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 シェリッサの思わぬ宣言に一同に動揺が走る。自分が聞いた言葉に違いは無いかと顔を見合わせ、一句一句言葉の解釈を繰り出す。誰もがシェリッサの言葉を信じられなかった。過去にも同じように詰めた人間がいたのかも知れないが、この動揺ぶりからするとここまで露骨に聖霊正教会へ逆らった人間は居なかったのだろう。
 ざわつく重職者達を後目に、トラヴィン主教が自席から立ち上がるとその勢いのまま真っ直ぐシェリッサを指差した。そして、
「この者は、既に悪霊に取り憑かれている!」
 その堂々たる言葉に混乱していた重職者達もはっと我に返り、気を取り直して視線を一斉にシェリッサへ向ける。そもそも何も動揺もする必要は無い事である。異端は異端、背教者がいるなら相応の処分を下すだけの事なのだ。
 自分へ注がれる視線が軽蔑や敵意に満ちていく事が分かる。これまでの自分ならば、間違いなくこの時点で思考も固まり動けなくなっていただろう。だが今日の自分は強く腹を決めているためか、その程度では一切ぐらつきもしない。
「我々の行いは全て創世の女神様が見ておられます。エクス様と添い遂げる事を罪だと仰るのなら、かつて勇者と崇めていた者も同罪ではないでしょうか」
「それは違う。過ちだったと理解したからこそ、改心し教会の襟を正しているのだ。罰とは罪を犯しても改めない者にこそ下される」
「私はエクス様が女神様の御加護を受けた真の勇者であると、ずっと信じ続けております。今もそれは変わりません。それなのに、何故私には罰が下らないのでしょうか」
「女神とは慈悲深い方である。その寛容さが改心の機会を与えて下さっているのだ。我々もこうして君の過ちを指し改心を訴えているのに、何故分かろうとしない」
「エクス様を愛する事が罪ならば、私は天罰を甘んじて受けましょう。私には創世の女神様への信仰心が強く根付いています。それは他人の言葉で容易く変わるほど軽いものではありません。これを悪霊の仕業と断ずるならば、聖霊正教会の心臓とも言うべき神殿内へ入り込まれたのは女神様の御加護を既に失っているからではありませんか」
 シェリッサのあくまで従わない頑なな態度は、トラヴィン主教を更に焦らせた。あの温和で流されやすいシェリッサがここまで態度を硬化させ食い下がってくるとは全く予想もつかなかったからだ。
 自分の肝煎りで司祭へ推した門下生が、自らが異端である事を認めた上でエクスとの関わりを断たない事実は、トラヴィン主教の立場を大きく揺るがしている。聖霊正教会にも内部の政治はあり、トラヴィン主教もまた自分の影響力や存在感は常に気を使っている。このシェリッサの反抗は早く鎮静化しなければあまりに致命的である。シェリッサの言動が教会内に知れ渡ってしまえば、トラヴィン主教の失脚は免れないだろう。
 もはや説得自体が無理筋であると判断したトラヴィン主教は、如何にシェリッサを切り捨てるかを考え始めた。大前提として自分に繋がらない手段で、それこそ教訓めいた末路にしなければ。だが、そういった手段は準備に時間がかかる。今すぐどうこうする事は出来ないだろう。
「用件が以上でしたら、私はこれにて失礼させて頂きます。これまでの御指導御鞭撻の恩は決して忘れはいたしませんが、今述べさせて頂いた言葉も嘘偽りはございません。主教もどうか今一度創世の女神様に恥じぬ信仰を思い出して下さい」
 シェリッサはそう言って一礼すると、返事も待たず一方的に部屋を出て行った。
 一瞬、トラヴィン主教はシェリッサが出て行った事に安堵を覚えてしまった。何をするにしても、この場でシェリッサをどうこうする事は出来なかった。仕切り直しが必要だったが、シェリッサの方から出て行ってくれたからだ。そう、単純にシェリッサを言い負かす事が出来なかった敗北感である。
 しかし、
「良いのですか! あのように好きに言わせておいて!」
「その通り! あれは異端のそれと同じ、背教者の認定を待つまでもない!」
「天罰を代行すべきでしょう。あなたは教え子にそうする責任があるはず」
 一人の男がトラヴィン主教の前へ歩み出ると、それを手に握らせて大きく同意させるように頷いて見せる。それは聖霊正教会の紋章の入った短剣だった。
「神殿は人払いをしていますが、一般の信徒が戻って来るまで時間はありません。まだ我々しかいない今の内に」
 重職者達は一様に同じ短剣をかざしてトラヴィン主教の方をじっと凝視する。有無を言わさぬ言葉の圧、程なくトラヴィン主教の焦点の定まらなかった目が強く決意に満ちていった。