ムーン・ダイヤ

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　拾った月の石を囚人番号L00012へ確実に渡す手順を確立するまでは、迂闊な行動を取る事は出来ない。そう考える囚人番号M20715は、拾った石を刑務作業の準備部屋の片隅にそっと隠した。このエリアの清掃は自分自身で行うのが規則であるため、他の囚人に見付かる危険は無いのだ。
　囚人番号M20715はそれから通常の生活を送りつつ、密かに更正システムの隙を探すようになった。それは囚人番号M20715にとって、このムーン・ダイヤに収監されて以来初めての事だった。
　元々善良さとはかけ離れた気性の彼だが、収監された当日に囚人が犯した些細な違反に対して様々な根拠を提示し罰を与える更正システムの徹底ぶりを目の当たりにし、このシステムの穴を探るのは労力の無駄と早々に諦めてしまったのだ。それから彼は正規の手順で仮釈放を得るのが一番の近道であると考え、今日まで模範囚としての生活を送ってきたのだった。
　更正システムにどう接すれば模範囚として評価されるのか、その事について囚人番号M20715はムーン・ダイヤの中で一番理解していた。全ては情報であり、起こった事と更正システムの判断は全て記憶している。そこから、何が評価されるのかを割り出し、それをずっと実践してきた。囚人番号M20715はあまり理知的な人間ではなかったが、仮釈放という目的のためには普段よりも高い集中力を発揮した。そして彼の推論は概ね正しく、実際にこうして模範囚という評価を更正システムから受けている。だから自分は本気になれば更正システムの穴は必ず見付けられる、そう囚人番号M20715はやや自惚れた考えをしていた。
　更正システムの観察を始めてから数日が経った。しかし囚人番号M20715は、更正システムの目を逃れるという方法を見付けるどころか見当もついていなかった。自分の評価を落としたくないという姿勢もあるため、今一歩踏み込んだ検証も出来ていない。評価に関わる危険な域まで近付くと、必ず仮釈放の事が頭を過ぎり、彼に検証を思い留まらせるからだ。囚人番号M20715にとって一番大事なのは自分の仮釈放であり、囚人番号L00012のためにそこまで危険な橋を渡る理由が無いのだ。
　囚人番号L00012との約束から大分日数が経過している事もあって、囚人番号M20715は毎日の自由時間には囚人番号L00012の姿を探し始めるようになった。しかし、どういう訳か何日経っても彼は談話室に姿を表さなかった。何か理由があって談話室に来ないのかと考えたが、良く思い出してみれば、ここ数日間に囚人番号L00012の姿は自由時間に限らずムーン・ダイヤのどこでも見ていなかったように思う。房も近くは無く刑務作業も全く異なる場所であるため普段の接点は無いにしろ、これは流石に異常ではないだろうか。そう疑問に思う囚人番号M20715だが、今よりも積極的に囚人番号L00012を探す事は出来なかった。更正システムに居場所を訊ねた所で回答を得られるはずもなく、むしろ自身の評価に影響を及ぼしかねない。無関係なところを歩き回れば、それは尚更だ。
　ならば、偶然遭遇するのを待つ他無い。姿が見つからなくとも、囚人番号L00012は少なくともムーン・ダイヤのどこかには居るのは間違いないはずなのだ。囚人番号L00012がこちらとの接触を避けようとでもしない限り、すれ違い続ける事はあり得ないのだ。
　囚人番号M20715の生活は、更正システムの挙動だけでなく囚人番号L00012の姿も追うようになった。見る者によれば、それは時折ぼんやりとして集中力を欠いているように見受けられる姿だった。しかし、特に親しい囚人もいなければ無理にコミュニケーションを取ろうとしなかった囚人番号M20715には忠告してくれる者がいなかった。まだ最優先されているのが更正システムからの評価であるため、行動そのものが破綻している訳ではない。だが、彼の行動が何かしら変わったと感じている囚人は決して少なくはなかった。
　一部から訝しがられている事も知らず、囚人番号M20715はきょろきょろと時折不審な行動を見せながら日々を送る。そして少しずつだが異変を感じ始めていた。更正システムの穴が見つからないのは、単純に自分の観察力不足か更正システムの完成度が高いからだと納得は出来る。しかし囚人番号L00012の姿が見つからない事は明らかにおかしい事だ。いくら接点が無いにしても、最低でも毎日三度の食事の際には必ず同じホールへ集まる。そこですらも遠目にも全く姿を見る事はなかったのだ。他の囚人はおそらく囚人番号L00012にそこまで興味は無いため、彼の姿が消えている事に疑問は持たないだろう。説明をした所で理解も得られそうにない。けれど囚人番号M20715は、この異変は偶然や自分だけの思い込みではなく、実際に起こっている事だとほぼ確信を持ち始めていた。現状はあまりに囚人番号L00012の姿を見かけ無さ過ぎる。これはまさか、手段は分からないが、実のところ囚人番号L00012はこのムーン・ダイヤにはもう居ないのではないだろうか。