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 囚人番号L00012の意外にもあっさりとした返答に、囚人番号M20715は肩透かしを食った気分だった。自らが囚人となってまでムーン・ダイヤへ乗り込むくらいだから、よほど恨みを煮えたぎらせていると想像していたのだが。
 彼がどういった心境なのかは分からないが、それについてとやかく言うつもりは毛頭ない。下手に好奇心で問いただし墓穴を掘るよりも、従順な態度を示すべきだ。従順さはこの二十年あまり嫌というほど繰り返している。今更一人二人の思惑に合わせるなど、囚人番号M20715には造作もない事だ。
「ああ、これまでも、これから先も、俺はあんたの妹さんの事を悔いながら生きていくさ」
「繰り返す必要はない。反省に偽りがなければ、それで十分だ」
 こうもあっさりしていると、囚人番号M20715の胸中には彼に対する罪悪感が多少なりとも湧いてきた。こんな形ばかりの謝罪を受けて納得するようなお人好し、それを騙して実利を取る事が汚い行為に思えた。けれど、僅かな申し訳無さで本当の意味での反省が出来るはずもなく、被害者を偲ぶ事も出来ない。これが自分の生まれ持った気質なのだと、囚人番号M20715は自分を分析し理解していた。そしてその気質を変えるつもりもなかった。世間一般で正直者や善人と呼ばれるような人間がいかに割に合わないかを知っているつもりだからだ。現に今、眼の前に居る囚人番号L00012は口先だけの謝罪を真に受けて満足をしている。もし自分が今の彼の立場なら、もっと弱みに付け込んで無茶な要求を突きつけるだろう。
 そしてその日の自由時間が終わり、囚人番号L00012ともそれ以上言葉を交わす事はなく別れた。囚人番号M20715は更生システムの指示に従い、他の囚人達同様に自室へ真っ直ぐ向かう。そして速やかに就寝の準備を済ませ、更生システムの指示と同時に床へついた。
 ベッドの中で囚人番号M20715は、自由時間の囚人番号L00012との会話を思い出した。被害者遺族である彼が、まさか自分と同じ重犯罪者となってムーン・ダイヤにまで直接会いに来るとは、未だに信じられない。それほど憎まれていたのかと思えば、謝罪と反省の言葉だけで納得してしまう呆気なさである。情熱と目的のギャップが凄まじい、そう言わざるを得ないだろう。それとも、善良な人間とはそもそもそういったもので、自分のような人種には理解が及ばないのかも知れない。何はともあれ、こんな予想外の事態に一時はどうなることかと不安だったが、これなら仮釈放が正式に降りる日まで無難な関係で済ませられるだろう。
 そう安堵する囚人番号M20715だったが、ふと囚人番号L00012について幾つかの疑問を思い出した。彼は一体どのような罪を犯してここに収監されたのか、そもそも何故彼の罪状や刑期が明示されていないのか。未だにそれらがはっきりしていない。しかも、更生システムが彼に限り規則違反を見逃しているという件もある。これは流石に特別待遇などという安易な言葉で片付けられるものではない。
 普通に考えてこのような待遇は、ムーン・ダイヤの運営側に協力者がいる事を疑うべきである。どういう理由で協力したのかは分からないが、運営ならば例外的な設定を施す事は可能だろう。ただ、もしもそれが事実だった場合、囚人番号L00012はあの程度の事のためにこんな手の込んだお膳立てをした事になる。それはやはり、あまりに手間に対する目的が小さ過ぎる。
 このまま仮釈放が正式に降りるまで持てば自分はここから出られる。そうなれば囚人番号L00012と顔を合わせる事も無くなるのだから、それほど深く気にする必要は無いのかも知れない。そう囚人番号M20715は考える。彼はどんな罪状か知らないが、ムーン・ダイヤから出るのは並大抵のことではない。自分も二十年以上かかったのだから、おそらく生きている間に再会する事はまずないだろう。
 差し迫った危険は無いと判断した囚人番号M20715は、それきり囚人番号L00012の事を考えるのはすっぱりと止めてしまった。そしてまたいつものように、日々規則に忠実な模範囚を演じる生活へと戻る。彼の原動力は全て仮釈放に集約されていた。仮釈放のためなら何でもするし、逆にそれ以外の事には殊更興味が無い。そのため囚人番号L00012の存在は、偶然食事中などに顔を合わせでもしない限りはほとんど思い出す事は無くなっていた。
 それから幾日が経過した、ある自由時間の事だった。
 その日の囚人番号M20715は、自由時間の終了前に自分の房へ戻っていた。仮釈放に向けて刑務作業に張り切り過ぎ、いささか疲れが出たからだった。睡眠時間は規則で決められているが、自由時間の仮眠は禁止されていない。そのため、ベッドで横になり仮眠を取っていた。
 夢と現実の間を行ったり来たりしていた囚人番号M20715だったが、突然の電子音で目を覚まさせられた。何事かと体を起こすと、房の壁がディスプレイに切り替わりメッセージを表示させていた。それは更正システムからの通達だった。それに気付いた途端、囚人番号M20715は一気に目が覚める。すぐさまディスプレイに飛び付き、指で何度も擦り叩いて本文を開いて読む。そして囚人番号M20715は、両手を握り締め天井へ向けながら膝から崩れ落ちた。更正システムからの通達の内容とは、囚人番号M20715の仮釈放の認可が正式に決定したことと、その日時についてだった。未だに立ち上がれない囚人番号M20715は、これまでにないほど大きく深い歓喜の念に満ち満ちていた。