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 甲板の上で手摺りに頬杖をつきながら、オルランドはぼんやりと水平線の彼方を見つめていた。船の目的地はメルクシス。オルランドが生まれ育った南方の随一の大都市である。期せずしての帰郷となったのには理由があった。それは、フリー記者のクライドから譲り受けた勇者マックスに関連する目撃情報のほとんどが、寄りによってメルクシスに集中していたからである。そして霊能者ディオネーによれば、このマックスと思われている人物は親友のカスパールらしい。いずれも裏の取れていない不確かな情報であるが、話の筋道は通っている。どの道調べなければならない以上は、メルクシスに戻ることは避けられないのだ。
 どこか憂鬱な気分のオルランド。それは故郷に戻りたくないから、という理由ではなかった。これまで魔王の真相を求め様々なところを巡っては取材を続けてきたのだが、何となく次の取材が旅の最後になるような予感がしていたからだ。あんなに追い求めていた真実を、今更知りたいようで知りたくない、そんな相反する心境が胸に渦巻いてはオルランドを憂鬱にしていた。
 夜になり、オルランドは船室へ戻り軽く食事を取って眠る。そして夜が明け早朝に船はメルクシスの港へと着いた。
「はあ、何も変わってないなあ」
 船着場から船を降りて乗船場に入り、沢山の人混みに流されるようにして待合室を抜け馬車乗り場までやってくる。目の前に広がる故郷メルクシスの風景は、出立の時と何一つ変わっていなかった。高く細く建てられた建物が乱立し、あちらこちらにガス灯が灯り早朝でも昼間のように明るく、多くの馬車が忙しなく走り、時間に追われるようにして人々は行き交う。活気と無関心さを併せ持った都市部独特の冷たい雰囲気に好きや嫌いを感じた事は無かったが、世界中の辺境や過疎地域すら足を運んだ経験をした後となっては、酷く息苦しいものに思えてならない。世界有数の大都市でありながら、どうして人々はこうも余裕のない生活をしているのか。それは、生活に余裕のある恵まれた立場だからこその贅沢な悩みなのだろうか。
「お久しぶりでございます、若。御健勝そうで何よりでございます」
 ぼんやりと故郷の景色を眺めていたオルランドの前に、一人の老紳士が歩み寄ってきて恭しく一礼する。その懐かしい顔にオルランドは、思わず笑みを浮かべた。
「モーリスじゃないか! どうして今日来るって分かったんだい? こっちから連絡はしなかったのに」
「メルクシスへ来る船便の乗船者は、毎日欠かさず確認しておりますので。そもそもこの国の海運は全てクヴァラト社のグループ企業でございますから、この程度は造作もないこと。さあ、こちらへどうぞ。迎えの馬車を待たせております。御屋敷へ向かいましょう。もちろん、そのつもりでございますよね?」
 反論を許さない迫力に満ちたモーリスに、オルランドはただただ従って迎えの馬車へと連れられていく。
 クヴァラト社はオルランドの一族が経営する世界的な大企業であり、現在のトップがオルランドの父親である。そしてモーリスはオルランドの教育係を兼任する、生家の執事長である。両親は仕事のため顔を合わせない日が多く、オルランドにとってはこのモーリスが幼い頃から最も親しい人物だった。親代わりという言葉がよく当てはまる。
 馬車に乗ると、有無を言わさず走り始める。目的地はオルランドの実家であり、寄り道など決して許さないだろう。そして朝も早くから両親にあれこれと小言を受けるだろうか、そんな事を考える。オルランドは末子という事もあり、家族は比較的甘い。両親も二人の姉も、最初こそ厳しい物言いもするが、いつも最後はオルランドの言うがままになる。だからこそオルランドはこうして取材の旅という道楽が出来たのだ。そのため、問題は別の所にある。
「まさか、家に親族大集合なんてないよね?」
「ええ、もちろん。御高齢の方は、流石に昨日の今日でこの時間には難しいですから」
「そうじゃないのはみんな居るって事か……」
「皆さん、ずっと若のお帰りを待っておられたのですよ。何より無事に帰って来られる事を一日千秋の思いで。その心情を無碍にしてはなりません」
「分かってるよ。不良息子の道楽は、そろそろ終わりにするつもりだから」
 オルランドの親族は皆、家業の後継者をオルランドにしようと考えている。それは画策と言うより決定事項に近く、オルランド以外の後継者など考えていないという勢いだ。その理由は単純で、親族の内、本家筋の若い男子がオルランドしかいないためである。姉や従姉妹は婿養子を取っているものの、家督は代々本家筋の男子でなければならない家訓のような掟がある。しかしオルランドは、魔王取材の旅に出た。反抗期のそれではないが、家業に没頭する前にどうしても納得のいく答えが欲しかったのだ。だから自分ではこの取材を我がままだと認識しており、親族達には負い目に思う部分が無い訳ではないのだ。
「若いうちは見聞を広めるのも構いませんが、そろそろ家業に本腰を入れて戴かなければ。親族の皆様も大層心配しておいでですぞ」
「それは何度も聞いたよ。だから、もう今回の取材で終わりにしようと思ってるんだ。目的の人物が、もしかするとこのメルクシスに居るのかも知れないからね」
「一年以上も気ままに放浪して、まだ遊び足りないと申しますか。まったく、若を甘やかして育ててしまったのは私の不徳のいたす所ではありますが」
「あー、もう。そういうのは分かってるから。それよりもちょっとさ、お願いがあるんだけど」
「伺いましょう。それで若が道楽をお止めになるというのであれば」
「うちのグループ企業全ての従業員名簿から調べて欲しい人がいるんだ。名前はカスパール。ペルケシスかその近隣の出身で、多分身元保証の無い非正規社員だと思うんだけれど」
「そんなことが魔王の取材とやらの続きなのですか?」
「うん、そうなんだ。もしも探していた人物に間違いなければ、これでようやく取材も終わりになるのかも知れない」
「だと良いですな」
 溜め息混じりにそう話すモーリス。少し会わない内にやけに愚痴っぽくなったと、オルランドは苦笑いを浮かべた。