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「キャー! エクス様ー!」
「素敵! こっち向いてぇ!」
大通りの両側から飛び交う無数の黄色い声。エクスは律儀にもいちいち手を振って応える。中には大胆にも直接エクスに駆け寄っては、サインや握手をねだる者もいる。更に過激な者になるとキスまでねだるようになり、そういった者を剥がしながらでなくては思うように進めなかった。
商業都市バルトサルト。大陸中東部最大の経済都市は、極東部に本拠地を構える魔族の支配圏から近いにも関わらず、全く最前線の緊張感が見られない。人々は当たり前のように生活し、今日も大量の物資と金が流通している。そこから産まれる蜜を享受する事に何の疑問もないのだろうか。
この街に立ち寄ったのは、ギルド連合支部を経由して本部へ定期報告をするのと、次の目的地へ向かう前の準備のためだ。中東は元々荒野が多く、人の住む場所も少ない。そのため物資の調達はここで済ませておかなければ当分は出来なくなるのだ。ただそれだけの理由だったのだか、単なる通り過ぎを許さないこの執拗で熱い歓迎にはただただ辟易するばかりだ。
「おい! あれ、勇者エクスじゃねえ?」
「マジかよ! サイン貰えないかなあ!」
ただ歩いているだけで、エクスはあちこちから名指しで呼ばれる。とにかくこの街の住人はエクスの顔を良く知っていた。商業都市ともなれば様々な最新情報も入ってくる。今や世界的に有名なエクスの事は当然としても、顔までもはっきりと単なる一般人にまで認知されている事には驚きを隠せなかった。被写体を鮮明に写す写真技術はまだ出始めたばかりで、大量生産にも向いていないはずなのだが。その程度の事はこのバルトサルトでは当たり前なのだろうか。
「ねえ、こんなんじゃ買い物なんて出来やしないよ。一旦、宿に入って落ち着いた方がいいよ」
「む? 君達はそんなに疲れていたかな? すまない、気付かなくて」
「そうじゃなくて。このまま店に行ったって、みんな付いて来てかえって店の迷惑になるってこと」
しかしエクスはきょとんとした表情をしたままだった。レスティンの指摘をあまり良く理解していないらしい。思い返せば、エクスは基本的に無計画で行き当たりばったりの行動が目立つ。この客観性の無さは、世間に知られていないエクスの欠点の一つと言える。
「とにかく。ギルド連合系列の宿があるから、そこ行くからね」
ドロラータやシェリッサも同じ気持ちらしく、三人は騒ぎの影響を良く理解していないエクスを無理やり引っ張って行く。目的の宿はあらかじめ用意しておいた地図にも書いてある通り、大通り沿いに面した非常に大きな建物だった。中に入るとレスティンの顔だけで総支配人が全て段取りをしてくれて、すぐに客室へと案内された。部屋は最上階の最も室料の高い二部屋を男女でそれぞれに。外出用の目立たない専用通路も完備された静かで落ち着ける場所である。
「ギルド連合の支部があるところは大体良い宿泊まれるね。こればっかりはレスティンに感謝かな」
心のこもっていない礼を述べるドロラータは、早速窓際のチェアに深々と座ってくつろぎ始めた。自分の定位置を誰にも訊ねず勝手にに決める協調性の無さは、いつか強く言ってやろうと思いつつ未だその機会が訪れていない。
「でも宜しいのですか? 宿代も安くないんでしょうに」
「いいのいいの。ワタシ、父親には甘やかされてるから。宿代は全部ギルド本部が持ってくれるし、まあ適当にくつろいじゃって」
レスティンも装備を脱ぎ捨て、すべてソファに深く座り脱力する。旅にも慣れて来てただの移動で疲れる事はほとんど無くなったが、今日のような出来事はまた違う意味で疲れる。今更だが、エクスは魔王を倒した世界的な有名人なのである。人々からあまり着目されなかった事が不自然だったのかも知れない。
二人がくつろいでいる中、シェリッサが部屋に備え付けの給湯設備でお茶を用意する。予め決めた事ではないが、こういった時にお茶汲みなどの雑用をするのは決まってシェリッサだった。そういう風に生まれついた性分なのだろう。そしてレスティンは、こういう甲斐甲斐しさも結婚には必要な要素なのではないのかとふと思った。
「さて、外があんなだと本当にエクスを連れて歩けないね。いや、正直舐めてた。流石に勇者様ともなると過激なファンもつくかー」
「エクス様があまり自覚が無いようなのも問題ですね。一人で出歩かないよう私達が気をつけておかないと」
「だったら透明になる魔法でも使ってみる? 声かけられなくなるよ」
「必要な人とも話せなくなるじゃない。第一、エクスにその手の魔法って効かないじゃない」
「買い出しは夜にした方が良さそうですね。これだけ大きな街ですと、お店も遅くまで開いているでしょうから」
「多分ね。ただ、あちこちに街灯もついてたから、夜でもかなり明るいかもね。エクスにはフードか何か買ってきて被らせる方が良いかな」
この街では普通の買い出しは出来そうにない。用事は早く終わらせてさっさと出立しよう。そう三人は決意する。
「ところで、ちょっと気になってたんだけどさ。エクスって、故郷を魔族に焼かれたって話。あれ本当なの?」
「らしいよ。この間の週刊誌にも載ってたし」
ドロラータはたまに宿で週刊誌を読んでいるのを見かける。その割に記事の内容を全く信用していないのだから、何故購読しているのかは分からない。
週刊誌が元ネタでは随分信憑性を乏しい気がする。有名人ともなるといい加減な記事など幾らでも書かれるものだ。
「じゃあエクスって、もう家族もいないんだ?」
「御家族の事を話しているのは聞いた事はありませんが、流石に気軽に振れる話題でもありませんね……」
魔族と長年戦争をして来た御時世である、戦災孤児など珍しくもない。だからと言って気軽にする話題でもない。それは、戦争で家族や故郷を失う悲しみは風化し難く、いたずらに本人を傷つけかねないからだ。
「で、それがどうかしたの?」
「いやその、何て言うか。そんな生い立ちの割にあの明るさって何なんだろうって思って」
「エクスのいいところじゃないの。ウジウジくよくよしないのは。あたしは前向きな所は好きだよ。どうにもならない事でいじけるのは合理的じゃないし」
「あんたは合理的なら何でもいいんじゃないの」
それにしても、今までエクスの過去について三人の間で話題になった事は無い。気にならないと言えば嘘になるが、エクスが自分から話さない以上はこちらも迂闊に触れられない事になってしまう。
エクスは亡くなった人達の事で悲しんだりするのだろうか。ふとレスティンの脳裏にそんな愚問が浮かぶ。
エクスとて人間であり、喜怒哀楽の感情は持ち合わせている。大切な人を失えば当然悲しいと思うに決まっている。けれど、エクスが話さないのは歴代のパーティーのメンバーについても同じだ。エクスと共に魔王討伐の旅をしていたメンバーはほとんどが戦死、辛うじて生き延びた者もまともな生活に戻れない体になっているそうだ。そんな彼らの事を口にしないのは、私達を不安にさせるからだろうか。それとも、本当に何とも思っていないからなのか。
勇者とて人間。けれど、勇者になるような人間なのだから、精神の構造も常人と同じとは限らないのではないだろうか―――。