BACK
青年は一人、何もなくなったアトリエで座り込んでいた。表情は深い悲しみに満ちていて、この世の終わりが訪れたかのような姿だった。
既に捜査は終わり組織の関係者は全て起訴される事になった。ただ一人、青年だけは情状酌量の余地があるとして不起訴となった。しかし、贋作師として知れ渡ってしまった青年はもはや画家になることは出来ない。絵で稼ぐにしても、彼に声をかけるのは贋作師として必要とするような無法者だけだろう。青年が画家になれる事は一生かかっても有り得ないのだ。
しかし青年は画家としての未来が閉ざされた事よりも、あの女性の絵画を失った事に絶望していた。捜査が終われば証拠品の返還の可能性はあったが、警察とはまた違う得体の知れない組織に取り上げられてしまったため、返還要求すら出来ない。警察の話では、裁判が済めば普通は証拠品は返却されるが違法性の高い場合などは処分されてしまうそうだ。有名絵画の贋作などまさに処分の対象である。彼女は処分を逃れる事は出来たが、今の処遇も所在も全く分からない。もしかすると結局は焼却処分されているのではないか。そんな事ばかりをどうしても考えてしまう。焼却されようがされまいが、結局青年の手元に無ければ同じ事なのだ。
いつまでもこうしている訳にもいかない。それは分かっているが、今は立ち上がる事すら億劫になっている。これから先、自分は何を生き甲斐にしてどうやって生きていけばいいのか。青年がそんな悲嘆に暮れていた時だった。不意に玄関の扉が開き、何者かが部屋の中へ入ってくる足音が聞こえて来た。一瞬あの老紳士の顔が脳裏を横切ったが、彼は今起訴待ちの勾留中である。
では一体誰が来たというのだろうか。現実的な所では、逮捕起訴を免れた老紳士の末端部下が復讐に来た、といった辺りが考えられる。青年はそれならそれで構わないと思った。例え今日死んだとしても、これ以上生きる事への未練は無いからだ。
ぼんやりと廊下側の入り口を眺める青年。やがて近付いてくる足音の主が現れる。そしてその姿に青年は小首を傾げる。目の前に現れたのは、全く見覚えのない一人の女性だった。
「あの……」
彼女は何かを言いかけ口ごもる。青年を前に緊張しうまく話せない様子だった。そして青年は、初めこそ怪訝な顔で彼女の様子を窺っていたが、やがて何かに気付きハッと息を飲む。
「すみません、あなたは? どこかでお会いしたでしょうか?」
過去に彼女と会ったことは絶対に無い事を自分でも分かっていた。しかし訊ねずにはいられなかった。それほど彼女は似ていたのだった。青年が単なる夢の記憶を頼りに描いた、あの彼女の容姿に。
「突然すみません。私、行く所が無くて。どうかここに置いて貰えないでしょうか……?」
「いえ、この建物は私が所有している訳ではないので。それに、私はもう聖都にはいられませんから、ここから出て行くつもりだったんです」
「そ、そうでしたか……」
青年の答えにしゅんと肩をすくめ悲しそうにうつむく。すると青年は突然と立ち上がると、うつむく彼女のすぐ目の前まで詰め寄った。
「あの! あの、もしよろしかったらでいいのですが! 一緒に行きませんか!? 当てが無い者同士で!」
目の間の距離で大きな声でまくし立てられ、驚き気圧される彼女。しかしすぐにその言葉の意味を理解すると、たちまちぱっと輝くような笑顔を浮かべた。
「はい、よろしくお願いします!」
その表情に、青年は更に心を揺さぶられる。そう、自分はこの優しく輝くような笑顔をキャンバスに表現しようとしたかったのだ、まさに彼女は自分にとって理想の女性そのものである、そう青年の心は歓喜に震えた。そのため、彼女の事情や出自などはどうでも良かった。この世に未練を失ったはずの自分に、再び炎を点らせたのだ。今は彼女との新しい人生しか考える事が出来ない。
青年は、初対面の名も知らない相手だというにも関わらず、まるで吸い込まれるように彼女を抱き締めた。彼女もまた、青年の唐突な行動に対して一つも拒む事も無く、当たり前のようにそれを受け入れる。表情はあの笑顔のまま、一つも曇る事は無かった。