BACK
アングヒルはハイランドに最も近い非戦闘地域の都市だ。街はハイランドの戦線に駐留する兵士達を相手にした商売が盛んで、目の前が戦闘地帯とは思えないほどの活気に満ちている。街を行き交う人々も多くが軍服に身を包んだ兵士で、束の間の休息を満喫するために繰り出していた。
このアングヒルにも当然ギルド連合の支部はあり、エクス達はまたいつものようにギルド連合の紹介で街の中心にあるホテルに逗留していた。この半月間はホテルとハイランド各地の砦を往復しては脱走事件の聞き込み調査をしていたのだが、ようやくめぼしい砦の調査が全て終わった所だった。
「さて、ここで一つ調査の結果をまとめるとしようか」
部屋の壁にはレスティンの計らいでわざわざ大きな黒板をつけていた。そこに調査で分かった事について、一つ一つ整理しながらチョークで書き込んでいく。
「まずこれまでの脱走者だが、三十九の砦の内で二十ヵ所、合計六十八人の脱走者がいる事が分かった。ふむ、確かにこれは多いな。アリスタン王朝も調査をする訳だ」
エクスは各砦の脱走者数を見ながら、うむうむと一人頷く。
今更だが、兵士の脱走というのは非常に深刻な問題である。軍の評判に関わるだけでなく、戦況が危ういのではないかという疑問が生じ、それは軍そのものへの不信感へ発展しかねないからだ。幾らか各国が共同で結成した人類軍も、あまりに強い不信感をもたれると継戦が困難にもなるのだ。
「脱走の理由や行き先は不明だけど、まあ何か似たような感じね。突然と単独ないし集団で、大して荷物も持たずに姿を消すと」
「もし理由がウェイザック伍長と同じと仮定すると、行き先も皆さん同じ所だと考えられますね」
「そうなると、また別の疑問が出て来るんだよねえ。どうやって脱走先の情報をこれだけ多くの兵士に共有出来たのか。そもそも脱走を決断させたのはどんな内容なのか。人となりを調べていけば分かりそうだけど、次はそっちのアプローチにする?」
「疑問と言えば、もう一つ。そもそもどうしてアリスタン王朝はわざわざ勅命を下して私達に調査をさせたのでしょうか。この件は人類軍の問題ですし、調査や対応をするのは軍がやるべきと思われますが」
「監査の感覚なんじゃないの? ギルド連合も外部の監査組織を使ってるし」
「でも軍には軍の監査部門があるのではないでしょうか」
そう、勅命でエクスに調査をさせるアリスタン王朝の意図は不明のままである。軍の問題に王朝が首を突っ込みたがるのは政治的な事情のように思うが、これではむしろ軍の弱みを握ろうとしているような構図である。そもそもアリスタン王朝は人類軍を信用していないのだろうか。
「もしかすると、他国に知られたくない事があるのかも」
「例えば?」
「脱走者の中に、皇族の関係者がいるとか。それなら、わざわざエクスに調べさせて居場所を特定する事に意味が出て来るし。要は軍に先を越されたくないんでしょ。皇室の不祥事を軍部に握られるようなものだし」
「でもそれは、あくまで推測に過ぎないでしょう」
皇室と軍部との力関係は、どんな国にもある問題である。大抵はその国を治める君主からの命令という大義名分があって軍が動く事に正当性がもたらされる。軍とは君主にとって家臣の一部のようなものだ。しかし君主とはあくまで権威だけで、軍のように直接的な抑止力を持たない。そのため君主は軍をあくまで自分の支配下へ置こうとし、軍は現場に則した現実的な決断をするため束縛を嫌う。それで水面下での派閥争いが起こってしまうのだ。
「だったらさ、調べてくればいいんじゃないの。レスティンがギルドのコネ使って、皇室関係者がハイランドに配属されてないか分かれば、後は脱走者リストと名前を照合するだけだし」
そうドロラータは気安く提案する。そして当然レスティンは露骨に渋い表情をする。幾らギルド連合の長の娘とは言え、あちこちのギルドを自分の思うように使う事は出来ない。便宜を図って貰えるのはあくまで善意の範疇であり、そこから逸脱するような頼み事となると相応の取引や仕事的な調整もしなくてはいけなくなるのだ。
「随分と気安く言うけどさ……こっちも見返り用意するのに色々便宜を図るとか本当に大変なんだけど」
単なる推測程度の事で動きたくはない。そうレスティンは遠回しに拒絶してくる。しかし、
「頼む、レスティン。ここはどうしても君の力が頼りだ」
「んもーエクスったら。結局ワタシがいないとダメなんだからぁ」
エクスが頼み込んだ途端、レスティンはコロッと態度を急変させて調査を引き受ける。にやついたその表情には、何よりもエクスに頼られる事が嬉しいという感情がありありと浮かび上がっていた。
「よろしく。あ、帰りにオレンジソーダ買ってきて」
「それは自分で行け! この引きこもり!」
レスティンが出掛け、その間残った三人は各砦で集めてきた脱走者の素性をまとめて整理を始める。砦によって協力の度合いはまちまちで、名前と日時だけの所もあれば経歴書を見せてくれて書き写せた所もある。そのため情報の粒度は均一性がなく、もしもこの中に皇室関係者がいた場合、情報が少なければまた調査で時間がかかってしまうだろう。
「なんか今思い返すと、あんまり脱走者の情報をくれなかった所って逆に怪しくない?」
情報を見ながらおもむろにドロラータがそんな事を言い出した。
「と、言いますと?」
「脱走した事をあまり知られたくない素性の人間だったりとか。まあそれは、皇室関係に限らないんだけどさ。もしそういう宣伝目的みたいに従軍してる人がいたとして、その人が脱走なんてしてたら軍の沽券に関わるじゃない」
深く綿密な調査をされたくない。そういう思惑があったためあまり協力的ではなかったというのは、確かに不自然な話ではない。
「戦線が落ち着いているという話をそのまま鵜呑みにするのなら、止ん事無き方々が従軍していてもおかしくはないだろうからね。なんでも軍閥では危険な戦線に多く投入している方が勝ち、名士が多く従軍している方が勝ち、のような風潮も未だあるそうだし。軍閥の派閥争いには皇室や貴族、大企業の御曹司に将校の身内などなど絡んで来て、案外複雑な話になるそうだよ」
「それって、エクスが討伐隊に居たときの話? もっと面白そうなの無いの?」
「うーん、俺はあんまりそういう事情に詳しくないから、聞いても理解出来なくて忘れちゃうんだよなあ」
と言うよりも、エクスは元からそういったスキャンダル事情には興味を持たない性格をしている。それこそ当時は、魔王を倒す事以外には何も頭の中に入っていなかっただろう。その辺りの裏事情に興味は尽きないが、流石にエクスからは引き出すのは難しいようである。