BACK
その日の夕方、エリックは丁度帰り道の途中に広がっている露天の中に件の女占い師を見付けた。昼間の経緯や室長の釘もあり、エリックは彼女を無視せず真っ向から立ち向かい対峙する。
「これ、こっちを無駄に不安にさせるだけの悪戯らしいですね」
例の石ころを突き付ける。しかし彼女は薄ら笑みを浮かべ余裕の表情だった。
「言い掛かりはよしとくれ。悪戯じゃあないよ。本当さ。死神ってのは大袈裟過ぎたけど。でも、面白いものが見れたろう? 人ってのはね、知らない内にああやって管理されているのさ」
「またその言い方。それで結局、何が目的なんです?」
「アタシの言い分は一貫しているよ。あんたの可愛い後輩が、近々死ぬかも知れないから気をつけろってことさ」
「あの死神みたいな幻覚、どういう仕組みかは知らないけれど、あなたが勝手にでっち上げたものでしょう? だったら、近々死ぬなんて事もでたらめじゃあないんですか?」
「まったくのでっち上げではないねえ。人に憑くそれが、今どういう状態なのか、分かりやすいように翻訳しているだけさ。恐ろしい姿に見えたかい? なら、そういう事さ。これでも配慮しているんだよ? ちゃんとその娘のしか見えなかっただろう」
飄々と答える女占い師の口調は、エリックにとって相手を煙に巻く詭弁にしか聞こえなかった。世間を騒がせるつもりはない、あくまで人助けのつもりだ。そんな彼女の言い回しは、特務監査室の職務を嘲るようにも聞こえ、エリックの内心はいつしか苛立ちで溢れそうになってくる。
「人間はね、誰でもいつか死ぬもんだよ。その時期が近づいている事くらいでも分かるなら、それは幸せな事だろう? 突然の死ほど不幸なものはないよ。前もって絶望したり覚悟が出来るなら、初めから人生に苦労はないさ」
「僕は哲学の話をしに来た訳ではありません」
「哲学でも何でもない、ごく当たり前の事だろう? 何にせよ、もしもお兄さんに死神と戦う覚悟があるなら、またおいで。手段だけは用意してやるよ」
死神と戦う手段。その言い回しは、エリックの怒りに火をつけ、危うく声を荒げそうになった。そもそも死神という物自体が女占い師の勝手な解釈であり、彼女の言う翻訳の正確さえ怪しいのだ。挙げ句、その死神と戦う手段など、直前に自ら口にした覚悟が幸福だという話と矛盾している。
「……あなたら移民の文化は理解に苦しいですよ。死ぬ死なないは、戦う戦わないとは別の話です」
「セディアランド人は難しく考え過ぎさ。あるがままに物事を受け入れれば、世の中途端に簡単に見えて来る」
それはまさに、特務監査室の理念である。超常現象というセディアランド人には受け入れ難い物事を扱うからこそ、あるがままに受け入れる。エリックにとって未だ頭では理解していても実際の価値観は変えられない、困難な要因だ。
「とにかくあなたには、こういった物を作り世の中へ流通させる事はもう止めて貰いたい。余計な混乱を招くばかりか、詐欺などの犯罪を助長させかねない」
「アタシが作ったのは、初めからそれ一つさ。普段は売れない占い師をやってるだけだからね。今後もずっとそうさ」
「これ一つ? 僕以外に渡していないなら、何故僕に関係する物を作れたんですか?」
「占い師だからね、お兄さんとはあそこで出会う事は予め予見していたのさ」
しかし、あの時彼女は自分の占い師はインチキだと言っていた。先々の事など分かるはずもなく、そうならこれは出任せを口にしているに過ぎなくなる。
「この期に及んで、まだそういう減らず口を。もし僕がどういう職務の人間なのか知った上でからかっているなら、本当に職権を行使するしかありませんよ。上の許可は得ているんですからね」
「ああ、あの美人の才媛かい? そうだろうね、あの人の考え方じゃ、アタシみたいなのは邪魔者でしかないだろうねえ。あのブレなさはアタシは気に入っているんだけれども」
「まさか……知っているんですか? いや、どこまで……」
「大概の事はねえ。でも、本当に肝心な事だけは大して知らないのさ。万能な者なんてこの世にはいやしないよ」
特務監査室の存在だけでなく、その本当の職務内容やラヴィニア室長の事までも知っているかのような言い方。占い師特有のはったりかとも思ったが、そもそも彼女はエリックとマリオンについても初めから見通していたような言い方をしていた。まさか本当に物事を何でも見通す、それこそ千里眼のような力があるとでも言うのだろうか。
「安心しなよ。アタシは世の中を騒がせたい訳じゃない、今夜の食事さえあれば満足する、ちっぽけな辻占いさ」
特務監査室の職権を行使するべきだ。そう考える一方で、強い躊躇いもあった。それは彼女の奇妙な言動に惹かれ始めたのか、それとも行使することは虚言を真実と認める事になるからか。エリックは己に困惑するほど迷った。
「あるがままに受け入れる。お兄さんも苦戦しているねえ。結構結構、苦しみながら戦う、それが人間ってものさ」
そう笑いながら、女占い師はおもむろに立ち上がり小さな机と椅子を折り畳み店仕舞いを始める。
「ちょっ、まだ話は……」
「なあに、次に必要になった時はまた逢えるさ。お兄さんはそれだけの価値があるイイ男だからねえ」
そして彼女は荷物を抱え、あっという間に暗がりへ紛れて消えてしまった。
一体、彼女は何者なのだろうか。自分は何と話していたのか。
そんな疑問を頭の中で反復しながら、エリックはしばしその場に立ち尽くしていた。