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 久し振りに実家へ戻って来たレスティンは、ゆっくり風呂に浸かった後、家政婦が用意したたっぷりの昼食を平らげて自室のベッドで眠った。ここ一年ばかりは仕事続きでろくに休みも取れず疲労も限界だった。レスティンの仕事は基本的にギルド連合の代表としてメンバーの管理のはずだったが、連合軍と魔王軍との戦いが激化していく中で部隊の指揮や要人の護衛等々、直接現場に赴く仕事が増えていた。ギルド連合でも指折りの戦士でもあったレスティンの力は方々から求められ、文字通りの東奔西走する毎日を過ごさなければならなかった。そんな日々から唐突に終わりを告げられたのは、ひとえに勇者エクスの魔王討伐によるものである。レスティンにとってエクスは、激務から解放してくれた救世主のようだった。
 久々の自分のベッドで熟睡していたレスティンだったが、不意に使用人に起こされ目が覚めた。既に日は落ちて部屋の中は真っ暗になっていた。だが未だ眠気が強くもっと眠っていたかったのだが、それは許されなかった。眠い目を擦り、言われた通り父の書斎へやってくる。
「パパー? 帰って来てたの? ふあぁぁ……」
 あくび混じりに話し掛けるレスティン。そんな彼女に父はつかつかと歩み寄ると、両腕の広げて力強く抱き締めた。
「おお、レスティン! こうして会えたのも何日ぶりだろうか!」
「ねえ、ワタシ今日帰って来たばかりで疲れて眠いんだけど」
「うんうん、眠い顔も可愛いぞう」
 久々の再会に感激する父を引き剥がすと、レスティンはソファに腰掛けて用意してあったコーヒーをカップに注ぐ。うとうとしながら覚束ない様子で角砂糖を二つ三つと入れていった。
「突然ですまないね。だがどうしても早く言っておきたくてね」
「何かあったの? テンション高いのはいつものことだけどさ」
「なに。実はね、昨日噂の勇者エクスに会ったのだよ。たまたまだけどさ」
「あー魔王倒した人でしょー。ありがたいよねえ。おかげでようやく家に帰って来れたんだし。どう? 実物も強そうだった?」
「それなんだがね……」
「どうかした?」
「うむ。ワシはね、彼に惚れた!」
 唐突な宣言に、レスティンは思わずコーヒーを吹き出したむせかえる。
「は? 急に何言い出すのよ! いや、ほら。確かにママが亡くなってもう十年も経つから寂しいってのは分かるけどさ。って、いやいやいや」
「変な想像はやめたまえ。惚れたというのはだね、彼の人柄と腕っ節の事だよ」
「ああ、そういう。変な言い方するからびっくりしたじゃない」
「それでだ。ワシは彼が欲しくなった! ワシの息子にしたい!」
「またムチャクチャ言い出すなあ。まあ良いんじゃないの?」
「そういう事で、エクスを婿として迎えたいのだよ」
「誰の」
「ワシの娘はきみ一人じゃあないか!」
「けっ、結婚しろって!? ワタシが!?」
 仰天するレスティンは、引きつった表情で裏返った声をあげる。父はその様を見ながら、何故か納得したように腕組みをしてうんうんと頷いた。
「その通り。レスティン、君はママに似て百年に一人の美人だ。健康美に溢れたスタイル、朗らかで面倒見も良く誰とでもすぐ仲良くなれる人徳、そして今時美味しそうにたっぷり食べる子には案外男はグッと来るものなのだよ! 更に更に、君はこのギルド連合の傭兵部門で、あらゆる武芸を習得しただけでなく史上最年少でマスターの称号まで授かった才女。自慢の娘だ、幾ら勇者と言えど文句はつけまい!」
 父のこの手の演説は聞き飽きていたが、それがエクスと結婚云々の話題の時ではまた聞こえ方が違う。今回は一体どこまで本気で言っているのか。レスティンは心底訝しみながら訊ねる。
「……一応訊くけど、何でそこまでエクスにこだわるの? ただ惚れ込んだからって感じがしないんだけど」
