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 限りなく実戦に近い稽古する時用の薄い防具と、鉄心の入った重い木剣。その装備で相対するのは、今や時の人と呼ばれるあの勇者エクス。どうしてこんな事になってしまったのか。木剣を構えながらレスティンは苦悩する。
 事の発端は、勇者エクスのパーティー再編成に伴い、ギルド連合からの代表としてレスティンが推薦された事だった。その日、エクスとの形式だけの面談がギルド連合本部にてあったのだが、マスターの称号を得ているレスティンと是非手合わせをしたいとエクスから申し出があった。当然レスティンは最初それを断った。あの魔王を討伐した人間になど到底敵うはずがないと思ったからだ。しかしエクスは未熟な自分のため是非にでもと執拗に頼むため、仕方なく受けざるを得なくなってしまったのだった。
 一体どうしたら良いものか。悩むレスティンの肩を後ろから父であるギルド長が叩く。
「いいかい、レスティン。ここはわざと負けるんだよ。でもわざとらし過ぎてもいけないし、完敗でもいけない。あくまで勇者の手助けをするのに十分な実力はあるのだと思って貰わないと」
「いやいやいや、勇者が相手だから。そもそも勝てるはずないって。魔王倒した人だよ?」
「大丈夫、彼は女性相手に本気を出すような人間じゃあないよ」
「だったら、初めからこんな手合わせ申し込まないって……」
 レスティンはエクスの真意が計りかねていた。穿った見方をすれば、あらかじめ剣の腕は自分の方が上だと格付けしようとしているのかも知れない。だが、
「では始めましょう! よろしくお願いします! ハアッ!」
 稽古場の天井までもが震えるほどの気合いの籠もった声を上げるエクスは、とてもそんな陰湿な人柄には見えない。それどころか、本当にこちらを自分より格上と信じて本気でかかって来る勢いである。
 とにかく、エクスに敵うはずがないのは分かり切っているのだから、上手く怪我をしない程度に負けよう。そう思いながら、レスティンは渋々木剣を構えエクスを迎え撃つ。
「せい!」
 エクスの踏み込みは驚くほど速かった。それはレスティンが今まで相対して来た相手の中でも間違い無く一番だ。けれど、エクスの姿勢も視線も分かりやすく、何を狙っているのかは明白だった。気合いと共に繰り出された横薙ぎの木剣に対し、レスティンは袈裟斬りで斜め下に払うと、払った反動を利用して上へ斬り上げる。
「げっ」
 直後、レスティンは思わず息を飲んだ。自分にとっては分かりやすいカウンターのつもりだったその一手だが、あっさりとエクスの下顎を捉えてしまったからだ。
「うっ!?」
 エクスはたまらず二歩三歩とよろめき、打たれた顎を押さえる。その光景に、稽古場中の空気が一瞬で凍り付くのが嫌でも分かった。ほんの興味本位で観に来ていた者達が拙い事になったのではと直感する。時の人を無遠慮に打った。特にギルド長は血の気が引いている事が背中越しにでも伝わって来た。
「いてて……いやあ、凄い! 全然見えませんでしたよ!」
「あ、ああ、いや、その、下から跳ね上げるのに視界の外を通すから……」
「なるほど、道理で! 視界も意識しないといけないんですね!」
 そもそも今の剣は何なのだろうか。レスティンは困惑する。大抵の相手なら一手でどれくらいの実力なのかほとんど分かる。それでどういった戦い方をするかを自在に変えられるのが自分の強味だとレスティンは自負している。だがエクスの太刀筋は、明らかに異様だった。力もある、速度も驚異的である、しかしそれ以外は全くの素人である。信じ難いが、エクスは剣術を知らないのかもしれない。
「あの、顎は大丈夫? 思いっ切り当たったけど……」
「なあにこれしき! お気遣いなく!」
 そうはきはきと答え、もう一手とばかりに再び木剣を構えるエクス。痩せ我慢をしているようにも見えず、実際本当にもう平気なのだろう。あれが入って気を失っていない事自体がそもそも驚異的なのだが、勇者はそんなに打たれ強いのだろうか。
「ハアッ!」
