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 メイジーの交際相手であるジェイムズは、彼女からはジェイミーと呼ばれていた。
 その日、メイジーに呼ばれて共に連れて来られた先が、特務監査室という馴染みのない役所の一室であったにも関わらず、彼はキョトンとした表情のままいたって落ち着いた様子でいた。むしろメイジーの方が落ち着きが無く、終始そわそわしながら手汗を拭っている。
「あの、こちらはどういった部署なのでしょうか? 本日はどういった御用件で?」
 落ち着き払うと言うよりも、のんびりした口調で訊ねるジェイムズ。質問の内容は当然のものではあるが、どうしてこうのんびりしていられるのかという疑問すら湧く様子だった。元々マイペースな気質なのだろうか。
「突然御呼び立てして申し訳ありません。当方は特務監査室といい、表向きは全体的な官吏の監査を行う首相直轄の組織です。実際の業務についてですが、これは機密事項に当たるため、まずはこちらの機密保持誓約書を熟読し同意が出来ればサインをして下さい」
 出された誓約書に目を通し始めるジェイムズだったが、すぐさま困惑と不信感の色が如実に表れ始めた。当然の反応だとエリックは思った。かつての自分も、なんて胡散臭い部署なんだろうと思い同じような顔をしていた。ひとまずは内容を理解して貰うため、エリック達はその場から離席する。
「俺は無理だと思うぜ。まず破局するな」
 ジェイムズが誓約書を読み終えるのを待つ間、ウォレンがそっとエリック囁いて来た。
「えっ? だってウォレンさんの提案じゃないですか」
「だってそうだろ。本名が消えるとか、気持ちわりー女と結婚なんかするかよ。この先問題だらけじゃねーか。普通の家庭なんか出来ねえって」
「じゃあどうして焚き付けるようなこと言ったんですか」
「無理に保留し続けたって、どうせ生きてく上での枷にしかなんねーだろ。だったら早めに諦めつけさせて、じっくり解決手段を模索した方が確実だ。黙ってフラれるより、自分から言ってフラれた方がまだ納得出来るさ。少なくとも打ち明けるのは自分の選択だからな」
「……相手が受け入れてくれる可能性もあるじゃないですか。感情は損得だけで動く訳じゃないんですから」
「いーや、無いね。そもそも好き好んで結婚する男なんて、普通はいねーんだよ」
 それはウォレンの結婚観である。けれど、結婚という重要な決断をするのに、こういった症状は決断を躊躇わせる要因の一つである事は間違いないだろう。ジェイムズの良心に期待したいが、それは独善的な期待である。第三者がそこまで言い及ぶべきではないのだ。
 しばらくして、機密保持誓約書を読み終えたジェイムズはサインを行った。表情にはまだ訝しさが残っていたものの、落ち着き払った様子のままだった。案外マイペースなだけでなく肝が据わっているのだろう。
「同意して戴いたという事で、それでは早速本題に入らせていただきます」
 そしてエリックは、自分達の活動内容の概要とメイジーの件についてジェイムズに説明する。表沙汰に出来ない非科学的な事柄が実際にあること、そしてメイジーがその対象となる症状を患っていること。それを聞いたジェイムズは明らかに疑う様子を見せたが、直接言葉にはして来なかった。ひとまず受け入れて吟味するという判断をしたようだった。
「状況下は概ね理解しましたが……やはりすぐには信じられませんね。この部署はともかく、メイジーが実は偽名で、本名は伝えようにも伝えられないなんて」
「では、実際に体験していただければ納得されるかと」
 そしてメイジーは、自分の本名を口にし、紙に書き出すとどうなるかをジェイムズへやってみせた。初めはトリックか何かと疑う様子だったが、幾らか確かめてもそれらしき物は見つからず、遂には信じるしかなくなってしまった。
「メイジーは、ずっとこれを僕に言い出せずにいたんですね……。それで、プロポーズしてもなかなか返事をしてくれなかったんですか」
「そういう事です。ですので、お二人の今後についてですが―――」
「いえ、それは言うに及びません」
 すると、ジェイムズは咳払いを一つし改まった態度で話し始めた。
「僕は今でも彼女を愛しています。結婚を申し込んだのは、その誠意と覚悟を形にし、世間体を整えるためです。それが出来なくとも、僕の気持ちに何ら変わりはありません」
「えっと……それはつまり?」
「結婚以外で一緒に生きる道を模索すれば良いという事です。別に結婚しなくとも一緒に暮らせますし、子供だって作れますから。結婚の手続きの必要性は、あくまで社会通念程度でしかありません」
 はっきりと断言するジェイムズ。そこには何の迷いの色も見られなかった。
「さあ、これで問題は全部解決したよね?」
 呆気に取られているメイジーに微笑みかけるジェイムズ。今のあまりに毅然と言い切った姿に圧倒されたのか、メイジーは泣き笑いのような表情でこくこくとただ頷き返した。
 メイジーの症状は解決しなかったが、彼女の悩みはもう消え去った。この先二人は、多少の不便はあっても幸せな家庭を築いていくことだろう。そんな絆が生まれた、そうエリックは思った。
「やっぱり、愛情は損得だけじゃないんですよ、ウォレンさん」
「フッ……俺の思った通り、メイジーに足りなかったのは勇気さ。あいつは自分で幸せを掴み取ったのさ。俺がしてやったのは、ほんのきっかけにしか過ぎねえ」
「そこまで居直られると、なんかもう逆に立派ですね」