雨夜の月第二部

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　無数の警察官が包囲するのは、聖都でも有数の大きな屋敷の中庭だった。ぐるりと屋敷を取り囲む物々しい姿は、屋敷の外の高い塀に阻まれて近所からは見ることが出来ない。その不自然な包囲は特務監査室の指示ではなく、屋敷の主によるものだった。
　三人が現場に到着し、すぐさま現場指揮者の下へ向かう。そこには事態の深刻さに眉間に皺を刻んだ刑事と、この事態の原因を作った張本人である屋敷の主が蒼白の顔で佇んでいた。
「特務監査室です。状況は？」
「先程、突入部隊が正面と裏口から突入していきました。それから連絡はまだ来ていませんので、もしかすると状況は良くないのかも知れません」
「我々が来るまで待機、という事になっていたと思いましたが」
「すみません。突入した部隊は所轄警察ではなく、警察庁からの本隊でして。私には命令する権限がないのと、特務監査室の事をご存知無いようで」
　なるほど、とエリックは肩を落としながら溜め息をつく。あれの性質を良く知らなければ余計な犠牲者を生むだけなのだが、警察庁ではまだそれらの認識は薄いようである。
「もしくは、知ってた上で何とかなると思ったんだろうな。ま、そりゃどっちでもいいさ。ただ、俺らは援護も何もしない、俺らのやり方で片付けるだけだ。そこに異論は無いよな？」
　そう訊ねるウォレンに、刑事は目を伏せがちにこくりと頷く。
「よし。じゃあ次は」
　おもむろに屋敷の主の下へウォレンは歩み寄ると、乱暴に彼の胸元を掴み力任せに体を吊し上げた。
「グラスグリスの社長さんよお。俺ら口すっぱくして言ったよな？　こういう物に二度と手を出すなって。いい加減、マジでお前痛い目見せるぞ」
　本気とも取られかねない殺意をぶつけられ、男は蒼白の顔に脂汗をだらだらと流し、そして視線をエリックの方へ向ける。助けを求める必死の表情、しかしエリックは彼の予想に反しては酷く冷め切った無表情だった。
「まあ、いつもは止めるんですけどね。流石に今年で三回目でしょう？　僕だって堪忍袋の緒が切れる事だってあるんですよ」
「そ、そこを何とか！　本当にもうしませんから！　どうか、倅を助けてやって下さい！」
「助けますよ。仕事ですから。けど、あなたの息子さんはもう諦めて下さい。少なくとも、事情を知らない突入部隊に犯行を目撃されては無罪で済ませる事は不可能です」
「そんな！　私は知らなかったんですよ！　まさか本物だったなんて！」
「そう法廷で主張しますか？　別に止めはしませんよ。検察は容赦なく物証を提出するでしょうけど」
　自分の妄言とも取られかねない主張で、栽培を戦い無罪を勝ち取るなど不可能である。ましてやこの事件が明るみに出る事で、例え無罪になろうと息子の社会的信用は地に落ちるだろう。それら回避の出来ない末路を察した男は、呻き声を上げながら絶望の色を浮かべた。ウォレンは男を乱雑に離すと、力無くうずくまる姿を苦々しく見下ろした。
「全部、お前のせいだからな。命だけは助けてやるが、後は知らねえ。息子に洗いざらい事情を打ち明けて、許しでも乞うんだな」
　そして突き放すように三人は踵を返した。
「では、我々も中に入りますので」
「分かりました。あの、見取り図はこちらに」
「いえ、結構です。もうここは何度も出入りしてますので」
　そうですか、と現場指揮者は答える。そして遠慮がちに質問を投げかけて来た。
「あの、先程は少々辛辣過ぎでは？」
　視線が未だに立ち上がれないでいる男と行ったり来たりする。するとエリックはきわめて無表情のまま、彼の質問に淡々と答えた。
「彼は主犯でありながら、決して法で裁かれません。もう何度も警告してきたのに、それでもまたこういう事件を起こしました。反省もせず再犯を繰り返すような人間に、我々も、寛容にはなれませんから」
　そして、失礼、と一言言い残し、エリックを先頭に三人はその場を後にした。
　屋敷は広く、正門以外にも通用口や勝手口が数多くある。三人が向かったのは、今回事件が発生したコレクション室に最も近い本館奥の勝手口だった。三人は慣れた様子で勝手口から屋敷の中へ入り、真っ直ぐ目的のコレクション室へ向かう。屋敷の中は既に避難が終わっているため、三人の足音がやけに高く響き渡るほど静まり返っていた。同じ建物内で今まさに血みどろの捕物が行われているとはとても思えないが、それを想像しても何一つ緊張をしない自分に、エリックは随分とこういった状況に慣れ親しんでしまったものだと自虐的に思った。
「ホント、あのバカ社長。いつまで経ってもちっとも学習しないんだから。とうとう家族まで巻き込まれちゃって。で、どうするの？　息子の方は割とまともだって話だけど」
　珍しく不機嫌そうに毒づくルーシー。普段はのんびりとした言動が目立つ彼女だが、今回ばかりは他の二人同様腹に据えかねるものがあるようである。
「だけども何も、突入部隊とかち合ってる時点でアウトだろ。とっくに傷害ついてんのに、公務執行妨害の現行犯だぞ。その上武装までしてんだろ。うちは罪状の揉み消しなんかやってねえよ。事件をなるべく自然に風化させるのが仕事だ」
「最大限、譲歩して。僕らが目撃した範囲での違法行為は目をつぶってやるくらいですね。そのためには、やはり速やかな事態の収束が必要です」
「ま、そこが妥当かあ。とりあえず、今回もしっかり指示出し頼むわよ、室長補佐くーん」
「おう、頼りにしてんぜ室長補佐さんよぉ」
「……そこはいつも通りにして下さいよ」