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「はっ!?」
 腰が浮くほどの勢いでエリックの体が跳ね上がる。目の前にはこちらを覗き込んで来るマリオンの姿があった。自分の座る椅子の下からはゴロゴロと微かな振動がする。そしてすぐ横の窓からは心地良い風が入り込んでいた。
「あれ……? ここは」
「大丈夫ですか、エリック先輩? 何だか、凄くうなされてましたよ」
「夢……だったのか?」
「良く分からないですけど、うなされるくらい酷い夢だったみたいですね」
 今までの出来事は全て夢だったのか。そんな馬鹿げた言葉が脳裏を過る。そもそも自分はその夢からどうやって覚めようかと悪戦苦闘していたではなかったか。
 エリックは公用の馬車の中に居た。そして馬車に乗っている理由も少しずつ思い出して来る。これは近地への出張の帰りで、昨夜はほとんど寝ていなかったせいでついついうたた寝をしてしまっていたのだ。
 まだ寝ぼけてはっきりしていない頭のまま、エリックはおもむろに目の前のマリオンの手を取った。マリオンの手は温かく柔らかい。けれど手のひらには剣術の稽古で出来た豆が幾つかあった。その豆は流石に触るとガサガサしていて固い。いずれも、夢の中では一度も感じる事の無かったマリオンの感触である。
「そうか、夢だったんだな……」
 マリオンの手を触りながらしみじみと呟く。その時だった。「おい、エリック。続きは自分ちでやってくれよな」
 すぐ隣から聞こえて来たウォレンの声。エリックは再び腰が浮くほどの勢いで体が跳ね上がる。慌ててマリオンの手を離し隣を見ると、そこにはウォレンが苦笑いを浮かべており、更にその向かい側ではルーシーがさほど興味なさそうに頬杖をついている。
「あ、いや、その、これはちょっと」
 まだ頭が寝ぼけているから。そう必死で言い訳をしてもかえって見苦しいように思い、エリックはひとまず視線を窓の外へ移した。そして話題を変えて誤魔化しにかかる。
「それにしても、わざわざ四人で出張った割には大した事のない事件でしたね」
「幽霊が村中の人間を夜な夜な襲う、ってな。なんて事はねえ、単なる村の風習の悪用じゃねえか。まあ、事件には違いねーけどさ」
 しかしその事件は夜に起こるからこそ、エリック達は夜通しでの張り込みなどをせざるを得なかったのだ。苦労の割にオカルトでもなければ動機も矮小なもので、落胆の方が大きな結末だった。仕事の選り好みはしないが、やはりこれは初めから特務監査室向きの事件ではなかったのではないかと、つくづく思ってしまう。
 ウォレンと事件の愚痴をこぼしていると、ふとエリックはマリオンが私物の手帳に何か書き記している事に気付いた。
「あれ? さっきからずっと何を書いてるの?」
「これですか? これは夢日記ですよ」
 夢日記。昔どこかで聞いた事がある趣味の一つだ。自分の見た夢を記録するだけなのだが、エリックにはそれの何が趣味として楽しいのか理解がし難かった。
「あー、夢日記って良くないんだよー。夢日記をつけてると、現実と夢の見境がつかなくなって、精神的な疲労感が取れなくなるんだから」
 そう聞いてルーシーが口を挟む。すると、
「もちろん知ってますよ。だから私は、良い夢を見た時に特に良い所だけ書く事にしてるんです。それをいつか現実にしようって、自分のモチベーションにするんですよ」
 マリオンはにこやかに答える。つまり、今まさにその良い夢を見たから、手帳に書き留めているのだろうか。
「何か良い夢見たの?」
「うふふ、さっきうとうとしてた時に」
「ねえ、どんなのだった?」
「えー、恥ずかしいですよ。後で男性がいない時に」
 機嫌良さそうに答えるマリオンは、一瞬エリックに意味深な笑みを見せた。それはまるで、その良い夢にはエリックが関わっていたと言わんばかりである。
 そう言えば、今さっき自分が見ていた夢にはずっとマリオンが出ていた。自分は夢の世界だと気付き、夢から覚める事だけに一生懸命だったが、マリオンが見たのはそういった類いではなかったのだろう。
「おう、そうだ。俺もさっきうとうとしててさ。なんか夢見たなあ」
 ウォレンがしみじみとそう語り出す。
「いや、な。なんかどっかでスゲー格好いいブーツを見付けてさ。本当に夢じゃないかってくらい理想的なやつ。けど俺の足には小さ過ぎてさ。それでも諦めきれなくて、履けないと分かってるのに買っちまったんだよ。そしたらよ、朝登庁したらエリックがマリオンとイチャイチャしながら来たからさ。お、これは遂に卒業かって思って、記念にエリックにプレゼントしたんだよ」
「僕にブーツをですか?」
「もう、そこくらいしか思い出せねーけどさ。ま、夢なんてそんなもんだろ」
 エリックは再び自分が見ていた夢を思い返す。そう、自分がマリオンと執務室へ来た時、ウォレンが突然とブーツをプレゼントしてくれたのだ。
「あー、夢で思い出した!」
 ルーシーが声を上げる。
「私、夢の中でエリック君に凄い悪口言われた! 仕事してないだの、給料泥棒だの、無駄飯食らいだの! それに私のおやつも目の前で勝手に食べるし! 本当にエリック君にはガッカリ!」
「お前の夢の中の話じゃねーか。勝手にガッカリすんなよ」
 しかし、エリックはその言葉には身に覚えがある。あの繰り返す状況を何とか変えようとしていた時、試しにルーシーが怒りそうな事を言ったのだ。そしておやつを目の前で勝手に食べたのもその通りである。
 ウォレンとルーシー、二人が見た夢は完全にエリックが見た内容の一部と酷似している。それは本当に偶然の出来事なのだろうか。
「まさか、マリオンが見た夢って僕が出て来てたりする?」
「もう、やだエリック先輩。あんな事されたなんて、恥ずかしくて言えないですよ」
 マリオンは笑いながらお茶を濁す。けれどその反応からすると、間違い無く自分が関係する夢のようである。
 まさか四人が四人共、同じ夢を見ていたのだろうか?
 夢を共有する、という事は有り得ないと言われている。しかしその一方で、夢は何故見るのか、どういう生理的な反応で見るのか、夢についてほとんどが解明されていないのである。
 夢は自分の脳が見せているものではなく、別の何かの存在に見せられているものだとしたらこんな事も有り得るだろうが、それこそ目的が不可解である。
 個々人の生き方の暗示や警告、そういった意味合いをエリックは思考してみたものの、結論の出せる問題でもなく止めてしまった。それに、何か話していないとまた眠ってしまいそうで、再び三人が出て来る夢を立て続けに見るのはいささか辛かった。夢とは、あくまで儚い曖昧なものであるのが一番良い。