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 食事を終えるとドロラータとレスティンはそれぞれソファにもたれかかって仮眠を取り始める。二人共昨夜からあまり眠れていないため、あっという間に眠りに落ちたようだった。
 洗い物を終えたシェリッサは、一人窓際で椅子に座って日に当たりながら教典を開いた。今日のシェリッサには特に予定は無い。サンプソムに戻って以来、仕事と言えば安息日に司祭として礼拝を取り仕切るくらいしかない。王族相手に神秘学の講師を務めたり、他教区の応援に呼ばれたりなどしていたものだが、声がめっきりかからなくなったのはエクスの件で距離を置かれているのではないかとシェリッサは想像していた。
 先ほどのレスティンの発言ではないが、確かに自分はこれからどうしたらいいのか、先行きが見えなくなっている感はあった。ようやく念願だった司祭にこそなれはしたが、何故あんなに必死になって司祭を目指していたのか今となってはもう思い出すことも出来ない。エクスの脱獄について気後れしていない訳ではないが、関わるにせよ関わらないにせよ、今後は間違い無く司祭として自分が想像していたキャリアを積むことが出来ないだろう。ならばせめて、エクスを救う選択をするべきだ。そうシェリッサは自らの迷いに結論付ける。それが己の良心に最も近い選択である。
 シェリッサは開いていた教典を閉じ、一つ溜め息をついた。決行日という事もあって緊張しているのだろうか、まるで内容が頭に入って来ないからだ。出発までの時間はまだまだある。自分も二人を見習って一眠りした方が良いかも知れない。
 そんな事を思った時だった。突然外から部屋のドアが丁寧に三度ノックされた。シェリッサは反射的に椅子から立ち上がると、玄関の方へ視線を向ける。微かに感じるドアの外の気配は、すぐには立ち去る様子が無い。次に視線をドロラータとレスティンへ向けると、二人はノックにすら気付いていないらしく、依然深い眠りに落ちたままだった。
 とにかく、誰が来ようともまだ脱獄の事は知られていないのだから、堂々と構えていれば良いのだ。
「はい、どちら様でしょう?」
 玄関のドアを開けると、そこにいたのは一人の年若い修道女だった。面識は無いが、彼女の方はシェリッサを知っているようで若干恐縮した様子だった。
「あ、あの、初めまして。トラヴィン主教の指示で、シェリッサ様をお呼びするように言付かり参りました」
 トラヴィン主教はシェリッサにとって聖霊正教会での恩師であり、シェリッサを叙聖した人物である。サンプソムに戻りエクスの件で話をして以来、顔も合わせる機会がなかった。そもそも多忙な身であることと、シェリッサも実質謹慎しているような立場であるため、顔を合わせる事を遠慮していた。それがまさか本人の方から呼び出してくるなんて。
「トラヴィン主教が私に?」
「はい、神殿の方へ至急と」
 神殿はこのサンプソムにおける教区の中心地、トラヴィン主教の活動拠点でもある。そこへ今になってわざわざ呼びつけるとは、一体何の用だろうか。まさか聖霊正教会もまたエクスの脱獄について掴んでいるのだろうか。そしてそれについて尋問を受ける事になるかも知れない。
「分かりました。すぐに支度をいたします。少々お待ち下さい」
 シェリッサは玄関のドアを閉めて中へ戻る。すると、いつの間にかドロラータとレスティンの二人が目を覚ましてこちらを待っていた。
「なに? もしかしてエクスのことで?」
「はっきりと用件は知らされておりませんが、そうであってもおかしくはないかと」
「分かった。それじゃあシェリッサ、あたし達は後からこっそりついていくから。知らん振りして目的地へ向かって」
「よろしいのですか? 聖霊正教会の事情になりますけれど」
「今更。シェリッサが欠けても作戦が成り立たなくなるし、それにエクスだって良い顔しないでしょ」
「そうだよ! ワタシ達は仲間! 一蓮托生! 地獄の底までついて行くよ!」
「なんで行き先が地獄前提なの」
 ドロラータとレスティンは聖霊正教会の事とは無関係であり、シェリッサにしてみれば巻き込むような形になるのは忍びなかった。けれど二人は仲間だからとあっさり快諾してくれる。思い返せば、今まで二人について仲間という意識を強く感じる事はほとんどなかったと思う。旅の同行者、目的が同じ競合相手、それだけの関係でしかない。だが今はそうではなく、同じ目的のため一致団結している、その実感があった。この仲間意識が、エクスが離れた事によって芽生えたのは皮肉な話ではあるが。