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 視界が激しく二転三転し、最後は馬車の外へ投げ出されたかと思えば、背中から着地したのは生暖かく柔らかい肉の上だった。背中を強かに打ち、衝撃が体を貫通し痛みが胸側に広がる。身をよじり激しく咳き込みながらも、歯を食いしばりどうにか体を起こす。そして、自分が幸運にも馬車馬の上に落下した事を知った。馬は既に死んでいたが、エリックはそのおかげで九死に一生を得たようだった。
 すぐ隣には壊れた馬車の残骸が転がっている。上を見上げると、それまで走っていた峠道が遥か頭上に見えた。あんなに高い所から落ちて良く無事で済んだものだ、そうエリックは自らの幸運に感謝する。
 馬の上から地面に立つと、激痛が右足首から頭の天辺まで走った。落ちた衝撃で足を痛めたようだが、立って歩くくらいは出来るため、少なくとも深刻な骨折までは至っていないようである。
「お役人さん、大丈夫ですか?」
 ふと聞こえて来た御者の声。見ると彼は、丁度馬車の残骸の下にうつ伏せの姿勢でいた。エリックはすぐさま足を引きずりながら近寄る。
「こっちは大丈夫です。そちらは?」
「すんません、足を挟まれちまって、動けねえようです」
「待って下さい。今、何とかどかしてみます」
 エリックはすぐさま残骸を除かせる棒の代わりになるものを探す。だが、これだけ馬車の残骸が散らばっているのに、丁度良い物がまるで見つからなかった。
「それにしても、一体何があったんでしょうか?」
「きっと落石ですわ。最近はずっと起こってなかったってのに。どうにもあたしらは運が無かったようで」
 珍しい落石事故に、たまたま巻き込まれてしまったというのか。
 ふとエリックは、自分が今回の仕事で回収した不幸の宝石を思い出す。まさかこれのために、自分達はこんな目に遭ったとでも言うのか。
「この辺りには丁度良い物が無いですね……。すみません、ちょっと近くから木の枝でも探してみます」
「お手数おかけしますねえ」
 エリックは付近の藪の中へと入っていく。木の枝はあちこちに落ちてはいるものの、あの残骸を除けるのにはそれなりの太さと強度が必要になってくる。そうなると、ただの枯れ枝ではどうにもならない。
 藪を進んでいく中、エリックは今の時刻が気になり始めた。既に夜が近く、辺りは目をこらさなければ見え難くなってきた。完全に日が落ちれば、それこそ一寸先も見えない暗闇に包まれるだろう。山の中でその状況はかなり危険だ。移動も出来なければ、野生動物に襲われる危険もある。麓の村には約束をしているため、こちらが予定通り来なければ不審に思い捜索を始めるだろう。それまでどうやって持ちこたえるかが勝負である。
「あれ? これは……」
 ふとエリックは、足元に見覚えのあるカバンが転がっているのを見つけた。それはエリックの出張用のカバンだった。どうやら事故の拍子に投げ出されたようである。
「こんな所まで飛ばされる勢いだったのか……。つくづく僕はついている。いや、ついてないからこんな目に遭ってあるのか」
 念のためカバンの中を調べると、回収した宝石はきちんと入っていた。これが諸悪の根元なのか、そう思いたくなる気持ちを抑え、何か御者を助けられるような物があるか漁ってみる。
 その時だった。
「おおい、ここだ! ここにいるよう!」
 突然、藪の向こう側から御者の大声が聞こえて来た。それはエリックを呼びつけるようなものではなく、他の誰かに対して自分の居場所を伝えているような口振りだった。
 まさか、既に捜索隊が来てくれたのだろうか?
 助かった。そう安堵の気持ちに胸をなで下ろし、エリックは早速馬車の方へ戻ろうとする。
 だが、
「え? な、なに、だ、誰だ!? ま、まさか、う、うわああああ!」
 助けを呼ぶ御者の声は、唐突に悲鳴に変わった。それも単なる悲鳴ではなく、まるで断末魔の叫びのように濁った声である。
 一体何があったのか。
 危険な野生動物、例えば狼や熊が出たというのか。しかし、獣に対して、誰だとは問い掛けたりはしないだろう。では、こんな山中に人がいるのか? いや、仮にいたとしてもその後の悲鳴は何なのか。明らかな怪我人を襲う正常な理由は思い当たらない。
 エリックは息を潜めて慎重に進んでいく。足音を藪の中では酷く困難だった。特に痛めている右足には絶えず激痛が走る。辛うじて差していた日の光も消え、自分のすぐ周囲を確認するだけでも目を凝らさなければならない。それでもエリックは自分の目で見ずにはいられなかった。そして心の中でそれがまともな存在ではない事を確信してしまっていた。
 落下地点の傍まで来ると、エリックは息を潜めたまま藪の中に身を隠す。そして良く目を凝らし、それが蠢いている所をじった見つめた。
 丁度、御者が倒れていた場所に何か黒い物が蠢いている。グチュグチュと湿った音を立てて、何かを咀嚼し飲み込んでいる。あの場所でこの音、エリックはそれが何をしているのかを想像もしたくなかった。
 あれは一体何なのか。明らかに影の形が何の獣とも結びつかない。ただ、ぼんやりとだが何か得体の知れない物がそこにいる事だけは確実だった。