『よし、出来た! 解析終了!』
『それでウィルスのタイプは?』
『それが自己進化系でやんの』
『当然と言えば当然ですが、少々駆除が厄介ですわね。あとどのぐらいでワクチンは出来まして? 今のでアレスもこちらに向かっていますわよ』
『あー、ちくしょう! 三分! 三分で組んでやる!』
『となると、駆除処理の時間も合わせて五分ですか。とにかく、なんとかシヴァにやらせましょう』
私はただただ辛うじて繋がっている通信回線から届くマスター達のやりとりを、ほとんど思慮の出来ないCPUで聞いていた。今はセーフモードに入っているため、通常とは違いシステム保全以外の処理が一切出来ない。そのため、限定的ではあるが外部情報を取り入れる事が出来ても、そこから推測、分析、演算等の処理は一切行う事が出来ない。ただ会話を聞くだけである。
『シヴァ、ラムダを抱えて、X221:Y355地点に移動しなさい。ルートはB3、S6、Y5』
「了解、マイ・マスター」
テレジア女史とシヴァとの会話が通信回線から聞こえてくる。私とシヴァは、マスターとテレジア女史が共同戦線を張る約束を行ったため回線を共用しているのである。そのため私には直接関係のないテレジア女史とシヴァの会話も私は聞く事が出来るのである。
その直後、私のボディフレームが僅かに宙に浮く。
状況確認……センサー応答ナシ。
状況確認……感覚素子応答ナシ。
すぐさま私は自分の置かれた状況を確認しようと処理を開始する。しかし、私のシステムはすぐさまその処理をシャットダウンし、データの保全を維持し続ける。
私のボディはどうなったのだろう? だがセンサーはおろか全ての感覚素子が使えない以上、私にはそれを確かめる術はない。
『ラムダ、認識出来るかどうかは分かりませんが、とにかく通信を送ります。現在、あなたが感染したウィルスのワクチンをエリカが組んでいます。じきに完成いたしますから、再起動するまでの間はシヴァに防衛させますので安心なさい』
通信回線からテレジア女史の声が聞こえる。
安心なさい。
どうやら、機能休止状態にある私の体は、現在シヴァの保護下に置かれているようだ。シヴァの性能は、あのマスターがこの世で唯一認めるほどの高い水準を誇っている。そのシヴァが全力で防衛しているのだから、私のボディの安全は完全に保障されたと思っていい。
けれど。
私のメモリ内に安心という心理状態はやってこなかった。あるのは、そう、圧倒的な不安だった。
どうしてマスターは何も声をかけてくれないのだろう?
マスターの声が聞きたい。
同じセリフでも、マスターが言ってくれたのであればどれほどの心理的負荷が緩和されただろうか。マスターは私の創造主、私の事は何でも分かってくれるはずなのに。一体、どうして……?
『完成! よし、ポートは確保できているわね。駆除開始! 同時に検疫もかけるわ』
マスターIDからのアクセスがあります。
これより正式認証のあるプログラムをインストールします。
プログラムインストール……完了。
外部コントロールにより、プログラムを起動します。
私の内部へ白をイメージさせる数字の羅列が飛び込んでくる。そのままその白は私の全身に染み渡っていく。
『56:7からアレス接近! 高エネルギー反応確認! シヴァ! 132へ回避!』
「了解。マイ・マスター」
視覚素子……再起動。
聴覚素子……再起動。
触覚素子……再起動。
やがて、休止状態だった各部システムと感覚素子が次々と回復を始める。ようやく私は流れ込んできたプログラムがマスターのワクチンである事に気がつく。
『よし、駆除完了!』
オートバランサー……回復。
リンキングシステム……再接続完了。
セーフモードからバトルモードへダブルシフトします。
ブン、と私の頭の中で僅かな振動音が鳴り響く。その瞬間、私の一時休止状態にあった全システムが完全に回復し、見る間に全身の感覚がクリアになっていく。通常、休止状態から回復して稼動を始める際は、メモリ内のデータが一時退避されており、それをロードするまでの間極めて稼動が鈍い時間があるのだが、今はすぐさま通常通りの稼動状態に入った。休眠はあくまでシステムの保全のためであり、データはメモリ内部に残ったままなのである。
システムが完全に回復すると、すぐさま周囲の状況を確認し始める。
サーチ開始……終了。
私はシヴァにボディを抱え上げられたまま、アレスとNINJYAの波状攻撃に晒されていた。アレスとNINJYAの同盟関係の事実確認に関しては行われてはいないが、シヴァが私のボディを抱えている不利な状況を察知して暗黙の同盟を結んだのだろう。私とシヴァを撃破してしまえば、決勝戦はそれぞれが行う事になるからである。
『ラムダ、復帰出来る!?』
通信回線からマスターの焦りきった声が飛び込んでくる。
「はい、マスター。問題ありません」
『それでは反撃に出ましょう。シヴァ、ラムダを降ろしなさい』
