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 ウォレンの旧友から連絡が来たのは、その翌日の夕方のことだった。警察が殺人容疑に切り替えて捜索した所、件の騒ぎを起こしている男の根城があっさりと見つかったのである。そこで特務監査室の権限で介入するため、エリック達はすぐさま現場へ急行する。
 現場は郊外の一画にある寂れた宿街だった。そのほとんどが営業しているか否かも分からない程で、行き交う人々も如何にも流浪の人間や不法移民といった素性の不確かそうな風体ばかりである。一般人ならまず足に運ばないであろう地帯だ。
 容疑者が根城としている木賃宿の付近には、出入りを監視するための刑事が何人か張っていた。それなりに場所へ溶け込もうと変装はしているものの、それはエリックの目ですら簡単に見分けがつくほどの拙いものだった。こんなにも早く犯人の根城を突き止めるほど優秀な彼らが、何故こうも張り込み下手なのか。今一つ理解に苦しい。
「特務監査室です。容疑者は?」
「まだ動きはないな。軽く聞き込んでみたところ、奴は夕暮れ時になると決まって外へ繰り出すそうだ。だったら間もなく出て来るはずだ」
 容疑者は夜な夜な盛り場に繰り出しては、何やら怪しい技術を駆使して喧嘩の腕自慢をしている。こちらの動向に気がついていないなら、おそらく今夜も同じ事をするだろう。
 エリック達も容疑者が出て来るまで付近に潜みひたすら待ち続ける。そして小一時間も経過する頃、最も近くで張り込んでいる刑事から合図があった。すぐさま木賃宿の入り口を確認すると、そこから見覚えのある男が現れるのが見えた。
「ではウォレンさん、お願いしますよ。……本当に、くれぐれも気をつけて」
「お、おう。なんだよ、変な含みがないか?」
「いえ、別に」
 ウォレンはエリックの態度を訝しみつつも、木賃宿から出て来た容疑者の前へ正面から堂々と向かっていった。男がウォレンに気付き足を止めた直後、周囲を刑事と警官達が一気に取り囲む。そこで容疑者の男は、これが自分を捕まえに来たのだと察し、そして不敵な笑みを浮かべた。自分が捕まるなどこれっぽっちも思っていない様子だ。
「よう。お前、最近聖都で随分飛び跳ねてるらしいな?」
「俺を捕まえに来たのか。だが、こんな数でいいのか? 俺は神に選ばれた稀代の武術家だぞ。俺の秘術の前には、どんな相手でも一撃必殺だ。死ぬのが怖くないならかかって来い」
 男は自信に満ち溢れた表情で、堂々とウォレンに向かって吼える。だがウォレンの表情もまた普段と変わらぬ不敵なものだった。
「ほう、一撃必殺? 自信過剰じゃねえの。どうやって倒すってんだ?」
「人体には無数の経絡秘孔がある。それを瞬時に突く事で、活かすも殺すも自在という訳だ。星の数ほどある経絡を見分ける事が出来るからこそ可能なのだ」
「へえ。その何とやらを突くだけで? 人が死んじまうと?」
「そうだ。体験したいというなら遠慮はいらんぞ。代金は貴様の命になるがな」
「それしか技はねえの? 強いやつって普通は沢山技持ってるもんだろ」
「この秘孔の突き技さえあれば他に技など不要だ。児戯に等しいものなど習得する価値もない」
 人体に存在する経絡秘孔とやらを突く事で人を殺す事が出来る。何を馬鹿な事を言っているんだ、とエリックは思ったが、この男は実際に人一人を殺めている。ならばその医学的に存在しない急所を突く技は、実際に存在し効果があるのだろう。
 秘孔を突かれたら終わり。そんな相手に対して律儀に素手で挑むウォレンに、エリックは否応無しに不安感が高まっていった。当のウォレンも、まるで危機感が無くへらへらした態度のままである。そのあまりの無警戒さから、エリックは思わず注意喚起の声を掛ける。
「ウォレンさん、やはり危険ですよ! 今から武器を持って行きますか!?」
「大丈夫だって。こいつ、別に言うほど強かねーよ。楽勝だから、そこで待っとけ」
 ウォレンは男にも聞こえるような声で答える。いや、それはむしろわざと聞こえるように言った挑発にすら思える。何かの駆け引きだろうか。そうエリックは考える。
 これを受けて、容疑者の男は目に見えて機嫌を損ねた。
「この俺を、言うほど強くないだと……? お前、どこの誰だか知らんが、随分と余裕だな。武術は体格で勝敗が決まるのではないのだぞ」
「お前と武術勝負なんかする気はねーよ。俺は、お前の首根っこを掴み、引き摺り倒して、豚箱へぶち込みに来ただけだ。お前と俺とじゃ勝負にもなんねーしな」
「そうかそうか、お前は俺に勝つつもりなのだな。どこでどんな流派を学んだか知らないが、俺の秘術を前に大した度胸だ。いや、単なる馬鹿か」
「戦う前から手の内明かす馬鹿に負ける訳ねーだろ。おら、やんのか? やんねーのか? 大人しくしてりゃ、あんま怪我しないで済むぞ」
 更に容疑者の男を挑発するウォレン。そしてエリックは益々不安の色を濃くしていった。またウォレンはあの頃のようにヤケを起こしていないか。ただただそれが心配だった。
「いいだろう! 我が神髄を理解出来ぬ愚か者には、特別な秘孔を突いてやろう! 七日七晩苦しみ抜いて、己の血にまみれながら死ぬがいい!」
 そして、男は遂に我慢の限界に達したのか、自らウォレンに向かって突っ込んでいった。