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ラヴィニア室長の顔は広く、彼女の伝手を頼って特務監査室へやってくる一般人も少なくない。そういった依頼人は、セディアランド人特有のオカルトを受け付けない頑なさが無く、仕事の話が非常に進めやすい。その反面、精神的に参っている事が多く、視覚的に分かりやすい結果が求められる。その日やってきた依頼人も、そういった例に当てはまる一人だった。
青年の名前はグスタフ。聖都で運送会社に勤めていて、平日は真面目に働き税金をきちんと納めるごく普通の人間である。
グスタフはソファーに浅く腰掛け、神経質に足を震わせている。その落ち着きの無さは不安の現れである。そしてその不安の原因は、自分の身に起こっている事が果たして他人に理解して貰えるのだろうか、という所だろう。
「グスタフさん、でしたね。私はエリック、この特務監査室の室長補佐を勤めております。今回の件に関しての責任者と思って下さい。それではまず、どういった事が起こっているのか、説明して戴けますか」
「その……内容がとても信じられないようなもので。医者にもかかりはしたのですが、ストレスによる幻聴とかで。でも自分にはとても幻聴とは思えなくて。ああ、本当は気付いていないだけで自分の頭がおかしくなったのかも」
「大丈夫です。ここは特務監査室、そういった出来事はこれまで何度も扱ってきましたから。それに、見聞きした情報は一切表に出る事はありませんよ」
「そうですか……。分かりました。ただ、私にもとても信じがたい事で……」
不安そうな表情のまま、グスタフは慎重に言葉を選びつつ話し始めた。
「私は少し前まで犬を飼っていました。子犬の頃に拾った雑種で、名前をモズといいます。モズは割と賢い犬で、お互いなんとなしには意志の疎通が取れていました。なので案外手が掛からず、私にとっては善き友人であり相棒でもあり、人生に無くてはならない存在でした。ですが、ある時突然とモズは死んでしまって」
「死因は何でしょうか?」
「獣医が言うには何かおかしなものを食べたんじゃないかって。食中毒か、はたまた猫いらずか。部屋にはそんな物は置いていなかったし、食事はきちんと時間を決めて与えていたから、有り得ないはずなんですが……。とにかく死んでしまったことは事実ですから、私はとても悲しくて悲しくて、しばらく伏せっていました。ですが、それから数日してからの事です。突然、モズの鳴き声が聞こえて来るようになったんです」
「それは間違いなくモズの声なのですか? 他の犬ではなく」
「間違いありません。モズの声は少ししゃがれていて特徴的でしたし。ですが、当然モズの姿は見えません。声だけです。ひたすら激しく吠え立ててくるんです。声は決まって夜遅くで、吠えている時間はその時々でまちまちですが……。それで私は思ったんです。モズは未練があるのではないか、もしくは私への恨みがあるんじゃないかと」
「あなたへの恨み? モズがですか? 可愛がっていたような話でしたが」
「はい。モズが死ぬ前日ですが、丁度仕事が繁忙期に入っていて、毎日とても忙しく帰りも遅かったのです。そして帰ってきた私にモズは日課の散歩をねだるのですが……その時はあまりに疲れていて、思わず断ったんです。それでもあまりにしつこく繰り返し飛びついてはせがんでくるものですから、怒鳴りながら突き飛ばしてしまって……。次の日も朝早くから仕事へ出掛けました。モズは昨夜のことがあってか、私の事はチラッと見るくらいで近付いて来なくて。そんなモズの事が気になって夕方頃に帰ってきたのですが、その時は既に……」
「モズは死んでいた、と」
「モズは毎日の散歩を非常に楽しみにしていました。それを私の都合で、それもあんな乱暴な形で拒絶したんです。だから、モズはきっと私の事を恨んでいるに違いない。その証拠に、こうやって死んでも私に吠えるんですよ。あんな激しい吠え方、生きていた時はまずしなかったのに!」
グスタフの話す様子は明らかに憔悴しきっている。死んだ犬が吠えるという話も、この様子では確かにストレスや罪悪感から来る幻聴を真っ先に疑うだろう。夢と現実の区別がつかないほどに彼は自分を責めているのだ。特務監査室としてするべきは、それが本当に幻聴なのかどうか、グスタフが納得のいく回答を提示する事だ。その切り分けをする事で、グスタフの今後の心の在り方が定まってくるのである。
「状況は把握しました。では、早速調査を始めさせて戴きます。今夜からでも問題はありませんか? なるべく正確な状況も確認しておきたいので」
「ええ、大丈夫です。どうか、よろしくお願いします!」
グスタフは幾分か表情に明るさを取り戻す。おそらく、これまで誰にも理解されず苦しい思いをしてきたからだろう。話をまともに聞いてくれただけでも精神的な負荷は随分と違ってくるものだ。
それにしても、犬の幽霊とは。本当にそんなものが存在するのだろうか?
エリックは、本心ではやはりグスタフの幻聴を疑っていた。幽霊が絶対に存在しない訳ではないことは受け入れられたが、世間の言う幽霊のほとんどは誤認が悪ふざけによるものである。ただでさえ人間の幽霊でも、これまで本物にはそう何度も遭えた試しがない。まして動物の霊など、一度たりとも見たことがないのだ。