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「うっ……」
意識が唐突に覚醒する。それまで自分は夢も見ないほど昏倒していた事に後から気付くほど、あまりに深い所から浮かび上がった自分にリアンダはやや困惑した。
自分の名前、生い立ち、年齢、知っている限りの人の顔と名前。そんな事を思い出しながら思考を整理し気持ちを落ち着ける。
リアンダが居たのは、一目で病院と分かるベッドの上だった。周囲はカーテンで覆われ、薬臭さの混じった独特の空気が漂っているのが分かった。
布団の中の自分の体の形を意識する。手足はちゃんとあり、動かす事も出来る。痛みもない。だが強く力が入らなかった。それは踏ん張るとすぐさま腹から鋭い痛みが全身を駆け巡るからだ。そして顔からも鈍い痛みがある。頬にはガーゼがぴったりと貼り付けられていた。その下、左の口角から頬の耳側の方まで痛みは続いていて、口を動かそうとすると肉の擦れる痛みとそれを無理やり繋ぎ止める圧迫感のようなものを感じた。多分、かなり広く縫われているのだろう。そしてこの傷痕はずっと残るに違いない。
俺は、生き延びたのか。
そうリアンダはポツリと呟いた。恐らく特務監査室があの場から助けてくれたのだろう。だが、あの場というものがうまく思い出せなかった。記憶が曖昧で時系列が濁っている。そもそも自分はあれからどれだけ眠っていたのかすら分からない。
考えるだけ無駄だと判断したリアンダは、目を閉じて再び眠った。意識が途切れるのもあっという間だった。それほど体が疲弊しているのだろう。
眠っている間、昔の夢を見た。だが具体的には覚えていられなかった。見た傍から揮発していく夢。ただその夢にはステラがいた事だけは確実だった。
もう一度目が覚めると、やはり周囲の光景は変わらなかった。ただ、耳を澄ませると病室の外からは人々が頻繁に行き交う足音や話し声が聞こえた。職員達が忙しく働いているのだろう。
体に力を込めると、まだ刺された脇腹辺りは痛んだが、何とか自力で上体を起こす事が出来た。体はまだ怠いが、もう少し頑張ればベッドから降りて歩く事も出来そうだった。どうやら体調は回復傾向にあるらしい。
すると、隣から何やら人の気配がした。衣擦れの音がし、ベッドから降りた足音が聞こえる。そしてカーテンが僅かに開かれ姿を現すのを、リアンダはベッドに座ったままの姿勢で見ていた。
「おう、やっと目が覚めたか。調子はどうだ?」
それはウォレンだった。彼は入院着姿で、右腕と右足がギプスで覆われている。顔にはあちこち打撲傷の痕があり、痛ましい姿だった。
「ん? ああ、これか。まあどっちもただの亀裂骨折だ。すぐに治る。もう大して痛くもねーし、自分でも普通に歩ける」
「そんなもんだったんすね。もっとヤバい怪我だって思ってました」
「お前の方こそ、マジでヤバかったんだぞ。腹の出血がなかなか止まらなくてショック症状起こしかけてたとか。ここに移されたのだって、昨日の事なんだからな」
「え、俺って死にかけてたんですか? そもそもここどこなんです?」
「中央区、聖都中央刑務所隣の警察病院だ。政治犯やら重犯罪者やらもお世話になる権威ある所だぜ」
「ああ、俺は構成員ですからね。ウォレンさんも?」
「馬鹿言え。俺はお前の監視みてーなもんだ」
自分は聖都で大規模なテロを敢行した組織の構成員である。例え末端と言えども、それに荷担したのは事実だ。逃亡の恐れなども考慮して、こういった処遇になるのは当然である。
「あれからどうなったんでしょうか?」
「あのギネビアって女の身柄は、国家安全委員会に引き取られた。代わりに、うちのあの倉庫を移転する作業を手伝って貰う事でな」
「手柄を売ったんですか?」
「人聞き悪いこと言うなよ。俺らはそもそも目立っちゃいけない組織なんだ。目立つ手柄なんざ元々いいんだよ」
確かに、テロ事件を起こした組織の幹部で実行犯の一人を逮捕したとなれば、少なからず逮捕時の状況に興味を持つ人間は出て来るだろう。そこで特務監査室の名が知られれば、無用な騒ぎを起こされるかも知れない。けれど、金では得られない名誉に彼らは本当に興味は無いのだろうか、そんな疑問をリアンダは持った。今回のような命懸けの仕事を成し遂げても、誰にも誉められない。かと言って公務員法から逸脱した報酬がある訳でもない。どのようにモチベーションを保っているのだろうか。とても正義感だけでは支えきれないのではないか。
「ギネビアさん以外のメンバーはどうなりました?」
「ちゃんとは教えて貰ってねーけどな。ほとんどの連中はその場で殺されたらしいぜ。あの女と同じで、警察相手に無駄に食い下がって抵抗したせいでな。幹部は全滅、あの女が唯一の生き残りだが、一人いりゃ裁判もやれんだろ。どーせ法務省辺りで落とし所決めておいてから、台本通り進めるんだろうが。ま、俺らにゃ関係ねーことだ」
もはや大地と赤の党は事実上消滅した。これでステラを縛る呪縛は無くなった。喜ぶべき事である。けれど、リアンダはそんな気分にはすぐにはなれなかった。確かにステラを大地と赤の党から離したかったが、党そのものの消滅、ましてや皆殺しに近い消滅など望んではいなかった。追っ手がかからないという意味では確実なのだろうが、何もそこまでという憐れみの方が先に出てしまう。
「ギネビアさんはどうなるんでしょうか」
「ま、事件が表沙汰になっている以上、普通に起訴されて通常の裁判、そんで死刑か終身刑か。まあそれ未満はまずありえねーだろうな」
当然である。未遂とは言えギネビアも前代未聞のテロ事件を起こそうとしたのだから、無罪は有り得ない。むしろ、死刑を言い渡される方が妥当だとすら思う。それ以外では世論の理解は得られないし、事件の残り火もずっと燻り続ける事になる。政府にしてみれば、政治不信を煽るような要因は厳粛な対応をして摘んでおきたいはずだ。
これで本当に良かったのだろうか。そんなぼんやりとした疑問が浮かぶ。ギネビアの最後についての事だ。
自分の気持ちは精一杯の言葉で伝えたつもりだったが、思うような結果が得られず落胆している。ギネビアに伝わらなかったのは、自分の言葉があまりに一方通行だったからではないのか、今になってそう悔やむ。そう、単に自分がギネビアの口から分かりやすい反省の言葉を聞きたかっただけで、その下心が見え透いていたからギネビアの心には届かなかったのだろう。
もっと他に何か出来たはず。それと同じ後悔は前にもしていた。そう、ステラが大地と赤の党へ入った時である。俺はどんなに必死になっても、そうやっていつも後悔の残る結末にしか辿り着けない。