 そして再び真っ直ぐ突っ込んで来るエクス。放たれた剣は、やはり首筋を狙った横薙ぎ。全く同じだが、レスティンはつい手癖でまた同じように払い落とし空かさず斬り上げる。
「むっ!」
 すると、今度のエクスは恐ろしく鋭い反射で上体を反らすと、レスティンのカウンターをぎりぎりの所でかわした。ならばとレスティンは更に一歩踏み込み、頭の上に振り上げた木剣を両手で構え直すと真っ直ぐエクスへ振り下ろした。
 エクスは明らかにレスティンの剣が見えているらしく、目が剣を追っている。振り下ろされると分かるや、木剣を横に構え剣の腹で受け止めようとする。しかし、
「あっ」
 ゴツンと鈍い音が稽古場中に鳴り響く。エクスの木剣は確かにレスティンの木剣を受け止めていたのだが、勢いが止めきれずエクスの木剣ごと額に当たっていた。
 エクスの額からつーっと血が一滴流れ落ちる。同時にレスティンは自分の背筋が凍えていくのを感じた。
 やってしまった。つい普段の癖で全力で打ち込んでしまった。幾ら強い男でも、あんな上体を反らした姿勢からでは受け止めきれるはずがないのに。これは大怪我、まさか殺してしまってはいないか―――。
 予想外の事態に動揺するあまり、レスティンは木剣を手から滑り落としてしまう。
「あ、あわわわ、ど、どうしよう! 大丈夫ですか!? 生きてます!?」
 するとエクスは事も無げに姿勢を戻すと、額の血に気付き手の甲で軽く拭った。
「なんのなんの! 稽古に傷は付き物でしょう!」
「いや、その、まずは手当てを……」
「このくらい、すぐ治りますよ。魔王討伐の時も生傷なんて日常茶飯事でしたからね」
 そう笑うエクスだったが額からの血はそう簡単には止まらず、みるみる新たな血が流れ落ちて来る。
「エ、エ、エ、エクス殿! 我が愛娘が大変失礼しました!」
 血相を変えてやってくるギルド長。真っ青な表情でしきりにエクスの額の具合を確認するが、当のエクスは血を流しながらもにこやかな表情のままだった。
「失礼だなんてそんな! むしろ、突然の申し出を受けて頂いただけでなく、ちゃんと自分のような部外者にも全力でお相手をして頂いて、感謝してもしきれないほどですよ!」
「そうは言いましても……そうだ、とにかく医務室へ! 早速怪我の治療を」
「その前に、もう一本だけお相手を願いたいのですが」
「なりません! 治療が先です!」
 エクスは半ば強引にギルド長に連れられて稽古場に後にした。二人が居なくなると途端に稽古場中がざわめき始める。二人の手合わせが、まさか勇者エクスの負傷で終わるとは誰も予想だにしていなかったからだ。
 レスティンは呆然としながら立ち尽くしていた。酷く頭の中が混乱して、何とも行動が出来なかった。あの勇者エクスに怪我をさせてしまった事はショックだった。だがそれ以上に驚いたこと。エクスはまるで剣術も知らず、ただただ産まれ持った強さだけで魔王を倒したらしいこと。そしてこんな人前で恥をかかされたようなものなのに、まるで取り乱しもしていなかった事だ。
 あまりに得体の知れない、自分の理解を超えた人間。だが気持ちが落ち着いて来ると、不思議とより熱い感情に見舞われているようにレスティンは感じた。一体これは何なのか、それは当人にも俄には理解が出来なかった。
 ふと視線を感じ振り向くレスティン。そこでは一人の女魔導士がこちらを見ていた。確か自分と同じエクスの仲間に選ばれた人間で、魔導連盟から送り込まれた者だ。
 一体どういうつもりでこちらを見ているのか。エクスを怪我させた事を非難しているのか。あまりに無表情であるため、その真意は計りかねた。
 やがて女魔導士は視線を切り、エクスの後を追って稽古場を出て行った。
 自分はエクスと結婚するためにパーティーへ送り込まれる。魔導連盟も何の目的も無く魔導士を送り込むはずはないのだから、もしかすると彼女はライバルになるのかも知れない。
 そう思った所で、ふとレスティンは気付いた。こんな真似をした自分が、エクスのパーティーへ入れて貰えるはずはないだろう、と。これはある意味では正解だったのかも知れない。