BACK
それはまさに日没直前のことだった。
「『留まれ』!」
ケアリエル少佐が向かってくるエクスに対し繰り出した魔法は、エクスが放つ横薙ぎの剣を食い止めるものだった。剣は振り切る直前の所で止まり、そのまま空中に刺さっているかのように固定される。そのためエクスの体が大きく前のめりに崩れ、ケアリエル少佐にとって絶好の隙を晒した。
すかさず鋼の精霊が幾つもの鋼の槍をエクスの頭上から降らせる。同時に光の精霊が青白く太い光の束をエクスに目掛けて繰り出した。眩い光は薄暗い周囲を目も開けられないほど激しく照らし出す。まぶたを閉じてもなお眩むような明かりから逃れるため、誰もが顔を背けうつむいた。
ケアリエル少佐の渾身の一撃である。特に魔導に精通している者はそう感じ取った。ドロラータもそれは同様だった。今の攻撃で明らかにケアリエル少佐から感じられる魔力の圧が極端に萎んだからである。
これほどの攻撃、人間に耐えられるはずがない。誰もがそう確信する。しかし光が収まり視力が戻ると、目の前に広がっていた光景はその確信からは遠いものだった。
膝をついているのはケアリエル少佐の方だった。エクスは体のあちこちに鋼の槍が刺さってはいるもののその場にしっかりと自分の足だけで立ち、手には同じ鋼の槍を持っている。その穂先はケアリエル少佐の方を向いていたが、やや向きが歪んでいる。ケアリエル少佐はこの鋼の槍で強く打ち据えられて立てなくなっているようだった。
「……どうやら、僕の負けですね。あの精霊は僕の魔導でも最強の手札でした。まさかそれでも倒せないなんて。まったく、勇者とは大したものですよ」
ケアリエル少佐はエクスの方を見上げ、力無くそっと微笑み、そしてぐらりと体が前へ崩れた。
「おっと」
咄嗟にエクスは槍を捨てて倒れかけたケアリエル少佐の体を抱き留める。傍目からするとエクスの方が遥かに酷い怪我に見えるが、その動きにはまるで陰りがなかった。
「すまない、シェリッサ! 彼の治療をしてくれないか!」
エクスは三人の方を向くと、そう大声で叫んだ。それでようやくこの戦いが決したのだと確信し、すぐさまエクスの元へと駆け寄った。
「ちょ、ちょっとエクス!? 大丈夫なの!?」
「うん、余裕が無くて何度も力任せに打ち据えてしまった。頭にも何度か入ったけれど、そこまで酷くはないはず」
「そうじゃなくて自分の方!」
エクスの体のあちこちにはケアリエル少佐の鋼の精霊が降らせた槍が突き刺さっている。どう考えても立っているのが不思議なほどの大怪我だ。
「と、とに、とに、とにかく、座って、安静に、今、治療を」
シェリッサは真っ青な表情で唇を震わせながらそう指示する。他の皆も、エクスに早急の治療が必要なのは分かるが、一体どこから手をつければいいのか、槍も抜いて良いものなのか、その区別すらつけられなかった。だが、
「ああ、これくらいは大した事はないよ」
そう言うや否や、エクスは手始めに肩を貫いていた槍を途中からへし折ると、そのまま力任せにあっさり抜いてしまった。
「あああ!」
たちまちシェリッサは悲鳴を上げ、しかし体は素早く動きエクスの肩へ治療術を施し始めていた。
「エクス様! 勝手な事をされては困ります! いきなり抜けば出血で命にかかわるのですよ!? ここに座って、言われるまで何もしないで下さい!」
「あ、ああ、すまない」
青ざめていたシェリッサの顔は、今度は怒りで見たことも無いほど真っ赤になっていた。そしておそらく初めて目の当たりにした激昂するシェリッサの剣幕に気圧され、珍しくエクスが大人しく言うことに従った。
「そ、そうだよね、血が……あれ? でも血ほとんど出てなくない?」
「うーん。鋼の魔導か。精霊が帰った後も存在が残り続けるのは興味深いけど。ま、解除されないのは不幸中の幸いかな」
「いや、そうだけどさ……。あれ? シェリッサ?」
ふとレスティンは、いつの間にか肩の治療をやめていたシェリッサに気付いて声をかける。
「肩はもう治りました……何と言いますか、思ったより大した事が」
「だから言っただろう? 大した事はないって。残りの槍もさっさと抜いてしまって―――うん、すまない。余計な事でした」
シェリッサの視線に萎縮するエクスは、全く大怪我をしているような衰弱した様子は見られなかった。背中に刺さり、脇腹を貫通し、一本一本が致命傷になりかねない槍の傷をまるで意に介さないのは、ただ鈍いだけとも痩せ我慢ともいずれにも当てはまりそうにない。
エクスが人並み外れて頑丈なのは良く知っている。どんな毒も呪いもまるで効果がなかった。怪我もほとんどしたことがない。だが今回はただ丈夫だからという範疇を明らかに越えている。重傷を負っているが有り得ない早さで自然治癒している、そうとしか言いようのない光景だ。
「勝負は終わりという事でよろしいか」
突然訊ねられ、一同は慌てて声の方へ視線を向ける。すると倒れているケアリエル少佐の周囲には、いつの間にか数名の魔族が現れていた。おそらく魔族が得意とする近距離の転移魔法だろう。
既にケアリエル少佐に対して治療術を施し始めている。雰囲気だけで彼らの強さが伝わって来る。おそらくケアリエル少佐の親衛隊といった所だろうか。だが彼らからは戦意は感じられず、武器も携帯していなかった。
「ああ、そっちが手出しするつもりが無いならこっちも無いよ。お互い痛み分けって事で」
「いや、この勝負は明らかにエクス殿の勝ちです。その事実だけは我ら一同共通の認識です」
「そう言ってくれるならこちらもありがたいかな」
どうやらケアリエル少佐の部下達は、エクスの勝利を認めること、そして何よりこれ以上の戦闘も望んでいないようだった。負傷したエクスを仕留める好機だと仕掛けてくる可能性も考えていたが、どうやら想像以上に彼らは魔族の伝統を重んじる部隊のようだった。
一騎打ちに勝った事でケアリエル少佐の派閥が納得するというのであれば、彼らを戦力として丸ごと手に入れる事になる。これにより内戦の勢力図は大きく動くことになるが、少なくとも今後からはエクス達の派閥が小勢と軽んじられる事はなくなるだろう。より緊張感のある対立構造になるのは間違い無い。
「ひとまず、当面の危機は去ったかな」
「エクス様の怪我の具合こそが今の危機です。お願いですから、もう少し大人しくしていて下さい」