BACK
囚人番号M20715は、久し振りに呼ばれる自分の本名に戸惑いを覚える。そして更に狼狽させたのは、背中側の男がロイド・ウェイクマンと名乗った事だ。
まず最初に囚人番号M20715は、ムーン・ダイヤに突然と収監され居なくなったあの囚人番号L00012の事を思い出す。しかし彼は、自分はムーン・ダイヤの運営会社の人間でありロイド・ウェイクマン本人ではないと打ち明けた。背中側の男はその彼かと思ったが、声は明らかに違う。ならば、一体どこの誰なのか。その疑問はすぐに答えが浮かんだ。この男こそがロイド・ウェイクマン本人であり、今まさに積年の恨みを込め自分に引き金を引いたのだ。
「あんた……本当に本物のロイドさんなのか……?」
「ああ、そうだよ。お前のとこに行った偽者じゃない。正真正銘、ロイド・ウェイクマンだ」
彼は自分の偽者がムーン・ダイヤへ送り込まれた事を知っている。それは、運営会社の社員が名前を借りる際に直接同意を取りに行っているからだ。
「ま、待ってくれ! 確かにあんたは俺の事が殺したいほど憎いだろうさ。俺が死刑にならず無期懲役だった事が不満だって話もどこかで聞いた。でも俺だって、好きで無期懲役になった訳じゃない。てっきり死刑か終身刑になるもんだって思ってたんだ。俺が死刑じゃないのが気に入らないのは、何も俺のせいじゃないだろ。悪いのは判事じゃあないのか!」
「お前があのまま月で死ねば、俺だってこんな事はしない。お前が死刑じゃないのを辛うじて許せたのは、お前が月に収監されたからだ。それなのにお前は、よりによって仮釈放を申請しただろ! おめおめと生き長らえた挙げ句、また地球に戻って来やがって! 俺はお前のその図々しさが許せないんだ!」
怒りに震えるロイドの声。囚人番号M20715は、人に敵意を向けられる事などさほど気にもしない性分だった。けれどこの状況では、彼の敵意と感情の起伏には慎重にならないといけないと焦っていた。今この場で最も力を持つのは、銃を持ったロイドなのだ。
「か、仮釈放はちゃんと法で定められた正当な権利のはずだ! いや、そもそも俺の仮釈放にはあんたの許可がいるんじゃないのか? あんたが許可してくれたから、俺はこうしてここに来られたんだ。俺だってあんたの許しがなきゃ、大人しく獄中に居たさ。尚更、今になって俺にこんな事をするのはおかしいだろ? な?」
仮釈放には、囚人の更正した態度が認められること、法務省の許可の他、被害者遺族の許可が必要になる。囚人番号M20715の仮釈放が長年認められていなかったのは、遺族の許可が無かったからだ。
「ああ、そうさ。確かに俺は、お前の仮釈放を認める書類にサインしたよ」
「そうだろ? だったら」
「俺がどうやって書かされたか、お前知ってるか?」
ロイドは尚も怒りで震える声で語り出す。
「今はな、何でもかんでも人権と平等の社会なんだよ。確かにどちらも大切な事さ。けどな、お前らのようなどうしようもない屑にすら過剰に要求する連中がいるんだよ。何も知らない部外者の癖にな! どこから嗅ぎ付けたかは知らないが、俺がお前の仮釈放を拒否し続けてる事を知って、集団で抗議するんだよ。お前とは縁もゆかりもないばかりか、何をやって捕まったのかも知らないクセに! 家に押し掛けてくるだけならまだいいさ。あいつらは職場や友人の所にまで押し掛けてきやがる。しかも政府公認の非営利組織だからと、何をやっても警察は取り締まれない! 四六時中そんな奴らに喚き立てられ、会社や友人にまでサインしろと言われた俺の気持ちが分かるか!? 俺ばかりか死んだ妹まで口汚く罵るような連中の言うことに従わなきゃならない俺の気持ちが!」
それは嗚咽の混じったあまりに悲痛な語りだった。理不尽に対する怒りと、部外者の一方的で無責任な要求に応えざるを得ない屈辱が凝縮された声である。
囚人番号M20715は更に焦る。ロイドの怒りの理由は妹の事だけではなく、屈辱的なサインをさせたそもそもの原因である仮釈放申請にもあるからだ。
「お前の仮釈放を取り消させる事が出来るかも知れないって聞いて、俺は二つ返事で名義貸しを承諾したさ。経歴に収監された記録が残るけどな、お前が出て来れなくなるなら一向に構わないんだ。結局うまくはいかなかったが、その埋め合わせにこの場所を教えて貰ったんだ。後は俺の判断に任せるってな」
拳銃のハンマーを起こす音が聞こえ、銃口が囚人番号M20715の後頭部へぐりっと押し付けられる。絶対に外す事の無い至近距離である。ここからなら素人どころか子供ですら人を殺せる。
「や、やめてくれ! 頼む! この通りだから! 俺はきちんと罪を償って改心したんだ!」
「改心……? お前がか?」
「そうだ! 俺がムーン・ダイヤで二十年以上も模範囚でいたのは知ってるか? 俺はもう昔のような無責任で社会に迷惑を掛ける屑じゃない! あんたの妹にだって、勝手な話だが、いつも悔やみと祈りを捧げているんだ!」
囚人番号M20715はロイドに向かって必死に訴える。少しでも彼の胸を打つものがあれば、ほんの僅かでも生存の確率が上がれば。そんな僅かな願いから来る言葉だったが、虚しくも聞こえてきたのは怒りに満ちた歯ぎしりだった。