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人類軍が幾つもの砦を築き維持する防衛線、交戦が繰り返される中立地帯を抜けて、その更に先に広がる魔族の国ソルヘルムに足を踏み入れるのは三人にとって生まれて初めての事である。ここにはかつてハイランドという国があり、魔王軍との戦争のため滅びてしまった。その後も幾度と無く戦闘が繰り返され国境線は曖昧になり、今ではどこまでがハイランドの国土だったかも分からない。しかし今踏み入っているのは確実に大昔からのソルヘルムの国土である。子供の頃から名前でしか知らない、遥か遠くの異境としか思っていなかった場所だ。
ブラッドリックとボルドに案内されて辿り着いたのは、市街地の外れに設置された駐留用の拠点だった。人類軍側でも良く見られる鉄柵で仕切られ、今は誰も住んでいない幾つかの建物を流用して倉庫や宿舎代わりにしている。人類軍と明らかに異なるのは、そこかしこに魔術的な補強や監視が備えられていることだ。一見すると簡易な備えに見えるが、実際はかなり強固な守りの役割を果たしている。これは人類と魔族との技術や文化の違いだろう。
拠点に入ると、そこかしこに魔王軍の軍服に身を包んだ者がいた。人類軍と比べ女性の比率が高いのは魔族の戦い方が魔導寄りであるため、人類とは選抜の基準が異なるためだろう。それ以上に奇異に映ったのは、中には魔族ではなく人間の兵士も居ることだ。彼らはいずれも魔族の軍服を着ている。そして何より、戦いに備える表情が魔族と何ら変わりがなかった。それほどにこの戦いが重要である事実を共有して一丸となっているのだろう。
「ここが君達の拠点かあ! うむ、この雰囲気も久し振りだ!」
周囲を見回しながらエクスはそんな呑気な事を口にする。途端に周囲の視線が一斉にエクスへ向けられた。当然の事である。勇者エクスの名前を知らない者は珍しく、まして魔族側にとっては顔も広く知られている存在だからだ。
「ちょっと、あんまり目立つような事しないでよ。緊張するじゃない」
「いやあ、すまない。つい懐かしくなって」
魔族達は明らかにエクスに対して一線を引き訝しんでいる。ここの魔族はいずれも主戦派ではなく、むしろ脱走などで戦いから退いた者達だ。それでも勇者エクスの脅威と戦績は知っているのだろう。本当に味方なのか、そういった疑念が色濃く現れている。
「ようやく来てくれたか。応えてくれた事、感謝するぞ」
全方位から訝しがられる中、不意に現れ近付いて来たのは、あのエリノーラとクラレッドだった。クラレッドは明らかに魔族の軍服に着慣れていない様子だったが、エリノーラは元軍監という経歴だけあって実に堂々とした姿だった。
「礼には及ばないよ。女神の加護は、広く平和のために使われるべきものだからね」
その何気ないエクスの返答に三人の背筋が凍り付く。そもそもエクスは魔族の長である魔王を倒した張本人である。平和のために魔王を倒したなどと、魔族の目の前で言ってしまっては反感を買わないだろうか。
恐る恐るエリノーラや他の魔族の反応を窺う。だが、
「なるほど、それは心強い言葉だ。それでは今一度、平和のために剣を奮って欲しい」
エリノーラは今のエクスの言葉に同調するかのように笑顔を浮かべている。それは場の空気を損なわないため取り繕っているのかと思ったが、意外な事に他の魔族達も似たような反応を見せていた。むしろエクスが以前と同じように戦うと約束した事に安堵すら感じているようだった。
三人は特に魔族達の反応に違和感を覚えた。エクスを頼ったエリノーラはあくまで戦力的な事情からだろうが、他の魔族達も同じようにエクスに対して期待を寄せている。そう、誰一人としてエクスの事を魔王を倒した仇敵だと思っていないのだ。戦力に乏しい現状で渋々従うといった雰囲気ではない。
「ところで、聞いたぞ。随分と派手に脱獄したそうだな」
「ああ、サンプソムでの一件はもう伝わっているのかな?」
「なんだ、自分の報道は見ていないのか? とっくにこのソルヘルムまでお前の脱獄は伝わっているぞ。お前が魔王を討伐した時以来の話題性だ」
ここまで平穏無事に辿り着けていただけに、四人は報道の速さに驚いた。脱獄の報道はまだせいぜいサンプソムの近隣諸国程度にしか伝わっていないものだと思っていた。体裁の悪さからアリスタン王朝が報道規制をする可能性もあるだろうし、そもそもエクスの逮捕も知らない国だってある。それでもこんなに早く伝達されるのは、報道規制も物ともしない話題性があるからなのだろうか。
「その割に、どこも随分平穏なものだったな。何処も捕まえに来ていないのかな? 一応、脱獄犯という事になるんだが」
「ハッ、どこの誰がお前を拘束出来ると言うんだ。それに、どの国もエクスが反逆罪などと初めから全く支持していなかった。我々も含めてな。お前の捜索を依頼した所で引き受ける国なんか無い。まったく、随分と愚かな王に仕えたものだな。我が夫の父親とはとても思えないよ」
「だから反発したのさ。勇者など禍根の種だと言って聞かなくてね。だからそりが合わなかったよ。ハッハッハ!」
「フフッ、やはりこの私が夫と認めた男だ」
突然いちゃつき始めるエリノーラとクラレッドを余所に、四人は顔を見合わせながら現状の確認をする。
エクスの脱獄はこんな最果てにまで既に伝わっていること。だがエクスの捜索はどの国も一切協力する気がないこと。どちらも全く想定外の展開である。これまでのエクスの功績を考えれば当然かも知れないが、しばらく敵ばかりの環境に居たせいか明確に味方をしてくれる勢力がこれほど居るという事実には思わず感激せざるを得ない。その一方で、自分達が知らないエクスの顔を魔族達が知っているような印象を受けた。そもそもエクスに対して友好的な魔族自体を初めて見る。
「あの、それで。話の続きは良い? 今結構ヤバいって聞いてるんだけれど」
「ああ、そうだな。簡単に言えば、我々以外の勢力が全部敵だと思ってくれていい。勢力拡大を争うように進めていて、小競り合い程度なら毎日起こっている。そして遂にこの地方も標的にされたという訳だ。あの隠れ里も含めてな。だから不本意だが、我々も戦うしかなくなってしまった」
内戦が始まっている。そう言わざるを得ない状況だ。内戦とは国同士で開戦を宣言したり通牒をする訳ではなく、陥った状況を端から見た者がそう表するものだ。為政者不在の国内で複数の勢力が支配力をめぐって争う構図、それは紛れもなく内戦である。エクスを脱獄させたは良いが、その潜伏先は内戦中もいうより危険な場所である。それでも脱獄犯として拘束されない分マシだと言えるだろうか。
「それで、何か算段はあるの? ただ戦力の補充のためにエクスを頼った?」
「まあそれもある。新たな魔王の戴冠を阻止するためなら、きっと我々に力を貸してくれるだろうと考えていた。最終的には、講和とまでは行かなくとも実質的な恒久の停戦に至れば、魔族と人類の双方に大きなメリットがあるはず。それも踏まえて一つ、戦略というか目標がある」
「目標?」
「ああ。エクスには次の魔王になって貰おうということだ」