「流石はワシとママの娘! 良い質問だ!」
 そう言って父もコーヒーを注いで一気に飲み干す。そんな飲み方をすれば火傷すると思われたが、今はそんな些細な事など気にしないほどにテンションが高いらしかった。
「一昨年、議会制度が史上初めて改正されたのは知ってるね?」
「あー、今までは王族貴族に名誉貴族だけ参加が認められてたのが、これからは平民も認めるってやつでしょ。あれ? 確か来年パパが議長やるんだっけ」
「良く憶えててくれたねえ! そうなんだよ。それで、今の議会がどうなっているか分かるかい?」
「さあ。そっちはあんまり興味ないからなー。誰にでも開かれた平等な政治が出来るってのは聞いたけど」
 そんな謳い文句を新聞で見たような気がする。きっと革新的で良い事なのだろうとレスティンはぼんやり思っていた。しかし父親は突如机をドンと叩き、一層大きな声をあげる。
「とんでもない! 議会に参加してる平民共なんざ、所詮は政治の素人。議会を自分の要求を通す場だと勘違いしてるんだ。反対すれば既得権益者の傲慢だだの騒いで暴れる始末。この大人の駄々を絶賛する支持者共! 歴史的な政治の停滞、暗黒時代だよ! 魔王軍対策の審議が遅れに遅れてしまった原因も奴らは理解してないんだ!」
「ふーん、政治は大変ねー。で、それがエクスと関係があるの?」
「エクスはね、アリスタン王朝から正式に勇者の称号を賜る訳だが。つまり、名誉貴族扱いだね。するとだ、レスティンと結婚するにも支障が無くなる訳だよ。名誉貴族同士の婚姻だからね」
「もしかして……エクスを議会に送り込むつもり? ギルド連合の名代なり代表なりって名目で」
「その通り! エクスは民衆からの支持も凄いからね。素人共を黙らせるにはこれ以上無い雷名って訳だよ。それにギルド連合も魔王軍のせいで大分規模縮小を余儀なくされたからね。ここらで勇者エクスを御旗のしるしにして、大きく挽回を図りたい訳なんだよ」
「幾ら今をときめく勇者様でも、そんなみんな何でも言うこと聞いてくれるかなあ……」
「大丈夫! あいつらみんな馬鹿だから!」
 そう断言する父は、エクスを使えば幾らでも平民など丸め込めると確信している様子だった。政治は詳しくはないが、父は大分浅はかな事を言っている気がする、そうレスティンは思った。圧倒的な人気を盾にして、エクスにギルド連合にとって都合の良い意見を代弁させ、議会の舵を取り返そうというのだ。そんな上手くいくはずがない。
「そういうことだから、レスティン! 結婚の事はよく考えておいてくれ!」
「う、うん……」
 自分は結婚に興味はない。今まで男性が好きになった事も無い。周りには歳の近い男性もいないこともないが、大抵はどうにかなる前に父親が排除してしまう。そんな自分の経歴で、いきなり勇者と結婚しろと言われても、まるで現実味がないと言うのがレスティンの正直な感想だった。少なくとも父は本気なのだろうが、肝心の手段についてはなにも考えていなさそうである。具体策の無い縁談など、幾らでも突っぱねられはするのだが。
「レスティン、信じて欲しい。この話の一番の理由はね、ワシはエクスが君にとって最高の相手だと確信しているからなんだよ。ワシは病床のママに、必ずレスティンを世界一幸せにすると誓ったんだ。半端な男共にどうして君を幸せに出来ようか! 魔王を倒すような傑物は世の中二人といない。あれほどの規格外な男である必要があるんだよ!」
「わ、分かったからさ。別にパパを疑ってる訳じゃないし」
 レスティンはこの話を断り難かった。
 母を早くに亡くした事で、父はずっと男手一つで自分を育てて来た。普通の父親よりも沢山苦悩し苦労して来た姿を、他ならぬ自分自身が良く見て知っているのだ。そんな父が、この結婚がこの世の誰よりも自分を幸せにするのだと確信している。だからとても断り難いのだ。