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「大丈夫、すぐ乾くから」
ずぶ濡れになった青年を小屋へ運び込むと、すぐさま介抱を始める。ドロラータは寒さでガタガタと震える青年の服を魔法で乾かし、背中へ適度な温風を送り込む。シェリッサは青年に治癒術をかけ体中の細かな傷を癒やす。レスティンは暖炉の火で簡単なスープを作った。
「ああ、本当にありがとうございます……。まさか吊り橋が落ちるなんて思いもよらなくて」
「ま、今回は運が良かったね」
彼女らの介抱により、青年の顔色には大分赤みが差して来た。震えも止まりレスティンのスープをゆっくりと味わいながら飲む。この様子では一晩も休めば体力も回復するだろう。
「しかし本当に危なかった! ギリギリだったが、何とか助けられたのも女神の御加護の賜物だな!」
そう笑うエクスは、濡れた服を脱いで半裸姿のままタオルで頭を拭いていた。
「ちょ、ちょっと、エクス! そんな姿で堂々としないでよ!」
女性が三人も居る前で何という姿をするのかとレスティンは咎めるものの、視線はエクスからほとんどそらさなかった。シェリッサは何度もそっぽを向きながらも繰り返し盗み見、ドロラータにいたっては平然とした様子でも真っ向からしっかりと眺めていた。
「ん、エクス? あの、失礼ですが、あなたはもしかしてあの勇者エクス?」
「ええ。この身には余る大それた称号ではありますが」
「本当に本物なんだ! うわあ、ツイてる!」
自分を激流からすくい上げたのがあのエクスだと知るや、青年はたちまち声を大きくする。
「魔王軍には故郷を焼き払われて、本当にマジでぶっ殺してやりたいってずっと思ってたんですよ! でも俺は全然戦えなかったから、悔しくて悔しくて。だから魔王を本当にぶっ殺した勇者エクスには感謝してもしきれないです! しかも命まで救って貰っちゃって、いやもう感謝感激で言葉に出来ないですよ!」
「自分に出来る事を、女神の導きに従ってやったまでですよ」
「くぅー、その謙遜ぶりがまたたまらない!」
時折こういったエクスの熱烈なファンと遭遇する事がある。単なるにわかファンや流行りに乗っているだけの者と違い、エクスへの感情がやたら重い事が多い。彼らは魔王に対して強い恨みなどを抱いているのがおもな理由だ。だから勇者エクスへの気持ちも重く高ぶるのだろう。いちいち騒ぎ立てるファンは鬱陶しく思うが、仮に重い過去を背負っていたとしてもこの青年くらい軽い方が気を使わずに済むものである。
翌朝、青年とは向かう先が逆方向であるため、小屋からの出立と同時に別れた。青年は姿が見えなくなるまで手を振り続けたが、律儀にそれに付き合うエクスもまた人付き合いが良いものだと呆れる。
「それにしても……エクス様。人名救助も大事ですが、あの行為はあまりに危険でしたよ。夜の増水した川に飛び込むだなんて、下手をすればあなたまで取り返しのつかない事に」
「そうだよ、エクス! あれは幾ら何でも危な過ぎだって!」
「なあに、俺には創世の女神の加護がある! 必要とされ、必要な事をするのなら、あらゆる災難は取り払って下さる!」
「私が言うのもなんですが……加護をあまりにあてにするのはあまり良くないかと……」
確かに昨夜のエクスの行為は滅茶苦茶だった。ロープを結んだ剣を岩に差し、それを命綱にしてあの激流の中から青年を救い出した。英雄的行動とも言えるだろうが、剣が抜ければ激流に流されるだろうし、そもそもあの状況で青年を探し当てること自体が奇跡に等しい。
結果だけ見れば立派な行いだが、一歩間違えば無駄死にである。生まれ持った力で強引に成し遂げただけに過ぎない。それだけの事である。
であるのだが。
もし自分にエクスと同じ身体能力あったとして、果たしてエクスと同じようにあの青年を助けただろうか。
あの時、青年の体が石から離れようとした瞬間に脳裏を過ったのは諦めだった。これは助けられない。むしろこれ以上無理をしては逆に自分が危うくなる。だけど、エクスは違った。あの状況でも諦めなかったのだ。
簡単に諦め何も手段を考えなかった自分と、とにかく出来る事をしようとしたエクス。エクスを勇者たらしめるのは、身体能力ではなくこの考え方ではないだろうか。
「どうかしたかい? ドロラータ」
いつの間にかボーッとして考え込んでいたのだろう。エクスが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「エクスは、ああいう危険な事も本当に怖いとは思わないの?」
ドロラータは素直に昨夜の行為についてそう疑問を呈する。エクスは一瞬面食らったような表情をしながらしばし考え込み、そしてゆっくりはっきりと答えた。
「思わないよ、と言いたい所だけど。実はあれもかなり怖かったし、過去にも心底怖いって思った事は何度もある」
「それなのに、見ず知らずの人を助けるの? そもそも、魔王軍は魔王が居なくなったから指揮系統は一本化されていない。人類連合軍に匹敵するような大規模な用兵は二度と無い。戦いの決着はとっくについてる。あなたがわざわざ戦い続けなくても、人類の勝利は揺るがないよ。何もしなくても世の中はもう人間側へ流れてる」
「それでも、今実際に助けを求めている人々は大勢いる。俺はそういった一人一人を見過ごせないんだ」
「命をかける価値がある事なの? せっかく勇者なんて呼ばれるまで成り上がったのに」
「価値も見返りも考えたことはないよ。ただ困っている人を助けたいだけさ。そうだね、これは俺の我がままかな」
そう言って微笑むエクスの様子には嘘を言っているような素振りは微塵も感じられなかった。何の見返りも欲しない無欲さ、自分の志を飾らない謙虚さ、そしてそれらが嘘ではないと信じさせる人柄。勇者エクスなどというものは、単に腕力だけが取り柄の農民がたまたま成り上がったくらいにしか思っていなかった。それがまさかこんな、冒険小説の主人公のような人間だなんて。
「ねえ、エクス。もしも困っているのがあたしでも助けてくれる?」
「当然だ。必ず駆け付けるよ」
「もしそれが、エクスにとってとても難しい事であっても?」
「戦い以外の事かい? あまり器用な事は出来ないけれど、それでもベストは尽くすよ。約束する」
「魔導士相手に随分簡単に約束なんかするんだね。後で自分の首を絞める事になるかもよ」
「それでも、困っている君を助けないという選択肢は俺には無いぞ」
自信に満ちた表情で真っ向から断言するエクス。これもきっと嘘偽りの無い本音だろう。
この清々しさはとても余人には真似の出来ないものだといつも思う。エクスは選択を迷わないし後悔もしない。何故なら、自分の信念がはっきりしていて何が起ころうと揺らぐ事は無く、その結果苦境に立たされても自力で切り抜けられる力があるからだ。
それだけ強いなら、自分の助けは要らないのではないか。以前はずっとそう思っていた。
だけど。
今はそれでも、彼を支えてやりたいと思う。多分それは、個人的にエクスのような稀有な人間を失いたくないからだろう。