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 マーヴィンが離宮地下の看守に任命されたのは、世間にあのセンセーショナルな報道がされる数日前の事だった。マーヴィンは元々離宮内の雑用全般を担う、特にこれといって目立つ事のない男である。口数は多くないがコミュニケーションを取らない訳でもなく、ただ真面目に与えられた仕事をこなすだけ。強いて特徴を上げるとすれば、今時珍しいほど聖霊正教会と創世の女神の信者であることくらい。そんな程度の地味な男というのが概ね周囲の評価た。
 そんな彼が突然地下の看守を命じられた時、自分は何か妙な事態に巻き込まれるのではないかと疑った。長年働いていた離宮の地下に極秘の独房があるなど初耳であったこと、そしてそこに収監される人物については他言してはならないこと、これらは何か権力者の動きを感じさせるものだった。とても断れない雰囲気であったのも確かだが、何よりマーヴィンが惹かれたのは看守を務めれば割の良い手当てが別途出る事だった。マーヴィンは唯一の趣味であるギャンブルで失敗し、現在多額の借金を抱えていた。離宮の就業規則では、贈収賄を防ぐために無断の借金が禁じられている。当然ギャンブルで作った借金など打ち明けられるはずもなく、上司に知られる前に少しでも早く返済するためまとまった金が必要だった。
 看守としての初日、収監された青年についてマーヴィンは特に思う事は無かった。ただ、こんな胡散臭い所へ収監されるくらいだから権力闘争に負けたか貴族関係の人間かと予想していたのだが、その青年からはそう言った権力者独特の雰囲気は感じられなかった。
 一体どこの誰かは知らないが、自分には関係の無い事。この臨時の看守も報酬が目当てでしかないのだから。
 そう思いながら仕事をこなしていた彼が青ざめる事になったのが、正に勇者エクスが反逆罪で捕まったという報道がされた日の事である。マーヴィンは勇者エクスには取り立てて興味が無く、どういった顔をしているのかも知らなかった。だが、収監されたタイミングと改めて聞いたエクス特徴がまさに一致していた事で確信しない訳にはいかなかった。
 それからマーヴィンは看守としての仕事をする傍ら、エクスの様子を窺いつつ世間の報道などに耳を澄ますようになる。けれど反逆罪という結果ばかりが取り沙汰されていて、具体的に何をしたのかまでは全く分からなかった。エクスは声こそ無駄に大きいものの、態度は非常に大人しく手を煩わされる事が全くない。だから本人に訊ねる事も考えたが、それで知った内容次第では自分もどうなるか分からないという危険性がある。流石にそこまでリスクを背負う度胸はなかった。
 一層エクスとの関わりに気をつけつつ看守の仕事を続けていたある日、マーヴィンはまたもや不測の事態に遭遇する。それは自分が借金をしている系列の融資ギルドからの使者だった。その人物曰わく、誰にも知られぬよう指示された仕事をすれば元本を減らすというものだった。ただし断れば借金の事を暴露するとも釘を刺され、実質選択肢は無かった。融資ギルドが何故そんな提案をして来るのか、考えれば考えるほど、自分が新たな危険に巻き込まれている状況が見えてくる。依頼主は正確に借金の額や経緯を知っているため、まず間違い無く融資ギルドの関係者である。しかしそれが何故、エクスの周辺を密かに探るような仕事をさせてくるのか。エクスを陥れている権力者とそれに対抗する融資ギルドの構図が頭を過るが、そのどちらの真意もただ巻き込まれただけの自分には到底計り知れなかった。
 誰にも知られぬよう看守の仕事をし、その一方で離宮についての様々な情報を調べさせられる日々。更にはエクス宛てに手紙まで運ばされた。そのせいで、融資ギルドの目的はエクスの脱獄ではないかと内心疑い始めてすらいた。もしエクスが脱獄などすれば、自分がどれほどの責任を取らされるのか想像もつかない。だが仮に脱獄が失敗すれば、間違い無く融資ギルドから問いただされるだろう。
 一体何時だ。いつ、どちらが、どんな行動に出るのか。そしてどうすれば最も確実に自分の安全を守れるのか。
 マーヴィンは創世の女神に昼夜祈りを捧げながら、恐怖と不安に満ち満ちた想像ばかりしていた日々を過ごし続けた。
 そして、まさにその運命の時が今日この瞬間なのだと、そう確信する出来事が何の前触れも無く唐突に訪れる。窓の外を見ながらマーヴィンは、目にしている光景に戦慄する事となった。
 正門や近くの垣根越しからでも分かるほどに、赤々と燃え盛る激しい炎。ここはアリスタン王家の離宮である。しかしそんな権威を嘲笑うかのように上がった炎、これは明らかに人為的な火災である。
 まさか本当にエクスの脱獄をやるつもりなのか融資ギルドは。そんな事に何の得があるというのか。
 どうして。今日に限って離宮には近衛兵が一人も詰めていなければ、なんなら使用人の数すら少ない。いや、だからこそ狙われたのだ。離宮の人間のスケジュール動向は、確かに自分が漏らしているからだ。
 そう、既に自分は脱獄の共犯者側の人間なのだ。