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 バートラムの住むアパートは、東三丁目でも教会の影にあるやや立地に難のある場所にあった。一階は元々何かの店だったが今は営業をしていないらしく、古びたシャッターが鎖をぶら下げている。そのすぐ横の階段を上り、二階の共有廊下へ入る。カビの目立つ壁紙と、集合ポストが三つ。この建物には部屋は三つしかないようだったが、その内の二つはチラシが溢れるほど詰まっている。おそらくバートラム以外に住んでいる者が居ないのかも知れない。
 廊下の一番奥の部屋、そこが資料に記載されているバートラムの部屋だった。オルランドは早速ドアをノックしてみる。しかし、何度か叩いても応答は無い。ドアに耳を当ててみても何も聞こえないところから、居留守という訳でもなさそうである。あの居酒屋で聞いた情報によれば、バートラムは夜勤に備えて早めに帰宅したはずなのだが。もしかすると、まだ別の所に寄り道をして帰宅していないのだろうか。
 やはり昨日の今日ではそう上手くタイミングが合う事もないのだろう。ならば自分の身分を利用し、今夜直接夜勤中の本人を訪ねてみよう。そんな事をオルランドは画策しながら、廊下を引き返しアパートの階段を下りた。
 すぐ側のアルテミジア正教の教会を通りかかった時だった。不意に教会から一人の青年が姿を表し、オルランドの近くを通り過ぎていく。今日は平日だが、教会をこんな時間に訪れる事が不自然という訳でもない。しかしどうにも勘めいたものが働き、オルランドは思わず振り返って今の青年の後ろ姿を辿る。すると青年は、つい今し方後にしたばかりのアパートの階段を上って行った。あそこに住んでいるのはバートラム以外にいない。すぐさまオルランドは後を追い再びアパートへと向かった。
「あの、すみません!」
 駆け足で向かったオルランドは、丁度部屋のドアを開けようとしていたバートラムを見て、すぐに声を掛ける。バートラムは驚いた表情をオルランドに向け、鍵を開けた手を止めてしまっていた。
「え……何か?」
「不躾で申し訳ありません。自分はオルランドと言います。あなたはバートラムさんですよね? 是非お伺いしたい事がありまして」
「オルランド……?」
 呆気にとられていたバートラムの表情が、俄かに訝しむようなものへ曇る。
「まさかとは思いますが、クヴァラトの御嫡男ですか? 何でも放蕩の旅に出掛けたきり帰って来ないとか何とか」
「そうです。いや、遊びに出掛けていた訳ではないんですけど、とにかくその本人です」
 するとバートラムは、何かを察したかのように小さく息をつくと、開き掛けていたドアを音を立てた閉じた。
「あなたの事は聞き及んでいますよ。何でも、魔王の取材をされているとか」
「御存知でしたら、話は早い。私の用件が何なのかお分かりになりますよね?」
 バートラムは警戒している。それは当然の事である。勇者マックスとの関係を切り離したいがために、わざわざ故郷を出て名前までも変えているのだ。自分の過去の事など話したがるはずがないのだ。それはオルランドにとっても予め覚悟している反応である。
「俺の素性も調べている、という事ですか」
「グアラタルにも行きましたよ。あなたが通っていたという剣術道場も。ユーインさんからお話も聞かせて頂きました」
「そうですか、先生にも会ったんですね……」
 そうぽつりと話すバートラム。すると彼はおもむろに閉じたばかりのドアを開いた。
「どうぞ、中へ」
「よろしいのですか?」
「はい。いつかこういう事があるのかもとは思っていましたから」
 バートラムの表情には既に警戒の色はなかったが、替わりにどこか解放感を思わせる明るさがあった。長らく蓋をしていた自分の過去について、話す事に抵抗が無いという訳でもないのかも知れない。もしくは、こういった切欠を求めていたかだ。
「先生はお元気でしたか?」
「ええ。ただ、お二人の事に関しては幾分気に病んでいる様子でした」
「そうですか……いつか、挨拶に行くべきなんでしょうね」
 その言い方は、行きたくとも自分以外の事情でそれが出来ないように聞こえる。今はバートラムと名を変えているが、カスパールの時代に未練が無い訳ではないのだろう。つまり、今の過去を隠した生活は、決して自ら望んだものではないのかも知れない。
 ふとオルランドは、戦場で死んだのがカスパールの方であると捏造された経緯を思い出した。冷静に考えて、今日の一般に知られる内容へ落とし込むのに、国の介入が無いはずがない。もしかすると彼は、好き好んで名を変えた訳では無いのかも知れない。