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 エリック達は西区にある法律事務所へと向かった。その事務所はオーウェンを訴えたラザラスの担当弁護士が在籍する法律事務所であり、事前にこちら側から連絡も入れている。今回の事件について、ラザラス側の主張等を可能な限り聞いておきたいためだ。
 その法律事務所は大通り沿いにあるビルを丸ごと貸し切っており、外観からして大手の法律事務所であることが窺えた。在籍している弁護士の数も多く、顧客もそれなりに社会的立場があって金払いも良いのだろう、そんなことを想像する。
 特務監査室の名前であっさりと中へ通され、内部に幾つもある打ち合わせ室の一つで担当弁護士と面談する事が出来た。
「特務監査室……ラヴィニアさんの所ですね」
「はい、ご存知なのですか?」
「まあ、あまり大声では言えないのですが……何度かお世話になっているんです。あ、深くは訊ねないで下さいね」
 担当弁護士はラヴィニア室長とも既知らしいが、その繋がりについては歯切れが悪かった。おそらく、何か大声では言えないような事件でも担当したのだろう。それは自分も同じようなものだとエリックは思った。
「それで、ラザラス氏がオーウェン氏を民事で訴えている件でしたね」
「はい。オーウェン氏は賠償金が多額過ぎて自分で支払う事は出来ず、損害保険で補填してもらうためには過失扱いにして欲しいのですが」
「そうですよね。故意の破損だったら、普通は補償の対象外になりますから。私もその事については、ラザラス氏には説明しているのですが、どうしても法廷で有罪にして欲しいと言われていまして。いえ、民事は有罪無罪の判決を出すところではないんですけども、まあそういう剣幕で訴訟の一点張りで」
「もしかして、本音では裁判よりも和解をしたいと?」
「ええ、無論です。こんな私怨じみた案件なんかやりたくありませんからね。しかし、どうにもなかなか、難しい事情でして」
 そう言葉を濁す裏を、エリックは想像する。私怨じみた訴訟を突っぱねられない理由、それは金かコネのどちらかだ。聞いたところ、ラザラスには高い時計を簡単に買える経済力がある。事業関係のコネか何かか、多額の謝礼か、ともかくそういった手段でこの法律事務所に圧力をかけているのだろう。
「しかし、どうしてそこまでして、オーウェン氏のような一個人をああも徹底的に追い詰めるのでしょうか」
「恨み、だと思いますよ。壊された……と主張するあの時計、相当な稀少品らしいですから」
 それを酒場に持ち込み見せびらかした挙げ句の事である。逆恨みも良いところだが、それが理由になり得てしまうのが人間の性でもある。
「それで、訴訟についてこちらどういう見込みでしょうか?」
「正直、厳しいですね。まず、ラザラス氏の行動について証言者がいません。壊れた時計についても、専門家に分析を依頼しましたが、故意に壊された形跡は見つかりませんでした。まあ逆に、何も見つからず困惑している感じですけれど。要は裁判所に対して、明確な証拠が何も提示出来ないんです」
 故意に壊された形跡が無い以上は、それは経年劣化等による自然な破損としか言い様がない。しかしその事実もラザラスは受け入れてはくれないのだろう。
「このまま訴訟を進めると、実際どうなります?」
「まあ棄却でしょうね。証拠が無いんですから。ただ、そうなると今度はラザラス氏がおさまりません。不服申し立てなどを駆使して意地でも続けるでしょうね。相手方の訴訟費用が尽きるまで続ける作戦にシフトし、日干しにして合法的な報復をするということです」
 オーウェンは極普通の勤め人であり、ラザラスのように金銭的な余裕はさほど無いだろう。裁判が長引けばそれだけでも首を絞められる立場になる。そうなると、何の落ち度もないにも関わらず莫大な賠償金を支払わされる事になるかも知れない。
「ところで、ラザラス氏の方は保険には入っていなかったのでしょうか? 高い時計であれば、損害や盗難の保険をかけておいても不思議ではないと思いますが」
「確かに。後ほど確認してみます。ただ、あの様子では入ってはなさそうですね」
 特別にあつらえた高級時計に保険をかけなかったのは、流石にラザラスの落ち度という方向には持っていけないだろう。だが、保険に入らなかったからこそ、ここまで固執してしまっているのかも知れない。単なる金の問題なら払ってしまうのが手っ取り早いのだろうが、今回は人一人の人生を狂わせてしまうほどの大金である。幾らラザラスでもそこまでの金額は笑って捨てられないのだろう。
「こちらも引き続き無難な条件での和解に応じて貰えるよう、ラザラス氏の説得は継続していきますので、何とかお力添えをお願いします。正直、この案件はなるべく早く収束したくて。流石に事務所の評判にも関わる話ですから」
「我々も、オーウェン氏の人生を破滅させる訳にはいきませんから。何とか頑張って解決の糸口を見つけましょう」