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 その日の朝の目覚めは、エリックにとって幾らか頭がぼんやりする目覚めだった。昨夜は眠りが浅かったのだろうか。そんな事を考えながら、ベッドから体を起こす。しかしその直後、エリックは自分の置かれた状況と目の前の光景に唖然とする。
「えっ!? な、なんで!?」
 思わず上擦った声を上げるエリック。エリックの隣には、明らかに裸でいるマリオンが眠っていたからだ。
 すぐさま昨夜の出来事を思い出そうとする。しかし、どれだけ必死に考えようとしても頭が回らず、自宅へどうやって帰ってきたのかさえ思い出せなかった。外でお酒を飲む事はあっても、泥酔するまで飲むことはない。ましてや記憶を無くす事などこれまで一度としてなかった。しかしこの状況は、どう見積もっても泥酔した勢いで一線を越えたようにしか思えない。
 状況が理解出来ずあたふたしていると、やがてマリオンが目を覚ましゆっくり体を起こした。
「うふふ、おはようございます、エリック先輩」
「あ、ああ、おはよう」
 エリックは咄嗟に視線を裸のマリオンから外して挨拶を返す。マリオンの反応は自分とは違い、この状況を予め知っている風だった。マリオンは自分の意志で昨夜はここに泊まり、こうしているという事である。
「どうしたんですか?」
「いや、その、服を先に着ようよ」
「変な先輩。もう見慣れてるくせに。でも、そういう真面目な所も好き」
 クスクス笑いながらマリオンは背中に抱き付いて来る。そもそもこういった状況に縁も耐性も無いエリックは、たちまち顔を赤くし背筋を硬直させる。けれど、理性的になれない男の性が背中の感触を少しでもはっきり味わおうとする。
 そこで、エリックは違和感を覚える。
 マリオンは明らかに裸で自分の背中に抱きついている。にもかかわらず、体温や体のおうとつがまるで感じられなかったのだ。まるで大きな枕がもたれ掛かっているような感触である。
 その違和感がエリックを急速的に冷静にさせる。マリオンの今のセリフもおかしかった。まるで何度もうちに泊まりに来ては同衾しているような話し方だったが、エリックには全くその覚えが無い。ましてや誰かと勘違いしている訳でも無い。
「朝ご飯にしましょ。今日もお仕事ですからね」
 そう言ってマリオンはベッドから這い出てエリックの横を通り過ぎる。そしてその直後だった。いつの間にかエリックは見慣れた道路を歩いていた。服装は寝間着から仕事着になり、右手にはカバン、左腕には同じく着替えたマリオンが腕を絡めている。そしてやはり、左腕にくっついているはずのマリオンの感触は、大きな枕のような味気ない柔らかさである。
 そのまましばし歩いていると、再び場面が転換する。今度は執務室の中で、ウォレンとルーシーがいつものように寛いでいた。何となくエリックは普段通り自分の席に着くが、この唐突な展開について自分以外誰も疑問を持っていない素振りである。
 あまりに唐突で、前触れも整合性も無い場面の転換。ここでエリックは自分の推測に確信を得る。今自分が見ているこれは、紛れもなく夢である。夢だからこそ有り得ない生活の一部分が捏造され誇張されている。唐突な場所の転換も夢なら有り得るし、マリオンの体から体温や感触を感じないのも、自分が実際のそれを知らないからだ。
 夢の中で自分が夢を見ていると自覚することは、実際に起こり得る出来事だと聞いたことがある。それが何故自分の身に起こったかは分からないが、そもそもはっきりとした理屈で起こる事ではないのだろう。
「あ、そろそろ時間だ。それじゃねー。お疲れー」
 そんな事を言いながら帰り支度を済ませて帰るルーシー。まだ始業したばかりでは、と思いながら外を見ると、いつの間にか外は真っ暗になっていた。そしてウォレンの姿は無く、執務室には自分とマリオンだけが残っている。
「私達も帰りましょうか」
「そうだね。戸締まりをしよう」
 そんな事を言いながら実際は戸締まりなどせず、そして場面が自宅へ転換する。マリオンは当然のように部屋にいて、ソファに座りニコニコしている。エリックは吸い寄せられるようにその隣に座ると、マリオンが甘えながらしなだれかかる。何か甘い会話を交わすが、その内容は自分が話しているにもかかわらず理解が出来ない。しかしこの雰囲気はまるで恋人同士のようだ、そうエリックは漠然と思う。夢は自分の欲求を映す事もあるというが、自分はこういう事を望んでいるのだろうか。これまでマリオンを仲の良い後輩ぐらいにしか思っていなかったが、この状況になって強烈に異性として意識するようになってしまった。これまで勉強ばかりの人生だったエリックには、夢と分かっていてもあまりに刺激が強過ぎた。
 そして再び場面が転換する。
 目が覚めると、やはりベッドには裸のマリオンがいる。そしてまた同じように恋人のような会話をし、腕を組んだまま外を歩き、執務室へやってくる。二人の姿を見てもウォレンやルーシーは見慣れた日常のように無反応で、間もなく日が落ちて、場面は自宅へと変わっていく。
 何度も同じような日々をひたすら繰り返している。エリックはこれを夢と自覚しているが、この流れに逆らうような動きがどうしても出来なかった。おそらく現実の自分が感じているであろう、眠りの底へどこまでも落ちていくような感覚が首筋の奥にある。底から這い上がれなければ現実の自分は目が覚めないのだと推測するが、エリックにはどうしてもそれが出来なかった。
 決して不快でも悪夢でもない世界。しかしエリックは、ここに浸る事に言い知れぬ危機感のようなものを覚えてならなかった。