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「あ、右手は大丈夫ですか?」
 昼休み、昼食を取るために入った店での精算時、お釣りを受け取りながら店員にそんな事を言われた。それはこの店だけではなく、今朝も登庁途中の露天で同じような事を言われている。見ず知らずの人間に右手を気遣われるようになって数日が経つが、その理由がエリックにはさっぱり分からなかった。エリックの右手は、少なくともエリックに自覚できる異変は無い。指など全てが問題無く動き、念のため外傷のようなものは無いか確認したが、目立ったものは見当たらない。
 彼らは一体右手のどこを見てあんな事を言ってきたのだろうか。何かしらはっきりと分かる要因があるから言っているのだろうが、自分自身ではそれが分からない。特務監査室の一同にも右手を見せたが、誰一人おかしな所など指摘出来なかった。
 午後になり、また執務室での仕事を普段通り進めるエリック。書類仕事が多く、朝から何枚も長文を書いている。体を動かす訳ではないが、流石に疲れは溜まってきていた。区切りの良い所でペンを置いて背筋を伸ばす。そして書きっ放しだった右手を左手で揉みほぐす。その時、エリックはある異変に気付いた。今、ほんのわずかだが右手が動きにくい感覚があったような気がしたのだ。
 慌ててもう一度、右手を左手で揉んだり擦ったりをして感触を入念に確かめてみる。右手の感覚はそのままで、普段と何も変わりは無い。指は動くし痛みも無い。だが、あの瞬間的に走った麻痺したような感覚は既に頭が覚えてしまっている。あの麻痺が、再び、今度はもっと強く長く襲って来るのではないか。それを意識した途端、急にエリックは一笑に付していた呪いが恐ろしく感じ始めてしまった。
 まさか、本当に呪いがかけられているのか? いや、これは単なる思い込みのはず。呪いなんてものは存在しない。ならば、何故複数の人間から何度も右手のことを言われるのか。
「エリック先輩? まだ右手、気になってるんですか?」
 いつの間にか一心不乱に右手を弄っていたらしく、その様子をマリオンが心配そうに見ていた。
「いっそのこと、病院で看て貰ったらいいんじゃないでしょうか。その方が、本当に良くないのかただの思い込みなのかはっきりするでしょうから」
「いや……病院には昨日行ったんだよ。そしたら、やっぱり右手の事を言われて」
「えっ、じゃあ本当に良くなかったって事ですか?」
「軽い腱鞘炎だって言われたよ。仕事のし過ぎじゃないかって。だから三日分の貼り薬だけ」
「それなら大丈夫じゃないですか。すぐ治りますよ」
「だけど、まだ人からは言われるんだよ。右手どうしたのか、右手気をつけてって。何か普通じゃない気がしてならないんだ……。そもそも医者は、呪いなんて専門外の訳だから。もし本当に呪いだったら、むしろ医者には正確に判別が出来ないんじゃないかって思って」
 そう、呪いは医者にも分からない分野である。右手の異変に医者が気付けないのは、むしろ本当に呪われていることの証左ではないだろうか。医者に看て貰ったばかりに、そんな事まで考えてしまうようになった。
「そうだ、ルーシーさん。エリック先輩の右手、何か分かりませんか? ルーシーさんはこういうの詳しいですよね」
「私、外国の悪魔とか宗教はほとんど専門外なんだけどなー。エルバドール系のならまだ分かるんだけど」
「では、お知り合いとかは? こう、悪魔崇拝に詳しい方とか」
「正直、悪魔崇拝ってみんな隠したがるから、横の繋がりってあんま持とうとしないのよねえ。完全に上意下達だけで成り立ってる組織って言うか。アレよ、ネズミ講に近い構造。だから、横繋がりで友達作ろうとするようなタイプってほとんどいないの」
「そうですか……。じゃあウォレンさんは、ご友人に悪魔崇拝してる方はおりませんか? ウォレンさんって色んな分野に顔が広いじゃないですか」
「じゃあって、お前なんてこと言ってんだよ。言い方ちょっとひでえよ。俺だって普通の付き合いしかないっての」
 意外にも特務監査室では悪魔崇拝と繋がるような交友関係は無いようである。専門家に相談するのが最善と思っていただけに、エリックは落胆の色を隠せなかった。
 するとウォレンは、やや自信は無さげではあったが、一つ提案をして来た。
「もしかするとって程度だけどさ、明日ちょっとあそこ行ってみるか。俺らなら普通に入れるからよ」
「あそこってどこですか?」
「北区の刑務所の特別房。そこにな、前に別な悪魔崇拝教団で黒ミサだかやって、生きた人間を生け贄って名目で何人も殺した祭司が収監されてんだよ。流石に公表するにはあまりに過激だって、一切報道はされなかったんだ」
「そんな人と会ってどうするんです?」
「まー、何かしら得られるもんはあるだろ。単に相談してみたり、連中の手口探ってみたり。他にも、本当に悪魔だか呪いだかが憑いてるのかどうかって試してみるのもいいかもな」