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ラヴィニア室長がディープドーンの信者リストを持ってきたのは、エリックがお願いをしてから僅か二日後の事だった。逮捕された教団幹部の内、数名が教団内の情報を開示するのと引き換えに減刑する司法取引に応じたためである。この一部信者のリストは、その取引の中で開示された情報の一つだった。事を荒立てないという条件付きだが、こうもあっさりと引っ張り出せるのはやはりラヴィニア室長の手腕に寄る所が大きいだろう。
早速エリックはリストの情報を頼りに信者へ直接当たりに行く。信者がエリックに声をかけたのと同一人物であれば、エリックの呪いとは彼らの虚言という事で決まりになるのだ。
まずエリックは、庁舎から最も近い露天商の集まる通り沿いへ向かった。そこには果物屋を営んでいる信者が一人居ると情報にはある。以前、エリックがリンゴを買った時に右手を指摘された事がある。まさかあの人が、と半信半疑に思いながらも該当の人物の元へ向かう。そして、
「よう、いらっしゃい! 今日は何が欲しいんだい?」
「これはあなたの事ですよね」
威勢良く声をかけてきた果実屋の男に、エリックはリストの一つを突き付ける。すると男の顔には明らかな動揺の色が浮かんだ。
「なんだい、なんだい。アンタ、急に訳が分からねえよ」
「あなた方の幹部は今、司法取引に応じて信者達の情報を提供し始めましたよ。あなたは特に犯罪行為に関わっていないようですが、何かあればすぐに警察が動きますから注意して下さいね」
そしてエリックは他の客に気付かれる前にその場から立ち去った。
内心、エリックは今の男の反応にホッとしていた。もしも彼が本当に教団と無関係であったなら。そんな悪い予感がどうしても拭え切れていなかったからだ。
「なあ、エリック。今の店は他の客がいるから仕方ないとして、次のやつにはちゃんと確認しておこうぜ」
「そうですね。一応、本当にディープドーンの信者かどうか言質を取っておかないと」
「いや、それよりもさ。ちょっと気になったことがあってよ」
「気になったこと?」
「あいつら、どうやってお前がマトだって判別してたんだろうなってさ。お前、潜入した時もずっと顔はみんなと同じように隠してたんだろ? なんかでかいローブとフード被って」
ウォレンの指摘に、エリックは息を飲み立ち止まる。そう、教団の人間はそもそもエリックの顔を見ていないのだ。それなのに、何故あれだけ多くの人間がエリックだと判別出来たのだろうか。
次はエリックがいつも朝刊を買う売店だ。そこで釣り銭を受け取った時に右手を指摘されたのが、今回のケースの始まりである。ラッシュアワーも過ぎ、店の周りは閑散としている。早速エリックは売店の売り子に話し掛けた。
「失礼、あなたはディープドーンの信者ですよね?」
「え、なんだい急に。そりゃ何の事だい?」
「悪魔を崇拝する邪教の集団ですよ。先日、テロ準備罪で幹部が一斉摘発された」
「まさか! テロなんてそんな事はしちゃいない―――」
「でしょうね」
用心深いと思われたが、案外簡単にかまかけに引っ掛かったものだ。エリックは安堵と呆れの入り混じった溜め息をつく。
「今日は二つだけ質問しに来ただけです。良いですね?」
「……手短に頼むよ」
「そんなに時間は取らせませんよ。まずは一つ、僕の右手について言ってきたのは、上からの指示ですか?」
「ああ、そうだよ。不信心者がいるからって」
「では、どうして僕がその不信心者って分かったんですか?」
「悪魔王の声が教えてくれるのさ。不届き者に呪いを、ってな」
そんな突拍子もない事を真剣に語るその表情、説き伏せるには時間がかかるだろうと判断したエリックはこの場は納得した振りをして立ち去った。事を荒立てないのが、あのリストを使う条件なのである。
「連絡手段ははぐらかしましたね。悪魔王は論外として、何か特別な方法なんでしょうか」
「案外、隠れ信者なんかがまだまだ居て、そいつらとの連絡用にも使ってるのかも知れねえな」
「そこまで来ると、やはりテロ関係の事を企んでいたりするんじゃないでしょうか?」
「かもな。まあそこら辺は、国家安全委員会の仕事だろうがよ」
その後も二人は次々と信者達と接触を試みる。案の定、その大半がエリックの右手を指摘した事のある人物で、これによりエリックの右手にかけられた呪いは単なる脅しか出任せという事を確信する。彼らは皆、直属の幹部の指示でエリックに呪いをかけていたのだ。当然、呪いなどこの世には存在せず、エリックの右手の異常は単なる思い込みに過ぎない。
一通り回り終えた頃、時刻も夕方の定時近くになっていたため、二人はそこで切り上げ執務室へ戻り始めた。呪いの正体が解けたエリックの足取りは心なしか軽いものだったが、まだ一つ不可解な点が残っており、それが僅かに表情を曇らせていた。
「とりあえず、呪いが単なる心理トリックのようなものだとは分かりましたが。結局、僕の人相をどうやって共有していたのかまでは分かりませんでしたね」
「悪魔王の声です、って連中のアレさ。単に煙に巻くための常套句なんだろうけど、まさか本当にそうだったりしてな?」
「そういう冗談はやめて下さいよ」
そう、エリックの素性を共有した主体だけは未だに不明なのである。信者達を問い詰めた所で悪魔王云々の下りが出て来るだけであり、白状させるにはそれこそ逮捕し正式な聴取をするしかない。現状は逮捕状を請求できる状態にはなく、これ以上の追及はどうしても無理だった。
「ま、連中の報復があるようならすぐに俺を呼べよ。そいつらまとめて悪魔王のとこへ送ってやるからよ」
「堂々と言わないで下さい。悪魔王なんて、そもそも名前の語呂が悪くて響きからして恥ずかしい」
そうウォレンを窘める一方で、そんなウォレンをエリックは頼もしく思っていた。本当に大概の事ならウォレンと一緒なら何とかなるのではないか。ただの思い込みや錯覚だろうが、呪いとは違う信頼に寄るものならばそれは実に尊いものだと、そうエリックはあくまで密かに噛み締めていた。