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 今朝は雲行きが怪しかったが、地盤の固く木々の多い山中の街道を進む道程であるため予定通り出立。だが午後になり天気は急激に崩れ始め、たちまち強い雨に見舞われる事になった。各自用意していた雨具を身に付け、次の街へ向けひた歩く。雨宿りをするにしても雨足は衰えず止む気配が無いため、いっそ街に早く到着した方がマシだと判断したのだが、雨の強さと肌寒さは予想よりもずっと体力を奪って来た。
「本当に酷い雨だな……みんな大丈夫か?」
 レインコートのフードを深く被ったまま、エクスは歩きながら皆に声をかける。
「大丈夫、ワタシはこういうの慣れてるし。雨の中の行軍とかもっとしんどかったもん」
 レスティンは普段と変わらぬ口調で答える。それが取り柄なのだから初めから心配などしていないと、ドロラータは小声で独り言ちる。
「私は平気です。お構いなく」
 気丈な様子で答えるシェリッサだったが、寒さで息が白くなっているため明らかに呼吸の量が増えているのが分かった。かなり無理をしてついてきているのだろう。
「ドロラータは? 体力は平気かい?」
「んー、あたしは平気。雨の日用の魔法も幾つかあるし」
 そう答えると三人が一斉にこちらを見て来た。
「雨の日用って……あれ? アンタだけ濡れてない? ってか、雨が弾かれてる?」
「そう。サンプソムから南西辺りにウォルダムって田舎町があるんだけど。そこの更に奥まった僻地にね、洗濯物を乾かすっていう古い民間魔法があってさ。その本がたまたま手に入って、自分なりに研究してアレンジしてみたの。要は外部から浸透する一定量以上の水を拒絶するって感じ」
「なんだ、いいの知ってんじゃない! ワタシにもやってよ!」
「素人向けに調整してる訳じゃないから無理。まあ、何か濡れたなら後で乾かしてあげる」
「……やっぱワタシも少しは魔導学かじっときゃ良かったなあ」
 寒さまでしのげる訳ではないのでレインコートは着ているが、雨具でも濡れているのと濡れていないのでは大きな差がある。他にも体を暖めたり物を軽くするなど、細かい魔法を幾つも平行して使っている。体力が一番無い自分が過酷な旅についていけるのも、こういった工夫のおかげだ。
 そうなってくると、いよいよ深刻なのはシェリッサである。エクスやレスティンは体力で乗り切れるが、シェリッサだけはそうもいかない。シェリッサの様子を盗み見ると、やはり呼吸が荒くなって来ている。顔から滴る粒は決して雨だけではないだろう。それを拭う余裕もないのだ。
 こういった状況がドロラータは苦手だった。シェリッサはもういい大人なのだから、自分の限界くらい分かるだろうし自己申告も出来る。だから余計な水を向ける必要もないのだが、こういった時に気遣ってやらないと優しさが無いと世間では非難される。他人から何と言われようが興味は無いが、勇者のパーティー内に不和を作るのは良くはない。かと言ってその気遣いそのものが苦手であるのと、そもそも必要かどうかも良く見定められない。それは恐らく日頃レスティンに言われているように、積極的に人と交流しないため人付き合いが下手だからなのだろう。
「おや? あれは……もしかして休憩小屋かな?」
 ふとエクスが視界の大分先に何か見つけたようだった。いつものことだが、それは常人の視力では見つける事は出来ない距離である。
「流石にちょっと雨も強いし、一旦そこで休んでいかない? この雨足だと、最悪今夜はそこで過ごした方がマシかも」
 自分は休憩など必要無いが、雨で参っているシェリッサは休ませた方がいい。誰かが休みたいと言えばシェリッサも休みやすいだろう。そんな精一杯の気遣いのつもりである。
「そうだね、それが無難だ。みんなもそれでいいね」
 するとエクスは、自分はさり気ないつもりでシェリッサの荷物を代わりに持った。エクスもシェリッサが無理をしている事に気付いていたのかも知れない。だがやり方はあまりに直接的だった。エクスは時折このように相手に有無を言わさず親切を押し付ける。ドロラータにとってそれは、ただの押し売りにしか思えなかった。助けを求めていない者を無理やり助けたところで、拒絶されたり非難されたりするのは怖くないのだろうか。それとも、明確な信念に基づいた行動だから、初めから感謝や見返りを求めていないのか。正しいかどうかはさておき、エクスの精神力が強い事に由来する行動と言えるだろう。
 それとなくシェリッサの様子に注意しながらしばらく歩いていると、エクスの言った休憩小屋が見付かった。それは丁度街道途中の吊り橋近くに建てられたもので、煙突から煙が上っていない所を見ると今は誰も使ってはいないようだった。吊り橋は街道沿いの川を渡れるようにかけられたもので、その下の川はこの雨模様のため増水しごうごうと低い音を立ててうねっている。川幅から考えるとかなりの水量が増えているようだった。
「誰もいないようだね。一旦使わせて貰おう」
 休憩小屋に入ると、ドロラータは早速備え付けの暖炉に魔法で火を入れる。乾いた薪が十分に用意され、小屋の中のテーブルなどの家具も古く傷んではいるが思っていたほど埃はない。定期的に使う人間がいるのだろう。一旦雨をやり過ごすには丁度良い具合である。
「シェリッサ、大丈夫かい? ほら、雨具は脱いで暖炉の傍へ」
「……はい、すみません」
 エクスが優しくシェリッサを気遣っている。その様子を見て露骨に面白くなさそうな表情を浮かべるレスティン。ドロラータも内心それに近い心境だったが、表に出すことはしなかった。女が女に嫉妬する様には想像以上に男は引くと、先週読んだ週刊誌に書いてあった事を思い出したからだ。
 皆の雨具を室内に干し、ドロラータは件の乾燥の魔法をかける。これは雨を弾いたそれとは違い、魔法効果が徐々に水分に浸透して揮発させるものである。旅に出る前は飲み物をこぼした時ぐらいしか使い道が無かったのだが、今では日常的に使う場面のある何気に重宝するようになった魔法の一つでもある。
「ひとまず、このまま雨足が弱まるのを待つしかないかなあ。しかしとんだタイミングだね。そうだ、女神の加護の力で何とか雨雲を晴らせないかな?」
「それは無理じゃないかな。雨は害を成すものじゃないからね。それに、加護は本当に命の危機が迫った時くらいしか反応しないと思うよ」
 エクスがこれまで遭遇した危険を思い返してみるが、いずれも加護のような第三者の介入があった形跡は無かった。エクスは単に自力で危険を突破しているに過ぎないのだ。
 本来であれば、この程度の雨などエクスの足止めにはならないだろう。それがこうして時間をかけさせられているのは、自分を含めた三人はエクスにとって足手まといでしかないからである。
 きっとエクスはそんな事は微塵も考えないだろう。ただひたすらお人好しだから、人へ疑念も嫌悪も持たない。こんな勇者などともてはやされるような才能さえなければ、今も平凡無事な生活を送れていただろう。勇者としての才能は彼のような善人にとっては災いの源でしかないかも知れない。