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「これ、早くどうにかして下さい!」
その日の依頼人は、いきなりそれをテーブルの上に叩きつけて声を荒げた。行儀が悪いと思ったが、彼女が粗暴に振る舞うのは単に精神的に追い詰められているからである事に気付いたのは、その落ち窪んで充血した目にあった。かなり長い間まともに眠れていない目である。
依頼人が持参しテーブルの上に叩き付けたのは、小さな木彫りの人形だった。デフォルメした幼い男の子がモチーフになっているようで、塗装に使われている絵の具の剥げ具合からかなり年期が入った代物のようだった。特段変わった所も無い、極めてありきたりな小物にしか見えなかった。
「これが何か?」
「これ! もう何をしてもすぐ私の手元に戻ってくるんです! 幾ら捨てても捨てても、翌朝にはもう枕元に戻ってて、本当に薄気味悪いったら!」
「捨てて駄目ならぶっ壊してみたらよ?」
そう半分からかうような口調で提案するウォレン。しかし、
「何度もやりました! 粉々に砕いて消し炭になるまで焼いて! それから川に捨てたのに、翌朝にはまた戻って来るの!」
「そ、そうか。じゃあ、どうすっかなあ……」
彼女の迫力に気圧され、困ったウォレンがさり気なくエリックへ話を振る。余裕の無い人を見るとすぐ茶化そうとする、ウォレンの悪い癖だとエリックは思った。
「ではまず、これを手に入れた経緯から教えていただけますか」
依頼人はかなり感情的な口調で説明を始める。
先月、友人達と隣国エルバドールの保養地へ旅行に行った。ホテル近くにあった観光客相手の露天商を見て回ったが、その際にこの民芸品を買った。しかし帰ってから良く見てみたらみすぼらしくて急に興味が失せ、すぐに捨ててしまった。だが人形は必ず戻って来るようになった。
以上が四苦八苦しながらエリックが聞き取った経緯である。確かに捨てたはずの人形が、姿形まで復元された上で戻ってくるのはおかしな話である。けれど、一種の精神病の症状とも考えられる。オカルトにせよ、超常的な感覚の無いエリックには正確な切り分けはいつも困難だ。
「そうだ、ルーシーさんはエルバドール系でしたよね。これ、何だか分かります?」
「ああ、これ? ああ、これかあ……」
そう何か心当たりのありそうな口調で、ルーシーはいつものようにおやつを食べながらテーブルの上の人形を眺める。そして、
「もう一個、人形あるでしょ? 同じような男の子の。それはどうしたの?」
「え? もう一つ? そ、そんなの初めから買ってないわよ」
「へえ、そうなんだ」
ルーシーは溜め息混じりに頷くと、テーブルの横へ椅子を引きずり寄せて座る。
「これ、エルバドールの露天商で買ったって言ったよね? 実は嘘でしょ」
「な、何を失礼な! どうしてそんな事を!」
「これね、エルバドールでは一般的な幸運の神様の像なの。大体どこの家庭にもあるんだけど、どこにも売ってはいないの。各家庭の家長が手作りし、神様を降ろす儀式で宿して完成させるから。御利益は作った家長の家にしかないからね、買っちゃ意味が無いの。ま、最近は作成キットなんて便利な物は売られてるようだけど」
「そういう古い考え方じゃない店だったかも知れないじゃない!」
「もう一つ。買った人からちゃんと聞かなかった? この神様は二対で一つの神様なの。売るにしろ片方だけは不自然ね。特にエルバドールの文化としては」
二対や三柱といった、複数で一セットの神様というのは世界中どこの文化圏にも存在するものだ。その形には宗教的だったり神学的だったり何かしらの理由がある。それを無視した商売というのは、確かに不自然である。
「じゃあ、途中でもう片方無くした? 初めから購入していない? そういう理由でしょうか」
「さあ? ともかく、手に入れたのは買う以外の何かの方法って事でしょ。ただ、方法よりも片方だけってのがマズいなあ」
「どうマズいんですか?」
するとルーシーは、テーブルの上に白紙を置くとそこに何かを描き始めた。それは今の話にあった二対の神様の像のようだった。
「幸運の神様はね、良い事を司る善神と、悪い事を司る悪神の二対なの。同じ神様の二面性を表してるとも言われてるんだけどさ。名前は無い、というよりもエルバドールではあまり神様の名前は口にしないかな。そういう文化って事ね。で、この人形は良い神様の方。善神は靴を履かせてたりして、悪神より少し大きく作られるの。互いの御利益を相殺して少しだけ幸運が勝つようにね。これは、幸運も強過ぎれば身を滅ぼすからバランスを取るためにこうしてるって言われてるわ」
「二対であるのは、そういう理由なんですね。じゃあ、今みたいに片方だけだとどうなるんでしょうか? バランスが取れなくなるのは、当然悪い事なんでしょうけど」
「まあそうなるかな。で、アンタには色々確認したいんだけれど。まあ入手経緯はもういいや。本当に困ってるのは、捨てても戻ってくる事じゃなくて、幸運が強過ぎて負担になってきた自覚があるからでしょ?」