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「いらっしゃいませ」
おとずれたハイラムの屋敷では、初老の執事が恭しく出迎えた。
「旦那様より全て伺っております。どうぞ、こちらへ。お嬢様がお待ちです」
執事の案内で、一階奥の応接室へと通される。ハイラムの屋敷は今日のために人が出払っているらしく、使用人の姿が無く静まり返っている。今日屋敷に居るのは執事とハイラムの娘くらいなのだろう。それはおそらく、ハイラムが件の縫いぐるみの影響を懸念しているからなのかも知れない。
通された応接室は、日当たりも良く明るい部屋だった。その部屋の大きなソファーに一人の少女が礼儀正しい姿勢で座っている。彼女の膝の上には熊の縫いぐるみがあった。これが今回の焦点であるオズボーンなのだろう。
「お嬢様、お連れいたしました」
「ご苦労様。この方達が、えーと、アンティークの研究をしている?」
「左様です」
たどたどしい話し方と、見知らぬ大人達に好奇心の視線を向ける仕草は、大人びているようで年相応の幼さがある。しかしながら、対応は慎重にしなければならないという緊張感があった。ハイラムの話では、ハイラムの妻がオズボーンを彼女から取り上げたために事故に遭って大怪我をしたからだ。こちらのどんな対応が同じ現象を引き起こすのか分からないのである。
「初めまして、ステファニーです。ステフと呼んで下さい。こっちがオズボーンです」
「初めまして。聖都アンティーク研究会会長のエリックです。今日はよろしくお願いしますね」
丁寧な挨拶をするステフに、エリックも同じように挨拶を返す。この歳での礼儀の正しさから、随分しっかりとした躾がされているのだろうと感じる。だがオズボーンを手放さない辺りがまだ幼さの残る部分である。
「それでは、早速なのですが……。そちらのオズボーン君、何でもたいそう珍しい一点物だそうで。我々としては是非とも現物を直に拝見したいと思いまして」
「大人なのに、縫いぐるみが好きなの?」
「ええ、もちろん。大人でも縫いぐるみの良さが分かるのが我々アンティーク研究会ですから」
「変なのー。でも、ちょっとくらいならいいよ」
「ありがとうございますね。手短に確認しますので」
そしてエリックは、ステファニーがそっと差し出してきたオズボーンを恭しく手に取る。
これが、呪いの縫いぐるみか。エリックは半信半疑ではあったが、これまでも似たような物を何度か扱って来た事もあり、全くのでたらめとは思っていなかった。それよりも気になるのは、これに本当に人間に重傷を負わせられるのか、という事の大きさだ。もしも事実ならば、危険な物品を隔離する専用施設へ直ちに収納しなければならない。
「へー、なるほど。ふむふむ」
エリックは、なるべく丁寧にオズボーンの体を眺める。しかしエリックには縫いぐるみの良し悪しなどほとんど分からなかった。アンティークの一点物なら途轍もない高額になるという話くらいは知っているが、他と何がどう違うのかまでは全く見分けが付かない。
「私にも見せて下さいよ」
その時、横からルーシーが声をかけてきた。四人の中でこういった曰く付きの物に一番詳しいのがルーシーである。エリックはルーシーへそっとオズボーンを差し出す。しかし、
「こういうのはまず、お尻の部分を見るもんですよー」
ルーシーはオズボーンを手に取るや否や、くるりとひっくり返し逆さ吊りにするような持ち方をする。縫いぐるみのお尻の辺りを何か確かめようと言うのだが、それについてステファニーが声を上げる。
「あ! そんな持ち方したら駄目だよ!」
乱暴な持ち方をするな、というステファニーの抗議。そしてその直後だった。
「うっ!」
突然ルーシーは体を一度大きく震わせると、オズボーンを隣のウォレンへ渡す。
「ごめんなさい、ちょっと御手洗いを貸して下さいね」
そう告げて一礼する。そして部屋を出る前に、すれ違い様にエリックの耳元にそっと囁いた。
「もう分かったから。後は適当に流して帰るよ」
ルーシーは口元を押さえながら飛び出すような勢いで部屋を出て行く。エリックはその姿を怪訝な表情で見送った。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「あー、きっとお腹が痛くなったんだよ。あのお姉ちゃん、お菓子ばかり食べてるからね」
「そうなんだー。私もあまりお菓子ばかり食べちゃいけないって言われてるの。ああなっちゃうからなんだね」
ステファニーは特に疑う事も無くにこやかな表情を浮かべる。
ルーシーに突然何が起こったのか。まさか早速オズボーンの呪いを受けたのか。気にはなるもののこの場を放り出す訳にもいかず、エリック達は再びオズボーンの検証を続ける。
「お尻を見るのは間違いだな。こういうのはここ、首の後ろだ」
したり顔で語るのはウォレンだった。ウォレンはオズボーンを意外なほど丁寧に持ちながら、背中側を皆へ向ける。
「オズボーンの首のとこに、何か刺繍が入ってるの。これなあに?」
「これは、製作者か製作工房の意匠だ。俺が作りましたという証明になんのさ。縫いぐるみは一般的に文字を縫い込むのは野暮と言われてるから、代わりにこういうマークをつけるのさ」
「へーそうなんだ! それでこのマークはどこの人なの?」
「うーん、ちょっとこれは知らねえなあ。多分あんまり数を作らない有名じゃない奴だな。でも作りは良いから、きっと知っている人にしか売らなかったんだろ」
ウォレンがあれこれと縫いぐるみについて語り、ステファニーは感心した面持ちでそれに聞き入っている。ウォレンが子供相手にちゃんと会話出来る事も意外だが、縫いぐるみの知識を持ち合わせていることにもエリックは驚いた。そういった物と縁は無さそうに見えるのだが。
「ウォレンさんって随分詳しいですね。意外と可愛い物好きなんですか?」
傍らでマリオンも不思議そうに耳打ちする。
「いや、そんな事は無いと思ってたけど……案外そうなのかな?」