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 先に退院したのはステラだったが、裁判は二人同時期に始まった。裁判は非公開で行われ、結審する頃には既に世間ではこの未曽有のテロ事件も記憶から薄れ始めていた。残る関係者はギネビア一人だが、グリゼルダチェアという特殊な物が深く関わっている以上は、彼女の裁判も非公開で行われる見込みである。そして量刑は相当に重いものとなるだろう。
 正式に処遇の決まったリアンダとステラは、元の生活へ少しずつ戻っていった。リアンダは、特務監査室が身元引き受けと保護司を兼任する事を知った時のステラの反応を危惧していたが、ステラは愛想良くする訳ではないにしろ淡々と事実を受け止め従っているようだった。ステラとたまには食事をするが、特務監査室についての話題は一切触れない。だからリアンダはステラの本当の腹の内が分からなかった。またいつかどこかで恨みが噴き出すかも知れない。それが未だ気懸かりである。
 その日リアンダは、先週から引き続き中央区で仕事をしていた。仕事の依頼主は特務監査室。何か裏があるのかと危惧していたが、生活のためだとそこは割り切って引き受けた。仕事の内容は単純で、古い倉庫から新しく建てられたばかりの倉庫への引越である。その古い倉庫というのは事件で散々に荒らされ世間にも知られてしまったあの倉庫であり、当然扱う荷物は全て曰く付きの危険な代物ばかりである。要するに、リアンダのような内情を知っている人間の人手はコストがかからないため重宝するという事だ。
 荷馬車から荷物を一つ一つ慎重に下ろし、新しい倉庫へ搬入する。荷物には一つ一つタグがつけられ、それぞれの注意事項や危険性が記録されている。この内容に従い適切な保管をするのが特務監査室の面々で、リアンダはそこまで関わらせては貰えないが、関わる気にもならなかった。むしろ、よくそんな訳の分からない代物を扱えるものだと呆れてすらいた。理屈で説明出来ないような代物にはもう関わりたくない。あの事件を通してリアンダはそう強く思うようになっていた。
「皆さーん、お昼ご飯買ってきましたよー」
 昼頃になり、お使いに行っていたマリオンが荷物を抱えて戻って来た。五人分の昼食を軽々と抱えているが、元々警察で荒事にも慣れているという経歴を思うとそれぐらいは出来るのだろう。
「よし、じゃあ一旦休憩にしよう」
 エリック室長補佐の指示で一同は詰め所へと移動する。新しい倉庫は常駐者用の詰め所が備えられていた。まさかこんな所を警備する人間がいるのだろうか。初日にそう戦慄した事をリアンダは思い出す。仮に打診を受けたとしても、絶対に応じる事はないだろう。
「エリック先輩、リンゴ剥きましたよ。あーんして下さい」
「いや……子供じゃないんだから」
「大人がやることですよ」
「大人は時と場所を選ぶんだよ」
 マリオンがリンゴをエリック室長補佐に食べさせようとしているのだが、照れなのか困惑なのか固辞しているようだった。そんな二人の様子を、ウォレンもルーシーも意に介していない。見慣れているのか特に何とも思っていないかのようだった。
「ウォレンさん、あの二人っていつもああなんですかね」
「まあそうだな」
「……何で室長補佐って未だに未だなんですかね」
「結婚するまでしない主義なんだとよ。俺だってマジかって思ってるわ」
 大して込み入った会話もしていない程度の自分でも分かる。マリオンは明らかにエリック室長補佐へ好意があり、エリック室長補佐もまんざらではない。それが互いにいい歳をした大人が子供のようにじゃれつく関係までで止まっているというのは、エリック室長補佐の生真面目というか堅い人間性に由来しているようである。しかしその堅物さのおかげで今回の事件は助かった部分がある。本当に世の中の巡り合わせというのは、どこでどう噛み合うか分からないものだ。
「そっちこそ、どうなの? ちゃんと連絡取り合ってる?」
 不意に訊ねて来たのはルーシーだった。ルーシーは何故か二つ目のランチボックスを食べている。それ以外にも様々な包装紙がテーブルの上に散らばっていて、小柄な体からは信じられないほどの大食である。昼食にしては妙に荷物が多いと思っていたが、こういう理由なのだろう。
「ステラの事ですか? 別に俺らはそういうような仲じゃ」
「じゃなくても、ちゃんと様子見ておきなさいよ。一度でも恨み抱えたような奴って、下手に孤立させるとまーた何か拗らしちゃうんだから」
「でも、そんなにしょっちゅう様子見るのも過保護というか束縛型というか、邪険にされませんかね」
「いい? モテる男ってのはみんなマメなのよー。それくらい甲斐性の内。見てみなさい、そこの体がデカいだけが取り柄の男。がさつな性格だから全然女っ気がないし」
「俺に飛び火させんじゃねーよ。それに、別にモテない訳じゃないっつーの。俺は一人に束縛されんのが嫌なの」
「はい、出ましたー。お一人様の定番の言い訳ー」
 ウォレンとルーシーはいつもこんな調子である。お互い本音で語り合える仲だから、周りから見ればキツい言葉の応酬も当人達は単なる軽口で済ませる信頼関係にあるのだろう。自分とステラも、ここまで酷くは無いが、お互い軽口を叩き合える仲だ。もしかすると今一番必要なのはこういう時間なのかも知れない。
「もう少し、ステラとも会っておきますよ。何するでもないけど、繋がっておくことが大事だと思いますから」
「それがいいさ。俺らには出来ない事だからな」
 何をどう語り訴えようと、ステラの辛い現況は変わらない。大好きなピアノの道は絶たれ、この先ずっとこの事に折り合いをつけていかねばならない。だからふとした時に、折り合いをつけさせられているのは特務監査室のせいだと思うようになる事だってあるだろう。そこで踏みとどまれる、踏みとどまらせるのが、人と人の付き合いである。
 自分はかつて、ステラを安易な復讐者の道から救えなかった。だから今度こそは同じ轍を踏ませないようにしなければ。そうすることで、いつも自分は何もうまくできないという後悔からも救われるだろう。