テレジア女史の指示の直後、私のボディが強化コンクリートの床の上に静かに下ろされる。それと同時に、シヴァはNINJYAとの交戦に入る。
『ラムダ、シヴァの援護に入って! 接近ルートは、えっと……』
『A12、E33、U3でお願いしますわ』
ルート認証……これより対象への接近を開始します。
これまでNINJYAとの半同盟的行動を取っていたアレスは、一旦戦線から離脱してしまった。どうやら私のシステムが回復した事でシヴァの行動制限が外されたため、これ以上の攻撃は危険が伴うと判断したのだろう。しかし、幾ら離れてしまったとはいえ油断は出来ない。アレスの射程距離には十分な注意が必要である。
NINJYAは出力面では大分劣ってはいるものの、機動力はシヴァを遥かに上回っている。シヴァが得意とするショートレンジの戦闘に持ち込もうとしても、NINJYAは一撃だけ仕掛けた後、すぐさまその場から離脱してしまう。シヴァとはまともに遣り合っても無駄と判断しているため、先ほどの私と同じように、ウィルス攻撃を仕掛けるタイミングを計っているのだろう。
……ウィルス?
と、その時。突然、私のCPUに言い知れぬ強大な心理負荷が襲ってきた。それは先ほど休止状態の中で感じていたそれと全く同じ値のものだ。いや、同値ではない。その心理負荷は次から次へと上昇していく。
『エリカ、検疫データをこちらに回して下さる? あの手にタイプは、肉でも切らせるぐらい多少強引に行きませんと、無駄に時間がかかってしまいますわ』
『OK。んじゃ、ラムダ。シヴァがNINJYA捕まえるから、すかさずジェットカッターを―――ラムダ?』
心理負荷上昇。
CPUの占有度が40%を超えました。システム安定度、ワンランクダウン。
私の心理負荷は留まる事を知らず、次から次へと値を返さないループ処理を繰り返し続ける。その無駄な処理のためリソースがどんどん浪費され必要な処理が少しずつ行えなくなっていき、システムが不安定になっていく。
『ラムダ!? どうしたの!?』
CPUの占有度17%に低下。システム安定度、ワンランクアップ。
「はい、マスター」
『はい、じゃなくてさ。今、急に動作がおかしくなったわよ。大丈夫?』
『もしかすると、ウィルスが駆除し切れてありませんのではなくて?』
「いえ、大丈夫です。やれます」
私は再び指定されたルートを辿り、シヴァの援護へ向かう。
マスターに安否を訊ねられはしたが、私はたとえ深刻な状況に置かれようともNOという返事を返す事は出来ない。私はマスターの下した『ギャラクシカで優勝する』という目的を果たさなくてはいけないのだ。ロボットにとって主人の命令を達成するのは存在意義そのものである。しかし私は、既にこのメタルオリンピアで四度も命令を果たす事が出来なかった。これ以上失態を重ねる訳にはいかないのである。
『ラムダ、最小モードでウィルススキャンかけて。ウィルス定義は更新してるから』
「了解しました」
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
やはり先ほどNINJYAに感染させられたウィルスは、マスターによって残らず駆除されているようだ。システムにも何ら異常は認められない。もはやウィルスの件は問題ないだろう。
しかし。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
『ラムダ? ちょ、どうしたの!?』
一度目のスキャンでウィルスが検出されなかったにも関わらず、私は何度もウィルススキャンを繰り返した。ウィルススキャンは何度繰り返しても新たにウィルスが見つかる事はない。にも関わらず、私は無意味なスキャンを繰り返さずにはいられなかった。私の意識とは別の、私の中のどこかにある何かがシステムに干渉してスキャンを強いらせるのである。そうだ。私に無意味なスキャンを強いるのは、先ほど感じたあの無尽蔵に膨れ上がる心理負荷だ。
『エリカ、一体ラムダはどういたしましたの!? このまま続けますとシステムがダウンしますわよ!』
『……とにかく! ラムダ、スキャンはもうやめなさい!』
「了解しました」
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
だが、マスターへ了解の返答を返したにも関わらず、依然として私のシステムは何度もウィルススキャンを繰り返し続ける。まるで私という意識とシステムとが切り離されてしまったかのようだ。
CPUの占有度が70%を超えました。システム安定度、ツーランクダウン。
無意味なスキャンにリソースが浪費され続け、再び私のシステムが不安定になっていく。見る間にハードコントロールが処理しきれなくなり、私はその場に立ち尽くしてしまった。
『いけません! シヴァ! ラムダの元へ向かいなさい!』
一体私はどうしてしまったのだろう?
