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その日の仕事上がりは、ウォレンと共に馴染みのバーに来ていた。初めはウォレンの付き合いで通っていたその店も、今ではすっかりお気に入りの店の一つとなっていた。その理由が、マスターが気さくで話しやすいこと、客層もそんなに悪くはないこと、そしてマスターが腕を奮う料理が本格的で美味い事だ。
ローズマリーが香るラムチョップに、ほくほくした食感のベイクドポテト。そして冷えたエールを飲みながら、ウォレンと共にさもない談笑に耽るエリック。酒も回り、何を聞いてもおかしくて笑ってしまうようになった所で、そろそろ自分の酒量も限界だと判断し、濃いめに入れた甘いコーヒーを飲み始めた。
もう少し酔いを覚ましたら帰るとしよう。そんな頃合いだった。おもむろに二人の傍の席に一人の青年がやってきてウイスキーを注文する。青年は既に何杯か飲んでいるらしく、傍目から見ても酔っているのは明らかだった。
バーには酔っ払いがいても何らおかしくはない。特に気にも止めなかった二人だったが、青年側が何故か二人に目を付けて話し掛けて来た。
「やあ、君達! 飲んでいるかい?」
面倒臭そうな絡み酒だ。そう顔をしかめるものの、気に入っている店で揉め事を起こしたくないため、エリックは適当にあしらうことにする。
「ああ、ハイ。今夜はもう十分飲みましたので」
「私!? 私か! 私はまだまだ飲めるぞ!」
「そうなんですか。随分と強いんですね」
「その通り! 私はね、モガレア国のヴァレー族の秘薬を飲んだ事があってね、一生酒には酔わない体質なんだよ!」
また随分と怪しげな単語が出て来たものだ。エリックはウォレンと顔を見合わせ苦笑する。青年は明らかに秘薬の恩恵に与っているとは到底思えない状態だった。一瞬また厄介なオカルト話かと警戒したが、どうやら単なる酔っ払いの戯れ言のようだった。
「君達、今私が酔っていると思っているだろう! 酔っ払いの戯れ言だと思っているだろう!? だが違う! 私はこう見えて世界中のありとあらゆる秘境を巡って来ているのだよ! そう、世界にはまだまだ常識の通用しない様々な不思議なことで溢れかえっている!」
それが事実なら、頭の痛くなる事だ。そうエリックは皮肉りたくなる。こういった手合いに反論するほど愚かではない。しかし、ウォレンはニヤニヤしながらからかう気満々で話し掛けた。
「へっ、そんなに色々あるってなら、本でも書いたらどうだ?」
「もう書いている! 稀代の冒険小説家、怪奇談蒐集家、現代伝奇作家のアイオンとは私の事だ!」
エリックとウォレンは再び顔を見合わせ、小首を傾げる。それなりに読書をする二人だが、どちらもアイオンの名前に聞き覚えは無かった。コアな書店に行くことはないから、仮に本当に出版していたとしても彼の著書には縁がなくて当然なのだろう。セディアランドでも特にニッチなジャンルだ。
売れない作家が気晴らしに深酒をして鬱憤を晴らしている、そんな所だろうか。作家として成功してくれればいいが、こういった振る舞いをしている内はまず無理だと思われる。売れるための分析や調査に力を注ぐべきだ。だから、早く帰ってくれないものか。そんな思いを内心抱いていると、
「ん? もしかして君達、サインが欲しいのかな?」
「あ、ああ、いや、それは別に」
「いいんだよ、いいんだよ。出版社からは止められてないからね。さあさあ、私はファンには優しいんだ」
そう言ってアイオンは自分のカバンから色紙を引っ張り出すと、さらさらと慣れた手付きでしたためてエリックへ押し付ける。
普段からわざわざ色紙を持参しているのだろうか。もしかすると自己顕示欲やら承認欲求が強いのかも知れない。ますます関わりたくないタイプだ、そうエリックは思った。
「ほら、他のお客さんに絡まないの。アンタ、いい加減飲み過ぎよ。今日はもう帰って寝なさい。仕事に差し支えるわよ」
「おう、それもそうかもな! では、親愛なるファン諸君! また会おう!」
アイオンはあちこちに手を振り言葉をかけ、騒がしく帰っていく。彼の姿が店から消えると、ようやく平穏が戻ってきたと思わず溜め息をついてしまった。
「ありがとうございました、マスター」
「いいのよ、そんな。ホント、ごめんね。あの人、悪い人じゃないんだけど。お酒を飲むとどうもね。言ってる事も職業柄の妄想みたいなものだから、真に受けないで。お仕事の事でね」
「ま、別に珍しくはないさ。盛り場で酔って与太話を始める奴なんざ」
そもそも、酒に酔わない秘薬とやらの効果は全く感じられなかった。その時点で酔っ払いの与太話は確実である。わざわざ特務監査室が首を突っ込むような案件ではないだろう。
「あ、マスター。この色紙いりませんか? せっかくだから、そこの壁にでも」
「結構よ。これでも店の美観は気にする方なの」