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午後に登庁したエリック。執務室には珍しくラヴィニア室長の姿があった。自分の事について話さなければいけないと考えていたが、タイミングとしては絶好である。ただ、エリックにはまだそこまでの心の準備がなく、いざ話そうとした時には酷く声が震えてしまっていた。
「えーと……それは、休職という事かしら?」
「いえ、まだそこまでは。ただ、回復しないようなら、それも視野に入れる事になるかも知れません」
ラヴィニア室長の困惑した表情を見るのは初めてである。それだけ意外に思われる告白なのだ。
執務室の空気が緊張していく事が肌で感じる。それだけの事を自分は言っているのだという自覚もあった。特にウォレンが絶句している事が見なくとも分かった。幻聴は、かつてのウォレンが文字通り死にそうなほど苦しめられた事だからだ。
「エリック先輩! そんなに、そんなに思い詰めてたんですか……? ごめんなさい、私がもっとフォローしてあげられたら」
「いや、マリオンのせいじゃないよ。これは多分、補佐の仕事をうまく回せてなくて自分で思い詰めたせいだからさ」
やはりマリオンは驚きよりも悲しみを前面に押し出して来る。もう涙目になりながら、エリックの事を心から心配している。それに釣られ、隣のウォレンが見て分かるほどに狼狽していた。
あまりに空気が重い。エリックはなるべく皆が話しやすいよう明るい口調で話す。
「なので、ひとまず一週間ほど休暇を取って様子を見ようと思います。仕事のことも完全に頭から外そうと思っていますので、いっそセディアランドじゃないどこかに旅行にでも行こうかと。どこかお勧めの旅行先とか知りませんか?」
そう何気なく訊ねる。すると、エリックの耳元にまたあの男の声が聞こえてきた。
『旅行ならウォレンに訊け。あいつが一番いいとこ知ってるぞ。ラヴィニアは駄目だ。仕事人間過ぎる。ルーシーはもっと駄目だ。こいつはそもそもの観点がおかしい。それから、ついでにマリオンを旅行に誘え。お前が変になったのは自分のせいだって気にしてるぞ』
またアドバイザー気取りか。エリックは内心溜め息をつく。
ウォレンが旅行の話などした記憶はない。知っているのはせいぜい従軍時代に縁のある所だろう。ラヴィニア室長はむしろあちこちに移動しているだろうから、良い旅行先を知っていそうである。マリオンを旅行に誘うなどあり得ない。それでは気が休まらないだろうし、マリオンに露骨に気を使わせていると悟られ余計に負担になるだろう。そしてルーシーについては同意見だ。
お前は少し黙っていろ。
エリックは心の声で見えない男を罵り、話を続ける。
「ラヴィニア室長はどこか知りませんか? なんか詳しそうですけど」
「私? うーん、私は専ら仕事ばかりであまりまとまった休暇を取ったことがないの。せいぜい隣国のエルバドールくらいね」
「え、そうなんですか? えーと、それじゃあウォレンさんは、実はというのがあったりとか……?」
「あ、ああ……。それだと、アスルラ国の沿岸にハルマって保養都市があるんだ。あんま治安の良い国じゃねーけど、そこら辺はセディアランド軍も駐屯してて平和なとこさ。退役軍人なんかもそこらで仕事してる。俺の知り合いで観光客向けのコテージ貸してるやつがいるから、紹介出来るぜ」
「なんだか良さそうですね。アスルラならあまり遠過ぎないし。ではお願いしようかな」
そこでエリックは、ここまでは男のアドバイス通りになったことに気付く。ラヴィニア室長はまだしも、ウォレンが旅行先を知っているのは意外だった。これは明らかに自分の知識に無い事である。知らないことでアドバイスする幻聴など、有り得るのだろうか。
『だから言ったろ? ほら、後はマリオンを誘え。こういう時に距離を詰めておくと、後々楽だぞ』
何がだ、知ったような口を。いいから黙ってろ。
男の声に、先ほどより口汚く言い放つエリック。いつも決まって男の言う通りになるだけに、どれだけ的確なアドバイスだったとしてもただただ腹立たしかった。
しかし、これでは何もかもまた男のアドバイス通りになってしまう。本当にそれで良いのか。エリックはこの展開があまり快く思わなかった。
そんな時だった。
「ねえ、エリックくん。さっきから誰かと話してる?」
突然ルーシーが神妙な面持ちで訊ねてきた。
「え、声に出てましたか? いえ、その、幻聴が聞こえるとつい言い返してしまうようになって。声には出さないようにしてるんですが」
「そうじゃなくてさ。うーん、何て言うかさ……。それ、幻聴じゃないような気がするんだけど」
「え? 幻聴じゃないって」
「先日からちょっと気になってたんだけどねー。なんかもう、エリックくん気に入られてるっぽいし」
ルーシー本人も確信している訳ではないようだが、何かしら引っ掛かる所があるという物言いである。
エリックの表情が引きつる。
そうなのだ。エリックも、その可能性を全く考えなかった訳ではないのだ。ただ、認めたくなくて、ずっと、その可能性には蓋をしていたのだ。それなのに、そこを真っ向から指摘されてしまうなんて。