BACK

「本の呪いの起源は、昔の宗教宗派からの破門が始まりらしいわ。貧しい時代にコミュニティから追放されるのは死活問題だからね。それがいつしか罰よりも復讐の意味合いが強くなっていったの。とは言え、人間の復讐ってのは大体の教典では禁忌扱いだから、堂々と呪いとは書かずに神罰、神様による復讐代行ってことになったの」
「と言う事はつまり、囚人番号2943はこの本を呪いがかかっている物とは知らずに盗み出したから?」
「その通り。ま、家族まで呪い殺されるのはとんだとばっちりだけど、こればかりはどうしようもないわ」
「では、いずれ盗んだ本人も呪い殺されるんでしょうか? 今も既に原因不明の体調不良を起こしているようですが」
「そうね、まず間違い無く酷い死に方するだろうけど。ま、別に強盗で捕まるようなやつだしー。自業自得じゃない。私らが気にする事じゃないなー」
 たった一冊の本に込められた呪いが、まさかこれほど強力なものだなんて。エリックは俄には信じがたかったが、これまで何度も呪いの類を見てきた以上は信じない訳にはいかなかった。これほど強力な呪いであれば、この本は確実に倉庫行きに、それも特に厳重に封印しなければならない。
「あのー、ルーシー先輩? 呪いってのは分かりましたけど、なんかちょっと理不尽と言うか、やった事に対しての代償がむご過ぎるような気がするんですけど。盗んだ当人が死ぬのはともかく、たった一冊の本で無関係な家族まで巻き添えだなんて」
 そう訊ねたマリオンは、どこか納得のいかない表情をしていた。
「それだけ昔の本は貴重で、作る負担も今とは比べ物にならないほど強いられるの。さっきも言ったけど、写本ですら一冊仕上げるのにとんでもなく消耗しきるのよ。原本なんて一生に何冊書けるものやら。普通の執念じゃあないから、本泥棒は決して許されなかったということ。たった一冊なんて言うけど、当時の本と現代のウォレン先輩が読んでるようなゴミ本とはワケが違うのよー」
「おい、待て! ランダール先生を馬鹿にするんじゃねえ! この革命的記憶整理術はすげえんだぞ!」
 突然飛び火した事にウォレンは、読みかけていた本を頭上に振り上げながら抗議する。
「具体的にどこが凄いんです?」
「それはその、アレだ! 記憶がうまく出し入れできるんだよ! こう色々と! 素早く!」
「色々とか、もう曖昧じゃない。馬鹿に知識を与えてこそ本の価値なのに」
「べ、別にまだ読みかけだし! 俺はまだ革命的記憶整理術を覚えてねーし!」
 ぎゃあぎゃあと言い合うウォレンとルーシーを横目に、エリックは改めて問題の本を手に取り確かめる。古めかしくも格調の高さを感じさせるしっかりとした装丁、紙は変色しているものの欠けは無く綺麗な形を保っている。見れば見るほど荘厳な存在感のある本だが、既に人を三人も殺しているとはとても思えなかった。
「こうして見てる分には、ただの本ですよね。アンティークの立派な本」
「これが人を殺せる本だなんてね。こんな事、みんなが聞いたらなんて言うやら……」
「まあ、ちょっと……言えないですよね。今更なんですけど私、半分疑わしい気持ちで仕事してますし」
 エリックとマリオンは神妙な表情で顔を見合わせる。そこには、あまりに常識を外れた世界にお互いどっぷり漬かってしまったものだという自虐の色があった。みんな、とは二人の知り合いだけではない、そもそも世間一般の人間を指している。秘密厳守の仕事だが、こんな正気を疑われるような事なんてそもそも誰にも話せない。配属初日に抱いたその気持ちは未だエリックの胸の奥に残っている。まさに自分達は、世間一般から隔離されてしまったような存在になってしまったのだ。
「ひとまず、私は入庫の手続きを進めますね。一番厳重な扱いで良いですよね?」
「うん、それでお願い。僕は報告書を作成するよ。後は経費精算か」
 そして二人はそれぞれ書類仕事を始める。経緯はどうあれ、この本は現代の世情には合わず危険しかもたらさない異物である。破壊するにもリスクが懸念される以上は、いつものように世間から隔離しておかなくてはいけない。この、最後の書類仕事だけはエリックは気が楽になるように思い始めていた。書類の作成という作業だけは特務監査室において、常人の価値観では至極まともな部類に入るからだ。