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
この湧き起こる恐怖は一体なんなのだ?
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
前後のデータが繋がらない。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
まるで自分の置かれた状況が把握する事ができない。
ウィルススキャン開始……終了。
ウィルスは発見されませんでした。
『ラムダの元へNINJYAが接近してきましたわ! シヴァの機動力では間に合いません!』
回線から聞こえてくるマスターとテレジア女史の声により、今、置かれている状況がどれほど緊迫しているのかが手に取るように分かった。分かってはいるのだが。私はその場に立ち尽くしたまま動く事が出来ず、ただ連続してスキャンを繰り返しリソースを消耗していく。
茫然と立ち尽くす私の姿は格好の標的だろう。一刻も早く戦闘態勢を整え直し、敵機をより有利な状態で迎え撃たなければいけない。だが、そう処理結果を出しているにも関わらず、私のリソースは無意味なスキャンに浪費されシステムを維持する事が出来ず、戦闘プログラムに添った行動を取る事が出来ない。
やられる。
ただ漠然とそんな気持ちがあった。当然やられてしまえば、私はマスターの命令を果たす事が出来なくなる。そればかりか、運が悪ければ廃棄処分すら免れない被害を及ぼされる可能性だって出てくる。それが少しも恐ろしくもない訳ではない。だが、今この意味のないスキャンを行使させている感情に比べれば遥かに軽いものだ。
どうして動かないのだろう?
私は何をしている?
マスターの命令を果たさなくては。
マスターの―――。
『ラムダ!!』
CPUの占有度19%。システム安定度、ツーランクアップ。
……ハッ!?
マスターの叫び声に、突然私のシステムが安定する。
敵機サーチ……発見! 背後より高速接近。接触まであと34フレーム。
来た……!
私は驚くほど思考がクリアになっていた。メモリ内にマスターの組んだプログラムが淀みなく流れ、効率よく処理が行われていく。
ハードコントロール、コール。起動コード入力。右手、第一指から第五指までのジェットカッターを起動。
NINJYAが凄まじい速度で私に向かってくる。おそらく無防備と思われている背後へ、なんらかの攻撃を仕掛けて仕留めるのだろう。NINJYAは機動力と隠密性を重視された設計になっている分、重量のある兵装を持つ事が出来ない。そのため使用出来る唯一の武器が白兵戦、それもかなり射程距離の短いものなのである。
遠距離からの攻撃はない。ならば、
NINJYA接触まで残り8フレーム。7、6、5、4、3―――。
今だ!
私はNINJYAの位置を捕捉しながら唐突に背後を振り返る。そして振り向き様に右手を突き出す。その先にはNINJYAの黒い装甲があった。
ジェットカッター、噴出開始。
次の瞬間、NINJYAはゼロ距離から放たれたジェットカッターにより装甲を貫かれた。その衝撃はNINJYAの背中側まで届いている。そしてNINJYAはその場に固まると、やがて静かに背後へ倒れた。機能停止まではいかないものの、これ以上の続行は不可能だろう。
「マスター、NINJYAを撃破しました」
優勝までのプロセスの一つをクリアした喜びが私を満たす。すぐさま私はマスターへ報告を入れた。マスターもきっと喜んでくれる。ただその強い思いでいっぱいだった。
しかし、
『うん、よくやった』
あれ……?
返ってきたマスターの声は、どこか浮かないものだった。
私は、また何か意にそぐわない事をしてしまったのだろうか?