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談話室で囚人番号L00012を待つ囚人番号M20715にとって、これほど時間の経過を遅く感じる事はなかった。それは単純に、この談話室には自分以外の囚人が何人もいるのと、その彼らが自分に注目し何事か仕掛ける機会を見計らっている事を考えると、とても気が気でないからだ。最近では、不特定多数の囚人達の的にかけられている状況を受け入れる腹を決めているため、不思議と落ち着く事が出来ていた。それを度胸がついたのだと囚人番号M20715は解釈していたが、実際は分かる事と分からない事の差でしかない。囚人番号M20715は、囚人番号L00012の思惑が分からず、不安でいてもたってもいられなくなっていた。
せめて表にはその不安感を出すまいと、囚人番号M20715は必死で自分を抑えていた。そんな事を数分も続けていた時だった。不意に囚人番号L00012は談話室へ入って来ると、非常に落ち着いた様子で室内をぐるりと見渡し、囚人番号M20715の姿を見つけ歩み寄ってきた。
「待たせたな」
「あ、ああ……」
遂に囚人番号L00012がやってきた。そう思うや囚人番号M20715の緊張は頂点に達した。それは、囚人番号M20715はまだ若かった時分に生まれて初めて人を殴った後のそれに似ていた。ただし、あの時は得も知れぬ快感があったが、今はただひたすら不透明な不安感しかない。そのため表情は硬く緊張感が露わになったものだった。
「なるべく分かりやすく説明はするが、お前にとっては理解し難い事は多いだろう。そこだけはあらかじめ承知しておいてくれ」
「説明? やっぱり俺は、何かハメられてるのか試されているのか?」
「それに近い状況だった、というのが正確なところだろうな」
囚人番号L00012が唐突に切り出してきた話は、囚人番号M20715にとって既に不可解なものでしかなかった。そして囚人番号L00012の口調が以前とはがらりと変わっている事に気付いたが、それについてはさほど驚きはしなかった。あれは自分と接触するための演技なのだろうと、すぐに想像が及んだからだ。
「まず言っておきたいのは、俺はロイド・ウェイクマンではない。このムーン・ダイヤの運営会社に所属する一社員だ」
「……偽者? いや、ちょっと待て。社員が被害者遺族を騙ったのか?」
「そういう事になる。ちなみに、ロイド・ウェイクマン本人からの承諾は得ている。騙る理由や目的について、きちんと説明をした上でだ」
「それだ。一体何が目的なんだ? 俺の、その、あれはそもそも嘘なのか?」
「いや、あれについては事実だ。法務省が正式に認めていて、今は発効待ちといったところか。それについてだが、俺はそもそもそれを妨害するために送り込まれた者だ」
妨害するため。つまり運営会社が一囚人でしかない自分の仮釈放を阻止するために妨害工作を企てたという事だ。
「何のためにそんな事を? 誰か俺に恨みでもあるやつが居たのか? 今更だとは思うが」
「いや、純粋にビジネスの話だ。今うちの会社には、大まかに言うと、本来の刑務所としての機能を果たそうという派閥と、利益優先の派閥がある。俺は利益優先の方の派閥から送り込まれた社員だ」
「どうしてこんなことが利益になるんだ?」
「単純に労働力と人件費の問題だ。ムーン・ダイヤの刑務作業は、普通なら重機でも使った方が早い作業が大半だ。けれど、月面に重機を運び保守メンテナンスするには莫大な費用がかかる。ならば囚人にやらせた方が遥かに安く上がる」
「要するに、機械より囚人のが安く使えるって話だろ」
「しかし、それは良くない事だと考える人間もいる。刑務所とは本来囚人の更正を目的とする施設だ。にもかかわらず、開業以来一人としてその実績が無いのは問題だ、という論調だ。幾らここが重犯罪者ばかり集められているとは言え、更正の実績が無ければ奴隷にタダ働きをさせる収容所と同じだと、そう考える人間が増えてきている」
ムーン・ダイヤに限った話ではないが、囚人達は受刑する事を罰として認識しているが、更正のためという意識は無い場合が多い。文字通りただの罰なら終わるのをじっと耐えて待つだけで、犯罪に対する罪悪感や忌避感は一切無い。それは囚人番号M20715自身とて同じ事だった。罰を早く切り上げたい、それが彼の行動原理である。
「人権団体やリベラルな政治家など、しつこいくらい更正第一だと騒ぎ立てる時勢だ。うちの会社も民営の刑務所で多大な利益をあげているため、随分と叩かれている。だったら一人くらい実績を上げてもいいじゃないか、という話で進んでいたんだが。そこに待ったをかけたのが、件の利益優先派だ。お前のような前例を作りたくない、一度作ってしまえばそれを真似して続々と同じような囚人が出現する、と危惧している。だが、法で定められた事をひっくり返すのはリスクを伴う。そこで俺が送り込まれた。お前を自滅させるのが命令だった」
だから月の石がどうとか、危険な橋を渡らせようとしていたのか。仮釈放の噂を広めたのも同じ理由だろう。他の囚人と揉め事を起こせば、それこそ仮釈放を取り消す良い理由になるのだから。
自分が長年努力し続けて来た仮釈放が、こんな事態とぶつかっていたとは。囚人番号M20715は、ただただ驚くばかりだった。偶然とは言え、自分は仮釈放を通して世間に少なくない影響を及ぼしていた。それを思うと、無性に気分が良くなった。
「それで、ここに戻ってきたという事は、それをまだ続けるのか?」
「いや、戻ってきたのは単なる後片付けだ。お前のこの件はもう仕舞いだ。会社の一連の動きがどこからかリークされ、今は利益優先派が矢面に立たされている。俺が一時ここを離れたのも、経緯を明らかにするための公聴会に喚ばれたためだ。だから俺もこれ以上の事は出来ない。今後お前に規則違反など誘発させでもしたら、今度は俺自身が本当に収監されてしまう。後はお前は、法に従って時期を待っていればいいさ」