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 真夜中の歩道。セディアランド最大の都市にして首都である聖都も、深夜ともなれば繁華街を外れた道は人通りが極めて乏しく静まり返っている。
 辛うじて歩ける程度の光源のガス灯を頼りに、やや覚束ない足取りで一人の青年が歩いていた。青年は酒に酔っていて、機嫌良さげに鼻歌混じりで家路についている。そしてそんな彼の後方に、青年と一定の距離を保ちながら慎重に付ける男の姿があった。自分の後をつける存在について、青年は全く気付いていなかった。男は明らかに気配を消して尾行しているからである。
 後をつける男の名はケヴィンと言った。ケヴィンがつけている青年はライナスといい、輸入雑貨などを扱う個人事業主である。仕事は非常に順調で、毎晩飲み歩く事が出来るくらいの稼ぎがあった。実際に働く日は週に何日もない。それでも人並み以上に稼いでいられるのは、ひとえにライナスの才覚に他ならない。
 ライナスを見据えるケヴィンの目には、明確な殺意とそれを裏付ける怒りがありありと浮かんでいる。ケヴィンはこの闇に乗じてライナスを殺すつもりだった。手には布を巻いた鉈を握り締めている。ケヴィンは殺人の現場を他人に見られる事を心配してはいなかった。この時間と場所を選んだのは、目撃者の存在よりも犯行の確実性を取ったからである。
 やがてライナスはおもむろに立ち止まり、大きなくしゃみを一つ二つと続けざまにする。ケヴィンはこれを好機と認識した。すぐさま鉈に巻いた布を解きながらライナスの背後へ素早く忍び寄ると、頭上まで振り上げた鉈をライナスの頭へ目掛けて思い切り振り下ろした。
 氷を噛んだ時のような軋む音が周囲に響き渡る。ぐらりとよろめくライナスの体。ケヴィンはそこへ何度も鉈を振り下ろした。激しい呼吸音を鼻と口から漏らしながら、何度も何度も、ライナスが地面へ倒れてからも殴打を繰り返した。そして横たわるライナスの体が痙攣を止めると、ケヴィンは手を止め大きく深呼吸をする。僅かな明かりで見るライナスは明らかに絶命していた。すぐ誰かに見つかり医者の手当てを受けたとしても、間違いなく助からないだろう。この成果にケヴィンは満足し、落とした布を拾って鉈に巻き直すと、足早にその場を後にした。
 翌日の朝、ケヴィンは大通りの一画にあるカフェの窓際の席でコーヒーを飲んでいた。昨夜の興奮が覚めないため早くに目が覚めてしまった事と、このカフェの前の歩道がライナスが毎朝決まって通りかかるからだ。当然今朝はライナスが通りかかる訳がない。それでもケヴィンがやって来たのは、ライナスが確実にこの世からいなくなった事実を噛み締めるためだった。
 ゆっくりと二杯目のコーヒーを飲み干し、時計へ目を向ける。既に予定の時刻は過ぎていたが、ライナスはやはり目の前の歩道には現れなかった。ライナスは確実に昨夜で死んだ。これは紛れもない事実である。けれど今朝の朝刊には、いずれにもライナスが死んだ事件について書かれていなかった。昨夜の事件だから朝刊には間に合わなかったのか、それとも時間をずらしたのか。こればかりがケヴィンにとって心残りだったが、それも大した事ではない。
 満足げに小さな溜め息をつくと、ケヴィンは晴れ晴れとした表情でテーブルへ会計を置いて立ち上がる。これでようやく自分は自分の人生の続きを送る事が出来る。清々しい気持ちを胸に抱き、店を出たその直後だった。
「あっ、すみません!」
 ケヴィンは歩道を足早に駆け抜ける青年にぶつかった。即座に謝った彼に気を付けろと怒鳴りつけてやりたかったものの、青年はあっという間に去っていった。しかし、その彼の背中を見たケヴィンは驚愕する。それは紛れもなくライナスのものだったからだ。見間違いかとも思ったが、それは有り得なかった。ケヴィンは、自分ほどライナスの背中を注意深く観察してきた人間はいないという自負があった。これまで幾度と無く苦杯を舐めさせられた自分は、とにかく復讐の機会を窺うため人一倍ライナスを観察してきたのだ。憎き仇の背中を見間違うようなはずは無い。
 ケヴィンは反射的に青年の後を尾行し始めた。単なる見間違いであるならそれで構わない。けれど、青年の背格好や後ろ姿はあまりに似過ぎていて、とても無視が出来なかった。
 青年は足早にどこかへ向かっている。ケヴィンは必死で目立たないようにその後をつける。程なく青年が到着したのは、大通り沿いにある比較的新しい建物だった。青年は中へ入り階段を駆け上がっていく。ケヴィンはその様を呆然としながら見送った。その建物には、あのライナスが仕事用の事務所として一室を借りているからだ。
 昨夜、あの後一体何が起こったのかは分からない。けれど確実に言えそうなのは、仕留めたと思いながら実際はライナスを仕留め損なったいたという事実である。しかもライナスは、見ての通り階段を駆け上がるほど元気である。これはつまり、昨夜自分が手に掛けた男はライナスとは別人だったという事だ。
 失敗を悔いても仕方がない。目的を達成するため、立ち止まっている暇は無いのだ。
 そしてケヴィンは、次の犯行の計画を練り始めた。