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 エクスは自分の意見を変えそうにない。レスティンはエクスの頑なな主張からひしひしとそれを感じていた。悪意がある訳ではなく、物事を知らない訳でもない。ただ自分を過信しているのだ。それは、今までどんな困難と言われていた事も生まれ持った体力でやり遂げて来たからだろう。
「キミ達三人は、峡谷には入らなかった事にしよう。危険だから俺が一人で行った事にすれば、みんな信じてくれるさ。そうすれば処罰に巻き込まれずに済むし、キミ達は知らないと言うだけで良いさ」
「いや、だから、そういう事じゃなくて―――」
 自分達が巻き込まれる事ではなく、今問題にしているのはエクスが処罰を受ける事そのものについてだ。エクスが罰を受けないように、ただそれだけのことなのだが、どうしても上手くエクスへ伝えて理解させる言葉が口から出て来なかった。
「そちらも、今言った通りにするから安心して欲しい。俺はここの事は絶対に他言しないよ」
 堂々とした態度で断言するエクスの姿は、不思議と説得力があり信じてしまいそうになった。疑う事が役割であるはずのブラッドリックでさえ、何も根拠も保証も無いというのに、エクスの言葉に頷いてしまいそうだった。だが、それでも唯一人、エリノーラだけは違っていた。
「愚かな提案だな。何の根拠も保証も無いのに、信じられる訳がないだろう。そもそも私は、特に勇者エクス、お前を信用していない」
「確かに俺は魔族と戦い続けて来たから、信用しろと言われてもすぐには無理だろう。でも、俺達には争う理由だって無いはずだ」
「少なくともお前には理由があるはずだ。どんな綺麗事を吐こうと、お前は腹の底では魔族を恨んでいる。お前が人類軍に従軍した経緯を我々が知らないとでも思うか? お前はこの場所を他言するどころか、兵を率いて魔族を皆殺しにしようと企んでいるんだろう」
 エリノーラの言わんとする事、特にこの場の人間にとって非常に触れ難い話題であり、思わず息を飲み沈黙してしまう。エクスが生まれ故郷を魔族軍に焼き払われ、それをきっかけに魔族軍と戦い始めた事は大抵の人間が知っている。そして誰しもが頭の中では思ってはいても口には出さないこと、それは故郷を焼き払われた事で募る魔族への恨みがエクスにとって戦いの原動力ではないのかという事だ。エクスが最も触れられたくない部分、そこに平然と踏み込んでいくエリノーラに戦慄してしまう。
「俺はそんな事を企んだりしない。それに俺の過去の話と今ここの事は全く無関係だ」
「信用していないと言ったはずだぞ。しかもお前は、今まで何人もの魔族の将軍を葬り、挙げ句魔王までも手に掛けたのだ。ここまでの事をしておきながら魔族を恨んでいないなど、どの口で言うつもりだ。お前にとって魔族が敵であるように、我々にとっても勇者エクスは敵だ」
 エリノーラの腕が纏う魔力がより激しく火花を散らし始める。明らかにエクス達を殺そうという殺意がこもっていた。
「待ってくれ、エリノーラ。勇者エクスは嘘を言ったりしない!」
「愛しい人、幾らあなたの言葉でもこればかりは信じられない。信じる訳にはいかない。私は、私達の未来を守るため、この男を殺さねばならないの」
 クラレッドの説得もエリノーラには届いていないようである。それほどに、エリノーラのエクスに対する憎しみが強いという事だ。
 もはや一触即発、後はふとしたきっかけで二人の戦いが始まってしまいかねない。それでもおそらく勝つのはエクスだろうが、巻き込まれて無事で済むのだろうか。
 視線をぶつけ合う二人を除いた皆が緊張する。息苦しさを感じるほど張り詰めた空気は、時間の流れすら歪めているように錯覚する。
 戦う以外に選択肢は無いのか。そう半ば諦め成り行きに任せようとしかけていた時だった。
「ああ、そうだ! 手紙だ!」
 突然声を上げたのはクラレッドだった。
「エクス殿! 王には俺からの手紙を持って行って下さい! 勅命というのも、そもそも俺の行方が分からなくなった事が原因なんですよね? だったら俺は王室から除名して貰うよう書きますから。そうすればもう俺を捜索する理由なんか無くなりますよ!」
 王族の王室からの除名は、過去に無かった事もない。だが極めて稀な例であり、除名は余程の理由が無ければならない。それは漏れなく不名誉な事が大半で、世間から非難を受ける事も避けられないような内容だ。
「俺はエリノーラと生きることにしたと、全て正直に書きますから。だったら除名せざるを得ないでしょう。それに、俺は元々王室と折り合いは悪かったですから。向こうにとっても願ったり叶ったりのはずです」
 魔族の女と結婚したから除名してくれ。そう素直に書いていれば、確かに王も呆れて物も言えないだろう。除名となるのも自然な流れだ。脱走したのが王族でなくなれば、仮に脱走の事実が公表されてもそれほど大事にはならない。むしろ除名の事実が生きてくる。
 かなり際どいが、可能性も無くはないほどの穏便な手段である。王室の憂いであるものが取り除かれればそれで十分であると、アリスタン王朝は納得すると思いたい。エクスに対して、クラレッドの手紙を持っていながら脱走の真相を解明出来なかったと断言する事について、見逃してくれるだろうか。そこが一番の気掛かりだ。
「王室から離脱すれば、もう二度と戻れない事になるはずですよ。本気でそのつもりなのですか?」
「ええ。エリノーラとの人生には必要のない肩書きですから。お互い、好きになったのは肩書きじゃあないから。ね?」
 そうクラレッドがエリノーラの訊ねる。エリノーラは些か毒気を抜かれたような困惑気味の表情で無言のまま頷いた。