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 その夜、エリックとウォレンは港近くにある一軒の小さな古いバーを訪れた。資料によるとそのバーはトリストラムの馴染みの店で、彼が仕事を終えると必ずそこへ立ち寄るそうだった。
 中へ入ると、店には数名の客が談笑しながら酒を飲んでいた。しかし入ってきたエリック達に気付くなりぴたりと会話を止め、視線をじっと向けてくる。自分達の縄張りに余所者が入り込んで来た、そんな排他的な態度を思わせる反応である。ウォレンは無言でエリックの背についているが、背中越しにでも分かるほどにウォレンも警戒心を剥き出しにピリピリしていた。彼ら相手にそこまで神経質になる事もないだろうに、とエリックは思う。
 エリックは空いているカウンターの席につくと、まずは酒を一杯ずつ注文する。その上でバーテンダーへ訊ねた。
「僕達はトリストラムという人を探しているのですが、ご存知ありませんか? この店に良く来るそうですが」
「ああ、そいつならほら」
 バーテンダーはカウンター席の隅の方を顎で指し示す。そこには一人の中年男の姿があった。男は大きなパイを切り分けながらゆっくりと食べつつ、時折ワインを飲んでいた。そしてしきりに何か雑誌に書き込んでいるようだったが、それはおそらくワードパズル辺りだろう。
 見た目の印象はとにかく陰気な男だった。無精髭が目立ち、襟のよれたシャツを着ている。表情は何を考えているのか分からない無表情だが、他の客が気の合う者同士で飲んでいるため余計に陰気臭く見えてしまう。
 ウォレンと目を合わせ、声をかける事について確認を取って頷き合う。そしてエリックはトリストラムの傍へ近付いた。
「すみません、トリストラムさんで間違いないでしょうか?」
 エリックの呼び掛けにトリストラムは一旦目を向け小さな声返事をしたが、すぐに雑誌の方へ戻してしまった。
「失礼、私はエリック。特務監査室という行政の一部署の人間です」
「……行政? 製薬会社だとか雑誌記者の次はお役人か」
「え? もう、そう言った人達との接触があったんですか?」
「何が目的か知らないが、みんな追い返したよ。だからあんたにも、俺に関わらないでさっさとどっか行って貰いたいね。人の体を面白半分に嗅ぎ回りやがって、腹が立つんだよ」
 目を合わせずぶつぶつと小さな声でぼやくように吐き捨てたが、トリストラムは不快感を隠そうとはしていなかった。そしてその口振りからするに、彼の寝る必要のない体質というのは事実らしかった。
「我々は、民間の会社とは目的が異なります。我々の目的はあなたと同じで、騒ぎを出来るだけ起こさず広めない事です」
「だったら、どうして俺の事をそっとしておいてくれないんだ」
「御承知の通り、既にあなたをそっとしておいてくれない者達がいるからですよ」
「あんたらが税金使って追っ払ってくれるってのかい?」
「手段は状況によりけりですが、あなたの平穏を守る事は約束します」
「ふうん……だったら話くらい聞いてやってもいい」
 そう言ってトリストラムは、切り分けたパイの一つにフォークを突き刺すとあっと言う間に平らげてしまった。近くで改めて見て思うのが、彼が食べているのはマトンのパイのようだったが、明らかに一人分のサイズではない。数名で切り分けて食べる量である。トリストラムは特別大柄な体格をしていない。この食欲は不眠と何か関係があるのだろうか。
「まず、あなたについて色々と教えて頂きたいのですが。そうすれば、こちらもそれに応じた対策を講じる事が出来ます」
「改めて言うほどの事はねえよ。あんたらの知っている事で全部だ。俺は三十年以上寝ていない。俺はその事で騒がれたくない。俺はただ仕事して飯食って雑誌を読む、それだけの生活がしたい。あんたらにそれが出来るか?」
「眠らない人間という噂は既に広まりつつあるという事ですよね。それで、噂を聞きつけてきた人間を追い払うのではなく、そもそもそういう人間に近付いて欲しくないと」
「そうだ。出来るのか?」
「そうですね……何か良い方法を検討してみましょう」
「ああ、やってくれ。名案が出たら教えてくれ。俺は夜は大体ここにいるからよ」
 トリストラムの口振りからして、話を聞く価値くらいはあると思いつつ、結果を出せるかどうかには全く期待していないようだった。行政も薬剤メーカーとは後ろ暗い関係があると疑っているのかも知れない。
 とにかく、ここで何か名案を見つけて結果を出し、トリストラムの信用を得なければならない。信用されていなければ何も始まらないだろう。