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目と鼻の先にギネビアの顔が迫る。リアンダの背筋はぴんと張ったまま固まってしまった。こんな状況でも反応してしまう自分の性が恨めしく思う。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいのに」
「無理ですよ、そんなの……」
「それもそうか。君には刺激が強過ぎたかな」
悪戯っぽくからかうような笑み。それを好ましく思うのは、おそらく自分に対して言葉だけでも好意を向けられているからだろう。そう冷静に分析はするものの、理性よりも本能の方が強く反応してしまう。
ギネビアの左手がリアンダの頬に触れ、緊張は一層高まる。そこから更にギネビアの唇が近付いた時、なけなしの理性が言葉を発せさせた。
「ギネビアさんがこうするのは、俺が親父に似ているからですか?」
すると、流せる質問ではなかったのか、ギネビアは動きを止める。
「父親の代わりは嫌?」
「俺、あの親父が大嫌いですから。似てるって言われるのも不愉快なくらい」
「実際似ているから仕方ないわ。一目見ただけで親子だって分かるくらいだもの。表情も、考え方もそっくり」
自分が父親似である事は幼い頃から周囲の人間に言われていたため、その自覚はあった。血縁である以上、外見が似てしまうのは仕方のない事だと割り切っている。だけど、内面的な部分を指摘されるのは不本意で我慢がならなかった。あの男は親としても人間としても最低である。だから、物心ついた頃からそうならないように努め続けて来たのだが、似ているという何気ない一言はリアンダにとってその努力を無にするように聞こえるのだ。
「俺を通して父親を見るのは止めて下さい、ってとこかしら? そんなに重く捉えるのは、自分に自信が無い証拠よ。そういう所が似ているんだけれど」
「どうとでも思って下さい。それより、早く上に戻りましょう」
ギネビアは未だに自分を見ていない。その事実が急激にリアンダの高ぶりを冷めさせた。そもそも恋愛感情がある訳でなく、単なる性欲の延長のような感情である。けれど、それでも自分を見ていない相手とは繋がろうと思えなかった。
「気分を害したみたいね、ごめんなさい。だけど」
ギネビアはリアンダの頭を引き寄せ額に口付ける。そして耳元で囁いた。
「今からでも遅くないわ。私の左袖の中にナイフが隠してあるの。それを持って、室長補佐からチェアを取り返して来て。あの様子じゃ、まだ上には辿り着けてないわ」
「え……? 取り返すって」
「そうしたら、私はあなたの物になってあげるわ。正真正銘、あなただけの女。檻から一生出て来れないような人には見切りをつけてね」
その囁きは、リアンダの理性を激しく揺さぶるほど甘く魅力的なものに聞こえた。何より魅力を感じるのは、嫌悪する父親の愛人を奪い取る優越感だ。これほどあの男に対して出来る意趣返しが他にあるだろうか。
ギネビアの服をそっと弄ると、すぐにナイフの感触を見付ける事が出来た。折り畳み式だが素早く刃が出せる、違法な目的にしか使わない構造のナイフである。
エリック室長補佐は自分に少なからず気を許しているだろう。一人で近付いた所で警戒はされない。そこをナイフで襲えば、グリゼルダチェアも簡単に奪える。そんな一連の行動を想像し、けれどリアンダはそこで思い留まった。幾ら何でもただの口約束で簡単に絆され過ぎだ、そう強く自分自信を戒める。男の性とは言え、少し色気をちらつかされただけで手のひらを返すのは短慮が過ぎる。それに、仮にグリゼルダチェアを渡した所で、今後の展開が自分にとって良いものになるとはとても思えない。
「やっぱり駄目ですよ、ギネビアさん。それは駄目です。俺は、無関係の人間を大勢危険に晒すような事は出来ません」
「そう。やりたい盛りの男なら簡単だと思ってたんだけど、それなら仕方ないわ。別なプランにしましょうか」
そう言ってギネビアはリアンダから一歩下がる。何事かとリアンダの顔を見た直後、ギネビアは突然と鋭くリアンダに向かって踏み込んで来た。
「なっ……!?」
それはおそらく、直前に触っていたからたまたま意識出来たのかも知れなかった。リアンダは気が付いた時には、低い位置から繰り出されていたナイフの刺突を左手で掴んでいた。けれど、幾ら男の握力でも全体重を乗せて繰り出して来たナイフの一撃を止める事は出来ず、刃は脇腹にざくりと音を立てて入り込んだ。
「ぐううっ!」
反射的にリアンダはギネビアを払い除けようとする。だがそれよりも早くギネビアはナイフを抜き取りリアンダの腕をかわすと、今度は背後を取って羽交い締めにしウォレンの方を向かせる。
「おい、何をしやがる!」
一連を見たウォレンがすぐさま駆け寄ろうとするものの、ギネビアはリアンダを盾にし、いつでもリアンダにとどめを刺せると言わんばかりにナイフを首筋辺りにちらつかせた。それだけでウォレンは近付く事が出来なくなった。
リアンダは自分が人質として道具扱いされている事がはっきり分かった。すぐさま振り解こうとするものの、脇腹の傷のせいで体が自由に動かない。痛みだけなら我慢出来ただろうが、よほど出血が酷いのか、体からどんどん力が抜けていく感覚があった。
「さて、そこの筋肉お馬鹿さん。彼の命が大事なら、やることは分かってるわね?」
「そいつはうちのメンバーじゃねえ。単なる、お前らテロ組織の離反者だ。死んでも困る事なんかねえよ」
「あら、本当に?」
そんな訳が無い。ウォレンは嘘をついている。それを確信しているかのように、ギネビアは大胆不敵に笑みを浮かべた。