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「あった、もしかしてこれじゃない?」
 レスティンが示すのは、丁度大人の背丈ほどある大きな岩。やや赤みを帯びた花崗岩は、深い霧の中でもはっきりと存在感を示している。
「うん、これだね。じゃあ進路はこの岩の右側から真っ直ぐ」
 元来た方向を確認し、わざわざ岩の右側を通り抜けて行く。それはあのウェイザック伍長の残した手帳から得た情報に従っての順路である。
 霧深い峡谷をひたすら進む四人。目的地は不明だが、とにかく辿り着くまでの手順とそれに従えば到着する場所があるという事だけは確かだと思われる。そしてそこには今まで脱走していった全ての兵士がいるはずなのだ。
 これまでの道程はとても楽ではなかった。ただでさえ足元の悪い峡谷に、視界と方向感覚を狂わせるほど深い霧。ドロラータやシェリッサの術では現在の位置すら特定出来ず、エクスですら方角が分からなくなっている。これらはただの自然現象ではなく、地形や気候を利用した魔術的な仕掛けである事をドロラータは見抜いていた。
 元々深い霧があるのだから、それを媒介に魔法で方向感覚などを狂わせて目的地へ辿り着けないように魔術的な仕掛けを組み込むのだ。そして目的地には着かせたい者には、あらかじめ決めておいた手順を開示するのである。岩の右側を通るなどと一見何の変哲もない行動に思えて実はそれ自体に魔術的な意味があり、自然と正しい道を進ませるものだ。この手順を知らない者は永遠に目的地へ辿り着くことが出来ない。
 だがそれを踏まえても、単純に足場の悪さと距離、そして時折遭遇する魔物で三人は酷く疲労していた。一人平然としているエクスも、流石に三人を気遣いながら進んでいる。襲ってくる魔物はエクスが撃退するので任せられるが、あまりに不慣れなこの環境下では歩くだけでも体力を消耗させられてしまうのだ。
「ところで、手順的には今どれくらいだい?」
「そうね、うーんと……あっ、今ので最後だった」
 すると、
「本当に!? じゃあもうすぐ着く!?」
 疲労で顎が上がり気味の姿勢で歩いていたレスティンが、目の色を変え大声で訊ねる。
「騒がないで。また魔物が来るでしょ」
「あ、ああ、ごめんごめん。でも、そろそろ到着って事だね。あー、ようやく休める」
「そうとは限らないでしょ。あたしらは、脱走兵達を追って来てるんだから。歓迎なんて期待出来ないと普通思わない?」
「何にせよ、まずはこちらの目的をお話して納得して戴かなければ、休息もままならないでしょうね……」
 もし目的地というのが脱走兵達の拠点であるのなら、脱走兵の捜査のためここまで追ってきた自分達が歓迎される余地は極めて少ないと言える。この苦難の行進もゴール地点はあくまで通過点の一つでしかなくなるのだ。
「ねえ、エクス。今の内に確認しておきたいんだけれど。趣旨としてはどう伝えるつもり? 仮にクラレッドを見つけたとして、無理にでも連れて帰る?」
「いや、流石にそれは無理だろうし道義的にも間違っている。あくまで自発的に戻って戴けるよう誠心誠意を込めてお願いするしかないよ」
「となると、脱走兵達には基本的に戻ってくれとお願いするスタンスなのね」
「なあに、誠意を見せて心からお願いすればきっと分かって貰えるさ! それに我慢は得意だ。分かってくれるまで俺はしつこく粘り続けるよ」
「どうかなー……誰が作ったか知らないけど、こんな迷宮の奥地まで逃げて来るほど気合いの入った連中相手なのに」
 手順が分かっていても、これほどの難所を抜けるには相当な精神力が必要である。何かしら強い目的意識が無ければ、到底気力が続かない。そして途中で引き返す事も困難である以上、必ず踏破してみせる覚悟が求められる。これらを兼ね備えた脱走兵を折れさせるのは、ただのしつこさだけでは不可能なように思えてならない。
 とにかく、今は自分達が遭難しないよう注意を払う事にしか余力が回せない。説得をエクスに任せきりにするなど恐ろしくて考えたくも無いが、まずは何よりも自分の身の安全である。こんな難所へ軽々に足を踏み入れられるほど、三人は体力も経験も無いのだ。
 エクスは三人の様子を気遣いつつ、時折襲ってくる魔物を蹴散らしながら進んでいく。エクスの疲れを知らない足取りに何とか着いていくだけで精一杯な中、太陽の傾きが夕刻に近付いている事に一行は気付いた。予定ではもっと早く着いているはずだったのだが、想定よりも足取りが遅かったようである。
「流石に夜になったら歩けないな。無理せずここら辺で休もうか?」
「いや、もうちょっとだけ進もうよ。情報が正確ならそろそろ到着のはずだからさ」
 そんなレスティンの提案に、ドロラータとシェリッサは無言で頷いて同意を見せる。二人ともろくに話も出来ないほど疲れているようだったが、まだ目的地を目指すという意思は変わっていなかった。
「分かったよ。でも、無理は良くないぞ。本当に駄目そうなら、俺が止めるからね」
 そう言ってエクスは再び歩き始める。三人は無言のままその後に着いていった。
 ふとレスティンは、以前にエクスが零した言葉を思い出した。正確に言った言葉は覚えていないが、それはかつてのパーティのメンバーに対する後悔のような謝罪めいた内容であったのは確かだ。エクスは自分の強引な進行で被った味方の激しい消耗に気付いてやれず、そのまま無理をさせて何人もリタイアへ追い込んでしまった過去があった。これまでエクスは過去のメンバーなど気にも留めていないと思っていたが、実は一人一人をしっかりと覚えていて、彼らの末路を申し訳ないと後悔していたのだ。
 今のエクスはその時の苦い思いから、こうして仲間の様子をこまめに気にかけるようになったのかも知れない。