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 ギネビアはゆっくり時間をかけてなぶる気だ。後ろからギネビアに抱えられてようやく立っていられるリアンダは、この圧倒的に不利な状況の中、必死で打開策を考えていた。ウォレンは間違いなく自分を見捨てられない。だから血塗れ伯爵の鎧を体を張って食い止めるという選択肢しか無い以上、実際にそうするだろう。だが、反撃が出来なければただなぶり殺されるだけである。
「さあ、来たわ。血塗れ伯爵様が」
 苦々しく奥歯を噛み締め、怒りと屈辱に満ちた表情でギネビアを睨み付けるウォレン。そのウォレンのすぐそばまで血塗れ伯爵の鎧は向かってきていた。ゆっくりと振り返り鎧と対峙するウォレン。襲い掛かる鎧を前に身構えるが、
「避けたら殺すよ」
 ギネビアの嘲笑う声。血塗れ伯爵は鈍重な動作で右腕を振り上げると、身構えるウォレンを真っ直ぐに打ち抜いた。一瞬ウォレンの体が宙に浮き、二歩程後退させられる。あの鎧は動きが遅くなるようにわざと中に鉛を仕込むなどして重くしている。だが逆に言えば、攻撃がそれだけの質量を伴うという事である。中が空っぽの鉄の棒と、鉛の詰まった鉄の棒。どちらも殴られれば痛いで済まないが、より負傷する方は明らかである。
 最初の一撃が予想より重かったのか、ウォレンの膝ががくりと沈む。しかしすぐさま自身に活を入れて立ち上がり再度身構える。その様子だけで、何発も保たない事をリアンダは察した。
 あんな遅い攻撃など、普段のウォレンなら簡単にかわして同時に反撃し制圧してしまっているはずである。何故、ウォレンは反撃が出来ないのか? 自分だ。自分の存在がウォレンの足枷になっているからだ。従った所で共倒れになるだけだとか、そんな合理的な考えをしない。単純に死にかけて声も出せない人質を見捨てる事が出来ないだけなのだ。
 手遅れになる前に何とかしなければ。リアンダは腹からの激痛と暗くなり始めた視界に焦りながらも、必死で意識が飛ばないよう耐え、思考を続ける。
 ギネビアはいちいち目的を口にしているのは、彼女自身も余裕が無いから立場を明確にする事で安定を図っているためだろう。人質を取る他に手段は残っていないはず。だが、自力で人質の立場から脱却するにも体力的な余裕が無い。仮に死力を尽くした所で、あと一度のアクション、十秒あるかどうかといった所だろう。だからその一度は、文字通り命を懸ける価値のあるものにしなければならない。
 ギネビアはこちらの考えている事は分かるのだろう。だから最初に敢えて半端に傷つけて瀕死にし、人質としたのだ。俺が元気なままであれば、自分に構わずやれと元気良くウォレンにアピールし、ウォレンもその意思を尊重するからだ。同じ人質でも、元気なままと瀕死の人間とでは見た目の印象が違い過ぎる。
 自分に出来る事。それは、今の自分が死にかけの人質ではないとウォレンに伝えること。傷の痛みを痩せ我慢し大声をあげても、余計にウォレンは情けを抱く。だから、行動で示すしかない。俺は、まだ抵抗するつもりであることを。
 血塗れ伯爵が両腕を振り上げ、緩慢な動作でウォレンに目掛けて振り下ろす。ウォレンは頭上で腕を交差させて受け止めるが、恐ろしく鈍い音がここまで聞こえてきた。
「ぐうう……」
 ウォレンは血塗れ伯爵から数歩下がる。前屈みになりながら右腕を押さえ、苦痛に満ちた声を漏らした。あんな太い腕でも血塗れ伯爵の攻撃は何度も受け止められるものではない。あの苦悶する姿から察するに、ダメージが骨まで届いているのだろう。
 血塗れ伯爵はぎこちなく歩きながらウォレンの前まで来ると、今度は右腕を伸ばしウォレンの胸倉を掴んだ。そして振り上げた左腕でウォレンの顔面を打ち付ける。その衝撃でウォレンは床に叩き伏せさせられた。それでもウォレンは意識を失わず、すぐに両腕で体を上に突っ走って起き上がろうとする。だが血塗れ伯爵はすかさずそんなウォレンの体を踏みつけた。何度も何度も背中側を満遍なく踏みつけ、僅かに起こしたばかりの体が再び伏せる。更に今度は伏せたままのウォレンの右足の膝下辺りを踏みつけた。鉄と床に挟まれたウォレンの足がごりっと鈍く硬質の音を立てる。それを血塗れ伯爵は何度も繰り返した。足を折ろうとしているよりも、千切りにかかっているようにすら見える。
 もはや猶予は無い。リアンダは決意を固める。
 必要に迫られて決めた即席の覚悟など、簡単に覆せる。けれど、目前に死が迫っている時は別だ。特に追い詰められている時は尚更である。
 腕を上げようとするが、思うように持ち上がらない。配送で鍛えた自慢の握力も、ちっとも指には漲って来ない。手でするのは無理のようである。ならば、
「うあああああっ!」
 口から無数の赤い飛沫と泡を撒き散らしながら叫ぶリアンダ。直後、自分の喉元へ水平に当てられたナイフに、大口を開けて噛み付いた。
「え……? ちょ、この!」
 突然のリアンダの凶行にギネビアは困惑する。腹を刺され瀕死であるはずのリアンダにまだこれほどの余力があったこともさることながら、まさか刃物を噛みにくるとは想像もしていなかった。何より、刃物の当たる位置が安全になった訳でもなく、押せば喉の奥に押し込む事すら出来る体勢である。
 死にかけて錯乱しているのか。とにかくギネビアはリアンダの頭を押さえナイフを取り返そうとする。しかし、どこにそんな余力が残っているのか、ギネビアがナイフを引く力よりもリアンダが食いつく力の方が僅かに強かった。このままではナイフを取られてしまう。その焦りから、ナイフをしっかり引っ張りつつもう片方の手で何度もリアンダを剥がそうとしたり、やたら滅多に体を蹴る。力の拮抗で、ナイフの刃がリアンダの左口角へ食い込みぶちぶちと肉を裂く音が聞こえてくる。ナイフを噛む奥歯も強く痛み、顎が痺れ始めている。それでもリアンダは止めなかった。止まるのはナイフを奪うか死ぬ時だと覚悟を決めていたからだ。
 この死力の爆発に死にかけていた体に最後の力が灯る。リアンダは左腕にありったけの力を込め、下から上へ闇雲に振り払う。
「痛ッ!?」
 振り上げた拍子に肘がギネビアの体に当たり跳ね飛ばされる。ナイフを引く力が無くなるや否や、リアンダはただ前に飛び出した。ギネビアと少しでも距離を取り、再び人質にされないようにするためである。だが、リアンダの体から最後の力が抜け、そのまま前へ躓くように転倒した。その拍子にナイフもどこかへ転がっていってしまう。
 すぐに立ち上がろうと顔を上げるリアンダ。するとリアンダの近くには同じくうつ伏せに倒れるウォレンの顔があり、二人の視線が合う。歯を食いしばるリアンダに対し、ウォレンは静かに微苦笑する。
 それだけでリアンダは自分の目的が達せられた事を悟り、安堵した。この数日でウォレンの人柄はある程度理解している。ウォレンは、こういう時こそ火がつく人間だ。