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囚人番号M20715が彼の存在に気付いたのは、その日の昼食時間の事だった。昼食時は広間に着席した順で並ぶのだが、その時偶然彼の向かいの席で食事をしていたのが新たにこのムーン・ダイヤに収監された男、囚人番号L00012だったのだ。囚人番号M20715には、彼の素性に対しての好奇心があった。一体何故罪状や刑期が不明のまま収監されたのか、どのような経緯でこうなったのか、もし聞き出せるのならば聞き出したかった。だが囚人番号M20715にとっての最優先は、仮釈放を無事に得る事である。流石に好奇心程度でその機会を捨てるような危険は冒さなかった。
ムーン・ダイヤでの私語はほとんど無いとは言え、風聞というものが全く無い訳ではない。いずれ彼について何か分かる事もあるだろう。囚人番号M20715はそう考えていた。すると、
「メルヴィン・スキナーだな?」
突然訊ねられた囚人番号M20715は、驚きで声を上げそうになりながら顔を上げる。すると正面の囚人番号L00012は、真っ向からこちらを見ていた。
「お前の名前だ、囚人番号M20715。お前はメルヴィン・スキナーだな?」
囚人番号L00012は再度そう訊ねる。何より驚いたのは、彼が禁止されているはずの私語を堂々とした事である。収監されたばかりでその辺りの勝手を理解していないのか、そう初めは思った。けれど囚人番号L00012からうっかり口を開いたという様子は無く、むしろ分かっている上で口を開いているようだった。
ムーン・ダイヤに収監されている囚人同士で、互いの本名を知っているのは稀である。取り締まりの目を盗みリスクを冒して本名を教え合う事に、意味がほとんど無いためだ。よほど近しい間柄ならば、という事例もあるが、それは非常に稀だ。囚人番号L00012は、何故自分の本名までを知っているのか。
せっかく仮釈放の目処が立っているのだ、こんな下らない事で懲罰を受けたくはない。囚人番号M20715は、何故自分の名前を知っているのかという疑問はあったが、事を無難に収めるため黙ったまま素直に頷いた。すると囚人番号L00012は更に質問を続ける。
「エセル・ウェイクマン。この名前に覚えはあるな?」
ある。それは囚人番号M20715がここに収監される原因となった事件、その被害者の名前だ。囚人番号M20715にとって一日たりとも忘れた事のない名前、しかしここに収監されて以来この名前を人から聞かされたのは初めての事である。
囚人番号L00012が声を出している事に他の囚人達も気付き、訝しげな視線を送っている。奇妙な事に、囚人番号L00012の私語を管理システムは全く取り締まろうとしなかった。本来なら昼食時間中には、ほんの一言発しただけで直ちに程度に応じた懲罰プログラムが開始される。けれど彼に対して適用されているような雰囲気が無い。システム自体がダウンしているのかと思い私語を試す囚人も居たが、すぐさま警告アラームを鳴らされ、システムが正常に稼働している事は間違いないようだった。
これはどういう状況なのか。囚人番号M20715は困惑しながら目で問う。しかし囚人番号L00012は一切の疑問には答えない、そういった強硬な表情を浮かべていた。
「俺の名前は、ロイド・ウェイクマンだ。お前に殺されたエセルの兄だ」
兄。ということは、ここには私怨でやって来たという事になる。だが、まさかそのために囚人になったというのか。そんな馬鹿げた事を実際にやる者がいるはずがない。そもそもここは重犯罪者だけが収監されるムーン・ダイヤである。仮に被害者遺族が重犯罪を犯したとして、加害者と同じ場所へ収監されることがあるだろうか。その程度の事前調査は必ず行われるはずだ。
様々な疑問を浮かべ戸惑う囚人番号M20715。しかしそれらを全て肯定するかのように、囚人番号L00012は真っ向から睨みつけ、その言葉を叩きつけるように吐いた。
「俺はお前を許してはいない」
憎しみのこもった声、そして目。
彼はずっと、家族を殺した自分を許してはいなかったのだ。そして、その憎い仇と同じ場所へ自らも収監されるという馬鹿げた事を実際にやってみせた。俄には信じ難いそれを信じさせるほどの怒りや恨みの念がそこにはあった。重犯罪を犯した事で、悪意や侮蔑に満ちた視線は嫌というほど味わってきた。けれど、そのどれよりも彼の激情は強く深かった。囚人番号M20715は、これまで仮釈放の事ばかりで頭が一杯になっていて自分が世間から疎まれる存在である事を今更のように思い出す。そう、法律が許諾したところで心情的に許していない人間が居ないはずはないのだ。
確かに自分がした事は、取り返しのつかない罪深いものだ。被害者遺族から深く恨まれるのは当然の事である。しかしその一方で、囚人番号M20715は新たな疑問を脳裏に浮かべた。そこまで憎んでいるのなら、何故自分に対しての仮釈放申請を許諾したのだろうか。その上で、何故自ら同じ監獄へ収監されるような真似をしたのだろうか、と。