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配達人という職業柄、リアンダは聖都の様々な情報を広く浅く耳にする。そのため特務監査室という組織の存在も、その執務室が本庁舎の片隅にある小さな所である事も、噂としては認識していた。もっとも、そんな事を知っているからと言って何が出来るはずもなく、特にそれについて口にする事もしなかった。
その日、リアンダは早朝から東区の配送業者の所へ来ていた。そこには東区に配送される荷物が全て集められていて、ここから各配達人が目的地まで届ける。リアンダは個人的に頼まれた荷物が無い時はここで幾つか荷物を受け取って配送し収入を得ている。定期収入は配送業者から貰う荷物から、不定期収入は個人的に知り合った個別の依頼からとなっている。業者の荷物は単価が安いが行けば必ず何かしら仕事があるため、生活をしていくには欠かせないものである。
「おー、兄ちゃん。最近休んでたな?」
荷物を待つ間、休憩所でぼんやりとしていると、顔馴染みになった同業者達に声をかけられた。彼らもまた色々と過去に事情がある人間で、仕事も大体リアンダと似たような形式で取っている。
「ああ、ちょっと風邪引いたみたいで。もう治ったんで大丈夫です」
実際は、組織の幹部から指示されたあの仕事のために休まざるを得なかったのだ。当然だが、リアンダは自分が大地と赤の党のような犯罪組織に加わっている事を彼らには明かしていない。
「なんでえ、若ぇのにだらしない」
「病気しないで歳取った人間の方が珍しいでしょーが」
「そうそう。じいさんなんか、酒が切れるとすぐ手が震えるくせにさ。人の風邪どうこう言ってる場合じゃないんじゃないの?」
「けっ、どうせ老い先短ぇんだ、好きなもの飲み食いして何が悪ぃんだよ」
相変わらず無遠慮で明け透けな言葉の応酬である。けれど、こういった空気がリアンダには心地良かった。誰もが口汚く礼儀も教養も無いが、似た境遇同士で助け合う精神を持ち決して人を陥れたりはしない。それがどれだけ尊いものなのか、特に昨今の聖都では考えさせられる。
やがて運送会社の荷物整理が終わり、外託用スペースに委託対象となる小荷物が並べられる。一同はそちらに移動し、自分の配達キャパシティや範囲を考えながら荷物を取っていく。リアンダは東区内なら大体どこでも配達するため、さほど住所は気にせず荷物を取る。
そんな時だった。
「ありゃ、これ東区の荷物じゃねえな」
ふとリアンダの隣で荷物を取っていた男が、手にした小包の宛名を見ながらぼやいた。
「選別ミスですかね」
「ああ、そうみてえだ。ったく、本庁舎じゃねえかこれ。面倒臭えなあ」
本庁舎という言葉にリアンダは興味を持ち、横から荷物の宛名を見る。するとそれは、あの特務監査室とあった。気付としてウォレンという人物宛と書かれ、荷物の中身は書籍のようである。仕事に関係する資料か何かだろうか。中身を開けて確認する事は出来ないが、これは直接彼らの拠点に触れる絶好の機会である。
「あ、良かったらそれ、俺が引き受けますよ」
「おう、いいのか? 何も出ねえぞ」
「いいですよ。単に寝込んで鈍ってるから、少し遠回りして体を動かしておきたいだけです」
「はー、若い奴は羨ましいねえ」
そう言われ差し出された小包を受け取る。流石に特務監査室とリアンダの接点を知らない彼らには何も疑われる事は無かった。そしてリアンダは皆と共にいつものように配達へ出る。
まさか特務監査室宛ての荷物が東区に紛れ込むなんて。こんな偶然、今後はもう二度と無いだろう。
リアンダは思わぬ幸運に胸を踊らせながら、まずは東区内宛ての荷物を迅速に配っていった。荷物の量は普段と変わらないが、少しでも早く特務監査室へ向かいたいという欲求からか、配送するペースが普段よりも早かった。そして東区の荷物が全て終わったのは丁度昼下がりで、世間では昼食も終わり午後の仕事が始まる頃合いだった。時間的にも丁度良く、リアンダは馴染みの店で昼食を手早く済ませると、早速本庁舎の方へ向かった。
東区を抜けて中央区へ入り、中心部を南北に縦断する大通りに抜ける。ここまで来ると明らかに行き交う人々の毛色が異なっているのが分かった。中央区、特に本庁舎近辺は様々な政府関連施設が並び、必然的に官僚や技官などの官吏の割合が増える。街中を行き来しているのも、一般的な勤め人とはまた異なる雰囲気の人間が目立った。リアンダは今まで中央区に足を踏み入れる事はほとんど無かった。中央区には父親の元職場もあり、父親を嫌悪しているリアンダにとってはそこの空気を吸うことも嫌だったからだ。こうして仕事でやってきた中央区は最初こそ雰囲気に戸惑いはあったが、それもすぐに慣れてきた。良く見れば行き交う人々の中には自分と同じような配送業者の姿もあり、特別視するような区域ではないのだという実感が出て来たからだ。
本庁舎に辿り着くと、まずその高く広く優美な外観に圧倒的された。建築様式について詳しくはなかったが、おそらくそれなりのデザイナーが設計に関わっているのだろうという事だけは分かった。だが、こうして外観に見とれているのは自分だけだという事に気付き、慌てて職員用の通用口を探してそこから中へ入る。通用口の先は関係者用のロビーとなっていた。小さな受付と、外部の人間との打ち合わせに使うスペースなどが備えられている。案内板を見たが特務監査室の執務室は二階の一番奥にあるようだった。
このまま荷物の配達を理由に執務室の中へ入るとして。
あの晩の出来事では、お互い顔をしっかりと確認は出来ていないため、間違いなくこちらの事は知らないだろう。だがこちらは、あの晩あの場に居た人間が特務監査室の人間である事を知っている。これは大きなアドバンテージである。けれど、配達程度で執務室に長居は出来ない。ステラの安否について何か手掛かりが欲しいが、あまり無理も出来ないだろう。
執務室の場所の確認も取れた所で、早速向かおうとしたその時だった。
「さーて、午後の仕事も張り切っていくかー。けど会議なんかやる気しねーなー」
「ウォレンさん、合同会議で寝るのだけは本当にやめて下さいね」
聞き覚えのある声。振り返ると、丁度二人の男が通用口から入ってきた所だった。
長身で大柄な男と、背が低く小柄な男の二人組。何やら会議について話をしているようだったが、今の会話で小柄な男は大柄な男をウォレンと呼んでいた。荷物の宛名にあった名前である。
あの二人、特務監査室の人間だろうか。
だとするとこれは、大地と赤の党の関知しない所で接触するまたとない機会である。