BACK
休暇明け、エリックは晴れ晴れとした表情で登庁した。休暇中にあの厄介な声はいつの間にか消え去り、また自分の日常が戻ってきたからである。
朝の誰もいない執務室へ入り、まずは机の上を簡単に掃除し整理する。そして登庁の途中で買ってきた新聞を順に読み始めた。それから執務室の隅に片付けてある先週分の新聞を遡って読んでいく。セディアランドを離れている間、特に聖都では変わった事は起こっておらず、めぼしい記事はなかった。そこで一つ安堵し、今度は新しい報告書が無いことを確かめ、もう一つ安堵する。自分がいない間に新たな案件は発生しなかったようである。
やがて定時が近付き、マリオン、ウォレン、ルーシーの順に登庁して来る。三人も特に変わりはないようだった。たった一週間だったが、元々まとまった休暇を取ることがなかっただけに、随分と久し振りに顔を見るような感覚があった。
「そうか、じゃあもう大丈夫って事だな。いやホント、心配したぜ」
「そうよねー。倉庫管理とか書類整理が速く終わらせられるの、エリックくんだけだし」
「いや、俺はそういう意味で言ってねえよ」
ウォレンとルーシーのそんな言い合いも久し振りである。普段ならいちいちどういう意図で言っているのかと気にしていたのだが、今はさほど気にはならなくなっている。こういった日常の些細な事柄も精神的な負担の一つだったのかも知れない。
その日は特に案件が舞い込む事もなく、午後にもなると普段通り皆は談笑にふけり始めた。それもまたいつもの光景である。この特務監査室に配属されたばかりの当初は、その緩んだ空気に馴染めず早く出て行きたいと思ってばかりだった。今は馴染むというよりも諦めにも似た消極的な寛容をしているが、これはこれで丁度良い仕事のオンオフの切り替えなのだろうと思えるくらいにはなっている。
「ねえ、エリック先輩。人工精霊でしたっけ? それって、具体的にはどんな事を言ってくるんですか?」
和やかな談笑の最中、おもむろにマリオンがそんなことを訊ねて来た。
「本当にあれこれだよ。仕事の優先順位だのやり方だの、食べる物や寝る時間、歩く道まで口出して来る事があったよ」
「言う通りにはしなかったんですよね?」
「したりしなかったりかな。まあ最後の方は意地になって突っぱねてたんだけど」
「従ったらどうなりました?」
「うん、まあ、それは……。それなりに良かったよ」
あの声のアドバイスは、結果が出ないと分からない不可解なものも多かったが、全て結果的には良い事をもたらしたり危険を回避したりした。それだけ、まるで未来を見通しているかのように適切だったのだ。
「へえ、じゃあ何かと迷った時なんか困らねーな。全部正解を教えてくれるんだろ」
だが、それがエリックは最も気に入らなかった。人工精霊の意思にずっと従っていたら、それは自分が人工精霊に乗っ取られるのと同じ事だからだ。正解だろうが何だろうが、自分で選択をし、その結果を受け入れたい。そういった生き方をエリックは望むのだ。
「何か決めるのに迷ったら、ちょっと欲しくなっちゃうなあ、そういうの」
「絶対に止めた方がいいよ。あんなのにアドバイス求めるくらいなら、普通に信頼出来る人に相談するべきだ」
「そっかあ。フフ、じゃあ私はエリック先輩ですね」
そう言って意味深に微笑むマリオン。
思い返してみると、あの人工精霊は何かとマリオンとの事について口を挟んで来た。彼のアドバイスが常に最善なら、マリオンとの仲を進展させる事も最善という事になる。その是非はともかく、やはり自分以外にそんな事まで口出しされるのは受け入れ難い。
「それにしても不思議だなあ。おい、ルーシー。お前、人工精霊とかいうの詳しいんだろ? なんでそいつらは何でも正解を知ってんだ? 作った本人ですら分からねーことなのに」
「おお? たまには良い質問するようになったねー。じゃあ、お答えします。正解だって言うのは思い込みです」
「えっ!?」
ルーシーの意外な答えに一同はどよめく。
「要は、こうなればいいなあって願望を、自分以外から肯定されて正しかったって思い込んじゃうの。人間って都合いいとこあるからねー。仮に失敗してもこれが正しいのだと記憶や印象を改竄しちゃうの。ま、人工精霊なんてのは単なる無責任な野次馬と一緒よ」
そうであれば。
エリックは思わずマリオンの方を見る。だが偶然マリオンもエリックの方を見て微笑まれ、また視線を戻した。
人工精霊がやたらマリオンとの距離をはじめとする縮めたがっていたのは、それは自分の願望だったのだろうか?
別段苦手意識も悪感情も持っていないが、そこまで極端に振り切れる程でもないとも思っている。まさか、その状態こそを客観的に見てこのままでは良くないと思っていたのだろうか?
今となっては確かめようもないが、改めて人工精霊を作り直す気にもならなかった。やはり自らの選択、特に感情に関わる選択は、自分自身で決めるべきである。だからそこに正しく納得が存在する。つまり人工精霊は誤った納得を与えるものだ。それは人を誤った道へ導く病気のようなものなのかも知れない。