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 じりじりと壁沿いに距離を詰めていた二人は、遂にギネビアの真横で挟み撃ちにする形を取った。隔離部屋のすぐそばの壁側で、それは圧倒的にウォレンとリアンダに有利な立ち位置だった。隔離部屋に近ければウォレンとリアンダの両方を視界に入れる事が出来ず、反対に二人を視界に入れようとすると隔離部屋から遠ざかってしまう。それは、ギネビアが血塗れ伯爵の鎧を切るより先に二人に接触されてしまう事を意味する。
「この……!」
 隔離部屋から血塗れ伯爵の鎧の歩く音が近付いて来る。ギネビアは忌々しい表情を浮かべながらも、二人に挟まれるより距離を取る方を選択する。ギネビアは隔離部屋の傍から二人を同時に見られる位置まで移動する。
 リアンダはギネビアの行動に内心安堵していた。この露骨な挟み撃ちを仕掛ける事で、切迫したギネビアが襲い掛かって来る可能性も無くはなかったからだ。そうすれば自分は間違いなく殺されるだろうが、ウォレンへ無防備な背中を見せる事で確実に取り押さえられるだろう。命と引き換えに決着する、それがリアンダの作戦だった。
「おっと、そうやって離れていいのかい? それじゃあこっちは抑えさせて貰うぜ」
「去勢を張ってる場合かしら? 血塗れ伯爵の鎧は、今度はあなたを狙って―――」
 そうギネビアが指摘した直後、隔離部屋の入り口からぬらりと血塗れ伯爵の鎧が姿を表した。その直後、ウォレンは素早く身を捻り背中を向けたかと思いきや、次の瞬間には鋭い回転の勢いを付けた蹴りで血塗れ伯爵の鎧を隔離部屋の中へ叩き戻した。あれほど大柄な体格で、ここまで機敏な動きが出来るなんて。リアンダは思わず感嘆の溜め息を漏らした。
「あんな眠たくなる動きで、しかも出て来る場所が分かるんじゃ、こっちは武器なんていらねーよ。しこたまぶん殴って蹴っ飛ばして隔離部屋の中へ何度でも戻してやる。素手なら鎧なんてまず壊れねーからな」
「筋肉馬鹿が……鬱陶しい事を!」
「へっ、何だかお上品さが薄れてんな? 随分余裕が無い所を見ると、こりゃ形勢逆転かな?」
 ウォレンはただ余裕を見せるだけでなく、嘲笑を交えた笑みをギネビアへ向けた。ギネビアは忌々しげにそんなウォレンを睨み返すが、それ以上の憎悪を込めて、続けてリアンダを睨んだ。それはまるで、リアンダが自分を裏切った事に対する非難が込められているかのようだった。
「ギネビアさん、もう止めましょうよ。復讐したい気持ちはともかく、その事に無関係の大勢を巻き込むのはやっぱりおかしいですよ」
「私のやり方が気に入らないから裏切ったのね」
「もはや、そう取って貰っても構いません。ギネビアさんのやり方についていけないと思ってるのは事実ですから。だけどギネビアさんに暴力はふるいたくないし、ふるわれるのも嫌です。だから、おとなしく投降して下さい。あの室長補佐が上に戻ったという事は、程なく応援部隊も駆け付けて来ます。そうなれば力ずくで組み伏せられ従わされます。俺は、ギネビアさんが縛られてる姿を見たくはないです」
 既にグリゼルダチェアは無く、特務監査室の弱点である血塗れ伯爵も実質確保され手が出せなくなっている。リアンダから見てもギネビアの手詰まりは明らかだった。後はギネビアにまだ切り札となるような道具が無い事を願うしかない。
「……どうやら、私の負けという事みたいね」
 深く落胆の溜め息をつき、両手を軽く上げて敗北を宣言するギネビア。だがそれを見てもリアンダは安堵しなかった。一度ギネビアの豹変を見ている以上は、まだ油断はならないと思っているからだ。
「そんなに警戒しないで、リアンダ君。本当に私はもう諦める事にしたから」
「ならまず、そのナイフをこちらに放り投げて貰えますか」
「疑り深いのね。ま、仕方ないか」
 苦笑いを浮かべつつ、ギネビアはあっさりとリアンダに向かってナイフを放り投げた。注意がナイフに向いた瞬間を狙ってくる可能性も考えたが、ギネビアには全く不意をつくような素振りは見られなかった。
 おかしい、あまりに素直過ぎる。それともギネビアは、本当に諦めてしまったのだろうか。
 ナイフを拾いながらギネビアの素直な態度をあれこれと勘ぐる。しかしギネビアの別な企みは幾ら考えても思いつかなかった。そもそもそうなるようにこちらも立ち回ったのだから、手立てがあっても困るのだが。
 リアンダは拾ったナイフをウォレンに渡しながら訊ねる。
「これ、もう信じても大丈夫ですよね?」
「とりあえずはな。じゃあお前、あいつのこと上に連れて行ってマリオンに引き渡せ。マリオンなら何があろうと制圧できるからな。ここは俺が抑えてる。当分は大丈夫だ」
 マリオンとは、背の高くサーベルを帯同している女性である。元々は警察官だったらしく、逮捕術も身に付けているそうだ。それならギネビアが抵抗しても問題はないだろう。
「ギネビアさん、これから俺と上に戻ってくれますね」
「おとなしく付いて来いってこと? 分かったわ。スマートなエスコートをお願いね」
 微笑むギネビアだったが、やはり態度は不自然に思えた。これまでのような殺気立って荒れた態度から一転し、素直でおどけた態度に変えられても、俄には警戒心を解くことは出来ない。
 ギネビアの傍まで近付いてみたが、特に何かをする素振りもなかった。やはり自分は疑い過ぎなのだろうか。そう思うと、急にリアンダは自分が恩を仇で返しているような罪悪感に見舞われた。だからと言ってギネビアを引き渡す事に変わりはないが、それまでの心持ちは随分と穏やかなものに変わった。
 そんな時だった。
「ねえ、リアンダ君。もう一回だけ、キスしてもいい?」
 不意にギネビアが脈絡の無いことを訊ねて来る。思わずリアンダは困惑した。
「え? な、何ですか急に」
「思い返したら、あまりリアンダ君とは普通の思い出がなかったからね。もしかするともう二度と会う事も無いかも知れないから、少しだけでもね? そうしたら、ちゃんとおとなしく上に行ってあげるから」
 今、そんな理由で? からかっている訳ではないのか?
 本心ではどうなのだろうか。そう疑念を持ったのはほんの僅かな事で、すぐにリアンダは戸惑いながらも遠慮がちにギネビアに頷き返した。